クエンティン・タランティーノ

クエンティン・ジェローム・タランティーノ: Quentin Jerome Tarantino1963年3月27日 - )は、アメリカ合衆国映画監督脚本家

クエンティン・タランティーノ
Quentin Tarantino
Quentin Tarantino
USAサンディエゴ - パネルディスカッションにて (2015年7月)
本名 Quentin Jerome Tarantino[1]
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署名
生年月日 (1963-03-27) 1963年3月27日(55歳)
出生地 テネシー州ノックスビル
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
活動期間 1988年 -
主な作品
監督
レザボア・ドッグス
パルプ・フィクション
キル・ビル』二部作
イングロリアス・バスターズ
ジャンゴ 繋がれざる者
ヘイトフル・エイト
その他
トゥルー・ロマンス』(脚本)
ナチュラル・ボーン・キラーズ』(原案)
フロム・ダスク・ティル・ドーン』(脚本・出演)

1990年代前半、入り組んだプロットと犯罪と暴力の姿を描いた作品で一躍脚光を浴びた。脚本も書き、自身の作品に俳優として出演もする。アカデミー脚本賞カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞している。日本での愛称:タラ、タラちゃん。

目次

経歴編集

幼年期 - 青年期編集

タランティーノはテネシー州ノックスビルで生まれた。母親は看護師のコニー・ザストゥーピル(旧姓マクヒュー/McHugh)、父親はニューヨーククイーンズ生まれの俳優であり音楽家でもあるトニー・タランティーノ[2][3]。タランティーノの父はイタリア系アメリカ人、母親はアイルランド系アメリカ人チェロキー族の血も引いていた[4][5][6]。母親は僅か16歳で未婚のままタランティーノを生み、彼が生まれてから間もなく音楽家のカーティス・ザストゥーピル(Curtis Zastoupil)と結婚[7]。以来、タランティーノは実父には一度も会った事がないという[8]。母親も大の映画マニアで、一緒に映画を見て育つ。

1971年、タランティーノ一家はロサンゼルスのサウスベイ地区、エルセグンドに引っ越し、タランティーノはそこでホーソン・クリスチャン・スクール(Hawthorne Christian School)に通った。14歳の時、最初の脚本『ジ・アメージング・アドベンチャー・オブ・ミスター・リー』(The Amazing Adventures of Mr. Lee)を書く。16歳の時にハーバー・シティーのナーボン高校(Narbornne High School)を中退し、ジェームス・ベスト(James Best)劇団に加わり演技を学んだ。このときの経験は後の監督脚本家俳優人生において大きな意味を持つことになった。

22歳の時にマンハッタン・ビーチのビデオショップ「マンハッタン・ビーチ・ビデオ・アーカイブ」(Manhattan Beach Video Archives)の店員となり、ロジャー・エイヴァリーや客と様々な映画について語る日々を過ごす[9]

映画への取り組み編集

 
第82回アカデミー賞にて女優ダイアン・クルーガー

ハリウッドのパーティでローレンス・ベンダーに出会い、脚本を書くように勧められる。タランティーノは1987年に『My Best Friend's Birthday』という作品を監督し、共同で脚本も書いている。この作品はラボでの編集中に火災で危うく失われるところであったが、この作品が後の『トゥルー・ロマンス』(トニー・スコット監督)の元ともなった[10]

タランティーノは『レザボア・ドッグス』で脚本家・映画監督としてデビューした。脚本が米映画俳優のハーヴェイ・カイテルに認められ、彼の出演とプロデュースを受けて[11]カンヌ国際映画祭にも出品され、カルト的ヒットとなった。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭でも南俊子賞(批評家賞)を受賞、映画祭期間中に次回作『パルプ・フィクション』を執筆。

世界的にも配給されタランティーノはデビュー作にして注目されることとなる。監督二作目『パルプ・フィクション』では早くもカンヌ国際映画祭・パルム・ドール(最優秀作品賞)を始め数々の賞に輝き、米アカデミー賞脚本賞も受賞、新しい米映画の旗手として認知されるに至った。エルモア・レナード原作の『ジャッキー・ブラウン』では、深みのある演出が評価された。

1998年には舞台『暗くなるまで待って』に俳優として出演[12]。一時期沈黙したが、『キル・ビル Vol.1』『キル・ビル Vol.2』で復活した。 2004年度カンヌ国際映画祭の審査委員長を務めた。

新作『ヘイトフル・エイト』脚本流出問題と再スタート編集

2014年、最新作として『ヘイトフル・エイト』を制作するつもりで準備を進め同年の夏に撮影開始を予定していたが、同年1月に脱稿した脚本が何者かの手によって外部に流出。これをデジタルデバイスで読める形式にしたファイルがネット上に不法アップロード、そのリンクを米国ネット系メディア「ゴーカーメディア」が一般に公開してしまうという負の連鎖が発生してしまった[13]。その後、タランティーノは「ゴーカーメディア」をロサンゼルス連邦地裁に告訴請求、一旦『ヘイトフル・エイト』の制作は白紙にし、2014年4月19日ロスアンゼルスでカート・ラッセルティム・ロスサミュエル・L・ジャクソンブルース・ダーンマイケル・マドセン等をキャストに招き、1200人の聴衆を集め、朗読会を開催した[14]。その後、映画化に向けて脚本を書き直す意思を明らかにし、2014年12月8日、米国コロラド州でクランクインが決定した。出演者には朗読会に参加したキャストの他、ジェニファー・ローレンスの名も候補に挙がっている[15]

映画人として編集

作風編集

レンタルビデオショップ店員時代に、大量の映画に埋もれ働きながら脚本を書いた。この当時に培った映画の知識が、後の映画制作に役立っている。主にアジアを中心としたマニアックな映画・日本のアニメ・音楽に精通している。シネフィルを自称する。

タランティーノの作風は、自身の映画趣味が随所に見受けられる。パロディオマージュ・引用のほか、千葉真一パム・グリアなどタランティーノが熱狂的なファンである俳優を出演させている。グリア主演の『ジャッキー・ブラウン』を製作したが、原作者の作家であるエルモア・レナードを敬愛、小説を愛読し、電話で会話した際には「俺はあなたの小説を映画化するために監督になった」と言った。[要出典]

「意味のない話」を延々と続ける演出が特徴で、2007年の『デス・プルーフ in グラインドハウス』では、それがストーリーの半分を占めている。

インタビューで「現実とは関わりのないポストモダンで自己言及的、他からの引用にあふれたアートを作っており、一種のフォルマリズム的ゲームをしているだけなのでは」というのに対して、関心はつねに「ドラマとして魅力的な物語を語る」ことにあると答えている[16]

徹底したアナログ主義で、CGに関しては「他人のCG映画は嫌いじゃないが自分の映画では使いたくない」と公言している。ただし、盟友のロバート・ロドリゲスが手がけた『シン・シティ』の一部シーンを監督した際には、「CGの利点も知ってほしい」というロドリゲスの意図を汲み、初めてのCG合成の演出に臨んでいる。

 
キル・ビルで起用した女優ユマ・サーマン

製作会社編集

彼の映画製作会社「A Band Apart」は彼自身の映画を製作するほか、長年埋もれていた中国のB級アクション映画を米国内で配給するなどしている。この社名は彼の偏愛するジャン=リュック・ゴダール監督による1964年の映画『はなればなれに』(原題: Bande à part)にちなんでいる。

私人として編集

映画製作に携わるようになって以降も、いちファンとしての映画鑑賞意欲は衰えず、毎年数多くの映画を視聴している。気に入った映画には声を大にして賞賛を送り、またそれらを自分の中でランク付けすることを趣味としている。このランキングのいくつかは雑誌に掲載されたり、ファンサイト等を通じて一般にも広く公開された。

作品編集

監督編集

長編映画編集

公開年 邦題 原題
1992年 レザボア・ドッグス Reservoir Dogs
1994年 パルプ・フィクション Pulp Fiction
1997年 ジャッキー・ブラウン Jackie Brown
2003年 キル・ビル Vol.1 Kill Bill: Vol. 1
2004年 キル・ビル Vol.2 Kill Bill: Vol. 2
2007年 デス・プルーフ in グラインドハウス Death Proof
2009年 イングロリアス・バスターズ Inglorious Bastards
2012年 ジャンゴ 繋がれざる者 Django Unchained
2015年 ヘイトフル・エイト The Hateful Eight

その他編集

公開年 邦題 原題
1987年 マイ・ベスト・フレンズ・バースデー(未公開) My Best Friend's Birthday
1995年 フォー・ルームス(4話からなるオムニバスの第4話「ハリウッドから来た男」) Four Rooms (segment "The Man from Hollywood")
ER緊急救命室(第1シーズン 第24話「母親」) ER(Season 1; Episode 24: "Motherhood")
2004年4月20日 ジミー・キンメル・ライブ! Jimmy Kimmel Live
2005年 CSI:科学捜査班シーズン5(CSI"12時間"の死闘 [前・後編]) CSI: Crime Scene Investigation ("Grave Danger: Vols. I & II")
シン・シティ(特別ゲスト監督) Sin City

脚本編集

出演編集

製作(監督作品以外)編集

その他編集

受賞編集

書籍編集

CM編集

  • 関西デジタルホン(現・ソフトバンク)にて、千葉真一と共演。「シャベリタランティーノ」というダジャレコピーがキャッチフレーズで、いかなる状況においても延々と電話でしゃべり続ける男を演じた。
  • ソフトバンクモバイルの白戸家シリーズCMに出演(2009年11月10日以降)、数度のブランド変更を経てのCM復帰となった。

エピソード編集

脚注編集

  1. ^ Quentin Tarantino Biography (1963–). Advameg, Inc. http://www.filmreference.com/film/96/Quentin-Tarantino.html 2012年8月20日閲覧。. 
  2. ^ Quentin Tarantino Biography (1963-)”. filmreference.com. 2008年1月9日閲覧。
  3. ^ トニーが22歳の時に生まれたのがクエンティンだが、実の息子を見ずに離婚。この2人は一度も顔を合わせたことがない。クエンティンが30歳の時に突然、トニーは息子にコンタクトを取ろうとしたが、「30年間も時間があったのに、アイツは一度として俺に電話をよこさなかった。俺が有名になった今頃、連絡を取ろうとあさましい根性が気に食わない」と、日本の雑誌に語っている。40年以上経った今も本人は無視し続けている[要出典]
  4. ^ Faces of the week”. BBC (2004年5月14日). 2008年10月17日閲覧。
  5. ^ “3 Quentin Tarantino”. Entertainment Weekly. (1994年12月30日). http://www.ew.com/ew/article/0,,305084,00.html 
  6. ^ “The Man and His Movies”. New York: Harper Perennial. pp. pg. 12. ISBN 978-006095161-0 
  7. ^ 継父の人脈はのちのタランティーノにとって大きな強みとなった。
  8. ^ Quentin Tarantino interview: 'All my movies are achingly personal'”. 2015年7月16日閲覧。
  9. ^ Strong, Danny (2003年5月19日). “An Interview with Danny Strong”. IGN.com. http://movies.ign.com/articles/403/403660p1.html 2008年10月23日閲覧。 
  10. ^ My Best Friend's Birthday (1987) - Trivia - IMDb
  11. ^ Keitel heard of the script through his wife, who attended a class with Lawrence Bender (see Reservoir Dogs special edition DVD commentary)
  12. ^ Wait Until Dark (1998)” (英語). Internet Broadway Database. 2011年6月24日閲覧。
  13. ^ タランティーノ監督、脚本が流出 新作は白紙に”. 朝日新聞デジタル. 2014年1月28日閲覧。
  14. ^ クエンティン・タランティーノ新作脚本朗読会に1200人”. 映画.com. 2014年4月22日閲覧。
  15. ^ ‘The Hateful Eight’ Shoots in Colorado in December”. Film Blogging the Reel World. 2014年9月29日閲覧。
  16. ^ スチュアート・シム(『ポストモダンの50人』青土社 2015年p.297)。
  17. ^ 作品賞は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』!ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞発表”. シネマトゥデイ (2015年12月2日). 2015年12月2日閲覧。
  18. ^ “【ELLE】クエンティン・タランティーノ、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ行為を黙認していた!|エル・オンライン”. ELLE ONLINE. http://www.elle.co.jp/culture/celebgossip/cnews_quentin-tarantino17_1020 2018年6月10日閲覧。 
  19. ^ “Opinion | This Is Why Uma Thurman Is Angry” (英語). The New York Times. (2018年2月3日). ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/2018/02/03/opinion/sunday/this-is-why-uma-thurman-is-angry.html 2018年6月10日閲覧。 
  20. ^ “Busy Philipps recalls audition with Quentin Tarantino after controversial comments resurface” (英語). The Independent. https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/busy-philipps-quentin-tarantino-audition-director-roman-polanski-abusive-women-uma-thurman-a8198531.html 2018年6月10日閲覧。 
  21. ^ “「キル・ビル」ショックの余波でタランティーノ監督が15年前の失言を謝罪 : 映画ニュース - 映画.com” (日本語). 映画.com. https://eiga.com/news/20180212/9/ 2018年6月10日閲覧。 

関連項目編集

関連文献編集

外部リンク編集