長崎自動車

長崎自動車(ながさきじどうしゃ)は長崎県長崎市に本社を置く、路線バス事業者である。本社所在地は長崎市新地町3番17号(長崎新地ターミナル内)。通称は長崎バス(ながさきバス)、または長バス。長崎県長崎市を中心に路線バスを運行している。

長崎自動車株式会社
Nagasaki Motor Bus Co.,Ltd.
Nagasaki bus Shinchi terminal.JPG
略称 長崎バス
本社所在地 日本の旗 日本
850-0842
長崎県長崎市新地町3番17号
設立 1936年(昭和11年)4月28日
業種 陸運業
法人番号 2310001001369
事業内容 乗合バス事業,貸切バス事業,不動産業他
代表者 代表取締役社長 嶋崎 真英
資本金 780,000千円
発行済株式総数 1,560,000株
売上高 連結:12,623百万円
単独:9,717百万円
営業利益 連結:60百万円
単独:89百万円
純利益 連結:78百万円
単独:111百万円
包括利益:△32百万円
純資産 連結:10,258百万円
単独:8,857百万円
総資産 連結:25,729百万円
単独:22,742百万円
従業員数 連結:1,348(344)人
単独:896(103)人※1
決算期 12月31日
主要株主 南国殖産株式会社 2.47%
株式会社十八銀行 2.12%
いすゞ自動車株式会社 1.28%
あいおいニッセイ同和損害保険株式会社 1.28
山田 博吉 0.96%
ジェイ・バス株式会社 0.96%
山田 浩一朗 0.83%
財団法人上野カネ奨学会 0.64%
株式会社カネキ商店 0.58%
主要子会社 関連会社の項を参照
関係する人物 上野喜左衛門(創業者)
外部リンク http://www.nagasaki-bus.co.jp/
特記事項:経営指標は 2011年12月 第115期 有価証券報告書
※1:従業員は就業人員。臨時従業員数は( )内に年間の平均人数を外数で記載している。
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路線バス車両(ノンステップバス

西海市は一部を除き子会社のさいかい交通が、貸切バスについては、子会社の長崎バス観光が運行している。

目次

沿革編集

草創期 - 戦時中編集

長崎自動車は長崎市内で競合していた小規模なバス事業者を統合して誕生した事業者である。大正末期から昭和初期にかけて多数の個人事業者が弱小資本で路線バス事業者を乱立する傾向が全国で見られ、1933年(昭和8年)時点で全国のバス事業者数4311社、1業者あたりの平均営業キロ数30.1キロ、平均保有台数5台という状況であった[1]

1936年(昭和11年)、雲仙地区で雲仙小浜自動車を運営していた鹿児島出身の豪商上野喜左衛門は長崎市で乱立されていたバス事業に目を付け、長崎市内で競合していた崎陽(きよう)自動車商会、金子自動車商会を買収・合併して茂木乗合自動車を設立した[2]。その後、上野のバス会社は長崎自動車と名を変え、乱立された長崎県西部 - 南部の小規模事業者6社を1940年(昭和15年)-1944年(昭和19年)の間に買収・統合して規模を拡大した。第二次世界大戦末期までに主な事業者の統合が終わり、終戦の頃には長崎市から長崎半島と西彼杵半島に渡る路線権を持つ、規模の大きな事業者となっていた[3]。なお、長崎自動車の買収・合併と同時期となる1944年(昭和19年)に政府鉄道省より「バス事業の統合による総力の集結を求める通達」が出され、長崎県内では他にもバス事業者の統合が行われている[4]

しかし、路線を拡大した頃に戦争が激化し、タイヤなどの資材やバスを運行するための人員を軍に取られたため、1944年(昭和19年)に一部路線の運休申請が行われた[5]

戦後復興期 - 1970年代編集

原子爆弾の投下により多大なる被害を受けたが、数台の車両がほぼ無事であった。原爆投下直後からしばらく、難を逃れた車両は食糧輸送や救援のために被爆直後の長崎市内を走り回った[6]

その後、老朽車両の使えそうな部品を寄せ集めて組み直して代燃車を6台整備し、1945年(昭和20年)10月より運行を再開した[7][8]。更に1947年(昭和22年)末までにはシボレー、フォード、トヨタ、日産の代燃車18台を確保して運行が行われ、運行状態は平常近くまで復旧した[9][10]。その後、国産バスの生産体制が軌道に乗ったことで1948年(昭和23年)8月にガソリン車やディーゼル車などを購入[11]、1952年(昭和27年)に更に国の燃料統制が廃止されて燃料不足の問題も解消した[12]。新型車への切り替えにより、代燃車は1952年(昭和27年)末までに完全な廃止となった[12][13]。また、1944年(昭和19年)に運休を申請していた路線の一部は悪路や資材不足のため代燃車が運行できず、引き続き運休していたが、1954年(昭和29年)までに全ての路線で運行を再開した[7]

戦後復興期の頃は茂木線を茂木営業所、時津線を時津営業所、その他の市内線や西彼杵半島、長崎半島の路線を大波止営業所の管轄としていた[14]。しかし事業拡大に伴い路線数が増大し、大波止営業所の運行管理が煩雑化したため、市内や郊外の各地に設置した営業所への機能分散を行う様になった。1956年(昭和31年)に飽の浦と戸町と瀬戸、1956年(昭和32年)には田上と崎戸と、2年で5営業所が開設された[15]

1950年代後半(昭和30年代)から車両に対して先端技術の積極的な導入を行なうようになった[16]。1957年(昭和32年)9月には全国二例目となる自動ドアを取り付けた車両を導入した。自動ドア付きの新型車両ではドアの位置が変更され、従来は前乗り前降りとなっていたものを中乗り中降り方式に変更している[16]。1959年(昭和34年)6月29日には九州初となる完全冷房バスを導入し[16]、1982年(昭和57年)7月には全国で最も早く、全車の冷房化を完了している[17]。長崎バスが冷房化率100%を達成した時点で全国のバス事業者の冷房化率は30%未満であったとされる[16]

1980年代 - 1990年代編集

1987年には本社ターミナルの老朽化した発車案内設備を交換する際、全自動化されたシステムへの交換が行われた。新しいシステムは沖電気工業と長崎バスが共同開発したもので、行き先や発車時刻、発車合図や遅延案内が全て自動化された。完全に自動化されたシステムの導入事例は長崎新地ターミナルの設備が全国初の事例となる[18]

運賃箱は1990年より全国に先駆けて自動精算式の運賃箱を採用している。バーコード式整理券、硬貨、共通回数券を感知し、機械によって自動で清算を行うシステムである[19]。磁気式バスカードにも対応しており[19]運輸省から「昭和63年度バス交通活性化補助」が交付されていた[20]。バスカード導入で補助対象になったのは日本で初めてである[21][注釈 1]。整理券にバーコードが印刷されており、運賃精算の際にはバーコードで運賃を読み取り、読み取られた運賃をカードから差し引く方法であった[21]。カードは1,000円券(利用額1,100円)・2,000円券(同2,200円)・3,000円券(同3,300円)・5,000円券(同5,500円)の4種類が存在した[22]

2000年代 - 現在編集

2002年より長崎スマートカードの運賃清算システムを他の県内4社局と共に導入[23]。これに伴い、旧システムで対応していた磁気式バスカードは使用できなくなった[24]

2000年代には事業所の再編が二度実施された。2002年には常盤町営業所の廃止とバスターミナルを併設した桜の里営業所を新設[25]、2006年9月1日には茂里町、稲佐橋の営業所を廃止し柳、ダイヤランドの営業所を新設した[26]。茂里町営業所跡地には2008年にバスターミナル併設型の大型商業施設みらい長崎ココウォークをオープンさせた[27]

2001年よりLED式行先表示器の導入を開始[28]。現在はほぼ全車に搭載されている。

2011年からは液晶式の運賃表表示器を導入[29]。液晶運賃表はモニターに運賃表を表示するもので、表示項目数の多寡に合わせて画面内に表示するマス目の数や大きさを変更することができる[注釈 2]。また、2013年頃からはドライブレコーダーの設置も進められているほか、長崎スマートカードのシステム改良なども中期経営計画として発表されている[30]

年譜編集

  • 1936年昭和11年)
    • 4月28日 - 上野喜左衛門の出資により長崎・茂木乗合自動車株式会社が設立される[31]
      • 本坊豊吉ら7名が発起し、崎陽自動車商会と金子自動車商会を買収して創立。(資本金3万円)[32]
    • 8月15日 - タクシー部を設立することに伴い社名を長崎自動車株式会社(現在名)に改称[32]。(資本金7万5,000円[33]
      • 運行当初の路線は、鍛冶屋町から茂木町本郷までの8.1km[32]
      • 車両は1929年フォード幌型6人乗り乗用車6台を使用。従業員数は20名[34][33]
    • 10月 - タクシー部を創設。(タクシー20台)[33]
  • 1938年(昭和13年)1月26日 - 本社(鍛冶屋町)とタクシー部(大浦八坂町)を、元船町(大波止営業所、現在の大波止バス停前付近[35])に移転[34][33]
  • 1941年(昭和16年)1月 - タクシー部を、新設の日の丸自動車株式会社に譲渡し、バス事業一本で新発足[34][33]
    • 前年1940年(昭和15年)末頃、長崎市内にタクシー業者が乱立したため、経営が苦しくなり、戦時統合の行政指導に従ったもの[34]
  • 1944年(昭和19年) - 戦時体制でタイヤなどの資材確保が難しくなり、社員の徴用で輸送人員も確保できなくなったため、一部路線運休の申請が行われる[36][8]
  • 1945年(昭和20年)
  • 1947年(昭和22年)
    • 9月1日
      • 時津村(現・時津町)にて、エンジンが停止し、ブレーキも効かなくなった木炭バスが崖から転落しそうになったため、車掌であった鬼塚道夫が自らバスの下敷きとなり、運転手・乗客全員を救ったが、鬼塚は殉職した(21歳)。現在は「打坂の地蔵」として祀られている[37][38]
    • 12月 - 代燃車18台体制となり、認可路線の運行状態が平常に近い状態まで回復する[9]
  • 1950年(昭和25年)
    • 1月16日 - 県営バスとの間で稲佐橋〜大橋間の相互乗り入れ協定を締結[9]
    • 9月25日 - 松が枝から岩川町へ整備工場を移転する[39]
  • 1952年(昭和27年) - ガソリン車・ディーゼル車を購入して台数を確保したことや、国の石油統制撤廃に伴う燃料入手の自由化に伴い、代燃車が不要となり完全に廃止される[12][40]
  • 1955年(昭和30年)10月5日 - 茂里町整備工場(面積4,800m2)が完成し、岩川町から移転[39]
  • 1957年(昭和32年)
    • 4月20日 - 福田子供遊園地の開園式を挙行[39]
    • 9月 - 日本で二例目となる自動ドア(引戸式自動扉)バスを20台導入[41]
  • 1959年(昭和34年)6月29日 - 九州で初めて完全冷房バスを導入[39]
  • 1961年(昭和36年)
    • 5月4日 - 福田遊園地前発大波止行き路線バスが飽の浦付近で大雨による転落事故。死者2名。負傷者41名[42]
    • 10月1日 - 夜間観光バスの運行を開始[43]
  • 1962年(昭和37年)10月1日 - 茂里町の本社構内に茂里町営業所を新設[43]。野母半島方面行き路線が発着する長崎市初のバスターミナルとなる[44][45]
  • 1966年(昭和41年)10月22日 - 本社を茂里町から、新地町に新築したターミナルに移転し、大波止営業所を廃止[46][47]
  • 1968年(昭和43年) - バスのワンマン化が行われる[42]
  • 1971年(昭和46年)3月1日 長崎電気軌道のバス部門(電鉄バス)を譲受[48]
  • 1982年(昭和57年)
    • 7月 - 全国で最も早く、全車の冷房化を完了する[17]
    • 7月23日 - 長崎市大水害で大きな被害を受ける。死者なし、負傷者4名[49]
  • 1987年(昭和62年)10月1日 子会社として大崎自動車を新設し、大島出張所のバス事業を同社に譲渡。対象は大島町崎戸町内(いずれも現・西海市)の各路線[50]
  • 1990年(平成2年) 自動読み取り式運賃箱を順次各営業所へ採用[19]。翌年1月末までに全車取り付け完了[51]
  • 1998年(平成10年)
    • 1月22日 - 長崎市福田本町にてバスジャック事件発生。乗客2名と運転手が人質となったが2時間後に犯人は確保され、人質も救出された[52]
    • 初の女性運転士が登場[52]
  • 2002年(平成14年)
  • 2003年(平成15年)10月1日 - 子会社さいかい交通を新設し、瀬戸営業所のバス事業を同社に譲渡。対象は大瀬戸町西彼町西海町内(いずれも現・西海市)の各路線[53][54]
  • 2004年(平成16年)
    • 7月2日 - 子会社として長崎バス観光を新設し、貸切バス事業を同社へ譲渡[54]
    • 10月1日 - さいかい交通が大崎自動車を吸収合併[28]
  • 2005年(平成17年) - 社章がリニューアルされる[26]
  • 2006年(平成18年) - 女性運転士の制服をリニューアル[52]。また8月に営業所を再編、稲佐橋営業所・茂里町営業所を廃止して柳営業所・ダイヤランド営業所を新設[26]
  • 2007年(平成19年) - 原油価格の高騰に伴い、燃料節約を目的にデジタルタコグラフが導入される[55]
  • 2008年(平成20年)10月1日 - バスターミナル併設型大型商業施設「みらい長崎ココウォーク」を廃止した茂里町営業所の跡地に新設[27]
  • 2014年(平成26年)4月1日 - 東長崎営業所を開設し、東長崎地区に本格参入[56]
  • 2015年(平成27年)
    • 4月6日 - 時津営業所を時津町日並郷に移転し、時津北部ターミナルとする[57]
    • 10月1日 - 長崎バスおよびさいかい交通で乗合バスの運賃改定が行われる[58][59]
  • 2016年(平成28年)
  • 2017年(平成29年)
    • 4月1日 - 運転者の制服をリニューアル。役所広司の出演したCMで先行使用された制服が現場でも使用されるようになる[63]
    • 11月13日 - 地域経済活性化支援機構の支援の下、島原鉄道を子会社化して経営再建を実施することを発表[64]

事業拠点編集

主要な事業所編集

グループ全体

  • 本社
    • 長崎市新地町3番17号
  • 整備工場
    • 長崎市小瀬戸町809番14号

長崎バス(長崎・長与・時津周辺の路線バス事業)

さいかい交通(西海市の路線バス事業)

長崎バス観光(観光バス事業)

  • 本社・営業所
    • 長崎市滑石4丁目6番33号

廃止された営業所

  • 大島営業所
    • 長崎県西海市大島町字馬込1616
    • 1969年(昭和44年)5月26日瀬戸営業所の出張所となった[65]後、1987年(昭和63年)8月18日に大崎自動車として分社化[66]。その後2004年(平成16年)10月1日にさいかい交通が吸収合併して消滅[67]
  • 常盤町営業所
    • 長崎市大浦町1番32号
    • 2002年(平成14年)4月29日に松ヶ枝営業所へ移管する形で廃止[68]
  • 田上営業所
    • 長崎市田上1丁目2番49号
    • 2001年(平成13年)7月16日に茂里町営業所の出張所となった後、2003年(平成15年)4月7日に稲佐橋営業所へ統合して完全に廃止[69]
  • 瀬戸営業所
  • 茂里町営業所
  • 稲佐橋営業所
    • 長崎市光町1番5号
    • 2006年(平成18年)9月1日廃止[26]
  • 貸切大村営業所
    • 大村市森園町1648番1
    • 諫早市と大村市が貸切営業区域に加わったため1982年(昭和57年)に開設された[72]。既に廃止されており、跡地は空港線の車庫となっている。

一般路線バス編集

長崎市内を中心に長崎半島・西彼杵半島一帯を主な営業エリアとして事業を展開しているほか、長崎市内から長崎空港への空港連絡バスも運行している(長崎県営バスと共同運行)。

1キロ当たり24円50銭[73] [74]の運賃で運行されており、民間路線バスとしては全国で2番目の安さとなる[75]

運行している市町村編集

高速バスのみ運行の市町村を除く。

主な路線編集

長崎市は市内を山に囲まれており、平坦地が少ないため、市内中心部に向かう道路が限られている[77]。このため長崎バスの路線も市内に集中しており、北部方面は宝町、南部方面は中央橋から分岐するようになっている。長崎駅から中央橋の間は経路が二分され、中央橋方面へ向かう全ての路線が大波止経由か市役所経由のどちらかで運行される。大波止経由は船着場や商業施設ゆめタウン夢彩都のある大波止[注釈 3]を通り、市役所経由は長崎市役所を初めとしたオフィスビルの建ち並ぶ地区を通る。

1973年(昭和48年)より主な経由地別で路線に番号を設定しており、行き先別で路線をグループ化してまとめている[78][注釈 4]。方向幕による行き先表示では、大波止経由を青や黒、市役所経由を赤の経由番号で示すルールが定められていた[78]

なお、経由番号については見直しを行うという方針があるとされる[79]が、実施には至っていない。長崎市中心部では再開発事業(新幹線、県庁舎や市庁舎の移転など)が計画されているため、番号のみならず大波止経由と市役所経由という区分けも含めた再検討が必要と考えられている。また、経由番号の見直しにあたって行き先ごとに番号を割り振ることも検討されている[80]

また、大型バスを運行出来ないほど道路が狭い場所のみ、小型のバスで運行される体制を取っている[81]

北部・西部方面
系統 方面 主な目的地
1番 住吉 時津・満永・滑石・畝刈方面等多数
2番 西町 虹が丘
3番 城栄町 下大橋・小江原(こえばる)ニュータウン・相川(あいがわ)等
4番 西城山 下大橋
5番 稲佐 悟真寺前・稲佐山・シンフォニー稲佐の森等
6番 飽の浦(あくのうら) 立神・神の島・福田・小江小浦等(旭大橋経由を含む)
7番 長崎駅 南部・東部から長崎駅前・稲佐橋行き
8番 医学部 江平中・下大橋・三川町
9番 純心校 長与ニュータウン・三川町・恵の丘
100番 ココウォーク茂里町 南部・東部・西部からココウォーク茂里町行き
200番 中央橋・新地 日見・矢上方面から長崎新地ターミナル行き
南部・東部方面
系統 方面 主な目的地
10番 弥生ヶ丘 田上・三景台団地・唐八景・茂木
20番 中央橋・新地 北部・西部から長崎新地ターミナル(市民病院前行きを含む)・中央橋行き
30番 小ヶ倉 樺島・川原・香焼恵里 ・伊王島方面等
40番 ダイヤランド ダイヤランド車庫・二本松口経由柳営業所入口
50番 白木 風頭山・早坂・飯香の浦(いかのうら)
60番 大浦 大平橋・田上・南町経由上戸町
70番 矢の平 風頭山・田上
80番 網場 潮見町
90番 矢上 東長崎営業所・現川駅前・新田頭・つつじが丘
   
北部方面略図(長崎駅基準)
南部方面略図(中央橋基準)


ミニバス担当路線編集

全長7メートル弱の車両を使って運行される路線で、ミニバスと呼ばれている。路線にはそれぞれ愛称が付けられている[23]

名称・愛称 区間 備考
ゆりちゃん 江平中学校 - (平和町商店街) - 本原 - 住吉 - 百合野病院
元気くん ココウォーク茂里町 - 浦上駅前 - 長崎大学病院 - 大橋 - 城栄町 - 浦上駅前 - ココウォーク茂里町 平日のみの運行。一部城栄町発着。
ココウォーク茂里町 - 長崎大学病院 - 本原 - 住吉 長崎大学病院への乗り入れは平日のみ。
うみかぜ ココウォーク茂里町 - 元船町 - 長崎新地ターミナル - 浪の平 - 上戸町 - 二本松団地
ニッキー 錦三丁目 - 大橋 - 住吉 - 住吉台
みかんバス 長与ニュータウン - 長与駅東口 - 溝川 - 西時津 - 左底 - 上横尾 平日のみミスターマックス時津店へ一部乗り入れ
長与ニュータウン - サニータウン - まなび野団地 - 北陽台高下 - 道の尾 - 寺川内
けやき台線 住吉 - 昭和町 - 三川橋 - けやき台 平日のみの運行。

高速バス編集

 
夜行高速バス(グラバー号)

夜行便

昼行便

  • 大分・別府行き「サンライト号」〈長崎県交通局大分交通大分バスと共同運行〉
    • 長崎バス担当は1往復。夜行便と違い、「@バスで」での予約は可能であるが、長崎バスはサンライト号の窓口業務を行っていない。長崎側の発券業務は長崎県交通局が担当。

空港リムジンバス

  • 長崎市内 - 長崎空港線「エアポートライナー
    • ココウォーク茂里町 - 長崎駅前ターミナル - 大波止 - 中央橋 - 長崎新地ターミナル - (ながさき出島道路経由) - 長崎空港 〈長崎県交通局と共同運行〉
      • ココウォーク茂里町から長崎新地ターミナルまでは各停(空港行きは県庁前は通過)。空港行きは乗車のみ、長崎行きは降車のみ可能。
      • 長崎新地ターミナルから空港までは無停車でこの区間の所要時間は35分。
    • 長崎駅前(構内) - )ココウォーク茂里町 - 浦上駅前 - 大橋 - 住吉 - 道の尾 - 井手園 - (川平有料道路経由) - 長崎空港
      • 長崎バスの単独運行。2012年11月1日より[82]
      • 県営バスが同日より運行する住吉経由便とは異なり、昭和町を経由せず道の尾を経由する。長崎駅前からの乗車はできず、試験場前は経由しない(中古賀島を経由)。
      • 2013年5月1日より、長崎空港発便のみ長崎駅前まで延長運行、ココウォーク茂里町から長崎駅前までは各停で降車のみ。出島道路経由便や県営バス単独運行の昭和町経由便とは異なり、長崎駅前ターミナルではなく構内が降車場である。
      • 長崎市内:空港行きは乗車のみ、長崎行きは降車のみ可能。
      • バイパス多良見・諫早インター・大村木場:両方向とも乗降可能。
      • 桜馬場・中古賀島・長崎空港:空港行きは降車のみ、長崎行きは乗車のみ可能。

廃止路線

貸切バス編集

子会社の長崎バス観光が運営を行なっている。車両は主に50人強が乗れるハイデッカーと25人乗り小型バスが使い分けられる。

独立した企業組織としては1953年(昭和28年)3月1日に発足した。旅行斡旋事業者として有限会社長崎旅行社の名前で設立され、1957年(昭和32年)に長崎バス観光株式会社となった[54]。当初は運行担当が貸切営業所として本社に残され、企画と受注を長崎バス観光が行う体制であった[86]。その後1999年(平成11年)に貸切営業所を長崎観光自動車株式会社という名称で子会社化[87]、更に2004年(平成16年)には運行会社の長崎観光自動車が企画会社の長崎バス観光を吸収合併するという形で組織の統合が行われ、長崎バス観光の社号で長崎バスグループにおける観光事業の企画と運行を一括で行うようになった[54]

定期観光バス編集

観光バス事業は創業間もない昭和12年に一度、遊覧バス事業の申請が行われたが、公共性が低いとして翌年2月に却下された。これは当時、戦時中で石油節約が求められており、遊覧バス事業が全国的に規制されていたことが背景にある[88]。その後、長崎の観光需要が高まったのを契機に再度事業が計画され、1953年(昭和28年)運行開始[13]。1955年(昭和30年)頃には通りかかった観光名所にちなんだ曲を流すミュージックバスを運行していた。また、観光客出迎えの際に女子吹奏楽団が活躍した時期もあったが、競争過熱となったため九州地区バス事業者間で申し合わせが行われ、1965年(昭和40年)に廃止された[15]

現在は長崎市内を巡るコースと、期間限定ながら外海方面の教会などを巡るコースの2種類がある。

このほか、長崎市内から雲仙・島原を観光しながら熊本フェリーにバスごと乗船して熊本県熊本市とを結ぶ「雲仙・長崎オーシャン観光バス」を九州産交観光と共同運行においておこなっている(完全予約制)。

バスツアー編集

長崎市内や雲仙温泉へのツアーを中心に、九州各地へのバスツアーを運営している。また、長崎バスやさいかい交通の一般路線バスに便乗して移動し、長崎市周辺の観光地への日帰り旅行を行うツアーも企画されている。

その他の事業編集

コミュニティバス
長崎市コミュニティバスの式見線、伊王島線、三和線、香焼三和線、野母崎線の運行を行なっている。
自動車整備
1992年(平成4年)10月より自動車の車検サービスを請け負っている。当初は普通乗用車と軽自動車のみを受注の対象としていたが、現在は大型車や特殊車の整備も行っている[85]。モーターサービス部の管理下にあり、業務は神の島営業所近くの整備工場で行われる。

主なターミナル編集

長崎新地ターミナル(本社社屋内)
北部方面の一部路線と夜行バスが発着する。5面のホームを持つターミナルで、長崎スマートカード・定期券の発売窓口があるほか、イオン長崎店やキャンドゥなどがテナントとして入店している。かつては「(長崎・)本社前」という行先表示となっていた[89]
ココウォーク茂里町(ココウォークバスセンター:みらい長崎ココウォーク内)
南部方面の主要路線はここから発着。敷地内に専用ホーム(乗車用4面・降車用2面)が設けてある他、バスの待機所・駐在としても機能する。ココウォークの敷地にはかつて茂里町営業所があり、長崎市内初のバスターミナルであった[44]
長崎バスが運行している、名古屋、大阪・京都行きの夜行バスや長崎空港ながさき出島道路経由、県営バスと共同)も同ターミナルに停車している。
桜の里ターミナル(桜の里営業所
長崎市西北の交通の要衝。南方滑石・時津・畝刈などの経由便や北方大瀬戸方面の路線を利用可能。
本社(長崎新地ターミナル) - 瀬戸線は朝夕のさいかい交通担当の直通便を除いて全てここで乗り換えとなる。
1階は営業所の窓口の他に待合室・自販機コーナー・トイレが設けられ、接続待ち・始発待ちの際は乗客がここで休憩できるようになっている。1階の営業所の建屋以外の場所、および2階から上は立体駐車場によるバスの車庫となっている。
時津北部ターミナル(時津営業所
朝夕の本社(長崎新地ターミナル) - 大串線直通便を除き、ここで乗り換えるようになっている。窓口と待合室、自販機コーナー・トイレが設けられ、始発待ちの乗客が休憩できるようになっている。
ターミナルとしては主に乗り換え用の中継点として運用されており、大串線直通便を含めた乗り換えを行わない便は殆どがターミナルの裏手にある旧道を経由するため、このターミナルの発着路線自体は少ない。
ターミナルの屋外はバスなどを駐車するための平面車庫となっている。

車両の特徴編集

カラー編集

   
上野がデザインした旧塗色(左)と84年以降採用の新塗色(右)

ツーステップバスは銀バスとも呼ばれている。戦前は深緑に赤帯、戦後初期は深緑に薄緑帯のデザインであったが、戦後復興期に創業者上野喜左衛門によって明るいイメージというコンセプトで銀地に朱と紺のデザインが考案された。新デザインは全車両に適用され、新車は全て銀バス、既存車は車検の際に塗り直しが行われた[90]。この頃より車両側面には「長崎バス」と「NAGASAKI BUS」の文字が書かれている[91]。1984年導入のいすゞキュービック以降新車の塗り分けが変更され、それまで紺色だった車体下部の色が青・朱だった帯がディープピンクに近い赤となり、全体に直線的なカラーリングで明るめのデザインとなった(写真参照)。前面・側面方向幕も大型化し、色もこの代より青地に白文字となった[92][93]

   
新急行色の一般路線バス
ノンステップバス
 
貸切バス

現在ワンステップバスおよびノンステップバスで採用されているカラーは白をベースに朱と紺のトリコロールで車体側面にNの字があしらわれたもので、1999年に導入されたワンステップバスより採用された。[94]。2001年以降は交通バリアフリー法により新車導入がワンステップバスおよびノンステップバスのみに限定されたため、事実上の標準色となっている。

なお、かつては急行用車両として銀バスとは別のデザインの車両が導入されたこともある[95]。白を基調とした赤帯と青帯のトリコロールカラーで、1980年代に導入された旧デザイン(車両中央で帯がを描くように曲がっている)と2000年に佐世保急行線用として導入された現存車両(写真参照)の新デザインがある[96]。しかし急行路線はその後全て廃止され、現在は急行用車両は一般車両と全く同じ運用に就いている。

観光バスや高速バスなどの車両も、原則としてトリコロールを採用している[97]。貸切バスは1979年(昭和54年)導入車両より一般路線バスカラー(当時)のマイナーチェンジ版を採用。現在まで使用されている[98]。高速バスは現行と異なるデザインや、貸切兼用車両を使用した時期もあるが、1989年(平成元年)導入車より現行デザインが採用されている[97]。空港バスのみ当初は紺色をベースカラーとしたデザインを採用していたが、2011年(平成23年)導入車より白をベースとしたデザインとなり、既存車も新デザインに変更された[97]

ミニバスは運行開始当初、路線ごとに異なるデザインを採用していたが、ココウォークがオープンした2008年の8月以降、みかんバス(滑石・長与・時津方面)を除く殆どの路線でデザインをココウォークカラーに統一している[99]

車両番号について編集

長崎バスグループの車両はナンバープレートに依存しない、個別の番号で車両を管理する目的から、1963年より4桁の車両番号が付与されている。その意味は以下のとおりである[100]

  • 1桁目…シャーシメーカー(1・2いすゞ、3・4日野、5・6三菱)
  • 2桁目…導入年(下1桁)
  • 3・4桁目…購入順位による通し番号
    • 小型車は1桁目9、2桁目メーカー、3桁目導入年、4桁目通し番号と言う形になる。

例として、2006年の1番目に導入されたいすゞ製車両は「2601」となる。ただし番号は20年で一巡するため、1966年・1986年・2006年…の1番目に導入されたいすゞの車両も「2601」となる[注釈 5]

基本的に通し番号には欠番などのルールがなく、一部事業者で忌み番号とされる「XX42」や「XX49」の番号を持つ車両も在籍している。用途別およびコーチビルダー別の区分ルールなどもない[100][注釈 6]

車両の仕様編集

 
歴代車両を載せたラッピング広告

長崎バスの車両は、草創期を除いていすゞ日野三菱ふそうを採用している。唯一の例外は1984年(昭和59年)に導入された佐世保線用の二階建車両(現在は廃車)であり、ドイツドレクメーラー製が採用されている[83][101]。小型バス専用の路線はごく一部であり、基本的に狭隘路でも大型車で運行される。

ワンステップバスは1999年から導入開始され[102][79]、2001年からはスロープ板を装備した車椅子対応型を導入し、これと同時に行先表示器もLED標準装備となった[102][28]。2005年12月には国土交通省標準仕様のノンステップバスが試験導入され[79]、翌2006年12月より全営業所で運行開始された[102]

一般路線バス車両の外見的特徴として、大型車両は1990年より行先表示器が中央で2分割された車両を導入している点を特徴とする。左側に終着地を掲げ、右側に経由地を列挙する[101][103][注釈 7]。現在は基本的にLED表示であり、2001年から導入が進められた[96]。また特殊装備として左側路肩に向けたコーナリングランプが標準装備されており[103]、必要に応じて点灯させている。


一般路線バスの冷房化は早期に実施されており、冷房は1973年導入分から標準装備され、1982年7月から全車が冷房車となっている(一般路線バス事業者では全車冷房化達成第1号)[16]ワンステップバスの導入以前は前後扉を基本としており、九州の事業者で採用例の多い中扉4枚折戸はワンステップバスの導入まで採用されなかった[97]。高速・貸切車両は1998年導入分よりスイングドアが採用された[97]

かつては塗装を使って車両に広告を施していたが、2005年よりラッピングバスを採用。車体に収まらない写真は車窓にまで広げて貼ってある[104]

関連会社編集

この他、長崎国際テレビに対しても出資をしている(株式持分割合が低いため関連会社扱いにはならない)。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ なお、この年度には、神奈川中央交通バスカードシステム導入も補助対象となっている(『バス・ジャパン』通巻9号 p.50)。
  2. ^ 整理券番号が12以下なら縦2マス横6マスだが、12を超すと縦3マス横8マス、24を超すと縦4マス横10マス、40を超すと縦5マス横12マスと数が増えていく。
  3. ^ 波止場周辺地域を差す名称であるが、住居表示上の正式な地名ではない
  4. ^ 経由番号の経路に該当しない路線には番号が付与されない
  5. ^ ただし新車導入時に20年以上運用された車両が存在する場合、重複になる番号を避けて番号振りが行われる。
  6. ^ 路線バスと高速バス、あるいは純正車と西工架装車が連番になることや、番号が一巡した際に同じ番号が別用途・別ボディの車両に割り振られることもある。
  7. ^ 経由が異なり終点が同じ路線は経由地の方向幕を差し替え、行き先が異なり経由が同じ路線は行き先の方向幕を差し替えるだけで表示できる。

出典編集

  1. ^ 五十年の歩み, p. 8.
  2. ^ 五十年の歩み, p. 11.
  3. ^ 75年史, p. 12,19.
  4. ^ 75年史, p. 19.
  5. ^ 五十年の歩み, p. 14.
  6. ^ 五十年の歩み, p. 18.
  7. ^ a b 五十年の歩み, p. 20.
  8. ^ a b 75年史, p. 20.
  9. ^ a b c 労組40年史, p. 438.
  10. ^ a b c 75年史, p. 23.
  11. ^ 五十年の歩み, p. 23.
  12. ^ a b c 五十年の歩み, p. 24.
  13. ^ a b 五十年の歩み, p. 27.
  14. ^ 五十年の歩み, p. 31.
  15. ^ a b 75年史, p. 31.
  16. ^ a b c d e 75年史, p. 33.
  17. ^ a b 五十年の歩み, p. 70.
  18. ^ a b 75年史, p. 53.
  19. ^ a b c d 75年史, p. 54.
  20. ^ バス・ジャパン 1988, p. 50.
  21. ^ a b バス・ジャパン 1988, p. 51.
  22. ^ バスラマ・インターナショナル 1988, p. 46.
  23. ^ a b c 75年史, p. 66.
  24. ^ 日本初の共通ICバスカード、H14.1.21から発車!!
  25. ^ a b 75年史, p. 130.
  26. ^ a b c d 75年史, p. 71.
  27. ^ a b 75年史, p. 106.
  28. ^ a b c 75年史, p. 146.
  29. ^ 75年史, p. 147.
  30. ^ 長崎バス中期経営計画 01-品質向上、02-事業拡大のページ
  31. ^ 75年史, p. 12,13.
  32. ^ a b c 75年史, p. 16,17.
  33. ^ a b c d e f g 75年史, p. 138.
  34. ^ a b c d 75年史, p. 17.
  35. ^ ゼンリンの住宅地図 昭和36年版
  36. ^ 五十年の歩み, p. 15.
  37. ^ 75年史, p. 24,25.
  38. ^ 打坂地蔵尊 | 長崎バス
  39. ^ a b c d 75年史, p. 139.
  40. ^ 75年史, p. 27.
  41. ^ 五十年の歩み, p. 35.
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  103. ^ a b バスラマ・インターナショナル 2005, p. 47.
  104. ^ 75年史, p. 98.

参考文献編集

  • 長崎自動車50周年社史編集委員会 『五十年の歩み 長崎自動車』、1986年
  • 私鉄総連長崎自動車労働組合 『私鉄の赤腕章 長崎自動車労組40年史』、1996年3月3日
  • 長崎自動車75年史編集委員会 『長崎自動車75年史 NAGASAKI BUS GROUP』、2011年12月
  • 鈴木敏「乗合バスへのカードシステム導入とバス交通活性化について」、『バス・ジャパン』第9号、バス・ジャパン刊行会、1988年7月、 50-52頁、 ISBN 4795277648
  • 鈴木文彦「普及の兆しを見せるバスカード その現状と展望」、『バスラマ・インターナショナル』第2号、ぽると出版、1988年11月、 45-48頁、 ISBN 4938677024
  • 「バス事業者訪問92 長崎自動車」、『バスラマ・インターナショナル』第89号、ぽると出版、2005年3月、 38-59頁、 ISBN 4899800894

関連項目編集

外部リンク編集