名家 (諸子百家)

中国の諸子百家の1つ

名家(めいか)は、古代中国戦国時代を中心に活動した諸子百家の一派。主な人物に恵施公孫龍がいる[1]弁者辯者)、弁士辯士)、察士とも呼ばれる[2]

人間の言葉についての思索(言語哲学)を背景に、「白馬は馬ではない」(白馬非馬)、「亀は蛇より長い」(亀長於蛇)、「鶏は三本足」(鶏三足)、「今日に行って昨日着く」(今日適越而昔来)[3]などの奇怪な学説を説いた。また、政治哲学として非戦論や君主の心得を説くこともあった。

秦漢以後は埋もれた学派だったが、明治期の日本や民国初期の中国において、西洋の哲学論理学パラドックスと類似視されて以来、再評価されるようになった。しかしながら、現存する文献が乏しい等の理由から、思想の詳細については諸説ある。

道家荘子儒家荀子墨家墨弁雑家黄老思想等と縁が深い。特に『荘子』は、名家への言及を多く含むため、現在名家を知る上で必須の情報源になっている。

人物・書物編集

「名家」という呼称は、漢代に書かれた『史記[4]や『漢書芸文志諸子百家の分類の由来になった図書目録)が後から与えた呼称である[5]。それらより前に書かれた『荘子』天下篇(諸子百家の学説誌的な篇)では、名家にあたる学派は「弁者」と呼ばれていた[6]。また「弁士」「察士」と呼ばれることもあった[2]

『漢書』芸文志によれば、名家の書物は以下の七冊(七家三十六篇)が漢代当時に存在した[7][8]

  1. 鄧析』二篇 - 春秋末期の鄧析に帰される。
  2. 尹文子』一篇 - 尹文に帰される。
  3. 公孫龍子』十四篇 - 公孫龍に帰される。
  4. 『成公生』五篇 - 秦代成公生中国語版に帰される。
  5. 『恵子』一篇 - 恵施に帰される。
  6. 『黄公』四篇 - 秦代の黄疵中国語版に帰される。
  7. 『毛公』九篇 - 公孫龍と同時代の毛公に帰される。

このうち現存するものは、『公孫龍子』六篇、『鄧析子』二篇、『尹文子』二篇、以上の三冊十篇である。ただし、現存の『鄧析子』と『尹文子』は、後世の仮託・偽書の疑いがある。また、その内容から名家ではなく雑家法家に分類されることもあり[9][10]、その場合は『公孫龍子』が唯一現存する名家ということになる。

名家の人物は以上に挙げた七人以外にもいる。例えば『荘子』天下篇や『列子』仲尼篇によれば、桓団(別表記: 韓檀)という人物が、公孫龍と同時代の名家の中心人物とされる[11]。また例えば、『韓非子』外儲説左上篇では、兒説というの弁者に「白馬非馬」が帰される[12]。またある書物では、田巴というの弁士に名家の学説が帰される[注釈 1]。またある書物では、綦毋子という人物が公孫龍の門徒にいたとされる[注釈 2]

そのほか、『隋書経籍志などの後世の図書目録では、三国時代劉劭人物志』のような、人材品評術の書物も名家の書物とみなされる[16][17]。しかしながら、内容的には戦国時代の名家とほぼ関係ない[18]

なお、20世紀後半から21世紀初頭には、馬王堆帛書郭店楚簡上博楚簡といった新出文献が相次いで発見されており、諸子百家の大半はそれらの新出文献により研究が進んでいる[19]。しかしながら、名家に関する新出文献は特に発見されていない。ただし、後述の黄老思想(刑名思想)や生成論の「名」の思想に関しては、むしろ豊富に発見されている[20]

他の諸子百家との関係編集

雑家・法家編集

名家は雑家と重なる部分が大きい。上述のように、『尹文子』と『鄧析子』は、現代では雑家に分類されることもある[9]。あるいは、その『尹文子』の雑家的な思想、すなわち黄老思想(刑名思想)を含む「名」の政治思想が「後期名家の思想」と呼ばれることもある[21]。また、雑家の書物の『呂氏春秋』(とりわけ審応覧の諸篇[7])や『淮南子』には、名家の学説や逸話が記録されている。

名家は法家と重なる部分も大きい。『鄧析子』は法家に分類されることもある[10]。また、『尹文子』では「名」と「法」の両字が重要な術語として扱われている[22]清代章学誠は主著『校讐通義』で、名家と法家の二家は相通ずると考察している[23]

荘子・墨子・宋子・荀子編集

名家は道家の『荘子』と深く関わる。『荘子』は複数の章(主に万物斉同を説く章)で、名家の学説と似た表現を用いている[24]。また、恵施は『荘子』に度々登場し、荘周の友人あるいは好敵手として描かれている。また、恵施の著作は完全に散逸したが、『荘子』天下篇にその学説が記録されているおかげで、恵施の思想は現在に伝わっている。一方で、公孫龍は『荘子』秋水篇において、「井の中の蛙」として嘲笑的に描かれている[25]。しかし他方で、その秋水篇にも登場する道家の魏牟中国語版公子牟)は、『列子』仲尼篇において、公孫龍の学説を弁護している[26]

名家は墨家の『墨子』とも深く関わる。墨家が「兼愛」「非攻」といった博愛主義平和主義を説いたのと同様に、恵施や公孫龍もまた「氾愛」「兼愛」「偃兵」といった博愛主義・平和主義を説いたという[27][28][注釈 3]。また、『墨子』墨弁には、名家の術語や学説と似た表現が頻繁に出てくる[30]

名家は小説家宋子(宋銒)とも深く関わる。『荘子』天下篇では、尹文は弁者ではなく宋銒の学派(宋尹学派)に分類される。その上で、その宋尹学派もまた平和主義(「禁攻寝兵」)を説いたとされる[29]

名家は儒家の『荀子』とも深く関わる。『荀子』は複数の篇で、恵施と鄧析を奇説・邪説を説く者達、あるいは「」にそむく者達として非難している[31]。とりわけ『荀子』正名篇では、名家や宋銒の学説を邪説として非難すると同時に、荀子自身の学説を述べている[32]

その他編集

名家は縦横家張儀とも関わる。張儀は恵施と論争して勝った人物とされる[33]。具体的には、張儀がに仕えていた時、魏の宰相だった恵施との間で、外交政策をめぐる論争が起こった。張儀が連衡策を背景にとの開戦論を説いたのに対し、恵施は非戦論(上記の「偃兵」)を説いた。最終的に、張儀の開戦論が多数派の支持を得たため、恵施は魏を去ることになった[33]。その際、恵施は魏の君主に諫言的な発言をしている[34]。(出典: 『韓非子』内儲説上篇、『戦国策』魏策一)

名家は陰陽家鄒衍とも関わる。鄒衍は公孫龍と論争して勝った人物とされる[35]。具体的には、鄒衍がを訪れた時、趙の平原君食客だった公孫龍との間で論争が起こった。鄒衍は、「辯」という営為の勝ち負けの仕組みを評価しつつも、結局は卑小な営為だとして非難した。同時に、鄒衍自身の「至道」の思想を説いて平原君の寵愛を得た。それにより、公孫龍は趙を去ることになった。(出典: 『史記』孟子荀卿列伝、平原君虞卿列伝。および『史記集解』平原君虞卿列伝に引用される逸書『別録[36][35]

孟子』は、名家との関わりは薄いが、孟軻は邪説と闘う手段として「辯」を好んだ人物だと伝えられる[37][38]。とりわけ『孟子』告子上篇では、告子との議論の中で名家や墨弁の学説と似た表現を用いている[39]。このことにちなみ、郭沫若は告子を弁者の傾向がある人物とみなしている[40]

孔子の子孫の孔穿中国語版は、『公孫龍子』跡府篇や『呂氏春秋』『列子』『孔叢子』において、「白馬非馬」などの学説をめぐって公孫龍と討論した人物として描かれる。

思想編集

名家および上記の『墨子』墨弁、『荀子』正名篇などの思想は、近代以降「名学」または「名弁」(名辯)と通称される[41][42][43]。また、「論理学」(中国論理学)と呼ばれることもあるが、これは後述の研究史の事情に由来する慣例的な呼称であり、厳密には「論理学」ではない、とする学者もいる[41][44][45]

とはいえ、少なくとも言語についての思想(言語哲学[46])ではある。その上で、知識の正しさについての思想(認識論[47]・知識論・真理論[48])でもあり、あるいは物の有り方・同一性関係等についての思想(存在論[49]形而上学)でもある。また、『公孫龍子』堅白論篇や『荀子』『墨子』の学説[注釈 4]から、視覚光学感覚器官統覚機能の理論も含むとされる[50][51]。また、『公孫龍子』通変論篇の内容から、五行説とも関わるとされる[52]。また、『公孫龍子』跡府篇で「」の評定や「殺人者死、傷人者刑」などの賞罰論を説くこと[注釈 5][53]、恵施と公孫龍はどちらも逸話が残るほどの政治家でもあること(特に恵施は宰相であること[54][55])や、上記の平和主義や黄老思想のことから、政治哲学とも無縁ではない。

しかしながら、具体的にどのような思想だったかに関しては、文献の乏しさや難解さなどの理由から、定説が無く、諸説ある[56][57]#研究史)。

21世紀初頭時点での一応の定説(教科書的な説明)は、スタンフォード哲学百科事典の記事にまとめられている[58]

術語編集

名学の主な術語としては、「名」「実()」「指」「物」「同」「異」「離」「合」「体()」「兼」[注釈 6]「位」「形」「色」「類」「蔵()」「盈」「内・外」[注釈 7]「有厚・無厚(无厚)」「」「力」「知」「正」「是」「然」「可」「此」「彼」「辯」などがある[注釈 8]。しかしながら、これら術語の意味についても諸説あり、定訳が無い。例えば「指」は、「指示対象英語版」や「指示作用」と訳されることもあれば[61]、「認識」[62]、「ゆび[注釈 9]と訳されることもある。

「名」は、名家を象徴する術語だが、名家だけの術語というわけではない[64]。例えば上記の『荀子』や『墨子』をはじめとして、他の諸子も頻繁に「名」を論じている。とりわけ、『老子』『荘子』や上博楚簡『恒先』が説く道家的な万物生成論や[20][65]馬王堆帛書黄帝四経中国語版』などが説く黄老思想において[20][66]、「名」は重要な術語として用いられている。また、『論語』で孔子は「正名」を説いており、その「正名」と関連して、儒教には名分論名物訓詁の学(経学)の伝統がある。ときには儒教そのものが「名教」と呼ばれることもある。しかしながら、以上諸々の「名」と名家の関係についても、諸説ある[注釈 10][注釈 11]

学説編集

名学の学説としては以下が伝わる。ただし、大抵の学説は箴言的な結論が伝わるのみで、論拠が伝わらない(もしくは論拠が伝わっていても、その論拠が難解である)ため、学説の意味についても諸説ある。

  • 公孫龍子』の学説。例: 白馬論篇の「白馬非馬」、堅白論篇の「堅白石」「目以火見」、指物論篇の「指非指」など
  • 尹文子』の学説。例: 「好牛・好馬・好人」など
  • 鄧析子』の学説。例: 「天於人無厚也」など
  • 荘子』天下篇で名家に帰される学説
    • 恵施に帰される10の学説。総称「歴物十事[69]または「歴物[70]。例: 「至大無外・至小無内」「大同異・小同異」「今日適越而昔来」「氾愛万物、天地一体也」など
    • 名家全般に帰される21の学説。総称「弁者二十一事[71]または「弁者二十一条[69]。例: 「火不熱」「鶏三足」「犬可以為羊」「亀長於蛇」「黄馬驪牛三」「鏃矢之疾而有不行不止之時」など
  • 上記以外の文献で名家に帰される学説。例: 『荀子』不苟篇の「鉤有須」、『列子』仲尼篇の「髪引千鈞」[注釈 12]、『説苑』善説篇の「弾之状」、『韓非子』説林下篇の「恵子曰、置猿於柙中、則与豚同」(伯楽相馬術説話で引用)[注釈 13]など
  • 墨子墨弁に出てくる学説。誰に帰されるのか判然としない。例: 経説下篇の「木与夜孰長」、小取篇の「愛弟非愛美人」「乗車非乗木」など
  • 荀子』正名篇で引用される学説。誰に帰されるのか判然としない。例: 「非而謁楹有牛馬非馬也」[注釈 14]など

複数の文献に出てくる学説もある。

  • 文献間で同じ学説。例: 『荀子』正名篇と『墨子』小取篇の「殺盗非殺人」[注釈 15]、弁者二十一条と『荀子』不苟篇の「卵有毛」など
  • 文献間で一部が異なる学説。例: 弁者二十一条の「孤駒未嘗有母」と『列子』仲尼篇の「孤犢未嘗有母」、『呂氏春秋』淫辞篇の「藏三牙」と『孔叢子』公孫龍篇の「臧三耳」[注釈 16]など。
  • 文献間で対立する学説。例: 「白馬非馬」と墨弁の「白馬馬也、乗白馬乗馬也」、弁者二十一事の「狗非犬」と墨弁の「狗犬也、而殺狗非殺犬也、可」[77]など

そのほか、様々な文献で「堅白」「堅白同異」「堅白同異之辯」「離堅白合同異[注釈 17]というフレーズが、公孫龍または名家・墨家の学説の代名詞として言及される[80]。そして実際に、「堅・白」の両字は、『公孫龍子』堅白論篇や墨弁において頻繁に論じられる[81]。ただし、名学と直接関係ない文脈で「堅・白」が論じられる例もある(『論語』陽貨篇の「仏肸召」章、『韓非子』外儲説右上篇の「夫痤疽之痛也」章、『呂氏春秋』別類篇の相剣術説話[注釈 18])。

『荀子』は複数の篇で、名家の学説や「堅白同異」を邪説として引用している。とりわけ正名篇では、上記の「殺盗非殺人」「非而謁楹有牛馬非馬也」や、宋尹学派の「見侮不辱」などの学説を、「名・実」の観点から三パターン(三惑)に分類して論駁すると同時に、荀子自身の学説(「約定俗成」「大共名・大別名」など)を述べている[32]。なお、「見侮不辱」は正論篇でも論駁される。

『荘子』は複数の篇で、名家の学説と似た表現を用いている[24]。具体的には、斉物論篇の「南郭子綦」章において「指之非指」「馬之非馬」「天地一指也、万物一馬也」「堅白之昧」、養生主篇の「庖丁」章において「刀刃者无厚」、天道篇の「士成綺」章において「呼我牛也而謂之牛」(通称「呼牛呼馬」)、秋水篇の「秋水」章において「至精無形、至大不可囲」、則陽篇の「丘里之言」章において「合異以為同、散同以為異」「指馬之百体而不得馬」といった表現を用いている[24][83]

『孟子』告子上篇では、名学と直接関係ない文脈で「白馬之白」や「吾弟則愛之、秦人之弟則不愛也」といった表現を用いている。

研究史編集

研究史に関しては、加地 2012, 坂出 1994, 曹 2017, チャン 2010, 梅 2007, Mou 2007などが詳しい。

前近代編集

約2000年間にわたり、名家の存在はほぼ忘れられていた[41]。名家の諸学説も、意味不明な奇説・邪説として受容されていた[84][85][86]。例外として、魏晋清談玄学の時代には、名家の諸学説に対する関心も高まったが、その場合も基本的には難解な学説として受容されていた(『世説新語』文学篇)[87][88]

『公孫龍子』などの文献は、『道蔵』などに収録されて辛うじて散逸を免れたものの[注釈 19]注釈書が作られることは後述の清代後期までほぼ無かった[注釈 20]。『墨子』墨弁の場合もおおよそ同様だった[90]西晋魯勝中国語版は、墨弁の注釈書を著したが、叙文だけ残して散逸してしまった[91]

一方で、『荘子』には伝統的に多くの注釈書が作られた。しかしながら、『荘子』注釈者の大半は、天下篇の名家学説を詳細に注釈する価値が無い箇所とみなしていた[92]。例えば、西晋の郭象(『荘子』注釈者の筆頭)は、天下篇の名家学説に対して「存而不論」(注釈書から削除はしないが注釈を施さない)という冷淡な態度をとっていた[93][注釈 21]。まれに天下篇の名家学説に注釈が施されることは有っても[注釈 22]、名家自体の体系的な研究に繋がることは無かった。斉物論篇の「指之非指」なども、名家と関連付けずに解釈されることが多かった[注釈 23]

名家や墨弁の体系的な研究が始まったのは、清代後期、とりわけ清代末期の光緒年間頃(1870年代から1900年代)の、兪樾孫詒譲、およびその次代の章炳麟王国維らによる、清朝考証学の手法を踏まえた諸子学においてであった。しかしながら、ちょうど時を同じくして、明治期の日本から近代的な「中国哲学」の研究手法(次節参照)が流入し始めていた。章炳麟以降の諸子学もその流れに飲み込まれた[98]。そのため結局、秦代から清代まで、伝統的な手法で名学が研究される機会はほとんど無かった。

19世紀末から編集

論理学編集

19世紀末、明治期の日本で生まれた「中国哲学」という研究分野[99][100]は、その名の通り中国に「哲学」を、すなわち中国に西洋哲学と似たものを発見し、西洋哲学の枠組みで漢籍を解釈することを名目として始まった分野である[101][102][103][104]。そのような事情から、日本では1880年頃から名家や墨弁の思想が「論理学」とみなされるようになった[注釈 24]。それに伴い、前近代までと一転して盛んに研究されるようになった[41]

「論理学」説をとった学者の代表例として、1898年以降の桑木厳翼がいる[注釈 25][109][98][110]。桑木の説は、上記の清末の章炳麟や王国維にも受容された[98][111]。民国初期(1910年代)以降は、胡適[112][113][注釈 26]梁啓超[113]郭湛波中国語版[115]らが、20世紀中期以降は譚戒甫中国語版[113][116]陳大斉中国語版[117]末木剛博[118]らが、「論理学」説を掘り下げた。

「論理学」説とは、大まかに要約すれば、西洋に無矛盾律三段論法のような西洋論理学があり、インドに三支作法のような因明インド論理学があるならば、中国にも同様の論理学が普遍的にあるべきだ、という前提のもと[119]、名学文献の中から論理学の体系として読める箇所を探し出し、『公孫龍子』白馬論篇などを推論(または論証)をしている篇として解釈する説である。

しかしながら、そのような「論理学」説をとった場合、論理学の体系として読める箇所は墨弁の一部にしか無く[注釈 27]、しかも白馬論篇などは奇怪な推論をしていることになってしまう[121]。そして何より、秦代以降はそれらの論理学が絶学になったということになる。そのような解釈結果から、「中国人は論理学の発明に失敗した」「胚胎・萌芽はあったが挫折した」「中国に論理学の伝統は無い」という見解が明治期から形成された[105]。そのような見解は、中国仏教インド仏教との対照性(主に因明の不振と禅仏教の言語観)や、中国語印欧語との対照性(文法上の時制が無い)などの見解と合わさって、「中国哲学は論理的ではない」「中国人は論理的・抽象的思惟において劣っている」(代わりに現実的思惟に優れている)というステレオタイプの形成に繋がった。そのような見解・ステレオタイプをまとめた書物として、比較思想研究の大家、中村元1948年の著書『東洋人の思惟方法』がある[122][注釈 28]。同書は1960年に英訳され、国際的に読まれた[124]。同書への批判も兼ねて名学を研究する学者も多い[125][126][127]

詭弁・パラドックス編集

以上のような「論理学」説と重なる部分が大きい説として、「詭弁」説と「パラドックス」説がある。すなわち、名家の学説は「詭弁」(英: sophism)、すなわち論理的誤謬を活用した推論である、あるいは「パラドックス」、すなわち推論によって得られる結論が奇怪なだけで推論の筋は通っている、などと説明される。そのような詭弁説・パラドックス説は、古代ギリシアソフィストソクラテス以前の哲学者小ソクラテス学派などと名家を積極的に類似視する説でもある。具体的には、プラトン対話篇ソピステス』『エウテュデモス』やアリストテレスソフィスト的論駁について』などに由来するソフィスト像やエリスティケーレートリケーの文化[128]、あるいは「飛んでいる矢は止まっている」に代表されるゼノンのパラドックス[注釈 29]、あるいは相対主義無限論・原子論一元論運動変化・語義の曖昧さ多義性)、あるいは付帯性[130]などの思想と類似視される。

そのような詭弁説・パラドックス説をとった学者として、上記の桑木厳翼[109]や、同時期の遠藤隆吉[109][131]アルフレッド・フォルケドイツ語版[132][133][134][注釈 30]らがいる。このうちフォルケの説は狩野直喜に採用されている[133][136]。フォルケは特に「白馬非馬」について、アンティステネスあるいはソフィスト全般に帰される「教養あるコリスコス」と「コリスコス」の区別という学説[137]や、同語反復以外の命題はすべて誤りという学説[137][注釈 31]を持ち出して、これらと同じ主旨の学説だと解釈している[133]

詭弁説の大半は同時に、上記の前近代の受容史や『荀子』に由来する名家のイメージ、すなわち奇説・邪説を説いたというイメージを踏襲する説でもある[109]。そのような詭弁説においては、『荀子』正名篇は名家の詭弁を批判して「正しい論理学」を打ち立てようとした篇である、としばしば説明される[109]。桑木の論理学説は、そのような意味での詭弁説の要素も持っていた[109]

一方で、胡適はそのような詭弁説をとらず、「卵有毛」は生物進化論に通じる科学的な学説である、などと解釈していた[114]

なお、プラトン対話篇では上記の他にも、「正名」や「約定俗成」と紐つけて『クラテュロス』と類似視されることもある[139][140]

20世紀中期から編集

概念実在論編集

20世紀中期以降、以上のような論理学説(または詭弁説・パラドックス説)を踏襲しつつ拡張または改訂して、いくつかの新説が提唱されるようになった。

そのような新説の筆頭として、1930年代馮友蘭による「概念実在論」説がある[141][142]。ここでいう「概念実在論」は、「実念論」「普遍論争における実在論」「普遍者実在論」「プラトンイデア論」などとも言い換えられる。この説によれば、「白馬非馬」というときの「馬」という字は、日常的な意味での horse を指すのではなく、horsenessuniversal of horseness(馬概念・馬性・馬の普遍者・馬のイデア)などと翻訳されるべき抽象的な概念を指す字であり、諸子はそのような概念の有り方や有無について論じているのだとされる[143]

馮友蘭の概念実在論説に近い説として、成中英中国語版馮耀明らの説がある[143][注釈 32]。日本においても、加地伸行[145]浅野裕一[146]らの説がある。ただし、左に挙げた学者間でも細部の解釈は異なる[143][147]。例えば、馮友蘭や浅野裕一は公孫龍を実念論者だとしているが[142][146]、加地伸行は公孫龍を実念論に反対した唯名論者だとしている[145]

とりわけ加地伸行は、上記の経学(名物訓詁の学)などの通史的伝統との接続を試みて[148]、東アジアには普遍論争に似た「名実論争」の伝統があった、とする精神史的な仮説を提唱している[149][注釈 33]。この加地の説は後述の「意味」説の要素も持つ。

メレオロジー編集

馮友蘭の概念実在論説を否定する形で提唱されたのが、「メレオロジー」説である[143][49]。すなわち、諸子の思想は概念の実在についてではなく、「部分と全体の関係」(part-whole relation)についての思想なのだとされる[152][153]。メレオロジー説は、1970年代以降のチャド・ハンセン(Chad Hansen, 陳漢生)とA.C.グレアム英語版の二人に帰され、アンヌ・チャンらに支持されている[154]

メレオロジー説は、西洋思想との類似性よりも、古典中国語古代漢語)の語彙の用例に論拠を置く。すなわち、術語の「体」と「兼」は、古典中国語において「部分」と「全体」という意味で広く用いられており、そのことを主な論拠としている[155][153]。したがって、この説を採用すれば、普遍論争のような西洋哲学史の枠組みを持ち出す必要がない。仮に普遍論争を持ち出すとしても、諸子は全員唯名論者とみなされる[156][153]。その上で、「白馬非馬」を含む難解な文の多くに、整合的な解釈を与えることができる[157]

ハンセンはそのようなメレオロジー説を主張するにあたって、分析哲学のトピックや方法論を積極的に援用したことでも知られる[157][注釈 34][注釈 35]

意味・自然言語の問題編集

以上のような概念実在論説とメレオロジー説の対立と併行して、別の切り口から論理学説を改訂する新説も提唱された。とりわけ多いのが、体系的な論理学でも抽象的な哲学でもなく、日常的な言語活動特有の問題についての思想とする説である[164]。こちらの説を採った場合も、諸子は全員唯名論者とみなされる[156]

例えば、言葉の「意味英語版」とは何か、という問題に関する思想とする説がある。すなわち、広義の意味論[165](意味の理論)、ソシュール記号論[166][167]フレーゲ意義と意味[167]オグデンリチャーズ意味の意味英語版』の意味の三角形英語版[168]などに近い思想であるとされる。言い換えれば、「白馬」や「馬」という言葉の意味、言葉の指示対象英語版、言葉と物(世界にある物)との対応関係、言葉同士の異同の関係などについての思想とされる[169][164]。上記の加地伸行の説は、こちらの説の要素も部分的に持つ[165]

また例えば、自然言語に根ざした論証とする説、すなわち、古典中国語特有の言い回しや曖昧さ多義性)等に根ざした論証とする説[170]や、論証ではなく文脈意図ありきの日常的発話のようなものとする説[171]使用と言及の区別英語版のようなものとする説[172][173]などがある。

その他編集

20世紀の名学研究は以上に挙げた以外にも、王琯中国語版郭沫若[174]高亨中国語版沈有鼎中国語版[175]銭穆牟宗三[117]龐朴中国語版楊寛[176]ニーダム[177]赤塚忠[178]池田知久[179]宇野精一[180]大浜晧[181]高田淳[182]武内義雄[183]宮崎市定[184][185]らの研究がある。

20世紀には、ヘーゲルまたはマルクス主義の枠組みによって名学を解釈する研究も多かった。すなわち、「弁証法論理学」「唯心論唯物論」などの図式に当て嵌めて解釈する研究も多かった[186]。21世紀現代では、そのような解釈は中国内外で退潮している[187][188]

20世紀末から編集

1980年代頃からは、ここまでに述べた諸説が入り乱れた状態が続いており、特に進展は無い[注釈 36]。ただし、名家の外堀を埋めるような研究が進展している。具体的には、新出文献の発見をきっかけとする、黄老思想や生成論の「名」の研究[20]既述)や、諸子研究の方法論methodology)の問題をめぐる議論[189][190][191]が進展している。

方法論の問題とは、例えば、諸子を西洋哲学の枠組みに当て嵌めて解釈して良いのかという問題[189][192][193]、古典中国語をどのように翻訳するべきかという問題[194][191](例えば「有」「非」などの字と英語印欧語be動詞存在動詞との対応関係の問題[195])、解釈におけるプリンシプル・オブ・チャリティーの問題[191]Q.スキナーポーコックら西洋思想史学のケンブリッジ学派の議論を踏まえた中国思想史の叙述方法の問題[196][197][198]などである。そのほか、上記のステレオタイプの一因になった、中国語と印欧語の対照性の通念をめぐる議論も進展している[199][173]

関連項目編集

参考文献編集

日本語編集

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日本語以外・翻訳編集

外部リンク編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 太平御覧』巻385等に引用される逸書魯仲連子[13][7]
  2. ^ 史記集解』平原君虞卿列伝に引用される逸書『別録』等[14][15]
  3. ^ 「偃兵」は、名家の術語というわけではなく、「非戦」「休戦」を意味する一般的な語である[29]
  4. ^ 『公孫龍子』堅白論篇の「目以火見」「神」、『荀子』天論篇や正名篇の「天官」、『墨子』墨弁の「目以火見」「五路」など
  5. ^ 「殺人者死、傷人者刑」は、名家と直接関係ない文脈で『荀子』や『墨子』にも出てくる。
  6. ^ 「兼」は、名学とは別に、『墨子』の兼愛思想や『荀子』の国家論でも術語として用いられている。そちらの用法の意味についても諸説ある[59]
  7. ^ 「内・外」は、名学とは別に、いわゆる「仁内義外説」、すなわち『孟子』告子上篇や郭店楚簡『六徳』『語叢一』などの思想でも術語として用いられている。そちらの用法の意味についても諸説ある[60]
  8. ^ その他、後述の論理学説を採る場合は、墨弁冒頭の「故」「大故」「小故」なども重要な術語とみなされる。
  9. ^ その場合、「指非指」や「指之非指」という学説は、親指人差し指と五本指全体の関係についての学説と解釈される[62][63]。なお、『孟子』告子上篇に出てくる「無名之指」は、大抵の訳注で「薬指」と解釈される。
  10. ^ 例えば後述するように、加地伸行は名学と経学の接続を試みている[67]
  11. ^ 例えば後述の胡適は、孔子の「正名」を論理学的な営為として解釈している。そのような胡適の「正名」解釈は、21世紀現代では批判の対象になっている[68]
  12. ^ 墨弁や『列子』湯問篇に似た表現が出てくる[72]
  13. ^ 金谷治の『韓非子』訳注によれば、訳は「猿もおりの中にいれられたのでは、豚と同じだ[73]」で、「適材適所」のような意味の学説として引用されている。なお、この学説とほぼ同じ文が『淮南子』俶真訓にあるが、「恵子曰」が付かない。意味は上記の『韓非子』と同じ[74]
  14. ^ 『荀子』楊倞注は、「非而謁楹有牛」「馬非馬也」で切って、前者は意味不明、後者は「白馬非馬」と同旨とする[75]荻生徂徠は楊倞注に従いつつ、「楹有牛」を『荀子』不苟篇の「丁子有尾」「鉤有須」と紐つける[75]。一方で、孫詒譲は楊倞注と異なり、「有牛馬非馬」で切って墨弁の「牛馬非牛」と紐付ける[75]
  15. ^ 「盗人を殺すことは人を殺すことではない」
  16. ^ 後者に従って前者の「牙」を「耳」に改める場合もある[76]
  17. ^ 馮友蘭は、公孫龍を「離堅白学派」、恵施を「合同異学派」とする学派分類を提唱したが[78]、この学派分類を否定する学者もいる[79]
  18. ^ 相剣術とは、中国剣の鑑定術のことで、上記の相馬術とともに「術数学」の下位分野にあたる[82]
  19. ^ 『公孫龍子』の文献問題については加地 2012浅野 2003が詳しい。
  20. ^ 現存最古の『公孫龍子』注として、北宋謝希深中国語版の注が現存しているが、『四庫提要』や狩野直喜に酷評されており[89]、積極的に参照する学者も少ない。
  21. ^ 郭象『荘子』注の同箇所などによれば、郭象が生きた時代には、名家学説と同様の「名理」をめぐる議論(「辯名析理」)が盛んになっていた[94][93]。郭象はそのような議論に対して、距離を置く態度をとっていた[93]
  22. ^ 例えば成玄英中国語版や『経典釈文』所引の司馬彪注では注釈を施している[95]。また日本では、江戸時代後期の中井履軒が『荘子雕題』で注釈を施している[96]
  23. ^ 例外として、北宋の陳景元中国語版は、『南華真経章句音義』の中で、斉物論篇と名家の関連性を指摘して、同書の付録『南華真経余事雑録』に『公孫龍子』を抄録している[97]
  24. ^ 詳細な経緯は坂出 1994が詳しい。坂出によれば、明治10年代から20年代には、鈴木唯一西周千頭清臣松本文三郎蟹江義丸といった、主に西洋哲学畑の学者たちによって、論理学・詭弁・パラドックスと名学が類似視された[105]。これに対し、同時期の中国哲学畑の学者たち(藤田豊八服部宇之吉ら)は、名学に対して「解釈不可能」という立場を取っていた[106]。しかしながら、明治30年代の桑木厳翼(後述)を転換点として、中国哲学畑の学者たち(服部宇之吉・高瀬武次郎牧野謙次郎小柳司気太ら)もそのような類似視を容認するようになった[107]
  25. ^ 1898年(明治31年)の「荀子の論理説」、および1900年(明治33年)の「支那古代論理思想発達の概説」[108]
  26. ^ 1917年のコロンビア大学博士論文The Development of the Logical Method in Ancient China (漢題『先秦名学史』)と、1919年の『中国哲学史大綱』[114]
  27. ^ 「墨弁にしか論理学の体系が無い」という事態は、民国初期に「墨子インド人説」が提唱される一因になった[120]
  28. ^ 同書とは別に、中村元自身による名学解釈もある。とりわけ、術語の「同・異」について、唐代の『勝宗十句義論』(ヴァイシェーシカ学派の思想を漢訳した書物)でも術語として用いられていることを指摘している。中村は、両字を「普遍・特殊」と翻訳した上で、後述の馮友蘭の説などを踏まえて、『勝宗十句義論』は名学の延長線上にあるとしている[123]
  29. ^ ゼノンのパラドックスと類似視する例は、1893年の千頭清臣『論理学』の頃からある[129]
  30. ^ 宇野精一はフォルケについて、西洋哲学の学識がある中国学者の代表例として、フランケと並べて言及している[135]
  31. ^ これと似た学説はスティルポンにも帰される[138]
  32. ^ 胡適・胡秋原中国語版小柳司気太らも、概念実在論説に近い説をそれぞれ簡潔に述べている[144]
  33. ^ ただし、この加地の仮説に対しては、牽強付会であるとする批判もある[150][151]
  34. ^ とりわけ、「ガヴァガイ」で知られるクワイン翻訳の不確定性テーゼ英語版や、同テーゼに由来する「質量名詞仮説」(mass noun hypothesis)を援用したことで知られる[157][143]。この援用は、概念実在論説をとらずにメレオロジー説をとる論拠の一つ、という主旨でされた援用だが、そのような主旨とは別の点から批判を招くことになった。すなわち、英語帝国主義西洋中心主義オリエンタリズム等に陥っているとする批判、あるいは強い言語決定論(極端なサピア=ウォーフの仮説)を説いているとする批判、などの批判がハンセンに寄せられた[158][159][160]。ハンセンはそのような批判に応答し、それらのトピックは重要なトピックだとしつつも、批判としては論旨を取り違えた不当な批判だとしている[158]。ただしハンセンは、そのような批判のうち、クリストフ・ハーブズマイアー(C. Harbsmeier, 何莫邪)からの批判(言語科学的観点からの批判[161][157])に対してはある程度意義を認めており、それ以降は質量名詞仮説を往年ほど積極的に主張していない[162]
  35. ^ 分析哲学を援用すること自体は、馮耀明ら他の学者もしている[163]
  36. ^ 2012年の加地伸行によれば、1983年以降、「日本において中国論理学史に関する研究にはほとんど見るべきものがなかった。[47]

出典編集

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