機械遺産

日本機械学会が、機械技術の発展に貢献したとして認定した日本国内の物件の総称

機械遺産(きかいいさん、Mechanical Engineering Heritage)は、一般社団法人日本機械学会が機械技術の発展に貢献したとして認定した、日本国内の物件の総称である。

概要編集

2007年6月、日本機械学会の設立110周年を記念して設けられた制度である。国内の機械の中でも特に我々の生活に大きな影響を与えた機械・機器、関連システム、工場、設計仕様書、教科書などを、記念物として認定する。選定基準は社会発展に貢献した機械であることや、現存していて実際に動かせる状態であることである。認定後には、企業などが所有を継続できなくなった場合に国立科学博物館地方公共団体への移管の仲介を行い、遺産の処分や散逸を防ぐとしている。

なお、日本機械学会では毎年数件ずつ選定して認定する予定である。

分類編集

機械遺産は

  • Site(機械遺産のある歴史的な風景)
  • Landmark(機械を含む象徴的な建造物・構造物)
  • Collection(保存・収集された機械)
  • Documents(記録に残る機械関連文書類)

の4つの区分に分けられている。

2007年度認定遺産一覧編集

Site
Landmark
Collection
Documents

2008年度認定遺産一覧編集

 
三池港の閘門
Site
Collection

2009年度認定遺産一覧編集

 
札幌市時計台
Site
Landmark
  • 33 旧峯岸水車場(東京都)
Collection

2010年度認定遺産一覧編集

 
としまえん「カルーセルエルドラド」
Landmark
Collection

2011年度認定遺産一覧編集

 
国鉄ED15形電気機関車
Landmark
Collection

2012年度認定遺産一覧編集

Landmark
Collection

2013年度認定遺産一覧編集

 
国産化黎明期の家庭用電化機器(東芝科学館の展示)
Landmark
  • 56 機械式立体駐車装置 ロートパーク(東京都)
Collection

2014年度認定遺産一覧編集

 
清水港のテルファー
Landmark
Collection
Documents
  • 69 国産機械製造の礎『国産機械集』(東京都)

2015年度認定遺産一覧編集

 
末広橋梁、跳ね上げた状態
Landmark
Collection

2016年度認定遺産一覧編集

 
スバル360
Landmark
Collection

2017年度認定遺産一覧編集

   
勝鬨橋
東京地下鉄道1000形
Site
Collection
  • 86 国産初の地下鉄車両「モハ1000形1001号」(東京都)
  • 87 有人潜水調査船しんかい2000」(神奈川県)
  • 88 鋳造用砂型の造型機械「C-11型生型造型機」 - 米国製の機械を参考に1927年(昭和2年)砂型の造型製作機として旧 久保田製作所が独自開発、鋳物工場の機械化の始まり (愛知県)
  • 89 組合せ計量機(ACW-M-1) - 中央演算装置を用い重量や大きさの異なる複数のピーマンを組み合わせ150±2gに収まる重さに仕分けする旧 石田衡器製作所1972年(昭和47年)開発したピーマン充填用自動はかり、その後の農産物、冷凍食品、薬品、機械部品など一定量の袋詰め機の出発点となった (滋賀県)
  • 90 全自動手袋編機(角型) - 1964年(昭和39年)島精機製作所が開発、世界で初めて編目を押し下げるシンカーニット方式を採用し1枚を2分15秒で編み上げた (和歌山県)

2018年度認定遺産一覧編集

Collection
  • 91 日本工業大学の所蔵する歴史的工作機械群 - 明治中期から昭和50年代(1975年 - 1984年)に輸入から日本製として模造機製造から技術提携の段階の経緯を理解でき、当時の動力源である高価な1個のモーターで複数の異なる機械を駆動したシステムを再現するなど、工学史上の時代的変遷を俯瞰できる (埼玉県)
  • 92 エアレス塗装機 – 米国で開発されたエアレス塗装の米国特許実施権を得てエアレス塗装機の改良し国産化を開始、1959年(昭和34年)販売以来、車両、造船、構造物、建築、道路舗装など幅広い分野で使われる (愛知県)
  • 93 ブラウン管ガラス製造装置 - 白黒カラーテレビは当初ガラスブラウン管が使われ、米国から技術導入による画面部(フェース)と遠心鋳造成形した後部(ファンネル(漏斗形))を別々に成形した後、封着したが、ファンネルプレス機の登場でプレス成形方式へ転換し、品質と生産性を向上させ、薄型テレビ以前の24インチ以上の大型テレビのシェアは1980年(昭和55年)代末にはほぼ世界市場を独占した (滋賀県)
  • 94 新聞博物館の活字鋳造機 – 熊本日日新聞・新聞博物館は新聞原稿の組版から印刷、発行までの工程とその技術的変遷を知ることができ、1934年(昭和9年)製の種々の特許技術が反映された「万年自働活字鋳造機」の商標名で発売された活字鋳造機は5号(10.5pt)の活字を90本/分で鋳造することができ、1982年(昭和57年)まで使用された (熊本県)

2019年度認定遺産一覧編集

 
京都鉄道博物館の蒸気機関車と検修施設群
Landmark
  • 95 田瀬ダムの高圧放流設備 – 米国製4基の高水圧スライドゲートを米国と綿密な交信を経て、日本の技術も加え、当時世界最水深ダム下部に設置し、その後のダム放流の技術面の基礎となった (岩手県)
  • 96 新津油田金津鉱場(採油と製油技術の証) – 明治以前から原油採取が試みられたが、崩壊地層のため事業化に至らず、その後、中野貫一の手掘採掘で当時産油量日本一となり、さらに上総掘りや機械掘りも普及し、1996年(平成8年)に閉業したが地域特性に基づく一連の遺構は2018年(平成30年)「新津油田金津鉱場跡」として国史跡指定を得て石油採掘の実物資料に接する事ができる (新潟県)
  • 97 京都鉄道博物館の蒸気機関車と検修施設群 – 日本の鉄道開業から1948年(昭和23年)までの代表的蒸気機関車23両を整備等の記録簿とともに展示し、8両は動態保存し、扇形庫転車台工具なども稼働できる (京都府)
Collection

2020年度認定遺産一覧編集

 
ニコンF
Collection & Documents
Collection
  • 101 日本の一眼レフカメラを世界水準へと進展させたアサヒフレックスI・IIBミランダTズノーニコンF - 1950年代の日本製カメラのなかでも5機種の機械式一眼レフカメラ利便性と堅牢性を持ち「カメラといえばドイツ」との評価を変えた (東京都)
  • 102 自由粉砕機 第1号機 (奈良式高速衝撃粉砕機) – 奈良自由造は1925年(大正14年)物性として弾性耐熱性をもつカゼイン粉砕機の製作を現古河グループの古河理化試験所から依頼され、ドイツ製粉砕機を参考に物性に対応する改良を行い納入した。更に改良した「自由粉砕機 第1号機」の技術は1928年(昭和3年)年に実用新案として登録され、衝撃力とせん断力という粉砕メカニズムによって熱の発生を抑え、迅速かつ大量の粉体加工を実現し、鉱物、薬草、食料品、染料、飼料、薬品、鉱工業用品などの広範囲の材料の粉体加工にその後も使われている (東京都)
  • 103 日本の溶射技術を工業化したアーク溶射ガン – 溶射1909年(明治42年)、スイスのM.U.ショープ(:M.U.Schoop)が発明した[1]1919年(大正8年)に銀座天賞堂が特許の使用権を得て、宝飾品へのガス式溶射ガン技術導入をめざすも作動せず、1921年(大正10年)に特許「電気溶融法による噴射鍍金法」を取得した。技術の工業化は1935年(昭和10年)頃から始まり戦前戦中にも改良を重ね戦後に軽量化と操作性を計った。1955年(昭和30年)の現存最古1台と1963年(昭和38)年の改良を加えた溶射ガン2台が保存される。まず鉄道、水タンク鉄骨構造物等のを防ぐ表面処理技術として広く用いられ、その後耐熱性耐摩耗性、耐薬品性など幅広い産業分野で利用される溶射技術の原点を示す (滋賀県)
  • 104 機械式無段変速機/リングコーンRC型 – 無段変速機流体式・電気式・機械式の3種に大別される。1952年(昭和27年)にシンポ工業(現:日本電産シンポ)の柏原学が発明した伝動リングの中にコーン形の2本の円錐を左右逆向きに配置したリングコーン(RC)型変速機は機械式無段変速機であり、潤滑油膜を介して非接触で動力を伝達するトラクションドライブ方式で摩耗を生じない[2]。部品点数が少なく簡単な構造であり比較的小型で所要の伝達動力が得られる。負荷の増減で伝動リングの回転方向への食い込み量が変化し、負荷に応じた有効な圧接力が自動的に摩擦伝動面に与えられ、すべりが起きず、回転変動率が2から3%程度と低い特長がある。リングコーンRC型はRX型無段変速機や車輪駆動用をはじめとしたトラクションドライブ減速機に継承されている (京都府)

2021年度認定遺産一覧編集

Collection
  • 105 国産初の電気搾乳機 バケットミルカー DK-5Ⅱ型 - オリオン機械の前身・共栄精機製作所の太田三郎らは輸入品の搾乳機の構造を参考にして、自社の真空ポンプ技術と組み合わせ1957年(昭和32年)国産初の電気搾乳機を開発した。輸入品に比べ安価で性能も劣らず、酪農家を手搾りの重労働から解放した。牛乳の安定供給を実現するなど、国民の健康増進にも大きく貢献した。搾乳機構は現在でも同様である。(長野県)
  • 106 平歯車研削盤 ASG-2形 – 機械要素の一つである歯車部品として用いる機械に組み入れ、その歯車に起因する騒音や振動の発生を出来るだけ少なくする対策として、研削加工による歯車を製造する歯車研削盤は昭和の時代となっても日本には無かった。岡本工作機械製作所の前身・岡本専用工作機械製作所の創業者・岡本覚三郎は呉海軍工廠からの注文で歯車研削盤の設計に着手し、多くの試行錯誤を経て1930年(昭和5年)に国産初の平歯車研削盤「ASG-2形」を完成させた。1945年(昭和20年)までに13台製造され、その1台が日本工業大学工業技術博物館に保存される。歯車を交換することにより、歯数などが異なる歯車の加工に対応できる独創的な機構を有している。(埼玉県)
  • 107 江戸前寿司自動にぎり機 ST-77 寿司ロボット1号機 - 1981年(昭和56年)鈴茂器工創業者・鈴木喜作が減反政策に対して、の消費を拡大したいと考え開発したにぎり寿司シャリを握るロボットである。寿司職人の握る一連の高度な動作を徹底的に研究し「つまんで崩れず、口に含んでほぐれる食感」と同じ完成度を実現した。1時間に1,200の成形が可能でとなり、安価に国内外に回転寿司の発展と寿司の大衆化を広めた原動力となった。(埼玉県)
  • 108 新幹線開発に貢献した車両試験装置 - 鉄道車両の走行状態を研究する目的で設置した定置式模擬試験装置である。最も標準的な車両1両を試験装置上に搭載する実車試験(最高速度250km/h)の他に、台車1台単体の試験(最高速度350km/h)が可能なもので1959年(昭和34年)に日立製作所によって製造・設置、翌年に東海道新幹線用試作台車による試験が開始された。台車の仕様が決定されるなど、新幹線車両の開発に貢献した。その後主要な試験を1990年(平成2年)完成の高速車両試験装置(最高速度500km/h)に譲ったが、当試験装置も活用されている。(東京都)
  • 109 日本現存最古のピッチングマシン カタパルト式:型式KS-P型/型式AR型 – カタパルトピッチングマシンは斉藤八雄が日本で最初に設計した。KS-P型は1958年(昭和33年)に、AR型も同時期に製造され、ともに中日ドラゴンズで使用された。1分間に12球の直球や変化球を投球でき投手15人分の働きと等しく、主力投手がバッティング投手を行っていたものの代替としての役割は大きかった。その後アーム式や回転式などが開発され、野球の醍醐味を手軽に満喫できるバッティングセンターの発展につながった。(東京)(岐阜県)[3]
  • 110 携帯用電気カンナ モデル1000 – アメリカ製電動(かんな)を見本として、日本の建築材に対応した切り幅や小型軽量化をはかり、日本の大工作業に適した携帯用電気カンナとして、1958年(昭和33年)にマキタによって開発・発売された。それまで大工職人による鉋がけ作業は重労働で熟練を要したが、電気カンナを使い大工仕事の未経験者でも容易に鉋がけができ、その後急速に普及し大工道具電動工具化につながった。商用電源100で使用でき、刃幅120mmのカンナ刃2枚組が毎分13,000回転し、毎分26,000カットの高速で、堅木、軟木を問わず、逆目(さかめ)もきれいに削ることができた。(愛知県)
  • 111 造幣局創業期の硬貨圧印機 ウールホルン硬貨圧印機とトネリエ硬貨圧印機 – 1871年(明治4年)創業の造幣局地金融解鋳造圧延、打抜き、蒸気機関駆動プレスにより硬貨を製造する大規模な金属機械工場であった。ドイツ技術者ディートリッヒ・ウールホルン(:Diedrich Uhlhorn)が1817年に発明し1871~1873年にドイツから10台が輸入されたもので毎分約40枚の圧印能力である[4]。一方の圧印機はフランスの技術者ニコラス・トネリエが開発した1857年のフランス製で、閉鎖されていた香港造幣局から購入した8台のうちの1台が保存され、性能は毎分50枚の硬貨を圧印できた。(大阪府)
  • 112 回転ずしコンベア機 新しい食文化の創造 – 現存最古の回転寿司チェーンコンベア機、および、初期型の寿司を載せるコンベア板である。1958年(昭和33年)4月に開業した「廻る元禄寿司」1号店に始まる。元禄寿司の白石義明は、すしの大衆化を目指しビール工場の製造ラインからヒントを得て、回転するコンベアに寿司皿を乗せ来客の前を循環させるというシステムを開発した[5]。初期型の「うろこ」または「三日月」と呼ばれた独特な形状の寿司皿を載せるコンベア板である。(大阪府)
  • 113 静荷重杭圧入引抜機 サイレントパイラー KGK-100A – 高度経済成長期に「建設公害の元凶」といわれた杭打機騒音、振動が深刻化していた1975年(昭和50年)に完成された圧入工法サイレントパイラー打撃工法代わるもとなった。技研製作所の創業者・北村精男(あきお)が考案したもの。油圧発生装置を本体に内蔵し、単体で使用できた。当時の建設機械で常用されていた油圧は最大14~17MPa(メガパスカル)であったが本機で100トンの杭圧入引抜力を得るためには油圧70MPaが必要とされ、油圧シリンダーに接続する油圧ホース、ピストン密封装置、配管継手などの部品開発が行われた。特徴は静粛性で、同じ作業を打撃式ハンマ工法で行った場合、発生する騒音が約100dBであったのに対し本機は55dBと大幅に低減することができた。(高知県)

2022年度認定遺産一覧編集

Collection
  • 115 木材プレカットシステム MPS-1 – 一般住宅のうち木造住宅の比率が57%、そのうち76%が軸組み工法を採用しており、従来から熟練した大工職人により軸材の配置と組み立て方法が設計され、建築現場で加工が行われていた。木材加工機を製造していた宮川工機は現場での手加工する工程を出来るだけ省き、工場で事前に組手を加工し、それを現場に搬入するプレカット工法に置き換えることを企画単一機能の機械を開発した。その過程で、接手や仕口の形状を機械での加工に適した円弧形状への転換がなされ実用新案を取得した。この手法と工法は大工職人に当初受け入れられなかったが、1978年(昭和53年)年頃の持ち家流行による人手不足から普及が進んだ。それまでの単機能・手動加工機をCAD/CAMと連携化してプレカットシステム MPS-1として1985年(昭和60年)に製造された加工機械部分を成した。その後、軸組み工法の93%はプレカット工法となったが、そのきっかけとなった機械である。(愛知県)

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集