千島列島

北海道の東からカムチャッカ半島に続く列島
南千島から転送)
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千島列島
千島列島の位置
千島列島(英名)

千島列島ちしまれっとう: Кури́льские острова́: Kuril Islands)は、北海道本島の東、根室海峡からカムチャツカ半島の南、千島海峡までの間に連なる列島。日露和親条約樺太・千島交換条約などの条約でいうクリル列島は、得撫島以北占守島までを指し、得撫島、幌筵島占守島などの島々で構成される。こうした経緯から、今日、択捉島国後島色丹島および歯舞群島を千島列島に属さない北海道の属島とし、北方四島北方領土)と呼ぶ[1]国後島択捉島、まで含めた場合の総面積10,355.61 km2

北海道からカムチャツカ半島までの間に連なる島々は、本来、占守島から新知島まではチュプカ諸島と呼ばれた千島アイヌの領域、武魯頓島以南は道東アイヌの領域となっており、得撫島において両アイヌの沈黙交易が行われていた。 この地域は大変長大で地域差が大きいことから、特に歴史については、本項でも便宜上、千島アイヌの領域と道東アイヌの領域に区分し述べることとする。

  • 千島アイヌの領域 - 占守郡(占守島から牟知列岩まで)、新知郡(雷公計島から新知島まで)
  • 道東アイヌの領域 - 得撫郡、北方四島に含まれる択捉島、国後島

と区分して記述することとする。

地理編集

 
千島列島の島々の夏の典型的な風景
 
温禰古丹島の黒岩山と幽仙湖カルデラ
 
幌筵島の火山・千島硫黄山(エベコ山)の火口
 
千島列島には活発な火山が多い

千島列島は環太平洋火山帯の一部をなす火山列島であり、今でも多くの島が活発に火山活動を起こしている。これらの島々は北アメリカプレートの下に太平洋プレートがもぐりこんだ結果生じた成層火山の頂上にあたる。2006年(平成18年)3月分のNEWTONには詳細な図が書かれており、成層火山の頂上が北海道本島にぶつかったものが現在の知床半島とされる。

プレートのもぐりこみにより、列島の200km東方沖に千島海溝ができている。地震も頻繁に起こり、2006年(平成18年)11月15日、シムシル島東方沖でマグニチュード7.9の地震が発生した。また、2007年(平成19年)1月13日にも、シムシル島東方沖でマグニチュード8.2の地震が発生した。

千島列島の気候は厳しく、風が強く非常に寒い冬が長く続く。夏は短く、がしばしば発生し、山には雪が残ることがある。年平均降水量は760mmから1000mmと多めで、ほとんどは雪である。

温帯亜寒帯にまたがる列島内では植生も異なり、北部ではツンドラ様の植生が、南部では深い針葉樹の森が見られる。境目は択捉島と得撫島の間で、宮部金吾が唱えた分布境界線(宮部線)となる。

列島内の最高峰は最北端の島、阿頼度島阿頼度山(親子場山、または阿頼度富士、ロシア名アライト山)で海抜は 2,339m。列島南部の国後島東端にある爺爺岳も 1,822mの高さをもつ。

島々の風景は、砂浜、岩の多い海岸、断崖絶壁、流れの速い渓谷と下流では広くなる川、森林と草原、山頂部の荒野やツンドラ、泥炭地、カルデラ湖などが形成されており、手付かずの自然が残る島が多い。土壌は一般的に肥沃で、火山灰などが周期的に流入することや、海岸部での鳥の糞の堆積などによるものである。しかし険しく不安定な斜面は頻繁に土砂崩れを起こし、新たな火山活動によって裸地が広がっている。

生態系編集

海の生物編集

 
千島列島最北の秀峰・阿頼度島の阿頼度富士(親子場山)

太平洋の大陸棚の縁に位置する海底地形、および海流の影響(オホーツク海内部で、アムール川の運ぶ養分を含んだオホーツク環流と、カムチャツカ半島東岸を流れて千島列島北部から入り込んだ養分豊かな親潮が合流し、これがさらに千島列島から流れ出し親潮と再合流する)により、列島周囲の海水は北太平洋でも最も魚の繁殖に適している。このため、動植物などあらゆる種の海洋生物からなる豊かな生態系が千島列島付近に存在できる。

千島列島の島のほとんどの沖合いは巨大な昆布の森に取り囲まれ、イカなど軟体生物やそれを捕食する魚、それを狙う海鳥など多くの生き物の暮らしの舞台になっている。

さらに沖合いにはマスタラカレイ、その他商業的価値の高い魚が多く泳いでいる。明治前後から日本の漁民の活動の場となってきたが、1980年代まではイワシが夏には山のように獲れていた。その後イワシは激減し、1993年を最後に水揚げされておらず、千島列島の漁村に打撃を与えている。またサケ類が千島列島の大きな島々で産卵し、周囲で捕獲される。

魚を求める哺乳類の巨大な生息地もある。アシカトドオットセイがいくつかの小島に集まり、オホーツク海周辺でも最大の生息地となっている。これらの哺乳類はかつてアイヌ人などの捕獲の対象となり、その肉は食料に、皮や骨はさまざまなものの原料(毛皮の服など)になってきた。千島列島への民族集団の広がりも、これらの生物を追っての移住だった可能性もある。19世紀から20世紀はじめにかけ、オットセイは毛皮採取のために乱獲され、例えば雷公計島に19世紀に1万頭いたオットセイは19世紀末には絶滅した。これと対照的に、アシカやトドは商業的狩猟の対象とならず1960年代以来これらの狩猟の報告はない。 かつて千島列島でも見ることのできたニホンアシカは、魚を捕食することから害獣として駆除された結果20世紀はじめにはほとんど見られなくなり絶滅したとみられている。クジラ類も多く、特にイシイルカシャチアカボウクジラツチクジラマッコウクジラミンククジラナガスクジラなどが多く観測されている。

ラッコ毛皮貿易のため19世紀に乱獲された。より価値の高いラッコの毛皮を手に入れるためロシアの千島列島への勢力拡大が活発になり、日本の権益と衝突する結果になった。ラッコは急速に減少し、20世紀半ば以降ほとんど狩猟が禁止され、徐々に千島列島内での生息地が復活している。

千島列島にはその他、数多くの種の海鳥が生息する。外敵のいない小島では、断崖の上などで多くの鳥が巣をつくり子育てを行っている。

陸の生物編集

千島列島の陸の生態系は、南の北海道本島や樺太、北のカムチャツカ半島などから来た、北アジアと同様の種が構成している。種の多様さにもかかわらず、固有種は少ない。

面積の小ささと地理的孤立により、大型陸上哺乳類はあまり生息していない。キタキツネホッキョクギツネは1880年代に毛皮交易のため持ち込まれた外来種である。さらに、同じ頃持ち込まれたネズミ目の生物が陸上哺乳類の多くと入れ替わった。列島南北の大きな島にはヒグマキツネテンなどが元から住んでいる。また北方領土の大きな島々にはシカもいる。ハヤブサミソサザイセキレイなどの鳥もに住んでいる。

クリルアイランドボブテイルという猫が生息している。これはジャパニーズボブテイルに似た短い尾を持つ突然変異種の猫で、ロシアの猫種登録団体からの認定も既に受けている。[2]

歴史編集

 
笹森儀助千島探検行程図(1915年以前)

室町時代15世紀)までにアイヌが進出。彼らは主に道東アイヌの領域の北方領土得撫郡以南、千島アイヌの領域の新知郡の羅処和島や占守郡の幌筵(パラムシル)島占守島などに居住していた。

第二次世界大戦まで編集

千島アイヌの領域

江戸時代には、チュプカ諸島と呼ばれた。占守郡および新知郡に相当する地域である。日露和親条約樺太・千島交換条約などの条約で定義されるクリル列島に含まれる。ロシア帝国侵出(南下政策)による領有以前には、千島アイヌが先住していた。

道東アイヌの領域
 
択捉島紗那村。昭和初期の紗那(手前は村立病院、左奥が択捉水産の工場、中央は郵便局の無線塔)、1945年以前

得撫郡と北方領土(国後島、択捉島)に相当する地域。得撫郡は日露和親条約や樺太・千島交換条約などの条約で定義されるクリル列島に区分され、択捉島以南は北方四島に区分される。和人社会には室町時代からラッコ皮の産地として知られ、江戸時代には松前藩領や幕府直轄領となり、本州以南に準じ郷村制が敷かれ、アイヌの有力者はオムシャ役蝦夷に任命され村政を担っていた(江戸時代の日本の人口統計も参照)。

太平洋戦争戦中と終戦後編集

太平洋戦争中、北から侵攻するであろうアメリカ軍に備えるため、占守郡の幌筵島には柏原(ロシア名セベロクリリスク)の高台を含め、日本軍の飛行場や地下に掘られた病院が造られていた。現在、どの場所も廃墟や残骸が残るのみである。

8月18日にはカムチャツカ半島のロパトカ岬から砲撃が開始され、同時に、ペトロパブロフスク・カムチャツキーから出撃した赤軍・第二極東軍が占守郡の占守島に上陸、日本軍・第五方面軍第91師団と交戦した。8月21日に停戦したが、4日間の戦闘でソ連側が1,567名、日本側が1,018名の死傷者(ソ連側資料)を出した。日本側資料ではソ連側が約3,000名、日本側が約600 - 700名の死傷者とされている。

スターリンは占守島を1日で占領し、余勢を駆って北海道の東半分(留萌から釧路を結ぶ線)を占領する予定であったが、予想外の抵抗を受けた(日本降伏直後、スターリンはトルーマンへの電報の中で、ソ連軍による千島列島と北海道北半分の占領作戦準備を始めたが、北海道に関してはヤルタ協定に含めていなかったため、トルーマンに拒否された)。占守島の日本軍武装解除は8月23日と24日に行われた。千島の攻略は樺太を見ながら行い、8月26日に新知郡の松輪島を、8月28日から8月31日に得撫島を占領したが、第二極東軍は択捉島に一度近づきながら、その先に進まなかった。

 
幌筵島柏原セベロクリリスク)のメインストリート

択捉島以南(北方四島)の占領は、8月28日に樺太制圧が終了した第一極東軍を転用した。南千島占領部隊は8月26日に大泊を出航し8月29日に択捉島を占領、9月1日に国後島と色丹島に上陸し、9月2日に日本が正式に降伏する間も軍を進めたが、両島の制圧には9月4日まで費やした。9月5日に歯舞群島を占領して一連の計画は完了したが、占守島侵攻で時間を費やさなかったら北海道本島も侵略されていたと見る者もいる。

ソ連占領地域は北海道本島との交通を遮断され、千島列島住民は本土への帰還ができなくなり、駐屯していた日本軍は武装解除の上、スターリンの指示でシベリアの収容所に連行された(シベリア抑留)。また、ソ連は占領地にロシア人を送り込み、日本住民の個人資産を次々に接収していった。アイヌを含む千島住民の一部は残留の強い働きかけを受けたものの、1947年(昭和22年)にほぼ全員が本土へ引き揚げることとなった。朝鮮籍の住民は日本引き揚げを認められず、彼らと結婚したものなど一部残留を希望する日本人は引き揚げず、後にサハリン(樺太)に移送されて在樺コリアンとなった。

現在編集

  • 1951年(昭和26年) - サンフランシスコ講和(平和)条約が発効。同条約では千島(クリル)列島の放棄を明記されたが、引渡先の記載はない。また、ソビエト連邦(継承国家はロシア連邦)も同条約に署名していない。日ロ両国間において今なお平和条約が締結されておらず、このため国際法上日ロ国境が未画定のままとなっている。また、サンフランシスコ講和条約に定義される千島(クリル)の範囲と領土帰属に対して、日本とロシアの主張に差異がある。

ソ連が崩壊した後に成立したロシア連邦が、現在も実効支配している。

2010年3月31日まで北方四島のほか、得撫島以北の得撫・新知・占守の三郡についても札幌国税局管内の根室税務署管轄とされていたが、2010年(平成22年)4月1日に「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例(平成21年3月31日公布)」[5]と「財務省組織規則の一部を改正する省令(平成21年10月26日 財務省令第67号)」[6]により、得撫島以北の得撫・新知・占守の三郡については法令上も消滅した。

領土問題編集

日本政府は、サンフランシスコ講和条約に定義される千島列島は、日露和親条約樺太・千島交換条約で定義されるクリル(千島)列島(得撫島以北)を指し、択捉島以南の北方四島は含まれないとしている。択捉島以南は北方領土と呼ばれ、ロシア政府に対し繰り返し返還を求めている。またソ連はサンフランシスコ講和条約に調印しておらず、北方四島以外の千島列島の領有権の帰属先を定める国際法が存在していないことから、日本は積極的な返還交渉はおこなっていないものの、北方四島以外の千島列島の帰属は未確定であり、最終的な帰属は日ロ間の平和条約締結など将来の国際的解決手段に委ねられると主張している。

また、冷戦下の1952年(昭和27年)3月20日に、サンフランシスコ講和(平和)条約の当事国であるアメリカ合衆国上院は、同年4月28日に発効するサンフランシスコ平和条約では、ソビエト連邦への千島列島の領土、権利、権益の引き渡を決めたものではない、とする決議を行っている。

一方で、北方四島以外の千島列島については、ロシアが実効支配していることについてロシア以外のいかなる国の政府も領有権の主張を行っておらず、日本政府も異議を唱える立場にはないとしている。

ロシア(旧ソ連)は、サンフランシスコ講和条約において得撫島以北の千島列島だけの放棄を明記してはいないことや、ヤルタ会談を根拠として、ソ連による全千島の領有は戦争の結果であり、また既にソ連国内法により編入されていると主張しているが、日本政府はヤルタ会談での秘密協定は国際法違反だとしている。

日本共産党は、全千島列島が樺太・千島交換条約で平和裏に日本の領土になった経緯からカイロ宣言が念頭にしている戦争によって獲得した地域には当たらないことと、大西洋憲章等の連合国の領土不拡大原則に反しないこと、ソ連がサンフランシスコ講和条約に調印していないことをもって、全千島列島の返還を主張している[7]維新政党新風は、全千島列島に加えて南樺太の返還も要求している[8]

住民編集

択捉島国後島色丹島幌筵島占守島以外は定住人口の無い無人島である。2010年の国勢調査によると幌筵島北クリル管区)に2,381人(セベロクリリスク柏原)に2381人)、クリル管区択捉島)に6,064人(管内のクリリスク紗那村)に1,666人)、南クリル管区国後島色丹島)に10,290人(管内のユジノクリリスク古釜布)に6,617人)となっている[9]。2010年の国勢調査による千島全域の総人口は18,735人。近年は幌筵島、択捉島で人口が引き続き減少する一方、国後島は減少から増加に転じている。

構成する島の一覧編集

千島アイヌの領域編集

千島アイヌの領域は、江戸時代にチュプカ諸島と呼ばれた。日露和親条約や樺太・千島交換条約で定義されるクリル(千島)列島に含まれ、戦前は占守郡と新知郡に区分された。

占守郡編集

日本語名 ロシア語名 英語名 名前の由来となったアイヌ語 面積
km2へいほうキロメートル
最高標高
mメートル
北緯 東経
阿頼度島あらいどとう Атласова
(アトラソフ)
Atlasov アウ・ライト(噴火口の内が地獄のようにどろどろに溶けた溶岩の溜池) 150 2339 50°50' 155°30'
占守島しゅむしゅとう Шумшу
(シュムシュ)
Shumshu シュム・ウシ(南西・<そこに>ある→南西に存在する、或いは南西に入る)」
※ 諸説あり
388 189 50°45' 156°20'
幌筵島ぱらむしるとう[* 1] Парамушир
(パラムシル)
Paramushir パラ・モシル(広い・島)ポロ・モシル(大きい・島)など 2053 1816 50°30' 155°40'
志林規島しりんきとう Анциферова
(アンツィフェロヴァ)
Antsiferov シ・リン・キ(甚だ・波・所→ひどく波立つ所) 7 747 50°12' 154°58'
磨勘留島まかんるとう[* 2] Маканруши
(マカンルシ)
Makanrushi 「温禰古丹島の後ろにあって、潮の中に立つ島」の意とする説がある。 49 1171 49°45' 154°25'
温禰古丹島おんねこたんとう Онекотан
(オネコタン)
Onekotan オンネ・コタン(大きな・村→大きな村) 425 1324 49°25' 154°45'
春牟古丹島はりむこたんとう[* 3] Харимкотан
(ハリムコタン)
Kharimkotan ハリム・コタン(オオウバユリ・村→オオウバユリの多い所)」
ハル・オマ・コタン(オオウバユリの鱗茎・そこにある・村→
オオウバユリがそこにある村)
68 1157 49°05' 154°30'
越渇磨島えかるまとう Экарма
(エカルマ)
Ekarma エカリ・マ・ウシ(安全な船着場の多い所) 30 1170 48°55' 153°55'
知林古丹島ちりんこたんとう Чиринкотан
(チリンコタン)
Chirinkotan チリン・コタン(汚れた波<泥流>・村)→泥流に呑まれた村」 6 742 48°58' 153°30'
捨子古丹島しゃすこたんとう Шиашкотан
(シアシュコタン)
Shiashkotan シャク・コタン(夏の・村)や シャシ・コタン(昆布・村)など諸説あり 122 934 48°50' 154°05'
牟知列岩むしるれつがん Скалы Ловушки
(スカルラ・ロヴシュキ)
モシリ(島)

新知郡編集

日本語名 ロシア語名 英語名 名前の由来となったアイヌ語 面積
km2へいほうキロメートル
最高標高
mメートル
北緯 東経
雷公計島らいこけとう Райкоке
(ライコケ)
Raikoke ライ・コツ・ケ(地獄・穴、又は噴火口・所→地獄穴の所)」 4,6 551 48°17' 153°15'
松輪島まつわとう Матуа
(マトゥア)
Matua モト・ア(土着の者だ吾々は)(
かつて千島アイヌが千島列島を行き来していた中で、本島に土着したアイヌ人が存在した。)
52 1446 48°05' 153°10'
羅処和島らしょわとう[* 4] Расшуа[* 5]
(ラスシュア)
Rasshua ルシ・オ・ア(毛皮が・そこに・豊富にある)など諸説あり 67 948 47°45' 153°00'
摺手岩すれでいわ Среднего
(スレドネワ)
Srednego ロシア語の「スレドネワ(Среднего/間の、中間の)」が変化したとされる 36
宇志知島うししるとう Ушишир
(ウシシル)
Ushishir ウセイ・シル(温泉・大地→温泉のある大地) 5 401 47°30' 152°50'
計吐夷島けといとう Кетой
(ケトイ)
Ketoy ケウ・トイ(骸骨・悪い)[* 6] 73 1172 47°20' 152°30'
新知島しむしるとう[* 7] Симушир
(シムシル)
Simushir シ・モシリ(大きい・島→大きい島) 353 1539 47°00' 151°55'

道東アイヌの領域編集

道東アイヌの領域では、得撫郡のみが日露和親条約や樺太千島交換条約で定義するクリル(千島)列島に含まれた。

得撫郡編集

日本語名 ロシア語名 英語名 名前の由来となったアイヌ語 面積
km2へいほうキロメートル
最高標高
mメートル
北緯 東経
武魯頓島ぶろとんとう[10] Броутона
(ブロウトナ)
Broutona 7 800 46°43' 150°45'
知理保以島ちりほいとう(北島)[* 8] Чирпой
(チルポイ)
Chirpoy チリ・オ・イ(小鳥・そこに沢山いる・所→小鳥がそこに沢山いる所)」
北島と南島は、千島アイヌにはそれぞれ レプンモシリ[* 9]ヤンケモシリ[* 10]
と呼ばれていた。
21 691 46°30' 150°55'
知理保以南島ちりほいみなみとう[* 11] Брат Чирпоев[* 12]
(ブラト・チルポエフ)
Brat Chirpoev 16 749 46°28' 150°50'
得撫島うるっぷとう Уруп
(ウループ)
Urup ウルプ(紅鱒) 1450 1426 45°50' 149°55'

択捉島以南編集

日本語名 ロシア語名 英語名 名前の由来となったアイヌ語 面積
km2へいほうキロメートル
最高標高
mメートル
北緯 東経
択捉島えとろふとう Итуруп
(イトゥルップ)
Iturup エトゥ・オロ・プ(岬の・ある・所) 3200 1634 44°50' 147°50'
国後島くなしりとう Кунашир
(クナシル)
Kunashir クンネ・シリ(黒い・島→黒い島)または キナ・シリ または キナ・シル(草の・島→草の島)
(どちらが本当の由来かははっきりとしていない)
1490 1822 44°05' 146°00'

なお、日本政府は色丹島、歯舞群島は千島列島(クリル列島)には含まれないとしている[* 13]が、便宜上、ここに併記する。

 
色丹島の中心集落斜古丹、(ロシア名は「マロークリリスク」)
日本語名 ロシア語名 英語名 名前の由来となったアイヌ語 面積
km2へいほうキロメートル
最高標高
mメートル
北緯 東経
色丹島しこたんとう Шикотан
(シュカタン)
Shikotan シ・コタン(大きな村) 250km2 413m 43°50' 146°45'
歯舞群島はぼまいぐんとう Острова Хабомай
(アストラバ・ハボマイ)
Habomai または Khabomai 97km2 45m 43°30' 146°05'

歯舞群島を構成する島編集

日本語名 ロシア語名 英語名 名前の由来となったアイヌ語
海馬島とどじま Осколки
(アスコルキ)
Oskolki
多楽島たらくとう[* 14] Полонского
(パロンスキー)
Polonskogo トララ・ウク(皮紐・取る→皮紐を取る島)
志発島しぼつとう Зелёный
(ゼリョーヌイ)
Zelyony シペ・オッ(鮭・群在する所)
勇留島ゆりとう Юрий
(ユーリ)
Yuri ユウロ(それの鵜がたくさんいる→鵜の島)」または「ウリル(鵜の島)
秋勇留島あきゆりとう Анучина
(アヌーチナ)
Anuchina アキ・ユリ(弟・勇留→勇留の弟)
水晶島すいしょうじま Танфильева
(タンフィーリエフ)
Tanfilyeva シ・ショウ(大きい・裸岩)
貝殻島かいがらじま Сигнальный[* 15]
(シグナリヌイ)
Signalny カイ・カ・ラ・イ(波の・上面・低い・もの<岩礁>)

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 「ほろむしろとう」とも読まれる。
  2. ^ 史料によって名称が多少異なっている。詳細は磨勘留島の項を参照のこと。
  3. ^ 「はるむこたんとう」とも読まれる。また、加林古丹(かりんこたん)とも言い、由来は「カ・リン・ム・コタン(上・波<泥流>・這う・村→村の上を波<泥流>が這うように流れ下った村)」である。
  4. ^ 日本語では「らしゅわとう」「らすつあとう」とも読まれる。
  5. ^ "Расшя"とも。
  6. ^ 元禄御国絵図、正保御国絵図には島にある谷を「ケトナイ(両岸が骸骨のように聳立(しょうりつ)した渓谷)」との表記したことから島の名前に転じた。
  7. ^ 「しんしるとう」とも読まれる。
  8. ^ 「ちぇるぽいとう」とも読まれる。
  9. ^ レプ・ウン・モシリ(沖・ある・島→沖にある島)を意味する。
  10. ^ ヤ・ウン・ケ・モシリ(陸、又は岸・ある・場所・島→陸の方にあるその島)を意味する。
  11. ^ 「ちぇるぽいみなみとう」とも読まれる。
  12. ^ 「チルポイの弟(兄)」の意。
  13. ^ サンフランシスコ平和会議における吉田茂総理大臣の受諾演説にて吉田首相は「日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島」と発言している(外務省条約局法規課『平和条約の締結に関する調書VII』)。
  14. ^ 「多羅久島」と表記される場合もある。
  15. ^ 「灯台島」の意。

出典編集

  1. ^ 外務省のホームページ「北方領土問題とは?」
  2. ^ 『新猫種大図鑑』 第1版第2刷 2006年5月20日 ブルース・フォーグル ISBN 4938396661 ― 頁.236:『クリル・アイランド・ボブテイル』
  3. ^ http://www.k3.dion.ne.jp/~karafuto/karafutosi1.html 樺太の歴史1590 - 1791
  4. ^ 『百科事典マイペディア』(平凡社)”千島列島" コトバンク
  5. ^ 北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例 支庁制度改革の取組(地域主権局) 北海道
  6. ^ 財務省組織規則(平成十三年財務省令第一号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局 (2019年7月12日). 2020年1月6日閲覧。 “2019年7月16日施行分”(別表第九)
  7. ^ 日ロ領土問題と平和条約交渉について(日本共産党)
  8. ^ 南樺太及び千島列島の返還を求める(維新政党新風)
  9. ^ Численность населения Российской Федерации по городам, поселкам городского типа и районам на 1 января 2010 года
  10. ^ 島の名前は、1796年(寛政8年)から2年に渡り千島・サハリン沿岸を調査した、
    イギリス海軍プロヴィデンス号のブロートン艦長に由来する。アイヌ語では
    マック・アン・ルル(後ろ・ある・潮→後方の潮の中にある島)

関連項目編集

外部リンク編集