デーモン閣下

日本のミュージシャン、タレント (前98038(1962)-)
デーモン小暮から転送)

デーモン閣下(デーモンかっか、紀元前98038年11月10日[注 1]、英語表記:His Excellency Demon Kakka[注 2])は、ミュージシャンマルチタレントジャーナリスト。ロックバンド聖飢魔IIのボーカリスト。早稲田大学社会科学部卒業。POWERPLAY所属。好角家相撲評論家)・広島東洋カープファン[2][3]

デーモン閣下
Japan Expo2010での閣下
基本情報
別名 デーモン小暮
デーモン小暮閣下
小暮伝衛門
生誕 紀元前98038年11月10日
(「世を忍ぶ仮の姿」: (1962-11-10) 1962年11月10日(61歳)[1]
学歴 早稲田大学社会科学部卒業
ジャンル
職業
担当楽器 ボーカル
活動期間 1982年 -
レーベル FITZ BEAT(1985年 - 1996年)
BMG JAPAN(1996年 - 2007年)
avex trax(2007年 - )
アリオラジャパン(2016年 - )
事務所 POWERPLAY
共同作業者 聖飢魔II
公式サイト デーモン閣下オフィシャルHP
KISSジェフ・テイトスティーヴ・ペリー

「世を忍ぶ仮の姉」はTBSテレビ元報道キャスターの小暮裕美子[注 3]

デーモン小暮」(1985年)、「デーモン小暮閣下」(2000年)、「デーモン閣下」(2010年以降)と名称を変更している。通称は「デーモン」、「閣下」。自身は人間の体を借りた悪魔と自称しており、生年月日は「紀元前98038年11月10日」だとしている。

悪魔 (人物) 編集

デーモン閣下が自称する概要
属性 悪魔 (悪魔教教祖
英名 His Excellency Demon三人称
Your Excellency Demon二人称
別称 小暮伝衛門(邦楽器コラボレート時)
デーモン小暮(聖飢魔II現役活動当時)
デーモン小暮閣下(聖飢魔II解散後から2010年まで)
通称 デーモン、閣下(かっか)
発生日(誕生日) 魔暦:紀元前100,036年11月10日
西暦:紀元前98,038年11月10日(10万60歳)
発生地(出身地) 地獄の都 Bitter Valley区
身長 168 cm - 80 m
体重 58 kg - 5万 トン
血液型 θ33式XD類別A666型
(人間界における)
世を忍ぶ仮の職業
表現家歌唱演劇テレビラジオ)、
演出家舞台演出CDプロデュース)、
文筆家評論エッセイ作詞)、
相撲評論家思想家ジャーナリスト

紀元前98038年11月10日に発生、地獄の都Bitter Valley地区出身」を称する、前地獄副大魔王にして悪魔教教祖。悪魔としての本名は地球上では可聴音域で発声できない(発声しても口パクにしか見えない)ため不詳とされる。

「神ゼウスによって約10万年もの間地獄に封印されていたが、ゼウスの封印力が弱まり再び蘇り」、人間界へと降り立った。「西暦1999年12月31日地球征服する」と宣言し、1982年よりヘヴィメタルバンド聖飢魔II」のフロントマンとしての音楽活動を中心に幅広く「布教活動」を行い、1999年に公約通り「地球征服」を完了し、解散した。金色の髪を派手に逆立て、白色を基調とした顔貌[注 4]

公私混同を非常に嫌い、人間としての側面はあくまで「世を忍ぶ仮の姿」であり、プロフィールは基本的に公表せず、関係者や来歴は必ず「世を忍ぶ仮の」という一節を付加して表現している。年齢も『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した際、「10万24歳」と答えるなどしている。

吾輩」と自称し、「閣下」と呼ばれる[注 5]。「デーモンさん」、「小暮君」などと呼ばれることもあるが、「小暮君」と呼ばれた際は「閣下と呼べ!」「せめてデーモン小暮と呼んでほしいのだが…」と反発している[注 6]。非公表である本名(地上での戸籍名)を呼称することは一切許容しておらず、本人がふれる時も「世を忍ぶ仮の名」としている。

派手な外見や所作から来る印象ばかりを取り沙汰されることが多いが、「信者」と称されるファンの多くは「作品の内容」「言動」「エンターテイナーとしての技量」を大いに支持している。単に「神と悪魔と人間」という視点だけでなく、幼少時にアメリカに在住していた帰国子女であり、異文化交流に関してのコメントも多い。

日本伝統芸能文化にも造詣が深く、純邦楽(特にジャパメタのギタリストでもあり、箏曲家の沢井比河流とは親交も深い)・等と共演することが年間25回を超える。好角家でもあり、相撲知識は好角家や大相撲関係者すら舌を巻く(後述)。頭の回転が早く、テレビ番組での彼のやり取りを見た、閣下支持でも何でもなかった音楽評論家渋谷陽一を感心させている。

同時に、裏では芸能界での大先輩やスタッフに丁寧に接するなど几帳面な一面を見せている。「恐ろしい見た目の悪魔」だが実際に悪魔のように人の不幸を喜んだり、傷付けたり、悲しませる事は基本的には行わない(行う場合は「台本」や「演出」に従い、相手にも了承を得ている)。特に「差別」や「犯罪」については非常に忌み嫌っており、「悪魔だからこそ許せないし、許すつもりもない。」と語っている。

悪魔ちゃん命名騒動があった時期に、インタビューで「悪魔は子供が生まれたら“悪魔”と名づけるのか」と尋ねられ、「つけねーよ。じゃあ、お前は自分の子供に“人間”と名前をつけるのか」と切り返した。また、その人物像ゆえ、公の場での対談や共演相手の装飾品に十字架が使用されるのを極度に嫌う。

経歴 編集

生い立ち 編集

父は銀行員[4]、「世を忍ぶ仮の姿」である幼稚園生時代から小学1年の途中までニューヨーク[5][6][7][8]、小学2年までを東京で[5][6][7][8][9]、小学3年から5年までを広島市西区で過ごし[5][6][7][8]、小学6年以降は東京で育った[5][6][7][8]

「一番長く暮らした広島を、『世を忍ぶ仮のふるさと』だと思っている」と公言しており[4]、2020年8月、聖飢魔IIの地球デビュー35周年期間限定再集結に合わせタイアップした「聖飢魔Ⅱ×悪魔のおにぎり広島風お好み焼きごはん -悪魔の故郷味-」がローソンから発売された[10]

世を忍ぶ仮の小学生時代に坂上二郎司会のラジオ番組に出演し、坂上のものまねで『学校の先生』を歌った。当時から広島市内で布教活動を手がけており、地球統一による平和への願いは「どの悪魔よりも強い」と自負している[7]

帰国子女である経歴および桐蔭学園高等学校卒業という学歴について『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)で「織田裕二の先輩」とともに暴露された際に認めている。桐蔭学園高等学校・早稲田大学を通じた先輩であるやくみつるとは、在学中には面識がなかったものの共通の趣味である相撲を通じて親交を深め、「やく先輩」と呼ぶほどの関係となっている。

大学受験時の頃について、「これ、話になんないね、っていう点数しかとってなかったので・・・。我輩の世を忍ぶ仮の父親は銀行員だったので、行くんだったら、ここか、ここより上の学校じゃないと行っても意味がない・・・みたいなのがちょっとあって。だから現役の年も滑り止め的なところはほぼ受けてなくて。だから、全滅は当たり前なの」と恵俊彰のラジオ番組で語っている[11]。その後、一浪して早稲田大学に合格して、入学する。

デビュー前 編集

怪獣やヒーロー等、特撮フィルムのキャラクターについての造詣も深く、ゴジラの鳴き真似コンテストに出場して優勝した実績を持つ[注 7]。当時、塾の講師のアルバイトをやっていて、生徒から「ゴジラの鳴き声コンテスト」があることを教えられて応募したところ、ラジオ局から電話があり、優勝賞金10万円を東宝からもらったという。

早稲田大学の学生時代は、「やりたいことは全部やろうと思ってたので、とりあえず面白そうなものは全部手を出したのね。・・・で、まず演劇は学校のサークルではなく、俳優養成所に行ったのね」と語っている[12]。俳優養成所では、恵俊彰の相方であるホンジャマカ石塚英彦と出会い、一緒に映画やドラマのエキストラをやったこともあるという[13]

大学在学中に展開していたバンドでは、演目に「ウルトラマンの歌」を取り上げることも多かったという。右半身をウルトラマン・左半身をレッドキングに仮装して独りで格闘シーンを演ずるパフォーマンスなど、特撮キャラクターのモノマネの巧みさから、同学の先輩で特撮映画出演実績もあるラサール石井から真剣に入門勧誘を受けたとされている。早慶戦の試合前にマイクパフォーマンスとしてゴジラの鳴き真似を披露し、スタジアム観衆全員からの喝采を浴びたことでも知られる。怪獣映画や特撮番組に造詣が深い事から、当時早稲田で創設されたばかりの特撮サークル『怪獣同盟』の創始者であり、後に「平成仮面ライダーシリーズ」のチーフプロデューサーとなった髙寺成紀とは交流があったという[14]

たけしのお笑いサドンデス』に出演した際にはビートたけしから「将来タレントになれる」と評価された。「タモリ倶楽部」の「大学生のコンパ芸」を紹介する放送回では、世を忍ぶ仮の名で友人等と出演し、ゴジラの鳴き真似や、他の宴会芸などを披露している。

音楽活動では大学時代フォークソングクラブに所属し「走り幅跳び」や「顔面大陸棚」「生老婆(ナマローバ)」「紫馬肥(ムラサキウマゴヤシ)」「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関するバンド」というバンドを組んでいた。同学の先輩であるサンプラザ中野爆風スランプを結成しメジャーデビューを目指した活動を始めたことから、中野の後を継いで素人バンド「スーパースランプ」の2代目ボーカリストに就任している。

大学時代は新宿東口の伝説的ポルノデパート「ファイブ・ドアーズ」でアルバイトしており、当時「ビニ本収集家」として有名だった谷村新司が来店したときにデーモンが受付に居たと本人は語っている。谷村と共演した際も「谷村さん、ファイブ・ドアーズに入った事あるでしょう?」「あそこで、バイトしてたんですよ、あ、谷村新司が来た、と判って可笑しくて必死に笑いこらえてました」と話し、谷村を驚かせた[15]

徹子の部屋』(テレビ朝日系)にゲストとして招かれた際には、大学の卒業式に悪魔の姿で出席し、当然ながら職員が制止したが「これは悪魔の正装だ!」「みな明日から社会に旅立つ姿で卒業式に来ている。吾輩が明日から社会に旅立つ姿がこれなのだ!」との発言を繰り返し強硬に押し切ったところ、通りかかった知らない教授に「最近は君のような気骨のある学生が少なくなった」と激励を受け、共に記念写真を撮ったというエピソードを披露している。このエピソードは著書『我は求め訴えたり』にも記載されている。

音楽活動 編集

 
第11回Japan Expo2010年フランスパリ)における閣下。

生まれて初めて歌で稼いだ楽曲は、世を忍ぶ仮の大学時代に当時の居酒屋で歌った北島三郎の「与作」で、現在においてもカラオケ十八番である。

1982年魔暦紀元前17年)12月から本格的な悪魔教の「布教活動」を兼ねて聖飢魔IIのフロントマンとしてボーカルをつとめ、各地で「黒ミサ」と称すコンサートを行った。所属していたレコード会社のCBSソニーを「市谷悪魔教会[注 8] と呼び、レコードCDを「教典」と称していた。

メディアへの登場時には悪魔的世界観を強調して振る舞ったが[注 9]、トークは友好的に展開し、1988年ザ・ベストテンに出演時には司会の黒柳徹子の依頼で、ルーク篁の伴奏に合わせてマイウェイの盛り上がり部分を歌い、諸星和己に会話に割り込まれるも全く動じず笑って返し、即興で「パラダイス銀河」1番の弾き語りを演じた。

一方で局側からの依頼などで悪魔的な面が強調されることもあり、1990年7月27日、8月31日「有害ロック」で『ミュージックステーション』に出演した際には出演者の頭を鷲掴みにする、光GENJIと一緒に装飾を引き剥がすなどスタジオを破壊[注 10] したり、雛壇に上って内海光司にバナナを無理矢理食わせる[注 11] などした後消火器をまき散らし、司会の生島ヒロシに消火剤を浴びせる、CMに入る際「もっとぶち壊してやる、もっとぶち壊してやる、ぐわははははは」と破壊的なセリフを口にし生島にパイナップルを押し付けるなどした[注 12]。同年、「小暮伝衛門」名義でソロアルバム「好色萬声男」をリリース。

1999年の「地球征服完了」後はソロ活動を展開している。以降2年間は、ソロプロジェクト『!(エクスクラメーション)』で活動していたが、2003年にはデーモン小暮閣下名義でソロアルバムをリリース。

2005年に期間限定で聖飢魔IIを復活させ、再解散後の翌2006年に公式ファンクラブ「縁魔堂」が開設された。

ライブでの負傷 編集

1986年7月27日岡山県蒜山高原で行われた「蒜山ミュージックフェスティバル」にて、オープニングの「創世紀」演奏中に野外ステージの屋根上から登場し、屋根にぶら下がった状態からステージに飛び降りて着地する際、機材セットに衝突して脚を骨折してしまう。激痛に見舞われる中、しかし当初の段取り通り1曲目「THE END OF THE CENTURY」を歌唱。同曲終了直後に信者(ファン)に対して「蒜山高原の諸君元気か!!(歓声)吾輩は元気でなくなってしまった、急に」と言ったことで、容態の変化を暗に信者に伝えた。それでも「吾輩はこのミサを全うする」とMCを行い、マイクスタンドを杖代わりに説法を含めた20分強の公演をこなした。悪魔組曲での天地逆転唱法(三点倒立で歌う)は行わなかった(流石に無理だった)が、最後に「本日は申し訳なかった、この借りは必ず返す」と言い残し、会場に近い鳥取県米子市内の病院に直行。そのまま重傷の脚部を改造手術する為入院した。

付き添っていた実母に対して、病室で見舞いに来た者を労うため「まぁまぁでも剥いてあげたら?」と依頼したことが、当時宝島社の編集者であった映画評論家・町山智浩により「ママぁ、梨剥いてー」と実母に甘えてせがんでいたとの都市伝説となった。本人は後に著書で、『梨は皮ごと食べるので「梨剥いて」などと言うわけがない』と否定している。実母は「悪魔ぶり」を否定するどころか、普段楽屋を訪れた際に、関係者に「デーモンの世を忍ぶ仮の母でございます」と挨拶したことがある。

エピソード 編集

帰国子女であり幼少時は日本語よりも英語のほうが上手かったと話し、2007年12月22日にNHKワールドTV[注 13] で放送された『WHAT'S ON JAPAN』で大相撲の1年を振り返るインタビューを英語、副音声日本語の吹き替え部分両方を自らコメントしていた。

取材でアメリカで通っていた小学校に悪魔の姿で訪問した際、訝しく思った校長に「君、college専門学校や単科大学などの高等教育)くらいは行っているよね?」と訊かれ、「University(総合大学)を卒業してますよ」と答えた途端、校長は生徒に向かって「彼はこんな格好をしているが、ちゃんと勉強して大学に行っているんだ」と説いた。

1997年ロサンゼルスにて小原礼尾崎亜美夫妻が結婚式を挙げた際、司式をする式場の雇われ偽牧師が予定時間を過ぎても現れなかったため、参列していたデーモン閣下が「人ならざるもの」という理由で神父役をしたことがある。

好角家として 編集

好角家であり、本人の公式サイト上にもプロフィールに明記されている。「ファン歴300年にもおよぶ相撲ファンである」と自称し、寛政年間=西暦1790年頃(魔暦紀元前210年頃)の、実質的な初の横綱とされている谷風小野川の取組なども当然観て来たと話している。本人は悪魔として好角家になった理由について、「人間と言う生き物が裸一貫になった時に、どれほどの力が出るかと言うのを調査する為」と語っている。

好角家となった経緯 編集

好角家となったのは、世を忍ぶ仮の祖父が旅順工科大学で相撲部に所属していたことも影響している。世を忍ぶ仮の小学生時代に祖父と話がしたくて相撲に関する文献を読みあさった。また広島での布教活動中、小学校の砂場での相撲取りがのめり込む切っ掛けとなった[5][6]。絵画教室で若浪がうっちゃりを見せる勇姿を秀逸に表現して周囲を驚かせ、高校生時代には、受験勉強もそこそこに当時の蔵前国技館近隣の古書店に足繁く通い、相撲に関する諸文献をむさぼるように読み漁り豊富な知識を培っていった(この古書店には後の逆鉾昭廣らも頻繁に通っていたとされている)。

学園祭においては、相撲同好会の展示室の片隅で自ら相撲文字を書き続け、周囲を驚かせた。単に知識を蓄えるのみではなく、大学在学中には後述のフォーク同好会のみならず、相撲同好会にも所属して実践的かつ多角的な相撲競技の分析・稽古に取り組み、大学の校舎の屋上で相撲をしたなどの逸話も残っている。体格に恵まれていれば力士になりたかったと語ったこともある(ベースボールマガジン社発行の大相撲情報誌『VAN VAN相撲界』にて連載コーナー「吾輩は力士になりたかった」も持ち、タイトルページにはモノクロ写真が掲載されていた)。このため相撲に対する見識は高い。

本場所にとどまらず地方場所へも年に数回は必ず通っている。また、本人はあくまで悪魔の姿で観戦したかったが、日本相撲協会理事長直々に「観客が相撲に集中できなくなる」という理由で悪魔の姿での入館を謝絶されてきたので、通常は世を忍ぶ仮の姿での観戦に留まっている。贔屓の力士は輪島であり、悪魔ヒーローとして崇めている(「悪魔のヒーロー」とは、人間界における蔑称を指すものではなく、魔界においては最高の尊称である)。

悪魔の姿での入館については、北の湖敏満が理事長であった2005年に館内放送のゲストに招かれた際に協会から「どうぞ悪魔の姿で」との返答があり、「出入り禁止が解けた」と解したと、北の湖が亡くなった際にコメントしている[16]

“相撲”の布教活動 編集

1987年から1990年に放送されたニッポン放送デーモン小暮のオールナイトニッポン』では「大相撲を666倍楽しむ方法」のコーナーを設け、当時現役であった大徹にスポットを当て、大徹本人を生出演ゲストとして迎えるまでに至るという、当時の相撲協会の広報派遣としては異例の深夜に現役力士がゲスト参加するコーナーにまで成長させた[注 14]。本人は大徹の断髪式に招聘されて鋏を入れているほか、大徹は「黒ミサ」に頻繁に顔出しや差入れを行うなどの信頼関係が築かれている。

大徹以外では琴富士が悪魔組(聖飢魔IIのファンクラブ)会員であったこともあり佐渡ヶ嶽部屋と永く親交が深く、2005年の11月場所後には悪魔の姿で正客として佐渡ヶ嶽部屋に招かれ、稽古場上座に親方らと列座して琴欧州(後の琴欧洲)、琴光喜らの稽古を中心に熱心に見覧している。

オールナイトニッポンでは、芸能人・著名人の迷言を集め競わせて番付を付けるコーナー「夜霧の横綱審議会」も設定され、本格的な相撲ネタも多数寄せられ若年層中心の『オールナイトニッポン』リスナー層世代以外にリスナー層も増加させた。

好角家としてのメディア出演 編集

好角ぶりが広く認知されて以降、NHKを含むメディアから出演要請を受け、2005年11月9日放送の『クローズアップ現代』にスタジオ・ゲストとして悪魔の姿で出演し、琴欧州の話題を中心に大相撲の現状と展望を述べた。

2006年1月15日の大相撲初場所8日目では、NHK大相撲中継のゲストとして午後1時のBS2の中継開始から午後6時の総合中継終了まで出演した。通常、相撲中継における著名人ゲストの出演は中入り後のみであり、三段目の取組から打ち出しまでの全編にわたって出演するゲストはNHK相撲中継史上初であった。通常は場所入りする力士や場所界隈の風景の映像から始まる大相撲中継のオープニングも閣下が会場入りする模様からスタートする異例の扱いだった。

中継終了間際に感想を問われ、「『紅白歌合戦』に初めて出たときよりも感激した」とした。「呼ばれればすぐにでも出ますので」など、謙虚な発言を実況の吉田賢アナウンサーから「らしくない。『また来るぞぉ』で締めるのかと思いましたが」と指摘されると「また来るぞ、ウワハハハハ」と本来の語りで締めて放送は終了したが、解説は角界関係者・メディア・視聴者ともに概ね好評で、2007年1月14日の大相撲初場所8日目の中入り後中継[注 15]2009年1月18日1月場所中日の正面解説[注 16] と、以降もゲストとして出演した。また、世を忍ぶ仮の幼少時代の在米経験を買われ、2008年5月24日の大相撲夏場所14日目のデジタル総合BS2の英語副音声の中入り後解説も担当している。

2006年12月30日のNHK『大相撲この一年』では、北の富士勝昭舞の海秀平やくみつると共に座談会形式で角界の一年を振り返っており、以降毎年末に同じ面子による『大相撲とことん言います』が放送されている。2008年12月7日の『ボクらの時代』(フジテレビ系)では、内館牧子、やくみつると大相撲談義を行った。2007年11月7日放送のクローズアップ現代でも時津風部屋力士暴行死事件と角界の抱える問題について「膿を出し切るいい機会ではないかと」と持論を展開した。

2010年6月21日のニュースウオッチ9では、多数の大相撲関係者が野球賭博に関与したこと名古屋場所の開催が危ぶまれていることに関して「絶対に開催すべき。中止すればこつこつと努力している多数の力士がかわいそう。努力している力士で大相撲を守りきるのがファンへの罪滅ぼし」と電話インタビューの応答が放送された。

2011年1月10日に大相撲1月場所2日目のNHK大相撲中継に出演し、翌年の初場所で期待する「夢番付」を発表したが、番付中空白になっていた東前頭筆頭の欄に自ら「琴田宮」と琴光喜の過去の四股名を書き込み「琴光喜に関しては処分に疑問を持っている。反省したうえで十両下位からやり直してもいいのではという私見だった」と語った。

2021年10月19日にはNHKの『視点・論点』に出演し「横綱・白鵬の引退に思う」と題して横綱白鵬の活躍を通じて見えた「スポーツと『道』の齟齬」ついて論じた[17]

本業とのジレンマ 編集

好角家であることが広く世に知られてからは、音楽活動よりも大相撲に関わる仕事の方が増えてしまい、テレビ出演中に「吾輩が歌手だということを忘れられてしまいそうだ」と危機感を吐露することもあった。大相撲においてスキャンダルが起きるたびにマスコミからコメントを求められることについて「吾輩は大相撲界のトラブルに対処する専門家ではない」とブログでマスコミをたしなめるコメントも出している[18]

啓発キャラクターとして 編集

がん検診啓発キャラクター 編集

2012年7月より広島県の「がん検診啓発キャラクター」に就任。広島県や県内自治体が主催する啓発イベントに参加して、県民のがん検診受診率アップを目指して啓発活動を行っている[19]。同年12月には広島本通り商店街を「がん検診に行くがよい!」というキャッチフレーズで練り歩いた[20]湯﨑英彦知事とも度々対談を行っており[21]、「この顔にガーン! ときたらがん検診」などの呼びかけフレーズも県職員と協議して決めている。

悪魔は本来人助けはしないが、広島県への在住も過去あったので、その縁で引き受けたという理由のほかに[22] かつて聖飢魔IIの構成員であったガンダーラ金子が2012年6月に肺癌で死去したこともきっかけとなっている。

啓発イベントの一環として、毎年広島東洋カープの試合で始球式をしたり[4]マツダスタジアムの外野席で検診の受診を呼びかけたりしている[19]。カープ側でも「カープ×デーモン閣下コラボ グッズ」として、専用デザインのTシャツやタオルを制作して販売した[23]。ただし本来は閣下は巨人ファンということである[22]。2017年には啓発用衣装として、広島県専用のコスチュームが作成された。福山市では啓発用のラッピングバスが運行される[24]

その他 編集

 
上手な医療のかかり方オンライン特別対談イベントにて(2020年11月16日)

2017年、総務省における「電波利用環境保護周知啓発強化期間」の啓発キャラクターとして選ばれた[25]。周知・啓発のイメージキャラクターとしての活動を行った[25][26]

2019年11月18日、厚生労働省の「上手な医療のかかり方大使」に任命[27][28]。2020年11月16日、上手な医療のかかり方大使として新型コロナウイルス感染症とインフルエンザの同時流行に備えた「上手な医療のかかり方」特別対談イベントに参加し[29]、新しい生活様式に即した上手な医療機関の受診の仕方などを呼びかけた他[29]、同イベント内のトークセッションで新型コロナウイルス感染症による受診控えについて「がんは早期発見すれば5年後、10年後の生存率が上がるが、健康診断やがん検診も減っている現状は、発見が遅れてしまうかもしれない」と危惧した[30]

主な音楽作品 編集

 
「天地逆転唱法」(三点倒立状態での歌唱)は、ステージ上における閣下の定番のパフォーマンスである。

アルバム 編集

シングル 編集

オムニバス、コンピレーションアルバム等への参加曲(メインで歌唱しているもの) 編集

  • 杉浦フィルハーモニーオーケストラ『交響組曲「ト音記号」』(1995年、Ki/oon Sony) - 「魔王」歌唱(魔王役。子供役は濱田マリ
  • VA『オフ・オフ・マザー・グース』(1995年、東芝EMI) - 「悪魔」歌唱
  • VA『Who Do They Think We Are?〜A Tribute To Deep Purple From Japan』(1996年、BMGビクター) - 「BURN」歌唱
  • 平松愛理『Reborn』(1996年、ポニーキャニオン) - 「彼方からの手紙」歌唱(平松愛理とのデュエット)
  • ダミアン浜田『照魔鏡』(1996年、フライトハイ) - 「失楽園へふたたび」歌唱
  • VA『RAINBOW EYES〜SUPER ROCK SUMMIT II〜』(1999年、ポリドール) - 「MAN ON THE SILVER MOUNTAIN」歌唱
  • 尾崎亜美『Amii-Phonic』(2001年、フォーライフ) - 「Wisdom of Nature」作詞・歌唱(尾崎亜美とのデュエット)
  • VA『Skill and a Shout it lets out』(2002年、VAP) - 「エフ・ユー・シー・ケー」歌唱(大橋隆志作曲)
  • ミヒャエル・シャブシャブスキー『しゃぶしゃぶレンジャーのうた』(2002年、日本クラウン) - 作詞・作曲
  • VA『DEATH NOTE TRIBUTE』(2006年、BMGジャパン) - 「L↔R」作詞・作曲・歌唱
  • VA『ドラゴンボール改 SONG COLLECTION』(2009年、コロンビアレコード) - 「ただ凍える挽歌〜THE Theme Of FREEZER〜」作詞・作曲・歌唱(「Demon Kakka」名義)。テレビアニメ『ドラゴンボール改』の挿入歌で、同作の登場人物であるフリーザのイメージソングである。
  • Grand Illusion『Brand New World』(2010年、MARQUEE INC.) - 「SEARCH FOR LIGHT」ゲストボーカル(Peter Sundellとデュエット)
  • VA『爆風スランプトリビュートアルバム WeLoveBakufuSlump』(2011年、クラウド・クックー・ランド) - 「おしゃれな東京タワー」歌唱
  • TAKASHI O'HASHI『INDEPENDENT SOULS UNION』(2012年、R&P RECORDS) - 「TIME TO TURN OVER」作詞・歌唱
  • VA『ANOTHER SOUND OF 009 RE:CYBORG』(2012年、VAP) - 「空っぽの部屋-RESET TO ZERO」歌唱
  • VA『なめこのCD』(2013年、んふんふレコード) - 「なめこのうた (地獄のなめこのうた)」歌唱
  • 『時空の迷い人』(2020年、フライングドッグ) - TVアニメ「八男って、それはないでしょう!」タイアップ曲。ALI PROJECT宝野アリカとのコラボレーションとなっている。作曲はデーモン閣下、編曲はAnders Rydholm。カップリング曲の『薔薇異形』と共に、作詞は宝野アリカとの共作となっている。

合唱曲 編集

  • 世紀を越えて(2014年)作詞・作曲(演奏:早稲田大学グリークラブ
  • ワセダを倒せ!(2014年)作詞・作曲(演奏:早稲田大学グリークラブ)
  • わ(2014年)作詞・作曲(演奏:早稲田大学グリークラブ)
  • 千穐楽(2014年)作詞・作曲(演奏:早稲田大学グリークラブ)

ビデオ・DVD 編集

ショートフィルム 編集

映画 編集

  • 『コナ・ニシテ・フウ』(2008年、吉本興業) - 監督・脚本補・出演。YOSHIMOTO DIRECTOR'S 100企画の一篇。父親役は輪島大士(第54代横綱・輪島関)。

客演 編集

13.UNDER MY MARTIAL LAW feat.デーモン小暮閣下
2.ダーミー城の吸血悪魔(笑)

著作など 編集

出演 編集

現在 編集

過去 編集

テレビドラマ 編集

映画 編集

テレビアニメ 編集

OVA 編集

ゲーム 編集

吹き替え 編集

舞台 編集

CM・イメージキャラクター 編集

脚注 編集

注釈

  1. ^ 世を忍ぶ仮の姿としては1962年11月10日 デーモン閣下 - CDJournal”. CDジャーナル. 2019年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月21日閲覧。
  2. ^ 公式サイトによる。なお、後述の通り「閣下」までが芸名であるため、日本語訳すると「デーモン閣下(ここまで芸名)閣下(敬称)」となる。
  3. ^ 幼少時から現在に至るまで地上で唯一口喧嘩でかなわない相手であると畏怖している。学生時代、裕美子が学園祭でロック・クイーンになっている姿を見て「コレだ!」とのヒントを得たと語っている。1994年裕美子の結婚式には、そのままの出で立ちで列席したという。閣下自身が公私混同を非常に嫌がっているので披露宴に閣下は出席する予定はなかったが、急きょ悪魔の“素顔”で出席した。
  4. ^ それが本来の悪魔の姿であり「メイク」が一部落ちているとの指摘に対しては、鱗粉のように剥がれることもあると説明している。洗顔ソープのCMに出演して顔を洗うシーンがあったが、素顔はいっさい変わっていなかった。容貌に関して『笑っていいとも!』でタモリから「ダンプ松本は友達か?」と聞かれ、悪魔の姿で電車に乗っていたらダンプ松本に間違えられたことがあると答えた。
  5. ^ 「元副大魔王 [1] 閣下」の意と推定される(序列としては「(大魔王)サタン44世陛下」>「(摂政)ダミアン浜田殿下(後サタン45世)」>「(副大魔王)デーモン閣下」)。ただし、「悪魔教教祖」としてであれば「猊下(His Holiness)」が適当である。
  6. ^ 例外として、NHKのインタビュー番組「ホリデーインタビュー」にて広島時代の恩師と元同級生の女性と共演した際には、「小暮君」と呼ばれることに対し「この場では止むを得ないでしょう」と発言している
  7. ^ 後、映画『ゴジラvsビオランテ』にカメオ出演した。
  8. ^ 当時CBSソニーの本社が新宿区市谷にあったため。現在のSME市ヶ谷ビル
  9. ^ 宝島1986年9月号、週刊少年サンデー1986年29号巻頭カラーページなど。後者では表紙も飾った。放送初期の『ミュージックステーション』などメディア側が悪魔的世界観に乗った例もあり、1987年には2月13日、3月13日、11月13日と同年の『13日の金曜日』の放送回に全て出演し、当日の新聞テレビ欄には13日の金曜日と聖飢魔IIを関連付ける煽り文が書かれた。
  10. ^ 7月27日放送回。この時二番の歌詞を間違えた。
  11. ^ 8月31日放送回。セットの装飾として用意されていたものを丁寧に剥いた上で押し付けた。内海はそのまま受け取り曲が終わりCMに突入するときも食べていた。
  12. ^ 後日年末スペシャル版で局側からの依頼であると明かされた。
  13. ^ BS1では12月23日。
  14. ^ ゲスト出演した南野陽子の「大徹さん頑張ってね」の声を録音しリミックスした「ダダダダ大徹 ダダダダ大徹 大徹大徹 『頑張ってね』」という、番組前期の名フレーズとジングルまで登場した。その後、大徹がゲスト参加した際に自己紹介で挨拶した「大徹です」というフレーズをさらに付加し「ダダダダ大徹大徹 ダダダダ大徹 大徹大徹 『頑張ってね』『大徹です』」というものも作成されている。
  15. ^ 横綱土俵入りの選択に関する知識を披露するなどした。
  16. ^ 輪島大士と共に務め、当日の実況アナウンサーを務めた岩佐英治のアシストもあって輪島に関する知識や記憶を披瀝し、取組に対しても独特の視点から厳しい解説をした。
  17. ^ 小暮課長の出勤風景、『いい日旅立ち』を口ずさみながら娘と自転車に乗るほか、家族サービス・OLに応援されて温泉卓球・海外出張・万歳三唱など多数。
  18. ^ 「さっぱりした〜」と言っているが、使用前との変化は人が見てもわからない。
  19. ^ アニメの風神と共演している。市販薬CMのお約束である注意事項のチャイム音の代わりに閣下の「デーモン」の一言で終わる。

出典

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  48. ^ 厚生労働省「上手な医療のかかり方.jp」CMコンテンツ

関連項目 編集

  • 平田オリザ - 小学校・中学校時代のクラスメイト
  • デイモン・ヒル - 日本語では「デーモン」と表記されることも多く、「同名」の縁で当時日本資本であった彼の所属チーム「ブラバム」に「聖飢魔II」がスポンサーとして付いていた。
  • 大川豊(大川興業) - 素人芸人時代から交友がある。
  • 和角仁 - 早稲田ゼミナールで古文を教わる。

外部リンク 編集