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ジャガー・レーシングJaguar Racing)は、イギリスのモータースポーツ・レーシングチームおよびコンストラクター。母体は同国の自動車ブランド「ジャガー」。

ジャガー
イギリスの旗 Jaguar Logo Text.png
国籍 イギリスの旗 イギリス
本拠地 イングランドの旗 イングランド
オックスフォードシャー州グローブ
チーム代表 ガード・マウザー(チェアマン)
ジェームズ・バークレー(チームディレクター)
関係者 クレイグ・ウィルソン(レースディレクター)
ニック・ロジャース(CEO
活動期間 2016年 -
カテゴリ フォーミュラE
チームズ
タイトル
0
ドライバーズ
タイトル
0
公式サイト jaguar-racing
備考 優勝回数 1(2019年4月時点)
2018年-19年のフォーミュラE
エントリー名 パナソニック・ジャガー・レーシング
Panasonic Jaguar Racing
レーサー 20. ニュージーランドの旗 ミッチ・エバンス
3. ブラジルの旗 ネルソン・ピケJr.
3. イギリスの旗 アレックス・リン
マシン Jaguar I-Type 3
タイヤ ミシュラン
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2000年から2004年までF1に参戦。2016年からフォーミュラEにて、「パナソニック・ジャガー・レーシング(Panasonic Jaguar Racing)」のチーム名で参戦している。

目次

概要編集

1999年、米国の自動車メーカー「フォードは、活動を支援してきたジャッキー・スチュワート率いるスチュワート・グランプリを買収し、同社傘下のジャガーブランドで2000年からF1参戦を開始した。そのマシンは往年のナショナルカラーのブリティッシュ・レーシング・グリーンを纏い、「ビッグキャット」と呼ばれたジャガーのデザインが描かれた。

2004年の最終戦では、各チームで恒例となっている全スタッフによる記念撮影が行なわれたが、チームの売却先が決まっていないタイミングでの撮影であったため、「FOR SALE」のプラカードが掲げられていた[1]

F1参戦時代編集

ジャガー(F1)
   
エントリー名 Jaguar Racing F1 Team
ジャガー・レーシング F1チーム
チーム国籍   イギリス
チーム本拠地   イングランド
バッキンガムシャー州ミルトン・キーンズ
主なチーム関係者 リチャード・パリー・ジョーンズ(CEO
ウォルフガング・ライツレ(元CEO)
ボビー・レイホール(元CEO、元代表)
トニー・パーネル(代表)
ニール・レスラー(元代表)
デヴィッド・ピッチフォース(マネージングディレクター)
ジョン・ラッセル(チーフエンジニア、テクニカルディレクター)
ギュンター・シュタイナー(チーフエンジニア)
マルコム・オーストラー(チーフエンジニア)
ゲイリー・アンダーソン(テクニカルディレクター)
スティーヴ・ニコルズ(テクニカルディレクター)
マーク・ギラン(テクニカルディレクター)
ベン・アガサンジェルー
ニキ・ラウダ(アドバイザー)
ジャッキー・スチュワート(元スチュワート・グランプリ代表)
主なドライバー   エディ・アーバイン
  ジョニー・ハーバート
  ルチアーノ・ブルティ
  ペドロ・デ・ラ・ロサ
  マーク・ウェバー
  アントニオ・ピッツォニア
  ジャスティン・ウィルソン
  クリスチャン・クリエン
以前のチーム名称 スチュワート・グランプリ
撤退後 レッドブル・レーシング
F1世界選手権におけるチーム履歴
参戦年度 2000 - 2004
出走回数 85
優勝回数 0
通算獲得ポイント 49
表彰台(3位以内)回数 2
F1デビュー戦 2000年オーストラリアGP
最後のレース 2004年ブラジルGP
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2000年編集

ドライバーはエディ・アーバインジョニー・ハーバート。前年ランキング4位、フェラーリでドライバーズランキング2位に輝いたアーバインの加入など注目を集めたが、前年度の好成績が嘘のように低迷。ポイントはアーバインが稼いだ4ポイントのみ。ハーバートはノーポイントに終わった。アーバインは途中オーストリアGPを欠場し、テストドライバーのルチアーノ・ブルティが出走する。 ランキングは9位。

2001年編集

アーバインは残留、前年限りで引退したハーバートに代わりブルティがレギュラーに昇格した。しかし、ブルティがスペインGPからプロストに移籍。代わりにプロストでテストドライバーを務めていたペドロ・デ・ラ・ロサを起用した。アーバインがモナコGPで表彰台に上がったが他には特に目立った活躍はできず、ランキングは8位に終わった。

2002年編集

 
表彰台に上がった唯一のドライバー アーバイン乗車のR3

アーバインとデ・ラ・ロサのコンビを継続。アーバインはイタリアGPで表彰台に上がるなどし、8ポイントを獲得。デ・ラ・ロサはノーポイントに終わった。ランキングは7位。

2003年編集

ドライバーを一新し、前年ミナルディで好走したマーク・ウェバーをエースに迎え入れる。セカンドシートは新人のアントニオ・ピッツォニア。ウェバーは特に予選で高パフォーマンスを見せ、コンスタントに入賞する。ピッツォニアは苦戦を続け、遂にドイツGP前に解雇。ミナルディよりジャスティン・ウィルソンを迎え入れる。身長185cm(ウェバー)と192cm(ウィルソン)という大柄コンビとなった。ウェバーは17ポイントを獲得しドライバーズランキング10位、ピッツォニアはノーポイント、ウィルソンはアメリカGPで1ポイントを獲得した。ランキングは変わらず7位。

2004年編集

ウェバーは残留、もう1つのシートは新人のクリスチャン・クリエンマレーシアGPではウェバーがフロントローを獲得。クリエンも序盤は新人らしくアグレッシブな走りで好走したものの、両者ポイントにはなかなか届かず。それでもウェバーは7ポイント、クリエンは3ポイントを獲得しランキング7位はキープした。この年を最後にジャガーとしての活動に幕を降ろす。

備考・補足編集

参戦当初編集

参戦当初、ジャガー・レーシングのチーム代表にはニール・レスラーが就任した。レスラーは、友人であったボビー・レイホールマネージングディレクターとして据えた。

レイホール時代編集

レスラーは、2000年で引退し、2001年からレイホールがチーム代表兼CEOに就任した。この年の6月、ジャガーのテクニカルディレクターとして、レイホールは友人であったエイドリアン・ニューウェイ(当時マクラーレンメルセデス在籍、現在レッドブル・レーシング在籍)と契約したものの、ニューウェイが在籍していたマクラーレン・メルセデスのチーム代表ロン・デニスに説得され、ジャガー入りを翻意したというこの事件で、レイホールは失脚。また、この頃テクニカルディレクターだったニコルズもチームを離脱しており、代役をチーフ・エンジニアであるジョン・ラッセル[要曖昧さ回避]が務めた。

ラウダ加入と怪人事編集

レイホールに代わり、2002年からはウォルフガング・ライツレが事実上の責任者となる。この時点で、ジャガー・レーシング内部からアメリカ陣営は撤収。ヨーロッパ組が全指揮を執ることとなる。ライツレは、親しかったニキ・ラウダをチーム代表に据え、レイホールをアメリカに戻すという口実で、ラリー部門出身のギュンター・シュタイナー(レッドブル・レーシング テクニカルディレクター、NASCARのレッドブルチーム(2007年から2011年まで参戦)のテクニカルディレクターを経て、現在は2016年から参戦しているハースF1チームのチーム代表)を技術部門のトップに据えた。しかし、2002年半ば、フォードはジャガー・レーシングをデトロイト本社の傘下に戻すことを決定。ライツレはあえなく解雇されてしまう。また、ラウダもこの時の不可解な人事によってシュタイナーと共に解雇されている。ちなみにこの時ラウダはフォード本社に問い合わせても全くコンタクトが取れず、自分の解雇をニュースで知ったという有様だった。この解雇が原因で、ラウダは相当なイギリス人嫌いになったという。また、この時のラウダの"置き土産"となったのが、アントニオ・ピッツォニア(ジャガー→ウィリアムズ第3ドライバー)である。

撤退までの混迷編集

ライツレの後任には、リチャード・パリー・ジョーンズが就任。早速ジョーンズはフォード傘下でレース用の電子システムなどを手がけるPIリサーチから、辣腕として知られていたトニー・パーネルをチーム代表に、デビッド・ピッチフォースをマネージングディレクターとして招聘。改革に着手する。しかし、極端な予算削減を本社から言い渡されたチームは、2003年2月のバルセロナ・テストの最中に120名ものスタッフを突如解雇した。さらにこの時はテストを途中で切り上げさせ、チームを強引にイギリスへ戻している。この結果、チームは30%強もの人材を失ってしまう。さらに、パフォーマンス条項を理由にシーズン途中でピッツォニアを解雇。スポンサーから資金援助を受けているために、サラリーが発生しないジャスティン・ウィルソンミナルディから獲得する。ピッツォニアは、もともとラウダが契約したということで目の敵にされていたという。

さらにこの頃フォード本社でもファイアストンとの問題が発生する。99年から40件以上、警察に記録されていたフォードのSUVエクスプローラータイヤバースト事件において、エクスプローラーにはミシュラン製のタイヤも供給されていたにも関わらず、当時フォード本社のCEOであったジャック・ナッサーはファイアストンの技術的欠陥だと主張したことに対し、ファイアストンがフォードを提訴。この訴訟はファイアストンの圧勝で終わり、フォードは多額の賠償金を支払う羽目になる。当然、この訴訟の引き金となる発言をしたナッサーは解雇された。後任のCEOには、フォード家出身のウィリアム・フォードが就任する。

実はフォード家自体は多額の資金が必要なF1活動に反対しており、ナッサーが15年に渡りフォード家の反対を押し切ってF1活動を続けてきたものであった。そのナッサー失脚がフォード撤退の決定的な要因となる。パーネルが採用したテクニカルディレクターのマーク・ギラン博士は、限られた予算の中でマシンを作ったものの、デトロイト本社の首脳の気持ちを変えることはできなかった。結局2004年9月17日、フォードのモータースポーツ部門のプレミア・オートモーティブ・グループの代表であったリチャード・パリー・ジョーンズがジャガー撤退を発表。後にジャガー・レーシング本体はレッドブルに売却され、レッドブル・レーシングとなる。共にレースエンジン製作の老舗コスワース・エンジニアリングとレース用電子システムなどを製作するPIリサーチも売却された。最後までビッグ・キャット(ジャガーの愛称)とブルーオーバル(フォードの愛称)は、ワークスとしての勝利を挙げることはできないまま、F1を去った。

ダイヤモンド紛失事件編集

2004年モナコGPでは、ワーナー・ブラザースのスポンサーにより映画『オーシャンズ12』カラーのマシンを走らせた。PRの目玉として、フロントノーズにイスラエルダイヤモンドメーカーシュタインメッツ社の時価25万ドルの同社製“ピンクダイヤモンド”(en)を埋め込んで出走したが、クリスチャン・クリエンの駆るマシンが1周目のロウズヘアピンでクラッシュ。壊れたフロントノーズはレース中コース脇に撤去されていたが、後でチームが回収するとダイヤが無くなっていた。

フォーミュラE参戦時代編集

2016年-17年

電気自動車によるフォーミュラ世界選手権「フォーミュラE」に、2016年-17年シーズンより参戦開始。ウィリアムズF1からの支援、さらに日本企業パナソニックをタイトルスポンサーに迎え、「パナソニック・ジャガー・レーシング(Panasonic Jaguar Racing)」のチーム名で登録。ドライバーはミッチ・エバンスアダム・キャロル、リザーブドライバーはホーピン・タンを起用[2]。マシン名は「Jaguar I-Type 1」。戦績は、第4戦メキシコE-Prixで初ポイントを獲得。年間の総合順位では最下位に終わった。

2017年-18年

アダム・キャロルに代わり元F1ドライバー ネルソン・ピケJr.を起用[3]。マシンは「Jaguar I-Type 2」。戦績は、開幕第2戦の香港E-Prixでミッチ・エバンスが3位に入賞し初の表彰台。最下位だった昨シーズンから躍進し、年間総合で6位。両ドライバーも年間ランキング10位以内に入った。

2018年-19年

昨シーズンのドライバーラインナップを継続。マシンは第2世代シャシー“Gen2”を採用した「Jaguar I-Type 3」[4]。ネルソン・ピケJrが、第6戦の三亜E-Prixを最後に降板。次戦からの新ドライバーにアレックス・リンを起用した第7戦ローマE-Prixにて、ミッチ・エバンスによるチーム初優勝を飾った[5]

戦績編集

F1(2000年 - 2004年)編集

マシン エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 ポイント ランキング
2000 R1 コスワース・CR-2 B AUS BRA SMR GBR ESP EUR MON CAN FRA AUT GER HUN BEL ITA USA JPN MAL 4 9位
エディ・アーバイン Ret Ret 7 13 11 Ret 4 13 13 Inj 10 8 10 Ret 7 8 6
ルチアーノ・ブルティ 11
ジョニー・ハーバート Ret Ret 10 12 13 11 9 Ret Ret 7 Ret Ret 8 Ret 11 7 Ret
2001 R2 コスワース・CR-3 M AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR FRA GBR GER HUN BEL ITA USA JPN 9 8位
エディ・アーバイン 11 Ret Ret Ret Ret 7 3 Ret 7 Ret 9 Ret Ret DNS Ret 5 Ret
ルチアーノ・ブルティ 8 10 Ret 11
ペドロ・デ・ラ・ロサ Ret Ret Ret 6 8 14 12 Ret 11 Ret 5 12 Ret
2002 R3 コスワース・CR-4 M AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR GBR FRA GER HUN BEL ITA USA JPN 8 7位
エディ・アーバイン 4 Ret 7 Ret Ret Ret 9 Ret Ret Ret Ret Ret Ret 6 3 10 9
ペドロ・デ・ラ・ロサ 8 10 8 Ret Ret Ret 10 Ret 11 11 9 Ret 13 Ret Ret Ret Ret
2003 R4 コスワース・CR-5 M AUS MAL BRA SMR ESP AUT MON CAN EUR FRA GBR GER HUN ITA USA JPN 18 7位
マーク・ウェバー Ret Ret 9 Ret 7 7 Ret 7 6 6 14 11 6 7 Ret 11
アントニオ・ピッツォニア 13 Ret Ret 14 Ret 9 Ret 10 10 10 Ret
ジャスティン・ウィルソン Ret Ret Ret 8 13
2004 R5 コスワース・CR-6 M AUS MAL BHR SMR ESP MON EUR CAN USA FRA GBR GER HUN BEL ITA CHN JPN BRA 10 7位
マーク・ウェバー Ret Ret 8 13 12 Ret 7 Ret Ret 9 8 6 10 Ret 9 10 Ret Ret
クリスチャン・クリエン 11 10 14 14 Ret Ret 12 9 Ret 11 14 10 13 6 13 Ret 12 14

フォーミュラE(2016年 - )編集

マシン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 P ランク
2016–17 Jaguar I-Type 1 M HKG MAR BNA MEX MON PAR BER NYC MTR 27 10位
20   ミッチ・エバンス Ret 17 13 4 10 9 Ret 17 Ret Ret 7 12
47   アダム・キャロル 12 14 17 8 14 15 14 16 10 11 16 14
2017–18 Jaguar I-Type 2 M HKG MAR SAN MEX PDE ROM PAR BER ZRH NYC 119 6位
3   ネルソン・ピケJr. 4 12 4 6 4 Ret Ret Ret 12 Ret Ret 7
20   ミッチ・エバンス 12 3 11 7 6 4 9 15 6 7 Ret 6
2018–19 Jaguar I-Type 3 M ADR MAR SAN MEX HKG SNY ROM PAR MON BER BRN NYC
3   ネルソン・ピケJr.
  アレックス・リン
20   ミッチ・エバンス

ギャラリー編集

F1(2000年 - 2004年)

フォーミュラE(2016年 - )

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集