ジャガー・レーシング
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ジャガー・レーシング(Jaguar Racing)は、イギリスのモータースポーツ・レーシングチームおよびコンストラクター。母体は同国の自動車ブランド「ジャガー」。
国籍 |
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本拠地 |
![]() オックスフォードシャー州グローブ |
チーム代表 |
ガード・マウザー(チェアマン) ジェームズ・バークレー(チームディレクター) |
関係者 |
クレイグ・ウィルソン(レースディレクター) ニック・ロジャース(CEO) |
活動期間 | 2016年 - |
カテゴリ | フォーミュラE |
チームズ タイトル | 0 |
ドライバーズ タイトル | 0 |
公式サイト | jaguar-racing |
備考 | 優勝回数 4(2022年2月時点) |
2021年-22年のフォーミュラE | |
エントリー名 | ジャガー・TCS・レーシング |
レーサー |
9. ![]() 10. ![]() |
マシン | Jaguar I-Type 5 |
タイヤ | ミシュラン |
概要編集
1999年、米国の自動車メーカーフォードは、活動を支援してきたジャッキー・スチュワート率いるスチュワート・グランプリを買収し、同社傘下のジャガーブランドで2000年からF1参戦を開始した。そのマシンは往年のナショナルカラーのブリティッシュ・レーシング・グリーンを纏い、「ビッグキャット」と呼ばれたジャガーのデザインが描かれた。
2004年の最終戦では、各チームで恒例となっている全スタッフによる記念撮影が行なわれたが、チームの売却先が決まっていないタイミングでの撮影であったため、「FOR SALE」のプラカードが掲げられていた[1]。
F1参戦時代編集
エントリー名 |
Jaguar Racing F1 Team ジャガー・レーシング F1チーム |
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チーム国籍 | イギリス |
チーム本拠地 |
イングランド バッキンガムシャー州ミルトン・キーンズ |
主なチーム関係者 |
リチャード・パリー・ジョーンズ(CEO) ウォルフガング・ライツレ(元CEO) ボビー・レイホール(元CEO、元代表) トニー・パーネル(代表) ニール・レスラー(元代表) デヴィッド・ピッチフォース(マネージングディレクター) ジョン・ラッセル(チーフエンジニア、テクニカルディレクター) ギュンター・シュタイナー(チーフエンジニア) マルコム・オーストラー(チーフエンジニア) ゲイリー・アンダーソン(テクニカルディレクター) スティーヴ・ニコルズ(テクニカルディレクター) マーク・ギラン(テクニカルディレクター) ベン・アガサンジェルー ニキ・ラウダ(アドバイザー) ジャッキー・スチュワート(元スチュワート・グランプリ代表) |
主なドライバー |
エディ・アーバイン ジョニー・ハーバート ルチアーノ・ブルティ ペドロ・デ・ラ・ロサ マーク・ウェバー アントニオ・ピッツォニア ジャスティン・ウィルソン クリスチャン・クリエン |
以前のチーム名称 | スチュワート・グランプリ |
撤退後 | レッドブル・レーシング |
F1世界選手権におけるチーム履歴 | |
参戦年度 | 2000年 - 2004年 |
出走回数 | 85 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 49 |
表彰台(3位以内)回数 | 2 |
F1デビュー戦 | 2000年オーストラリアGP |
最後のレース | 2004年ブラジルGP |
2000年編集
ドライバーはエディ・アーバインとジョニー・ハーバートのイギリス人コンビとなった。前年ランキング4位、フェラーリでドライバーズランキング2位に輝いたアーバインの加入など注目を集めたが、前年度の好成績が嘘のように低迷。ポイントはアーバインが稼いだ4ポイントのみ。ハーバートはノーポイントに終わった。アーバインは途中オーストリアGPを欠場し、テストドライバーのルチアーノ・ブルティが出走する。 ランキングは9位。
2001年編集
アーバインは残留、前年限りで引退したハーバートに代わりブルティがレギュラーに昇格した。しかし、ブルティがスペインGPからプロストに移籍。代わりにプロストでテストドライバーを務めていたペドロ・デ・ラ・ロサを起用した。アーバインがモナコGPで表彰台に上がったが他には特に目立った活躍はできず、ランキングは8位に終わった。
2002年編集
アーバインとデ・ラ・ロサのコンビを継続。アーバインはイタリアGPで表彰台に上がるなどし、8ポイントを獲得。デ・ラ・ロサはノーポイントに終わった。ランキングは7位。
2003年編集
ドライバーを一新し、前年ミナルディで好走したマーク・ウェバーをエースに迎え入れる。セカンドシートは新人のアントニオ・ピッツォニア。ウェバーは特に予選で高パフォーマンスを見せ、コンスタントに入賞する。ピッツォニアは苦戦を続け、遂にドイツGP前に解雇。ミナルディよりジャスティン・ウィルソンを迎え入れる。身長185cm(ウェバー)と192cm(ウィルソン)という大柄コンビとなった。ウェバーは17ポイントを獲得しドライバーズランキング10位、ピッツォニアはノーポイント、ウィルソンはアメリカGPで1ポイントを獲得した。ランキングは変わらず7位。
2004年編集
ウェバーは残留、もう1つのシートは新人のクリスチャン・クリエン。マレーシアGPではウェバーがフロントローを獲得。クリエンも序盤は新人らしくアグレッシブな走りで好走したものの、両者ポイントにはなかなか届かず。それでもウェバーは7ポイント、クリエンは3ポイントを獲得しランキング7位はキープした。この年を最後にジャガーとしての活動に幕を降ろす。
備考・補足編集
参戦当初編集
参戦当初、ジャガー・レーシングのチーム代表にはニール・レスラーが就任した。レスラーは、友人であったボビー・レイホールをマネージングディレクターとして据えた。
レイホール時代編集
レスラーは、2000年で引退し、2001年からレイホールがチーム代表兼CEOに就任した。この年の6月、ジャガーのテクニカルディレクターとして、レイホールは友人であったエイドリアン・ニューウェイ(当時マクラーレン・メルセデス在籍、現在レッドブル・レーシング在籍)と契約したものの、ニューウェイが在籍していたマクラーレン・メルセデスのチーム代表ロン・デニスに説得され、ジャガー入りを翻意したというこの事件で、レイホールは失脚。また、この頃テクニカルディレクターだったニコルズもチームを離脱しており、代役をチーフ・エンジニアであるジョン・ラッセル[要曖昧さ回避]が務めた。
ラウダ加入と怪人事編集
レイホールに代わり、2002年からはウォルフガング・ライツレが事実上の責任者となる。この時点で、ジャガー・レーシング内部からアメリカ陣営は撤収。ヨーロッパ組が全指揮を執ることとなる。ライツレは、親しかったニキ・ラウダをチーム代表に据え、レイホールをアメリカに戻すという口実で、ラリー部門出身のギュンター・シュタイナー(レッドブル・レーシング テクニカルディレクター、NASCARのレッドブルチーム(2007年から2011年まで参戦)のテクニカルディレクターを経て、現在は2016年から参戦しているハースF1チームのチーム代表)を技術部門のトップに据えた。しかし、2002年半ば、フォードはジャガー・レーシングをデトロイト本社の傘下に戻すことを決定。ライツレはあえなく解雇されてしまう。また、ラウダもこの時の不可解な人事によってシュタイナーと共に解雇されている。ちなみにこの時ラウダはフォード本社に問い合わせても全くコンタクトが取れず、自分の解雇をニュースで知ったという有様だった。この解雇が原因で、ラウダは相当なイギリス人嫌いになったという。また、この時のラウダの"置き土産"となったのが、アントニオ・ピッツォニア(ジャガー→ウィリアムズ第3ドライバー)である。
撤退までの混迷編集
ライツレの後任には、リチャード・パリー・ジョーンズが就任。早速ジョーンズはフォード傘下でレース用の電子システムなどを手がけるPIリサーチから、辣腕として知られていたトニー・パーネルをチーム代表に、デビッド・ピッチフォースをマネージングディレクターとして招聘。改革に着手する。しかし、極端な予算削減を本社から言い渡されたチームは、2003年2月のバルセロナ・テストの最中に120名ものスタッフを突如解雇した。さらにこの時はテストを途中で切り上げさせ、チームを強引にイギリスへ戻している。この結果、チームは30%強もの人材を失ってしまう。さらに、パフォーマンス条項を理由にシーズン途中でピッツォニアを解雇。スポンサーから資金援助を受けているために、サラリーが発生しないジャスティン・ウィルソンをミナルディから獲得する。ピッツォニアは、もともとラウダが契約したということで目の敵にされていたという。
さらにこの頃フォード本社でもファイアストンとの問題が発生する。99年から40件以上、警察に記録されていたフォードのSUV、エクスプローラーのタイヤバースト事件において、エクスプローラーにはミシュラン製のタイヤも供給されていたにも関わらず、当時フォード本社のCEOであったジャック・ナッサーはファイアストンの技術的欠陥だと主張したことに対し、ファイアストンがフォードを提訴。この訴訟はファイアストンの圧勝で終わり、フォードは多額の賠償金を支払う羽目になる。当然、この訴訟の引き金となる発言をしたナッサーは解雇された。後任のCEOには、フォード家出身のウィリアム・フォードが就任する。
実はフォード家自体は多額の資金が必要なF1活動に反対しており、ナッサーが15年に渡りフォード家の反対を押し切ってF1活動を続けてきたものであった。そのナッサー失脚がフォード撤退の決定的な要因となる。パーネルが採用したテクニカルディレクターのマーク・ギラン博士は、限られた予算の中でマシンを作ったものの、デトロイト本社の首脳の気持ちを変えることはできなかった。結局2004年9月17日、フォードのモータースポーツ部門のプレミア・オートモーティブ・グループの代表であったリチャード・パリー・ジョーンズがジャガー撤退を発表。後にジャガー・レーシング本体はレッドブルに売却され、レッドブル・レーシングとなる。共にレースエンジン製作の老舗コスワース・エンジニアリングとレース用電子システムなどを製作するPIリサーチも売却された。最後までビッグ・キャット(ジャガーの愛称)とブルーオーバル(フォードの愛称)は、ワークスとしての勝利を挙げることはできないまま、F1を去った。
ダイヤモンド紛失事件編集
2004年のモナコGPでは、ワーナー・ブラザースのスポンサーにより映画『オーシャンズ12』カラーのマシンを走らせた。PRの目玉として、フロントノーズにイスラエルのダイヤモンドメーカーシュタインメッツ社の時価25万ドルの同社製“ピンクダイヤモンド”(en)を埋め込んで出走したが、クリスチャン・クリエンの駆るマシンが1周目のロウズヘアピンでクラッシュ。壊れたフロントノーズはレース中コース脇に撤去されていたが、後でチームが回収するとダイヤが無くなっていた。
フォーミュラE参戦時代編集
電気自動車によるフォーミュラ世界選手権「フォーミュラE」に、2016年-17年シーズンより参戦開始。ウィリアムズF1からの支援、さらに日本企業パナソニックをタイトルスポンサーに迎え、「パナソニック・ジャガー・レーシング(Panasonic Jaguar Racing)」のチーム名で登録。ドライバーはミッチ・エバンスとアダム・キャロル、リザーブドライバーにはホーピン・タンを起用[2]。マシン名は「Jaguar I-Type 1」。戦績は、第4戦メキシコE-Prixで初ポイントを獲得。年間の総合順位では最下位に終わった。
キャロルに代わり元F1ドライバー ネルソン・ピケJr.を起用[3]。マシンは「Jaguar I-Type 2」。戦績は、開幕第2戦の香港E-Prixでエバンスが3位入賞を果たし、初の表彰台を獲得。最下位だった昨シーズンから躍進し、年間総合で6位。両ドライバーも年間ランキング10位以内に入った。
昨シーズンのドライバーラインナップを継続。マシンは第2世代シャシー“Gen2”を採用した「Jaguar I-Type 3」[4]。ピケJrが、第6戦の三亜E-Prixを最後に降板。次戦からの新ドライバーにアレックス・リンを起用した第7戦ローマE-Prixにて、エバンスによるチーム初優勝を飾った[5]。
WECで活躍しているジェームス・カラドを起用し、リンはリザーブドライバーとして残留する。マシンは「Jaguar I-Type 4」。エバンスが第4戦のメキシコE-Prixにてキャリア2勝目を飾るが、後半戦は不振に終わってしまう。一方、カラドはベルリンE-Prix4レース目でWECに途中参戦するために降板し、トム・ブロンクビストが残りのレースに参戦する。年間総合は前シーズンと同じ7位。
ヴァージンに在籍していたサム・バードを起用[6]。第2戦ディルイーヤE-Prixのレース2で移籍初の優勝を飾る[7]。シーズン成績は、これまでの最高位となる2位を記録した。
戦績編集
F1(2000年 - 2004年)編集
年 | シャシー | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | ポイント | ランキング |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000年 | ジャガー・R1 | コスワース・CR-2 | B | AUS | BRA | SMR | GBR | ESP | EUR | MON | CAN | FRA | AUT | GER | HUN | BEL | ITA | USA | JPN | MAL | 4 | 9位 | ||
エディ・アーバイン | Ret | Ret | 7 | 13 | 11 | Ret | 4 | 13 | 13 | Inj | 10 | 8 | 10 | Ret | 7 | 8 | 6 | |||||||
ルチアーノ・ブルティ | 11 | |||||||||||||||||||||||
ジョニー・ハーバート | Ret | Ret | 10 | 12 | 13 | 11 | 9 | Ret | Ret | 7 | Ret | Ret | 8 | Ret | 11 | 7 | Ret | |||||||
2001年 | ジャガー・R2 | コスワース・CR-3 | M | AUS | MAL | BRA | SMR | ESP | AUT | MON | CAN | EUR | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | USA | JPN | 9 | 8位 | ||
エディ・アーバイン | 11 | Ret | Ret | Ret | Ret | 7 | 3 | Ret | 7 | Ret | 9 | Ret | Ret | DNS | Ret | 5 | Ret | |||||||
ルチアーノ・ブルティ | 8 | 10 | Ret | 11 | ||||||||||||||||||||
ペドロ・デ・ラ・ロサ | Ret | Ret | Ret | 6 | 8 | 14 | 12 | Ret | 11 | Ret | 5 | 12 | Ret | |||||||||||
2002年 | ジャガー・R3 | コスワース・CR-4 | M | AUS | MAL | BRA | SMR | ESP | AUT | MON | CAN | EUR | GBR | FRA | GER | HUN | BEL | ITA | USA | JPN | 8 | 7位 | ||
エディ・アーバイン | 4 | Ret | 7 | Ret | Ret | Ret | 9 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 6 | 3 | 10 | 9 | |||||||
ペドロ・デ・ラ・ロサ | 8 | 10 | 8 | Ret | Ret | Ret | 10 | Ret | 11 | 11 | 9 | Ret | 13 | Ret | Ret | Ret | Ret | |||||||
2003年 | ジャガー・R4 | コスワース・CR-5 | M | AUS | MAL | BRA | SMR | ESP | AUT | MON | CAN | EUR | FRA | GBR | GER | HUN | ITA | USA | JPN | 18 | 7位 | |||
マーク・ウェバー | Ret | Ret | 9 | Ret | 7 | 7 | Ret | 7 | 6 | 6 | 14 | 11 | 6 | 7 | Ret | 11 | ||||||||
アントニオ・ピッツォニア | 13 | Ret | Ret | 14 | Ret | 9 | Ret | 10 | 10 | 10 | Ret | |||||||||||||
ジャスティン・ウィルソン | Ret | Ret | Ret | 8 | 13 | |||||||||||||||||||
2004年 | ジャガー・R5 | コスワース・CR-6 | M | AUS | MAL | BHR | SMR | ESP | MON | EUR | CAN | USA | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | CHN | JPN | BRA | 10 | 7位 | |
マーク・ウェバー | Ret | Ret | 8 | 13 | 12 | Ret | 7 | Ret | Ret | 9 | 8 | 6 | 10 | Ret | 9 | 10 | Ret | Ret | ||||||
クリスチャン・クリエン | 11 | 10 | 14 | 14 | Ret | Ret | 12 | 9 | Ret | 11 | 14 | 10 | 13 | 6 | 13 | Ret | 12 | 14 |
フォーミュラE(2016年 - )編集
年 | マシン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | ランク |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016–17 | Jaguar I-Type 1 | M | HKG | MAR | BNA | MEX | MON | PAR | BER | NYC | MTL | 27 | 10位 | ||||||||
20 | ミッチ・エバンス | Ret | 17 | 13 | 4 | 10 | 9 | Ret | 17 | Ret | Ret | 7 | 12 | ||||||||
47 | アダム・キャロル | 12 | 14 | 17 | 8 | 14 | 15 | 14 | 16 | 10 | 11 | 16 | 14 | ||||||||
2017–18 | Jaguar I-Type 2 | M | HKG | MAR | STI | MEX | PDE | RME | PAR | BER | ZRH | NYC | 119 | 6位 | |||||||
3 | ネルソン・ピケJr. | 4 | 12 | 4 | 6 | 4 | Ret | Ret | Ret | 12 | Ret | Ret | 7 | ||||||||
20 | ミッチ・エバンス | 12 | 3 | 11 | 7 | 6 | 4 | 9 | 15 | 6 | 7 | Ret | 6 | ||||||||
2018–19 | Jaguar I-Type 3 | M | ADR | MAR | STI | MEX | HKG | SNY | RME | PAR | MON | BER | BRN | NYC | 81 | 7位 | |||||
3 | ネルソン・ピケJr. | 10 | 14 | 11 | Ret | Ret | Ret | ||||||||||||||
アレックス・リン | 12 | Ret | 8 | Ret | 7 | Ret | 16 | ||||||||||||||
20 | ミッチ・エバンス | 4 | 9 | 6 | 7 | 7 | 9 | 1 | 16 | 6 | 12 | 2 | 2 | 17 | |||||||
2019–20 | Jaguar I-Type 4 | M | ADR | STI | MEX | MAR | BER | BER | BER | 81 | 7位 | ||||||||||
20 | ミッチ・エバンス | 10 | 18 | 3G | 1G | 6 | 14 | 12 | 9 | 7 | 7 | 11 | |||||||||
51 | ジェームス・カラド | 16 | 7 | 8 | DSQ | 16 | 16 | 20 | Ret | 17 | |||||||||||
トム・ブロンクビスト | 12 | 17 | |||||||||||||||||||
2020–21 | Jaguar I-Type 5 | M | DIR | RME | VLC | MON | PUE | NYC | LDN | BER | BER | 177 | 2位 | ||||||||
10 | サム・バード | Ret | 1 | 2 | Ret | DSQ | 14 | 7 | Ret | 12 | 9 | 1G | Ret | Ret | Ret | 7 | |||||
20 | ミッチ・エバンス | 3 | Ret | 3 | 6 | Ret | 15 | 3 | 8 | 9 | Ret | 13 | 14 | 3 | 3 | Ret | |||||
2021–22 | Jaguar I-Type 5 | M | DIR | MEX | RME | MON | BER | JAK | NYC | LON | SEO | 13 | 7位* | ||||||||
9 | ミッチ・エバンス | 10 | 21 | 19 | |||||||||||||||||
10 | サム・バード | 4 | 15 | 15 |
ギャラリー編集
F1(2000年 - 2004年)
フォーミュラE(2016年 - )
脚注編集
- ^ http://www.f1fanatic.co.uk/wp-content/uploads/2008/03/jaguar_shang_2004_470313.jpg
- ^ “英ジャガー、「パナソニック・ジャガー・レーシング」としてフォーミュラE参戦”. インプレス (2016年9月9日). 2019年4月17日閲覧。
- ^ “フォーミュラE:ジャガーが“Gen2”マシン『I-タイプ3』発表。パワートレインを内製”. オートスポーツweb (2018年9月20日). 2019年4月17日閲覧。
- ^ “【フォーミュラE】 ネルソン・ピケJr. ジャガーへの移籍が決定”. F1-gate.com (2017年9月22日). 2019年4月17日閲覧。
- ^ “フォーミュラE 第7戦ローマE-Prix、パナソニック・ジャガー・レーシングのミッチ・エヴァンスが初優勝”. Webモーターマガジン (2019年4月15日). 2019年4月17日閲覧。
- ^ “フォーミュラE:サム・バードが今シーズン限りでヴァージンを離脱。2021年はジャガーに移籍”. オートスポーツweb (2020年7月15日). 2020年7月17日閲覧。
- ^ “フォーミュラE第2戦を制したのはジャガーのバード。5位フィニッシュのキャシディにはペナルティ”. オートスポーツweb (2021年2月28日). 2021年2月28日閲覧。