大正ロマン

大正時代の雰囲気を伝える思潮や文化事象
大正浪漫から転送)

大正ロマン(たいしょうロマン)は、大正時代の趣を伝える思潮や文化事象を指して呼ぶ言葉。大正浪漫とも表記される。

大正時代の文化の一特徴として個人の解放や新しい時代への理想に満ちた風潮と和洋折衷の先進的な文化が挙げられる。一般的に、大正時代の文化には甘美で抒情的でロマンチック(ロマンティック)であるというという印象があり、後世の人々の憧れの対象となった。それゆえに、明治末まで文学・美術界で流行していたロマン主義(明治浪漫主義)を拡大して、大正ロマンと呼ばれるようになった。1960年代末から1970年代前半に一般に広まった語であるとされる[1][2]

時代の背景

編集
 
1920年(大正9年)高橋是清の家族。パラソルやカンカン帽など洋風アイテムを取り入れたモダンな装い

大正時代は明治の次、昭和の前にある元号「大正」の1912年7月30日から1926年12月25日までを指す。

大正時代は15年と短いながらも国内外が激動した時代であり、大正文化という独自の文化が花開いた時期である。さらに日本は日清戦争日露戦争での連勝を経て、帝国主義の国として欧米列強と肩を並べ、「五大国」の一国ともなった時代でもある。また、日本は日英同盟を理由に、第一次世界大戦にも参戦し、戦勝国となり国中が国威の発揚に沸いた時代である。西欧先進国産業革命の影響を受けて、明治の45年間をかけて国内での工業化が進み、経済は着実な発展を遂げ、流通や商業が飛躍的に進歩した。鉄道網の形成や汽船による水運が発達、これと並行して徐々に町や都市の基盤が形成され、さらに大正に入ってからは近郊鉄道の建設、道路網の拡大や自動車・乗合バスなどの都市内交通手段の発展により都市化が促進された。録音活動写真(キネマ)の出現、電報電話技術の発達、そして新しい印刷技法による大衆向け新聞書籍雑誌の普及など、新しいメディアが台頭した。これにより、文化・情報の伝播も飛躍的に拡大し、少女雑誌や婦人雑誌には流行風俗を反映した特集や抒情画が多数掲載された。 戦勝によって債務国から債権国へ転換したことで、経済は爆発的に拡大し、明治以降の経済の自由化とともに商人の立場が向上し、欧米から学んだ会社制度が発達した。制度上は個人商店であった私企業が発展していく中で世界に向けて大規模化していき、また通貨「円」の国際化と旺盛な日本市場を狙って、ウェスティングハウス・エレクトリックユニバーサル・ピクチャーズフォード・モーターなど、欧米企業の進出が相次いだ。第一次世界大戦南洋諸島などが手に入り、それらの地の開拓も進められた。加えて、主要な戦地であった欧州に代わり造船受注が拡大し、この時期に長崎や神戸などに現代にまで続く重工業企業の基盤が形成された。大戦景気投機の成功で「成金」と呼ばれるような個人も現れ、立身出世の野望が実業の方面に向かっても開かれた。

中流層には「大正デモクラシー民本主義)」が台頭し、一般民衆と女性の地位向上に目が向けられた。そして、西洋文化の影響を受けた新しい文芸・絵画・音楽・演劇などの芸術が流布して、思想的にも自由と開放・躍動の気分が溢れ出した。特に都市を中心として、輸入物愛好、大衆文化や消費文化が花開いた。一般人の洋装化を促す服装改善運動が提唱され、洋装の学生服を女学生が通学で着るなどの変化も始まった[3]百貨店もまた新しい文化の発信地だったが、和装がほとんどであった女性層に元禄模様琳派などの江戸趣味をブームとして仕掛け[4]銘仙を販売している。

しかし、時代の後半に入ると大戦後の恐慌関東大震災もあり、経済の激しい浮き沈みや新時代への急激な変化に対応できないストレスが顕在化した。都市化と工業化は膨大な労働者階級を生み出し、国外の社会変革を求める政治運動に呼応した社会主義運動が大きなうねりとなって支配層を脅かした。加えて、スペイン風邪の流行や肺結核による著名人の死も時代に暗い影を落とした。知識人においては個人主義理想主義が強く意識されるようになり、新時代への飛躍に心躍らせながら、同時に社会不安に通底するアンビバレントな葛藤や心理的摩擦もあった。大正時代の後期から昭和の時代にかけては、自由恋愛の流行による心中・自殺、そして作家、芸術家の間に薬物や自傷による自殺が流行した。大衆紙の流布とともにそれらの情報が増幅して伝えられ、時代の不安の上にある種の退廃的かつ虚無的な気分も醸し出された。むしろこれらの事々のほうが「大正浪漫」に叙情性や負の彩りを添えて、人々をさらに魅惑させる側面もある[注 1]。この背景には、19世紀後半にヨーロッパで興った耽美主義ダダイスムデカダンス等の影響もうかがえる。芸術活動には大正期新興美術運動が起こり、アール・ヌーボーアール・デコ表現主義など世紀末芸術から影響を受けたものも多い。あるいは政治思想である共産主義アナキズムなどの「危険思想」が取り締まられ社会主義思想にも圧迫が加えられた。一方で、多くの地方の村落はまだまだ近代化に取り残されており、大正に至っても、明治初期と変わらない封建的な生活が残っていた。

大正ロマン」は、新しい時代の兆しを示す意味合いから、モダニズム近代化)から派生した「大正モダン」という言葉と同列に扱われることもある。「大正モダン」と「大正ロマン」は同時代の表と裏を表象する対立の概念である。在位の短かった天皇崩御により、震災復興などによる経済の閉塞感とともにこの時代は終わり、世界的大恐慌で始まる昭和の時代に移るが、大正モダンの流れを止めることなく昭和モダンの時代へと引き継がれる。

歴史的事件・出来事と「大正ロマン」を象徴する文化事象

編集
 
1900年(明治33年)に三浦環木内キヤウが始めた自転車通学は、明治後期から大正前期の女学生を象徴するアイコンとなった[7]

1911年(明治44年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集

1912年(明治45年/大正元年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集

1913年(大正2年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集
 
宝塚歌劇団歌劇ドンブラコ宝塚新温泉内パラダイス劇場(1914年4月)

1914年(大正3年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集

1915年(大正4年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集

1916年(大正5年)

編集

文化事象

編集
 
浅草オペラ『天国と地獄』(1917年-1919年ころ)

1917年(大正6年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集

1918年(大正7年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集
 
パリ講和会議の会場となったフランス外務省

1919年(大正8年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集

1920年(大正9年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集

1921年(大正10年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集

1922年(大正11年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集

1923年(大正12年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集
 
鳩山会館。当時立憲政友会所属の代議士・鳩山一郎の私邸。1924年(大正13年)

1924年(大正13年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集

1925年(大正14年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集

1926年(大正15年/昭和元年)

編集

この年の主なできごと

編集

文化事象

編集

大正末期から昭和にかけて:中華民国政情不安

編集

カテゴリ「大正時代の事件」に主要事件へのリンクあり)

「大正ロマン」を象徴する文化人

編集
 
黒船屋。大正時代の流行画家、竹久夢二の作品。 1919年(大正8年)

年代が短いこともあり、大正時代に限ってのみ活躍した人物というものを挙げるのは難しい。しかし、以下のような明治から昭和への過渡の時代に生きた人物の名が、この時代を彩る数々の芸術作品や新思潮を生み出した。

特に竹久夢二の場合、実質的に活躍した年代が大正期と重なる。そしてその思索や行動、そして作品において時代の浮き沈みと一体化しており、この時代とともに生きた人物であり、大正ロマンを代表する名として、しばしば掲げられる。彼の絵を表紙に使ったセノオ楽譜は一世を風靡したといわれる[8]

また、大正ロマンは大衆性や庶民的な部分で捉えられる傾向が強く、白樺派に属する人々らについては直接的に関連付けられることは少ないが、その自由性や耽美性、明治以降のロマンティシズムにおいて大いにその牽引力となったと思われる。特に1923年(大正12年)に白樺派の人気作家・有島武郎愛人波多野秋子軽井沢別荘情死した事件は、当時世間を大いに賑わせ、大正期に流行した自由恋愛や情死・心中事件を代表する出来事となった。

中里介山においては、1913年(大正2年)より大長編小説『大菩薩峠』の新聞への連載を始め、昭和に至るまで脈々と書き続けられ、未完のままに終わるが、大衆娯楽小説の出発点ともされており、大佛次郎の『鞍馬天狗(1923年(大正12年) - )』や林不忘の『丹下左膳(1927年(昭和2年) - )』などの作品連載発表に先んじて、大衆文化(サブ・カルチュア)の創生に大きく影響を及ぼした。

1913年(大正2年)、劇団「藝術座」を旗揚げした島村抱月松井須磨子の、数年後の病死~後追い自殺(1918年(大正7年) - 1919年(大正8年))に至る関係においては、劇団や演目への好評が大きいだけに政治的圧力や短い期間での破綻が大衆の好奇を刺激し、須磨子の歌った「命短し恋せよ乙女 (ゴンドラの唄)」に乗せて、後の芸能人への憧れや自由恋愛の風潮を育む元となった。

1916年(大正5年)の日蔭茶屋事件から同12年の甘粕事件に至る間の、思想家・大杉栄と女性解放活動家・伊藤野枝を取り巻く動きについては逐一新聞などで報道され、有名人のスキャンダルとして大衆の好奇の材料ともなったが、一方で時代の不安な空気の中で、自由の行く末に暗い展望を投げかける契機ともなった。

川端画学校は1909年(明治42年)に東京小石川に設立された私立の画塾ではあるが、1913年(大正2年)に創設者の川端玉章が逝去したのちも、芸術や都会の文化に憧れる若者を各地から集めて、太平洋戦争大東亜戦争)さなかの廃校に至るまで、画家のみならず多くの才能を輩出した。

文学

編集
 
「現代小説家番附」
(『今古大番附:七十余類』1923年)

美術

編集

音楽

編集

演劇

編集

政治家・思想家

編集
  • 吉野作造:政治学者、思想家(1878–1933)
  • 長谷川如是閑:ジャーナリスト、思想家、政治家(1875–1969)
  • 宮武外骨:ジャーナリスト、著作家(1867–1955)
  • 大杉栄:無政府主義者、思想家、作家(1885–1923)
  • 伊藤野枝:思想家、作家、婦人解放運動家、無政府主義者(1895–1923)
  • 平塚らいてう:思想家、評論家、婦人解放運動家、作家(1886–1971)

「大正ロマン」を色濃く表現する後世の作品

編集

桑原武夫南博などによって1960年代から大正時代と文化の再評価が始まり、文芸・美術の紹介を通して1970年代には大正のロマンティシズム、「大正ロマン」という言葉が現れるようになった[1][2][注 2]レトロブームともかかわりながら、ファッション・漫画・ゲーム・アニメなどのサブカルチャーの題材として扱われ、文明開化から戦間期を背景にしたそのイメージを定着・拡大してきた。

月刊漫画ガロ』の連載作家だった林静一は、歌謡曲に対する興味からさかのぼって「赤い鳥運動」で作られた童謡に着目し、童謡をモチーフにした画集『紅犯花』を1970年に発表した[9]。竹久夢二を自由への憧れと庶民への郷愁の面から再評価していた秋山清も、1970年の『ガロ』に夢二論の連載を始めている。林が少女を描いた『ガロ』の表紙を発注イメージにして、1974年からロッテのキャンディ『小梅』のアートディレクションは始まった。甘い飴に対してすっぱい飴を提案することに重ねて、高度経済成長を経た社会に対して和装の少女画を採用する、インパクトを追求した若手チームによる企画であった[10]吉永小百合山口百恵がそれぞれ主演した歴代の『伊豆の踊子』の映画から影響を受けて[11]、消えゆく日本美と少女の恋を通俗性を保ちながら表現した。

1975年に海外で広告賞を受賞したアニメCM『小梅』は、当時の読売新聞では「大正ロマンのムードをそのまま絵にしたCM」と評価された[12]。同じ年には『はいからさんが通る』の漫画連載が始まり、奔放なヒロインのメロドラマとして人気を博した。作者が親しんだ落語「お婆さん三代姿」や俗曲からストーリーを着想し、波乱の時代を明るく乗り越えていく女学生が設計された。そして、王道の本筋に破壊的なまでのヒロイン・花村紅緒とギャグが織り交ぜられる挑戦がなされた[13]。時代遅れのCMと見ていた日本の広告業界[11]、歴史物はウケないとされていた当時の少女漫画の常識[13][14]を覆す好評であった[注 3]。型破りな意図で大正時代と少女のロマンスを描いた両作品は、文学史的・美術史的な意味のロマンティシズムとは異なる「大正ロマン」ブームの火付け役になった[17][注 4]

さらに南野陽子が主演した『はいからさんが通る』の実写映画のヒットは、女子大学生が卒業式に袴を履く現象を生み出すに至っている[18][19]。映画公開の1987年は「昭和30年代」を筆頭とする懐古ブームの最中にあり、大正浪漫と文豪の佇まいに憧れる現代の男を描いた『大正野郎』も発表される[20]。史実を取り入れつつ伝奇的な世界観と、後の創作作品に影響を残すビジュアルの怪人・加藤保憲を描いた『帝都物語』も同時期である[20]

1996年の『サクラ大戦』は架空の元号「太正」でスチームパンクを展開、大正ロマンを素材にして大正風の世界を構築した代表作となった[21]。企画脚本段階のやりとりで例に挙がったタイトルは『はいからさんが通る』と『帝都物語』であった[22]。2002年にはアンティーク着物を扱ったファッション雑誌が登場し、少女感と乙女感を重視した着物ブームが起きる[23]

言葉の浸透とともに、史料に基づかないレトロ趣味にまで拡大解釈されて、一般的な和服や大正時代と関係のない創作で「大正ロマン」が掲げられるケースもみられるようになる[24]。一方、2020年代には和風ファンタジーから発展して、大正文化への注目や企画の制作につながっている。『鬼滅の刃』は人気を高めるうちに、劇場版アニメで日本歴代興行収入第1位を記録する社会現象となり、リバイバルを牽引する存在となった[25]。明治大正の社会イメージを世界観に取り込んだ『わたしの幸せな結婚』は、近代日本を舞台にした和風ファンタジー小説のブームを起こしている[26]

小説 など

編集
  • 小説『春の雪』(作・三島由紀夫 1965年 雑誌「新潮」連載):『豊饒の海』4部作(「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」)の第1部。2005年東宝により映画化
  • 小説『美は乱調にあり』(作・瀬戸内晴美 1966年 文藝春秋社):大杉栄・伊藤野枝の生涯を描く。
  • 小説『鬼の栖~本郷菊富士ホテル』(作・瀬戸内晴美 1967年 河出書房
  • 小説『帝都物語』(作:荒俣宏 1985年):1988年実写映画化
  • 小説『自由戀愛』 (作:岩井志麻子 2002年):2005年原田眞人監督によりドラマ化・映画化(『自由戀愛 -bluestockings-』)
  • 小説『大正野球娘。』(作・神楽坂淳 2007年 - ):2009年TVアニメ化
  • 小説『乙女なでしこ恋手帖』(作・深山くのえ 2011年 - 2019年):大正3年の東京を舞台とした恋愛小説。第2巻では、少女小説では初となる、アニメDVD付特装版が発売された。

映画・TVドラマ など

編集

漫画・アニメ など

編集

コンピュータ・ゲーム など

編集

音楽 など

編集

大正ロマンを体験できる施設

編集

計画都市・まちづくり

関連項目

編集

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 大正文化に見られる変態、病い、犯罪をクローズアップした「大正デカダンス」という言葉も、1980年代の雑誌『芸術新潮(1982)』『幻想文学(1988)』から使用されている[5]。昭和初年のエログロナンセンスに連鎖していくともされる[6]
  2. ^ 出典の『大正ロマン手帖』では、1974年に生誕90年であった竹久夢二が「ロマン」と付されて紹介された流れを挙げている。「2009年版」では1978年のサントリー美術館での「大正ロマン」展がこの語の初出とする調査結果を報告しているが、「2021年版」では1962年の『月に吠える』の記事を挙げ1970年代に成立と改めている。2024年の「YUMEJI展」図録では、明治百年祭後に広まった語とし、夢二の紹介と同時期に川上澄生も大正ロマンの画家とされていたことを挙げている。
  3. ^ 当時は欧米志向が主流の社会、漫画界では学園漫画が主流であったとしている。備考として1970年代はディスカバー・ジャパン運動で「ふるさと」のノスタルジーが喚起されていたころで[15]、林静一も1972年から関連する季刊誌の表紙を手掛けている[16]。1974年から『三丁目の夕日』の連載が始まっている。歴史ロマンの『ベルサイユのばら』は1972年から1973年まで連載され、1974年からベルばらブームを起こしている。
  4. ^ 『精選版 日本国語大辞典』では夢や憧れといった意味合いでロマンが使われると、「大正浪漫」「男のロマン」を例に挙げて解説している(「ロマンス」語誌)。

出典

編集
  1. ^ a b 岡部昌幸「孤高と独創の芸術家――竹久夢二がもたらした新しい日本近代美術と浪漫主義の世界」『生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界』産経新聞社、2024年、27頁。 
  2. ^ a b 石川桂子 2021, p. 120-121.
  3. ^ 形部芳則『洋装の日本史』集英社インターナショナル、2022年、155-156頁。ISBN 978-4-797-68112-3 
  4. ^ 和田博文『三越誕生! : 帝国のデパートと近代化の夢』筑摩書房、2020年、170-183頁。ISBN 978-4-480-01688-1 
  5. ^ 谷川渥「「大正デカダンス」覚書」『大正イマジュリィ』第7号、大正イマジュリィ学会、2013年、9-11頁、CRID 1521136279712746240 
  6. ^ 笠岡市立竹喬美術館, 上薗四郎『デカダンスの気配 : 新視点培広庵コレクション』笠岡市立竹喬美術館〈展覧会カタログ〉、2017年、8頁。国立国会図書館書誌ID:028540465。「会期・会場: 2017年9月22日-11月5日:笠岡市立竹喬美術館」 
  7. ^ 紙屋牧子「「自転車に乗る女」のメディア表象 : 三浦環から原節子へ」『演劇研究 : 演劇博物館紀要』第36巻、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館、2014年、1-4頁、CRID 1050001202509684480 
  8. ^ 越懸澤 麻衣「セノオ楽譜からみる大正時代の洋楽受容」東京藝術大学音楽学部紀要. 41, p29, 2015 2019年8月21日閲覧。
  9. ^ 林静一『林静一叙情の世界 : 1967-2007』八王子市夢美術館、2007年、51頁。 
  10. ^ 林静一、ロッテ『小梅ちゃん : 初恋すとおりい』近代出版社、2004年、100,108頁。ISBN 978-4-907-81612-4 
  11. ^ a b 誕生から45年、愛され続ける小梅ちゃんの秘密 林 静一さん”. ロッテ (2019年10月15日). 2023年12月21日閲覧。
  12. ^ 佐藤守弘 2022, p. 3.
  13. ^ a b 別冊宝島編集部 編『はいからさんが通るの世界』宝島社、2017年、16-17頁。ISBN 978-4-800-27414-4 
  14. ^ 外舘惠子 2017, p. 105.
  15. ^ 高野光平『昭和ノスタルジー解体 : 「懐かしさ」はどう作られたのか』晶文社、2018年、21-25頁。ISBN 978-4-7949-6996-5 
  16. ^ 成相肇『ディスカバー、ディスカバー・ジャパン「遠く」へ行きたい』東京ステーションギャラリー、2014年、120-121頁。 
  17. ^ 佐藤守弘 2022, p. 6.
  18. ^ 外舘惠子 2017, p. 78-79.
  19. ^ 卒業式になぜ袴?「はいからさん」からギャル系など移り変わる袴スタイルを調査”. 近畿大学 広報室 (2018年10月9日). 2023年12月19日閲覧。
  20. ^ a b 佐藤守弘「転生する〈大正〉 : 山田芳裕『大正野郎』における時間の混乱(アナクロニズム) (特集 マンガの中の大正)」『大正イマジュリィ』第17号、大正イマジュリィ学会、2021年、9頁、CRID 1520859835703232128 
  21. ^ 大正はいから同人会 編『鬼滅の刃をもっと楽しむための大正時代便覧』辰巳出版、2020年、194-197頁。ISBN 978-4-777-82544-8 
  22. ^ 村上敬「元号と都市のユートピア : 『サクラ大戦』の「太正」帝都 (特集 マンガの中の大正)」『大正イマジュリィ』第17号、大正イマジュリィ学会、2021年、42頁、CRID 1520015410772632192 
  23. ^ 「KIMONO姫」誕生秘話 -きものに恋した編集長- ~KIMONO姫 編集長 田辺真由美氏~”. きものやまと. 2023年12月23日閲覧。
  24. ^ 淺井カヨ『モダンガールのスヽメ』原書房、2016年、86-87頁。ISBN 978-4-562-05288-2 
  25. ^ 衰えぬ「鬼滅」人気 絶版本の復刊&重版導く 河出書房新社「大正ロマン手帖」が話題に”. よろず〜ニュース (2021年12月25日). 2023年12月20日閲覧。
  26. ^ 嵯峨景子『少女小説を知るための100冊(星海社新書)』星海社、2023年、232-233頁。ISBN 978-4-06-530308-5 
  27. ^ 日清食品 どん兵衛CM // アニメーションスタジオ スタジオコロリド”. スタジオコロリド. 2024年2月23日閲覧。

参考文献

編集

外部リンク

編集