おたく

日本で、ポップカルチャーの愛好者を指す言葉
オタクから転送)

おたくとは、サブカルチャー愛好者を指す言葉で、1970年代[1]に生まれたとされる日本独自の呼称。 特にアニメ漫画ゲームなどの消費的な趣味を持つ人たちを指すことが多いが、明確な定義があるわけではなく、現在はより広い領域のファンを包括した言葉である。オタクまたはヲタクとも称される。

東京・秋葉原の電気街。中央通り万世橋から第一半田ビルを望む(2013年)
秋葉原駅頭。改装前の秋葉原ラジオ会館が見える(2003年)

歴史編集

「おたく」の語源と由来編集

「おたく」は元々、相手の家を指す敬称として江戸時代から使われており、相手の家庭、夫を指す敬称として使われた。その後、会社など相手の集団を呼ぶ敬称にも使われ始めた[2]

1950年代から青年層を中心に、相手個人を指す敬称としても使われ始めた。小林信彦によれば、学生が「おたく」という言葉を発したのを耳にしたのは1950年代前半の学生運動の時で、初対面の人に対する「きみ」でも「あなた」でもない「距離をおいた呼びかけ」として面白かったとしている[3]

私的な場面で用いる二人称敬称としての「お宅」は鈴木孝夫によれば一部のサラリーマン階級から始まったとされ、「あなた」でも「おまえ」「きみ」でもない、ヒエラルキー(身分・階級)に無関係な対称語を求めていた彼らの無意識の努力の現れではないかと述べている[4]

1960年代、日本SFファンダムの父である柴野拓美が「年齢や立場の差を越えて、対等な関係を築ける、話し相手への呼びかけ語」として、「おたく」を使い始めた[5]。愛好者を指す俗語としての「おたく」は柴野拓美が初出とされる。

その後も、相手個人を「お宅」と呼ぶ用法は、若者言葉のような形で一般的に使われるようになり、1980年代のアニメ・SFファンの一部の間でも使われていた[6]ミュージシャンサエキけんぞうは、ツイッターで「おたくという語源は、1970年代後半、平井和正ファンの間で使われたとか?」「最初、マニア間で使われ始めた時、一種の謙譲語の様なニュアンスで使われたような雰囲気。その後、差別用語に(笑)」[7]とツイートし、当時は蔑称・差別用語としての意味はなかったと語っている。

『おたく』の研究編集

1980年頃から「お宅」という呼称を揶揄する動きが生まれ、中森明夫ロリコン漫画雑誌『漫画ブリッコ』(白夜書房)誌上で1983年6月号から8月号まで3回連載したコラム「『おたく』の研究」において、コミケに群がる若者をおたくと呼ぶことを提案した。

コミケット(略してコミケ)って知ってる?いやぁ僕も昨年、二十三才にして初めて行ったんだけど、驚いたねー。これはまぁ、つまりマンガマニアのためのお祭りみたいなもんで、早い話しマンガ同人誌やファンジンの即売会なのね。それで何に驚いたっていうと、とにかく東京中から一万人以上もの少年少女が集まってくるんだけど、その彼らの異様さね。なんて言うんだろうねぇ、ほら、どこのクラスにもいるでしょ、運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴らが。モロあれなんだよね。(中略)

それでこういった人達を、まあ普通、マニアだとか熱狂的ファンだとか、せーぜーネクラ族だとかなんとか呼んでるわけだけど、どうもしっくりこない。なにかこういった人々を、あるいはこういった現象総体を統合する適確な呼び名がいまだ確立してないのではないかなんて思うのだけれど、それでまぁチョイわけあって我々は彼らを『おたく』と命名し、以後そう呼び伝えることにしたのだ。

どうして『おたく』って名づけられたのかとか、『おたく』とは何かなんて疑問には次回からゆっくりと本格的に答えていくことにして、でもなんとなく感じつかめるでしょ、君の廻りを見廻してごらん、ホラいたいた、『お・た・く』が――

ところでおたく、『おたく』? — 『漫画ブリッコ』1983年6月号、『おたく』の研究(1)街には『おたく』がいっぱい[8]
さて前回は、この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達を『おたく』と名づけるってとこまで話したんだよね。『おたく』の由来については、まぁみんなもさっしがつくと思うけど、たとえば中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会とかで友達に「おたくらさぁ」なんて呼びかけてるのってキモイと思わない。(中略)

それにさぁ、奴ら男性的能力が欠除してるせいか妙におカマっぽいんだよね。二十歳越えた大の男がだよ、お気に入りのアニメキャラのポスターが手に入ったとかで、うれしさのあまり「わーい」なんちゃって両ひざそろえてL字型にうしろに曲げ、ピョンって跳びはねてみせたりさ(この“両ひざそろえL字曲げぴょんハネ”が奴らのフシギな特徴ね)ドジ踏んだ時なんか「ぐっすん」なんてゆって泣いたふりしたりさ、キモチ悪いんだよホント。だいたいこんな奴らに女なんか出来るわけないよな。

でもさぁ、結局世の中誰でも最後は結婚するんだよね。で『おたく』は誰と結婚するのかなぁってずっと不思議だったんだけど、おそろしい事実に気づいたね。なんとこれが、『おたく』は『おたくおんな』と結婚して『おたくこども』を生むのであった。ジャンジャン。 — 『漫画ブリッコ』1983年7月号、『おたく』の研究(2)『おたく』も人並みに恋をする?[9]

この文章は当時の読者から猛反発を買うことになり、怒り・反感の投書が殺到した。編集としても静観するわけにもいかず、1983年8月号で「『おたく』の研究」は休止となり、1983年9月号の読者投稿欄「新宿マイナークラブ」で代表的な読者の反応を掲載するとともに、大塚英志は「『おたく』の人間に対しては、私も不快感を抱くことがしばしばあります」としながら、「相手の立場をからかうなら、自分の立場をふまえてからでないと、単なる誹謗中傷に終わってしまいます」と中森を非難した。その後、「『おたく』の研究」は1984年1月号で終了した。その後、大塚は1984年6月号の読者投稿欄で再度、「おたく」についての立場表明を行い、「中森氏の「おたくの研究」についてぼくは担当の緒方に対し毎回、『不快感』を表明してきました。中森氏の文章は<健全な批判>ではなく<差別>を目的としたものと目に映ったからです」と改めて非難したがその一方で、「最終的には登場をご遠慮願うことになったのですが、意外だったのは中森氏の文章に読者を含めて、相当の支持者がいたことです。たしかに感情的な文章と<おたく>という語の差別用語としての秀逸さ(?)は無責任におもしろがるには充分のものだったといえます。結局のところ、<おたく>なる語はすっかり定着してしまいました」[10]と述べた。

これに対して、打ち切りと同誌からの追放を言い渡された中森は、最終回で以下の様に述べる。

……『ブリッコ』じゃ3回ほど「おた○の研究」ってのを連載して反響いちぢるしかったんだけど、どうやらおた○ってのは差別用語に指定されちまったらしく使えなくなってしまったのだ — 1984年1月号 『おたく』の研究 岡崎京子・桜沢エリカはなぜ『ブリッコ』でウケないのか[11]

おたく差別編集

1988年(昭和63年)から1989年平成元年)の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件ではマスコミが犯人である宮崎勤の異常性とおたく趣味を結びつけてセンセーショナルに取り上げ、全国に報道された。犯人は特撮アニメのビデオテープ、漫画、アニメ雑誌などを多数収集しており、その中にあったホラー物やロリコン物がことさらに取り上げられ、事件と関連付けて報道された[12][13]。多くの人々はこの事件の報道を通じておたくを理解したので、「おたく=変質者・犯罪者予備軍」といった認識が浸透するようになった[12][13]。この時期、「おたく」という言葉は放送問題用語とされ、テレビ放送で使用できない言葉であった。現在でもこの影響は残っており、おたくを性犯罪と結びつける報道がなされることがある[14]

1990年代編集

1990年代には依然として「おたく=変質者・犯罪者予備軍・社会不適応者」とみなす論調がある一方で、日本国外でのアニメや漫画に関する報道や、岡田斗司夫などの著名なおたくによる情報発信により、おたくへの悪い印象はやや薄れ、おたくの社会的地位は若干ながら向上した[13]。しかし宮崎事件から10年後の1998年(平成10年)から1999年(平成11年)にかけて大学生を対象に行われた調査によると、おたくへの印象はまだ否定的な感情が優越していた[14]

2000年代編集

2005年(平成17年)には秋葉系アニメオタクの青年が主人公である『電車男』がドラマ化や映画化され大ヒットし、同年の流行語大賞に「萌え」や「メイドカフェ」がノミネートされるなどオタク文化が世間一般に広まり始め、おたくへの印象は少しずつ良い方向に変わっていった[15][14]。この頃から、副次的な要素にすぎなかった「萌え」がおたく文化の主要な要素とみなされるようになった一方、「おたく=何かに萌えている人」「おたく=秋葉原にいる人」という偏見も生まれた[13]。また、この頃からクールジャパンが唱えられるようになると、おたくはその主体として重要視されるようになった。ただ、求められていたクールなおたくのイメージは実態と異なるものであった[15]
2000年代後半から『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)『らき☆すた』(2007)といった京都アニメーション作品を中心とした深夜アニメブームや、聖地巡礼ブームなどで認知が進み[16]2007年(平成19年)に大学生を対象に行われた調査によると、おたくが受容される傾向にあることが示されている。調査では、自らがおたくであると思い当たるフシがある、親しい友人におたく的な人がいると答えたものが増加しており、おたくの内集団化が進んだと考えられる。

2010年代編集

おたく文化が完全に一般大衆文化メインカルチャーとなり、おたくコンテンツが世に溢れるようになった結果、おたくコンテンツが以前よりも人目につきやすくなり、ゾーニングや表現規制条例である東京都青少年の健全な育成に関する条例などを巡って激しい争いが起きたり、フェミニストから相次いでおたく非難がされるようになる[17]。おたくの地位向上に伴い、「おたく差別は偽史」という主張までされるようになり、当時を知るおたくからの反発を生んでいる[18]

定義編集

 
コミケ黎明期に出没していた蛭児神建は「おたく」が公然化する以前[19] に“プレおたく”のパブリックイメージロリコン変質者としてなぞらえた[20]。これについて大塚英志は「中森明夫が『おたく』の語をもって外からコミケに集う人々をカリカチュアライズするより前に蛭児神建の異装は既におたく自身による『批評』としてあった」と指摘しており[20]、後のステレオタイプなオタク像にも少なくない影響を与えたとされる[21]

「おたくとは何か」という定義は、未だに確立していない。その時々により、また論者によりその言葉が意味するものが一定ではない[22]。俗には、萌え秋葉系といったキーワードと強く結び付けられることがある。

辞書的には、ある趣味・事物には深い関心をもつが、他分野の知識や社会性に欠けている人物として説明される[23][24]。辞書の定義にあるような否定的な人物像は、アニメ・SFファンによって自嘲的な自己像として語られていたものである[25]

「おたく」という語はしばしば漫画アニメーションゲームなどと強く結び付けられ理解される傾向にあるが、鉄道マニアカメラマニア、SFファンや電子工作ファン、アイドルおたくオーディオファン、あるいは勉強しか取り柄のない「ガリ勉」などまでもイメージさせる語であった[26]。また、この言葉はアニメ・SFファンだけに限らず、普通とは見なされない趣味を持つ人、社交性や対象となる趣味以外の常識に欠ける人に対しても使われるようになった[27]

1989年には東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件がセンセーショナルに取り上げられ、犯人が特撮やアニメビデオの収集家だったことから、メディアに拡大解釈、歪曲されて拡散され、オタクは犯罪を起こす危険人物の変質者異常者である、というネガティブキャンペーンが大々的になされた。この頃、おたくという言葉はほとんど蔑称差別用語として使用されており、NHKでは放送禁止用語となっていた。現在でもオタクを否定的に捉える人々はこの事件にまつわる報道に影響を受けている場合が多い。また、フリーライターとして活動していた宅八郎が「おたく評論家」を自称し、まるで精神異常者のような扱い(宅本人も、意図的に狂人を演じていた)でテレビ番組に多数出演したことも「オタクは趣味に没頭し過ぎて精神が破綻した狂人、異常者」というレッテルが貼られた大きな要因となった。なお、ぬまきちマスメディアにおけるオタク像のベースとして作家編集者蛭児神建[19] こそが起源であると主張し[28]、宅のスタイルについても蛭児神をメディアに出せるようマイルドにしたものに過ぎないと評している[21][29]

おたくは広い意味をもつ言葉となったため、おたくとその文化を再定義する試みはたびたび行われてきた。評論家岡田斗司夫はおたく文化を創作作品の職人芸を楽しむ文化としてとらえていた[30]精神科医斎藤環はセクシュアリティがおたくの本質であり、二次元コンプレックスを持つのがおたくだとした[31]哲学者東浩紀サブカルチャーとの結び付きを重視した[32]。ちなみに岡田によれば、1990年代頃からは否定的な意味は薄れ、おたくという言葉は肯定的に用いられるようにもなったという[33][34]。また、なにかの趣味に強いこだわりをもつ人物という意味でも使われている。この意味では、こだわりの対象に対して、所得や余暇時間のほとんどを費やす「消費性オタク」と、「自分の趣味を周りに広めたい」「創造活動をしたい」と考える「心理性オタク」とに分類される[35]

類語・類型編集

古くは伊達者や酔狂者ともいい、「伊達や酔狂ではない」といった慣用句は、本来は生業と趣味の違いをさしたものである。いわゆる生業としての糧を得るために物事に没頭や陶酔するのと、「道楽」に没頭や陶酔することを分け隔てて考えていた。その他に好事家や物狂いなどがあり、現在では、愛好家とされるが、物狂いや酔狂からの転用で、「~狂」や「~きちがい」などの乱暴な言い回しがある。

マニア・知識人・学者との違い編集

強い興味や関心を持つという点でおたくはマニア知識人学者とあまりかわらない[36]社会通念上、あるいは評価者が個人的に許容しにくい趣味、外見的な容貌や行動様式の場合、偏見をこめ否定的におたくと呼ばれ、好意的に表現する際にはマニアと呼ばれるという意見も見られる[36]。概して、作品などについて評論など生産的活動を行ない、それが社会に受容されていれば知識人・評論家と名乗ることも可能だが、おたくは消費のみにとどまる(歴女テツ(鉄)、声優のそれに対する「声豚」[37]など。「アニメ評論家」として著名なのは藤津亮太のみ。「声優評論家」は未だ存在しない)。

違いに関する意見編集

  • 評論家
    • 岡田斗司夫は、それが民俗といえるかどうか、すなわち独自文化を作り上げるかどうか、がオタクとマニアの違いであるとしている。マニアはできないが、オタクは「オタクっぽい服や口調」のように独自の文化を作り上げることができる、とオタクをポジティブに評価している[38]
  • 社会学者
    • 宮台真司は、マニア・学者とオタクの違いとして、前者は(例えばマニアであれば切手収集、学者であれば恐竜の研究など)その趣味を好むこと自体には他者にとっても理解可能であるが、後者については、その二次元コンプレックスなどが他者には理解不可能であるという違いを挙げている[39]。また別の説明として、マニアの没入対象には性の自意識が関係していないが、オタクの場合はそれが関係しているという点[注 1]を挙げることもできるという[41]。宮台の整理によると、1977年頃から若者の間で「オタク系とナンパ系の分岐」が発生しており、(魅力的ではなくなった現実を乗り切るために)現実を記号的に装飾し性愛に積極的にコミットするという方法(現実の虚構化)を選択したのが「ナンパ系」であり、逆に性愛から退却し虚構を駆使して現実から遠ざかる方法(虚構の現実化)を選択したのが「オタク系」となる[42]
    • 大澤真幸は、おたくと専門家・趣味人の区別として「意味の重さと情報の密度の不均衡」を挙げている。すなわち、通常であれば意味がある情報だからこそ集積されるという比例関係にあるのに対し、オタクの場合は意味の繋がりを持つことなく情報の集積それ自体が目的化しているのだという[43]
    • 樫村愛子は、1970年代には(単なるマニアではなく)コミュニケーション能力や時代への適応能力の欠如といったネガティブな面がオタク(文化)の重要な特徴となっていたが、近年ではマニアを含めた広い意味で用いられる傾向があるとしている[44]

おたくの変遷編集

世代的遷移編集

時代の変化に合わせておたくも変化してきた。1960年代生まれを第1世代とし、1970年代生まれを第2世代、1980年代生まれを第3世代とする、東浩紀の行った分類が現在の議論で広く用いられている[45][46]。ここでは個人の違いは捨象し、世代ごとの傾向を概観する。

プレおたく世代(1950年代生まれ)編集

[47]

基本的にSFファンで、劇画の登場により漫画は大人も読むものとして認められつつあったが、「アニメは子どものもの」という風潮の中で育った。「しらけ世代」と言われた世代にあって、成人後も趣味的に漫画を描いたり、漫画・アニメ・SFを特に好み玄人はだしの評論を行う一群が現れ、彼らはマニアと呼ばれた。彼らが開催したSF大会日本漫画大会などは、その後の同人誌即売会に繋がる文化の先駆けとなった。子供向けと考えられていたものの中に、大人でも楽しめるものが存在し、また、作品から派生する二次創作、サークルやイベントでの交流など、オタクの特徴とかさなる部分があり、後のオタクの母体となったという指摘もある[48]

オタク第一世代(昭和三十年代/1960年代生まれ)編集

宇宙戦艦ヤマト』に始まるアニメブームを起こし、コミックマーケットなど現在に至るイベントの基礎を築いた。「新人類」と言われた世代であり、幼少期には『ウルトラマン』『仮面ライダー』『マジンガーZ』といった怪獣・変身ブームの洗礼を受け、しばしば特撮への嗜好を持つ。
少年期にSFが世界的なブームを迎え、その作品は日本のおたく文化にも大きな示唆を与えた。彼らが好んだ漫画やアニメ、SFは、学生運動を主導した焼け跡世代団塊世代の抱いていた社会変革思想の対抗物として意識されていたため、彼らのオタク趣味全般に韜晦や理論化・体系化への指向が強い場合が多く、オタクコミュニティ内のジャーゴンとしてキーワード化を行っていた。

オタク第二世代(昭和四十年代/1970年代生まれ)編集

幼少期に『機動戦士ガンダム』に代表されるアニメブームの洗礼を受け、広くアニメなどが趣味の範疇に受け入れられた。これらの作品がSFを基底として、架空の技術体系を構築する手法をとったため、提供される側はその架空の技術体系を網羅したがる方向性も見られる。「ガノタ」(ガンダムオタク。ガン―オタが綴りから“ガノタ”と変形)に代表されるシリーズ作品内の知識体系のみに耽溺し、現実の知識体系とのすり合せを行わない傾向(物語消費)も派生させた。
末期新人類(バブル世代)と団塊ジュニア1970年代後半生まれ(つながり世代)に相当し、1980年代のテレビゲーム・パソコン趣味の担い手となり(ファミコン世代)、『少年ジャンプ』に代表される日本の漫画の隆盛期を担った。また、この時期にはライトノベルが成立し、この世代以降、日本のおたく文化の影響を受けた海外コンテンツの"逆輸入"が盛んになる2010年代までは海外作品とおたく文化の繋がりは希薄になる。ロボットアニメ最盛期に育った世代でもあり、プラモデルもこれらの作品に関連した製品が登場して一大市場を築き、その受け手(消費者)となった。
1978年(昭和53年)の『アニメージュ』をはじめとするアニメ雑誌の相次ぐ創刊、社会現象となったガンプラブーム、1980年(昭和55年)のアニメポリス・ペロ(創業当時は「アニメショップ――」)や、1983年(昭和58年)のアニメイトなどの専門店の創業などにより、児童向けでないアニメ市場の存在が認知され始めた。
なお、この世代の親(1940年前後生まれ)は、『仮面ライダー』の石ノ森章太郎や『機動戦士ガンダム』の富野由悠季、『風の谷のナウシカ』の宮崎駿など、アニメ、特撮の大作家が多い世代である。

オタク第三世代(昭和五十年代/1980年代生まれ)編集

1990年代後半に『新世紀エヴァンゲリオン』の洗礼を受け、セカイ系と言われるムーブメントの担い手となった[48]。この時期にはアニメやコンピュータゲームが商業的に成功したことで、趣味の一つとして市民権を得るようになり始め、メインカルチャーとサブカルチャーの差が薄れた時代に育った。そのため、オタク趣味に後めたさや韜晦意識を持たず、単に多様な趣味の一つとして、アニメやゲームを楽しむ者も増えた。おたく向け商品の市場も拡大し、電気街として知られた秋葉原の様相を、漫画・アニメ・ゲームの街として激変させた。
1980年代後半に生まれた世代(ネット娯楽世代)は、高校時代までにインターネットが普及し始めた世代であり、インターネットをテレビや雑誌などと同質の情報媒体として利用していることが窺える。これは、1970年代後半に生まれた世代(つながり世代)が、インターネットを独立した一つのメディアとして捉えたのとは対照的である。
第三世代以降の世代ではオタク趣味が一般的なものとなり、おたくコミュニティの拡散化と嗜好の分裂化・多様化がかなり進んでいる。

オタク第四世代(1990年代生まれ)編集

インターネット利用が一般的な環境の中に育ち、従来の世代が遊び場や友達・仲間を広場や公園・路地裏に求めたのと同質の感覚で、コンピュータネットワーク上のネットコミュニティにも求めていった世代である[48]。インターネットなどを通じて知った海外のアニメ・コミック作品に傾倒したり、復刻ブームから1960年代1990年代のアニメや漫画や玩具が容易に手に入るようになったことから、親(オタク第一世代)の少年時代に流行した作品やアイドルに熱中するおたくも相当数生まれており、ある種の世襲制度のような状況も生まれている。
第三世代と第四世代は世代文化にあまり違いがなく、嗜好や文化のかなりの部分が重なる。2005年に、おたくを肯定的に描いた『2ちゃんねる』発の恋愛物語『電車男』が映画化・ドラマ化され共に大ヒットしたことや、同年の流行語大賞に「萌え」及び「メイドカフェ」がノミネートされるなど、一般社会へオタク文化が急速に浸透したことで、第三世代以降のおたくは、おたく趣味を楽しむことに対する恥や韜晦の意識がほとんどないことが特徴で、中川翔子など自らオタクを称するタレント芸能人も増えた。ヤンキーでありながらおたく趣味を好む者も現れ、いわゆる痛車やレディース(女性暴走族)によるコスプレ[49] などに見られる暴走族文化との融合という現象も発生している(→暴走族#社会の対応)。
ニコニコ動画」などの動画投稿サイトの台頭もこの頃で、京都アニメーションの『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)や『らき☆すた』(2007)や、『初音ミク』を使用したVOCALOID楽曲などが流行した。

オタク第五世代(2000年代生まれ~)編集

いわゆるZ世代であり、PCよりもスマートフォンでインターネットに触れる機会が多くなった世代。2010年代以降、ソーシャルゲームの流行や街頭広告への採用などによって、いわゆる萌え絵にほぼすべての層が触れるようになった。テレビ,電子掲示板,TwitterなどのSNSなどでオタク文化が拡散したことで、マニアックな話題で交流を行うことが広く理解された。外国人からの注目もあり、日本政府がクールジャパン戦略で観光資源として活用するまでに至っている。
1990年代後半から徐々に進んできた、おたくの低年齢化、カジュアル化の傾向が『鬼滅の刃』の大ヒットによって一層進んでいる。おたく文化にカジュアルに親しんできた世代(おたく第三世代)が社会の中核を担う年代にさしかかりはじめ、もはやおたく文化はかつての「サブカルチャー」ではなくなり、主流文化に取り込まれている。
2000年代から2010年代にかけて『AKB48』や『ももいろクローバーZ』などのブレイクによりアイドルブームが起こった。AKBのヒットにより、「推し」という言葉が一般化したほか、オタクという呼称そのものも半ば陳腐化し、「オタ」と気軽な呼び方で使用されるか、「鉄オタ」「特撮オタ」のようにアニメ、漫画、ゲーム以外のジャンルのオタクに対して使用されることが増えた。オタとだけ言えば基本的にアニメ、漫画、ゲーム、アイドル趣味を指すようになったため、「アニメオタク」という表現はほぼ姿を消した。「オタク第五世代」についての定義や研究は少ないが、これは若者文化あるいは2010年代以降の文化を研究することが、そのままオタク第五世代(と仮称される)文化の研究になるからだと考えられる。

おたくと地域性編集

日本編集

おたくの在り様に関しては、日本でも地方によって専門店の有無・関連媒体の流通量やコミュニティによって、若干の地域性が見出せる。この中には21世紀に入って急速に各県庁所在地を中心に、おたく向け専門のチェーン店が進出するなど一様化も進むが、それでもコミックマーケットなど大都市圏に集中しがちな大規模な催しもの(イベント)や、地域によってアニメ放送本数の格差もあり、2000年代以降でも依然として「東京都心周辺」「政令指定都市および首都圏近畿地方中京圏福岡・北九州都市圏」「県庁所在地」「その他の市・町・村」において「おたくの地域格差」も見られる。後述するように、特定の地域にそれら文化発信拠点が集中して発展する様子も見られる。

  • 一般的に、北海道地方東北地方はおたくにとって厳しい環境だといわれていた。しかし北海道・東北地方の中心都市である札幌市仙台市などの政令指定都市ではとらのあなメロンブックスなどの出店が進んでいる[50]。ただし仙台市がある宮城県にはおたく文化の発信源の一つであるテレビ東京系列局がない事情がある。2011年以降テレビ東京系列局が開局する計画があったが、ネット社会到来の影響からか2014年現在でも実現していない(仮に開局されたとしても、仙台市以外の地域で視聴できるとは限らない)。なお、東北地方や新潟県に関しては保守的な地域と思われがちだが、大都市圏以外の地方と比較して特に保守的であるという根拠はなく、宮城県・岩手県・新潟県などはむしろ全国的にも突出して多くの漫画家やクリエイターを輩出している。
  • 同じ「地方」でも、瀬戸内の広島市岡山市松山市や、北陸の金沢市新潟市は大手ショップなどがある程度進出しており、また地場資本のショップも多いなど、おたくにとって比較的暮らしやすい地域であると言われている。また、徳島市では年に2回マチ★アソビが行われ、地域ぐるみでのイベントが充実している。
  • ケーブルテレビやBS・CSデジタル放送放送の普及、またYouTubeの登場やネット通販の浸透などによって地域格差は若干ながら緩和されつつある一方で、大都市圏から外れた地域(特に仙台市周辺以外の東北地方、テレビ北海道送信エリア外(道東方面)の北海道地方、石川県・新潟県以外の北陸地方、瀬戸内以外の中国・四国地方、福岡県以外の九州・沖縄の各県(特に長崎県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県)はネットやCS環境が整っている現代においても、オタク文化が育たないとされている。しかし、そうした地域においてもオタク文化が盛んになって来ているところがある。宮崎県は宮崎市中心市街地にある一番街にメイド喫茶が、南宮崎駅前のビルにはアニメグッズを取り扱うカフェもオープンしたりオタク系DJイベントが開催されたりしている。ただし、オタク文化が育たないとされている地域は元々それらが盛り上がる土台がなく、そもそもおたく向けのアニメが放映されていない場合が多い。そのため、オタク系イベントをしていても地元出身アニメーター原画展のような小規模の物のみである。県外からの集客を期待できる大規模なオタク系イベントを開こうと企画できる人物に乏しい上、ほとんどの県の関係機関も協力に消極的であるため開催できない。実際、同人誌即売会もコミケットの関わらない小規模の物しか行われていない。さらにアニメイト以外の大手アニメショップが進出する気配が全くなく、過疎化や都市への若者流出、少子高齢化でオタク街ができる程にはならないなどオタク文化が育つ可能性はゼロに近い。

オタク文化の海外での受容傾向とその変化編集

海外では1990年代中後半より、一種の尊敬の意味を込めてオタク (Otaku) が使われていた。アニメ (Anime) を始めとする日本発のポピュラーカルチャー愛好者を指す名称であり、好んで自らを Otaku と称するものも存在した。

中華人民共和国でもおたく(御宅族)は日本と同様にゲームやインターネットなどといった屋内で遊べる娯楽に没頭、あるいはサブカルチャーなど特定の分野に詳しい人を指す言葉として定着している。そのイメージから、一般的な人々と比べると外出頻度の少ない人を指すこともある。現代では日本のコスプレ文化やアニメ・漫画・ゲーム(ACGと総称)に触れることが容易になっており、若年層を中心にサブカルチャーに興味を持つ人が増え、中国独自の文化も育ってきている。

中華民国台湾)では映画『電車男』の上映以来、「オタク」の中国語表記として「阿宅」や「宅人」、「宅男/宅女」などの言葉が見られるようになった。メディアによって誇張されたそのイメージから本来の意味とは別に「外出頻度の少ない人」の意味として使用されることもある。

なお、日本のポップカルチャー全般を熱心に愛好する「日本おたく」は哈日族と呼ばれる。

オタク文化に対する日本と他の国における認識・受容の違い編集

オタク文化に対する受け止め方は、日本および中国語圏と、それ以外の国においてはいくつかの点で異なる。その一つが欧米で古くから盛んに行われているファン大会 (Convention) という活動で、その年齢層も幅広い。

アニメコンベンションにおいては、Fan-cosReenactment (史的事実再現)と呼ばれるコスプレが行われる。SFやファンタジー映画の公開に観客がコスプレをしてくることが一般的であるように、ファン大会会期中、会場外でもコスプレを行うことが許されており、会場となる地域の市民もそれをイベント的なものとして受け止めている。コスプレ自体は日本でもファン活動として一般的だが、日本では会場外でコスプレ衣装のまま行動するのは「禁忌」という暗黙のルールが存在する。軍装や警察官のスタイルをする者もおり、これが軽犯罪法(第1条第15項)に抵触するためである。

ただし、欧米においても Fan-○○二次創作のイラストやマンガ、小説、マンガ・アニメ作品の翻訳)といった形で活動が行われることはあるが、日本の同人誌即売会などに見受けられる商業的な行為との結び付きは殆ど見受けられない(寄付を求めることはある)。むしろ、採算を度外視して純粋に活動を楽しみ、ファン大会では交遊や情報交換を楽しむといった傾向が強い。

英語における「おたく」の類似語編集

英語(米語)では、日本でのオタクに近い意味を表すためにはNerdナード)という言葉で表現され、パソコンオタクや電子工作オタクを指す場では geekギーク)が用られる。また(wizard)ウィザードの略語である(wiz)ウィズを単語の後に付けコンピューターウィズなどと使う表現もある。しかしこれは魔法使いと言う意味も含むため宗教的問題から、近年は余り用いられることはない。また、日本のおたく文化を愛好する層はWeeabooウィアブー)と呼ばれ、日本のアダルトゲーム(エロゲ)を由来として、オタクのことを(日本語の意味を知らずに)"hentai"と呼ぶアメリカ人もいる。

  • アメリカのナードに付いて歌われた曲White & Nerdy参照。
geek
nerd
dork, dweeb, goon, および doofus など
いずれも「間抜け」「弱虫」「無能」といった否定的な意味合い。スクールカースト下位者に対する蔑称。
Anorak
主としてイギリスの鉄道マニアに対する蔑称。アノラックを着る者が多いことから。
Weeaboo, Wapanese, Weeb
三つとも欧米人に対して欧米人が使用する、「日本かぶれ」という意味の単語。

オタク街・おたくに関係する地域・地域関連事象編集

おたくの文化・消費行動に特化した業態が集中する地域や、またはその地域に関連して発生した事象など。

  • 札幌駅前〜狸小路札幌市) - 駅前には大手電化製品量販店、狸小路までの街道にはいくつかのオタク向け店舗がある。
  • 仙台駅仙台朝市周辺(仙台市) - 特に西口の「イービーンズ」に密集しており、「エンドーチェーン仙台駅前店」時代は人気声優を招いてイベントを行ったりもしていた。
  • 水戸駅周辺(水戸市) - 北口のマイムビル(旧丸井)にアニメショップや同人ショップが密集している[51] 他、南口にも家電量販店(かつては北関東唯一のソフマップもあった)があり、OPA水戸サウスタワー)にはアニメガ(マイムビルから移転)がある。両ビルでは近隣の大洗が舞台の『ガールズ&パンツァー』のオンリーショップが出店したことがある。
  • 曲師町・オリオン通り宇都宮市) - 「宇都宮Festa」にオタク系ショップが密集するほか、近隣にはコスプレ喫茶がある。また、中核市では唯一まんだらけがある。2012年にはらしんばんが出店し、同人ショップの激戦区となりつつある。
  • 大宮駅周辺(さいたま市) - 大宮駅西口にアニメショップなどが集中している。なおとらのあなは東口にある。
  • 秋葉原(東京都) - 電器店で売られるパソコンや家庭用ゲーム機とそれらのゲームソフト、各種映像・音楽ソフトなどからオタクの街へとし発展していった。男性向けの最新作品を扱う店が多い。AKB48の本拠地でもある。
  • 神田神保町(東京都) - 過去に1980年代から1990年代初期にかけて、同人誌やアイドル関係のグッズを扱う店が集積するオタクの街として知られていた。
  • 池袋 (東京都)- 「乙女ロード」(または「オタク通り」)と呼ばれる地区があり、男性中心の秋葉原に対し、女性のオタクや腐女子の人気を集めている。
  • 中野(東京都) - 「中野ブロードウェイ」は「オタクビル」の異名を持ち、まんだらけを筆頭に様々な書籍やアニメ、ゲーム、模型、フィギュアなどを取り扱う店が多数入居している。中古品を扱う店が多い。
  • 立川(東京都) - コトブキヤ本社があるほか、フロム中武や閉店した第一デパートに数多くのオタク向け店舗が入居していた[52]
  • 大須名駅名古屋市) - 大須は電気街、オタク街でもあるがアメリカ村のような古着の街でもあり、巣鴨のような老人の街でもある。OS☆Uの拠点。なお、全国に出店している大手アニメショップは名駅周辺に多い。
  • 放送会館(福井市)- 福井放送旧館。模型屋や同人誌の店が集中している。近隣にはアニメイトも。
  • 日本橋大阪市) - 秋葉原、大須と並んで日本三大電気街の一つ。秋葉原のようにオタクの街でもあり、堺筋や「オタロード」を中心に多くのオタク向け店舗が軒を連ねる。「東のアキバ、西のポンバシ」と呼ばれる存在である。
  • 寺町通京都駅周辺(京都市) - 密集度は低いものの、アニメ・ゲーム・ホビー関連の店が数多く立地している。また、四条寺町以南はパソコンショップが目立つ。京都駅周辺には大手電気店が多く立地し激戦区となっている。
  • 三宮神戸市) - 「センタープラザ」西館の2階、3階にアニメショップやホビーショップなどが特に密集している。
  • 岡山表町商店街岡山市) - 中四国随一のメイド喫茶街でもあった。
  • 紙屋町広島市) -「大手町通り」より西側を中心に家電量販店、パソコンショップやアニメ、ゲーム、同人誌専門店などが並んでおり、さながら広島の秋葉原といわれている。
  • 千舟町銀天街松山市)- アニメショップやメイド喫茶、コスプレ専門店、ジャニーズショップ、アイドルショップ、アイドル劇場などが集中しており四国最大のオタク街を形成している。
  • 徳島駅前ポッポ街周辺(徳島市) - 南北2棟の2階建てで構成される屋根付き商店街。2Fにはサブカル系出版物・キャラクター商品が多数販売されている南海ブックス1・2号店(井上書房が運営)がテナント入居。うち南海ブックス2号店は成人向けのゲームタイトル・商品・出版物を中心に販売している。かつてはメイド喫茶やコスプレ用品の専門店が存在したが閉店、アニメイト徳島(こちらも井上書房が運営)は東新町商店街に移転し、オタクの街としての機能は分散した。ufotable主導により毎年数回開催されている大型サブカル系イベントマチ★アソビの主要会場の1つである。
  • 小倉北九州市) - 「あるあるCity」はアニメ、漫画、ゲーム、ホビー、アイドル、お笑いなどサブカルチャーに特化した新しい商業施設となっている。
  • 北天神福岡市) - 北天神地区におたく関連のグッズを取り扱う店舗がやメイド喫茶が増えている。
  • 天神(福岡市) - アニメショップやアイドル劇場が集積している。「福ポップ」はアニメ限定ショップなどのサブカルチャー発信地となっている。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ オタクとセクシュアリティを結びつけて捉えるのは、大塚英志前述の斎藤環の論と同様である[40]

出典編集

  1. ^ 東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社〈講談社現代新書〉、2008年11月20日、9ページ。ISBN 978-4061495753
  2. ^ 「おたく」 | 分け入っても分け入っても日本語考える人 新潮社
  3. ^ 小林信彦『日本人は笑わない』新潮文庫、1994年、pp.45-46
  4. ^ 「ことばと社会」鈴木孝夫1975/01 中央公論新社
  5. ^ 長山靖生『戦後SF事件史 日本的想像力の70年』
  6. ^ 岡田斗司夫 2008, p. 42.
  7. ^ 中森明夫氏以前の「おたく」についてのサエキけんぞう氏のツイート漫画ブリッコの世界(再録サイト)
  8. ^ 『おたく』の研究 第1回漫画ブリッコの世界(再録サイト)
  9. ^ 『おたく』の研究 第2回漫画ブリッコの世界(再録サイト)
  10. ^ 『おたく』の研究 「妥協の森」1984年6月号漫画ブリッコの世界(再録サイト)
  11. ^ 再録サイト
  12. ^ a b 阿島俊「宮崎事件とおたくバッシング」『漫画同人誌エトセトラ'82-'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店、2004年、初版、158頁。ISBN 4765900487
  13. ^ a b c d 岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』新潮社〈新潮新書〉、2008年。ISBN 978-4-10-610258-5
  14. ^ a b c 菊池聡、金田茂裕、守一雄「FUMIEテストを用いた「おたく」に対する潜在的態度調査」『人文科学論集人間情報学科編』第41号、信州大学人文学部、2007年4月、 105-115頁、 ISSN 1342-2782NAID 110006389058
  15. ^ a b ガルバレス・パトリック・ウィリアム「公の「オタク」のイメージを左右する秋葉原」2009年1月。
  16. ^ ”アニメオタク差別”を変えた京都アニメーションの偉業と追悼と。(古谷経衡) - 個人 - Yahoo!ニュース
  17. ^ 萌えイラストへの嫌悪感を示すと「オタク差別」になるという事実<北条かや> « ハーバー・ビジネス・オンライン
  18. ^ オタク差別は消滅しつつある - 山本弘の新SF秘密基地BLOG
  19. ^ a b 「蛭児神さんは友だちの千之ナイフさんと一緒に待ち合わせの喫茶店に現れた。/彼らは相手のことを『君は〜』とか『お前は〜』とか言うところを、『お宅は〜』と言っていたのが強く印象に残ったが、のちに漫画のロリコンは『オタク』と呼ばれるようになり、なるほどと納得したのでした。今では『オタク』は意味が広がって、漫画のロリコンに限らず、カメラオタクとか鉄道オタクとか、単にマニアという意味になってしまったように思う。僕と青山正明は、まだオタクという言葉がなかった頃にオタクの元祖に会ってしまったのでした」谷地淳平「ミニコミ誌の思い出 その15」2014年12月4日付
  20. ^ a b 「改めてページをめくってみればわかることだが、吾妻ひでおの八〇年代の作品に帽子にサングラス、白いコートというキャラクターが時に登場する。『おたく』が公然化する以前の、いわば『変質者』としての“プレおたく”のパブリックイメージをなぞったこの人物こそが蛭児神建である。そのようないでたちで実際に彼はコミケなどのイベントに現れた。彼が同人誌及び出版界における『ロリコンまんが』の起源にいかにコミットしたかは、今回、彼自身が語っているので繰り返さないが、そのような表現を公然化しようとする時、当然、人々から向けられるであろう視線を彼はそのようないでたちをあらかじめ自らまとうことで相応に自覚していた記憶がある。それは『コスプレ』と言ってしまうほどに軽くもなく、『パロディ』というには余りに捨て身で、かといって『自虐』や『露悪』と切り捨てるにはやはり厄介で、ぼくにしてもあまり直視したくない存在であった。しかし、そのことはあの奇異ないでたちが同時代の中でぎりぎりの批評になっていたことの証しである。中森明夫が『おたく』の語をもって外からコミケに集う人々をカリカチュアライズするより前に蛭児神建の異装は既におたく自身による『批評』としてあったことは事実として記しておくべきだろう。ぼくにとっても彼の異装は目を逸らさずにはおれないほどには充分に厄介なものだった」大塚英志特集・真説おたくの精神史──解題」『Comic新現実』Vol.4(角川書店 2005年4月 pp.76-77)
  21. ^ a b 宅八郎は、蛭児神建のスタイルをテレビに出られる程度に改変したものなので、宅八郎が考えて作ったキャラではなく、むしろ『あれをテレビに出られる程度に薄めて演じろ』みたな位置づけで出てきたものだよねえ」ぬまきちのツイート 2020年2月18日
  22. ^ 榎本秋 2009, p. 19.
  23. ^ 御宅」『デジタル大辞泉』小学館。2010年9月2日閲覧。
  24. ^ 「おたく」『広辞苑』岩波書店、第6版。
  25. ^ 森川嘉一郎「おたくと漫画」『ユリイカ』第40巻第7号、青土社、2008年6月、 196-202頁、 ISSN 13425641NAID 40016131656
  26. ^ 「考えてみれば、マンガファンとかコミケに限らずいるよね。アニメ映画の公開前日に並んで待つ奴、フルートレインを御自慢のカメラに収めようとして線路で轢き殺されそうになる奴、本棚にビシーッとSFマガジンのバックナンバーと早川の金背銀背のSFシリーズが並んでる奴とか、マイコンショップでたむろっている牛乳ビン底メガネの理系少年、アイドルタレントのサイン会に朝早くから行って場所を確保してる奴、有名進学塾に通って勉強取っちゃったら単にイワシ目の愚者になっちゃうおどおどした態度のボクちゃん、オーディオにかけちゃちょっとうるさいお兄さんとかね」中森明夫「僕が『おたく』の名付け親になった事情」『おたくの本』別冊宝島104(1989年)
  27. ^ 岡田斗司夫 2008, p. 54.
  28. ^ 「マスメディアにおける“宅八郎のオタク像”のベースとも言える蛭子神建ママ〕とか、もう完全に世間の記憶から忘れ去られていたりして、宅八郎が古いオタク像のオリジナル呼ばわりされてたりしますよね」ぬまきちのツイート 2015年11月15日
  29. ^ 宅八郎自体はオタクではなくオタク系に強いフリーのライターだったのが、コミケなどで蛭児神建のやっていたスタイルをマスメディア向けにやわらかくして世間にいじられるための芸にしてテレビで活躍する芸人に転身しただけだったこともすっかり忘れ去られて久しいものとなりましたね」ぬまきちのツイート 2020年9月1日
  30. ^ 岡田斗司夫 2000, p. 353.
  31. ^ 斎藤環『戦闘美少女の精神分析』筑摩書房〈ちくま文庫〉、2006年5月、28ページ。ISBN 4-480-42216-1
  32. ^ 東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』講談社〈講談社現代新書〉、2008年11月20日、8ページ。ISBN 978-4061495753。「『オタク』という言葉を知らない人はいないだろう。それはひとことで言えば、コミック、アニメ、ゲーム、パーソナル・コンピュータ、SF、特撮、フィギュアそのほか、互いに深く結び付いた一群のサブカルチャーに耽溺する人々の総称である。」
  33. ^ 岡田斗司夫 2000.
  34. ^ 岡田斗司夫 2008, pp. 57, 62–65.
  35. ^ “オタクは遍在する――NRIが示す「5人のオタクたち」”. ITmediaニュース. (2005年10月6日). http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0510/06/news068.html 2010年10月2日閲覧。 
  36. ^ a b 榎本秋 2009, p. 32.
  37. ^ NHK「あさイチ」2015年12月14日放映『オタク女子 増殖中!?』中でも当事者による「声豚」発言があった。おたぽる当該記事
  38. ^ 岡田斗司夫 2008, p. 159.
  39. ^ 宮台真司「スピークス・ミヤダイ」『援交から天皇へ―COMMENTARIES:1995‐2002』朝日新聞社、2002年、347頁。ISBN 978-4022613929
  40. ^ 樫村愛子『ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか』光文社、2007年、221頁。ISBN 978-4334034153
  41. ^ 「スピークス・ミヤダイ」『援交から天皇へ―COMMENTARIES:1995‐2002』347-348頁。
  42. ^ 宮台真司 「「かわいい」の本質 成熟しないまま性に乗り出すことの肯定」『日本的想像力の未来~クール・ジャパノロジーの可能性』 日本放送出版協会、2010年、87-89頁。ISBN 978-4140911631
  43. ^ 大澤真幸 『不可能性の時代』 岩波書店、2008年、87頁。ISBN 978-4004311225
  44. ^ 『ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか』218-221頁。
  45. ^ 東、『動物化するポストモダン』。13ページ。
  46. ^ 東浩紀「オタク現象と日本のポストモダニティ」『ユリイカ』第40巻第7号、青土社、2008年6月、 220-233頁、 ISSN 13425641NAID 40016131659
  47. ^ 団塊の世代とプレおたく世代とおたく第一世代竹熊健太郎
  48. ^ a b c 榎本秋 2009, pp. 50–66.
  49. ^ アキバ総研記事「「コスプレ暴走族(レディース)」が再び秋葉原に登場! その正体は…」 Archived 2009年3月8日, at the Wayback Machine.
  50. ^ 萌える仙台河北新報2005年11月3日
  51. ^ 丸井水戸店が来秋閉店へ→ アニメファン「アニメイトは?らしんばんは?」 テナントがどうなるか、ビル運営者に聞いてみた”. Jタウンネット. 2019年6月20日閲覧。
  52. ^ 立川/ 同人コミケ用語の基礎知識/ フロム中武/ 第一デパート” (日本語). 《ぱら☆あみ》的同人用語の基礎知識. 2009年10月8日閲覧。

参考文献編集

  • 岡田斗司夫『オタク学入門』新潮社〈新潮OH!文庫,〉、2000年。ISBN 4102900195
  • 岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』新潮社〈新潮新書, 258〉、2008年。ISBN 9784106102585
  • 榎本秋『オタクのことが面白いほどわかる本 : 日本の消費をけん引する人々』中経出版、2009年。ISBN 9784806133582
  • 別冊宝島編集部編『おたくの本』宝島社〈別冊宝島104号〉、1989年12月
    • 別冊宝島編集部編『「おたく」の誕生!!』宝島社〈宝島社文庫〉、2000年3月

関連文献編集

  • 相田美穂「現代日本におけるコミュニケーションの変容 : おたくという社会現象を通して」『広島修大論集. 人文編』第45巻第1号、広島修道大学、2004年9月30日、 87-127頁、 NAID 110004534010
  • 相田美穂「おたくをめぐる言説の構成 : 1983年〜2005年サブカルチャー史」『広島修大論集. 人文編』第46巻第1号、広島修道大学、2005年9月30日、 17-58頁、 NAID 110006238802
  • 石井久雄「「おたく」のコスモロジー」『日本教育学会大會研究発表要項』第57巻、日本教育学会、1998年8月23日、 120-123頁、 NAID 110001167155
  • 難波功士「戦後ユース・サブカルチャーズをめぐって(4) : おたく族と渋谷系」『関西学院大学社会学部紀要』第99巻、関西学院大学、2005年11月8日、 131-153頁、 NAID 110004998457
  • 山口麻希, 西崎雅仁、「オタク文化の経済価値に関する経営学的考察」『経営情報学会 全国研究発表大会要旨集』 2010年秋季全国研究発表大会 セッションID:C2-2 , doi:10.11497/jasmin.2010f.0.38.0, 経営情報学会
  • Michael Lopp『Being Geek――ギークであり続けるためのキャリア戦略』オライリー・ジャパン。ISBN 978-4-87311-499-6

関連項目編集