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TOTO (バンド)

アメリカ合衆国のロックバンド

TOTO(トト)は、アメリカ合衆国出身のAOR、ロックバンド

TOTO
トト
Toto Kongsberg Jazzfestival 2017 (223058).jpg
ノルウェー・オスロ公演 (2017年7月)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ハードロック
アメリカン・プログレ・ハード
AOR
ソフトロック
プログレッシブ・ロック
フュージョン
活動期間 1976年 - 2008年
2010年 - 現在
レーベル コロムビア・レコード
ソニー・ミュージックエンタテインメント
レガシー・レコーディングス
CMC International
Frontiers Records
公式サイト Official TOTO Website
メンバー デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ルカサー
スティーヴ・ポーカロ
ジョセフ・ウィリアムズ
旧メンバー ジェフ・ポーカロ
ボビー・キンボール
デヴィッド・ハンゲイト
マイク・ポーカロ
ファーギー・フレデリクセン
ジャン・ミシェル・バイロン
グレッグ・フィリンゲインズ
サイモン・フィリップス

1970年代後半のアメリカン・プログレ・ハードとAORサウンドの両方を持つグループである。デビュー作から、全米チャート上位にランクインするなどアリーナ・ロック・バンドとして、ヒットを連発した。特に4枚目のアルバム『TOTO IV〜聖なる剣〜』が1千万枚以上のセールスを記録し[1]、「グラミー賞」で6冠に輝いた。

概要編集

 
1982年のグループショット

1976年ロサンゼルススタジオミュージシャンをしていたデヴィッド・ペイチジェフ・ポーカロ を中心に発足。

2008年3月のボズ・スキャッグスとの来日公演を最後に活動を無期限に休止すると宣言し、公式ウェブサイト7月23日に正式に解散を発表。その後ALSを患ったマイク・ポーカロの救済目的で、2010年7月にヨーロッパ各地で期間限定としてツアーを行った。

2011年9月には日本でもツアーが実現し[2]、以降は多くの来日公演を重ねた[3]2015年には9年ぶりのオリジナル・アルバムを発売するなど[4]、事実上恒久的な活動を再開している。

バンド名の由来編集

メンバーによって、またその時によって説明が異なっているため、正確には不明であるが、元メンバー、ボビー・キンボールの本名「ロバート・トトース(Robert Toteaux) 」をもじったもの、「全てを含む」を意味するラテン語英語風に変えたもの、日本の陶器メーカーTOTOからとった[5](来日の際、TOTOの便器を欲しがったと言われる)など、複数の説、及びメンバーの説明がある。ただし、陶器メーカーのTOTOからとったという説明については、デビュー当時は日本での人気が先行していたため、日本のファンへのリップサービスがてらのジョークとして音楽雑誌『ミュージック・ライフ』のインタビューで語ったものである。また、キンボールの本名説に関しても、実際の本名はトトースではない。これもメンバーによるジョークであると考えられている。

なお、2012年まで公式ウェブサイト内のバンドヒストリーでは次のような説明がなされていた。

バンドがデモ・テープを作っていた際に、映画『オズの魔法使い』を見たばかりであったジェフが、映画に登場するの名前「トト」をテープに書いてすぐ判別できるようにした。その後、デヴィッド・ハンゲイトが詳しく調べたところ、「トト(toto)」はラテン語で「totus(全て)」 、あるいは「all-encompassing(網羅的な)」を意味することが分かった。これは数々のセッションに参加していたメンバーの経歴やどんなジャンルの音楽にも対応できるバンドの演奏能力にぴったりであるということから、デビュー・アルバムのタイトル及びバンド名として採用された。
(参考:[6] 2012年8月時点、ウェブアーカイブによる)。

2014年現在はこの記述は削除されているが、オズの魔法使いの部分を除き同様の回答をしているインタビュー映像がDVD作品、『グレイテスト・ヒッツ・ライヴ・アンド・モア』に収録されている。

解散直前のインタビューで、スティーヴ・ルカサーが語るところによると「バンド名がブランドになってしまってるからもう変えられないけど、俺はこのバンド名が好きじゃないんだ。俺が命名に関わってる訳じゃないし、気がついたらそういう名前になってたんだけど。イヤんなっちゃうよ、世界的に有名なトイレメーカーと同じ名前なんだぜ。皮肉っぽくてギャグとしては面白いと思うけどね」と語っている。同時に、ルカサー自身は「バット・ホール・サーファー(Butt hole surfer)の方が良かったが、もっとマジメにやれと拒否された」とも語っている[6]

なお、本国米国をはじめとするラテン文字圏では、見出し等特別な場合を除き通常「Toto」と一般的なバンド名同様先頭のみ大文字にして表記がなされるが[7]、日本では「TOTO」というアルファベットかつ全て大文字の表記をレコード会社が公式に採用しており、「トト」「Toto」といった表記が見られるのは稀である。本稿もこれに倣いバンド名を原則「TOTO」としている。

音楽的特徴編集

一般的には、典型的なAORサウンド[8]と評されている。また、商業的な成功と聴きやすいサウンドを有していることから、ジャーニーなどとともに産業ロックと形容されることがある。実際に、そういった趣が色濃い曲も数多く、それゆえヒット曲が多かった。アルバム全体ではハードロックからプログレッシブ・ロックジャズ・フュージョンといった、多くのジャンルの曲を録音している。ロック評論家、渋谷陽一は、松任谷正隆がデビュー当時のTOTOについて「こういうサウンドを出したい」と発言したことを紹介している。

専任のボーカリストがいるにも関わらず、ギタリストのスティーヴ・ルカサーやキーボーディストのデヴィッド・ペイチがリード・ボーカルをとることが多い。実際、TOTO最大のヒット曲「Africa[9]はペイチのボーカルである。また、スティーヴ・ポーカロも、リード・ボーカルをとる曲が存在し、2005年加入のグレッグ・フィンリンゲインズも、キーボーディスト兼リード・ボーカルとしての加入で、『フォーリング・イン・ビトゥイーン』では、彼のリード・ボーカル曲も多くフィーチャーされ、ステージでは、休止中のペイチのボーカル曲を代行した。

78年のデビュー当時がちょうど、シンセサイザー・サウンドや、ディスコ、フュージョン、アダルト・コンテンポラリーなどの音楽の全盛期であり、ロサンゼルスのスタジオミュージシャンからキャリアをスタートさせたことも加わり、同時代に人気が出たボストン、ジャーニー、スティックス、フォリナー、と並んで、コーポレート・ロックと呼ばれた。彼らのサウンドは、この後1980年代のアメリカン・ロック・サウンドの原型の一つとなった。全体のエフェクトリバーブやゲート・リバーブ、ギターには、コーラスなどを多用し、アンプに通さず直接ミキサーインプットに入力したギターサウンド、ペイチのフュージョン的なピアノオルガンエレクトリックピアノ、そして、スティーヴ・ポーカロシンセサイザーは、70年代後半から1980年代のサウンドの典型と言える。

ヒットを連発していた時期のTOTOにおいて、バンドの中心人物で、ドラマーのジェフ・ポーカロのリズムは重要だった。ポーカロは、リズム・ヘリテッジの「スワットのテーマ(反逆のテーマ)」(1976年)にも参加した技巧派のドラマーだった。通常の8ビートや16ビートでも巧みに適応した。「ロザーナ」に代表されるヒット曲は、音楽の趣味の悪い人々にも受け入れられた。レッド・ツェッペリンジョン・ボーナムや、バーナード・パーディらからも影響を受け、独自にアレンジしたというこれらのリズムは、ドラマーに影響を与えた。ジェフ自身は、スティーリー・ダンでプレイした経験がある。

全員が、マイケル・ジャクソンなどの有名・無名のアーティストから依頼の多いスタジオ・ミュージシャンであり、TOTOの成功にも関わらず、スタジオ・ワークを縮小せず、精力的だったこともあり、1980年代には、ジャンル問わず、彼らの関わった作品では良くも悪くもTOTOのようなサウンドが量産されていった。


バンド・メンバー編集

結成時メンバーの内キンボールとハンゲイトを除く全員が少年期からの旧知の仲であり、高校時代にはすでにバンドを組んでいた。時が経って1975年、ボズ・スキャッグスのアルバム『シルク・ディグリーズ』の制作時に再び集まったのがきっかけで、TOTOは結成された。メンバーチェンジは繰り返され、時代ごとにラインナップが異なる。

メンバー編集

オリジナル・メンバー。初期には楽曲のほとんどの作曲を担当し、ジェフと共にTOTOの音楽的方向性をリードしていた事実上の中心人物。代表的なヒット曲は彼の作品が多い。
父はジャズ・ミュージシャンとして著名なマーティ・ペイチ。
スティーヴ・ポーカロによる「スペーシー」とも表現される典型的なシンセサイザーサウンドに対して、オーソドックスでジャジーなピアノ、オルガンサウンドでボトムを支えた。
2004年より2008年の解散まで、家族の病気を理由にツアーやライブには参加せず、レコーディングのみの参加となっていた。この間のライブでは、ペイチのヴォーカル曲はグレッグ・フィリンゲインズがほとんどを代行した。再結成を呼びかけた張本人であり、再結成後はツアーにも完全復帰している。
オリジナル・メンバー。『キングダム・オヴ・デザイア〜欲望の王国〜』以降の作品からは実質的なバンド・リーダーとして活動。
ボーカリストとしては初期はクリアなタイプの声質で、特にバラードをメインに歌っていたが、上記アルバムの頃からハスキーボイスに変化している。
TOTO以外でもセッションミュージシャンとして広く活動している。
スティーヴ・ポーカロとは高校のクラスメートで、友人のスタジオ・ミュージシャン、ギタリストのマイケル・ランドウは一学年下の後輩である。ペイチ、ジェフ、マイクは高校の先輩である。
結成以後、唯一全てのステージ、作品に参加している(レコーディングでは、ペイチも全て参加している)。
オリジナル・メンバー。ポーカロ3兄弟の末っ子。
80年代、TOTOの派手で煌びやかなシンセサイザーサウンドは彼によるもので、TOTOのリズム、楽曲の方向性の中核がジェフとペイチならば、サウンド面の中核は彼の存在によるものとも言える。『ファーレンハイト』を最後に脱退するが、次作『ザ・セブンス・ワン〜第7の剣〜』でも正式メンバー並みに参加し、その派手なサウンドを聴かせてくれる。最近ではスティーヴ・ルカサーがインタビューで「俺はスティーヴには実際、正式に復帰してもらいたいと思っているんだよ」と語っている[10](脱退したとはいえ、『ザ・セブンス・ワン〜第7の剣〜』以降の作品でもほぼ毎回ゲスト参加し、正式メンバー並に活躍しているので、単にクレジット表記を変更しただけとも言える)。
ボーカリストとしては、中音域中心の柔らかい歌声である。
TOTOにおいて自身の作った楽曲は全てスティーヴが歌っているものと思われていたが、「リア」のリード・ボーカルはジョセフ・ウィリアムズである。
ルカサーとは高校のクラスメートである。
マイケル・ジャクソンのヒット・アルバム『スリラー』収録の「ヒューマン・ネイチャー」はスティーヴの作編曲である。無論、このアルバムの他の曲も含め数曲でキーボードも演奏している。
再結成では正式メンバーとして復帰、20年以上ぶりにオリジナルのツイン・キーボードとなった。
映画音楽作曲家のジョン・ウィリアムズの息子。キンボールと並ぶバンドの代表的ボーカリスト。正式メンバーとしては2作の参加にも関わらず、彼をTOTO史上最高のボーカリストという声も大きく、復帰を望む声もあった。元々ボーカリストのみならず作曲家として活躍していたキャリアから、TOTO在籍時には楽曲の方向性の面でも非常に貢献した。『ザ・セブンス・ワン〜第7の剣〜』を最後に脱退したが、その後もTOTOの作品に作曲やゲスト・ボーカルとして参加していた。2008年のボズ・スキャッグスとの来日公演では最終の2日間に参加。また、再結成ではボビーに代わり正式参加。TOTO以外でのキャリアなどは本人の項を参照のこと。

過去に在籍していたメンバー編集

オリジナル・メンバー。ポーカロ3兄弟の長男。結成から死去まで、TOTOの中心人物、リーダーとして活動。1992年、自宅の庭で殺虫剤を散布後、アレルギーによる心不全のため、38歳で死去。「TOTOはジェフとペイチのバンドだ」などの声も多い。
オリジナル・メンバー。1984年『アイソレーション』制作中に脱退。1999年の『マインドフィールズ』より復帰し、解散まで籍を置いた。メンバーチェンジの多いTOTOにおいて、最盛期を担った代表的なボーカリストである。TOTOのバンド名の由来として「ボビーの本名、ロバート・トトース(Robert Toteaux)から」などというジョークがメンバーによって語られ、半ば真実として信じている人も多くTOTOを紹介する際に語られていた。実際の本名はロバート・トロイ・キンボール(Robert Troy Kimball)であり全くの冗談である。2010年の再結成には不参加。
オリジナル・メンバー。『TOTO IV〜聖なる剣〜』を最後に脱退。
ボズ・スキャッグス、スリー・ディグリーズアリス・クーパーなど数々のアルバムにもセッション・ベーシストとして参加。
2014年夏のツアーよりネイザン・イーストに代わり約32年ぶりにTOTOに復帰[11]。2015年のアルバム『TOTO XIV〜聖剣の絆〜』でも数曲レコーディング参加している。
2015年9月、体力の衰えからツアーに参加できないとして再び脱退[12]
1984年加入。元体操選手という経歴を持つ。TOTO加入前は、トリリオンやル・ルーに在籍。『アイソレーション』のみの参加で脱退したが、『ファーレンハイト』にはコーラスで参加している。2014年1月18日、癌のため死去。62歳没。
  • ジャン=ミシェル・バイロン(Jean-Michel Byron、10月13日 - ) - ボーカル
南アフリカ出身。メンバー初の外国人で唯一のアフリカ人。
ベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』で彼を売り出そうとした所属レコード会社の強い推薦によりメンバーに加入し、ベスト盤収録の新曲4曲のみ参加(本来はこの作品からキンボールが復帰する予定であり、その為のレコーディングも既に行われていた)。「Past To Present Tour」直後に脱退。なお、レコード会社主導の強制的な参加と短期間の在籍のためか、旧公式ウェブサイト(toto99.com)の旧メンバー紹介ページでは唯一彼だけ記載がなかった。スティーヴ・ルカサーらメンバーが後のインタビューで語ったところによると、レコード会社の意向で一方的に新メンバーに決められてしまったため、元々の音楽性から全く違っていた上に、ステージ上でのファッションやパフォーマンス、さらには人間性に関しても全く相性が合わず、メンバーとの間に大きな確執が生じてしまったこと、また、メンバーのみならず、TOTOファンからも彼の加入に対して猛反発が起きたということもあって、事実上の解雇に至ったとの事である。
前述の『グレイテスト・ヒッツ』で参加した新曲の4曲全てで、TOTOのメンバー、もしくは外部作曲家との共作という形で曲作りにも関わっており、スティーヴ・ルカサーとの共作「Out of Love」については脱退後のTOTOのライブや、ルカサーのソロ・ツアーなどでも演奏されたことがある。
2005年より加入。マイケル・ジャクソンエリック・クラプトンなどのツアー・メンバーとしても活動していた。2004年よりジョン・ジョッセルの後任サポート・メンバーとしてツアーに参加していたが、その力量を買ったペイチの誘いで正式加入し、解散まで籍を置いた。正メンバーとしては交代ではなく、追加である。再結成にはオリジナル・メンバーのスティーヴ・ポーカロが復帰したため不参加。レコーディング参加は2006年1月の『フォーリング・イン・ビトゥイーン』からだが、次回作を作ることなく解散したため、この作品が唯一の参加アルバムとなった。コーラスなどのバッキング・ボーカルは長い間様々なアーティストのバックで経験しているが、リード・ボーカルはTOTOに加入してから初めての挑戦となる。中低音域からボビーやジョセフの音域にも迫るハイトーンまで、非常に広い音域を繰り高評価を得ている。また、それまでのTOTOのボーカリストにないタイプであるため、バンドに新しい血を導入することにも成功している。当時ツアー活動を休止していたペイチのヴォーカル曲や、彼の演奏パートもステージ上で代行していた。TOTO初のアフリカ系アメリカ人(外国人メンバーも含めればジャン=ミシェル・バイロンに次ぐ2人目のアフリカ系メンバー)。
死去したジェフの代役を務め、解散予定であったTOTOの起死回生を図った。『キングダム・オヴ・デザイア〜欲望の王国〜』のツアーよりサポート・メンバーとして参加し、その後正式加入。レコーディング参加は『タンブ』から。
解散時のメンバーとしては唯一の外国人(イギリス人)メンバー(ジャンに次ぐ2人目)。
ジェフ・ベックマイケル・シェンカー・グループなどのレコーディングやサポートをはじめ、1989年のザ・フーの再結成ツアーにも、亡きキース・ムーンの代役として参加している。
レコーディング/ミキシング・エンジニアとしても活動しており、TOTOのアルバムも自身がレコーディングを手がけていた。
2014年、自己の活動のためTOTOを脱退する。在籍期間は再結成後も通算すると20年となり、結果的にジェフの在籍期間15年を超えることとなった。
ポーカロ3兄弟の次男。セッションとしては『TOTO IV〜聖なる剣〜』から既に参加しているが、正式加入はリリース直後のデヴィッド・ハンゲイト脱退から。同作に収録されている楽曲のプロモーション・ビデオはハンゲイト脱退直後に撮影されているため、映像に映っているのはマイクだが演奏自体はハンゲイトという状態になっている。ポーカロ3兄弟のうちバンドに最後まで参加していた。
ルカサーによれば、TOTOの本当のオリジナル・メンバーはマイクだという。デビュー時点のメンバー構成や、直接的にはボズ・スキャッグスのバックメンバーとして集まったのが結成のきっかけであった。
2007年筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症したため療養に専念、リーランド・スカラーが代役を務めた。当初はALSであることは伏せられ「腕のトラブル」とだけ公表し、復帰は回復次第とされていたが、復帰は叶わずTOTOは解散、病気がALSであることが発表された。TOTOの解散は彼の病状が大きな原因とも言われており、ルカサーは「一緒にバンドを始めたペイチが引退したのはキツかった。何せハイスクール時代から数えたら35年も一緒にやってきたわけだから。そんな状況でマイクまで病気になって、バンドを続けるとすればもはや自分の為だけになってしまった。でも、ペイチがいなくなって、ポーカロ兄弟まで誰もいなくなったバンドを果たしてTOTOと呼んでいいものなのか?正直もうやりきったと思ってる。これは活動休止じゃない。もう終わりだ。俺はもうどんな顔をして観衆の前で「ホールド・ザ・ライン」を演奏したらいいのか分からないんだ」と活動終了の経緯を語っている[13]。しかし、再結成もマイクの闘病支援が目的であり、解散・再結成共に彼の病気がきっかけとなっている。病気のため実際のツアーには不参加だが、再結成以降も正式メンバーに名を連ねている。なお、ライヴDVD『Live in Amsterdam』ではルカサーによるメンバー紹介の際に日本語字幕上では「リーダーのマイク・ポーカロ!」と紹介されているが、過去のマイクがリーダーとされたのはこの日本語字幕だけであり、誤訳の可能性もある。8年に及ぶALSとの闘病の末、2015年3月15日に死去した。59歳没[14]

主なサポートメンバー編集

サポートでの参加者はあまりにも多いため、ここでは特に参加していたことが有名な者や、後期の者に特化する。

  • デヴィッド・ハンゲイト
元メンバーで2014年以降はサポートとして復帰、詳細は過去に在籍したメンバーの節を参照。
  • レニー・カストロ(Lenny Castro) - パーカッション
初期から後期まで、アルバムからツアーまで多くの現場でTOTOを支えてきた。TOTO以外でも非常に有名なパーカッショニストの一人。2015年以降のツアーに帯同している。
  • ジョー・ポーカロ(Joe Porcaro) - パーカッション
ジャズ・ドラマーでポーカロ兄弟の父。『TOTO IV〜聖なる剣〜』を初めとして幾つかの作品に参加し、息子たちとの共演を行っている。
1981年から1982年までのツアーに参加。
イーグルスのベーシスト。コーラス担当として1981年から1982年までのツアーに参加。
  • ジェニー・ダグラス(Jenny Douglas、本名:Jenny Douglas-McRae) - ボーカル
90年代にバック・コーラスやリード・ボーカルで参加。当時TOTOは専任ボーカリストが存在しなかったため、ルカサーやペイチでは歌えない楽曲のシンガーを務め上げた。また、レコーディングでも『タンブ』にて数曲リード・ボーカルを担っている。2011年 - 2012年・2015年 - 2016年にも参加[15]
  • ジョン・ジェームズ(John James) - ボーカル
ジェニーと同様、ツアーなどでのバック・コーラス、リード・シンガーとして専任シンガーのいない90年代TOTOのサポートとして参加。
1995年後半にサイモンの代役として参加。
1999年以降、解散までツアーにてほぼレギュラーでサポートでギターを演奏していた。また、曲によってはリード・ボーカルをとることも。
  • ジョン・ジョッセル(John Jessel) - キーボード、コーラス
2003年までサポート・キーボードとして、ペイチのサポートを行っていた。ステージ袖でプレイしていたようで、彼の参加した映像作品でもメンバー紹介時に顔を出す以外はほとんど姿が見えなかった。フィリンゲインズが後任としてサポートに加わり後に正式メンバーとなる。
  • ジェフ・バブコ(Jeff Babko) - キーボード、ボーカル
以前よりサイモンのプロジェクトに参加していた関係で2000年頃、サポートとして招かれる。当時若手でありながらTOTOのメンバーから高評価を得ていた。他にロベン・フォードなどのギタリストともプレイしている。
リーランド・スクラー、リー・スクラーとも。セッションミュージシャンとして、数々のアルバムやセッションに参加。2007年より病気療養に入ったマイクの代役として2008年の解散まで参加。再結成後、一時的にバンドに復帰していたハンゲイトの脱退に伴い再び参加する。2017年初頭にサポートを離れる。
  • ジョン・ファリス(Jon Farriss) - ドラムス
INXSのドラマー。「Live Promos」参加時、サイモンが病気で入院したため、急遽サポートとして参加。
上記のジョン・ファリスの代役後にもサイモンの病状が思わしくなかったため、ファリスの後任サポートとして「Live Promos」にて代役を担った。
フォープレイのベーシスト。2010年のマイク・ポーカロ支援ツアーにマイクの代役として参加。2013年からのTOTO35周年ツアーにも2014年春の日本ツアーまで参加。この35周年のツアーにあたり公式ウェブサイトではサポートではなく正式メンバーとしてマイク・ポーカロの名前と共にクレジットされている。
2010年以降のツアーに参加[16]。2016年のツアーでジョセフが病欠したときは代わりにリード・ボーカルも務める。
2013年以降のツアーに参加[17]
スティングジョン・メイヤースティーリー・ダンジェームス・テイラードナルド・フェイゲンウォルター・ベッカーダイアナ・ロスフェイス・ヒルなどの専属ドラマーを経て、2014年にサイモンに代わり参加。
スティーリー・ダンのツアーに参加するため、2014年夏のTOTOツアーに不参加のキースの代役[18]。その後も引き続きサポートメンバーとして参加している。
  • シェム・ヴォン・シュロエック(Shem von Schroeck) - ベース、ボーカル
リーランド・スカラーに代わって2017年よりサポートに参加。フランキー・ヴァリのヒット曲「君の瞳に恋してる」のアレンジを手掛けた作編曲家、アーティ・シュロエックの息子。
  • ウォーレン・ハム(Warren Ham) - サックス、フルート、ハーモニカ、ボーカル
1980年代後半及び2017年以降のツアーに参加。ルカサーとはリンゴ・スターのオールスター・バンドで共演している。
  • ドミニク・ザヴィエル・タプリン(Dominique "Xavier" Taplin) - キーボード
ペイチの代役として、2018年からツアーに参加。プリンスとの共演歴を持つ。

メンバーの変遷編集

ボーカル ギター キーボード ドラムス ベース
1977年-1982年
TOTO〜宇宙の騎士〜/Hydra/
Turn Back/TOTO IV〜聖なる剣〜
ボビー・キンボール
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
ジェフ・ポーカロ デヴィッド・ハンゲイト
1982年-1983年
TOTO IV〜聖なる剣〜完成直後から
Isolation制作途中まで
マイク・ポーカロ
1983年-1986年
Isolation
ファーギー・フレデリクセン
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
1986年-1988年
FAHRENHEIT
ジョセフ・ウィリアムズ
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
1988年-1990年
The Seventh One〜第七の剣〜
ジョセフ・ウィリアムズ
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
デヴィッド・ペイチ
1990年
Past to Present 1977 - 1990グレイテスト・ヒッツ
ジャン・ミシェル・バイロン
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
1990年-1992年
Kingdom of Desire
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
ジョン・ジェームズ
ジェニー・ダグラス
1992年-1999年
Absolutery Live/Tambu
サイモン・フィリップス
1999年-2005年
Mind Fields/Through The Looking Glass
ボビー・キンボール
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
2005年-2008年
Falling in Between
ボビー・キンボール
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
グレッグ・フィリンゲインズ
トニー・スピナー
スティーヴ・ルカサー
トニー・スピナー
デヴィッド・ペイチ
グレッグ・フィリンゲインズ
マイク・ポーカロ
リーランド・スカラー(代役)
2008年-2010年 解散中
2010年-2013年
再結成
In The Blink Of An Eye 1977-2011
35th Anniversary Tour
ジョセフ・ウィリアムズ
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ルカサー デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
サイモン・フィリップス ネイザン・イースト
2014年
35th Anniversary Tour日本ツアーまで
ジョセフ・ウィリアムズ
スティーヴ・ルカサー
デヴィッド・ペイチ
スティーヴ・ポーカロ
マヴート・カーペンター
キース・カーロック
2014年-2015年
35th Anniversary Tour夏のツアーより
TOTO XIV~聖剣の絆~
キース・カーロック
シャノン・フォレスト
デヴィッド・ハンゲイト
2016年-
XIV Tour 2016
リーランド・スカラー

ディスコグラフィ編集

オリジナル・アルバム編集

コンピレーション・アルバム編集

  • STAR BOX』 - Star Box (1988年)
  • 『グレイテスト・ヒッツ』 - Past to Present 1977-1990 (1990年)
  • 『TOTO・ザ・バラード』 - Best Ballads (1995年)
  • 『プレミアム・ベスト』 - Premium Best (1999年)
  • 『スーパー・ヒッツ』 - Super Hits (2001年)
  • 『グレイテスト・ヒッツ・アンド・モア』 - Greatest Hits Live...and More (2003年)
  • 『エッセンシャル・TOTO』 - The Essential Toto (2004年)
  • 『ザ・コレクション』 - The Collection (2008年) ※7CD、1DVDのボックス・セット
  • 『オールタイム・ベスト1977-2011 〜イン・ザ・ブリンク・オブ・アイ〜』 - In The Blink Of An Eye 1977-2011 (2011年)
  • 『40トリップス・アラウンド・ザ・サン 〜グレイテスト・ヒッツ〜』 - 40 Trips Around the Sun (2018年)
  • All In 1978 - 2018 (2018年) ※ボックス・セット

ライブ・アルバム、未発表曲集等編集

  • Dune (1984年) ※『デューン/砂の惑星』サウンドトラック
  • The Official Music Of The 23rd Olimpiad Los Angeles 1984 (1984年) ※1曲のみ「Moodido(The Match)/Boxing Theme」
  • 『ライヴ』 - Absolutely Live (1993年)
  • TOTO XX』 - TOTO XX <1977-1997> (1998年) ※未発表曲集
  • 『ライヴ・フィールズ』 - Livefields (1999年)
  • スルー・ザ・ルッキング・グラス』 - Through the Looking Glass (2002年) ※カヴァー・アルバム
  • 『ライヴ・イン・アムステルダム〜25th Anniversary』 - Live in Amsterdam (2003年)
  • 『フォーリング・イン・ビトゥイーン・ライヴ』 - Falling in Between Live (2007年)
  • 『35周年アニヴァーサリー・ツアー ライヴ・イン・ポーランド 2013』 - 35th Anniversary Tour: Live in Porland (2014年)
  • 『ライヴ・アット・モントルー1991』 - Live At Montreux 1991 (2016年)
  • 『デビュー40周年記念ライヴ 〜40ツアーズ・アラウンド・ザ・サン』- 40 Tours Around the Sun(2019年)[19]

シングル編集

  • 「ホールド・ザ・ライン」 - "Hold The Line / Takin' It Back"(1978年、CBS・ソニー、06SP 214)
  • 「愛する君に」 - "I'll Supply The Love / You Are The Flower"(1979年、CBS・ソニー、06SP 288)
  • 「ジョージー・ポーギー」 - "Georgy Porgy / Child's Anthem"(1979年、CBS・ソニー/06SP 327)
  • 「99 (NINETY-NINE)」 - "99 / Hydra"(1980年、CBS・ソニー、06SP 468)
  • 「グッドバイ・エリノア」 - "Goodbye Elenor / Turn Back"(1981年、CBS・ソニー、07SP 522)
  • 「リヴ・フォー・トゥデイ」 - "Live For Today / A Million Miles Away"(1981年、CBS・ソニー、07SP 533)
  • 「ロザーナ」 - "Rosanna / It's A Feeling"(1982年、CBS・ソニー、07SP 595)
  • 「アフリカ」 - "Africa / Good For You"(1982年、CBS・ソニー/07SP 670)
  • 「ホールド・ユー・バック」 - "I Won't Hold You Back / Waiting For Your Love"(1983年、CBS・ソニー、07SP 690)
  • 「ストレンジャー・イン・タウン」 - "Stranger In Town / Change Of Heart"(1984年、CBS・ソニー、07SP 838)
  • 「ホリーアンナ」 - "Holyanna / Mr. Friendly"(1985年、CBS・ソニー、07SP 863)
  • 「アイル・ビー・オーヴァー・ユー」 - "I'll Be Over You / In A Word"(1986年、CBS・ソニー、07SP 980)
  • 「ティル・ジ・エンド」 - "Till The End / Don't Stop Me Now"(1986年、CBS・ソニー、07SP 981)
  • 「ウィズアウト・ユア・ラヴ」 - "Without Your Love / Can't Stand It Any Longer"(1986年、CBS・ソニー、07SP 1012)
  • 「パメラ」 - "Pamera / You Got Me"(1988年、CBS・ソニー、05SP 3009)
  • 「キャン・ユー・ヒア・ホワット・アイム・セイイング」 - "Can You Hear What I'm Saying / Goodbye elenore"(1990年、CBS・ソニー、CSDS 8162)
  • 「オンリー・ユー」 - "Only You / Kick Down The Walls"(1992年、ソニー、SRDS 8237)
  • 「ドラッグ・ヒム・トウ・ザ・ルーフ」 - "Drag Him To The Roof / I Will Remember (Edit) / Don't Stop Me Now (Instrumental)"(1995年、ソニー、SRCS 7778)
  • "The Turning Point / The Road Goes On / Time Is The Enemy"(1996年)
  • 「ボトム・オブ・ユア・ソウル サマー2006-ツアー・エディション」 - "Bottom Of Your Soul (Summer 2006 - Tour Edition)"(2006年、Nexus、KICP 1199)

DVD編集

  • 『コンプリート・ビデオ・コレクション』 - Past to Present 1977-1990 And More (1990年)
  • 『ライヴ・イン・アムステルダム〜25th Anniversary』 - 25th Anniversary: Live in Amsterdam (2003年)
  • 『グレイテスト・ヒッツ・ライヴ・アンド・モア』 - Greatest Hits Live...and More (2005年)
  • 『フォーリング・イン・ビトゥイーン・ライヴ』 - Falling in Between Live (2008年)
  • 『35周年アニヴァーサリー・ツアー ライヴ・イン・ポーランド 2013』 - 35th Anniversary Tour: Live in Porland (2014年)
  • 『ライヴ・アット・モントルー 1991』 - Live At Montreux 1991 (2016年)
  • 『デビュー40周年記念ライヴ 〜40ツアーズ・アラウンド・ザ・サン』- 40 Tours Around the Sun(2019年1月30日リリース予定[20]


1980年初来日時のステージの模様を収めた音源:ライブ・アルバム『Live in Tokyo (In Search For Hydra)』とタイトルの決定もされ、ジャケット・デザインも各音楽関連雑誌上に先行露出され、発売日を決定しこれに先立つかたちでNHK-FMでオンエアされもしたのにも関わらず、発売直前に「サウンドがノイジーでコンディションが良くない」との理由で土壇場で発売中止になった幻のアルバムが存在する。実際にオンエアされたもののブートレグを聞くとTOTOらしからぬアンサンブルの粗さが目立つことが否めない。2018年にこの音源から5曲を収録したEP『Live In Tokyo 1980』がボックスセット『All In 1978 - 2018』に収録される形で公式に発表された。

日本公演編集

3月2日 大阪フェスティバルホール
3月3日 愛知県勤労会館
3月5日 大阪厚生年金会館
3月6日 京都会館第一ホール
3月8日・13日 渋谷公会堂
3月9日・11日 中野サンプラザホール
※3月9日は昼夜2回公演
3月12日 新宿厚生年金会館
5月7日 倉敷市民会館
5月8日 九電記念体育館
5月10日・11日 大阪府立体育館
5月13日 京都府立体育館
5月15日 貞宝カントリークラブ
5月17日・18日・21日 日本武道館
5月19日 新潟市体育館
2月25日 静岡産業ホール
2月26日・27日・28日 日本武道館
3月2日 大阪城ホール
3月4日 福岡国際センター
3月5日 愛知県体育館
3月6日 横浜文化体育館
3月8日 仙台市体育館
10月29日 横浜文化体育館
10月30日・31日 代々木オリンピックプール
11月2日 新宿厚生年金会館
11月4日・6日 大阪城ホール
11月5日 愛知県体育館
11月7日 福岡サンパレス
4月18日 BHI公会堂
4月19日・21日 大阪フェスティバルホール
4月22日 静岡市民文化会館
4月23日 日本武道館
4月25日 NHKホール
4月26日・29日 新宿厚生年金会館
4月28日 横浜文化体育館
10月23日 渋谷公会堂
10月25日 代々木オリンピックプール
10月26日 横浜文化体育館
10月29日・30日 大阪厚生年金会館
11月1日 名古屋市公会堂
11月7日 渋谷公会堂
11月9日 日本武道館
11月10日 名古屋市公会堂
11月13日 九州厚生年金会館
11月15日・16日 大阪厚生年金会館
11月18日 横浜文化体育館
3月31日 NHKホール
4月2日 神奈川県民ホール
4月3日 新宿厚生年金会館
4月4日 イズミティ21
4月6日 五反田簡易保険ホール
4月7日 NHKホール
4月8日 大阪厚生年金会館
4月9日 愛知厚生年金会館
4月11日 アステールプラザ
4月12日 福岡サンパレス
4月14日 盛岡市民文化ホール
4月15日 イズミティ21
4月16日・17日・25日 東京国際フォーラム
4月19日 愛知厚生年金会館
4月21日 大阪厚生年金会館
4月22日 福岡市民会館
4月24日 パシフィコ横浜
12月3日 パシフィコ横浜
12月4日 Zepp Sendai
12月5日 盛岡市民文化ホール
12月7日 月寒グリーンドーム
12月9日・10日・17日 東京国際フォーラム
12月12日 名古屋市公会堂
12月14日 大阪厚生年金会館
12月15日 Zepp Fukuoka
9月19日 東京ビッグサイト
4月26日 石川厚生年金会館
4月27日 名古屋市公会堂
4月28日 広島郵便貯金ホール
5月1日 福岡市民会館
5月2日 グランキューブ大阪
5月4日 札幌厚生年金会館
5月6日 パシフィコ横浜
5月7日・8日 東京国際フォーラム
3月20日・21日 JCBホール
3月22日 パシフィコ横浜
3月24日・25日 大阪フェスティバルホール
3月27日 名古屋国際会議場センチュリーホール
3月29日・31日 東京国際フォーラム
9月20日 金沢歌劇座
9月21日・26日 アルカイックホール
9月24日 名古屋市公会堂
9月27日 日本武道館
9月29日 パシフィコ横浜
4月23日 名古屋市公会堂
4月24日 大阪フェスティバルホール
4月26日・27日 東京ドームシティホール
4月28日 日本武道館
4月30日 東京エレクトロンホール宮城
5月2日 ニトリ文化ホール
3月3日 仙台サンプラザホール
3月4日 パシフィコ横浜
3月7日 日本武道館
3月9日 Zepp Fukuoka
3月10日 上野学園ホール
3月12日 あましんアルカイックホール
3月14日 大阪フェスティバルホール
3月16日 名古屋市公会堂
2月14日 広島文化学園 HBGホール
2月16日 金沢歌劇座
2月18日 福岡市民会館
2月20日 日本武道館
2月21日 大阪城ホール
2月23日 岩手県民会館
2月25日 名古屋国際会議場センチュリーホール
2月27日 仙台サンプラザホール

参考文献編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ デビュー40周年TOTO S・ルカサー、来日公演へ 本紙電話取材に思い語る”. 産経新聞 (2019年2月19日). 2019年2月28日閲覧。
  2. ^ TOTO、盟友マイク・ポーカロ闘病支援のための来日公演が決定”. BARKS (2011年1月12日). 2018年3月21日閲覧。
  3. ^ TOTO、35周年ツアーで圧巻のパフォーマンス、ジェフがいた頃のようなガッチリまとまった完璧なステージ”. BARKS (2014年5月2日). 2018年3月21日閲覧。TOTO、“ここ数年で最強のラインナップ”による日本ツアーがスター”. BARKS (2016年3月6日). 2018年3月21日閲覧。
  4. ^ TOTO、9年ぶりのアルバム『TOTO XIV ~聖剣の絆』完成”. BARKS (2015年1月9日). 2018年3月21日閲覧。
  5. ^ 松任谷由実がこの説をオールナイトニッポンで紹介していた
  6. ^ スティーヴ・ルカサー インタビュー 2008年1月8日
  7. ^ Wikipedia諸言語版やバンド公式ウェブサイトもこの表記に倣っている
  8. ^ http://warmbreeze.jp/aor/toto/
  9. ^ http://www.billboard.com/music/toto
  10. ^ サウンドデザイナー誌2005年6月号、オリジナルアルバムのDSDリマスター発売に関するインタビューにて発言。
  11. ^ [1]
  12. ^ http://amass.jp/63098/
  13. ^ スティーヴ・ルカサー公式サイト2008年6月8日更新分、既にサイト上では削除されているためwebarchiveに記録されている履歴による。
  14. ^ 元「TOTO」マイク・ポーカロさん死去 - スポニチアネックス
  15. ^ [2]
  16. ^ [3]
  17. ^ [4]
  18. ^ [5]
  19. ^ デビュー40周年記念ライヴ 〜40ツアーズ・アラウンド・ザ・サン”. ワードレコーズ. 2018年12月16日閲覧。
  20. ^ デビュー40周年記念ライヴ 〜40ツアーズ・アラウンド・ザ・サン”. ワードレコーズ. 2018年12月16日閲覧。

外部リンク編集