1992年のF1世界選手権
1992年のFIAフォーミュラ1 世界選手権 |
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前年: | 1991 | 翌年: | 1993 |
一覧: 開催国 | 開催レース |
1992年のF1世界選手権(1992ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第43回大会である。1992年3月1日に南アフリカで開幕し、11月8日にオーストラリアで開催される最終戦まで、全16戦で争われた。
シーズン概要編集
無冠の帝王ともいわれていたウィリアムズのナイジェル・マンセルが悲願のワールドチャンピオンに輝いたシーズンである。マンセルはアクティブサスペンションやトラクションコントロールといったハイテクデバイスを搭載したFW14Bを武器にシーズン計14PPと開幕5連勝も含む計9勝(いずれもポールトゥウィン)を記録し、いずれも過去の記録を塗り替えたうえで戴冠を果たした。ウィリアムズはコンストラクターズチャンピオンシップでも4連覇中のマクラーレンを退け王座に輝き、マンセルの戴冠と合わせてダブルタイトル獲得を達成した。また、エンジンを供給していたルノーにとっても初めての栄冠となっている。一方、5連覇を逃したマクラーレンは1988年以来パートナーシップを続けてきたホンダがシーズン途中でF1からの撤退を表明することとなり、一時代の終焉を迎えた。ドライバーでは前年終盤戦にデビューしたミハエル・シューマッハが初めてフル参戦を果たした年でもあり、ベルギーGPにて初優勝を遂げると、ランキングでもアイルトン・セナを上回り3位に入るなど活躍を見せた。日本人では片山右京がヴェンチュリ・ラルースからデビューを飾り、フルシーズン参戦を果たしている。また、1989年シーズンから参戦していたピレリが前年限りで撤退し、タイヤはグッドイヤーのワンメイクに戻っている。
主要チーム概要編集
ウィリアムズ編集
- ウィリアムズのダブルタイトル獲得
前年コンストラクターズチャンピオンシップを僅差で逃したウィリアムズは、前年使用したFW14にアクティブサスペンション等のハイテクデバイスを搭載させた改良型のFW14Bにて参戦。ドライバーは前年と同じくナイジェル・マンセルとリカルド・パトレーゼのコンビにてシーズンを戦った。当初はハイテク専用車であるFW15をシーズン途中にて投入する予定であったが、FW14Bが開幕から圧倒的な強さを見せたことからFW15の投入は翌年に見送られ、シーズンを通してFW14Bにて戦うこととなった。
前年はマンセル2PP5勝、パトレーゼが4PP2勝と成績的な面で両者はほぼ互角であったが、この年はハイテクアクティブカーの登場によって両者の成績に大きな差が生まれたシーズンであった。 マンセルはアクティブカーに適応してマシンが持っているポテンシャルを発揮し、前述の通り開幕5連勝、14PP、シーズン計9勝という圧倒的な成績を残して第11戦ハンガリーGPにて早々にチャンピオンを確定させた。一方のパトレーゼはアクティブカーへの適応に苦心したと云われており、速さの面ではマンセルのライバルとまではなれず、優勝もシーズンの大勢が決した終盤の第15戦日本GPのみであった。しかし、パトレーゼは第9戦イギリスGPまでに2位表彰台に6度登っており(いずれもマンセルとのワンツーフィニッシュ)、チームの5年ぶりのコンストラクターズ戴冠の方で貢献している。
ウィリアムズチームとしての成績で見れば、二人でシーズン16戦中15PP10勝を挙げ、1987年以来のダブルタイトル獲得という栄光を掴んだ。
- シート争奪戦の果てのマンセルの引退・アメリカCART挑戦へ
第11戦ハンガリーGPにてマンセルがチャンピオンを決定させると、ストーブリーグの動きに注目が集まった。シーズン半ばからマンセルもウィリアムズと翌シーズンの契約交渉に入っていたものの、交渉は難航していた。1993年のウィリアムズのシートを巡っては、エンジンを供給していたルノーの仲介によって今シーズンを休養していたアラン・プロストも加わっており、さらにホンダが撤退することが濃厚となっていたマクラーレンのアイルトン・セナもウィリアムズに対しラブコールを送る事態となり、マンセル・プロスト・セナという熾烈な三つ巴の様相を呈していた。ウィリアムズチームは自分たちが作り出した車に対して大きな自信を持っており、チャンピオンを獲得したマンセルの要求に対して素直に首を振ることはせず、逆にプロストやセナと交渉していることを暗に示唆したといわれている。マンセルは長年のチームに対する貢献とチャンピオン獲得への純粋な評価を下さないチームに対して嫌気が差してしまい、その結果、第13戦イタリアGPにおいてチームには知らせず単独で記者会見をセッティング。慌てたチームは記者会見のその場で人目もはばからずに残留交渉を持ちかけるも、マンセルの意志は固く「自らの力の及ばない理由により」と声明を発し、F1からの引退を発表してしまった(その後アメリカのインディカー(CART)に転向、1994年のセナの事故死の後、スポット参戦でウィリアムズに復帰)。時を同じくしてパトレーゼもウィリアムズに不信感を募らせベネトンへの移籍を表明することとなり、ウィリアムズはダブルタイトル獲得を達成しながら、2人のドライバーが同時に去るという結果となってしまった。その後、1993年のウィリアムズのシートにはプロストが収まり、セカンドドライバーには当時テストドライバーを務めていたデイモン・ヒルが昇格することになる。
マクラーレン編集
マクラーレンは開幕から序盤は信頼性を重視して前年使用したMP4/6の改良型で戦うことにした。ドライバーはアイルトン・セナとゲルハルト・ベルガーのコンビである。シーズンが開幕すると、ウィリアムズの2台に対して速さの面で全く歯が立たないことが露呈することとなり、急遽予定を前倒しして新車であるMP4/7Aを第3戦ブラジルGPから投入した。しかし、ブラジルGP予選でもマンセルに2秒、パトレーゼにも1秒の差をつけられてしまい、状況を変えることができないまま、マンセルに開幕5連勝(うち4戦はパトレーゼとのワンツーフィニッシュ)を許す展開となっている。第6戦モナコGPにてマンセルのタイヤトラブルによる緊急ピットイン(ホイールナットの緩みが原因と言われている)からセナが逆転し、シーズン初優勝を記録すると第7戦カナダGP予選ではセナがPPを獲得し(ウィリアムズ勢以外ではこのシーズン唯一のPP)、決勝もウィリアムズの2台がリタイアする展開となり、今度はベルガーがシーズン初優勝を遂げてチームとして2連勝を記録して、何とか反攻の足場を作ったかに見えたものの、次戦のフランスGPではセナもベルガーもリタイアとなり、信頼性も高いとは言えずシーズンを通してウィリアムズの後塵を拝した年となった。チームとして最終的に5勝(セナ3勝、ベルガー2勝)を挙げたものの、コンストラクターズ争いでは全戦入賞を果たしたベネトンに迫られつつ、かろうじて2位は死守している。しかし、ドライバー個人としてはセナ・ベルガー共々、実質ルーキーイヤーのベネトンのシューマッハに及ばず4位、5位でシーズンを終了した。また、7月18日付の日本の新聞紙上において、ホンダのF1活動撤退が報道され、イタリアGPの前にホンダ側がF1からの撤退を正式に表明するに至っており(チーム代表のロン・デニスには開幕前には知らされていた)、1988年からのマクラーレン・ホンダの関係はこの年で一旦終わりを迎えることとなった。ホンダが撤退したことにより、マクラーレンはこの後数年にわたって、エンジンサプライヤーが毎年変わっていくことになる。
ベネトン編集
ベネトンはネルソン・ピケがF1を去ることとなり、前年の第12戦イタリアGPからチームに加入したミハエル・シューマッハがフル参戦初年度を迎えた。パートナーにはマーティン・ブランドルが加入している。タイヤもピレリが撤退したことにより、グッドイヤーユーザーに戻っている。ベネトンは開幕から3戦を前年の改良型のB191Bにて戦い、ヨーロッパラウンド(第4戦)から新車のB192を投入した。B192はハイテクデバイスこそ全く搭載されていなかったものの、前年から採用したハイノーズのデザインを進化させた通称「バナナノーズ(スポンサーのキャメルの黄色から)」が特徴的なマシンで、優れた空力性能と高い信頼性を備え、フォードHBエンジンとの相性も良く、トータルバランスに秀でたマシンに仕上がっており、二人のドライバーで全戦入賞の快挙を成し遂げている(1963年のロータス以来29年ぶりの快挙)。シューマッハは第2戦メキシコGPにてキャリア初表彰台となる3位に入ると、ベルギーGPでは初優勝(F1においてマニュアルシフト車の最後の優勝)を達成し、ドライバーズランキングでもマクラーレンのセナとベルガーを上回り3位となった。セカンドドライバーに迎えられたマーティン・ブランドルは、開幕から4戦連続リタイアが続いたものの、第8戦イギリスGPから最終戦まですべて完走を果たし、2位1回3位4回を含む11度の入賞を収め、チームに貢献したものの、コンストラクターズ争いでは5勝を挙げたマクラーレンに僅か及ばず、3位でシーズンを終えている。
フェラーリ編集
前年未勝利に終わったフェラーリは復活を期してシーズンを迎えた。ドライバーはアラン・プロストが離脱し、ジャン・アレジがエースに昇格。プロストの後釜にはレイトンハウスで好走を見せていたイヴァン・カペリが加入した。「ダブルデッキ」もしくは「ダブルフロア」と呼ばれる二重底設計が特徴の意欲作の新車F92Aで戦ったが、この特徴によってマシンバランスが悪くなってしまったうえ、シーズン中の開発も迷走し、1年を通して苦心したシーズンとなってしまった[1]。エースのアレジはスペインGPとカナダGPにて3位表彰台を記録するも、表彰台はその2戦のみであった。待望のイタリア人フェラーリドライバーとして大きく期待されたカペリも低調な成績に終始し、ブラジルGPの5位とハンガリーGPの6位の入賞2回のみで終わった。チームとしてはアレジの表彰台を含めて、計8度の入賞に留まり、カペリに至っては第14戦ポルトガルGPを最後に解雇され、終盤2戦はテストドライバーのニコラ・ラリーニを起用して、開発中のアクティブサスペンションの実走テストを行っている。コンストラクターズの順位こそ4位ではあったが、シーズンを通じて獲得したポイントは21点という結果となってしまった。
ロータス編集
ロータスは1989年限りでメインスポンサーのキャメルを失って以来、資金的にも厳しい状況を迎えていたものの、2年ぶりの新車にて開幕から参戦する予定であったが、当初予定のジャッドEVエンジンではなく、急遽フォードHBエンジンの供給を受けることとなったため、エンジン変更のための車体の調整に時間を要する事態となり、開幕を前年使用していたロータス・102の改良型にて迎え、第6戦(正確には第5戦)から新車となるロータス・107を投入した。ドライバーは前年途中からF1に復帰したジョニー・ハーバートと参戦2年目を迎えるミカ・ハッキネンのコンビである。シーズン成績しては第8戦フランスGPにてハッキネンとハーバートがダブル入賞を達成。ハッキネンは2度の4位入賞を含む6回の入賞を達成し、この活躍が認められ、翌年からマクラーレンに移籍をすることとなった。チームとしては計8回入賞を記録し、コンストラクターズ5位となった。
ティレル編集
ティレルは前年限りで中嶋悟が引退し、ブラウンなどスポンサーも撤退したことから資金的にも厳しい状況となった。スポンサーの少なさから白地が目立つ車体となり前年使用した020の改良型にて参戦したものの、タイヤも路面高温時の性能の問題があったピレリから性能面で問題がなかったグッドイヤーに戻ったことやイルモアエンジンはホンダエンジンよりも軽量であったため、エンジンに起因するバランスの悪さが自然と解消されたメリットがあったといわれる。これらもあり、アンドレア・デ・チェザリスが最高位4位を含む4度の入賞をもたらし、コンストラクターズ6位となった。ティレルは翌年からヤマハエンジンの独占供給を受けることとなり、日本の片山右京が移籍することになる。
リジェ編集
リジェだが、1992年シーズンのドライバーの人事に関しては様々な名前が取り沙汰された。ベネトンを追われることが濃厚となっていたネルソン・ピケと交渉を持ったものの、条件面で折り合いがつかずに破談となり、また、フェラーリを追われたアラン・プロストがチームの買収にまで踏み込んだ交渉を持っていたが、こちらも破談に終わっている。結局、前年と変わらずにティエリー・ブーツェンとエリック・コマスのコンビで参戦している。前年のシーズン早々にルノーエンジンの搭載が決まっていたため、飛躍が期待されたシーズンを迎えた。第7戦カナダGPにてコマスが自身初となる6位入賞を果たし、チームにも3年ぶりの入賞がもたらされたものの、結局この年は二人で4度の入賞に留まり、同じエンジンを使用しているウィリアムズとの差は歴然としたものがあり、チーム創設者でオーナーであったギ・リジェはモチベーションを低下させてしまい、最終的にはAGSの元代表であるシリル・ド・ルーブルにチームが売却されることとなった。
ジョーダン編集
前年新規参入し、チームランキング5位を記録したジョーダン・グランプリであったが、今季一転して苦戦を強いられた年となった。ドライバーはティレルから移籍してきたステファノ・モデナとレイトンハウスから移籍のマウリシオ・グージェルミンのコンビで臨んでいる。この年のジョーダン・192はヤマハのV12エンジンを搭載したが、前年使用していたフォードHBのV8エンジンと比べ、容量や熱量など全てがかさんでしまい、車体のバランス面に大きなマイナスが出たと言われている。信頼性も高くはなく、二人のドライバーで延べ9回の完走に留まり、モデナは4度の予選落ちを数えてしまった。入賞も最終戦でようやくモデナが6位に入ったのみとなっている。ジョーダンはヤマハとのジョイントをこのシーズンのみで解消し、翌年はハートエンジンを搭載することとなった。
日本人ドライバー概要編集
日本人では鈴木亜久里と片山右京の2名がフル参戦を果たした。前年限りで中嶋悟が引退し、入れ替わるように日本人のF1フル参戦3人目となる片山右京がデビューをした。
鈴木亜久里はラルースチームを離れ、日本人の大橋渡がオーナーとなっていたフットワークチームに移籍をした。チームメイトはミケーレ・アルボレートである。エンジンは日本の無限ホンダエンジンとなる(この年は予備予選の対象であったが、予備予選に出走したのはアルボレートであった)。フットワーク・FA13は空力特性の難があり、アルボレートは16戦中14戦の完走を果たし4度の入賞を収め、マシンに何とか適応していたが、鈴木の方はマシンに適応できず、予選落ちも2度経験し、入賞できないままシーズンを終了している。
この年から片山右京がヴェンチュリ・ラルースからF1デビューを果たした。パートナーはベルトラン・ガショーである。片山は開幕から3戦連続で完走したものの、モナコGPではマシンのオイル漏れが激しくキャリアで唯一の予備予選落ちを経験し、スペインGPでも予選二日目の雨によって予選落ちを喫してしまっている。その一方で、カナダGPではこの年の予選順位最高位となる予選11位を確保し、決勝でも5位まで順位を上げたものの、自らのシフト操作のミスでエンジンをオーバーレブさせてリタイアとなり、入賞の可能性を逃している。この年は6度の完走に留まり、最高位は9位と入賞こそできなかったものの、1993年はティレルに移籍をすることになる。
トピック編集
- グラハム・ヒルを父に持つデイモン・ヒル、エマーソン・フィッティパルディを叔父に持つクリスチャン・フィッティパルディ、3人目の日本人ドライバー・片山右京といったドライバーがデビュー。またF1で5人目の女性ドライバー、ジョバンナ・アマティもデビューしたが、予選を通過することなく序盤で姿を消した。一方でマンセルの他にステファノ・モデナ、マウリシオ・グージェルミン、ヤン・ラマース、オリビエ・グルイヤール、ガブリエル・タルキーニ(タルキーニは1995年ポルトガルGPで負傷した片山右京の代役でヨーロッパGPに参戦)といったドライバーが引退した。
- コンストラクターではF1通算35勝の名門・ブラバムが資金難によりシーズン途中で撤退。他にもフォンドメタル、アンドレア・モーダがシーズン途中に、マーチがシーズン終了後に消滅した。また、スクーデリア・イタリアに供給していたダラーラ(翌年からローラに変更)も撤退。ベンチュリー名義で参戦したラルースも93年シーズンから本来の名称で参戦した。
- 前述の通り、このシーズン限りでホンダが撤退することとなったが、シーズン最終戦でゲルハルト・ベルガーが優勝を果たしている(後に2000年に復帰する)。
- シーズン途中でアンドレア・モーダ、ブラバムが撤退し、参戦台数が減少したことによって、第14戦以降は1988年シーズン以来の予備予選が消滅した。
レギュレーション変更編集
開催地及び勝者編集
エントリーリスト編集
*はこの年にデビューしたドライバー
ドライバー変更編集
- アンドレア・モーダのNo.34とNo.35は開幕から2戦のみカフィとベルタッジアをエントリー。
- ブラバムのNo.8は開幕から3戦のみアマティをエントリー。
- ミナルディのNo.23は第9戦〜第11戦までザナルディがフィッティパルディの代役として出走。
- フォンドメタルのNo.15は第11戦以降ヴァン・デ・ポールに交代。
- マーチはNo.17を第12戦以降ナスペッティに、No.16を第15戦以降ラマースに交代。
- フェラーリのNo.28は第15戦以降ラリーニに交代。
1992年のドライバーズランキング編集
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太字:ポールポジション |
*各レースの完走者上位から10-6-4-3-2-1という形で、上位6人にポイントが与えられる。同ポイントの場合はデッドヒート制により順位が決まる。
1992年のコンストラクターズランキング編集
順位 | コンストラクター | No. | RSA |
MEX |
BRA |
ESP |
SMR |
MON |
CAN |
FRA |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
POR |
JPN |
AUS |
得点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ウィリアムズ-ルノー | 5 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | Ret | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | Ret | 1 | Ret | Ret | 164 |
6 | 2 | 2 | 2 | Ret | 2 | 3 | Ret | 2 | 2 | 8 | Ret | 3 | 5 | Ret | 1 | Ret | |||
2 | マクラーレン-ホンダ | 1 | 3 | Ret | Ret | 9 | 3 | 1 | Ret | Ret | Ret | 2 | 1 | 5 | 1 | 3 | Ret | Ret | 99 |
2 | 5 | 4 | Ret | 4 | Ret | Ret | 1 | Ret | 5 | Ret | 3 | Ret | 4 | 2 | 2 | 1 | |||
3 | ベネトン-フォード | 19 | 4 | 3 | 3 | 2 | Ret | 4 | 2 | Ret | 4 | 3 | Ret | 1 | 3 | 7 | Ret | 2 | 91 |
20 | Ret | Ret | Ret | Ret | 4 | 5 | Ret | 3 | 3 | 4 | 5 | 4 | 2 | 4 | 3 | 3 | |||
4 | フェラーリ | 27 | Ret | Ret | 4 | 3 | Ret | Ret | 3 | Ret | Ret | 5 | Ret | Ret | Ret | Ret | 5 | 4 | 21 |
28 | Ret | Ret | 5 | 10 | Ret | Ret | Ret | Ret | 9 | Ret | 6 | Ret | Ret | Ret | 12 | 11 | |||
5 | ロータス-フォード | 11 | 9 | 6 | 10 | Ret | DNQ | Ret | Ret | 4 | 6 | Ret | 4 | 6 | Ret | 5 | Ret | 7 | 13 |
12 | 6 | 7 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 6 | Ret | Ret | Ret | 13 | Ret | Ret | Ret | 13 | |||
6 | ティレル-イルモア | 3 | Ret | Ret | Ret | Ret | 8 | Ret | 12 | 11 | 11 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 8 |
4 | Ret | 5 | Ret | Ret | 14 | Ret | 5 | Ret | Ret | Ret | 8 | 8 | 6 | 9 | 4 | Ret | |||
7 | フットワーク-無限ホンダ | 9 | 10 | 13 | 6 | 5 | 5 | 7 | 7 | 7 | 7 | 9 | 7 | Ret | 7 | 6 | 15 | Ret | 6 |
10 | 8 | DNQ | Ret | 7 | 10 | 11 | DNQ | Ret | 12 | Ret | Ret | 9 | Ret | 10 | 8 | 8 | |||
8 | リジェ-ルノー | 25 | Ret | 10 | Ret | Ret | Ret | 12 | 10 | Ret | 10 | 7 | Ret | Ret | Ret | 8 | Ret | 5 | 6 |
26 | 7 | 9 | Ret | Ret | 9 | 10 | 6 | 5 | 8 | 6 | Ret | DNQ | Ret | Ret | Ret | Ret | |||
9 | マーチ-イルモア | 16 | Ret | Ret | Ret | 8 | 12 | Ret | 4 | Ret | Ret | 16 | Ret | 11 | 10 | Ret | Ret | 12 | 3 |
17 | DNQ | DNQ | DNQ | 12 | 13 | DNQ | 14 | DNQ | DNQ | 13 | 9 | 12 | Ret | 11 | 13 | Ret | |||
10 | ダラーラ-フェラーリ | 21 | Ret | 8 | 8 | Ret | 11 | 9 | 9 | 9 | 13 | 10 | DNQ | 7 | 11 | Ret | 9 | Ret | 2 |
22 | Ret | Ret | Ret | 6 | 6 | Ret | 8 | 10 | 15 | 11 | Ret | Ret | 8 | Ret | 10 | Ret | |||
11 | ジョーダン-ヤマハ | 32 | DNQ | Ret | Ret | DNQ | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | DNQ | Ret | 15 | DNQ | 13 | 7 | 6 | 1 |
33 | 11 | Ret | Ret | Ret | 7 | Ret | Ret | Ret | Ret | 15 | 10 | 14 | Ret | Ret | Ret | Ret | |||
12 | ミナルディ-ランボルギーニ | 23 | Ret | Ret | Ret | 11 | Ret | 8 | 13 | DNQ | DNQ | Ret | DNQ | DNQ | DNQ | 12 | 6 | 9 | 1 |
24 | Ret | Ret | 7 | Ret | Ret | Ret | 11 | 8 | 17 | 12 | DNQ | 16 | Ret | 14 | 14 | 10 | |||
13 | ラルース-ランボルギーニ | 29 | Ret | 11 | Ret | Ret | Ret | 6 | DSQ | Ret | Ret | 14 | Ret | 18 | Ret | Ret | Ret | Ret | 1 |
30 | 12 | 12 | 9 | DNQ | Ret | DNPQ | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 17 | 9 | Ret | 11 | Ret | |||
14 | フォンドメタル-フォード | 14 | DNQ | Ret | DNQ | Ret | DNQ | DNQ | DNQ | Ret | DNQ | DNQ | Ret | 10 | Ret | 0 | |||
15 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 14 | Ret | Ret | Ret | Ret | ||||||
15 | ブラバム-ジャッド | 7 | 13 | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | 0 | ||||||
8 | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | DNQ | 16 | DNQ | 11 | ||||||||
NC | アンドレア・モーダ-ジャッド | 34 | DNPQ | DNPQ | Ret | DNPQ | DNPQ | DNPQ | DNQ | DNQ | |||||||||
35 | DNPQ | DNPQ | DNPQ | DNPQ | EX | DNPQ | DNQ | ||||||||||||
順位 | コンストラクター | No. | RSA |
MEX |
BRA |
ESP |
SMR |
MON |
CAN |
FRA |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
POR |
JPN |
AUS |
得点 |
*同ポイントの場合はデッドヒート制により順位が決まる。
脚注編集
- ^ “実は大きな可能性を秘めていた……フェラーリF92Aが”駄馬”と言われた本当の理由” (日本語). jp.motorsport.com (2020年5月9日). 2022年4月29日閲覧。
外部リンク編集
- formula1.com - 1992 official driver standings
- formula1.com - 1992 official team standings
- 1992 Formula One results and images Retrieved from F1-Facts.com on 29/7/08