テレビ新潟放送網

新潟県の日本テレビ系列局

株式会社テレビ新潟放送網(テレビにいがたほうそうもう、Television Niigata Network Co., Ltd.)は、新潟県全域を放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。

株式会社テレビ新潟放送網
Television Niigata Network Co., Ltd.
TeNYテレビ新潟放送網 本社
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 TeNY、テレビ新潟
本社所在地 日本の旗 日本
950-8555
新潟県新潟市中央区新光町1番11号
設立 1980年10月23日
業種 情報・通信業
法人番号 4110001003425 ウィキデータを編集
事業内容 放送事業(日本テレビ系列)
代表者 代表取締役社長 正力源一郎
資本金 10億円
売上高 60億1084万9000円
(2023年3月期)[1]
営業利益 4億3804万8000円
(2023年3月期)[1]
経常利益 4億6653万6000円
(2023年3月期)[1]
純利益 3億1241万3000円
(2023年3月期)[1]
純資産 116億2491万7000円
(2023年3月期)[1]
総資産 129億1914万5000円
(2023年3月期)[1]
従業員数 88名(2012年7月1日時点)
主要株主 読売新聞グループ本社 22.3%
日本テレビホールディングス 15.3%
(2023年3月1日時点)[2]
主要子会社 株式会社 プロメディア新潟
関係する人物 等々力英男(初代社長)
外部リンク https://www.teny.co.jp/
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テレビ新潟放送網
英名 Television Niigata
Network Co., Ltd.
放送対象地域 新潟県
ニュース系列 NNN
番組供給系列 NNS
略称 TeNY
愛称 TeNY
テレビ新潟
呼出符号 JOPI-DTV
呼出名称 テレビにいがた
デジタルテレビジョン
開局日 1981年4月1日
本社 950-8555
新潟県新潟市中央区新光町1番11号
演奏所 本社と同じ
リモコンキーID 4
デジタル親局 新潟 26ch
アナログ親局 新潟 29ch
ガイドチャンネル 29ch
主なデジタル中継局 #デジタル放送の項を参照
主なアナログ中継局 #アナログ放送の項を参照
公式サイト https://www.teny.co.jp/
特記事項:
1998年1月1日に、TNNからTeNYに略称を変更。
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通称テレビ新潟略称愛称TeNY(テニィ)。

コールサインJOPI-DTV(新潟 26ch)。日本テレビ系列NNNNNS)のフルネット局で、リモコンキーIDはキー局の日本テレビ放送網と同じ「4」。

キャッチフレーズは「あなたとわたしとてとてとTeNY」(2017年平成29年)4月1日から)。

概要 編集

開局は1981年昭和56年)4月1日で、新潟県内で3番目に開局した民放テレビ局である。日本の地上波テレビ放送局で社名に「放送網」の字が入るのは、本局とそのキー局である日本テレビ放送網のみである[注 1]

1973年(昭和48年)、新潟県に3局目の民放テレビ局の開局枠が割り当てられたものの、免許を申請した業者が余りにも多数で一本化できず、各社間の調整にも失敗したため結局申請は却下、第一次オイルショックによる不況も重なり、29chという枠を残して一旦計画は白紙となった。その後、1980年(昭和55年)8月ごろの会合により新潟県に民放テレビの第3・4局の割り当てがあり、先に日本テレビ系である第3局(29ch・本局)が割り当てられ、次にテレビ朝日系列局の第4局(21ch、新潟テレビ21(NT21、現・UX)・1983年(昭和58年)10月1日開局)が割り当てられた。

開局当初の略称は、英語の登記名「Television Niigata Network」の頭文字からとった「TNN」(ティーエヌエヌ)。特徴的なロゴデザインで、2文字目のNは字画の先端が上下に大きく伸び、電波を表していた。

日本軽金属新潟工場(現在は新潟県庁などが立地)に隣接する信濃川右岸、新潟市新光町に本社を建設。社屋には当時県内で最大面積となる100坪のテレビスタジオと、「TNNタワー」と呼ばれる展望塔型の送信塔が設けられた。1980年(昭和55年)9月19日に予備免許を取得。当初は翌1981年(昭和56年)10月の開局を目指していたが、キー局の日本テレビのドル箱番組だった巨人戦中継を放送するため[注 2]、同年4月のプロ野球シーズン開幕に何とか間に合わせるため、翌年4月の開局を目指して会社設立からわずか半年間という短い期間で準備を進めることになった[注 3]。また当時日本テレビ系列のNNN-NNSに加入していたNSTは他にフジテレビ系列(FNN-FNS)、テレビ朝日系列(ANN)とのクロスネットを行っており[注 4]、番組の自社制作に消極的な姿勢も一部見られた背景から、本局は積極的に自社番組を制作し県内・外の情報を県民により多く発信することも方針付けられた。

こうして1981年(昭和56年)3月25日にサービス放送を、4月1日に本放送を開始した。開局にあわせてイメージソング「Yes My Song」(作詞:森雪之丞、作曲:小六禮次郎、歌:サーカス/山本理沙)も制作された。若者達が気球を膨らませてゆく、若々しいイメージのステーションブレイクを放送して新しいテレビ局をアピールした。

旧略称・TNNの時代は「Yes My TNN」というキャッチフレーズで親しまれた。「わたしのテレビ・TNN」を意味しており、県民にとって身近な存在のテレビ局でありたいという理念を示したものだった。自社番組を「Yes Myシリーズ」と銘打って「Yes My お天気」「Yes My お店往来」「土曜ワイドYES MYにいがた」など、タイトルの冠に「Yes My」を付けていた他、社主催のイベントにも「Yes My 映画試写会」「Yes My スキーツアー」と銘打つなど様々なシーンで使用されていた(但し後年についてイベントなどは「TNN」「テレビ新潟」という冠を付けるケースが多かった)。

1998年平成10年)1月1日CI導入によりマーク・社名ロゴなどを一新、略称を「テレビ」と「新潟」の頭文字をアレンジした「TeNY」(テニィ)に変更、併せて新しいイメージソング「手と手と手とTeNY」[注 5]も制作された[注 6]。なお、旧ロゴは放送上ではほぼ淘汰されたものの、現在もTeNY本社本館前、車寄せのひさし部分には「テレビ新潟」の旧ロゴのエンブレムが掲げられている他、新潟駅万代口、JR東日本新潟支社の屋上に設置された中継アンテナも「TNN テレビ新潟」の旧ロゴのままである。また、カラーバーは2006年(平成18年)6月のマスター更新まで旧ロゴのままだった。

2013年(平成25年)4月1日より、新たなロゴデザインが登場。自社製作のバラエティ、情報番組・ホームページ等で使用を開始した。但し、あくまでも正式なロゴマークは従来からのものであり、報道関係・Yahoo!ニュース等では従来のロゴが使用されている[3]。また、各種広報・画面上のウォーターマーク等も継続して従来からのロゴを使用していたが、2017年(平成29年)4月1日から新しいロゴデザインに変更された[4][5]

2023年(令和5年)の年間視聴率で14年連続三冠王になった[6]。年度視聴率でも13年連続三冠王になった[7]

事業所 編集

番組の傾向 編集

開局以後、前述の方針を遵守して積極的に自社番組の制作に取り組んだ。土曜正午のトークバラエティ「嫁さんきなせや」にはMCに宮尾すすむを招くなど芸能人を起用した。なお、「嫁さんきなせや」のアシスタントは、当時、同局のアナウンサーだった坂上みきが担当していた。

また平日夕方のローカルニュース「にいがたNOW」は、新潟放送の「BSNニュースワイド」などと並ぶローカル報道番組に成長した。1990年代(平成)に入ると土曜昼の生放送による情報番組「てんこもりテレビ」「情報山脈テレビDON!」など生ワイド番組の制作にも乗り出した。これらが昇華して平日帯のローカル情報番組「夕方ワイド新潟一番」(1995年平成7年)10月開始)へとつながり、県内民放各局の夕方生ワイド番組に先鞭を付けた。本局はこの「夕方ワイド新潟一番」の番組広告を皮切りに、1996年(平成8年)から現在まで新潟交通のバスカードに企業広告を出している(現在はTeNYデジタル放送のPR広告)。また本局は日本テレビや札幌テレビなどと共同でウラジオストクなどロシア極東地方の主要都市に支局を開設、これら地域のニュースや経済情報を伝える「ヴォストーク」は日本海側各県のブロックネット番組にもなった。

日本テレビが制作・プロモーションなどで関係している映画では、主役俳優らに系列各局のキャッチフレーズを叫んでもらい(いわゆる「怒鳴り」)、ステーションブレイクを兼ねた映画宣伝のスポットCMとして各局で放送しているが、当局の場合は前述のキャッチフレーズ「手と手とテニィ」が使われている。2005年(平成17年)には映画「宇宙戦争」の監督スティーヴン・スピルバーグもこの「手と手とテニィ」のステーションブレイク(5秒スポット)に登場した。

積極的な自社番組制作などで実績を挙げている当局だが、開局以来ほぼ全く同じ内容で放送を続けているCMが現在もいくつか残存している。このうち代表的なものが当局の発起人企業の一つでもある丸新新津グループ(現・丸新グループ)のCMで、松山千春空 〜翼を広げて」をBGMに、飯豊連峰を登山する社員達の姿が描かれている。開局前に撮影・制作されたものだが、映像構成やナレーション、BGMの入れ替えなど細かな修正を加えた以外はほぼ開局当時のままである。現在も木曜20時54分の「TeNYニュース」内などで放送されている。

前述の新潟駅にある中継アンテナは、駅前からの中継を行う際に、以前は月曜から金曜毎日駅前からの中継があり毎度の中継アンテナ、中継システムのセッティングを簡略化するため、JRの協力を得て、固定設置されたものである。「夕方ワイド新潟一番」の駅前中継、報道で使用される。

地上波デジタル放送 編集

地上波デジタル放送は、アナログ-アナログ変換の都合もあり、総務省の計画により2006年平成18年)10月1日に放送開始が設定され、同日に開始された。東京キー局から新潟へ送られる光ファイバーによるハイビジョン・デジタル中継回線は、NHK及び新潟県内民放のキー局4局からのものは既に2006年(平成18年)1月には整備を完了していたこともあり、同局は同日地上波デジタル放送を開始する放送局中では、全国で最も早く同年6月5日にサイマル試験放送を始めることができた。しかし、日本テレビ系列局の中でローカル面でのハイビジョン化の切り替えのスピードの出足は最も遅れた方で、自社制作番組においてのハイビジョン制作は開始当初、外部のカメラ取材を編集して制作したデジタル放送開始記念番組程度位だった。その後、報道用のハイビジョン中継車を2007年(平成19年)4月に県内民放で初めて導入し[注 7]、それを「ズームイン!!SUPER」や日本テレビでの報道番組の生中継等で稼動させ、同年10月1日からはようやくニュースセンターのスタジオがハイビジョン化され、これに伴い、重要な報道やハイビジョンとして報道する価値があるものについては、ハイビジョンでの取材を行うようになった[注 8]2008年(平成20年)6月8日には、ようやく自社の報道用ハイビジョン中継車を使ったローカル単発番組のハイビジョン生中継番組を制作、放送するようになり(「トキ・・・未来へつなごう」)、2009年(平成21年)1月13日にはメインスタジオを始めとする放送局舎を全面ハイビジョン化させ、この日の「夕方ワイド新潟一番」の年始第1回から、一部の中継の場合を除きローカル番組を全部ハイビジョン化させた。新潟県内の民放で放送センターの局舎を全面ハイビジョン化させたのは、NST、BSNに次いでTeNYが3番目である。

スカパー!との業務協力(作成依頼)により、Jリーグ中継のうちデンカビッグスワンスタジアムで開催されるアルビレックス新潟戦の多くを制作している。

チャンネル 編集

デジタル放送 編集

リモコンキーIDは「4」である。

 
日本テレビ系列のリモコンキーID地図
  • 親局:26ch JOPI-DTV 弥彦送信所(出力:3kW)
呼出名称:テレビにいがたデジタルテレビジョン
  • 中継局
  • 高田 31ch
  • 津南 25ch
  • 新井 47ch
  • 守門 36ch
  • 妙高高原 47ch
  • 三川 45ch
  • 津川 45ch
  • 村上 31ch
  • 村松 45ch
  • 高柳 39ch
  • 津南上郷 25ch
  • 両津 37ch
  • 外海府 32ch
  • 関川 47ch
  • 青海 25ch
  • 小出 30ch
  • 相川 32ch
  • 湯沢 26ch
  • 栃尾 47ch
  • 川口 26ch
  • 鹿瀬 26ch
  • 大和 36ch
  • 津南田中 26ch
  • 六日町 36ch
  • 高千 26ch
  • 糸魚川大野 25ch
  • 糸魚川早川 36ch
  • 朝日 36ch
  • 府屋 36ch
  • 土樽 37ch
  • 安塚 34ch
  • 勝木 24ch
  • 小千谷真人 38ch
  • 中里 49ch
  • 黒川 36ch
  • 湯之谷 30ch
  • 柿崎 32ch
  • 松代 34ch
  • 新発田赤谷 42ch
  • 越路 41ch
  • 鯖石 22ch
  • 塩沢 47ch
  • 新津 47ch
  • 牧 47ch
  • 下相川 26ch
  • 牛野尾谷 48ch
  • 関川女川 37ch
  • 津南中津 25ch
  • 柏崎山口 30ch
  • 中郷 50ch
  • 宮古木 24ch

アナログ放送 編集

2011年7月24日停波時点

  • 親局:29ch JOPI-TV 弥彦送信所(出力=映像:30kW、音声:7.5kW)
呼出名称:テレビにいがたテレビジョン
  • 中継局
  • 高田 27ch
  • 相川 56ch
  • 小出 41ch
  • 津南 55ch
  • 村上市村上 44ch
  • 高柳 46ch
  • 守門 59ch
  • 関川 61ch
  • 青海 41ch
  • 三川 62ch
  • 牧 53ch
  • 村上市府屋 41ch
  • 村上市勝木 59ch
  • 両津 42ch
  • 高千 60ch
  • 安塚 42ch
  • 新井 59ch
  • 村松 59ch
  • 栃尾 60ch
  • 塩沢 60ch
  • 土樽 52ch
  • 越路 59ch
  • 新津 38ch
  • 小千谷真人 56ch
  • 川口 42ch
  • 大和 60ch
  • 黒川 60ch
  • 中里 32ch
  • 鹿瀬 40ch
  • 村上市朝日 41ch
  • 早川 42ch
  • 湯沢 42ch
  • 糸魚川 27ch
  • 津川 53ch
  • 湯之谷 25ch
  • 六日町 59ch
  • 外海府 36/41ch
  • 下相川 41ch
  • 糸魚川大野 59ch
  • 川口大島 53ch
  • 妙高高原 32ch
  • 津南田中 50ch
  • 津南上郷 32ch
  • 津南中津 39ch
  • 柏崎鯖石 59ch
  • 柏崎山口 41ch
  • 関川女川 40ch

資本構成 編集

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの[8][9][10][11]

2021年3月21日 編集

資本金 発行済株式総数 株主数
10億円 2,000,000株 72
株主 株式数 比率
読売新聞グループ本社 446,344株 22.32%
日本テレビホールディングス 305,456株 15.27%

過去の資本構成 編集

ギャラリー 編集

沿革 編集

  • 1973年昭和48年)10月 - 新潟県に民放第3局の周波数割り当てが決定される。新潟地区では171件の免許申請があった。
  • 1980年(昭和55年)
  • 1981年(昭和56年)
    • 2月27日 - 日本テレビ「ズームイン!!朝!」において、当時テレビ新潟のアナウンサー[注 11]小林美樹が、試験電波送信前の弥彦山から同番組の新潟県からの初の生中継を行う。サービス放送開始前だったが、これがテレビ新潟初の放送業務及び生中継となった。[14]
    • 3月5日 - 初めての試験電波を発射。送出用マスターはNEC製、送信機は東芝製。[注 12][15]
    • 3月24日 - アナログ・テレビ放送本免許取得。[14]
    • 3月25日 - サービス放送開始(同時に県内2局目の音声多重放送を行う)。[16]
      • これに伴い、当初からENG(3/4インチU規格VTR使用)を使ったニュース取材を開始。
      • 番組送出用VTRは日立電子製(1インチ・2インチ共に)、CMバンク設備はNEC製。
      • サービス放送開始時には、親局の日本テレビが大型中継車を貸与する等の協力を行う。
    • 3月30日 - 日本テレビ「ザ・トップテン」番組開始前夜祭の中継の部分に於いて、小林幸子の出演で、テレビ新潟開局前夜祭特別番組を準備中の新潟県民会館から全国に生中継を行う。
    • 3月31日 - テレビ新潟開局前夜祭特別番組「はばたけ!テレビ新潟 YES MY スーパースター夢の饗宴」を18:00 - 20:54に新潟県民会館から生放送した(日本テレビが制作と技術面で協力した)。司会は徳光和夫(当時日本テレビアナウンサー)と久米宏(現在もフリー・所属先のオフィス・トゥー・ワンも制作に協力)の2人で、これが初共演だったという。ゲストには地元新潟市出身の小林幸子らが出演した。[17]
    • 4月1日 - 新潟県3番目の民放テレビ局として午前6時23分開局(本放送を開始)。開局当時の略称は「TNN」[18]
      • この日の新潟日報朝刊に、1ページ全体を使った、開局を告げるカラー広告を載せる。[19][20]
      • 本放送開始直後には、等々力社長からの挨拶と日本テレビ系列を代表して小林與三次日本テレビ社長(当時)からの祝辞のビデオメッセージが約7分間放送された。[21]
      • 開局記念として、「ズームイン!!朝!」を新潟から生放送。司会の徳光和夫が萬代橋から生中継を行い、ゲストには前夜祭から引き続き小林幸子が出演。弥彦山からは、2月27日と同じ地点から小林美樹が生中継[注 13]。また同局の初代5人のアナウンサー全員が番組内で全国に紹介された。[21]
    • 4月21日 - 日本テレビ制作の全民間テレビ放送局で放送された「放送広告の日」特別番組で、開局して間もないテレビ新潟が紹介され、同局の初代5人のアナウンサー全員が登場。自己紹介し、当時の日本の全民間テレビ放送局にてその模様が放送される。
    • 5月下旬 - ローカル枠の天気予報の一部がステレオ化される[注 14]
    • 6月 - 大型中継車導入(音声多重放送対応)。
    • ジャイアント馬場の地元三条市三条市総合体育館にて、日本テレビと共同で「全日本プロレス中継」の公開実況録画中継を行う。プロレス中継の日本テレビとの共同制作は同局初。音声はステレオ。
    • 6月19日 - 本社社屋落成(スタジオ面積100坪)。
    • 7月6日 - 日本テレビの番組「ザ・トップテン」の新潟市からの全国中継で、導入したばかりの自社の大型中継車を使って、新潟ローカル局ではテレビ番組初のステレオ生中継を行う[注 15]
    • 8月16日 - 日本テレビの「第4回 日本民謡大賞」の新潟県予選大会の模様を、同局ローカル制作番組初(天気予報等を除く)のステレオで放送する[注 16]
  • 1982年(昭和57年)
  • 1983年(昭和58年)4月2日 - 新潟県初のローカルステレオレギュラー番組「弥生のサウンド飛行船」、「ビート・オン・ポップ '83」の2番組が放送開始[注 19][23]
  • 1986年(昭和61年)4月1日 - 中国 黒龍江電視台と姉妹局協定調印。[24]
  • 1988年(昭和63年)6月30日 - 代表取締役社長に新津義雄(丸新グループ社長)が就任。[25]
  • 1990年平成2年)
    • 8月29日 - ソ連 沿海地方テレビ・ラジオ委員会と放送協力協定締結。[26]
    • 9月1日 - ソ連 ハバロフスク地方テレビ・ラジオ委員会と放送協力協定締結。[26]
  • 1991年(平成3年)
    • 4月23日 - ソ連 イルクーツクテレビ・ラジオ委員会と放送協力協定締結。
    • 7月18日 - ソ連 サハリンテレビ・ラジオ委員会と放送協力協定締結。
    • 11月 - 社史『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』を発行[27]
  • 1992年(平成4年)
    • 4月4日 - 「てんこもりテレビ」スタート。
  • 1993年(平成5年)
    • 6月30日 - 常盤恭一(元日本テレビ常務)が社長就任。
  • 1994年(平成6年)
    • 3月1日 - 日本テレビ・札幌テレビなどと共同でNNN/TNNウラジオストク支局開設。
    • 4月2日 - 「てんこもりテレビ」に替わり、「情報山脈テレビDON!」がスタート。
    • 4月28日 - 北川信(元日本テレビ専務)が社長就任。
  • 1995年(平成7年)
  • 1997年(平成9年)
    • 6月30日 - 社屋を増築。本館の東隣に新館が完成。
    • 12月1日 - 主調整室(マスター)を更新(松下(現、パナソニック)製)。
  • 1998年(平成10年)
    • 1月1日 - CI実施。略称を「TNN」から現在の「TeNY」に変更。
    • 2月 - 字幕放送開始。
    • 6月17日 - 弥彦親局送信機更新(東芝製)。
  • 1999年(平成11年)
  • 2000年(平成12年)
    • 4月 - 終夜放送開始(NNN24のサイマル放送が開始される。日曜深夜は休止、2010年頃に全曜日に拡大。)
  • 2002年(平成14年)
  • 2003年(平成15年)
  • 2005年(平成17年)
    • 6月10日 - 地上デジタル放送の予備免許を取得(新潟のNHK、他の民放テレビ3局も同時に取得)[注 20]
    • 10月1日 - 弥彦親局、地上デジタル放送の試験電波を送信。地上波デジタル放送用の送信機は東芝製。
    • 10月21日 - 弥彦親局より地上デジタル放送の試験放送を開始(県内初。出力3kW)。
  • 2006年(平成18年)
    • 5月27日28日 - 「開局25周年記念大感謝祭・新潟一番の日」を新潟市産業振興センターで開催。
    • 6月5日 - 本社の主調整室(マスター)設備を東芝製のアナログ・デジタル統合型に更新。同日午前5時20分の「ズームイン!!SUPER」より、地上波デジタル放送のサイマルサービス試験放送、データ放送及びワンセグの各試験放送開始(その模様は同日の新潟一番内のニュースの最後で紹介された)[注 21]
    • 9月1日 - 10月8日 - 新潟テレビ21(UX)と共同で地上波デジタル放送開始のキャンペーンを実施。
    • 9月25日 - 地上デジタル放送の本免許を取得(新潟テレビ21も同日に取得)[28]
    • 9月30日 - 開局25周年・長岡市制施行100周年記念として日本テレビ「笑点」の公開録画を長岡市立劇場にて行った[注 22]
    • 10月1日 - 地上デジタル本放送開始。UHF26ch、コールサインJOPI-DTV、出力3kW、チャンネルはリモコンキーID4
  • 2007年(平成19年)
    • 4月 - 県内民放では初めて自社としての報道・簡易中継用のハイビジョンSNGFPU中継システムを導入。「ズームイン!!SUPER」の新潟県内からの中継等で使用を開始する。
    • 10月1日 - ニューススタジオの映像サブ(調整卓)がハイビジョン対応化され、ローカルニュース及び天気予報の多くがハイビジョン放送となる。
  • 2008年(平成20年)
    • 5月12日 - お天気カメラがハイビジョン化される。
    • 6月8日 - 同局初の単発ハイビジョン生中継ローカル番組『TeNY Touch eco スペシャル「トキ…未来へつなごう」』を放送[注 23]
    • 9月25日 - 27年ぶりに佐渡市にて野生放鳥されたトキの試験放鳥のニュース内での佐渡市現地からの中継を、県内の民放では唯一ハイビジョンにて生中継。同時に、同模様の取材映像を、県内民放でいち早くハイビジョンにて放映した。
    • 12月末頃 - 「夕方ワイド新潟一番」の駅前中継用のFPUを除き、同局が所有するFPU・SNGが全てハイビジョン化される。
  • 2009年(平成21年)
    • 1月13日 - メインスタジオを始めとする新潟本社局舎内が全面ハイビジョン化される。これに伴い、この日の「夕方ワイド新潟一番」からメインスタジオのハイビジョン運用を開始する。
    • 6月1日 - 「夕方ワイド新潟一番」の駅前中継用のFPUがハイビジョン仕様に交換され、同中継がハイビジョン化される。これにより、同局のFPU・SNGの全面ハイビジョン化が完了する(県内民放初)[注 24]
  • 2011年(平成23年)
    • 4月1日 - 開局30周年。
    • 7月24日 - 正午にアナログテレビ放送が終了。停波前の最後の映像は鳥が飛んでいる映像で終わった。そして同日の23時56分には、同電波が完全に停波する。
  • 2012年(平成24年)
    • 6月28日 - 前川磐が社長を退き会長に就任。室川治久(元日本テレビ社会情報局チーフプロデューサー)が社長に就任。
  • 2013年(平成25年)
    • 4月1日 - 局の新たなロゴデザインが登場。テレビ・ホームページにて使用開始。同局の犬の新キャラクターが登場。約2か月後には、名前が「てっと君」に決まる。
  • 2014年(平成26年)
    • 8月30日 - 自局初の「てっと君」のキャラクターグッズの販売を開始する。まず期間限定で、この日と翌日に行われた24時間テレビの一部の募金会場にて行った。
  • 2019年(平成31年・令和元年)
    • 2月18日 - 「NNS標準営放システム」サービス提供開始[29]
  • 2020年(令和2年)
    • 6月 - 小山章司(元日本テレビ営業担当)が社長に就任。
  • 2021年(令和3年)
  • 2023年(令和5年)

ネットワークの移り変わり 編集

主な番組 編集

主な自社制作番組 編集

以下3つの番組は、土曜 11:40 - 11:55に放送されている(週によって番組が違う)。

※その他にスカパー!Jリーグ中継アルビレックス新潟ホームゲーム中継の制作(Jリーグ・スカパーからの委託製作)も手がけている。

主なネット番組 編集

日本テレビ系番組 編集

太字は同時ネット。

テレビ東京系番組 編集

その他 編集

過去に放送された番組 編集

自社制作番組 編集

日本テレビ系 編集

ローカルセールス枠の番組のみ。

テレビ東京系 編集

ほか

その他 編集

開局時に移行した番組 編集

BSNからの移行番組

ほか

NSTからの移行番組

ほか

アナウンサー 編集

男性
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元アナウンサー 編集

他部署へ異動・出向 編集

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  • 紫竹聡子(宣伝マン→編成局編成部副部長・営業局営業企画開発部副部長→編成局編成部長・番組審議会事務局担当→編成局メディア開発部長→報道制作局エグゼクティブマネージャー。事業創造大学院大学修了)
  • 2011年 久保田紗也加(-2022年3月。2011年度は報道部記者→2022年度からは広報部)

退職 編集

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情報カメラ設置ポイント 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ケーブルテレビ放送局を含めると、香川テレビ放送網もこれに該当する。
  2. ^ 当時日本テレビの巨人戦中継は、NST新潟総合テレビ(当時は新潟総合テレビ)で放送されていたが、放送枠の都合で不定期放送となっていた。
  3. ^ 開局準備中だったこの時期、五六豪雪にも見舞われた。
  4. ^ ちなみにNSTは、テレビ新潟開局後はフジテレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネットとなり、その後、1983年10月1日のNT21→UX開局に伴い、フジテレビのフルネット局となり、現在に至る。
  5. ^ キャッチフレーズは「手と手とTeNY」であるが、曲のタイトルには「手と」がもう1つ入る。作詞:伊藤アキラ、作曲:小林亜星
  6. ^ このCI導入には、1990年代半ば、Windows 95の登場によるインターネットの大幅普及もあり、同局のWEBサイトを開設することになったが、ウェブサイトURIの取得の際、既に「www.tnn.co.jp」は他の会社が使用しており取得できず、仕方なく「www2(?).tnn.co.jp」を取得したが、それに関するアクセス・トラブルもあったことなども考慮し、新たな略称を設けたうえでウェブサイトを開設したかったという一因もある。なお、前記のアドレスは現在は使われていない。
  7. ^ この時点ではすでに、TeNYから日本テレビへのハイビジョン上り中継回線は完備されていた。
  8. ^ この時点においての報道取材のハイビジョン化の割合は、県内民放ではUXに続いて多く、県内民放で最も早くハイビジョン取材を行ったNSTよりも多くなった。また、これを機に、ハイビジョン上り回線等を使い、TeNYからのNNNの全国向けニュース素材のハイビジョンでの配信も開始した。
  9. ^ テレビ新潟放送網 代表取締役社長。
  10. ^ 丸新グループ 代表取締役。
  11. ^ 厳密には大学卒業前
  12. ^ 初めの試験電波は、映像はカラーバーのみ。音声は2重音声で、主音声は1kHz、副音声は200Hzの正弦波によるもので、3分に1回、局名IDのアナウンスが主・副の各音声別に流れるものであった。
  13. ^ 直前の『NNN朝のニュース』(開局後初のネット番組)でもテレビ新潟開局の話題で弥彦山から生中継を行ったが、こちらは駒形正明アナウンサー(当時)が担当。
  14. ^ CM送出用1インチVTRによる映像、音声をバックに天気情報が字幕で出る番組形態で実施。6:45の「NNN朝のニュース」内、20:45の「NNNニューススポット」の後、21:54の「NNN海外スポット」後の各ローカル天気予報枠、深夜の放送終了前のローカル天気予報の原則1日4回。それ以前は、「NNNニューススポット」・「NNN海外スポット」(それぞれ二ヶ国語)の後の天気予報が、元がステレオ音声にも関わらず、メイン音声が左チャンネル、サブ音声が右チャンネルの二ヶ国語放送のまま放送されていたが、この状況をある視聴者から指摘を受けたことに対する改善策。
  15. ^ この時の中継は、沢田研二の「渚のラブレター」(歌だけでなく、作曲も沢田本人)の生演奏だった。バックバンドはこの曲のために作られた「渚のラブレターバンド」で、そのメンバーの中には、後のTBS三宅裕司のいかすバンド天国」(新潟では当時この番組は未放送で、後の2007年(平成19年)12月に制作された総集編のみBSNテレビから放送)の審査員で一躍有名になった吉田建もベーシストとして参加していた。
  16. ^ その後同予選大会の放送は、翌年からはしばらくの間はモノラル放送だった。
  17. ^ 刈羽郡小国町(かつての千谷沢村〈ちやざわむら〉、現・長岡市。地元では転訛して「チャーザー村」という)。
  18. ^ 笑点」のみステレオ放送。
  19. ^ 「弥生のサウンド飛行船」は半年で終了したが、「ビート・オン・ポップ」は石丸電気の提供で、約10年位続いた。
  20. ^ この日は、新潟県を含む全国のNHKの地方局13局と、全国の地方民放40局が同時に予備免許を取得した。インプレス社AV Watch 2005年6月9日付記事
  21. ^ 2006年(平成18年)10月1日に地上波デジタル本放送を始めた放送局の中で、最もサイマル試験放送の開始が早かった。
  22. ^ この模様は、同年10月8日・15日の2週にわたり放送された(SD(標準画質)・ステレオ音声での収録、放送)。
  23. ^ 同局の報道用ハイビジョンFPU中継システムを使った佐渡市のトキ保護センターからのハイビジョン生中継とハイビジョン取材VTRによる構成。
  24. ^ 同局では、同番組開始時から、新潟駅からの中継用にFPUをJR社屋屋上に固定して設けている。
  25. ^ news every.』(16:50 - 18:15、18:47 - 18:55)を内包。
  26. ^ 日本テレビと同時刻ではあるが、遅れネット。
  27. ^ 第1期はBSNで放送。
  28. ^ テレビアニメ版はBSNで放送。
  29. ^ 日本テレビ系全30局で放送。
  30. ^ 第1期は未放送。
  31. ^ ただし、1978年3月まではBSNで放送。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f 株式会社テレビ新潟放送網 第43期決算公告
  2. ^ 基幹放送事業者の議決権保有状況等 地上系放送事業者 - 総務省電波利用ホームページ
  3. ^ TeNYテレビ新潟の記事一覧
  4. ^ 夕方ワイド新潟一番(公式)”. 夕方ワイド新潟一番公式Twitter (2017年4月1日). 2017年4月2日閲覧。
  5. ^ 夕方ワイド新潟一番(公式)”. 夕方ワイド新潟一番公式Twitter (2017年4月2日). 2017年4月2日閲覧。
  6. ^ 14年連続 2023年 年間視聴率三冠王|お知らせ|TeNYテレビ新潟”. TeNYテレビ新潟. 2024年1月5日閲覧。
  7. ^ https://twitter.com/TeNY4ch/status/1642809031676014592/photo/1”. Twitter. 2023年4月4日閲覧。
  8. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2021』コーケン出版、2021年12月10日、330頁。 
  9. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2016』コーケン出版、2016年11月25日、313頁。 
  10. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、267頁。 
  11. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、288頁。 
  12. ^ a b (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、16,64頁。 
  13. ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、17,64頁。 
  14. ^ a b (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、27,65頁。 
  15. ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、27頁。 
  16. ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、28,29,65頁。 
  17. ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、30,31,65頁。 
  18. ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、32,33,65頁。 
  19. ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、33頁。 
  20. ^ 新潟日報 1981年4月1日朝刊 P.9 全面広告(新潟日報マイクロフィルムにて閲覧)
  21. ^ a b (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、32頁。 
  22. ^ a b (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、68頁。 
  23. ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、71頁。 
  24. ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、83頁。 
  25. ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、90頁。 
  26. ^ a b (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、100頁。 
  27. ^ テレビ新潟放送網・編、104ページ
  28. ^ 総務省信越総合通信局報道資料 平成18年9月20日付
  29. ^ 新着情報 - Topics”. 株式会社営放プロデュース. 2022年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月13日閲覧。
  30. ^ 吉田 遼平 エスオープロモーション(SOP・SOプロ)のアナウンサー・DJ・タレント紹介”. www.so-pro.co.jp. 2023年7月10日閲覧。

外部リンク 編集