この世界の片隅に

この世界の片隅に』(このせかいのかたすみに)は、こうの史代による日本漫画作品。『漫画アクション』(双葉社)にて2007年1月23日号 - 2009年1月20日号まで連載。単行本は同社より上・中・下巻の形式と、前編・後編の形式で発売。

2011年8月5日日本テレビ系列でドラマ化された。また、2016年11月12日より片渕須直監督による同名の劇場アニメーション映画が全国公開された。

目次

概要編集

こうの史代の出世作となった『夕凪の街 桜の国』に続いて「戦争広島」をテーマに描いた作品である(ただし『夕凪の街 桜の国』と異なり、主要な舞台は広島市ではなく近隣の軍港に設定されている)。2006年初めから翌2007年初めにかけて発表した戦前期(1930年代)の広島を描いた3編の読み切り短編作品『冬の記憶』『大潮の頃』『波のうさぎ』(いずれも主人公・浦野すずの幼少時がテーマとなっている)に続いて、『漫画アクション』誌上に本作の連載が開始されることになり、2008年1月にはコミックス単行本(上巻)が刊行された。こうのにとっては通算7本目の単行本化作品となる。

本作品のストーリー本編は1943年(昭和18年)12月、すずが周作と出会い翌年2月に2人が祝言を挙げるところから始まるが、コミックス化に際して上記の3編も本編のプロローグ部分として上巻に同時収録された(目次の配列はストーリー上の時系列に沿っている)。初出掲載時とコミックスでは、各回ごとに(「18年12月」というように)昭和元号により舞台となる時期(年・月)を示すサブタイトルが付されている(ただしプロローグの3編については初出時に時期設定が明示されていなかったため、コミックス収録時に新たに付された)。また、初出掲載時は「昭和」と「平成」の元号を介して年月が一致するように連載されていた(例:作中が昭和20年3月の場合、平成20年3月発行の誌上に掲載)[1]

フランスで『Dans un recoin de ce monde』、台湾で『謝謝你, 在這世界的一隅找到我』として刊行されている。英語版は存在しないが、『In This Corner of the World』という英語題名が原作漫画・アニメーション映画版に共通のものとして設定されている。

あらすじ編集

冬の記憶
昭和9年1月、小学生のすずは海苔を届けるお使いで中島本町に行く途中、「ばけもん」にさらわれる。すずは、ばけもんの背中の籠の中で少年・周作と出会う。すずは機転をきかせ、ばけもんを眠らせて周作と逃げ出す。それは夢とも現実ともつかない出来事だった。
大潮の頃
昭和10年8月、すず一家は、草津の祖母の家を訪ねる。すずが昼寝から目を覚ますと、天井から降りてきた見知らぬ少女がすいかの皮を手に取っていた。すずは新しいすいかを持ってくるが、少女の姿は消えていた。兄の要一は座敷童子を見たのではないかと言う。
波のうさぎ
昭和13年2月、すずは同じ組の乱暴者・水原哲に鉛筆を取り上げられ床下に落とされてしまう。哲は海難事故で兄を亡くし、荒れた家に帰りたくないという理由で課題の絵を描かず、海辺に座り込んでいた。それを見たすずは、哲に代わって絵を描いてやる。
この世界の片隅に
広島市江波で少女時代を過ごした浦野すずは、想像力が豊かでを描くのが上手く、自分が体験した出来事を、虚実の入り交じった漫画のような作り話にしてしまう才能の持ち主。太平洋戦争中の1943年(昭和18年)12月、18歳のすずが草津の祖母の家で海苔すきの手伝いをしていると、突然縁談の知らせがくる。急ぎ帰宅したすずが覗き見たのは、から来た北條周作という青年だった。翌年2月、呉の北條家でささやかな結婚式が挙げられ、すずの新しい生活がはじまる。すずは周作とどこかで会った気がするが思い出せない。傍目には不器用で、いつもぼんやりしていて危なっかしく見えるすずは、北條家で失敗を繰り広げては、小姑の黒村径子に小言を言われる毎日を過ごすが、径子の娘である姪の黒村晴美には懐かれる。戦時下で物資が不足し、配給も乏しくなる一方、すずは持ち前のユーモアと生活の知恵で、食料に乏しい日々を乗り切り、次第に北條家やその近所の人々に受け入れられていく。
一方すずは、栄養不足が原因でなかなか子供ができないことに悩んでいた。そんなある日、すずは闇市からの帰り道で偶然知り合い友達のような間柄になった遊女、白木リンが、かつて周作の別れた元恋人であったことに、幾つかの断片的な状況から想像力を膨らませることで勘づく。すずは自分が、周作にとってリンの代用品なのではないかという疑念に苛まれるようになる。そんなすずの元を、かつて互いに憎からず想う相手だった幼馴染、水原哲が訪れるが、すずは自分の心が既に周作に向いていることを改めて自覚すると共に、余計な気を回して水原と自分を引き合わせようとした周作に対して疑念を深める。すずは遊郭までリンに会いに行くが会えず、討ち入りと勘違いされて追い返されそうになるものの、対応してくれた病床の遊女テルを得意の絵で励ます。後日、すずは桜の花見で再会したリンから、テルはあの直後に亡くなったと聞かされる。リンはすずに、秘密を他人に知られることなく独り占めにして死ぬのも一種の贅沢だ、という旨の死生観を語る。
やがて日本の戦況が劣勢になり、軍港の街である呉は1945年(昭和20年)3月19日を境に、頻繁に空襲を受けるようになる。それでもすずは、戦時下の日常を明るく過ごそうとするが、同年6月22日の空襲で、通常爆弾に混ぜて投下されていた時限爆弾地雷弾[2])の爆発により、すずは目の前で晴美を亡くし、自らも負傷により右手を失ってしまう。意識が戻ったすずは、晴美を守れなかったことを径子に責められる。絵を描くための右手を失ったすずが認識する世界は、左手で描いた漫画のように歪んで見えるようになり、同時にすずは、人の死が日常となったこの世界に順応しつつある自分こそが歪んでいるのだという思いを抱く。同年7月1日の空襲では呉市街地が焼け野原となり、郊外にある北條家にも焼夷弾が落下する。見舞いにきた妹のすみは、江波のお祭りの日に実家に帰ってくるように誘う。周作との間柄も、リンに対する嫉妬でぎくしゃくしており、すずは北條家での居場所を失いつつあった。一度は広島に戻ることを決断するすずであったが、帰りの汽車に乗る予定であった当日の8月6日の朝、すずは径子と和解して翻意し、北條家に残ることを決意する。結果としてすずは、その日に広島市へと投下された原子爆弾による被爆を免れるが、爆心地から約20キロメートル離れた北條家でも閃光と衝撃波が響き、故郷の広島方面から立ち上る巨大な雲を目撃する。8月15日、ラジオで終戦の詔勅を聞いたすずは家を飛び出し泣き崩れる。それまで正義の戦争と信じていたものの正体が、ただの暴力に過ぎなかったことに思い至ったすずは、何も知らないまま死にたかったと独白する。
11月、すずは周作の案内で呉の市街地に出かけ、かつてリンのいた遊郭が空襲によってひとたまりもなく破壊されているのを目の当たりにし、秘密ではなくなってしまったリンとの関係とその過去に想像を巡らせる。12月、すずは呉の軍港で、軍艦が好きだった晴美が死の直前に覗き見ようとした先に、水原の乗艦であった軍艦(重巡洋艦青葉)の残骸を見かけ、その傍に佇む水原を見かけるが、話しかけることなく去り、自分がこの世界でもう会えない人たちの記憶の器として在り続けるという決意をする。翌年1月、すずはようやく広島市内に入り、草津にある祖母の家に身を寄せていたすみと再会。すずの両親は既に亡くなっており、すみには原爆症の症状が出ていたが、治らなければおかしいと彼女を励ます。廃墟のようになった広島市内で、すずはこの世界の片隅で自分を見つけてくれた周作に感謝しながら、戦災孤児の少女を連れて呉の北條家に戻る。空襲に怯える必要がなくなった呉の夜には街の灯りが戻っていた。

登場人物編集

登場人物の名前の多くは元素名に由来し、周期表を参考に命名された[3](例:すず=スズ、周作=臭素)。また北條家については円形に関する用語も参考にしている(例:円太郎=塩素+円、径子=ケイ素+径)[独自研究?]

主人公と北條家の人々編集

北條家住所・広島県呉市上長之木町八百八番
浦野 すず(うらの すず) → 北條 すず(ほうじょう すず)
主人公。1925年(大正14年)生まれ。広島市江波の海苔梳きの家に育つ。少女時代は、実家の仕事を手伝う傍ら尋常小学校に通学、高等小学校を卒業する。絵を描くことが好きだが裁縫は苦手。18歳時の昭和18年暮れに妹・すみと共に広島市草津にある親戚の森田家の仕事を手伝う最中、呉の北條家に嫁ぐ。働き者だが、おっとりした性格から時折小事件を巻き起こす。次第に物資が乏しくなる戦時下の生活に先行きの不安を感じつつも、夫や北條家の人々を愛し、また愛されながら、知恵と明るさで懸命に乗り切っていく。1945年(昭和20年)6月22日の空襲で右手を失う。人の機微に聡い一面もあり、白木リンと夫の関係性に気付いている。
北條 周作(ほうじょう しゅうさく)
すずの夫。呉鎮守府軍法会議録事(書記官)。すずよりも4歳年上。昭和18年12月、突然父親の円太郎と浦野家を訪れ、幼い頃に一度だけ会ったことがあるすずに結婚を申し込んだ。生真面目な性格で、親族ら周囲から「暗い」と言われるのを気にしている。すずを愛し、彼女の絵描きの趣味にも理解を持っているが、すずが幼なじみの哲に淡い想いを抱いていることにうすうす気づいている。
北條 サン(ほうじょう さん)
周作の母(すずの姑)。足を痛めているため普段は自宅で安静にしているが、裁縫や精米など、家長の妻として出来ることを最大限頑張っている。優しい性格で、すずに対する言動も慈愛に満ちたものが多い。
北條 円太郎(ほうじょう えんたろう)
周作の父(すずの舅)。広海軍工廠十一空廠勤続の技師。かつてロンドン海軍軍縮会議のため一時解雇されていた。化学が専門のようで、蘊蓄を語り出すと止まらない。真面目かつ温和・冷静で、怒ることはほとんどない。
黒村 径子(くろむら けいこ)
周作の姉で、顔立ちは周作そっくり。元モダンガール。はっきりと物を言う性格で、何事もてきぱきこなす。ただし料理や手先の器用さを求められることが苦手で、炊事するごとに釜を焦がしてしまう。当時としては珍しい恋愛結婚して家を出ていたが、時計屋を営んでいた夫の病死後、その性格から嫁ぎ先とぶつかり折り合いが悪くなる。建物疎開によって黒村家が下関に引っ越すことを機に離縁し、娘ともども北條家に戻ってきた。嫁ぎ先に残してきた息子のことを気にかけている。すずには嫌味を言うことも日常茶飯事ではあるが若い年頃の娘のすずを気遣っての言動も見られる。晴美が亡くなった時はすずが悪いわけではない事を理解しつつもやり場のない悲しみのあまり逆上し罵ったが、やがて右手を失ったすずの身の回りの世話をするようになる。
黒村 晴美(くろむら はるみ)
径子の娘。国民学校初等科への入学を控えている。兄の久夫に軍艦の名前を教えてもらっており、幼いながらすずよりはるかに軍艦の知識に詳しい。母とともに北條家に同居し、すずに懐く。1945年(昭和20年)6月22日の空襲後、すずと一緒にいたところを時限爆弾の爆発に巻き込まれて死亡する。
黒村 久夫(くろむら ひさお)
離縁した径子が跡取りとして黒村家に預けてきた息子。妹・晴美の入学祝いとして自分が使っていた教科書アサヒ読本)を送ってきた。

江波(すずの実家)の人々編集

浦野 十郎(うらの じゅうろう)
すずの父。かつては海苔養殖に従事していたが、工業港建設で海が埋め立てられたため廃業し、埋立地に建てられた工場に勤めている。原爆投下後、妻のキセノを探して広島市内に入ったことから二次被ばくし、10月に原爆症により亡くなる。
浦野 キセノ(うらの キセノ)
すずの母。森田の叔父さんと横顔がよく似ている。8月6日の朝には祭りの準備で広島市街に出かけており、その後消息を絶つ。夫の十郎、すみの捜索もむなしく最後まで見つからなかった。
浦野 要一(うらの よういち)
すずの兄。すずのみならず腕白な哲ら男子からも怖れられる、通称「鬼(おに)いちゃん」。陸軍軍人としてニューギニアに出征していたが戦死の知らせが届く。しかし戦死の報告とともに届いたものは石ころ一つしかなく、浦野家の人々は彼の死を実感できずにいる。
浦野 すみ(うらの すみ)
昭和元年(1926年)生まれ。すずの妹。しっかり者の美人で、すずに見合い話が来た際にすずが「すみちゃんとの間違いでは」と言ったほどである。年子である姉を「すずちゃん」と呼び慕っている。女子挺身隊の一員として陸軍の軍需工場に勤労動員していた時に知り合った陸軍の若い将校(すみ曰く「美男子」)とほのかに想い合う仲になる。原爆投下後、父の十郎とともに母キセノの捜索のため広島市内に頻繁に出入りしたことから二次被爆し、原爆症の青あざ(内出血)に悩まされる。
水原 哲(みずはら てつ)
小学校時代のすずの幼なじみで元ガキ大将。海軍兵学校の生徒だった4歳年上の兄を海難事故で失い、小学校卒業後志願兵として海軍に入隊する。水兵として乗り組んでいた青葉の停泊中、入浴と一夜の宿を求めて北條家を訪れる。再会時は丸くなっていた。すずとは互いに意識しあいながらも素直になれない仲で、すずは周作の妻となっても捨てられない水原への淡い気持ちに罪悪感を持ち、水原もそのすずの気持ちを理解している。
りっちゃん
小学校時代のすずの幼なじみ。卒業後、女学校に進学。

草津の人々編集

森田イト(おばあちゃん)
すずの祖母。広島県西部の古江から嫁ぎ、草津に住む。縁談が来たすずに、嫁入りのために仕立てた友禅の着物を手渡し、初夜に行うやりとり(柿の木問答の変種)を教える。優しい性格ながら、不器用なすずに裁縫を教える口調は厳しい。
森田(もりた)の叔父さん・マリナ(叔母さん)
すずの叔父・叔母。母と同居し海苔梳き業を営んでいる。しばしばすず一家が手伝いに来ている。
森田 千鶴子(ちづこ)
森田夫妻の娘(すずの従妹)。晴美より少し年上。すずの胴長靴の着こなしを「父親似」と評している。
座敷童子
短編『大潮の頃』に登場。幼少時代のすずが森田家で遭遇した少女。ボロ着をまとってすいかの皮を囓る姿を見て、すずは新しいすいかを用意するが、直接渡す前に消え失せてしまう。浦野3兄妹が江波へ帰る道中、森田イトにボロ着を繕ってもらい代わりにすずの着物を羽織る座敷童子をすずが空想する。

呉の人々編集

白木リン
朝日遊廓「二葉館」の遊女。すずと同じく広島の出身。闇市での買い物帰りに道に迷ったすずと偶然知り合い仲良くなるが、ふとしたきっかけで周作と浅からぬ仲であることが判明する。小学校には半年しか通わなかったため片仮名しか読めず、絵のやりとりがすずと知り合うきっかけとなった。終盤の第41話で、子だくさんの家に育ち、口減らしのため子守りとして売られるがそこを逃げ出して放浪の末、行き着いた呉の遊廓で働きだしたこと、実は幼少時代にすずが出会った座敷童子がリンであったという設定の物語が、失われたすずの右手と、テルの遺品である艶紅によって描かれる。
小林夫妻
円太郎の姉夫妻で周作にとっては伯父・伯母。すずと周作の仲人を務めた。昭和19年10月に物資の疎開のために北條家を訪れ、径子に仕事の紹介をした。昭和20年7月1日の空襲で自宅が全焼したため、円太郎を頼りに北條家に同居することになる。原爆投下後に夫婦で広島に出向き、放射能の影響で病気がちになる。
知多
近所の主婦で北條家と同じ隣組。背が高く痩せている。刈谷とは仲が悪いが何かといつも近くにおり、戦況が悪化するにつれて徐々に関係は修復していく。かつて看護婦を務めていた。入市被爆の影響で白内障を患う。
刈谷
近所の主婦で北條家と同じ隣組。知多とは仲が悪かった。背が低く太り気味。夫と弟が戦死した上、息子も陸軍に徴兵される。息子はその後広島市で被爆し上長之木隣保館まで帰り着いたところで事切れるが、刈谷はそれを息子と気付けず、深く後悔することになる。
堂本
近所の老婦人で北條家と同じ隣組。防空壕を北條家と共有している。
テル
リンと同じく「二葉館」の遊女。赤毛と九州弁が特徴的。将来を憂いた見知らぬ若い水兵によって心中未遂に巻き込まれ、冬場の川へ入ったため体調を崩し療養していた。リンを訪ねてきたすずに、南の島の絵を雪上に描いてもらい喜んだものの、その後重度の肺炎にかかり亡くなる。その後、遺品の艶紅がリンからすずへ手渡された。
栗本
円太郎の同僚。晴美のために使い古しの教科書を譲る約束をしていた。1945年3月の空襲で教科書を含めて家が焼けてしまう。

その他編集

ばけもん
短編『冬の記憶』に登場。篭を背負った人食い鬼。幼少時に広島の街中(中島本町)へとおつかいに出たすずと周作をさらって食べようとしたが、すずの機転で逃げられる。このエピソードはどこからがすずの想像で、どこまでが実話であるのか曖昧な描写になっており、正体は不明。物語の結末で再登場し、相生橋で当時のことを思い返していたすずと周作とすれ違う。
すずが想像で描いたという体裁の劇中漫画「鬼イチャン」の中では、実は生存していた実兄の要一が南国に流れ着き、現地でワニを妻として娶り、ばけもんの姿となって旅立つという物語が描かれている。
憲兵
高台にある畑で停泊中の軍艦をスケッチしていたすずを「間諜行為」と叱責し、すずが愛用するスケッチブックを押収する。
広島の少女
父は軍人で戦死しており、母も原爆によって片手を失い、半身にガラスが突き刺さって死亡。小学生。戦災孤児として彷徨ったのち、北條夫妻と出会う。右手を失ったすずが母の姿と重なったのか、すずに寄り添う。その姿を見て、北條夫妻は養女として家に迎える決心をする。小説版では「ヨーコ」、テレビドラマ版では「千鶴」という名前で登場する。

物語に登場する地名編集

ここでは1944年頃までの状況を述べる。なお斜体部分は物語上の設定に関する記述である。

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1945年戦災概況図。左が呉旧市内、右が広地区。
 
1954年米軍作成の呉旧市内地図。
上長ノ木町(かみながのきちょう)
北條家の人々が住む町。呉市内(旧市内)では北端に位置する。右上地図のうち、旧市内の赤斜線エリア上端付近。高地に位置するため大正末期まで世帯数は少なく、昭和時代に入って宅地化が進行した。嫁ぐ日のすずたちが乗車した木炭バスの終点である辰川(たつかわ)地区はより低地に位置する[4][5][6][7]
朝日町(あさひまち)
白木リンが住む町。右上地図のうち、旧市内の赤斜線エリアの中心やや右上あたり。明治中期以降一大遊郭地として栄え、町名は1896年に設立された共同遊郭地「朝日廓」に由来する。軍港という特殊条件により栄えた遊郭地で、1935年には46軒の遊郭に650名の娼妓を抱え、規模も豪壮で県下のみならず関西一と称されていた[8]
呉海軍工廠
周作の父・円太郎のかつての勤務先。右上地図のうち、旧市内海岸沿いの赤斜線エリア。1903年海軍工廠として設置された[9][10]。日本有数の兵器工場として知られ、多くの軍艦を建造した[11][12][13]。特に1937年(昭和12年)起工の戦艦大和」は有名[14]
広(ひろ)海軍工廠
円太郎の現在の勤務先。右上地図のうち、広地区の赤斜線エリア。零式艦上戦闘機の強度維持技術などが研究開発された[15][16]
(呉)本通り
径子とすずが晴美の入学準備のため買物に出かけた繁華街。右下地図のうち、旧市内を縦断する太い線で書かれた通り。呉市街地中心部の目抜き通りで、市電が通っており、福屋百貨店の支店も所在する[17][18]
二河公園(にこうこうえん)
1945年の春、北條一家が花見に出かけた公園。右下地図のうち、NIKO-GAWA(二河川)流域の"Library"の上あたり。呉市内の代表的行楽地の一つ。

広島編集

 
1945年米軍作成の広島市地図。
江波(えば)
すずの実家(浦野家)の所在する町。広島市の本川天満川に囲まれた三角州の南端の町で、かつて江波山皿山から先は広島湾だった。古くから漁港が発達しカキ海苔の養殖が盛んな漁師町だったが、1940年以降広島工業港建設の一環として沖合の海面が埋め立てられたため養殖業者の多くは生産縮小や廃業を余儀なくされた。1943年12月に舟入本町まで開通していた広電江波線1944年6月になって江波近くの舟入南町まで延伸された。同年、沖合の埋立地で三菱重工業広島工場が操業を開始する[19]
中島本町(なかじまほんまち)
江波時代のすずがおつかいに出かけた広島市中心部の町。浦野家から海苔を買い付けていた料理屋「ふたば」が存在する。元安川と本川に囲まれた三角州の北端の町で市内では有数の繁華街・歓楽街の一つとして知られていた[19][20]。「中島勧商場(なかじまかんしょうば)」はその中心で商店や喫茶店・映画館が軒を連ねていた[21][22]
広島県産業奨励館
結婚後、広島に里帰りしたすずがスケッチを描く場所。1915年、「広島県商品陳列所」として開館し、のち広島県産業奨励館と改称。中島本町の対岸に位置し、元安川に正面を向けた瀟洒なRC造の建造物でかつては郷土の特産品陳列や美術展が行われていたが、戦局の悪化もあって1944年には産業奨励館としての機能を停止、内務省などの事務所が入っていた[23]
紙屋町(かみやちょう)交差点
同上。1912年市電開通以降の再開発により、この交差点界隈は広島の中心的な繁華街となった。1944年当時、交差点の北側は陸軍の軍用地(西練兵場)に占められており完全な交差点にはなっていなかった[24]
広島駅
同上。広島の中心的な国鉄駅で市街地の東に位置する。明治時代の開業で1944年時点の駅舎は1922年に竣工した2代目駅舎[25]
草津(くさつ)
すずの祖母や叔父・叔母が住む町。広島市西郊の漁師町で、1929年に編入合併により広島市の一部となった。干潟や入江に富む地形で古い時代から港町として栄え、カキや海苔の養殖が盛んだった[26]

初出編集

  • 冬の記憶 - 『月刊まんがタウン2006年2月号
  • 大潮の頃 - 『漫画アクション』2006年8月15日号
  • 波のうさぎ - 同上2007年1月9日号
  • 第1回 - 第6回 - 同上2007年1月23日号 - 4月3日号
  • 第7回 - 第9回 - 同上5月8日号 - 6月5日号
  • 第10回 - 第11回 - 同上7月3日号 - 7月17日号
  • 第12回 - 第23回 - 同上8月7日号 - 2008年1月22日号
  • 第24回 - 第28回 - 同上2月19日号 - 4月15日号
  • 第29回 - 第40回 - 同上5月6日号 - 10月21日号
  • 第41回 - 最終回(第45回) - 同上12月2日号 - 2009年2月3日号

受賞編集

テレビドラマ編集

終戦記念ドラマスペシャル
「この世界の片隅に」
ジャンル テレビドラマ
放送時間 21:00 - 23:24(144分)
放送期間 2011年8月5日(1回)
放送国   日本
制作局 日本テレビ
原作 こうの史代『この世界の片隅に』
出演者 北川景子
小出恵介
外部リンク 公式サイト
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日本テレビで2011年8月5日21:00 - 23:24に「終戦ドラマスペシャル」と銘打って放送された。視聴率は12.7%。[要出典]

キャスト編集

スタッフ編集

アニメ映画編集

2016年11月12日より、本作品を原作とする劇場アニメーション映画が全国公開された。片渕須直監督、アニメーション制作MAPPA東京テアトル配給。封切り日の公開館数は63館であったが、徐々に公開規模を拡大し、2017年1月22日時点で公開館数198館・興行収入15億円・動員数110万人を突破しているという[27]。第90回キネマ旬報ベスト・テン日本映画ベストワン及び監督賞、第71回毎日映画コンクール日本映画優秀賞・音楽賞・大藤信郎賞、第41回アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門審査員賞(準グランプリ)[28]などを受賞している。

映画版の関連書籍として、本作のノベライズ版も出版されている。詳細は「この世界の片隅に (映画)#書籍」を参照。

書誌情報編集

物語の年表編集

原作の各話サブタイトルは、各話のできごとが起こった日付で表される体裁になっており、また前述のように、雑誌掲載時の年月が作中の年月と一致するような仕掛けが施されている[1]。ただしこれらの日付は、2016年のアニメ映画版では整合性のために改めて見直され[29]、すずと周作の馴れ初めを描いた物語冒頭のできごとが、皇太子誕生の祝賀ムードに包まれていたはずの「昭和9年1月」から、それより前の「昭和8年12月」へと変更されるなど[30][31]、年表の細部が異なっている。

作中の出来事 日本・広島・呉の主な出来事[32][33]
1925年(大正14年) すず、誕生[34] 広島県物産陳列館竣工10周年。
1926年(大正15年
/昭和元年)
1927年(昭和2年) 航空母艦赤城」竣工。
1928年(昭和3年) 重巡洋艦那智」竣工。
1930年(昭和4年) 重巡洋艦「愛宕」進水。
1931年(昭和5年) ロンドン海軍軍縮会議
1931年(昭和6年) 5月30日、呉海軍航空隊設置。9月18日、満州事変勃発。
1932年(昭和7年) すず、尋常小学校入学。 3月、満州国建国。五・一五事件
1933年(昭和8年) 12月 すず、中島本町海苔を届けに行く(アニメ)[31] [35] 皇太子明仁親王誕生。
1933年(昭和9年) 1月 すず、中島本町に海苔を届けに行く(原作)[31] [36]
1935年(昭和10年) 8月 すず兄妹、草津の叔父の家に行く。すず、座敷童子に会う。 [37] 重巡洋艦「最上」竣工。呉市主催の国防と産業大博覧会開催。
1936年(昭和11年) 7月 二・二六事件。川原石など呉線沿いに目隠し板塀設置。
1937年(昭和12年) 盧溝橋事件勃発、日中戦争が始まる。航空母艦「蒼龍」竣工。11月4日、戦艦大和」起工。
1938年(昭和13年) 1月 宇品港転覆事故。
2月 すず、絵を描く。 [38]
7月 水上機母艦千歳」竣工。
12月 水上機母艦千代田」竣工。
1939年 (昭和14年) 9月 第二次世界大戦が始まる。
1940年(昭和15年) すず、高等小学校卒業。 8月8日、呉工廠において「大和」進水式。
1941年 (昭和16年) 12月 太平洋戦争が始まる。16日「大和」竣工。
1943年(昭和18年) 要一、出征。 8月1日、重巡洋艦青葉」呉に到着。
12月 すずに縁談の話が来る。 第1回 15日、重巡洋艦青葉」呉を出撃。24日にシンガポールへ進出。
1944年(昭和19年) 2月 すず、結婚。 第2回 「青葉」シンガポールを出撃。
すず、干し柿を食べる。 第3回
すず、回覧板を回す。 第4回
3月 すず、もんぺを作る。 第5回 15日、「青葉」ジャカルタに入港。
すず、里帰り。 第6回
4月 すず、戦艦大和を見る。 第7回 戦艦「大和」改装が完了し、呉軍港に入港。
5月 すず、楠公飯を作る。 第8回
27日 すず、国民学校の講習会に行く。 第9回
6月 すず、こまつなを収穫。 第10回 B-29による日本本土初空襲。呉でも警報が鳴る。「青葉」渾作戦
7月 北條家、防空壕を作る。 第11回 サイパン島陥落
すず、憲兵に捕まる。 第12回 25日「青葉」リンガ泊地に進出。
8月 すず、闇市に行く。 第13回
すず、朝日遊郭でリンと出会う。 第14回
9月 すず、周作に会いに呉鎮守府に行く。 第15回
すず、病院の帰りにリンと会う。 第16回
10月 周作の伯父母が来る。 第17回 航空母艦「葛城」竣工。
すず、竹槍訓練をする。 第18回 「青葉」レイテ沖海戦。23日、雷撃で大破。
11月 すず、代用炭団を作る。 第19回 11日、広島県に初の空襲
すず、裁縫をする。 第20回
12月 水原哲が訪ねてくる。 第21回 12日、重巡洋艦青葉」、呉軍港に帰投。
すずと哲、納屋で話す。 第22回
1945年(昭和20年) 2月 すず、合同慰霊祭に行く。 第24回
すず、遊郭でテルと会う。 第25回
3月 すず、空襲に遭う。 第26回 呉軍港を中心に、米艦載機約350機による空襲(呉軍港空襲)。
久夫から教科書が届く。 第27回 「青葉」防空砲台として対空戦闘を行う。
4月 すずら、二河公園に花見に行く。 第28回 戦艦「大和」、坊ノ岬沖で撃沈される。
すず、飛行機雲を見る。 第29回
5月 5日、B-29が広工廠に爆撃。 第30回 5日、B-29約120機、広地区海軍工作庁を中心に爆撃。
周作、海兵団で軍事教練を受ける。 第31回
6月 22日、すずと晴美、空襲に遭う。 第32回 22日、呉工廠造兵部空襲。工廠に大損害。
7月 北條家に焼夷弾が落ちる。 第34回 1日、B-29約100機、夜半より翌2日早朝にかけて呉市を空襲、市街の大半を消失。
すみが訪ねてくる。 第35回
連日の空襲。 第36回
  • 24-29日呉沖海空戦。
  • 24日米艦載機約870機、呉軍港内艦艇を中心に爆撃。
    米艦載機約950機及びB-29・B-24約110機、主に呉軍港内艦艇を爆撃。
  • 28日、重巡洋艦「青葉」、大破・着底。
8月 すず、巨大な雲を見る。 第37回 6日、広島に原子爆弾投下。8日福山大空襲
すず、草履を作る。 第38回
すず、ラジオを聴く。 第39回 15日、終戦玉音放送
9月 台風に遭う。 第40回 17日、枕崎台風、広島直撃死者1154人、
負傷者440人、流失家屋1162戸、半壊家屋792戸発生。
10月 周作、大竹海兵団に行く。 第41回 アメリカ占領軍輸送船団約30隻広湾に入港。翌7日、本隊19,500人上陸。
11月 すず、配給に行く。 第42回 陸軍省海軍省が廃止解体。
12月 すずと刈谷、服を交換しに行く。 第43回
1946年(昭和21年) 1月 すず、広島市に帰る。 第44回
すずと周作、戦災孤児の少女と出会う。 最終回
2月 英連邦占領軍先遣隊と海軍部隊、呉に入港。
総司令部と基地部隊を呉市内に置く。

脚注編集

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  1. ^ a b こうの史代先生『この世界の片隅に』インタビュー 祝!劇場アニメ化正式決定!! なんと、クラウドファンディングサービスで国内史上最高額3622万円到達!?”. このマンガがすごい!web (2015年6月12日). 2017年1月9日閲覧。
  2. ^ すずさんの日々とともに第13回「27年6月色を絶たれた夢、色のつく夢」, 片渕須直コラム, 2015年6月25日
  3. ^ 『この世界の片隅に』公開記念!ネタバレ爆発とことんトーク! レポート” (2016年12月8日). 2017年1月7日閲覧。
  4. ^ “「この世界の片隅に」に寄せて <1> 原作者 こうの史代さん”. 中国新聞 (中国新聞(ヒロシマ平和メディアセンター)). (2016年8月25日). オリジナル2017年1月12日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20170112114710/http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=64041 2017年1月15日閲覧。 
  5. ^ 東洋一の軍港、残る面影 「この世界の片隅に」の舞台”. 朝日新聞. 朝日新聞社. 2017年1月15日閲覧。
  6. ^ 感動再び!広島・呉で映画「この世界の片隅に」の聖地巡礼”. ORICON STYLE. オリコン (2017年1月6日). 2017年1月20日閲覧。
  7. ^ 『この世界の片隅に』は優れた“妖怪”映画だ!民俗学者はこう観た
  8. ^ 写真特集「この世界の片隅に」舞台を巡る 「朝日遊郭」の通り。入り口には遊郭の門柱が建つ”. 朝日新聞. 朝日新聞社. 2017年1月19日閲覧。写真特集「この世界の片隅に」舞台を巡る 夜の朝日遊郭
  9. ^ 呉海軍工廠 | ヒロシマ平和メディアセンター
  10. ^ 2 富国 強兵 とひろしま~軍港 呉 - 郷土ひろしまの歴史 II - 広島県ホームページ
  11. ^ 1F A.呉の歴史 | 館内案内 | 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)
  12. ^ 関連施設情報 | 海上自衛隊呉史料館
  13. ^ 写真特集「この世界の片隅に」舞台を巡る 終戦後の1945(昭和20)年10月に撮影された呉軍港全景”. 朝日新聞. 朝日新聞社. 2017年1月19日閲覧。空爆後、鋼鉄の山だけになった呉海軍工廠呉海軍工廠の乾ドックで建造中だった特殊潜航艇「蛟龍」を視察する米軍の調査団
  14. ^ 呉海軍工廠で建造中の戦艦大和
  15. ^ 1F B.大型資料展示室 | 館内案内 | 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)
  16. ^ 米軍空襲映像:呉の空母「天城」爆撃など11本30分公開 米軍機に空襲され煙をあげる広島県呉市の広海軍工廠付近- 毎日新聞
  17. ^ 昭和初めごろ、市電が行き交う呉市本通の四ツ道路交差点周辺
  18. ^ 空襲の被害を受け焼け野原になった終戦当時の広島県呉市
  19. ^ a b 広島)原爆の痕跡、今も 「この世界の片隅に」舞台歩く”. 朝日新聞. 朝日新聞社. 2017年1月15日閲覧。
  20. ^ 写真特集「この世界の片隅に」舞台を巡る 繁華街だった中島本町は大半が焦土と化した”. 朝日新聞. 朝日新聞社. 2017年1月19日閲覧。原爆投下前となる戦前の広島市中島町の航空写真。
  21. ^ “プロダクションノート”. 劇場アニメ「この世界の片隅に」公式サイト. オリジナル2017年1月14日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20170114101301/http://konosekai.jp/production-note/ 2017年1月15日閲覧。 “片渕須直監督&町山智浩さんトークイベント【全文書き起こし】”. アニメ映画公式. http://konosekai.jp/report/1183/ 2017年1月15日閲覧。 
  22. ^ 「この世界の片隅に」女子アナ・戦艦大和… 片渕監督が貫いたリアル”. withnews. 朝日新聞社. 2017年1月15日閲覧。
  23. ^ 写真特集「この世界の片隅に」舞台を巡る 原爆投下前の広島県産業奨励館、現在の原爆ドーム”. 朝日新聞. 朝日新聞社. 2017年1月19日閲覧。
  24. ^ 昭和の初めごろ、広島市電が行き交い商店店が建ち並ぶ紙屋町交差点周辺
  25. ^ 1932(昭和7)年ごろの広島駅前
  26. ^ 胸までのゴム長靴をはいてカキの養殖作業
  27. ^ 「この世界の片隅に」興収15億円、110万人突破”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社 (2017年1月25日). 2017年1月25日閲覧。
  28. ^ “映画『この世界の片隅に』、仏アヌシー映画祭で審査員賞受賞”. ORICON NEWS (oricon ME). (2017年6月19日). http://www.oricon.co.jp/news/2092689/full/ 2017年6月19日閲覧。 
  29. ^ 片渕須直 (2015年4月3日). アニメ映画『この世界の片隅に』制作支援メンバー募集に大反響! 片渕須直監督 特別インタビュー!. (インタビュー). 練馬アニメーションサイト.. http://animation-nerima.jp/topics/feature/vol07/ 2017年3月5日閲覧。 
  30. ^ 片渕須直 (2012年12月10日). “1300日の記録 第15回 8年12月”. WEBアニメスタイル. スタイル. 2017年3月5日閲覧。
  31. ^ a b c 村山章 (2016年11月23日). “口コミ効果?『この世界の片隅に』ヒットの理由”. シネマトゥデイ. pp. 2-3. 2017年3月5日閲覧。
  32. ^ すずさんの生きた時代(年表), 劇場アニメ「この世界の片隅に」公式サイト
  33. ^ 呉の歴史, 呉市ホームページ
  34. ^ 第10回「あと1回だけ27年5月」ここまできてしまった, すずさんの日々とともに, 片渕須直監督コラム, 2015年6月3日
  35. ^ 冬の記憶(アニメ映画版)
  36. ^ 冬の記憶(原作)
  37. ^ 大潮の頃
  38. ^ 波のうさぎ

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集