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金刀比羅宮(ことひらぐう)は、香川県仲多度郡琴平町象頭山中腹に鎮座する神社である。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれる。

金刀比羅宮
本宮拝殿
本宮拝殿
所在地 香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1
位置 北緯34度11分2.2秒
東経133度48分34.0秒
座標: 北緯34度11分2.2秒 東経133度48分34.0秒
主祭神 大物主命
(相殿)崇徳天皇
社格 国幣中社・別表神社
札所等 さぬき十五社13番
主な神事 10月10日
地図
金刀比羅宮の位置(香川県内)
金刀比羅宮
金刀比羅宮
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御朱印:金刀比羅宮(本宮前神札授与所)・白峰宮・厳魂神社(奥宮)

目次

概要編集

 
金刀比羅宮の参道

神仏習合により真言宗の象頭山松尾寺金光院となり、象頭山金毘羅大権現と呼ばれた。明治維新の際に神仏分離廃仏毀釈が実施されて、神社本庁包括に属する別表神社宗教法人金刀比羅本教の総本部となった[1]。全国にある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮である。

海上交通の守り神として信仰されており、漁師船員など海事関係者の崇敬を集める。時代を超えた海上武人の信仰も篤く、戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭だけではなく、戦後の日本特別掃海隊(朝鮮戦争における海上保安庁の掃海)の殉職者慰霊祭も毎年、金刀比羅宮で開かれる。境内の絵馬殿には航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られる。金毘羅講に代表されるように古くから参拝者を広く集め、参道には当時を偲ばせる燈篭などが今も多く残る。

長く続く参道の石段は奥社まで1368段ある。例大祭に合わせて毎年、石段を利用した「こんぴら石段マラソン」が開かれている。

かつては、金刀比羅宮と倉敷市にある由加山蓮台寺由加神社本宮)の両方を参拝する「両参り」という習慣があったといわれている。

祭神編集

歴史編集

由緒編集

金刀比羅宮の由緒についてはいくつかの説があり、一つは、大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、中世以降に本地垂迹説により仏教金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとするものである[2]。もう一つは、もともと象頭山にあった真言宗の松尾寺[3]に金毘羅が鎮守神として祀られており、大宝年間に修験道役小角(神変大菩薩)が象頭山に登った際に天竺毘比羅霊鷲山(象頭山)に住する護法善神金毘羅の神験に遭ったのが開山の縁起との伝承から、これが金毘羅大権現になったとする[4]。別の説として、『生駒記讃陽綱目』の金刀比羅宮の條によれば、延喜式神名帳に名が見える讃岐国多度郡雲気神社が金刀比羅宮という記述がある。

海上交通の守り神とされるのは、古代には象頭山の麓まで入江が入り込んでいたことに関係があるとされるとの説があるが、縄文海進での海面上昇は5m程度であり、大物主命が「海の彼方から波間を照らして現れた神」であったことに由来すると考えるほうが妥当である[誰によって?]

長寛元年(1163年)に崇徳上皇が象頭山松尾寺金光院に参籠した[2]ことから、修験道の御霊信仰の影響で永万元年(1165年)には、讃岐国に流されたまま崩御した崇徳天皇も象頭山松尾寺金光院に合祀した[5]

戦国時代には荒廃していたが、松尾寺の別当となった宥盛が信仰を広め境内を整備した。宥盛は死の直前には神体を守るために天狗に身を変えたとの伝説もあり、死後は本堂付近に祀られる。

江戸時代編集

 
金毘羅講燈篭
江戸時代に江戸の商人が寄進した燈篭で、香川県丸亀市の港に一基が現存し、寄進者の名を冠し太助燈篭(たすけどうろう)と呼ばれている。

江戸時代初期には、松尾寺別当の宥光が参拝の土産物として○に金の印を入れたうちわを作ることを思いつき、大和国より技術者を招いたといわれ、この頃には信仰が次第に広がりを見せていたと推察される[誰によって?]

江戸時代中期に入ると全国の庶民の間へと信仰は広がった。各地で金毘羅講が組織されて金毘羅参りが盛んに行われるようになり、伊勢神宮へのお陰参りに次ぐ庶民の憧れだったといわれる[6]。その様子は、浮世絵東海道五十三次の一つである「沼津」や、滑稽本東海道中膝栗毛に描かれている。奉納も多く行われ、奉納された石碑を収めるために本来直線だった参道を曲げたほどであった[7]

江戸時代末期には民謡「金比羅船々」[8]が歌われ始める。

明治以降編集

 
金刀比羅本教総本部

明治元年(1868年)の神仏分離令金刀比羅宮と改称して神道の神社になり、主祭神の名は大物主神と定められ、相殿(あいどの)に崇徳天皇を祀った。9月13日に勅祭神社とされた[9]。象頭山松尾寺金光院は廃されて、祀られていた宥盛は厳魂彦命と名を変えた。明治38年(1905年)には現在の奥社へと遷座される。本殿の並びにあった観音堂の本尊十一面観音菩薩は社宝として現在は宝物館に展示されている。金光院の金堂は天御中主神ほか二神を祀る旭社となり、本尊薬師如来は不明となる。本殿に祀られていた不動明王毘沙門天の2体の脇侍仏は破却の危機に直面したが松尾寺の末寺である万福院住職宥明によって救い出され、その後、所在は転々としたが、明治15年(1882年岡山市西大寺の住職光阿によって同寺に移され、その二体で金毘羅大権現とし、牛玉所権現(五大明王)とともに牛玉所殿に祀られ現在に至る[10]。松尾寺金光院は塔頭が五つあったが、唯一普門院が再興し、松尾寺普門院として法灯を継承している。

近代社格制度のもと、明治4年(1871年)に国幣小社に列格し、明治18年(1885年)に国幣中社に昇格した。

古くから信仰を集め、こんぴら講に代表される金毘羅信仰を後世に伝えるため、昭和44年(1969年)8月5日、宗教法人金刀比羅本教の設立認可を受け、金刀比羅本教の総本宮となった。総本部は金刀比羅宮の大門近くにある。金刀比羅本教は神社本庁に属さない独立した包括宗教法人であるが、金刀比羅宮自体は神社本庁の被包括法人であり、別表神社に指定されている。

境内編集

象頭山の中腹に鎮座し、参道の石段は本宮までは785段、奥社まで登ると1368段にもなる。

本宮エリア編集

  • 本宮
    • 本殿 - 1878年再建。桧皮葺・大社関棟造り。祭神は 大物主神崇徳天皇を合祀。
    • 幣殿 - 桧皮葺・大社関棟造り。
    • 拝殿 - 桧皮葺・大社関棟造り。
    • 神饌殿 - 本殿の向かって右、入母屋造・檜皮葺。神饌を調進する所。
    • 北渡殿 - 神饌殿と拝殿をつなぐ回廊。
    • 北透垣 - 神饌殿のさらに右側にあり本殿背後の禁足区域の森への進入を防ぐ。
    • 直所 - 本殿の向かって左。詰所。
  • 神楽殿 - 本殿の向かい。
  • 神札授与所 - 本殿の向かい。
  • 南渡殿 - 本宮と三穂津姫社をつなぐ約40mの回廊。
  • 三穂津姫社(御別宮)
    • 本殿 - 1876年造営。檜皮葺・王子造。祭神は三穂津姫神。
    • 中殿 - 檜皮葺。
    • 拝殿 - 檜皮葺・大社関棟造。
    • 神饌殿 - 三穂津姫社の向かって右。
    • 直所 - 三穂津姫社の向かって左。
    • 祓除殿 - 直所の後ろに回廊でつながる。
  • 御炊舎 - 三穂津姫社の向かい。1874年建立。
  • 睦魂神社(むつたまじんじゃ・祠) - 南渡殿の奥の斜面。王子造・銅葺。祭神は大国魂神ほか二柱[11]
  • 神庫・神輿庫 - 南渡殿の奥の斜面。
  • 厳島神社(いちきしまじんじゃ・祠) - 三穂津姫社の向かい。入母屋造平入・檜皮葺。祭神は市寸姫尊。
  • 絵馬殿 - 航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られ、安全祈願をした漁船タンカーの写真やソユーズに搭乗した秋山豊寛の絵もある。
  • 緑黛殿(りょくたいでん) - 南西端。2004年5月竣工、建物は村野藤吾賞および日本芸術院賞受賞。参集所や斎館などの施設
  • 高台 - 北東端。展望所で人工に造られた。讃岐平野が見渡せ讃岐富士が臨める。

本宮エリアまでの上り編集

 
参道の最初の1段
  • 大宮鳥居 - JR琴平駅前、ことでん琴平駅横に立つ。
  • 一之坂鳥居
  • 備前焼狛犬 - 一之坂鳥居の両側にいる。1844年奉納され、高さ約5尺(重要有形民俗文化財)
  • 灯明堂・釣燈籠 - 石段に沿って立ち中に数基の灯籠が並んで吊るされている。1858年建築(重要有形民俗文化財)
  • 金刀比羅本教総本部 - 1877年建築。
  • 鼓楼(ころう)と清塚 - 大門傍にあり、中にある時太鼓は今も朝夕に打ち鳴らされる。造りがに似ていることから「琴平城」とも呼ばれている。1710年建築。清塚は鼓楼脇にあり清少納言の墓と時の別当は考えた云われている。
  • 大門 - 門の中の両側に弓を持つ武者が控える。これより内が境内で、有栖川宮熾仁親王筆の「琴平山」の額が掲げられる。門をくぐると鎌倉時代から特別に境内での営業を許された五軒の五人百姓が加美代飴を売っている
  • 桜の馬場 - 約150mの平坦な石畳で春は両側に桜咲く道になる。
  • 宝物館(登録有形文化財) - 明治38年(1905年)に建てられた石造、二階の宝物館。かつて旭社の本尊であった十一面観音立像を拝観できる。
  • 御厩 - 月琴号・ルーチェ号の2頭の馬が飼われている。この奥にトイレがあり参拝者はここで済ませてから参拝のこと。
 
こんぴら狗
  • こんぴら狗(いぬ) - 飼い主に代わって代参した犬の像。
  • 高橋由一館 - 近代の洋画家高橋由一個人美術館。一般公開されている。
  • 着見櫓 - 大名行列の見張所。
 
表書院の庭園林泉
  • 書院
    • 社務所門 - 切妻造平入・銅葺
    • 社務所
    • 表書院(重要文化財) - 万治2年(1659年)に建立された書院造りによる建物。内部の五間には円山応挙が、邨田丹陵が二間、森寛斎が一間の障壁画が飾られている。また前池躍魚と称される池泉鑑賞式庭園林泉や蹴鞠が催される前庭が鑑賞できる。一般公開されていて、大人料金800円。
    • 白書院 - 明治10年建造、非公開
    • 奥書院(重要文化財) - 非公開
    • 四脚門(重要文化財) - 参道脇にある黒門から奥に見え通常は閉まっている。書院の正門。
  • 木馬舎 - 木製の等身大の馬が一頭。ここの右下にカフェ&レストラン神椿がある。
  • 祓戸社(はらえどしゃ・祠) - 祭神は瀬織津姫ほか三柱。
  • 火雷社(ほのいかづちしゃ・祠) - 祭神は火産霊神ほか五柱。
  • 旭社(後述)
  • 賢木門(さかきもん) - 唐破風と千鳥破風の棟が交錯する檜皮葺の屋根。長曽我部元親が寄進、もとは「逆木門」と書いたが明治12年(1879)の改築の際に「逆」の字を嫌い「賢木門」と書くようになった。
  • 遙拝所 - ここから伊勢神宮や皇陵を拝するところ。明治初年の建立。
  • 真須賀神社(ますがじんじゃ・祠) - 入母屋造。祭神は建速須佐之男尊と后神。
  • 御年神社(みとしじんじゃ・祠) - 流造。祭神は大年神、御年神、若年神。
  • 事知神社(ことしりじんじゃ・祠) - 流造・銅板葺。祭神は積羽八重事代主神ほか二柱。
  • 本宮(前述) - 最後の133段の御前四段坂を上ると本宮前に。

本宮エリアからの下り編集

  • 大山祇神社(祠) - 本宮エリアからの下り石段の途中。流造。祭神は大山祇神。
  • 旭社(重要文化財) - 天保8年(1837年)に建立された銅瓦葺の二層入母屋造の建物で、全体に多くの美しい彫刻がなされている。高さ約18m。祭神は天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神。神仏分離以前の松尾寺の金堂であり、そのあまりの豪華さに江戸時代に参拝した森の石松本堂と誤り、ここへの参拝のみで帰ってしまったと伝えられる。本宮を参拝した後に参拝する習わしである。
  • 廻廊 - 旭社の向かい。1854年建立、1901年改築。約32m。

本宮エリアから山頂へ編集

本宮の神饌殿の右の北透垣の奥にある鳥居が上り口
  • 常磐神社(祠) - 祭神は武雷尊、誉田和気尊。
 
白峰神社の随身像
  • 白峰神社(しろみねじんじゃ)
    • 本殿 - 大正2年建造、流造。祭神は崇徳天皇、待賢門院、大山祇神。
    • 随身門 - 白峯寺頓証寺殿の勅額門から明治31年に移された源為義・為朝像
    • 拝殿 - 入母屋造
    • 御守所 - ご朱印あり。
  • 菅原神社(祠) - 祭神は菅原道真命。
  • 厳魂神社(いづたまじんじゃ) - 奥社と呼ばれ、1368段の石段を登りきった先に鎮座する。戦国時代の別当金剛坊宥盛(慶長18年1月6日没)を明治に入り厳魂彦命として祀った。
    • 本殿 - 檜皮葺・流造、明治38年建立
    • 向唐門 - 檜皮葺
    • 拝殿 - 檜皮葺・入母屋造
    • 御守所 - ご朱印あり。
    • 威徳巖 - 社殿に向かって左の岩壁で天狗とカラス天狗の彫物が掛けてある。
  • 龍王社(祠) - 山頂にある。

周辺の関連項目編集

  • 門前街 - 門前町の琴平町には多くの土産物屋が並ぶ。参道は江戸時代には「金毘羅街道」と呼ばれ多くの燈篭が備えられ、丸亀多度津の港は参道口として栄えた。
 
駕籠タクシー
  • 駕籠タクシー - 一之坂鳥居前から大門まで有料で参詣客を送迎している。しかし大門から本殿までも相当な階梯であり高齢者や体力に自信のない者は慎重に参拝計画を立てなければ下山時にヘタりこんでしまうことになる。乳幼児連れの場合ベビーカーが利用できる余地はほとんど無いので抱きかかえて参詣する必要がある。門前町の土産物店の店頭では無料での杖の貸し出しがある。
  • 鞘橋(登録有形文化財) - 門前の金倉川に架かる橋。銅葺唐破風の屋根がかかるアーチ式の木造橋で、のように反った形から鞘橋と呼ばれる。洪水で何度も架け替えられ、現在の橋は明治2年(1869年)に阿波国鞘橋講中により寄進された。例大祭の時のみ用いられる。
  • 高燈篭 - 琴電琴平駅の隣に建つ。1860年完成で、高さ約27m。(重要有形民俗文化財 1979年5月21日指定)[12]
  • 旧金毘羅大芝居(重要文化財) - 金丸座とも呼ばれ、天保7年(1836年)参道近くに建てられた、現存する日本最古の芝居小屋で、今も毎年春に「四国こんぴら歌舞伎大芝居」として歌舞伎が公演される。
  • 海の科学館(琴平海洋博物館) - 参道22段目を左に入るとすぐ。海や船と触れ合う展示館。
  • 金陵の郷 - 琴平の酒蔵である金陵が参道に面し設けた日本酒の資料館で、江戸時代の酒造りに用いられた道具などを見ることができる。
  • カフェ&レストラン神椿 - 木馬舎の右脇からすぐ下にある。カフェは9:00〜17:00、レストランは11:30〜15:00(ランチ)・18:00〜21:00(予約制ディナー)
  • 裏参道 - 宝物館の脇から石段のない閑静な道が続く。
  • 神苑 - 表参道と裏参道の間の区域を散策することができ鏡池などがある。金刀比羅本教総本部の前から入る。
  • 牛屋口(うしやぐち) - 金刀比羅宮の南の入口。象頭山南側にあり、鳥居や燈篭などがある。土佐・伊予と讃岐をつなぐ主要街道であった金毘羅街道(旧伊予土佐街道)は、幕末には坂本龍馬中岡慎太郎などの脱藩者、また高杉晋作などが、往来する際にこの道を使ったといわれる。そのため、この牛屋口には観光用として設置された坂本龍馬像がある。併設の「峠の茶屋」(藁葺き小屋)は現在使用されていない。また牛屋口付近からは、改修工事のために整備された道路(管理者も駐在し一般者は通行不可)があり、本宮や絵馬殿付近まで続いている。
  • 金毘羅街道(旧伊予土佐街道 )- 土佐・伊予と讃岐をつなぐ旧主要街道。(牛屋口~参道間について)金毘羅さんへの街道として、また主要道路であった時期には繁栄しており、多く立てられている石燈篭にも大正末期頃まで明かりが灯っていた。しかし、国道などの他のルートが出来ると共に衰退し、石燈篭の一部を盗まれるなど、荒廃が進み、現在では鳥居や石燈篭を残すのみとなっている。参拝にこの道を使われることは、地元の人が正月にわずかに使用するのみである。この区間の街道途中にある広谷墓所には、代々の別当職が眠る墓が建てられている。

文化財編集

 
遊鶴図(円山応挙筆、17枚のうち)
 
遊虎図(円山応挙筆、24枚のうち)
 
竹林七賢図(円山応挙筆、16枚のうち)
 
瀑布及山水図(円山応挙筆、33枚のうち)

重要文化財編集

建造物
  • 表書院 昭和30・6・22指定[13]
  • 奥書院 昭和30・6・22指定
  • 旭社附棟札2枚 昭和57・2・16指定
  • 四脚門 昭和57・2・16指定
美術工芸品
  • 絹本著色弁財天十五童子像 明治34・3・27指定
  • 紙本著色なよ竹物語絵巻 明治34・3・27指定
  • 紙本墨画遊鶴図 17枚 明治34・3・27指定
円山応挙の筆による表書院「鶴の間」の障壁画。
  • 紙本墨画遊虎図 24枚 明治34・3・27指定
応挙の筆による表書院「虎の間」の障壁画。日本にはがいなかったため、虎の毛皮を見ながら描いたと伝わる。
  • 紙本墨画竹林七賢図 16枚 明治34・3・27指定
応挙の筆による表書院「七賢の間」の障壁画。
  • 紙本墨画瀑布及山水図 33枚 明治34・3・27指定
応挙の筆による表書院「山水の間」及「上段の間」の障壁画。
  • 木造十一面観音立像 大正8・8・8指定
平安時代に作られた檜材の一木造、像高144cm。頭に着けられていた10面の仏や装飾および台座は失われている。旧松尾寺の観音堂の本尊であった。
  • 太刀 銘長光 明治44・4・17指定
  • 太刀 銘備州長船(以下不明)明徳(不明)年(不明)月 大正12・3・28指定
師光による作と伝わる。
  • 短刀 銘筑州住国弘作 大正11・4・13指定
  • 伏見天皇宸翰御歌集 大正8・8・8指定

重要有形民俗文化財編集

  • 金毘羅庶民信仰資料 1,725点 昭和54・5・21指定

名勝・天然記念物編集

  • 象頭山 昭和26・6・9指定

登録有形文化財編集

  • 鞘橋 平成10・4・21指定

県指定有形文化財編集

  • 紙本著色金毘羅祭礼図六曲屏風 1双 昭和49・6・15指定
  • 紙本金砂子地著色百花の図伊藤若沖筆 18枚 昭和49・6・15指定
  • 紙本金地著色若松の図岸岱筆 18枚 昭和49・6・15指定
  • 紙本金地著色花菖蒲に水禽の図岸岱筆 16枚 昭和49・6・15指定
  • 紙本金地著色群蝶の図岸岱筆 4枚 昭和49・6・15指定
  • 紙本金地著色柳に白鷺の図岸岱筆 26枚 昭和49・6・15指定
  • 太刀銘:定利 平成8・11・8指定
  • 太刀銘:助真 平成8・11・8指定
  • 刀 銘:肥前国忠吉 平成8・11・8指定
  • 紙本墨書保元物語 昭和49・6・15指定
  • 紙本墨書平治物語 昭和49・6・15指定

年間祭事編集

三大祭り編集

月毎の大祭り編集

その他の主な祭り編集

信仰上の伝統編集

海運の守護神であるため、必然的に奉納を行うのは海運関係者や漁師が多い。そのため、金刀比羅宮の近くの海域を通過する金刀比羅宮へ直接参詣できない船が金刀比羅宮の加護を得るため、酒を入れた樽に「奉納 金刀比羅宮」と書いた白幡を付けて船から海に落とし、それを見つけた漁師が拾って金刀比羅宮に代わりに奉納(代参)する「流し樽」という風習がある。これは現在でも海上自衛隊の艦艇の処女航海など、当該海域を通る様々な船舶の乗組員によって行われている[14]

また、江戸時代にはに飼い主が初穂料と犬の道中の食料などを首にかけて代参させることもあったという。その犬は道中の人々の善意によって金刀比羅宮へ連れて行かれた[15]

交通編集

鉄道
自動車
境内は許可車両以外の乗り入れできないため、琴平町内の町営駐車場などを利用。

なお、かつては琴平参宮電鉄(1963年まで)・琴平急行電鉄(1944年まで)といった路線も琴平に発着しており、1930年~1944年には4つの路線がひしめき合っていた。

分社編集

正式な分社は6社のみである。

関連項目編集

脚注編集

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  1. ^ 明治42年(1909年)象頭山松尾寺は建物・宝物の所有権と返還を求めて金刀比羅宮を相手に訴訟を起こしたが、明治43年(1910年)7月7日高松地方裁判所は原告の請求を棄却する判決を下した。
  2. ^ a b 金刀比羅宮 - 由緒
  3. ^ 新四国曼荼羅霊場ホームページ - 香川部会 - 第16番松尾寺
  4. ^ 象頭山松尾寺の略縁起
  5. ^ 金刀比羅宮 - 崇徳天皇
  6. ^ 金刀比羅宮 - こんぴら狗
  7. ^ "こんぴらさん 〜人はなぜ“こんぴらさん”を目指す?〜". ブラタモリ. NHK総合. 2017年1月21日放送.
  8. ^ 歌詞「こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば」
  9. ^ 讃岐金刀比羅宮ヲ以勅祭神社ト為ス」、『太政類典』第1編(慶応3年~明治4年)、第122巻、3。
  10. ^ 金毘羅大権現 - 西大寺観音院(岡山県西大寺)
  11. ^ 現地の説明看板より、以下も
  12. ^ 現地看板より
  13. ^ 香川県教育委員会のホームページより
  14. ^ こんぴらさん~流し樽 樽が運ぶ 海の男の願い事”. NHK. 2017年2月8日閲覧。
  15. ^ こんぴら狗”. 金刀比羅宮. 2017年2月8日閲覧。

参考文献編集

  • 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、30頁
  • 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、144-146頁
  • 菅田正昭『日本の神社を知る「事典」』日本文芸社、1989年、210頁
  • 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、250-251頁
  • 『神道の本』学研、1992年、210頁

外部リンク編集