貴闘力忠茂

日本のプロレスラー、元大相撲力士

貴闘力 忠茂(たかとうりき ただしげ、1967年9月28日 - )は、兵庫県神戸市出身(入門時は福岡県福岡市博多区[2])の元大相撲力士プロレスラー。本名は鎌苅 忠茂(かまかり ただしげ)。

貴闘力 忠茂 Sumo pictogram.svg
基礎情報
四股名 鎌苅→貴闘力
本名 鎌苅 忠茂→納谷 忠茂→鎌苅 忠茂
愛称 キラー
生年月日 (1967-09-28) 1967年9月28日(53歳)
出身 日本の旗 日本 福岡市博多区兵庫県神戸市
身長 180cm
体重 152kg
BMI 46.91
所属部屋 藤島部屋二子山部屋
得意技 突き、押し、張り手、いなし、引き、叩き
成績
現在の番付 引退
最高位関脇
生涯戦歴 754勝703敗(118場所)
幕内戦歴 505勝500敗(67場所)
優勝 幕内最高優勝1回
幕下優勝1回
殊勲賞3回
敢闘賞10回
技能賞1回
データ
初土俵 1983年3月場所[1]
入幕 1990年9月場所[1]
引退 2002年9月場所[1]
引退後 年寄大嶽
趣味 パチンコ、競馬、音楽鑑賞
備考
金星9個(曙太郎7個、旭富士正也大乃国康各1個)
2019年3月27日現在
貴闘力
プロフィール
リングネーム 貴闘力
本名 鎌苅 忠茂
身長 181cm
体重 148kg(大相撲現役時代の公表値)
誕生日 (1967-09-28) 1967年9月28日(53歳)
出身地 兵庫県神戸市
所属 フリーランス
スポーツ歴 大相撲関脇
トレーナー 佐山聡
デビュー 2014年4月16日
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貴闘力部屋
YouTube
チャンネル
活動期間 2020年9月8日
ジャンル ブログ
登録者数 15万人
総再生回数 14,495,330回
チャンネル登録者数、総再生回数は2021年1月11日時点。
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1994年に結婚した元妻は大鵬幸喜の三女で、大鵬の婿養子となっていた時期の本名は納谷 忠茂(なや ただしげ) であったが、2010年の離婚の際に鎌苅姓に戻っている。長男はプロレスラーの納谷幸男、次男・三男・四男は大嶽部屋に所属する大相撲力士の鵬山幸林[3]王鵬幸之介夢道鵬幸成[4]。甥は元大相撲力士の若闘力駿磁。

現在は焼肉店「焼肉ドラゴ」を[5]経営している実業家、またYoutuberである。タレント活動のマネジメントはGHKクリエイションズが行っている(業務提携)。

来歴編集

角界入門編集

1967年(昭和42年)9月28日福岡県福岡市博多区で生まれる。

幼少期は野球好きで神戸ドラゴンズに入団。金村義明に憧れ、報徳学園の入学を志すも、父親の借金で野球を諦める。相撲好きで力士に憧れ、小学生の時には既に力士を志していた。また、父親のギャンブル依存症から借金取りが連日自宅に押し掛け、逃れるために小学校を6~7回も転校しており[6][7]、賭博は大嫌いだった。

この経験から「自分は将来このような父親にはなりたくない」と思い、小学校卒業後に面識のある大関貴ノ花利彰に入門を願ったが、体験入門はしたものの「3年後(中学卒業後)にまたおいで」と一度は帰された。日本相撲協会の規定で義務教育を終了しないと入門できないためであった。

地元に戻った鎌苅は福岡市立花畑中学校2年生から柔道を始めた。この柔道部には一年先輩に佐々木健介が在籍していた。3年生では全国大会に出場し、団体戦の準決勝で古賀稔彦を擁する世田谷区立弦巻中学校に敗れている。中学校卒業後、賭博好きの父親から逃れるため[6]、柔道の道には進まずにかつて体験入門した藤島部屋に正式に入門した。

角界での活躍編集

1983年(昭和58年)3月場所で本名の「鎌苅」を四股名として初土俵を踏み、1989年(平成元年)3月場所後に新十両昇進を決めた。この際に四股名を「貴闘力」と改名した。なお、当初は藤島から「貴闘心(たかとうしん)」と聞かされており、色紙にもそのようにサインしており、新十両力士の発表の際に「貴闘力」と改名することを知ったという。

この頃から嫌いだった賭博に対して「少しくらいなら良いか」という安易な気持ちで手を染め、次第に午前中の稽古が終わると午後は競馬競艇、夜は部屋で麻雀をする生活を続け、「当たる」ことしか想像が出来なくなって年収の9割を賭博に費やした。

1990年(平成2年)9月場所で新入幕を果たし、11勝4敗の好成績で敢闘賞を受賞する活躍を見せる。1991年(平成3年)5月場所では小結に昇進するとそれ以降は三役から幕内上位に定着、この場所では3日目に前々場所で敗れた横綱千代の富士貢と再度対戦すると千代の富士を腕を掴んで土俵外へ放り投げる「とったり」で快勝、勝利直後のインタビューでは「憧れの大横綱に勝てて嬉しいです」と語った。なお、その日の夜に千代の富士が現役引退を表明した。千代の富士はこの場所初日に部屋の後輩である新鋭・貴花田光司に敗れており、貴花田と共に引導を渡す格好となった。千代の富士の引退報道を知った貴闘力は「本当ですか!信じられません」と驚き、「まだ自分は大先輩に対して偉そうなことを言える立場では無いので……」と語り、その表情は寂しげだったという。それでも千代の富士からは「オレのことは気にせず頑張れ」と直接励まされたことで調子を上げ、9勝6敗で二度目の敢闘賞を受賞した。この年は7月場所から11月場所まで関脇を維持し、大勝ちこそ無いものの8勝7敗と勝ち越しを続けた。

1993年(平成5年)2月に、停年を迎える10代二子山と師匠12代藤島の間で名跡交換が行われ、両部屋は合併した。12代藤島が11代二子山となったため、二子山部屋所属となる。

1993年5月場所、初日から8連勝し11勝して唯一の技能賞獲得。

幕尻での最高優勝編集

1994年(平成6年)3月場所は前場所まで3場所連続で負け越し、前頭12枚目まで番付を落としたものの、12勝3敗と好成績を挙げ、横綱・曙太郎と同部屋で新大関・貴ノ浪貞博との優勝決定戦に出場した。貴闘力は初戦でいきなり貴ノ浪との同部屋対決となるが敗れ、2戦目は貴ノ浪が曙に敗れた。貴闘力は3戦目で曙と対決し、土俵際を回り込むなど必死に善戦したが敗れ、幕内最高優勝は曙にさらわれた。

以後も、5月場所は曙に勝ち5回目の敢闘賞。7月場所は4日目から8連勝し3場所連続6回目の敢闘賞8回目の三賞。1996年1月場所は曙に勝ち12勝し7回目の敢闘賞。7月場所は1勝5敗から9連勝し8回目の敢闘賞。9月場所は4勝4敗から7連勝し11勝で9回目の敢闘賞。1997年7月場所は曙に勝ち11勝し殊勲賞12回目の三賞。1998年5月場所は2度目の初日から8連勝したが、それ以降は1勝6敗と失速し9勝。7月場所は曙に勝ち9個目の金星を獲得するなど活躍した。

しかし1994年3月場所以降、貴闘力は勝ち越しても優勝争いには加われず、前頭2枚目として臨んだ1999年(平成11年)11月場所で2勝13敗と大敗、2000年(平成12年)1月場所でも前頭10枚目で6勝9敗と負け越し、同年3月場所にはついに幕尻となる前頭14枚目まで陥落した。既に32歳となり、衰えの見えてきた貴闘力に対して周囲は十両陥落も十分有り得ると予想していた。

2000年(平成12年)3月場所で貴闘力は周囲の予想を大きく裏切り、初日からただ一人12連勝を記録し、優勝争いで首位を独走した。この結果を踏まえ、貴闘力には13日目に横綱・武蔵丸光洋戦、14日目に横綱・曙戦が急遽組まれた。通常、前頭下位の力士は小結以上の三役力士および横綱とは対戦することが無く、同場所予定されていた曙 - 武蔵丸の両横綱同士のを崩す異例の事態となった。貴闘力は両横綱に敗れて2敗を喫するが、千秋楽の時点でも優勝争いの単独トップを維持していた。千秋楽で関脇・雅山哲士と対戦し、立ち合いの突きで一気に土俵際に追いつめられたものの、そこから逆転の送り倒しで下して13勝2敗となり、史上初の幕尻による幕内最高優勝を達成した[1][8][9]。貴闘力は32歳5ヶ月での幕内最高優勝で、初土俵から所要102場所での幕内最高優勝は当時、史上1位のスロー記録であり、旭天鵬勝が2012年5月場所に所要121場所で幕内最高優勝を果たすまで最長だった。なお、この場所では3日目に十両・水戸泉政人と対戦しており、十両力士と対戦した力士による幕内最高優勝は1961年(昭和36年)5月場所の佐田の山晋松以来39年ぶりである。

初優勝が決まった瞬間、貴闘力は土俵下で人目を憚らず号泣した。義父の大鵬幸喜が残した偉大な功績と自身の功績を息子から比較されて困惑したが、インタビューにおいて「ようやく子供に、『どうだ!父ちゃんだって強いんだぞ』と言える記録が作れました」と喜び、大鵬も「私の32回の優勝より、今場所の貴闘力の優勝が一番嬉しい」と嬉し涙で語った。

現役引退編集

幕尻での幕内最高優勝を果たした貴闘力はこの活躍によって、2000年(平成12年)5月場所で幕尻から一気に小結復帰を果たした。しかし、2勝13敗と前場所とは全く逆の結果となり、初優勝からちょうど一年後、再び前頭14枚目に陥落して迎えた2001年(平成13年)5月場所で5勝10敗と大敗、十両へ陥落する。

2001年(平成13年)7月場所は十両2枚目で迎え、1場所での幕内返り咲きを期待された。その期待に応えるように9勝6敗の成績を挙げた。この場所の十両力士には二桁勝利を挙げた力士がおらず、9勝6敗で8人が争う優勝決定戦が行われた。貴闘力は決定戦で敗れたものの、幕内最高優勝を果たした力士が十両優勝決定戦に参加する珍しい記録を作った。その後も幕内下位と十両を往復する日々が続いた。

十両11枚目で迎えた2002年(平成14年)9月場所12日目の対寺尾常史戦で敗れて3勝9敗となり、幕下陥落が確定的になったのを機に現役引退を表明、年寄・大嶽を襲名して大鵬部屋付きの親方となり、部屋を継承した。しかし現役時代に手を染めた賭博をやめられず、賭博の借金を大鵬に何度も肩代わりしてもらっていたと本人は述懐している[6][10][11]

賭博による解雇編集

2010年(平成22年)6月、一部の週刊誌で力士など関係者による野球賭博が発覚し、大嶽は警視庁による任意の事情聴取で賭博への関与を認めた[12]

同年6月27日に、一連の賭博問題を受けて設置された特別調査委員会から、除名もしくは解雇処分の勧告案が出された[13]。翌日になって大嶽は日本相撲協会へ退職届を提出するも受理されず[14]、6月29日の臨時理事会と評議員会で特別調査委員会からの勧告案が受け入れられた。これを踏まえて日本相撲協会では7月4日に臨時理事会を開催し、大嶽と大関・琴光喜啓司は解雇処分となった。日本相撲協会は当初、野球賭博に関与したことを申告すれば厳重注意処分で済ませるとしていたものの、大嶽や琴光喜は発覚時点で関与を否定していたことや、二人の賭け金が他の力士に比べて多かったことなどが解雇理由となったとされている[15]。部屋持ち親方の解雇処分は、2007年(平成19年)の元時津風時津風部屋力士暴行死事件)以来2人目、現役親方では元山響以来3人目である。

角界への入門動機が賭博好きの父親から逃れるためで、当初は賭博嫌いだった貴闘力は、皮肉にも自身の賭博が原因で角界を去ることとなった。

解雇されて以降、大嶽の名跡は15代・大嶽だった二子山が継承している。この不祥事により大鵬に離縁を申し渡され、7月5日に大鵬の三女と離婚、養子縁組も解消したために本名が「鎌刈 忠茂」に戻った[16][17]。大鵬が死去した際にも、葬儀への参列が認められなかったという[11]

2010年(平成22年)10月1日、江東区扇橋に焼肉店「焼肉本店ドラゴ」を開店した。ドラゴはイタリア語で龍を意味する。この命名者は弟弟子だった貴乃花光司で、看板を揮毫して開店初日にも店を訪れている。また、開店時に駿傑悠志を雇用するなど、引退力士の再就職支援も行っている。貴闘力の現役時代より神戸牛を扱う地元・兵庫県の企業と懇意で、牛肉の仕入れ先を確保していたことから焼肉店経営者として成功した。それ以外にも「相撲=がっつり、がっつり=肉、肉=牛肉、牛肉=神戸、神戸=貴闘力、貴闘力=相撲」の連鎖が生み出す物語性、SNS映え、高原価率なども成功要因とされている[18]

日本相撲協会を解雇されて以降も貴闘力は賭博をやめられず、ギャンブル依存症と診断された(後述)。以降、患者として様々なフォーラムやシンポジウムに参加し、カジノ法案に反対する立場からメディアの取材にも応じている[19]

プロレスへの転向編集

2014年(平成26年)4月16日に、リアルジャパン代々木競技場第二体育館大会でリングネーム「貴闘力」として参戦し、大仁田厚矢口壹琅プロレスデビュー戦を行い勝利した[20]。第三戦となる2015年(平成27年)1月12日のレジェンドプロレス後楽園ホール大会以来、プロレスの試合からは遠ざかっている[21]。同年4月に初代タイガーマスク基金チャリティーパーティーの会見で「曙とやります。間違いなく」と発言していたが[22]、対戦は実現していない。

「本業(焼肉店経営)が忙しい。借金があるのではなくプロレスは『好き』でやっていた」という考え、また2017年に長男の納谷幸男がプロレスデビューしてから、リングから遠ざかっている。2020年1月、元番記者とイベントで会った折に「プロレスは引退というより、商売が忙しいし、条件が合えばまたやることもあるかもしれない」と話した[23]。同年12月23日に東京ソラマチ8階ドームガーデンで行われた「大仁田厚 VS クロちゃん!クリスマス最終決戦!スカイツリー路上電流爆破プロレス!」(無観客試合)の第3試合では、経営する焼肉店内で選手たちの大暴れに乱入、店の外で長男の納谷幸男と合体攻撃を見せている[24]

日本相撲協会との確執編集

2010年の相撲協会からの解雇を「様々な力にはめられたという思いがある。でも相撲が好きだから、更に混乱を招くような抗議はしなかった」と話している[25]

その後、2017年10月に、当時現役横綱だった日馬富士公平による貴ノ岩義司への傷害事件が発覚し、貴乃花光司と白鵬翔の対立が報じられて以来、テレビ出演や雑誌インタビューなどで貴乃花を擁護する発言、相撲協会在籍時に持っていた不満などを発信するようになった。

2018年1月21日にフジテレビ系「ワイドナショー」に出演。中央大相撲部所属の次男と埼玉栄高相撲部所属の四男の角界入りを明言[26]。同年2月にアサ芸プラスのインタビューに応じ、「本当のことは分からないが、私が知っている貴乃花親方は細かいことでグズグズ言い続ける男ではない。貴乃花親方が『白鵬の野郎』とか『アイツは嫌いだ』なんて発言したわけじゃないでしょう。二人の対立構図なんてマスコミが作り上げた虚像」と報道を完全否定した[27]

同年9月26日に貴乃花が相撲協会を退職することを表明。同日放送のTBS系「あさチャン」に出演し、「昔から言ってるんだけど、国会議員でもやれよと。文部科学省に入れてもらって、外から改革するのも可能じゃないかと言ったら笑ってたけど」と貴乃花に政治家転身を勧めていたことを明かした。また、日本テレビスッキリ』では自身が野球賭博問題で解雇される際(2010年)に「お前、協会に不利益になることいったら、子どもが相撲取りになるんだから、ちゃんと静かにしとけよ」と圧力をかけられたと発言、「そんなことがあるって事なんだから、協会が貴乃花に言うっていうのは、日常茶飯事だってことです」と貴乃花への圧力があったと推測する発言を行った[28]。貴乃花に9月場所初日ぐらいに「弟子を増やしたいから協力してくれ」と相談されており、貴闘力の次男と四男も「その2人もオレに預けろと、確実に強くするから」とスカウトを受けていたとも話している[29]。同年10月には、貴乃花のイベント出演に同道している[30]

2019年6月30日放送のカンテレマルコポロリ」出演時、2018年1月場所で初土俵を踏んだ三男のこともあり、元妻が貴闘力を制止するためメールを送ってきていたことを明かした。「余計なことをしゃべるなと。子供が迷惑するんだよって。子供が大事か、一般の人、どちらが大事なのかと。そんなこと言われても、相撲を愛している人はみんな聞きたい。それを伝言するのはおれの役目だと。それを言うている間に電話が切れた」と貴闘力は話している[31]

2020年9月25日に、Youtubeチャンネル「貴闘力部屋~相撲再生計画~」を開設。相撲界で昔あった不祥事や力士の生活事情(恋愛や経済問題)などを配信する予定だという。相撲界の裏側を小出しにして全てをクリアにしたうえで、そのうえで相撲界をどうしていくかを話し、相撲協会に無視されない勢力を持つことを目指すという。自ら、野球賭博で相撲協会を解雇されたことは自覚しており、角界入りした3人の息子たちとは縁を切ったという[32]。同年11月29日にフジテレビ系「ワイドナショー」に出演、MCに「(息子に)アドバイスはしないのか」と聞かれ、「部屋に来るなと言われている」「今の親方の顔もある」と複雑な心中を語った[33]

人物編集

相撲への姿勢編集

平成に入ってからの大相撲は、制限時間一杯になっても立とうとしない力士が増加した。1970年代後半までは制限時間前でも立つ力士が多く、貴闘力による時間前の仕切りでも気合十分、「いつでも立つぞ」と言わんばかりの構えは、仕切りの本来の姿に近いとされた。実際に時間前で立つことも多く、そうした取組では相手力士との激しい攻防を展開して土俵を沸かせた。そうでなくても回転の良い突き押しの相撲内容は見応え十分で、しばしば繰り出す強烈な張り手と共に、相手力士との応酬も名物とされた。1990年(平成2年)7月場所の大翔山直樹戦での合計36発の張り手合戦、1991年(平成3年)7月場所の琴椿克之戦での壮絶な突っ張り合戦は現在でも語り草となっている。貴闘力の敢闘賞受賞回数10回がその相撲ぶりを示している[1]

力士としては小柄だが、古い書籍を読み漁って過去の名力士の逸話を参考にするなど、熱心な研究でこれを補った。廻しを取られないようにするために塩水を吹きかけて特にきつく締めていたが、こうした廻し姿は力士の大型化に伴い、緩く締める力士が増えていた時代にあって評価された。付き人を背負ってのすり足や、ゴムチューブを利用した筋力トレーニング(プロレス好きの影響)など、独特の稽古でアイデアマンとしても知られた。

曙を倒すのが仕事編集

横綱・曙太郎に対して相性が良く、通算15勝(28敗、ほかに決定戦1敗)を挙げ、金星だけでも7個獲得している。これは高見山大五郎(対輪島大士戦)と並び、一人の横綱から獲得した金星数の最多タイ記録である。こうした曙に対する強さから「優勝するのはうちの横綱。オレは曙を倒すのが仕事」と公言したことがある。逆に曙からすれば天敵と言える相手で、翌日の相手が貴闘力だと決まると「どちらが横綱かわからない」と言われるほどの気落ち・気負いぶりで、取り組みでも貴闘力の軽い叩きやいなしに対し、曙があっさり土俵を這うというパターンが目立った。「『曙の立合い、最初の両手突きさえ外せば怖くない』ということを全幕内力士に証明したのが、貴闘力最大の功績」(小坂秀二)の評さえある。しかし幕尻優勝した2000年3月場所では14日目で曙に敗れた。

一方で武蔵丸光洋には通算8勝37敗と大きく負け越しており、金星は無い。曙を毎場所の様に苦しめながら武蔵丸には歯が立たず、合口の面白さの実例とまで言われた。若乃花勝、貴乃花とは同部屋で対戦が組まれなかったこともあり、曙以外からの金星は2個と少ない。大関昇進を期待されたこともあったが、武蔵丸やライバル・琴錦功宗などに分が悪く、取りこぼしも多かったため果たせなかった。

曙や武蔵丸との対戦では仕切の際に相手を挑発し、態度が汚いと評されることもあった。天覧相撲の曙戦で待ったを繰り返し、睨み合いを演じて、説明に窮して面目を失った二子山理事長から叱責を受けたのはその好例である。この一件は後に、「待った」に制裁金が導入されるきっかけの一つともなった。

鬼門の九州場所編集

なぜか11月場所に弱く、1992年(平成4年)から現役最後となった2001年(平成13年)まで10年連続で負け越した。特に1996年は同年7月に10勝、9月に11勝を挙げて大関昇進のチャンスだったが、場所中に尿管結石で入院するアクシデントもあり、結局6勝9敗に終わって大関昇進は叶わなかった。

プロレスとの関わり編集

プロレスを好きになったきっかけは、現役時代の巡業中にテリー・ファンクと軽くプロレスの真似事をやったことであるという。冗談でテリーが「今夜からメーンでできる」と評した。またカール・ゴッチが二子山部屋の稽古場を見学に来ていた際に根掘り葉掘り聞かれたために四股を教えたところ、「教えてくれたから、オレのプロレス技を全部教えてやる」と感謝されたという。後年、「教えてもらえば良かったな」と本人がインタビューで話している。プロレスを短期間で引退したことについては、プロレスを借金を返すためにやっているわけではないこと、経営者として多忙であることの他に、「毎日練習はしている。ただ、先生が総合の練習ばかりさせるんだ。蹴りとかタックルとか。『親方に求められているのは迫力。蹴りもパンチも真剣にやらないとダメ』って。オレは総合をするわけじゃないのに」とトレーナーを務めた佐山聡との意見が相違していたことを明かしている[21]

エピソード編集

取組関連編集

  • 初土俵以来、一日も休むことなく現役を勤めた。貴闘力はこれを「優勝より誇りに思う」と述べている。
  • 幕内での珍しい決まり手としては二丁投げがあり、貴闘力はこの決まり手で3勝している。1991年(平成3年)5月場所2日目には、当時大関の霧島一博に対して鮮やかな二丁投げが決まり、殊勲の星を挙げた。
  • 九州場所と相性が悪かったが、逆に名古屋場所は相性が良く活躍する事が多かった。特に94年~98年は5年連続で金星か三賞を獲得していた。

取組以外の相撲関連編集

  • 2020年初場所中、2000年春場所の幕尻優勝経験者として当時を振り返りながら「德勝龍は一生懸命やっている。だからファンも記者も震えるでしょう、おぉ!って。こういう一世一代の勝負を見ていると楽しい。緊張しないわけがない。どっちが勝つかわからないけれど、德勝龍が勝って(優勝して)もうれしいし、正代が優勝してもうれしいよ」とエールを送った。この場所で德勝龍は貴闘力以来20年ぶりの幕尻優勝を果たしている[34]

ギャンブル依存症編集

公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会NPO法人依存学推進協議会などのフォーラム・シンポジウム[35]にギャンブル依存症患者として参加しているほか、各地で依存症カウンセラーとして講演活動も行っている[36]

依存症となった現役時代編集

  • 自らの生育環境を、貴闘力は「ガラが悪い」と話している。家には一切お金を入れない父親に対する嫌悪で相撲部屋に入り、当初は「自分は絶対ギャンブルしないで、しっかりコツコツお金貯めたろ!」という気持ちは持っていたという[37]
  • しかし、力士たちは娯楽として公営ギャンブルや麻雀などをしている者が多かった。貴闘力が賭博にのめりこむきっかけは、現役時代に兄弟子に「お駄賃をやるから、馬券を買ってこい」と頼まれ、その駄賃で自身も馬券を購入したことだという。大勝ちし、10万円が400万円以上の大金となった経験が忘れられない高揚感となったという[38]
  • その後、稽古と食事以外は競馬・麻雀などで過ごすようになり、朝稽古を終えて身体を休めることもせずに公営ギャンブル場に通い続け、給料や懸賞金の全てを注ぎ込んだ[39]
  • 十両昇進(1989年)のときは、化粧まわしや着物などをつくるために地元から集めた400万円を預けていた人に持ち逃げされ、ギャンブルに使われてしまった。師匠に借金を申し込んだが貸してもらえず、手元に残ったお金で馬券を買い当たりを出して再び工面をしたという[7][37]
  • 手元にお金があるときはあまりいい成績を残せず、手元にお金が無くなると他にすることがないため相撲に打ち込んで強くなる繰り返しであった。しかし、いい成績が三賞の賞金や良い給金となるとそれを賭博の種銭にしてしまったという[37]

結婚、親方時代編集

  • 賭博のために借金をするようになると、借金が段々増えていった。25歳のとき(1993年)に大鵬の三女と結婚することになり、大鵬から借金の額を聞かれ「親の分も含め1億円」と答え、結婚を機に5年で精算した[25]。大鵬が保証人になって、銀行からお金を借り、月々で返済したという[37]
  • 1997年6月のオーストラリア公演のときにカジノで5500万円勝ったことで、さらに熱中して総額で5億円負けたという[40]
  • 義父であった大鵬に「頼むからギャンブルはやめてくれないか」と言われ、1年ほどギャンブルをしていなかった。しかし、禁断症状不眠症幻視などに悩まされ、「ちょっとぐらいいいじゃん」と誘われて[37]30歳くらいの頃に再び賭博に手を染めた。大鵬に一度誓ってギャンブルをやめていたため、隠れて借金をして公営ギャンブルをしていたという。
  • 引退後に野球賭博にも手を出し、相撲協会を解雇された[11]。大好きな相撲が出来なくなると後悔したが、大鵬に離縁を申し渡され、周囲にも「だから言ったのに」と言われ、自業自得と諦めたという。2015年11月28日に行われたシンポジウムで「私には、あんなに優しい大鵬親方がいた。年寄株売ればなんとかなる。そうした最後には何とかなると甘えの気持ちがあったのだと思う」と本人は話している[17]
  • 元妻であった大鵬の三女によると、元夫の「4人とも力士にする」という絶対的な方針のもとに息子たちは相撲を始めており、2004年に隠居の身となった大鵬は孫が後継者となることを夢見て大嶽部屋の改装を始めていた。しかし元夫が相撲協会を解雇となり、元夫の賭博での借金の保証人になってくれた父親を裏切ったという申し訳ない思いから離れて住むようになり、報道陣が張り込んでいない深夜から早朝に運転代行のアルバイトをしていたという[41]

ギャンブル依存症と診断後編集

  • 2013年には焼肉店の税金支払いを滞納、一時は社員の給料を払えなくなったこともある。本人には全く依存症の自覚はなかったが、医療機関で受診すると20問のチェック項目全てに該当し、完全なギャンブル依存症と診断された[42]。診断されて以来、依存症者を対象とした自助グループに通うなどして脱却する努力をしているが、2015年12月に行われたシンポジウムで「ギャンブルをやりたくでソワソワする」と話しつつ、「俺はギャンブル依存症じゃない。精神力で何とかなる」と言い切っている[6]
  • 2016年のインタビューでは「その分の時間をもうちょっと稽古してればよかったですよ。今でも相撲を見るし、誰よりも相撲を愛している。ギャンブルにうつつを抜かしたから、神様がクビにしたんだなって、外の世界に出て初めてわかった」「日本にカジノを造ってほしくない」と発言している[43]
  • 2017年3月に、厚生労働省による普及啓発事業の一環として東京都内で開催された「依存症への理解を深めるシンポジウム」に参加した。パネルディスカッションの檀上で「正直2年間はギャンブルをやっていなかった」とした上で、近年ロシアで焼肉店を開店する関係でパスポートを再取得したことから「悪友に韓国へ連れて行かれ、自分は金を持ってないのにカジノで『ちょっとやってみな』と100万円を手渡されてやったら1000万円になった。ほんの2ヶ月前のことです」と再び賭博に手を染めたことを明かした。1000万円はすぐにゼロになり、カジノへの2回の出入りが20回の出入りとして後援者の耳に届いて厳しい叱責を受けたという。これに対し、司会の松本俊彦(国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長)[44]が「依存症は再発も含めてが治療経過です」と話しだすと、頭上を見上げて神妙な表情でその言葉に聞き入った[45]
  • 2018年6月18日放送の日本テレビ系「ダウンタウンDX」に出演、MCの浜田雅功の「もう(ギャンブルは)やってない?」という質問に対し、ギャンブルはやってます。(競馬の)G1をちょこっと。あと月イチ、海外でちょこっと」と答えている[46]
  • 2020年9月26日にYoutubeにアップロードした動画中で「親方(大鵬)は中卒でほんの遊びのつもりでハワイから拳銃を何十丁も持って帰ってきた」と角界拳銃密輸事件を引き合いに出し「ピストルのほうが野球賭博よりもよっぽど悪い」と大鵬に言ったと発言している[47]。2021年1月5日アップロードの動画では、相撲が嫌いな長男を「やる気を出したら北尾くらいになるかな」と鳥取城北高校相撲部監督の石浦外喜義に預けたら2ヶ月で逃げ帰ってきた件について話している。貴闘力は石浦監督に「(長男には)根性がないから」と言われたことを「だからお前に預けているんだろう!」と逆ギレし、長男を何度もスカウトに来た埼玉栄高校監督の山田道紀に引き比べるなどして「金目当て」などとこき下ろした[48][49]

その他編集

  • 当時の人気番組「カルトQ」の大相撲がテーマの回には出場を希望し、実際に筆記予選ではトップクラスの成績だったが、「現役力士にはご遠慮願いたい」とやんわりと出場を断られたという。
  • 日本相撲協会退職後の琴富士の援助をしていた時期があり、琴富士はTBS系『爆報!THE フライデー』の2019年2月8日放送分に出演し経緯を話した。
    • 同年3月22日放送の同番組で、番組がセッティングする形で琴富士と貴闘力は対面している。かつて貴闘力の経営する焼肉店の中国進出の折に、店長として上海に渡った後、店から貴闘力が手を引いたため琴富士は上海に置き去りのかたちになった。2014年に偽装結婚で逮捕された[50]後、国内を転々としてきた琴富士が発達障害児の療育の仕事で人生をやり直す[51]前にわだかまりを払拭したいと望んだため、貴闘力は当時の事情を説明している[52][53]
  • 2018年5月23日放送の医療バラエティー番組「名医のTHE太鼓判!」(TBS系)に出演。
    • 番組の事前検査で、糖分の摂りすぎによるとみられる脳梗塞の症状のひとつである「ラクナ梗塞」が見つかり、医師から「余命8年」の診断を受けた。脳の細い動脈が高血圧で痛めつけられ、次第に詰まって脳の深い部分に小さな梗塞ができるもので、”隠れ脳梗塞”と言われ治療が遅れることもある病型であるという。このラクナ梗塞について貴闘力は「たまに意識がなくなる、予兆はあった」と話している。また心臓の冠動脈にに4カ所、石灰化がみられたことも指摘されると、「2回ぐらい、ううっって(心臓が苦しく)なったことがある」と明かしていた[54][55]
    • 貴闘力は引退後に胃袋の縮小手術を受けて40kgのダイエットに成功したが、番組では1日の暴飲暴食ぶりも紹介された。起床後はサイダーと小さな饅頭、14時には回転寿司店でコーラ・茶わん蒸し・卵焼き・寿司7品・デザート5品を食べた後、16時に自身が経営する焼肉店で出す肉の試食としてモモステーキ200グラム・カイノミ200グラム、また接客の合間にはたい焼きを食べていた。
    • すでに高血圧の治療をしており、医師からは「甘い物の過剰摂取は高血圧のリスク」との指摘が入るも、「知ってたけど。どうせいいや。生きていてもしょうがない」と答えていた[56]
  • 2019年11月、相撲協会退職後の貴乃花に地方のイベントの仕事を紹介したが断られ、没交渉となっていると報じられた。貴闘力のマネージャーはトラブルを否定、貴乃花の所属事務所はマスコミの質問に答えなかった[57]
  • 2020年1月14日に東京ドームで開催された「ふるさと祭り東京2020―日本のまつり・故郷の味―」の名物企画『全国ご当地どんぶり選手権』に、出身地の兵庫県代表で「焼肉ドラゴ」として出店した[23]

主な成績編集

主な成績編集

  • 通算成績:754勝703敗 勝率.518
  • 幕内成績:505勝500敗 勝率.502
  • 通算連続出場:1456回
  • 幕内連続出場:1005回
  • 現役在位:118場所
  • 幕内在位:67場所
  • 三役在位:26場所(関脇15場所、小結11場所)

各段優勝編集

  • 幕内最高優勝:1回(2000年3月場所)
  • 幕下優勝:1回(1989年7月場所)

三賞・金星編集

  • 三賞:14回
    • 殊勲賞:3回(1991年3月場所、1997年7月場所、2000年3月場所)
    • 敢闘賞:10回(1990年9月場所、1991年5月場所、1991年7月場所、1994年3月場所、1994年5月場所、1994年7月場所、1996年1月場所、1996年7月場所、1996年9月場所、2000年3月場所)※同賞の最多受賞記録[1]
    • 技能賞:1回(1993年5月場所)
  • 金星:9個(大乃国1個、旭富士1個、7個)

場所別成績編集

貴闘力忠茂[58]
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1983年
(昭和58年)
x (前相撲) 東序ノ口33枚目
6–1 
西序二段103枚目
4–3 
東序二段78枚目
3–4 
東序二段90枚目
3–4 
1984年
(昭和59年)
東序二段92枚目
6–1 
東序二段18枚目
2–5 
東序二段44枚目
1–6 
東序二段74枚目
4–3 
西序二段64枚目
6–1 
西三段目99枚目
6–1 
1985年
(昭和60年)
西三段目50枚目
2–5 
西三段目82枚目
6–1 
西三段目38枚目
5–2 
東三段目11枚目
2–5 
東三段目39枚目
5–2 
西三段目8枚目
5–2 
1986年
(昭和61年)
東幕下43枚目
3–4 
西幕下57枚目
3–4 
東三段目10枚目
5–2 
西幕下44枚目
2–5 
東三段目14枚目
3–4 
西三段目22枚目
2–5 
1987年
(昭和62年)
西三段目52枚目
6–1 
西三段目5枚目
5–2 
東幕下45枚目
3–4 
西幕下56枚目
5–2 
東幕下35枚目
3–4 
西幕下43枚目
5–2 
1988年
(昭和63年)
西幕下25枚目
3–4 
西幕下33枚目
4–3 
西幕下27枚目
3–4 
西幕下37枚目
6–1 
東幕下17枚目
4–3 
東幕下11枚目
4–3 
1989年
(平成元年)
東幕下8枚目
5–2 
東幕下5枚目
6–1 
西十両13枚目
6–9 
西幕下2枚目
優勝
7–0
東十両10枚目
7–8 
東十両12枚目
8–7 
1990年
(平成2年)
西十両8枚目
11–4 
東十両3枚目
8–7 
西十両筆頭
9–6 
東十両筆頭
10–5 
東前頭13枚目
11–4
西前頭2枚目
5–10
1991年
(平成3年)
東前頭8枚目
9–6 
西前頭筆頭
9–6
西小結
9–6
西関脇
9–6
東関脇
8–7 
東関脇
8–7 
1992年
(平成4年)
西関脇
7–8 
東前頭2枚目
6–9 
東前頭5枚目
6–9 
東前頭8枚目
9–6 
東前頭2枚目
10–5 
西張出小結
5–10 
1993年
(平成5年)
西前頭5枚目
5–10 
東前頭12枚目
9–6 
西前頭6枚目
11–4
東小結
8–7 
東小結
7–8 
東前頭筆頭
5–10 
1994年
(平成6年)
東前頭7枚目
6–9 
東前頭12枚目
12–3[注釈 1]
西前頭筆頭
9–6
西小結2
10–5
西関脇
8–7 
西関脇
6–9 
1995年
(平成7年)
西前頭筆頭
7–8
東前頭2枚目
8–7 
東小結
5–10 
西前頭3枚目
9–6
東前頭筆頭
8–7 
西小結
7–8 
1996年
(平成8年)
東前頭筆頭
12–3
西関脇2
8–7 
西関脇2
7–8 
西小結
10–5
西関脇
11–4
東関脇
6–9 
1997年
(平成9年)
西前頭筆頭
11–4 
西関脇
7–8 
西小結
6–9 
西前頭筆頭
11–4
西関脇2
9–6 
西関脇2
6–9 
1998年
(平成10年)
東前頭筆頭
5–10 
西前頭4枚目
7–8
東前頭5枚目
9–6 
西前頭筆頭
10–5
西関脇
8–7 
西関脇
5–10 
1999年
(平成11年)
東前頭2枚目
8–7 
東前頭筆頭
8–7 
西小結
5–10 
東前頭3枚目
4–11 
東前頭7枚目
9–6 
東前頭2枚目
2–13 
2000年
(平成12年)
東前頭10枚目
6–9 
東前頭14枚目
13–2
西小結2
2–13 
西前頭8枚目
9–6 
東前頭4枚目
6–9 
東前頭5枚目
4–11 
2001年
(平成13年)
東前頭12枚目
8–7 
西前頭9枚目
5–10 
西前頭14枚目
5–10 
西十両2枚目
9–6 
東前頭14枚目
6–9 
東十両筆頭
7–8 
2002年
(平成14年)
東十両2枚目
9–6 
西前頭14枚目
6–9 
東十両筆頭
4–11 
東十両7枚目
5–10 
西十両11枚目
引退
3–10–0
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴編集

  • 鎌苅 忠茂(かまかり ただしげ)1983年3月場所-1989年3月場所
  • 貴闘力 忠茂(たかとうりき - )1989年5月場所-2002年9月場所

年寄変遷編集

  • 大嶽 忠茂(おおたけ ただしげ)2002年9月-2010年7月

テレビ出演編集

テレビ番組編集

ウェブテレビ編集

連載編集

  • コラム『貴闘力の反省!日記 相撲と肉とギャンブルと』(週刊大衆2018年10月8日号 - )

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 貴ノ浪と優勝決定・巴戦

出典編集

  1. ^ a b c d e f ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p25
  2. ^ 大相撲レファレンス
  3. ^ 大鵬の孫・納谷幸林が新弟子検査をパス「少しでも早く十両に上がれるよう」 父・貴闘力そっくりの風貌 デイリースポーツ 2020年2月29日、2020年7月31日閲覧
  4. ^ 大鵬孫 鵬山が前相撲白星デビュー「普段より緊張」 - 大相撲 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2020年3月10日). 2020年3月10日閲覧。
  5. ^ 公式発表
  6. ^ a b c d 貴闘力「ギャンブルやってなきゃ横綱なれた」賭博の怖さ赤裸々に語る withnews 2015年12月02日
  7. ^ a b 貴闘力さん、今もギャンブル依存症 発端は化粧まわし:朝日新聞デジタル” (日本語). 朝日新聞デジタル(2018年5月12日). 2019年6月1日閲覧。
  8. ^ 『大相撲ジャーナル』2018年3月号 p.60
  9. ^ 厳密には幕内で下に半枚ある状況であった。
  10. ^ 貴闘力が5億円を失った「ギャンブル依存症」 周囲の人を巻き込む恐ろしい病気に戦慄! キャリコネニュース 2016.2.10
  11. ^ a b c 元貴闘力 ギャンブル依存症のきっかけ Daily Sports Online 2016年2月8日
  12. ^ 大嶽親方が賭博認める 協会、21日に臨時理事会、東京新聞、2010年6月18日。
  13. ^ 朝日新聞 2010年6月29日
  14. ^ 大嶽親方が日本相撲協会に退職願提出、asahi.com、6月28日。
  15. ^ 朝日新聞 2010年7月5日
  16. ^ 【大相撲】元大嶽親方が離婚、元横綱大鵬との養子縁組も解消 産経新聞 2010年8月1日
  17. ^ a b 元関脇・貴闘力氏招きギャンブル依存症対策を考えるシンポジウム開催”. www.goraku-sangyo.com(2015年11月30日). 娯楽産業協会. 2020年12月11日閲覧。
  18. ^ 貴闘力「ちゃんこ」ではなく焼肉を選んだ本質 東洋経済ONLINE(文・はんつ遠藤、2017年10月11日閲覧)
  19. ^ 元関脇・貴闘力 「依存症の気持ちなど政府は分からない」|注目の人 直撃インタビュー”. 日刊ゲンダイDIGITAL(2018年7月9日). 2020年12月11日閲覧。
  20. ^ “貴闘力が大仁田厚とプロレスデビュー戦”. nikkansports.com. (2014年2月5日). http://www.nikkansports.com/battle/news/f-bt-tp0-20140205-1253684.html 2014年2月5日閲覧。 
  21. ^ a b 貴闘力が激白「わずか3戦で引退を決意した理由」 東スポWeb 2015年1月10日 09時00分
  22. ^ “貴闘力対曙戦が決定 秋にもプロレス対決”. nikkansports.com. (2015年4月25日). http://www.nikkansports.com/battle/news/1466735.html 2015年8月7日閲覧。 
  23. ^ a b 元関脇・貴闘力のリング復帰はあるのだろうか…金曜8時のプロレスコラム” (日本語). スポーツ報知 (2020年1月17日). 2020年12月16日閲覧。
  24. ^ 貴闘力親子が「スカイツリー路上電流爆破プロレス」で勝利「焼肉ドラゴ」で店内プロレス” (日本語). スポーツ報知 (2020年12月24日). 2021年1月29日閲覧。
  25. ^ a b [元関脇 貴闘力忠茂さん]ギャンブル依存症(3)カジノ通いで借金増大” (日本語). yomiDr./ヨミドクター(読売新聞、2017年5月31日). 2020年12月11日閲覧。
  26. ^ 元関脇貴闘力、納谷に続いて次男、四男の角界入り明言「一番素質あったのは長男ですが」/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online(2018年1月21日). 2019年5月16日閲覧。
  27. ^ 貴闘力がブチかます「相撲スキャンダルと力士改革」(3)私が知る貴乃花親方は… アサ芸プラス 2018年2月5日 12:56(徳間書店、2018年2月26日閲覧)
  28. ^ 貴闘力、退職時の裏話にスタジオ騒然 加藤浩次も絶句「そんなこと…」/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online(2018年9月26日). 2019年5月16日閲覧。
  29. ^ 貴闘力氏告白…秋場所中に貴乃花親方から息子をスカウトされた「オレに預けろ。確実に強くする」” (日本語). スポーツ報知 (2018年9月26日). 2019年5月16日閲覧。
  30. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年3月11日). “元貴乃花親方が復興活動 福島でちゃんこ振る舞う” (日本語). 産経ニュース. 2019年5月16日閲覧。
  31. ^ 貴闘力 元妻から「余計なことをしゃべるな。子供が迷惑するんだよ」/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online(2019年6月30日). 2020年9月18日閲覧。
  32. ^ 「文春オンライン」特集班. “《相撲協会の膿を出す!》貴闘力が話した「俺がYouTuberデビューする理由」”. 文春オンライン(2020年9月25日). 2020年9月25日閲覧。
  33. ^ 貴闘力が横綱・鶴竜の窮状を指摘「日本国籍がないので親方株取得できず」初場所も出場できない – 東京スポーツ新聞社” (日本語). 東スポWeb – 東京スポーツ新聞社(2020年11月29日). 2020年11月29日閲覧。
  34. ^ 20年前幕尻Vの貴闘力氏、德勝龍にエール「神懸かってる」(スポーツ報知)” (日本語). Yahoo!ニュース(2020年1月26日). 2020年2月21日閲覧。
  35. ^ 依存症問題を考える会 ギャンブル依存症に一刻も早い対策求める”. www.goraku-sangyo.com(2015年11月30日). 娯楽産業協会. 2020年12月11日閲覧。
  36. ^ 貴闘力関が講演。「ギャンブルは家庭崩壊を招く」: 甲斐毅彦記者の「多事放論」”. weblog.hochi.co.jp(2016年5月29日). 2020年12月11日閲覧。
  37. ^ a b c d e 「借金1億、財布には500円」貴闘力が振り返る、相撲とギャンブル漬けの日々” (日本語). ログミーBiz(2015年11月28日). 2020年12月22日閲覧。
  38. ^ 恐ろしいギャンブル依存の真実|ザ!世界仰天ニュース” (日本語). 日本テレビ. 2020年12月11日閲覧。
  39. ^ 元貴闘力、ギャンブルで「10億くらい負けてる」 - 芸能 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2017年12月18日). 2019年6月1日閲覧。
  40. ^ 貴闘力「5億負けた」ギャンブル依存症の過去を激白! 日刊大衆 2016年2月10日 08時00分 (2016年2月13日 09時33分 更新)
  41. ^ 大鵬の娘が語る、父の教えで乗り切った「シングルマザーの子育て」 | 女性自身” (日本語). WEB女性自身(2018年1月12日). 2020年12月13日閲覧。
  42. ^ 「勝った夢、絶った今も」元貴闘力が語るギャンブル NIKKEI STYLE 2016/12/23
  43. ^ 相撲強くなるため? 貴闘力がギャンブル依存に陥った理由 〈週刊朝日〉” (日本語). AERA dot. (アエラドット) (2016年2月17日). 2019年6月1日閲覧。
  44. ^ タレント貴闘力氏などが依存症の実体験を語る “依存症への理解を深めるシンポジウム”を開催(3/11 中央区月島)” (日本語). www.atpress.ne.jp(2017年2月10日). 2020年12月11日閲覧。
  45. ^ 貴闘力、2カ月前にカジノ出入り告白「ギャンブルは体が悪くならない」 デイリースポーツ 2017.3.11
  46. ^ 貴闘力、貴乃花親方に政界進出を勧める”. Lmaga.jp (2018年6月20日). 2020年12月13日閲覧。
  47. ^ 【閲覧注意】キャバクラ行って何が悪い?力士の大麻問題の真相告白 - YouTube”. www.youtube.com(2020年9月26日). 2020年12月26日閲覧。
  48. ^ (日本語) 【マジギレ】絶対に許さない!愛する息子を切り捨てた高校監督!!, https://www.youtube.com/watch?v=G8KUQPSyNbM 2021年3月4日閲覧。 
  49. ^ この動画内容に関して、鳥取城北高校・日本大学相撲部OBのYoutuber網谷勇志(2007年中学横綱)が2021年1月6日にアップロードした動画中で中学校の頃から世話になっている恩師に対する侮辱への怒りをあらわしている。貴闘力の長男が中学1年で入ってきたときに網谷は中学校のキャプテンだったという。根性の問題というより「本人が別のことがしたいのに行かされた」ならやる気が出ないのも当然で、無理強いした貴闘力が石浦監督に責任転嫁していることへの疑問も述べている。
  50. ^ 元関脇琴富士を起訴 偽装結婚で…/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online(2014年3月13日). 2020年12月27日閲覧。
  51. ^ 神戸新聞NEXT|総合|相撲所作で心落ち着けて 元関脇、神戸で療育教室”. www.kobe-np.co.jp(2019年2月7日). 2020年12月27日閲覧。
  52. ^ 元関脇・琴富士氏、貴闘力氏に罵声「なんで分かってくれないんですか!」” (日本語). スポーツ報知 (2019年3月22日). 2020年12月27日閲覧。
  53. ^ 貴闘力氏、元幕内優勝力士と大バトル「俺のこと振り回しているじゃないですか!」”. スポニチAnnex(2019年3月23日). 2020年12月27日閲覧。
  54. ^ 貴闘力 ラクナ梗塞で「余命8年」の診断 「生きていてもしょうがない」/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online(2018年4月23日). 2019年9月29日閲覧。
  55. ^ 貴闘力:検査で“隠れ脳梗塞”見つかる 「今でもずっと貴乃花の味方」とエールも” (日本語). MANTANWEB(まんたんウェブ、2018年04月23日). 2019年9月29日閲覧。
  56. ^ 貴闘力は今も「甘い物とギャンブル」 脳梗塞の前兆見つかるも本人は...” (日本語). J-CAST トレンド (2018年6月29日). 2020年12月16日閲覧。
  57. ^ 貴乃花「真剣に人生のパートナーを探し中」 夜のネオン街で目撃証言多数” (日本語). デイリー新潮(2019年11月7日号). 2021年3月3日閲覧。
  58. ^ Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2011年1月22日閲覧。
  59. ^ しくじり先生 俺みたいになるな!! バックナンバー”. テレビ朝日. 2020年12月23日閲覧。
  60. ^ 大相撲いぶし銀列伝 - フジテレビONE/TWO/NEXT(ワンツーネクスト)”. otn.fujitv.co.jp. 2020年12月23日閲覧。
  61. ^ @ddtpro 親子連係!”. Twitter(2020年12月23日). 2020年12月23日閲覧。
  62. ^ “[https://twitter.com/ddtpro/status/1341690576865914880 @ddtpro HARASHIMAの大ピンチに貴闘力さんが!!]”. Twitter(2020年12月23日). 2020年12月23日閲覧。
  63. ^ HARASHIMAの「へろへろ日記」:ABEMA路上プロレスinスカイツリー”. blog.livedoor.jp(2020年12月23日). 2020年12月23日閲覧。
  64. ^ 貴闘力親子が「スカイツリー路上電流爆破プロレス」で勝利「焼肉ドラゴ」で店内プロレス” (日本語). スポーツ報知 (2020年12月24日). 2020年12月24日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集