タップダンスシチー

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タップダンスシチー(欧字名:Tap Dance City、1997年3月16日 - )は、日本で活躍した競走馬種牡馬である。

タップダンスシチー
現役期間 2000 - 2005年
欧字表記 Tap Dance City
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1997年3月16日(27歳)
抹消日 2006年1月6日
Pleasant Tap
All Dance
母の父 Northern Dancer
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ケンタッキー州
生産者 Echo Valley Horse Farm
& Swettenham Stud
馬主 (株)友駿ホースクラブ
調教師 佐々木晶三栗東
競走成績
生涯成績 42戦12勝
中央競馬)41戦12勝
フランス)1戦0勝
獲得賞金 10億8422万1000
IC

WTRR
L117(2002年)[1]
L123(2003年)[2]
L120(2004年)[3]
勝ち鞍
GI ジャパンC 2003年
GI 宝塚記念 2004年
GII 金鯱賞 2003年~2005年
GII 京都大賞典 2003年
GIII 朝日チャレンジC 2002年
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5歳の秋から8歳の春にかけて、GIを2勝(2003年ジャパンカップ2004年宝塚記念)を含む重賞7勝を挙げるなど、大器晩成型であった。外国産馬として初めて獲得賞金額10億円超を達成した。

デビュー前

本馬は「シチー」の冠名で知られ、一口馬主のクラブ法人である友駿ホースクラブの所有となり、募集価格は一口6万円×500口で3000万円であったが、最終的にはその36倍の賞金を稼ぐこととなる。本格化は5歳秋になったころからであったが、佐々木晶三調教師は最初に馬を見たときに「重賞の1つや2つは勝てると思った」、と引退式(後述)のなかでコメントしている。

戦績

3 - 4歳(2000 - 2001年)

当初競走馬としてのデビューは1999年秋になるはずだったが、手綱につまづいた際に舌を噛み、舌がちぎれそうになるほどの重傷を負った。そのためデビューは翌2000年3月にずれ込んだ。デビュー戦は9着に敗れたが2戦目で初勝利を挙げ、4戦目の重賞京都新聞杯ではアグネスフライト[注 1]の3着に健闘した。その後は条件戦を走り、12月に格上の900万下条件戦を優勝したが、GI競走とは無縁だった。翌2001年は条件クラス、オープンクラスのレースで堅実な走りを見せたが勝利を挙げることはできなかった。

5歳(2002年)

2002年、1000万下クラスからの格上挑戦[注 2]となった日経新春杯で6番人気ながら3着に入り、その後1000万下・1600万下の競走に連勝。さらに続く日経賞でも2着に入り、デビューから19戦目でオープン馬となった[注 3]9月朝日チャレンジカップに優勝し、デビュー23戦目にして重賞初制覇を達成。このとき騎乗した佐藤哲三は本馬の主戦騎手となり、その後引退するまでの全競走に騎乗した。その後は京都大賞典3着、アルゼンチン共和国杯3着、京阪杯5着[注 4]と勝てないレースが続いたが、GI初挑戦となった有馬記念では向こう正面からロングスパートをかけて先頭に立ち、2着に粘った。このころを境に、「先行して押し切る」というレーススタイル(後述)が確立されていった。

6歳(2003年)

2003年の初戦には東京競馬場リニューアル記念[注 5]が選ばれた。調教師の佐々木はタップダンスシチーの本格化を確信していたが、ファンの間では前年の有馬記念で単勝13番人気だった同馬の2着をフロック視する向きが根強く、人気は7番人気にとどまった。しかし、2001年優駿牝馬優勝馬のレディパステルに2馬身差を付けて優勝。続く金鯱賞も優勝した。

宝塚記念でヒシミラクルの3着に敗れたあと、夏期休養を経て京都大賞典に出走。レースでは、2000年10月の競走(デビュー7戦目)以来となる逃げの戦法をとり、ヒシミラクルを抑えて優勝した。レース後、陣営は天皇賞(秋)には出走させず、目標をジャパンカップに絞って調整を進め、同競走が行われる時期には佐々木が「生涯最高」というほどの状態に仕上がった[注 6]。レースでは1番枠から先頭に立つと徐々に後続馬との差を広げ、最終的には2着のザッツザプレンティに9馬身差[注 7]を付けて優勝。初めてのGI制覇を成し遂げた[注 8]

続く有馬記念ではGI2連勝を狙ったものの、ハイペースで飛ばすザッツザプレンティ・アクティブバイオに主導権を握られ、さらに第4コーナーではまくってきたリンカーンに交わされるなど、ちぐはぐな競馬になってしまいシンボリクリスエスの8着に敗れた。

7歳(2004年)

 
第45回宝塚記念

年明け初戦の金鯱賞では、前年と同じように逃げ馬を捕らえて第3〜第4コーナーで先頭に立ち、サイレンススズカが保持していたレコードタイムを0秒3更新して優勝。同競走の連覇を達成した。続く宝塚記念は単勝1番人気に支持された[注 9]。レースでは序盤は3、4番手を追走し、第3コーナー手前で逃げるローエングリンを交わして先頭に立つとそのまま後続馬の追撃を交わし、2着のシルクフェイマスに2馬身の着差をつけて優勝[注 10]。2分11秒1のレースレコード[注 11]を記録してGI競走2勝目を飾った[注 12]

宝塚記念優勝を受け、陣営はかねてから計画していた凱旋門賞出走を決定した。調教師の佐々木は9月26日発の飛行機でタップダンスシチーをフランスへ輸送し、翌週の10月3日に行われる凱旋門賞に出走する計画を立てた。しかしチャーターする予定であった飛行機が故障により離陸できないアクシデントに見舞われ、輸送が不可能となった。佐々木は一度は遠征を断念したものの一口馬主の会員には出走を望む声が多く、10月1日発の飛行機で輸送するスケジュールで遠征を敢行。レースでは終始2 - 3番手を先行し、ゴールまで残り800 - 600メートルの「フォルス・ストレート(偽りの直線)」では先頭に並びかけたが直線で力尽き、Bago(バゴ)の17着に敗れた[注 13]

帰国後は検疫の影響で調整が遅れ、陣営が「7割の出来」「あと2週間欲しい」[7]という状態で有馬記念に出走した。レースでは好スタートを切って逃げを打つと、道中の1ハロン(200メートル)ごとのラップタイムは11秒台を連発し、もっとも遅いラップでも12秒4[8]と、「スタートから緩みのないペースで逃げて後続に脚(スタミナ)を使わせる」展開に持ち込み、勝利したゼンノロブロイが記録した2分29秒5の日本レコードから2分の1馬身(0秒1)差の2着に健闘した。

8歳(2005年)

翌2005年も現役を続行。初戦の金鯱賞を逃げ切り、セカイオー[注 14]以来となる平地の同一重賞3連覇の快挙を達成した[注 15]。続く宝塚記念では史上初の連覇および、8歳馬による平地GI制覇を狙い、単勝オッズ1.9倍の1番人気に推されたが、レースの3日前に厩舎内でほかの馬に蹴られ、重度の外傷を負うアクシデントに見舞われた[注 16]。調教師の佐々木は出走取消も考えたがオーナーサイドとの協議の結果出走することになった。レースでは逃げたコスモバルクを第3コーナー過ぎから捕まえに掛かったが、前年のようにあっさり交わすことができず、直線で力尽きて牝馬のスイープトウショウから1秒2離れた7着に終わった。佐々木いわく、レース後タップダンスシチーは走る気を失い、体調も下降線をたどった。

後半シーズンは調整の遅れから前哨戦を使わずに天皇賞(秋)に出走したが、一度も先頭に立つことなく9着に敗れた。続くジャパンカップではスタートからの1000メートルを58秒3、2000メートルでも1分57秒7のハイペースで逃げ、残り200メートル手前まで先頭という見せ場を作ったが、優勝したアルカセットから1秒差の10着に敗れた[注 17]。4年連続での出走となった有馬記念では逃げを打ったものの、第4コーナーでコスモバルクに並びかけられると失速し、勝利したハーツクライから1秒4差の12着に敗れた。タップダンスシチーはこのレースを最後に競走馬を引退することが決定しており、有馬記念当日の中山競馬場で最終競走終了後、2003年ジャパンカップ優勝時の1番ゼッケンを着けて引退式を行った。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.comの情報に基づく[9]

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場) 頭数 枠番 馬番 オッズ

(人気)

着順 タイム

(上がり3F)

着差 騎手 斤量[kg] 1着馬(2着馬)
2000.  3.  4 阪神 4歳新馬 0芝2000m(稍) 13 7 11 011.8(06人) 09着 02:10.5 (38.5) -2.2 四位洋文 55 ミラーダ
0000.03.19 阪神 4歳新馬 0芝2200m(良) 9 7 7 015.6(04人) 01着 02:18.4 (35.5) -0.0 四位洋文 55 (カガミパラダイス)
0000.04.15 阪神 若草S OP 0芝2200m(良) 12 8 11 019.2(07人) 05着 02:18.7 (35.1) -0.3 四位洋文 55 アグネスフライト
0000.05.06 京都 京都新聞杯 GIII 0芝2000m(良) 14 4 5 013.7(05人) 03着 02:00.3 (35.6) -0.5 四位洋文 55 アグネスフライト
0000.06.04 中京 白百合S 900万 0芝1800m(良) 13 6 9 004.0(02人) 07着 01:49.2 (36.3) -0.9 熊沢重文 55 ジンワラベウタ
0000.06.18 阪神 野苺賞 500万 0芝2200m(良) 13 5 7 004.5(02人) 05着 02:17.2 (34.7) -0.7 熊沢重文 55 ホワイトハピネス
0000.10.29 京都 4歳上500万下 0芝2400m(重) 14 4 5 008.6(05人) 04着 02:27.3 (36.5) -0.4 四位洋文 55 ハートランドヒリュ
0000.11.18 京都 八瀬特別 900万 0芝2400m(良) 8 7 7 006.9(04人) 02着 02:28.4 (35.0) -0.2 幸英明 52 ホワイトハピネス
0000.12.09 中京 天竜川特別 900万 0芝2500m(良) 10 8 10 003.0(02人) 01着 02:31.4 (36.2) -0.3 松田大作 53 (ボヘミアンチェリー)
2001.01.08 京都 万葉S OP 0芝3000m(稍) 10 2 2 005.2(03人) 05着 03:09.3 (35.4) -0.6 四位洋文 54 トシザブイ
0000.02.18 小倉 関門橋S 1600万 0芝2000m(良) 12 6 10 004.1(02人) 03着 02:02.8 (36.6) -0.2 中舘英二 53 ファイトコマンダー
0000.03.25 阪神 但馬S 1600万 0芝2000m(良) 11 6 7 004.6(03人) 02着 02:00.0 (35.5) -0.4 安藤勝己 54 ファイトコマンダー
0000.04.07 阪神 大阪-ハンブルクC OP 0芝2500m(良) 11 7 9 004.7(02人) 05着 02:33.8 (34.8) -0.5 四位洋文 53 メジロサンドラ
0000.12.08 阪神 3歳上1000万下 0芝2000m(良) 9 5 5 009.7(04人) 04着 02:01.3 (35.6) -0.6 四位洋文 57 ダイタクバートラム
0000.12.23 阪神 江坂特別 1000万 0芝2500m(良) 16 4 7 005.1(03人) 02着 02:33.5 (35.5) -0.2 四位洋文 57 シャープキック
2002.01.13 京都 日経新春杯 GII 0芝2400m(良) 12 3 3 016.1(06人) 03着 02:26.6 (34.4) -0.2 川原正一 52 トップコマンダー
0000.02.09 京都 春日特別 1000万 0芝1800m(良) 12 1 1 001.9(01人) 01着 01:46.9 (35.0) -0.2 武豊 57 (アスカツヨシ)
0000.03.02 阪神 御堂筋S 1600万 0芝2200m(良) 11 4 4 001.8(01人) 01着 02:12.3 (35.7) -0.6 O.ペリエ 57 アクティブバイオ
0000.03.23 中山 日経賞 GII 0芝2500m(良) 8 5 5 009.6(03人) 02着 02:37.0 (34.5) -0.0 勝浦正樹 57 アクティブバイオ
0000.04.21 東京 メトロポリタンS OP 0芝2300m(稍) 11 8 11 003.7(01人) 03着 02:21.2 (36.8) -0.5 勝浦正樹 56 ツルマルボーイ
0000.05.18 東京 目黒記念 GII 0芝2500m(重) 18 1 1 018.4(08人) 05着 02:32.4 (37.8) -0.6 勝浦正樹 56 トシザブイ
0000.07.21 函館 函館記念 GIII 0芝2000m(良) 16 5 10 011.9(07人) 08着 02:06.2 (38.9) -1.1 四位洋文 56 ヤマニンリスペクト
0000.09.07 阪神 朝日チャレンジC GIII 0芝2000m(良) 10 2 2 009.6(05人) 01着 01:58.1 (35.2) -0.0 佐藤哲三 56 (イブキガバメント)
0000.10.06 京都 京都大賞典 GII 0芝2400m(良) 8 5 5 008.9(03人) 03着 02:24.0 (34.5) -0.4 佐藤哲三 57 ナリタトップロード
0000.11.03 中山 アルゼンチン共和国杯 GII 0芝2500m(良) 11 5 5 003.5(02人) 03着 02:31.4 (35.4) -0.8 佐藤哲三 57 サンライズジェガー
0000.11.23 京都 京阪杯 GIII 0芝1800m(良) 15 8 14 013.6(06人) 05着 01:45.7 (35.3) -0.4 佐藤哲三 57 サイドワインダー
0000.12.22 中山 有馬記念 GI 0芝2500m(稍) 14 5 8 086.3(13人) 02着 02:32.7 (35.9) -0.1 佐藤哲三 57 シンボリクリスエス
2003.04.26 東京 東京競馬場リニューアル記念 OP 0芝2400m(良) 13 7 10 011.3(07人) 01着 02:23.7 (34.6) -0.3 佐藤哲三 58 レディパステル
0000.05.31 中京 金鯱賞 GII 0芝2000m(稍) 14 7 11 005.8(04人) 01着 01:58.9 (35.8) -0.1 佐藤哲三 57 (ツルマルボーイ)
0000.06.29 阪神 宝塚記念 GI 0芝2200m(良) 17 8 16 009.3(04人) 03着 02:12.2 (37.0) 0.2 佐藤哲三 58 ヒシミラクル
0000.10.12 京都 京都大賞典 GII 0芝2400m(良) 9 8 10 002.2(01人) 01着 02:26.6 (34.0) -0.2 佐藤哲三 58 (ヒシミラクル)
0000.11.30 東京 ジャパンC GI 0芝2400m(重) 18 1 1 013.8(04人) 01着 02:28.7 (37.4) -1.5 佐藤哲三 57 ザッツザプレンティ
0000.12.28 中山 有馬記念 GI 0芝2500m(良) 12 5 6 003.9(02人) 08着 02:32.8 (37.8) -2.3 佐藤哲三 57 シンボリクリスエス
2004.05.29 中京 金鯱賞 GII 0芝2000m(良) 12 8 11 002.3(01人) 01着 01:57.5 (35.3) -0.0 佐藤哲三 59 ブルーイレヴン
0000.06.27 阪神 宝塚記念 GI 0芝2200m(良) 15 8 15 003.5(01人) 01着 2:11.1 (36.1) -0.3 佐藤哲三 58 シルクフェイマス
0000.10.03 ロンシャン 凱旋門賞 G1 0芝2400m(良) 19 6 17着 2:27.8 -2.8 佐藤哲三 59.5 Bago
0000.12.26 中山 有馬記念 GI 0芝2500m(良) 15 5 9 008.8(03人) 02着 02:29.6 (35.7) -0.1 佐藤哲三 57 ゼンノロブロイ
2005.05.28 中京 金鯱賞 GII 0芝2000m(良) 10 8 10 001.4(01人) 01着 01:58.9 (33.8) -0.4 佐藤哲三 59 ヴィータローザ
0000.06.26 阪神 宝塚記念 GI 0芝2200m(良) 15 8 15 001.9(01人) 07着 02:12.7 (37.3) -1.2 佐藤哲三 58 スイープトウショウ
0000.10.30 東京 天皇賞(秋) GI 0芝2000m(良) 18 3 6 014.1(06人) 09着 02:00.6 (33.9) -0.5 佐藤哲三 58 ヘヴンリーロマンス
0000.11.27 東京 ジャパンC GI 0芝2400m(良) 18 1 2 017.2(07人) 10着 02:23.1 (37.3) -1.0 佐藤哲三 57 アルカセット
0000.12.25 中山 有馬記念 GI 0芝2500m(良) 16 5 9 019.7(05人) 12着 02:33.3 (36.9) -1.4 佐藤哲三 57 ハーツクライ

引退後

2006年1月6日付でJRAの競走馬登録が抹消され、ブリーダーズ・スタリオン・ステーション北海道日高町、旧門別町)で種牡馬となった。シンジケートは組まれず、競走馬時代と同じく友駿ホースクラブの所有馬として種牡馬入りした。クラブ馬であるため、種付料が競走馬時代の賞金と同様に、一口馬主に分配される初めてのケースになった。種付料は30 - 80万円(支払い時期などにより異なる)[注 18]と安価に設定され、2006年は163頭[10]、2007年は127頭[11]、2008年は77頭[12]、2009年は50頭[13]と推移した。

2008年7月8日に行われた八戸市場2008では、産駒のシュバルブラン2007が牡馬の最高価格となる693万円で、同じく産駒のボールドテスコ2007が牝馬の最高価格となる598万5000円で取引されている。

初年度産駒は2009年にデビューし、同年7月3日の浦和競馬第2競走で、アールパラダンス()が中央競馬地方競馬通じての産駒初勝利を挙げた。また、同年11月15日の東京競馬第1競走では、ケイアイツバキ(牝)が中央競馬での産駒初勝利を挙げた。しかし、中央での勝ち星はこの1勝のみで、総合的には初年度の産駒成績は不振を極めた。この影響から、翌2010年の種付け頭数は6頭、2011年には1頭と激減してしまう。そのため、この年の種付けを最後に種牡馬を引退し、去勢手術を施された後乗馬に転用[14]ノーザンホースパークでの訓練を経て、2011年10月からは福島県天栄村ノーザンファーム天栄でスタッフの乗馬訓練用の練習馬となった[15]

しかしながら、長年の種牡馬生活と気性面から乗馬転向は断念され、その過程で一時期消息不明となったが、優駿ホースクラブから個人牧場で繋養されていることが発表された。その後別の乗馬クラブへと繋養先が移り、金鯱賞が開催された2014年12月6日には中京競馬場に来場しパドック供覧が行われた。

代表産駒

レーススタイル

2003・2004年金鯱賞、2003年ジャパンカップ、2004年宝塚記念、同年有馬記念のように「スタートから緩みのないペースで引っ張る」競馬を持ち味とした。この戦法は道中でもラップが落ちず、ペースが適度に速くなりやすいので、自身も3度のレコード勝ちを記録し、敗れたレースでも、逃げまたは先行しレースを作った2004年有馬記念や2005年ジャパンカップではコースレコードでの決着となるなど、勝ちタイムが速くなることが多かった。

この戦法は2002年(5歳)暮れの有馬記念から見られるようになったが、これは瞬発力に欠けるところがあるものの、スピードの持続力に優れていて、「無理に抑えると機嫌を損なう」気性だったためであった。優勝した2004年宝塚記念では、3コーナー手前(残り900メートル程度)で先頭に立ってそのまま逃げ切り、優れたスピードの持続力があることを証明しているが、これは瞬発力に欠けるために、相手を引き付け、後続馬のスパートに合わせてレースをするタイプの馬ではないことも示しており、良くも悪くも自分のペースでレースを進めていた。

また、重い馬場やある程度の重い斤量でも苦にせず走れるというのも特徴であるが、2003年ジャパンカップに勝利するまでは、重馬場での実績は2戦して4着・5着であった。

エピソード

  • 重賞初制覇が5歳秋と本格化までには時間がかかったが、佐々木は「パドックで、名前の通りタップダンスを踊っている」[4]ため、レース前に消耗していたからと述べている。そのため、パドックでは2人引き(2人に馬を引いてもらうこと)をしていたが、2003年(6歳)の京都大賞典では気性難が解消されて1人引きができるようになり、「タップダンスを踊らなくなった」ことで、佐々木は「本物になった」と思ったという。
  • 通算で18回連対(12勝・2着6回)したが、その相手(1着または2着)にサンデーサイレンス産駒が入ったことは2004年有馬記念(1着ゼンノロブロイ)と2005年金鯱賞(2着ヴィータローザ)の2回しかない。
  • GI競走には11回出走したが、複数回出走した以下の競走では、いずれの年でも同じ枠に入っている。
    • 宝塚記念(2003 - 2005年) - 8枠
    • ジャパンカップ(2003・2005年) - 1枠
    • 有馬記念(2002 - 2005年) - 5枠

血統表

タップダンスシチー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 リボー系
[§ 2]

Pleasant Tap 1987
鹿毛 アメリカ
父の父
Pleasant Colony 1978
黒鹿毛 アメリカ
His Majesty 1968 Ribot
Flower Bowl
Sun Colony 1968 Sunrise Flight
Colonia
父の母
Never Knock 1979
黒鹿毛 アメリカ
Stage Door Johnny 1965 Prince John
Peroxide Blonde
Never Hula 1969 Never Bend
Hula Hula

All Dance 1978
鹿毛 アメリカ
Northern Dancer 1961
鹿毛 カナダ
Nearctic 1954 Nearco
Lady Angela
Natalma 1957 Native Dancer
Almahmoud
母の母
All Rainbows 1973
鹿毛 アメリカ
Bold Hour 1964 Bold Ruler
Seven Thirty
Miss Carmie 1966 T.V. Lark
Twice Over
母系(F-No.) Miss Carmie系(FN:23-b) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah5×5、Polynesian5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ タップダンスシチー 5代血統表2016年9月20日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com タップダンスシチー 5代血統表2016年9月20日閲覧。
  3. ^ [16]
  4. ^ JBISサーチ タップダンスシチー 5代血統表2016年9月20日閲覧。
JRA3勝、おもな勝ち鞍:1999年初夢賞(900万下
8勝、おもな勝ち鞍:1988年サンタアニタオークスサンタアニタダービーケンタッキーダービー(以上米G1)

脚注

注釈

  1. ^ のちに東京優駿(日本ダービー)に優勝した。
  2. ^ 自ら所属するクラスより上のクラスのレースに出走すること。
  3. ^ 格上挑戦は半数を超える10回を数えた。
  4. ^ GI以外の競走で本馬が敗れたのは京阪杯が最後となった(これ以降は5戦5勝)。
  5. ^ 東京競馬場リニューアル記念が行われた日は東京競馬場の馬場改修後初めての開催であったため、それを記念し、2003年に限り例年のメトロポリタンステークスに代わって施行された。
  6. ^ その後、陣営が本馬の状態を説明する際にこのときの体調を引き合いに出すことがあったが、そのジャパンカップを上回ることはなかったという。
  7. ^ これは現在、ジャパンカップにおける1-2着の最大着差である。
  8. ^ レース内容は人気のシンボリクリスエスやネオユニヴァース、G1競走3勝馬(サンクルー大賞連覇など)のアンジュガブリエルブリーダーズカップ・ターフ優勝馬のジョハーらをまったく寄せ付けない勝利であったが、差し馬が届きにくい重馬場でのレースであったため、「(レース展開に)恵まれた」という指摘も見られた。これに対し、陣営は「一世一代の仕上げ」[4]、「状態が最高に良かったので、良馬場でも勝ち負けできた」と述べている。
  9. ^ ファン投票では6位であった。
  10. ^ 第3コーナー手前で先頭に立ったことについて、佐藤は「ガツンときたところで行くのがこの馬の競馬」[5]と述べている。また、このレース振りについて2着となったシルクフェイマスに騎乗した四位洋文はレース後、「悔しいけど今回はまいりました」[6]とコメントした。
  11. ^ 阪神・淡路大震災のため京都競馬場で代替開催された1995年をのぞく。
  12. ^ ゴール後、左手でガッツポーズをした鞍上の佐藤はそのまま順回りでウイニングランをすると、スタンドにムチヘルメットゴーグルを投げ入れ、脱鞍所に向かう時にもふたたびガッツポーズをして喜びを爆発させた。
  13. ^ レース当日のタップダンスシチーは佐々木が惨敗を覚悟するほどテンションが高かった。
  14. ^ 1956 - 1958年鳴尾記念に優勝した。
  15. ^ その後、エリモハリアー(2005 - 2007年函館記念)、マツリダゴッホ(2007 - 2009年オールカマー)、ゴールドシップ(2013 - 2015年阪神大賞典)が平地の同一重賞3連覇を達成している。
  16. ^ この外傷について陣営は当初、レース中に負ったものと虚偽の説明を行っていた(一例として『サラブレ』2005年11月号 p.55)。
  17. ^ 当時の東京開催の高速馬場と本馬のハイペースでの逃げが、2分22秒1という、1989年優勝馬のホーリックスのタイム(2分22秒2)を16年ぶりに更新する日本レコードの布石となった。
  18. ^ のちに種付け料は30 - 50万円となっている。

出典

  1. ^ 優駿』、日本中央競馬会、2003年2月、77頁。 
  2. ^ THE 2003 INTERNATIONAL CLASSIFICATIONS” (PDF). IFHA. 2022年1月31日閲覧。
  3. ^ World Thoroughbred Racehorse Rankings”. IFHA. 2022年1月31日閲覧。
  4. ^ a b 引用 - サンケイスポーツ「【JC】タップダンスシチー、逃げ切りでGI初制覇!」インターネットアーカイブより、2003年12月1日付の元記事はリンク切れ)
  5. ^ 引用 - サンケイスポーツ「【宝塚記念】タップダンスシチー、JCに次ぐGI2勝目」(インターネット・アーカイブより、2004年6月28日付の元記事はリンク切れ)
  6. ^ 引用 - スポーツニッポン「フェイマス2着 秋が楽しみ」(インターネット・アーカイブより、2004年6月28日付の元記事はリンク切れ)
  7. ^ 参考文献 - 日刊スポーツ「有馬記念登録馬の関係者談話」
  8. ^ 出典 - 日本中央競馬会 (JRA) 「競走成績 有馬記念(2004年)」
    2004年有馬記念のタイム〜本馬の走破タイムは2分29秒6(最後の200メートルは12秒5、ほかは以下と同じ)
    距離 (m) 100 - 300 - 500 - 700 - 900 - 1100 - 1300 - 1500 - 1700 - 1900 - 2100 - 2300 - 2500
    ラップタイム 7.0 - 11.6 - 11.5 - 11.7 - 12.3 - 12.4 - 12.0 - 11.7 - 11.8 - 11.9 - 11.6 - 11.6 - 12.4
    トータルタイム 7.0 - 18.6 - 30.1 - 41.8 - 54.1 - 1:06.5 - 1:18.5 - 1:30.2 - 1:42.0 - 1:53.9 - 2:05.5 - 2:17.1 - 2:29.5
  9. ^ タップダンスシチーの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2020年7月8日閲覧。
  10. ^ 出典 - ブリーダーズ・スタリオン・ステーション「本馬の2006年種付牝馬一覧」
  11. ^ 出典 - ブリーダーズ・スタリオン・ステーション「本馬の2007年種付牝馬一覧」
  12. ^ 出典 - ブリーダーズ・スタリオン・ステーション「本馬の2008年種付牝馬一覧」
  13. ^ 出典 - ブリーダーズ・スタリオン・ステーション「本馬の2009年種付牝馬一覧」
  14. ^ タップダンスシチーが種牡馬引退 - 競走馬のふるさと案内所
  15. ^ 東京スポーツ・2011年11月3日付 18面「みちのく調教基地 ノーザンファーム天栄発」
  16. ^ 平出貴昭 (2020年3月10日). “マルターズディオサの牝系”. 競馬“血統”人生/平出貴昭. 2020年4月17日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク