ゆく年くる年 (民間放送テレビ)

日本のテレビ年越し番組

ゆく年くる年』(ゆくとしくるとし)は、日本民放各テレビ局で1956/1957年から1988/1989年まで生放送されていた、年越し番組である。セイコーの一社提供。

ゆく年くる年
ジャンル 年末特別番組
出演者 #年表参照
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本語
話数 全33回
製作 民放各局(1988/1989年まで毎年持ち回り・共通内容)
放送
放送局 民放テレビ全局
映像形式 4:3
放送国・地域 日本の旗 日本
放送期間 1956/1957年 - 1988/1989年
放送時間 毎年12月31日 - 翌年1月1日

特記事項:
セイコーの単独提供番組。
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本番組終了後の民放各局の動向については「年越し番組」の項を参照のこと。

概要編集

在京キー局が輪番制で年越し向けの番組の制作に当たり、それを全国の民放テレビ局が同時放送していた。

終了当時、民放全局フルネットの番組はこの番組と放送広告の日(現在の民放の日)の特番および「民放連会長あいさつ」のみである。新聞・雑誌の番組表も、局と局の間の線を無くして横長の表になっているものがあった。

1952年にラジオ東京(現TBS)と文化放送合同による年越しラジオ番組「新年の鼓動」が放送され、翌年「ゆく年くる年」に改題されとして全国のラジオ局とリレー中継を行っていた。民放ラジオの「ゆく年くる年」を真似る形で当時少数派だった民放テレビが全国ネットのNHKへの対抗策として本番組を開始させ、当初は4局体制だった[1]。その後1971/1972年放送にて83局によるの民放全局放送体制を確立し参加局は最大103局に及んだ[1]

第1回は、日本テレビラジオ東京テレビ(現在のTBSテレビ)の共同制作であった。なお、フジテレビは、1959年の開局からしばらくはこの民放テレビ版放送の制作・放送には加わらず、同じセイコーからの提供番組でありながら独自の番組を放送していたが[2]1971年にようやく民放テレビ版に参加し[3]、これをもって初めて5つの系列と独立局の民放テレビ全局での放送となった。また、東京12チャンネルは他局制作分の番組を流すだけの受け局だったが、1974年に制作へ初参加した。

第1回放送から最終回まで一貫してセイコー(服部時計店→服部セイコー→現在)の一社提供だった。そのため、カウントダウンや時報には同社の時計が使用されていた。また、年越しの瞬間に同社の関連施設である東京銀座和光の時計台がバックに映っていたことがあった。またセイコーから視聴者プレゼントも毎年提供されていた。

番組内容編集

毎年、あるテーマに沿った内容で全国各地からの中継を展開していた。中継以外の内容は年によって異なり、ドラマ・バラエティ・チャリティーオークション・一般視聴者参加ものなど数多くの企画が展開された。また、衛星中継やデジタル合成など当時の最新技術を使った大掛かりな演出も特徴で、番組予算は年を追うごとに高騰、最末期には1億円ほどの制作費となっていた[1]

NHK紅白歌合戦』に続いて本番組でも、セイコーによる午前0時の新年時報直前まで全国各地を生中継で結んで「蛍の光」が大合唱されていた。ただし、1980年/1981年の回(この年は日本テレビ制作)では生合唱どころか演奏も行わず、北日本放送からの中継の途中でセイコーのCMを放送(そのCM自体はこの時1回限りのオンエア)。CM明けの新年の時報は再び北日本放送の中継先に戻り、中継場所のセイコーの時計をバックに男性ナレーターが「1981年1月1日、正0時の時報をセイコーがお送りします」とアナウンスした。日本テレビが担当した1975/1976年には梅小路機関区にある蒸気機関車の汽笛の音、1985/1986年には全国の除夜の鐘を使って「蛍の光」を演奏した。指揮は前者が山本直純、後者がこの回の司会だった加山雄三

特筆すべきものとして、1980/1981年の日本テレビ制作のものは『ズームイン!!朝!』に近い形[4]となったほか、1987/1988年のフジテレビ制作のものはJNN加盟局があるにも拘らずニュースが放送された(JNN系列局は、他系列の制作したニュースを放送してはならないという「JNN排他協定」がある)。また、1984/1985年のテレビ東京制作のものは、系列局が少ないものの、午前0時前後に全国各地の映像を入れていた(ただし、生中継かどうかは定かではない)。

'80年未来をこの手に!編集

1979/1980年の『ゆく年くる年』に続いて、東京放送(現・TBSテレビ)が幹事局となって、当番組の事実上の第2部として『'80年未来をこの手に!』がライオンの単独協賛にて全局で放送されたが、びわ湖放送においては当時、リン含有の合成洗剤が環境破壊に影響するという理由で、大株主である滋賀県の理解を得られなかったとして放送中止となった。

番組の終焉編集

1988年末に行われた5社営業局長会において、次回(1989/1990年)の制作幹事局であったテレビ東京から番組制作の辞退の申し入れがあり、スポンサーのセイコーも了承、翌1989年3月に番組の終了が発表された。このため、最終回は1988/1989年の放送(テレビ朝日制作)となった。

終了の理由は高騰する制作費を幹事社が負担しきれず予算や提供料金を超過しており[1]、各局に負担となっていた。また、視聴率競争が激しくなる中独自の番組を放送したいという要望もあり、最大で5局が同じ内容の番組を放送するという編成も時流に合わなくなっていた。

翌1989/1990年からは各放送局で独自の内容の年越し番組を制作・放送している。

現存映像編集

当番組は原則として生放送であり、更に当時の放送用2インチビデオテープは高価だったため、現存する映像は1967/1968年(日本テレビ版)、1969/1970年NET版)、1970年/1971年(日本テレビ版)のモノクロ・キネコ版と、1975/1976年(日本テレビ版)のVTRが残っているだけである。

これらの内、1986年に『テレビ探偵団』(TBS系列)のワンコーナー「私だけが知っている」で「年末番組特集」を行った時は、1967/1968年版を放送、番組では、1967年内で植木等が軍人に扮して「これでインヘラー!」(当時日本ヴィックスが発売していた「インヘラー」のCM、植木が言ったギャグ)を言ったコントや、和光・時計台前での「蛍の光」合唱(合成は使用せず)による年越し瞬間、年越し同時に始まったスタジオでのダンスなどが放送された。

年表編集

[1]

旧年 新年 制作局 ネット局数 視聴率 総合司会 テーマ 備考
01 1956年 1957年 ラジオ東京テレビ 004 - 森繁久彌 - 日本テレビラジオ東京テレビ中部日本放送大阪テレビ[5]の民放テレビ4局全局同時ネットで番組放送開始。
主な出演:ミヤコ蝶々、南都雄二、三橋美智也、浅香光代
主な中継地:浅草観音、銀座エスヤ、名古屋テレビ塔熱田神宮心斎橋道頓堀
02 1957年 1958年 日本テレビ 005 森繁久弥
幸田文
- 北海道放送開局で初参加。
主な出演:中村時蔵と家族、山田五十鈴、大下弘、玉乃海、火野葦平
主な中継地:銀座四丁目服部時計店、浅草、八坂神社、熱田神宮、日比谷、札幌神社、東北の農村
03 1958年 1959年 ラジオ東京テレビ 019 フランキー堺 - 23時40分より唯一のラジオ・テレビ同時放送
主な出演:山田五十鈴、岸恵子、稲尾和久、今東光
主な中継地:八幡製鉄所羽田空港、銀座四丁目、伊勢神宮、祇園、函館トラピスト修道院
04 1959年 1960年 日本テレビ 036 フランキー堺
朝丘雪路
- NETテレビ初参加。この年から娯楽路線を開始。
主な出演:大村崑、鶴岡一人、河内桃子、鰐渕晴子、ダーク・ダックス、水谷良重、長嶋茂雄
主な中継地:銀座四丁目、道頓堀、東京タワー、警視庁指令室、伊勢湾台風被災地、福岡板付基地、宇治平等院仙台塩釜神社広島世界平和記念堂、札幌手稲山明治神宮
05 1960年 1961年 TBS 039 森繁久弥
朝丘雪路
- 主な出演:永六輔、前田武彦、牟田悌三、藤山寛美、トリオ・ロス・パンチョス
主な中継地:銀座四丁目、北海道大学恵迪寮、金毘羅宮、長崎浦上天守堂明石天文博物館
06 1961年 1962年 日本テレビ 040 秋山ちえ子 生きる日本人 地方局が続々と開局。40局ネットとなる。
主な出演:桂文楽、藤山寛美、川上哲治、フランキー堺、大村崑、ダーク・ダックス
主な中継地:北海道岩見沢駅、宮城県名取市、浅草観音、薬師寺、呉の酒蔵、沖縄
07 1962年 1963年 TBS 坂本九 昭和37−38の日本人 ドキュメンタリー・ドラマ風。
主な出演:渡辺とも子、ジェリー藤尾、パラダイスキング、徳川夢声、吉川英治夫人、河野一郎
主な出演者:知恩院、八坂神社、茨城大宝八幡、銀座四丁目、伊勢神宮、九州若戸大橋
08 1963年 1964年 NET 9.5% 森繁久彌 日本を謳う 安部公房が番組の構成を担当。主な出演:佐藤栄作、丹下健三、大松博文、岡本太郎、兵頭秀子、古橋広之進、今東光
主な中継地:奈良唐招提寺、横浜港、長崎造船所、東京オリンピック競技場
09 1964年 1965年 日本テレビ 22.9% 三木鮎郎
小島正雄
坂本九
植木等
スタープレゼント タイトルは「ゆく年くる年・スタープレゼント」。三船敏郎石原裕次郎などのスターがスタジオに集合。
主な出演:石原裕次郎、三船敏郎、勝新太郎、中村玉緒、中村勘三郎、倍賞千恵子、倍賞美津子、高田浩吉、高田美和、山本丈晴、山本富士子、ダーク・ダックス、一柳斎貞鳳、榎本健一、柳家金語楼、王貞治
主な中継地:銀座四丁目、祇園お茶屋、ホテルニューオータニのスカイラウンジ、浅草観音、八坂神社
10 1965年 1966年 TBS - 山村聰 おめでとう日本列島 「ゆく年くる年」は副題。スタジオに山村聰邸宅を再現。
主な出演:藤田まこと、木島則夫、月の家円鏡、野際陽子、吉永小百合、佐久間良子、堀雄二、芦田伸介、いしだあゆみ、島かおり他
主な中継地]浅草観音、兼六園、照国神社、札幌手稲山、那覇港、永観堂、法善寺横丁、日劇
11 1966年 1967年 NET 27.4% 木島則夫
小林桂樹
おめでとう若い日本 「ゆく年くる年」は副題。
主な出演:出演者:芥川也寸志、内藤洋子、田村亮、加藤登紀子、小島正雄、北大路欣也、星百合子、大橋巨泉、弘田三枝子、由美かおる、田辺昭知とスパイダース、宇津井健、梅宮辰夫、中山仁、藤純子、栗塚旭、藤本義一、小林旭、森繁久弥、フランキー堺、渥美清、吉永小百合、三田佳子、倍賞千恵子、安田道代、加山雄三、ランチャーズ、前田美波里、田中邦衛
主な中継地:札幌中島公園、銀座四丁目、東京プリンスホテル、横浜氷川丸、鈴鹿サーキット、京都大徳寺大仙院、豊後高田桂川
12 1967年 1968年 日本テレビ 19.4% 坂本九
吉永小百合
新しい百年に向って 「ゆく年くる年」は副題。各地の風景・未来の夢・日本の現実・建設の4つがテーマ。
主な出演:植木等、てんぷくトリオ、石坂泰三、今東光、井深大、大宅壮一、ダーク・ダックス
主な中継地:知恩院、北海道神宮、神戸港、羽越の水害地、高知桂浜灯台、尾道大橋、宮崎南高体育館・メキシコ五輪を目指すバレー選手
13 1968年 1969年 TBS 043 20.5% 古谷綱正
池内淳子
沢田雅美
テレビ初詣 東京12チャンネル初参加。一部で初のカラー放送。
主な出演:黛ジュン、宇津井健、ピンキーとキラーズ、小川知子、丸山明宏、渥美清、丹波哲郎、松山容子、王貞治、長嶋茂雄、沢村忠、千昌夫、立川談志、大橋巨泉、京塚昌子、木島則夫ほか
主な中継地:大原寂光院、蔵王七ヶ宿、函館聖ハリストス教会、赤坂豊川稲荷、伊勢神宮、下関赤間神社、延暦寺根本中堂、新宿・安田講堂など都内移動中継
14 1969年 1970年 NET 052 16.9% 竹脇無我
栗原小巻
あなたと僕の握手 万国博会場から『世界の広場で』の大合唱。
主な出演:松本幸四郎、池内淳子、渥美清、杉良太郎、堺正章、雷門ケン坊、松原智恵子、光本幸子、松岡きっこ、岡崎友紀、小川ローザ、奈良和、岡田茉莉子、野際陽子、荻昌弘、若尾文子、内藤洋子、中村吉右衛門、大村崑、前田武彦、大橋巨泉
主な中継地:霞ヶ関ビル、日比谷東京芸術座、大阪万博会場、札幌五輪会場、太宰府天満宮、円覚寺、東名高速道路名古屋インターチェンジ
15 1970年 1971年 日本テレビ 058 36.4% 高橋圭三
ザ・ドリフターズ
'71年夢いっぱい 大阪天満宮の初詣。関門橋建設現場などから中継。
主な出演:范文雀、紀比呂子、奥村チヨ、藤圭子、はかま満緒、長嶋茂雄、金田正一、前田武彦
主な中継地]札幌オリンピック競技場、明石天文博物館、関門橋建設現場、和布刈神社、成田山新勝寺、法善寺横丁
16 1971年 1972年 TBS 083 39.8% 堺正章
井上順之
コント55号
ザ・ドリフターズ
笑い初めだョ! フジテレビ系列初参加。民放テレビ83局全局同時ネットとなる。代々木第2体育館をメイン会場とし、3000人を招待する公開放送を初めて行った[3]
主な出演:水前寺清子、佐良直美、和田アキ子、岡崎友紀、尾崎紀世彦、王貞治、北の富士、中山律子、木原美知子、ハナ肇、高倉健、いしだあゆみ
主な中継地:代々木第二体育館、真駒内オリンピックスケート場、岩手渋民村・早池峯神社、沖縄波の上神社、柴又帝釈天、山中温泉
17 1972年 1973年 フジテレビ 086 33.9% 小川宏
高峰三枝子
若さでいこう 各局の人気番組のタレントを番組のままの服装で登場させ、ミニドラマを展開。
主な出演者:ドリフターズ、堺正章、天地真理、小柳ルミ子、輪島、貴ノ花、高見山、コント55号、関口宏、桂三枝、西川きよし、京唄子、鳳啓助、村野武範、酒井和歌子、中村敦夫、中村梅之助、水原真紀、沢たまき、アントニオ猪木、倍賞美津子
主な中継地:有楽町日本劇場、札幌真駒内時計塔、名鉄レジャック、鹿児島指宿の砂風呂、宝塚歌劇
18 1973年 1974年 NET 26.0% 高島忠夫
黒柳徹子
声たからかに 全国各地から生活に密着した6つの素材を選んで構成。
主な出演:佐良直美、松坂慶子、井上加寿子、春風亭柳朝、林家こん平、グレープ
主な中継地:奈良法輪寺、北海道釧路の畑正憲一家、大分大岳地熱発電所、山形羽黒山、香川前山ダムと水没する村、長崎野母崎の金魚草花畑
19 1974年 1975年 東京12チャンネル 087 25.4% 石坂浩二
うつみ宮土理
豊かな明日のために 東京12チャンネル初制作。古き良き物と新しい物を中継。
主な出演者:由美かおる、小野清子、和泉雅子、三遊亭円歌、紀比呂子、香山美子、岸ユキ、岩井友見、永田武と南極越冬隊
主な中継地:東京白鬚神社、旭川上川神社、秋田なまはげ、名古屋太陽炉、知恩院、広島・瀬戸内海水理模型、佐賀・柿右衛門の窯
20 1975年 1976年 日本テレビ 089 30.7% 高島忠夫
仁科明子
みんなと話そう 人間同士の対話を取り戻し、絆を強く結び直すことがテーマ。
主な出演者:コント55号、長嶋茂雄、桂三枝、山本直純、井上順
主な中継地:浅草仲見世、警視庁、北海道夕張、名古屋東山動物園、太宰府、京都梅小路機関区
21 1976年 1977年 TBS 33.6% 田宮二郎
山口百恵
愛してますか あなたは… スタジオを使わず、司会者も外からの中継。
主な出演:久米宏、山本直純、西川きよし、鳳蘭、桂三枝、秋野暢子、竹下景子、せんだみつお、湯原昌幸、松坂慶子、倍賞千恵子、川谷拓三、室田日出男、五十嵐めぐみ
主な中継地:明治神宮、京都ミュージックバーたくたく、大阪城公園、名古屋久国寺、沖縄与那城村、出雲大社、宮崎カーフェリー、東京晴海、太宰府、岡山小児医療センター、北海道の国鉄職員
22 1977年 1978年 フジテレビ 26.7% 渥美清
夏目雅子
露木茂
世界とともに 世界各国の街の表情や、日本国外で活躍する日本人をリポート。
主な出演者:王貞治、高見山、倍賞千恵子、藤村志保、竹下景子、芳村真理、黒柳徹子、吉村作治、城ヶ崎裕子、田丸美寿々、リチャード・バック、米国カーター大統領(VTR)
主な中継地:ドゴール空港コンコルド、パリ・エッフェル塔、米国サンタモニカビーチ、バンコクの王宮、韓国、アブダビの油田、長崎ベトナム難民収容施設、北海道北洋の独航船、明治神宮、柴又帝釈天、石川島播磨造船所、東海大地震観測所
23 1978年 1979年 テレビ朝日 091 31.0% 萩本欽一
檀ふみ
ふれあいを求めて 1979年が国際児童年のため、この趣旨に沿った話題で進行。
主な出演者:竜崎勝、松坂慶子、吉幾三、見城美枝子、ピンク・レディー、さとう宗幸
主な中継地:シドニー港、中国、青森善知鳥神社、新潟瓢湖と白鳥、化野念仏寺除夜の鐘TV初公開、小豆島、池袋サンシャインビル、都内団地、北海道置戸町の牧場、北九州の養護施設
24 1979年 1980年 東京12チャンネル 093 24.1% 関口宏
浅茅陽子
愛と祈り 市川崑が総監督を担当。増上寺経蔵テレビ初公開。大井川鐵道SL中継。
主な出演:岸本加世子、片平なぎさ、友里千賀子、松本留美
主な中継:芝増上寺、明治神宮と原宿シャンゼリゼ通り、大井川鐵道、長崎橘港の備蓄タンカー永祥丸と猿葉山稲荷、函館トラピスト男子修道院、奈良吉野・野迫川村弓手原地区
25 1980年 1981年 日本テレビ 094 28.9% 渡辺謙太郎
金子勝彦
露木茂
溝口泰男
徳光和夫
だから日本が好き! 司会5人は各民放の看板アナ(溝口はフリー)。
主な出演:司葉子、長嶋茂雄
主な中継地:長野善光寺、鳥取天徳寺、愛知神島、宮城作並温泉、富山新湊の元日マラソン、神戸ポートピア博会場など25ヶ所
26 1981年 1982年 TBS 096 25.0% 古谷一行
中原理恵
星野知子
21世紀への旅立ち 20年後の世界に目を向け、2001年は世界がどう変わっているかを展望。
主な出演:植村直巳、佐藤蛾次郎、杉田かおり、MIE、伊東四朗、斉藤とも子、柏原よしえ、紳助竜介、荒井注、はらたいら、篠沢秀夫、生島ヒロシ
主な中継地:長野野辺山天文台、ロンドンの餅つき、ブエノスアイレスでの植村直己南極探検準備、高円寺の予備校、名古屋山崎鉄工所、青年の船、大阪・若手落語家の風呂場寄席、北の湖・三保ヶ関部屋、横須賀湾の深海調査船
27 1982年 1983年 フジテレビ 099 25.1% 小川宏
ビートたけし
俵孝太郎
ジャイアント馬場
田丸美寿々
だから! より人間らしく 同番組初のステレオ放送。「ゆく年」の15分間は日本列島各駅からの中継。「くる年」になる午前0時の15秒前からは、この年(1983年)に開園する東京ディズニーランドから生中継を行った[6]
主な出演:藤原弘達、筑紫哲也、大橋純子、セントルイス、三笑亭夢之助、毒蝮三太夫、春やすこ・けいこ、研ナオコ、土光敏夫、秋吉久美子、春日三球・照代、城ヶ崎裕子
主な中継地:新宿駅、北海道夕張駅、熊本津奈木駅青森駅伊勢奥津駅尾道駅、浦安・東京ディズニーランド、高砂部屋、太宰府天満宮、和歌山太地町/、アフリカ象牙海岸、アメリカ・アリゾナ、警視庁、東京青山・永平寺別院
28 1983年 1984年 テレビ朝日 102 - 武田鉄矢
名取裕子
信じることからはじめよう ネット局が100局突破(民放テレビ102局全局同時ネット)。中継レポーターに荻野目慶子ら。コンピューターグラフィックスによる正零時の時報。
主な出演:レオナルド熊、荻野目洋子、三浦雄一郎、イルカ、太地喜和子、美保純、米倉斉加年
主な中継地:東京渋谷吸江寺、足利最勝寺、新潟弥彦神社、鹿児島与論島、北海道占冠トマム山、山口明蓮
VTR:北京、アラスカ、ペルー、屋久島
29 1984年 1985年 テレビ東京 市川猿之助
桂文珍
中井貴恵
未来、それはいま オープニングは歌舞伎座から中継。猿之助自ら企画・構成・演出。
主な中継:歌舞伎座、京都嵯峨野、銀座四丁目、愛知豊川稲荷、つくば博会場、平塚・東海大学柔道部、米国アラバマ州スペースキャンプ、アラスカ、ジンバブエ
30 1985年 1986年 日本テレビ 103 加山雄三
徳光和夫
日本・きた道ゆく道 1985年開局のテレビせとうちが初参加、最終回まで続く局数となる。新しく竣工したばかりの両国国技館から生放送。管弦楽は読響山本寛斎のファッションショー、『ウィ・アー・ザ・ワールド』や『歓喜の歌』の大合唱など。
主な出演:北の湖、山下泰裕、松尾雄治、三宅一生、山本寛斎、佐々木七恵
主な中継地:両国国技館/東京ディズニーランド/長勝寺/三井寺/須磨寺
31 1986年 1987年 TBS 仲代達矢
大地真央
小泉今日子
おーい! 愛しの地球よ 主な出演:山本圭、岩本久則、中谷久美子、中村あけみ
主な中継地:香川男木島、沖縄本部半島、知床、薬師寺、上野動物園、愛知尾張旭の鷹匠、能登の輪島塗、長崎オランダ村、韓国ソウル
32 1987年 1988年 フジテレビ 逸見政孝
笑福亭鶴瓶
榊原郁恵
時を見つめて 主な出演:今いくよ・くるよ、コント赤信号、小川菜摘、宮川大助・花子、長野智子、益田由美、寺田理恵子、迫文代、伊奈かっぺい、桑原征平
主な中継地:瀬戸大橋青函連絡船、ブラジル・イパネマビーチ、タヒチモーレア島、エジプト・ギザ砂漠、岡山鷲羽山展望台、青森第一岸壁地、名古屋河合塾、芝浦ウォーターフロント、広島東照宮、羽田空港、苗場スキー場
33 1988年 1989年 テレビ朝日 西田敏行
富田靖子
小宮悦子
好きです輝いてるあなたが 最終回。33年の歴史に幕。民放テレビ103局全局同時ネット。
主な出演:スタニスラフ・ブーニン、立松和平、浅野ゆう子、緋色ともゑ、吉村比呂、佐野量子、八波一起、津川雅彦、朝丘雪路、山本寛斎
主な中継地:北海道・広尾町、大阪ザ・シンフォニーホール、ニュージーランド・オークランド、オーストリア・ウィーン、エジプト紅海、長野豊田村、東京タワー、名古屋・堀川、香川金毘羅、福岡久留米大学附属看護学校

ネット局に関する補足編集

  • 第1回がネットされた局は4局であった。そのネット当時・現在の双方の系列で見ると、ネット当時では日本テレビが日本テレビ系列・TBS(ネット当時はラジオ東京テレビ)がTBS系列(ネット当時はラジオ東京テレビ系列)・CBCテレビ(ネット当時は中部日本放送)と朝日放送(ネット当時は大阪テレビ)の2局がTBS系列(ネット当時はラジオ東京テレビ系列)と日本テレビ系列のクロスネット局であったが、現在では日本テレビが日本テレビ系列・TBSとCBCテレビの2局がTBS系列・朝日放送がテレビ朝日系列である。
  • 最終回にあたる第33回がネットされた局は103局であった。そのネット当時・現在の双方の系列で見ると、ネット当時の局数ではTBS系列が25局・日本テレビ系列のフルネット局が20局[7]・フジテレビ系列のフルネット局が21局・テレビ朝日系列のフルネット局が12局・テレビ東京系列が4局・クロスネット局が10局[8]・独立局(当時は独立UHF放送局)が11局であったが、現在の局数ではTBS系列が25局・日本テレビ系列のフルネット局が24局[9]・フジテレビ系列のフルネット局が23局・テレビ朝日系列のフルネット局が13局・テレビ東京系列が4局・クロスネット局が3局[10]・独立局が11局である。

脚注編集

  1. ^ a b c d e BRAND NEW TV WORLD!! 『TVガイド』所蔵資料から発掘!民放版「ゆく年くる年」全33回の歴史 - インターネットTVガイド 2017年1月6日
  2. ^ 当時のフジテレビの時報スポンサーがセイコーと同業者であるリズム時計工業CITIZENブランド)だったため。なお1966年/1967年には、通常は朝のワイドショーである『小川宏ショー』を年越し番組として放送した事があった。
  3. ^ a b 日本民間放送連盟(編) 『日本放送年鑑 昭和47年度版』 テレビ企画、1972年、38-39頁。 
  4. ^ 麹町・日本テレビ本社(当時)のマイスタジオからの生放送で、『ズームイン!!』ではおなじみだった中継を呼ぶ際の効果音やテロップもそのまま使われた。
  5. ^ 現在の朝日放送テレビ
  6. ^ ここでは、1982年3月26日まで放送されたドラマ『北の国から』より、黒板五郎(田中邦衛)・黒板純(吉岡秀隆)・黒板蛍(中嶋朋子)が登場し、ミッキーマウスらディズニーキャラと対面した直後に年越しとなった。
  7. ^ マストバイ局が13局・非マストバイ局が7局。
  8. ^ 2系列が8局・3系列(トリプルネット局)が2局。
  9. ^ マストバイ局が19局・非マストバイ局が5局。
  10. ^ 2系列が2局・3系列(トリプルネット局)が1局。

関連項目編集

  • 一緒にやろう2020 - 「一緒にやろう 2020 大発表スペシャル」にて独立局を除く民放114局で同時放送を実施。

外部リンク編集