筒香嘉智

日本のプロ野球選手 (1991-)

筒香 嘉智(つつごう よしとも、1991年11月26日 - )は、和歌山県橋本市出身のプロ野球選手外野手内野手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属[2]

筒香 嘉智
横浜DeNAベイスターズ #25
2024年5月26日、横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県橋本市
生年月日 (1991-11-26) 1991年11月26日(32歳)
身長
体重
185 cm
97 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手三塁手一塁手
プロ入り 2009年 ドラフト1位
初出場 NPB / 2010年10月5日
MLB / 2020年7月24日
年俸 3億円(2024年)[1]
※2024年から3年契約[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2017年
プレミア12 2015年
獲得メダル
日本の旗 日本
WBSCプレミア12
2015

兄は少年スポーツ指導者筒香裕史

経歴

プロ入り前

橋本市赤塚出身で[3][4]市立恋野小学校市立隅田中学校卒業[4][5][6]。実家は橋本市内でガソリンスタンドを営んでいた[7]。5歳のころから兄と野球で遊ぶようになり[8]、小学2年の時[注釈 1]那賀郡岩出町(現:岩出市)の硬式野球チーム「和歌山ニューメッツ」で野球を始め[4]4番打者投手として活躍した[3]。当時は毎週土曜日、日曜日に自宅から片道1時間かけて父親や祖父(2024年11月時点では既に故人)に練習へ送迎してもらっていたという[8]。また本人は、6歳だった1998年10月時点では近鉄バファローズのファンで、タフィ・ローズに憧れており、大阪ドームで試合観戦することもよくあったと語っている[8]

中学時代は大阪府河内長野市の「堺ビッグボーイズ」に所属[4]、4番打者として30本塁打を記録。中学3年で全国大会ベスト8。ボーイズ関西選抜の4番として世界大会に出場。中学時代は野球漬けで学校が終わって友達と遊んだことは1度もなかったといい、授業が終わると自宅裏に父が設営した「手づくりドーム」に直行したという。地元住民(2020年時点で赤塚の区長)は中学時代の筒香について、毎日夜遅くまで野球の練習に打ち込んでいたという[9]ピッチングマシンの球詰めは兄:裕史が買って出て、兄は大学を中退してまで自分の練習に付き合ってくれたという[7]

関西の強豪校からの誘いもあったが、小学校1年生の時に初めて観戦した夏の甲子園大会で横浜高等学校試合(1998年8月20日のPL学園対横浜延長17回)を観て感激し[10]、自ら横浜高校に連絡して入学と野球部入部を志願する。セレクションにて柵越えを連発して合格・進学し、1年春から4番に抜擢ばってきされる。1年生での4番は紀田彰一以来[10]。夏は神奈川大会準決勝:東海大相模戦で、同校の菅野智之の「振り逃げ3ラン」が重くのしかかり敗退。この試合では三塁手を務めており、横浜高校の捕手は「振り逃げ3ラン」の時、筒香にボールを渡していた[11]

2年夏に第90回全国高等学校野球選手権記念大会に出場。初戦の浦和学院高等学校戦では先制本塁打。準々決勝の聖光学院高等学校戦では満塁本塁打を含む2打席連続本塁打を放ち、1試合個人最多タイとなる8打点を挙げる。準決勝で大阪桐蔭高等学校に敗れた。この大会では打率.526・3本塁打・14打点の活躍で4強入りに貢献。その後、腰痛の悪化により椎間板ヘルニアと診断され2か月弱のリハビリをする。一時期スイッチヒッターへ転向するも左打ちに専念。

3年春の花巻東高等学校との練習試合では、4回の攻撃時に菊池雄星から特大ソロ(高校通算55本目)を放っている。しかも数日前から体調を崩し、当日の朝であっても39度の高熱が下がらないにもかかわらず、監督に出場を志願していた[12]

この夏の神奈川大会における7月26日の準々決勝では、9回表にチームが同点に追いつき、なおも二・三塁の好機に打順が巡ってきたものの、一塁ゴロで同点止まり。すると延長10回裏に二死から自身の失策がきっかけとなり、横浜隼人高等学校に9-10でサヨナラ負けを喫した。第8回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選ばれた(高校通算69本塁打。うち2本は右打席[10])。

2009年10月29日に行われたプロ野球ドラフト会議で、地元球団である横浜ベイスターズから単独1巡目指名を受け、11月30日に契約金9000万円、年俸800万円(いずれも推定金額)で契約した[13]背番号は「55」で、横浜から1位指名を受けて入団した横浜高校出身者は当時、紀田彰一(1994年のドラフト1位指名)以来だった[14]。当初は右投両打で登録されていたが、後に左打ちに変更された。

横浜・第一次DeNA時代

 
湘南シーレックス時代
(2010年8月15日、横須賀スタジアムにて)

2010年は春季キャンプ途中で一軍に合流した。初の実戦形式の紅白戦では「4番・三塁手」で先発出場したが3打数安打に終わった。高卒新人ながら二軍イースタン・リーグ)では4番で起用された。8月22日に高卒新人としては大田泰示の本塁打記録を塗り替え、9月12日には新人として竹原直隆の記録を5年ぶりに更新する24号本塁打を放った。最終的に26本塁打、88打点を記録し2冠を達成した。この活躍が認められ、首脳陣から9月20日以降に翌年以降の新人王の資格を残した範囲での一軍出場を示唆され、10月5日の対読売ジャイアンツ戦で「5番一塁手」で一軍デビューを果たしたが結果は3打席無安打に終わった。10月7日の対阪神タイガース戦で3打席目に久保田智之から一軍初安打となるソロ本塁打を放った。

 
2011年10月15日、横浜スタジアムにて

2011年から背番号を「8」に変更。5月に右手首の靱帯を痛め、この影響から3か月近く実戦から遠ざかったが、最終的に2年連続で二軍(イ・リーグ)の本塁打王に輝いた。8月に一軍昇格すると、主にクリーンナップとしてコンスタントに試合に出場するようになった。長打力を発揮する一方で三振も多く、10月18日の対中日ドラゴンズ[注釈 2]横浜スタジアム)ではプロ野球タイ記録である1試合5三振を喫した。同記録は、セ・リーグ8人目、史上14人目の記録である[15]。それでもシーズンを通じて40試合出場ながら、背番号と同じ8本塁打を記録した。オフの12月9日、背番号を村田修一(同年オフ、FA権を行使して巨人に移籍)が着用していた「25」へ変更した[16]

 
2012年5月3日、横浜スタジアムにて

球団名が「横浜DeNAベイスターズ」となった2012年は、春季キャンプ中にチームメイトの佐藤祥万から死球を受けたことで左足首に骨挫傷を負い、開幕は二軍スタートとなった。5月に一軍昇格すると、その日の東京ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)で「3番・三塁手」で即スタメン出場した。5月6日の中日戦(横浜スタジアム)では先発の山本昌から自身初となる、2打席連続本塁打をライトスタンドへ放ち、プロ野球史上最大年齢差本塁打を26歳差で記録した。また、ランディ・ルイーズ入団後はチーム事情で一時期外野手にも挑戦した。最終的に自身初の2桁本塁打を記録したものの、打率は .218で規定打席到達者では最下位と伸び悩み、課題の残るシーズンとなった。オフには侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」の日本代表に選出された[17][18]

 
2013年7月30日、マツダスタジアムにて

2013年オープン戦で走塁中に左足首をひねり負傷し、一時は開幕戦絶望と思われていたが間に合わせ「6番・三塁手」で自身初の開幕スタメンに選ばれた。しかし開幕三連戦で9打数無安打を喫し、中村紀洋に三塁のポジションを奪われ、4月1日に登録抹消された。6月25日の明治神宮野球場でのヤクルト戦から一軍復帰し、「5番・三塁手」で先発出場し、3安打猛打賞を記録した。しかし一塁手にトニ・ブランコ、三塁手に中村が定着していたため出場機会が限られ、守備固めとしての起用や代打起用、また不慣れな左翼手での先発起用が多かった。8月に二軍に降格すると、その後はシーズン終了まで昇格することはなく、打率.216、本塁打は1本のみ、打点はわずか3という成績に終わった。

 
2014年3月9日、横浜スタジアムにて
 
2014年3月11日、阪神甲子園球場にて

2014年は前年オフにオリックス・バファローズ自由契約になった三塁手のアーロム・バルディリスを獲得したことから、中畑清監督の意向により左翼にコンバートされた。オープン戦では打率.360と好調をアピールし、「5番・左翼手」で2年連続の開幕スタメンを勝ち取った。開幕直後は8試合で打率.161、0本塁打と苦しんだが、結果的に3、4月の月間打率が3割ちょうどを記録するほどの盛り返しを見せた。6月17日には右太もも裏を痛めて一時的に二軍降格するが最短日数の10日で一軍へ復帰。その後は、ブランコや中村紀洋の戦線離脱による穴を埋めるように4番打者として起用された。ブランコが故障から復帰すると再び5番に回った。7月12日のヤクルト戦では自己最多となる11号本塁打を放った。しかし、8月13日の中日戦(ナゴヤドーム)の1回裏、中日の大島洋平の左中間に放った打球を追って中堅手梶谷隆幸と交錯、グラブが顔面に当たった上、地面に頭から落下。筒香は自力で起き上がれず、グラウンド内に入った救急車に救急搬送された(ナゴヤドームでは初)[19]。9月6日の広島東洋カープ戦で復帰。復帰後はブランコを5番に押しやり、4番を任されることが多くなり、その後ブランコが再び故障離脱するとシーズン終盤まで4番を務め続けた。最終的に故障離脱がありながらも規定打席に到達、自身初となる打率3割を記録し、22本塁打、77打点と好成績を残した。また左投手からも打率.304、得点圏打率は両リーグトップの.416と勝負強さを見せた。オフの11月9日に、日米野球2014に怪我のため出場辞退した中村晃に代わり招集された[20]

 
2015年9月22日、横浜スタジアムにて

2015年石川雄洋の後を受け、チームの新キャプテンに就任。シーズン開幕前の2月16日に、GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表の日本代表に選出された[21]。3月10日の第1戦、3月11日の第2戦に「5番・指名打者」で先発出場した[22][23]。シーズンではチームの4番として定着。打率.317でリーグ3位、24本塁打で同リーグ4位、93打点でリーグ3位、157安打でリーグ3位、と自己最高の成績を残し、出塁率、長打率、OPS、塁打数では山田哲人に次いでリーグ2位を記録した。得点圏打率でも.344でリーグ3位と前年に続いて勝負強さを見せた。第1回WBSCプレミア12終了後のオフには志願してドミニカ共和国ウィンターリーグであるリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・ラ・レプブリカ・ドミニカーナに参加し、レオネス・デル・エスコヒードでプレーした[24]

2016年、2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出された[25]。レギュラーシーズンでは7月19日のヤクルト戦(明治神宮野球場)から同月22日の対巨人戦(横浜スタジアム)までに、日本プロ野球初となる3試合連続マルチ本塁打を達成する[26]。7月29日の対広島東洋カープ戦で、野村祐輔からマツダスタジアムのセンター方向に本塁打を放つ。これが日本プロ野球初記録の月間6度目のマルチ本塁打となった。また、この本塁打は7月度月間で15本目となり、2013年3月・4月にトニ・ブランコが記録した月間14本塁打の球団記録を塗り替えた[27]。8月11日の巨人戦(東京ドーム)では、今村信貴から左中間方向に本塁打を放ち、藤井勇が持っていた球団左打者歴代最多の34本塁打記録を66年ぶりに更新した[28]。9月13日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では村中恭兵から第40号本塁打を放ち、球団では2013年にトニ・ブランコが記録した41本塁打以来となる自身初の40号本塁打の大台に載せた。日本人に限ると2011年に中村剛也が記録した48本塁打以来5年ぶり、平成生まれでは史上初の快挙となった。最終的には44本塁打まで本数を伸ばし、自身初の打撃タイトルとなる本塁打王を獲得。競っていた打点でも争いを制し、110打点での打点王と合わせて打撃二冠に輝いた。また、リーグ3位の打率.322を残し、得点圏打率はリーグトップとなる.393を記録した。10月8日のクライマックスシリーズ初戦ではマイルズ・マイコラスからクライマックス1号となる逆転本塁打を放ちチームの勝利に貢献した。

シーズンオフの12月1日、不動の4番及び主将として球団初のクライマックスシリーズの進出へ貢献したへの評価から、2億円アップの年俸3億円で契約更改した[29]。この年は、シーズン中にアレックス・ラミレス監督から「間違いなく、日本一の4番。監督1年目に彼を4番で起用できることに喜びを感じている。あと15年、プレーしてもらうために、近い将来、一塁手へのコンバートを考えている」という趣旨の発言がなされている[30]

2017年開幕後、当初は4番を打っていたが、6月30日からはラミレス監督の方針もあり3番に配置転換された[31][32]

2018年、6月のセ・パ交流戦中に背中の張りが出たため一時的にスタメンを外れたが6月22日に復帰(その間は代打で出場)[33]。7月4日の対巨人戦では2打席連続で本塁打のリプレー検証が行われるという珍事が発生したが、3回の打席の打球はレフトポール際へのファウル、5回の打席の打球はフェンス上部のネットに跳ね返っての二塁打と判定された[34]。シーズンでは打率.295、38本塁打を記録したが、得点圏打率が.237にとどまった。ベストナイン投票では5位となり、4年ぶりに選出されなかった。

 
2019年4月3日、明治神宮野球場にて

2019年、1月8日に橋本市のスポーツ推進アドバイザーに、2019年1月20日から2021年3月末までの任期で委嘱されることが発表された[35]。シーズンでは、オールスター後ラミレス監督の方針で一時プロ初となる2番打者を務め、8月には骨折した宮﨑敏郎の代役として5年ぶりに三塁を守った。シーズンでは打率.272、29本塁打、79打点だった。阪神とのクライマックスシリーズ終了後、ポスティングシステムを利用してのMLB移籍が明らかになった。

レイズ時代

2019年12月16日にタンパベイ・レイズと2年総額1200万ドルで契約を結んだことが発表された[36]。ポスティング費用としてDeNAにはレイズから240万ドル支払われる。背番号はベイスターズ時代と同じ「25[37]。登録名は「Yoshi Tsutsugo」となった[38]

2020年の開幕戦となった7月24日のトロント・ブルージェイズ戦に「3番・三塁手」で先発出場。5回裏に柳賢振からメジャー初安打となる左越2点本塁打を放った[39]。このシーズンは試合数の減少もあった中で全60試合中51試合に出場するも打率.197、8本塁打、24打点、出塁率.314に留まった。守備面では三塁手として14試合に出場してUZR-0.4、DRS-2を記録し[40]、左翼手としては16試合に出場してUZR+2.0、DRS+1を記録した[41]

2021年は開幕から不振で、5月11日にDFAとなった[42]。レイズでは26試合に出場して打率.167、5打点、出塁率.244を記録した。守備面では一塁手にコンバートされ、15試合の出場でUZR+0.2、DRS±0を記録した[43]

ドジャース時代

AAA級オクラホマシティ・ドジャース時代
(2021年6月26日、テキサス州シュガーランドにて)

2021年5月15日に後日発表選手または金銭とのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[44]。給与の内、レイズ側が549万ドルを負担し、ドジャース側がメジャー最低年俸である43万ドルを支払うことで合意した[45][46]。背番号は「28」。ドジャース監督のデーブ・ロバーツは「私は筒香の加入にとても興奮しているよ。彼は日本で素晴らしい成績を残しており、ドジャースの一員として戦うことが楽しみだよ」とコメントした[47]。移籍当初はドジャースに故障者が続出していたこともあり積極的に起用されたが、打率1割台と苦しんだ。その後6月9日に右ふくらはぎを痛めて負傷者リストに入った[48]。17日に傘下のAAA級オクラホマシティ・ドジャースで実戦復帰した[49]が、3本塁打を放ったものの打率.138と不振で、7月7日に40人枠を外れマイナー契約となった[50]。その後、8月14日にFAとなった[51]

パイレーツ時代

2021年8月16日にピッツバーグ・パイレーツとメジャー契約を結んだ[52]。背番号は「32[53]。同日のドジャース戦の9回に代打で移籍後初出場し、ケンリー・ジャンセンから二塁打を放った[54]。また、同年の8月26日には日本人初となる代打でのシーズン3本目の本塁打を放った[55]。パイレーツ移籍以降は43試合に出場し、打率.268、8本塁打、25打点を記録した[56]。オフの11月3日にFAとなった[57][58]。11月29日にパイレーツと1年400万ドルで再契約した[59][60]。12月4日に背番号を再び「25」に戻すことを発表した[61]

2022年5月26日に10日間の負傷者リストに入った。負傷者リストに入るまで、4月から5月までの間にかけて35試合に出場し、打率.177(113打数20安打)、2本塁打、15打点を記録した[62][注釈 3]。その後も低迷は続き、現地メディアからは酷評された[63][64][65][66]。8月3日にDFAとなり[67]、5日に自由契約となった[68]

ブルージェイズ傘下時代及びレンジャーズ傘下時代

2022年8月17日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、傘下のAAA級バッファロー・バイソンズへ送られた[69]。オフの11月10日にFAとなった。

2023年1月15日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[70]。傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスでプレーを続け、打率.249、6本塁打、33打点、OP.812を記録。6月には3試合連続本塁打を記録するなど状態を上げ、レンジャーズよりメジャー昇格の高まる球団への移籍を目指し[71]、23日、自らオプトアウト権を行使して契約を解除し自由契約となった[72]

米独立リーグ時代

レンジャーズ傘下を退団後はアメリカ国内に残り、自主練習を続けていたが、メジャー傘下のマイナー球団からのオファーが届かず、この年はプレーする環境を優先する方針に転換。8月1日に独立リーグアトランティックリーグの球団であるスタテンアイランド・フェリーホークスと契約した[71]。左翼手もしくは指名打者として12試合に出場し、打率.359(39打数14安打)、7本塁打、13打点、OPS1.428の成績を残していた[73]

ジャイアンツ傘下時代

2023年8月21日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ[74]。傘下のAA級リッチモンド・フライングスクウォーレルズで13試合に出場して打率.311、4本塁打、出塁率.436、OPS1.014の成績を残すと、9月17日、AAA級サクラメント・リバーキャッツに昇格した[75]が、9月23日の試合で左手親指に死球を受けて骨折。そのままシーズンを終えて一時帰国した[76]。12月8日にマイナー契約で再契約した[77]

2024年は内野手枠で2月のキャンプ招待選手のリストに入った[78]。しかし、29日から腰の張りのために別メニュー調整となり、その後チームに復帰するも[79]オープン戦5試合の出場で打率.125(8打数1安打)、2打点の成績にとどまり、3月13日にマイナーキャンプ合流が発表され[80]、21日付で自由契約となった[81]

第二次DeNA時代

 
DeNA復帰直後の筒香
(2024年4月20日、横須賀スタジアムにて)
2024年5月26日、横浜スタジアムにて

2024年4月16日[注釈 4]、古巣である横浜DeNAベイスターズに復帰することが球団から発表された[2]。背番号は第一次横浜・DeNA時代と同じ「25[82]。3年契約となり、2年目までは推定年俸3億円で、3年目は変動制となる[1]。なお、ジャイアンツからの自由契約後にはDeNA以外にも巨人やパ・リーグ球団などが筒香に関心を示していることが報じられていた[83]。18日に横浜スタジアムで公開入団記者会見が行われた[84]。19日に支配下選手登録公示がなされ[85]、翌日の二軍・巨人戦で久々に日本での実戦に出場した[86]。5月6日に一軍登録され、同日のヤクルト戦で「6番・左翼」で先発起用され、2019年10月7日のクライマックスシリーズ・ファーストステージの阪神戦(横浜)以来、1673日ぶりとなるNPB復帰戦となった。試合は3-5で迎えた8回裏二死一・二塁の場面で、ホセ・エスパーダから逆転3点本塁打を放ち、6-5の逆転勝利に導いた[87]タイラー・オースティンが故障から復帰した17日には守備位置の兼ね合いで、2012年8月14日の阪神戦以来となる右翼守備に就き[88]、この試合以降もたびたび右翼で起用される。19日の中日戦では、前日の試合で負傷した牧秀悟に代わり、2019年9月19日の広島戦以来1704日ぶりとなる4番で先発起用された[89]。印象的な活躍から、5月度のBS-TBS月間グッドプレイヤー賞を受賞した[90]。6月9日の福岡ソフトバンクホークス戦(横浜)で、藤井皓哉からの3点本塁打によってNPB通算1000安打を達成した[91]。しかし、6月に入ってからは打撃が低調で[92]、22打席連続で無安打に陥っていた[93]。7試合連続でスタメンから外れていた中、7月4日の練習中に左脇腹に違和感を覚え、チームドクターの所見で診断を受けると左第6肋骨の疲労骨折が判明し、翌5日に登録抹消となった[94]。2日には、シーズン途中加入ながらオールスターゲームのファン投票の外野手部門での選出が発表されていた[95]が、18日に出場辞退が発表された[96]。二軍でのリハビリを経て8月9日に実戦復帰すると、17日には一軍復帰した[97]。復帰後は代打での起用が続いた。9月11日の阪神戦で6番・右翼として6月25日以来のスタメン起用されるも[98]、4打席とも三振に倒れた[99]。同月20日の阪神戦でも6番・右翼としてスタメン起用されると、約3か月ぶりの本塁打を打つなど活躍を見せた[100]。しかし、この試合後に体調不良を訴え、自宅療養で数日間ベンチから外れた[101][102]。57試合の出場でスタメンはわずか36試合と代打に徹する事も多かったが、後輩のサポートに動くなどチームを支え、クライマックスシリーズを勝ち抜き7年ぶりに日本シリーズに進出[103]。ソフトバンクとの日本シリーズでは第2戦から左翼手として先発出場し、第6戦では2回から先制ソロ本塁打を放ち、二死満塁で迎えた5回には走者一掃の適時二塁打を放つなどソフトバンクを突き放し、球団26年ぶりの日本一に貢献[104]。優秀選手賞を受賞した[105]

代表経歴

2015年10月9日には第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出された[106]。同大会では8試合35打席に出場し、26打数で10安打、打率.385、5打点の成績を残した。

2016年オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された[107]

2017年1月24日に第4回WBC日本代表選手27人が発表され代表入りを果たし[108]、代表の4番を務めることになる。1次ラウンドでは、3試合で打率.364、2本塁打、5打点を記録し1次リーグB組MVPを獲得した[109]

選手としての特徴

筒香のスイング
(2013年7月31日、マツダスタジアムにて)
2014年3月11日、阪神甲子園球場にて

2012年から2015年までの4年間、監督として筒香を指導していた中畑清は「1年目に練習を見たが凄い選手が入ってきた」「俺は巨人のコーチ時代松井秀喜を指導していたが似たものを持っている」と期待を寄せており、2014年以降は4番打者として起用し続けた[110]

里崎智也は「しっかりと自分のポイントまでボールを引きつけて打っているので、変化球が来ても崩されることも少なく、崩されたとしても、まだ打てるポイントに体が残っていますね」と高く評価している[111]。また同年は、逆方向(左方向)への本塁打が11本(44本塁打中)と、前年(2015年)の0本から大きく向上させた[112]

人物

 
2014年3月11日、阪神甲子園球場にて
 
2014年9月6日、横浜スタジアムにて

愛称は「ゴウ[113]」「ヨシ[114]」。MLB時代の英語表記は「Yoshi Tsutsugo(ヨシ・ツツゴー)」。

双子の姉がいる[115]。横浜高等学校野球部の恩師である渡辺元智が語るところによれば「筒香は姉と同じ高等学校へ進学してもおかしくなかったが、PL学園対横浜高校の延長17回の試合を見て、ウチへの入学を希望してきた」という[116]。また、一般財団法人筒香青少年スポーツ財団理事長である、年の離れた兄:裕史がいる。兄は高校時代は尽誠学園高等学校の野球部に所属しており、幼少期から兄に野球を教わっていた[117]

松井秀喜に対しては「僕にとって目標というより、憧れの存在なんです。凄いなあってずっと思っていました」と話している[118]。高校時代より、超高校級内野手として「ハマのゴジラ」として注目を集めた[119]。横浜高校の小倉部長からも「私が見て来た20年間でトップ」と評される[120]。ハマのゴジラとして球団から背番号55を与えられるも、2010年のオフに背番号8へと変更した[121]

プロ入り後、入寮の際には野球道具以外は尊敬するイチローの本を持参した程度で、野球漬けの生活を宣言[122]。2009年の第2回WBC決勝をテレビ観戦した際には、イチローの決勝打に「国を背負って戦うことは特別。僕もそういう存在になりたい」と思ったという[123]。そのイチローとは食事をともにしたことがある[124]

入団当初球団のキャンプにたびたび訪問した張本勲に目をかけられ打撃指導を受けたことがあった[125]

高校3年時の第8回AAAアジア野球選手権大会でのインタビューで筒香は「将来的に日の丸を背負うことは、夢というより目標です」とコメントした[126]

ドラフト指名数日前に受けた取材でメディアに「将来的には松坂さんのようにメジャーで活躍する選手というのが自分の最大の目標なので、やっぱり向こうで勝負したいという気持ちはあります」と述べたことがある[127]

プロ入り以降、日本の少年野球に対しての提言を繰り返し行っている。特に、少年野球における子どもたちの酷使について「甲子園に本当に行きたいのは誰なのかというと、結局、監督や部長ではないか(中略)いちばん勝ちたいと思うのは、選手ではなく監督やコーチだから」[128]「将来がある子ども達を守るには、一発勝負のトーナメント制をやめてリーグ制を導入したり、ルールで球数制限や練習時間を決めたりする必要があると思います」[129]と語ったほか、日本外国人特派員協会で記者会見を行った[130]

横浜・DeNA時代の応援歌は前奏部分にかつて田代富雄に使用された曲(ビゼー作曲の組曲『アルルの女』から引用されたもの)をそのまま流用しており[131]、筒香自身も気に入っていた。また、他の応援歌では横浜時代の村田修一の曲が好きであったと語っている[132]。なお、筒香の応援歌はMLB関係者からも好評であり、特に筒香の獲得を目指したブルージェイズGMロス・アトキンスは「彼の応援歌が大好き」と語るほどであった[131]。さらに、レイズ移籍直後はMLBでは異例となるスピーカー音源で横浜・DeNA時代の応援歌が流れた[133]。しかし、筒香自身が「本当にありがたかったです。でも、今はレイズの選手でベイスターズではない。レイズのために力を出し切ることに集中したい」との理由で使用停止を希望。ほどなくして取り止めとなった[134]

恋野小学校の6年生だった2003年7月25日には第38回「交通安全子供自転車県大会」(主催:和歌山県交通安全協会・和歌山県自転車安全教育推進委員会)に同小学校のチームリーダーとして出場し[135]、個人の部で1位を獲得、恋野小の12連覇と全国大会出場に貢献した[136]。地元である橋本市恋野地区にある「本田池」の横には地元住民が製作した筒香の入団記念碑がある[137]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2010 横浜
DeNA
3 10 7 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 2 0 1 1 0 .143 .400 .571 .971
2011 40 160 145 16 35 10 0 8 69 22 1 0 0 1 13 0 1 51 4 .241 .306 .476 .782
2012 108 446 386 31 84 16 3 10 136 45 1 2 2 5 51 1 2 102 4 .218 .309 .352 .661
2013 23 56 51 5 11 1 0 1 15 3 0 0 0 0 3 0 2 13 2 .216 .286 .294 .580
2014 114 461 410 58 123 24 2 22 217 77 2 1 0 2 47 6 2 100 7 .300 .373 .529 .902
2015 138 568 496 79 157 28 1 24 259 93 0 0 0 2 68 0 2 98 5 .317 .400 .522 .922
2016 133 561 469 89 151 28 4 44 319 110 0 1 0 2 87 1 3 105 6 .322 .430 .680 1.110
2017 139 601 503 85 143 31 0 28 258 94 1 0 0 3 93 3 2 115 7 .284 .396 .513 .909
2018 139 580 495 77 146 33 1 38 295 89 0 0 0 3 80 7 2 107 10 .295 .393 .596 .989
2019 131 557 464 74 126 24 0 29 237 79 0 0 0 3 88 5 2 141 5 .272 .388 .511 .899
2020 TB 51 185 157 27 31 5 1 8 62 24 0 0 0 1 26 1 1 50 5 .197 .314 .395 .708
2021 26 87 78 5 13 4 0 0 17 5 0 0 1 0 8 0 0 27 1 .167 .244 .218 .462
LAD 12 31 25 2 3 0 0 0 3 2 0 0 0 0 6 0 0 12 0 .120 .290 .120 .410
PIT 43 144 127 20 34 8 1 8 68 25 0 1 0 1 15 0 1 33 2 .268 .347 .535 .883
'21計 81 262 230 27 50 12 1 8 88 32 0 1 1 1 29 0 1 72 3 .217 .307 .383 .689
2022 50 193 170 11 29 4 0 2 39 19 0 0 0 4 19 0 0 50 3 .171 .249 .229 .478
NPB:10年 968 4000 3426 515 977 195 11 205 1809 613 5 4 2 21 532 23 19 833 50 .285 .382 .528 .910
MLB:3年 182 640 557 65 110 21 2 18 189 75 0 1 1 6 74 1 2 172 11 .197 .291 .339 .630
  • 2023年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

WBSCプレミア12での打撃成績

















































2015 日本 8 35 26 6 10 1 0 0 11 5 0 0 0 0 9 2 0 2 0 .385 .543 .423

WBCでの打撃成績

















































2017 日本 7 30 25 5 8 0 0 3 17 8 0 0 0 0 5 1 0 6 0 .320 .433 .680

MLBポストシーズン打撃成績




















































O
P
S
2020 TB ALWC 1 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
ALDS 2 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
ALCS 2 5 5 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .400 .400 .400 .800
WS 3 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
出場:1回 8 16 16 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .125 .125 .125 .250
  • 2023年度シーズン終了時

年度別守備成績



一塁 三塁 外野 左翼(LF) 右翼(RF)




























































2010 横浜
DeNA
3 21 4 0 3 1.000 - - - -
2011 40 336 12 4 28 .989 - - - -
2012 19 94 7 0 9 1.000 92 45 148 6 8 .970 12 15 0 1 0 .938 - -
2013 4 6 0 1 1 .857 9 4 11 0 2 1.000 7 7 0 0 0 1.000 - -
2014 11 80 4 1 8 .988 7 1 7 0 0 1.000 101 162 3 6 0 .965 - -
2015 - - 128 185 10 0 2 1.000 - -
2016 - - 128 198 3 2 0 .990 - -
2017 - - 136 199 6 1 2 .995 - -
2018 - - 132 187 5 3 0 .985 - -
2019 - 27 14 37 1 2 .981 101 145 4 1 0 .993 - -
2020 TB - 14 6 16 4 3 .846 - 16 15 0 0 0 1.000 -
2021 15 80 4 0 9 1.000 - - - -
LAD 1 2 0 0 0 1.000 - - 8 15 0 0 0 1.000 -
PIT 15 79 7 0 8 1.000 - - 2 5 0 0 0 1.000 20 26 1 1 0 .964
'21計 31 161 11 0 17 1.000 - - 10 20 0 0 0 1.000 20 26 1 1 0 .964
2022 35 260 15 2 29 .993 - - - -
NPB 77 537 27 6 49 .989 135 64 203 7 12 .974 745 1098 31 14 4 .988 - -
MLB 66 421 26 2 46 .996 14 6 16 4 3 .846 - 26 35 0 0 0 1.000 20 26 1 1 0 .964
  • 2023年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

NPB

表彰

NPB
日本代表

記録

NPB

初記録
節目の記録
その他の記録

MLB

初記録

NPB/MLB通算

節目の記録

背番号

  • 55(2010年)
  • 8(2011年)
  • 25(2012年 - 2021年5月14日、2022年、2024年4月19日 - )
  • 28(2021年5月18日 - 同年6月6日)
  • 32(2021年8月16日 - 同年終了)

登場曲

代表歴

TSUTSUGO SPORTS ACADEMY

和歌山県橋本市隅田町にある野球施設であり、橋本市出身の筒香が自費で総工費2億円を出資して建設された。筒香が設立した小学生の硬式野球チームがメイングラウンドに使用している。

  • 2021年1月17日:筒香の自費負担により故郷である和歌山県橋本市に大型野球施設「TSUTSUGO SPORTS ACADEMY(筒香スポーツアカデミー)」を建設中であることが報じられた[143]
  • 2023年12月2日:完成[144]
施設概要
本球場(両翼100m、内外野天然芝。芝はエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムおよびドジャー・スタジアムと同様の品種を使用[144]。)
サブグラウンド(両翼45m、内野のみ)
室内練習場

脚注

注釈

  1. ^ 7歳だった1999年の9月[8]
  2. ^ この試合は、同時に中日の2011年セ・リーグ優勝が決定した試合でもあり、筒香は最後の打者であった。
  3. ^ 本ページ下部の外部リンクに挙げられている「選手の通算成績と情報 MLB」においても、負傷者リスト入りした事実と4月から5月にかけての成績を参照可能である。
  4. ^ 筒香(つつごう→ツー・ツー・ご→225)にちなんで、発表時刻は午後2時25分[82]

出典

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関連項目

外部リンク