弥富市

日本の愛知県の市

弥富市(やとみし)は、愛知県の西部にある

やとみし
弥富市
弥富金魚ワキン.jpg
Flag of Yatomi, Aichi.svg Emblem of Yatomi, Aichi.svg
弥富市旗 弥富市章
1966年3月31日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
市町村コード 23235-1
法人番号 7000020232351 ウィキデータを編集
面積 49.00km2
(境界未定部分あり)
総人口 43,379[編集]
推計人口、2020年1月1日)
人口密度 885人/km2
隣接自治体 愛西市海部郡蟹江町飛島村
三重県桑名市桑名郡木曽岬町
市の木 サクラ
市の花 キンギョソウ
メインキャラクター
サブキャラクター
きんちゃん
ぶんちゃん
弥富市役所
市長 安藤正明
所在地 498-8501
愛知県弥富市前ケ須町南本田335
北緯35度6分36秒東経136度43分28.8秒
Yatomi City Office exterior ac.jpg
外部リンク 公式ウェブサイト

弥富市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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概要編集

2006年(平成18年)4月1日、海部郡弥富町が十四山村を編入合併して市制施行し、愛知県35番目のとして弥富市が誕生した。

北部は鉄道幹線道路が充実しており、愛知県名古屋市や三重県四日市市へのアクセスも良い。このためベッドタウンとしての住宅開発が進み、人口は増加傾向にある。

農業では畑・ビニールハウスでの花き・野菜の栽培が比較的多く行われている。南部は市街化調整区域となっており、水田が広がっている。湾岸部は名古屋港西部臨海工業地帯を経て製造業物流業が主要産業であり、自治体の積極的な企業誘致が行われている。キンギョブンチョウ(ハクブンチョウ)の産地である。

地理編集

名古屋市の西側20キロ圏内に位置し、鍋田川木曽川を挟んで三重県と接する。木曽川下流のデルタ地帯にあり、干拓によって開拓された土地の上に成り立っている。濃尾平野海抜ゼロメートル地帯が大きく広がり、市域の地面は海水面より最大で2メートルほど低くなっている。西から東南へ緩やかな傾斜を持つ低湿地地帯であり、古くから洪水の被害が多い地域である。地質は、木曽川およびその支流の堆積土で形成された沖積層である。気候は温暖で夏季多雨、冬季乾燥型であり、冬には伊吹おろしによる北西からの風が吹く[1]

地形編集

河川編集

主な川

市内の地名編集

人口編集

2013年時点では愛知県内の「市」のなかで最も人口が少ない[2]

 
弥富市と全国の年齢別人口分布(2005年) 弥富市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 弥富市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
 

弥富市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

隣接している自治体編集

 愛知県
 三重県

歴史編集

古代〜室町時代編集

原始から古代までは市のほとんどが伊勢湾の海中であり、遺跡などは存在していない。

平安末期になると現在の弥富市にあたる場所には、木曽川の土砂が堆積し、小島がいくつか形成されていた。弥富町誌によれば、1106年長治3年)、東寺文書「平盛正」にてその地を「市江」(現在の愛西市西保・東保・西條・東條および弥富市五之三・荷之上・鯏浦にかけて跨る地区)として藤原家が開墾し、荘園としたという史料として残っており、弥富の有史はこの記録からとされている。また当時、平治の乱に破れた源義朝を乗せた船が当地を通ったとの伝承がある。市江は藤原信長から藤原頼長に伝領しのち皇室領の樑江庄となった。

「市江八郷」と呼ばれた市江地区は「市江島」として室町時代に開発したが、当初は尾張と伊勢の国境が曖昧であり、伊勢国に属していた。のち、市江島と五明をはじめとする輪中が形成されていったと見られている[3]

その後、荘園制が崩壊し村々の力が強くなると村周辺を次々と開墾し、「杁」と呼ばれる技術が進むと低い土地でも堤防で囲み田畑を広げ、新田開発が発展した。水から生活を守るため、自然堤防・州上に集落は立地し、葦洲がいたるところにみられた。

戦国時代編集

戦国時代には地域一帯に一向宗が広まっており、その中心人物で、『信長公記』に二の江の坊主と記される服部左京進(左京助・左京亮とも)が、市江島の鯏浦(うぐいうら)を拠点に海西郡一帯を支配する豪族として勢力を誇っていた。服部左京進は尾張の一角にありながら織田信長の支配に与せず、1560年永禄3年)の桶狭間の戦いの際にも今川義元の援軍として出兵している。

左京進は一向宗の中心である長島城の城代を務め、蟹江に進出してきた信長勢と戦った。1565年(永禄8年)には鯏浦の東・難畑にて織田信興の侵攻を受け、1567年(永禄10年)、信興は大楠あたりに鯏浦城を築いた。1568年(永禄11年)に左京進は伊勢でだまし討ちに遭い、自刃に追い込まれたが、服部党の抵抗は続き、1570年元亀元年)には蜂起した長島一向一揆門徒の一角として他の門徒衆と共に小木江城(現在の愛西市)を攻めて織田信興を討っている。

その後、1571年(元亀2年)、1573年天正元年)と織田方の侵攻をしのいだが、1574年(天正2年)に信長10万の兵で攻撃が開始され、「市江島から南に人影なし」と呼ばれるほど激しく焼き尽くし、信長は五明に陣を敷き、門徒宗は長島一向一揆壊滅と運命を共にした。

一揆殲滅後、この地は無人となっていたが、1575年(天正3年)、服部正友らが入植し、百姓を集めて土地を再建した。市内の重要文化財「服部家住宅」は服部正友が天正年間に建てたものとされている。

江戸時代編集

1607年慶長12年)、徳川家康の命により御囲堤が設けられたことをきっかけ[4]に、藩や豪農、豪商による大規模な干拓新田の開発が行われるようになる。時に水害によって水没しながらも再度の開発が繰り返され、南へと新田が延びていった。現在の市域の大部分はこの時代以降に陸地化されたものである。元々、国境である木曽川の流し出した土砂の堆積に輪中を造る事で成立した村々であるだけに、東側が尾張尾張藩)、西側は伊勢長島藩)という不文律こそ有っても、新しく(あるいは再度)開発する土地についての領有争いも多かったと言う。

木曽川の流路変更による国替えなどもあったが、現在の市域の大部分を占めた尾張藩領(尾張藩佐屋代官所管轄)と犬山藩領の飛び地は尾張国、南西部の長島藩領と北西部にあった天領(笠松代官所管轄)は伊勢国という形で明治を迎えている。江戸後期からは漁業海苔の養殖が始まり、特に海苔養殖に関しては尾張藩主から「蓬莱海苔」との称号を与えられるほどの名産となった。また市の特産品であるキンギョ弥富金魚)の養殖とブンチョウの飼育もこの頃から始まる。

明治・大正編集

明治に入ると文鳥・金魚の養殖がますます盛んになり、1872年(明治5年)には前ヶ須に最初の商業地が設けられた。それまで東海道は愛知県と三重県の間は七里の渡しが主なルートだったが、この間を陸路で結ぶ新東海道が現在の弥富市域を通る形で開設され、前ヶ須に渡し場と駅宿が設けられた。後には海西郡の郡役所も置かれている。その地は現在、弥富市歴史民俗資料館となっている。

廃藩置県後に鍋田川左岸で三重県桑名郡に属していた地域(小島新田・五明村・川原欠新田・富島新田・富島付新田・富崎新田・加稲新田・加稲付新田・加稲山新田・加稲九郎治新田・稲荷崎新田・稲荷崎付新田・三好新田・境新田)については、1880年(明治13年)に愛知と三重の県境を木曽川及び鍋田川と定め、愛知県海西郡に編入されて現在は弥富市の一部になっている。

1889年(明治22年)、町村制施行により鯏浦村・平島新田・前ヶ須新田・中山新田村[注 1]と旧伊勢領の五明村・小島新田を合併し、海西郡彌富村が発足した。彌(弥)富は「いよいよ富む、いやがおうにも富む」[5]事を願って命名された瑞祥地名1898年刊行の『愛知県海東郡志』には「彌富は維新後、東海道の駅次となり、海西郡役所のある所にして、一市街をなし、警察署、郵便局、高等小学校、停車場等ありて、稍繁華の地なり」と記されている。

1903年(明治36年)に町制施行により、海西郡彌富町に改称。1906年(明治39年)に市腋村の荷之上・五之三地区、および十四山村の鎌倉新田地区を彌富町に編入した(同時に町内前ヶ須新田・中山新田地区を海西郡鍋田村に編出)。

1913年(大正2年)、海東郡と海西郡が合併し海部郡が成立したため、海部郡彌富町に改称。

昭和・平成編集

昭和に入ると、五明にのちのニッケとなる昭和毛織紡績弥富工場が開業。昭和後期まで「ガチャマン景気」と呼ばれる戦前戦後の尾州繊維産業の快進撃に流れ、彌富町にも全国各地から女工が集い、当時の人口統計にも若い女性の比率が高いとの記録がある[6]

昭和の大合併では1955年(昭和30年)に鍋田村および市江村楽平地区を合併(市江村のその他地区は佐屋町に合併)。町名を“海部郡富町”から“海部郡富町”に改称した。翌年隣接する三重県桑名郡木曽岬町とも合併協議がもたれたが、こちらは三重県議会の反対などから実現しなかった。

1959年(昭和34年)の伊勢湾台風では、海岸や河川の堤防が多くの箇所で決壊し、入植が開始されたばかりの鍋田干拓地を含む全域が水没。町内で308名の犠牲者を出した。

台風後は治水設備も大幅に強化され、洪水の危険性は減少した。一方で、縦横に流れていた水路の多くが埋め立てられ、水郷地帯としての風景も様変わりした。高度成長期と並行して耕地整理や道路事業・公共施設建設・団地開発ラッシュが進み、主力産業のひとつであった漁業や海苔養殖はほぼ消滅した。昭和40年代に減反政策が行われると町内多くの農家が弥富金魚の養殖業に転業し、昭和50年代に生産量はピークを迎えた。一方で、産業の発展や人口増加に伴い地下水の揚水量が著しく増加すると、町内で地盤沈下現象を起こし、問題となった。また町北部では、名古屋大都市圏のベッドタウンとしての需要が高まり、田畑や金魚の養殖池を埋め立て宅地開発が行われた。

名古屋港の一部として沿岸部の埋め立ても進められ、これらの埋め立て地は1976年以降順次弥富町に組み入れられている。1996年(平成8年)には、長年帰属が問題となっていた木曽岬干拓地の一部も編入された。

平成の大合併施策に伴い、2002年(平成14年)から海部郡飛島村、海部郡蟹江町、海部郡十四山村との合併協議会が行われた。しかし、飛島村は合併に伴う村民サービス低下の懸念から住民投票にて反対過半数となり、蟹江町は対等合併という協定で進められるも弥富町が新市名を「弥富市」とすると主張したことから対立となり、両町村の併合は白紙撤回となった。十四山村でも編入合併という立場に議会が反対したが、賛成派住民による議会リコール申し出て、住民投票の結果、賛成52%・反対48%でリコールが成立。2006年(平成18年)、十四山村を編入合併・市制施行し、愛知県35番目の市弥富市が発足した。

年表編集

  • 796年延暦15年) - 荷上山興善寺が建立される。
  • 1106年長治3年) - 史料上に初見。
  • 1159年平治元年) - 平地の乱で敗れた源頼朝が野間へ逃げる途中、荷之上柴ヶ森に立ち寄る。
  • 1338年建武5年)頃 - 市江島が広がり、荷之上、五之三、鯏浦、五明など次第に土地が拡大する。
  • 1543年天文12年) - 前ヶ須、小島などの新田が開発される。
  • 1565年永禄8年) - 織田信與が鯏浦に築城。服部左京亮と近隣の一向門徒により戦いが始まる。
  • 1574年天正2年) - 服部党、一向門徒(長島一向一揆織田信長に滅ぼされる。
  • 1575年(天正3年) - 服部正友らが市江島を再墾。
  • 1576年(天正4年) - 服部家住宅完成。
  • 1585年(天正13年) - 天正地震マグニチュード7.8の地震が川原欠、鎌島に襲う。
  • 1586年(天正14年) - 木曽川大洪水。
  • 1600年慶長5年) - 川原欠、前ヶ平、草平、極楽寺、平島、鎌島などの新田が開拓される。
  • 1607年(慶長12年) - 御囲堤が作られる。
  • 1637年寛永14年)頃 - 西中地、東中地、又八、鎌倉、佐古木、中山、中河原、与蔵山、森津、芝井などの新田開拓。
  • 1648年正保4年)
    • 芝井におみよし松、森津に森津の藤が植えられる。
    • この頃、加稲、加稲九郎治、加稲付、富島、三好、稲本、狐地、稲吉、稲荷の各新田開拓。
  • 1650年慶安3年) - 慶安東海大水害(寅年の洪水)。佐屋川が決壊し、死者多数。
  • 1651年(慶安4年) - 暴風雨襲い、海西郡で死者多数。
  • 1707年宝永4年) - 宝永地震(マグニチュード8.4)。伊勢湾湾岸部に津波が襲う。
  • 1711年(宝永8年、正徳元年)
    • 六体地蔵ができる。
    • この頃、松名、寛延、富島付、稲荷崎、富崎、稲荷崎付、加稲山、三稲、八穂、六野、上野の各新田干拓。
  • 1713年(正徳3年) - 暴風雨による高潮襲い、稲吉新田全滅。
  • 1722年享保7年) - 高潮が襲い伊勢湾岸新田大打撃。
  • 1757年宝暦7年) - 海老江川決壊など尾張国の堤防決壊1361箇所に及ぶ
  • 1767年明和4年) - 明和の洪水。尾張で死者2000人以上。
  • 1837年(天保8年) - 鍋田干拓着工開始。
  • 1841年(天保12年) - 大雨にて立田輪中、稲吉輪中大洪水。
  • 1854年安政元年) - 安政地震(マグニチュード8.4)。伊勢湾沿岸に津波押し寄せる。海苔の養殖が始まる。
  • 1855年(安政2年) - 暴風雨襲来。三稲新田、境新田など干拓新田の堤防決壊。六野、八穂、上野が亡所となる。鍋田干拓事業中止となる。
  • 1861年文久元年) - 金魚の養殖が始まる。
  • 1864年元治元年) - 文鳥の飼育が始まる。
  • 1871年明治4年) - 前ヶ須が東海道の宿場町となる。
  • 1872年(明治5年) - 繰出、稲荷山の新田が干拓される。前ヶ須〜長島の渡し船が始まる。
  • 1876年(明治9年) - 伊勢暴動。前ヶ須に三重県の一揆隊が上陸し、暴動を起こす。
  • 1880年(明治13年)5月10日 - 三重県桑名郡に属していた鍋田川左岸の地域を、愛知県海西郡に編入。大谷新田干拓。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 海西郡彌富村、海西郡大藤村、海西郡両国村、海西郡市腋村、海西郡東市江村、海西郡十四山村などが発足。
  • 1891年(明治24年)10月28日 - 濃尾大地震。村内ほとんどの家が倒壊。前ヶ須で噴砂の記録あり。
  • 1893年(明治26年) - 末広新田干拓。
  • 1895年(明治28年)5月24日 - 関西鉄道前ヶ須駅(現在の関西本線弥富駅)が開業。
  • 1897年(明治30年)9月30日 - 佐屋川の決壊。竜巻に襲われ、五之三、荷之上など家屋倒壊。
  • 1898年(明治31年)4月3日 - 尾西鉄道(現在の名鉄尾西線)弥富〜津島間開通。
  • 1903年(明治36年)8月26日 - 町制施行。海西郡彌富町になる。
  • 1906年(明治39年)7月1日 - 海西郡東市江村五之三地区・海西郡市腋村荷之上地区・海西郡十四山村鎌倉新田地区を海西郡彌富町に編入、および町内前ヶ須新田・中山新田地区を海西郡鍋田村に編出。
  • 1911年(大正元年)9月23日 - 大正元年の台風。町内犠牲者3人。
  • 1913年(大正2年)7月1日 - 海東郡と海西郡が合併し、海部郡彌富町となる。
  • 1934年(昭和9年) - 室戸台風。町内でも強風により家屋の倒壊などの被害。
  • 1938年(昭和13年)6月26日 - 関西急行電鉄関急弥富駅(現在の近鉄弥富駅)、佐古木駅開業。
  • 1944年(昭和19年)12月7日 - 東南海地震(マグニチュード7.9)。彌富町を始め低地で流砂現象が起こる。
  • 1945年(昭和20年) - 太平洋戦争終戦。第二次世界大戦による町内戦没者は339人。
  • 1946年(昭和21年)- 鍋田干拓開発再開。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 彌富町と鍋田村市江村楽平地区が合併し、海部郡弥富町となる
  • 1956年(昭和31年)9月4日 - 木曽岬村との越県合併を申請(三重県議会の反対などで実現せず)。
  • 1959年(昭和34年)9月26日 - 伊勢湾台風。町内死者308名、行方不明者14名、全壊520戸、流出251戸、半壊772戸。12月頃まで湛水。完成間近の鍋田干拓がこの台風により水中に没する。
  • 1960年(昭和35年) - 鍋田干拓が復旧。
  • 1961年(昭和36年)6月 - 集中豪雨。弥富町一帯の田畑冠水。
  • 1964年(昭和39年) - 伊勢湾台風災害復旧工事完了。
  • 1973年(昭和48年) - 地盤沈下量がこの頃ピークとなる。弥富町の年間沈下量最大18cm。
  • 1980年(昭和55年) - 楠を編入。
  • 1993年(平成5年) - 第1回金魚日本一大会開催。
  • 1996年(平成8年)9月30日 - 木曽岬干拓地の一部が編入される。
  • 2003年(平成15年)10月1日 - 蟹江町、十四山村との3町村での合併(対等合併)のため法定協議会を設置。
  • 2004年(平成16年)8月18日 - 弥富町が新市名に「弥富市」を主張したことに対し蟹江町が反発したため、合併協議が破綻(協議会解散は9月21日)。
  • 2005年(平成17年)5月1日 - 十四山村との合併のため、法定協議会を設置。
  • 2006年(平成18年)

行政編集

市長編集

  • 安藤正明(1期目)
  • 任期:2022年12月1日まで(予定)
    • 副市長:大木博雄 2013年4月11日就任(2009年より再任) 2017年4月10日任期満了

歴代首長編集

氏名 就任日 退任日 備考
弥富町長
佐藤博 1991年2月3日
川瀬輝夫 1991年2月4日 2006年3月31日
弥富市長(2006年4月1日市制)
初代 川瀬輝夫 (1991年2月4日) 2007年2月3日 市制施行に伴い市長となる。
2-4代 服部彰文 2007年2月4日 2018年10月31日 辞職[7][8][9]
職務代理者 2018年11月1日 2018年12月2日 副市長・大木博雄[10]
5代 安藤正明 2018年12月2日

市役所・支所編集

  • 弥富市役所
    • 十四山支所
    • 鍋田支所

議会編集

弥富市議会編集

  • 定数:16人
  • 任期:2016年3月1日 - 2020年2月29日
  • 議長:武田正樹(大栄会)
  • 副議長:平野広行(大栄会)
会派名 議席数 議員名(◎は代表者)
市政会 5 ◎三浦義光、佐藤高清、武田正樹、平野広行、早川公二
誠進会 3 ◎鈴木みどり、永井利明、加藤克之
公明党 2 ◎炭竃ふく代、堀岡敏喜
日本共産党弥富市議団 2 ◎三宮十五郎、那須英二
無所属 2 大原功、高橋八重典
計(欠員2) 14

愛知県議会編集

  • 選挙区:弥富市選挙区
  • 定数:2人
  • 任期:2019年4月30日 - 2023年4月29日
候補者名 当落 年齢 党派名 新旧別 得票数
朝日将貴 37 無所属 無投票

衆議院編集

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
長坂康正 60 自由民主党 104,419票
比当 岡本充功 46 希望の党 89,908票
渡辺裕 37 日本共産党 25,489票

施設編集

警察編集

本部
幹部交番
  • 弥富幹部交番(弥富市鯏浦町)
交番
  • 弥富北交番(弥富市荷之上町六十人)
駐在所
  • 子宝警察官駐在所(弥富市子宝3丁目)

消防編集

本部
消防署
  • 海部南部消防署 北分署(弥富市鎌倉町123番地)

医療編集

弥富市では公立病院が設けられていないため、民間であるが弥富市の中核病院として指定している。

主な病院

図書館編集

  • 弥富市立図書館
    • 電源立地促進対策交付事業として図書館が整備され、1976年5月に弥富町立図書館が開館した[11]。1985年7月には役場別庁舎との複合施設として新館(現行館)に移転[11]。2001年4月には蟹江町十四山村飛島村の住民に対して広域貸出を開始した[11]。2006年4月には弥富町が十四山村を編入合併して市制施行し、弥富市立図書館に改称した[11]。2007年4月には愛西市の住民に対して広域貸出を開始した[11]。弥富市役所十四山支所1階部分には十四山支所図書コーナーが設けられている[11]。2015年度末の蔵書数は174,923冊、2015年度の貸出冊数は140,496冊だった。複合施設全体の延床面積は4,035.47m2、図書館部分の床面積は1,978.21m2である[12]

対外関係編集

姉妹都市・提携都市編集

海外編集

フレンドシップ相手国

2005年に開催された愛知万博で、愛知県内の市町村(名古屋市を除く。)が120の万博公式参加国をそれぞれ「一市町村一国フレンドシップ事業」としてフレンドシップ相手国として迎え入れた[13]

日本国内編集

提携都市

経済編集

就業者人口(平成22年国勢調査より)

  • 第一次産業 1020人(4.7%)
  • 第二次産業 5911人(27.0%)
  • 第三次産業 12698人(58.1%)
  • 公務・その他 2229人(10.2%)

第一次産業編集

農業
主な漁業事業所
  • 弥富金魚漁業協同組合

第二次産業編集

主な工業事業所

第三次産業編集

主な物流事業所
主な商業施設

マスメディア編集

ラジオ放送所編集

教育編集

 
弥富市立弥富北中学校

専門学校・専修学校編集

私立

高等学校編集

県立
私立

中学校編集

市立
  • 弥富市立弥富中学校
  • 弥富市立弥富北中学校
  • 弥富市立十四山中学校

小学校編集

市立
  • 弥富市立桜小学校
  • 弥富市立弥生小学校
  • 弥富市立白鳥小学校
  • 弥富市立大藤小学校
  • 弥富市立栄南小学校
  • 弥富市立十四山西部小学校
  • 弥富市立十四山東部小学校
  • 弥富市立日の出小学校

幼稚園・保育所編集

私立
  • 学校法人愛育学園弥富はばたき幼稚園
  • 学校法人八田学園弥富第一幼稚園
市立
  • 弥富市立弥生保育所
  • 弥富市立白鳥保育所
  • 弥富市立桜保育所
  • 弥富市立十四山保育所
  • 弥富市立西部保育所
  • 弥富市立南部保育所
  • 弥富市立大藤保育所
  • 弥富市立栄南保育所
  • 弥富市立ひので保育所

研究施設編集

交通編集

 
きんちゃんバス

鉄道路線編集

市の中心となる駅:弥富駅近鉄弥富駅

東海旅客鉄道(JR東海)
関西本線:- 弥富駅 - (白鳥信号場)-
名古屋鉄道(名鉄)
尾西線:- 弥富駅 - 五ノ三駅 -
近畿日本鉄道(近鉄)
名古屋線:- 近鉄弥富駅 - 佐古木駅 -

バス編集

三重交通
弥富市コミュニティバス
  • 北部ルート
  • 東部ルート
  • 南部ルート

他に、飛島公共交通バスの停留所が市内に2ヶ所ある。

道路編集

高速自動車国道

東名阪自動車道弥富IC

自動車専用道路

伊勢湾岸自動車道湾岸弥富IC弥富木曽岬IC

一般国道
国道1号東海道
国道23号名四国道
国道155号
主要地方道
一般県道

港湾編集

観光編集

名所・旧跡編集

主な寺院
主な史跡
  • 孝忠園
  • 服部家住宅(重要文化財)
  • 孝女曾與宅址
  • 宮崎筠圃邸址
  • おみよし松
  • 二つお宮の松
  • 竹長押茶屋(見物不可)

観光スポット編集

主な公園

文化・名物編集

祭事・催事編集

主な祭事

新田開発によって形成された40以上の村神社毎に、毎年10月秋祭りが開かれ、山車が奉納される。市内には神楽39基、桑名市の石取祭に由来する山車が14基伝えられている。村名を金糸で刺しゅうした「梵天」と呼ばれる赤い旗を行列の先頭に進む。

神社では、江戸時代から続く獅子舞や神楽太鼓、明治時代に伝えられた剣舞など郷土芸能が奉納される。

主な催事

毎年8月には一部地区が「ウイングプラザパディー」駐車場に集結し、「弥富ドンチキチン祭り」が開催されている。 現在の参加地区は小島・五明・前ヶ須・中六。以前参加していた地区は前新田。

特産物編集

キンギョブンチョウの人工繁殖がされている。

弥富市は弥富金魚で知られ、金魚日本一大会を開催している。また、弥富市は文鳥愛好家の間で俗に「文鳥村」と称される。弥富市歴史民俗資料館には弥冨金魚の水槽が展示されている。

ブンチョウは、1864年元治元年)、尾張藩武家に奉公していた八重女(やえじょ)が、又八新田を開発した犬山成瀬家家来大島新四朗に嫁いだ際、桜文鳥のつがいを持参し飼育を始め、それを機に又八新田地帯にてブンチョウの飼育が流行したのがブンチョウ文化の発端とされている。明治時代初期、あるブンチョウが突然変異で純白の文鳥を産んだことをきっかけに飼育改良に成功し、日本唯一のハクブンチョウの特産地となった。1962年(昭和37年)頃から10年間、生産量はピークを迎えた。

現在の飼養戸数は4戸にまで減少している。ハクブンチョウとサクラブンチョウは6:4の割合で生産され、雛鳥の8〜9割は手乗り文鳥、残りは種文鳥となる。最近では、羽毛が茶色がかった「シナモン」・羽毛が灰色の「シルバー」の新種2種が繁殖され、その希少性が評価されている。2001年(平成13年)からは文鳥の足に弥富文鳥を示すシールがつけられている。

市内の国道1号沿いには、ハクブンチョウの鳥模型が天井に装飾された電話ボックスが設置されている[15][16]

郷土料理編集

水郷地帯である風土から、木曽川や用水でとらえた淡水魚を食べる文化が根付いている。特にコイモロコといったコイ科ハゼの仲間が多く、「ぼら雑炊」、「鮒味噌」、モロコを使った押し寿司である「箱寿司」といった料理を人が集まる時に好んで食べていた伝承がある。

ゆかりの有名人編集

その他編集

市内の風景編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 1878年に中山新田と中河原午新田が合併し発足
  2. ^ ただし、市内の一般道を走る路線バス(三重交通・弥富市コミュニティバス・飛島公共交通バス)は、全て三重ナンバーである。

出典編集

  1. ^ 第1次弥富市総合計画より
  2. ^ 総務省平成21年住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数 2014年10月6日閲覧
  3. ^ これでわかる海部の歴史(黒田剛司・泰聖書店)より
  4. ^ 弥富市歴史民俗資料館資料
  5. ^ 広報やとみ昭和42年20号より
  6. ^ 広報やとみ 第1巻より
  7. ^ 日本経済新聞(2018年10月11日)
  8. ^ 日本経済新聞(2018年10月17日)2018年10月18日閲覧
  9. ^ 中日新聞プラス(2018年11月1日)
  10. ^ 弥富市ホームページ(2018年10月31日)
  11. ^ a b c d e f 『図書館年報 平成27年度のあらまし』弥富市立図書館、2016年、pp.1-2
  12. ^ 『図書館年報 平成27年度のあらまし』弥富市立図書館、2016年、p.3
  13. ^ 「あいちフレンドシップ交流アルバム」(あいちフレンドシップ交流アルバム)
  14. ^ a b c d 酒井博章 (2017年4月19日). “擔風の功績 後世に 弥富市 漢詩手掛けた書斎 公園に移築”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 尾張総合版 15 
  15. ^ 愛知県公式ウェブサイトより
  16. ^ 岡崎信用金庫・H24年2月刊「あいちの地場産業」より

外部リンク編集