メインメニューを開く

NNNきょうの出来事

NNNきょうの出来事』(エヌエヌエヌ きょうのできごと)は、日本テレビ系列(NNN/NNS)で1954年10月4日から2006年9月29日(金曜日)まで、52年間に渡って放送されていた最終版ニュース番組。略称は「きょうの出来事」、「出来事」、「きょう出来[3]

NNNきょうの出来事
ジャンル 報道番組
放送時間 #放送時間を参照
放送期間 1954年10月4日 - 2006年9月29日
放送国 日本の旗 日本
制作局 日本テレビ
プロデューサー #スタッフを参照
出演者 小林完吾
久保晴生
櫻井よしこ
本多当一郎
舛方勝宏
國弘正雄
芦沢俊美
青尾幸
真山勇一
保坂昌宏
井田由美
鷹西美佳
小栗泉
出演者を参照)
音声 2か国語放送[1]
字幕 リアルタイム字幕放送[2]
オープニング #テーマ曲・タイトルロゴを参照
エンディング 同上

特記事項:
終了時点では全民放テレビの最長寿番組。
番組タイトルの変遷はこちらを参照。
テンプレートを表示

開始日・放送回数ともに日本における民放テレビの最長寿番組であった。なお、土日版は1958年4月5日に開始した。

目次

概要編集

日本初の民間放送テレビ局として開局してからまだ1年余りしか経っていなかった日本テレビで、一日のニュースを振り返る番組として1954年10月4日に放送開始された。当初は月曜日から金曜日で、1958年4月5日の土日版スタート以降は全日放送となる。出演当時同局のアナウンサーだった小林完吾や、女性アンカーパーソンの先駆けとなったジャーナリスト櫻井よしこなどがキャスターを務めたことでも知られる。

終了時点における本番組はNNN加盟30局がネットする唯一の番組となっており、佐賀県沖縄県を除く45都道府県で放送されていた。スポンサーは月曜日から金曜日まではテレビ宮崎を除く29局はスポンサードネット(全国ニュースのみ)になっていた。1990年代中期から2000年代中期にかけての金曜日はスポンサーのなかった時期もあった。なお、土曜と日曜については、一時マストバイ局や一部の非マストバイ局のみのスポンサードネットが実施されていた時期があった(当時はスポンサードネットでない地方局が提供クレジットを隠すためにオープニング映像を差し替えるということもあった)が、末期は全ネット局ともオールスポット扱いとなっているため、土曜と日曜は、全ネット局にスポンサーがなかった。

音声多重放送が始まった1978年頃から2か国語放送が実施された。これは、同じく日本テレビの各報道番組でも実施され、1993年5月31日まで続いた。同年6月1日以降は各番組共にモノラル放送を実施している。また、2006年4月3日より最後の半年間は、リアルタイム字幕放送が実施されていた(土日版を除く)。

最終回の2006年9月29日は放送時間を15分拡大した(後述)。

番組タイトルの変遷編集

期間 月-金曜版 土日版
1954年10月4日 - 1958年4月4日 東芝提供 今日の出来事 放送なし
1958年4月5日 - 1966年3月31日 東芝提供 今日の出来事
1966年4月1日 - 1980年3月30日 NNNきょうの出来事
1980年3月31日 - 1988年4月3日 The Day NNNきょうの出来事
1988年4月4日 - 1990年4月1日 NNNきょうの出来事 Sports&News NNNきょうの出来事
1990年4月2日 - 1994年4月1日 NNNきょうの出来事 Sports&News
1994年4月2日 - 2002年3月31日 NNNきょうの出来事
2002年4月1日 - 2004年3月28日 NNNきょうの出来事 & SPORTS MAX NNNきょうの出来事
2004年3月29日 - 2006年9月29日 NNNきょうの出来事

歴史編集

※ここで記載されている放送時間は、月曜日から木曜日までのものを基準としている。

「東芝提供」時代(1954年10月 - 1966年3月)編集

開始当初は、21時台の10分間の番組であった。また、第1回の放送はその日の最後に放送された番組でもあった。なお、この当時は21時半前後をもって1日の放送を終了していた。番組開始からNNN発足前日の1966年3月31日までは東芝(当時の正式商号は東京芝浦電気)の一社提供番組として放送していた。

2006年9月29日放送の最終回では、日本テレビが所蔵する中でもっとも古い1961年当時の映像が紹介された。オープニングは、はじめに東芝製のイメージオルシコンカメラが登場し、カメラの正面からレンズに向かってクローズアップすると、奥から国鉄特急こだまが正面から頭上を走り抜けていく映像が円の中に光学合成で流れる。終わると引いてカメラを映す映像に戻り「東芝 提供(※通称:傘マーク)」が大写しになって提供バックが躍り、被写体カメラが画面左を向いて横腹を見せつつ、平仮名でなく漢字で「今日の出来事」のバックが現れる、というものであった。

NNN発足(1966年4月 - 1980年3月)編集

NNN発足を受けて、1966年4月にタイトルにNNNの冠を付けて再出発。4月18日(月)から23時台(23:00 - 23:10)に移行。NNN発足以降は、初期の一時期、三陽商会(クレジット名・あらゆるコートのトップメーカー サンヨーレインコート)が単独協賛した時期があったが、のちに最終回まで、複数社提供番組であった。

1974年から小林完吾(当時日本テレビアナウンサー)がキャスターに着任。「あ、さて」ではじまる節回しや低音ボイスで知られるようになる。1979年からキャスターに久保晴生が加わり、小林・久保両名のシフト制になる。

NNN発足後は、次番組が『11PM』(スタート当時は同番組への内包形式)であったため、新聞テレビ欄の夜11時台には、『きょうの出来事』と1行書いてあるだけだったが、後に分離された。

NNN発足後の数年間は『きょうの出来事NNN』のタイトルで放送。

オープニング
  • 夜の高速道路にライトをつけた車が次々と現れ、それをバックにして(今日の出来事 -NNN-)というテロップが現れるものであった。

『The Day』時代(1980年4月 - 1988年3月)編集

サブタイトル付きの『The Day NNNきょうの出来事』(ザ・デイ - )となる(土曜と日曜は1981年3月迄は1980年3月以前のスタイルを継続)。この頃は23:00から20分間の番組であったが、1985年4月改編で月曜から木曜は30分に拡大、金曜は23:30からの15分番組となった。これ以降、後番組の『NEWS ZERO』を含め金曜の放送は月 - 木曜とは別編成となる。

1980年4月より「1980年代は女性の時代」という触れ込みのもとで女性キャスターが起用され、男女1ペアのキャスター制が敷かれた。当初の女性キャスターは片倉もとこ(アラブ問題評論家)と馬場恭子(所沢市立所沢中学校教師)の2人であったが、両名とも読み手としての技能が不足し視聴者受けが悪く、片倉は早々に体調不良を理由に降板。同時期に馬場も降板し、ベテランアナウンサーの小坂美保子青尾幸が後任決定までサブキャスターを務めた。

その後、片倉・馬場の正式な後任として白羽の矢が立ったのが、番組スタッフと外国人記者クラブの席などで面識のあったジャーナリスト・櫻井良子だった。急きょ抜擢された櫻井だが、1996年3月まで16年近くキャスターを務め、自身の出世作ともなった。久保が月-金曜の担当から外れ、小林・櫻井コンビに固定してからは地味ながら徐々に根強い支持を集めるようになる。

オープニング映像はCGを使用していたものの、エンディング映像はブルーバックで提供クレジットとタイトルが出ているだけだった。

1983年4月頃から1年ほどの男性メインキャスターは、小林ではなく、後にCS日本会長となる舛方勝宏(当時アナウンサー)や高雄孝昭が担当していた。これは小林が夕方の『NNN JUST NEWS』を担当したことによるもので、後に小林が復帰して1988年3月までキャスターを担当した。同じころ『NNN JUST NEWS』を担当していた國弘正雄が小林と入れ替わる形で週後半のキャスターとなり、小林の復帰後も舛方に再度バトンタッチするまで約2年間担当した。

この時代、ローカル枠の前に、海外ニュースを電報風に紹介するコーナーや、比較的軟らかめのニュースをフラッシュ形式で伝えるTHE DAY フラッシュというコーナーがあった時期もあった。よみうりテレビはこれらのコーナーから飛び降りることもあった。

『Sports & News』時代(1988年4月 - 1994年3月)編集

1988年4月から男性メインキャスターが、アメリカ特派員から転じた真山勇一に変わり(真山はこれ以前にも当番組「特派員レポート」でアメリカの支局から出演していた)、同時に『スポーツニュース』を内包(当初は月-金曜で、1990年4月から土日も)。それに伴い放送時間を1時間と大幅延長(金曜は30分放送)して、『NNNきょうの出来事 Sports & News』( - スポーツ・アンド・ニュース)と改題。この形態は、1994年3月まで継続されたが、タイトルロゴの「Sports & News」の表記は1990年10月のタイトルロゴのデザイン変更時に削除。このリニューアルの2年半前に民放の最終版ニュースとしては初めて10時台に放送を開始したテレビ朝日の『ニュースステーション』から始まった「夜のニュース戦争」の影響とも言える。これに伴い、新聞のテレビ欄表記は『出来事・スポーツ&[N]』となった。

これに伴いスポーツニュースの内容を拡充、プロ野球全試合詳細速報や各種スポーツニュース、特に日本テレビ系列が力を入れるスポーツイベントの特集企画も行えるようになった。

真山は1990年3月に降板。それ以降は、櫻井が単独でメインキャスターを担当することになり、新聞のテレビ欄には、『桜井良子の[N]出来事[4]とタイトルが記載されるようになった。また、1989年4月からフジテレビ月-金曜最終版ニュースのメインキャスターに木村太郎が登用されたことや、同年10月からTBSで『筑紫哲也 NEWS23』がスタートされたこともあり、どちらかというとジャーナリズムに突出した内容に変わっていった。

真山降板後は櫻井一人で立ってニュースを伝えていたが、1991年10月に、報道センターから専用スタジオセットに移り、座ってニュースを伝えるスタイルに戻ると同時に、保坂昌宏(当時アナウンサー)が櫻井のパートナー役として加入した。1993年10月に、薮本雅子(当時アナウンサー)が加入。

この時期のスクープ報道として、1988年9月19日の深夜に昭和天皇の主治医であった高木顕侍医長が皇居に向かった事を報じた。これはたまたま夜回り取材として侍医長の自宅に向かった記者が皇居方面に向かう侍医長の車とすれ違ったことに起因する。一報の約3時間半後、宮内庁が昭和天皇の吐血を伝えた。

Sports & News時代の月 - 木曜版最後の放送となった1994年3月31日は、日本テレビ系列フジテレビ系列のクロスネット局であった鹿児島テレビがNNNのニュースをネットする最後の放送でもあった。その当日、櫻井がその趣旨をアナウンスしていた。

スポーツニュース分離(1994年4月 - 2002年3月)編集

1994年4月、番組を大幅にリニューアル。22:55(同年10月から22:54)からのフライングスタートとし、スポーツコーナーを切り離して23:25までニュースのみ伝える『NNNきょうの出来事』として再スタート。メインキャスターは引き続き櫻井が務め、パートナー役の保坂・藪本と、天気予報担当の片平夏貴フリーアナウンサー)が就任し、キャスター3人体制となった。放送時間が短くなった為に重大ニュースや災害が発生した時は時間拡大での特別編を随時編成した。

1996年3月、長年にわたりこの番組の顔だった櫻井が勇退し、同年4月より、金曜から日曜のメインを担当していた井田由美(当時アナウンサー)が月-金曜キャスターへ昇格。薮本が1998年6月に報道局へ異動したことにより一時空席となっていたが、10月に豊田順子が後任に就任した。

特に1995年には、オウム事件や阪神大震災などで放映時間を拡大することが多く、オウム事件に関してはかなり重点的に特集を組むなどし、また1996年には薬害エイズ事件関連の報道については同年3月に勇退した櫻井が時折コメンテーターとして出演し、特集を組むことも多かった。この時期が最大の絶頂期だったといえる。

当初は冒頭部分からストレートニュース方式だったが、フライングスタートを活かし、1995年からは冒頭はテーマ音楽にあわせてその日のニュースを短く伝える「フラッシュニュース」方式にした[5]。その上で改めてニュースを幾つか詳報し、特集、フラッシュニュースを伝えてローカルニュースへ繋いだ。この時代のオープニングとテーマ音楽「file」及びBGM[6]は、2002年4月の番組リニューアルまで一貫して使われた。ネットCMに関しては月曜 - 木曜分は3分に縮小された。この時期からは天気予報は月曜から木曜は各局差し替えで30秒、金曜のみ一部地域は1分間全国の天気を伝えた後、後半30秒は各局差し替えとなっていた[7]

天気予報については、1994年以前は全国の天気のみで差し替え枠も無かったが[8]、1994年以降からは全国の天気とローカル天気に変更されている。また、関東ローカルの天気予報では、一時期、関東一円の立体画像(東は茨城から西は静岡まで、富士山や稜線などもリアルに描かれた予報画面)が使用されていた事があった(ただし、静岡の予報は表示されていない)。

この番組のリニューアルと共に櫻井が櫻井良子から櫻井よしこに改名(後述)。これに伴い、新聞ラ・テ欄の表記は櫻井が勇退するまで『桜井よしこの[N]出来事』[4]となった。また、井田が月-金曜キャスターとなってからは『井田由美の[N]出来事』と表記されるようになったが、番組表にGコードが記載されるようになり、文字のスペースが限られてからは、新聞ラ・テ欄の表記はキャスター名を冠さない『[N]出来事』となった。

『きょう出来 & MAX』時代(2002年4月 - 2004年4月)編集

『きょう出来』が好調であった為、日本テレビはスポーツニュースとバラエティー番組の底上げを期待する編成を行い、『きょう出来』もリニューアルや放送時間の変更を繰り返した。

2002年4月より、月-金曜については『SPORTS MAX』を番組の後半に挿入し、タイトルを『NNNきょうの出来事 & SPORTS MAX』( - スポーツ・マックス)と改める。これにより『きょうの出来事』は『SPORTS MAX』を挿んだ3部構成となり、第1部がニュースとローカルニュース・天気予報、第2部がスポーツ、第3部がフラッシュニュースと全国の天気となった。ニュースティッカーを導入し、画面上部に常時スクロール表示していた(2003年9月まで、スポーツMAXでは表示なし)。

2002年10月、フジテレビの23時台バラエティー番組に対抗するため『夜は別バラ22:54』を編成。これに伴い30分繰り下がり23:24スタートになった。同時に2部構成を廃止し、事実上スポーツコーナーを切り離している。

2003年4月から9月までの間の月-木曜には、『NNNきょうの出来事 & SPORTS MAX INDEX』( - インデックス)という、きょうの番組内容を紹介するミニ番組が本編開始前に放送されていた。番組内容としてこの後の「きょう出来」のニュースと「MAX」のスポーツ情報を少し放送するものであった。これはサブキャスターである菅谷大介が、曜日毎の女性アナウンサー(それぞれ佐藤良子山本舞衣子杉上佐智枝小野寺麻衣(当時)が担当。ただし、これらの4人は番組本編に登場しない)とともに担当。これにより本編は23:29スタートとなる。

2003年9月に7年半にわたり月-金曜のメインを務めた井田が勇退[9]し、キャスターを一新したほか、ニュースティッカーの廃止やスタジオセットや映像デザインを入れ替えた。リニューアル後の月-金曜の放送はメインに小栗泉を起用、イラク戦争の際に日本テレビ向けにリポートを送り活躍したジャパンプレスの記者山本美香をフィールドキャスター(番組専属リポーター)として起用したが、山本は半年で降板している。しかし、リニューアルしたスタジオセットは、2004年2月末の日本テレビの汐留への本社移転のため、わずか5か月しか使われなかった。

スポーツニュース再分離(2004年4月 - 2006年9月)編集

2004年4月に、『SPORTS MAX』(後の『スポんちゅ』)を分離、再びニュースオンリー番組となった。また『別バラ』の放送時間と入れ替えて再び22:54から(金曜日はこれまで通り23:30から)となった。

2006年4月より、月曜から木曜までの放送では著名人をコメンテーターに迎えて放送する形となった。又、放送終了後に小栗とコメンテーターがきょうのニュースについて語る『トークの泉』もスタートした(『トークの泉』はホームページにて無料で動画配信された)。

なお、ネットCMは2004年4月からは隔日交代制となり、当初から9月までは1分30秒だったが、10月には2分、2006年4月には2分30秒へとそれぞれ拡大された(後番組もきょう出来に相当する時間帯は引き続き2分30秒)。土日は24時台の放送(月-金曜も番組編成によっては放送時間が00:00を過ぎることも)のため『きのうの出来事』と揶揄されることもあった。

最終回編集

2006年9月29日(土日版は9月24日深夜まで)、日本テレビの、そして民放テレビの最長寿番組として続いたニュース番組『きょうの出来事シリーズ』は52年の歴史に幕を閉じることとなった。最終回は23:45 - 翌0:29までの45分間特別編成となり、後半のうち15分ほどを番組の52年間の歴史を報道面から振り返る特集に充てた。

  • 前半は、通常のニュースを通常通りに報じ、ローカルニュース(1分)を挟んで後半15分程は「伝えられたこと・伝えられなかったこと」をテーマにして、過去にキャスターを担当した櫻井、井田、番組に携わったプロデューサー、また薬害エイズ事件地下鉄サリン事件の被害者らがVTRにて登場、番組の思い出などを語る特集を組んだ。
  • 特集で、井田は「私はキャスターがコメントするキャスターコメントは行わず、むしろストレートにニュースを伝えるという考えでニュースを伝えていました」と語った。一方、櫻井よしこのコメントもあった。VTRでは、「女性キャスターの先駆けとなる存在」と言っていた。一方でプロデューサーは「報道とはニュースを正確に報じたうえで、どう考えるかの選択肢を視聴者に提供すること」と振り返った。全体的に、52年の歴史を振り返りながら、報道番組の正しい姿勢を伝えるような構成であった。最後に引き継ぎという形で『NEWS ZERO』メインキャスターの村尾信尚が新番組への抱負をコメントした。
  • そして最後の天気予報(1分)の後、番組最後のメインキャスターとなった小栗がお別れの挨拶で、最終回のトップニュースであった所信表明演説を行った内閣総理大臣(第1期)の安倍晋三が本番組の放送年数と同い年であることに触れた後、最後に「これまで番組をご覧になって、来てくださった皆さん、本当にどうもありがとうございました。」と挨拶し、番組は終了した。
  • こうした事情から、ニュース・天気予報をローカル出しにしている局では、ふだん隣接しているローカルニュースと天気予報枠が、15分の間をおいて、分裂する形となった。
  • 土日版は月-金曜版より早く9月24日に終了。最後の天気予報の後、鷹西美佳(当時アナウンサー)が「週末の『きょうの出来事』を私がお伝えするのも、今夜が最後になりました。ありがとうございました」とお別れの挨拶をした。しかし、この挨拶の部分は、ローカルニュース枠に差し替えられていた地域もあるため、放送されなかった地域も存在した。

スポーツニュース番組『スポんちゅ』も同日に終了し、同年10月2日からは2番組を統合した後継番組となる『NEWS ZERO』(2018年10月から『news zero』に改題)がスタートした[10]

出演者編集

メインキャスター編集

期間 男性 女性
月 - 水 土・日 月 - 水 土・日
1954年10月4日 - 1958年3月30日 (不明) 放送なし (不明) 放送なし
1958年3月31日 - 1974年3月31日 (不明)
1974年4月1日 - 1979年4月1日 小林完吾1 (シフト勤務) (不在)
1979年4月2日 - 1980年3月30日 小林完吾1・4久保晴生4
1980年3月31日 - 1980年5月4日 片倉もとこ 馬場恭子 (不在)
1980年5月5日 - 1980年9月28日 小坂美保子4青尾幸4
1980年9月29日 - 1981年10月4日 櫻井良子 青尾幸
1981年10月5日 - 1983年4月3日 小林完吾1 舛方勝宏1
1983年4月4日 - 1983年10月2日 高雄孝昭1 國弘正雄
1983年10月3日 - 1984年4月1日 舛方勝宏1
1984年4月2日 - 1985年3月31日 小林完吾1
1985年4月1日 - 1988年4月3日 小林完吾1 芦沢俊美
1988年4月4日 - 1990年4月1日 真山勇一 舛方勝宏 櫻井良子 青尾幸
1990年4月2日 - 1994年4月3日 (不在) 井田由美
1994年4月4日 - 1996年3月31日 櫻井よしこ 井田由美
1996年4月1日 - 2003年9月28日 井田由美 鷹西美佳1・3
2003年9月29日 - 2006年9月29日 小栗泉
  • 1NNNニューススポット』を兼務(詳細不明)。
  • 2NNN昼のニュース』を兼務。
  • 3 同日夕方のニュースを兼務(詳細は各番組のページを参照)。
  • 4 日替わりシフト制(詳細不明)。
  • 片倉・馬場・櫻井・國弘以外は、出演当時の者を含めて全員日本テレビ所属。
  • 小林は、1983年度に夕方の『NNN JUST NEWS』を担当したため一時降板。
  • 櫻井は「良子」が「りょうこ」と読み間違えられることや、NHKアナウンサーの桜井洋子(さくらい ようこ)と混同されることなどから、1994年4月に平仮名表記の「よしこ」に改めた。
  • サブキャスターの2人制は、曜日ごとの分担はなく、基本的には2人同時に出演。薮本(長谷川の着任以降)・豊田は男性よりも先にクレジットされた。

サブ・スポーツ・お天気キャスター編集

期間 サブ(月-金曜) スポーツ お天気
(月-金曜)
男性 女性 月 - 木曜日 金曜日 土・日曜日
1954年10月4日 - 1958年3月30日 (不在) 放送なし (不明)

1985-1988

片平夏貴

きゃんひとみ

(1週おきに担当)

1958年3月31日 - 1988年4月3日 (不在)
1988年4月4日 - 1990年4月1日 (不在) 松永二三男3 (不在)
1990年4月2日 - 1991年9月29日 保坂昌宏1 (不在) 松永二三男
雲野右子
多昌博志
1991年9月30日 - 1993年4月4日 村山喜彦 片平夏貴1
1993年4月5日 - 1994年4月1日 河村亮
1994年4月4日 - 1995年4月2日 笛吹雅子 (廃止)
1995年4月3日 - 1996年3月31日 片平夏貴 (女性サブ兼任)
1996年4月1日 - 1998年3月29日 薮本雅子
1998年3月30日 - 1998年5月31日 長谷川憲司
1998年6月1日 - 1998年9月27日 (不在)2
1998年9月28日 - 2001年9月30日 豊田順子
2001年10月1日 - 2003年9月28日 菅谷大介 梅田陽子
2003年9月29日 - 2006年9月29日 寺島淳司 佐藤良子 (女性サブ兼任)
  • 1 1994年4月1日まで、金曜日は担当なし。
  • 2 薮本の人事異動に伴う。
  • 3 休暇等で不在の場合は今井伊佐男が担当。
  • きゃん・雲野・片平・梅田以外は、出演当時の者を含めて全員日本テレビアナウンサー。
  • 土・日曜日のスポーツ担当者は、シフト勤務だった『NNN昼のニュース』の担当に入ることが多かった。

フィールドキャスター編集

出演者不在時の対応編集

メインキャスター(月-金曜版)
  • 舛方はソウルオリンピックの実況などで出演できないことが多く、芦沢が代役を務めたことが何度かあった。
  • 1994年4月 - 1998年9月:櫻井の代役を井田、井田の代役を鷹西が務めた。
  • 1998年10月 - 2003年9月:代役を立てず、サブキャスター2人で進行した。
  • 2003年10月 - 2006年9月:当時同局の夕方ニュースを担当していた笛吹雅子が代役を務めた。
サブキャスター
  • 保坂は放送中に喉を痛めて途中降板(アナウンス部からも異動)。代役は平川健太郎、長谷川らがシフト制で務めた。
  • 1994年4月 - 1998年9月:男性が取材等で不在の場合は平川が代役を務めた。女性の代役は不在。
  • 1998年10月 - 2003年9月:片方(主に男性)が取材等で不在のときは代役を立てず、もう片方(主に女性)のみの出演だった。
お天気キャスター
  • 30分枠拡大時に気象コーナーを新設。きゃんひとみ、片平夏貴が一週間おきに担当。
  • 1996年4月 - 2001年9月:メインキャスターの井田が兼務。

放送時間編集

期間 月 - 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
1954年10月4日 - 1958年4月4日 (不明) 放送なし
1958年4月5日 - 1961年3月 (不明)
1961年4月 - 1962年9月 21:00 - 21:10(10分)
1962年10月 - 1963年9月 21:30 - 21:40(10分)
1963年10月 - 1966年9月 22:00 - 22:10(10分) 22:30 - 22:40
(10分)
22:00 - 22:10
(10分)
1966年10月 - 1967年9月 23:00 - 23:10(10分)
1967年10月 - 1968年3月 23:00 - 23:10(10分)
1968年4月 - 1976年3月 23:00 - 23:10(10分) 23:30 - 23:40(10分)
1976年4月 - 1980年3月 23:00 - 23:15(15分)
1980年4月 - 1985年3月31日 23:00 - 23:20(20分)
1985年4月1日 - 1988年4月3日 23:00 - 23:30
(30分)
23:30 - 23:45
(15分)1
1988年4月4日 - 1990年4月1日 ●23:00 - 23:55
(55分)2
●23:30 - 23:55
(25分)2
1990年4月2日 - 1990年9月30日 ●23:30 - 翌0:00(30分)2
1990年10月1日 - 1994年3月27日 ●23:00 - 23:25
(25分)3
1994年3月28日 - 1994年4月3日 23:30 - 23:45(15分)5
1994年4月4日 - 1994年10月2日 22:55 - 23:25
(30分)4
23:00 - 23:25
(25分)4
1994年10月3日 - 1995年4月9日 22:54 - 23:25
(31分)
1995年4月10日 - 2000年10月1日 23:30 - 23:55
(25分)6
2000年10月2日 - 2001年4月1日 23:55 - 翌0:10
(15分)7
23:30 - 23:45
(15分)
2001年4月2日 - 2002年3月31日 翌0:35 - 0:50
(15分)8
翌0:10 - 0:25
(15分)8
2002年4月1日 - 2002年9月29日 ○22:54 - 23:55
(61分)9
○23:30 - 翌0:25
(55分)9
2002年9月30日 - 2003年3月30日 ○23:24 - 翌0:20
(56分)10
○23:30 - 翌0:20
(50分)
2003年3月31日 - 2004年3月28日 ○23:24 - 翌0:25
(61分)11
○23:30 - 翌0:25
(55分)
2004年3月29日 - 2006年9月29日 22:54 - 23:25
(31分)12
23:30 - 23:59
(29分)12

テーマ曲編集

  • 『NNNニュースのテーマ』(開始時期不明 - 平日は1980年3月 土日は1981年3月)
    作曲:黛敏郎
  • ブレッド&バター『トゥナイト愛して』(平日は1980年4月 土日は1981年3月 - 1988年3月)
    作曲:三枝成章、演奏:カシオペア
    本編オープニングでインストルメンタルが、本編エンディングでは歌唱バージョンが使われた。ただし後者については1985年4月以降、金曜と大晦日は別アレンジのものが使われた。
  • 曲名・作曲者ともに不明(1988年4月 - 1990年3月)
  • 市川倫子歌唱のオリジナルテーマ(1990年4月 - 1991年9月)
    作曲:小川よしあき
    1990年10月にタイトルロゴとオープニングCGが変更されている。
  • 倉橋ルイ子「いつかどこかで」(1991年10月 - 1994年4月3日)
  • 『file』(1994年4月4日 - 2002年3月31日)
    作曲:後藤次利。後藤のソロアルバム『do not disturb』に収録されているが、オープニング映像からスタジオに切り替わった後のメロディは削除されている。
  • 梁邦彦作曲によるオリジナルテーマ(2002年4月1日 - 2003年9月28日)
  • 小山田圭吾(コーネリアス)作曲によるオリジナルテーマ(2003年9月29日 - 2004年9月)
  • 梅堀淳作曲によるオリジナルテーマ(2004年10月 - 2006年9月29日)

シリーズ企画編集

  • でき心(毎週金曜日のコーナーだったが、2005年11月をもって終了)
  • でき物(不定期の企画)
  • 新ニッポン見聞録(月2回のコーナー)
  • 安全再生(不定期の企画)
  • さんかめ(2005年11月よりスタート。毎週金曜日)

『きょうの出来事』で放送された特集、シリーズ企画は日テレNEWS24の『ウォッチ・ザ・にっぽん列島』の再放送(日テレNEWS24番組表では『ふるさと&特集!』)でも放送されていた。

緊急時・特別編成時の対応編集

緊急時
放送時間を10分から20分延長して対応。以降の番組は繰り下げとなる。なお、クロスネット局テレビ大分テレビ宮崎)への配慮からか放送時間を繰り上げることはあまりない。月-金曜の場合、22時台を「NNN報道特別番組」として放送し、通常通り『きょうの出来事』を放送するパターンが多い。
年末年始
月-金曜は例年12月27日頃まで通常のメンバーで放送。ただし月-金曜は12月20日頃から放送時間が10分程度短縮となる。
以降、0時台または1時台に10分から15分の枠で放送、または『NNNニュース』が代わりに放送される。例年12月31日大晦日)と正月三が日は放送が休止になる[11]
24時間テレビ 「愛は地球を救う」』放送時(土曜日)
かつては『24時間テレビ』放映中の土曜日も通常通り放送し、キャスターはオリジナルチャリTシャツを着て出演していたが、末期は土曜日の放送は休止し、代わりに『NNNニュース』が25時台に5分程度放送された。
その他(オリンピック開催時など)
放送時間短縮、または放送休止(代替として『NNNニュース』の放送)で対応。2006年2月のトリノオリンピック開催時からは、スポーツ枠を合体させた『NNNニュース&スポーツ』が30分(土日は15分)の枠で代わりに放送されるようになった。番組末期、『NNNニュース』は寺島淳司または佐藤良子のどちらかが担当(土日は鷹西美佳)、スポーツは『スポんちゅ』のキャスター(土日は『スポーツうるぐす』の鈴江奈々)が担当した。
クロスネット局・非マストバイ局
1983年頃からプロ野球中継の放送時間をマストバイ局を中心に最大30分拡大して放送するサービスも行われていたが、1990年代まで多数あったクロスネット局や非マストバイのテレビ局では編成の都合で20:54の定時で終了せざるを得ない地域、あるいは曜日により巨人戦中継自体を実施しなかった地域があり、延長が生じた場合はマストバイ局でニュース本編が始まるまでの時間調整として「巨人戦ハイライト」を放送した(原則として当日の実況中継素材をそのまま使用。なお1988年度から1993年度は当番組内でスポーツニュースコーナーがあり、そこでも巨人戦を中心に扱っていたが、こちらはキャスターの解説を入れていた)。一時期は当時の「今日の出来事」のタイトルを一旦出し、ローカルCM数本を挟んでから「巨人戦ハイライト」を送っていた事例もある。また年度によっては「巨人戦ハイライト」ではなく、まずクロスネット・非マストバイ向けに裏送りの生放送を行い、その素材を録画収録した撮って出しでマストバイ局に放送した場合もあった(緊急を要する事態が発生した場合はマストバイであっても、全編、ないしは一部を生放送で差し替えた場合もある)。

ネット局編集

放送対象地域 放送局 備考
関東広域圏 日本テレビ 基幹・制作局
当初は自社鉄塔からの送信の為、北関東地区の中継局設置まで放送地域は南関東周辺のみだった。
また、本土復帰前から番組最終回まで、日本テレビ系列局の無い沖縄県の取材も担当。
北海道 札幌テレビ 1959年4月1日開局から
青森県 青森放送 1959年10月1日テレビ放送開始から
岩手県 テレビ岩手 1969年12月1日開局から
宮城県 仙台放送 1962年10月1日開局から1970年9月30日まで
ミヤギテレビ 1970年10月1日開局から
秋田県 秋田放送 1960年4月1日テレビ放送開始から
山形県 山形放送 1960年3月16日テレビ放送開始から
福島県 福島中央テレビ 1971年10月1日から
福島テレビとのネット交換により開始(後述)。
山梨県 山梨放送 1959年12月20日テレビ放送開始から
新潟県 新潟総合テレビ 1968年12月16日開局から1981年3月31日まで
テレビ新潟 1981年4月1日開局から
長野県 テレビ信州 1980年10月1日開局から
静岡県 静岡けんみんテレビ
(現:静岡朝日テレビ
1978年7月1日開局から1979年6月30日まで
静岡第一テレビ 1979年7月1日開局から
富山県 北日本放送 1959年4月1日テレビ放送開始から
1980年代半ばまでは『KNBきょうの出来事 NNN』というタイトルで放送
(オープニングタイトルも北日本放送サイドで差し替えていた)。
石川県 テレビ金沢 1990年4月1日開局から
福井県 福井放送 1960年6月テレビ放送開始から
中京広域圏 名古屋テレビ 1962年4月1日開局から1973年3月31日まで
中京テレビとのダブルクロスネット時代も放送。
中京テレビ 1973年4月1日から
近畿広域圏 読売テレビ 1958年8月28日開局から
鳥取県
島根県
日本海テレビ 鳥取県:1959年3月3日開局から
島根県:1972年9月22日から
広島県 広島テレビ 1962年9月1日開局から
山口県 山口放送 1959年4月1日テレビ放送開始から
開局当初は下関放送局とテレビ西日本とのサービスエリア重複を考慮して
徳山放送局(現:周南放送局)・山口放送局・放送局・岩国放送局向けのみの放送だった。
1964年10月1日より下関放送局でも放映開始。
徳島県 四国放送 1959年4月1日テレビ放送開始から
香川県
岡山県
西日本放送 香川県:1958年7月1日テレビ放送開始から
岡山県:1979年4月1日から
取材は当初から両県を担当していた[12]
高知県 高知放送 1959年4月1日テレビ放送開始から
愛媛県 南海放送 1958年12月1日テレビ放送開始から
福岡県 テレビ西日本 1958年8月28日開局から1964年9月30日まで
ネットチェンジ(日本テレビ系列→フジテレビ系列)により打ち切り。
福岡県では福岡放送が開局するまで4年半のネット空白地域だった
(この間は日本テレビが福岡に九州分室を設置して取材していた[13])。
福岡放送 1969年4月1日開局から
1990年10月1日から1991年3月31日まで、長崎地区のNNN加盟局不在時代は長崎の取材も担当。
長崎県 テレビ長崎 1969年4月1日開局から1990年9月30日まで
長崎国際テレビが開局するまで半年間ネット空白。
長崎国際テレビ 1991年4月1日開局から
熊本県 テレビ熊本 1969年4月1日開局から1982年3月31日まで
くまもと県民テレビ 1982年4月1日開局から
大分県 テレビ大分 1970年4月1日開局から
宮崎県 テレビ宮崎 1970年4月1日開局から
鹿児島県 鹿児島テレビ 1969年4月1日開局から1994年3月31日まで
鹿児島読売テレビ 1994年4月1日開局から
  • 1996年から2000年9月まではCS★日テレでもサイマル放送されていた。
  • 福島テレビは1966年4月から1971年5月までNNNに加盟していたものの、当番組はネットしていなかった(当番組の時間帯には、自主制作の『FTVニュース』(県内ニュース番組)を放送していた。[14])。
  • クロスネット局のテレビ大分とテレビ宮崎では、フジテレビ系列(FNN/FNS)のネット受け該当日(テレビ大分は火曜日、木曜日、金曜日、テレビ宮崎は火曜日-木曜日、土曜日(一部除く))に日本テレビが野球中継を放送して延長オプションが行使された場合、時間調整のフィラーとして『巨人戦ハイライト』が放送された。フジテレビの野球中継が放映され、延長が行使された場合はそれぞれの局で日本テレビ配給のネットワーク受けの素材を録画して放送した(『スポんちゅ(大スポんちゅ含む)』、『SPORTS うるぐす』も基本的には同じ)。

スタッフ編集

  • プロデューサー:松井昌治(1996年 - 2006年)、大沼裕之
  • チーフプロデューサー:高見俊彰→山田克也

関連項目編集

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ 1978年頃から1993年5月31日まで実施。それ以外の期間はモノラル放送(モノステレオ放送)
  2. ^ 2006年4月3日から放送終了まで、月-金曜に実施。
  3. ^ 主に番組の公式ウェブサイト(現在は閉鎖)のアドレス(「www.ntv.co.jp/kyodeki/」)で使用された。
  4. ^ a b 新聞のラ・テ欄では旧字体の「」を表記することができないため、新字体の「」で表記された。なお、現在の「NEWSZERO」の月曜日も同様の措置をとっている。(→番組表#番組表内の文字表記を参照)
  5. ^ しかし後に再びストレートニュース方式に戻されている。
  6. ^ いずれも作曲は後藤次利。なお、フラッシュニュースで特集を紹介するBGMは、後藤のソロアルバム『CITY TRICKLES -街の雫-』から「URGENT:追い込まれた色彩」が使用されていた。
  7. ^ 1994年4月から2002年3月迄は、月曜から木曜は約1分弱ニュースを伝えた後ローカル天気を放送して番組終了、金曜日は全国の天気予報とローカル天気を放送した後最後にニュースを1本伝えてから番組終了の形を取っていた。又、天気予報のBGMは月曜から木曜は当時のエンディングテーマ、金曜のみオリジナルBGMが流れていた。尚、読売テレビ等一部系列局は金曜日の全国の天気予報もネットせず、ローカル枠は全てローカルニュースや天気予報を放送した後、そのまま番組終了していた。
  8. ^ 1994年以前は番組の最後に全国の明日の天気予報を放送し、予報だけ表示して番組終了していた。
  9. ^ 土日版のメインを担当していた期間も含めると13年半にわたり番組を担当したことになる。
  10. ^ 土日は『NNNニュース』が後継番組になる。
  11. ^ 12月31日は年越し番組放送のため、夜のニュースの放送は休止となる。但し、全民放で『ゆく年くる年』が放送されていた1988年までは、大晦日も放送されていた(23:30 - 23:45)
  12. ^ 日本テレビ放送網 『大衆とともに25年 -沿革史-』、1978年、373-374頁。 
  13. ^ 日本テレビ放送網 『大衆とともに25年 -沿革史-』、1978年、137頁。 
  14. ^ 福島テレビは開局当初から報道以外はオープンネット(当時福島県の民放テレビ局は福島テレビ1社だけだった)だったが、報道に関してはNNNに加盟していた。NNN脱退後は1983年3月31日までJNNに加盟し、報道に関してはJNN排他協定が適用されるため他系列のニュースをネット受けできないことになり、本来であれば『JNNニュースデスク』をネットすべきところだったが、JNNニュースデスクも放送せずFTVニュースを放送した。なお、福島テレビは1983年4月1日以降、FNNに加盟し、フジテレビ系列マストバイ局に移行した。

外部リンク編集

日本テレビおよびNNN系列 平日最終版のNNNニュース
前番組 番組名 次番組
今日の出来事

NNNきょうの出来事

NNNきょうの出来事
& SPORTS MAX

NNNきょうの出来事(第2期)
NEWS ZERO

news zero

【スポーツニュースと統合】
※月 - 木曜22:54 - 23:55
※金曜23:30 - 翌0:25
日本テレビおよびNNN系列 土日最終版のNNNニュース
NTVニュース
今日の出来事

NNNきょうの出来事
日本テレビおよびNNN系列 月 - 金曜スポーツニュース
NNNきょうの出来事 Sports & News
(1988年4月 - 1994年4月1日)
日本テレビおよびNNN系列 土日スポーツニュース
NNNスポーツニュース
※23:40 - 23:55
NNNきょうの出来事 Sports & News
(1990年4月 - 1994年3月)
スポーツうるぐす
※23:45 - 翌0:25