山上 路夫(やまがみ みちお、1936年昭和11年〉8月2日 - )は、日本作詞家実業家文化功労者

山上 路夫
文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
基本情報
出生名 山上 路夫
生誕 (1936-08-02) 1936年8月2日(87歳)
出身地 日本の旗 日本東京府
ジャンル ポピュラー音楽
職業 作詞家
実業家
活動期間 1960年代 -
事務所ビクター音楽出版→)
フリー

ビクター音楽出版株式会社専属を経て、フリーとなる。なお、村井邦彦アルファミュージックを創業している。

来歴 編集

生い立ち 編集

東京府(現在の東京都)出身[1]。喘息で闘病生活を送る思春期をすごし、学生生活を送ることができなかった[2]青山学院大学第二経済学部中退。21歳のときに作詞家になることを決意した。

作詞家として 編集

作曲家のいずみたくと共同でCMソングや流行歌などを多く手掛け、明治製菓(現在の明治)アルファチョコレートのCMソングとして制作した「世界は二人のために」は、1967年昭和42年〉に新人歌手の佐良直美が歌うと大ヒット。翌年の第40回選抜高等学校野球大会では、選手入場行進曲に選ばれた。

その後は、由紀さおり夜明けのスキャット」(1969年〈昭和44年〉、作曲はいずみたく)、テレビドラマ『水戸黄門』主題歌「ああ人生に涙あり」(1969年〈昭和44年〉、作曲は木下忠司)、赤い鳥翼をください」(1971年〈昭和46年〉、作曲は村井邦彦)、小柳ルミ子瀬戸の花嫁」(1972年〈昭和47年〉、作曲は平尾昌晃)、GARO学生街の喫茶店」(1972年、作曲はすぎやまこういち)、アグネス・チャンひなげしの花」(1972年〈昭和47年〉、作曲は森田公一)、CMソング「バーモントカレー」の歌(1973年〈昭和48年〉、作曲はいずみたく)、野口五郎私鉄沿線」(1975年〈昭和50年〉、作曲は佐藤寛)、ゴダイゴガンダーラ」(1978年〈昭和53年〉、奈良橋陽子と共同、作曲はタケカワユキヒデ)など、1960年代後半から1970年代にかけて立て続けにヒット作の作詞を手掛けた。又、日本大学習志野高等学校の応援歌「歓喜のうたごえ」の作詞をしたこともある。

現在も作詞家として活動しており、2011年平成23年〉に発表したふくい舞の「いくたびの櫻」(作曲は佐藤博)は、第44回日本作詩大賞第44回日本有線大賞作詞賞を受賞している[3][4]。2021年〈令和3年〉に文化功労者[5]

なお、1969年に村井邦彦とともにアルファミュージックを創業するなど[6]、音楽出版事業にも参画した。

作風 編集

山上の作風はヒューマニズムに満ちているものが多い。

家族・親族 編集

父は、昭和初期に活躍した音楽家東辰三。昭和初期に活躍し、「港が見える丘」「君待てども」「荒鷲の歌」等の歌曲を作詞・作曲した。

妻は、テレビ朝日系ドラマ『特捜最前線』主題歌の『私だけの十字架』(歌:ファウスト・チリアーノ)などの作品がある、作詞家の尾中美千絵である。

主な楽曲 編集

あ行 編集

か行 編集

さ行 編集

た行 編集

な行 編集

は行 編集

ま行 編集

や・ら・わ行 編集

CMソング 編集

CMにおいて、CMソングとして使用。

脚注 編集

  1. ^ 山上路夫 ラジオデイズ
  2. ^ 朝日新聞2011年2月12日朝刊別刷 be on Saturday
  3. ^ 日本作詩家協会. “日本作詩家協会 公式サイト 日本作詩大賞”. 2012年4月7日閲覧。
  4. ^ TBSテレビ. “第53回 輝く!日本レコード大賞”. 2012年4月7日閲覧。
  5. ^ 長嶋茂雄さんら9人文化勲章 功労者に加山雄三さんら”. 時事ドットコム (2021年10月26日). 2021年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月6日閲覧。
  6. ^ 「村井邦彦」『「翼をください」を作った男たち~山上路夫・村井邦彦作品集~ソニー・ミュージックダイレクト
  7. ^ 【ことでん公式 KOTODEN SOUND 緑と海の国】 - Youtube

関連項目 編集