浜田光夫

日本の俳優(1943−)

浜田 光夫(はまだ みつお、1943年昭和18年〉10月1日[2][3][4][5] - )は、日本俳優日活の黄金期を支えた看板俳優の一人。本名は浜田 斌(はまだ あきら)[4][5]

はまだ みつお
浜田 光夫
浜田 光夫
『映画情報』1965年2月号(国際情報社)より
本名 浜田 斌
別名義 浜田 光曠
生年月日 (1943-10-01) 1943年10月1日(81歳)
出生地 日本の旗 日本東京都牛込区(現・新宿区白銀町
身長 168 cm[1]
血液型 A型[1]
職業 俳優
歌手
ジャンル 映画
テレビドラマ
舞台
活動期間 1955年 -
配偶者 青園宴
事務所 アートプロモーション
主な作品
映画
ガラスの中の少女
非行少女
キューポラのある街
泥だらけの純情
愛と死をみつめて
『君は恋人』
天平の甍
テレビドラマ
若い川の流れ
お荷物小荷物
なんたって18歳!
アイアンキング
赤いシュート!
あぶない少年
舞台
『闇に咲く花』
 
受賞
エランドール賞
新人賞(1961年)
日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
第25回 実写映画部門(2016年)
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東京都[2][3]牛込区(現・新宿区白銀町出身[4]。玉川学園小学部、中学部、高等部卒業[6]日本大学芸術学部[2][3]中退[7]アートプロモーション所属[8]

来歴

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父は生後1ヶ月のときに結核で死去、母の手ひとつで育てられる[9]。生まれた当初つけられた名前は「斌(あきら)」であったが、後に姓名判断に凝っていた母の薦めで、知人により「光曠」と改名された[10]。戸籍名は「斌」のままである[10]

小学生のときに、兄弟のいない息子を気遣った母の計らいで、バイオリン教室へ通うことになる[11]。また、当時通っていたバイオリン教室の生徒が出演していた音楽映画『ここに泉あり』にその生徒のうちの1人として出演している[12]。習いたての生徒がバイオリンを弾くシーンで、わざと下手な真似をして弾くというのがよく飲み込めなかったという。その腕前は『父と娘の歌』、『日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章』で見ることができる。

小学校6年生のときに、日本橋三越劇場にて公演『ピーター・パン』を見て興味を持ち楽屋を訪問すると、「来週から来なさい」と言われたことがきっかけで劇団東童に入団[13]1955年劇団民藝若杉光夫監督に見いだされ、『石合戦』に主役の少年で出演[5][14]。『石合戦』に出演する少し前に、バイオリン塾でレッスン中に見事なおならをしてしまい、先生から「バイオリンより良い音が出たね」と言われ、それまでのレッスンと月謝が無駄だったと非常なショックを受け、以後は演劇に力をいれはじめるきっかけとなった[12]。中学3年生のときに劇団四季の『永遠の処女』(演出・浅利慶太)、NHKの民藝ユニット作品『メリイクリスマス』(演出・若杉光夫)にも重要な役で出演する。

本格デビュー

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玉川学園高等部在学中の1960年、若杉監督の勧めで『ガラスの中の少女』のオーディションを受け、吉永小百合と初共演[5][15]玉川学園卒業後、高橋英樹と共に日本大学藝術学部へ進学[6]。同年、日活に入社し本格デビュー[3]1961年に『この若さある限り』より、若杉監督から「光夫」の名前をもらい芸名を浜田光夫と改める[5]

その後、数多くの日活映画に出演。吉永小百合のほか、和泉雅子田代みどり松原智恵子松尾嘉代太田雅子(現・梶芽衣子)など若手女優陣らとも共演する。

吉永小百合との日活純愛路線

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吉永小百合と浜田(1965年)
 
週刊明星』1963年4月21日号の新聞広告

従来のアクション路線がマンネリ化していた日活にとって、浜田・吉永コンビの純愛路線は多くのファンの支持を集め爆発的人気となった[3]日本大学芸術学部に入学後も、数多くの主演作でハイティーン・スターとして売り出す[3]。浜田の目は、その美しさから“バンビの目”と称された。なお、大学は2年で中退している[7]

浦山桐郎監督の『キューポラのある街』(1962年キネマ旬報ベスト・テン日本映画第2位)、純愛路線の決定版である中平康監督の『泥だらけの純情』、またベストセラーを映画化し興行的に大ヒットした『愛と死をみつめて』(1964年日本映画興業成績第2位)など話題作に次々出演し、吉永小百合と共にトップスターとしての地位を確立する[5]。また当時の人気作家であった石坂洋次郎三島由紀夫など文芸小説の映画化作品が次々と創られた。

浜田・吉永コンビの映画作品は最盛期に1ヶ月に1本のペースで封切られ、2人は1年で顔を合わせない日は数日だったという忙しさであった[16]。吉永とのコンビ映画は44作品にのぼる[17]

その他の出演作

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吉永をはじめとする青春映画以外に社会派映画などにも出演。浦山桐郎監督の第二作『非行少女』では、和泉雅子とコンビを組んだ[18]。『キューポラのある街』と同様に高い評価を得、モスクワ国際映画祭金メダル賞を獲得[19]。その他『大人と子供のあいの子だい』、『煙の王様』、『サムライの子』など当時の社会情勢をテーマにした映画に出演した。

右眼負傷とイメージチェンジ

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1966年7月25日、名古屋市女子大小路サパークラブで仕事終わりに葉山良二らと飲んでいると、酔った客が絡み出し、突然、電気スタンドで葉山を襲撃した[20]。そして葉山の隣にいた浜田の右目に電気スタンドのガラスの破片が直撃し、右目が全く見えなくなってしまう[20]。ガラス片が黒目を直撃した上、レンズ部分の水晶体に到達し、眼球破裂水晶体を保護する「房水」が流出していた。名古屋大学医学部附属病院に救急搬送され、即手術、入院ということになる[21]。もう何時間か遅れていたら、完全失明は免れないという状況だったという[21]。黒目を0.3mm間隔で32鍼縫い上げる眼球縫合手術が行われ、失明の恐怖に耐えながら8時間、奇跡的に失明は免れた。

このアクシデントを受け、当初吉永とのコンビで出演予定であった『愛と死の記録』は急遽、渡哲也が代演することとなった[22]

8か月の入院生活を終え、1967年3月に退院[22]。手術で視力は取り戻したものの、黒目に白い傷跡が残った。その傷跡を隠すために、サングラスをかけ仕事を再開した浜田だったが、後遺症でライトの前では目を開けているのさえ困難であった。翌年、日活オールスターが友情出演した『君は恋人[注釈 1]で復帰するが[5]、右目負傷の影響からその後は眼を保護するためにスモークやハーフトーンのサングラスが必需品となった[注釈 2]。こうしてイメージチェンジを余儀なくされ、『涙の季節』『いちどは行きたい女風呂』でのコミカルな役柄など、次第に従来とは異なるバイプレーヤー的な俳優へと転向する。この時期、浜田の支えとなったのは、のちに妻となる青園宴だった[23]高橋英樹宝塚歌劇団のファンだったことから、高橋の付き添いで宝塚歌劇を鑑賞することになり、宝塚歌劇団生徒の溜まり場となっていた洋菓子喫茶アマンドで青園と知り合う[24]。失明騒動の後、目にコンタクトレンズを入れて撮影を行っていたため炎症を起こしてしまい、大阪大学医学部附属病院に入院することになった際、身の回りの世話をしてくれたのが青園だったという[25]。青園の励ましを受け、目の完治を諦めず4度もの手術を決行。暴行事件から7年、ついに目は完治した。

歌手として

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日活映画の主題歌、挿入歌を中心に、テイチクレコードから数多くのレコードを発売。中でも1963年に発売した三条江梨子とのデュエット「草笛を吹こうよ」がヒットした[26]。1967年には東芝レコードから映画復帰作主題歌「君は恋人」を発売している。

日活退社後から現在

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日本映画の衰退とともに日活を退社し石原プロに移籍[27]。またテレビドラマにも進出。1970年、テレビドラマ『お荷物小荷物』(朝日放送製作、TBS系)で、小言屋だが肝心な時には頼りない5人兄弟の次男・滝沢義を演じ、コミカルな演技で新境地を開拓した[注釈 3]

同作の脚本だった佐々木守と意気投合し、この後、岡崎友紀主演の“18歳シリーズ”や特撮ヒーロー番組『アイアンキング』など、1970年代前半に佐々木が執筆または関係したテレビドラマの常連的存在となっている。その後は悪役からバラエティ番組、情報番組のコメンテーターもこなすバイプレーヤーとして多くの舞台、テレビ、講演など幅広く活躍している。代表的な作品として1980年の映画『天平の甍』、2004年の映画『1リットルの涙』など。

2012年9月18日発売の「女性自身」(2012年10月2日号)に妻・恭美子の手記が掲載された。浜田は日活時代から日常的に飲酒を欠かさない生活だったが、年齢と共に飲酒量が増えた。2010年1月に胃の裏側や背中の激痛を訴え緊急入院。急性膵炎の診断を受け一命を取り留めたことをきっかけに、夫婦二人三脚で生活改善に努めていることを明らかにしている[17]

2012年10月18日Amebaブログ内に自身のオフィシャルブログ「青春日和」を開設。

2016年、第25回日本映画批評家大賞・実写部門 ゴールデン・グローリー賞を受賞[29]

人物

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趣味は、ゴルフ[30]

1972年1月6日ハワイで結婚[31]。妻は宝塚歌劇団に在籍した宝塚歌劇団52期生の元タカラジェンヌで、宝塚歌劇団卒業生の青園宴(本名・浜田恭美子)[32]。娘が2人いる[33]。長女は2005年2月13日玉川学園の同窓生だったひばりプロダクション社長・加藤和也と結婚[34][35]。浜田と加藤は舅と婿の関係となった。

同級生には円谷英二の三男・円谷粲や、後に『アイアンキング』の主題歌を担当する子門真人がいた[5]

テレビに出演するようになってからは『お荷物小荷物』で初めて手応えを感じ、脚本を手がけた佐々木守を敬愛するようになった[5]。『アイアンキング』への出演は、佐々木が脚本を手掛けることから即断したという[5]。浜田が佐々木のことを認識したのは『お荷物小荷物』からだが、それ以前に映画『非行少女』で佐々木から方言指導を受けていた[5]

出演

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※太字は主演

映画

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ガラスの中の少女』(1960年)
 
キューポラのある街』(1962年)
 
赤い蕾と白い花』(1962年)
 
青い山脈』(1963年)
 
若い東京の屋根の下』(1963年)
 
風と樹と空と』(1964年)
 
愛と死をみつめて』 (1964年)

テレビドラマ

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オリジナルビデオ

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  • 新・うれしはずかし物語 週末のシンデレラ(1991年、にっかつビデオ
  • スウィートルーム2(1993年、にっかつビデオ)

舞台

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  • 闇に咲く花(1989年、こまつ座
  • 民謡・秋田おばこ物語 貞子(1995年、プロデュースセンター)
  • 喜劇・SANADA(2001年・2002年、新宿コマ劇場) - 真田幸村
  • 美空ひばり物語(2001年、コマ・プロダクション) - 加藤増吉
  • わだばゴッホになる 棟方志功物語(2003年、コマ・プロダクション)
  • 晴れのちくもり時々涙…(2003年、劇団民藝) - 柿崎太一
  • 不死鳥ふたたび 新・美空ひばり物語(2003年 - 2004年、コマ・プロダクション) - 加藤増吉
  • 新章・美空ひばり 不死鳥伝説(2005年、御園座
  • ジパング(2005年、御園座)
  • 地球は何処へ(2008年、国連クラシックライブ協会)
  • 生きる(2014年 - 2018年、BMCエンタープライズ)
  • 五木ひろし特別公演 / めおと囃子(2015年、明治座

音楽

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シングル

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発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
テイチクレコード
1961年7月 EP NS-434 A 京舞妓[注釈 4]
B 憧れの東京[注釈 5][注釈 6] 森永健次郎 八州秀章
1961年9月 EP NS-478 A 白い雲と少女[注釈 4][注釈 7]
B 山の牧場[注釈 5][注釈 8] 森永健次郎 八州秀章
1962年3月 EP NS-533 A 猪又良 上原賢六 大久保徳二郎
B 放浪の詩集 塩瀬重雄
1962年5月 EP NS-558 A 激流に生きる男[注釈 9]
B 東京の風は知っている 牧房雄 伏見竜二 山倉たかし
1962年10月 EP NS-610 A 光徳牧場の思い出 松坂直美 福島正二
B 雨に煙った山の歌 吉田晴彦 山倉たかし
1963年1月 EP NS-641 A 青い流れ星 牧房雄
B 男ごころに涙あり 門井八郎 上原賢六 福島正二
1963年1月 EP NS-651 A 街の並木みち[注釈 10] 滝田順 久慈ひろし
B 青春の裏町 門井八郎 村沢良介
1963年3月 EP NS-664 A 時計台のある町 池田充男 塩瀬重雄
B 慕情のひと
1963年4月 EP NS-667 A 俺の背中に陽が当る[注釈 11] 池田充男 塩瀬重雄
B 俺の心のキューポラ 大高ひさを 伏見竜二 牧野昭一
1963年4月 EP NS-688[注釈 12] A 草笛を吹こうよ[注釈 13][注釈 14] 門井八郎 上原賢六 塩瀬重雄
B 花の十九よ いつまでも
1963年4月 EP NS-691 A 交換日記 牧房雄 塩瀬重雄
B おふくろ 滝田順 大久保徳二郎
1963年5月 EP NS-702 A 男の街角 丸山環 塩瀬重雄
B 夕月の町[注釈 15]
1963年5月 EP NS-711 A 涙の中の青春 大矢弘子 伏見竜二 塩瀬重雄
B 純愛山脈 滝田ひさし 牧野昭一
1963年6月 EP NS-714 A 若い仲間[注釈 16]
B カンナの花よ[注釈 17]
1963年7月 EP NS-723 A 友情物語[注釈 18] 滝田順
B 花占い[注釈 19]
1963年8月 EP NS-734 A 純情よ どこへ行く 猪又良 上原賢六 大久保徳二郎
B 若い練習生 牧房雄 牧野昭一
1963年8月 EP NS-737 A 白い花の青春[注釈 20] 松本栄 村沢良介 塩瀬重雄
B 素晴らしき公休日[注釈 19]
1963年9月 EP NS-742 A 君呼ぶ渚 萩原四朗 上原賢六 牧野昭一
B 丘の上の校舎 香落滝夫 山田栄一
1963年10月 EP NS-750 A おさげと草の実[注釈 21]
B ふたりの湖[注釈 13] 萩原四朗 久慈ひろし
1963年 EP NS-757 A 夢をつれて歩こうよ
B ちっぽけな二人の世界
1963年12月 EP SN-760 A 成熟する季節[注釈 22] 滝田順 伏見竜二 塩瀬重雄
B 泥だらけのいのち[注釈 23]
1964年2月 EP NS-770 A 通学列車 滝田順 野崎真一 塩瀬重雄
B あの娘のためさ[注釈 9]
1964年4月 EP SN-39 A いのち短し 池田充男 久慈ひろし
B はまなすの詩集[注釈 24] 吉田弘 上原賢六 塩瀬重雄
1964年3月 EP SN-** A 伊豆の虹[注釈 25] 萩原四朗 福島正二
B
1964年4月 EP SN-43 A ぼくら同級生[注釈 26] 滝田順
B 若者よ胸を張れ[注釈 23]
1964年5月 EP SN-54 A 青いポプラの木のように 池田充男 塩瀬重雄
B 十代と二十代 門井八郎 野崎真一
1964年6月 EP SN-62 A あたって砕けろ[注釈 27] 牧房雄 牧野昭一
B 夕焼け山脈[注釈 9]
1964年6月 EP SN-70 A 若い自転車[注釈 13] 門井八郎 上原賢六 塩瀬重雄
B 東京ロマンス 吉田良男 和田香苗
1964年8月 EP SN-94 A 純情鴉 滝田順 牧野昭一
B 青春街道 門井八郎 上原賢六 塩瀬重雄
1964年9月 EP SN-113 A 世界をまわろう 大高ひさを 福地清彦 村沢良介
B 花は微笑む西銀座[注釈 13] 門井八郎 上原賢六 塩瀬重雄
1965年6月 EP SN-1** A さよならママさん 渋谷郁男 村沢良介
B 可愛いい人 橋本守正
1965年6月 EP SN-146 A 僕も一緒に死ぬべきだった 渋谷郁男 牧野昭一
B あの星の向うに[注釈 21]
1965年2月 EP SN-163 A あの娘は流れ星 池田充男 久慈ひろし
B 別れてもなお 滝田順
1965年6月 EP SN-185 A ささやきの小径 石巻宗一郎 バッキー白片
B まことの愛
1965年6月 EP SN-212 A 北国のブルース 知野英生 牧野昭一
B 別れの夜間飛行 久慈ひろし
1965年7月 EP SN-227 A 姉弟[注釈 28] 池田充男 山田栄一
B 青空さんごめんなさい[注釈 29]
1965年8月 EP SN-250 A お母さんごめんなさい 渋谷郁男 野崎真一 山田栄一
B 若者たちよ 門井八郎 上原賢六 牧野昭一
1965年11月 EP SN-278 A 若桜音頭[注釈 30]
B 若さで行こう 秋元ちかし 奥野信一 山田栄一
1965年12月 EP SN-281 A 島を愛する[注釈 31] 吉田弘 上原賢六 牧野昭一
B 北国の少女
1966年3月 EP SN-319 A 東京の太陽 門井八郎 天井正 牧野昭一
B さァ、顔を上げて 高月ことば 山倉たかし
1966年3月 EP SN-325 A 青春ア・ゴーゴー[注釈 32][注釈 33] 青島幸男 脇野光司 大野克夫
B あしたに向って 渋沢敏 脇野光司
1966年5月 EP SN-3** A 君が好きなのに
B 一人ぼっちで飛ばせ
1966年5月 EP SN-360 A ここに花咲く[注釈 34] 萩原四朗 上原賢六 塩瀬重雄
B 急げ巡航船
1966年9月 EP SN-403 A 君の涙にくちづけを 滝田順 野崎真一 山倉たかし
B 君を呼ぶ星
1966年10月 EP SN-416 A 夢は花より美しく 門井八郎 上原賢六 牧野昭一
B 僕ならば君ならば[注釈 13] 塩瀬重雄
東芝レコード
1967年10月 EP TP-1547 A 君は恋人[注釈 35] 佐藤三郎

補:岩谷時子

中村八大
B 旅に出るなら[注釈 36] 岩谷時子
1968年5月 EP TP-1646 A 窓を開けよう 岩谷時子 中村八大
B こころ幼い君だから
1968年11月 EP TP-2072 A 京のなみだ川 なかにし礼 すぎやまこういち 川口真
B 君を抱きたい雨の夜
1969年9月 EP TP-2203 A さすらいの詩 丹古晴己 大本恭敬 白鳥五郎
B 銀座 ヨコハマ
1970年4月 EP TP-2263 A 70年の子守唄 阿久悠
B 俺達の挽歌
1971年2月5日 EP TP-2372 A 銀座の恋の物語[注釈 37] 大高ひさを 鏑木創 横内章次
B 恋人達の虹 わだじゅん子 姫由紀夫
1971年12月20日 EP TP-2594 A 愛と死の詩 阿久悠 森田公一
B どん底
RCAレコード
1985年7月 EP RHS-2008 A 東京ロマンス[注釈 38] 吉岡治 市川昭介 斉藤恒夫
B もつれて愛[注釈 39]
日本コロムビア
1987年 EP PES-8374SP A 二人で生きる タテイシヒサコ 荒川敏行 大川友章
B 愛に抱かれて
トーラスレコード
1990年9月27日 8cmCD TADL-7312[注釈 40] 1 帰ってきたんだね 浜田光夫 賀川幸星 馬場良
2 夜霧のふたり 賀川幸星
アクセスエンタテインメント
2009年9月4日 CD AFMD-1114[注釈 41] A 二人のポートタウン[注釈 42] 藤波研介 浅野佑悠輝 若草恵
B どうなっちゃうの 杉村俊博

アルバム

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  • 青春の歌/僕の歌(1962年、テイチクレコード、NL-2044)

著書

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  • 『言っちゃおうかな ― 日活!イカした仲間の面白ばなし』(1984年、日之出出版 ISBN 4891980400
  • 『青春 浜田光夫 『キューポラのある街』―あれから50年』スタート(発行)、展望社(発売)、2012年7月14日。ISBN 978-4885462436 

脚注

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注釈

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  1. ^ 『君は恋人』には石原裕次郎小林旭浅丘ルリ子宍戸錠ら当時の日活スターが総出で友情出演し、加えて坂本九舟木一夫荒木一郎ザ・スパイダースら当時の人気歌手/タレントも多数出演して浜田の復帰を祝った。当時の日活は、いわゆる“オールスターもの”をいくつか製作しているが、当時の映画興行は新作二本立てが標準の形であり、通常、ひとつの作品に全てのスターを集結させることは困難であったが、この作品では当時日活に在籍していたスターが全員顔を揃え、大作並みの規模となった(同時上映は、赤木圭一郎が生前最後に出演し、未完成となっていた作品のフィルムを再構成した中編『赤木圭一郎は生きている 激流に生きる男』)。
  2. ^ これが浜田のトレードマークとなっているが、近年はカラーの入っていないレンズの眼鏡も使用している。
  3. ^ 浜田によれば、落語の「小言幸兵衛」をヒントにしたとのこと。義のキャラクターについて、佐々木は確たるものが掴めず、当初は「天下の二枚目」で行く方針だったが、浜田の提案で「先がひらけた」と後に語っている[28]
  4. ^ a b 唄:田代みどり。
  5. ^ a b 田代みどりとデュエット。
  6. ^ 日活映画「舞妓の上京」主題歌。
  7. ^ 日活映画「白い雲と少女」主題歌。
  8. ^ 日活映画「白い雲と少女」挿入歌。
  9. ^ a b c 唄:高橋英樹。
  10. ^ 日活映画「いつでも夢を」挿入歌。
  11. ^ 日活映画「俺の背中に陽が当る」主題歌。
  12. ^ テイチク三十周年記念作品。
  13. ^ a b c d e 三条江梨子とデュエット。
  14. ^ 2004年、国仲涼子がカバー。
  15. ^ 唄:沢リリ子
  16. ^ 高橋英樹とデュエット。
  17. ^ 沢リリ子とデュエット。
  18. ^ 笹森礼子、高橋英樹とデュエット。
  19. ^ a b 唄:笹森礼子
  20. ^ 日活映画「美しい暦」挿入歌
  21. ^ a b 唄:三条江梨子。
  22. ^ 日活映画「成熟する季節」主題歌。
  23. ^ a b 唄:山内賢。
  24. ^ 北海道稚内市宗谷岬をテーマとしたご当地ソング
  25. ^ 浅丘ルリ子とデュエット。
  26. ^ 山内賢とデュエット。
  27. ^ フジテレビ系ドラマ「あたって砕けろ」主題歌。
  28. ^ 日活映画「流れる雲」主題歌。
  29. ^ 唄:浅丘ルリ子。
  30. ^ 唄:三波春夫。
  31. ^ 北海道利尻島礼文島をテーマにしたご当地ソングとして有名。
  32. ^ ザ・スパイダースと。
  33. ^ 日活映画「青春ア・ゴーゴー」主題歌。
  34. ^ 唄:高石かつ枝。
  35. ^ 日活映画「君は恋人」主題歌。
  36. ^ 日活映画「君は恋人」挿入歌。
  37. ^ 市川暎子とデュエット
  38. ^ 北原由紀とデュエット。
  39. ^ 唄:北原由紀。
  40. ^ 芸能生活30周年記念盤。
  41. ^ 芸能生活50周年記念盤。
  42. ^ 愛川ゆかりとデュエット。

出典

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  1. ^ a b 浜田 光夫”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2018年9月22日閲覧。
  2. ^ a b c 『日本タレント名鑑2004』VIPタイムズ社、2004年、300頁。 
  3. ^ a b c d e f 『日本映画人名事典』 男優編<下巻>、キネマ旬報社、1996年、444-445頁。ISBN 978-4873761893 
  4. ^ a b c 青春 浜田光夫 2012, p. 16
  5. ^ a b c d e f g h i j k 石橋春海 2014, pp. 82–85, 「宣弘社作品のヒーローたちInterview 浜田光夫」
  6. ^ a b 青春 浜田光夫 2012, p. 27
  7. ^ a b 青春 浜田光夫 2012, p. 66
  8. ^ アートプロモーション”. ナロー. 2019年10月25日閲覧。
  9. ^ 青春 浜田光夫 2012, pp. 17–18.
  10. ^ a b 青春 浜田光夫 2012, pp. 180–181
  11. ^ 青春 浜田光夫 2012, pp. 21–22.
  12. ^ a b 青春 浜田光夫 2012, pp. 111–112
  13. ^ 青春 浜田光夫 2012, pp. 22–23.
  14. ^ 青春 浜田光夫 2012, pp. 23–26.
  15. ^ 青春 浜田光夫 2012, pp. 27–28.
  16. ^ 青春 浜田光夫 2012, p. 46.
  17. ^ a b 浜田光夫 初めて明かす「アルコール依存症で死の危機に…」”. 女性自身 (2012年9月19日). 2021年2月15日閲覧。
  18. ^ 青春 浜田光夫 2012, pp. 79–81.
  19. ^ 青春 浜田光夫 2012, p. 99.
  20. ^ a b 青春 浜田光夫 2012, pp. 122–124
  21. ^ a b 青春 浜田光夫 2012, pp. 125
  22. ^ a b 青春 浜田光夫 2012, pp. 132
  23. ^ 青春 浜田光夫 2012, p. 148
  24. ^ 青春 浜田光夫 2012, pp. 139–140.
  25. ^ 青春 浜田光夫 2012, pp. 144.
  26. ^ 青春 浜田光夫 2012, p. 172.
  27. ^ 青春 浜田光夫 2012, p. 198.
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参考文献

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外部リンク

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