寿屋 (スーパー)
株式会社寿屋(ことぶきや、登記上:株式会社壽屋[8]、英称:Kotobukiya Co.,Ltd.)は、かつての九州地区最大手スーパーマーケットチェーンである[9]。 2003年(平成15年)2月5日に株式会社カリーノへ商号変更した[10]。
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
本社所在地 |
日本 大分県佐伯市花園町162-3[1] ↓ 熊本県熊本市安政町1-25[2] |
設立 |
1957年(昭和32年)12月9日 ((初代)株式会社 寿屋)[2] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店 |
代表者 |
寿崎肇(社長)[3] ↓ (社長) |
資本金 |
125万円(設立時)[1] ↓ 1億2000万円 (1964年(昭和39年)12月増資後)[1] ↓ 4億5000万円 (1973年(昭和48年)9月増資後)[3] ↓ 7億8285万円 (1976年(昭和51年)8月増資後)[3] |
決算期 | 2月20日[2] |
主要子会社 | (株)ことぶきベーカリー[4]、(株)ぶーけ[5](婦人服専門店[6])、ナンバーワン(家電専門店)[7]、えじまや[7]、博商[7] |
沿革
編集創業からチェーン展開・上場へ
編集1947年(昭和22年)10月に大分県佐伯市で寿崎スエ子が個人経営の化粧品と小間物の小売店を創業したのが始まりである[3]。
1957年(昭和32年)9月に初の支店を宮崎市に開店して宮崎県へ進出し[11]、同年12月9日[2]には資本金125万円で(初代)株式会社 寿屋として法人化した[1][3]。
1961年(昭和36年)6月に、当社の総合スーパー1号店となる寿屋ストアを開業し、食料品や日用品の販売に進出した[3]。
1968年(昭和43年)5月27日に熊本市下通に大型スーパーを開店して熊本県に進出[12]。
1970年(昭和45年)2月にはニチイやS東美と3社が均等に出資して「九州ニチイ」を設立して提携したが[13]、この提携は1974年(昭和49年)4月に出店調整を含めて[14]解消された[15]。
1971年(昭和46年)12月には本社を熊本県熊本市に移転し[3]、同年にヤングファッション専門店「ぶーけ」1号店を鹿児島市に開店して鹿児島県に進出した[11]。
1973年(昭和48年)10月に福岡証券取引所に上場した[3]。
1974年(昭和49年)3月に寿屋友の会を設立し[14]、同年4月には桜デパートと資本提携して傘下に入れた[14]。
1976年(昭和51年)2月にコンピューターを導入し[11]、同年8月24日にも大阪証券取引所第2部に上場した[2]。 同年11月24日に本部事務所を熊本県熊本市本荘3-3-3に移転した[16]。
同月に「寿屋マルタマ」を設立して福岡玉屋から系列のスーパー「マルタマ」の営業を継承し[17]、1977年(昭和52年)8月10日には博商を買収して完全子会社化し[18]、1978年(昭和53年)5月に「オオツカ」(福岡)と提携[19]。1979年(昭和54年)6月に江島屋と共同出資の新会社「えじまや」を設立して同社の19店舗の営業を継承し[20]、同年10月には「糸福」(福岡)と提携した[21]。
関連事業の展開
編集1978年(昭和53年)3月に「グルッペ」の1号店を開業して外食事業に本格参入し[22]、1979年(昭和54年)に「寿屋のクレジット」を設立して「寿カード」の発行を開始した[11]。
1980年(昭和55年)7月に「(株)ぶーけ」を設立し[23]。 1982年(昭和57年)3月には「ぶ一け」事業部29店を[11] 同社に[23]譲渡した[11]。
その間の1981年(昭和56年)11月に九州地域スパー本部を設立して[24]、同月末に1号店を開設してコンビニエンスストア事業に参入した[25]。
1983年(昭和58年)6月に熊本市新市街に「寿里庵」1号店を開店して居酒屋事業に参入[11]、同年9月にヨドバシカメラと提携して「エレデ博多寿屋」内に「カメラマン」を開店し[26]、1986年(昭和61年)8月に「AVクラブ」近見店を開店してビデオレンタル事業に参入した[11]。
業績悪化と創業家の退陣
編集九州地域を制覇を目指す戦略を取り、1975年(昭和50年)2月期の約406億円から1983年(昭和58年)2月期には約2457億円と売上高を8年間で6倍以上に成長させた[27]。
エレデ博多寿屋の失敗などが影響し、1982年(昭和57年)2月期には、45店舗を新規出店をしたにもかかわらず、初の減益決算となった[28]。
1985年(昭和60年)2月期中間決算で上場後初の赤字決算となり[7]、不振店の閉店や新規出店計画の撤回など店舗政策の見直しに踏み切ることになった[29]。 その一環として、閉店した旧・尾の上店を改装し、1986年(昭和61年)にキッド(KIDDS)尾の上店として新装開店し、ディスカウントストア業態の出店に乗り出した[30]。 1991年(平成3年)6月にはグルッペ42店を「西洋フードシステムズ九州」へ譲渡した[31]。
その後、1990年(平成2年)5月に事実上の創業者であった寿崎肇が代表取締役会長に退いて、西日本相互銀行が経営権を掌握[32]。 1992年(平成4年)5月には寿崎肇が代表権を返上して取締役相談役となると同時に、西日本相互銀行から派遣された石井大一が社長に就任。 さらに1994年(平成6年)4月には寿崎肇の長男の寿崎藩が代表取締役専務を解任され、同年7月に当社グループから離れるなど、創業家は経営から退陣させられ、西日本相互銀行主導による経営へと移行していった[32]。
再建の模索から民事再生法の適用申請へ
編集1998年(平成10年)11月に「えじまや」と「ハロー」を合併させ[33]、1999年(平成11年)12月21日には桜デパートと遠矢商事・筑後寿屋の3社に解散を決議させるなど関連会社の統廃合を進めていった[34]。
1999年(平成11年)4月に三井物産と業務提携し[35]、2001年(平成13年)にはサンリブとの提携交渉不調を進めるなど他社の支援を仰いで経営再建を目指した[36]。
しかし、2001年(平成13年)12月17日にサンリブとの交渉不調に終わって提携が撤回され[36]、同月19日にグループ傘下12社とともに熊本地方裁判所に対し民事再生手続き開始を申立を行って経営破綻した[37]。
全店営業休止から小売業からの撤退へ
編集民事再生法の適用申請後も営業を継続しながら再建を目指したものの商品の調達に行き詰まり[38]、2002年(平成14年)2月1日に寿屋とくらし館の全店舗の営業休止に追い込まれた[39]。 そして、同月8日付で全従業員を解雇して事実上事業停止となり、小売業としての再建を断念することになった[39]。
同月26日に当社の約50店舗をイオングループが買収することで合意[40]。 同年3月25日にイオンの100%出資子会社・マックスバリュ九州が買収した「くらし館」の営業を担うことになり[41]、「くらし館」の店名のまま営業を再開させていった[42]。
一方で、同月1日には当社の約10店舗を株式会社大和が買収することで合意するなど[43]、地元九州の企業に合計約40店舗を譲渡することになった[39]。
さらに、2002年(平成14年)5月に子会社・ハローの当社保有株(約51%)をイオングループが買収した[44]。
その結果、当社は小売業から撤退して店舗や土地などの不動産管理業となり、2003年(平成15年)2月5日に株式会社カリーノへ商号変更した[10]。
不動産会社となって以降についてはカリーノグループも参照。(なお、同記事は、出典の明記されていない記述が多いため、ご注意ください。)
年表
編集- 1947年(昭和22年)10月 - 大分県佐伯市で寿崎スエ子が個人経営の化粧品と小間物の小売店を創業[3]。
- 1957年(昭和32年)
- 1961年(昭和36年)6月 - 同社の総合スーパー1号店・寿屋ストアを開業し、食料品や日用品の販売に進出[3]。
- 1968年(昭和43年)5月27日 - 熊本市下通に大型スーパーを開店[12]。
- 1970年(昭和45年)2月 - ニチイやS東美と3社が均等に出資し、「九州ニチイ」を設立[13]。
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)8月10日 - 博商を買収し、完全子会社化[18]。
- 1978年(昭和53年)3月 - グルッペの1号店を開業し、外食事業に本格参入[22]。
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)6月 - 熊本市新市街に寿里庵1号店を開店し、居酒屋事業に参入[11]。
- 1986年(昭和61年)8月 - AVクラブ近見店を開店し、ビデオレンタル事業に参入[11]。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)
- 1991年(平成3年)6月 - グルッペの郊外型ファミリーレストラン42店を「西洋フードシステムズ九州」へ譲渡[31]。
- 1994年(平成6年)
- 10月13日 - 株式会社コトブキヤ・コンビニエンスシステムズを設立[49]。
- 11月 - エブリワン1号店・須屋店を熊本市に開店[49]。
- 1995年(平成7年)
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)11月 - 熊本県七城町の加工食品物流センター「ラララ・グループ中地区ドライセンター」が稼働開始[55]。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
不動産会社となって以降についてはカリーノグループも参照。(なお、同記事は、出典の明記されていない記述が多いため、ご注意ください。)
かつて存在した店舗
編集- 寿屋 - 総合スーパー業態[59]。
- 寿屋百貨店 - 衣料品と雑貨を販売していたセルフサービス導入のスーパーマーケット[60]。
- ぶーけ - ヤングファッション専門店[63]。
- Kコンビ - コンビニエンスストア[63]。
- デンキの寿屋 - 家電量販店[63]。
- ぐるっぺ - ファミリーレストラン[63]。
- アーバンジュニア - ミセスファッション専門店[46]。
- エンゼル - 女性下着専門店[46]。
- 寿染 - 女性和装専門店[46]。
- AVクラブ - ビデオCDレンタル店[64]。
福岡県
編集福岡市
編集博多区
編集- 延床面積4,345m2[66]、売場面積約3,076m2[68] → 約3,130m2[69]、駐車台数約140台[68] → 約250台[69]。
- 売上高19億800万円(1978年(昭和53年)度)[70]
- 売場面積660m2[77]
- 売場面積302m2[79]
中央区
編集- 売場面積1,155m2[81]
東区
編集- 敷地面積約2,051m2[86]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[86]、延べ床面積約3,786m2[86]、店舗面積約3,276.76m2[86]、駐車台数約55台[86]。
- 博商から1987年(昭和62年)5月に営業を譲受[11]。
- 博商1号店として開店した[87]。
- 売場面積80m2[88]
- 店舗面積416m2[89]
- 敷地面積約2,051m2[90]、鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋2階[90]、延べ床面積約5,230m2[90]、店舗面積約2,863m2[90](当社店舗面積約2,240m2[90])、駐車台数約60台[90]。
- 売場面積590m2[83]
- 売場面積296m2[92]
西区
編集- 売場面積995m2[68]
- 売場面積416m2[81]
- 売場面積151m2[88]
- 売場面積965m2[83]
- ナンバーワン下山門店(福岡市西区大字下山門字中の坪1009[68])
南区
編集- 延床面積4,617m2[101]、売場面積3,736m2[101](直営売場面積3,269m2[101])、駐車台数約180台[102]。
- 売上高15億700万円(1978年(昭和53年)度)[70]
- 売場面積597m2[80]
- 売場面積500m2[103]
- 売場面積442m2[81]
- 延床面積2,097m2[109]、売場面積1,264m2[109](直営売場面積1,264m2[109])
- 跡地には、マインズピア誠善社が野間自動車教習場の土地建物は賃借して斎場「メモリアルホール野間」を2004年(平成16年)5月15日に開店[110]。
- 売場面積1,306m2[81]
- 売場面積430m2[81]
- 売場面積463m2[80]
城南区
編集- 売場面積990m2[77]
- 売場面積985m2[80]
- 売場面積486m2[81]。
- 売場面積659m2[81]。
- 売場面積2,757m2[75])
- 売場面積595m2[84]
早良区
編集- 売場面積442m2[103]。
- 売場面積429m2[84]
- 売場面積639m2[81]。
北九州市
編集小倉北区
編集小倉南区
編集- 延床面積2.789m2[121]、売場面積2,139m2[121](直営売場面積2,139m2[121])、駐車台数約30台[68]。
- 売上高18億4389万円(1976年(昭和51年)2月期)[6] → 22億9000万円(1978年(昭和53年)度)[122]
八幡区
編集- 売場面積492m2<[119]
前原市
編集- 売場面積990m2[77]
- 売場面積3,260m2[75]
太宰府市
編集- 鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建て[125]、延べ床面積約12,091m2[125]、売場面積4,781m2[75]、駐車台数約100台[68] → 約250台[69]。。
- 泰和ビルに出店していた[126]
- 売場面積660m2[83]
春日市
編集- 売場面積約1,881m2[68][70] → 約1,935m2[128] → 約2,036m2[69]、駐車台数約73台[68] → 約100台[69]。
- 売上高13億5200万円(1978年(昭和53年)度)[70]
大野城市
編集- 売場面積609m2[81]
- 売場面積1,704m2[131]
- 売場面積381m2[97]。
- 売場面積429m2[81]。
筑紫野市
編集田川
編集- 延床面積14,724m2[135]、売場面積8,000m2[135](寿屋7,000m2[135]
- 伊田郵便局向かい側の製菓工場跡地への出店[136]。
- AXiS業態の1号店として、開業時には、百貨店と総合スーパーの中間の価格帯を狙った店舗であった[61]。その為、衣料品売り場は、高感度な層向けのヤングカジュアルなどの品揃えを充実させ、DCブランドやナショナルブランド主体の高級品・ファッション品を取り扱っていた[61]。地下の食品売り場も[61]、百貨店向けの商品を販売し[135]、提案型の売り場とする形であった[137]。これは、寿屋田川店から約3kmの場所に出店したことから、自社競合を避けて使い分けてもらうことを狙い、量販店向けの商品を思い切ってカットした品揃えとしたことも関係していた[61]。
- しかし、想定と異なり、開業早々から幅広い客層が来店し、従来の寿屋を求める客が多かったことから売上が伸び悩み、開業した年の末・1991年(平成3年)12月上旬に改装を行い、衣料品売り場も食品売り場も日常生活向けの商品を充実させる方向へ転換した[137]。
- 敷地面積約4,954m2[138]、鉄筋コンクリート造地上1階一部2階建て[138]、延べ床面積約2,783m2[138]、店舗面積約1,882m2[138](当社店舗面積約1,450m2[138])、駐車台数約140台[138]。
- 「十八会綜合協同組合」の「トーワショッピングセンター」の核店舗として出店していた[138]。
直方
編集- 売場面積203m2[80]
大牟田市
編集- 売場面積149m2[97]。
- 売場面積999m2[129]
久留米市
編集- ナンバーワン長門石店(久留米市長門石町340-1[68])
古賀
編集行橋市
編集- 売場面積218m2[81]
八女市
編集- 売場面積499m2[75])
- ナンバーワン八女店(八女市大字本村452-1[68])
- 売場面積499m2[68]。
- 売場面積946m2[129]
豊前市
編集- 売場面積1,560m2[75]
築後市
編集- ナンバーワン長浜店(築後市大字長浜裏畑1387[68])
遠賀郡
編集- 敷地面積約7,760m2[154]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上9階建て塔屋2階[154]、延べ床面積約6,970m2[154]、店舗面積約3,775m2[154](直営店舗面積約2,371m2[154])、駐車台数約400台[154]。
柳川市・旧山門郡
編集宗像
編集築上郡
編集- 延床面積3,192m2[158]、売場面積2,017m2[158](直営売場面積1,759m2[158])、駐車台数約30台[68] → 約150台[69]。。
- 築城ショッピングセンターに出店していた[158]
浮羽郡
編集- 売場面積2,484m2[159])
糟屋郡
編集- 売場面積499m2[97]。
- 敷地面積約14,776m2[160]、鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋1階[160]、延べ床面積約11,063m2[160]、店舗面積約7,282m2[160](直営店舗面積約5,985m2[160])、駐車台数約360台[160]。
- 高木ビルに出店していた[131]
嘉穂郡
編集三井郡
編集- 売場面積2,095m2[75])
浮羽郡
編集- 売場面積2,418m2[129]
朝倉郡
編集大分県
編集佐伯市
編集- 寿屋佐伯店[167](寿屋百貨店[168]) → 寿屋佐伯店別館[169](佐伯市西谷141-2[170](旧・新道145-1[167][168])、1966年(昭和41年)4月19日開店[165])
- 売場面積約2,145m2[165] → 約10,598m2[6](別館約3,178m2[169]) → 約12,213m2[170]、駐車台数約40台[170]。
- 取扱商品:衣料品・雑貨[165]。
- 売上高39億5509万円(1976年(昭和51年)2月期)[6]
- 売場面積223m2[97]。
- 売場面積1,199m2[97]。
- 売場面積970m2[174]
大分市
編集- 売場面積290m2[175]
- 店舗面積475m2[97]。
- 売場面積900m2[174]
- 売場面積164m2[124]
- 売場面積299m2[124]
別府市
編集- 敷地面積約5,608m2[181]、鉄骨造地上1階一部2階建て[181]、延べ床面積約2,984m2[181]、店舗面積約1,911m2[181](直営店舗面積約1,450m2[181])、駐車台数約80台[181]。
- 売場面積991m2[174]
臼杵市
編集- 売場面積561m2[182] → 377m2[6]
- 取扱商品:衣料品・雑貨[182]。
- 売上高4億3743万円(1976年(昭和51年)2月期)[6]
- 1976年(昭和51年)12月23日に火災で全焼[183]。
- 売場面積987m2[75])
津久見市
編集- 売場面積約495m2[184] → 約1,948m2[169] → 約2,403m2[170]、駐車台数約27台[170]。
- 取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[184]
- 津久見生協は 1971年(昭和46年)に当店が衣料品販売を拡充した影響で翌年1972年(昭和47年)に衣料品販売を休止し、同年1972年(昭和47年)から当店が食品販売を強化した影響で同生協の中央店の売上が約25%減少するなど、大きな影響を受けた[185]。
- 寿屋津久見店食品部(津久見市高洲町10[186])
- 売場面積376m2[103]
宇佐市
編集- 売場面積3,600m2[188]
- 売場面積1,375m2[189]
- 売場面積1,375m2[75]
- 売場面積1,014m2[189]
- 売場面積829m2[189]
中津市
編集- 地下1階地上8階建て[192]、売場面積7,875m2[192]、駐車台数約600台[102]。
- 売上高33億8974万円(1976年(昭和51年)2月期)[6]
- 新博多町商店街に誘致されて[193]、洋画系の映画館「大師座」跡に出店した[194]中津大師ビルに出店していた[191]
- ナンバーワン一ツ松店(中津市大字一ツ松字持田552-1[102])
- 売場面積299m2[124]
日田市
編集- 延べ床面積8,137m2[196]、売場面積3,041m2[198] → 4,698m2[197]、駐車台数約310台[170] → 約350台[197]。
- 店舗跡には「黒潮市場日田店」(売場面積1,800m2)が出店した[196]。
豊後大野市
編集- 売場面積5,376m2[199]
豊後高田市
編集杵築市
編集長崎県
編集長崎市
編集- 売場面積204m2[124]
島原市
編集- 売場面積3,850m2[169] → 5,697m2[203]、駐車台数約70台[102]。
- 島原市中心部の商店街の一角に出店しており、開業時には商店街を活性化させたものの、郊外型スーパーなどとの競合で売上が伸び悩むようになった[204]。
- 店舗跡はエレナ一番街店となり、ダイソーも出店した[202]。
諫早市
編集- 売場面積499m2[201]
西彼杵郡
編集佐賀県
編集佐賀市
編集- 売場面積213m2[124]
小城市
編集- 2階建て[208]、売場面積1,416m2[201]、駐車台数約60台[208]。
- 開業時点には、1階が日用品と食料品売り場で、2階が衣料品売り場となっていた[208]。
- 当店の開業により、町内の既存商店の衣料品売り上げが落ち込むなどの影響が生じた[209]。
唐津市
編集- ぶーけ唐津店(唐津市紺屋町1786[210])
多久市
編集鳥栖市
編集- 大和工商リースの開発したジョイフルタウン鳥栖(売場面積26,828m2、78店舗)の核店舗として出店していた[215]
熊本県
編集熊本市
編集中央区
編集- 売場面積3,300m2[216] → 9,856m2[169]、駐車台数約31台[69]。
- 開業時点では、地下1階が「コトブキストアー」運営の食品売り場で、1階が直営の総合衣料品売り場、2階が「ニュー寿」運営の婦人服売り場、3階が「コトブキ」運営の呉服・寝具売り場という形式で、百貨店法の適用を逃れていた[217]。
- 売上高86億8508万円(1976年(昭和51年)2月期)[6] → 118億0900万円(1981年(昭和56年)度・スーパーで全国23位)[218]
- 売場面積136m2[219]
- 駐車台数約200台[222]。
- 1階が食品・DIY・調理家電・季節家電などの売場で、2階がオーディオ・テレビなどのAV関連と楽器・レコードなどの売場となっており、家電関連が全体の約85%を占める店舗だった[222]。
- 売場面積541m2[223]。
- 売場面積133m2[219]
- 店舗面積451m2[89]
- 店舗面積362m2[89]
- 売場面積287m2[89]
- 売場面積2,539m2[224]
- 売場面積226m2[89]
- 売場面積277m2[89]。
- 売場面積132m2[108]。
東区
編集- 敷地面積約5,971m2[228]、鉄骨造地上1階建て[228]、延べ床面積約3,992m2[228]、店舗面積約2,085m2[228](直営店舗面積約1,477m2[228])、駐車台数約450台[228]。
- 売場面積70m2[89]。
- 売場面積286m2[89]。
- 売場面積1,399m2[108]。
- 売場面積999m2[179]
- 売場面積299m2[89]。
- 売場面積198m2[89]。
- 売場面積221m2[89]。
- 売場面積300m2[89]
- 売場面積300m2[89]。
南区
編集- 売場面積299m2[89]。
- 売場面積299m2[108]。
- 売場面積300m2[108]。
- 売場面積999m2[230]
- 売場面積999m2[230]
- 売場面積297m2[89]
- 売場面積299m2[89]
- 売場面積386m2[108]。
西区
編集- 売場面積689m2[108]。
- くらし館田崎店(熊本市田崎2-340-23[234]、?開店)
- 売場面積999m2[224]
- 売場面積999m2[179]
- 売場面積231m2[89]。
- 売場面積300m2[108]。
- 売場面積299m2[89]
北区
編集- 敷地面積約7,667m2[235]、鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋1階[235]、延べ床面積約7,180m2[235]、店舗面積約3,321m2[235](直営店舗面積約2,746m2[235])、駐車台数約300台[235]。
- 売場面積280m2[108]。
- 売場面積299m2[227]。
- 売場面積300m2[89]
- 売場面積299m2[89]。
- 売場面積296m2[89]
- 売場面積318m2[108]。
八代市
編集- 売場面積920m2[224]
- 売場面積999m2[224]
- 売場面積202m2[219]
水俣市
編集- 敷地面積約2,427m2[242]、鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て[242]、延べ床面積約9,658m2[242]、店舗面積約5,181m2[242](直営店舗面積約4,350m2[242])、駐車台数約100台[242]。
- 梅崎製材所跡地の[244]水俣梅崎ビルに出店していた[245]。
- 売場面積132m2[81]
天草
編集- 売場面積769m2[89]。
宇土市
編集- ショッピングセンターUto(売場面積27,167m2、88店舗)の核店舗として出店していた[246]
- 敷地は当社が所有し、建物は子会社アストと地元商業者の設立した「(株)宇土シティプラザ」が所有し、当店はアストからの賃借で出店した[248]。
- 九州ジャスコが営業譲受され、2002年(平成14年)4月11日に営業を再開した[205]。
宇城市
編集人吉市
編集- 売場面積4,368m2[6][105][102]、駐車台数約72台[102] → 約210台[69]。
- 売上高30億6522万円(1976年(昭和51年)2月期)[6]
- 地下1階・地上3階建てで、球磨地方初の大型スーパーとして開業した[249]。
- 売場面積300m2[105]
球磨郡
編集山鹿市
編集本渡市
編集- 売場面積2,866m2[250][6][102]、駐車台数約150台[102] → 約220台[69]。
- 売上高20億0639万円(1976年(昭和51年)2月期)[6]
- 天草繭共同販売所(1919年(大正8年)開設)の跡地に出店した[253]。
玉名
編集- 売場面積1,200m2[108]。
- 売場面積299m2[89]。
- 売場面積299m2[89]。
荒尾市
編集- 売場面積970m2[258]
菊池
編集- 売場面積999m2[227]
- 売場面積295m2[108]。
- 売場面積297m2[89]。
- 売場面積300m2[89]
- 売場面積996m2[258]
- 敷地面積約35,410m2[261]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[261]、延べ床面積約16,500m2[261]、店舗面積約14,359m2[261](直営店舗面積約5,000m2[261])、駐車台数約2,000台[261]。
- 「菊陽ショッピングプラザ サンリー」の核店舗として出店していた[261]。
- 九州ジャスコが営業譲受され、2002年(平成14年)5月19日に営業を再開したが[205]、2020年(令和2年)2月29日に閉店した[262]。
上益城郡
編集- 「矢部ショッピングセンター・ステア」の改装時に、核店舗として出店した[264]
阿蘇郡
編集宮崎県
編集宮崎市
編集- 地下2階地上9階建て[270]、売場面積16,899m2[271]、駐車台数約205台[102] → 約523台[170]。
- 売上高73億5406万円(1976年(昭和51年)2月期)[6]
- 2003年(平成15年)3月14日に複合商業ビル「カリーノ宮崎」として営業を再開[58]
- 売場面積1,348m2[124]
- 売場面積198m2[80]
- 売場面積595m2[80]。
- 売場面積1,308m2[75]
- 売場面積180m2[97]。
- 売場面積180m2[97]。
- 売場面積180m2[97]。
- 売場面積180m2[97]。
- 売場面積1,504m2[272]
- 売場面積1,941m2[272]
- 売場面積495m2[174]
- 売場面積908m2[174]
- 売場面積1,543m2[174]
- 売場面積756m2[230]
- 売場面積908m2[174]
都城市
編集- 売場面積10,406m2[274] → 14,190m2[271]、駐車台数約107台[102] → 約230台[170]。
- 売上高41億6272万円(1976年(昭和51年)2月期)[6]
- 店舗跡は、BTVケーブルテレビが買収して改装し、IT産業ビルとして新装開業した[275]。
- 売場面積1,242m2[276]
- 売場面積1,353m2[81]
- 店舗面積231m2[97]。
- 売場面積1,810m2[272]
- 売場面積953m2[174]
諸県
編集- 売場面積935m2[174]
- 売場面積1,103m2[230]
延岡市
編集- コンパクトデパート寿屋[277] → (初代)寿屋延岡店(延岡寿屋[168])(延岡市祇園町1丁目4-6[278]、1962年(昭和37年)3月29日開店[277] - 1969年(昭和44年)閉店[166])
- 売場面積10,045m2[271]、駐車台数約151台[102] → 約200台[170]。
- 売上高50億2442万円(1976年(昭和51年)2月期)[6]
- 幸町の商店街のアヅマヤ百貨店の南側に出店した[279]。
- 大規模な増築を行って地上9階建ての大型店とし、1971年(昭和46年)10月に新装開店した[279]。
- 売場面積345m2[80]
- 売場面積300m2[124]
- 売場面積299m2[124]
日向市
編集- 敷地面積約7,395m2[282]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上6階建て[282]、延べ床面積約30,063m2[282]、店舗面積約9,390m2[282](直営店舗面積約6,736m2[282])、駐車台数約1,000台[282]。
- 売場面積889m2[174]
日南市
編集- 売場面積429m2[81]
小林市
編集- 売場面積4,677m2[75]
串間市
編集- 売場面積859m2[174]
えびの市
編集- 売場面積6,740m2[75]
- 売場面積2,128m2[272]
西都市
編集- 敷地面積約8,378m2[285]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[285]、延べ床面積約15,806m2[285]、店舗面積約5,207m2[285](直営店舗面積約3,000m2[285])、駐車台数約280台[285]。
- 妻駅西商店街の市街地再開発事業の一環として建設された「協同組合 西都ショッピングセンター」の核店舗として[286]、誘致されて出店した[287]。
- 文化ホールや働く婦人の家を併設していた[285]。
西臼杵郡
編集- 売場面積1,576m2[276]
宮崎郡
編集- 売場面積2,132m2[272]
- 売場面積1,085m2[272]
児湯郡
編集- 売場面積2,110m2[272]
- 売場面積2,145m2[272]
- 売場面積996m2[174]
鹿児島県
編集鹿児島市
編集- 売場面積330m2[292]
- 店舗面積284m2[97]。
- 敷地面積約9,870m2[297]、鉄骨造地上2階建て塔屋1階[297]、延べ床面積約9,023m2[297]、店舗面積約4.965m2[297](直営店舗面積約4,286m2[297])、駐車台数約500台[297]。
鹿屋市
編集- 売場面積2,981m2[174]
- 売場面積958m2[174]
- 売場面積1,067m2[174]
垂水市
編集- 売場面積1,499m2[174]
串木野市
編集- 延床面積5,127m2[298]、売場面積2,729m2[298](直営売場面積2,680m2[298])、駐車台数約39台[102] → 約60台[170]。
- 売上高14億8467万円(1976年(昭和51年)2月期)[6]
- 1990年代に移転のため閉店[150]
- (2代目)寿屋串木野店(串木野市)
- 売場面積5,542m2[174]
国分市
編集大口市
編集- 売場面積1,365m2[295]
- 「やよし百貨店」(1960年(昭和35年)7月16日に開店し[299]、1971年(昭和46年)4月20日に閉店[300])の建物を改装して出店した[299]。
- 新国道バイパス沿いに移転の為、閉店となった[299]。
- 売場面積1,489m2[6] → 2,596m2[102]、駐車台数約147台[102]。
- 売上高7億6313万円(1976年(昭和51年)2月期)[6]
- 店舗は2フロア構造で、1階が約1,300m2、2階が約1,000m2の規模で開業した[299]。
- 新国道バイパス沿いに移転する形で出店し、広めの駐車場を併設することで、開業当初は初代店舗より売上が拡大した[299]。
加世田市
編集指宿市
編集枕崎市
編集- (初代)寿屋枕崎店(枕崎市港町120[112]、1971年(昭和46年)3月26日開店[295])
- (2代目)寿屋枕崎店(枕崎市枕崎2760-4[302]、1982年(昭和57年)6月開店[143])
- 売場面積2,600m2[143]
出水市
編集- 売場面積3,069m2[29]
日置郡
編集- 売場面積2,700m2[143]
曽於郡
編集- 売場面積956m2[174]
- 売場面積816m2[174]
- 売場面積716m2[174]
- 売場面積958m2[174]
肝属郡
編集- 売場面積951m2[174]
- 売場面積297m2[174]
- 売場面積996m2[174]
薩摩郡
編集- 売場面積6,462m2[174]
名瀬市
編集- 売場面積999m2[174]
山口県
編集下関市
編集- 売場面積999m2[129]
小野田市
編集- 敷地面積約63,000m2[306]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋2階[306]、延べ床面積約27,324m2[306]、店舗面積約15,000m2[306](当社店舗面積約9,000m2[306])、駐車台数約1,500台[306]。
- 売場面積498m2[129]
宇部市
編集- 売場面積498m2[129]
- 売場面積498m2[129]
吉敷郡
編集- 敷地面積約79,400m2[309]、鉄骨造一部鉄筋コンクリート造地上2階一部3階建て[309]、延べ床面積約33,000m2[309]、店舗面積約20,192m2[309](直営店舗面積約12,117m2[309])、駐車台数約1,700台[309]。
- コミュニティーマート構想で建設された超広域型ショッピングセンターの[310]「サンパークあじす」に出店した[308]。
愛媛県
編集- 売場面積692m2[80]
- 売場面積246m2[311]
- 売場面積346m2[311]
兵庫県
編集参考/実現しなかった店舗
編集福岡県
編集- 売場面積5,082m2[316]
- 売場面積3,069m2[29]
- 売場面積12,991m2[29]
- 売場面積7,604m2[29]
- 売場面積3,776m2[176]
- 売場面積13,578m2[126]
- 売場面積6,933m2[126]
- 売場面積4,941m2[142]
- 売場面積13,564m2[319]
長崎県
編集- 売場面積10,504m2[318]
- 売場面積16,338m2[316]
- 売場面積5,653m2[318]
- 売場面積4,601m2[320]
大分県
編集- 売場面積5,491m2[29]
- 売場面積4,465m2[29]
- 売場面積6,106m2[142]
佐賀県
編集- 売場面積13,076m2[29]
- 売場面積5,664m2[29]
- 売場面積4,414m2[29]
- 売場面積8,655m2[29]
熊本県
編集- 売場面積8,561m2[29]
- 売場面積8,478m2[29]
- 売場面積4,033m2[176]
- 売場面積15,184m2[176]
宮崎県
編集- 売場面積7,975m2[29]
- ホームセンター住吉店(宮崎市大字島之内字馬7159-1[316])
- 売場面積2,459m2[29]
- 売場面積1,995m2[245]
- 売場面積7,261m2[29]
鹿児島県
編集- 売場面積6,228m2[29]
- 売場面積12,054m2[142]
かつて存在したプライベートブランド
編集- ラララ・ベストセレクション
- メーカーと共同開発した食料・衣料・生活関連全般のプライベートブランド[324]。
かつて存在した関連会社
編集スーパー・百貨店
編集- 佐賀県で主婦8人が「株式会社 佐賀主婦の店」として創業した文字通りの主婦の店で[330]、1992年(平成4年)1月に商号を「株式会社 ハロー」に変更した[329]。
- 1998年(平成10年)11月に[33]「えじまや」を吸収合併した[44]。
- 2002年(平成14年)5月にイオンが買収[44]。
専門店
編集- (株)コトブキヤ・コンビニエンスシステムズ(コンビニエンスストア[162]、熊本市本荘3-3-3[162]、1994年(平成6年)10月設立[162])
- 九州コンビニエンスシステムズ(株)(コンビニエンスストア[162])
- 松藤産業
- 大型家電専門店[331]
飲食店
編集食品
編集その他
編集- アスト(デベロッパー[248])
- 1930年(昭和5年)1月に家具類の小売りを創業し、1949年(昭和24年)3月3日に法人化。1963年(昭和38年)9月に増築して百貨店の営業を開始した[337]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g 『日本繊維商社銘鑑 1969年版』 東京信用交換所、1968年9月15日。pp661
- ^ a b c d e f g h i j k “新規上場会社紹介 ㈱壽屋”. インベストメント 第29巻 第4号 (大阪証券取引所) (1976年8月).pp72
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “新規上場会社紹介 ㈱壽屋”. インベストメント 第29巻 第4号 (大阪証券取引所) (1976年8月).pp73
- ^ a b c 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 23号(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp64
- ^ a b c d e “繊維・流通有力企業の決算概況 寿屋”. ヤノニュース 1989年7月5日号 (矢野経済研究所) (1989年7月5日).pp54
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap “攻撃型店舗戦略で追い上げる寿屋 秘密兵器は「ミニS・C」と「ぶーけ」戦略”. ヤノニュース 1976年8月15日・25日号 (矢野経済研究所) (1976年8月15日).pp24
- ^ a b c d e f g h i j “話題ズームアップ 二〇店の新規出店断念などで再建に懸命の寿屋”. 総合食品 1985年2月号 (総合食品研究所) (1985年2月).pp16
- ^ 株式会社KTB 法人登記(閉鎖)より。株式会社壽屋→株式会社カリーノ→株式会社KTBに商号変更ののち、特別清算、登記閉鎖されている。
- ^ 曽山茂志 “福岡からの報告 淘汰の時代へ・福岡流通事情”. ショッピングセンター 2000年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (2000年2月1日).pp52
- ^ a b c “壽屋、2月5日付で「カリーノ」に社名変更”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年2月5日)pp4
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『会社履歴総覧 会社四季報長期データ版 創刊 1992年版』 東洋経済新報社、1991年10月。pp869
- ^ a b c 『熊本年鑑 昭和44年版』 熊本年鑑社、1969年1月20日。pp10
- ^ a b 建野堅誠 『日本ス-パ-発達史年表-3-』 長崎県立国際経済大学論集 18号(3-4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1985年3月)。pp142
- ^ a b c d e f 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 23号(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp74
- ^ a b “"第2次小売再編成"に問い正すべきもの 第1次スーパー再編時代か残した"教訓"に学べ”. ヤノニュース 1976年2月25日号 (矢野経済研究所) (1976年2月25日).pp22
- ^ a b “繊維・流通有力企業の決算概況 寿屋”. ヤノニュース 1976年12月5日号 (矢野経済研究所) (1976年12月5日).pp64
- ^ a b c 柳孝一 “進む流通業界の“第二次編成" 連邦経営の可能性を探る”. マネジメント 1977年2月号 (日本能率協会) (1977年2月).pp78
- ^ a b c “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1977年10月号 (総合食品研究所) (1977年10月).pp143
- ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 23号(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp102
- ^ a b c 建野堅誠 『日本ス-パ-発達史年表-5-』 長崎県立国際経済大学論集 21号(4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1988年3月)。pp36
- ^ 建野堅誠 『日本ス-パ-発達史年表-5-』 長崎県立国際経済大学論集 21号(4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1988年3月)。pp44
- ^ a b “外食産業の成長と九州における市場展開”. 九州経済統計月報 1979年8月号 (九州経済調査協会) (1979年8月).pp13
- ^ a b c d e “生活提案型コンセプトショップの出店攻勢 DC対応型からLサイズ・ティーンズ・フォーマルなど加熱する業態ショップ開発”. ヤノニュース 1987年9月25日号 (矢野経済研究所) (1987年9月25日).pp15
- ^ a b 小川阿希子 “熊本県の小売業 その歴史と特徴”. DIKウインドゥ 2000年6月号 (地域流通経済研究所) (2000年6月).pp18
- ^ “ニュースダイジェスト”. 総合食品 1982年2月号 (総合食品研究所) (1982年2月).pp175
- ^ 建野堅誠 『日本ス-パ-発達史年表-5-』 長崎県立国際経済大学論集 21号(4) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1988年3月)。pp89
- ^ 三家英治 『日本の大手小売企業の現在と未来』 京都学園大学論集 12巻 2号 (京都学園大学学会) (1983年12月)。pp110-111
- ^ “〝非常事態〟発した風雲児・寿屋はどこへ行く 攻略強める中央資本、来るか「再編第二弾」”. 実業往来 1982年9月号 (実業往来社) (1982年9月).pp28
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab “本格的な構造変化が迫られる昭和60年代スーパー業界の潮流 スクラップアンドビルド政策からニューメディア、ニユーサービス時代に突入”. 総合食品 1985年1月号 (総合食品研究所) (1985年1月).pp92
- ^ a b c “ストアーニュース”. 総合食品 1982年2月号 (総合食品研究所) (1982年2月).pp126
- ^ a b 北村義隆 “トレンド・アイレストラン”. 九州経済統計月報 1992年6月号 (九州経済調査協会) (1992年6月).pp27
- ^ a b 舘澤貢次 “〝"壽屋"創業経営者壽崎氏退陣の怪!? ”. 財界人 1995年6月号 (財界人出版) (1995年6月).pp14
- ^ a b c d 中江正一郎 “トレンド・アイ/活発化する九州のM&A”. 九州経済調査月報 1999年8月号 (九州経済調査協会) (1999年8月).pp31
- ^ a b “壽屋、桜デパートなど関連3社を清算”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年2月11日) pp4
- ^ a b “流通日誌”. 流通情報 1999年5月号 (流通経済研究所) (1999年5月).pp32
- ^ a b c “寿屋、サンリブと提携見送り、新たな支援先探し”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2001年12月18日) pp15
- ^ a b “壽屋が民事再生法を申請、過度な出店・多角化響く、中小卸に連鎖懸念”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年12月21日) pp1
- ^ “寿屋全店を一時休業、来月1日から一商品確保難しく”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2002年1月24日) pp15
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