サッカーバーレーン代表

バーレーンの男子サッカーナショナルチーム

サッカーバーレーン代表(サッカーバーレーンだいひょう、アラビア語: منتخب البحرين لكرة القدم‎)は、バーレーンサッカー協会(BFA)によって構成されるバーレーンサッカーナショナルチームである。ホームスタジアムは、リファーにあるバーレーン・ナショナル・スタジアム

サッカーバーレーン代表
国または地域 バーレーンの旗 バーレーン
協会 バーレーンサッカー協会
愛称 The Red
監督 スペインの旗 フアン・アントニオ・ピッツィ
最多出場選手 サルマーン・イーサ(156試合)
最多得点選手 イスマイール・アブドゥラティフ(47得点)
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合 1966年4月2日クウェート
4-4
最大差勝利試合 2012年2月29日インドネシア
10-0
最大差敗戦試合 1966年4月6日イラク
1-10
FIFAワールドカップ
出場回数 0回
最高成績 -
AFCアジアカップ
出場回数 7回
最高成績 4位 (2004)
FIFAアラブカップ
出場回数 6回
最高成績 準優勝 (1985, 2002)

歴史 編集

 
1959年のバーレーン代表

バーレーン代表の誕生 編集

バーレーン代表は1959年に結成されたが、最初の公式戦は1966年の国際親善試合・クウェート戦で、4-4のドローであった。1957年に設立されたバーレーンサッカー協会の元、国内でのサッカー発展を目指していたがアラブ地域ではサウジアラビアカタールUAEなどに劣る弱小国と見なされていた。

1988年、AFCアジアカップ1988・予選を勝ち抜き、初めてAFCアジアカップへの出場権を手にした。 本大会では2分2敗、最下位でのグループリーグ敗退だった。

アジアでの台頭 編集

アジアカップ2000年大会は惜しくも予選敗退となったが、2002 FIFAワールドカップ・アジア予選では1次予選を突破し初めて最終予選に進出した。どちらも本大会出場権獲得には至らなかったが、イランに対しアジアカップ予選では1-0で、W杯予選では3-1で共に勝利している[1]

AFCアジアカップ2004 編集

2回目の出場となったAFCアジアカップ2004中国開催)で大躍進を遂げた。グループステージは開催国中国、隣国カタール、インドネシアが入る組み合わせとなり、中国とカタールにはそれぞれ2-2、1-1での引き分け、インドネシアには3-1で勝利した。その結果1勝2分のグループ2位となり初めて決勝トーナメントに進出した[2]

決勝Tでは準々決勝でウズベキスタンPK戦の末下す[3]と、準決勝では前回大会優勝の日本を追い詰めたが3-4で敗北した[4]。3位決定戦でもイランに2-4で敗れたが2回目の出場にして4位という成績を収めた[5]

2006 W杯 編集

2006 FIFAワールドカップ・アジア最終予選・グループBを4カ国中3位で終え、グループA3位のウズベキスタンとの5位決定戦に出場することになった。ホーム・アンド・アウェー方式で合計スコアは1-1であったが、アウェーゴール方式によりこれに勝利。CONCACAF代表のトリニダード・トバゴとの大陸間プレーオフに進んだ。しかし、敵地での第1戦を1-1のドローで終えると、勝てば突破となるホームでの第2戦を0-1で落としたため合計スコア1-2で本大会初出場を逃した。

AFCプレーオフ(アジア5位決定戦)
チーム#1 合計スコア チーム#2 第1戦 第2戦
ウズベキスタン   1–1 (a)   バーレーン 1-1 0-0
大陸間プレーオフ(AFC代表vsCONCACAF代表)
バーレーン   1–2   トリニダード・トバゴ 1-1 0-1

AFCアジアカップ2007 編集

AFCアジアカップ2007では、インドネシア、韓国、サウジアラビアが入るグループDに振り分けられた。格上となる韓国は下したが、インドネシア、サウジアラビアには敗れ、1勝2敗のグループ最下位での敗退となった。

2010 W杯 編集

 
2009年6月10日 バーレーン代表対オーストラリア代表(2010 ワールドカップ予選)

2010 FIFAワールドカップ・アジア予選3次予選から参加。3次予選は日本、オマーンタイが入るグループBとなりホームで日本に勝利する[6]などグループ2位で最終予選進出を決めた。 最終予選は5カ国中3位となり前回大会予選と同様にAFCプレーオフに出場することになった。AFCプレーオフでは、サウジアラビアと対戦。2戦合計は2-2だったものの、アウェーゴールで上回り勝利した(詳細は後述)。

勝てば本大会南アフリカ開催)出場となる大陸間プレーオフでは、OFC代表のニュージーランドと対戦。 ホームの第1戦をスコアレスドローで終え、敵地ウェリントンでの第2戦に臨んだ。前半、コーナーキックからニュージーランドが先制。対して、バーレーンも後半にペナルティーキックを獲得した。決めれば同点となり、そのまま試合終了となればまたもやアウェーゴール数の差でバーレーンがW杯出場を決めるはずであった。ところが、これをゴールキーパーに止められ、そのまま試合終了。前回大会予選に続き、2大会連続で大陸間プレーオフ敗退となった。

5次予選(AFCプレーオフ)
チーム#1 合計スコア チーム#2 第1戦 第2戦
バーレーン   (a) 2–2   サウジアラビア 0-0 2-2
大陸間プレーオフ(AFC代表vsOFC代表)
バーレーン   0–1   ニュージーランド 0-0 0–1

近年のバーレーン代表 編集

その後2014年大会アジア予選では3次予選で敗退、2018年大会アジア予選でも組み合わせ抽選の際はポット2に属していたが、ウズベキスタン北朝鮮フィリピンの後塵を拝し敗退するなど2010年以降低迷が続いた。しかし、2019年に西アジアサッカー選手権ガルフカップで立て続けに初優勝を飾るなど、近年は上昇基調にある。

リヤドの奇跡 編集

ミラン・マチャラに率いられたバーレーン代表は2010 FIFAワールドカップ・アジア予選で、前回に続いてアジア5位決定戦に進出し、サウジアラビアと対戦した。バーレーンのホームの第1戦をスコアレスドローで終えた後、敵地リヤドでの第2戦は1-1のまま、ロスタイム(3分の表示)に突入した。このままのスコアならば、アウェーゴール数の差でバーレーンがアジア5位となる状況だったが、ロスタイム残り1分でサウジアラビアが勝ち越しゴール。時間は残り1分を切りバーレーンは予選敗退の危機だったが、コーナーキックからヘディングシュートを決め、再び同点。直後に試合終了となるこの劇的な同点ゴールにより、バーレーンはアウェーゴール数の差でアジア5位を決めた。

成績 編集

FIFAワールドカップ 編集

AFCアジアカップ 編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1956 不参加
  1960
  1964
  1968
  1972 予選敗退
  1976 棄権
  1980 予選途中に棄権
  1984 棄権
  1988 グループリーグ敗退 4 0 2 2 1 3
  1992 予選敗退
  1996 棄権
  2000 予選敗退
  2004 4位 6 1 3 2 13 14
        2007 グループリーグ敗退 3 1 0 2 3 7
  2011 3 1 0 2 6 5
  2015 3 1 0 2 3 5
  2019 ベスト16 4 1 1 2 3 4
  2023 4 2 0 2 4 6
合計 7/18 27 7 6 14 33 44

ガルフカップ 編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1970 準優勝 3 1 1 1 3 4
  1972 記録なし - - - - - -
  1974 グループリーグ敗退 2 0 0 2 1 8
  1976 4位 6 3 0 3 9 15
  1979 6 2 2 2 8 9
  1982 準優勝 5 3 1 1 10 7
  1984 5位 6 1 2 3 3 6
  1986 6 1 4 1 4 5
  1988 4位 6 3 0 3 4 4
  1990 3位 4 1 2 1 1 1
  1992 準優勝 5 3 0 2 6 4
  1994 3位 5 1 3 1 5 6
  1996 5位 5 0 2 3 4 8
  1998 5 0 3 2 3 6
  2002 4位 5 1 2 2 4 6
  2003 準優勝 6 4 1 1 13 3
  2004 3位 5 2 2 1 10 6
  2007 ベスト4 4 1 1 2 4 5
  2009 グループリーグ敗退 3 1 0 2 3 4
  2010 3 0 1 2 4 7
  2013 4位 5 1 1 3 4 9
  2014 グループリーグ敗退 3 0 2 1 0 3
  2017 ベスト4 4 1 2 1 3 3
  2019 優勝 5 2 2 1 7 6
  2023 ベスト4 4 2 1 1 5 4
合計 25/25 111 34 35 42 118 139

FIFAアラブカップ 編集

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
  1963 不参加
  1964
  1966 5位 4 0 1 3 7 22
  1985 準優勝 4 1 2 1 4 3
  1988 グループリーグ敗退 4 0 3 1 2 3
  1992 不参加
  1998 棄権
  2002 準優勝 6 3 1 2 8 5
  2012 グループリーグ敗退 3 0 0 3 1 8
  2021 3 0 1 2 0 4
合計 6/10 24 4 8 12 22 45

西アジアサッカー選手権 編集

歴代監督 編集

歴代選手 編集

脚注 編集

  1. ^ History of Iran vs. Bahrain | TeamMelli”. 2015年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  2. ^ asahi.com : スポーツ サッカー日本代表:アジアカップ2004”. www.asahi.com. 2023年12月24日閲覧。
  3. ^ 2004年アジア杯準決勝、奇跡の逆転勝利をもたらした宮本恒靖の独断”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2019年1月23日). 2023年12月24日閲覧。
  4. ^ asahi.com : スポーツ サッカー日本代表:アジアカップ2004”. www.asahi.com. 2023年12月24日閲覧。
  5. ^ asahi.com : スポーツ サッカー日本代表:アジアカップ2004”. www.asahi.com. 2023年12月24日閲覧。
  6. ^ 南アフリカW杯アジア3次予選 VS.バーレーン(木ノ原句望)”. Number Web - ナンバー. 2024年1月27日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集