花園近鉄ライナーズ

日本のラグビーチーム
近鉄ライナーズから転送)

花園近鉄ライナーズ(はなぞのきんてつライナーズ、: Hanazono Kintetsu Liners)は、大阪府東大阪市をホストエリアとしてJAPAN RUGBY LEAGUE ONEに所属しているラグビーチームである。

花園近鉄ライナーズ
クラブカラー   エンジ
 
愛称 ライナーズ
創設年 1929年
本拠地 東大阪市
グラウンド 東大阪市花園ラグビー場
収容人数 26544(第1グラウンド)
1300(第2グラウンド)
代表者 中川善雄(部長)
監督 水間良武(ヘッドコーチ)
所属リーグ JAPAN RUGBY LEAGUE ONE
ファーストカラー
セカンドカラー
公式サイト
https://hanazono-liners.jp/
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概要編集

日本屈指の歴史と実績を有する、社会人ラグビーの名門チームである。ホームグラウンドは東大阪市花園ラグビー場(かつての近鉄花園ラグビー場)。愛称の「ライナーズ」は近鉄特急アーバンライナー」に由来し、ラグビーでのスピード感と力強さを表現している。チームマスコットは近鉄特急アーバンライナーnext』をモチーフとした「トライナー君」が務めていたが、「花園近鉄ライナーズ」への改称を機にロゴ・エンブレムを一新するとともに、チームマスコットも近鉄特急『ひのとり』をモチーフにした「ライナマン(LINER MAN)」に交代した[1]

歴史編集

黎明期編集

1927年大阪電気軌道(通称大軌)社員の有志が集まり高安工場敷地でラグビーの練習を行った(この時、後の近鉄グループ総帥と呼ばれる佐伯勇も参加している)。この練習がきっかけで本格的にメンバーを募集しチームが出来た。その後、花園ラグビー場が開設された1929年に大阪電気軌道ラグビー部として正式に創設された。

戦前・戦中は組織だった全国大会は無かったが、1936年(昭和11年)3月の大阪実業団大会優勝を始め、同大会準優勝3回を誇る。しかし戦争が深まるにつけ次々に部員が召集され、あまり試合も練習も出来なくなっていった。またホームグラウンドである花園ラグビー場も農場や軍事教練場となってしまった。なお1941年(昭和16年)3月15日には大軌と同社の傘下会社・参宮急行電鉄が合併し関西急行鉄道(関急)となり、さらに1944年(昭和19年)6月1日関急と南海鉄道が合併し近畿日本鉄道(近鉄)が発足した。

黄金期編集

1947年(昭和22年)第2回国民体育大会関西予選で優勝し、金沢で行われた第2回国民体育大会に出場する。当時ステータスの高かった国体に出場できたことは大変な栄誉であった。またこの終戦間もない時代の遠征には物資難・食糧難・資金難など幾多の困難があったが、OBや社員の協力で参加することができた。

1948年度の第1回全国社会人ラグビーフットボール大会(各地域リーグの上位チームによるトーナメント、以下 全国社会人大会)に出場。しかし決勝で九州代表の配炭公団に 3-57 と大敗し準優勝に終わる。その後も八幡製鉄等の台頭により、優勝を争える力がありながら、なかなか頂点には届かなかった。加えて1952年度については、全国社会人大会の出場も逃した。巻き返しを図るため、近鉄の選手として初めて日本代表選手となった中島義信が同年度限りで現役を引退すると、翌シーズンより監督に就任することになった。

その甲斐もあり、1953年度に九州電力と両チーム優勝の形で初優勝。宿敵・八幡製鉄が九州電力に地区予選で敗れ出場を逃したという事情があったとはいえ、悲願の「日本一」を達成した。以後、中島が監督時代に、近鉄は同大会で5回の優勝を果たすことになる。

また、1956年に九州電力を決勝で破って、第1回大会以来続いていた九州勢の連続優勝を途絶えさせた。以後、第27回大会までに、優勝8回、準優勝9回に輝いている。特に、八幡製鉄とは全国社会人大会で1951年度から1968年度まで実に12回対戦。うち決勝戦では8回顔を合わせ、社会人チームの二強の一角としても長らく君臨した。戦績は近鉄の2勝10敗(決勝では1勝7敗)と大変分が悪く、加えて1958年度は決勝で、1968年度は準決勝で、それぞれ八幡に敗れて同大会3連覇を阻止された。

1956年度の第9回大会では1回戦から決勝までの全4試合すべてを無失点で優勝し「完全シャットアウト優勝」と言われた。この記録は以後一度も並ばれることは無かった。また同大会では、全55回のうち53回出場および50年連続出場という偉業を成し遂げたことも有名である。

1958年度に開幕した関西社会人リーグ創設時のメンバー[注 1]でもあり、第1回大会から11連覇、計17回優勝している(トップウェストでの優勝はカウントしていない)。

1961年度には日本選手権の前身であるNHK杯に出場し準優勝した。

1966年度、1967年度、1974年度には日本選手権でも優勝した。

なお、1969年度(1970年1月)は全国社会人大会で優勝し、第7回日本選手権の出場権を得たが出場を辞退した。この年の日本選手権はバンコクタイ)での第2回アジア選手権と日程が重複していた。多数の日本代表選手を輩出していた関西社会人Aリーグは事前に全7チームの監督名で日本協会に日本選手権の日程変更を申し入れていた。しかし大学の試験時期でもあり日本協会は日程変更せず、全国社会人大会優勝の近鉄はもちろん、準優勝のトヨタ自工、ベスト4の三菱重工京都らは関西勢の総意として棄権した。そのため日本協会は、ベスト4のもう1チームの富士鉄釜石(後の新日鉄釜石)に出場を打診し、富士鉄釜石もこれを了承し日本選手権に出場した。

低迷期編集

1974年度の日本選手権優勝を最後に、坂田好弘(現関西ラグビーフットボール協会会長)、小笠原博(元ワールド監督)らの日本代表経験を持つ選手らが引退し、さらに1976年度シーズン後に今里良三(元日本代表監督、元近鉄ライナーズ部長)や原進(のちのプロレスラー、阿修羅・原)も現役引退。その後若返りを図ったが強化は思うようにいかなかった。

1977年度と1988年度の関西社会人Aリーグで優勝し、その後もAリーグに残留し全国社会人大会の連続出場記録を更新し続けたものの、目立った成績は挙げられなかった。

全国社会人大会には、第1回(1948年度)から最後の大会となる第55回(2002年度)までの間に、実に53回(歴代1位)の出場を果たした。この間、優勝8回(歴代4位)、準優勝9回(歴代2位)、通算137試合(歴代2位)、通算82勝(歴代2位)、50大会連続出場(1953年度-2002年度、歴代1位)という輝かしい記録を残した。

トップリーグ発足後編集

2003年度に開幕したジャパンラグビートップリーグに参加し、同時に「近鉄ライナーズ」のチーム名が定められた。2003年度のリーグ戦では3勝8敗で12チーム中10位に終わり入れ替え戦に回ったが、九州電力に47-24で勝利して降格を免れた。

しかし、翌2004年度は2勝9敗で12チーム中11位に終わり、大会規定によりトップウェストAリーグへの自動降格が決定した。チームはこれまで企業の福利厚生を目的とした部活の一環として経営してきたが、2005年度からは企業のシンボルスポーツとしての独立組織に一新させる方針で、運営予算も増額された。また責任者としてOBの今里良三(元日本代表、元近鉄監督、元日本代表監督)を抜擢した。

2005年度はトップウェストAリーグを7戦全勝で優勝し、チャレンジマッチ(トップイーストトップウェストトップキュウシュウの3地域の代表による順位決定戦)に進出。翌2006年度からトップリーグが14チームに拡大されるため、3チーム中2位までに入れば自動昇格による復帰を果たすことができたが、日本IBMビッグブルーに 0-39、コカ・コーラウエストジャパンに 12-15 と連敗し、入れ替え戦でもトップリーグで全敗した福岡サニックスブルースに20-46で敗れ、復帰を果たせなかった。

2006年度はトップウェストAリーグを2連覇して、チャレンジマッチに再挑戦。自動昇格をかけた三菱重工相模原との最終戦に 31-32 の僅差で敗れ自動昇格を逃した。さらに、その後に行われたIBMとの入れ替え戦でも終盤間際に同点 (29-29) に追いつかれた。この場合、大会規定でトップリーグのチームが残留するため、近鉄は2年連続してトップリーグへの復帰を果たせなかった。

2007年度のトップウェストAでは上位3強プレーオフ制度があり、3位以内に入ればチャレンジマッチ出場をかけたプレーオフに出場できる。トップリーグから降格してきたワールドファイティングブルと、ホンダヒートに敗れたものの、辛うじて3位でプレーオフ進出を決めた。プレーオフではホンダ、ワールドを撃破して、トップウェスト3連覇を果たし、チャレンジマッチ1の出場権を得た。チャレンジマッチではマツダブルーズーマーズ横河電機に快勝して1位でトップリーグ復帰を決めた。また33年ぶりに日本選手権に出場し、1回戦で慶應義塾大学を破ったが、続くトヨタ自動車戦は大接戦の末 (43-53) 敗れた。

2008年度はピーター・スローンをヘッドコーチに招聘し、トップリーグ昇格チームながら開幕2連勝、上位チームには勝てなかったが善戦しボーナスポイントを獲得した。下位チームには確実に勝ち、2試合を残して自動降格を回避した。また最終節を待たずに10位以上が決定し入替戦も回避して残留を確定した。最終順位は14チーム中9位であったが、復帰1年目としては好成績であった。

2009年度は更なるステップアップを目指し、大西将太郎高忠伸伊藤太進田中正純など関西出身の実力者を補強。さらにレオン・マクドナルドというビッグネームの補強もあったが、負傷者とコンビネーション不足などが影響し、11位となり入替戦に回った。しかし入替戦では横河に勝ちトップリーグ残留を決めた。

2010年度はリコ・ギアが加入。また、コンビネーションも向上し、しばらく勝てなかった神戸製鋼トヨタ自動車を破るという金星を挙げた。最終順位はトップリーグ最高タイの9位であった。なお、ピーター・スローンヘッドコーチの契約満了に伴い前田隆介コーチが2011年度より監督に就任することになった。

2011年度は開幕3連勝などの快進撃で、チームとしてはトップリーグで最高位の5位に食い込んだ。翌2012年度は中位チームとの対戦で取りこぼしが多く7位で終了した。

2016年3月には前田隆介監督の退任に伴い坪井章が監督に就任した。しかし2017年度は最終順位で16位(最下位)となり、トップチャレンジリーグに自動降格となった。

2018年度は、ヘッドコーチに前15人制女子日本代表監督である有水剛志が就任。トップチャレンジリーグの1stステージは全勝で通過したが、2ndステージで失速し3位となった。入れ替え戦に出場したが、日野レッドドルフィンズに敗れ、1シーズンでの昇格はならなかった[2]

2019年度、バックスコーチにショーン・ヘッジャーを迎えアタックを一新。トップリーグカップのプール戦を4勝1敗で終えるも、神戸製鋼戦での敗戦が響き、決勝トーナメント進出を逃した。

2021年7月16日、新リーグJAPAN RUGBY LEAGUE ONEの2部リーグに振り分けされることになった[3]。同日、近鉄ライナーズは2022年1月に開幕する新リーグでチーム名称に花園ラグビー場を入れた「花園近鉄ライナーズ」に名称変更すると発表した[4]

タイトル編集

全国大会

最上位リーグ

下位リーグ

成績編集

全国社会人大会戦績編集

年度 地区 成績 備考
1 1948 関西 準優勝 2 1 0 1 17 57 -40 近鉄のチーム名で出場
2 1949 大阪 ベスト4 2 1 0 1 39 17 22
4 1951 阪和 準優勝 3 2 0 1 44 16 28
6 1953 阪和 優勝[注 3] 3 2 1 0 54 11 43 両チーム優勝
7 1954 阪和 ベスト4 2 1 0 1 27 14 13
8 1955 阪和 準優勝 3 2 0 1 84 24 60
9 1956 大阪 優勝 4 4 0 0 66 0 66
10 1957 大阪 優勝 4 4 0 0 65 9 56
11 1958 大阪 準優勝 4 3 0 1 34 17 17
12 1959 大阪 準優勝 4 3 0 1 60 24 36
13 1960 大阪 準優勝 4 3 0 1 83 6 77
14 1961 大阪 優勝 4 3 1 0 55 14 41 準々決勝は引分(抽選で上位進出)
NHK杯に出場
15 1962 大阪 ベスト4 3 2 0 1 41 13 28
16 1963 大阪 準優勝 4 3 0 1 58 25 33 日本選手権に出場
17 1964 大阪 ベスト4 3 2 0 1 47 17 30
18 1965 大阪 準優勝 4 3 0 1 58 17 41
19 1966 大阪 優勝 4 4 0 0 128 13 115 日本選手権に出場
20 1967 大阪 優勝 4 4 0 0 109 20 89 日本選手権に出場
21 1968 大阪 ベスト4 3 2 0 1 90 31 59
22 1969 大阪 優勝 4 4 0 0 139 26 113
23 1970 大阪 ベスト8 2 1 0 1 34 17 17
24 1971 大阪 ベスト4 3 2 0 1 162 13 149
25 1972 大阪 ベスト8 2 1 0 1 34 23 11
26 1973 大阪 準優勝 4 3 0 1 148 32 116
27 1974 大阪 優勝 4 3 1 0 57 42 15 準決勝は引分(抽選で上位進出)
日本選手権に出場
28 1975 大阪 ベスト8 2 1 0 1 50 49 1
29 1976 大阪 ベスト8 2 1 0 1 59 19 40
30 1977 大阪 ベスト4 3 2 0 1 50 27 23
31 1978 大阪 ベスト8 2 1 0 1 44 16 28
32 1979 大阪 ベスト8 2 1 1 0 55 7 48 準々決勝は引分(抽選で敗退)
33 1980 大阪 ベスト4 3 2 0 1 58 66 -8
34 1981 大阪 ベスト8 2 1 0 1 29 33 -4
35 1982 大阪 1回戦敗退 1 0 0 1 9 29 -20
36 1983 大阪 1回戦敗退 1 0 0 1 6 36 -30
37 1984 大阪 ベスト8 2 1 0 1 19 39 -20
38 1985 大阪 1回戦敗退 1 0 0 1 7 22 -15
39 1986 大阪 1回戦敗退 1 0 0 1 4 20 -16
40 1987 大阪 1回戦敗退 1 0 0 1 18 20 -2
41 1988 関西 1回戦敗退 1 0 0 1 13 15 -2
42 1989 関西 1回戦敗退 1 0 0 1 6 50 -44
43 1990 関西 1回戦敗退 1 0 0 1 21 51 -30
44 1991 関西 ベスト8 2 1 0 1 24 44 -20
45 1992 関西 1回戦敗退 1 0 0 1 19 51 -32
46 1993 関西 1回戦敗退 1 0 0 1 3 45 -42
47 1994 関西 1回戦敗退 1 0 0 1 20 31 -11
48 1995 関西 予選プール敗退 3 1 0 2 56 126 -70
49 1996 関西 予選プール敗退 3 1 0 2 40 141 -101
50 1997 関西 予選プール敗退 3 0 0 3 64 143 -79
51 1998 関西 予選プール敗退 3 1 0 2 78 191 -113
52 1999 関西 ベスト8 4 2 0 2 126 171 -45
53 2000 関西 ベスト8 2 1 0 1 51 74 -23
54 2001 関西 1回戦敗退 1 0 0 1 7 55 -48
55 2002 関西 ベスト8 4 2 0 2 107 103 4

リーグ戦戦績編集

トップリーグ創設以前編集

年度 所属リーグ Div. 順位 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点 得失差 備考
1958 関西社会人リーグ 1部 優勝 4 4 0 0 63 17 46
1959 関西社会人リーグ 1部 優勝 5 5 0 0 112 24 88
1960 関西社会人リーグ 1部 優勝 6 6 0 0 157 26 131
1961 関西社会人リーグ 1部 優勝 5 5 0 0 157 17 140
1962 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 3 3 0 0 51 17 34
1963 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 3 3 0 0 106 3 103
1964 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 3 2 1 0 38 12 26
1965 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 4 4 0 0 119 9 110
1966 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 5 5 0 0 190 33 157
1967 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 6 5 0 1 164 67 97 同率優勝
1968 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 6 5 0 1 156 58 98
1969 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 4位 6 3 0 3 118 51 67
1970 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 3位 6 4 0 2 142 54 88 同率
1971 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 6 5 0 1 203 65 138
1972 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 6 6 0 0 280 56 224
1973 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 6 6 0 0 218 32 186
1974 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 6 6 0 0 177 58 119
1975 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 3位 6 4 0 2 152 77 75
1976 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 2位 6 5 0 1 220 72 148
1977 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 6 5 0 1 204 89 115 同率優勝
1978 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 4位 6 3 0 3 187 119 68 同率
1979 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 5位 6 2 0 4 122 152 -30
1980 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 2位 7 5 0 2 210 129 81
1981 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 6位 7 2 0 5 114 156 -42
1982 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 5位 7 3 0 4 130 115 15
1983 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 4位 7 4 0 3 211 95 116
1984 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 3位 7 4 1 2 144 62 82 同率
1985 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 2位 7 5 0 2 193 79 114 同率
1986 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 3位 7 4 0 3 200 133 67
1987 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 3位 7 5 0 2 186 100 86
1988 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 優勝 7 6 0 1 173 96 77
1989 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 4位 7 4 0 3 117 108 9
1990 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 5位 7 3 0 4 181 147 34
1991 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 3位 7 4 0 3 161 150 11
1992 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 4位 7 4 0 3 203 242 -39
1993 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 7位 7 2 0 5 149 192 -43
1994 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 5位 7 3 1 3 200 170 30 同率4位。順位は抽選による
1995 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 5位 7 3 0 4 137 252 -115 三すくみで4位。順位は当該チーム間の得失トライ差による
1996 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 5位 7 2 1 4 222 334 -112
1997 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 4位 7 3 0 4 295 257 38 三すくみで4位。順位は当該チーム間のトライ数による
1998 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 5位 7 3 0 4 138 224 -86
1999 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 5位 7 3 0 4 184 268 -84
2000 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 4位 7 3 1 3 193 210 -17
2001 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 4位 7 4 0 3 195 236 -41
2002 関西社会人リーグ Aリーグ 1部 5位 7 3 0 4 227 280 -53

トップリーグ創設以降編集

シーズン 所属リーグ Div. 順位 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点 得失差 勝点 結果 カップ戦 日本選手権
2003-2004 トップリーグ 1部 10位 11 3 0 8 292 510 -218 18 リーグ戦:10位
入替戦:残留
   
2004-2005 トップリーグ 1部 11位 11 2 0 9 261 514 -253 13 リーグ戦:11位
トップウェストに自動降格
   
2005-2006 トップウェストA 2部 優勝                 リーグ戦:1位
トップチャレンジ1+入替戦:残留
   
2006-2007 トップウェストA 2部 優勝                 リーグ戦:1位
トップチャレンジ1+入替戦:残留
   
2007-2008 トップウェストA 2部 優勝                 リーグ戦:1位
トップチャレンジ1:トップリーグに自動昇格
  ベスト8
2008-2009 トップリーグ 1部 9位 13 5 0 8 319 348 -29 28 リーグ戦:9位    
2009-2010 トップリーグ 1部 11位 13 4 1 8 218 348 -130 23 リーグ戦:11位
入替戦:残留
   
2010-2011 トップリーグ 1部 9位 13 6 0 7 277 344 -67 31 リーグ戦:9位    
2011-2012 トップリーグ 1部 5位 13 8 0 5 341 311 30 39 リーグ戦:5位    
2012-2013 トップリーグ 1部 7位 13 6 0 7 356 308 48 33 リーグ戦:7位    
2013-2014 トップリーグ 1部 10位 7 2 0 5 139 167 -28 13 リーグ戦:1stステージ・プールB・6位    
7 5 0 2 187 158 29 27 リーグ戦:2ndステージ・グループB・2位
2014-2015 トップリーグ 1部 12位 7 4 0 3 182 178 4 22 リーグ戦:1stステージ・プールB・5位    
7 4 0 3 167 168 -1 25 リーグ戦:2ndステージ・グループB・4位
2015-2016 トップリーグ 1部 7位 7 5 0 2 189 193 -4 23 リーグ戦:プールA・3位
順位決定トーナメント:7位
プレシーズンリーグ:7位  
2016-2017 トップリーグ 1部 13位 15 3 0 12 268 417 -149 18 リーグ戦:13位
入替戦:残留
   
2017-2018 トップリーグ 1部 16位 13 4 0 9 213 365 -152 17 リーグ戦:レッドカンファレンス・8位
総合順位決定トーナメント:16位
トップチャレンジリーグに自動降格
   
2018-2019 トップチャレンジリーグ 2部 3位 7 7 0 0 301 86 215 34 リーグ戦:1stステージ・1位    
3 1 0 2 82 50 32 8 リーグ戦:2ndステージ・3位
入替戦:残留
2019-2020 トップチャレンジリーグ 2部 優勝 7 7 0 0 395 107 288 34 リーグ戦:1位
入替戦:大会中止[5]
トップリーグカップ:プール戦敗退[注 6]  
2021 トップチャレンジリーグ 2部 2位 3 3 0 0 158 59 99 15 リーグ戦:Aグループ・1位
順位決定戦:2位
プレーオフトーナメント:2回戦敗退
 
2022 リーグワン DIVISION 2 2部 優勝 10 8 0 2 502 187 315 40 リーグ戦:2位
順位決定戦:1位
DIVISION 1に自動昇格
 

2022-23シーズンの順位編集

JAPAN RUGBY LEAGUE ONE 2022-23
Division 1 順位表
(2023年1月17日時点[6]
編集
チーム 試合数 勝ち点 得点 失点 得失差
1 埼玉ワイルドナイツ 4 17 4 0 0 111 57 54
2 クボタスピアーズ船橋・東京ベイ 4 16 3 1 0 175 64 111
3 東京サンゴリアス 4 14 3 0 1 139 92 47
4 三菱重工相模原ダイナボアーズ 4 13 3 0 1 89 92 -3
5 横浜キヤノンイーグルス 4 11 2 1 1 163 96 67
6 東芝ブレイブルーパス東京 4 10 2 0 2 84 68 16
7 コベルコ神戸スティーラーズ 4 9 2 0 2 150 147 3
8 ブラックラムズ東京 4 8 2 0 2 78 98 -20
9 トヨタヴェルブリッツ 4 6 1 0 3 100 116 -16
10 グリーンロケッツ東葛 4 4 1 0 3 95 167 -72
11 静岡ブルーレヴズ 4 2 0 0 4 78 109 -31
12 花園近鉄ライナーズ 4 1 0 0 4 89 245 -156
  • 勝ち点は、勝ち4点、引き分け2点、負け0点。[7]
  • ただし、7点差以内の負けは1点を付与、3トライ差以上での勝ちは追加で1点を付与。
  • 同じ勝ち点である場合は下記の順番で順位を決定する。
  1. 勝ち点
  2. 勝利数
  3. ①および②が同数であったチーム間の勝ち点
  4. ①、②および③が同数であったチーム間の得失点差
  5. 全試合の得失点差
  6. 当該チーム間のトライ数
  7. 全試合でのトライ数
  8. 当該チーム間のトライ後のゴール数
  9. 全試合でのトライ後のゴール数
  10. 抽選

2022-23シーズンのスコッド編集

花園近鉄ライナーズ2022-23シーズンのスコッドは下記のとおり[8]

ヘッドコーチ: 水間良武

選手 ポジション 身長 体重 誕生日(年齢[9] 登録区分[10]
佐々木駿 プロップ 174cm 107kg (1989-03-06)1989年3月6日(33歳) カテゴリA
浅岡勇輝 プロップ 173cm 105kg (1992-10-23)1992年10月23日(30歳) カテゴリA
田中健太 プロップ 177cm 104kg (1994-02-03)1994年2月3日(28歳) カテゴリA
李城鏞 プロップ 172cm 105kg (1995-04-28)1995年4月28日(27歳) カテゴリA
三竹康太 プロップ 175cm 110kg (1996-04-28)1996年4月28日(26歳) カテゴリA
牛窪心希 プロップ 177cm 112kg (1997-01-21)1997年1月21日(25歳) カテゴリA
ラタ・タンギマナ プロップ 183cm 118kg (1998-01-23)1998年1月23日(24歳) カテゴリA
文裕徹 プロップ 180cm 110kg (1999-02-09)1999年2月9日(23歳) カテゴリA
高橋虎太郎 プロップ 177cm 110kg (2000-02-23)2000年2月23日(22歳) カテゴリA
樫本敦 フッカー 180cm 106kg (1988-02-19)1988年2月19日(34歳) カテゴリA
廣野翔太 フッカー 180cm 110kg (1993-12-10)1993年12月10日(29歳) カテゴリA
金子惠一 フッカー 177cm 100kg (1996-08-19)1996年8月19日(26歳) カテゴリA
松田一真 フッカー 170cm 95kg (1998-08-22)1998年8月22日(24歳) カテゴリA
ネスタ・マヒナ フッカー 167cm 110kg (2000-10-28)2000年10月28日(22歳) カテゴリA
ベン・トゥーリス ロック 201cm 119kg (1992-03-31)1992年3月31日(30歳) カテゴリC
サナイラ・ワクァ ロック 202cm 120kg (1995-07-17)1995年7月17日(27歳) カテゴリA
パトリック・タファ ロック 194cm 118kg (1999-07-19)1999年7月19日(23歳) カテゴリB
松岡勇 ロック 190cm 107kg (1984-05-01)1984年5月1日(38歳) カテゴリA
村田毅 フランカー 186cm 102kg (1988-12-15)1988年12月15日(34歳) カテゴリA
ジェド・ブラウン フランカー 186cm 105kg (1991-03-12)1991年3月12日(31歳) カテゴリB
野中翔平 フランカー 183cm 100kg (1995-11-17)1995年11月17日(27歳) カテゴリA
丸山尚城 フランカー 178cm 98kg (1996-03-10)1996年3月10日(26歳) カテゴリA
菅原貴人 フランカー 185cm 105kg (1996-09-22)1996年9月22日(26歳) カテゴリA
横井隼 フランカー 183cm 99kg (1997-07-29)1997年7月29日(25歳) カテゴリA
宮下大輝 フランカー 181cm 98kg (1999-08-10)1999年8月10日(23歳) カテゴリA
上山黎哉 フランカー 175cm 96kg (1999-09-28)1999年9月28日(23歳) カテゴリA
セルホゼ ナンバー8 197cm 107kg (1991-02-09)1991年2月9日(31歳) カテゴリA
ツポウテビタ ナンバー8 185cm 104kg (1991-09-26)1991年9月26日(31歳) カテゴリA
ウィル・ゲニア スクラムハーフ 174cm 82kg (1988-01-17)1988年1月17日(34歳) カテゴリC
佐原慧大 スクラムハーフ 167cm 72kg (1995-08-19)1995年8月19日(27歳) カテゴリA
中村友哉 スクラムハーフ 162cm 67kg (1998-06-25)1998年6月25日(24歳) カテゴリA
人羅奎太郎 スクラムハーフ 166cm 72kg (1998-12-11)1998年12月11日(24歳) カテゴリA
河村謙尚 スクラムハーフ 171cm 76kg (1999-10-14)1999年10月14日(23歳) カテゴリA
ステイリンパトリック スタンドオフ 178cm 98kg (1992-12-15)1992年12月15日(30歳) カテゴリA
野口大輔 スタンドオフ 178cm 90kg (1993-06-14)1993年6月14日(29歳) カテゴリA
吉本匠 スタンドオフ 171cm 85kg (1997-11-16)1997年11月16日(25歳) カテゴリA
ジャクソン・ガーデンバショップ スタンドオフ 186cm 104kg (1994-10-03)1994年10月3日(28歳) カテゴリB
南藤辰馬 ウイング 177cm 86kg (1990-07-19)1990年7月19日(32歳) カテゴリA
セミシ・マシレワ ウイング 181cm 93kg (1992-06-09)1992年6月9日(30歳) カテゴリA
ジョシュア・ノーラ ウイング 182cm 87kg (1996-06-11)1996年6月11日(26歳) カテゴリB
髙野蓮 ウイング 175cm 85kg (1996-07-19)1996年7月19日(26歳) カテゴリA
片岡涼亮 ウイング 171cm 83kg (1997-10-22)1997年10月22日(25歳) カテゴリA
リエキナ・カウフシ ウイング 182cm 99kg (1998-01-24)1998年1月24日(24歳) カテゴリA
木村朋也 ウイング 175cm 81kg (1998-04-04)1998年4月4日(24歳) カテゴリA
林隆広 ウイング 176cm 84kg (2000-02-03)2000年2月3日(22歳) カテゴリA
森田尚希 センター 176cm 88kg (1986-08-05)1986年8月5日(36歳) カテゴリA
小野木晃英 センター 170cm 83kg (1997-07-31)1997年7月31日(25歳) カテゴリA
岡村晃司 センター 170cm 87kg (1998-06-12)1998年6月12日(24歳) カテゴリA
シオサイア・フィフィタ センター 187cm 105kg (1998-12-20)1998年12月20日(23歳) カテゴリA
竹田宜純 フルバック 180cm 93kg (1991-04-29)1991年4月29日(31歳) カテゴリA

過去の所属選手編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 他に京都市役所・大阪府警・川崎重工・大阪鉄道局。
  2. ^ 1960年度-1962年度は、日本ラグビーフットボール選手権大会(日本選手権)の前身となる日本協会招待NHK杯争奪ラグビー大会(NHK杯)が開催された。
  3. ^ a b 九州電力と両チーム優勝
  4. ^ 京都市役所と両チーム優勝
  5. ^ トヨタ自工と両チーム優勝
  6. ^ 大会名表記は「ジャパンラグビートップリーグカップ2019
  7. ^ のちのプロレスラー・阿修羅・原

出典編集

  1. ^ 花園近鉄ライナーズ 新ロゴタイプ・エンブレム・マスコットキャラクター等のお知らせ (PDF)”. 近鉄グループホールディングス (2021年10月2日). 2021年10月18日閲覧。
  2. ^ “日野が残留決めた!名門・近鉄相手に2T/TL”. サンケイスポーツ (産経新聞社). (2018年12月24日). https://www.sanspo.com/article/20181224-VHUKHXZZIFP4TKWGG5UG5CVGFU/ 2018年12月28日閲覧。 
  3. ^ ラグビー新リーグ名称は「リーグONE」22年1月7日開幕 1部は神戸製鋼、パナソニックら12チーム”. ヤフースポーツ (2021年7月16日). 2021年7月16日閲覧。
  4. ^ 近鉄が「花園近鉄ライナーズ」に名称変更”. サンスポ (2021年7月16日). 2021年7月16日閲覧。
  5. ^ ジャパンラグビー トップリーグ2020 大会中止のお知らせ”. 日本ラグビーフットボール協会. 2020年3月23日閲覧。
  6. ^ 順位 - JAPAN RUGBY LEAGUE ONE
  7. ^ NTTジャパンラグビー リーグワン2022-23 大会概要およびアーリーエントリーについて - JAPAN RUGBY LEAGUE ONE
  8. ^ 花園近鉄ライナーズ 選手一覧 - JAPAN RUGBY LEAGUE ONE
  9. ^ 年齢は2022年12月17日の開幕時点のもの
  10. ^ カテゴリ A(日本代表の実績または資格あり)試合登録枠:17 名以上 同時出場可能枠:11 名以上。カテゴリ B(日本代表の資格獲得見込み)試合登録枠:任意 同時出場可能枠:任意。カテゴリ C(他国代表歴あり等、カテゴリ A, B以外)試合登録枠:3名以下

関連項目編集

外部リンク編集