岸田森

日本の俳優、劇作家、演出家 (1939-1982)

岸田 森(きしだ しん[2][3]1939年昭和14年〉10月17日[2][4] - 1982年〈昭和57年〉12月28日[2][4])は、日本俳優声優劇作家演出家

きしだ しん
岸田 森
岸田 森
婦人生活』1966年10月号より
本名 岸田 森
別名義 朱川 審あけかわ しん
生年月日 (1939-10-17) 1939年10月17日
没年月日 (1982-12-28) 1982年12月28日(43歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京都杉並区
身長 169 cm1965年時点)[1]
血液型 AB型
職業 俳優声優
ジャンル 舞台・映画・テレビドラマ・吹き替え
活動期間 1962年 - 1982年
活動内容
配偶者 樹木希林1964年 - 1968年
著名な家族
所属劇団 文学座(1962年 - 1966年)
主な作品
映画

テレビドラマ
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来歴

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1939年(昭和14年)、東京市[2]杉並区阿佐ヶ谷(現・東京都杉並区阿佐谷北)にある河北総合病院岸田国士の弟・岸田虎二とその妻・真理子の子として誕生する。5歳ごろまで中野区本町通りに住んでいた。

1944年(昭和19年)、5歳。疎開先の箱根町立湯本小学校へ入学。

1947年(昭和22年)、8歳。帰京し、千代田区の九段小学校へ転校する。九段小学校の同級生に大空真弓がいた。麹町中学校から海城高等学校を卒業。麹町中学校の同級生に衆議院議員の加藤紘一、海城高校の1年後輩にはフリーアナウンサーの徳光和夫がいた。

この小学3年生のころから、の収集を始める[5]

1958年(昭和33年)、19歳。一浪後法政大学英文科へ入学するが、2年生のときに俳優の道を志し、中退したという。

1960年(昭和35年)、21歳。文学座附属演劇研究所に研究生として入団[1]。研究発表会のような内輪の演劇ばかりで、「年間収入が2〜3万円という暮らしが5〜6年続いた」と語っている。

1962年(昭和37年)、23歳。『光明皇后』の延臣役が初舞台となる[1]

1964年(昭和39年)、25歳。同期である女優・悠木千帆(のちの樹木希林)と結婚。

1965年(昭和40年)、26歳。文学座座員に昇格[1]

1966年(昭和41年)、27歳。年頭に退団。悠木、村松克己草野大悟らと劇団「六月劇場」を結成し、以降は主に映画・テレビに活躍の舞台を移す[6]

同年の『氷点』(NET)が本格的なテレビ初出演と本人は語る[7]

1968年(昭和43年)、29歳。悠木(樹木)と離婚後、バーのマダムと再婚するがのちに離婚。その後は女優・三田和代と事実婚関係にあった。『怪奇大作戦』(TBS)が、円谷プロとの初仕事となる。この作品への出演が自身の芝居の一大転機になったと語り、以後「僕は円谷育ち」と公言している[8]

1971年(昭和46年)、32歳。東宝映画『呪いの館 血を吸う眼』(山本迪夫監督)で吸血鬼を演じ、和製ドラキュラとの評価を得る。この東宝『血を吸う』シリーズ[注釈 1]は代表作となった[出典 1][注釈 2]。『帰ってきたウルトラマン』では主人公の師で兄代わりでもある坂田健役を演じた。

1973年(昭和48年)、34歳。円谷プロのテレビ特撮『ファイヤーマン』(日本テレビ)に出演。脚本を手がけた第12話では、部分演出も行う。この年、天知茂主演のテレビ時代劇無宿侍』(フジテレビ)第6話において兄弟役で共演。

1977年(昭和52年)、38歳。『歌麿 夢と知りせば』(太陽社)に主演。カンヌ映画祭でも上映され話題を集めた。生涯唯一のトップクレジットで遇された大作映画である。ほかに、主演作としてはほぼ出ずっぱりの『黒薔薇昇天[注釈 3]が、大役としては三船敏郎、勝新太郎の向こうを張る剣豪を演じた『座頭市と用心棒』があり、名バイプレイヤーとしてのフィルモグラフィのなかで異彩を放っている。

1980年(昭和55年)、41歳。テレビCMの演出を手がける。「エスビー食品」など水谷豊の主演するCFについては、「演出補助」と肩書きされるが、本人は「あれはすべて僕が演出しました」とコメントしている。

1982年(昭和57年)12月28日、食道ガンのため、43歳で死去[2]。墓所は神奈川県鎌倉市にある鎌倉霊園。

葬儀の際に、岸田を弟のように可愛がっていた若山富三郎は弔辞のなかで「こんなことになるんだったら、お前を殴ってでも絶交してでも酒を辞めさせるべきだった」と後悔のコメントを残した[注釈 4]。公私にわたり親交の深かった俳優の睦五朗によれば、草野大悟は岸田を死に追いやった原因は彼とともに深酒をしていた自身にあると思い込み、葬儀の席で岸田の母に謝罪し、その後も朝まで泣き崩れていたという。睦は悲痛なその姿が頭から離れないと語っている[13]。葬儀では三田和代が遺影を持ち挨拶した。

人物

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血液型AB型。身長169センチメートル。

岡本喜八実相寺昭雄神代辰巳西村潔工藤栄一などの監督作品の常連で、萩原健一水谷豊松田優作ら岸田を慕った俳優は多かった。勝新太郎も岸田の才能と個性を高く評価し、多数の作品で共演。勝が主宰した俳優学校「勝アカデミー」の講師を務めた[注釈 5]。岸田今日子の評するところ「森ちゃんは教え好き」だったという。

実父は1956年(昭和31年)から1957年(昭和32年)まで、火星の土地分譲で名をはせた「日本宇宙旅行会(改称後・日本宇宙飛行協会)」の協会事務局長であったという。劇作家の岸田國士は伯父、女優の岸田今日子や童話作家の岸田衿子(國士の娘)は従姉に当たる。千代田区の麹町中学校に在籍していた当時、山形県から転校してきた(のちに政治家となる)加藤紘一とも友人であった。

六本木でバーを経営し、岸田が学生野球ファンということあり、映画評論家の田山力哉が連れ立って岡田彰布松本匡史など当時の東京六大学野球や、東都大学野球リーグ高木豊など各選手が時折店を訪れ、顔なじみであった。酒を愛し、自宅の洋酒コレクションには、客にせがまれたときのために、どれも半分以上の飲み残しがあったと、山本迪夫監督は『キネマ旬報』の追悼記事で人柄をしのんでいる[要文献特定詳細情報]

無口で陰湿な役が多かったが、プライベートでは寂しがり屋で、出演待ち時間中の岸田はやかましい位のお喋りであったという。愛称は「しんちゃん」や「かみそり・しん」。常連の監督達もそうだが、勝新太郎、水谷豊、松田優作などの俳優仲間、先輩後輩の指名を受けての仕事も多く、演技力と人柄が慕われていた。

円谷プロでは「退屈だったのと、特撮に興味を持ったので、それでしかできないものを作ってみたくなったから」と、朱川 審あけかわ しんの名で脚本を発表[注釈 6]。 『帰ってきたウルトラマン』第35話「残酷! 光怪獣プリズ魔」は、光をモチーフにしたという岸田のイメージを基にした怪獣「プリズ魔」の造型は、第2期ウルトラ怪獣随一の美しさと名高く、多くの関連本に登場する[注釈 7]。「朱川審」のペンネームの由来としては、「本名では照れくさいのと、生まれたときに名づけられる予定だった審という名を復活させてみた」とコメントしている。

ほかには実名で『ファイヤーマン』第12話「地球はロボットの墓場」の脚本を手がける[2]。岸田の演ずる水島隊員はこの回は全くセリフを話さず、その動作と口の微かな動きだけで感情や意思を表現するなど、実験的な演出がみられる。

映画では岡本喜八監督作品に多数出演。『斬る』での初出演から亡くなるまでの監督作品14本中12本に出演しているが、出ていない2本は『斬る』の時点で準備が進んでいた次作『肉弾』と、前後篇の後篇である『にっぽん三銃士・博多帯しめ一本どっこの巻』のみなので、まさに手放そうとしない気にいりようで、後期「喜八一家」のキーマン的存在であった。『ダイナマイトどんどん』(1978年、大映)のド派手なスーツをまとった敵方ヤクザ幹部役の抱腹絶倒演技、わずかな出番で作品の印象を一変させるような脇役を目指したい、と語っていたモットーを具現化したような『ブルークリスマス』(1978年、東宝)の不気味な政界黒幕秘書役などが代表的なものとして挙げられる。岸田の葬儀の際は、棺の先頭を担ぐ岡本の姿が報道された。『怪奇大作戦』以来の実相寺昭雄とは4本の劇場映画を共にしているが、『歌麿』の主役以外も準主役的な起用が多い。

また、時代劇においては多くの歴史上の人物を演じたが、そのなかでも感情を抑制し知的なイメージが先行した役柄を多く演じた。代表的なものに、『徳川家康』(1964年、NET)での若き日の竹中半兵衛役(晩年期は原保美が代わって演じた)、大河ドラマ草燃える』(1979年、NHK)では大江広元役のほか、荻生徂徠小栗上野介鳥居耀蔵など、知恵者の役柄を多く演じた。

血を吸う薔薇』(1974年、東宝)で共演した佐々木勝彦は、制作時に楽屋で岸田が髪の毛の薄さを気にしていたと語っている。岸田は同年制作の実相寺昭雄監督作品『あさき夢みし』(ATG)では、役作りで思い切って坊主頭にしていて、その際、普段はかつらを着用。この坊主頭を意図的に『傷だらけの天使』、『探偵物語』(日本テレビ)で活用している。

  • 『傷だらけの天使』第5話において、加藤嘉演じる暴力団の組長に詫びを入れるよう強要されるシーンで、岸田は唐突にかつらを外して土下座した。このシーンについては従前より「演出によるものである」との説と「岸田のアドリブである」とする説があるが、萩原健一の著書『ショーケン』によると(第四章 p80-p81)、これはアドリブではなく映画での岸田の役作りを承知していた萩原らが編集と展開の都合から指を詰めるシーンの代わりとして現場で発案したもので、岸田自身は「(坊主頭は)映画の制作発表のときまで公表しない」と主張して承諾せず、萩原らの懇願に負けて撮影することになっても最後まで乗り気ではなかったとのことである。
  • 怪盗103号役としてゲスト出演した『探偵物語』第13話では、終盤の松田優作とのフェンシングでの格闘シーンにおいて工藤(松田)の攻撃が103号の頭髪を直撃、かつらが取れて坊主頭(しかも頭には「103」と書かれている)をさらすシーンがある。ただし、こちらは岸田は撮影時には自毛を生やしており、坊主頭の方がかつらである。

特技監督の中野昭慶によれば、岸田はよく「宇宙人をやらせろ」と要望していたという[13]

趣味趣向

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趣味は蝶の収集・採集、スコッチ・ウイスキー収集、油絵、シナリオ、ゴルフ、野球、植草甚一の影響によりジャズ鑑賞[注釈 8]。特技は剣道(3段)。

大の酒好きとして知られるが、飲んでも人格が変わるようなことは無かったとされる[16]。『ファイヤーマン』では、共演者の睦五朗と組んで助監督を巻き込み飲みに行けるスケジュールにさせていたという[16]。睦は、当時ウイスキーをボトル1本半を飲まなければ収まらなかったが、岸田の酒量はそれを上回るものであったと証言している[13]。岸田は朝から酒を飲んでいることが多く、新幹線の一番列車に乗り込む際も岸田はビールを片手に走ってきていたという[13]

嫌いなものは牛肉で、付き合っていた女性にも自分の前では牛肉を食べないように約束させるほどであった[16][13]。岸田が長期ロケに出ていた際に交際相手はステーキを食していたが、偶然岸田が早く帰宅してそのことに気づくと、岸田は怒り狂って家を飛び出しそのまま帰らなかったこともあったという[13]

『ファイヤーマン』で共演した睦によると、同作の放映時期、趣味の蝶の標本採集が高じ、たびたび東南アジア方面へ採集旅行に出ているが、旅行慣れした睦は岸田にいつもせがまれて同伴させられていたという。採集旅行先は台湾が多かったとのことだが、その際の岸田の服装が「迷彩色の上下にゲートル巻」といった軍装まがいのものだったため、毎回の旅行のたびに行方不明となり、決まって警察に不審者として拘束されているのがオチだったという[16]。「とにかく警察に捕まらなかったときがない」と睦も当時を述懐し、岸田を「奇人でした」と評している[13]。蝶の標本コレクションは、そのまま展示館が開けるほどのものだった。蝶に関連して、蛾の「節操のなさ」を挙げ、岸田は「モスラが好き」ともコメントしている。蝶の色彩とも関連付け、「ウルトラマンの顔も、じっと見てると蝶々に思えてくる」とも語っている。蝶の収集は1974年の時点で、自宅に2000頭の蝶を収集していた[5]。蝶を捕る際の服装に関して、「あまり服装に凝ると仲間にからかわれるので、素直な格好で出かけることにしている[5]」とコメントしている。また、蝶が出没するならばと、どんなロケ地でもいとわず、「(蝶採集に時間が費やせるため)すぐに殺される役の方がありがたい」とさえ語っている[5]。 登場シーンはごくわずかだが、遺作である映画南極物語に喫茶店の主人として出演するシーンおいて、渡瀬と夏目との3者シーンで蝶マニアの岸田の趣味である蝶の標本らしき物が画面の奥に写っていて、それに触ろうとする店のお客に対しそれに触るなという関西弁のセリフもある。

交友関係

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草野大悟とは文学座以来、生涯の親友であり、盟友。

特捜最前線』で岸田と兄弟役を演じた藤岡弘、は、岸田について俳優として人間を演じることを追求していたといい、優しく思いやりがあり、俳優としてのヒントをさらっと教えてくれるよい先輩であったと述懐している[17]

テレビドラマプロデューサーの宍倉徳子とは、宍倉がスクリプターを務めていた『曼荼羅』(1971年)で暴れた岸田を宍倉がなだめた縁で親しくなり、宍倉がプロデューサーとなった際には宍倉の作品には全部出ると述べ、実際に多くの作品に出演した[18]。『可愛い悪魔』(1982年)では、ガンにより声が出なくなっていたが、喋ることの出来ない役に変更してまでも出演している[18]

『ファイヤーマン』では主演の誠直也(佐賀出身)のなまりがきつかったため、少しでもセリフの言い回しが違うと撮影の段階で芝居をとめて無言の指導を行ったという。岸田は「俺はいつお前(誠)に殴られるかと冷々だった」と語っていたが、逆に誠は「当時はつらかったが、あのときの岸田さんの指導があったからこそ、今の自分がある」と感謝の意を表している[19][注釈 9]

睦は岸田の入院中に同じ病院に入院していたこともあり、回復した睦は病院に要望して面会謝絶の岸田を見舞った[13]。その際の岸田は、枯れ木のようにやせ細った姿で、声も出せないほど弱っており、睦は見ていられない姿であったと語っている[13]。しかし、岸田の体力を気遣って帰ろうとする睦を岸田は力強く握りしめて放そうとせず、睦が去る際にも力を振り絞って声を挙げていたという[13]。睦は、師である三好の戯曲『炎の人』を制作し岸田がゴッホを演じることを約束していたが、見舞いの直後に岸田は死去し、約束が果たされることはなかった[13]。睦は、岸田の悲壮な死に様にしばらくの間立ち直ることができなかったという[13]

出演作品

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映画

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テレビドラマ

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舞台

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文学座 時代

  • 光明皇后(1962年) - 廷臣[1]
  • 唖のユミュリュス(1962年) - 召使たち
  • ジークフリート(1962年) - マイヤー
  • クレランバール(愛の狂人)(1963年) - 竜騎兵B
  • 調理場(1963年) - ケヴィン
  • 日本の孤島(1963年) - マヌエル・ビィラ
  • 女ばかりの村(1963年) ※朗読
  • トスカ(1963年) - 兵士
  • 調理場(1963年) - ケヴィン
  • 城(1963年) - イエレミーアス
  • 夜長(1963年)
  • マリヤへのお告げ(1964年) - 人夫1[1]
  • 三人姉妹(1964年) - 将校C[1]
  • 霊柩車とともに(1964年) - 潤一[1]
  • 欲望という名の電車(1964年) - 集金人の青年[1]
  • 一葉舟(1964年) - 俥夫
  • 大つごもり(1964年) - 石之助
  • 無害な毒薬(1965年) - 岸辺
  • 怒りをこめてふり返れ(1965年) - クリフ・ルイス
  • AとB(1965年)(第三回創作劇研究会)

六月劇場 時代

  • ブレヒト・オン・ブレヒト(1966年)
  • 名づけるな、わたしたちに(1966年)
  • 魂へキックオフ(1967年) - 秋山
  • 審判 銀行員Kの罪(1967年) - 第五の男
  • かれら自身の黄金の都市(1968年) - アンドルー・コバム
  • 夜うつ太鼓(1968年) - ムルク
  • 海賊(1969年) - キチ

その他

  • 魔女傳説(1969年、自由劇場) - 検事丙
  • 鼠小僧次郎吉(1969年、演劇センター68/69公演) - 鼠一番
  • 風吹がらす疾送記・異説のすかい・おらん(1977年、オンシアター自由劇場) - 三浦与佐衛門(後に世直し作五郎)、潮止の五郎次
  • 阪妻を偲ぶ~『阪東妻三郎追善公演より』 [注釈 13]
    • 雄呂血(1978年) - 浪岡真八郎
    • 無法松の一生(1978年) - 吉岡明彦
  • 座頭市物語(1978年) - 笹川繁蔵
  • 鶴八鶴次郎(1978年) - 伊予善の主人松崎
  • 因果小僧六之助(1978年) - 相馬屋半蔵
  • かもめ(1980年) ※演出作品[注釈 14]
  • あらかじめ失われた恋人たちよ -劇編-(1980年) ※蝶採集指導

ドキュメンタリー

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  • 時効まであと26日!実録三億円事件(1975年、東京12チャンネル) - ナレーター
  • 日曜☆特バン「戦慄!!吸血鬼ドラキュラは今も生きている!!」(1976年、TBS) - レポーター
  • 燃えよ!ダルマ大臣「高橋是清伝」(1976年、CX) - ナレーター
  • 野生ふれあいの旅(1981年 - 1982年、NHK) - レポーター
    • ヒグマ/シマフクロウ/カニと踊る/海鳥の孤島
    • 北海道 / アザラシの島
    • 沖縄 / ヤンバルクイナの森
    • 西表島 / コノハチョウの森
    • 若狭湾 / オオミズナギドリの島

吹き替え

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ラジオドラマ

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  • 杏っ子
  • 雪路の日記帳
  • 録音ルポ「日本山妙法寺」
  • ゴールデン劇場「一人息子」
  • 「われら夫婦」
  • 白い国籍のスパイ(トーマス・リーヴェン役)
  • ミステリーゾーン 世界怪奇実話シリーズ
  • 夜のミステリー 江戸川乱歩傑作シリーズ
  • 夜のミステリー ジャンピング・トゥ・ザ・ムーン
  • 夜のミステリー 夢の悪魔
  • ラジオ小説 私の文庫本 第126回「侍」(ベラスコ役)
  • ヌハスの巨人
  • 海外推理小説入門「四つの署名」
  • 「闇のヘルペス」
  • 文芸劇場「虹の国アガルタ」
  • 「普陀落の岸辺」(お屋形様役)
  • 音の本棚(FM東京系列)
ディーノ・ブッツァーティ短編集 「七人の使者」
第1話 七階、第2話 山崩れ、第3話 マント、第4話 聖者たち、第5話 なにかが起こった

人形劇

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ナレーション

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  • ウルトラマンA(1972年 - 1973年)
  • 真夜中の警視(1973年)
  • スーパーロボット マッハバロン(1974年)
  • (新)荒野の素浪人(1974年)
  • 日本沈没(1974年)[注釈 16]
  • 燃えよ!ダルマ大臣 高橋是清伝(1976年、フジテレビ)
  • 日曜スペシャル スパイ・ゾルゲ(1976年、日本テレビ)
  • 幸せになりたい(1976年、フジテレビ)
  • ボクシング「日本が生んだ世界チャンピオン15人」(レコード) CBS/SONY MONO(25AG 237)
  • 愛の迷路(1979年、TBS)
  • サントリーホワイト(サントリーCFナレーション)「サマーハイボール」篇(1981年夏)
  • 長編アニメーションスペシャル「三国志」(1982年、テレビ朝日)

CF演出

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  • 公共広告機構(現:ACジャパン)(公共メッセージ) 1980年
    「言葉が凶器になる」「機関銃」「比較型」「洗いざらい」
  • エスビー食品CM『ゴールデンレインボーカレー』「にわとり篇」「牛篇」「パッケージ篇」演出補助
  • エスビー食品CM『スナックチップ』「インタビュー篇」「階段篇」「コロコロ(寄り)」「寄席篇」「ポスター篇」「影篇」「待ち人」「和歌」「新聞」「カラッポ」 「タイコ」「浜辺」「ジャングル」「少女(語らい)」「少女(散歩)」「人形」「人形 A型」「人形 B型」「どうぞ」 「人気絶頂」「御本家」演出補助
  • エスビー食品CM『スナックトースト』「野球」「外野フライ」「キャッチャーフライ」「ご一緒に」「カリカリ」「まざっちゃった」「パターン」「飲み物」「八木節」演出補助
  • ダイドードリンコダイドーブレンドコーヒー』「水谷豊登場編」1982年

サイドビジネス

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没後のイベント・グッズ販売

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  • DVD帰ってきたウルトラマン Vol.13 MAT隊員手帳「坂田健、そして岸田森」特別インタビュー 橋本洋二(当時・TBSプロデューサー)、池田駿介(俳優・南 猛隊員役)、榊原るみ(女優・坂田アキ役)、山元清多(脚本家)、三田和代(女優)、インタビュアー・桜井浩子(2003年)発売元:パナソニックデジタルネットワークサーブ
    ※このDVD発売を記念して隔週刊テレビ雑誌であるテレビブロス(2003/3/1-3/14)にて岸田森回想を特集した。
  • DVD怪奇大作戦 Vol.5 映像特典ささきいさお(当時・佐々木 功)と岸田蕃(岸田森・実兄)対談「岸田森3」(2004年)発売元:ビクターエンタテインメント
  • フィギュア
    • 怪奇大作戦 トータス号 1/6計画限定商品 ファーストモデル、セカンドモデル 牧史郎フィギュア付 発売元:ベアモデル(2001年)
    • 怪奇大作戦 牧史郎 〜岸田 森〜 12インチ アクションフィギュア 発売元:アルフレックス(2002年12月)企画者・小幡貴一(「不死蝶 岸田森」編集者)
    • 怪奇大作戦 トレーディングフィギュア 第25話「京都買います」牧史郎 発売元:エポック社(2005年3月)
  • 関連イベント『俳優 岸田森 色気と狂気』会場/テアトル新宿 ※実相寺昭雄DVDコレクション発売記念オールナイトの第二夜(2003年6月28日)
    上映作品
    • 血を吸う薔薇(1974年)
    • 怪奇大作戦 25話「京都買います」(1969年)16mm
    • 歌磨 夢と知りせば(1977年)
    • 黒薔薇昇天(1975年)
    トークイベント ゲスト:岸田蕃(実兄)/小幡貴一(『不死蝶 岸田森』編集者)
    ※「血を吸う薔薇」吸血鬼フィギュア(製造:アルフレックス)も展示された。
  • 関連イベント『DVD「怪奇大作戦」「ウルトラの揺り籠」発売記念オールナイト』会場/テアトル新宿(2004年2月7日)
    第1部 DVD「ウルトラの揺り籠」発売記念トークショー
    ゲスト 飯島敏宏(監督)、中野稔(光学撮影)、稲垣涌三(撮影)、池谷仙克(美術)、岸田 蕃(岸田森・実兄)、田村奈巳(当時は奈美)(女優・『怪奇大作戦』第8話:林 洋子役)、司会:桜井浩子(女優)
    第2部 怪奇大作戦 6エピソード一挙上映 ※デジタルリマスター
    上映作品
    • 第1話「壁ぬけ男」
    • 第4話「恐怖の電話」
    • 第8話「光る通り魔」
    • 第12話「霧の童話」
    • 第14話「オヤスミナサイ」
    • 第23話「呪いの壺」
  • DVD-BOX「血を吸う箱」初回限定にて、岸田演ずる吸血鬼がコインを引きずり込む「カンオケバンク」がオマケとなった。
    収録作品「幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形」「呪いの館 血を吸う眼」「血を吸う薔薇」(2005年4月28日)
  • 関連イベント『JOJO広重 VS 中屋浩市 カルトムービー対談シリーズ 第一回 岸田森・前編』会場/AMS(2007年4月27日)
    【出演】JOJO広重 中屋浩市
  • 関連イベント『岸田森全仕事』ライブ版!異能の俳優を語りつくす夜 会場/新宿ロフトプラスワン(2007年10月21日)
    【出演】武井崇(STUDIO28)本橋敏司(STUDIO28)
    ゲスト:岸田蕃(実兄)
  • 関連イベント『岸田森全仕事』ライブ版!異能の俳優を語りつくす夜第二弾 風雲篇 会場/阿佐ヶ谷Loft A (2009年9月6日)
    【出演】武井崇(STUDIO28)本橋敏司(STUDIO28)
    ゲスト:岸田蕃(実兄)、根本由美
  • 関連イベント『俳優 岸田森』会場/ラピュタ阿佐ヶ谷(2007年12月1日〜2008年2月8日)
    レイトショー上映作品:
    • 白昼の襲撃(1970年)
    • 曼陀羅(1971年)
    • 帰ってきたウルトラマン 第35話「残酷! 光怪獣プリズ魔」(1971年)16mm
    • ファイヤーマン 第12話「地球はロボットの墓場」(1973年)16mm
    • 怪奇大作戦 第25話「京都買います」(1969年)16mm
    • 修羅雪姫 怨み恋歌(1974年)
    • 鬼輪番(1974年)
    • おんな極悪帖(1970年)
    • 子連れ狼 三途の川の乳母車(1972年)
    • 黒薔薇昇天(1975年)
    • 呪いの館 血を吸う眼(1971年)

その他

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  • 豪華写真シリーズMANDARA 沢渡朔/実相寺昭雄 ベストセラーズ刊(1971年)モデル
  • 怪獣供養(1973年、二子玉川園円谷プロダクションのイベント司会
  • カンヌ国際映画祭 「歌磨 夢と知りせば」マルシェに出品(1977年5月)ウタマロパーティに実相寺昭雄監督と共に出席(1977年5月24日)
  • 「同志!!僕に冷たいビールをくれ」草野大悟 出版記念パーティ(1980年)司会
  • 「ずいひつ」 若い11 第50号 名古屋テレビ(1966年6月1日)
  • 「マイクック」 No.380 (1966年8月号) 日本割烹学校出版局 わたしたち結婚して一年四ヵ月です
  • 「ふるさと」文学座通信 化粧前(1964年7月号)
  • 「お茶の時間」朝日新聞(1966年9月11日)
  • 「週刊サンケイ」15号 扶桑社 異色コンビ 渡辺美佐子、岸田森 (1966年)
  • 「週刊サンケイ」16号 扶桑社 おじゃまします (1967年)
  • 「TVタレントクローズアップ」アサヒグラフ(1966年10月21日号)
  • 「主役のイメージにぴったり 「コロネットブルーの謎」声役・岸田森」福島民報(1968年6月1日)
  • 「日月潭の夕焼け」※岸田が自分自身を描いた挿絵も掲載 DELICA(1969年夏号)
  • 「旅」43号 日本旅行協会(1969年1月号)私の旅・片眼で蝶を追う
  • 「主婦と生活」 主婦と生活社 離婚男性たちのその後の私生活 (1970年3月号)
  • 「岸田森が脚本担当 帰ってきたウルトラマン読売新聞(1971年8月18日)
  • 「帰ってきたウルトラマンで2足のわらじ 岸田森が脚本を執筆 坂田健役」ATVホームニュース(1971年9月1日)
  • 「婦人倶楽部」54号 講談社 別れていった妻への手紙 (1973年)
  • 「凝ってます 岸田森=蝶」週刊TVガイド(1973年6月1日号)
  • 「こんな時 こんな服 チョウを追う 岸田森さん」朝日新聞(1974年6月2日)
  • 「こ〜れがボクの素顔デス」週刊TVガイド(1974年6月14日号)
  • 「またまた悪役…岸田森“死にざま”に苦労します」静岡新聞(1974年7月17日)
  • 「NEW LIFE 蝶」週刊文春(1977年12月8日号)
  • 「ニッポン個性派時代 岸田森」キネマ旬報社(1979年1月号)
  • 市川雷蔵を偲ぶ会・会誌「らいぞう」第10号(1979年)岸田森さんの雷蔵(インタビュー)
  • 「シネマ個性派ランド」」キネマ旬報社(1981年)
  • もんもんドラエティ(1981年、12ch)アルカード伯爵(ドラキュラ)
  • 「リメンバー!!怪奇大作戦 岸田森・昼下がりのインタビュー」月刊OUT(1979年4月1日号)
  • 「空想特撮の名バイプレイヤー 岸田森 インタビュー」ファンタスティックコレクションNO16 華麗なる円谷特撮の世界 ミラーマンファイヤーマンジャンボーグA 朝日ソノラマ(1979年9月1日号)※ファイヤーマン第12話「地球はロボットの墓場」の脚本が掲載されている。
  • 「SHORT INTERVIEW 岸田森」バラエティ(1979年9月号)
  • 「岸田森VSドラキュラ ドラキュラのルーツをたずねて」バラエティ(1979年12月号)
  • 「忘れられない 八重山諸島」朝日新聞(1981年9月3日)
  • 「もんもんドラエティー 緊急突然取材!日本一の吸血鬼役者、岸田森」ふぁんろーど(1981年11月号)
  • 「京風現代不良気質」イエスジミー(1982年10月号)

脚注

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注釈

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  1. ^ 幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』(1970年)、『呪いの館 血を吸う眼』(1971年)、『血を吸う薔薇』(1974年)の3作。なお、岸田は第1作には出演していない。
  2. ^ 吸血鬼役に選ばれた理由は、大の酒好きであったため朝から飲んで身体を壊し、肌の色が病的に白く植物的だったからと、監督の山本迪夫は語っている。岸田本人もドラキュラ役は非常に気に入っていたようで、ジョージ・ハミルトン主演のアメリカ映画『ドラキュラ都へ行く』(1979年、スタン・ドラゴッティ監督)で吹替をしたり、晩年はドラマ仕立てのTVバラエティもんもんドラエティ』(テレビ東京)でドラキュラ(キャラクター名は「アルカード」)を演じた。
  3. ^ ロマンポルノの性格上、出番は岸田よりも少ない谷ナオミがトップクレジット。
  4. ^ 告別式では吉田日出子が代読した[12]
  5. ^ 教え子に小堺一機ルー大柴らがいる。
  6. ^ 2005年以降の調査で、実際には岸田の盟友だった脚本家・山元清多が岸田のアイデアに基づいて書いたものであると判明している。経済的に苦しい山元を援助するためで、「俺の名前で発表すれば採用の確率が上がるし、原稿料も高くなるから」と話を持ちかけたという。ギャラは全額、山元に手渡された[14][15]
  7. ^ 「残酷! 光怪獣プリズ魔」は、関係者へのインタビューをまとめた書籍『不死蝶 岸田森』にて原本閲覧が可能。
  8. ^ レコードは相当なコレクションがあったとのことで、一番愛したアルバムはチャールズ・ミンガスの『Pithecanthropus Erectus』であったという。
  9. ^ 『ファイヤーマン』当時は誠はいじめられていたと感じており、岸田が死去した際にも葬儀への出席を拒んでいたが、睦五朗の説得により岸田の想いを理解して大泣きし、葬儀では一番大きな花輪を出していたという[16]
  10. ^ 書籍『東宝特撮映画全史』では、本作品をデビュー作としている[2]
  11. ^ 遺作。
  12. ^ 写真出演。
  13. ^ レコード化がされている(キングレコード/SKD478)
  14. ^ 勝アカデミー第一期生たちの公演。
  15. ^ 作品制作は1979年。
  16. ^ 岸田は予告のみ担当、ノンクレジット。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『新劇便覧』テアトロ、1965年、259, 448 - 449頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j 東宝特撮映画全史 1983, p. 529, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  3. ^ a b ゴジラ大百科 1993, pp. 117–118, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  4. ^ a b c 野村宏平、冬門稔弐「10月16日 / 10月17日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、295頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  5. ^ a b c d 「朝日新聞」1974年6月2日。
  6. ^ 「特集企画 スーパー戦隊の神業 作品をひきしめる名優陣」『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀』《1991 鳥人戦隊ジェットマン講談社〈講談社シリーズMOOK〉、2018年5月10日、30頁。ISBN 978-4-06-509613-0 
  7. ^ 小幡 & 田辺 2016, p. 35
  8. ^ 小幡 & 田辺 2016, p. 36
  9. ^ 帰りマン大全 2003, p. 177, 「COLUMN 日本映画吸血鬼伝説考」
  10. ^ a b 東宝特撮映画大全集 2012, p. 145, 「『呪いの館 血を吸う眼』作品解説」
  11. ^ 怪奇ドラマ大作戦 2013, p. 151, 「円谷怪奇俳優紳士録」
  12. ^ 小幡 & 田辺 2016, pp. 410–411
  13. ^ a b c d e f g h i j k l 昭和メカゴジラ鋼鉄図鑑 2019, pp. 91–94, 聞き手と取材 友井健人「スペシャルインタビュー 昭和メカゴジラの悪役たち 睦五朗」
  14. ^ 武井崇 2017, pp. 74–76
  15. ^ 『特撮秘宝』 Vol.7、洋泉社〈洋泉社MOOK 別冊映画秘宝〉、2017年、180, 207頁頁。ISBN 978-4-8003-1351-5 
  16. ^ a b c d e 「Pickup Interview 睦五朗」『円谷プロSFドラマ大図鑑』洋泉社〈洋泉社MOOK 別冊映画秘宝〉、2013年、54頁。ISBN 978-4-8003-0209-0 
  17. ^ 別冊映画秘宝編集部 編「藤岡弘、(構成・文 鷺巣義明/『映画秘宝』2000年16号、2010年11月号の合併再編集)」『ゴジラとともに 東宝特撮VIPインタビュー集』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年9月21日、123頁。ISBN 978-4-8003-1050-7 
  18. ^ a b 怪奇ドラマ大作戦 2013, p. 142, 「宍倉徳子インタビュー」
  19. ^ 『キャラクター魂』Vol.05、辰巳出版、2000年1月10日、4頁、ISBN 4-88641-470-2 
  20. ^ a b 東宝特撮映画全史 1983, p. 537, 「主要特撮作品配役リスト」
  21. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 173, 「『血を吸う薔薇』作品解説」

出典(リンク)

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参考文献

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  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 
  • 『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日。 
  • 小幡貴一、小幡友貴 編『不死蝶 岸田森』ワイズ出版、2000年。ISBN 4-89830-029-4 
    • 小幡貴一、田辺友貴 編『不死蝶 岸田森』ワイズ出版〈ワイズ出版映画文庫13〉、2016年。ISBN 978-4-89830-301-6  ※上記書籍を文庫化にあたり再編集・改稿・加筆
  • 『帰ってきたウルトラマン大全』編著 白石雅彦 荻野友大双葉社、2003年1月15日。ISBN 978-4-575-29494-1 
  • 『東宝特撮映画大全集』執筆:元山掌 松野本和弘 浅井和康 鈴木宣孝 加藤まさし、ヴィレッジブックス、2012年9月28日。ISBN 978-4-86491-013-2 
  • 洋泉社MOOK 別冊映画秘宝洋泉社
    • 『別冊映画秘宝 円谷プロ怪奇ドラマ大作戦』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2013年7月1日。ISBN 978-4-8003-0174-1 
    • 友井健人 編『別冊映画秘宝 昭和メカゴジラ鋼鉄図鑑』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2019年4月6日。ISBN 978-4-8003-1628-8 
  • 武井崇『岸田森全仕事 1962-1983』(1999年・自費出版)[出典無効]
  • 武井崇『岸田森 夭逝の天才俳優・全記録』洋泉社、2017年。ISBN 978-4-8003-1222-8 
  • 「リメンバー!! 怪奇大作戦 岸田森・昼下がりのインタビュー!!」『月刊OUT』1979年4月号、みのり書房。  ※『不死蝶 岸田森』に所収
  • 「「空想特撮映像の名バイプレイヤー 岸田森インタビュー」聞き手:中島紳介」『華麗なる円谷特撮の世界』朝日ソノラマ〈ファンタスティック・コレクションNO.16〉、1979年。  ※『不死蝶 岸田森』に所収
  • FOMATION・V Forever my Hero! 岸田 森 '83.12.28 一周忌記念号 自費出版(1983年)[出典無効]
  • 東大特撮映像研究会雑誌・第6号「特集岸田森」自費出版(1989年)[出典無効]
  • 東大特撮映像研究会雑誌・第6号改訂版「特集岸田森」自費出版(1990年)[出典無効]
  • 映像ソフト

外部リンク

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