境 貴雄(さかい たかお、1978年10月8日 - )は、日本の現代美術家写真家タレントである。芸能プロダクションビッグ・ブッキング・エンターテインメント (株式会社BBE)」所属。横浜美術大学講師。

境 貴雄
誕生日 (1978-10-08) 1978年10月8日(45歳)
出生地 日本の旗 日本東京都渋谷区
運動・動向 モキュメンタリー
流派 現代美術 ファッション 写真
教育 東京藝術大学大学院
代表作 アズラー / AZURER
ウェブサイト https://takaosakai.tumblr.com
会員選出組織 ビッグ・ブッキング・エンターテインメント (株式会社BBE)
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東京都渋谷区出身。1991年、渋谷区立広尾小学校を卒業。1994年、渋谷区立広尾中学校を卒業。1997年、東京都立羽田高等学校美術コースを卒業。2005年、東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業。2007年、同大学院美術研究科修士課程デザイン専攻を修了。2007年より小豆を顔に付けてに見立てたファッション『AZURER (アズラー)』のディレクターを務めている。

活動の概要 編集

東京藝術大学に在学中より和菓子や小豆を媒体とした作品を発表。作品のジャンルは彫刻写真、映像、パフォーマンス、タレント活動と多岐にわたっている。

2005年(大学4年次)に開催されたオオタファインアーツでの展覧会を機に本格的なアーティスト活動をスタート。テレビ番組トークショーの出演、ラジオ番組パーソナリティ雑誌新聞の連載、伊勢丹ルミネといった商業施設でのイベントファッションブランドとのコラボレーションなど、アート界のみならず様々なメディアで活動している。また、ニューヨークロサンゼルスロンドンソウル台北でもイベントや展覧会を開催している。

作品のモチーフとなる和菓子は主に小豆、団子饅頭などの素朴なもの、意匠化した干菓子が中心である。それらを装飾的に貼り付けたり積み上げたりする造形は、邪気を払う呪術的な意味から由来し、社寺にて幸福を祈願するため神仏へ捧げる神饌供饌滋賀県に伝わる民俗宗教行事オコナイからの影響が大きい。小豆や和菓子をモチーフとした作品は、現代における「魔除けの造形」であり、差別や暴力のない世界への祈りが込められている。

代表作 編集

アズラー / AZURER (2007年 - ) 編集

小豆を顔に付けて髭に見立てたファッション『AZURER (アズラー)』が日本で流行しているという物語を視覚化させるために、ポートレートとテキストで構成されているモキュメンタリー。2007年よりポートレートの撮影を開始し、現在までにモデルとして参加した人数は5000名を超えている。被写体は国籍・人種・民族・宗教・ジェンダー・年齢・職業を問わず、一般人の他に多数の芸能人や著名人も参加している。被写体とのコミュニケーションや対話を重視し、現代における「魔除けの肖像」として差別や暴力のない世界へのメッセージが込められている。

J-SWEETS (2003年 - ) 編集

和菓子をモチーフとした立体作品のシリーズ。『アズラー』も元々はこのシリーズから発展した経緯がある。韓国美術館Gana Art CenterJangHeung Art Park、日本の現代アートコレクター高橋龍太郎の高橋コレクションにも作品が収蔵されている。

小豆の生活 / A LIFE OF AZUKI (2012年 - ) 編集

クラウドファンディングの手法を用いたプロジェクト。資金提供者から私物を預かり、私物の表面に小豆を埋め尽くし、オーダーメイド作品として仕上げるもので、完成作品の画像と私物にまつわるテキストがウェブサイトに公開されている。[1] 2013年9月には同プロジェクトを伊勢丹新宿本店との共同企画『パーソナル アート パトロン プロジェクト』として立ち上げた。[2]

アズラーのモデルになった著名人 編集

作風について 編集

デザイン科出身の影響 編集

アート業界以外のメディアで活動することが多い自身の立ち位置について、2011年にMAGIC ROOM???で開催されたトークショーの中で「美術をやっていない一般の人に、どうやって分かりやすく簡潔に伝えるか、ということをデザイン科で鍛えられた」「デザイン的な考え方だったり、プレゼンテーションということが常に頭の中にある」と語っている。アズラーの表現方法については「アズラーは写真作品として発表している訳じゃない」「ギャラリーで展示して、発表して作品を売るってイメージは全くなくて、モデルさんの依頼が来て、撮りに行って、初めて出会った人と交流があって、コミュニケーションが生まれて、モデルさんは最終的に作品として残る。そのプロセス含めて作品という感覚」と語っており、写真表現が目的ではなく、あくまでもプロジェクト全体が作品であることを強調している。また、表現方法で気になるアーティストはいますか?の質問に対して「立ち位置的にうらやましいのは宇川直宏さん」と答えている。

2011年のウワサノネのインタビューでは「大学入ってデザインの課題でも、あえてデザインの答え方をしなかった。いわゆる優等生的な答えじゃなくて、かといってひねくれすぎず、うまく課題をこなしつつ他の人にない切り口を狙っていた。そういう意識がデザイン科で養われた」「デザイン科の環境の中で、デザインじゃないことをいかに説得力をもって話すか、これが今の基礎になってる」と大学時代を振り返っている。[3]

2012年のマイクロメセナのインタビューでは、今後の展望について「自分はデザイン科出身ということもあり、広告、雑誌、映像、ファッション、舞台、イベント等、あらゆる媒体とのコラボレーションにも柔軟に対応します」と答えている。[4]

2006年のCINRAのインタビューでは「僕の作品ってジャンルがよくわからないんですよ。確かに立体作品だけど彫刻かといわれると、そうでもないし、かといって工芸かといわれるとそれほど職人的じゃない。芸大って伝統があるだけに、色々と制作にも制限が出てきたりするんです。でもデザイン科だということで、そういう位置付けしにくい作品制作も許されているのかもしれないですね」と語っている。[5]

肩書きについて 編集

これまでに現代美術家、クリエイティブ・ディレクター、工作和菓子職人[注釈 1]などを名乗ったことがあり、紹介されるメディアや状況によって肩書きを使い分けている。アズラーの活動が中心になってからは「アズラー(AZURER) ディレクター」と名乗り、アズラーに関する全てのディレクションを境が一人で行っている。また、アーティスト名は境貴雄の他に、ザ☆グレート甘いマスクマン、さかい菓子総本家[6]、AZUHALA (アズハラ)[7]など別名義で活動したこともある。

2012年に写真イベントPHOTOGRAPHERS SUMMIT 9へ出演した際、自身のプレゼンテーションの冒頭で「僕は写真家ではありません。肩書きは現代美術家です」と語り、写真家と呼ばれることを否定した。

自身のTwitterでは「自分はアズラーのポートレートを撮影しているけど写真家ではない。立体作品を作っているけど彫刻家ではない。デザイン科出身だけどデザイナーにはならなかった。どこにも属してはいないし、すごく中途半端な人間だけど、そんな立ち位置は嫌いじゃない」と呟き、ジャンルレスな自身の立ち位置を強調した。[自社 1]

電気グルーヴと伊集院光からの影響 編集

電気グルーヴのデビュー当時からのファンであると公言し、2006年のCINRAのインタビューでは、"シニカルな笑い"の性質を含む自身の作風について、中学生の頃に聞いていたAMの深夜ラジオ番組電気グルーヴのオールナイトニッポン』と『伊集院光のOh!デカナイト』に起源があり、「深夜ラジオの価値観が今のアイデンティティーのすべてを決定してしまっている」「カセットテープに録音して、テープが擦り切れるくらい何度も何度も、繰り返し聴いていました」と発言している。[自社 2] 雑誌MySpace From JP.[自社 3]アメリカのウェブサイトART RANTのインタビュー[8]では、影響を受けたアーティストとして電気グルーヴの名前を挙げ、自身のTwitterでは「いつか電気の2人をアズラーにするのが夢です」と呟いたことがある。[自社 4] ピエール瀧パーソナリティを務めていたラジオ番組『小島慶子 キラ☆キラ』では、アズラーについて紹介されたこともある。[自社 5]

電気グルーヴの影響によるテクノ好きとしても知られ、石野卓球が主催している屋内レイヴWIREは1999年より皆勤賞であると本人が公言している。[自社 6] また、電気グルーヴのアルバム『人間と動物』に収録されたWIRE12のライブDVDを観た境は、自身が映っていることを発見し「ヤバい!!WIREのライヴDVDに映ってたww」とTwitterで呟いている。[自社 7]

天久聖一とタナカカツキからの影響 編集

漫画家の天久聖一について、自身のTwitterで「バカドリルや味写、電気グルーヴのPVなど、天久氏の作品から受けた影響もかなり大きい」[自社 8]「天久氏をいつかアズラーにするのも夢です」[自社 9] と呟いている。

2011年にロンドンのICN galleryで開催された展覧会[9]で一緒に参加していた漫画家のタナカカツキについては、同じくTwitterで「バカドリルで育った僕としては、タナカカツキ氏と一緒に名前が載ることだけでも感慨深い」と呟いている。[自社 10]

エピソード 編集

マニュエル・ゲッチングとの交流 編集

2008年8月に開催された野外テクノフェスティバルMETAMORPHOSE08」の出演のために来日したクラウトロックマニュエル・ゲッチング & アシュラをモデルに、ライヴ終了後のバックステージにてアズラーを撮影する。きっかけは、ソーシャル・ネットワーキング・サービスMySpaceで、マニュエルと境が交流を持ったことが始まりである。メールのやりとりを繰り返し、来日の際に会う約束をして、バックステージでの撮影に至った。現在もアシュラのメンバーとは交流があり、ドラマーハラルド・グロスコフの公式サイトでは、境が撮影したポートレートが掲載されている。

2010年9月の「METAMORPHOSE10」では、マニュエルと共に来日したゴングシステム7スティーヴ・ヒレッジフリージャズギタリストであるエリオット・シャープ、バンドCarsick Carsチャン・ショウワン、マニュエルの妻でドキュメンタリー映画監督のイロナ・ジオクをモデルに、バックステージで再びアズラーの撮影をした。[自社 11]

世界初、Twitterからの落札 編集

2010年2月に株式会社ロフトワークの設立10周年記念パーティで開催されたシンワアートオークションの協力によるチャリティーオークションにて、境の作品が世界で初めてTwitterから落札された。このオークションの模様はUstreamで生中継された。[10]

ファッション業界との仕事 編集

2011年1月にアクセサリーブランドdicokick、同年6月にアクセサリーブランドROTARI PARKERとのコラボレーションで、アズラーのポートレートが発表された。

2013年3月に東京コレクションで発表されたファッションブランドJUN OKAMOTOの2013-2014 A/W COLLECTIONファッションショーで使用する『coffee beans shoes』のアートワークを境が担当。ファッションデザイナー岡本順が作ったストーリー『コーヒーが嫌いな彼女の為の甘い朝食』に合わせて、コーヒー豆をモチーフに制作された。[自社 12] 同年5年にシンガポールで開催されたアジア最大の[要出典]ファッションフェスティバルAudi Fashion Festivalにて再びファッションショーが行われ、『coffee beans shoes』が海外で初披露された。[11] また、シンガポールのテレビ番組の司会者アニータ・カプールはファッションショーのレポートで「Gotta have those coffee-bean shoes」とコメントしている。[12] 小豆ではなくコーヒー豆をモチーフに制作したことについて境は「実は小豆とコーヒー豆は切っても切れない関係なのです。皆さんはご存知でしょうか。昭和20年代の日本では、コーヒー豆の輸入量が少なかったため、コーヒー豆の代わりに風味の近い小豆を混ぜ、量を増やしていた歴史があります。また、現在でも代用コーヒーとして、小豆の粉末を用いたヤンノーが飲まれています。砂糖の代わりに甘く煮た小豆を入れて、コーヒーを飲ませる喫茶店があるほど相性抜群なのです。つまり、小豆とコーヒー豆は固い絆で結ばれているのです」とコメントしている。[自社 13]

2014年9月に国立代々木競技場で開催されたアッシュ・ペー・フランスが主催する日本最大規模の[要出典]ファッション合同展示会『rooms 29』にてゲストアーティストとして招待され、企画展とアズラー撮影会を実施した。アズラー撮影会にはロンドンブーツ1号2号田村淳が参加し、田村のインスタグラムにアズラーの姿を投稿した。[13]

2023年6月に台湾のアパレルブランドWODENとコラボレーションし、境のアートワークを使用した商品「WODEN × AZURER 2023 SPRING & SUMMER COLLECTION」を発表。Tシャツ、ベスト、ルーズシャツとショートパンツのセットアップ、キャップ、ソックスなどのファッションアイテムから、お香立て、ビールグラス、インスタントカメラなどのオリジナルグッズ、WODENの商品に小豆を施した限定作品が発売された。[14]

商業施設でアズラー撮影会 編集

2011、2012、2017年に恵比寿ガーデンプレイス、2013年にルミネ横浜店、伊勢丹新宿本店、2015年に二子玉川ライズ、2016年にカワイイモンスターカフェ、2018年に台北SOGO百貨でアズラー撮影会を開催した。伊勢丹新宿本店ではコム・デ・ギャルソンアンダーカバーのショップの間に撮影ブースを設けたが、そのことについて境は「架空のファッションが、リアルなファッションと交わる瞬間」とコメントしている。

ハラサオリとの共作AZUHALA (アズハラ) 編集

2012年にダンスパフォーマーハラサオリとの共作「AZUHALA (アズハラ)」の活動を開始。同年8月に開催されたハラサオリの舞台公演HALASAORI Dance Copmany vol.0の終了後、ステージ上にて公開制作を行う。アズラーになってダンスを披露するハラサオリの映像を境が撮影し、同年10月にウェブサイトで映像作品2点が公開された。演奏者として小田朋美(ピアノ)、松岡美弥子(ピアノ)、田中教順(ドラム)も参加し、アズラーの被写体になった。[7]

ラジオ番組のパーソナリティ 編集

2013年7月からラジオNIKKEI第2で放送が始まったラジオ番組『Groovin’× Groovin’』に、境が帯番組パーソナリティとしてレギュラー出演。境貴雄やアズラーの概要、小豆や和菓子がモチーフとなった経緯についてフリートークをした。[自社 14]

ニューヨークでイベント開催 編集

2014年3月にニューヨークでアズラーのイベント『Discovery New York City as an Azurer』を開催。アッシュ・ペー・フランスが運営しているhpgrp GALLERYにてアズラー撮影会を実施し、約130名のニューヨーカーを撮影した。帰国後のインタビューで境は「ニューヨークでのアズラーの反応は予想以上のもので、小豆のヒゲを付けて撮影しませんか?との誘いに対して Sure! と即答で参加してくれる方々ばかり。これは日本では考えられない反応の良さで、とても驚きました」と感想を語っている。[15]

略歴 編集

受賞 編集

作品収蔵先 編集

イベント 編集

展覧会 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 東京藝術大学に在学中の名刺には、工作和菓子職人と表記されたものがあった。

出典 編集

自社資料

外部リンク 編集