生稲晃子

日本の歌手・政治家

生稲 晃子(いくいな あきこ、1968年昭和43年〉4月28日 - )は、日本政治家自由民主党所属の参議院議員(1期)。元女優タレント[4]・歌手[5]。女性アイドルグループおニャン子クラブ及び派生ユニットうしろ髪ひかれ隊の元メンバーで[5]、会員番号は40番[6]

生稲 晃子
いくいな あきこ
生年月日 (1968-04-28) 1968年4月28日(55歳)
出生地 日本の旗 日本東京都世田谷区
出身校 恵泉女学園短期大学英文科
前職 アイドル
女優
タレント
現職 参議院議員
所属政党 自由民主党安倍派→無派閥)
配偶者

選挙区 東京都選挙区
当選回数 1回
在任期間 2022年7月26日 - 現職
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いくいな あきこ
生稲 晃子
プロフィール
生年月日 1968年4月28日
現年齢 55歳
出身地 日本の旗 日本東京都[1]
血液型 B型
公称サイズ(1988年1月[2]時点)
身長/体重 158 cm / 44 kg
BMI 17.6
スリーサイズ 78 - 56 - 83 cm
活動
デビュー 1986年6月13日[3]
ジャンル アイドル歌謡曲J-POP
所属グループ おニャン子クラブ/うしろ髪ひかれ隊
配偶者 佐山智洋
他の活動 女優・タレント
事務所 プロダクション尾木
レーベル ポニーキャニオン
主な出演作 テレビドラマ
キッズ・ウォー』シリーズ
暴れん坊将軍VIIVIII
主な楽曲 麦わらでダンス
アイドル: テンプレート - カテゴリ

所属事務所プロダクション尾木。株式会社田谷 社外取締役[7]。本名:佐山晃子[8]

来歴 編集

生い立ち 編集

1968年(昭和43年)4月28日東京都世田谷区の都立母子保健院にて生まれる[9]。幼少期は世田谷に住んでいた。幼稚園は小金井教会幼稚園[10]。地元のジュニアサッカーチーム「小金井フットボールクラブ」に所属し、全国大会優勝した時のメンバーである[11]

小金井市立小金井第三小学校小金井市立緑中学校→私立吉祥女子高等学校恵泉女学園短期大学英文科卒業[12]。高校は芸能活動禁止であったが、「トップの成績を維持すること」と「大学を受験する事」の2つを条件に芸能活動が特別に許可された[13]

デビュー 編集

1984年、『第9回ホリプロタレントスカウトキャラバン』の賞金(優勝者本人に100万円、推薦者に50万円)に惹かれ、兄を推薦者にして「もし優勝したら150万円山分けしようという事で」応募したことが発端[14]。3次落選となったものの、ホリプロの系列モデル事務所からスカウトされて所属することになり[15]マクドナルドのCMや中1~中3コース、カメラ雑誌等に出演。カメラ小僧相手の撮影会では水着姿を披露していた[16]。(それ以前にも、アイドル雑誌ザ・シュガーの「今月のセーラー服美人」というコーナーで紹介記事が計3ページにわたって掲載されている)[17][注 1]

1986年3月、「これでダメなら大学受験に向けた勉強に専念しよう」と決めて『タッチ』ヒロイン・浅倉南のイメージガールを選ぶ「Soda Fountainミス南コンテスト」に出場[18]。原作者のあだち充が生稲を推したこともあり大会関係者から「たぶん優勝は君になる」と優勝内定を知らされていたが、生稲が事務所に所属していることが問題となり、発表当日になってこの話は流れてしまった[15][注 2]。このとき居合わせたキャニオン・レコードの関係者から「おニャン子クラブのオーディションを受けてみますか?」と声を掛けられる[19]。優勝内定から一転、落選したショックから直ぐに次に繋がる話に飛びつく思考に切り替えることが出来ず、即答は避けて一旦保留とする返答のみをして帰宅した。

おニャン子クラブのファンだった兄はオーディションの話に乗り気だったが、当の生稲本人は「何で売れるの?普通の子じゃない。」と当初はおニャン子をあまり好意的に見ていなかった[20]。兄がおニャン子の『セーラー服を脱がさないで』のレコードを嬉しそうに買ってきた際は、「何つーものを買うのよ」と怒る程だった[21]

二の足を踏んでいた生稲であったが、当時生稲がファンだった「トシちゃんのレコードをあげるから」とキャニオン関係者から言われたため、ためしに受けてみる事になった[15]。また「(夕やけニャンニャンに出演時は)時給5千円」の一言にも魅力を感じたという[22]

おニャン子入りと大学受験 編集

1986年6月、『夕やけニャンニャン』内のオーディションコーナーで合格し、1986年6月13日に、おニャン子クラブの会員番号40番としてデビュー[3]。10月、渡辺満里奈のデビュー曲「深呼吸して」で工藤静香と共に「with おニャン子クラブ」としてバックコーラスで参加[23]。11月1日、おニャン子クラブの6枚目のシングル「恋はくえすちょん」で、メインボーカルとしてフロント4人の中に入る[24]。12月、ローソンからあげクンのCMに単独で出演[25]。おニャン子クラブ4枚目のアルバム『SIDE LINE』に収録されている「ハートに募金を」がBGMとして使用される[注 3][26]。デビュー以降多くのファンを獲得し、当時のおニャン子クラブにおいてトップの人気を誇った"W渡辺"(渡辺美奈代・渡辺満里奈)の間に割って入る存在とされた[27]

高校での成績は優秀だったものの、芸能活動をしているという理由で大学入試の際に学校からの推薦が得られなかった。1987年になると、芸能活動を控え、『夕やけニャンニャン』にも約1ヶ月ほど出演せず受験勉強に専念した。1987年4月に恵泉女学園短期大学(英文科)に入学。

受験を終えて芸能活動を再開。新ユニットうしろ髪ひかれ隊のメンバーに工藤静香・斉藤満喜子と共に抜擢される[28]

1987年5月7日、『うしろ髪ひかれ隊』は『時の河を越えて』でレコードデビュー[29]。同曲及びc/w『うしろ髪ひかれたい』は、アニメハイスクール!奇面組』の主題歌とエンディング曲に起用された。1987年5月18日付のオリコンシングルヒットチャートで初登場第1位を獲得[30]。音楽番組にも多く出演し、順風満帆なスタートを切った。これを期に、メンバー3人揃って芸能プロダクション「プロダクション尾木」に移籍。

おニャン子解散・うしろ髪活動休止 編集

もともと生稲は長く芸能活動を続ける意向は強くなく、将来的に堅実な学校教諭になる道を考えていた。そのため学業を疎かにせず、大学進学後も意欲的に講義を受けていた[31]。『うしろ髪ひかれ隊』としての活動はおニャン子クラブの活動終了とともに終える青写真であり、同時に芸能界も引退する心積もりであった。しかし、スタッフの「やめようと思っていたけど、売れたんでこのまま続けるから」の一言で、1987年9月20日のおニャン子クラブ解散後も「うしろ髪」としての活動は続行された[32]

それだけにおニャン子解散時の精神状態は不安定であった。解散特番のラジオの終盤では夕ニャンのスタッフに「もう「深呼吸して」は3人じゃ歌えないんだな…」としみじみ言われたことを涙ながらに語っていたが、聞き役の渡辺満里奈に叱責され、我に返っていた。

おニャン子クラブ解散後も、うしろ髪ひかれ隊として各種メディアへの出演や地方キャンペーン、コンサートなど多方面に活動をしてきたが、1988年5月をもって活動を休止する[33][34]

ソロアイドル時代 編集

1988年5月21日に『麦わらでダンス』(フジテレビ系放映アニメ『ついでにとんちんかん』主題歌)でソロデビュー[35][36]。オリコン週間チャート8位[37]となり、『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』『夜のヒットスタジオ』にも出演するなど自身最大のヒット曲となる。7月にはフジテレビ系ドラマ『あそびにおいでョ!』で連続ドラマに初出演[38]。アイドル誌の表紙やグラビア特集の他、写真集も出版するなどグラビアアイドルとしても活動した。9月リリースのセカンドシングル『Virgin少年に接吻を』がオリコン週間チャート9位に入る[37]。11月にはスタジオ・アルバム『「生稲」De-Dance』がオリコンアルバムチャート11位となった他[39]日本青年館大阪厚生年金会館にて初のソロ・コンサートも開催する[40]

1989年4月、初単独パーソナリティ番組、ニッポン放送生稲晃子 デートはこれから』開始[41]。7月、恵泉女学園短期大学を卒業[42]。8月にはセカンドアルバム『日本「生稲」紀行』リリース。このアルバムを引っさげて、サマー・コンサート・ツアー(1989年8月16日 - 8月28日、全国8ヶ所)を開催した[43]。またフジテレビ系ドラマ『ゴメンドーかけます』に出演[44]

女優・タレントとして 編集

90年代以降は女優として多数のテレビドラマや映画、舞台に出演。タレントとしてもバラエティ番組などで活動した。1996年にはセミヌード写真集も出版している。

2001年4月、永らく所属していたプロダクション尾木より独立。女優としてCBC制作のドラマ『キッズ・ウォー』シリーズに長く主演したほか、テレビ朝日の人気時代劇暴れん坊将軍』にはVIIシリーズからVIIIシリーズ第1話は魚屋兼岡引・おぶん、VIIIシリーズ第2話から800回スペシャルは江戸町火消しめ組の頭長次郎(山本譲二)の妻・おぶんとして出演していた。古典芸能に造詣を持ち、NHKの『日本の古典芸能』『芸能花舞台』の司会も務めた(毎回和服姿で番組を進行)。

2003年にCM制作会社プロデューサー・佐山智洋と結婚(結婚後、鉄板焼き店経営)。2005年10月、妊娠していることが判明、「思っていたよりつわりがひどかった」とのこと。2006年3月に第1子(長女)を出産。

2006年からは芸能事務所・株式会社ポートレーブに所属。家事の都合や子育てに支障が出ないスケジュールを組んでもらい、主に女優やレポーターなどの仕事を中心にしていた。テレビ朝日系『ちい散歩』や『三波豊和の日本が元気です[45]』等司会やレポーターの仕事を中心に活動。

2009年よりプロダクション尾木に復帰。2010年7月、ハートフルライフカウンセラー学院[46] にて学び、心理カウンセラーとして活動を始める[注 4]

その後、日本推進カウンセラー協会認定の認知行動療法士の資格を取得した。

2010年9月、AKB48Team Ogiが開催した音楽イベント「Team Ogi祭り」に城之内早苗らとゲスト出演。『麦わらでダンス』を当時の衣装、ダンスとともに披露した。

がんとの闘い 編集

2011年3月、42歳の時にがん発覚。4月28日、43歳の誕生日に乳がんの告知を受ける。(正式な告知を受けたのは2011年4月28日)。5月6日に腫瘍のある部分を切除する乳房温存手術を受け、放射線照射と薬による治療を続けた。2012年の夏、再発が判明。がんのできた部分を切除する再手術を受ける。2013年10月に3度目の切除手術、同年12月27日に右胸の全摘手術を受けた。2015年10月27日、右乳房の再建手術を受ける。同年11月、自らのがんを公表[47]

2016年9月26日、「働き方改革実現会議」の有識者委員に選出される[48]

2019年9月29日に行われた「ピンクリボンフェスティバル」において、これまで5回にわたる手術歴の事や闘病生活を乗り越えられた「家族と2人の"ママ友"」の存在を語った[49]

2022年参議院議員選挙 編集

2022年1月21日、東京都選挙区(改選数6)の参議院議員の中川雅治が、同年夏の第26回参議院議員通常選挙に立候補しない意向を固めたことが明らかとなった[50]。中川の「安倍派枠」を守るべく、安倍晋三の2人の側近、自民党都連会長の萩生田光一、党参議院幹事長の世耕弘成が中心となって候補者選びが行われた[51]。現職の朝日健太郎と支持層が重ならないよう、党は複数の女性のアナウンサーやキャスターに打診するが、いずれも断られた。「タレント候補を選ぶべきでない」として都議会議員を推す声も上がったが[51]、萩生田はこれを斥け、2007年11月3日付の党の機関紙『自由民主』で対談した生稲に白羽の矢を立てた。生稲は「働き方改革実現会議」の有識者委員を務めていた頃、当時官房副長官だった萩生田に見初められたとも言われている。後継候補は「安倍派案件」と呼ばれた[52][53][54]

同年3月30日、生稲を擁立する方向で自民党が調整していることをメディアが報道[55]。4月6日、党は東京都選挙区の公認候補として生稲を擁立すると正式に発表した[56][57]。生稲の選挙対策本部長は下村博文が務めた[58]。下村と同様に安倍晋三の最側近と言われた萩生田光一[59][60]は6月18日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の票を確実なものとするため、生稲を連れて萩生田の地元である八王子市の教団施設を訪問した(後述[61]

同年6月22日、参院選公示。生稲は有楽町駅前で第一声を挙げ、安倍晋三も生稲の隣で第一声を挙げた。安倍はこの日、立川市でも生稲の応援演説を行った[62][63]。朝日健太郎は2016年の選挙において菅義偉官房長官の全面支援を受けて初当選しており、東京都選挙区は安倍、菅にとって、どちらの票が上回るか、参院選後の求心力維持と拡大のため負けられない選挙区とみなされていた。安倍は朝日陣営に配慮し、朝日の最初の演説会場である新宿駅西口に応援に駆け付けたが、安倍派が生稲に戦力を大きく注いでいることは明らかであった[64][65]

同年6月30日、自民党本部で、生稲と、比例区から立候補した今井絵理子の決起大会が開催。同大会に日本音楽事業者協会日本音楽制作者連盟コンサートプロモーターズ協会日本音楽出版社協会の音楽業界4団体の代表らが訪れ激励し、今井と生稲に対する支持を表明した[66]

同年7月9日、銀座四丁目交差点で選挙戦最後の街頭演説が行われた。生稲は、安倍がこの日、生稲の応援演説に駆けつける予定だったことを明かした。萩生田は「亡くなられた安倍晋三元総理が最後に見いだした国会議員の候補が、生稲晃子さんです。私たちはその思いに応えていきたい」と訴えた[67]。7月10日、投開票。朝日健太郎は得票数1位で再選を果たし、生稲は得票数5位で初当選した[68]。雇用主を失った安倍の公設秘書は、生稲の公設秘書となった[69]

政策・主張 編集

憲法 編集

  • 憲法改正について、2022年のNHK、毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答[70][71]
  • 9条への自衛隊の明記について、2022年のNHK、日本テレビのアンケートで「賛成」と回答[70][72]
  • 憲法を改正し緊急事態条項を設けることについて、2022年のNHK、東京新聞のアンケートで「賛成」と回答[70][73]

外交・安全保障 編集

  • 敵基地攻撃能力を持つことについて、2022年の毎日新聞社、日本テレビのアンケートで「賛成」と回答[72][71]。同年のNHKのアンケートで回答しなかった[70]
  • 日本の防衛力をさらに強化することについて、2022年の日本テレビのアンケートで「賛成」と回答[72]
  • 普天間基地辺野古移設について、2022年の毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答[71]
  • 非核三原則についてどう考えるかとの問いに対し、2022年のNHKのアンケートで回答しなかった[70]
  • ロシアは2022年2月24日、ウクライナへの全面的な軍事侵攻を開始した[74]。日本政府が行ったロシアに対する制裁措置についてどう考えるかとの問いに対し、2022年のNHKのアンケートで回答しなかった[70]
  • 2022年6月7日、政府は経済財政運営の指針「骨太方針」を閣議決定した。NATO加盟国が国防費の目標としている「GDP比2%以上」が例示され、防衛力を5年以内に抜本的に強化する方針が明記された[75]。「防衛費を今後どうしていくべきだと考えるか」との問いに対し、2022年のNHKのアンケートで回答しなかった[70]
  • 徴用工訴訟問題慰安婦問題などをめぐり日韓の対立が続くなか、関係改善についてどう考えるかとの問いに対し、2022年の毎日新聞社のアンケートで「韓国政府がより譲歩すべきだ」と回答[71]

ジェンダー 編集

  • 選択的夫婦別姓制度の導入について、2022年の毎日新聞社のアンケートで、選択肢以外の回答をした[71]。同年のNHK、日本テレビのアンケートで回答しなかった[70][72]。同年の東京新聞のアンケートで、選択肢から回答を選ばなかった[76]
  • 同性婚を可能とする法改正について、2022年の毎日新聞社のアンケートで「反対」と回答[71]。同年のNHK、日本テレビのアンケートで回答しなかった[70][72]
  • クオータ制の導入について、2022年のNHK、日本テレビのアンケートで回答しなかった[70][72]

その他 編集

  • アベノミクスについて、2022年の毎日新聞社のアンケートで「当面は継続すべきだ」と回答[71]
  • 原子力発電への依存度を今後どうするべきか」との問題提起に対し、2022年のNHKのアンケートで回答しなかった[70]
  • 選挙のインターネット投票について、2022年の日本テレビのアンケートで回答しなかった[72]
  • 岸田文雄首相の政権運営をどの程度評価するか」との問いに対し、2022年のNHKのアンケートで回答しなかった[70]
  • 小池百合子都知事の都政運営をどの程度評価するか」との問いに対し、2022年のNHKのアンケートで回答しなかった[70]
  • 新型コロナウイルスの感染症法上の扱いを結核など2類と同等の現行の対応を維持するべきか、インフルエンザなど5類と同等に緩和するべきか」との問いに対し、2022年の東京新聞のアンケートで、選択肢から回答を選ばなかった[77][注 5]
  • 富裕層や大企業への課税強化について、2022年の毎日新聞のアンケートで「反対」と回答[79]。一方、同年の朝日新聞のアンケートでは「どちらかと言えば賛成」と回答した[80][81]。また、同年のNHKのアンケートでは回答しなかった[70]

統一教会との関係 編集

  • 2022年6月16日、世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)の関連団体「世界平和連合」の多摩東京事務局長は教団信者ら数百人が登録されているLINEグループに以下のメッセージを投稿した。メッセージにある『S』は「選挙を意味する」と信者はのちに説明している[82][83][84]
6月18日(土)八王子家庭教会において、Sの応援激励会を午前10時開場、10時30分より開会(終了は午後12時30分予定)で行います。現在この取組は摂理の中心です。これは、必ず勝利しなくてはらない内容です。多くの皆さんのご理解とご参加をお願い致します。
2022年の参院選に際し、生稲は公示前から連日、各地を飛び回り街頭演説を行っていた。Twitterに告知された同年6月18日の演説スケジュールは以下のとおりであった[85]
時刻 場所 自治体
11時30分 八王子駅南口 八王子市
13時45分 多摩センター駅 多摩市
16時30分 町屋駅 荒川区
17時15分 LaLaテラス南千住 荒川区
17時55分 日暮里駅 荒川区
八王子駅南口での演説を終えたあと、生稲は、同席していた自民党東京都連会長の萩生田光一に連れられ、八王子市子安町の統一教会の施設「八王子家庭教会」に向かった。八王子家庭教会には150人ほどの信者らが集まった。司会者は期日前投票に行くことなどを求め、生稲と萩生田の入場を告げると、教会は拍手に包まれた。信者は『巨人の星』の替え歌で「行~け行~け~晃子~、どんと行け~」と激励。生稲は目頭を押さえ、萩生田は生稲の支援を要請した。二人は30分ほど滞在した[82][83][84][61]
  • 上記の八王子教会訪問は長く伏せられていたが、同年8月16日、新潮社の情報サイト「デイリー新潮」がスクープする形で世に明らかとなった[61]。17日、生稲は事務所を通して、訪問を認め、八王子駅前の街頭演説の際に、聴衆から「他にも仲間が集まっているので話を聞かせてもらいたい」との依頼があり、より多くの方に政策を聞いていただきたいという思いでスタッフが判断した、と訪問の経緯を説明した。18日、萩生田は記者団の取材に応じ、「関係者のご縁で、ご指摘の施設を訪問することになりました。お名前はちょっとわからないんですけど、八王子の子安町にある施設でありまして、そこを生稲さんと訪問しました」「突発的な日程に候補者(生稲)も不慣れだったため、現場にいた私も同行した」と答えた[86][87][88]。八王子家庭教会の教会長を務めた人物は、統一教会伝道教育局の副局長に昇進しており、2020年2月7日には長女が文鮮明の孫の文信興と「祝福結婚」していた[89]。八王子教会は萩生田の古巣でもあり、訪問は集票という点で大きな意味があったとされる[90]
  • 2022年7月から8月にかけて、共同通信社は、全国会議員712人を対象に、統一教会との関わりを尋ねるアンケートを実施。8月31日に各議員の回答の全文を公表した。「旧統一教会またはその友好・関連団体等から選挙活動への支援、協力を受けたことはあるか」「行事、会合、集会等に出席したことはあるか」との問いに対し、生稲はいずれも「ない」と回答した[91][92]

支援団体 編集

人物 編集

芸能関連 編集

  • 中学時代は50メートル競走を6.8秒で走るなど運動には自信があり、1980年代中盤まで正月恒例の『新春オールスター大運動会』の短距離走で、いつも活躍する石川秀美と競走してみたいと思っていたという。この大運動会は、所属レコード会社ごとに組分けして対決する形式で行なわれていたので、出場するためにはレコードデビューをしなければならないと思っていたことも、芸能界に入りたかった理由のひとつとして挙げている。しかし、実際に自らがレコードデビューを果たした時には、この形式の大運動会は企画が終了してしまった直後であったため、出場は叶わなかった[94]
  • 前述の理由でレコードデビューしたいと思ってはいたものの、歌唱力そのものには自信がなく、「うしろ髪の3人で一番ヘタなのが私なので、私のソロパートは必ず1番じゃなくて2番にあるんです。それだとTVで歌う時には(TVサイズでは2番は歌わないので)私はソロパートが無くても済むので」と語っていた[95]。ソロデビューが決まった際は嬉しさの反面不安で泣いたこともあったが、レコーディングやコンサートを開く中で次第に自信が付き[96]、「こんな妙な声は自分しか居ないんだし、ヘタでも自分らしく歌えればいいやって」と思うようになったという[97]
  • アイドル時代には、「いくいな」にちなんで「1917」という表記がグッズなど様々な形で使われることがあった。1917年はロシア革命の年であるため、「ロシア革命、1917(いくいな)」という語呂合わせが成立する[98]。『夕やけニャンニャン』内でも紹介され、ドランクドラゴンのコントの中でも使われている。
  • TIMレッド吉田が『内村プロデュース』内で、「友達の友達が生稲晃子!」というフレーズを独特のイントネーションで発する(NO PLANのアルバム内の一曲『内P"COCO JAPAN"Remix』にレッドの「生稲晃子!」が収録されている)。
  • ソロ・デビュー曲「麦わらでダンス」の替え歌が、1988年にプロ野球広島東洋カープに在籍していた、ランスアレン応援歌に使われている。また他のプロ野球選手や高校野球JリーグFC東京の応援ソング等でも、長年同曲の替え歌として使用されていた。
  • 仲が良かったおニャン子メンバーとしてよく名前を挙げるのは、立見里歌永田ルリ子白石麻子高畠真紀など。ほかに芸能界では島崎和歌子小林千絵などと仲が良いと公言したことがある[99][100]
  • 血液型は生まれてから不明であったが、1986年11月24日の日本テレビ『歌のトップテン』におニャン子クラブの一員として出演した際に血液検査され、B型と判明した。
  • 「生稲」という苗字を「いくいな」と正しく読まれたことが少なかったという。デビュー後も雑誌や記事などで、間違ったルビを付けられることが多かったという。

作品 編集

シングル 編集

発売日 タイトル 収録曲 オリコン最高位
ポニーキャニオン
1st 1988年5月21日 麦わらでダンス 8位
2nd 1988年9月21日 Virgin少年に接吻を 9位
3rd 1989年1月25日 ファンファーレが聴こえる 15位
4th 1989年5月24日 Japanese Girl 23位
5th 1989年9月27日 忘れたいのに 39位
- 1989年11月21日 あっこのX'mas Calendar 91位
6th 1990年3月7日 日曜日はいらない 48位
7th 1991年2月21日 LUNA Great 93位
ダブリューイーエー・ジャパン
8th 1995年6月10日 ファンキーララバイ

デュエットシングル 編集

名義 発売日 タイトル 収録曲 オリコン最高位
日本クラウン
地井武男/生稲晃子 2008年10月8日 Oh!散歩日和

アルバム 編集

オリジナルアルバム 編集

発売日 タイトル 収録曲 オリコン最高位
ポニーキャニオン
1st 1988年11月21日 「生稲」De-Dance 11位
2nd 1989年8月2日 日本「生稲」紀行 33位
2008年7月16日 日本「生稲」紀行 + シングルコレクション

ベストアルバム 編集

発売日 タイトル 収録曲 オリコン最高位
ポニーキャニオン
1st 2002年7月17日 Myこれ!クション 生稲晃子BEST
2nd 2007年8月17日 生稲晃子 SINGLESコンプリート
3rd 2010年4月21日 Myこれ!Lite 生稲晃子

タイアップ曲 編集

楽曲 タイアップ 収録作品
麦わらでダンス フジテレビ系放映アニメ『ついでにとんちんかん』オープニングテーマ シングル「麦わらでダンス
夢に逢いたい フジテレビ系放映アニメ『ついでにとんちんかん』エンディングテーマ シングル「麦わらでダンス」
LUNA Great オリジナル・ビデオ・アニメーション魔獣戦士ルナ・ヴァルガー』エンディングテーマ シングル「LUNA Great」
ファンキーララバイ 日本女子サッカーリーグ シロキFCセレーナ チームイメージソング シングル「ファンキーララバイ」
Oh!散歩日和 テレビ朝日系『ちい散歩』エンディングテーマ シングル「Oh!散歩日和」

おニャン子クラブのメインボーカル曲 編集

  • 恋はくえすちょん
  • あんみつ大作戦
  • 雨のメリーゴーランド
  • ハートに募金を
  • 誰のせいかな
  • ワンサイド・ゲーム
  • シンデレラのシューズ
  • 雨のあやとり
  • 風の物語

うしろ髪ひかれ隊のソロ曲 編集

  • 素敵なモーニングドライブ
  • マーマレードの黄昏

写真集 編集

  • キャシュリナの伝説 (1989年)
  • Off White (1990年)
  • Shade (1993年)
  • Solitude (1995年)

著書 編集

出演 編集

テレビドラマ 編集

映画 編集

オリジナルビデオ 編集

バラエティ 編集

その他のテレビ番組 編集

  • 芸能花舞台( - 2006年2月、NHK教育テレビ
    • アナウンサーの古谷敏郎とのコンビで進行役。この番組では和服姿で臨月ぎりぎりまで出演したが、出産直前に降板。
    • 古谷が直後、松山局へ異動となったため、そのまま完全降板した。なお、古谷はその後、東京に異動し、現在、芸能花舞台の司会を担当している。なお、2010-2011年の正月番組「こいつぁ春から〜初芝居生中継〜」で、再び、古谷と司会進行を務めている。
  • ちい散歩(2007年4月 - 2012年5月、テレビ朝日) - スタジオMC、「商店街散歩 生稲がいく」、通販コーナーMC。
  • 若大将のゆうゆう散歩(2012年5月 - 2015年9月、テレビ朝日) - 通販コーナーMC
  • 生稲晃子のひかりバラエティ(インターネットテレビ&掲示板連動型casTY

ラジオ 編集

CM 編集

舞台 編集

  • がしんたれ(1994年7月 - 8月)
  • 浪花恋ごよみ(1996年1月、帝国劇場
  • 雪の夢 花のゆめ(1996年11月、明治座
  • 付馬屋おえん〜恋は未練よ紅牡丹〜(1996年12月、明治座)
  • 裸足で散歩(1997年9月、六本木俳優座劇場)
  • 雪の花見小路(1998年1月、名鉄ホール
  • 劇団若獅子公演・宮本武蔵(1999年8月)
  • 天翔ける虹〜長州を破った男〜(1999年11月、明治座)
  • 人生はガタゴト列車に乗って(2000年2月、帝国劇場)
  • 北大路欣也特別公演・赤ひげ(2000年9月、御園座ほか)
  • 佐久間良子特別公演・女の一生(2000年11月、芸術座ほか)
  • 喜劇ちょっといい女(2002年6月、名鉄ホール)
  • 西郷輝彦40周年記念公演・江戸を斬る(2003年10月、明治座)
  • 吉本人情喜劇 花より大好き★夢絵巻(2004年5月 - 6月、名鉄ホール)

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脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 生稲の兄がカメラに一枚だけ残っていたフィルムで撮影した写真を当該コーナーに応募したところ、採用となったとされる。 『あっこの兄 コーナー! 第三回 身内にアイドルをもった心境 前編』「ORICON WEEKLY」 1989年5月15日号p26
  2. ^ 優勝者となったのは浅倉亜季。コンテストからの帰路は、ショックでずっと泣きながら帰宅した。
  3. ^ CM用に生稲のみのボーカルアレンジ
  4. ^ 大場久美子も同校の卒業生。
  5. ^ 生稲は理由欄に「新型コロナは致死率や重症化率が高く、さらなる変異の可能性もあり、5類にすると、入院措置をはじめ健康状態の報告・把握、外出自粛等の要請ができなくなります。今後の状況等を踏まえつつ、適切に対応していきます」と綴った。この文章が、読点の数と語尾以外、同じく東京都選挙区の自民党候補者の朝日健太郎の回答と同一であったため、ネットで話題となり、メディアも記事に取り上げた[77][78]
  6. ^ 1994年1月30日(第681回)放送分にゲスト出演し、司会の土居まさるには指名の際「アッコ」と呼ばれていた。

出典 編集

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参考文献 編集

外部リンク 編集