森昌子

日本の歌手、女優 (1958-)

森 昌子(もり まさこ、1958年昭和33年〉10月13日 - )は、日本の元歌手・元女優。本名、森田 昌子(もりた まさこ)。栃木県宇都宮市出身。

もり 昌子まさこ
出生名 森田 昌子
生誕 (1958-10-13) 1958年10月13日(65歳)
出身地 日本の旗 日本栃木県宇都宮市
学歴 堀越高等学校卒業
ジャンル 演歌歌謡曲
職業 歌手女優
活動期間 1972年 - 1986年
2001年 - 2019年[1]
レーベル 徳間音楽工業
(1972年 - 1979年)
ポニーキャニオン[注 1]
(1979年 - 2008年)
おんがく工房
(2009年 - 2011年)
キングレコード
(2012年 - 2019年)
事務所 ホリプロ(1971年 - 1986年 / 2006年 - 2008年3月)
おんがく工房(2008年4月 - 2019年12月31日 )
美空ひばり島倉千代子都はるみ園まり西田佐知子

前夫は森進一。長男はロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカリストであるTaka。次男は、テレビ東京に勤務するサラリーマン[2]、三男はロックバンド「MY FIRST STORY」のボーカリストであるHiroこと森内寛樹

来歴 編集

生い立ちと学歴 編集

芸能界デビュー 編集

  • 1971年(昭和46年) 同年10月開始の日本テレビスター誕生!』(1971)に13歳で出場。初代グランドチャンピオンとなる。同番組には、昌子本人ではなく、激しい人見知りを克服してほしいと親戚の叔母が内緒で申し込んだもの。オーディション当日は、「洋服を買ってあげるついでだから」という口実で歌を歌わせた。
    • グランドチャンピオンになった結果、家に色々な芸能プロダクションが来て、昌子を芸能界に勧誘するようになった。父親は猛反対だったものの、家が貧しかったこと、母親の体が弱かったことから、家計の助けになるであろうと、昌子本人が父を説得して芸能界デビューした。ホリプロダクション(現ホリプロ)に所属。ホリプロに決めたのは、学業と両立させてくれるからだった。本名から"田"を抜いた芸名にしたのは硬い響きが取れるようにという判断[3]
  • 1972年(昭和47年)7月1日、徳間音工から『せんせい』で歌手デビュー。当時のキャッチフレーズは、「あなたのクラスメート」と称された。その翌年デビューした同学年の山口百恵桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれる。
  • 1973年第24回NHK紅白歌合戦に出演。なお、この中三トリオで最初にNHK紅白歌合戦に初出場を果たしたのは森であり、当時女性最年少の15歳での出場だった。なお、現在の女性最年少記録は芦田愛菜の7歳。
  • 1973年(昭和48年)、松竹の『男じゃないか・闘志満々』で映画デビュー。同年、『としごろ』で主演に抜擢された。この年から開催された『ものまね王座決定戦』の初代チャンピオンとなる。
  • 1975年(昭和50年)、『花の高2トリオ・初恋時代』で初めて山口・桜田と共演。また、この年3〜4月に開催された、春の選抜高等学校野球大会第47回)に『おかあさん』が入場行進曲に選ばれ、森もセンバツ大会の開会式にゲスト出演した。
  • 1977年(昭和52年)、堀越高校を卒業。同期卒業生には岩崎宏美岡田奈々池上季実子らがいる。

演歌歌手へ 編集

  • 1977年(昭和52年)の『なみだの桟橋』以降、本格的な演歌歌手への道を歩み始め、『津和野ひとり』『彼岸花』(1978年・昭和53年)など、難易度の高い曲を歌いこなせる実力派へと成長。
  • 1979年(昭和54年)、新宿コマ劇場で史上最年少女座長として『森昌子公演』を行う。
  • 1981年(昭和56年)、第32回NHK紅白歌合戦では『哀しみ本線日本海』で出場9回目、23歳にして初の紅組トリを務める。
  • 1983年(昭和58年)、『越冬つばめ』で第25回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。感激の余り受賞時に嬉し涙を流しながら歌い、その後の第34回NHK紅白歌合戦でも泣きながらの歌唱となる。このほか、TBSの金曜ドラマ『想い出づくり。』などドラマにも出演、女優としても活躍した。
  • 1984年(昭和59年)、NHKみんなのうた』で、『海へ来て』を歌う。放送期間は、1984年(昭和59年)8月1日 - 9月30日(再放送は5回)。
  • 1985年(昭和60年)、第36回NHK紅白歌合戦で初の紅組司会を、歌手出番では2度目の紅組トリをそれぞれ務める『愛傷歌』の歌唱前から感極まって号泣したため、途中で歌えなくなった。
  • 1986年(昭和61年)10月1日に森進一と結婚。
  • 1987年から、シングルレコードの新発売がなくなる。
  • 2001年(平成13年)、「第52回NHK紅白歌合戦」に出場を機に、夫との「デュエット歌手」として芸能活動再開。

離婚 編集

  • 2005年2月、自宅で過呼吸の発作を起こし、意識を失って倒れ緊急入院した。薬物中毒と診断され、集中治療室にて胃洗浄を受けた。過換気症候群とも呼ばれる一種のパニック障害だった。集中治療室から一般病棟に移って間もなく、夫の進一が医師に退院を要請し、本人の同意の上で、わずか1日で退院した。このことが様々な憶測を呼び、ワイドショー週刊誌に不仲説が取り上げられて、後の離婚騒動に発展した。
  • 同年3月、進一と別居。4月19日、離婚を発表。親権を長男が昌子側、次男と三男が進一側で持ち、養育権は3人とも昌子側とすることを進一が提案し、昌子が同意した。養育費は1人につき13万円として進一が負担した[4]

活動再開後 編集

  • 2006年3月27日、旧所属事務所のホリプロからソロの歌手として活動再開することを正式発表。4月、幻冬舎から初エッセー集『明日へ』を刊行。その後、和田アキ子・片平なぎさ榊原郁恵らにより、『おかえり! 昌子 激励の会』が開かれ、関係者700人が詰め掛けた。5月、『NHK歌謡コンサート』でテレビに復帰。『哀しみ本線日本海』『越冬つばめ』『父娘草』を涙ながらに熱唱した。以後意欲的にテレビ出演などの活動を行う。6月7日、古巣のポニーキャニオンから20年ぶりの新曲『バラ色の未来』をリリース。ジャケットタイトルは森大衛揮毫)。この年の暮れには、同曲で第57回NHK紅白歌合戦に5年ぶりに出場した。元夫・進一との競演が注目されたが、結局順序をずらしての出演となり、2人が同じステージに出演する場面は一度も無かった。なお、2007年(平成19年)以降、紅白には出場していない。
  • 2007年 上期のNHK連続テレビ小説どんど晴れ』で女優業を本格再開。7月13日には22年ぶりのドラマ主演となる金曜プレステージお母さん ぼくが生まれてごめんなさい』放送。
  • 同年9月26日、体調不良を訴え、急性肺炎により急遽入院。同日予定していた熊本のコンサートを始め、同年内のツアーの中止を発表。
  • 2008年2月5日、『NHK歌謡コンサート』で『越冬つばめ』を歌い、芸能活動を再開した。
  • 同年3月31日、ホリプロを退社。4月1日に個人事務所おんがく工房を設立。
  • 2009年2月28日個人事務所、おんがく工房より通販による新曲『子供たちの桜』リリース。
  • 同年5月、子宮筋腫の手術を受ける。
  • 同年12月31日、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』大晦日年越しSP『絶対に笑ってはいけないホテルマン24時』の中で、デビュー当時の髪型、衣装で『せんせい』を熱唱した。
  • このころから更年期障害貧血、デビュー当時の歌唱力を失った自信喪失などからうつ状態に陥る。
  • 2010年5月17日、子宮頸癌治療のため、子宮を全摘出手術[5]。癌と知って一時的に自殺願望が生まれたことを告白、退院時の記者会見の模様も放送された。
  • 2011年3月23日、レコード会社をホリデージャパンに移籍。新レーベル、ハートソングレコーズから『洗濯日和』をリリース。
  • 2012年11月21日 レコード会社をキングレコードに移籍し「人生に乾杯」を発売
  • 2016年7月1日 デビュー45周年を迎えた、同日、記念シングル「百年の恋歌」 アルバム「百年の恋歌~時を終えて』を発売。当日は自身初のクラブでの記念ライブショーが東京丸の内の「コットンclub」で開催された。
  • 2019年3月25日、年内限りでの芸能界引退を所属事務所が発表[6][1][7]
  • 12月25日、故郷の栃木県宇都宮市でのコンサートをもって活動終了。

特記事項 編集

親交
  • 美空ひばりに大変可愛がられていた。ひばりがテレビ局に共演を持ちかけ、昌子を楽屋に呼んだことが最初の対面である。そのときひばりの歌を歌って気に入られ、自宅に招かれて、直接歌を習ったりすることもたびたびあった。ひばりは自らを「オネエチャマ」と呼ばせ、レッスンが遅くなると彼女を自宅に泊めたりもした[8]
  • 美空ひばりからはプライベートで「マチャコ」と呼ばれていたが、初対面での印象「まあ、ちっちゃい子」から「マチャコ」と呼ぶようになった。ひばりはプライベート以外TV・ラジオなど公の場では絶対に「マチャコ」と呼ぶことはなかった。愛川欽也が「僕が『マチャコ』と呼んだとき、ひばりさんから『森昌子』って名があるのよと注意された」と述懐している。
カバー
物まね
  • 南沙織、あべ静江、小柳ルミ子の歌マネは絶品で最近売れてる本職のモノマネ芸人よりも完成度が高く、声だけ聴いてたら当人と聴き分けが困難なほど上手い物真似で清水ミチコやコロッケも脱帽した。
  • 先述の通りものまねが上手かったため、ある生放送番組でアグネス・チャンといたずらをしかけた。自分の手番にアグネスがこっそり音声をオフにし、舞台裏から昌子が別のマイクで彼女の歌をあてた。スタッフ一同誰もそのことに気づかず、昌子がばらしたときは怒られるどころか、ものまねの上手さに驚かれ賞賛されたという。[9]
  • その他、八代亜紀、仲間由紀恵などものまねのレパートリーの幅は本職のモノマネ芸人よりも多いくらい幅がひろい。
いたずら
  • 若い時はかなりのやんちゃで、八代亜紀がよくいたずらのターゲットになった。髪の毛をかためるスプレーを缶一本使い切る程ふりかけたり、八代が綺麗なヒラヒラのドレスを着ていた時、中身がどうなっているか確認するためめくったりした(本人いわく「ビラ〜ンとまくったら足だった」)。八代が1977年(昭和52年)第28回NHK紅白歌合戦の紅組トリで「おんな港町」を歌い出す時、昌子がマイクのコードを知らずに踏んでいて、あやうくステージ中央に間に合わないところだったことを、30数年の時を経て本人に謝罪した。ただし昌子は、それが『舟歌』の時だと記憶違いをしていた。
中三トリオ
  • 中三トリオと呼ばれた昌子、百恵、桜田の三人は、生放送本番直前まで一緒にトイレに隠れたりして、スタッフをよく困らせていた。山口百恵が引退して約3年経った1983年12月の『週刊読売』での徳光和夫との対談では「二人とは全然会ってません。ぷっつりですね。電話で話すこともありません。思い出っていっても、つい最近のことだったんだから、三人集まって話をするようなことは別にないし、今あっても、せっかく中三トリオから高三トリオっていう名前がついてたものが、何かぺらっぺらのすごく軽いものになっちゃっていやなんですよね」などと述べ[10]、2006年の昌子の著書『明日へ』では、三人はそれほど親しくはなく、ハワイに行った時も同室で気まずい空気になった、と述べているが、一方で自伝的エッセイ『それはじんせい』(2011年)の付属写真では、昌子が桜田の頬にキスする程親しい仲である、と書いており、内容が矛盾している。
  • デビュー前の山口百恵は昌子の付き人であり、昌子の家に下宿していた。
家族
  • 子煩悩で子育てに厳しく、挨拶は徹底し、偏食しないよう気を遣い、兄弟間でも長幼有序を守らせた。成人後も弟は兄に敬語で話すという。また、テレビに自身の映像が映りそうになると素早く察知して電源を消すようにし、国民のアイドルではなく子供達だけの母親であるように努めたという。
その他
  • 2005年頃より通信カラオケシステムDAMの機種改良に伴い、同機種で配信する森の代表曲で背景映像に森本人が出演する映像が多く採用されている。主な作品は以下の通りである。
    • あなたを待って三年三月
    • 哀しみ本線日本海
    • 立待岬
  • 19歳の時に、単身でアメリカのロサンゼルスへ旅行。友人宅に泊めてもらい逗留しつつ、アメリカの若者を観察して、アイドルとして輝いているはずの自分がアメリカの若者に見られるような輝きを持っていないのはなぜか、と考えたという。

NHK紅白歌合戦出場歴 編集

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1973年(昭和48年)/第24回 せんせい 03/22 野口五郎
1974年(昭和49年)/第25回 2 おかあさん 09/25 菅原洋一
1975年(昭和50年)/第26回 3 あなたを待って三年三月 09/24 にしきのあきら
1976年(昭和51年)/第27回 4 恋ひとつ雪景色 13/24 三橋美智也
1977年(昭和52年)/第28回 5 なみだの桟橋[注 2] 22/24 春日八郎
1978年(昭和53年)/第29回 6 彼岸花 20/24 三波春夫
1979年(昭和54年)/第30回 7 ためいき橋 20/23 森進一
1980年(昭和55年)/第31回 8 波止場通りなみだ町 20/23 千昌夫
1981年(昭和56年)/第32回 9 哀しみ本線日本海 22/22 北島三郎 紅組トリ
1982年(昭和57年)/第33回 10 立待岬 18/22 細川たかし
1983年(昭和58年)/第34回 11 越冬つばめ 19/21 五木ひろし
1984年(昭和59年)/第35回 12 涙雪 16/20 大川栄策
1985年(昭和60年)/第36回 13 愛傷歌 20/20 森進一 (2) 紅組トリ(2)
司会・トリ兼任
2001年(平成13年)/第52回 14 森昌子メモリアルスペシャル[注 3] 23/27 美川憲一
2006年(平成18年)/第57回 15 バラ色の未来 12/27 前川清 現時点では最後の出場

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。

ディスコグラフィ 編集

シングル 編集

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 オリコン
最高順位
規格品番
1 1972年
7月1日
A面 せんせい 阿久悠 遠藤実 只野通泰 3位 KA-427
B面 太陽の花嫁
2 1972年
10月25日
A面 同級生 4位 KA-441
B面 初恋の赤い傘
3 1973年
2月5日
A面 中学三年生 3位 KA-457
B面 少女が石段のぼる時
4 1973年
5月5日
A面 夕顔の雨 7位 KA-467
B面 待ちぼうけ
5 1973年
8月25日
A面 白樺日記 斉藤恒夫 11位 KA-477
B面 お兄さんみたいな人 荒木あい子 新井利昌 小杉仁三
6 1973年
10月31日
A面 記念樹 阿久悠 森田公一 馬飼野俊一 13位 KA-487
B面 さびしがりや
7 1974年
2月10日
A面 若草の季節 高田弘 17位 KA-490
B面 娘の暦
8 1974年
4月20日
A面 下町の青い空 横井弘 遠藤実 斉藤恒夫 15位 KA-497
B面 浅草の白い鳩
9 1974年
7月1日
A面 今日も笑顔でこんにちわ 藤田まさと 新井利昌 高田弘 12位 KA-507
B面 愛は遠い 斉藤恒夫
10 1974年
9月1日
A面 おかあさん 神坂薫 遠藤実 21位 KA-517
B面 ひとりっ娘
11 1974年
12月1日
A面 北風の朝 阿久悠 新井利昌 22位 KA-527
B面 砂時計
12 1975年
3月1日
A面 春のめざめ 平尾昌晃 竜崎孝路 20位 KA-537
B面 恋待草
13 1975年
6月1日
A面 面影の君 馬飼野俊一 15位 KA-547
B面 純情
14 1975年
9月1日
A面 あなたを待って三年三月 新井利昌 小杉仁三 15位 KA-567
B面 ふたりの青空
15 1975年
12月1日
A面 あの人の船行っちゃった 山口あかり 遠藤実 斉藤恒夫 22位 KA-577
B面 恋ざくら
16 1976年
3月1日
A面 おばさん 浜口庫之助 高田弘 - KA-587
B面 能登の海 及川恒平 浜口庫之助
17 1976年
6月1日
A面 夕笛の丘 山口あかり 新井利昌 小杉仁三 18位 KA-1007
B面 北の夏 及川恒平 高田弘
18 1976年
8月1日
A面 どんぐりッ子 横井弘 - KA-1019
B面 花笠踊り 山形県民謡
19 1976年
9月1日
A面 少年時代 阿久悠 遠藤実 小六禮次郎 KA-1017
B面 にほんの詩
20 1976年
10月10日
A面 恋ひとつ雪景色 井上忠夫 馬飼野俊一 32位 KA-1027
B面 あすなろう
21 1977年
1月25日
A面 小雨の下宿屋 山口あかり 高田弘 - KA-1042
B面 恋景色 新井利昌 高田弘
22 1977年
5月1日
A面 港のまつり わたなべ研一 沖田宗丸 馬飼野俊一 KA-1051
B面 初夏恋歌 有馬三恵子 新井利昌 高田弘
23 1977年
8月1日
A面 なみだの桟橋 杉紀彦 市川昭介 馬飼野俊一 28位 KA-1067
B面 秋の約束 わたなべ研一 沖田宗丸 竜崎孝路
24 1977年
12月1日
A面 春の岬 杉紀彦 市川昭介 - KA-1087
B面 波かげ いまむられいこ 新井利昌 高田弘
25 1978年
3月1日
A面 父娘草 山口あかり 八角朋子 馬飼野俊一 KA-1107
B面 花まつりの頃 わたなべ研一 和泉常寛 若草恵
26 1978年
6月1日
A面 津和野ひとり 山上路夫 新井利昌 竜崎孝路 KA-1122
B面 お嫁にゆきます 八角朋子 馬飼野俊一
27 1978年
9月5日
A面 彼岸花 阿久悠 出門英 小六禮次郎 KA-1132
B面 拝啓 婿どの 小林亜星 いしだかつのり
28 1978年
10月25日
A面 晴れたり降ったり曇ったり 山上路夫 佐々木勉 高田弘 KA-1141
B面
29 1979年
1月21日
A面 夕子の四季 阿久悠 出門英 小六禮次郎 KA-1152
B面 幸・あなたとともに
30 1979年
3月5日
A面 翔んでけ青春 藤田まさと 新井利昌 高田弘 KA-1154
B面 (カラオケ) -
31 1979年
6月5日
A面 銀のライター 阿久悠 猪俣公章 斉藤恒夫 KA-1164
B面 市川昭介 高田弘
32 1979年
10月21日
A面 ためいき橋 杉紀彦 小杉仁三 C-156
B面 冬の部屋
33 1980年
2月21日
A面 故郷ごころ 山田孝雄 C-166
B面 春日和 東海林良
34 1980年
6月21日
A面 信濃路梓川 いではく 遠藤実 斉藤恒夫 C-179
B面 夕焼けの空 高田ひろお
35 1980年
9月21日
A面 波止場通りなみだ町 西沢爽 7A-0006
B面 雨の港町 いではく
36 1981年
1月21日
A面 北寒港 さいとう大三 浜圭介 竜崎孝路 7A-0043
B面 橋本淳 中村泰士 高田弘
37 1981年
7月20日
A面 哀しみ本線日本海 荒木とよひさ 浜圭介 竜崎孝路 36位 7A-0090
B面 山田孝雄 市川昭介 斉藤恒夫
38 1982年
3月21日
A面 鷗唄 高田ひろお 小林亜星 竜崎孝路 - 7A-0159
B面 花暦 荒木とよひさ 浜圭介 馬飼野俊一
39 1982年
8月10日
A面 立待岬 吉田旺 7A-0206
B面 おにいちゃん 山上路夫 小林亜星 いちひさし
40 1983年
4月5日
A面 ふるさと日和 杉紀彦 森田公一 竜崎孝路 7A-0247
B面 手紙 松宮恭子
41 1983年
8月21日
A面 越冬つばめ 石原信一 篠原義彦 27位 7A-0301
B面 紅花になりたい 杉紀彦 幸耕平
42 1984年
4月21日
A面 寒椿 中山大三郎 船村徹 丸山雅仁 - 7A-0357
B面 古都の春 伊藤アキラ 森田公一 馬飼野俊一
43 1984年
10月5日
A面 ほお紅 SHOW 小杉保夫 小六禮次郎 7A-0426
B面 涙雪 秋元康 芹澤廣明 竜崎孝路
44 1985年
2月21日
A面 恋は女の命の華よ たかたかし 浜圭介 薗広昭 7A-0465
B面
45 1985年
7月21日
A面 愛傷歌 石本美由起 三木たかし 7A-0505
B面 恋きずな
46 1986年
5月2日
A面 孤愁人 7A-0554
B面 二人づれ 徳久広司 池多孝春
47 1986年
8月21日
A面 いつまでも〜愛彩川〜 三木たかし 7A-0621
B面 幸せありがとう
48 A面 ありがとう〜雛ものがたり〜 石原信一 篠原義彦 竜崎孝路 7A-0622
B面 雁来紅
49 A面 そして、今…悲しみの終着駅… 荒木とよひさ 浜圭介 7A-0623
B面 涙暦
50 A面 〜さようなら〜 阿久悠 遠藤実 薗広昭 7A-0624
B面 初秋 只野通泰
51 2006年
6月7日
01 バラ色の未来 なかにし礼 浜圭介 萩田光雄 14位 PCCA-70147
02 私の愛し方
52 2007年
1月17日
01 こころ雪 35位 PCCA-70175
02 美しき大地
53 2007年
10月3日
01 綺麗 石原信一 円広志 竜崎孝路 - PCCA-70196
02 金木犀の手紙 林有三
54 2011年
3月23日
01 洗濯日和 荒木とよひさ 松本俊明 TJCH-20001
02 子供たちの桜 都志見隆 川口真
03 おかあさん 神坂薫 遠藤実 林有三
55 2011年
11月9日
01 愛は流れる なかにし礼 浜圭介 若草恵 TJCH-20002
02 昔は昔 今は今
56 2012年
11月21日
01 人生に乾杯 浜圭介 竜崎孝路 KICM-30479
02 あなたから歩いて 山上路夫 浜圭介 田代修二
57 2013年
6月26日
01 はぐれどり さわだすずこ 蔦将包 KICM-30507
02 メモ用紙 胡沙まりも
58 2014年
4月16日
01 花魁 阿木燿子 宇崎竜童 桜庭伸幸 KICM-30579
02 時の過ぎゆくまま なかにし礼 H.Hupfeld 白井良明
59 2015年
3月4日
01 惚れさせ上手 阿木燿子 宇崎竜童 萩田光雄 KICM-30636
02 道行華
60 2015年
10月21日
01 心は哀しいものですね 松井五郎 浜圭介 若草恵 KICM-30681
02 たそがれ三番地 田代修二
61 2016年
7月1日
01 百年の恋歌 加藤登紀子 KICM-30730
02 陽ざしの中で 加藤登紀子 松本俊明
62 2017年
1月25日
01 みぞれ酒 田久保真見 岡千秋 伊戸のりお KICM-30770
02 そんな恋酒場
63 2017年
8月9日
01 哀しみの終着駅 荒木とよひさ 浜圭介 矢野立美 KICM-30803
02 愛彩川 石本美由起 三木たかし 萩田光雄
64 2018年
1月24日
01 好きかもしれない
〜大阪物語〜
[注 4]
紙中礼子 円広志 矢野立美 KICM-30835
02 越冬つばめ2018 石原信一 田代修二
65 2018年
6月20日
01 最後の乾杯 紙中礼子 浜圭介 KICM-30859
02 港の月
66 2018年
10月10日
01 あなたの愛に包まれながら 萩田光雄 KICM-30882
02 家族写真 渡辺なつみ

デュエット・シングル 編集

発売日 デュエット 曲順 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
2003年
1月22日
森進一 01 しあわせのうた やまさき十三 弦哲也 前田俊明 VIDL-30553
2004年
7月21日
01 なにはともあれ さだまさし 若草恵 VICL-35682
02 ふ・た・り・物語 中村修二 弦哲也 前田俊明

企画シングル 編集

発売日 曲順 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
2004年
5月19日
01 じゃがいもの唄 原田博之 森進一 若草恵 VICL-35665
委託製作盤

アルバム 編集

  • 「せんせい/同級生」 発売元 徳間ジャパン 1972年11月25日発売
  • 「中学三年生」 発売元 徳間ジャパン 1973年3月25日発売
  • 「マコ想い出の歌」 発売元 徳間ジャパン 1973年6月25日発売
  • 「白樺日記〜マコ初恋へのあこがれ」 発売元 徳間ジャパン 1973年10月1日発売
  • 「若草の季節〜マコの好きなヒット曲」 発売元 徳間ジャパン 1974年4月1日発売
  • 「森昌子ショウ〜下町の青い空」 発売元 徳間ジャパン 1974年6月1日発売
  • 「おかあさんに捧げる詩」 発売元 徳間ジャパン 1974年12月1日発売
  • 「十六歳の演歌〜他人船」 発売元 徳間ジャパン 1975年2月1日発売
  • 「森昌子ショウ〜北風の朝」 発売元 徳間ジャパン 1975年3月1日発売
  • 「森昌子民謡集〜北海盆唄」 発売元 徳間ジャパン 1975年9月10日発売
  • 「あの人の船行っちゃった」 発売元 徳間ジャパン 1975年12月1日発売
  • 「五周年森昌子ショウ-初姿-」 発売元 徳間ジャパン 1976年3月1日発売
  • 「森昌子十七才の演歌〜別れの一本杉」 発売元 徳間ジャパン 1976年7月1日発売
  • 「青春の日記 森昌子五周年記念アルバム」 発売元 徳間ジャパン 1976年9月1日発売
  • 「森昌子歌舞伎座特別公演 青春の熱唱」 発売元 徳間ジャパン 1976年11月10日発売
  • 「森昌子傑作民謡第二集」 発売元 徳間ジャパン 1977年1月21日発売
  • 「新春特別公演森昌子ショー“演歌に涙と青春を”1977年1月18日 浅草国際劇場」 発売元 徳間ジャパン 1977年3月1日発売
  • 「森昌子十八歳の演歌 南国土佐を後にして/長崎物語」 発売元 徳間ジャパン 1977年7月1日発売
  • 「新歌舞伎座特別講演ライブ 涙の熱唱」 発売元 徳間ジャパン 1977年11月1日発売
  • 「すぐに消えそうな愛なら」 発売元 徳間ジャパン 1978年4月1日発売
  • 「十九歳の演歌 港・桟橋・別れ唄」 発売元 徳間ジャパン 1978年7月1日発売
  • 「お嫁にゆきます 森昌子デビュー7周年記念東宝映画 サウンドトラック盤」 発売元 徳間ジャパン 1978年9月5日発売
  • 「森昌子デビュー7周年記念リサイタル 〜熱唱ひとり舞台〜 1978年9月21日 帝国劇場」 発売元 徳間ジャパン 1978年11月1日発売
  • 「昌子哀愁」 発売元 徳間ジャパン 1979年7月1日発売
  • 「二十歳の演歌 銀のライター/みちづれ」 発売元 徳間ジャパン 1979年8月1日発売
  • 「旅立ち」 発売元 ポニーキャニオン 1980年3月21日発売
  • 「森昌子古賀メロディーを唄う 〜二十一歳の演歌〜」 発売元 ポニーキャニオン 1980年7月21日発売
  • 「そしてひとり」 発売元 ポニーキャニオン 1980年11月21日発売
  • 「北寒港」 発売元 ポニーキャニオン 1981年4月21日発売
  • 「森昌子十周年記念リサイタル 1981年9月26日 大阪厚生年金ホール」 発売元 ポニーキャニオン 1981年11月21日発売
  • 「北のおんな」 発売元 ポニーキャニオン 1982年5月21日発売
  • 立待岬…愛しき人へ」 発売元 ポニーキャニオン 1982年11月21日発売
  • 「北風は暖かい〜今、故郷は…〜」 発売元 ポニーキャニオン 1983年8月21日発売
  • 「森昌子 艶華12」 発売元 ポニーキャニオン 1984年3月21日発売
  • 「女の暦〜ゆれる想い〜」 発売元 ポニーキャニオン 1984年12月5日発売
  • 「愛傷歌〜やがて秋から冬へ〜」 発売元 ポニーキャニオン 1985年10月21日発売
  • 「日本のうた〜森昌子15周年記念」 発売元 ポニーキャニオン 1986年1月21日発売
  • 「おぼえていますか、あの時を…」 発売元 ポニーキャニオン 1986年8月5日発売
  • 「いつまでも ありがとう そして、今…さようなら」 発売元 ポニーキャニオン 1986年8月21日発売
  • 「あのころ」 発売元 ポニーキャニオン 2007年8月22日発売
  • 「時の過ぎゆくまま〜心のスクリーン〜」 発売元 キングレコード 2014年3月5日発売
  • 「森昌子ベスト15 今、あなたへ」 発売元 キングレコード 2014年9月17日発売
  • 「ゴールデン☆アイドル」森昌子 「せんせい」〜「さよなら」までシングルAB面全99曲を収録 発売元 ポニーキャニオン 2015年2月11日
  • 「百年の恋歌 ~時を超えて~」45周年記念アルバム プロデューサー:加藤登紀子 発売元 キングレコード 2016年7月1日発売
  • 「名曲選」発売元 キングレコード 2017年10月13日発売
  • 「森昌子全集 1972-2019」発売元 キングレコード 2019年6月26日発売
  • 「森昌子全曲集2021」発売元 キングレコード 2020年9月9日発売
  • 「森昌子全曲集2022」発売元 キングレコード 2021年9月8日発売
  • 「森昌子全曲集」発売元 キングレコード 2022年9月7日発売

タイアップ曲 編集

楽曲 タイアップ
1976年 どんぐりッ子 映画「どんぐりッ子」主題歌
風の子ケーン NHK教育テレビ風の子ケーン」主題歌
1978年 お嫁にゆきます 映画「お嫁にゆきます」主題歌
晴れたり降ったり曇ったり テレビ朝日系ドラマ「おはなちゃん繁昌記」主題歌
テレビ朝日系ドラマ「おはなちゃん繁昌記」挿入歌
1982年 おにいちゃん TBS系ドラマ「おにいちゃん」主題歌
1984年 ほお紅 フジテレビ系ドラマ「女の暦」主題歌
2002年 しあわせのうた テレビ朝日系アニメ「釣りバカ日誌」OPテーマ
2004年 じゃがいもの唄 「じゃがいもの会」活動20周年記念チャリティーソング
2011年 洗濯日和 クリーニングチェーン「ホワイト急便」キャンペーンソング
2014年 メモ用紙 NHK BSプレミアム・鳥取発地域ドラマ「ちょっとは、ダラズに。」主題歌
2014年 時の過ぎゆくまま 映画「恋とオンチの方程式」主題歌

主な出演 編集

映画 編集

テレビドラマ 編集

バラエティ番組等 編集

当時芸能人のものまね番組の常連であった。

ラジオ・有線 番組 編集

舞台 編集

主な受賞歴 編集

CM 編集

主著 編集

  • 森昌子 『明日へ』 幻冬舎、2006年、149頁。ISBN 4-344-01154-6
  • 森昌子 『それはじんせい』主婦と生活社 週刊女性2010年7月 - 2011年5月連載 再編集2012年

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ただし1979年 - 1987年9月まではキャニオン・レコード名義。
  2. ^ それから10年後の1987年第38回NHK紅白歌合戦でも、松原のぶえが当曲を歌唱している。
  3. ^ 「せんせい」「哀しみ本線日本海」「越冬つばめ」を順に披露。
  4. ^ デュエット:円広志

出典 編集

  1. ^ a b 森昌子さん、年内で引退へ 「残された時間を考え…」 朝日新聞2019年3月25日
  2. ^ とんねるず、テレ東初出演“裏話”も披露 サンケイスポーツ 2012年8月16日閲覧
  3. ^ 「スターの芸名はどうして作られたの 芸名をつけたエピソード」『近代映画』1976年10月号、近代映画社、168頁。 
  4. ^ 森昌子 著、舘野晴彦(編集)、菊地朱雅子(編集) 編『明日へ』斉藤さゆり(構成)(初版)、幻冬舎、東京都渋谷区千駄ケ谷四丁目9番7号、2006年4月15日。ISBN 4-344-01154-6http://www.gentosha.co.jp/search/book.php?ID=101511 
  5. ^ テレビ朝日『徹子の部屋』2011年11月21日放映。
  6. ^ ファンの皆様へ 公式ブログ2019年3月25日
  7. ^ 森昌子が年内いっぱいで芸能界引退「還暦の節目で」 日刊スポーツ2019年3月25日
  8. ^ BSフジ『歌人伝説』2012年3月24日放映
  9. ^ 関西テレビ『雨上がり食楽部』2011年11月19日放送より
  10. ^ 「連載リレー対談(14) おもしろまじめアナのちょっトーク ゲスト 森昌子 ホスト徳光和夫」『週刊読売』1983年12月25日号、読売新聞社、34 - 37頁。 

関連項目 編集

外部リンク 編集