憲仁親王妃久子
憲仁親王妃 久子(のりひとしんのうひ ひさこ、1953年〈昭和28年〉7月10日 - )は、日本の皇族。学者。高円宮家第2代当主。身位は親王妃。敬称は殿下[1]。お印は扇(おうぎ)。勲等は勲一等[2]。旧名は、鳥取 久子(とっとり ひさこ)。
憲仁親王妃 久子 | |
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高円宮家 | |
2019年(令和元年)12月5日 撮影 | |
続柄 | 鳥取滋治郎第1女子 |
全名 | 久子(ひさこ) |
身位 | 親王妃 |
敬称 | 殿下 |
お印 | 扇 |
出生 |
1953年7月10日(71歳) 日本・東京都港区芝白金三光町(現:白金) |
配偶者 | 高円宮憲仁親王 |
子女 |
承子女王 千家典子(典子女王) 守谷絢子(絢子女王) |
父親 | 鳥取滋治郎 |
母親 | 鳥取二三子 |
栄典 |
勲一等宝冠章 |
役職 |
日本赤十字社名誉副総裁 日本水難救済会名誉総裁 日本海洋少年団連盟名誉総裁 日本サッカー協会名誉総裁 日本ホッケー協会名誉総裁 日本フェンシング協会名誉総裁 日本バレーボール協会名誉総裁 全日本軟式野球連盟名誉総裁 いけばなインターナショナル名誉総裁 日本AED財団名誉総裁他多数 大阪芸術大学芸術学部客員教授 |
称号:親王妃 | |
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敬称 |
高円宮妃久子殿下 Her Imperial Highness Princess Takamado |
皇室 |
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第126代・今上天皇(徳仁)の父のいとこである高円宮憲仁親王の妃。
鳥取滋治郎第1女子。子爵・曾我祐邦の曽孫。大阪芸術大学客員教授を務める。日本サッカー協会の名誉総裁[3]。2023年11月1日より公益財団法人日本バドミントン協会の名誉総裁。
略歴
編集東京都港区白金にて三井物産勤務・鳥取滋治郎、二三子(ふみこ)夫妻の長女として誕生。聖心女子学院附属幼稚園に入園[4]。父の米国三井物産転勤により一家で渡米。ニューヨーク郊外のウェストチェスターに転居。ママロネック・スクールに入学。帰国後、聖心女子学院初等科・中等科を卒業するが、父が欧州三井物産ロンドン支店次長に任命され一家で渡英。ノースヨークシャーのメアリーグラマー女子修道院校(The Convent of the Ladies of Mary Grammar School)に入学。その後同国、ケンブリッジ大学ガートン・カレッジで中国学・人類学・考古学を学び[5]1975年(昭和50年)に卒業。
日本に帰国し翻訳会社に勤める。再度、法律を学ぶために渡英し、1982年(昭和57年)に帰国した。称号(名誉学位)として名誉法学博士(アルバータ大学、プリンスエドワードアイランド大学)[6]。
三笠宮崇仁親王が総裁を務めた第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議(1983年8月31日 ~9月7日、東京・京都にて開催)で、三笠宮の通訳・助手を務めた。結婚前、旧姓の「鳥取」と「久子」のバランスが悪いため、仕事の際は一文字加えた「鳥取恒久子」という名前の名刺を使っていた。
1984年(昭和59年)4月23日、カナダ大使館のレセプションパーティーにて1歳年少の憲仁親王と出会う。5月上旬には、憲仁親王の父・三笠宮から好意の有無を確認される。5月20日に英語で「Will you marry me?」とのプロポーズに「Yes.」と答え承諾。同年9月17日に納采の儀、12月6日に結婚の礼を行い[7]、憲仁親王と結婚。婚儀と同日に、高円宮家が創設された[8]。承子女王[9]、典子女王[10]、絢子女王[11] の3人の女子をもうけた。
日本サッカー協会・名誉総裁である憲仁親王とともに、彼女もサッカー関係の行事に出席する際にはサッカー関連のアクセサリーを身につけるなど、振興に協力した。2002年(平成14年)には、サッカー・ワールドカップ日韓大会の開催中である5月末に夫妻で大韓民国を公式訪問し、開会式にも出席した。日本サッカー協会総裁としてではあるが、皇族の公式な韓国訪問は、高円宮夫妻が第二次世界大戦後初である(※それ以前には、韓国最後の皇太子李垠やその妻・李方子の葬儀などに参列するため秩父宮妃勢津子、高松宮宣仁親王、同妃喜久子、三笠宮崇仁親王、同妃百合子、寬仁親王が韓国を訪問したことがあるが、公式訪問ではない)。開催期間中19試合を観戦した[12]。
2002年(平成14年)に憲仁親王が急逝し[13]、高円宮家の当主となった。その後は日加協会、日本サッカー協会、全日本軟式野球連盟、日本水難救済会をはじめ憲仁親王が務めていた諸々の総裁・名誉総裁職を引き継ぎ[14]、精力的に活動している。また憲仁親王の心室細動での薨去がきっかけでAEDが普及した縁から、一般財団法人日本AED財団の名誉総裁に就任している。
2012年(平成24年)に、論題「根付コレクションの研究 : 高円宮コレクションを中心に」で、大阪芸術大学より博士(芸術文化学)の学位を授与された。
2013年(平成25年)9月、日本サッカー協会(JFA)・アルゼンチンサッカー協会の友好記念行事に日本サッカー協会名誉総裁として出席するためにアルゼンチンを訪問し、記念式典ではJFAを代表して挨拶を行った後にアルゼンチンナショナルサッカートレーニングセンターを視察した[15]。また、両国サッカー協会の記念行事と同時期にブエノスアイレスで2020年夏季オリンピックの開催地選考を行っていたIOC総会が開催されることから、日本の皇族として初めて出席することになった。だが、東京オリンピック招致に結び付けたい首相官邸と皇室の政治利用を懸念する宮内庁との駆け引きの末、出席してスピーチはするもののオリンピック招致を直接呼びかけず招致委員会メンバーのユニホームを着ないことになった[16]。東京のプレゼンテーションにおいて冒頭のスピーチでIOCやスポーツ団体の東日本大震災救援に対する感謝のスピーチを流暢なフランス語と英語で行った[17]。スピーチではオリンピック招致を直接呼びかけることはなかったが、スピーチの最後で「チームジャパンがこれからプレゼンテーションを始めます。説得力のあるものとして聞いていただけると思います」とオリンピック招致について間接的に触れた[18]。
この第125次IOC総会で2020年夏季オリンピックの誘致活動を行った東京は、マドリードとイスタンブールを破り、2020年東京オリンピック開催が確定した。開催地が東京に決定したのは、彼女の参加が大きな影響を与えたとの分析がある[19]。このスピーチについては、オリンピック誘致に政治的な側面があることから宮内庁は慎重であったが、内閣と東京都が押し切って実現した。なお、ライバルのマドリードは、フェリペ王太子(のちの国王フェリペ6世)など王室メンバーが積極的に関わっていた[20]。
2015年4月よりバードライフ・インターナショナル名誉総裁高円宮妃久子のウェブページが新設された[21]。雑誌『婦人画報』で根付と野鳥の連載もしている[21]。
2017年(平成29年)4月より一般財団法人日本AED財団の名誉総裁に就任した[22]。
2018年1月15日、公益社団法人全日本アーチェリー連盟と日加協会の名誉総裁を退任する[23]。公益社団法人全日本アーチェリー連盟名誉総裁は承子女王、日加協会名誉総裁は絢子女王が引き継がれる。同年1月31日、公益社団法人日本スカッシュ協会と公益社団法人日本海洋少年団連盟の名誉総裁を退任した[24]。公益社団法人日本スカッシュ協会名誉総裁は承子女王、公益社団法人日本海洋少年団連盟名誉総裁は絢子女王が引き継がれる。
2018年(平成30年)3月より公益財団法人日本心臓財団の名誉総裁に就任した[25]。
2018年6月には、サッカーワールドカップ・ロシア大会に出場するサッカー日本代表を激励するためにロシアを訪問[26]。日本の皇族としては1916年(大正5年)の閑院宮載仁親王以来102年ぶりのロシア訪問である。
2019年(令和元年)11月17日、三女の守谷絢子と守谷慧との間に初孫の男児が誕生した。
2020年(令和2年)4月1日、公益社団法人日本ライフル射撃協会の名誉総裁に就任した。[27]
2022年(令和4年)11月27日から、日本サッカー協会の名誉総裁としてサッカーワールドカップ・カタール大会同大会を視察。ワールドカップの現地観戦は今大会で7度目[28]。
2023年(令和5年)7月、FIBAバスケットボールワールドカップ2023日本大会の名誉総裁に就任した[29]。
年譜
編集- 1953年(昭和28年)7月10日、鳥取滋治郎・二三子夫妻の長女として誕生。
- 1956年(昭和31年)4月、聖心女子学院附属幼稚園に入園。
- 1959年(昭和34年)、米国・ママロネック・スクールに入学。
- 1959年(昭和34年)、聖心女子学院初等科に入学。
- 1965年(昭和40年)4月、聖心女子学院中等科に入学。
- 1968年(昭和43年)4月、英国・メアリーグラマー女子修道院校に入学
- 1972年(昭和47年)、 英国・ケンブリッジ大学ガートンカレッジに入学。
- 1979年(昭和54年)、英国・ケンブリッジ大学大学院修士課程修了。
- 1984年(昭和59年)12月6日、皇室会議を経て婚約し、高円宮憲仁親王と成婚。戸籍から消除され、皇族譜に記載される。
- 同日付で勲一等宝冠章受章。
- 1986年(昭和61年)3月8日、承子女王(第1子/長女)を出産。
- 1988年(昭和63年)7月22日、典子女王(第2子/次女)を出産。
- 1990年(平成2年)9月15日、絢子女王(第3子/三女)を出産。
子女
編集近年の主な外遊歴
編集- 1998年(平成10年)6月、 フランス
- サッカーワールドカップフランス大会視察のため。高円宮に同伴。
- 2000年(平成12年)5月 - 6月、 エジプト、 モロッコ
- 2002年(平成14年)5月 - 6月、 韓国
- サッカーワールドカップ日韓大会開会式出席のため。高円宮に同伴。
- 2003年(平成15年)6月 - 7月、 アイルランド、 イギリス
- スペシャルオリンピックス等に出席のため。
- 2004年(平成16年)6月、 カナダ
- 日本とカナダの外交関係樹立75周年にあたり、親善訪問。
- 2004年(平成16年)11月、 タイ
- 世界自然保護会議等に出席のため。
- 2005年(平成17年)6月、 ドイツ、 ヨルダン
- FIFAコンフェデレーションズカップ視察、ヨルダンのバディーア王女の結婚式に参列のため。
- 2005年(平成17年)11月、 イギリス
- バードライフ世界理事会に出席のため。
- 2006年(平成18年)1月、 カナダ
- 「高円宮殿下日本ギャラリー」開会式典に出席のため。
- 2006年(平成18年)6月、 ドイツ
- サッカーワールドカップドイツ大会、日本選手激励のため。
- 2008年(平成20年)9月16日 - 10月3日、 ウルグアイ、 ブラジル、 アルゼンチン、 パラグアイ
- バードライフ・インターナショナル世界大会出席などのため。
- 2010年(平成22年)6月、 南アフリカ共和国
- サッカーワールドカップ南アフリカ大会視察のため。
- 2013年(平成25年)9月、 アルゼンチン
- アルゼンチンサッカー協会・日本サッカー協会友好記念行事[15] 並びにIOC総会出席のため。
- 2014年(平成26年)6月、 ブラジル
- サッカーワールドカップブラジル大会視察のため。
- 2018年(平成30年)6月、 ロシア
- サッカーワールドカップロシア大会、日本選手激励などのため。
- 2022年(令和4年)11月27日 - 12月3日、 カタール
- サッカーワールドカップカタール大会視察のため。
栄典
編集日本
編集ポルトガル
編集- - エンリケ航海王子勲章グランド・クロス(1993年)
スペイン
編集- - イサベル・ラ・カトリカ勲章デイム・グランド・クロス(2008年)
スウェーデン
編集- - カール16世グスタフ70歳誕生日記念メダル(2016年)
家系
編集鳥取家は香川県三豊郡笠田村(現・三豊市豊中町笠田笠岡)の旧家である。曽祖父・鳥取治郎八は地主で、農業を営み香川県多額納税者であった[30]。祖父・鳥取為三郎も多額納税者であり、地主であった[31]。父・鳥取滋治郎(1924年 - 2013年)は東邦物産専務、フランス三井物産社長、東海観光会長等を務めた。
母・二三子(1927年 - 2023年)は外交官・友田二郎の長女。友田二郎は兵庫県会議員や但馬銀行監査役を務めた友田一郎の弟である。友田二郎は後に宮内庁式部官も務めた。母・二三子の祖母・曾我晃子は元貴族院議員・曾我祐邦子爵夫人。母方の曾祖母の晃子は、貞明皇后と従姉妹にあたる。晃子は鷹司煕通公爵の養女となり、曾我祐邦子爵に嫁いだ。したがって、久子は高円宮と遠縁にあたる。
エピソード
編集サッカーワールドカップ南アフリカ大会終了後、日本サッカー協会名誉総裁である久子は出場した日本代表の岡田武史監督や一部選手、同じく大会に参加した西村雄一審判員の表敬訪問を受けた。その際、日本代表監督の辞任を表明したものの、その後の予定が決まっていない岡田に対し「いつまでも浮草のようにフラフラしてないで、もう夏休みは終わりですよ」と声をかけたという。
カメラ愛好家としても知られる。野鳥写真やコレクションの根付を自然の中に配した写真を題材にすることが多く、2021年にはニコンが写真展を開催している[32]。サッカー観戦の際にも愛機を持ち込み撮影する姿などがネット上でしばしば話題となることがある[33]。
著作
編集- 『夢の国のちびっこバク』ブライアン・ワイルドスミス画(学習研究社、1996年) ISBN 4052008235
- 『氷山ルリの大航海』飛鳥童画(講談社、1998年) ISBN 4062092344 - 2007年6月、大阪芸術大学の学生により舞台化された
- 『宮さまとの思い出』(扶桑社、2003年) ISBN 4594042481
- 『根付 高円宮コレクションII』(思文閣出版、2006年) ISBN 4784212736
- 『旅する根付 高円宮妃現代根付コレクション』(講談社、2008年) ISBN 4062150018
- 『龍の子ケンとリン』(小峰書店、2009年) ISBN 4338180366
- 『寄り鳥見鳥』(産経新聞出版、2010年) ISBN 4863060718
備考
編集政府による正式表記(内閣告示や宮内庁告示など)では皇族に宮号が冠されることはない(「皇太子」を除く)ため、それらの告示が掲載される官報での表記は「憲仁親王妃久子」とされ、「高円宮」が冠されることはない。ただし、同じ政府による表記であってもホームページなど「国民一般へのわかりやすさ」が重視される場面では「高円宮妃」の表記も用いられる。
脚注
編集- ^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
- ^ 1984年(昭和59年)12月7日『官報』第17351号9ページ「叙勲」
- ^ 高円宮妃久子さま、日本代表激励 日本サッカー協会名誉総裁
- ^ 株式会社ローソンエンタテインメント. “高円宮妃久子|プロフィール|HMV&BOOKS online”. HMV&BOOKS online. 2022年7月26日閲覧。
- ^ 著者略歴、『宮さまとの思い出』。
- ^ 宮内庁・高円宮妃の略歴
- ^ 1984年(昭和59年)12月6日宮内庁告示第10号「憲仁親王殿下は、昭和五十九年十二月六日、鳥取久子と結婚の礼を行われた件」
- ^ 1984年(昭和59年)12月6日宮内庁告示第11号「天皇陛下は、昭和五十九年十二月六日、憲仁親王殿下に、高円宮の称号を賜つた件」
- ^ 1986年(昭和61年)3月11日宮内庁告示第2号「憲仁親王妃久子殿下は、愛育病院において御出産、女王が御誕生になった件」、1986年(昭和61年)3月15日宮内庁告示第3号「御誕生になった憲仁親王殿下の第一女子は、御名を承子と御命名になった件」
- ^ 1988年(昭和63年)7月23日宮内庁告示第4号「憲仁親王妃久子殿下は、愛育病院において御出産、女王が御誕生になつた件」、1988年(昭和63年)7月29日宮内庁告示第5号「御誕生になつた憲仁親王殿下の第二女子は、御名を典子と御命名になつた件」
- ^ 1990年(平成2年)9月18日宮内庁告示第12号「憲仁親王妃久子殿下は、愛育病院において御出産、女王が御誕生になった件」、1990年(平成2年)9月25日宮内庁告示第15号「御誕生になった憲仁親王殿下の第三女子は、御名を絢子と御命名になった件」
- ^ “高円宮さまの急逝:日本にとって大きな損失”. jeremy.footballjapan.jp (2002年11月24日). 2022年12月4日閲覧。
- ^ 2002年(平成14年)11月25日宮内庁告示第9号「憲仁親王殿下が薨去された件」
- ^ “名誉総裁 日本水難救済会”. 公益社団法人日本水難救済会. 2016年4月12日閲覧。
- ^ a b アルゼンチンサッカー協会との友好記念行事に高円宮妃殿下がご臨席 日本サッカー協会オフィシャルサイト トピックス(2013年9月7日付)
- ^ 高円宮妃久子さま、IOC総会出席へ 朝日新聞 2013年9月2日
- ^ “久子さま「震災支援、国民代表し御礼」プレゼンでご登壇”. 産経新聞. (2013年9月8日) 2013年9月8日閲覧。
- ^ 髙円宮妃久子さまお言葉要旨、産経新聞 2013年9月8日
- ^ “「なぜ、東京は五輪を勝ち得たのか?」記者座談会”. 朝日新聞. (2013年9月8日) 2013年9月9日閲覧。
- ^ 菅原慎太郎 (2013年9月29日). “久子さまIOC総会ご出席の舞台裏 官邸の意向、渋る宮内庁押し切る”. 産経新聞 2013年9月29日閲覧。
- ^ a b 名誉総裁高円宮妃久子殿下のウェブページが新設されました、バードライフ東京、2015年4月10日
- ^ 日本AED財団 お知らせ 2017年5月1日閲覧
- ^ 承子さまと絢子さま名誉総裁に=久子さまから引き継ぎ-宮内庁 時事通信社
- ^ 【皇室ウイークリー】(524)両陛下、明治150年講義お受けに 皆既月食を御所の来客と 産経ニュース
- ^ お知らせ:公益財団法人日本心臓財団の名誉総裁の御就任について 2018年3月21日閲覧
- ^ “高円宮妃久子さま W杯激励でロシアへ 皇族訪問は102年ぶり”. NHK (2018年6月18日). 2018年6月24日閲覧。
- ^ “会員の方へのご案内|会員向け情報|日本ライフル射撃協会”. www.riflesports.jp. 2020年4月1日閲覧。
- ^ “サッカーに親しむ高円宮妃久子さま、カタールへ 「強い気持ちで」 - サッカーワールドカップ(W杯) [森保ジャパン:朝日新聞デジタル]”. 朝日新聞. 2022年11月27日閲覧。
- ^ 憲仁親王妃久子殿下 「FIBAバスケットボールワールドカップ2023日本大会」 名誉総裁ご就任のお知らせ公益財団法人日本バスケットボール協会公式サイト 2023年7月13日
- ^ 『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年、ト65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月31日閲覧。
- ^ 『大衆人事録. 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』、1938年、香川5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月31日閲覧。
- ^ THE GALLERY 企画展 高円宮妃殿下 写真展 鳥と根付 こころは翼とともに
- ^ 華やかネイル・カメラガチ勢の 久子さまがW杯現地観戦に“並々ならぬ思い”を込められた理由
参照文献
編集- 『読売新聞』2012年5月18日東京朝刊