ファン・パブロ・モントーヤ

ファン・パブロ・モントーヤ・ロルダンJuan Pablo Montoya Roldán, 1975年9月20日 - )は、コロンビア出身のレーシングドライバー

ファン・パブロ・モントーヤ
基本情報
フルネーム ファン・パブロ・モントーヤ・ロルダン
略称表記 MOY
国籍  コロンビア
出身地 同・ボゴタ
生年月日 (1975-09-20) 1975年9月20日(48歳)
F1での経歴
活動時期 2001-2006
所属チーム '01-'04 ウィリアムズ
'05-'06 マクラーレン
出走回数 96
タイトル 0
優勝回数 7
表彰台(3位以内)回数 29
通算獲得ポイント 307
ポールポジション 12
ファステストラップ 12
初勝利 2001年イタリアGP
最終勝利 2005年ブラジルGP
最終戦 2006年アメリカGP
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CARTの1999年度シリーズチャンピオン。2001年から2006年シーズン途中までF1に参戦、コロンビア人としてはロベルト・ゲレーロに次ぐ2人目のF1ドライバーとなった。2006年シーズン中盤よりNASCARに参戦している。

日本ではJ・P・モントーヤと、またアメリカ合衆国ではCART参戦時の登録名から、ファン・モントーヤ (Juan Montoya) と略されることが多い。フジテレビF1中継でのニックネームは「コロンビアの暴れん坊」。

プロフィール 編集

カートからF3 編集

コロンビアの首都ボゴタ出身。幼少よりカートレースで成功を収め、F1を目指し1995年(当時19歳)渡欧しヨーロッパでのレース活動を始める。フォーミュラ・ボクソールイギリスF3を経て、RSMマルコに加入し1997年の国際F3000選手権にステップアップ。シーズン3勝を挙げランキング2位となる[1]。F3000初年度にタイトル争いを演じた才能に注目したウィリアムズF1チームとテストドライバー契約を結ぶ。

F3000とCART 編集

1998年の国際F3000選手権ニック・ハイドフェルドとのチャンピオン争いを制しシリーズチャンピオンを獲得し、1999年のウィリアムズF1レギュラー昇格が噂されたが、CART王者となったアレックス・ザナルディがウィリアムズでF1復帰することになり、モントーヤのF1デビューはこの時は実現しなかった。しかし、ザナルディとシートを交換する形でCARTのトップチーム、チップ・ガナッシと契約しCARTシートを獲得。ヨーロッパから北米へ渡った。

1999年、モントーヤはルーキーながら難なくCARTスタイルに順応し、速さでセンセーションを巻き起こす。ダリオ・フランキッティと熾烈なタイトル争いを繰り広げ、最終戦終了時に同得点で並び、勝利数の差(モントーヤ7勝、フランキッティ3勝)でデビューシーズンのチャンピオンを獲得(デビュー年での獲得は1993年のナイジェル・マンセル以来)。CART史上最年少でのチャンピオンとなった。

翌年はチームの体制変更によりタイトル防衛は成らなかったが、トヨタエンジンのCART初勝利を含む3勝を挙げ、伝統のインディ500でも優勝。この活躍により、2001年のウィリアムズF1チームのレギュラーシート獲得が決定した。

F1 編集

F1においてもモントーヤは最初から大胆さを発揮し、2001年シーズンの第3戦ブラジルGPでは王者ミハエル・シューマッハを追い抜き、あわやデビュー3戦目で初優勝かと思われたが、周回遅れのヨス・フェルスタッペンに追突され、リタイアに終わる。フェラーリの総合力には及ばぬものの、モントーヤはウィリアムズ・FW23の強力なBMWエンジンを利して、ドイツGPで初ポールポジションを記録。敵地イタリアGPではポール・トゥ・ウィンでF1初勝利を達成した。

2002年は優勝こそ無かったが、フェラーリがシーズンを席巻する中で、M.シューマッハと並ぶ7回のポールポジションを獲得し速さを見せた。

2003年には同僚ラルフ・シューマッハと共に快走し、2勝を挙げてシリーズランキング2位で終盤戦を迎えたが、アメリカGPでの雨とペナルティの影響でチャンピオンを逃した。

2004年には、開幕直前にもかかわらず翌年のマクラーレン移籍を発表。この年は、ウィリアムズ・FW26の新型フロントウィングが失敗し、シーズン中盤に旧型に戻すなど苦戦を強いられ、優勝は最終戦ブラジルのみに留まった。

2005年、マクラーレン・メルセデスに移籍。MP4-20で3勝を挙げ、イタリアGPでは予選でF1史上最速記録となる372.6 km/hも記録したものの、脚光はタイトル争いを繰り広げたチームメイト、キミ・ライコネンに集中した。シーズン序盤には骨折(プライベイトでのテニス中に負ったと報道されている)で2戦を欠場。シーズン後半はセカンドドライバー的な立場を強いられた。

2006年はエンジンレギュレーション変更でV10エンジンが禁止され2400ccV8となり、マクラーレン・MP4-21に搭載されるメルセデスも長く使用してきたV10からV8へと変更され、空力的にも大きくアレンジされたマシンであったが、上位にはつけるが優勝を争うことができず、未勝利が続くなか第10戦アメリカGPではスタート直後にライコネンと同士討ちを演じる。その直後、チームとドライバーが合意の下で契約を解除することが発表され、マクラーレンを離脱。シーズン中盤であったがF1を離れ、古巣チップ・ガナッシの仲介で活動の場をNASCARに移すこととなった。

NASCAR 編集

NASCARではブッシュシリーズにアトランタから参戦を果たす。2007年よりチップ・ガナッシ・レーシングからNASCARネクステルカップ(現スプリントカップ・シリーズ)に参戦。

インディカー 編集

2014年、チーム・ペンスキーからインディカー・シリーズに復帰、ポコノ・レースウェイでの第11戦で復帰後初勝利を飾るなど、ランキング4位の活躍を見せる。

2015年、この年のインディ500において、序盤に一度リードラップ最後尾まで落ちたものの、そこから追い上げて中盤以降は終始トップ争いに絡み、15年ぶり自身2度目の優勝を飾る。この優勝は、A.J.フォイトの10年を抜き、最も長い間隔を空けてのインディ500複数優勝であった。

記録 編集

四輪レース界で世界3大レースといわれる3つのうち、モントーヤはインディ500(2000年、2015年)とモナコGP(2003年)を制覇している。

また、2007年1月にデイトナ・インターナショナル・スピードウェイで行われたRolexデイトナ24時間レースにおいて、スコット・プルーエットと共に出場し、初出場ながら優勝した(翌年も連覇)。

レース戦績 編集

 
2005年アメリカGP予選にてMP4-20をドライブするモントーヤ

イギリス・フォーミュラ3選手権 編集

チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1996年 フォーテック・モータースポーツ HKS-三菱 A SIL1
2
SIL2
12
THR
4
DON
1
BRH1
12
BRH2
2
OUL
9
DON
13
SIL
7
THR
1
SNE1
3
SNE2
C
PEM1
4
PEM2
6
ZAN1
4
ZAN2
Ret
SIL
5
5位 137

国際ツーリングカー選手権 編集

チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 順位 ポイント
1996年 ヴァルシュタイナー メルセデス-AMG メルセデス・ベンツ・Cクラス V6 HOC
1
HOC
2
NÜR
1
NÜR
2
EST
1
EST
2
HEL
1
HEL
2
NOR
1
NOR
2
DIE
1
DIE
2
SIL
1

Ret
SIL
2

Ret
NÜR
1
NÜR
2
MAG
1
MAG
2
MUG
1
MUG
2
HOC
1
HOC
2
SAO
1
SAO
2
SUZ
1
SUZ
2
NC 0

(key)

国際F3000選手権 編集

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1997年 RSMマルコ ローラ・T96/50 ザイテック SIL
Ret
HEL
1
PAU
Ret
NÜR
4
PER
11
HOC
5
A1R
1
SPA
DSQ
MUG
3
JER
1
2位 37.5
1998年 スーパーノヴァ・レーシング OSC
Ret
IMO
15
CAT
1
SIL
1
MON
6
PAU
1
A1R
2
HOC
3
HUN
3
SPA
2
PER
1
NÜR
3
1位 65

F1世界選手権 編集

チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2001年 ウィリアムズ FW23 BMW P81 3.0L V10 AUS
Ret
MAL
Ret
BRA
Ret
SMR
Ret
ESP
2
AUT
Ret
MON
Ret
CAN
Ret
EUR
2
FRA
Ret
GBR
4
GER
Ret
HUN
8
BEL
Ret
ITA
1
USA
Ret
JPN
2
6位 31
2002年 FW24 BMW P82 3.0L V10 AUS
2
MAL
2
BRA
5
SMR
4
ESP
2
AUT
3
MON
Ret
CAN
Ret
EUR
Ret
GBR
3
FRA
4
GER
2
HUN
11
BEL
3
ITA
Ret
USA
4
JPN
4
3位 50
2003年 FW25 BMW P83 3.0L V10 AUS
2
MAL
12
BRA
Ret
SMR
7
ESP
4
AUT
Ret
MON
1
CAN
3
EUR
2
FRA
2
GBR
2
GER
1
HUN
3
ITA
2
USA
6
JPN
Ret
3位 82
2004年 FW26 BMW P84 3.0L V10 AUS
5
MAL
2
BHR
13
SMR
3
ESP
Ret
MON
4
EUR
8
CAN
DSQ
USA
DSQ
FRA
8
GBR
5
GER
5
HUN
4
BEL
Ret
ITA
5
CHN
5
JPN
7
BRA
1
5位 58
2005年 マクラーレン MP4-20 メルセデス FO 110R 3.0 V10 AUS
6
MAL
4
BHR SMR ESP
7
MON
5
EUR
7
CAN
DSQ
USA
DNS
FRA
Ret
GBR
1
GER
2
HUN
Ret
TUR
3
ITA
1
BEL
14
BRA
1
JPN
Ret
CHN
Ret
4位 60
2006年 MP4-21 メルセデス FO 108S 2.4 V8 BHR
5
MAL
4
AUS
Ret
SMR
3
EUR
Ret
ESP
Ret
MON
2
GBR
6
CAN
Ret
USA
Ret
FRA GER HUN TUR ITA CHN JPN BRA 8位 26

アメリカン・オープンホイール 編集

CART 編集

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
1999年 チップ・ガナッシ・レーシング レイナード・99i ホンダ HMS
10
MOT
13
LBH
1
NZR
1
RIO
1
GTW
11
MIL
10
POR
2
CLE
1
ROA
Ret
TOR
Ret
MIS
2
DET
Ret
MDO
1
CHI
1
VAN
1
LGA
8
HOU
Ret
SRF
Ret
FON
4
1位 212
2000年 ローラ・B2K/00 トヨタ HMS
Ret
LBH
Ret
RIO
Ret
MOT
7
NZR
4
MIL
1
DET
Ret
POR
Ret
CLE
6
TOR
Ret
MIS
1
CHI
Ret
MDO
Ret
ROA
Ret
VAN
Ret
LGA
6
GTW
1
HOU
2
SRF
Ret
FON
Ret
9位 126

インディカー・シリーズ 編集

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
2000年 チップ・ガナッシ・レーシング Gフォース オールズモビル・オーロラ WDW PHX LSV INDY
1
TXS PPIR ATL KTY TXS 25位 54
2014年 チーム・ペンスキー ダラーラ・DW12 シボレー STP
15
LBH
4
ALA
21
IMS
16
INDY
5
DET1
12
DET2
13
TXS
3
HOU1
2
HOU2
7
POC
1
IOW
16
TOR1
18
TOR2
19
MDO
11
MIL
2
SNM
5
FON
4
4位 586
2015年 STP
1
NLA
5
LBH
3
ALA
14
IMS
3
INDY
1
DET1
10
DET2
10
TXS
4
TOR
7
FON
4
MIL
4
IOW
24
MDO
11
POC
3
SNM
6
2位 556
2016年 STP
1
PHX
9
LBH
4
ALA
5
IMS
8
INDY
33
DET1
3
DET2
20
ROA
7
IOW
20
TOR
20
MDO
11
POC
8
TXS
9
WGL
13
SNM
3
8位 433
2017年 STP LBH ALA PHX IMS
10
INDY
6
DET1 DET2 TXS ROA IOW TOR MDO POC GTW WGL SNM 24位 93
2021年 アロー・マクラーレンSP ALA STP TXS TXS IMS
21
INDY
9
DET1 DET2 ROA MDO NSH IMS GTW POR LGA LBH 31位 53
2022年 STP TXS LBH ALA IMS
24
INDY
11
DET
ROA
MDO
TOR
IOW
IOW
IMS
NSH
GTW POR LGA 31位* 44*

インディ500 編集

シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
2000年 Gフォース オールズモビル 2 1 チップ・ガナッシ・レーシング
2014年 ダラーラ シボレー 10 5 チーム・ペンスキー
2015年 15 1
2016年 17 33
2017年 18 6
2021年 24 9 アロー・マクラーレンSP

NASCAR 編集

(key) (Bold – Pole position awarded by qualifying time. Italics – Pole position earned by points standings or practice time. * – Most laps led.)

スプリントカップ・シリーズ 編集

NASCAR スプリントカップ・シリーズ 結果
チーム No. Make 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 NSCC Pts
2006年 チップ・ガナッシ・レーシング 30 ダッジ DAY CAL LVS ATL BRI MAR TEX PHO TAL RCH DAR CLT DOV POC MCH SON DAY CHI NHA POC IND GLN MCH BRI CAL RCH NHA DOV KAN TAL CLT MAR ATL TEX PHO HOM
34
69位 61
2007年 42 DAY
19
CAL
26
LVS
22
ATL
5
BRI
32
MAR
16
TEX
8
PHO
33
TAL
31
RCH
26
DAR
23
CLT
28
DOV
31
POC
20
MCH
43
SON
1
NHA
19
DAY
32
CHI
15
IND
2
POC
16
GLN
39
MCH
26
BRI
17
CAL
33
RCH
41
NHA
23
DOV
10
KAN
28
TAL
15
CLT
37
MAR
8
ATL
34
TEX
25
PHO
17
HOM
15
20位 3487
2008年 DAY
32
CAL
20
LVS
19
ATL
16
BRI
15
MAR
13
TEX
19
PHO
16
TAL
2
RCH
32
DAR
23
CLT
30
DOV
12
POC
38
MCH
38
SON
6
NHA
32
DAY
38
CHI
18
IND
38
POC
40
GLN
4
MCH
25
BRI
19
CAL
20
RCH
31
NHA
17
DOV
39
KAN
20
TAL
25
CLT
34
MAR
14
ATL
40
TEX
43
PHO
17
HOM
17
25位 3329
2009年 アーンハート・ガナッシ・レーシング シボレー DAY
14
CAL
11
LVS
31
ATL
27
BRI
9
MAR
12
TEX
7
PHO
24
TAL
20
RCH
10
DAR
20
CLT
8
DOV
30
POC
8
MCH
6
SON
6
NHA
12
DAY
9
CHI
10
IND
11
POC
2
GLN
6
MCH
19
BRI
25
ATL
3
RCH
19
NHA
3
DOV
4
KAN
4
CAL
3
CLT
35
MAR
3
TAL
19
TEX
37
PHO
8
HOM
38
8位 6252
2010年 DAY
10
CAL
37
LVS
37
ATL
3
BRI
26
MAR
36
PHO
5
TEX
34
TAL
3
RCH
6
DAR
5
DOV
35
CLT
38
POC
8
MCH
13
SON
10
NHA
34
DAY
27
CHI
16
IND
32
POC
16
GLN
1
MCH
7
BRI
7
ATL
9
RCH
7
NHA
16
DOV
14
KAN
29
CAL
14
CLT
11
MAR
19
TAL
3
TEX
28
PHO
16
HOM
35
17位 4118
2011年 DAY
6
PHO
19
LVS
3
BRI
24
CAL
10
MAR
4
TEX
13
TAL
30
RCH
29
DAR
23
DOV
32
CLT
12
KAN
17
POC
7
MCH
30
SON
22
DAY
9
KEN
15
NHA
30
IND
28
POC
32
GLN
7
MCH
25
BRI
19
ATL
15
RCH
15
CHI
14
NHA
9
DOV
22
KAN
23
CLT
14
TAL
23
MAR
22
TEX
18
PHO
15
HOM
31
21位 932
2012年 DAY
36
PHO
11
LVS
25
BRI
8
CAL
17
MAR
21
TEX
16
KAN
12
RCH
12
TAL
32
DAR
24
CLT
20
DOV
28
POC
17
MCH
8
SON
34
KEN
14
DAY
28
NHA
25
IND
21
POC
20
GLN
33
MCH
26
BRI
13
ATL
21
RCH
20
CHI
23
NHA
22
DOV
26
TAL
38
CLT
19
KAN
16
MAR
20
TEX
34
PHO
12
HOM
28
22位 810
2013年 DAY
39
PHO
12
LVS
19
BRI
30
CAL
38
MAR
26
TEX
20
KAN
27
RCH
4
TAL
25
DAR
8
CLT
18
DOV
2
POC
14
MCH
20
SON
34
KEN
16
DAY
39
NHA
24
IND
9
POC
28
GLN
5
MCH
11
BRI
3
ATL
7
RCH
16
CHI
32
NHA
19
DOV
23
KAN
18
CLT
12
TAL
41
MAR
13
TEX
20
PHO
6
HOM
18
21位 894
2014年 チーム・ペンスキー 12 フォード DAY PHO LVS BRI CAL MAR TEX DAR RCH TAL KAN CLT DOV POC MCH
18
SON KEN DAY NHA IND
23
POC GLN MCH BRI ATL RCH CHI NHA DOV KAN CLT TAL MAR TEX PHO HOM 48位 47
デイトナ500 編集
チーム マニュファクチャラー スタート フィニッシュ
2007年 チップ・ガナッシ・レーシング ダッジ 36 19
2008年 15 32
2009年 アーンハート・ガナッシ・レーシング シボレー 8 14
2010年 8 10
2011年 13 6
2012年 35 36
2013年 7 39

ネイションワイド・シリーズ 編集

NASCAR ネイションワイド・シリーズ 結果
チーム No. Make 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 NNSC Pts
2006年 チップ・ガナッシ・レーシング 42 ダッジ DAY CAL MXC LVS ATL BRI TEX NSH PHO TAL RCH DAR CLT DOV NSH KEN MLW DAY CHI NHA MAR GTY IRP GLN
14
MCH BRI CAL RCH DOV KAN CLT MEM
11
TEX
28
PHO
20
HOM
14
68位 438
2007年 DAY
40
CAL
39
MXC
1
LVS
20
ATL
8
BRI
14
NAS TEX
30
PHO
21
TAL
7
RCH
11
DAR
15
CLT
40
DOV
14
NSH KEN MLW NHA
34
DAY
30
CHI
21
GTY IRP CGV GLN
33
MCH BRI CAL RCH DOV KAN CLT MEM TEX PHO HOM 36位 1689
2008年 40 DAY CAL LVS ATL BRI NSH TEX PHO MXC TAL RCH DAR CLT DOV NSH KEN MLW NHA DAY CHI GTY IRP CGV GLN MCH BRI CAL RCH DOV KAN CLT MEM TEX
15
PHO 86位 230
42 HOM
17

スポーツカー 編集

ユナイテッド・スポーツカー選手権 編集

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2017年 チーム・ペンスキー オレカ・07 P DAY SEB LBH CTA DET WGL MOS ELK LGA PET
3
30位 30
2018年 アキュラ・チーム・ペンスキー アキュラ・ARX-05 P DAY
10
SEB
14
LBH
5
MDO
2
DET
3
WGL
3
MOS
10
ELK
5
LGA
3
PET
13
5位 251
2019年 DPi DAY
6
SEB
9
LBH
3
MDO
1
DET
1
WGL
3
MOS
3
ELK
2
LGA
1
PET
4
1位 302
2020年 DPi DAY
4
DAY
4
SEB
6
ELK
8
ATL
6
MDO
7
PET
3
LGA
2
SEB
2
6位 247
2021年 メイヤー・シャンク・レーシング
カーブ・アガジャニアン
DPi DAY
4
SEB
3
MDO DET WGL MOS ELK LGA LBH PET
6
14位 912

FIA 世界耐久選手権 編集

チーム 車両 クラス 1 2 3 4 5 6 順位 ポイント
2021年 ドラゴンスピード USA オレカ・07 LMP2 SPA
7
POR
8
MNZ
6
LMN
10
BHR
11
BHR
10
11位 42.5

(key)

デイトナ24時間レース 編集

デイトナ24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2007年   テルメックス・チップ・ガナッシ・レーシング
  フェリックス・サバテス
  スコット・プルーエット
  サルバドール・デュラン
ライリー・Mk. XI-レクサス DP 668 1位 1位
2008年   テルメックス・チップ・ガナッシ・レーシング   スコット・プルーエット
  メモ・ロハス
  ダリオ・フランキッティ
DP 695 1位 1位
2009年   チップ・ガナッシ・レーシング
  フェリックス・サバテス
  スコット・プルーエット
  メモ・ロハス
DP 735 2位 2位
2010年   スコット・ディクソン
  ダリオ・フランキッティ
  ジェイミー・マクマレー
ライリー・Mk. XX-BMW DP 249 DNF DNF
2011年   スコット・ディクソン
  ダリオ・フランキッティ
  ジェイミー・マクマレー
DP 721 2位 2位
2012年   スコット・ディクソン
  ダリオ・フランキッティ
  ジェイミー・マクマレー
ライリー・Mk. XXVI-BMW DP 760 4位 4位
2013年   チャーリー・キンボール
  スコット・プルーエット
  メモ・ロハス
DP 709 1位 1位
2018年   アキュラ・チーム・ペンスキー   デイン・キャメロン
  サイモン・パジェノ
アキュラ・ARX-05 P 793 10位 10位
2019年   デイン・キャメロン
  サイモン・パジェノ
DPi 576 8位 6位
2020年   デイン・キャメロン
  サイモン・パジェノ
DPi 828 4位 4位
2021年   メイヤー・シャンク・レーシング
  カーブ・アガジャニアン
  デイン・キャメロン
  オリヴィエ・プラ
  A.J.アルメンディンガー
DPi 807 4位 4位

ル・マン24時間レース 編集

ル・マン24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2018年   ユナイテッド・オートスポーツ   ウーゴ・ドゥ・サデレール
  ウィル・オーウェン
リジェ・JS P217-ギブソン LMP2 365 7位 3位
2020年   ドラゴンスピード   ティモシェ・ビュレ
  メモ・ロハス
オレカ・07-ギブソン LMP2 192 DNF DNF
2021年   ヘンリック・ヘドマン
  ベン・ハンリー
LMP2 356 15位 10位

セブリング12時間レース 編集

セブリング12時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
2018年   アキュラ・チーム・ペンスキー   デイン・キャメロン
  サイモン・パジェノ
アキュラ・ARX-05 P 203 DNF DNF
2019年   デイン・キャメロン
  サイモン・パジェノ
DPi 339 9位 9位
2020年   デイン・キャメロン
  サイモン・パジェノ
DPi 348 2位 2位
2021年   メイヤー・シャンク・レーシング
  カーブ・アガジャニアン
  デイン・キャメロン
  オリヴィエ・プラ
DPi 349 3位 3位
2022年   ドラゴンスピード・10スター   ヘンリック・ヘドマン
  セバスチャン・モントーヤ
オレカ・07-ギブソン DPi 83 DNF DNF

逸話 編集

  • 1999年はCARTにデビューし、驚異的な速さを見せつけるものの荒削りな走行も目立った。ツインリンクもてぎラウンドでは、練習走行にもかかわらずCART界の顔であるマイケル・アンドレッティに無意味な幅寄せ・追い抜きを仕掛けた挙句に衝突し、両者ともウォールに激突した。2人とも怪我はなかったがマシンは大破。当然の事ながらマイケルは激怒し、チームオーナーがモントーヤのガレージに怒鳴り込んで乱闘騒ぎになった。一方のモントーヤ本人は涼しい顔でニヤニヤしながらインタビューに応じていた。
  • ジャック・ヴィルヌーヴとは1998年の初対面の時から仲が悪かった。20年後のインタビュー取材ではモントーヤも「あれ(ヴィルヌーヴとの不仲)はちょっとした若気の至り」だったと認めているが、2001年のカナダGPの決勝朝のドライバーミーティングで、金曜プラクティス走行でのモントーヤのドライビング(ブレーキテスト)を巡って両者が口論となり、モントーヤが「お前はオーストラリアでマーシャルを殺したな!」と暴言を吐いたため、ヴィルヌーヴが掴みかかった(注:2001年オーストラリアGPでヴィルヌーヴが当時モントーヤのチームメイトだったラルフ・シューマッハに追突し、マシンが宙を舞う大クラッシュをした際、コースマーシャルのグラハム氏が巻き添えとなり死去した)。ドライバー同士の口論は珍しくはないものの、この発言内容はチームオーナーのフランク・ウィリアムズも問題視し「また同じ事を言ったらクビにするぞ」と厳しく叱責した。ちなみに、原因となった金曜日のフリー走行での出来事は、モントーヤがブレーキテスト(故意に速度を落として挑発する行為)を行い、ヴィルヌーヴも敢えて避ける動作をせずに突っ込んだもので、FIAは両者に非があったとし「レース中に接触を起こしたら両者とも出場停止処分にする」と警告した。その後の関係は改善しており、2019年のドイツGPでは、パドックでヴィルヌーヴと談笑している様子をメディアに捉えられている[2]。モントーヤ曰く「2007年のNASCARで久しぶりに会って話す機会があって、それからはよく話をしている」という[2]
  • 2002年ベルギーGPの予選、ホットラップ中にバスストップ・シケインのブレーキングでキミ・ライコネンにラインを塞がれてしまう。その直後、チームラジオで「fuck Raikkonen, what a fuckin' idiot!」と罵った。
  • 2004年サンマリノGPのオープニングラップでミハエル・シューマッハフェラーリ)に押し出されたモントーヤはレース後のウィニングランでシューマッハの車に近づき、ファックサイン。レース後の記者会見でもシューマッハが「外側から誰かが来ているとは知らなかったし見えていなかった」と発言したのを聞いて、「俺は確かにお前の前でブレーキを踏んだ。あれが見えないのはバカか盲目だ!」と怒鳴りつけた。
  • チーム関係者の送別会でのこと。皆でメッセージカードに寄せ書きを書いていたところ、モントーヤがやってきてそこに「fuck off!」(出て行け)と書いた。
  • ウィリアムズでのチームメイト、ラルフ・シューマッハとの険悪な関係が知られている。その緊張した関係がピークに達した2005年のモナコGP練習走行中に、後ろを走るシューマッハに「ブレーキテスト」を仕掛け、それが発端となり4台が絡む接触事故を起こしたとされモントーヤに決勝グリッド降格処分が下された。ただし、2人とも移籍でウィリアムズを離れた後では話をして笑い転げたりする仲にもなった。
  • 2005年にレース外で負った肩甲骨の骨折を、ウィリアムズの公式リリースでは「体力トレーニングのテニス練習中、ボールに乗って足を滑らせたため」と発表したが、本当は「オートバイで遊んでいて転倒」だったという説も流れた。
  • 息子のセバスチャン・モントーヤもレーシングカートの道に進み、2017年からはヨーロッパでカートを戦っている。2019年現在はトニーカートのワークスドライバーとして、フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)のサポートを受けた[2]

F1での記録に関して 編集

  • レース結果で見ると、相性の良いサーキットはイギリスGP。6年全て完走しており、1位〜6位までの順位が1回ずつという珍しい記録を残している。一方、カナダGPは相性が悪く、2003年の3位表彰台以外は2年連続の失格を含めて全てリタイアである。母国に近いアメリカGPの完走率も40%(2005年は含めず)と低く表彰台も無いため、レース結果としての相性は良くない。

ドライビングテクニック 編集

F1では不遇であったが、CART時代は特に1999年のルーキーイヤーはロード、ストリート、オーバル共に抜群のドライビングテクニックを持っていた。2006年から参戦しているNASCARでも、同僚のジェフ・ゴードンなどのドライバーからドライビングテクニックは高く評価されている。福山英朗はモントーヤが参戦して間もない頃の日テレG+の解説で、F1などよりNASCARやCARTの方があっていると評しており、単純なサラリーもさることながら様々な収入でF1より多くなるとも述べている。オーバルでは2000年に初参戦したインディ500で、他を寄せ付けない圧倒的な速さで優勝し、2009年の春のタラテガでポールポジションをとるなどしている。これを見てもモントーヤのあらゆるコースの順応性の高さを示す物である。

2001年にF1に移籍したその年のインディアナポリスモータースピードウェイで行われたアメリカGPにおいて、解説の鈴木亜久里は「モントーヤはバンクの使い方が上手いね」とコメントをしていた。モントーヤはそれまでCARTで同コースやミシガン等のオーバルコースで優勝していることもあり、この日のレースでも巧みなバンクのコース取りからこの年の王者であるミハエルを豪快に抜き去っている。

2007年より参戦しているNASCARでも2トン近くあり、ハイテクを一切禁止された操縦しにくいストックカーを器用に運転できるテクニックも持ち合わせており、事実NASCAR・ネクステルカップシリーズでの初勝利は『32番グリッドから優勝』し、インフィニオン・レースウェイでの最も後方からのスタートでの優勝、加えて燃料補給のタイミングからガス欠不安を抱えていた状態からの優勝であった。

カーナンバー 編集

CART
  • 4(1999年)
  • 1(2000年)
IRL/IndyCar
  • 9(2000年)
  • 2(2014年~2016年)
  • 22 (2017年第5〜6戦)
F1
  • 6(2001年.2002年)
  • 3(2003年.2004年)
  • 10(2005年第1, 2, 5~16戦)
  • 4(2006年第1~10戦)
NASCAR
  • 42(2007年~2013年)

脚注 編集

外部リンク 編集

タイトル
先代
リカルド・ゾンタ
国際F3000選手権
1998年
次代
ニック・ハイドフェルド