前田吟

日本の俳優 (1944-)

前田 吟(まえだ ぎん、1944年昭和19年)2月21日 - )は、日本俳優。本名及び旧芸名は前田 信明(まえだ のぶあき)。ティー・アーティスト所属。次男(前妻の連れ子)は俳優の前田淳[2]。、四男は競技ダンス選手の前田亨。

まえだ ぎん
前田 吟
前田 吟
本名 前田 信明
生年月日 (1944-02-21) 1944年2月21日(80歳)
出生地 日本の旗 日本山口県防府市
身長 170 cm
血液型 A型
職業 俳優司会歌手
ジャンル 映画テレビドラマ舞台など
活動期間 1964年 -
配偶者 元妻(1964年 - 1968年[1]
前妻(1971年 - 2021年、死別[2]
箱崎幸子(2022年 - )
著名な家族 前田淳(次男)
主な作品
テレビドラマ
家に五女あり
映画
男はつらいよ』シリーズ
八甲田山
真夏の方程式
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来歴・人物 編集

1944年2月21日(月曜日)に山口県防府市にて生まれる[3][4]。父親は同盟通信(現在の共同通信)山口支局に勤務する記者、父親は京都通信の記者[4]、母親はタイピストだった[4]。実父は1945年8月6日広島市への原爆投下の日広島市にいて消息を絶つ[4]。母は乳呑み児だった信明を抱えて路頭に迷い、親戚筋の子どものいない老夫婦に謝礼をつけて[4]、生後100日で前田家の養子に入れた[3][4]。物心がつき始めたとき、親が年寄りなのはおかしいなと薄々感じ始めた[4]。4歳の時に養母を亡くし[3][4][5]、12歳の時に養父を亡くす[3][4][5]。その後はふたたび親戚をたらいまわしにされ[3][4]、電気も通っていない村で、ランプで生活した[4][5]。実母がお金を出してくれて[4]、中学卒業後は山口県立防府高等学校に進学するが[5]、実母の再婚で送金が止まり[4]、1年で中退する[3][5]

15歳で高校中退後は「有名になってやろう」と大阪に出て、ボクサー歌手俳優を目指す[4]。ひとまず家具屋に丁稚丁稚[4]黒澤明監督の『野良犬』や『七人の侍』を見て感動したことにより役者を志し、演劇研究所「シャトル・アントンス」に通う[4]。後にコメディNo.1を結成する前田五郎は同期[4]。この学校は潰れるが、講師をしていた倉橋仙太郎の俳優教室に入る[4]。それと並行して高校卒業の資格を取るために通信教育の高校に入学。結婚式場・天王殿で下働きや、天王寺公園ポン引きなどをして食い繋ぐ[4]。家具屋時代に、当時大阪市淀川区十三で新婚生活を送っていた大村崑兵庫県尼崎への引っ越しを手伝ったことがある。

1962年、通信教育による高校卒業資格取得後、本格的に役者を目指して上京する。東京芸術座研究所第1期生となり、1963年4月、劇団俳優座養成所15期生となる[3][4][6]。同期に地井武男原田芳雄夏八木勲小野武彦村井国夫林隆三高橋長英秋野太作浜畑賢吉竜崎勝栗原小巻太地喜和子赤座美代子三田和代ら、錚々たるメンバーが並ぶ、花の15期の一人であった[3][4]新宿歌声喫茶「灯(ともしび)」でボーイ[4]、工事現場、印刷工、サンドイッチマンなどの労働に励みながら役者になるチャンスをうかがった。1964年、2学年上の女性と結婚。

デビューから1966年までは本名の前田信明で活動し、翌1967年より現在の芸名へ改名。

俳優仲間からは「吟ちゃん」、後輩の役者達やタレント陣からは「吟さん」の愛称で呼ばれる。

1964年、『判決』第1シリーズ・第105話「沖縄の子」(NET)でデビュー。1965年、『純愛物語』(朝日放送)に主役として出演する。

1968年、現在の芸名に改名直後に出演した『ドレイ工場』で誠実な工員役を演じる。この演技が山田洋次監督の目にとまり、1969年、山田監督の映画『男はつらいよ』に寅次郎の妹さくらに惚れる印刷工・諏訪博役として出演した。この役柄に前田の人柄がベストマッチし、さくらと結婚した博としてシリーズ50作全てに出演した。1977年には森谷司郎監督『八甲田山』で斉藤伍長を演じる。

橋田壽賀子石井ふく子関連作品には多数出演しており、特に1980年放送の『』(TBS系)での宮寺順一役は前田の代表作になった。

大映ドラマへの起用も多く、しぶとい悪役を演じた。2002年4月1日から同年9月27日までの半年間、テレビ朝日系の『スーパーモーニング』の司会を務めた[7]。また、歌手としてもシングルレコード3枚、シングルCD1枚をリリースしている。

近年はテレビ・ラジオのバラエティ番組やトーク番組、新聞・雑誌等のインタビューへの出演も多い。2020年3月まで放送のテレビ東京系[注 1] のクイズ番組『二代目 和風総本家』の2代目司会を2019年5月16日から務めていた[注 2]

2021年に妻をすい臓がんで亡くし、2022年に歌手の箱崎幸子(箱崎晋一朗の未亡人)と再婚した[2]

出演 編集

テレビドラマ 編集

※2017年9月18日に放送した渡る世間は鬼ばかり 史上初3時間スペシャルに出演

映画 編集

舞台 編集

ネットドラマ 編集

バラエティ 編集

情報番組 編集

トーク番組 編集

ラジオ番組 編集

CM 編集

歌手活動 編集

シングルレコード 編集

『ささやかな人生』は、主演映画『看護婦のオヤジがんばる』(原作:藤田健次)の主題歌。
『あゝ単身赴任〜昭和ひとり旅〜』は、同じく俳優の安井昌二ビクターエンタテインメント)・蟹江敬三日本クラウン)との競作。
武田薬品工業「タケダ胃腸薬21」CMソング。前田は滝里美とのデュエット。芦川よしみ矢崎滋日本クラウン)・日野美歌葵司朗徳間ジャパン)らとの競作。

シングルCD 編集

2曲ともに、三笠優子とのデュエット。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 制作著作は系列局のテレビ大阪
  2. ^ 番組リニューアル前の『和風総本家』時代にも、ゲストパネラーや司会代理として複数回出演。2018年4月 - 2019年5月9日まではVTRナレーションを担当していた。
  3. ^ 2016年はリオデジャネイロ夏季オリンピック、2017年は世界卓球2017

出典 編集

  1. ^ (14)再々婚して話すことができるようになった複雑な家族関係|日刊ゲンダイDIGITAL
  2. ^ a b c 『男はつらいよ』俳優・前田吟(78)が再婚、50年連れ添った前妻の介護・別れを乗り越え 2022.12.29 NEWSポストセブン
  3. ^ a b c d e f g h 脇役の生き方 “寅さん”で学ぶ 俳優・前田吟さん(定年時代/東京版/令和元年12月上旬号)”. www.teinenjidai.com. 定年時代. 2022年1月6日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 佐山透「人物リサーチ–3– この個性豊かな男たち 前田吟 私生児ゆえにたどった数奇な過去 いま、親子とはなにか?を真剣に考える」『スタア』1976年7月号、平凡出版、76–78頁。 
  5. ^ a b c d e 学校と私:落ち着いて勉強したかった=俳優・前田吟さん”. 毎日新聞. 2022年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月6日閲覧。
  6. ^ (13)結婚、2人の子供の恵まれ、そして離婚…朝ドラ女優と恋に落ちて
  7. ^ 前田吟のTV出演情報”. ORICON. 2022年12月29日閲覧。
  8. ^ “福士蒼汰主演『弁護士ソドム』メインビジュアル公開 第1話ゲストに秋元才加、前田吟ら”. リアルサウンド映画部 (blueprint). (2023年4月11日). https://realsound.jp/movie/2023/04/post-1301285.html 2023年4月11日閲覧。 
  9. ^ “水谷豊×岸部一徳×檀れい、痛快エンタメ時代劇『無用庵隠居修行』第7弾 9・28放送決定”. ORICON NEWS (oricon ME). (2023年8月7日). https://www.oricon.co.jp/news/2289971/full/ 2023年8月7日閲覧。 
  10. ^ 伊東四朗主演『老害の人』老人と若年層の本音がぶつかった先に吹く風を描く「私、ピッタリの年齢になりました」5・5スタート”. TV LIFE web. ワンパブリッシング (2024年3月14日). 2024年3月14日閲覧。
  11. ^ 作品情報『フローレンスは眠る』”. 映画.com. 2016年1月22日閲覧。
  12. ^ サントリーコーヒー「BOSS」 新TV‐CM「オーケストラ」篇 12月26日(日)から全国オンエア開始 「ドラゴンクエストⅠ」より「序曲」を演奏!!”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES. 2021年12月24日閲覧。

外部リンク 編集