青江 三奈(あおえ みな、1941年5月7日 - 2000年7月2日)は、日本の歌手(演歌歌謡曲など)。本名は井原 静子(いはら しずこ)。芸能活動におけるプロフィールでは、生年月日を1945年7月7日としていた[2]。血液型はA型。

青江 三奈
出生名 井原 静子
生誕 (1941-05-07) 1941年5月7日
出身地 日本の旗 日本 東京都江東区
死没 (2000-07-02) 2000年7月2日(59歳没)
日本の旗 日本 東京都港区
北里研究所病院[1]
学歴 東京成徳高等学校卒業
ジャンル 演歌歌謡曲ジャズ
職業 歌手
担当楽器
活動期間 1966年 - 1999年
レーベル JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント

略歴編集

東京都江東区南砂町出身[3]。1947年区立南砂第一小学校に入学、1953年区立南砂第三中学校に入学を経て、1956年に東京成徳高等学校に進学[3]。1959年に高校を卒業した後、西武百貨店勤務を経てクラブ歌手となり、「銀巴里」などで歌い始める[3]

「青江三奈」の芸名は、作詞家・川内康範が『週刊新潮』で連載した小説「恍惚」のヒロインの歌手の名前に由来する。

1966年に『恍惚のブルース』でメジャーデビューし、80万枚[3]を売り上げるヒットとなる。特徴的なハスキーな低い声で歌うブルース演歌が評判となった[3]

1968年に冒頭部分の「色っぽい吐息」が有名な『伊勢佐木町ブルース』が100万枚、『長崎ブルース』が120万枚をそれぞれ売り上げて[3]いずれもミリオンセラーを記録。「伊勢佐木町ブルース」で第10回日本レコード大賞歌唱賞と第1回日本有線大賞スター賞を受賞した[3]

1969年に『池袋の夜』が150万枚[3]を売り上げて自身最大のヒット曲となり、史上初めて2年連続で第11回日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。同年の『国際線待合室』も75万枚[3]を売り上げた。1969年度のレコード年間売上金額は青江が全歌手の中で1位、翌1970年度は4位だった。

この頃より、青江と同じくハスキーボイスでビクターレコードから同期デビューの男性演歌歌手・森進一と並んで“ため息路線”と呼ばれた[3]。また1968年に松竹映画の『いれずみ無残』に出演したのを皮切りに、その後1971年までの間に日活の「女の警察シリーズ」や東映の「夜の歌謡シリーズ」など10本以上の映画に脇役として出演した[2]

その後の活躍編集

1970年代に入るとヒット曲は途絶えるものの、その後1982年発表のシングル『横浜みれん坂』では、第1回日本作曲大賞協会賞を受賞。1984年には初のブラジル公演を開催する[3]。デビュー25周年となった1990年に「レディ・ブルース」で第32回日本レコード大賞・優秀アルバム賞を受賞するなど、テレビ番組やコンサートなどに精力的に出演し続けていた。

NHK紅白歌合戦」は1966年の第17回に初出場したのちに、1968年の第19回から1983年第34回まで16年連続で出場した。1990年第41回は同年12月に亡くなった「恍惚のブルース」の作曲家浜口庫之助を偲び、7年ぶりに通算18回目で出場して最後の紅白出演となった。

1990年に青江三奈としてデビュー歌手生活25周年を記念して初のリサイタルを開催する[3]1991年ものまねタレント清水アキラと二人で「ラーメンブルース」のデュエット曲を発表する。1993年に初のジャズアルバム「THE SHADOW OF LOVE」も発表し、ニューヨークでもライブを開催する[3]1995年に歌手生活30周年リサイタルをNHKホールで開催するなど、1999年1月までコンスタントに歌手活動を行った。

59歳で病死編集

1998年の秋に背中の激痛で受診して膵臓癌と診断されたが[3]、病を隠して仕事をキャンセルせずに歌い続けた。1999年1月23日に渋谷公会堂で催したコンサートを最後に歌手活動を停止し、1月下旬に都内の病院へ入院し、膵炎による加療と発表された。最後のコンサート当日に痛みを耐えながら熱唱した公演の写真が、追悼の特集の際に公開されることがある。

1999年2月5日に9時間を要した手術が成功し、約3か月の入院生活を経て同年4月24日に退院した。退院後は抗癌剤の点滴のために通院しながら美容院へ通うなど歌手活動の復帰を図るが、2000年2月に体調が悪化して再入院して膵癌の転移が発覚する。その後は入退院を繰り返したが、2000年7月2日午後11時40分頃に東京都港区北里研究所病院で膵臓癌により59歳で死去[1]葬儀告別式で親友の水前寺清子[注釈 1]が歌手仲間の代表として弔辞を読んだ。

「伊勢佐木町ブルース」の歌碑が神奈川県横浜市中区イセザキモールに建立された[注釈 2]

人物編集

歌手デビューまで編集

実家は洋品店を営み、5人兄弟[注釈 3]の末っ子として育つ[3]。子供の頃から下町育ちらしい気さくでさっぱりした性格だった。兄たちが皆音楽好きだったことから青江も自然と歌が好きになり、小学生時代に地元の合唱団に入った。高校生の頃に将来歌手になる夢を持ち、在学中にミュージック・スクールで歌のレッスンを受けた[2]。しかしデビューのきっかけがつかめず、高校卒業後は西武百貨店池袋本店の化粧品売り場で働き始めた[3]

その後女友達に誘われて行った湘南での海水浴で偶然作曲家・花礼二と出会い[注釈 4]、これが転機となった。花が作曲家だと知った青江は、彼からジャズ、シャンソン、カンツォーネ、演歌など様々な歌を教わり始める。その後花が青江を「銀巴里」に売り込んだおかげでオーディションに合格し、クラブ歌手として銀巴里の他銀座や横浜などの店で歌うようになる[3]

その後青江のステージを見たビクターレコードのディレクターからスカウトされ[3]、1966年にデビュー。先述の通りデビュー曲「恍惚のブルース」はヒットしたが、その後1年半もの間ヒットが出ず地道な歌手活動が続く。この頃は、新宿区四谷の家賃3万円のアパートで暮らしていた[3]

「伊勢佐木町ブルース」編集

「伊勢佐木町ブルース」のイントロの青江による『色っぽい吐息』は、元々楽譜にはなかった。レコーディング時にスタッフから「伴奏のみのイントロがちょっと寂しい」との意見が出た。そこでディレクターが試しに青江にテキトーに声を出してもらった所、別のスタッフから「もっと色っぽくしてみよう」との案が出て『色っぽい吐息』を追加することが決まった[3]

同曲の発売後、世間では曲の冒頭の「色っぽい吐息」やサビの「ドゥドゥビドゥビドゥビ…」のフレーズが話題となった[3]。しかし当時は「“吐息”は子供向きではない」「お色気だ」の意見もあり、『第19回NHK紅白歌合戦』に2年ぶり2回目の出場時は、カズーの音と差し替えて[4]白組司会の坂本九は「ダチョウのため息」と紹介した。1982年『第33回NHK紅白歌合戦』で2回目に歌唱した際は「吐息」は差し替えられなかった。

その後1970年(昭和45年)から1979年(昭和54年)まで、マスプロ電工のマスプロアンテナのテレビCMへ出演した。その中で同曲の替え歌として「あなた知ってる〜 マスプロアンテナ〜 見えすぎちゃって 困ァるのォ〜」と唄った。サンバイザーにミニスカート姿でゴルフのグリーンでパッティングする際にミニスカートから内側がうかがえる光景が強調され、「お色気コマーシャル」として強い印象を残した。ただし、その後の青江が出演する同社CMは「お色気コマーシャル」では無くなった。

長者番付編集

「伊勢佐木町ブルース」の発売後からの数年間はテレビ出演のほか、1時間のステージを日に2回、時には地方を回ってひと月に28日間の公演をすることもあった。結構なハードスケジュールだったが、歌うことが大好きだったため一切泣き言を言わなかった[3]。この頃のステージ1回の青江の取り分は、60~70万円(大卒の初任給が約4万円の時代)だったとされる[3]

このことから、1970年代前半は長者番付(歌手部門)の常連となった[3]。所得金額は、1970年度は5位で4732万円[注釈 5]、1971年度は6位で5164万円[注釈 6]、1972年度は5位で5097万円、1973年度は4位で5202万円、1974年度は6位で4882万円だった[3]

花礼二との事実婚編集

作曲家の花礼二は青江と大井町で同居しながら歌唱指導した間柄で多くの曲を提供したが、2人は私生活においてもパートナーだった。青江は10歳ほど年上の花を“でんさん”と呼び、デビュー前の1965年頃から恋愛関係となった[3]。ただし当時の芸能界では、「女性タレントに恋人がいると芸能人として売れない」とされていたため、二人は籍を入れないままひっそりと交際を続けた[3]

しかし1981年に青江の方から突然別れを切り出し[注釈 7]、16年間に及んだ事実婚にピリオドが打たれた[注釈 8]。花と別れた後それまで以上に歌に打ち込み、先述の通り歌手として新しいことに挑戦したり海外公演なども行った。1990年頃から時々雑誌の対談などで「今考えると、“別れ”っていいんじゃないかと思えるの。人生観とか季節感とか全てにおいて深みが増した気がする。別れを経験していないとこの味わいがないんじゃないかしら」と語っていたという[3]

しかし2000年2月に膵臓癌の転移が判明した後、青江が花に直接連絡して「戻ってきて」と頼んだことで再会[3]。19年ぶりによりを戻した2人は、青江が死去する約2か月前に病床で婚姻届に署名して結婚した[注釈 9]。青江の死後は、青江の兄弟と花の間で相続について訴訟するなどして耳目を集めた。

その後、花は青江の一周忌を終えた頃に熱海市の借家に移住。生前に青江が暮らしていた目黒区の自宅は売却した。彼の自宅には青江がかつて着用したステージ衣装が数十着ほど運び込まれ、大切に保管されており、花の知人の証言では「(花は)いずれ、青江の記念館をつくって彼女の遺品を展示したい」と語っていたという。しかしその後、花は2021年の夏に89歳で逝去した。青江との死別後は一人暮らしで、葬儀は花の親戚が営んだ[5]

その他編集

  • 1978年に目黒区柿の木坂にプール付きの豪邸を構え、最晩年までここで暮らした。1981年に花と別れた後から2000年に復縁するまでの間は、この家でお手伝いさんと二人暮らしだった[3]
  • 「伊勢佐木町ブルース」がヒットしたことで町の名が全国区になり、その後青江は町の名誉会員になった[3]
  • 休日には、よく麻雀やゴルフをしていた。生前本人はゴルフの腕前について「調子が良いとハーフで40台前半」と言っていた[3]
  • 旅好きで国内旅行の時はゴルフと温泉を楽しむのが定番だった。また正月にはハワイ、夏休みにはパリを主に旅行していた[3]
  • 北海道内で主に活動する歌手・明江三奈のことを、「私の妹分、“北海道の青江三奈”として頑張って」と応援していた[3]

ディスコグラフィ編集

シングル編集

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1 1966年
6月21日
A面 恍惚のブルース 川内康範 浜口庫之助 寺岡真三 SV-416
B面 ひと知れぬ愛
2 1966年
10月30日
A面 ブルー・ブルース SV-484
B面 東京のためいき
3 1967年
1月15日
A面 眠られぬ夜のブルース SV-510
B面 あなたとわたし
4 1967年
4月15日
A面 夜の紅花 利根一郎 SV-551
B面 女の海
5 1967年
8月15日
A面 この恋なくしたら 吉田正 SV-603
B面 チャオ 私の恋人 吉田正 寺岡真三
6 1967年
10月5日
A面 女泣かせの銀座川 井田誠一 清水保雄 SV-628
B面 夜の花びら 木賊大次郎 鈴木庸一 近藤進
7 1968年
1月5日
A面 伊勢佐木町ブルース 川内康範 竹村次郎 SV-659
B面 霧のハイウェー 大野正雄 近藤進
8 1968年
2月5日
A面 行かないで[注釈 10] 吉田正 SV-665
B面 白い霧の二人
9 1968年
3月20日
A面 札幌ブルース 曽根幸明 寺岡真三 SV-687
B面 夕陽の町、函館
10 1968年
6月5日
A面 おんな酒 井田誠一 吉田正 SV-711
B面 女のこころ
11 1968年
7月5日
A面 長崎ブルース 吉川静夫 渡久地政信 寺岡真三 SV-725
B面 一人になりたい 平山忠夫 近藤進
12 1968年
10月5日
A面 酒場人形 山口洋子 猪俣公章 SV-756
B面 恋のおわり 猪俣公章 渋谷毅
13 1968年
12月5日
A面 新宿サタデー・ナイト 佐伯孝夫 鈴木庸一 竹村次郎 SV-778
B面 夜霧のワルツ
14 1969年
3月5日
A面 あなたに泣いた 滝口暉子 宮川としを SV-825
B面 新宿ぐらし
15 1969年
5月5日
A面 気まぐれブルース 川内康範 曽根幸明 寺岡真三 SV-838
B面 痛みのブルース
16 1969年
7月1日
A面 池袋の夜 吉川静夫 渡久地政信 SV-858
B面 私にさわらないで 近藤進
17 1969年
9月25日
A面 女だから 藤公之介 吉田正 SV-892
B面 二人きりで
18 1969年
12月25日
A面 国際線待合室 千坊さかえ 花礼二 近藤進 SV-928
B面 愛して恋して別れた二人 宮川哲夫 寺岡真三
19 1970年
3月25日
A面 夜がわたしを誘惑するように 佐伯孝夫 鈴木庸一 小谷充 SV-2003
B面 男たちのブルース 竹村次郎
20 1970年
7月5日
A面 夜の瀬戸内 吉川静夫 渡久地政信 寺岡真三 SV-2054
B面 広小路ブルース 近藤進
21 1970年
10月5日
A面 昭和おんなブルース なかにし礼 花礼二 船木謙一 SV-2087
B面 爪をかむ女 近藤進
22 1970年
12月25日
A面 三人の女 (1) 山口あかり 井上かつお SV-2113
B面 三人の女 (2)
23 1971年
3月25日
A面 白夜 千坊さかえ 花礼二 小谷充 SV-2140
B面 たそがれ 平山忠夫
24 1971年
6月5日
A面 長崎未練 吉川静夫 渡久地政信 寺岡真三 SV-2162
B面 地下鉄午前0時 近藤進
25 1971年
10月5日
A面 みなと・恋唄 千坊さかえ 花礼二 SV-2198
B面 白い京の町
26 1971年
12月25日
A面 恋岬 佐伯孝夫 鈴木庸一 SV-2221
B面 銀色の雨のブルース
27 1972年
3月25日
A面 朝日に向ってサンバ 川内康範 花礼二 高田弘 SV-2242
B面 恋に追われて
28 1972年
6月25日
A面 木屋町の女 千坊さかえ 近藤進 SV-2277
B面 ナイト・イン・那覇 橋本淳 馬飼野俊一
29 1972年
10月5日
A面 日本列島・みなと町 吉川静夫 渡久地政信 寺岡真三 SV-2293
B面 能登路の雨
30 1973年
1月25日
A面 旅路にひとり 橋本淳 猪俣公章 SV-2311
B面 過去にすがって 平山忠夫 花礼二 近藤進
31 1973年
4月25日
A面 女の夢 橋本淳 浜圭介 SV-2334
B面 恋の無情を知りました
32 1973年
7月25日
A面 札幌の女 吉川静夫 渡久地政信 寺岡真三 SV-2357
B面 あなたを忍ぶ街
33 1973年
10月25日
A面 放浪の恋唄 橋本淳 花礼二 SV-1157
B面 かざり窓
34 1973年
12月1日
A面 港・神戸の女 山口洋子 彩木雅夫 SV-2389
B面 意気地なし 松元乾二
35 1974年
2月25日
A面 私のスター 橋本淳 都倉俊一 飯吉馨 SV-1171
B面 想い出のレンガ通り
36 1974年
9月5日
A面 銀座ブルー・ナイト 吉田正 寺岡真三 SV-2426
B面 大阪の女
37 1975年
1月25日
A面 神戸北ホテル SV-2457
B面 悔んでみても 千坊さかえ 花礼二 馬飼野俊一
38 1975年
6月25日
A面 新宿みれん 山口洋子 吉田正 寺岡真三 SV-2489
B面 よこはま朝から今日も雨
39 1975年
6月25日
A面 忘れたい京都 矢津太郎 浜圭介 竜崎孝路 SV-2505
B面 アカシアのワルツ 橋本淳 花礼二 寺岡真三
40 1975年
12月5日
A面 おんな酔い 千家和也 井上忠夫 馬飼野俊一 SV-1264
B面 女だったら
41 1976年
3月5日
A面 霧の港、神戸 千坊さかえ 花礼二 竜崎孝路 SV-1283
B面 信濃路哀歌 小山恭弘
42 1976年
6月25日
A面 小樽の灯 吉川静夫 渡久地政信 寺岡真三 SV-6017
B面 女泣かせの通り雨
43 1976年
10月25日
A面 女から男への手紙 荒木あい子 井上忠夫 川口真 SV-6106
B面 25時の女 岡西通雄
44 1977年
4月5日
A面 片恋い倶楽部 阿久悠 小林亜星 竜崎孝路 SV-6194
B面 京都生まれ
45 1977年
9月5日
A面 みなとブルース たかたかし 花礼二 あかのたちお SV-6274
B面 たわむれの恋 チト河内
46 1977年
12月20日
A面 雪降る札幌 白鳥園枝 千葉毅 竜崎孝路 SV-6333
B面 時雨 藤公之介 李在鎬
47 1978年
4月25日
A面 ふられぐせ 千家和也 千葉毅 伊藤雪彦 SV-6407
B面 北のエレジー たきのえいじ
48 1979年
1月25日
A面 ゆきずり 横井弘 猪俣公章 竹村次郎 SV-6541
B面 表参道日暮れ前 東海林良 徳久広司 EDISON
49 1979年
9月5日
A面 盛岡ブルース つのかけ芳克 竹村次郎 SV-6629
B面 雨のネオン川 千坊さかえ 花礼二 寺岡真三
50 1980年
6月21日
A面 酔心 千家和也 千葉毅 薗広昭 SV-7013
B面 迷い酒
51 1981年
5月21日
A面 あなたにゆられて 北川文化 森田公一 SV-7114
B面 恋酒場 森田公一 竹村次郎
52 1982年
1月21日
A面 横浜みれん坂 峰尾勝己 武谷光 森岡賢一郎 SV-7185
B面 未練です 里村龍一 桜田誠一 竜崎孝路
53 1982年
8月21日
A面 夢灯り 新條カオル 斉藤恒夫 SV-7239
B面 あなたの函館 佐々木徳直 成田竜也 竜崎孝路
54 1983年
1月21日
A面 野母崎の夜 馬津川まさを 中山治美 馬飼野俊一 SV-7276
B面 ヨコスカ哀歌 橋本淳 浜圭介
55 1983年
6月21日
A面 新地ワルツ 吉田正 神山純一 SV-7311
B面 惚れてひとすじ とまりれん 竜崎孝路
56 1983年
11月21日
A面 大阪ブルース 水木かおる 鈴木邦彦 竹村次郎 SV-7350
B面 あなたがひとりでいるのなら 茅野遊 内山田洋
57 1984年
5月21日
A面 大田ブルース 三佳令二 金富海 竜崎孝路 SV-7384
B面 ミオ・ミオ・ミオ 鄭豊松
58 1985年
3月21日
A面 いつわり 中津康治 SV-9001
B面 横須賀ブルース 石本美由起 三木たかし
59 1985年
7月5日
A面 中洲・那珂川・涙街 小野正則 SV-9034
B面 北へ行く 中村泰士
60 1986年
4月21日
A面 新宿の夜 白鳥園枝 市川昭介 SV-9118
B面 角舘しのび逢い 石野ひさし 岡千秋
61 1986年
10月21日
A面 ぼやき 池田充男 西條キロク SV-9171
B面 男と女の港町
62 1987年
11月21日
A面 酒場歌 桜田誠一 SV-9289
B面 函館みれん
63 1989年
3月21日
A面 悲しみのモデル 荒木とよひさ 杉本真人 馬飼野俊一 SV-9393
B面 時計
64 1990年
3月21日
01 ベイブリッジ・ブルース ジェームス三木 吉田正 服部克久 VIDL-10016
02 あなたがもうひとりいればいい
65 1990年
9月21日
01 HONMOKUブルース なかにし礼 鈴木道明 前田憲男 VIDL-10060
02 TOKYOララバイ 鈴木道明
66 1991年
4月21日
01 雨に咲く花[注釈 11] 高橋掬太郎 池田不二男 寺岡真三 VIDL-10121
02 白樺の小径[注釈 12] 佐伯孝夫 佐々木俊一 前田憲男
67 1991年
9月21日
01 ラーメンブルース[注釈 13] 丼盛太郎 猪俣公章 伊戸のりお VIDL-10152
02 デュオ 年上の女 山口あゆみ
68 1992年
6月21日
01 いとしのすっとこどっこい ジェームス三木 三木たかし 若草恵 VIDL-10249
02 エゴイスト
69 1994年
9月21日
01 淋しい時だけそばにいて 麻こよみ 鹿紋太郎 宮崎慎二 VIDL-10551
02 LOVE IS FOREVER〜いつかまた〜
70 1995年
6月21日
01 女とお酒のぶるーす 仁井谷俊也 宮下健治 伊戸のりお VIDL-10665
02 殉愛のブルース 木下龍太郎 南郷孝
71 1997年
1月22日
01 恋命 川内康範 VIDL-11031
02 夜明け川 川内康範 乃木五郎
72 1998年
5月21日
01 しのび逢いそっと 荒木とよひさ 浜圭介 川村栄二 VIDL-30232
02 夕昏れの街角
73 2000年
12月16日
01 炎のように火のように 山崎ふみえ 曽根幸明 高田弘 VIDL-30517
02 恍惚のブルース 川内康範 浜口庫之助 寺岡真三

アルバム編集

オリジナル・アルバム編集

  1. 青江三奈ブルースを唄う (1968年10月)
  2. 盛り場流し唄 (1969年3月)
  3. グッド・ナイト (1969年7月)
  4. 麦と兵隊 青江三奈 男ごころを唄う (1970年5月)
  5. お富さん ~渡久地政信作品集~ (1970年9月)
  6. 懐しの映画音楽を唄う (1971年9月)
  7. 盛り場の女を唄う (1971年12月)
  8. 長崎を唄う (1972年3月)
  9. 女の望郷~沖縄から北海道まで~ (1972年7月)
  10. 影を慕いて (1972年9月)
  11. 放浪船 (1973年1月)
  12. 女の夢 (1973年5月)
  13. 日本のおんなを唄う (1973年8月)
  14. 私のスター/青江三奈愛を唄う (1974年4月)
  15. 女のなみだを唄う (1974年7月、SJX-180)
  16. 酒場・盛場・流し唄 (1974年12月)
  17. 神戸北ホテル (1975年3月)
  18. 女の情を唄う (1975年8月)
  19. 25時の女 (1976年7月)
  20. 佐藤千夜子の世界 (1977年)
  21. ゆきずり/青江ブルース (1979年2月)
  22. 盛岡ブルース (1979年10月)
  23. 酔心 (1980年7月)
  24. 夢灯り (1982年9月)
  25. Lady Blues -女・無言歌- (1990年3月21日、VICL-21)
  26. The Shadow Of Love (1993年10月21日、VICJ-182)

ライブ・アルバム編集

  1. 炎熟 (1977年)
  2. Passion Mina In N. Y. (1995年)
    • 1995年9月23日から25日まで、ニューヨーク・レインボールームにて収録。

出演編集

NHK紅白歌合戦出場歴編集

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1966年(昭和41年)/第17回 恍惚のブルース 09/25 城卓矢
1968年(昭和43年)/第19回 2 伊勢佐木町ブルース 14/23 アイ・ジョージ 2年ぶり出場
1969年(昭和44年)/第20回 3 池袋の夜 01/23 布施明 トップバッター
1970年(昭和45年)/第21回 4 国際線待合室 23/24 北島三郎 トリ前
1971年(昭和46年)/第22回 5 長崎未練 07/25 五木ひろし
1972年(昭和47年)/第23回 6 日本列島・みなと町 21/23 五木ひろし(2)
1973年(昭和48年)/第24回 7 長崎ブルース 18/22 森進一
1974年(昭和49年)/第25回 8 銀座ブルーナイト 22/25 フランク永井
1975年(昭和50年)/第26回 9 神戸北ホテル 12/24 内山田洋とクール・ファイブ
1976年(昭和51年)/第27回 10 女から男への手紙 22/24 北島三郎(2)
1977年(昭和52年)/第28回 11 みなとブルース 17/24 内山田洋とクール・ファイブ(2)
1978年(昭和53年)/第29回 12 ふられぐせ 17/24 春日八郎
1979年(昭和54年)/第30回 13 盛岡ブルース 21/23 村田英雄
1980年(昭和55年)/第31回 14 酔心 21/23 村田英雄(2)
1981年(昭和56年)/第32回 15 あなたにゆられて 15/22 村田英雄(3)
1982年(昭和57年)/第33回 16 伊勢佐木町ブルース(2) 10/22 フランク永井(2)
1983年(昭和58年)/第34回 17 大阪ブルース 15/21 サザンオールスターズ
1990年(平成2年)/第41回 18 恍惚のブルース(2) 12/29 西田敏行 7年ぶり出場、最後の出演
  • 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

映画編集

テレビドラマ編集

CM編集

受賞編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 水前寺によると「手術の後の入院中に私が見舞った時、いつものようにお互いに冗談を飛ばしました。けれど突然『チータ、私何か悪いことした?なんでよ!人一倍体に気をつけていたのに、なんで!』と言って泣き出したんです。彼女が悔し涙を流すのを初めて見ました」と回想している[3]
  2. ^ 台座のスイッチを押すと同曲が1分間流れる仕組みになっている[3]
  3. ^ 男ばかりの兄弟か姉がいる兄弟なのかは不明。
  4. ^ 実際には花の友人が池袋で青江の友人と知り合い(今で言うナンパと思われる)、お互いの同性の友達数人を誘って海水浴に行くことになり、青江と花はそれぞれの友人から誘われた[3]
  5. ^ 1位は北島三郎の7901万円、2位は三波春夫の7727万円、3位は美空ひばりの6215万円、4位は水前寺清子の5352万円[3]
  6. ^ 1位は美空ひばりの1億3781万円、2位は三波春夫の9024万円、3位は北島三郎の8886万円、4位は水前寺清子の7308万円、5位は森進一の5896万円[3]
  7. ^ その後花は、『このままでは私はあなたの分身で一生終わってしまう』と言われた」と、ある雑誌のインタビューで打ち明けたという[3]
  8. ^ また、デビュー当時からの青江をよく知る衣装デザイナーによると、「それまでの青江さんは歌だけでなく、服やヘアメイクなど何でも花先生の言う通りにしていた。花さんと別れる時、青江さんは人生に目覚めたというか、私には子供が親離れしたように見えました」と回想している[3]
  9. ^ 青江の当時のマネジャーは後年、「彼女自身もう長くないと悟っていたのか、入籍前に『“青江三奈”を作ったのはでんさんだから、でんさんに全部あげたい』と言っていた」と回想している[3]
  10. ^ 共演:マハロ・エコーズ
  11. ^ 関種子の同名曲のカバー。
  12. ^ 淡谷のり子の同名曲のカバー。
  13. ^ デュエット:清水アキラ

出典編集

  1. ^ a b “ブルースの女王、青江三奈さんが死去 すい臓がん、54歳”. ZAKZAK. (2000年7月3日). オリジナルの2004年8月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20040812065052/http://www.zakzak.co.jp/geino/n-2000_07/g2000070309.html 2019年12月19日閲覧。 
  2. ^ a b c 青江三奈”. 映画DB. 2022年6月16日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap 週刊現代1月22日号「昭和の怪物」研究その151・青江三奈「ブルースの女王」p25-32
  4. ^ 夢の紅白|2014/12/28(日)放送”. TVでた蔵. ワイヤーアクション. 2014年12月28日閲覧。
  5. ^ “青江三奈さん逝去から21年…親族と遺産バトルの作曲家夫が孤独死していた”. 女性自身. (2021年12月26日). https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2053981/ 2022年6月16日閲覧。 
  6. ^ 夜の歌謡シリーズ 伊勢佐木町ブルース”. 映画.com. 2022年6月16日閲覧。
  7. ^ 夜をひらく 女の市場”. 映画.com. 2022年6月16日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集