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島倉千代子

日本の演歌・歌謡曲歌手

島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年昭和13年)3月30日 - 2013年平成25年)11月8日[2])は、日本演歌歌謡曲歌手東京府東京市(現・東京都品川区北品川出身[3]日本音楽高等学校卒業。愛称は「お千代さん」。

島倉 千代子
しまくら ちよこ
別名 お千代さん
生誕 (1938-03-30) 1938年3月30日
出身地 日本の旗 日本東京府東京市品川区
死没 (2013-11-08) 2013年11月8日(75歳没)
学歴 日本音楽高等学校卒業
ジャンル 演歌 歌謡曲
職業 歌手
活動期間 1954年 - 2013年
レーベル 日本コロムビア[1]

目次

略歴編集

デビュー以前編集

1938年3月、品川区北品川に警察官の父・島倉壽雄としお、母・ナカの二男四女の四女として生まれる。

1945年(7歳)、長野松本市疎開。両親の実家がある群馬県桐生市にも半年間、疎開していた事がある。井戸から水を運ぶ途中に転倒、水の入ったビンを割り、左手首からひじまでを負傷。母・ナカが「女の子だから(腕を)残して欲しい」と医師に懇願し、切断は免れたが47針を縫い[4]、感覚も無く、動かすこともできなくなる(後に不自由ながらも動かすことができるようになる)。この時の輸血がのちに千代子が患ったC型肝炎の遠因となった。気持ちの沈んだ千代子のために母・ナカは『リンゴの唄』を聞かせるようになる。後に『この世の花』で歌手デビューを遂げた千代子だが、『この世の花』の作曲は『リンゴの唄』の作曲と同じく万城目正によるもの。

1947年(9歳)、東京に戻る。姉の敏子は歌唱力があったが小児麻痺を患っていたために歌手にはなれなかった。大好きな姉のために自分が歌手になると決意。敏子により声楽を学び、近所の「若旦那楽団」に入団。左手に負担の無いアコーディオンを担当。歌唱力があったためボーカルにも起用されていた。地元の品川神社で催されたのど自慢大会には毎回姉妹で参加していた。

1949年3月、童謡『お山のお猿』がテイチクレコードから発売される。ただし誤植(レコード会社の社員によるミスとされている)により「戸倉千代子」名義となってしまったため、「島倉千代子」のデビュー作とはならなかった[5]

1950年代編集

1953年(15歳)、品川区の日本音楽高等学校へ入学。歌謡コンクールにも積極的に参加するようになる。1954年コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、同社と専属契約。

1955年3月[6](16歳)、本名「島倉千代子」で歌手デビュー。デビュー曲『この世の花』(同名の映画の主題歌)は半年後に200万枚達成、人気歌手になる(後にテレビドラマでカバーされ、1977年に同名の映画の2作目で再度カバーされる)。1955年23曲、1956年34曲、1957年37曲、1958年33曲と驚異的な速さで新曲を発表。

1957年(19歳)、『東京だョおっ母さん』が150万枚のヒット。映画化もされ、自ら主演する。この年初めてNHK紅白歌合戦に初出場(曲目は『逢いたいなァあの人に』。その後、1976年、1979年にも歌唱)、1歳年長で憧れの美空ひばりと競演してその後生涯にわたり実妹のように可愛がられるようになる。当時大卒サラリーマンの給料が1万円であったが、千代子は常に財布に2千円入っていた。この年の3月、島倉を殺害しようとした16歳の無職少年が逮捕される[4]

1958年(20歳)、港区高輪(北品川の隣町)に一戸建てを購入。同年には『からたち日記』が130万枚のヒットとなった。

1960年代編集

 
島倉千代子の墓碑の背面

1960年(22歳)、美空ひばりと一緒に『つばなの小径・白い小ゆびの歌』を発表。同年、ひばりを抑えて初めて紅白の紅組トリを務める(1960年から1962年、1973年から1975年の計6回に渡り紅組トリを務める。1975年は唯一の大トリ)。

1961年(23歳)、ファンの投げたテープが両目に当たって失明の危機に陥る[4]。このとき、品川区五反田「守屋眼科」の医師・守屋義人の助けで視力を回復。

1962年(24歳)、何者かによって後援会事務所に爆発物が送りつけられ、負傷者が出る(草加次郎事件[4]

1963年(25歳)、父・壽雄が他界。悲しみにくれる中、支えてくれた元阪神タイガース藤本勝巳と母親の反対を押し切り結婚。結婚前に妊娠したが中絶、結婚後も二子をもうけたが中絶した[7]。後年、この三人の子を合わせて「忍」と名付け、その名を小さな地蔵に付けて肌身離さず持ち歩いた。忍の名は、島倉の墓碑にも千代子と並んで刻まれている[8]

1968年(30歳)、「泣き節」を売り物としていた彼女にとり異色の作品である『愛のさざなみ』が幅広い世代の間でヒット。この曲で第10回日本レコード大賞・特別賞を春日八郎と共に受賞。すれ違いの多い生活により別居を経て離婚。家族の元に戻るも反対を押し切って結婚したために門前払いされ、自分だけの戸籍を作る。

1970年代編集

1972年(34歳)、母・ナカが脳軟化症により他界。

1975年(37歳)、以前かかった眼科医に頼まれ実印を貸してしまう[7]。その知人だけではなく、島倉が知らない間にマネージャーや全く面識のない赤の他人まで多数の人々の保証人にされてしまう。島倉を保証人に借金を重ねた人々はその後行方不明になり、その借金が雪だるま式に膨らんでいき当時総額16億円といわれた莫大な借金を抱える。後に美空ひばりから「実印は貸すな」と注意を受けたという(ひばり自身も実印を押してしまった経験を持つため)。

1977年(39歳)、今度は島倉に信頼され、島倉に手形裏書をさせていた守屋義人が事業に失敗して、不渡り手形を出し蒸発。島倉は借金の連帯保証人にされ、これにより更に2億4000万円(当時判明分)の債務を負う。20億近くもの莫大な借金返済のため、写真集の発売や全国各地のキャバレー回りや地方興行などをしながら、足掛け7年程で完済した。このような活動をしている最中でも島倉の人気は全く衰えを知らず、NHK紅白歌合戦の連続出場記録は続く。

1980年代編集

1984年(46歳)、歌手生活30周年を迎える。

1986年(48歳)、第37回NHK紅白歌合戦で紅白歌合戦への30年連続30回出場を達成。当時の紅白史上最多記録だった。

1987年(49歳)、『人生いろいろ』を発表。「30回という区切りを大切にしたい」と“紅白辞退”の記者会見を行い、紅白連続出場記録は30回でストップ。出場辞退表明の記者会見で若手記者から「結局、落選するのが怖かったということですか」と辛辣な質問をされ、「その通りです」と返答した[9]。『紅白50回』のインタビューで本人は「辞退は前年の時点で決めており、前回身に纏った白色の着物はその表れだった」「ここ数年紅白に出られるか出られないかで不安だった。もし落選したらショックで歌えなくなると思った。そのため、余力のあるうちに辞退しようと思った」と語った。島倉は出場辞退をこの年発売の『人生いろいろ』の作曲者で当時療養中の浜口庫之助に報告したところ、「紅白で『人生いろいろ』が聞けないのか」と返されたことを明かしている[10]

1988年(50歳)、『人生いろいろ』が前1987年からこの年にかけて130万枚の大ヒットを記録。当時の人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」での山田邦子コロッケによる物真似をきっかけに『人生いろいろ』が若者にも受け、再びブレークする。同年の第30回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞。100万枚記念パーティーでは、山田とコロッケが本人の目の前で、島倉の物真似による『人生いろいろ』を歌唱。これに対し島倉は、「山田邦子さんとコロッケさんのおかげで、『人生いろいろ』が若い方にも親しまれるようになり、光栄です」と二人を賞賛する。同年末の第39回NHK紅白歌合戦に2年ぶり31回目の復帰出場となる。この復帰出場に対しては「一度降りたのに」と批判の声も上がった。出演を決めた背景には当時療養中だった浜口[11]に「歌う姿を見て元気になって貰いたい」との思いがあったためである[12]。借金返済の目処がたつ。姉の敏子が目黒川で投身自殺[4][13]

1989年5月(51歳)、美空ひばりが52歳の若さで間質性肺炎による呼吸不全で他界。自身の後援会で愛知県に滞在中に訃報を聞いた島倉はその後のスケジュールを切り上げて目黒区青葉台のひばり邸に駆けつけ、息子の加藤和也に頼み3日間ひばりのそばに張り付いて離れなかったという。

1990年代編集

1993年(55歳)、初期の乳癌であることが判明。芸能人で会見を開き、自ら癌であることを発表したのは島倉が初めてだった。手術は成功する。ライブハウスなど歌謡曲の枠をはみ出して活動。

1999年(61歳)、歌手生活45周年を迎える。45周年コンサートではタキシードで全国を廻る。ベストジーニスト賞を受賞。同年、紫綬褒章を受章した。

2000年代編集

2004年(66歳)、歌手生活50周年を迎える。第55回NHK紅白歌合戦に生涯最後となった35回目の出場を果たす(当時の紅組史上最多記録)。

2007年(69歳)、事務所のスタッフに資産を奪われ再び多額の借金を抱える[14]。同じ過ちを犯すのは自分のせいと責任を感じ、自らの誕生日に事務所を解散。しかし周りの協力により心機一転スタートすることになり、経理も全部自分でやるために簿記を勉強。同年、映画『ララ、歌は 中山晋平物語』にナレーターとして出演し、中山晋平の世界を表現した。また藤商事からパチンコ機種『CR島倉千代子の千代姫七変化』が発表され、全国のパチンコ店に導入された。

2008年(70歳)、『人生いろいろ』が出身地である品川区の京浜急行電鉄青物横丁駅の電車接近メロディに採用される。このニュースを聞きつけた島倉自身が2009年1月、青物横丁駅を訪れて実際に流れる駅メロに耳を傾けた。そして京浜急行電鉄に宛てて後日、礼状を改めて送付したという[15]

2009年(71歳)、歌手生活55周年を迎える。

この頃、大分県を本拠地として九州各地で営業するリフォーム会社・野田建工のテレビコマーシャルに着物姿で出演していた。なお、野田建工は求人雑誌に大きなカラー広告を多く掲載しており、島倉の写真を求人情報誌で見ることができた。

2010年代・死去編集

 
東海寺の墓碑。
後ろにはカラタチが植えられている

持病の慢性肝炎が進行していた中で2010年12月に肝臓癌を発症したことが判明、手術・入退院を繰り返していた[16]。肝臓癌発症はごく少数の関係者にしか打ち明けていなかった。その間、3度の肝動脈塞栓術を受けたが、2013年前半には肝硬変に至っていた。同年3月30日、75歳の誕生日にはコロムビアレコードの100周年を記念し復活したイベント「コロムビア大行進2013」に出演し、数千人の聴衆を前にトークを交えながら『人生いろいろ』など数曲を歌った[17]。同年5月から仕事をセーブするようになり、同年6月21日、宮崎県延岡市で開催したコンサートが生涯最後のステージとなった[18]。同年6月、日本テレビ1番ソングSHOW」の取材を受けた(生涯最後のテレビ取材となった)。同年9月14日にブログを更新した(最後の更新)。

2014年のデビュー60周年に向け、復帰への意欲は衰えずに持ち、死去3日前の2013年11月5日に自宅で記念曲『からたちの小径』を録音した[19]。レコーディングは当初、11月15日に行う予定だったが、島倉自身から「その日まで待てない」と関係者に連絡を入れて11月5日に急遽吹き込みが行われた[19]。同曲の作曲を担当し、レコーディングにも立ち会った南こうせつは「(島倉の具合から)1回位しか歌えないかと思ったが、3回も歌われた。奇跡の歌声だった」と語った[19]。翌6日には入院先の島倉本人が南へ電話をかけ、感謝の意を伝えたという[19]。なお、同曲は四十九日にあたる12月18日にシングル発売された[20]。同曲は遺作となったが、「来年発売の記念CDボックスに入れたい」と関係者は語っていた[21]

同年10月中旬に一時退院したが、同年11月6日、「体調が悪いので来てほしい」と自宅からスタッフに電話して中目黒東京共済病院に再入院。翌々日の2013年11月8日朝に容体が急変。午後、東京共済病院の病室にて所属事務所の女性スタッフに看取られ、眠るように息を引き取った[22][2]。満75歳没(享年76)。周囲の関係者にはあらかじめ、通夜は密葬とし、香典は断るように伝えていた。

島倉の訃報を受けて内閣官房長官菅義偉[23]を始め、北島三郎[24]五木ひろし[25]細川たかし[26]氷川きよし[27]水前寺清子[28]大月みやこ[29]都はるみ[30]八代亜紀[31]小林幸子[32]森昌子[33]など島倉を敬愛していた後輩の演歌歌手達、またコロッケ[34]山田邦子[35]らものまねタレントも追悼のコメントをそれぞれ発表した。

島倉の死去から6日後の2013年11月14日、葬儀が南青山青山葬儀所で営まれた。会場には、『からたちの小径』の録音後に涙声で次の言葉を語る、島倉の生涯最後となる肉声テープが流された[36]

「私の部屋の中にスタジオができて、そこで私はできる限りの声で歌いました。自分の人生の最後に、二度と見られない風景を見せて頂きながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした。人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」

また告別式では、島倉に憧れて演歌歌手となった石川さゆりが代表として「本当に寂しいです。もっともっと、お元気で歌っていて欲しかった。優しく、時に厳しく、叱ってくれる人が、居なくなってしまいました…」「これからも、私達後輩を、空高くから見守っていて下さい」と、涙で時折言葉を詰まらせながら弔辞を読んだ[37][38]

同年12月31日第64回NHK紅白歌合戦では石川の『津軽海峡・冬景色』の歌唱前に島倉の追悼コーナーが設けられた。当初、番組側は石川に島倉の持ち歌である『東京だョおっ母さん』や『人生いろいろ』の歌唱を要請していたが、石川が「島倉さんとは親しいですが、都はるみさんや五木ひろしさんなど、自分よりも仲の良かった先輩歌手がいるのに、そんな出しゃばった真似はできない」とその打診を断ったとされる[39]

戒名は寳婕院千代歌愛大姉。故郷・北品川の臨済宗東海寺大山墓地に生前に建てていた墓に眠る[8]

エピソード編集

島倉千代子と地方との結びつき編集

島倉は、地方小唄や音頭といった新民謡を数多くレコードに吹き込んでいた。それらの中には、『松井田小唄』『祇園まつり音頭』『七夕おどり』など地元の人以外にも広く親しまれ、全国的によく知られた歌もある。それぞれの地元では、大スターである島倉がレコードに吹き込んだこともあって、親しまれている場合が多い。当時の音源を祭りの際に使用し続けているところもある。

また、仙台市の『ミス仙台』(二葉あき子のカバー)や、大阪市の『小鳥が来る街』などといった、地方の愛唱歌の類もレコードに吹き込んでいる。また、民謡で『祖谷の粉ひき節』『島原の子守唄』『五木の子守唄』などをレコードに吹き込み、ヒットさせている。

美空ひばりとの秘話編集

7歳の時の怪我で左手が不自由になって以来、引きこもりがちとなった島倉には友達が一人もいなかった。そんな彼女が夢中になったのが1歳年長の美空ひばりである。アルバイトをしてはひばりのコンサートに行く、追っかけとなった。

1953年の落選を経て、1954年憧れのひばりが所属するコロムビアレコードのコンクールに合格。しかし既に大スターだったひばりにはなかなか会えなかった。

1961年、それまではひばりが不動の1位だった雑誌『明星』のファン投票で島倉が1位となってからは、ますますひばりに会う機会が失われていく。「ひばりさんが出る番組には島倉は出られない。という空気が築かれていた」と島倉自身が語っている。

周囲の仲間たちがひばりと交友関係を築いた後も、島倉はひばりとは歌番組などの仕事で共演はしてもプライベートでは交流することはなかった。両者とも親しかった和田アキ子は島倉に「今度、一緒にひばりさんに会おう」と誘ったが「恐れ多くて…」と遠慮していたという。

1984年2月2日、長年憧れながらもひばりとの距離が縮められずにいた島倉に思わぬ出来事が起こる。コロムビアレコード主催で島倉のデビュー30周年記念パーティーに今まで一度も飛び入り出演をしたことがなかったひばりが島倉やコロムビアレコードの役員や関係者などに一切連絡もなく島倉に手渡す花束を持参して一人でパーティー会場へ突如やってきたのである。驚きと嬉しさで涙が止まらない島倉にひばりは「これからは人に騙されない人生を送って欲しい。私は実印は絶対離しません」と述べ会場の笑いをとっていた。

その頃、ひばりは自身を深く理解してくれる家族を相次いで亡くしており、今一番に自身を理解できるのは妹分の島倉かもしれないと考えていたという。2人には共通点が多々あったからである。同学年で若くしてスターになり、ファンに塩酸をかけられ負傷したひばりとファンが投げたテープがあたり失明の危機に陥った島倉。離婚経験、金銭トラブル、家族の死、そして歌への熱意。

翌年の3月3日毎年極親しい女友達だけを集め美空ひばり邸で行われる「ひな祭り」に島倉は初めて参加する。その時ひばりに頼んで書いて貰ったサイン色紙には「舞う鳥も私と同じこの世にも生きてこそあれ歌ひとすじ一筋の道」という短歌が書かれており島倉の宝物となった。

1987年夏、ひばりが病気で福岡の病院に入院した直後に島倉が「面会謝絶は重々承知の上で、ひばり姉さんに逢えなくても病室の前を一目見るだけでいいから直ぐにでも駆けつけたい。」とひばり本人やコロムビアレコード役員などの関係者に直訴したところ直ぐ様「お千代なら来てもいいわよ」とひばりが了解して即見舞いに訪れた。島倉本人は大変緊張しながら「ひばり姉さんを励ますつもり」で病室に入ったら、病室のひばりが「お千代、良く来たわね」と生来の明るさで島倉を迎え、「お千代が来てくれたから鍋焼きうどん(島倉の好物)の出前でも取って食べよう」と食欲がなかったのにも関わらず完食したそうで病人とは思えない元気さを島倉の前に見せた。そのひばりの姿に「私が励ますつもりで行ったのに、逆に私の方がひばり姉さんに励まされちゃって…… こっちの方が恐縮でした」と後にテレビのインタビューで語っていた。

島倉が紅白出場辞退をした際、ひばりから「お千代、(辞退したことに)後悔はない? ここからが見せどころよ」とアドバイスを受けたという[40]

晩年、闘病生活を送っていたひばりはどんなに親交の深い芸能界の友人、親友などが見舞いに訪れても、プライベートでも実妹のように大変可愛がっていた島倉ととんねるず以外の面会は拒否していたとされる。

声優編集

2003年6月29日フジテレビFNS27時間テレビ』内アニメ『ちびまる子ちゃん』(「歌は心・人生いろいろ」の巻)において、本人役で自身初の声優に挑戦。この回のストーリーはまる子の祖母・こたけからの「病に倒れた友人に一目会ってあげてほしい」という手紙を受け取り、変装をして清水にやってくるという設定だった。挿入歌として「からたち日記」(1番をアカペラ(無伴奏)で歌うシーンもある)、エンディングテーマには「人生いろいろ」が起用された。2011年、DVDとして発売されている[41]

その他編集

  • 59年間の歌手生活において、ステージで一度も口パクはしなかった。
  • 人を疑わない性格のため多くの人に「騙された」「裏切られた」と言われる島倉に対し作詞家なかにし礼は「その分、騙した人の数の何倍もの音楽関係者、芸能関係者が彼女を助けてきた」と語った。
  • なかにしは彼女の代表曲のひとつである「愛のさざなみ」を作詞している。結婚後ミリオンから遠のき、離婚により暗いイメージがつきかけた島倉のために作ったこの異色の曲は久々のミリオンとなった。
  • 横文字が苦手で『クイズ$ミリオネア』に出演した際、正解発表前の言葉「ファイナルアンサー」が言えず、代わりに「おしまいアンサー」と言っていた。
  • NHKのど自慢』への出場経験も有しているが、結果は「鐘一つ」に終わったとされている[42]
  • 兄弟

島倉は八人兄弟で姉二人が一歳、六歳で逝去している。弟二人は俳優デビューしたものの引退や作詞家に転身した。

NHK紅白歌合戦出場歴編集

1957年(第8回)の初出場以来、1986年(第37回)まで紅白史上初の30回連続出場を達成。1987年(第38回)は一旦出場辞退したが、「人生いろいろ」で久々のヒットを記録したことを背景に、1988年(第39回)へ2年ぶりに復帰出場。1994年(第45回)には「紅白歌合戦45回の歴史を象徴する歌手」として6年ぶりのカムバックを果たし、1996年(第47回)まで3年連続して出場した。2004年(第55回)に「紅白歌合戦に出場してほしい歌手」アンケートで上位歌手15組の中に入ったことから、8年ぶり通算35回目の出場で66歳の当時の紅組最年長出場となったが、これが生涯最後の出場となった。

通算出場回数では、1973年(第24回)に17回目の出場を果たして以降[43]、白組歌手・北島三郎が1998年(第49回)で通算35回目の出場を果たし、島倉の記録を追い越すまで20年以上もの間歴代第1位の記録を保持していた[44]。さらに女性歌手では、同じく1973年(第24回)以降、2012年(第62回)に和田アキ子が36回目の出場を果たすまで、39年もの間島倉が史上最多出場記録を保持していた。

1960年(第11回)では、それまで3年連続で大トリを務めていた美空ひばりを抑えて初めて紅組トリを務め、1962年(第13回)まで3年連続で紅組トリを担当した。その後はひばりが10年連続でトリを務めたが(島倉は中盤に固定されていた)、1973年(第24回)にひばりが落選すると再び紅組トリに返り咲き、1975年(第26回)まで3年連続で紅組トリを務めた(1975年は唯一の大トリ)。紅組において通算トリ回数6回という記録は、美空ひばり(13回)、石川さゆり(8回)、和田アキ子(7回)に次ぎ、歴代4位である。また、3年連続トリという記録も、上述したひばりの10年連続に次ぐ記録である[45]

通算
出場
回数
出場
紅白
出場年度 曲目 出演順 対戦相手 備考
第8回 1957年(昭和32年) 逢いたいなァ あの人に 22/25 春日八郎 (1)
2 第9回 1958年(昭和33年) からたち日記 23/25 春日八郎 (2)
3 第10回 1959年(昭和34年) おもいで日記 13/25 三橋美智也 (1)
4 第11回 1960年(昭和35年) 他国の雨 27/27 三橋美智也 (2) トリ (1)
5 第12回 1961年(昭和36年) 襟裳岬 25/25 三波春夫 (1) トリ (2)
6 第13回 1962年(昭和37年) さよならとさよなら 25/25 三橋美智也 (3) トリ (3)
7 第14回 1963年(昭和38年) 武蔵野エレジー 13/25 三橋美智也 (4)
8 第15回 1964年(昭和39年) ふたりだけの太陽 13/25 村田英雄 (1)
9 第16回 1965年(昭和40年) 新妻鏡 12/25 三橋美智也 (5)
10 第17回 1966年(昭和41年) ほんきかしら 12/25 春日八郎 (3)
11 第18回 1967年(昭和42年) ほれているのに 12/23 橋幸夫
12 第19回 1968年(昭和43年) 愛のさざなみ 12/23 三波春夫 (2)
13 第20回 1969年(昭和44年) すみだ川 12/23 三波春夫 (3)
14 第21回 1970年(昭和45年) 美しきは女の旅路 12/24 三波春夫 (4)
15 第22回 1971年(昭和46年) 竜飛岬 10/25 北島三郎 (1)
16 第23回 1972年(昭和47年) すみだ川(2回目) 18/23 フランク永井 (1)
17 第24回 1973年(昭和48年) からたち日記(2回目) 22/22 北島三郎 (2) トリ (4)
18 第25回 1974年(昭和49年) 襟裳岬(2回目) 25/25 森進一 トリ (5)
19 第26回 1975年(昭和50年) 悲しみの宿 24/24 五木ひろし 大トリ (6)
20 第27回 1976年(昭和51年) 逢いたいなァ あの人に(2回目) 18/24 フランク永井 (2)
21 第28回 1977年(昭和52年) 京都・北嵯峨・別れ寺 20/24 三波春夫 (5)
22 第29回 1978年(昭和53年) りんどう峠 22/24 村田英雄 (2)
23 第30回 1979年(昭和54年) 逢いたいなァ あの人に(3回目) 17/23 フランク永井 (3)
24 第31回 1980年(昭和55年) 女がひとり 14/23 フランク永井 (4)
25 第32回 1981年(昭和56年) 鳳仙花 09/22 フランク永井 (5)
26 第33回 1982年(昭和57年) この世の花 11/22 千昌夫 前半トリ
27 第34回 1983年(昭和58年) 積木くずし 07/21 三波春夫 (6)
28 第35回 1984年(昭和59年) からたち日記(3回目) 17/20 三波春夫 (7)
29 第36回 1985年(昭和60年) 夢飾り 16/20 近藤真彦
30 第37回 1986年(昭和61年) くちべに挽歌 18/20 村田英雄 (3) 同回で一旦紅白出場勇退を宣言
31 第39回 1988年(昭和63年) 人生いろいろ 14/21 チョー・ヨンピル 2年ぶりに復帰出場
32 第45回 1994年(平成6年) 人生いろいろ(2回目) 10/25 小椋佳 6年ぶりに復帰出場・前半トリ
33 第46回 1995年(平成7年) あの頃にとどけ 19/25 小林旭
34 第47回 1996年(平成8年) ときめきをさがしに 21/25 堀内孝雄
35 第55回 2004年(平成16年) 人生いろいろ(3回目) 12/28 布施明 8年ぶりに復帰・生涯最後の紅白出場

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。
  • 前半トリとは1990年以降の紅白において、前半戦(ニュース中断まで)で両軍の締めくくりを務めたことを指す。

音楽作品編集

多くの楽曲を発表しており(およそ2,000曲)、委託制作版や当時のアルバムにしか入っていない曲もあるため、持ち歌の数を正確に数えるのは困難である。

シングル編集

全て日本コロムビア発売。

発売日 品番 売上枚数

[46][47]

曲順 曲目 作詞 作曲 編曲 備考

1950年代編集

1955 A-2229 200万枚 A この世の花 西条八十 万城目正 松尾健司 デビュー曲、同名の松竹映画の主題歌。
A 乙女船 丘灯至夫 米山正夫
B 別れの夜船 西沢爽 田村しげる
9月 A-2373 130万枚 A りんどう峠 西條八十 古賀政男
B 布良(めら)の娘
11月1日 A おもいでの花 西條八十 万城目正
B 浪花の雨
1956年 A-2412 A 温泉(いでゆ)の姉妹 丘十四夫 古賀政男 片面は、青木光一「都に花の散る夜は」。
2月 A-2457 A 山のけむりよ、いつまでも 西條八十 宮川まこと 西出次郎
B 母恋い京人形 奥野椰子夫 川端正章
A さすらいの花 西條八十 万城目正
B 夕月子守唄
8月 A さすらいの浜辺 西條八十 万城目正
A-2504 A 東京の人さようなら 石本美由起 竹岡信幸 片面は、青木光一「ふるさとの駅」。
12月 120万枚 A 逢いたいなァあの人に 石本美由起 上原げんと 紅白初出場曲。
B 東京のお兄さん
12月10日 A この世の花 西条八十 万城目正 松尾健司
B おもいでの花 西條八十 万城目正
1957年 1月1日 A 花嫁峠
B 山の分教場
1月 A-2583 A 乙女流しは寂しいね 高野公男 船村徹 片面は、青木光一の「早く帰ってコ」。
1月 A-2680 A 青い潮(牧場の姫百合) 西條八十 万城目正
B 青い潮(青い潮に夢乗せる) 長谷川公之
3月15日 A 逢いたいなァあの人に 石本美由起 上原げんと
B りんどう峠 西條八十 古賀政男
6月1日 ASS-296 A 永遠に答えず 西沢爽 古賀政男 片面は、霧島昇「愛情一路」。
6月15日 A-2710 150万枚 A 東京だョおっ母さん 野村俊夫 船村徹 発売当時はセリフなし。
B 故郷のかおり
5月 A-2828 A 初恋の人さようなら 西沢爽 古賀政男
B あの人は優しかった 石本美由起 上原げんと
AK-573 A 祇園まつり音頭 山形英夫とのデュエット。京都祇園祭で今でも流れる。
B 長刀鉾祇園囃子
A-2907 A 忘れ得ぬ人 石本美由起 上原げんと
B 街に咲く花
1958年 A-2934 A お別れ波止場 西沢爽 船村徹 片面は、神戸一郎「男の哀愁」。
3月1日 A-2986 60万枚 A 思い出さん今日は 星野哲郎 古賀政男 片面は、神戸一郎「港のギター」。
A-3052 A 北京の小鳥売り 野村俊夫 竹岡信幸 若木みのる
B あの人いつ来るかしら
5月15日 SA-93 A 島原の子守唄 宮崎一章
B 岳の新太郎さん 佐賀県民謡
SA-110 A 祇園小唄(春・夏) 長田幹彦 佐々紅華 松尾健司
B 祇園小唄(秋・冬)
SA-148 130万枚 A からたち日記 セリフ入りの歌は売れないというジンクスがあったが、大ヒットした。
B 待ち呆けさん
1959年 あなたと別れて 岡田銕夫 上原げんと 雑誌「平凡」募集当選歌。片面は、神戸一郎「君に逢いたくて」。
SA-159 A さよなら地蔵さん
70万枚 A 海鳴りの聞こえる町
6月15日 SA-205 60万枚 A おもいで日記 西沢爽 遠藤実 台詞が話題になった。
B 風ッ子さんどこの子サ 春生香織
SA-270 60万枚 A 哀愁のからまつ林 西沢爽 船村徹 片面は、神戸一郎「青い落葉の街」。
SA-297 白い小ゆびの歌 関沢新一 古賀政男 片面は美空ひばり「つばなの小径」。

1960年代編集

1960年 2月20日 A 日本よいとこ 村田英雄らと。片面は、「ニコニコ踊り」。
3月 SA-338 A 白樺物語 谷真木彦 遠藤実 泊林正一 雑誌「平凡」当選懸賞作詞曲。片面は大野一夫の「人生峠」。
他国の雨 鳴海日出夫の「涙のグラス」の歌詞を変えて吹き込まれたもの。
SA-402 A 遠い人
B 紫いろの夢
SA-432 70万枚 A 花散る下田 同名歌舞伎まつり主題歌。片面は守屋浩「風そよぐ丘」。
SA- A 炭坑(やま)の子守唄
SA-447 A 哀愁の信濃路 星野哲郎 上原げんと
B 雨降り峠 西沢 船村徹
SA-479 A マツリカの花言葉 星野哲郎 古賀政男
B 銀杏が星に恋をした 内藤京
1961年 SA-514 泣きべそ電話 片面は井上ひろしの「さよなら電報」。
2月5日 SA-531 A 日本晴れだよ
B お手をつないで
SA-605 A かるかやの丘
B 小島の母灯台
10月1日 SA-722 A 十国峠の白い花 石本美由起 宮田東峰
B 里の夕焼 船村徹
11月1日 SA-736 80万枚 A 恋しているんだもん 西沢爽 市川昭介 島倉の口癖をアイデアに作詞。
B サフランの旅愁
12月20日 SA-788 100万枚 A 夕月 菊田一夫 古関裕而 島倉の主演ドラマの主題歌。片面は中山千夏は「ハモニカ小僧」。
SA-792 A 君は東京へ帰る人 第13回コロムビア全国歌謡課題曲。片面は、佐賀次郎の「湯の町流し」。
SA-811 日本一だよ 西条八十 古賀政男 村田英雄とデュエット。片面は、花村菊江・中尾の「仲良し音頭」。
5月5日 SA-824 100万枚 A すずらんの花 丘灯至夫 遠藤実 山路進一
B 襟裳岬
1962年 SA-833 A お顔みたいな逢いたいな
B 哀愁岬
4月20日 SA-837 A 祭の夜は 関沢新一 遠藤実
B 裏町の唄
SA-872 A 愛と死のかたみ 山口久代 船村徹
B なみだの福音 星野哲郎
6月1日 A お早よう青空さん
B 雨の坂道
7月1日 A 明日もきっといいことが
B コスモスの駅
7月20日 SA-916 A 郡上恋しや 片面は、唐品由美の「恋の八丈椿」。
7月5日 SA-936 A 七夕おどり 丘灯至夫 遠藤実 仙台七夕まつりを歌った曲で、現在も会場周辺で流れ、盆踊りの定番曲として仙台市民に親しまれている。

片面は、フォーク・ダンス用に唄なし。

8月1日 A 大阪のお母さん
B 加茂川
10月1日 SA-950 A 別れるときは死ぬときよ 西沢爽 市川昭介
B さよならとさよなら
10月1日 A 恋ゆえの花
B 小っちゃな幸せの歌
10月1日 A 愛の悲しさ
B 女ごころの片瀨波
1963年 1月1日 A 愛のうず潮 片面は、北島三郎の「亜矢子の唄」。
1月1日 A あなたに私に雨が降る
B 砂山のひぐれ
1月1日 SA-1052 A あの橋の畔で 菊田一夫 古関裕而 松竹の同名映画の主題歌。
B 海を遙かな
SA-1115 A 大阪音頭 中島孝のデュエット。片面は、大阪繁昌ぶし。
2月1日 A 愛情
B 一人ぽっちになっちゃった
3月20日 A 雨の降る日の午後でした 片面は、コロムビア・ローズの「夜が泣かせる」。
4月5日 A 北九州盆唄 片面は、村田英雄の「くろい太陽」。
5月1日 A むらさきの慕情
B あわれ君ゆえに
SAS-48 A わかれ渚 石本美由起 遠藤実
B 二人だけの砂丘
9月1日 SAS- A 花散りぬ
B せせらぎの唄
9月1日 SAS-125 70万枚 A 星空に両手を 西沢爽 神津善行 守屋浩とのデュエット。
B かなしみの歌
11月1日 SAS-140 A 武蔵野エレジー 嵯峨哲平 遠藤実
B 未練の雨 西沢爽
SAS-167 A いつもふたりは 星野哲郎 山路進一
B ありがとうお母さん
1964年 SAS-237 A ふたりだけの太陽 西沢爽 市川昭介 松竹の同名映画の主題歌。
B いまのまんまでいいんじゃな
SAS-250 A 星影のエアー・ポート
B おもかげ岬
SAS-296 A 舞すがた 西沢爽 船村徹
B 夕顔 高月ことば
3月5日 A ニッポン音頭 片面は、「さあさ踊ろよ」。
4月20日 A 石竹の歌 片面は、三鷹淳の「僕の恋人」。
7月1日 A 愛するゆえに
B 女はいつも
7月20日 A 四季の新津
B 新潟音頭
SAS-337 A 雪国 西沢爽 船村徹
B 愛のくもり空 小島胡秋 遠藤実
SAS-355 小鳥が来る街 西沢爽 市川昭介 片面は、舟木一夫「青春の大阪」。
9月20日 B 心ブラブラリはエヽヤナイカ 北原謙二とのデュエット。片面は、養田勝彦の「大阪スーベニア」。
SAS-394 A 恋人さん 西沢爽 土田啓四郎
B 花のワルツ 船村徹
12月1日 SAS- A ゴンシャン紅帯 野村俊夫 下川博美
B あなたの手紙
1965年 2月1日 SAS-417 A 旅ははてなく 石本美由起 遠藤実
B 花のゆくえ 門田ゆたか 古賀政男
5月1日 SAS-450 A 夜道は一人じゃ帰れない
B ふたりの虹
SAS-543 A つぎの世もあなたと 西沢爽 土田啓四郎
B 花咲く平野
12月1日 SAS-626 A 新妻鏡 佐藤惣之助 古賀政男 同名NTVテレビ映画主題歌。戦前に霧島昇&二葉あき子が歌ったものをカバー。
B 目ン無い千鳥 サトウハチロー
1966年 2月1日 A まわり道
B 赤いキャンドル
4月 SAS-681 60万枚 A ほんきかしら 岩谷時子 土田啓四郎
B 悲しみにキスを 西沢爽 和田香苗
5月1日 A 小雨の陸橋
B 愛して恋して夢を見て
7月 SAS-735 A クラブがはねたら
B 赤坂の月
10月1日 SAS-786 50万枚 A 涙の谷間に太陽を 西沢爽 和田香苗
B 愛の星空 戸塚三博
12月1日 SAS-805 A そっとおしえて 吉田央 いずみたく
B しのび逢う人 西沢爽 和田香苗
1967年 2月1日 A 哀しみの川のほとりに 西沢爽 和田香苗
B ああ室戸岬 石本美由起 平川英夫
5月1日 SAS-893 A 永遠に答えず 西沢爽 古賀政男
B 涙の十字架
6月1日 SAS-903 A 二人が好きになった夜
B 風の足あと
7月1日 SAS-914 50万枚 A ほれているのに くるみ広彰 くるみ敏弘
B アモーレ東京
7月1日 SAS-936 A 星より遠く別れても 西沢爽 河村利夫 同名NTVテレビ映画主題歌。
B その人の名をいえない
10月1日 A 女の慕情
B 女のレピート
11月1日 SAS-1015 A 大阪夜曲 西沢爽 山本丈晴 戸塚三博
B バラ色の風に乗って 土田啓四郎
1968年 SAS-1026 A 女の幸せ 白鳥朝詠 宮田東峰
B こころの湖
4月1日 A 私を忘れて 滝口暉子 和田香苗
B 真白い東京 西沢爽 狛林正一
4月1日 SAS-1078 A いのちある限り 伊田順 山本丈晴
B 夕映えの想い出
4月25日 SAS-1099 A 道博音頭 高柳公

三浦康照(補)

山下丈晴 佐伯亮 片面は、赤坂小梅の「北海音頭」。
6月1日 SAS-1114 A 今日からは二人 西沢爽 和田香苗
B 泣きませぬ 中村メイコ 神津善行
7月1日 SAS-1138 A 愛のさざなみ なかにし礼 浜口庫之助 オリコン初ランクインの曲で最高位20位。

浜口庫之助の助言により、バックの音は海外でレコーディングされた。

1992年にカーネーション、2001年にミニスカパンがカバー。

1998年9月20日のカーネーションのライブ(渋谷クラブクアトロ)にゲスト出演し、同曲を歌っている。

B 月のためいき 浜口庫之助
11月 A 慕情はかなく 高峰雄作 市川昭介
B そっと愛して 石本美由起 竹岡信幸
12月1日 SAS-1230 A わかれ 和田香苗 第1回古賀賞優勝曲。
B 涙をあげる 西沢爽 和田香苗
1969年 SAS-1247 日本うれしや 西沢爽 市川昭介 片面は、青山和子・大下八郎「ふるさと囃子」。
4月1日 SAS-1248 A 捧げる愛は 橋本淳 筒美京平
B 涙きざんで
7月1日 SAS-1300 A あの波の果てまで 大林清 船村徹
B 愛は涙にぬれて 横井弘
8月1日 SAS-1319 A 花のいのり 滝口暉子 和田香苗
B 忘れないで札幌 和田香苗
8月1日 SAS-1332 A ふるさとの子守唄 横井弘 河村利夫
B 乙女妻
10月1日 SAS-1348 A 天使が空を通る時 吉岡治 和田香苗
B 木屋町の夜
11月 SAS-1358 70万枚 A すみだ川 佐藤惣之助 山田栄一 戦前の東海林太郎の代表作をカバー。
B 築地明石町 藤田まさと 長津義司 東海林太郎のカバー。

1970年代編集

1970年 1月1日 SAS-1377 A 哀愁の湖 渡辺優美子 和田香苗
B 雨にうたれて あやのかつみ
3月1日 SAS-1388 A この愛が終るなんて みやもり純 中村泰士 山本幸三郎
B 誰かがやきもちやくかしら 時令二
7月1日 SAS-1428 A 柿の木坂の家 石本美由起 船村徹
B 雨の湯島天神 和田香苗
9月1日 SAS-1448 A 美しきは女の旅路 橋本淳 三木たかし
B おんなの子守唄
1971年 SAS-1485 A 願いが、もしも 石本美由起 和田香苗
B 野薔薇のワルツ
4月1日 SAS-1506 A 沖繩音頭 ありむらけん 和田香苗
B 日本うれしや 西沢爽 市川昭介
4月10日 SAS-1512 壇の浦子守唄 石本美由起 和田香苗 片面は、杉良太郎「三日月の兜」。
SAS-1517 A 花は生きている みやもり純 中島安敏
B 1,000日の恋 さがゆうこ 津坂浩
SAS-1544 A 美幸は星になった 上田きよ子 井上かつお
B 愛の旅びと 西沢爽
SAS-1565 A 竜飛岬 石本美由起 船村徹
B 編みかけの手袋 和田香苗
1972年 SAS-1604 A 赤い自転車 西沢爽 和田香苗
B 飛騨のふるさと 石本美由起

小竿和子

6月1日 SAS-1617 A その悲しみのうしろから 西沢爽 和田香苗
B 人は誰でも 津坂浩
9月1日 SAS-1629 A 津軽の宿 石本美由起 船村徹
B しの笛の村 沢みね登 水時不二男
12月1日 SAS-1653 A 人生峠 秋月ともみ 古賀政男
B 小さいけれど大事な人生 西沢爽 和田香苗
1973年 A 越前竹人形 西沢爽 土田啓四郎 テレビドラマ「越前竹人形」主題歌。
B 越前竹山唄
SAS-1*** A 人生七ころび りゅうはじめ
B 小さな愛の唄
A 親鸞おどり 大木惇夫 古賀政男
B 二人の影にも サトウハチロー
6月1日 A あじさい旅情 石本美由起 服部良一
B 長崎恋姿 和田香苗
AA-8 A 残月 横井弘 鎌多俊與 山路進一
B 女舞
1974年 A すいれん慕情 安井かずみ 平尾昌晃
B 夕凪の浜辺
3月1日 AA-33 A 阿国恋すがた りゅうはじめ 山路進一
B 出雲をあとに りゅうはじめ
A 幸せのうしろ姿 吉田旺 土橋啓二
B 風の宿
A 愛の終り りゅうはじめ
B 信じているから 石本美由起 四方章人
AA-79 A 流し唄 りゅうはじめ
B 明日の別れ 佐伯一郎 りゅうはじめ
7月1日 AK-623 A ミス仙台 西條八十 古関裕而 二葉あき子(1936年)、二代目コロムビア・ローズ(1962年)のカバー。

「七夕おどり」同様、仙台七夕まつりの時期に会場周辺で流れている。

B 七夕おどり 丘灯至夫 遠藤実
1975年 AA-107 A 悲しみの宿 山上路夫 船村徹 1000曲吹き込み記念曲。

1975年のNHK紅白歌合戦では、後年の再録音盤と同様の「北日本」に変更された台詞で歌唱している。

B 女のともしび
4月1日 AA-114 A 日本晴ればれ音頭 石本美由起 古関裕而 佐伯亮 日本民謡指導者連盟監修、日本リクリエーション協会推薦、昭和50年記念曲。

美空ひばり、島倉千代子、舟木一夫、都はるみ、大川栄策。片面は、コロムビア・オーケストラの「日本晴ればれ音頭」。

1976年 AA-169 A 北の港で待つ女 山口洋子 菊野たかし
B ギター流しでお客さん 岬二郎

三浦康照

5月1日 AA-188 A 星が流れました 佐藤順英 中島安敏 冒険家上温湯隆の哀悼歌。
B 追憶 関俊彦 中島安敏
8月1日 AK-20 A おじいさん おばあさん ありがとう 内与詩守 土肥寛展
B しゃっきり音頭 菊池俊輔
AK-23 A 霧の音 保富康午 船村徹
B 夕焼けの歌 島倉の母を歌った曲。
1977年 AK-64 A 想い出の舞扇 石川潭月 市川昭介
B お光紅梅 石本美由起
5月1日 AK-66 A 京都 北嵯峨 別れ寺 西沢爽 山野豊 京建輔
B 昭和のはじめのあの頃は 和田香苗
7月1日 AK-82 A ひろしまの母 石本美由起 古賀政男 佐伯亮 ひろしま音楽祭参加作品で、島倉にとって最後の古賀メロディーとなった。
B 海ぞいのふる里
11月 AK-100 A わたし京都へ 花登 船村徹 佐伯亮 朝日放送系テレビドラマ「おくどはん」主題歌。
B はぐれ花 横井弘 船村徹
1978年 AK-106 A 女性 千家和也 伊藤雪彦
B 愛の花 土田啓四郎
2月1日 AK-108 A 日本の祭り 石本美由起 市川昭介 山路進一
B 木曽節
10月1日 AK-158 A 恋みれん 吉秋雅規 市川昭介 服部克久
B 手拍子さん 石本美由起 小杉仁三
1979年 AK-160 A 弾き語り 石本美由起 市川昭介 服部克久 歌手生活25周年記念。
B 愛呼ぶ渚 吉秋雅規
5月1日 AK-181 A 光星龍 船村徹
B 女の私が得たものは 曽根幸明
CN-543 A サーシャわが愛 阿久悠 宮川泰 アニメスペシャル『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』挿入歌。
B スターシャ・・・永遠に 阿久悠 宮川泰

1980年代編集

1980年 1月1日 AK-215 A 春秋の舞唄 光星龍 紺野章
B 千歳扇の舞 山路進一
5月1日 AK-617 A 女がひとり 光星龍 伊藤雪彦
B あなたに愛を 木未野奈
7月10日 AK-677 A 綱わたり 光星龍 市川昭介 佐伯亮
B 滝の白糸 石本美由起 たきのえいじ
12月10日 AK-738 A 愛の砂漠 光星龍 市川昭介 佐伯亮
B さいはての宿 桜井義晃 三浦伸一
1981年 4月1日 AH-41 80万枚 A 鳳仙花 吉岡治 市川昭介
B たそがれに 保富康午 たきのえいじ
1982年 8月1日 A みちのく十綱橋
B 飯坂小唄
12月21日 AH-281 A ためいき橋 吉岡治 市川昭介 斎藤恒夫
B 命あずけて
1983年 8月1日 AH-355 A 積木くずし 穂積隆信 五輪真弓 映画『積木くずし』主題歌。
B 愛とは何 たきのえいじ
8月21日 AH-360 A 流氷岬 丘灯至夫 遠藤実
B ふたりの港
1984年 AH-405 A 母子星 吉岡治 市川昭介
B しばれ酒
1月1日 AH-406 A 恋椿 中岡俊哉 岡千秋
B
10月1日 AH-516 60万枚 A 夢飾り 里村龍一 浜圭介
B あなたの小樽 池田充男 市川昭介
1986年 4月21日 AH-724 A くちべに挽歌 石本美由起 浜圭介 この曲で紅白を一旦辞退。
B おんな橋
1987年 1月21日 AH-792 A 浅草メロドラマ 吉田旺 浜圭介
B 演歌づくし 荒木とよひさ
4月21日 AH-820 130万枚 A 人生いろいろ 中山大三郎 浜口庫之助 竜崎孝路 第30回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。京浜急行電鉄青物横丁駅の電車到着案内メロディにも用いられている。
B 花ごよみ
5月21日 AH-829 A 夢・浪漫・NARA 東海林良 星吉昭 なら・シルクロード博1988イメージソング。姫神演奏。
B リラの頃・岬ホテル
AH-870 A 浪花姉妹 たかたかし 岡千秋 石川さゆりとのデュエット。
B ぼたん雪 山上路夫 馬飼野康二 金田賢一とのデュエット。
1988年 9月1日 AH-971 A 心うきうき 中山大三郎 浜口庫之助 NHK歌謡パレード'88オリジナル・ソング。
B 夢のつばさ
1989年 3月21日 AH-5017 A ゆずり葉の宿 星野哲郎 弦哲也
B 恋瀬橋
11月10日 AH-5075 A おんなの一生 阿久悠 弦哲也
B 雨音 巳木弘子 金子裕則

1990年代編集

1990年 12月29日 1 夢待人
2 愛ひとすじに
1991年 9月1日 1 今日も初恋
2 人生花ざかり
1992年 6月1日 1 空蝉(うつせみ)
2 柳橋情話
11月1日 1 それ行けダイエーホークス音頭 片面は、水木一郎の「我らが覇者 福岡ダイエーホークス」。
1993年 3月21日 1 女の夢灯り
2 空蝉(うつせみ)
9月21日 1 ほれているのに
2 女の慕情
12月29日 1 あしたになれば
2 この生命を授かって
1994年 1月1日 1 昔も今も…女
2 恋…女
7月21日 1 夢おまもり
2 虹待ち人
9月1日 1 ちょっとだけ 目黒祐樹とのデュエット。
2 下田しぐれ
1995年 1月21日 1 すみだ川
2 からたち日記
3月21日 1 あの頃にとどけ 小田和正

島倉千代子

小田和正 小田和正プロデュース。
2 しあわせの誕生日
7月21日 1 片瀬月 美空ひばりが遺した小唄をもとに作った曲。
2 ラムプの宿で
12月1日 1 木枯らしのクリスマス 秋元康 三木たかし 片岡鶴太郎とのデュエット。
2 忘れていたクリスマス
12月29日 30万枚 1 火の酒 ディレクターとして「からたち日記」などを手がけ、その後1963年にコロムビアを離れた馬渕玄三と久々に組んだ作品。
2 逢いたいよ~酒は涙か溜息か入り~
1996年 11月21日 1 ときめきをさがしに 池内淳子主演のNHKドラマ新銀河『素敵に女ざかり』主題歌。
2 一人ぼっちにならないで
1997年 9月20日 1 私って
2 幸せの道しるべ
5月21日 1 美しき天然
1998年 3月30日 1 花なら花らしく
2 風の中で・・・
12月30日 1 人生はショータイム
2 悲しみにさよなら
12月30日 1 柿の実ひとつ
2 あじさい坂の雨
1999年 9月10日 1 ヨコハマ・ビギン 中山大三郎とデュエット。2曲目は西尾夕紀、岡千秋の「お父さんありがとう」。

2000年代編集

2000年 2月19日 1 三日月慕情
2 感謝の旅路
2001年 1月1日 1 北どまり
2 切符一枚
2002年 2月21日 1
2 ほほえみの扉
2003年 3月1日 1 海かがみ 島倉千代子 山崎ハコ
2 夢だから
3 ちよこまち
2004年 3月3日 1 風のみち デビュー50周年記念曲。
2 心がたり
2005年 3月23日 1 ちよこまち
2 人生いろいろ
3 ちよこまち(ライブ・バージョン)
2006年 3月1日 1 それいけGoGo
2 そろそろり
2007年 5月30日 COCA-15989 1 おかえりなさい 定年で職場から離れていく団塊の世代へ向けた応援歌。岩手県釜石市の根浜海岸に歌碑が設立されている。
2 あの頃へ
2009年 1月1日 1 風になる 歌手生活55周年記念曲。
2 ひとりじゃないよ

2010年代編集

2010年 1月1日 1 私の小さな幸せの花
2 哀秋
2012年 2月1日 1 愛するあなたへの手紙
2 光を感じて
2013年 12月18日 1 からたちの小径 喜多条忠

南こうせつ

南こうせつ 佐久間順平 歌手生活60周年記念曲として制作された。

体調を考慮して歌入れは自宅で行われたが、歌入れの僅か3日後に他界した為、遺作となってしまった。

2 この世の花

委託制作版編集

発売時期 品番 曲順 タイトル 作詞 作曲 編曲 備考
PRE-1181 A あゝ北の庄 西沢爽 古賀政男
PRE-1210 七夕音頭 戸川貞雄 米山正夫 青木光一とのデュエット。片面は、永田とよこ「平塚恋しや」。
B 日本平音頭 静岡市・清水市観光協会推薦曲。

片面は、コロムビア・ローズの「君を呼ぶ日本平」。

PRE-1397 B 温泉小唄 西条八十 古賀政男 片面は、久保幸江・岡本敦郎の「日光小唄」。
1963年 FK-183 大阪音頭 中島孝のデュエット。片面は、大阪繁昌ぶし。
FH-247 B 祇園まつり音頭 片面は、小野田実の「十三浜甚句」。
宇都宮音頭 栃木県宇都宮市市制60周年記念盤。

山中ひろしとのデュエット。片面は、安西愛子・岡本敦郎の「宇都宮の歌」。

1984年 PES-8260 B 横浜山下町音頭 西条八十 万城目正 松尾健司 委託制作盤。片面は、わかばちどりの「稲穂音頭」。
PES-7368 A 川越新小唄 片面は、「川越舟唄」。
PES-8152-CP A 結び文 八島義郎 加納光記
B 思い出

アルバム編集

  • 千代ちゃんの想い出(AL-267)
  • 千代子の花散る下田
  • 島倉千代子リサイタル(ACE-7003)
  • 流し唄(1975年3月5日、ACE-7104)
  • 島倉千代子のすべて(1976年10月5日、AB-7003)
  • 鳳仙花(1981年4月、AF-7039)
  • 新しき装い(1986年1月、AF-7398)

著書編集

  • 花のいのち(自叙伝、みき書房、1984年。)
  • 歌ごよみ(自叙伝、読売新聞社、1994年。ISBN 4-643-94005-0
  • 島倉家-これが私の遺言(手記、文芸社、2005年。プロデュース:寺西一浩ISBN 4-8355-9125-9

出演編集

 
東京の人さようなら』は映画化され、島倉自ら主演した

テレビ編集

ほか多数

アニメ編集

映画編集

ほか多数

CM編集

脚注編集

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  1. ^ 2002年10月から2010年9月まではコロムビアミュージックエンタテインメント
  2. ^ a b 島倉千代子さんが肝臓がんで死去、75歳 日刊スポーツ 2013年11月8日
  3. ^ 島倉千代子(2016年4月12日時点のアーカイブ) - スポーツニッポン。
  4. ^ a b c d e 笹森文彦 (2013年11月9日). “借金、けが…「人生いろいろ」お千代さん”. 日刊スポーツ. 2016年12月23日閲覧。
  5. ^ 『島倉家―これが私の遺言』118-121頁。
  6. ^ 島倉千代子(日本コロムビア)
  7. ^ a b 『歌ごよみ』島倉千代子著、読売新聞刊 (1994/01)
  8. ^ a b 島倉さん お墓準備していた…ピアノかたどり、戒名も”. スポニチアネックス (2013年11月10日). 2015年7月1日閲覧。
  9. ^ 『島倉家-これが私の遺言』108-109頁。島倉千代子著、文芸社 (2005/02)
  10. ^ 『島倉家-これが私の遺言』79頁。
  11. ^ 2年後の1990年12月2日に死去。
  12. ^ 『紅白50回』、56頁。
  13. ^ 『島倉家―これが私の遺言』80-86頁。
  14. ^ 「金曜プレステージ・独占秘話!初公開!秘蔵映像!島倉千代子最期の223日~今夜明かされる壮絶人生と「からたちの小径」誕生秘話~」フジテレビ、2013年12月20日
  15. ^ 島倉千代子さん、青物横丁駅に流れる「人生いろいろ」に感謝の手紙(2013年11月8日時点のアーカイブ) スポーツ報知 2013年11月9日閲覧
  16. ^ 島倉千代子さん 3年前に肝臓がん患うデイリースポーツ 2013年11月9日閲覧
  17. ^ 島倉千代子 75歳バースデー「後期高齢者という紙届いた」 スポニチアネックス 2013年3月21日
  18. ^ 最期は苦しまず、眠るように…日本コロムビアが会見(2013年11月9日時点のアーカイブ) msn産経ニュース 2013年11月9日閲覧
  19. ^ a b c d 南こうせつ「奇跡の歌声」 島倉千代子さん死去3日前に録音
  20. ^ 島倉千代子さん、遺作曲発売日に四十九日法要”. サンケイスポーツ (2013年12月19日). 2017年1月1日閲覧。
  21. ^ 離婚、借金、乳がん…「人生いろいろ」島倉千代子さん急死 サンスポ 2013年11月9日
  22. ^ 島倉千代子 逝去のお知らせ 日本コロムビア アーティストインフォーメーション:島倉千代子 2013年11月8日付
  23. ^ 官房長官 島倉千代子さん哀悼「昭和を代表する歌手」スポーツニッポン 2013年11月8日閲覧
  24. ^ 北島三郎「演歌界の大きなあかり」日刊スポーツ 2013年11月8日閲覧
  25. ^ 五木ひろし「早すぎますね」日刊スポーツ 2013年11月8日閲覧
  26. ^ 細川たかしさん「最後のパワーに驚きました」NHK「かぶん」ブログ(2014年1月9日時点のアーカイブ) 2013年11月14日閲覧
  27. ^ 氷川きよし 島倉千代子さんに誓いデイリースポーツ 2013年11月13日閲覧
  28. ^ 「最後にお顔を拝見したときにお別れを」スポニチアネックス 2013年11月9日閲覧
  29. ^ 「大きく輝いている先輩が…」大月みやこさんmsn産経ニュース 2013年11月9日閲覧
  30. ^ 【お悔み】都はるみ、優しく大好きな先輩日テレNEWS24 2013年11月8日閲覧
  31. ^ 八代亜紀 島倉さんは心労が多かったデイリースポーツ 2013年11月9日閲覧
  32. ^ 小林幸子 島倉さんに「母さん!」デイリースポーツ 2013年11月8日閲覧
  33. ^ 森昌子、訃報を知り号泣「本当に優しくてお母さんのよう」サンスポ 2013年11月9日閲覧
  34. ^ コロッケさん「かけがえのない人失った」msn産経ニュース 2013年11月9日閲覧
  35. ^ 島倉千代子さん、人生いろいろ教えてもらった…山田邦子が悲痛な思いシネマトゥデイ 2013年11月9日閲覧
  36. ^ 島倉千代子さん葬儀、「人生の最後に素晴らしい時間をありがとう」冒頭に肉声流れmsn産経ニュース 2013年11月14日閲覧
  37. ^ 島倉千代子さん:「優しく時に厳しく」石川さゆり涙で弔辞毎日新聞デジタル 2013年11月14日閲覧
  38. ^ 石川さゆり弔辞「生涯を歌い手として見事なまでに全う」スポニチアネックス 2013年11月15日閲覧
  39. ^ [1],東スポWeb,2013年12月21日付
  40. ^ 田勢康弘『島倉千代子という人生』
  41. ^ DVD『ちびまる子ちゃん スペシャル「温泉に行こう!!」の巻』に収録。
  42. ^ なつかしの番組 音楽番組編:NHKのど自慢(2)”. NHKアーカイブス. 日本放送協会 (2010年5月14日). 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月20日閲覧。 “当該頁末尾『アカイさんの一言』より。「NHKアーカイブスブログ(2010年5月14日)より転載、加筆、写真追加」”《》
  43. ^ 当時の最多記録保持者は美空ひばりだった。
  44. ^ 1982年(第33回)までは、同じく連続出場を続けていたフランク永井とタイ記録。
  45. ^ 紅組歌手で3年以上連続でトリを務めた人物はひばり(3年連続および10年連続)と島倉(3年連続が2回)しかいない。
  46. ^ サンケイスポーツ』2013年11月9日付、大阪本社版12版、26面。
  47. ^ 「売り上げベスト10」『島倉家-これが私の遺言』168頁。(該当ページにはノンブル表記なし)

外部リンク編集