袴田事件
袴田事件(はかまだじけん[1])とは、1966年(昭和41年)6月30日に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で発生した強盗殺人放火事件、およびその裁判で死刑が確定していた袴田巌元被告人が判決の冤罪を訴え、2014年3月27日に死刑及び拘置の執行停止並びに裁判の再審を命じる決定がなされた事件。2018年6月11日に高裁で再審請求が棄却されたが、特別抗告審が行われ、2020年12月22日に最高裁から高裁へ審理が差し戻された(現在、審理中)。日本弁護士連合会が支援する再審事件である。
経過について編集
- 1966年(昭和41年)
- 6月30日 -「有限会社王こがね味噌橋本藤作商店」(「株式会社王こがね味噌」を経て1972年から株式会社富士見物産)専務の自宅が放火された。焼跡から専務(41歳)、妻(38歳)、次女(17歳)、長男(14歳)の計4人の他殺死体が発見される。一家の中では別棟に寝ていた19歳の長女(一家から勘当されて家を出ていたが、当日は久しぶりに家に戻っていた)が唯一生き残った。
- 7月4日 - 静岡県清水警察署が味噌製造工場および工場内従業員寮を捜索し、当時「王こがね味噌」の従業員で元プロボクサーの袴田巖の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収。
- 8月18日 - 静岡県警察が袴田を強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕。
- 8月19日 - 取調べ(3回 計10時間30分)
- 8月20日 - 取調べ(3回 計7時間23分)
- 8月21日 - 取調べ(2回 計6時間5分)
- 8月22日 - 取調べ(6回 計12時間)
- 8月23日 - 取調べ(3回 計12時間50分)
- 8月24日 - 取調べ(3回 計12時間7分)
- 8月25日 - 取調べ(4回 計12時間7分)
- 8月26日 - 取調べ(3回 計12時間26分)
- 8月27日 - 取調べ(3回 計13時間17分)
- 8月28日 - 取調べ(3回 計12時間32分)
- 8月29日 - 取調べ(5回 計7時間19分)
- 8月30日 - 取調べ(4回 計12時間47分)
- 8月31日 - 取調べ(3回 計13時間18分)
- 9月1日 - 取調べ(3回 計13時間18分)
- 9月2日 - 取調べ(4回 計9時間15分)
- 9月3日 - 取調べ(2回 計9時間50分)
- 9月4日 - 取調べ(3回 計16時間20分)
- 9月5日 - 取調べ(3回 計12時間50分)
- 9月6日 - 取調べ(3回 計14時間40分)。犯行を頑強に否認していた袴田が勾留期限3日前に一転自白。
- 9月9日 - 静岡地検が強盗殺人罪、放火罪、窃盗罪で起訴。
- 11月15日 - 静岡地裁の第1回公判で袴田が起訴事実を全面否認。以後一貫して無実を主張。
- 1967年(昭和42年)
- 8月31日 - 味噌製造工場の味噌タンク内から血染めの「5点の衣類」が発見される。
- 1968年(昭和43年)
- 1976年(昭和51年)
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 4月20日 - 弁護側が再審請求。
- 1994年(平成6年)
- 2004年(平成16年)
- 2008年(平成20年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2014年(平成26年)
- 3月27日 - 静岡地裁(村山浩昭裁判長)が再審開始と、袴田の死刑及び拘置の執行停止を決定し、袴田は同日午後に東京拘置所から釈放された[6]。静岡地検は東京高裁に拘置停止について抗告を申し立てるが、高裁は28日、拘置停止決定を支持し抗告を棄却。31日、静岡地方検察庁が再審開始を認めた静岡地裁の決定を不服として即時抗告[7]。
- 3月28日 - 午後6時頃、生き残っていた被害者一家の長女が亡くなっているのが自宅で発見された。満67歳没[8]。
- 8月5日 - 抗告審理で、弁護士側の証拠開示要求に対して、静岡地方検察庁が一審当時から「存在しない」と主張し続けて来た、袴田有罪の証拠「5点の衣類の写真」のネガフィルムが、実際には静岡県警察で保管されていた事が判明[9]。
- 2018年(平成30年)
- 2020年(令和2年)
元被告人の現況について編集
袴田は30歳で逮捕されて以来、2014年3月27日まで45年以上にわたり東京拘置所に収監拘束された(これは「世界最長収監」としてギネス世界記録に一時認定されていた[12])。
死刑確定後は、精神に異常をきたしはじめ、親族・弁護団との面会にも応じない期間が長く続いた。その後は面会には応じるものの、拘禁反応の影響による不可解な発言が多く、特に事件や再審準備などの裁判の話題についてはまったくコミュニケーションが取れなくなっていた。このため、2009年3月2日より、袴田の姉が保佐人となっている。
袴田は近年、獄中にて拘禁反応に加えて糖尿病も患っていることが判明している。なお、2014年3月27日の釈放後、袴田は都内の病院に入院していた際、拘禁反応については回復の傾向があり、糖尿病も深刻な状況ではないと診断された[13]。同年5月27日、48年ぶりに故郷の静岡県浜松市に帰り、市内の病院に転院した[14]。
裁判の主な争点について編集
- 自白は強要されたものか。
- 凶器とされているくり小刀で犯行は可能か。
- 逃走ルートとされた留め金のかかったままの裏木戸からの逃走は可能か。また、可能だとして警察の示した写真が捏造されたものかどうか。
- 犯行着衣とされた「5点の衣類」は犯人である証拠か、警察の捏造か。弁護側は「サイズから見て被告人の着用は不可能」、検察は「1年間近く、味噌づけになってサイズが縮んだ」と主張している。2011年2月、弁護側により、ズボンについていたタグのアルファベットコードはサイズではなく色を示しているとして、警察が誤認もしくは故意に事実を無視した疑いが指摘された[15][16]。袴田の実家を家宅捜査した際に犯行着衣と同じ共布を発見。これが犯行を裏付ける証拠として採用された。2010年9月に検察が一部開示した証拠を弁護側が検証したところ、共布発見の8日前と6日後の2度に渡り、捜査員がズボン製造元から同じ生地のサンプルを入手していたことが判明。弁護側はこの不自然な行動に「実家からの発見」を偽造した可能性があるとして2枚のサンプルの開示を要求、「検察側が示せないなら捏造の根拠になる」と主張している。
取り調べ・拷問について編集
袴田への取り調べは過酷をきわめ、炎天下で1日平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取り調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせるなどした。
睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせるなどして一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限がせまってくると取り調べはさらに過酷をきわめ、袴田は勾留期限3日前に自供した。取調担当の刑事たちも当初は3、4人だったのが、のちに10人近くになっている。
これらの違法行為については、次々と冤罪を作り上げたことで知られる紅林麻雄警部の薫陶を受けた者たちが関わったとされている。
再審について編集
袴田はすでに死刑判決を受けているが、同時に弁護人によって再審請求もしている。この再審とは、日本の三審制の裁判制度の中で「重大な証拠」が新たに発見された場合などに、もう一度裁判をやり直すといった制度である(刑事訴訟法第435条)。 しかし、上述した通り日本は三審制を導入しており、証拠が新たに出てきたからといってその都度再審をしていては三審制の本来の意図を侵害してしまうため、事件の真相を根本的に覆すような「重大な証拠」が新たに発見されたとしても、再審はなかなか認められるものではない。 特に日本は再審制度のある国の中でも、裁判所が再審を認める確率が突出して低く、日本全体を見ても年平均わずか2件程度で、日本の再審制度は俗に「開かずの扉」とも呼ばれているほどである。
第二次再審請求について編集
袴田は2008年4月に、2回目の再審請求をしている。その後、足利事件や布川事件などにおいて、かねてから冤罪が疑われていた判決確定後の裁判に対し、再審が認められて立て続けに冤罪が確定した。これを機に、国民の冤罪に対する関心は高まり、検察は2013年3月、4月、7月と続いて当時の一部の証拠を開示した。また、同年11月には、事件当時、袴田の同僚が袴田のアリバイを供述していたにもかかわらず、検察は袴田が犯人であるかのような供述に捏造していた事実が発覚した。加えて12月には被害者が当時着用していた5点の衣類に付着している血液が袴田のものではない可能性があるとのDNA鑑定結果を弁護側が提出した。これらは裁判が開始して以来最大の変動でもあり、「重大な証拠」として再審が認められる可能性を大きく持った。2013年12月に、メディアでは「2014年の春ごろには再審の可否判断がされるだろう」との予想が新聞各紙にわたって掲載、同時に各ニュース番組でも報道された。
2014年3月27日、静岡地裁(刑事第1部、村山浩昭裁判長・大村陽一裁判官・満田智彦裁判官)で再審が認められ、さらに死刑と拘置の執行の停止を決定、袴田は釈放された。これに対し静岡地検は東京高裁に即時抗告した。
2018年6月11日、東京高裁は静岡地裁の決定に対し「地裁が認めたDNA鑑定の結果には科学的疑問が存在し、証拠として信用できない」として再審請求を棄却。弁護側は最高裁に特別抗告する見込みで、再審開始の判断は最高裁に委ねられることとなった。なお、死刑と拘置の執行停止については「袴田の年齢や生活状況などを鑑み、釈放の取り消しが相当とは言いがたい」として維持している[17]。
2020年12月23日、最高裁判所第3小法廷(林道晴裁判長)は、前述の東京高裁決定を取り消し、審理を高裁に差戻した[18]。
検察側の証拠捏造疑惑について編集
第2次請求審では、犯人が着ていたとされたシャツについた血液のDNA型が袴田元被告と一致しないとの鑑定結果が出た。村山裁判長は決定理由で、DNA鑑定結果を「無罪を言い渡すべき明らかな証拠に該当する」と評価。事件の約1年後に発見され、有罪の最有力証拠とされたシャツなどの衣類について「捜査機関によって捏造された疑いのある証拠によって有罪とされ、死刑の恐怖の下で拘束されてきた」と指摘した[19]。
毎日新聞(荒木涼子)は、このことに加え、以下のような検察側の証拠捏造の疑惑を示唆した。1970年代にあった控訴審での着用実験で、(使用していたとされる)ズボンが袴田には細すぎて履くことができなかった。だが、検察側は「タグの『B』の文字は84センチの『B4』サイズの意」などと言い張り、確定判決でもその通り認定された。しかし、これは捏造とも言える主張だった。「B」についてズボン製造業者が「色を示す」と説明した調書の存在が、今回の証拠開示で明らかになった[20]。
裁判の問題点について編集
最高検察庁の検事として袴田事件の審理を担当した竹村照雄は、地検に眠っている証拠を「もう一回分析することはしなかった。その前の段階で有罪だと思っているから、改めて無罪のこと(証拠)をほじくることはない」と述べた。証拠の全体像を知るのは検察側だけで、何を裁判に出すかは検察の裁量に任されており、今の裁判員が始まる前の制度では、検事、検察官は、被告人を有罪するのに最も適切な証拠だけ出せばよく、それ以外の証拠は一切見せなくていい、という問題点が指摘されている[21]。
NHK解説委員の橋本淳は「(死刑判決を書いた裁判官の)熊本さんは7年前、守秘義務を破って異例の告白をしました。この中では、警察の厳しい取り調べで、袴田さんがうその自白を強いられたと見ていたこと、無罪にしようとしたが、ほかの裁判官を説得できず、心ならずも死刑判決を書いたことを明らかにしました」と指摘した[22]。
週刊現代は、袴田事件裁判にかかわった裁判官・刑事・検事を実名であげ、その裁判の不当さを批判した[23]。「裁判所が警察・検察とグルになって、袴田さんを殺人犯に仕立て上げた構図が浮かび上がる」と表現している。
2018年の東京高裁の再審請求を棄却したことについて、葛野尋之一橋大学法学部教授は「東京高裁は、有罪判決に合理的な疑いが残るかどうかを判断すべきなのに、再審請求で出された「新証拠」の個々の信用性を検討しており、問題がある」とした[24]。
支援の動きについて編集
- 1979年 - ルポライターの高杉晋吾が、事件の冤罪性を指摘した記事を『現代の眼』に掲載し、死刑確定後に支援組織「無実のプロボクサー袴田巌を救う会」(現「無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巖さんを救う会」)を設立する。
- 1981年から日本弁護士連合会(日弁連)が人権擁護委員会内に「袴田事件委員会」を設置し弁護団を支援する。
- 1991年3月11日 - 日本プロボクシング協会(JPBA)の原田政彦会長(=ファイティング原田)が、後楽園ホールのリング上から再審開始を訴え、袴田支援を正式に表明する。
- 2006年5月 - 東日本ボクシング協会が会長輪島功一を委員長、理事新田渉世を実行委員長とする「袴田巌再審支援委員会」を設立する。同委員会はボクシングの試合会場(後楽園ホールなど)で袴田の親族、弁護団所属の弁護士や救援会関係者らとともにリング上から早期再審開始を訴えたほか、東京拘置所への面会やボクシング雑誌の差入れなどを行った。
- 2006年11月20日 - 輪島を始め5名の元ボクシング世界チャンピオンらが、早期再審開始を訴える約500筆の要請書を最高裁に提出する。
- 2007年2月 - 一審静岡地裁で死刑判決に関わった熊本典道が、「彼は無罪だと確信したが裁判長ともう一人の陪席判事が有罪と判断、合議の結果1対2で死刑判決が決まった(下級裁判所の合議審では各裁判官の個別意見を書くことは認められず、判決文は形式上、全会一致の体裁で作成しなければならない)。しかも判決文執筆の当番は慣例により自分だった」と告白。袴田の姉に謝罪し再審請求支援を表明する。なお、熊本がこれらの告白を行ったのは、熊本に死刑判決の判決文の作成を指示した当時の裁判長ともう一人の陪席判事が死亡した後であった。また、熊本自身は判決言い渡しの7ヵ月後、良心の呵責に耐えかねて裁判官を辞職し、弁護士に転職した旨を語っている。
- 2007年6月25日 - 熊本が袴田の再審を求める上申書を最高裁に提出。
- 2008年1月24日 - JPBA、後楽園ホールで支援チャリティーイベント「Free Hakamada Now!」を開催[25]。日本ボクシングコミッションが袴田に対し名誉ライセンスを贈呈する。
- 2008年 - 人権団体「拷問の廃止を目指して行動するキリスト者」(ACAF、Aktion der Christen fuer die Abschaffung der Folter)が、袴田のための署名活動を国際的に展開する。また死刑制度そのものに反対するアムネスティ・インターナショナルも釈放を求めている。袴田がカトリック教会の志村辰弥神父の洗礼を獄中で受けたために、日本ではカトリック教会の司教などが、再審の署名集めに尽力してきた。
- 2011年1月27日 - 日弁連は江田五月法相に対して袴田が長年の拘禁で妄想性障害にあり、刑の執行停止が認められる心神喪失の状態だと判断し刑の執行停止と、精神疾患の治療を指示するよう勧告した[26]。
- 2011年3月10日 - 袴田が「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス世界記録に認定された。認定期間は、第一審の静岡地裁で死刑判決を受けた1968年9月11日から2010年1月1日までの42年間である。死刑確定後の拘置期間としてはマルヨ無線事件・名張毒ぶどう酒事件・ピアノ騒音殺人事件の死刑囚の方が長いが、第一審の死刑判決から「死刑囚として拘束」され続けているとして、袴田が最長と認定された[27]。
- 2012年5月19日 - JPBA、後楽園ホールのリングサイドに袴田の早期再審開始と釈放を祈り「袴田シート」2席を設置。この日は「ボクシングの日」でもある。
- 2014年1月 - 世界ボクシング評議会が名誉王座を認定し、釈放された場合はチャンピオンベルトを授けることを決定[28]。14日、静岡地裁に7万4千筆、静岡地方検察庁に4万2千筆の、速やかな再審開始を求める署名(ビタリ・クリチコも賛同)が提出され、八重樫東も立ち会う[29]。
- 2014年4月 - 週刊現代が当時の捜査関係者(捜査員、検察官)と、死刑判決を出しまた上訴を棄却した裁判官全員の実名を公表。依願退官した熊本以外の全員が功成り名遂げ、叙勲された者もいる[30]。3日、NHKテレビ『クローズアップ現代』が静岡県警察・静岡地検による袴田有利な証拠の隠蔽・捏造問題を採り上げる[16]。木谷明が解説。
袴田巌死刑囚救援議員連盟編集
国会では、衆参両院議員による「袴田巌死刑囚救援議員連盟」が発足し、2010年4月20日に設立総会を開いた[31]。民主党、自由民主党、公明党、国民新党、社会民主党、新党大地、日本共産党、みんなの党、等に所属する議員が発起人となり、総勢57名の超党派議員が参加[32]、代表には牧野聖修・民主党衆議院議員、事務局長には鈴木宗男・新党大地衆議院議員が就任した。同議員連盟発足について牧野は「足利事件で無罪が明らかになるなど冤罪への関心が高まっており、袴田さんの冤罪を信じる議員が集まった。今後は法務大臣に死刑執行の停止や一刻も早い再審の開始を求めたい」と述べている[33]。同議員連盟は、設立総会において、冤罪の可能性とともに、死刑執行への恐怖が長期間続いたため袴田は精神が不安定になっていることなどを指摘し、今後、法務大臣の職権による死刑執行の停止や、医療などの処遇改善を求めることを決めている[34]。 同議員連盟代表の牧野は、強い拘禁反応によって心身喪失状態にある袴田に対し刑事訴訟法479条(死刑執行の停止: 死刑を言い渡されたものが心神喪失にあるときは、法務大臣に命令によって執行を停止することができる)に基づき、法務大臣に対し職務権限による死刑の停止と、速やかに適切な治療を求めるとともに、再審の道を開くべく追求することを表明している[35]。また、担当弁護士は、国際法規に照らしても拘禁反応や糖尿病を放置している状況は人権侵害だと述べている[32]。 また同議員連盟で、弁護団から、死刑確定後30年近く経過している現状は拷問等禁止条約などに違反している疑いがあるため、日弁連に対し人権救済の申し立てを行なった、などの報告があった[35]。
その後鈴木が失職、牧野が落選し、他の参加議員にも変動があったため、2014年3月、袴田の再審決定・釈放を前に50人の超党派の国会議員が再結集し、議員連盟を再構築した。役員は以下の通り(政党名は2014年3月当時)。
映画編集
後藤忠政の製作で『BOX 袴田事件 命とは』(高橋伴明監督・2010年)が公開された。2016年2月には、ドキュメンタリー映画『袴田巌 ―夢の間の世の中―』(金聖雄監督)が公開されている。
漫画編集
「スプリット・デシジョン ―袴田巌 無実の元プロボクサー―」が2019年2月からネット配信。題名は、熊本典道が無罪の心証を持ったにも拘らず有罪判決が全員一致の形で出てしまった静岡地裁判決にちなむ(判定#プロ格闘技)。作者は元プロボクサーで漫画家の森重水。日本プロボクシング協会の支援委員会が製作[36]。また、姉の支援活動を描いた「デコちゃんが行く ―袴田ひで子物語―」が袴田さん支援クラブの猪野待子代表の自費出版で2020年5月に刊行[37]。
本事件が特集された番組編集
- 0.1%の奇跡!逆転無罪ミステリー(テレビ東京、2020年9月21日)
- 「雪冤(せつえん)~ひで子と早智子の歳月~」(NHK、2020年7月18日[38])
ギネス認定編集
袴田は、「世界で最も長く収監されている死刑囚」として、75歳の誕生日である2011年3月10日付でギネス世界記録で認定されたが[39]、2014年現在は取り消されている。認定の対象期間は、静岡地裁で死刑判決を受けた一審判決の1968年9月11日から2010年1月1日までの42年間である。
脚注編集
- ^ 『デコちゃんが行く』によると、袴田さんの苗字は「はかまた」と濁らないので、本来は「はかまたじけん」と呼ぶのが正しい。
- ^ 静岡地判昭和43年9月11日
- ^ 最高裁判所第二小法廷判決 1980年11月19日 、昭和51(あ)1607、『住居侵入、強盗殺人、放火』。
- ^ 死刑囚の精神状態を一斉調査=千葉元法相、退任直前に指示 時事通信 2011年2月11日[リンク切れ]
- ^ 袴田巌死刑囚が心神喪失、執行停止を…日弁連 読売新聞 2011年1月27日(2011年1月30日時点でのアーカイブ)
- ^ “袴田事件、再審を決定 静岡地裁「証拠捏造の疑い」”. 日本経済新聞 (2014年3月27日). 2014年3月27日閲覧。
- ^ 「袴田事件」再審、静岡地検が即時抗告 読売新聞 2014年3月31日
- ^ “袴田事件の被害者遺族が死去”. 朝日新聞 (2014年3月29日). 2014年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月31日閲覧。
- ^ 袴田事件、衣類5点写真ネガ存在 検察側、従来説明を謝罪 共同通信2014年8月5日
- ^ 袴田事件 東京高裁、再審開始認めず 毎日新聞2018年6月11日
- ^ 袴田事件「再審認めず」取り消し 最高裁決定、高裁に審理差し戻し 産経新聞 2020年12月23日
- ^ “袴田巌死刑囚:「世界で最長収監」としてギネス認定”. 毎日新聞 (2013年4月9日). 2013年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月29日閲覧。
- ^ 袴田さん 姉と水入らずの一日 中日新聞 2014年3月29日
- ^ 袴田さん故郷の浜松に=48年ぶり、東京から転院 時事通信 2014年5月27日
- ^ 袴田事件:「ズボンのサイズ誤認」…弁護団が陳述書提出へ 毎日新聞[リンク切れ]
- ^ a b 埋もれた証拠 ―検証・袴田事件― NHK「クローズアップ現代」2014年4月3日
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- ^ 「「再審取り消し当然」「疑わしきはの原則に逆行」識者は」朝日新聞デジタル2018年6月11日23時40分
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- ^ 袴田事件:袴田死刑囚の執行停止を 日弁連が法相に指示勧告 毎日新聞静岡版 2011年1月28日[リンク切れ]
- ^ 袴田事件:袴田死刑囚、ギネスが認定 収監日数42年間、世界一 毎日新聞 2013年4月9日(2013年4月18日時点でのアーカイブ)
- ^ 釈放ならWBC名誉ベルト授与 袴田死刑囚に 共同通信 2014年1月12日
- ^ 袴田事件再審開始へ署名簿提出 ボクシング王者も 静岡新聞 2014年1月14日
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- ^ a b “死刑判決から30年 袴田巌死刑囚救援議員連盟設立 ~ 鈴木宗男代表はじめ、超党派議員57名が参加”. Infoseek (2010年4月27日). 2010年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月27日閲覧。
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- ^ 2020年5月27日中日新聞朝刊11面
- ^ ETV特集 「雪冤(せつえん)~ひで子と早智子の歳月~ NHKオンデマンド
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参考文献編集
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- 『自白の心理学』(浜田寿美男著・岩波書店・岩波新書・2001年) ISBN 9784004307211
- 『裁判官の犯罪「冤罪」』(木下信男著・樹花舎・2001年) ISBN 9784434007163
- 『裁判官はなぜ誤るのか』(秋山賢三著・岩波新書・2002年) ISBN 9784004308096
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- 『袴田事件』(山本徹美著・新風舎文庫・2004年) ISBN 9784797494280
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- 『美談の男 冤罪袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密』(尾形誠規著・鉄人社・2010年) ISBN 9784904676059
- 『裁かれるのは我なり―袴田事件主任裁判官三十九年目の真実』(山平重樹著・双葉社・2010年) ISBN 9784575302271
- 『袴田巌は無実だ』(矢澤曻治著・花伝社・2010年) ISBN 9784763405791
- 『デコちゃんが行く-袴田ひで子物語- 』(いのまちこ 著、たたらなおき イラスト・静岡新聞社、2020年5月) ISBN 9784783880028
関連項目編集
- 冤罪事件
- 警察不祥事
- 日本弁護士連合会が支援する再審事件
- 紅林麻雄
- ルービン・カーター事件 - 「袴田事件」と同年にアメリカで発生した、元プロボクサーを巻き込んだ冤罪事件。
- 清水局事件 - 同市で起こった別の冤罪事件。
- 島田事件 - 同じ静岡県内の死刑冤罪事件、元被告は35年間に亘り収監された後、1989年に出所
- 御殿場事件 - 同じ静岡県内で発生した冤罪の可能性がある事件、被告人4人は既に刑期を終えて出所している
- 日本国民救援会
- 熊本典道 - 一審の死刑判決に関わった陪席裁判官。のちに、冤罪の印象を強く持ったと告白。
- 白鳥事件 - 上告審で裁判長・岸上康夫により示された「白鳥決定」(「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則は再審制度においても適用される、という判断)が本件でも適用された。
- 市民的及び政治的権利に関する国際規約
外部リンク編集
- 袴田巌の戦績 - BoxRec(英語)
- 袴田巖さんの再審を開き、無罪を勝ち取る全国ネットワーク(弁護団公式)
- 無実の死刑囚・元プロボクサー袴田巖さんを救う会 - ウェイバックマシン(2001年12月5日アーカイブ分)(支援団体)
- 日本弁護士連合会
- 袴田チャンネル YouTube 袴田事件の解説動画集(支援団体作成)