宮間あや
宮間 あや(みやま あや、1985年1月28日 - )は、千葉県山武郡大網白里町(現・大網白里市)出身の元女子サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。千葉県立幕張総合高等学校出身。サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)では主将を務めた経歴も持つ。
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名前 | |||||||||||||||||||||||
愛称 | あや | ||||||||||||||||||||||
カタカナ | ミヤマ アヤ | ||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | MIYAMA Aya | ||||||||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||||||||
国籍 |
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生年月日 | 1985年1月28日(38歳) | ||||||||||||||||||||||
出身地 |
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身長 | 157cm | ||||||||||||||||||||||
体重 | 50kg | ||||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||||
ポジション | MF | ||||||||||||||||||||||
利き足 | 右足 | ||||||||||||||||||||||
ユース | |||||||||||||||||||||||
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クラブ1 | |||||||||||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | ||||||||||||||||||||
1999 |
![]() | 0 | (0) | ||||||||||||||||||||
2000 |
![]() | 6 | (2) | ||||||||||||||||||||
2001-2008 |
![]() | 110 | (62) | ||||||||||||||||||||
2009 |
![]() | 20 | (0) | ||||||||||||||||||||
2009 |
→ ![]() | 6 | (1) | ||||||||||||||||||||
2010 |
![]() | 5 | (0) | ||||||||||||||||||||
2010 |
![]() | 17 | (1) | ||||||||||||||||||||
2010-2016 |
![]() | 122 | (48) | ||||||||||||||||||||
代表歴2 | |||||||||||||||||||||||
2003-2016 |
![]() | 162 | (38) | ||||||||||||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2016年10月23日現在。 2. 2016年3月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
幼少期・ユース
1985年1月28日、宮間文夫(現・大網白里市市議会議員)の次女として生まれる。父は、習志野高校時代にサッカー部に所属し[1]、高校3年次に読売サッカークラブの練習に参加した経験を持つ。その父が作ったチームである“ フッチボール Surf ”で、大網白里町立白里小学校1年の時からサッカーを始める。
小学校5年生の時、国際交流イベント「国際社会で活躍できる日本人の育成」に応募して、親善大使としてアメリカのサンディエゴでの試合を経験し[2]、日本サッカー協会から派遣されていた、元日本女子代表の本田美登里と出会う。この時、宮間らボールを追う15名の少女たちを見て、本田は指導者の道を目指すことを決意する[3]。
小学校6年生の時、中学1年の男子チームのメンバーとして県大会・地区予選に特例として出場。決勝戦では延長戦の末、自身がVゴールを決め優勝を果たした。この決勝戦で、監督である父からかけられた「自分以外の仲間のためにプレーしろ」という言葉を今でも鮮明に覚えているとする宮間は、「初めてチーム一丸となってサッカーの試合を戦った」と当時を振り返っている[4]。宮間のサッカーの技量は、小学生の時すでに、対戦した大谷秀和が「あとで聞くまで、女子とは思っていなかった」と振り返る[5] ほどになっていた。
また、小学生の時にはテレビ番組の収録で澤穂希や小野寺志保たちとサッカーをする機会があり、将来の日本代表入りを期待する言葉をかけられるなど、当時から期待を集めていた[6]。
読売メニーナに所属し、1999年にはNTVベレーザへの昇格を果たすが、自宅から練習場までの所要時間などが負担となり、幕張総合高校2年生の時に退団[7]。
宮間が進学した幕張総合高校では、八千代高校で羽生直剛らを育てた今泉守正が男子サッカー部を率いていた。今泉は、宮間をただ1人の女子部員として、このサッカー部に迎え入れる。しかし、当時男子チームへの女子の登録は認められていなかったので宮間は公式試合に出られず、そのままでは日本女子代表への招集の機会も逸してしまいかねないジレンマに陥った。
岡山湯郷Belle
2001年に、本田美登里が率いる岡山湯郷Belleに第一期生として入団[8]。高校時代は、金曜日の放課後に岡山に移動し、日曜の試合後に千葉へ帰るという生活をしていた[8]。卒業後も、岡山県美作市の温泉旅館「季譜の里」で清掃のアルバイトをしながら岡山でのプレーを続け、2008年(平成20年)までチームの主力選手として活躍した[8][9]。
2003年、リーグで敢闘賞を受賞した。
2004年、リーグで17得点を挙げて2部リーグ得点女王と最優秀選手に輝き、翌シーズンの1部昇格の原動力となった。
2007年の日本女子サッカーリーグでは、ベストイレブンと特別表彰「サポーターが選ぶMVP」を受賞した[10]。
アメリカ移籍(WPS)
2009年に発足した米国WPSのロサンゼルス・ソルに移籍[11]。開幕戦でリーグ創設初得点をアシスト。シーズン通算でもリーグトップタイの6アシストを記録したほか、チーム内で唯一全試合フルタイム出場を果たす[12] など、チームのレギュラーシーズン1位獲得(プレーオフ決勝で敗れて優勝は逃す)に貢献。さらにWPSオールスターズにも選出され、スウェーデンの強豪クラブチーム・ウメオIKとのオールスターゲームに出場した。シーズン終了後の9月には、前所属先の岡山湯郷に一時復帰(レンタル移籍)した。
2010年2月、ロサンゼルス・ソルのWPSからの撤退に伴い実施された分散ドラフトでセントルイス・アスレティカに移籍したが、このチームが資金難の為にシーズン序盤で WPS から脱退。再び行われた分配ドラフトで、この年 WPS に新規加入したアトランタ・ビートに再移籍した。この在米時代に、ホープ・ソロ、アビー・ワンバック、カミーユ・アビリー、 カリーナ・ルブランらと交流を持った。
岡山湯郷Belle (2010年-2016年)
2010年、WPSシーズン終了後の9月に古巣の岡山湯郷に完全移籍した。
2011年8月10日、岡山県から岡山県県民栄誉賞を受賞[13]、8月17日、千葉県から千葉県民栄誉賞を受賞[14][15]、8月18日、なでしこジャパンの同僚とともに、国民栄誉賞を受賞。
2011年11月、3年ぶりになでしこリーグベストイレブンに選出された[16]。
2012年8月13日、岡山県から2度目の岡山県県民栄誉賞を受賞[13]。
2014年シーズン、なでしこリーグのレギュラーシリーズで岡山湯郷Belleが優勝を果たした[17]。
2016年11月5日、契約満了に伴い、所属するなでしこリーグの岡山湯郷を退団[18]。
日本女子代表
2003年に日本代表に招集され、同年のFIFA女子ワールドカップ・アメリカ大会に出場。翌2004年のU-19アジア女子選手権では主将を務めた。 2004年に大橋浩司が代表監督に就任すると当初はサブとして、後にレギュラーとして試合に出場。最終的には大橋監督在任中に全試合に出場することになった。2007年9月11日、FIFA女子ワールドカップ・中国大会のイングランド戦(中国上海虹口足球場)では、直接フリーキックにより2得点を記録した[19]。
FIFA 女子ワールドカップ ドイツ大会
2011年には、FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会に出場。フリーキックで決勝点を決めた初戦のニュージーランド戦と、準決勝のスウェーデン戦でプレイヤー・オブ・ザ・マッチを獲得した。
決勝のアメリカ戦では、1ゴール1アシストを記録。先制点を入れられるも、後半の残り少ない時間にゴール前のこぼれ球を押し込んだ。延長戦でも1点のリードを許していた残り時間4分のところで、コーナーキックで澤による同点ゴールをアシストした。 優勝の行方はPK戦に持ち込まれ、日本の1人目としてキッカーを務め成功。4人目の熊谷紗希がPKを決めて日本優勝が決定した瞬間、対戦相手のアメリカ選手たちに歩み寄り敬意を表した。この時、ホープ・ソロからは「セントルイス・アスレティカの練習のときでも、わたしからあんなに点取れなかったくせに、なんでこんなときだけ、アヤは決めるの?」と冗談交じりに言われた一方で「日本が大震災で大変なときに、こんなに大きなことを成し遂げたんだから、もっと喜んでいいんじゃないの」と労われたという[4]。大会通算では、2ゴール4アシストの活躍で日本の初優勝に大きく貢献し、大会オールスターチームにも選出された。
9月1日、ロンドン・オリンピック(2012年)の予選初戦で、タイ相手に後半から出場、勝利に貢献した[20] 。
11月15日、なでしこジャパンの同僚とともに紫綬褒章、11月23日、アジアサッカー連盟の2011年度女子年間最優秀選手賞[21] を受賞。
2011年のFIFA最優秀選手賞(FIFAバロンドール)選考委員会において、宮間が12.18%のポイントを獲得し4位に入った[22]。なお、各国代表の主将や監督及びサッカー専門記者の投票により同賞を獲得した澤穂希自身は、宮間に1票を投じた[23]。
2012年
2012年2月10日、監督の佐々木則夫から、澤の後任としてチーム主将に指名され[24]、ポルトガル南部で行われるアルガルヴェ・カップ2012[25] に臨んだ。佐々木は、なでしこジャパンにおける宮間の役割を、こう述べている。「宮間はサッカーに対する情熱も理論もチーム屈指であり、プレーでも言葉でもチームを勇気づけることができる。仲間思いで、気配りも隅々まで行き届いている。宮間は、キャプテンという肩書が加わったからといって、みんなに対する態度を変えたりはしなかった。自分だけが特別なのではなく、『みんなで一つのチーム』というスタンスで、今もチームメイトに接している」[26]。また、宮間自身は「みんなが自分を出せる雰囲気をつくっていけたら」と抱負を語った[8]。
決勝進出をかけた第3戦アメリカ戦は、途中出場した高瀬愛実にコーナーキックでボールを送り、米国への歴史的な勝利(1勝4分21敗)を演出した。大会MVPを獲得した[27]。優勝を逸したことに関しては「自分の力不足」[28] とし、「自分たちの足元を見つめ直すいい機会になったと思う」[29] と述べた。
ロンドン・オリンピック
2012年8月7日に行われた準決勝戦において、フリーキックによって2ゴールの起点を作り、フランスへの勝利を決定した[30]。フランスのGKを誘い出したフリーキックは、「ぶれ球ならGKのキャッチミスかDFのヘディングミスが起きる」 [31] と見越した末に選んだプレーだった。試合後、決勝戦で対決する米国の代表的メディアの一つNBCニュースは、在米時代の同僚だった仏代表のカミーユ・アビリーを宮間が慰める写真を掲げ、「優れたスポーツ選手でありながら真のスポーツマンシップをも見せた」[32] と称えた。
アメリカとの決勝戦を終えた後の談話で、「チーム一丸となってやり切れたことを誇りに思っている。結果は銀だったが、お互いを信じてやってこられた。みんなに感謝している」と同僚への感謝を口にした[33]。
同年11月29日、2年連続2回目のAFC年間最優秀選手(女子)に選出された[34]。
2014年
2014年5月、ベトナムで開催された2014 AFC女子アジアカップではアジアカップ初優勝を達成し、大会MVPを受賞した[35]。
2015年
カナダで開催された2015 FIFA女子ワールドカップに、主将として出場。決勝こそアメリカに2-5と大敗したが、チームの大黒柱として準優勝に大きく貢献した。
2016年
2016年、リオデジャネイロオリンピックのサッカー女子アジア最終予選の日本代表メンバーに選出されたが、チームは予選3位となり五輪出場権を逃した[36][37]。
岡山湯郷Belle退団後
2016年の岡山湯郷Belle退団後、宮間は表舞台から姿を消し、どこのチームにも所属しない一方で、自らの去就について明らかにすることもなかった。
2018年12月9日、FIFA女子ワールドカップフランス2019の組み合わせ抽選会のドローアシスタントを務めた[38][39]。
2019年6月5日に行われた、FIFA女子ワールドカップ フランス2019 公式記念コイン記者発表会の配布資料に記載された宮間のプロフィールに「2016年度のシーズンを最後に現役を引退」と記されていることが明らかになった[40]。イベント主催者も宮間サイドに「引退していたのは事実」であることを確認しているという[41]。
2022年5月14日、WEリーグ初の国立競技場の試合で、澤穂希と共にキックインセレモニーを務めた[42]。
2023年2月25日、東京で開催されたW杯トロフィーツアーイベントに参加し[43]、翌日はU-12世代の選手の第6回東京FA会長杯少女ミニサッカー大会にトロフィーと共にサプライズで参加[44]、日本サッカーミュージアムの休館トークイベントトークイベント「未来へのパス」にも参加した[45]。
上記のような各種イベント参加の他、FIFA公式サイト「FIFA.com」を含む各種媒体へのインタビュー[46] や子ども向けのサッカー教室[47] などで、サッカーに関わる活動を続けている。
所属クラブ
ユース
シニア
- 1999年 - 2000年 NTVベレーザ/日テレ・ベレーザ
- 2001年 - 2008年 岡山湯郷Belle
- 2009年 ロサンゼルス・ソル
- 2009年9月 - 2010年2月 岡山湯郷Belle(レンタル移籍)
- 2010年 セントルイス・アスレティカ
- 2010年 アトランタ・ビート
- 2010年10月 - 2016年 岡山湯郷Belle
人物
- 「とても才能あるサッカー選手。技術面でとても優れていて、 卓越した試合運びで良いパスを通し、身のこなしが素早いのです。足を止めた時がとりわけ脅威で、彼女がつぎにどう動くかわからないのです。彼女は自分の思うところに自在にボールを打つことができます。彼女がプレーしているのを見るのは楽しみです … 対戦相手の時でなければの話ですが!」[48] - イングランド代表ケリー・スミス
- 「両足で蹴れるし、キックの精度が高い。セットプレーでは、自分はボールに体をあてるだけでいい」[49] と澤穂希が評する、キッカーとしての卓越した能力から、日本女子代表の試合の場合、フリーキックやコーナーキックを任されることが多い。また右利きでありながら左足でも遜色のない精度で蹴れるため、コーナーキックはどちらのサイドかによって、フリーキックではゴールへの角度によって両足を使い分けて蹴っている。
- 「彼女は小学5年生の時から『世界一になる』って言っていたんですが、それが冗談に聞こえませんでした。そして、一緒に生活するうちに、『この子は、とんでもないことをやっちゃう子なんじゃないか』と思うようになったんです」[50] … 恩師である本田美登里の言葉。
- 「これまでもサッカーは楽しいと思ってきたが、宮間とのコンビはさらに楽しい。自分のプレーを分かってくれていることが大きい」[49] … なでしこジャパンの元主将・澤穂希の言葉。
- 「私は同点でいい、と思っていた。あの一言で、最後まで諦めない気持ちになれた」[51] … 2011年W杯で同点打を決めた後、宮間に「澤さん、あと1点で勝てるよ」と声を掛けられた澤穂希の言葉。
- 「(宮間)あやは、W杯優勝後と一番難しい時期にキャプテンになった。それだけにいろいろ大変だったと思います」[52] … ロンドン五輪で米国への敗戦後、最初に抱き合った同僚・岩清水梓が語った言葉。
- 「『サッカーが好きで、この環境を自分が選んだんだから』と決して弱音は吐かなかった。試合中の苦しい時間帯に自分を犠牲にしてでもチームのために頑張る。コーチから厳しいことを言われ落ち込んだチームメートに声を掛けていた」[8] … 幕張総合高時代のサッカー部長で、U-20サッカー日本女子代表当時の監督でもあった今泉守正の言葉
- 大網白里市の歌手・ヨーデル渡辺によって、宮間の応援歌『海を越えて』が作られた[53]。また、ロック歌手で元なでしこリーグ選手の石田美穂子によって、宮間の応援歌『君という花』が作られた[54]。
個人成績
この節の加筆が望まれています。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | NTVベレーザ | L・リーグ | 0 | 0 | |||||||
2000 | 日テレ・ベレーザ | 19 | 6 | 2 | - | ||||||
2002 | 岡山湯郷Belle | - | - | - | |||||||
2003 | 9 | L・リーグ | 16 | 13 | - | 2 | 1 | 18 | 14 | ||
2004 | 10 | L・リーグ2部 | 14 | 17 | - | ||||||
2005 | L・リーグ1部 | 21 | 8 | - | 4 | 4 | 25 | 12 | |||
2006 | なでしこ Div.1 | 17 | 6 | - | 4 | 0 | 21 | 6 | |||
2007 | 21 | 9 | 0 | 0 | 2 | 0 | 23 | 9 | |||
2008 | 21 | 9 | - | 2 | 1 | 23 | 10 | ||||
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | ロサンゼルス・ソル | 8 | WPS | 20 | 0 | - | - | 20 | 0 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | 岡山湯郷Belle | 10 | なでしこ Div.1 | 6 | 1 | - | 2 | 2 | 8 | 3 | |
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | セントルイス・アスレティカ | 6 | WPS | 5 | 0 | - | - | 5 | 0 | ||
アトランタ・ビート | 18 | 17 | 1 | - | - | 17 | 1 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 岡山湯郷Belle | 10 | なでしこ | 7 | 4 | 0 | 0 | 2 | 0 | 9 | 4 |
2011 | 16 | 9 | - | 3 | 1 | 19 | 10 | ||||
2012 | 18 | 5 | 4 | 2 | 2 | 2 | 24 | 9 | |||
2013 | 18 | 6 | 10 | 9 | 3 | 1 | 31 | 16 | |||
2014 | 28 | 15 | - | 2 | 1 | 30 | 16 | ||||
2015 | なでしこ1部 | 24 | 6 | - | 2 | 1 | 26 | 7 | |||
2016 | 11 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 3 | |||
通算 | 日本 | 1部 | 230 | 96 | |||||||
日本 | 2部 | 14 | 17 | - | |||||||
日本 | その他 | - | - | ||||||||
アメリカ | 1部 | 42 | 1 | - | - | 42 | 1 | ||||
総通算 | 286 | 114 |
- 日本でのリーグ戦成績は、日本女子サッカーリーグについてのみ記述。
- 2009年のなでしこリーグは、WPSのロサンゼルス・ソルからのレンタル移籍という形で、9月以降出場。
- 2010年のなでしこリーグは、WPSのアトランタ・ビートからの完全移籍という形で、9月以降出場。
タイトル・表彰
代表
- 日本代表
- FIFA女子ワールドカップ:1回 (2011)
- アジア競技大会:1回 (2010)
- AFC女子アジアカップ:1回 (2014)
- 東アジアサッカー選手権:2回 (2008、2010)
クラブ
- 岡山湯郷Belle
- なでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ 1部) レギュラーシリーズ優勝:1回 (2014)
- L・リーグ2部(日本女子サッカーリーグ 2部) 優勝:1回 (2004)
個人
- 敢闘賞:1回 (2003)
- 最優秀選手:L・リーグ2部 (L2) (2004)
- ベストイレブン:6回 (2007、2008、2011、2012、2013、2014)
- 特別賞 (2015)
- 特別表彰「サポーターが選ぶMVP」:2回 (2007、2008)
- アジア年間最優秀選手賞:3回 (2011、2012、2015)
- アルガルヴェ・カップ 大会最優秀選手:1回 (2012)
- AFC女子アジアカップ 大会最優秀選手:1回 (2014)
- FIFA女子ワールドカップ ブロンズボール:1回 (2015)
- FIFPro ベストイレブン:1回 (2015)
代表歴
主な出場歴
- 2003年 2003 AFC女子選手権
- 2003年 第4回FIFA女子ワールドカップ
- 2004年 U-19アジア女子選手権
- 2006年 第15回アジア競技大会 (カタール) 準優勝
- 2007年 第5回FIFA女子ワールドカップ
- 2008年 東アジア女子サッカー選手権2008 優勝
- 2008年 2008 AFC女子アジアカップ 3位
- 2008年 北京オリンピック 4位
- 2010年 2010年アジア競技大会 優勝
- 2011年 第6回FIFA女子ワールドカップ 優勝
- 2012年 アルガルヴェ・カップ2012 準優勝
- 2012年 ロンドンオリンピック 準優勝
- 2014年 アルガルヴェ・カップ2014 準優勝・フェアプレー賞
- 2014年 2014 AFC女子アジアカップ 優勝
- 2014年 2014年アジア競技大会 準優勝
- 2015年 第7回FIFA女子ワールドカップ 準優勝
試合数
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2003 | 6 | 2 |
2004 | 1 | 2 |
2005 | 9 | 2 |
2006 | 17 | 3 |
2007 | 17 | 6 |
2008 | 18 | 4 |
2009 | 1 | 1 |
2010 | 17 | 2 |
2011 | 18 | 4 |
2012 | 16 | 3 |
2013 | 7 | 1 |
2014 | 17 | 4 |
2015 | 13 | 4 |
2016 | 5 | 0 |
通算 | 162 | 38 |
(2016年3月9日現在)
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2003年6月9日 | バンコク | フィリピン | ○ 15-0 | 2003 AFC女子選手権 |
2. | 2003年7月22日 | 仙台 | 韓国 | ○ 5-0 | 日・韓・豪3ヶ国対抗国際女子サッカー大会 |
3. | 2004年12月18日 | 東京 | チャイニーズタイペイ | ○ 11-0 | キリンチャレンジカップ2004 |
4. | |||||
5. | 2005年3月29日 | ミランダ | オーストラリア | ● 1-2 | 親善試合 |
6. | 2005年5月21日 | 東京 | ニュージーランド | ○ 6-0 | キリンチャレンジカップ2005 |
7. | 2006年7月23日 | アデレード | 中国 | ○ 1-0 | 2006 AFC女子アジアカップ |
8. | 2006年11月23日 | カールスルーエ | ドイツ | ● 3-6 | 親善試合 |
9. | 2006年11月30日 | ドーハ | ヨルダン | ○ 13-0 | 第15回アジア競技大会 |
10. | 2007年2月12日 | ラルナカ | スウェーデン | △ 2-2 | 親善試合 |
11. | 2007年3月10日 | 東京 | メキシコ | ○ 2-0 | 2007 FIFA女子ワールドカップ・予選 |
12. | 2007年6月10日 | 富川 | 韓国 | △ 2-2 | 北京オリンピック・アジア最終予選 |
13. | 2007年8月4日 | ハイフォン | ベトナム | ○ 8-0 | |
14. | 2007年9月11日 | 上海 | イングランド | △ 2-2 | 2007 FIFA女子ワールドカップ |
15. | |||||
16. | 2008年2月18日 | 重慶 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ○ 3-2 | 東アジアサッカー選手権2008 |
17. | 2008年6月2日 | ホーチミン | オーストラリア | ○ 3-1 | 2008 AFC女子アジアカップ |
18. | 2008年6月8日 | ○ 3-0 | |||
19. | 2008年8月6日 | 秦皇島 | ニュージーランド | △ 2-2 | 北京オリンピック |
20. | 2009年11月14日 | さいたま | ○ 2-1 | 親善試合 | |
21. | 2010年2月6日 | 東京 | 中国 | ○ 2-0 | 東アジア女子サッカー選手権2010 |
22. | 2010年5月20日 | 成都 | ミャンマー | ○ 8-0 | 2010 AFC女子アジアカップ |
23. | 2011年3月2日 | サント・アントニオ | アメリカ合衆国 | ● 1-2 | アルガルヴェ・カップ2011 |
24. | 2011年6月18日 | 松山 | 韓国 | △ 1-1 | 2011 FIFA女子ワールドカップ壮行試合 |
25. | 2011年6月27日 | ボーフム | ニュージーランド | ○ 2-1 | 2011 FIFA女子ワールドカップ |
26. | 2011年7月17日 | フランクフルト | アメリカ合衆国 | △ 2-2(PK 3-1) | |
27. | 2012年4月5日 | 神戸 | ブラジル | ○ 4-1 | キリンチャレンジカップ2012 |
28. | 2012年7月11日 | 東京 | オーストラリア | ○ 3-0 | |
29. | 2012年7月25日 | コヴェントリー | カナダ | ○ 2-1 | ロンドンオリンピック |
30. | 2013年9月26日 | 千葉 | ナイジェリア | ○ 2-0 | 親善試合 |
31. | 2014年3月5日 | パルシャル | アメリカ合衆国 | △ 1-1 | アルガルヴェ・カップ2014 |
32. | 2014年3月10日 | ファロ | スウェーデン | ○ 2-1 | |
33. | 2014年9月18日 | 仁川 | ヨルダン | ○ 12-0 | 第17回アジア競技大会 |
34. | 2014年10月1日 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ● 1-3 | ||
35. | 2015年3月11日 | ファロ | アイスランド | ○ 2-0 | アルガルヴェ・カップ2015 |
36. | |||||
37. | 2015年6月8日 | バンクーバー | スイス | ○ 1-0 | 2015 FIFA女子ワールドカップ |
38. | 2015年7月1日 | エドモントン | イングランド | ○ 2-1 |
脚注
- ^ “サッカー日和ですね、若い頃なら、じっとしていられないはずだが?”. 宮間文夫 オフィシャルブログ (2011年6月26日). 2012年8月12日閲覧。
- ^ cf. 宮間あや「気負わず感じたまま、今を生きる」。
- ^ 『週刊 サッカー・ダイジェスト』2011年10月1日増刊号、34頁。
- ^ a b 『なでしこの誓い 世界一の心のきずな物語』ISBN 9784052035203、学研教育出版、2012年10月16日、111-129頁
- ^ 「女子サッカー日本代表 宮間あや 地元・岡山を愛する『陰のMVP』」『産経新聞』2011年7月22日付。
- ^ 小林弥生のブログ、2017年1月6日付投稿「おやじさんの引退」より [1]。この時には、当時の所属先名だった「読売西友ベレーザ」のジャージ姿だった澤穂希や小野寺志保らに囲まれている。当時の澤や小野寺は1996年アトランタオリンピックで初めてオリンピック競技となった女子サッカーで日本代表に選ばれる時期だった。
- ^ この退団の経緯に関する詳細に関しては、外部リンクの『ボールを見つけると、どこでもサッカーしちゃう』参照。
- ^ a b c d e 『中国新聞』2012年8月11日付
- ^ cf.「なでしこジャパンの湯郷温泉」(2011年7月27日付)
- ^ なでしこリーグ2007 『サポーターが選ぶMVP』受賞記念インタビュー (日本女子サッカーリーグ公式サイト)。
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- ^ 「なでしこ宮間・丸山選手に千葉県民栄誉賞」『読売新聞』2011年7月21日付。
- ^ 宮間、丸山両選手に千葉県民栄誉賞 「大和魂みせてくれた」と森田知事」『産経新聞』2011年7月21日付。
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- ^ 「五輪も任せた!なでしこ主将は宮間」『日刊スポーツ』2012年2月10日付。
- ^ cf. アルガルベカップ2012
- ^ 佐々木則夫 『なでしこ力 次へ』、198-199頁。
- ^ 初ボランチ宮間MVP獲得「誇り持ちたい」 スポニチアネックス.2012.3.8付、2017年12月10日閲覧。
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- ^ 宮間あや「個人の賞にはあまり興味がない」 アルガルベカップ ドイツ戦後選手コメント スポーツナビ.2012.3.8、2017年11月25日閲覧。
- ^ 吉田純哉「宮間 FKの女神 -- 逆境救う2G呼ぶ」、『朝日新聞』2012年8月7日付夕刊。
- ^ 奥山次郎「なでしこ負けじ魂 -- 宮間FK2ゴールの起点」(『産経新聞』2012年8月8日付)
- ^ Natalia Jimenez, A moment of true sportsmanship, as Japan consoles a defeated France (英語) PHOTO BLOG on NBCNEWS.com 2012.8.7付
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- ^ なでしこジャパン AFC女子アジアカップ初優勝、大会MVPは宮間あや選手 JFA公式サイト.2015.5.26付、2017年12月10日閲覧。
- ^ なでしこ、宮間や大儀見ら20人選出 五輪最終予選 日本経済新聞、2016年3月3日閲覧。
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- ^ “FIFA女子ワールドカップフランス2019 組み合わせ決定 ~なでしこジャパンはイングランド、スコットランド、アルゼンチンと対戦”. JFA公式サイト (2018年12月9日). 2018年12月9日閲覧。
- ^ “元なでしこ・宮間あやがアシスタントで抽選会に参加”. サンケイスポーツ. (2018年12月9日) 2018年12月9日閲覧。
- ^ “宮間あやさんは16年で現役引退扱い…なでしこジャパンには「代表の誇りを持って」とエール”. ゲキサカ. (2019年6月5日) 2019年6月5日閲覧。
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- ^ “元なでしこ”澤さん宮間さんが新国立に登場 旧国立での伝説の一戦を振り返る”. デイリースポーツ. (2022年5月14日) 2022年5月16日閲覧。
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- ^ “澤穂希さん&宮間あやさんW杯トロフィーとともにサプライズ訪問、未来のなでしこジャパンに笑顔”. 日刊スポーツ. (2023年2月26日) 2023年2月27日閲覧。
- ^ “日本サッカーミュージアムが休館 森保監督、沢穂希氏ら豪華メンバーによるトークイベント開催”. サンスポ. (2023年2月26日) 2023年2月27日閲覧。
- ^ “宮間あや:「参加する国すべてに優勝するチャンスはある」”. FIFA.com. 国際サッカー連盟. 2022年11月23日閲覧。
- ^ “「ずっとサッカーに興味を持ち続けて!」元なでしこジャパン・宮間あやさん 香川県三木町の幼稚園でサッカー教室”. TBS NEWS DIG. RSK山陽放送 (岡山市). (2022年9月13日) 2022年11月23日閲覧。
- ^ “Myama et Smith recroisent le fer” in FIFA, lundi 4 juillet 2011.
- ^ a b 清水寿之「走る。栄冠の咲くへ」、『朝日新聞』2011年9月30日付。
- ^ 『週刊 サッカー・ダイジェスト』2011年10月1日増刊号、34-35頁
- ^ 清水寿之「『諦めない心』後輩が点火」『朝日新聞』2012年7月10日付
- ^ 文藝春秋『Number』8/24臨時増刊号、24頁。
- ^ 「宮間へ応援 最後まで…なでしこ『銀』(『読売新聞』2012年8月11日付)」
- ^ 「石田ミホコ なでしこ宮間から感謝」(『デイリースポーツ』2012年8月19日付)
関連書籍
- 佐々木則夫 『なでしこ力』講談社、2011年 ISBN 978-4063787139
- 佐々木則夫 『なでしこ力 次へ』講談社、2012年 ISBN 978-4-06-378716-0
- 松原渓『日本女子サッカーが世界と互角に戦える本当の理由』東邦出版、2012年 ISBN 978-4-8094-1054-3
- 上野直彦『なでしこの誓い 世界一の心のきずな物語』学研教育出版、2012年 ISBN ISBN 978-4-0520-3520-3
参考文献
- 宮間あや 「生きる力の育て方」(『プロフェッショナルに聞く!』)
- 早草紀子 「宮間あや選手インタビュー」(『なでしこレター』2010年2月4日付)
- 宮間あや 「浮かれている場合じゃないですから」(『Number』784号、2011年)
- 宮間あや 「フェイクなし、飾らずにいきます」(『日本経済新聞』2011年11月10日付)
- 清水寿之「『諦めない心』後輩が点火」(『朝日新聞』2012年7月10日付)
- 吉田純哉「宮間 FKの女神—逆境救う2G呼ぶ」(『朝日新聞』2012年8月7日付夕刊)
- 奥山次郎「なでしこ負けじ魂—宮間FK2ゴールの起点」(『産経新聞』2012年8月8日付)
- “Aya Miyama, Japan's tiny gem” in FIFA, 4 March 2011.(英語)
- “Miyama et Smith recroisent le fer” in FIFA, 4 juillet 2011.(フランス語)
- “Le Japon fait honneur aux dames” in Le Républicain Lorrain, 19 août 2011.(フランス語)
- “Ehre für Miyama - Kanada überzeugt” in FIFA, 30. November 2011.(ドイツ語)