サンフレッチェ広島F.Cの育成組織

サンフレッチェ広島F.Cの育成組織(サンフレッチェひろしまエフシーのいくせいそしき)は、Jリーグサンフレッチェ広島F.Cの育成組織(アカデミー、下部組織)。

サンフレッチェ広島F.C
サッカー
(男子)
サッカー
(女子)
サッカー
(アカデミー)
異競技連携
一流のサッカー選手である前に一流の社会人であれ

今西和男[1][2]

気持ちには引力がある

森山佳郎[3]

通称として下部組織と呼ばれることがあるが、Jリーグの指針では下部組織という用語は用いないとしている[4]。一部では愛称として「子熊」[5]「仔熊」[6]と呼ばれている。2チーム編成で大会に登録する場合、片方のチーム名に「セカンド」あるいは「ベアース(BearsあるいはB)」を付け登録している場合もある。これらの熊とは、チームマスコットであるツキノワグマサンチェに由来する。

2024年時点で男女ともにチームがある。スクール拠点は、広島県内のほか山口県島根県にもある[7]

クラブは目標の一つに「日本一の育成・普及型クラブ」を掲げ[8][7][9]、その中で「技術があってハートもあってハードワークできる」選手の育成を目指している[10]。そしてサッカーの技術的な面だけではなく、メンタル面でのアプローチ[11][3][12]、学業・生活面の指導など人間教育にも力を入れている[8][13][14][15]

体験入会・セレクションなど詳細に関しては公式ホームページ等を参照。

組織 編集

 
 

Jリーグクラブライセンス制度では、Jリーグの各チームにU-18チームU-15チームU-12チーム、U-10チームを保有することを義務づけ、女子チームを保有できるものとしている。これを元に広島では以下のチームを編成している。

選手 編集

スタッフ 編集

育成部
  • 育成部部長 : 沢田謙太郎
  • 育成部副部長 : 栗原圭介
  • ユースダイレクター : 佐々木直人
  • GKコーチダイレクター : 加藤寿一
  • ユース監督 : 野田知
  • ユースコーチ : 池田康平、遠藤真仁
  • ユースGKコーチ : 原裕太郎
  • ユーストレーナー : 玉川主也
  • 三矢寮長 : 稲田浩
  • 三矢寮母 : 稲田純子
  • フィジカルコーチ : 井前尚
  • ジュニアユース監督 : 岡本知剛
  • ジュニアユースコーチ : 関原凌河柴﨑晃誠
  • ジュニアユースGKコーチ : 阿江孝一
  • 工大高ジュニアユース監督 : 山下健太
  • ジュニアユーストレーナー 宮澤啓太
  • ジュニア監督 : 平繁龍一
  • ジュニアコーチ : 渡辺康則、東野広太郎
  • レジーナユース監督 : 田邊友恵
  • レジーナジュニアユース監督 : 山本侑生
  • レジーナジュニアユースコーチ : 木村翔
普及部
  • 普及部ダイレクター : 塩崎浩作
  • コーチ兼スクールマネージャー : 長尾一宏
  • コーチ兼スクールリーダー : 赤松謙次
  • コーチ兼スクールサブリーダー : 牛尾匠
  • コーチ : 駒野友一、成瀬琢斗、里信和也、栩野将称、高橋友希、内田健太、大林あや
  • 地域コーディネーター兼コーチ : 斎原みず稀

拠点 編集

 
 
安芸高田市サッカー公園
 
広島青少年文化センター
 
広島広域公園第二球技場
2022年時点でのスクール拠点。特記は提携スクール。
提携ジュニアユース
  • サンフレッチェ広工大高ジュニアユース
  • サンフレッチェ福山レジーナジュニアユース
    • 提携 : RSスポーツクラブ(福山ローザス・セレソン)
    • 代表 : 栗原真行
提携スクール

取り組み 編集

前史 編集

広島のサッカー土壌

広島は古くは静岡・埼玉と共にサッカー御三家と言われる土地であった[16][17]。戦前から広島高師附属中学(現広大附属高)・広島一中(現国泰寺高)・修道中学(現修道高)の広島サッカー御三家を中心に全国大会で数々のタイトルを取り、福原黎三渡部英麿松田輝幸浜本敏勝ら教員指導者の尽力により、数多くのサッカー選手を輩出してきた[18]

1950年代後半になると、指導者不足から東洋工業蹴球部(後のマツダSCでありサンフレッチェ広島F.Cの前身)をはじめとする地元実業団の現役選手が頼まれて市内の小中高校へ指導に出かけるようになった[注 1][19]。1965年東洋工業現役選手によるサッカー教室を正式に開始[20]、のち「マツダサッカースクール」の名で船本幸路小城得達など蹴球部OBを講師に県下を指導・普及して周っていた[注 2]

1970年代以降オイルショックから広島経済の地盤沈下が進み、広島サッカーも影響し停滞していった[18][17]。地元出身の有望選手は大学を卒業後関東や関西の実業団チームへ入団し、有望な中学生は他県の高校へ越境入学するなど、タレントが流出していった[18]

マツダSCの試み

1984年、マツダSCがJSL2部に降格したことを機に、今西和男が強化担当(兼監督)に就任した[24]。今西は蹴球部OBだが引退後はマツダ社員として働いており、指導者としてのキャリアがまったく無かったので、オランダからハンス・オフトをコーチに招聘した[24]

今西は外国人選手獲得[注 3]も兼ねて、オフトの出身クラブであるフェイエノールトとその他にもアヤックス・アムステルダムを視察した。そこで、プロには「予備軍」(フェイエノールト・アカデミーオランダ語版アヤックス・アカデミー[注 4])が存在すること、予備軍ではトップの内容に近いトレーニングをこなしてること、プロになれなかった場合のリスクを避けるために予備軍に勉強をさせていたこと、を知った[26][25]

一方、新たな日本人選手発掘・獲得には、地方というハンディキャップからかなかなか即戦力の選手を獲得できなかった。彼らは相談した結果、即戦力となる大卒選手の獲得を継続する中で、高卒選手の獲得と育成に力を入れ、フェイエノールトやアヤックスのような予備軍の整備を目指そうとした[25]。さっそく2軍である「マツダSC東洋」を強化し中国サッカーリーグに参戦、森保一片野坂知宏柳本啓成らを育成していった[27][28]

さらに指導者育成にも着手[29]、後に小林伸二松田浩中村重和などチームを影で支える指導者が誕生した。

また1990年代以降、当時マツダSCコーチだったビル・フォルケスの紹介で、森保や高木琢也[注 5]など若手数人を年に1度1ヶ月程度マンチェスター・ユナイテッドFC.リザーブイプスウィッチ・タウンFCなどイングランドのチームに練習参加させていた[31][30][32][33]。なおこうした選手の中には虫谷泰典[注 6]のようにプロ契約せずマツダ社員として勤務したものもいる[33]

高校年代の強化 編集

 
吉田郡山城展望台からみる吉田町。手前の建物が吉田高校。
 
安芸高田市サッカー公園。トップチーム練習場でありユース(U-18)の拠点でもある。
映像外部リンク
那須大亮公式youtube channel
  【全寮制】サンフレッチェ広島ユースの三矢寮に潜入!!広島名物の吉田町走りを体験!!
  【那須叫ぶ】駒野友一,槙野智章,柏木陽介を輩出したサンフレッチェ広島ユースに体験入部してみた!
映像外部リンク
  サッカー国際大会開会式を盛り上げたサンフレッチェユース劇場 - 当時フィジカルアドバイザーを務めた木場克己がアップロードした動画。中心人物は大谷真史。当時やべっちFCでも取り上げられている[34]

1993年Jリーグが開幕すると、すべてのJリーグクラブは育成組織を持つことが必須となった。サンフレッチェ広島では当初ハード面で遅れており、特にユースは広島市内で練習グラウンドの確保すらままならなかった[25]。そこへ高田郡吉田町(現安芸高田市)がサッカーを中心としたスポーツで町おこしをする「若者定住促進等緊急プロジェクト」の一環として全面協力することが決定、ユースは育成拠点を吉田町内に置き、町内の吉田運動公園を練習拠点として活動を開始した[8][13]

ほぼゼロからのスタートであったが、前身の東洋工業/マツダSC時代から若手を育てることがクラブとして生きる道だという思い[25]から、若手育成のノウハウができつつあり、その後の試行錯誤から以下のような発展を遂げた。

吉田町は広島市内から車で1時間半以上かかる遠方[13][34]にあるため設立開始から全寮制をひいた[1]。当初は民家を借りて行っていたが環境の充実をはかり、1994年にJリーグチームとしては初めてユース寮を新設した[18]
1998年に吉田サッカー公園(現安芸高田市サッカー公園)が完成し、本格的に練習を開始した[8]
地元吉田町との関係強化が進んでいる[35][36]
所属する全選手を広島県立吉田高等学校に通わせている[37]。学校での生活態度を逐一報告を受け、成績の悪い選手はペナルティとしてユースの練習に参加させないようにしている[38][13]。また高校の学校行事に積極的に参加[注 7]、ときには吉田高校サッカー部(ここには広島ユース生は所属していない)や吉田中学校にユース監督以下スタッフを派遣し指導に当たるなど、互いに密な関係を築いている[1]
また設立当初からサッカーフェスティバルなど町民との積極的な交流を深めた結果、2000年代以降地域に溶けこんだ。ユースの全国大会決勝では町民が応援に駆けつけたりもしている[36]
  • ユース独自のスカウト網
専門のスカウトを置き、若年層の有望株を全国津々浦々まで網羅しカバーしており、その情報量は2004年当時は他クラブを圧倒していた[25]森山佳郎の証言によると、それを見て他クラブも強化した結果一時期は広島に人材が流れてこなくなったが、そこから結果を出し続けたことで持ち直したという[39]

歴代コーチは、トップチームでプレー経験のあるもの、プロ選手経験はないがサンフレで指導経験を積んだもの、あるいは外部からの招聘など、様々な指導者が就任している。歴代監督はマツダ/サンフレのトップチームでプレー経験のある人物が就任していたが、2020年からトップチームでのプレー経験がないが広島県出身の高田哲也が就任している。2023年から全く関連性のない野田知が監督に就任、コーチ陣は全員広島ユース出身同期が就任している。

1種アマチュア 編集

マツダSC時代にはセカンドチームとしてマツダSC東洋が存在したが、Jリーグ発足に伴い関係性は切り離され新生マツダSCとしてアマチュアリーグに参加している[28]。サンフレッチェ広島としては、2015年時点で1種アマチュアチームいわゆるセカンドチームは創設する予定はないとしていた[40]。ただ大人向けのサッカースクールは開校している。

女子 編集

スクールには女子も入ることができ、広島ジュニア出身者でなでしこリーグチームに入団したものもいる。サンフレッチェ広島としては2015年時点で女子チームを創設する予定は全くなく地元のアンジュヴィオレ広島とともに広島サッカー界を盛り上げていくとしていた[40]

のちWEリーグ創設にあたり、アンジュヴィオレはプロ化を断念しサンフレッチェ側にWEリーグ参加を要請[41]、2021年サンフレッチェ広島レジーナを設立している。またチーム発足に伴い、2021年から女子アカデミー(レジーナジュニアユース)が発足した。なおアンジュヴィオレは新型コロナウィルスによる経済悪化に加え、WEリーグ(サンフレッチェレジーナ)誕生に伴いなでしこリーグのメディア露出が減り広告宣伝効果が減ったことで企業からの出資が減ったため運営が困難になったとして、2022年度を最後に下部組織含めて解散する[42][43]

2024年、レジーナユースを設立する。

中学年代の強化 編集

 
拠点であった広島青少年文化センター入口

歴代監督・コーチともに、トップチームでプレー経験のあるもの、プロ契約はないがサンフレッチェで指導経験を積んだもの、あるいは外部からの招聘など、様々な指導者が就任している。

ユースと同様に強化に努めたが、結果として現れだしたのは2000年以降である。ここで育った選手がユースに昇格し、ユースも結果が出るようになった。

過去には県サッカーのレベル低下を防ぐため、意図的にユース昇格を制限していた時もあったという[44]。広島県の高校による2000年代の高校3大大会(インターハイ高円宮杯選手権)好成績はジュニアユース出身者によってもたらされている[18][17][45]。ただ2020年報道によると、他県のレベルアップと広島県の高中体連の地盤沈下に伴い、昇格を逃した選手が県外のクラブチーム・学校へ越境入団するケースが顕著になったという[46]

提携 編集

 
くにびきの拠点である出雲健康公園。出雲ドームの向こう側にグラウンドが広がる。
 
びんごの拠点である広島県立びんご運動公園
提携スクール

提携スクールは、一般的な町クラブのように地元団体・企業が運営し、サンフレッチェが指導者を派遣するなど技術提携する形をとっている。ほぼゼロから始めたところばかりだが、中には町クラブを前身としサンフレッチェと技術提携したことにより提携スクールとなったところもある[47][48]

以下は現在開校している提携スクールである。

1994年「くにびきFC」として発足[47]、1996年にサンフレと技術提携したことにより現名となった[48]。2009年、運営を株式会社化。
  • サンフレッチェびんご - 広島県尾道市
1997年提携。2013年運営を特定非営利活動法人化。

以下は、以前提携スクールとして活動していたが離脱したスクールである。

提携年度不明、のちに将来のJリーグ加盟へ本格的に動き始めた愛媛FCに編入された[49]
1994年提携、その後提携先をFCバイエルン・ミュンヘンに変えFCバイエルン・ツネイシに、現在は提携が終わり「FCツネイシ」。
高校との連携

サッカースクールのうち観音の中学生スクールは山陽高等学校人工芝グラウンドで行われている。

2024年サンフレッチェ広工大高ジュニアユースが開校した。監督のみサンフレッチェのスタッフ、拠点やコーチ陣は広島工業大学高等学校がサポートする形で運営する[50]

街クラブとの提携

前述のとおり広島県のサッカーは1980年代に停滞し、1990年代以降サンフレッチェを中心に高校生年代の強化に成功したものの、中学生年代は未整備だった。これに対し、市内の小学生年代の町クラブが広島大河FCをモデルケースとして中学生年代のチームを作る動きが加速し、指導体制を強化した[18][45]

この流れにサンフレ側も協力している[7]。例えば、毎週火曜日に高校サッカーや街クラブの指導者とサンフレ育成スタッフ全員が集まる"育成ミーティング"を開催、その中でサンフレ育成ノウハウを公開しお互い情報交換するなど、広島のサッカー発展に貢献している[51]

2022年福山市を拠点とする一般社団法人RSスポーツクラブ(福山ローザス・セレソン)と提携、ローザスレディースを改称してサンフレッチェ福山レジーナジュニアユースが発足した[52]

海外クラブとの提携
映像外部リンク
  【育成年代を指導】ドイツ名門・1.FCケルンのアカデミーコーチが来広【野津田岳人選手コメント付き】(2022年6月11日取材) - 勝ちグセ。サンフレ応援!森﨑浩司のFoot style

上記の通りマツダSC時代から海外クラブへの留学をしていた。木村龍朗は2001年にマンUへ留学したと証言しており[14]、少なくとも2000年代初頭まで海外留学は続けられていたことになる。

2021年9月15日1.FCケルンと育成業務提携を締結した[53][54]。提携期間は2021年9月1日から2024年8月31日まで[55]

普及事業その他 編集

スクール

女子の「フレッチェレディーススクール」、小学生年代の「スクール」や中学生年代の「ジュニアユーススクール」、GK専門の「GKスクール」や、サッカー未経験の大人を対象とした「おとなスクール」など、幅広く行っている。

なおその中のいくつかはトップス広島との提携の形で運用している。

小学校訪問

トップス広島やP3 HIROSHIMAでの活動の一環として、広島市主催の公共事業「Doスポーツ体育指導者招へい事業」の一環として、また広島県体育協会主催の「ジュニア育成事業」の一環として、トップチームの選手や育成コーチングスタッフ含めた全スタッフが広島市内を中心に県内の小学校訪問を1年間で平均約10校程度行っている。

指導者育成

元々マツダSC時代から指導者育成に力を入れており[29]、広島育成組織での指導経験がある人物でJFA 公認S級コーチを取得し他クラブで活躍しているものもいる。

2013年から他クラブに先駆けて、トップチームの現役選手がCないしD級コーチ資格を取得する手助けとして、クラブ独自で講習を開いている[56]

評価 編集

ノウハウ 編集

これらは比較的小さいクラブ財政基盤での戦力強化モデルであること、またトップチームの2012年2013年のJリーグ連覇の要因の一つとなったことから、その育成ノウハウがお手本として注目されている[26][57][58]。これに対し広島側はそのノウハウを全面的に公開している[51][7]。例えば、京都サンガF.C.は2005年"スカラーアスリートプロジェクト"を立ち上げたがベースとなったのが広島の育成ノウハウであり[59]鹿島アントラーズは寮整備と高校との連携の際には参考にしたという[39]城里町水戸ホーリーホックアツマーレ整備の際に、吉田町とサンフレッチェとの関係性に着目している[60]

ノウハウ公開と平行して、研修などを目的とした短期間の受け入れも行っている。例えば、フィッツジェラルド舞行龍ジェームズは2004年15歳当時広島ユースで短期間受け入れ[注 8]、これが縁で日本の高校に通いプロ入りし日本に帰化している[61]

かつてJリーグが始まったころ、少ない予算の中で自前の選手を育てることに長けたクラブとしてジェフ市原とともに評価されていた[62]。2016年中国網は「日本一大“球星加工厂”」と紹介している[63]

プロ実績 編集

ホームグロウン制度において、サンフレッチェ広島はJリーグチーム内でも優秀な方になる。ただアカデミー出身選手に限るとクラブ財政の問題からトップチームですぐ使える選手を昇格させているため、その昇格人数は極めて少なくなっている[10][64][65]。更にトップチームの成績向上に伴いアカデミー出身選手がレギュラーに割って入れない状況もあり[66]、他のJリーグチームへレンタル移籍して経験を積むものもいる[67]

以下、広島トップチームにおける年度シーズン開幕時点でのホームグロウンの人数と、その中での広島アカデミー出身者の人数を示す。Yはユース、JYはジュニアユースの略。

年度 2024 2023 2022 2021 2020 2019
ホームグロウン 17 16 15 13 15 13
アカデミー
出身
出身数 14 12 11 9 10 8
内訳
(重複あり)
Y 14 12 11 8 9 6
JY 6 6 5 2 3 2
びんごJY 0 0 0 1 1 1
くにびきJY 0 0 0 0 0 1

卒団後の進路サポートも重視しており、ユースにおいてはプロになれなかった選手の就職および大学進学率はJリーグユースの中でもトップクラスを誇る[38][13]。広島アカデミーを退団後他の学校などで活躍し、広島のみならず他のJリーグチームでプロ入りを果たした選手もいる[67]

以下、2023年12月11日時点での各国の1部リーグで100試合以上出場したアカデミー出身者を示す。プロ在歴は全カテゴリでのプロチーム在籍期間。1部リーグの出場・得点はJ1と海外の1部リーグの合計のみであり、J2などの2部リーグ以下やカップ戦、国際試合などは含めない。

引退
名前 生年 出身 アカデミー プロ契約 プロ在歴 Pos. 1部リーグ
U15 U18 出場 得点 1部リーグ
最多出場チーム[注 9]
駒野友一 1981 和歌山 - Y 昇格 2000-2022 DF/MF 374 19 磐田 [1]
森崎和幸 1981 広島 - Y 昇格 1999-2018 MF 431 19 広島 [2]
森崎浩司 1981 広島 - Y 昇格 2000-2016 MF/FW 257 41 広島 [3]
宮本卓也 1983 広島 JY Y 大商大→C大阪 2006-2013 DF/MF 101 1 山形 [4]
田坂祐介 1985 広島 JY Y 青学大→川崎 2007-2020 MF 156 15 川崎 [5]
柏木陽介 1987 兵庫 - Y 昇格 2006-2023 MF 392 56 浦和 [6]
川上典洋 1987 島根 くにびき - 大社高→千葉 2006-2022 DF 101 9  アルビレックス [7]
槙野智章 1987 広島 JY Y 昇格 2006-2022 DF 423 46 浦和 [8]

2012年2月24日日本代表対サッカーアイスランド代表戦にて、駒野・森脇・槙野・柏木が日本代表として出場を果たした。国際Aマッチにおいて同一アカデミー出身者4人出場は日本サッカー史上初のことである[68]東アジアカップ2013では国内組の縛りがあったこともあり、駒野・森脇・髙萩・槙野・森重と5人日本代表に選ばれている[69]。2023年11月16日日本代表対サッカーミャンマー代表戦で前川・大迫とGK2人交代で出場している[70]

現役
名前 生年 出身 アカデミー プロ契約 プロ在歴 Pos. 1部リーグ
U15 U18 出場 得点 1部リーグ
最多出場チーム[注 9]
髙萩洋次郎 1986 福島 - Y 昇格 2003-現在 MF 377 30 広島 [9]
森脇良太 1986 広島 びんご Y 昇格 2005-現在 DF/MF 302 19 浦和 [10]
森重真人 1987 広島 JY - 皆実高→大分 2006-現在 DF 467 35 F東京 [11]
遊佐克美 1988 福島 - Y 昇格 2007-現在 MF/FW 168 42  モフン・バガン [12]
茶島雄介 1991 広島 JY Y 学芸大→広島 2014-現在 MF 102 6 広島 [13]
野津田岳人 1994 広島 JY Y 昇格 2012-現在 MF 206 20 広島 [14]
川辺駿 1995 広島 JY Y 昇格 2013-現在 MF 267 37 広島 [15]
宮原和也 1996 広島 JY Y 昇格 2013-現在 DF/MF 129 5 名古屋 [16]
荒木隼人 1996 大阪 - Y 関大→広島 2019-現在 DF 156 8 広島 [17]
大迫敬介 1999 鹿児島 - Y 昇格 2018-現在 GK 133 0 広島 [18]
東俊希 2000 愛媛 - Y 昇格 2018-現在 MF 132 6 広島 [19]

不祥事 編集

  • 2023年7月31日スクール専属コーチが県青少年健全育成条例違反(淫行)で逮捕された[71][72]。その者は同年4月1日から専属契約、午前は中学校非常勤講師、午後からスクールコーチをしていた[72]。クラブ側は同年8月1日付社長署名で、被害にあわれた方とその家族に対して謝罪、ほかスポンサーなどクラブに携わる関係者に謝罪し、再発防止に向け監督・指導を徹底する、とコメントしている[72]

主な戦績 編集

ユース 編集

天皇杯

2000年、ユースが天皇杯広島県予選にあたる全広島サッカー選手権大会で初優勝し、天皇杯に初出場。その後、2度出場したがすべて1回戦敗退している。

天皇杯
開催年月日 大会名 対戦相手 開催スタジアム スコア 勝敗
2000年11月25日 第80回天皇杯1回戦 上田ジェンシャン 福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場 0-1 敗北
2002年12月1日 第82回天皇杯1回戦 大分トリニータU-18 大分市営陸上競技場 1-1(PK4-5) 敗北
2003年11月30日 第83回天皇杯1回戦 水戸ホーリーホック 福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場 0-1(延長) 敗北

ジュニアユース 編集

リーグ(高円宮杯U-15プログレスリーグ
詳細は当該リンク先参照
カップ戦

ジュニア 編集

国際試合 編集

マンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップ

2003年と2014年にジュニアユースがJFAプレミアカップ(旧ナイキプレミアカップ)優勝したことに伴いマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップに出場している。

プレミアカップ
開催年月日 大会名 対戦相手 開催地 スコア 勝敗 記録
2003年7月17日 グループD   ボカ・ジュニアーズ ポートランド 2-3 敗北 [20]
  アトレティコ・マドリード 0-1 敗北 [21]
2003年7月19日   ロイヤル・コスタル 0-1 敗北 [22]
  パリ・サンジェルマン 1-0 勝利 [23]
2003年7月21日 4位グループ戦   ピチデグア 2-2(PK6-7) 敗北 [24]
15位・16位決定戦   インデペンディエンテ・メデジン 2-0 勝利 [25]
2014年8月6日 グループC   UANLティグレス マンチェスター 0-3 敗北
  フェイエノールト 0-2 敗北
2014年8月7日   マンチェスター・ユナイテッドFC 4-0 勝利
  マメロディ・サンダウンズ 2-0 勝利
2014年8月8日 順位決定戦   SCインテルナシオナル 1-5 敗北
11位・12位決定戦   中東中学校 1-0 勝利
SBCカップ

ユースは高円宮杯決勝進出の副賞として、2005年と2008年の2度にわたりドイツで開かれたSBCカップに出場している。

SBC
開催年月日 大会名 対戦相手 開催地 スコア 勝敗
2005年2月26日 グループリーグ   オリンピアコスU-19 ラオプハイムドイツ語版 1-1 引分
2005年2月26日   SSVウルム1846U-19 1-3 敗北
2005年2月27日   ハンブルガーSVU-19 1-2 敗北
2005年2月27日 5位6位決定戦   FVオリンピア・ラオプハイムドイツ語版U-19 1-0 勝利
2008年2月22日 グループリーグ   FVオリンピア ラオプハイムU-19 ラオプハイム 2-0 勝利
2008年2月22日   TSV1860ミュンヘンU-19 0-1 敗北
2008年2月23日   FCトゥウェンテU-19 0-1 敗北
2008年2月23日 5位6位決定戦   ヘルタ・ベルリンU-19 3-0 勝利
クラウディオサッシ国際ユーストーナメント

高円宮杯決勝進出の副賞として、イタリアで開かれたクラウディオサッシ国際ユーストーナメントU-18大会に出場した。2年連続でフェアプレー賞を受賞した。

なお、2012年はACチェゼーナのトップチームとも対戦、シモーネ・デル・ネロらに得点を奪われ0-6で敗戦している[73]

クラウディオサッシ
開催年月日 大会名 対戦相手 開催地 スコア 勝敗
2011年4月22日 グループリーグ   ユヴェントスFCU-18 サッスオーロ 1-2 敗北
2011年4月23日   モデナFCU-18 2-1 勝利
2011年4月24日   マンチェスター・ユナイテッドFCU-18 1-3 敗北
2012年4月6日 グループリーグ   PFC CSKAモスクワU-18 サッスオーロ 2-3 敗北
2012年4月7日   ACチェゼーナU-18 3-3 引分
2012年4月8日   USサッスオーロ・カルチョU-18 4-0 勝利
Balcom BMW CUP 平和祈念広島国際ユースサッカー

2006年から広島県で行われている国際大会に出場している。

特記 編集

中国社会人リーグ

創立当初から中国地方のユース年代では抜けた存在であったため、近隣になかなかいい対戦相手がいなかった。そのため1998年、中国サッカーリーグの前期日程(第1節-第8節)にオープン参加している。しかし、社会人リーグのリーグ編成および日程の関係から、この年だけで終わっている。ちなみに戦績は7勝1敗。

ユース二冠
2004年8月8日第28回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会決勝対ジュビロ磐田ユース戦(Jヴィレッジスタ)のスターティングメンバー[74]。数字は背番号、(C)はキャプテン。

森山佳郎が監督として率いた2003年・2004年の広島ユースは、2年連続でユース三冠(クラブユース選手権高円宮杯Jユースカップ)のうち二冠を達成し、"広島ユース黄金時代"と呼ばれた[34][75][15]。これは2001年からクラブ全体が攻撃的なサッカーへの転換を模索しだしたこと[76][77]、それに伴いチームとして質を上げるため2001年のみスカウト活動を積極的に行ったことにより入団した選手が高校2年・3年になる2003年・2004年に結果として現れたためである[78]

前田俊介髙柳一誠森脇良太柏木陽介槙野智章平繁龍一ら、タレントがズラリ揃った2004年には、3大会とも決勝に進出した[75]。レギュラー11人が全員プロ入りしたこのチームは強さと巧さを兼ね備え、なおかつ勝負強く、史上最強ではといわれるチームであった[75]。ただ、最上級生に田坂祐介西山貴永田村祐基ら、そしてクラブ史上初のプロの高校生Jリーガーとなる髙萩洋次郎が在籍した2003年のチームのほうが記録的には上で、公式戦で2敗のみ(高円宮杯準決勝静岡学園戦と2003年天皇杯1回戦対J2水戸ホーリーホック戦)しかしていない。

高円宮杯3連覇

高円宮杯はクラブユースと高体連つまり2種登録チームすべてが参加する唯一の大会であり、現在は高校年代サッカーの最高峰と位置づけられている。この大会において2010年代初頭に、第21回高円宮杯2011年高円宮杯プレミア2012年高円宮杯プレミアと3連覇を達成している[34][15]。3大会の決勝すべてに出場したのは野津田岳人ら2人、2大会の決勝出場が脇本晃成川辺駿宮原和也らがいる。なお2012年はトップチームがJ1リーグ制覇を達成しており、リーグ戦として“兄弟制覇”ということになる[79]

大会レギュレーション変更を挟むため参考記録ではあるが、2022年現在3連覇は清水市商高と広島ユースのみである。

スポンサー 編集

ユニフォーム
  • サプライヤー : NIKE(2010年 - 、全チーム共通)
ユース
箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
イズミ you me 2016年 -
背中上部 マツダ MAZDA (2010年以前 - )
背中下部 Traditional Street TRST 2022年 - 2022年は袖
FiveHangouts FiveHangouts -
ジュニアユース
箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
イズミ you me 2016年 -
背中上部 東栄住宅 BLOOMING GARDEN 2020年 -
背中下部 - - -
小原防災工業 小原防災工業 2020年 -
遍歴
  • サプライヤーはトップチームと同じ。設立当初から2009年までがミズノ、2010年以降はナイキ。
  • スポンサー契約していない場合、胸は「SANFRECCE」表記、背中は無記名。
  • マツダは2010年以前からユースのみスポンサーとして入っていた。
  • 2010年以前に短期間ジュニアユース・ジュニア・スクールのスポンサーにフレスタが入っていた。
  • 2011年からユースのユニフォーム右袖に「安芸高田市」の文字と市章が入っていた。マザータウンとして明確に掲示したためであり、安芸高田市がスポンサーとして入っているわけではなかった[80]
  • 2016年からユースおよびジュニアユースの胸にイズミが入る[81]
  • 2020年からジュニアユースの袖に小原防災工業が入る[82]。ちなみに社長の父親は元マツダサッカー部選手で、社長自身も高校までサッカーをしていた[82]
  • 2020年東栄住宅と契約を結んだ[83]。2023年時点でジュニアユースの背中上部。
  • 2020年FiveHangoutsと契約を結んだ[84]。2023年時点でユースの袖。なお社長は広島ジュニアユース・ユース出身(駒野・森崎兄弟の一つ下)[84]
  • 2022年Traditional Streetと契約を結んだ[85]。2022年ユースの袖[85]。2023年ユースの背中下部。
  • 他にも広島アカデミーOBが経営する企業がスポンサーになったケースも存在する[86]
  • 日本ヒューレット・パッカードのCMにアカデミースタッフおよび選手が起用されている[87]

出身者 編集

主な選手 編集

所属経験のうち、Yはユース、JYはジュニアユース、Jrはジュニア、Sはスクールの略。提携スクールのうち、くにびきは「く」、びんごは「び」、みろくの里は「み」、常石は「常」と略記。五十音順表記。サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧もあわせて参照。

1970年代生まれ 編集

1970年代生まれ

1980年代生まれ 編集

1980年代生まれ

1990年代生まれ 編集

2000年代生まれ 編集

スタッフ 編集

  • ユース監督
    • 小林伸二(1993年 - 1996年)
    • 木村考洋(1997年 - 2000年)
    • 中村重和(2001年 - 2002年8月)
    • 森山佳郎(2002年8月 - 2012年)
    • 望月一頼(2013年 - 2014年)
    • 沢田謙太郎(2015年 - 2019年)
    • 高田哲也(2020年 - 2022年)
    • 野田知(2023年 - 現在)
  • ジュニアユース監督
    • ?
    • 中村重和(1997年 - 2000年)
    • 月岡利明(2001年)
    • 上野展裕(2002年 - 2003年)
    • 塩崎浩作(2004年)
    • 島卓視(2005年 - 2008年)
    • 沢田謙太郎(2009年 - 2014年)
    • 迫井深也(2015年 - 2017年)
    • 高田哲也(2018年 - 2019年)
    • 岩成智和(2020年 - 2021年)
    • 遠藤真仁(2022年 - 2023年)
    • 岡本知剛(2024年 - 現在)
その他

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 例えば、下村幸男は修道高校で1961年国体と選手権の2冠制覇し、森孝慈中村勤吉田浩らを育てた。小沢通宏は舟入高校へ出向き、野村六彦今西和男を指導した。石井義信県立広島工業を全国的強豪に育てあげた。
  2. ^ 例えば、今西和男松本育夫二村昭雄は本社工場西側の青崎地区(現南区)の青崎小学校に指導に出向いている[21]。ここからサッカーが盛んになり青崎SCが発足した[21]。本社工場がある府中町出身の金田喜稔は中学1年(1970年)の時に大野毅船本幸路に指導を受けている[22]田坂和昭は小学生(1983年)の時に木村孝洋に指導を受けている[23]
  3. ^ この時に来日した外国人選手の一人がハーフナー・ディドである。ディドがマツダSCでプレーしていたときに長男のハーフナー・マイクが広島で生まれたが、ディドの移籍に伴い家族で引っ越したためマイクは広島アカデミーでのプレー経験はない。
  4. ^ 今西の証言によると、当時アヤックスのゼネラルマネージャーアリー・ハーンで、そのアカデミーからフランク・ライカールトが登場していた[25]
  5. ^ マンUに留学した高木の証言によると、当時のリザーブチームにはデビッド・ベッカムらが在籍していた[30]
  6. ^ SKYACTIV-VEHICLE ARCHITECTUREの開発責任者。
  7. ^ 寮長は吉田高校PTA副会長 [1]
  8. ^ 舞行龍は15歳まで元広島の宮澤浩に育てられている。
  9. ^ a b 1部リーグ出場試合数のうち、最も出場したチーム。現在の所属チームではない。

出典 編集

  1. ^ a b c d Jリーグ 2010, p. 4.
  2. ^ Jリーガーの『高級車』を自粛!?”. 児玉勝司ブログ (2007年6月18日). 2021年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  3. ^ a b 広島ユースが体現した「気持ちには引力がある」”. スポーツナビ (2010年10月9日). 2013年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  4. ^ Jリーグ用語集(ターミノロジー)”. Jリーグ. 2023年12月11日閲覧。
  5. ^ 子熊、6年ぶり2度目の栄冠”. エル・ゴラッソ (2010年10月15日). 2010年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  6. ^ 【2012Jユースカップ準々決勝:磐田vs広島、札幌vsC大阪】プレビュー”. J's GOAL (2012年11月25日). 2012年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  7. ^ a b c d インタビュー 株式会社サンフレッチェ広島・代表取締役社長 本谷祐一さん”. 広島市公式 (2010年1月10日). 2012年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  8. ^ a b c d Jリーグ 2010, p. 2.
  9. ^ 佐々木直人氏 ユースダイレクター就任のお知らせ”. サンフレッチェ広島 (2015年5月4日). 2016年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  10. ^ a b 小澤 2011b.
  11. ^ Jリーグ 2010, p. 5.
  12. ^ 日本の未来を垣間見る”. スポーツナビ (2004年10月12日). 2013年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  13. ^ a b c d e 広島ユース台頭 選手に密着、強さを探る”. 朝日新聞 (2004年11月2日). 2006年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  14. ^ a b 木村龍朗インタビュー第1弾「普通の奴らとは違うというプライドを持っていた」”. サッカーナビ (2011年2月4日). 2013年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  15. ^ a b c 部活とクラブの融合に成功した男 広島ユース監督・森山佳郎の退任 - page.1”. フットボールチャンネル (2012年12月25日). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  16. ^ かつてはサッカーのご三家 広島、埼玉、静岡”. 賀川サッカーライブラリ. 2023年12月11日閲覧。
  17. ^ a b c 年末年始を語る(1)まずは高校サッカー”. 賀川浩の片言隻句 (2009年1月14日). 2023年12月11日閲覧。
  18. ^ a b c d e f サッカー王国、復活へ”. 朝日新聞 (2011年1月11日). 2011年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月23日閲覧。
  19. ^ 『サッカーマガジン』1966年06月01日号
  20. ^ 『サッカーマガジン』1966年11月1日号、78頁。
  21. ^ a b 熱血イレブン 青崎レディース”. 広島市. 2015年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  22. ^ 「日本サッカー名蹴会 発足記念記者会見」開催”. 日本サッカー名蹴会. 2013年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  23. ^ 【J2:第1節 岐阜 vs 大分】大分側プレビュー:田坂トリニータの初陣! SORYOKU戦でひと泡吹かす”. J's GOAL (2011年3月6日). 2011年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  24. ^ a b 【育将・今西和男】のちの日本代表監督ハンス・オフトを招聘した男”. スポルティーバ (2015年10月10日). 2023年12月11日閲覧。
  25. ^ a b c d e f 『週刊サッカーダイジェスト』、2004年11月30日号および同年12月7日号
  26. ^ a b 20年の結晶:広島J1初Vの軌跡/上 ユース出身者、根幹に”. 毎日新聞 (2012年11月25日). 2012年11月28日閲覧。[リンク切れ]
  27. ^ 森保 2004, p. 65.
  28. ^ a b 宗政潤一郎プロフィール”. MUNE広島FC公式. 2023年12月11日閲覧。
  29. ^ a b 優れた指導者の条件”. ニッカンスポーツ (2005年5月29日). 2006年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  30. ^ a b 『サンフレッチェ広島 レジェンド・オブ・スターズ』(DVD)Data Stadium、2008年12月12日。 
  31. ^ 森保 2004, p. 70.
  32. ^ 【育将・今西和男】 森保 一監督が継承する「サッカー哲学」”. スポルティーバ (2015年7月26日). 2023年12月11日閲覧。
  33. ^ a b 転職・虫谷 泰典”. MDirection. 2023年12月11日閲覧。
  34. ^ a b c d Jユースカップ4強の表裏!?:Jユースカップ準決勝は明日開催!!”. J's GOAL (2012年12月21日). 2014年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  35. ^ Jリーグ 2010, p. 7.
  36. ^ a b 市民の応援若手育てる/「三矢寮」かいわい”. 朝日新聞 (2009年3月15日). 2009年9月27日閲覧。[リンク切れ]
  37. ^ Jリーグ 2010, p. 3.
  38. ^ a b Jリーグ 2010, p. 6.
  39. ^ a b 「クラブユースは上手いけど戦えない」を変えた広島ユースの育成法に迫る!|森山佳郎×岩政大樹#1”. サッカーダイジェスト (2018年3月5日). 2023年12月11日閲覧。
  40. ^ a b サポーターズカンファレンス議事録』(プレスリリース)サンフレッチェ広島、2015年1月。 オリジナルの2015年11月21日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20151121093613/https://www.sanfrecce.co.jp/club/conf01.html2023年12月11日閲覧 
  41. ^ お疲れ様でした。アンジュヴィオレ広島様”. サンフレッチェ広島 (2022年8月22日). 2012年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月24日閲覧。
  42. ^ アンジュヴィオレ広島 2022シーズンをもって解散のお知らせ”. アンジュヴィオレ広島 (2022年8月22日). 2012年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月23日閲覧。
  43. ^ アンジュヴィオレ広島、今季限りで解散 サッカー女子なでしこリーグ1部”. 中国新聞 (2022年8月22日). 2012年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月23日閲覧。
  44. ^ 川端暁彦“「高校 VS ユース」?対立の構図のその先を見る時代へ”.『エル・ゴラッソ』2009年1月15日。
  45. ^ a b 試合後、広島皆実・藤井潔監督会見”. スポーツナビ (2009年1月12日). 2016年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  46. ^ サッカー留学 流出深刻”. 中国新聞 (2020年4月19日). 2020年4月27日閲覧。[リンク切れ]
  47. ^ a b アマスポーツNOW 第4部変わる部活 15Jリーグとの連携”. 中国新聞 (2000年5月30日). 2013年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  48. ^ a b サンフレくにびき全国切符”. 中国新聞 (2010年7月23日). 2010年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  49. ^ a b 愛媛FC、広島戦を待ち望んでいた男たち”. フットボール定食 (2008年3月16日). 2012年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  50. ^ サンフレッチェ広島工大高ジュニアユース”. 広島工業大学高等学校 (2023年10月12日). 2023年12月11日閲覧。
  51. ^ a b 【広島】足立スカウト「将来は下部組織の選手だけで優勝」”. 報知新聞 (2013年12月8日). 2013年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  52. ^ 「一般社団法人RSスポーツクラブ」とのサッカーチーム提携契約締結のお知らせ”. サンフレッチェ広島 (2022年10月10日). 2023年12月11日閲覧。
  53. ^ ドイツ・ブンデスリーガ『1.FCケルン』との育成業務提携について”. サンフレッチェ広島 (2021年9月15日). 2023年12月11日閲覧。
  54. ^ Erstligist aus Japan neuer Partner FC STARTET KOOPERATION MIT SANFRECCE HIROSHIMA” (ドイツ語). FC Köln (2021年9月15日). 2023年12月11日閲覧。
  55. ^ 広島、ドイツの名門ケルンと育成業務提携「より質の高い育成メソッドを確立」”. サッカーキング (2021年9月15日). 2023年12月11日閲覧。
  56. ^ コーチ資格 柏ら奮闘 取得協力のサンフレ、2期生挑む”. 中国新聞 (2016年12月2日). 2016年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  57. ^ 広島:駒野、森崎兄弟ら輩出!「育成クラブ」のお手本”. スポーツニッポン (2012年11月25日). 2013年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  58. ^ 【2014シーズン始動!】熊本:新体制発表会見での出席者コメント(1)”. J's Goal (2014年1月15日). 2014年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  59. ^ Jリーグ 2010, p. 8.
  60. ^ 【HHレポート】「J初の廃校を活用した新練習拠点の建設へ ホーリーホックと城里町で旧七会中学校の跡地利用整備に関する協定書を締結」” (2016年8月2日). 2023年12月11日閲覧。
  61. ^ 舞行龍ジェームズインタビュー”. Kiwi Breeze. 2023年12月11日閲覧。
  62. ^ サッカー界を牽引する「広島出身」監督の視点”. 東洋経済 (2016年10月5日). 2016年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  63. ^ 槙野之外另有强人?中超队盯上日主力国脚中卫” (中国語). 中国網 (2016年12月6日). 2016年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  64. ^ FC東京U-18・佐藤一樹監督に聞く(下)”. サッカーキング (2014年2月10日). 2023年12月11日閲覧。
  65. ^ インサイド:Jリーグ20年 第3部 若手育成と強化/4”. 毎日新聞 (2012年10月26日). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  66. ^ 5度目の頂点に立った広島ユース。この功績をトップはどう生かすのか)”. スポルティーバ (2018年12月17日). 2023年12月11日閲覧。
  67. ^ a b c 【広島】地方クラブの強化成功示す荒木隼人と加藤陸次樹の同門対決 証明された中長期的ビジョン”. ニッカンスポーツ (2022年9月6日). 2022年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月15日閲覧。
  68. ^ 吉田から世界へ”. Jリーグブログ (2012年2月24日). 2012年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  69. ^ 23人中9人!“新旧広島パワー”で下克上へ一丸”. ゲキサカ (2013年7月19日). 2013年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  70. ^ 日本代表・前川黛也 途中交代で初陣 親子二代での日の丸守護神”. スポーツニッポン (2023年11月16日). 2023年12月11日閲覧。
  71. ^ サンフレ普及部コーチ、淫行の疑いで逮捕 広島県警佐伯署など”. 中国新聞 (2023年8月7日). 2023年12月11日閲覧。
  72. ^ a b c 当社普及部所属コーチの逮捕に関するお詫び”. 中国新聞 (2023年8月1日). 2023年12月11日閲覧。
  73. ^ Cesena - Sanfrecce Hiroshima F.C. : 6-0” (イタリア語). ACチェゼーナ (2012年4月4日). 2012年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  74. ^ 第28回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)決勝”. ジュビロ磐田公式 (2004年8月8日). 2023年12月11日閲覧。
  75. ^ a b c 『サッカーマガジン』2008年08月05日号、8頁
  76. ^ 小澤 2011a.
  77. ^ ロシア人監督が就任、攻撃的フットボールへの転換期”. NikeFootballJapan(facebook) (2012年7月6日). 2013年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  78. ^ 指導者インタビュー 森山佳郎監督(広島ユース)”. J's GOAL (2005年). 2014年5月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  79. ^ 【高円宮杯】ユース世代も頂点に立った広島。未来を見据えた「育成術」”. スポルティーバ (2012年12月18日). 2023年12月11日閲覧。
  80. ^ ユース選手袖に安芸高田市章”. 中国新聞 (2011年1月28日). 2011年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  81. ^ ユース、ジュニアユース ユニフォームスポンサー(胸)に、株式会社イズミが決定!”. サンフレッチェ広島 (2016年2月22日). 2023年12月11日閲覧。
  82. ^ a b 【SIGMACLUB7月号】サンフレッチェを支える人々/小原防災工業株式会社代表取締役 小原洋一氏「何をおいても支えたい そう想わせる力が スポーツにはある」”. 紫熊倶楽部 (2020年6月15日). 2023年12月11日閲覧。
  83. ^ SPORT SUPPORT PROJECT”. 東栄住宅. 2023年12月11日閲覧。
  84. ^ a b パリSGの言語学習アプリをサポート Jユース出身の経営者が語るデジタルマーケティングとスポーツをつなぐ思い”. としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!! (2022年7月21日). 2023年12月11日閲覧。
  85. ^ a b 『株式会社Traditional Street』様 新規パートナー契約締結のお知らせ”. サンフレッチェ広島 (2022年4月3日). 2023年12月11日閲覧。
  86. ^ スポンサー看板 初お披露目(中国新聞掲載)”. 新日本パワーサプライ. 2023年12月11日閲覧。
  87. ^ 【HPビジネスPC導入事例】株式会社サンフレッチェ広島”. 日本ヒューレット・パッカード. 2023年12月11日閲覧。
  88. ^ サンフレユース1期生が4代目寮長に 安芸高田市のユース「三矢寮」 父は初代寮長、「人づくり」受け継ぐ”. 中国新聞 (2022年4月25日). 2022年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月15日閲覧。

参考資料 編集

  • J.LEAGUE NEWS PLUS vol.12” (PDF). Jリーグ (2010年3月31日). 2012年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月11日閲覧。
  • サッカー批評
  • 森保一、西岡明彦『ぽいち 森保一自伝―雑草魂を胸に』フロムワン、2004年2月。ISBN 978-4757210158 
  • SANFRECCE Diary
  • 週刊サッカーダイジェスト』各号
  • 週刊サッカーマガジン』各号
  • 中国新聞』各紙

関連項目 編集

外部リンク 編集