NHK紅白歌合戦 > 第29回NHK紅白歌合戦

第29回NHK紅白歌合戦』(だいにじゅうきゅうかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1978年昭和53年)12月31日NHKホールで行われた、通算29回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHK生放送された。

第29回NHK紅白歌合戦
会場のNHKホール
ジャンル 大型音楽番組
製作
制作 NHK
放送
音声形式ステレオ放送[1]
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1978年12月31日
回数NHK紅白歌合戦第29
NHK紅白歌合戦公式サイト
テンプレートを表示
第29回NHK紅白歌合戦
ジャンル 大型音楽番組
放送方式 生放送
放送期間 1978年12月31日
放送時間 1978年12月31日
放送局 NHKラジオ第1
公式サイト 公式サイト
テンプレートを表示

出演者

編集

司会者

編集
森は16年ぶり2度目、山川は7年連続7度目(白組司会は5年連続5度目)、相川は4年連続4度目の担当。
前回まで4年続いた佐良直美と山川のコンビは「さすがにマンネリ」との声が上がったため紅組司会が交代することとなり、小柳ルミ子や浅茅などが候補に挙がる中、前々年まで日本レコード大賞の司会を務めていた森が16年ぶりに司会に復帰した[3]

出場歌手

編集

      初出場      返り咲き

紅組 白組
曲順 歌手 曲順 歌手
1 榊原郁恵 夏のお嬢さん 2 郷ひろみ 6 バイブレーション(胸から胸へ)
3 岩崎宏美 4 シンデレラ・ハネムーン 4 平尾昌晃 4 カナダからの手紙
畑中葉子
5 石川さゆり 2 火の国へ 6 狩人 2 国道ささめ雪
7 研ナオコ 2 かもめはかもめ 8 野口五郎 7 グッド・ラック
9 芹洋子 坊がつる讃歌 10 角川博 許してください
11 桜田淳子 5 しあわせ芝居 12 西城秀樹 5 ブルースカイブルー
14 庄野真代 飛んでイスタンブール 13 ツイスト あんたのバラード
16 サーカス Mr.サマータイム 15 さとう宗幸 青葉城恋唄
18 渡辺真知子 迷い道 17 原田真二 タイム・トラベル
20 佐良直美 12 愛の消しゴム 19 加山雄三 5 海 その愛
22 中原理恵 東京ららばい 21 新沼謙治 3 北挽歌
24 高田みづえ 2 花しぐれ 23 細川たかし 4 港夜景
26 和田アキ子 9 コーラス・ガール 25 千昌夫 6 北国の春
27 水前寺清子 14 肥後の駒下駄 28 フランク永井 22 公園の手品師
29 太田裕美 3 ドール 30 内山田洋とクール・ファイブ 7 さようならの彼方へ
31 西川峰子 4 東京ラブ・コール 32 菅原洋一 12 恋歌師
33 青江三奈 12 ふられぐせ 34 春日八郎 20 さよなら宗谷
35 八代亜紀 6 故郷へ・・・ 36 五木ひろし 8 熱愛
37 小柳ルミ子 8 雨・・・ 38 北島三郎 16 与作
39 森昌子 6 彼岸花 40 三波春夫 21 さくら日本花の旅
41 由紀さおり 10 トーキョー・バビロン 42 布施明 12 めぐり逢い紡いで
43 島倉千代子 22 りんどう峠 44 村田英雄 17 人生劇場
45 都はるみ 14 なんで女に 46 森進一 11 きみよ荒野へ
47 山口百恵 5 プレイバック Part2 48 沢田研二 6 LOVE(抱きしめたい)
  • この年は例年と比べて演歌系のセールスが低調であったことから、5月の段階でニューミュージック系の歌手を多数出演させる方針であることが明らかになる。この時点で、世良正則とツイスト、原田真二、渡辺真知子らが早くも出場内定となった[4]
  • 前回の出場歌手の中より今回不選出となった歌手は以下。
  • 歌手発表が迫った11月1日、この年大ヒットを連発したピンク・レディーが出場辞退を発表、紅白辞退の記者会見を行った。この一連の紅白辞退騒動は波紋を呼び、翌年以降の海外挑戦も含め、結果的にピンク・レディー人気の大きな分岐点となった。所属芸能事務所サイドの説明によれば、前回の紅白で本番前にケイが盲腸炎で手術して出場が危ぶまれた時に、NHKにせっつかれた時のその態度に立腹し、「もう1年、トップスターにしっかり君臨して来年ははじめから出場を断ってやろうと考えていた」とのこと。増田恵子によると事務所側が辞退し、辞退の理由を述べるために「記者会見をやらなくちゃいけなくなって」、「辞退したら大変なことになるっていうのは分かってたんですけど」とのちに述べている[5]。大晦日は裏番組『ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!』(日本テレビ系列)に出演となった[6]
  • 古賀政男(当年7月25日没)の追悼として、古賀メロディを数多く歌っていた美空ひばりを紅白に復帰させるべく、「花のステージ」、「ビッグショー」などにひばりを出演させていたが、結局「(紅白歌合戦は)卒業した気持ちだ」と辞退[7]
  • 演歌系の低調はこの年いっぱい続き、ベテランのいしだあゆみ、ちあきなおみ、三橋美智也らが落選した[3]。三橋はこの年『電撃わいどウルトラ放送局』(ラジオ関東)でDJを務め若者に人気が出たが、及ばなかった[8]。また、増位山太志郎が「そんな女のひとりごと」で演歌系では珍しくヒットしたが、出場には至らなかった[8]
  • アリスについては、所属レコード会社・東芝EMIは出場を望んでいたが、メンバー自身および所属事務所・ヤングジャパン社長・細川健の意向により出場を辞退した[9][注釈 4]
  • 出場歌手の発表は11月21日であったが、江川事件と日程が被ってしまったためスポーツ新聞での扱いは例年より小さかった[8]

演奏

編集

審査員

編集

主なゲスト出演者

編集

当日のステージ

編集
  • 紅白初のテレビでのステレオ放送開始[注釈 5][1]。以後、全てステレオ放送。
  • 前回の「方向幕による対戦表示」に替わり、今回は両軍の歌手席の前にプラカード立てが設置され、それに「周囲の一部に組の色の縁取りと星」・「上に組名、下に歌手名」で構成されたプラカードを差し入れる様にした。また一部の対戦では、「上に自軍の歌手」・「VS」・「下に相手歌手」で構成された対戦プラカード(たとえば紅組なら「紅組歌手」「VS」「白組歌手)を、ラウンドガールよろしく出場歌手代表に持たせて表示されるという事も行った。
  • ニューミュージックコーナー」が設けられ、庄野から原田までが6組立て続けに披露した。
  • 佐良の歌唱前、森光子は「去年も一昨年も昨一昨年もその前も紅組の司会、本当に御苦労様でございました」「あなたの作り上げてくださった紅組のチームワークに守られて帰り新参の私も頑張っております」と感謝のメッセージを述べた。
  • 古賀政男の追悼ステージは、島倉千代子村田英雄が行った。
  • 前述のとおり、演歌が不作であったことから、企画の段階からの今回のトリは人気No.1のポップス系歌手で、という方針は固まっていた。また、ピンク・レディーの裏番組出演に対抗する意味も込めて[10]、山口百恵と沢田研二の対決となった。
  • 山口百恵の「プレイバックPart2」では、商品名の「ポルシェ」がNHKの規制に抵触する可能性があったが[注釈 6]、元詞通り歌った。庄野真代の「飛んでイスタンブール」でも、商品名の「ジタン」が同様の規制に抵触する可能性があったが、こちらも元詞通り歌った[11]。なお、当時山口百恵は19歳で、10代の歌手がトリを担当したのはこの1回のみである。
  • 沢田は大トリ担当を「俺はアーティストとして、自分の歌を歌い切りたい。出演者全員が並ぶ前で歌うのは、茶化されるようでどうしても嫌」と嫌ったという[12]
  • 白組が優勝(通算14勝15敗)。審査員の山本浩二から山川に優勝旗が授与された。なお審査員の代表による授与は今回で一旦区切りとなり、翌年の第30回以降は再び大会委員長であるNHK放送総局長が行う形となる(第55回2004年)まで)[注釈 7]
  • 現存するVTRには実況音声が録音されていない。

後日譚

編集
  • 1993年と1999年に『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された。
  • 今回以前の再放送時は映像・音声が乱れる場合がある旨が表示されるが、今回以降の再放送時からステレオで放送されたためか、番組内の注意書きで映像が乱れる場合がある旨を伝えている。

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 当年4月4日限りで解散・芸能界引退。
  2. ^ 下記の出場辞退により。
  3. ^ 学業専念のため、当年10月限りで引退(それから13年後の1991年第42回NHK紅白歌合戦へ復帰出場)。
  4. ^ メンバーの谷村新司堀内孝雄は後年ソロで出場した他、アリスとしては2000年の再結成時に初出場。
  5. ^ この時ステレオ放送で放送されたのは、既に音声多重放送を開始していた、東京・大阪地区のみ。更に大阪放送局に於いては、この番組が初のネット受けによるステレオ放送となった。(その後は、ステレオのネット受け回線が正式に開通する翌年8月8日まで、それによるステレオ放送はなかった。)
  6. ^ レッツゴーヤング』、『ヤング歌の祭典』などでは、「ポルシェ」を「クルマ」に変えて歌っていた。
  7. ^ 審査員の代表による授与は第57回2006年) - 第70回2019年)で復活するも、第71回2020年)は総合司会の内村光良第72回2021年)以降は優勝旗授与自体が行われていない。

出典

編集
  1. ^ a b NHKクロニクル「第29回NHK紅白歌合戦」(1978年12月31日)
  2. ^ 「〝紅白歌合戦〟の名案内人・山川静夫 / 佐藤有」『映画情報』第44巻第2号、国際情報社、1979年2月1日、52 - 53頁、NDLJP:2343739/52 
  3. ^ a b 合田, p. 131.
  4. ^ 合田, p. 129.
  5. ^ 増田恵子 紅白断ると楽屋が物置並みに - デイリースポーツ 2016年1月22日
  6. ^ 合田, pp. 130–131.
  7. ^ 合田, pp. 129–131.
  8. ^ a b c 「ニューミュージック躍進 三橋美智也落選 "売り物"なき紅白でささやかれる出場歌手選考の問題点」『サンデー毎日』1978年12月10日号、162-163頁。
  9. ^ 『読売新聞』1978年12月9日付夕刊、3頁。
  10. ^ 太田省一『紅白歌合戦と日本人』、172頁。
  11. ^ 紅白秘話 「ポルシェ」とそのまま歌うと事前発表していた”. NEWSポストセブン. p. 1 (2020年12月31日). 2023年1月5日閲覧。
  12. ^ 『週刊FLASH』2018年1月2・9日合併号

参考文献

編集
  • NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)
  • 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』全音楽譜出版社、2012年12月15日。ISBN 978-4-11-880178-0 

関連項目

編集

外部リンク

編集