能見篤史

日本のプロ野球選手

能見 篤史(のうみ あつし、1979年昭和54年〉5月28日 - )は、オリックス・バファローズに所属する兵庫県出石郡出石町(現在の豊岡市)出身のプロ野球選手投手)。左投左打。オリックスでは、投手コーチを兼任する[2]

能見 篤史
オリックス・バファローズ 選手兼任コーチ #26
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2011年3月9日の能見篤史(阪神タイガース時代、阪神甲子園球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県出石郡出石町(現:豊岡市
生年月日 (1979-05-28) 1979年5月28日(42歳)
身長
体重
180 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2004年 自由獲得枠
初出場 2005年4月3日
年俸 3,500万円(2021年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • オリックス・バファローズ (2021 - )
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2013年
獲得メダル
日本の旗 日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2013 野球

概要編集

2005年から2020年まで、阪神タイガースに在籍。2019年にはNPBの一軍公式戦における40代の投手としてのシーズン最多登板数記録2020年シーズン終了時点)、オリックス移籍後の2021年には通算1,500奪三振を歴代最年長小宮山悟と並ぶ41歳11か月)で達成した[3]。また、阪神・オリックスの両球団で、一軍公式戦におけるセーブホールドの球団最年長記録を達成。NPBの投手では初めて、最年長セーブと最年長ホールドの球団記録を40代に複数の球団で樹立している[4]

経歴編集

プロ入り前編集

神戸市で出生した後に、兵庫県警察の警察官だった実父が出石町内の駐在所へ赴任したことから、自身も生後4ヶ月から中学校を卒業するまで同町で過ごした[5]

小学校3年時に実父が指導者をしていた出石町内の軟式野球チーム「小坂プラッキーズ」で野球をスタート[5]。その後、鳥取城北高校普通科体育コースへ進学すると、硬式野球部のエースとして活躍した。2年時には、夏の鳥取大会で準優勝を経験。秋には、秋季県大会での優勝を経て、秋季中国地区大会でチームのベスト4進出に貢献した。3年時の春季県大会ではノーヒットノーランを達成している。

在学中は全国大会と無縁であったが、上記の実績から、川口知哉平安)・井川慶水戸商業)とともに「高校生左腕三羽ガラス」と称されるほど注目された[6]NPBの一部球団もドラフト会議の指名に向けて動いていたが、当時大阪ガス硬式野球部の監督だった竹村誠から熱心な誘いを受けた末に、同社へ入社した[5]

大阪ガスへの入社後は、熱心なファンですら投げる姿をほとんど見られなかったほど故障が相次いでいて、一時は「幻の投手」とまで呼ばれた。入社5年目の2003年には、「来年もダメだったら社業に戻る」と考えていたという。しかし、竹村の後任として監督に就任した湯川素哉から、「(左肘が)痛くても投げなさい。どうせなら、(左肘を)壊して辞めないか」という「最後通告」を受けたことから一念発起。左肘に痛みを抱えながら投げ込みの球数を増やしたところ、その成果を湯川に認められたことから、対外試合での登板機会を徐々に増やした[6]

2003年の第30回社会人野球日本選手権大会では、予選から好調を維持したまま、本大会で決勝に進出。決勝で日産自動車と対戦したが、延長11回に伊藤祐樹適時打サヨナラ負けを喫した。翌2004年には、後に阪神でもチームメイトになる渡辺亮久保康友らと共に、第22回ハーレムベースボールウィーク日本代表として第22回ハーレムベースボールウィークに出場。その後に催された日本選手権でも、2年連続で本大会への出場を果たすと、野村克也監督率いるシダックス戦で野間口貴彦との投げ合いを制するなど活躍した。JFE西日本との決勝戦にもリリーフで登板したが、延長15回表に福竹政人のソロ本塁打で決勝点を与えたため、2年連続で敗戦投手になった[6]

2004年のNPBドラフト会議自由獲得枠[7]、当時井川がエースとして活躍していた阪神タイガースに、契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は14。担当スカウト池之上格[8]

阪神時代編集

2005年、開幕一軍入りを果たしたが、6月中旬に二軍へ降格。7月末に一軍へ再び昇格すると、9月には一軍公式戦で2連勝を記録したものの、一軍公式戦の通算防御率は5点台に達した。10試合に登板したウエスタン・リーグ公式戦では、投球回(38回)を上回る41三振を記録するとともに、22被安打、15与四球でWHIP0.97、防御率1.42を記録。セントラル・リーグ優勝で臨んだ日本シリーズでも、救援での登板を経験した。

2006年、左のセットアッパーとして前年のセ・リーグ優勝に大きく貢献したジェフ・ウィリアムスが、膝の手術を受けた影響でレギュラーシーズンの開幕に出遅れたため、開幕から中継ぎとして一軍公式戦で登板。チームが4敗を喫した開幕からの10試合には継投の失敗が相次いだ影響で、3試合で自身に黒星が付いた。セ・パ交流戦の期間中にウィリアムスが復帰すると、二軍へ降格。降格後には、ウエスタン・リーグ公式戦6試合の登板で、防御率3.60を記録した。シーズン終了後にハワイ・ウィンターリーグへ派遣。

2007年、井川がMLBニューヨーク・ヤンキースへ移籍したことに伴い一軍公式戦での開幕から先発ローテーションに入ったが、4月末までに5試合の登板で1勝3敗と不振だった。中継ぎへの再転向後も不安定な投球が続き、5月27日の対千葉ロッテマリーンズ戦(阪神甲子園球場)では9回表に救援登板して1回5失点を記録した。この登板では、チーム3個目の死球福浦和也に与えたことがきっかけで、その裏に藤田宗一による金本知憲への死球で乱闘を招いている。翌28日に二軍へ降格したが、8月中旬に先発要員として一軍へ復帰。復帰直後の4試合では、8月18日の対広島東洋カープ戦(京セラドーム大阪)で一軍公式戦初完封を挙げるなど3勝を挙げた。ウエスタン・リーグ公式戦では7試合に登板。チームトップタイ(リーグ2位)の6勝、防御率2.51、通算投球イニング43回で37奪三振を記録した。また、被安打35、与四球15でWHIP1.12と安定していた。

2008年は中継ぎでスタート。5月7日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(東京ドーム)で7回裏に救援登板すると、アレックス・ラミレスに本塁打性の打球を打たれたが、外野席の最前列にいた観客が打球を手で押さえたことから、審判団の協議で二塁打として判定される珍事に見舞われた。同年の一軍公式戦での登板は11試合で、プロ入り後初の未勝利でシーズンを終えた。ウエスタン・リーグ公式戦では、29試合に登板してリーグ6位の5勝、チームトップ(リーグ2位)の11セーブ、リーグ5位の52奪三振を記録。防御率0.83、WHIP0.90という好成績を残した。

2009年、自身と同じ左投手の岩田稔など、投手陣に故障者が相次いだことを背景に、レギュラーシーズンの開幕から一軍の先発ローテーションに入った。6月までは先発登板の試合で打線の援護に恵まれず、7月上旬には救援で3試合に登板した。7月19日の対巨人戦(東京ドーム)に9回を2安打無失点12奪三振の好投で勝利投手になってからは、11試合の先発登板で9勝2敗と好調。セ・リーグ3位の165回を投げて、プロ入り後初めて最終規定投球回に到達した。また、防御率2.62、13勝(いずれもリーグ4位)、リーグ2位の154奪三振など、チームの投手陣トップの成績を記録。対巨人戦では内海哲也との先発対決に4試合連続で投げ勝ったほか、対広島戦では7試合の登板で4勝、防御率1.45という好成績を残した。

2010年、2年連続でレギュラーシーズンの開幕から一軍の先発ローテーションを担ったが、5月2日の対巨人戦で走塁中に右足楔状骨の剥離骨折に見舞われたため、4か月もの戦線離脱を余儀なくされた。9月9日の対中日ドラゴンズ戦(いずれも甲子園)で一軍に復帰すると、勝敗は付かなかったものの、7回2失点10奪三振と好投。復帰後の対巨人戦で2勝を挙げたことによって、前年7月から始まった同カードので連勝を7にまで伸ばした[9][10]。レギュラーシーズン全体でも、一軍公式戦で8勝無敗を記録。9月には、5試合の登板で3勝、防御率1.29を記録するなど好調で、セ・リーグ投手部門の月間MVPに初めて選ばれた。

2011年、入団後初めてレギュラーシーズンの開幕投手として臨んだ4月12日の対広島戦に、7回途中3失点でシーズン初勝利。4月19日の対巨人1回戦(いずれも甲子園)では、一軍公式戦7者連続三振の球団最多タイ記録を達成した。5月3日の対巨人4回戦(東京ドーム)での9回完投勝利によって、1979年小林繁が達成した同カード8連勝の球団記録に並んだものの、6月26日の9回戦(甲子園)で黒星を喫したことで連勝が止まった。それでも、レギュラーシーズン全体では、自己最多の200回1/3を投げて12勝を記録した。

2012年、前年に続いてレギュラーシーズンの開幕投手に起用されると、シーズン序盤は好調。中盤は巨人相手に3連敗を喫するなどの不振に陥ったが、4試合に登板した9月には、3勝1敗、防御率0.55という好成績で球団選定の月間MVPを受賞した[11]。レギュラーシーズンのチーム最終戦であった10月9日の対DeNA戦(甲子園)では、1回表に2三振を奪った末に降板したことによって、杉内俊哉と同数(172)ながらセ・リーグ最多奪三振のタイトルを確定させた。同タイトルを阪神の投手が獲得したのは、2006年の井川以来6年ぶり[12]で、2年連続のシーズン2桁勝利も達成[11]。シーズン終了後には、翌2013年に開催される第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表候補に入った[13][14]

2013年、NPBのオープン戦期間中に開かれた第3回WBCに、日本代表の一員として参加[15]代表入りした[16][17]東京ドームで開催された2次ラウンドでは、代表合宿からの好調を買われて、対台湾代表戦の先発に起用された。2回裏までは好投したものの、3回裏に突如制球を乱すと、二死満塁から押し出し四球で先制点を献上。結局、2回2/3を自責点1という内容で交代したが、試合自体は延長10回の末に4-3で日本代表が勝利した。日本代表の2次ラウンド1位通過を経て臨んだ決勝ラウンドでは、プエルトリコ代表との準決勝(サンフランシスコAT&Tパーク)において、1点ビハインドの6回表から2番手で登板。7回表無死一塁から1回0/3を投げたものの、8回表にアレックス・リオスから2点本塁打を打たれて自責点2で降板する[18]と、日本代表も1-3で敗れた。

NPBのレギュラーシーズンは、開幕戦への登板を回避。4月に爪が割れるアクシデントがあったが、5月6日の対巨人戦(東京ドーム)では、笠原将生から一軍公式戦初本塁打を記録するとともに、完投勝利を挙げた[19][20]。シーズン成績は11勝7敗で、3年連続の2桁勝利、自己最多の6完投勝利を記録。

2014年、3月28日の対巨人戦(東京ドーム)で2年ぶりに開幕投手を務めたが、序盤での4点リードを守れず、5回途中10被安打10失点(全て自責点)の乱調で大敗を喫した[21]。5月16日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)から6月14日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)まで2桁奪三振を続けた結果、5試合連続2桁奪三振のセ・リーグ最長記録を達成した[22]が、同年は自己ワーストの13敗を記録。防御率も3.99で、6シーズンぶりに2点台を突破するなど安定感を欠いた。しかし、レギュラーシーズン2位で迎えたクライマックスシリーズ(CS)では、10月12日に広島とのファーストステージ第2戦(甲子園)に先発すると、8回を無失点と好投。チームはこの試合を引き分けで終えたものの、シリーズ規定によってファイナルステージ進出が決まった。リーグ優勝の巨人と対戦したファイナルステージでは、10月18日の第4戦(東京ドーム)で先発。5回94球2失点という内容で交代すると、救援陣の逃げ切りによって勝利投手になるとともに、チームも日本シリーズ進出を果たした[23]福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは、甲子園での第2戦に先発。6回2失点と好投しながら敗戦投手となった。その後は登板の機会がなく、チームも球団史上2回目のシリーズ制覇を逃した。日本シリーズの終了後は、11月11日に甲子園で催された「日本プロ野球80周年記念試合」で、阪神・巨人連合チームの先発投手としてMLBオールスターチームを2回無失点に抑えた[24]。また、レギュラーシーズン中に取得した国内FA権を行使したうえで、阪神と3年契約を結んだ[25]

2015年は、レギュラーシーズンで自身2年ぶりの2桁勝利となる11勝を挙げたが、前年と同じ13敗で2年連続のリーグ最多敗戦を記録。防御率も3.72と、規定投球回に達した投手では最も悪かった。クローザーの呉昇桓が故障で離脱したシーズン終盤には、中継ぎで2試合に登板したが、いずれの試合でも打ち込まれている。チームがレギュラーシーズン3位で迎えた巨人とのCSでは、ファーストステージの第3戦(東京ドーム)で先発投手として5回1失点と好投したがチームは敗れ、日本シリーズ進出を逸した。

2016年は8勝12敗、防御率3.67を記録。シーズンを通してローテーションを守ったものの、3年連続でリーグ最多敗戦を記録した。NPBの一軍公式戦において、同じ投手が3年連続でリーグ最多敗戦を記録した事例は、1986年から1988年までの尾花高夫(ヤクルト)以来で、左腕投手では初である。シーズンの終盤には、自身と同じく先発ローテーションの一角を担っていた岩崎優に続いて中継ぎへ転向[26]。一軍の救援陣に左投手が少なかったことによる措置であったが、中継ぎ登板で1ホールドを挙げるなど好投を続けたことから、シーズン終了後にはセットアッパーへの転向も視野に調整を進めた[27]

2017年、岩崎を本格的にセットアッパーへ転向させるチーム方針の下で、先発に再び専念。レギュラーシーズンでは一軍公式戦での救援登板がなく、先発登板23試合で6勝6敗という成績を残した。シーズン防御率は3.72ながら、4試合に登板した5月には、防御率0.43を記録するなど好調だった[28]。逆に、7月に3連敗を喫してからは、2か月にわたって白星から見放された。それでも、レギュラーシーズンの最終登板であった9月28日の対DeNA戦(横浜)では、93球を投げて同年唯一の完投勝利を挙げている[29]。チームのレギュラーシーズン2位で臨んだDeNAとのCSファーストステージ(甲子園)では、1勝1敗で迎えた第3戦(10月17日)の先発を任されたものの、一死しか取れずに3点を失って1回表の途中で降板[30]。チームはこの試合に敗れたことによって、広島とのファイナルステージ進出を逸した。

2018年、レギュラーシーズンの開幕から一軍の先発ローテーションに入っていたが、5月までに登板した3試合で0勝2敗、防御率7.53と振るわず、5月11日の広島戦登板後から二軍で調整。元々肩の仕上がりが早いことに加えて、一軍の救援陣から戦線を離脱する投手が相次いだことを[31][32]背景に、6月からセットアッパーへ本格的に転向した。6月9日の対千葉ロッテマリーンズ戦(甲子園)では、同点の延長11回表から救援で登板すると、チームのサヨナラ勝ちによってシーズン初勝利を記録[33]。6月28日の対DeNA戦(横浜スタジアム)では、同点の8回裏に1回を無失点で抑えると、チームの勝利によって一軍公式戦通算100勝目を挙げた。日本プロ野球では歴代135人目[34]で、阪神の生え抜き投手では選手では1985年山本和行以来33年ぶりの記録である[35]。8月16日の対広島戦(京セラドーム大阪)では、9回表にクローザーのラファエル・ドリスが先頭打者・會澤翼へ投じた初球が頭部死球で危険球とみなされて退場処分を受けたため、無死一塁の場面で緊急登板。そのまま抑えてチームの勝利につなげたことから、入団14年目にして一軍公式戦初セーブを挙げた[36]。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦45試合の登板で、4勝3敗1セーブ、防御率2.56を記録。救援に専念した6月以降は、42試合の登板で4勝1敗1セーブ、防御率0.86という好成績を収めた[37]ほか、9月11日の対中日戦(甲子園)では球団の40代投手としては初めてのホールドを記録した[38]。シーズン終了後には、矢野燿大の一軍監督就任に伴って先発への再転向も検討された[39]が、矢野との面談で中継ぎに専念する意向を伝えている[37]。また、中日で43歳までプレーを続けていた左投手の岩瀬仁紀が、シーズン終了後に現役を引退。能見自身は、39歳だった12月14日に推定年俸1億1,000万円(前年から1,000万円減)という条件で阪神との契約を更改したこと[40]によって、NPB現役最年長の左腕投手になった[41]

2019年、開幕から中継ぎに専念。ナゴヤドームでの対中日戦では、阪神の40代投手としては歴代3人目の一軍公式戦勝利を8月14日に記録した[42]ほか、9月15日の登板でシーズンの登板数が50試合に達した。40歳以上の現役投手がNPBのレギュラーシーズンで一軍公式戦50試合に登板した事例は、2017年に42歳で達成した岩瀬に次いで2人目である[43]。最終的に自己最多の51試合に登板。入団後初めて公式戦に先発しなかった[44]ものの、1勝2敗18ホールドという成績で、チームの2年振りCS進出に貢献した。シーズン防御率は4.30と高く、7月にはリフレッシュを兼ねての二軍調整を経験した[45]が、シーズン終了後の12月11日には推定年俸9,500万円(前年から1,500万円減)という条件で契約を更改した[44]

2020年、年頭から新型コロナウイルスへの感染が拡大している影響で、当初3月20日に予定されていたレギュラーシーズンの開幕が誕生日より後(6月19日)まで延期されたものの、41歳にして開幕から救援陣の一角を担った。6月20日に巨人との開幕カード第2戦(東京ドーム)8回裏にシーズン初登板を果たしたことによって、阪神一筋で41歳のシーズンにも現役で在籍した投手としては若林忠志(1リーグ時代の1941年)以来2人目の公式戦登板を達成[46][47]。7月19日の対中日戦(甲子園)では、先発で登板した2018年5月11日の対広島戦(マツダ)以来の打席へ立った(記録は見逃し三振)一方で、救援投手としてチームのリードを守った末にシーズン初勝利を挙げた。41歳のシーズンに現役で阪神に在籍していた投手では若林(1941年)・下柳剛(2009年)に次ぐ打席と勝利で、2009年から始まった一軍公式戦での連続勝利シーズン記録も、この試合での勝利によって中西清起以来の12シーズンにまで伸ばした[48]。同年は開幕直後から調子が上がらず、7月の前半には、一軍への帯同を続けていながら2週間登板の機会がなかった[49]。9月3日の対ヤクルト戦(甲子園)では、7回表二死二・三塁からの救援登板で対戦した山崎晃大朗を投ゴロに仕留めながら、マウンド付近で跳ねた打球が自分の身体を直撃。その影響で体勢を崩してゴロの処理に手こずったため、1点を献上したばかりか、わずか1球を投げただけで交代を余儀なくされた(記録は能見の適時失策)[50]。9月8日からの対DeNA3連戦(横浜)には全試合で登板したものの、3点リードの4回表から救援した3戦目(10日)には、2者連続のソロ本塁打などで打者4人から一死しか取れずに降板[51]。9月11日付で、1年2か月ぶりに出場選手登録を抹消された[52]。しかし、抹消後に一軍から複数の選手が新型コロナウイルスに感染したことを受けて、NPBが定める「感染拡大防止特例2020」に沿った代替選手の1人として9月25日に再昇格。再昇格後は、シーズン終了まで一軍に帯同した。帯同中の10月21日には、翌2021年の戦力構想から外れていることを通告。しかし、他球団での現役続行を希望したため、11月6日にはこの年限りで福留孝介上本博紀と共に退団することが球団から正式に発表された[53]。翌7日には、広島・石原慶幸の引退試合として開催された対広島戦(マツダ)8回裏に、石原の現役最終打席限定で登板。全5球のストレート勝負で石原の引退に花を添えた(記録は右飛)[54]。さらに、チームのシーズン最終戦であった同月11日の対DeNA戦(甲子園)で、チームが1点を勝ち越した直後の9回表に登板。140km/h台のストレートで1イニングを無失点に抑えた末に、セーブで阪神での投手生活を締めくくった。この試合には41歳5か月で登板したため、一軍公式戦における阪神投手の歴代最年長セーブも達成[55][56]。一軍公式戦全体では、チームで4番目に多い34試合に登板。防御率4.74、1勝1セーブ4ホールドを記録した。12月2日付で、自由契約選手としてNPBから公示[57]。この年には、自身の退団に加えて藤川球児が現役を引退したため、2005年に阪神でセ・リーグ優勝を経験した現役選手がチームから完全に姿を消した。

オリックス時代編集

2020年12月8日に、オリックス・バファローズが能見の獲得を発表した[58]。契約期間は1年、推定年俸は3,500万円。背番号は26で、投手コーチを兼任する(詳細後述[1]

2021年、一軍監督へ就任する捕手出身の中嶋聡と春季キャンプの前に会談した結果、コーチ兼任ながら、投手としての起用を優先する方針が決定。この方針を受けて、先発への再転向を前提に[59]、春季キャンプを「A組」(実戦形式の練習が主体のグループ)で過ごした[60]。オープン戦以降も一軍に帯同していたが、実際には救援で起用されていて、レギュラーシーズンでも開幕戦から中継ぎで登板[61]。41歳10か月で登板した4月10日の対日本ハム戦(京セラドーム)で移籍後初めてのホールドを挙げたことによって、オリックスの歴代最年長ホールド記録を達成した。阪神時代にも2018年9月11日の対中日戦(前述)から球団の最年長ホールド記録を保持しているが、NPBの2球団で40代にして最年長ホールドの球団記録を達成した投手は能見が初めてである[62]。5月には、中嶋からクローザーを任されていた平野佳寿タイラー・ヒギンス(いずれも右投手)が体調不良で軒並み戦線を離れたこと[63]を背景に、中嶋の方針でクローザーへ転向していた。転向後初めて登板した同月2日の対ソフトバンク戦(京セラドーム大阪)で[64]、41歳11か月にして移籍後初セーブを記録。このセーブは(前身球団を含めた)オリックスの投手による歴代最年長記録で、NPBの投手では初めて、最年長セーブの球団記録を40代に2球団で樹立した[4]。5月8日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)では、9回表にブランドン・レアードからの空振り三振でNPB史上57人目の一軍公式戦通算1,500奪三振を(小宮山悟に並ぶ)歴代最年長(41歳11か月)で達成した末に、シーズン2セーブ目を挙げている[3]。なお、平野とヒギンスが戦線へ復帰したセ・パ交流戦からは中継ぎへ再転向。42歳になった直後の6月2日には、一軍公式戦としては移籍後初めて甲子園球場での対阪神戦に6回裏から登板すると、1イニングを無失点に抑えた[65]。阪神戦には翌3日にも登板したが、10日の対巨人戦(京セラドーム)7回表の登板中に松原聖弥からの打球を左脚の下部に受けた影響で、翌11日に出場選手登録を抹消。実際には大事に至らなかったため、交流戦の終了後に再び登録されたが、抹消期間中も投手コーチとして一軍に帯同した[66]

選手としての特徴編集

スリークォーターのワインドアップ投法から投げる平均球速140km/h[67]フォーシームスライダーフォークボールを軸に、チェンジアップも交える[68]。決め球はフォークで、高い精度を誇る[69]。リリーフ時には最速151km/hを記録した[70][71]。2008年までは力に頼ったフォームで投げていたが、2009年からはしっかりと腕を振ることを意識した打者のタイミングを外すフォームに改良[72]。2010年頃までは、サイドスロー気味のフォームも時折織り交ぜていた[73]。なお、2018年の中継ぎ転向後はワインドアップを封印していたが、阪神での公式戦最終登板ではワインドアップを再び披露している。

少年野球チームで監督を務めていた実父と同じく、マウンドでポーカーフェイスを貫いていることが特徴[43]。もっとも、オリックスへの移籍後は「自然体でのプレーを心掛けている」とのことで、阪神時代から一転してマウンド上で笑顔やガッツポーズを何度も見せている[63][74]

阪神時代にはクローザーを本格的に経験しておらず、一軍の公式戦で初めてセーブを挙げた時の年齢は39歳2か月だった。以降のセーブは、40代に入ってから記録している。また、オリックス時代に41歳11か月で公式戦通算1,500奪三振を達成した際には、「(奪三振は)キャッチャー(捕手)との共同作業で、捕手に助けられている部分もある。僕だけに焦点が当てられているが、捕手がいなくては(記録を達成)できない」という表現で、阪神時代からバッテリーを組んできた歴代の捕手に感謝の意を示している[3]

人物編集

社会人野球の投手時代に映画へ出演編集

大阪ガスに在籍していた2002年に、阪神をテーマにした長嶋一茂主演の映画ミスター・ルーキー』に、阪神のユニフォーム姿でエキストラとして出演。「阪神が7連敗中の試合に中継ぎで登板したところ、痛打を浴びた末に敗戦投手になる」という役どころだった。その際には大阪ガスで着けていた背番号「14」を付けていたが、阪神への入団後もこの番号を着用している。ただし、背番号の上のローマ字表記は「NOHMI」ではなく「NOUMI」だった。

『ミスター・ルーキー』は、阪神の野村克也監督時代最終年(2001年)に撮影されたため、劇中に登場する阪神の選手は「DASH! HANSHIN」というロゴの入った当時のホーム用ユニフォームを身に付けていた。このユニフォーム姿で出演した後に、現役の選手として実際に阪神へ入団した人物は能見だけである。

投手では異例の専用ヒッティングマーチの制作編集

阪神で一軍の先発陣に定着してからは、2009年9月25日の対中日戦(ナゴヤドーム)で、中日の先発投手・吉見一起から2打席連続適時打を放ったり、2013年には前述のプロ初本塁打のほか、7月2日の対巨人戦(甲子園)で菅野智之から先制二塁打、7月27日の対DeNA戦(同)では4回裏2死満塁のチャンスにティム・コーコランから先制打を放つなど、投手として先発したセ・リーグ公式戦で3本の適時打を放っている。

阪神の応援団では、阪神の投手が打席に立つ場合に、基本として全投手共通の応援歌「投手汎用ヒッティングマーチ」を演奏している。しかし、2014年のシーズン前には、阪神選手の応援歌を制作・管理・運営を一手に担う「阪神タイガース応援団 ヒッティングマーチ委員会」が能見専用のヒッティングマーチを制作した[75]。能見本人から「打席では打者として評価してほしい」との要望があったことや、前述した打撃面での活躍がヒッティングマーチ委員会からも評価されたことによる[76]

NPBの他球団では、巨人、福岡ソフトバンクホークス、西武が投手ごとに応援歌を設定している。ただし、球団公認の応援団が(いわゆる「二刀流」の選手を除く)特定の投手専用の応援歌を制作した事例は、DeNA投手時代の三浦大輔北海道日本ハムファイターズ時代のダルビッシュ有中日ドラゴンズ大野雄大など極めて少ない。

阪神からオリックスへ移籍するまでの経緯編集

阪神最終年の2020年には、現役引退を覚悟しながら、春季キャンプからセットアッパーとして調整を続けていた。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響でレギュラーシーズンの開幕が延期されていた5月に3週間ほど練習の中断を余儀なくされた影響で、シーズンに入ってからも調子が戻らなかった。本人曰く「(2020年シーズンは)消化不良だった」とのことで、2021年の戦力構想から外れていることを球団から伝えられると、家族への相談を経て他球団での現役続行を決定[77]。これに対して、京セラドーム大阪を本拠地に使用するオリックスが、救援での起用を視野に獲得へ名乗りを上げた。

阪神時代の能見は、2016年以降の毎年1月に、後輩投手(岩貞祐太など)を率いて沖縄県内で合同自主トレーニングを実施[78]。阪神で最後に登板した2020年のレギュラーシーズン最終戦で、後輩野手の梅野隆太郎大山悠輔から涙ながらに見送られるなど、チームメイトから慕われていた[79]

その一方で、オリックスでは左投手に20代の選手が多く、2020年シーズンの一軍では左の救援要員が手薄な状況にあった[79]。このため、能見に対しては、投手陣への助言や若手捕手の育成に対する期待を込めて「救援投手と一軍のブルペン担当投手コーチの兼任」という異例のオファーを提示。能見も、2020年12月8日の初交渉[80]でこのオファーを受け入れたため、「投手兼投手コーチ」という異例の契約で移籍に至った。ちなみに、投手兼任コーチとしての契約に際しては、「(自分は)口数が多い方ではないので、『(野球に取り組む)姿勢を(若手の投手や捕手に)黙って見せようかな』と思う。その姿勢や(自分の)行動から、何かを感じてもらえれば良い」との抱負を述べている[1]

オリックスの「コーチ兼任投手」 として編集

オリックスでは、能見が入団した2021年から、同じ部門のコーチを一軍と二軍で分担する体制を廃止。この方針に沿って、コーチとしては一・二軍を問わず投手を指導する[81]。その一方で、オープン戦以降の一軍の試合に投手としてベンチ入りメンバーへ登録された場合には、ブルペン担当補佐の飯田大祐が能見をサポート。起用法を問わず、自身の登板中には、飯田がブルペン担当コーチの役割を代行している[82]。能見本人は「『選手』と『コーチ』の肩書を持つからには、(救援要員として登録された試合でも待機中の)ブルペンで(ベンチからかかってくる指示の)電話を取る」とのことで、自身の救援登板を電話で指示された場合に、自身の判断でブルペンへ直行することを想定。「(投手としては)登板を終えてからアイシングで左肘を冷やさないタイプ」と自認していることもあって、オープン戦では、調整目的での中継ぎ登板を終えた直後にブルペンへ戻ることもあった[83]。結局、能見はレギュラーシーズンの開幕を「選手専任」の救援要員として一軍で迎えたため、チームは別の投手コーチを二軍から招集することで開幕に備えた[84]。開幕後は、いわゆる「勝利の方程式」を固定しにくいチーム事情の下で、自身を含めた救援投手の連投を2試合に限ることによって、「いつ誰が登板を指示されるか分からない」という緊張感を救援陣全体に醸成。投手としてはセ・パ交流戦の終盤から出場選手登録を一時外れたものの、一軍のブルペンコーチとしては、チーム11年ぶりの交流戦優勝や7年ぶりのパ・リーグ単独首位に大きく貢献している[85]

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
2005 阪神 16 12 1 0 0 4 1 0 1 .800 293 64.2 78 10 27 0 1 64 3 0 40 40 5.57 1.62
2006 38 2 0 0 0 2 4 0 8 .333 210 47.0 49 4 16 0 3 46 2 0 27 26 4.98 1.38
2007 23 12 1 1 1 4 4 0 2 .500 330 74.0 79 7 30 1 4 51 2 0 39 36 4.38 1.47
2008 11 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 54 11.1 15 1 6 0 0 10 1 0 6 6 4.76 1.85
2009 28 25 1 1 0 13 9 0 0 .591 675 165.0 142 11 44 1 5 154 3 1 61 48 2.62 1.13
2010 12 10 0 0 0 8 0 0 0 1.000 267 62.1 63 3 13 2 5 57 2 0 23 18 2.60 1.27
2011 29 28 5 1 1 12 9 0 1 .571 799 200.1 151 8 55 5 6 186 3 0 59 56 2.52 1.03
2012 29 27 3 2 1 10 10 0 0 .500 737 182.0 157 14 37 2 3 172 5 0 61 49 2.42 1.07
2013 25 25 6 2 1 11 7 0 0 .611 724 180.2 155 18 41 1 0 127 5 0 57 54 2.69 1.08
2014 26 26 3 1 0 9 13 0 0 .409 720 169.1 170 16 48 0 3 151 9 0 81 75 3.99 1.29
2015 27 25 1 1 1 11 13 0 0 .458 672 159.2 170 13 38 1 2 125 6 0 73 66 3.72 1.30
2016 26 24 2 1 0 8 12 0 1 .400 634 147.1 140 17 52 2 6 126 5 1 67 60 3.67 1.30
2017 23 23 1 0 0 6 6 0 0 .500 533 128.1 117 14 40 0 2 119 2 1 57 53 3.72 1.22
2018 45 3 0 0 0 4 3 1 16 .571 229 56.1 40 5 19 0 3 48 6 0 23 16 2.56 1.05
2019 51 0 0 0 0 1 2 0 18 .333 191 44.0 37 5 24 3 1 41 2 0 21 21 4.30 1.39
2020 34 0 0 0 0 1 0 1 4 1.000 109 24.2 25 6 12 0 1 19 1 0 14 13 4.74 1.50
NPB:16年 443 243 24 10 5 104 93 2 51 .528 7177 1717.0 1588 152 502 18 45 1496 57 3 709 637 3.34 1.22
  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBCでの投手成績編集










































2013 日本 3 1 0 0 0 23 4.2 6 1 2 0 1 3 0 0 3 3 5.79

年度別守備成績編集



投手












2005 阪神 16 1 8 0 1 1.000
2006 38 1 14 0 1 1.000
2007 23 3 15 0 0 1.000
2008 11 0 1 0 0 1.000
2009 28 5 35 1 2 .976
2010 12 4 7 0 1 1.000
2011 29 7 39 1 4 .979
2012 29 6 33 1 1 .975
2013 25 13 24 1 3 .974
2014 26 8 26 1 2 .971
2015 27 11 29 0 3 1.000
2016 26 4 27 0 0 1.000
2017 23 6 33 2 3 .951
2018 45 1 11 1 2 .923
2019 51 4 8 0 0 1.000
2020 34 4 3 1 1 .875
通算 443 77 313 9 24 .977
  • 2020年度シーズン終了時

タイトル編集

表彰編集

記録編集

初記録
投手記録
打撃記録
節目の記録
その他の記録
  • 7者連続奪三振:2011年4月19日、対読売ジャイアンツ1回戦(阪神甲子園球場) ※セリーグ2位タイ、球団タイ記録[88][89]
  • 5試合連続2桁奪三振:2014年 ※セ・リーグ記録
登板日 対戦チーム 球場 投球回 奪三振
5月16日 DeNA 阪神甲子園球場 8 11
5月24日 ソフトバンク 福岡 ヤフオク!ドーム 6 13
5月31日 日本ハム 札幌ドーム 8 10
6月6日 オリックス 阪神甲子園球場 7 1/3 10
6月14日 西武 西武ドーム 6 10

背番号編集

登場曲編集

代表歴編集

関連情報編集

出演編集

CM

漫画編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c “オリックス能見獲得発表、単年契約で選手兼任コーチ”. 日刊スポーツ. (2020年12月8日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202012080000418.html 2020年12月8日閲覧。 
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関連項目編集

外部リンク編集