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鈴木 早智子(すずき さちこ、1969年2月22日[4] - )は、日本歌手タレント女優1988年から1996年まで活動した、相田翔子とのアイドルデュオWinkのメンバー。本名同じ[5][6][7][注 4]。別名、東 智子[注 5]、Miyoko.A[注 6]。愛称、さっちん[注 7]東京都出身[11][注 8]

鈴木 早智子
出生名 鈴木 早智子
別名 東 智子、Miyoko.A
生誕 (1969-02-22) 1969年2月22日(50歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル ポップスJ-POP
職業 歌手タレント女優
担当楽器 ボーカル
活動期間 1988年 -
レーベル ポリスター
1988年 - 1996年頃)
バンダイ・ミュージックエンタテインメント
1998年 - 2000年
What's Up? Group
2003年
事務所

アップライトミュージック
1987年-1994年
P-ARTISTS[1][注 2]
1994年[3]-1996年
マンリープロモーション
1996年頃)
尾木エージェンシー
1997年頃)
ネバーランド
1998年頃 - 2002年
オレガ
2002年 - 2008年
エグゼ
2008年 - 2013年
センス・プロダクション
2013年 - 2019年?)
TOffice
2019年? - )

※ 鈴木早智子は、アップライトミュージック、P-ARTISTSおよびマンリープロモーションを、同一事務所が社名変更したものとする。マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランドは、同一性のある事務所。「マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期(1996年 - 2002年)」の小節参照。

概要編集

1987年、雑誌『UP TO BOY』主催のミス・アップ・コンテストで第7代グランプリとなり、1988年、同じくミス・アップ第9代グランプリである相田翔子と、アイドルデュオ・Winkを結成。「愛が止まらない 〜Turn it into love〜」や「淋しい熱帯魚」などのヒット曲により、1989年にはスターダムに上りつめた。1996年、Winkは活動を停止。その後、Winkとしては、1998年1999年2008年2018年と、デュオ結成から10年ごと(1999年を除く)に活動を一時再開しており、テレビ番組等で歌唱している。

Wink活動停止後の鈴木は、歌手であることを本懐としつつ、主にタレントや女優として芸能活動を継続。

歌手としては、1998年にシングル「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を、また、2003年にアルバム『零〜re-generation〜』を発売している。

2009年に発売したDVD『September Shock』で「AV」出演などと報じられたり、2010年に週刊誌によって舞台俳優と不倫していたとされ、一旦、芸能活動の自粛をしたりするなど、スキャンダラスな動向を示した時期もあった。

2011年から2012年、および、2013年から2015年まで一時休業したが、芸能活動を再開している。

来歴編集

出生からWink結成直前まで(1969年 - 1988年)編集

1969年2月22日23時8分[12]、広告関係の仕事をする父[13]と、専業主婦の母[14]のもとに生まれる。出生地を愛知県名古屋市とする文献もあるが[15][注 10]、鈴木の自著では、出生地は東京都目黒区[17]幼稚園の年長組に上がる頃に埼玉県草加市へ転居[18]1989年初頭におけるWinkの「愛が止まらない」のヒット後に、東京で単身生活を始めたとする[19][注 13][注 14]。3兄弟の長女(4歳下に弟、8歳下に妹)[24]。小学2年生の時から歌手に憧れていた[25]

中学生の時にアニメソングオーディションに合格するも辞退[26][注 15]

1984年、東京都内の高校へ進学して間もなく歌手を目指して休学し、同年内に一時的に都内港区青山に所在する芸能事務所[注 16]に所属[28]

1985年頃、高校を退学し、喫茶店[29][注 18]や、建設会社の事務[31][注 19]などのアルバイトの傍ら、都内港区の乃木坂にあった笠井幹男のボーカル・スクールで、レッスンを受けるようになる[33][34][注 20]

1986年7月、草加市の西隣である埼玉県川口市の土手において、数千人[注 21]の聴衆を前にし、アマチュアバンドであるフォーエバー[注 22]のボーカルとして、オリジナル曲「おじちゃんヨイショ」[注 22]を歌唱[10][35]

同年8月17日に新宿アルタ内のスタジオアルタで本選が開催された[36]第1回「ロッテCMアイドルはキミだ!」コンテストに、最終ノミネート者20名の1人として出場するも[37][注 23]、グランプリの座を獲たのは橘理佐(のちの立花理佐)であった[38][39][40]

この年の11月2日、成城大学の学園祭において開催された、青年誌『UP TO BOY』(ワニブックス)の「ミス UP FESTIVAL in SEIJO UNIV.」に、東 智子の名を以ってエントリーし、ミス・アップ第7代グランプリを受賞[41][注 24]

1987年1月23日発売の『UP TO BOY』同年3月号のグラビアに、名を本名の鈴木早智子に改めて登場し、3月23日発売の5月号で、表紙と巻頭グラビアを飾る。この年、同誌の鈴木のグラビアを目にしたアップライトミュージック社長森裕平が、芸能事務所に属していなかった鈴木を、設立したばかりの自社に所属させた[44][45]。しかしながら、同社における鈴木の主な仕事は当初、電話番やスケジュール管理などの雑務であり[46]、翌1988年1月に端役としてテレビドラマに出演するなどした以外、Winkを結成するまで目立った芸能活動は無かった[注 25]

Wink時代(1988年 - 1996年)編集

1988年、ミス・アップ第9代グランプリである[47]相田翔子とWinkを結成し、4月27日のシングル「Sugar Baby Love」発売を以って歌手デビュー。Winkは、翌1989年には、年間62.95万枚を売り上げた「愛が止まらない」や、同じく54.873万枚を売り上げた「淋しい熱帯魚」などのヒット曲に恵まれ[48]、この年の12月31日には、『第31回日本レコード大賞』での日本レコード大賞受賞[49]や『第40回NHK紅白歌合戦』への出場[50]を果たすなど、一躍スターダムに上りつめる。

Winkの各アルバムには、『At Heel Diamonds』(1988年12月1日発売)を除き鈴木のソロ曲が1曲または2曲収録されており、クール・アンド・ザ・ギャングのカバーや来生たかおの提供曲などを歌っているが[注 26]、その他、鈴木単独としては、以下のような動向が見られた。

1990年12月22日公開の映画『きんぴら』に単独出演するが、この時期にはそれ以外のソロでの活動は行なっていない[注 25]

1991年11月25日発売のアルバム『Sapphire』以降、Winkの活動期間中には、Miyoko.A名義で3曲、鈴木早智子名義で2曲の作詞を手掛けた[注 26][注 29]

1992年3月25日、Wink時代唯一のソロ・アルバム『Mode』を発売[注 30]。この年に特に集中的に、テレビドラマの脇役やバラエティ番組のゲストなどとして、単独でテレビ番組に出演している[注 25]

1993年10月20日より翌年9月7日までの1年間、『志村けんはいかがでしょう』(フジテレビ系)のコントにレギュラー出演[注 31]。テレビドラマ以外ではWink時代唯一のテレビ番組単独レギュラー出演となった[注 32]

1994年11月、単身渡米し、およそ2週間、ニューヨークでダンスのレッスンやボイストレーニングを受ける[52][注 33]

1995年3月18日より26日まで公演された舞台『怪盗チェリーのレストラン』で、主演としてチェリー役を演じ、初めて舞台に出演[53][54][注 34]

この年、日本ボウリング場協会CM「ボウリング マジック!!」に起用され、初のCM単独出演を果たしている[注 35]

1996年2月25日、Wink時代唯一のソロ・シングル「La Gioconda」を発売[注 36]

この年3月5日放送の『江戸の用心棒II』(日本テレビ系)において時代劇に初出演するが[注 37]、2月下旬乃至3月初頭に京都太秦でその撮影を終え、帰京した直後、所属事務所の社長より鈴木一人が社長室へ呼び出され、突如としてWinkの活動停止を宣告された[55]

同月31日を以ってWinkは活動を停止[56]。鈴木は、2010年に上梓した自叙伝『負けじ魂』で、「今もって活動停止の理由や原因は分かりません。聞かされてもいないし、知らされてもいない。」と述べている[57][注 39][注 40]

その後の鈴木は、自らが専ら歌手であるという認識を保ち続けてゆくが[62]、下記の通り、主にタレントや女優として芸能活動を継続することとなる。

マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期(1996年 - 2002年)編集

Winkの活動停止後は、1996年は、Winkの所属していたP-ARTISTSが改名したものと鈴木がしている[63]マンリープロモーション[64]1997年頃から尾木エージェンシー[65]、次いで1998年頃からネバーランドに所属[66]。なお、これら3事務所は、住所が同じであり[64][65][66][注 43]、また尾木エージェンシーとネバーランドの電話番号が同じで[65][66][注 44]、同一性がある[注 45]

Wink活動停止後にレコード会社であるポリスターとの契約が終了したため新曲が出せなくなり[67][注 46]、暫くは、営業でWinkの楽曲を歌唱するというかたちでの歌手活動はあったものの、映画や舞台、テレビ番組への出演のほか、写真集の発売など、タレントや女優としての活動が芸能活動の中心となっていた[68][注 25][注 47]。そのさなかである1998年、テレビ東京リアリティ番組ASAYAN』の企画「再起に賭ける芸能人オーディション」に、5月31日放送分より出演[注 48]。その企画内容は、外資系企業CMタイアップ曲の小室哲哉プロデュース権を賭けて、鈴木を含む「再起に賭ける芸能人」女性たちがニューヨークで共同生活をしながらレッスンを行なうというものであったが[注 49]、鈴木は、周囲と同調せずに共同生活を拒否したり[注 50]、他の企画参加者が易々とダンスレッスンをこなす中でレッスンを抜け出し、うまく踊れないこと等につき涙ながらに話したりするなどし[注 51]、その後、レコード会社から打診を受けたという理由で無断帰国、この企画を離脱しつつも[注 52]、 企画の前提であった外資系企業のCMタイアップが立ち消えとなった[注 53]後に、新曲「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を披露する模様[注 54]などが放送されている。テレビの視聴者層には、この番組によって惹起された鈴木の人格に対する悪印象によって、その後の芸能活動が制限されたと見て取っている者も少なくない[69]。鈴木自身は後に、この番組は、当初より台本があったのみならず、鈴木の与り知らないところで彼女を「悪役」[注 55]として仕立てる編集がなされていたことなどを述べ、その不当性を述懐した[70][注 56]

同年10月28日、バンダイ・ミュージックエンタテインメントよりWink活動停止後初のソロ・シングル「INNOCENT SKY〜悲しみも届かないあの空の向こうへ〜」を発売[注 36]。本作の表題曲は『64マリオスタジアム』(テレビ東京系)および『ワイン娘恋物語』(同前)両番組のエンディング・テーマ曲として用いられ[72][注 57]、カップリング曲の「PEACE OF MY LIFE」は「バーコード対戦 バーディガン」(タムソフト)CMイメージソングに起用された。また、この年、第1回インターネット歌手ナビ音楽祭で「歌手ナビヒット賞」を受賞している[74]

この1998年という年はWink結成10周年にあたるが、12月29日放送の『祝!日本レコード大賞40周年記念スペシャル』(TBS系)において、相田翔子とともにWinkとして出演し[注 58]、「淋しい熱帯魚」を歌唱した。また、翌1999年12月30日放送の『超える!テレビ』(TBS系)においてもWinkとして出演[注 59]、「愛が止まらない」と「淋しい熱帯魚」を歌唱している。

2000年5月末、バンダイ・ミュージックエンタテインメントが解散したが[75]、その後、ネバーランド在籍中においては、新譜を出すことはなかった[注 28]

同年6月、深夜1時過ぎに、首都高速4号線において乗用車を運転中、逆走してきた自動車と衝突、鈴木の乗用していたベンツは大破し、彼女自身はむち打ち症で3週間ほど入院したが、後遺症は無く[76]、その後もテレビタレントや舞台女優としての仕事を継続する[77][注 34]

当該時期においては、全体的に、タレントや女優としての活動が主な芸能活動となったが、本懐である歌手としては、1998年にシングルを発売できたものの、鈴木にとって不本意な結果となった『ASAYAN』の出演と、関連性が強いものになってしまった。

オレガ在籍期(2002年 - 2008年)編集

2002年、オレガに所属[78][注 61]

2003年12月10日、インディーズ・レーベルであるWhat's Up? Groupより、Wink活動停止後初のソロ・アルバム『零〜re-generation〜』を発売[注 30]。これを記念し、翌2004年の2月28日と5月28日に、「零〜re-generation〜TOUR2004」と題して、やはりWink活動停止後初のライブツアーを行なっている[79][80]

2005年の初めにはアルバム作成の意向を示してはいたものの[81]、その後、オレガ在籍中に新譜を出すことはなかった[注 28]。一方、同年は、歌手として以外の芸能活動において、該事務所在籍期における、従来見られなかった動向が見られる。2月11日放送のテレビドラマ『特命係長 只野仁』(テレビ朝日系)ではベッドシーンを演じ、同番組が最高視聴率を更新するほどの注目を集めたが[82]、3月30日にオレガ在籍期唯一の写真集『Voice』を発売し[注 47]、セミヌードを披露して、「最近では、テレビ朝日系「特命係長 只野仁」でベッドシーンにも挑戦するなど、色気にますます磨きがかかっており」と評される[83]動向を示した。9月22日にDVD『Voice』も発売[注 63]。その他、9月10日公開の映画『逆鱗組七人衆』に出演した[注 64]。同じく2005年から、パチンコパチスロに関わる、地方局のテレビ番組出演[注 25]や営業[注 65]も目につくようになる。

2006年からは舞台に立つようになり、この年の3月7日から17日まで公演された『眠れぬ夜の電波ハイジャック』や、翌2007年7月29日から9月1日まで公演された『ちぎれた雲はどこへ行く』に出演した[注 34]

なお、鈴木は、自身の母がで本格的に入院するようになって以降、仕事から看病へと軸足を移し[87]、殊に、父・妹・弟らと共に[88]、草加市の実家に泊りきりで自宅看護を始めた2007年3月[89]から、母が享年64で死去する7月23日[14]までのおよそ4ヶ月間は、所属事務所の手違いもあって降板できなかった舞台の稽古以外、仕事を入れなかったと述べている[90]。鈴木の母がいつから本格的に入院したのかは判然としないものの[注 66]、このように、病床の母に尽すべく、仕事をセーブしていた時期もあった。

オレガ在籍期においては、母の看護のため仕事を控える時期がありつつも、その芸能活動は概ね、全国放送のテレビ番組におけるタレントや女優を基本としている点で一貫しており[注 25]、2005年には「色気にますます磨きがかかっ」たと評される活動動向も見られた。また、歌手としての活動が目立つ2003・2004年と、映画・舞台女優や、地方でのパチンコ・パチスロ関連のタレントなどとしての活動が目立つ2005年以降とで、芸能活動に傾向の相違があった。

エグゼ在籍期(2008年 - 2013年)編集

2008年4月に、エグゼに移籍したとも言われる[91]

この年はWink結成20周年にあたるが、12月30日、『第50回日本レコード大賞』(TBS系)に相田翔子と2人でWinkとしてゲスト出演し、「淋しい熱帯魚」を歌唱した[92][93]

2009年3月31日、薬物服用により救急搬送されたと報じられ[注 68]、自殺未遂かなどと憶測を呼んだが、同日中に会見を開き、日頃の睡眠不足によって安定剤を服用した旨など、その経緯を説明[94][95]

これより先、同年1月23日に、DVD『NATURAL 〜Respect my life〜』を発売し[注 63]、セミヌード映像を披露したが[96]、更に9月1日にはDVD『September Shock』を発売[注 63]、本作品は、その発売前に、メディアから「AV」あるいは「ソフトAV」などとセンセーショナルに報じられた[97][98]。しかしながら、本DVDの発売元であるMUTEKIは、当該作品を「AV」であるとは明言しておらず[99][100]、また鈴木自身は、この出演作品が「AV」ではない旨を述べている[101]。それから間もなく、9月25日にはヌード写真集『one track memories』を[注 47]、10月25日には同名のDVDも発売[注 63][注 73]

その後、この年には、精力剤である、宝仙堂の「凄十(すごじゅう)」の広告に起用され、「完全に清純派からセクシー路線に舵を切った」とも評された[103]

2010年2月20日公開の映画『宿命のジオード』に主役である三輪聖子役で出演したが、6月17日発売の『週刊文春』(文藝春秋)により、同映画やDVD『September Shock』で共演した舞台俳優と、4年にわたって不倫関係にあったと報じられる。この影響により、同月20日に自身のブログで当面の芸能活動自粛を発表[104]。自粛中の7月から9月の間に初の自叙伝『負けじ魂』を執筆し[105]、11月6日に出版して、翌日、TSUTAYA TOKYO 六本木店で行なった著書発売記念イベント[106]で、不倫の否定と芸能活動復帰の発表を行なった[107]

復帰後は、2011年の前半まで若干のテレビ番組に出演[77][注 75]。また、serial TV dramaが同年3月2日に発売する、Winkのカバー曲「愛が止まらない -Turn It Into Love-」(ソニー・ミュージックエンタテインメント)のミュージック・ビデオ[注 76]に出演し、2月12日には、同グループの渋谷クアトロにおけるライブにゲスト参加している[108]

その後、およそ一年の空白期間を経て[注 77]2012年半ば頃に地方での営業などのかたちで活動を再開[注 78]

エグゼ在籍中の前半期には、スキャンダラスな動向が立て続く中で、「セクシー路線」が目立つかたちでのタレントや女優としての活動を行なっていたが[注 25]、エグゼが衰退する時期でもある在籍後半期には[注 79]、芸能活動が著しく縮小した。

センス・プロダクション、TOffice在籍期(2013年 - )編集

2013年1月より、かねて親交のあった[118]永福真子が経営するセンス・プロダクションに所属[119][注 80]

この年、在京キー局のテレビ番組2本に出演するなどしたが[77][注 75]、その後、芸能活動が暫く途絶する。

2016年5月15日、活動を再開するが[122]、復帰後のおよそ1年間はイベントへの出演にとどまった[注 82]

2017年8月12日放送の『心霊呪殺 死返し編』(CSエンタメ〜テレ☆シネドラバラエティ)に出演、8年ぶりのテレビドラマ出演を果たす[注 37][注 83]

2018年6月13日から17日まで公演された舞台『あいたま』に、声のみではあるが春巻梅役で出演[注 34]

この年はWink結成30周年にあたるが、8月18日放送[注 84]の『思い出のメロディー』(NHK総合)において十年ぶりにWinkを一時再開し、「淋しい熱帯魚」と「愛が止まらない」を歌唱[130][131]。そして10月16日には、『Special To Me』と題したWinkのトーク&ミニライブ・イベントを、渋谷マウントレーニアホールにおいて行なう[132]。更に12月30日には、やはりWinkとして『第60回日本レコード大賞』(TBS系)に出演し、「淋しい熱帯魚」を歌唱した[133]

この時のWinkの一時再開は、前年から以下のような経過を経て実現している。2017年6月7日、相田翔子が自らのブログに、プライベートで鈴木とWink結成29周年を祝ったことを写真付きで記したが[134]、同月29日には、テレビ番組『ノンストップ!』(フジテレビ系)で、Wink復活について鈴木と話し合っていることを語り[135]、7月6日の『ORICON NEWS』の記事では、鈴木も同趣旨のことを述べた[136]。8月21日になると、『サンケイスポーツ』によってWinkが2018年4月に再始動すると報じられたが[137]、同日、これを目にした相田は、自身のブログにおいて驚く様子を記しつつも、特に否定はしていない[138][139]。その報道から間もない9月5日に、鈴木が前所属事務所の社長に未払い給与金の支払いを求めているという件が、『女性自身』により「泥沼金銭トラブル」と形容されて報じられ[140]、事の真偽に拘わらず「金銭トラブル」が報じられること自体イメージダウンを招きかねず、この件がWinkの動きに影響を与えうるという見方も出た[141]。その後、相田は、2018年3月7日に、Winkの再始動は「まったくないです」と、一旦は完全に否定するに至っているが[142]、Winkのデビュー日である4月27日には、鈴木と相田が二人で出演するスペシャル・トークイベント『Special To Me』を、10月16日に開催することが告知される[143]。それから3ヶ月ほど経った7月29日、都内のライブ・レストランであるCOTTON CLUBで行なわれた相田の30thアニバーサリーコンサート「This Is My Love V」に、シークレット企画として鈴木が登場し、相田とともに「淋しい熱帯魚」を披露[144]。『思い出のメロディー』でのWinkの復活が報じられたのは、その6日後、8月4日のことであった[128][129]

同年においては鈴木単独での歌手としての活動も見られ、11月7日に上野恩賜公園野外ステージで行なわれた、レンベル・キャピタル主催の第1回震災復興支援チャリティーイベントに出演している[145]

2019年10月16日時点において、TOfficeが鈴木を所属タレントとしている[146]。センス・プロダクションからの離籍やTOfficeへの在籍開始の時期は判然としない[注 85]

センス・プロダクションおよびTOffice在籍期においては、センス・プロダクションに所属してから間もなく3年もの休業期間が続くこととなり、復帰後の芸能活動も活発であるとは言い難いが、テレビドラマへの出演や、声のみながら舞台への出演など、徐々にではあるものの活動の幅が回復しつつある。Wink結成30周年の節目である2018年には、Winkの一時再開も実現した。

人物編集

愛称編集

  • さっちん
愛称は「さっちん」。表記は、「早っちん」[148]や、「サッちん」[149]など、様々になされる。
この愛称は、『UP TO BOY』1987年3月号のグラビアに「サッチン」とあるように[150]、1988年のWink結成前からのもの。ただし、さっちんという愛称は、Wink結成前からプライベートで専用はされていなかったようで、鈴木をインタビューしたことがある[151][32][152]プロインタビュア―・吉田豪によると、鈴木は、彼女を「さっちゃん」と呼んでいた友人から、Winkが売れて以降、「テレビでの呼び方」である「さっちん」と呼ばれるようになって、落胆したことがある旨を語っているという[153]
なお、ファンがこの愛称で呼ぶことについては、彼女は2008年に、自身のブログにおいて、「呼び名。 さっちんでも何でも いいですよ~」と、ファンに向けて述べている[154]
  • その他の愛称
  • さち
さっちん以外の愛称に「さち」があると、Wink時代初期の鈴木が述べたことがある[155]。それから20年ほど経過した2009年当時の所属事務所の社長が、鈴木を「サチ」と呼んでいる例がある[156]
  • さっちゃん
相田翔子は、2017年に、自身のブログで、「Winkのデビュー当時から 早智子の事を ずっと さっちんと呼んでいたけれど ある時から 大人びた呼び方をしたくなったのか 早智子と 呼ぶようになっていました」としているが[134]、Wink時代初期頃においては、相田が鈴木を「さっちゃん」と呼んでいる例も散見する[157][158][注 86]
その時期の相田以外に、鈴木を「さっちゃん」と呼んだことのある人物には、Winkの音楽プロデューサー・水橋春夫[51]や、同デュオの楽曲の作詞を多く手がけた作詞家及川眠子[159]などがいる。なお、及川がWinkの二人に初めて会ったのは、彼女が作詞した、1989年3月16日発売のシングル「涙をみせないで」の「歌入れ」の時だといい[160][注 87]、Winkとその楽曲の作詞家は接触を持つことがあった。

身体編集

身長157cm[161]。靴のサイズ23.0cm[161]。血液型A型[162]

  • 過去の身体サイズ
Wink時代の初期までは、身長と靴のサイズ以外の身体サイズも公表されていた。Wink結成と関わりが深い、ワニブックスの隔月刊女性アイドル雑誌『UP TO BOY』、および同誌の記事を多く含む、同社刊のWinkの特集書『Twinkle Angels』に掲載されたものからその変遷を示すと、以下の通りである。
身長 体重 B W H 掲載紙
157cm - 78cm 59cm 85cm 『UP TO BOY』1987年1月号p.50、3月号p.24、5月号p.11。
157cm 43kg 78cm 59cm 83cm 『UP TO BOY』1988年5月号p.43、7月号p.12。
157.3cm 43kg 78cm 58cm 85cm 『UP TO BOY』1989年3月号p.91。
157.3cm 43kg 79cm 56cm 85cm 『Twinkle Angels』、1990年4月10日、p.99。
身体サイズは、掲載媒体によって多少の相違がある。例えば学研の月刊女性アイドル雑誌『BOMB!』では、以下のように、特に体重が『UP TO BOY』のものと異なっていた。
身長 体重 B W H 掲載号
157cm 40kg 78cm 56cm 85cm 1989年4月号p.71、5月号p.121、6月号p.193。
157cm 40kg 78cm 56cm 86cm 1989年9月号p.30。
1990年には、体重が35kgに減少していた時期もあり、『明星』1991年1月号の記事には、1990年の「夏のコンサート・ツアー[注 88]が終わってから、しばらくのんびりしてたの。そしたら、8kgも太っちゃって、43kgに!」という鈴木の独白がある[165]
  • 過去の視力
鈴木の視力は、『UP TO BOY』1989年3月号p.91に右1.0・左0.99、『Twinkle Agels』p.99に右1.0・左0.09とある。
『BOMB!』1989年5月号の記事によれば、その時期においては、普段、眼鏡を着用していた[166]。翌1990年には、「以前コンタクトをつけていましたが、片方なくしてい(原文ママ)まったので今は眼鏡をしています。」という発言がある[167]

人物像編集

自身の発言における人物像編集

  • 若年時の飽き性とその後
幼少期の回想や、若年時に行なっている述懐においては、鈴木は自らを「飽き性」とする。
彼女が41歳の時、2010年11月に上梓した自叙伝『負けじ魂』では、小学2年生の時に歌手に憧れた際は、「私は自分の性格が飽きっぽいということも分かっていました。」[168]「2~3年待ってみて、それでも飽きなかったら本物」[169]と、自身の飽き性な性格故に、慎重な態度を示したとする回想を行なっている。2006年3月、37歳の時の、吉田豪によるインタビューでは、「鈴木さんは昔から歌手志望だったみたいですね。」という吉田の言を受けて、「いろいろ興味はあったけど、歌手以外は飽き性でしたね(笑)。」と語った[170]
また、「飽き性」ということに関しては、21歳の時、1990年4月に出版されたWinkの特集書『Twinkle Angels』における、「英会話はずっとしてみたいと思ってるけど、私って飽き性だから(笑)、ただ軽い気持ちで「やろうかな」なんて始めたりしても中途半端になるだけだと思うの。」という発言もある[171]。なお、英会話を実際に学んだのは、1994年、25歳の時に、ニューヨークでレッスンを受ける時期[172]と、1998年、29歳の時に、同地での『ASAYAN』の収録期間中において、「英語辞書を持ち歩いて話すようにしたり」していた時期であるが[173]、後者の時期には「英語もわからない自分がどこまでできるか。」と思案していたことも述べており[174]、英会話の習得は出来ていなかったように語っている。
自らの若年期以前に関する発言が上記の如くであるのに対し、成人となった頃以降に関して、壮年期における次のような発言がある。2003年、鈴木が34歳の時、20歳頃から好んでいたしゃぶしゃぶや、当時、止められなくなって1年程度経っていた携帯電話麻雀ゲームを例にした、「一つのことがずっと好きではまると長いんですよ。」とするものである[175]
鈴木の壮年期の趣味には、「趣味・愛好」の小節で後述する如く、バス釣りのように、30歳前後に2年ほどで終わったものもある一方、ボウリングのように、10代の終わり頃以来、長く続いたものもある。
  • 凝り性、こだわりのある気質
鈴木は自身を「凝り性」ともしている。
『負けじ魂』では、Wink時代の給与の使途について、「凝り性なのでもしジュエリーに興味があったら大変だったと思います。」と語る[176]
凝り性の具体例としては、『Twinkle Angels』では、「中学の時、すごくケーキに凝ったことがあって」[177]、「いろんな所で食べつくし」、「おいしい店にはとってもくわしかった。」[178]と述べている。
凝り性と関わるが、少女時代においては、1年程度で嗜好が変わる場合があっても、その嗜好が継続している期間は、「こだわり」を持っている言説が見られる。服装の色に関して、1988年、19歳の時の鈴木による以下の発言がある。
「昔はヘンなこだわりがあったの。中1の時は、とにかく黒しか着なかった。黒って大人っぽいって。で“黒以外に着ちゃいけない”って自分で思いこんじゃって。1年経ってやっと白も着るようになって、中3になったら、急にピンクが好きになって。高校生になったら、なんとオレンジとか着て。そういう時期ってないですか、蛍光色が好きになるっていう……。最近、やっと、いろんな色を着てみたいと思うようになって。だって、このまま死んじゃうのイヤだし、いろんな服を着てから死にたいし」[179]
  • 少女時代における目標達成のための極端さ
先述のこだわりのある気質と関わるが、以下のように、少女時代における鈴木は、歌手になるため「やれるとこまでやる」という「目標」達成のため、自身をして「極端」と言わしめる人生選択をしている。
2006年の吉田豪によるインタビューでは、高校に入学した1984年に、「高校が芸能活動禁止だと聞くなりすぐ休学届を出しちゃうとか、ホントに極端な性格というか。」という吉田の言を受けて、鈴木は、「すごい極端です! ドラマ[注 89]の衣装合わせをサボッちゃったこともありますよ。バレー部員の役で、髪を切らなくちゃいけなくて、それがショックで。もちろんいけないことなのはわかってたので、すぐ事務所に「ご迷惑をおかけしたので辞めさせていただきます」って言って。」と答えた[170]。この、芸能事務所の退所について、鈴木は後に、「歌手の仕事ではないので未練がなかったのでしょう。」と、当時の自身の気持ちを推し量っている[181]。吉田のインタビューに戻ると、この退所後に高校を退学したことについて、鈴木は、歌手になるため「やれるとこまでやるのが目標だった」ため「あえて追い込みたかったんですよ。」と語った[170]。この目標が達成されるのは、彼女がアップライトミュージックに所属して1年ほど経った1988年、Wink結成が未だ決定していない時期に、歌手デビューの見通しもなく下積みが続く中で引退を決意した時であり、「ホントに自分でやれるところまでやってダメだったから、悔いはなかったんですよ。」と述べている[182]。なお、引退決意から間もなくWink結成が決るため、引退は実行はされていない[182]
  • 処世における不器用さ
鈴木には、その処世において自身が「不器用なイメージが強」いとされた際に、これを否定せず、そのような自己のあり方を肯定的に捉える発言がある。
それは、2010年、41歳の時に、吉田豪が行なったインタビューで、吉田による、鈴木が「ホントに損な性格というか、不器用なイメージが強くて。」という発言を受け、彼女が、「まあ、器用よりはいいですけどね。Wink時代から人生これできたので、急に器用になって、急にうまく世の中を渡れるような自分になれるわけでもないし。いままできた自分のまま、これからもいきたいなって。」と語っているものである[183]
鈴木は単純に自己肯定をしてはおらず、吉田が、「うまくやれる人が羨ましくないですか?」と問うと、「そりゃ羨ましいですよ! でも、なれるわけじゃないので。それはそれで人それぞれの人生があるし生きかたがあるので。その人にはその人の悩みがまたあるかもしれないし。だから、ないものねだりですよね。」と答えてもいる[183]
鈴木の「不器用」さとは、具体的には以下のようなものである。
  • 様々な要因で悩みをストレートに伝えられないこと
前記した吉田の「不器用」という発言は、以下の対話を受けてものである。鈴木が、1998年、29歳の時における『ASAYAN』の「やらせ」について暫く公表しなかった件に関し、リアルタイムでの「暴露」をしたくない考えを持っていたことや、事態に対する諦念があったこと、心の傷が大きかったこと、弁明をしても人間的成長ができないと考えていたこと、そして、テレビ局側へ「迷惑」がかからないよう考慮していたことなど、様々な要因によっている旨を語っているものである。
――本[注 90]を読んで思ったのは、鈴木さんは『ASAYAN』出演時にもやらせで悪役にされて10年以上経たないと番組名も口に出来ないぐらいのトラウマを抱えたわけですけど、つまり本当に悩んでいるときにそれをストレートに伝えられない人じゃないですか。
鈴木 そうですね。たとえば『ASAYAN』にしても、そのとき言ってしまったら、やっぱり暴露になっちゃうじゃないですか。
――でも、そのときに説明しておかないと、そのまま信じられちゃうと思うんですよね。
鈴木 だけど、やっぱり耐えなきゃいけない時期ってあるんですよ。そのときにどんなに真実を伝えたくて言っても、特に『ASAYAN』の場合はあれだけ強く叩かれてしまった中で、それに対して一生懸命反論してもそのときはもうしょうがないじゃないですか。受けてる傷も大きいですし、そのときは。
――とりあえず、傷が癒されるのを待つ、と。
鈴木 そうですね。そのときは、それでも人生経験として良い方向に持っていきたい思いが強かったですし、愚痴っぽくそれをガーガー言ってたら自分が成長できないので。やっぱり、いつか真実を言えるときがきたら言おうと。結局12年ぐらい経ちましたけど。やっといまなら言えるんです。もう時効だし、局側にも迷惑かからないだろうしって。[183]
  • 覆りそうにない不本意な事態に対する不抵抗
上記と関わるが、鈴木は、不本意な事態があっても、それが覆えらないと判断した場合、抗議や、その事態に至った理由の追究等を諦める旨を語る。
『負けじ魂』では、前記『ASAYAN』の一件について、番組収録中にはスタッフに再三抗議したが[184]、収録終了後には番組側などに抗議しなかったことに関し、「番組や事務所に対して文句を言うこともできました。でも、文句を言ったからといって、番組が放送された事実は消えません。仮に抗議をしたところで、番組が「あれはやらせだった」と言ってくれるわけがありません。」と述べている[185]
そして、同書には、1996年、27歳の時に、所属事務所の社長からWinkの活動停止を告げられた際、「なぜですか?」「何度、こう聞こうと思ったことでしょう。」としつつ、「覆ることはないのだから」「こう思うと、聞く気になれなかったのです。」として、活動停止の理由を質さなかった旨の記述がある[186]
  • 不利な状況の回避に優先される信念の貫徹
こうした「不器用」さや、先述のこだわりのある気質とも関わるが、『負けじ魂』に、鈴木には引き受けた仕事を放棄しないというべき信念があり、自身の不利な状況を回避することよりも、その信念を枉げずに貫徹することを優先させる旨が記されている。具体的には以下の通りである。
前記『ASAYAN』収録中に、事前に説明が無かった「鈴木早智子叩き」の番組構成がなされていることに気づいた際[187]、「ここで話をひっくり返して番組を降りることも考えましたが、いったん引き受けた以上、降板するのは負けだと思いました。」として、この仕事を継続したことを語る[173]
また、2009年、40歳の時、DVD『September Shock』の撮影において、もとはドラマの一部に短いヌードシーンがあるだけだったはずが、急遽ほぼ全編性交シーンを撮ることを何時間も迫られた際[188]、「ここで全部をひっくり返すこともできます。でも、やめれば契約違反で違約金も発生してしまう。一度引き受けた仕事から逃げ出すことが許せない私は、ここで歯を食いしばって頑張るしかない、と覚悟を決めました。」として、話を呑んだ旨を述べている[156]
  • 饒舌
『負けじ魂』では、Winkが「無表情」とされたことについて、緊張でうまく話すことが出来なかったとしつつ、「私は本来、よくしゃべる人です。それは翔子も同じ。」と述べている[189]
なお、このような饒舌さという点に関して、この鈴木の自意識と一致した言及が他者からなされることもある。『Twinkle Angels』で、「WINKの楽屋は、メチャクチャにぎやか。サッチンの「キャー、どーしよー!」という奇声や、翔子の「たいへん、たいへん」[注 91]から始まるオシャベリがイッパイ。」とされている例を始め[191]、後年の、2010年前後の鈴木の各インタビューにおいて、彼女を「饒舌」としている例[102][192]などもある。
  • 目立つことや華やかなものへの苦手意識
『負けじ魂』では、「今でもそうですが、私は目立つことが好きではありません。小学生の頃は、人前で歌うと体が震えてしまいました。この性格に、ずっと悩んでいたのです。」としつつ[193]、歌う際に人前で震えることに限って、小学生の時に克服したことを述べている[194]
2006年の吉田豪によるインタビューでは、「華やかなものが苦手ですし、人前に立つことも苦手だし。」と語っており[195]、自身が目立つことのみならず、「華やかなものが苦手」であるともしている。
  • 容姿に関する不満
1990年4月の『Twinkle Angels』で鈴木が一問一答に答え、「Complex――考えたことない」と述べたことがあるが[196]、自身の容姿に関する不満を語ることがあった。
やはり『Twinkle Angels』で、「私、鏡見るのあんまり好きじゃないの。昔から自分の顔とか見るの、大きらいで必要なとき以外、ぜったいに見なかった。今でもそう。」と述べたが[197]、翌1991年初頭に、「私、自分の顔って好きじゃないの。で、手鏡しか使わないの。」という発言もあったように[198]、鏡を見ることを嫌うのは、自身の顔立ちを好まないことによっていた。その後、2006年や2010年の吉田豪によるインタビュー時点でも、鏡を見ることは好まないとしているが、鈴木はその理由を述べておらず[199][32]、自身の顔立ちを好まないという心情が経年変化していたか否かは不分明である。
自らの容姿に関する鈴木のその他の言及は、以下の通りである。
1989年初頭、20歳を目前にした時点では、「なんでこんなに童顔なんだろうって思っちゃうんです。」「私は17歳位にみえるから、なんだ子供かって思われるでしょ。それが凄くイヤで。」と語っている[200]。ただし、同時期には、「自分の顔の中で」どこが好きかという問いへの返答として、「顔は大きらいだけど、あえて言うと目かナ?」という発言もある[155][注 92]
『負けじ魂』では、1984年、15歳の時の回想の中で、「私は癖毛ということもあり、昔から髪型を気にするタイプ。」と語っており[181]、自身の髪質について気にかけていたことを述べた。
顔や髪質以外では、20歳の時、1989年6月1日放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)[注 93]において、「自分の体の中で一番好きなところはどこですか?」という問いに、「嫌いなところはあるけど、好きなところはあんまりない。」「嫌いなところは脚とかね。なんか、太ももとか。」と答えている。

他者の発言における人物像編集

  • 相田翔子の発言における鈴木の人物像
鈴木と相田翔子は、デュオ結成以来、良好な関係が続いているといい[201][202]、鈴木とそのような関係にある相田は、鈴木に関して以下のように語ってきている。
Winkが結成された1988年においては、「サッチャンにはじめて逢った時、すっごく明るくて、元気いっぱいって印象だった。私はすごく人見知りするタイプだから、〝サッチャンの元気って尊敬できるな〟と思った。」[157]「明るくて凄い優しい人だなって思って。お姉ちゃんと同じ歳で相談とかできていいんじゃないかなと。」[203]「明るくて、いつもイキイキしている。」[179]など、明朗な人柄であることを述べている。
同時期には、鈴木の短所と長所について、「まず悪いところはお調子モノで」「2人のつきあいがすごいクールなんですよ。あと早智子のいいところは、結構いろんなコトに対してすごいしっかり考えてるなーって思って。先の事まで考えすぎて、それが欠点になる事もある」と語ったこともあった[204]。この鈴木の長所に関連して、相田は、Wink時代の後期である1994年に、鈴木の「尊敬しているところ」として、「しっかりとした計画を持って行動している」点を挙げてもいる[172]。なお、「2人のつきあいがすごいクール」という点については、Wink時代初期において、鈴木と相田は仕事終わりに渋谷などで連れ立ってショッピングや食事はするものの、オフの日はほとんど別行動であるとされている[205]
その他、Wink時代においても、その活動停止後においても、しばしば、考え方や、目立つことを好まない性格など、自身と鈴木の同質性を語ることがある。この2つの時期から発言例を任意に一例ずつ挙げる。
Wink時代の1989年には以下の発言例がある。
ウワサ話とか、考えてることがそっくりで、車の中とかでも異常にもりあがっちゃうんです。頭のレベルとかも一緒で、2人とも勉強は好きじゃない(笑)[206]
そして、1996年のWinkの活動停止から21年を経た2017年には、以下の発言例がある。
デビュー前のレッスン期間中は二人で行動しながら、事務所で毎日、電話番をしたりしていました。その時、波長が合うというか、お互いの空気感が似ているということがわかったんです。社長は、周りを蹴落としてでもトップに昇りつめるんだ! と鍛えようとしていたんですが、二人とも前に出るタイプではない。ただ歌が好きなだけで闘争心もない(笑)。
デビューして、二人でキャンペーンで全国を回ったんですが、お客さんが集まらなくていつも泣いてて。そういうところも一緒でしたね。[207]
  • 香瑠鼓の発言における鈴木の人物像
1988年の「愛が止まらない」以来[208]、Winkの振付を多く手がけた振付師香瑠鼓は、鈴木を「自分なりのセンスを持っているアーティストタイプ」と語る。2018年のインタビューにおいて以下のように述べている。
出会い始めの頃は、それこそ連日ダンスの特訓みたいな感じで毎日会っていたんです[注 94]。レッスンには私服で来るので、そこで個性が見えましたね。さっちんは毎回違ったウィッグ(かつら)をつけて来てました。当時はウィッグがまだ流行っていない頃だったんですけど、彼女は自分なりのセンスを持っているアーティストタイプだな、と思いました。この間会った時に、その話をしたら、本人は思いっきり忘れていたんですけど。(笑)それをとても印象的に覚えています。[209][注 95]
また彼女は、鈴木が、日常的な言動において、「すぐ自分の興味のある方向にい」って、「自分の世界にすぐ入」ることや、そのようにして入り込んだ「自分の世界の中で生きていて」、「愛おし」さを感じさせる、「ちょっとズレてる感じ」を持つことなどを述べた。具体的には、前記したインタビューにおいて、Winkの二人と、2018年の『思い出のメロディー』(NHK総合)収録で久しぶりに再会した際のことを回想して、以下のように語っている。
さっちんは自分の世界にすぐ入っちゃって。当時は私は眼鏡をかけていなかったんですけど、その収録に眼鏡をかけていったら、子どもみたいに「あ、先生、眼鏡!?」ってすぐ突っ込んできました。それがまた可笑しくて。(笑)さっちんは、すぐ自分の興味のある方向にいくんですよね。凄く久しぶりに会うんだから、普通は「こんにちは!」とか「お久しぶりです!」じゃないですか...さっちんは「こんにちは!」を言う前に、眼鏡のことを突っ込んできて、「あぁ、さっちんらしいなぁ」って。さっちんは自分の世界の中で生きていて、相変わらずちょっとズレてる感じがとても愛おしかったです。[209]
「自分の世界」に入る点に関しては、歌唱パフォーマンスにおいても見られるように述べている。同前インタビューにおける、「当時、Winkのふたりが香瑠鼓さんに教えられた難しい振付を必死にやっていたら、それが結果的に無表情になってしまった、というのは本当ですか?」という問いへの返答の中で、香瑠鼓は「そうですよ。」と肯定しつつも、「よくよくみると、さっちんは自分の世界に入っているのでかすかに笑っているくらい」と語っている[209]
  • 森裕平・吉田豪・及川眠子の発言における鈴木の人物像
1989年において、Winkの所属事務所アップライトミュージック社長(当時)・森裕平は、「翔子は、器用な分、油断するところがある。すぐ覚えるが、すぐ忘れるタイプ。早智子は不器用だが、完成度は高い。なかなか覚えないが、絶対に忘れないタイプだね。」と語っている[210][注 96]
森の発言は、Wink時代初期における歌唱パフォーマンスの習得に関するものであるが、先述の通り吉田豪が、2010年の鈴木へのインタビュー中に、彼女の処世に関して「不器用なイメージが強」いという言葉を、鈴木に向けて発している。また、そのインタビュー掲載誌[注 97]の発売期間中である、同年12月9日に放送の『小島慶子 キラ☆キラ』(TBSラジオ)において、吉田は鈴木を「不器用で頑固な人」と形容した[212]
これに関連する事柄として、及川眠子により、鈴木の「ピュア」な気質と、「剥き身で生きてる感じ」について言及があったこともある。吉田豪が、及川を2015年にインタビューした際、以下のやり取りがある。
──あのふたり[注 27]の人生が対照的なのもおもしろいですけどね。さっちん(鈴木早智子)が本当にしんどい人生を送るじゃないですか。何度か取材したんですけど、「ここは触れないでください」みたいな話ばっかりなんですよ。
及川 ピュアなんですよ。すごくピュアなんだけど、剥き身で生きてる感じなんですよ。
──さっちんは、当時付き合ってた彼氏のために芸能人AVみたいなものに出たりしてたわけですけど、ピュアだからこそ騙されやすくもあるんだろうなって。
及川 言ってみれば痛い子ですよね、剥き身の子だから。[213]
なお、この時のインタビューにおける及川には、吉田が、「Winkのさっちん取材のとき、ボクが持ってるWinkのCDを全部持ってったら、さっちんが「これ知らないです」みたいなのが結構あって。」と話した際における、「あれはボーっとしてるから(笑)。」という応答もある[214]

好きな花編集

Wink時代の初期に、好きな花が何か言及する、あるいはされることがあったが、相田翔子の場合、[155][215][216]スターチス[217]など、変化があったのに対し、鈴木の場合は一貫して、かすみ草であった[155][216][215][218]。1988年のWinkのデビューの際には、所属事務所から贈られた花束にこの花が束ねられていたことを喜んでおり[218]、1990年においては、かすみ草を購入して自室をコーディネートしている旨を語っている[219]

鈴木はこの花についてこのように述べていた。

かすみ草って、小さくて、白くて、地味なイメージだけど、素朴で純粋で、フンワリ包んでくれる優しさを持った花って感じしません? この花を持っていると、心が洗われる気がして、なごむんですよね。[218]

趣味・愛好編集

カラオケ編集

鈴木が2016年に、「歌は私の原点。やめることはありません。いまでもカラオケに行くと6、7時間は歌っちゃいます」と話している通り[220]、カラオケは、鈴木の歌手としてのアイデンティティと密接に関わる、幼少期からの趣味である。

小学2年生の時(1976年1977年)に、テレビでピンク・レディーのデビュー曲「ペッパー警部」(1976年)を見た時から歌手に憧れを抱くようになるが[221]、小学6年生(1980年1981年)頃には、お年玉をすべて歌にまつわるものに使うようになって、8トラックのカラオケセットを購入したといい[222][注 98]、「そこから私の長いカラオケ人生が始まりましたね。」と鈴木は語る[223]

少女時代において、ピンク・レディーの次に好きになった歌手は松田聖子であったが、当時はポップスのカラオケが少なかったため、八代亜紀の「雨の慕情」(1980年)や、川中美幸の「ふたり酒」(1980年)、美空ひばりの「おまえに惚れた」(1980年)、五輪真弓の「恋人よ」(1980年)などを歌っていたという[224][注 99]。Wink時代初期にも、テレビの音楽番組において、カラオケで演歌を歌っていることを述べ、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」(1977年)の歌唱を披露したこともあった[225]

なお、やはりWink時代の初期において、鈴木のカラオケ・カセットの所有数が350本、1,500曲分とされていたが[205][注 100]、カラオケのレパートリー数が1,500曲ともされ[226][227]、特に後者については、Winkの活動停止後にも暫く言及されることがあった[228]。しかし、鈴木はのちに、そのレパートリー数に関しては、把握していなかったことを打ち明けている[229]

その他編集

  • ピアノ
Wink結成前である1987年、18歳の時に、それより前に習っていたピアノを趣味として挙げつつ、クラシック音楽はあまり聴かないことを語ったことがある[230]
歌手となった鈴木がピアノの弾き語り等を行なった例は未確認。
  • ドライブ
公表されている鈴木の唯一の資格が、18歳の時に取得した[231]普通自動車免許であるが[161]、鈴木は、『負けじ魂』において、「私は車が大好き。車そのものというより、一人になれる空間が好きなのです。」と語る[232]。Wink時代には、オフの日にドライブを楽しんでいたといい[233]、初めて購入した自動車である日産・180SXが、最も思い出深い車であると述べている[234]
  • 読書
鈴木はWink時代の前期に愛読書に言及しており、19歳の時である1989年初頭にはポール・ギャリコ『雪のひとひら』[155]、翌1990年4月の『Twinkle Angels』では「銀色夏生さんの詩集」としている[235]。後者について、更に翌年である1991年初頭には、具体的に、以下のように語った。
銀色夏生さんの本は、幼なじみのヤッコがくれたもの。銀色さんのポエムって、独立して1編ずつ読めるので、何かあるたびに読んでるの。特につらいときは、元気づけてくれるのです。ステキな銀色ワールド、ジーンときます。[198]
なお、上記の発言の際に、以下のように『赤毛のアン』についても言及している。
子供のころからアンのシリーズはずっと愛読書です。今回は、映画の『赤毛のアン』を見て、またまた読み始めました。読むたびに感動です。そして、今の夢は、プリンス・エドワード島に行くことなの。[198]
  • バレーボール、ゴルフ、テニス
1989年初頭、19歳の時に、好きなスポーツとしてバレーボールを挙げている[155]アニメアタックNo.1』を見た影響で幼少期に行なったことがあったといい[18]、中学生の時にはバレーボール部に所属していた[236]。1992年初頭、22歳の時には、中学生時代のこの部活動について、「朝5時起きで〝朝練〟行ったり。ハードだったけど、本当に好きだったから楽しかった。今でも機会あればやりたいと思っているんですよ。」と語っている[236]
趣味や愛好スポーツにまではなっていないが、1989年初頭前後に、行ないたいとする希望を再三述べていたスポーツとして、ゴルフがある。Wink時代の最初期である1988年末頃には、友人らが楽しんでいるのを見て、自身も行ないたいと希望していたものである[226]。1989年初頭、20歳を目前にした時期には、成人となるにあたり、「これをチャンスに、人間関係の幅がもっと広がるように、ゴルフを始めようかなと思っています。友達でも最近始めた人が多いし、何と言ってもゴルフはオトナのスポーツですから(笑)。」と語った[237]。それからすぐに、歌に専念すべきだという理由で断念しているが[200]、同年内に再び「ゴルフもやってみたい」と希望を述べるようになっている[215]。その後、Wink時代後期である1994年、25歳の時には、「秋にやりたいスポーツは?」という問いに、「ゴルフ、もしくはテニス。」「デビュー当時から英語[注 101]とゴルフに関してやりたくてね。ゴルフは海外に行った時にちょっと遊びでやったので(笑)」と答えており[238]、嗜む機会は得ていた。
上記の鈴木の発言に現れるテニスは、21歳の時、1990年4月の『Twinkle Angels』で、好きなスポーツとして挙げていたものである[239]。バレーボールのように、アニメ『エースをねらえ!』を見た影響で幼少期に行なったことがあったというが[18]、1989年6月15日から21日にかけての7日間[240][241]における、写真集『Double Tone』(ワニブックス)撮影のためのハワイ滞在中に、レジャーとして行なったテニスの勝ち抜き戦が「テニスをやるの2回目」という機会だったとしている[242]。その後、1990年初頭までに、テニスのプライベートコートへ3度行っており[242]、前述の通り好きなスポーツとして挙げるようになっていた。1992年初頭には、「地元(草加)でやるオートテニスが楽しい。」という発言がある[236]
  • 料理
21歳の時、1990年4月の『Twinkle Angels』で、仕事柄、食事が不規則でを悪くすることがあるため、規則正しい食事が出来るよう工夫すべく、「料理に凝ってる」と述べている[243]。これと類似した、同じ年の発言として、前年に外食が原因で胃を悪くしたとし、手ずから料理をしようと考えている旨のものもある[218]
1990年以前に関しては、芸能事務所に所属していなかった時期である1987年2月28日、18歳の時のインタビューで、料理を好むか問われた際、弟や妹に時折ケーキなどを作る程度である旨を返答しており[230]、Wink時代初期の1989年初頭、19歳の時には、歌に専念すべく、先述のゴルフ同様、料理を諦める旨を語っている[200]
なお鈴木は、Wink時代の中期、1992年8月18日放送の『夕食ばんざい』(フジテレビ系)に単独出演し[注 75]豆腐料理「ボロボロ」の調理を披露したことがあった[注 102]。彼女は、「知り合いのおばさんから教えてもらった料理。豆腐を木べらでつぶしながらボロボロにいるので、“ボロボロ”と呼んでます。ニンジンが苦手だったのですが、みじん切りなので、この料理ならおいしくいただけます。」と述べている[244]。のち、1994年において、相田翔子は、鈴木の「得意料理」は「おトウフのボロボロ?」としている[245]
  • ボウリング、ビリボー
1989年初頭、19歳の時に、「最近はボウリングに凝ってるんですよ」という発言がある[205]。翌1990年4月の『Twinkle Angels』にはこの球戯に関する記述は無く、料理以外に「凝ってる」ものが思いつかないように鈴木は語っているが[243]、その翌年、22歳の時においては、ボウリングに夢中になっているとされており[246]、相田翔子によれば、1994年、25歳の時においても鈴木はこれに凝っていた[245]。更にその9年後、34歳の時である2003年9月19日放送の『celeb-life』(BSフジ)では、この当時においても彼女がボウリングをよく楽しんでいたことに関して取材がなされている[175]。この番組において彼女は、ボウリングに凝り始めた理由を、友人の誘いで初めてこれを行なった際、自身が思いのほか拙劣であったためであるとし、上達すべく熱中することになった旨を語っている[175]
この趣味は、Wink時代末期である1995年に日本ボウリング場協会のCM「ボウリング マジック!!」に起用されたり[注 35]、更にその翌年、Winkの活動停止後に、『ザ・スターボウリング』(テレビ東京系)へ出演したりするなど[注 75]、自らの仕事とも関わるものになっている。
その後、2008年、39歳の時には、ビリヤードとボウリングを組み合わせた球戯であるビリボーに夢中になっている旨を述べている[31]
  • バス釣り
30歳前後に、友人の影響でバス釣りに2年ほど夢中になっていたという[31]。鈴木は、「私、友人の趣味にハマることが多いんですよ。」と語る[31]

Wink最盛期における仕事のストレスと、病臥・「病弱」イメージ、失踪、喫煙編集

病臥と「病弱」イメージ編集

鈴木は、Wink時代の最初期から風邪などでダウンすることがあり、1989年の初頭に、「デビューしてからホント急に体が弱くなっちゃって……」と語ったことがあるが[247]、その後、1989年から翌1990年にかけての、Winkの最盛期で多忙を極めた時期には、以下のように病床に臥している。

まず、1989年5月29日に、咽頭炎で生放送番組の『歌のトップテン』(日本テレビ系)[注 103]を欠場。

そのおよそ半年後、11月9日生放送の『音楽派Together』(TBS系)[注 104]急性胃炎により欠場[注 105]

翌12月にも腹痛でダウン[248]

『第31回日本レコード大賞』と『第40回NHK紅白歌合戦』を前日に乗り切った1990年の元日[248]には、ストレス性の急性胃腸炎で倒れ、入院することとなり[249][250][251][252]、1月8日に『歌のトップテン』[注 106]を欠場。また、その翌々日である10日に公演予定だった、静岡県磐田市民文化会館における「Shining Star Concert」[253]が、同月22日に開催されることとなり[254]、この公演が行なわれた日に生放送された『歌のトップテン』[注 107]においては、コンサートを終えたWinkが同地から中継で出演している。

そして同年7月に急性肝炎で自宅療養を余儀なくされ[255][256]、同月4日生放送の『夜のヒットスタジオSUPER』(フジテレビ系)[注 108]や、15日放送の『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)[注 109]、25日放送の『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)[注 110]を欠場した。これに加え、同じ月の14日から開催されたコンサート・ツアー「Especially For You II」は、暫く相田翔子が一人で行なうことになり、鈴木は同月26日の川崎公演から出演している[164]。なお、この時の病臥に関し、週刊誌において、倒れた10日後にスタッフと共に飲酒していたと報じられたことがあるが[257]、後年、これについて吉田豪が鈴木へのインタビュー中に言及した際には、彼女は、飲酒をしないためそれはありえない旨を語っている[32]

その他、左側の腎臓が生まれつき弱く、腎結石血尿になったこともあるという[248]

これらによって、Wink時代には、鈴木に「病弱」というイメージがつくこととなったが、彼女自身が語るところによれば、Wink結成前には病弱ということはなく、「精神的なものが左右した」ものであった[248][注 111]。その後、ヒット曲が少なくなってきた頃からは、余裕を持って歌を歌えることにより、やっと仕事が楽しめるようになったという[258]

なお、相田翔子にも「病弱」イメージが付されたことがあり、週刊誌の記事で「病弱アイドル」と形容されたこともある[259]

失踪編集

病臥という点では、上記以外にも、1989年3月23日収録の『がんばれドラゴンズまつり』(名古屋・CBCテレビ[注 112][注 113]、および同日生放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)を、「風邪」という名目で欠場しているが、これは、実際には、Winkが急激に売れたことによる、「殺人的なスケジュール」[注 114]を伴った環境の激変に耐えかねて、失踪したものであった[260][220]。この日の朝、「隣の部屋」[注 116]の相田翔子に、「本当にごめんね」[注 117]と書いた置手紙を残し、当時の茨城県鹿島郡大洋村にあった自家所有の山小屋に隠れ、当日か翌日、失踪から戻ったという[262]。この失踪は、メディアに報じられることもなく、隠し通されていた[262]

なお失踪当時は、同年3月3日から始まっていたWinkの地方キャンペーン期間中であり、この月の「殺人的なスケジュール」とは、具体的には以下のようなものであった。

日付(曜日) スケジュール内容
1日(水) 取材。『スポーツ気分で遊ING!』(ラジオ日本)収録。
2日(木) テレビ朝日のドラマ収録。『ザ・ベストテン』(TBS系)生出演[263]
3日(金) 仙台キャンペーン[注 118]
4日(土) NHK鳥取の番組公録に出演。
5日(日) 鳥取山陰放送の番組公録に出演。
6日(月) アルバム『Especially For You』レコーディング。『歌のトップテン』(日本テレビ系)生出演[264]
7日(火) 歌え!ヒット・ヒット』(テレビ東京系)収録。アルバム『Especially For You』レコーディング。
8日(水) [注 119] アルバム『Especially For You』レコーディング。『カッ飛び歌謡ランド』(ラジオ日本)収録。 『ヤングスタジオ』(FM東京)収録。『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)収録。
9日(木) アルバム『Especially For You』レコーディング。『ザ・ベストテン』(TBS系)生出演[265]
10日(金) アルバム『Especially For You』レコーディング。『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)生出演[266]
11日(土)・12日(日) 大阪キャンペーン[注 120]
13日(月) 大阪キャンペーン[267][注 120]。『徹子の部屋』(テレビ朝日系)収録。『歌のトップテン』(日本テレビ系)生出演[268]
14日(火) アルバム『Especially For You』レコーディング。
15日(水) 沖縄滞在。
16日(木) 沖縄滞在。『熱帯夜スペシャル』(テレビ朝日系)ロケ[269]。『ザ・ベストテン』(TBS系)に中継で生出演[269]
17日(金) 沖縄滞在。
18日(土)・19日(日) 札幌キャンペーン。
20日(月) 福岡キャンペーン。東京で『歌のトップテン』(日本テレビ系)生出演[270]
21日(火) 鹿児島南日本放送の100周年記念イベントに出演。
22日(水) 福岡でイベント。
23日(木) 『がんばれドラゴンズまつり』(名古屋・CBCテレビ)にゲスト出演。『ザ・ベストテン』(TBS系)生出演[271]。 ※ この日の朝、鈴木失踪。
24日(金) アルバム『Especially For You』レコーディング。『吉村明宏のときめきバナナ』(ニッポン放送)出演。『ミュージックステーション』(テレビ朝日系) 生出演[272]
25日(土) 岡山山陽放送のイベントに出演。
26日(日) 『ローソンフレッシュフェスティバル』(大阪放送)の公録に出演。大阪・近鉄百貨店阿倍野店でミニ・コンサート[注 122]
27日(月)~30日(木) 雑誌『UP TO BOY』のグラビア撮影のため[273]グアム滞在[注 123]
31日(金) アルバム『Especially For You』レコーディング。

※ 注記が無いものは『ORICON WEEKLY』1989年3月6日号~同年4月3日号所載の「STAR SCHEDULE」による。


この頃のWinkは、「休みなんて、1カ月に1日あるかないか。6時間も寝れれば大満足という毎日。」と言われていたが[274]、上記の通り、実際に休日が皆無の中で、アルバム『Especially For You』レコーディングの傍ら、地方キャンペーンで日本各地を巡りつつ、時には東京と地方を往復して、『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』、『ミュージックステーション』といった音楽番組等に出演するなどのスケジュールが組まれていた。Winkの人気が過熱していた時期における、地方キャンペーン中のこうした初めての「殺人的なスケジュール」を、当時の鈴木は耐えきることが出来なかった。

喫煙編集

上掲したWinkのスケジュールの一覧表にある通り、彼女たちは、鈴木の失踪から4日後である1989年3月27日から、30日にかけての4日間、グアム滞在のスケジュールを持ち、実際に滞在していて[273]、これが同年におけるWinkの唯一の同地滞在になっているが[275][276]、鈴木はこの地で喫煙を覚えている[277]。その約1ヶ月前である2月22日に喫煙が法的に許された20歳になっていたとはいえ、「アイドルにとって、煙草は男性スキャンダル以上にイメージを左右しかねない」[278]ものであった。しかしながら、グアムにおける、多忙からの解放感の中、「忙しさからの反発」によって煙草に手を伸ばしたという[277]

Wink時代には、喫煙を止めるよう所属事務所の社長から叱責されつつも[279]、マネージャーや懇意にしているスタイリストらの協力を得つつ、隠れて喫煙を続けた旨を鈴木は語る[280]。失踪事件直後に、彼女はこうしたかたちで「忙しさからの反発」に対する折り合いをつけ、以後、先述の通り度々病に臥すことはあったものの、1996年の活動停止までWinkとしての活動を全うし、その後も芸能活動を継続してゆく。

なお、Wink時代に隠れて喫煙することに慣れてしまっていたため、人前で煙草を吸えるようになったのは30歳を過ぎてからである旨を鈴木は述べている[183]。喫煙を隠さなくなった30代においては、鈴木の出演したテレビドラマの中に、彼女の喫煙シーンを含むものもある[281][282]

ディスコグラフィ編集

  • Winkとしては、1996年3月31日の活動停止までに、シングル25枚、オリジナル・アルバム14枚、ベスト・アルバム9枚、その他アルバム4枚を発売。「Wink」の項の「作品」の節を参照。
  • シングル名・アルバム名・収録曲名のほか、鈴木早智子およびそのペンネームMiyoko.Aの作詞記載を太字で表示。

ソロ・シングル編集

★Wink時代

  • La Gioconda[注 124]ポリスター、1996年2月25日)
    1. ラ・ジョコンダ(作詞: 及川眠子 作曲: 井上大輔 編曲: 菅原弘明
    2. 眠り姫でいたくない (作詞: 及川眠子 作曲: 井上大輔 編曲: 木本靖夫
    3. ラ・ジョコンダ(オリジナル・カラオケ)
    4. 眠り姫でいたくない(オリジナル・カラオケ)

★ネバーランド在籍期

ソロ・アルバム編集

★Wink時代

  • Mode(ポリスター、1992年3月25日)
    1. ラスト・ダンスは頬よせて(作詞: 及川眠子 作曲: 森若香織 編曲: 門倉聡
    2. 1999年の退屈(作詞: 及川眠子 作曲: 赤城忠治 編曲: 十川知司
    3. ハリウッドな恋にして(作詞: 及川眠子 作曲: 羽田一郎 編曲: 門倉聡)
    4. 最後の楽園(原作詞・曲: Crivellente / Farina / Bindella 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) Prima Vera「Play To Love」のカバー
    5. TRANSFER(作詞: 及川眠子 作曲: 工藤崇 編曲: 門倉聡)
    6. 不実な仔猫たち(原作詞・曲: Barry Goldberg / Sylvia St. James / Roxanne Seeman 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子) アメリカソープオペラSanta Barbara英語版』の劇中歌「The Hotter The Night」のカバー

★オレガ在籍期

Winkのアルバム内におけるソロ曲編集

Moonlight Serenade』(1988年7月1日)第7曲
  • Take Me To Heaven(原作詞・曲: M. Ingman / B. Glenmark 編曲: 船山基紀 日本語詞: 及川眠子)
Especially For You〜優しさにつつまれて〜』(1989年4月25日)第5曲 アニカ・ブルマンの同名曲のカバー
  • 優しく愛して…(原作詞・曲: Ben Findon / Mike Myers 編曲: 若草恵 日本語詞: 森雪之丞
『Especially For You〜優しさにつつまれて〜』第9曲 ノーランズ「Let's Make Love」のカバー
  • Joanna(原作詞・曲: Charles Smith / James Taylor 編曲: 船山基紀 日本語詞: 及川眠子)
Twin Memories』(1989年12月1日)第9曲 クール・アンド・ザ・ギャングの同名曲のカバー
  • あの夏のシーガル 〜Cherish〜(原作詞・曲: Ronald Bell / James Taylor / Kool & The Gang 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子)
Velvet』(1990年7月11日)第7曲 クール・アンド・ザ・ギャング「Cherish」のカバー
『Velvet』第9曲
Crescent』(1990年12月16日)第4曲 キッス「I Was Made For Lovin' You」のカバー
  • 一年前の恋人(作詞: 竜真知子 作曲: 来生たかお 編曲: 門倉聡)
Queen of Love』(1991年7月10日)第4曲
『Queen of Love』第7曲
  • 聖なる夜に帰れない(作詞: 森本抄夜子 作曲: 広谷順子 編曲: 門倉聡)
Sapphire』(1991年11月25日)第4曲
  • ほんの小さな勇気(作詞: Miyoko.A 作曲: 尾関昌也 編曲: 門倉聡)
『Sapphire』第6曲
  • 未来まで待てない(原作詞・曲: James C. Brown / John A. Butler 編曲: 門倉聡 日本語詞: 及川眠子)
Each side of screen』(1992年4月25日)第6曲 Roxanne「Burning Through The Night」のカバー
  • Only One(作詞: 及川眠子 作曲: 門倉有希 編曲: 門倉聡)
Nocturne 〜夜想曲〜』(1992年11月26日)第6曲
Αφροδιτη』(1993年6月25日)第4曲
  • I Wanna Leave You(作詞: Miyoko.A 作曲・編曲: 門倉聡)
『Αφροδιτη』第9曲
  • 誰も知らない(作詞: 芹沢類 作曲: Osny Melo 編曲: Ian Prince)
BRUNCH』(1993年11月26日)第4曲
  • あなたへの想い(作詞: 鈴木早智子 作曲: 来生たかお 編曲: 小林信吾
『BRUNCH』第8曲
  • days(作詞: 鈴木早智子 作曲: 大平勉 編曲: Brett Raymond)
overture!』(1994年7月1日)第9曲
  • 永遠に…(作詞: Miyoko.A 作曲: 尾関昌也 編曲: 門倉聡)
voce』(1994年12月1日)第9曲
  • 悲しみよりもしたたかに 〜MY TURN〜(作詞・作曲: Jan Anna August Leyers / Werner Pensaert 編曲: Teddy & Melvin 日本語詞: 及川眠子)
Flyin' High』(1995年7月5日)第5曲 TASHA「MY TURN」のカバー
  • 私の夏が始まる(作詞: 芹沢類 作曲: 尾関昌也 編曲: 田原音彦
『Flyin' High』第6曲

その他編集

★Wink時代(鈴木のソロ曲)

『第二回 古関裕而音楽賞-輝け緑の星・地球- 明日へ届ける心の忘れ物』[注 125]NHKプロモーション、1994年11月6日収録、非売CD)第10曲
  • ミルキー・ウェイ ~銀河旅行~(作詞・作曲: 菅原春美
同上 第14曲

★エグゼ在籍期

  • リインカネーション
2008年12月6日のファン交流会[31][283]において非売品のCD-Rとして配布
鈴木の主演映画『宿命のジオード』(2010年2月20日公開)エンディングテーマ 共演者・津田英佑とデュエット 楽曲としては未発売

出演編集

  • Wink時代のものはすべて単独での出演。Wink時代におけるWinkとしての出演番組、CM等は「Wink」を参照。
  • 鈴木が2000年以降に出演した在京キー局のテレビ番組の大部分については、外部リンク「鈴木早智子のTV出演情報」(『ORICON NEWS』)で番組名・放送局・放送日・放送時間が確認できる。

テレビドラマ編集

★Wink結成前

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

★センス・プロダクション、TOffice在籍期

テレビ番組(レギュラー・準レギュラー出演)編集

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★ネバーランド在籍期

  • ASAYAN(テレビ東京系、1998年5月31日 - 10月25日 毎週(日))[注 48]

★オレガ在籍期

テレビ番組(ゲスト出演)編集

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期(2000年以降は省略)

★オレガ在籍期(「来歴」の節の記述を裏付けるもののほか、特筆すべきもののみを抄録)

★エグゼ在籍期(「来歴」の節の記述を裏付けるもののほか、特筆すべきもののみを抄録)

★センス・プロダクション、TOffice在籍期

CM編集

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★エグゼ在籍期

  • 宝仙堂 凄十・男子応援キャンペーン(キャンペーン実施期間:2009年11月12日(木) - 2010年2月10日(水))[294]

映画編集

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

  • きんぴら(東映、監督:一倉治雄、1990年12月22日(土)公開)- 松本千代 役

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

  • 勝手にしやがれ!成金計画(ケイエスエス、監督:黒沢清、1996年9月7日(土)公開)- 三奈子 役
  • ROMANTIC MANIA ロマンティック マニア(ケイエスエス、監督:サトウトシキ、1997年10月公開 初主演映画)- 林英子 役(主演)

★オレガ在籍期

  • 逆鱗組七人衆(さざ波、監督:市川徹、2005年9月10日(土)公開)- 山田ハルコ 役

★エグゼ在籍期

オリジナルビデオ編集

★エグゼ在籍期

  • 熱帯 濡れた監禁 女探偵 神楽明日香 (ATTACK ZONE、2009年5月7日(木))- 神楽明日香 役(主演)

インターネット番組編集

★エグゼ在籍期

  • コイカツ 恋愛ノウハウトークライブvol.2(マシェリバラエティ マシェバラ、2010年11月5日(金))[295][出典無効]

舞台編集

★Wink時代(鈴木の単独出演のみ)

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

★センス・プロダクション、TOffice在籍期

写真集編集

★マンリープロモーション、尾木エージェンシー、ネバーランド在籍期

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

書籍編集

★エグゼ在籍期

DVD編集

★オレガ在籍期

★エグゼ在籍期

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 所属事務所欄に、語尾に「S」無しで「P-ARTIST」、同住所欄に「109港区北青山2-7-28NAビル3F」と記されている。なお同書の前年93年度版(1993年10月20日発行)p. 142の「Wink」の項では、所属事務所欄に「アップライトミュージック」、同住所欄に「106港区六本木6-5-17」と記されている。
  2. ^ 鈴木は、自著の、1996年に所属事務所の社長からWinkの活動停止を宣告された際の記述において、事務所名を明示しないながら、「デビューのときからの社長は代わっており、社名も変更していました。しかし、ここが生まれ育った事務所であることは変わりません。」と記している[2]
  3. ^ 2011年版以降、および2009年版など2010年版以前の一部では、「鈴木早智子」が立項されていない。
  4. ^ 鈴木は自身の名付けについて、1990年に、「『早智子』という名前は、両親がとっても尊敬している先生につけてもらった。どういう意味があるのかは、わからない。」と独白したことがある[8]
  5. ^ 1986年11月2日に開催された「ミスUP FESTIVAL in SEIJO UNIV.」にエントリーした際の名[9]。『UP TO BOY』1987年5月号のグラビアに、「友だちに借りた名、東智子。」とある[10]。この雑誌の各号にはいずれも名前の読み方は示されていないが、1987年1月号の記事では、「東」と「智」の間にスペースが空けられている[9]
  6. ^ Winkの活動期間中における作詞用のペンネーム。Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第25号(1993年8月)p.3のインタビューにおいて鈴木は、Winkのアルバム『Αφροδιτη』(アプロデーテ)所収の「I Wanna Leave You」の歌詞が自作のものであることを述べているが、前記アルバム付属のブックレットでは、同曲の作詞が「Miyoko.A」と記される。
  7. ^ 愛称」の小節参照。
  8. ^ 鈴木自身が何らかのかたちで関与をしているはずの出身記載の中には、「profile」(『鈴木早智子公式HP』)2017年8月30日時点のアーカイブのように、「埼玉県」となっているものもあるが、彼女の出身地としては、東京都も、埼玉県も、いずれも正しい。本文において出身地を「東京都」としているのは、便宜的なものである。「出身」という語の指し示す範囲は、三省堂の『新明解国語辞典』(第7版)の「出身」の項に、「その土地で生まれていたり その地域に本籍(実家)があったり 在住していたり あるいはその学校を出たというような経歴があったり すること。」(引用原文中の記号を省略)とある通り、広いものである。鈴木にとって、東京都も、埼玉県も、前記の「出身」の定義に該当する地であることは、「来歴」の節を参照。
  9. ^ 同書における鈴木の出生地記載箇所には、典拠は示されていない。
  10. ^ Winkが出演した1989年3月23日放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)において、司会黒柳徹子が「名古屋は鈴木さんのお母様のふるさと」と発言している。ただし、この時、鈴木は風邪という名目で欠場し(実際には失踪していた[16])、相田翔子のみの出演であったため、同放送ではこの件についての鈴木の発言は無い。鈴木自身やその所属事務所など直接的な関係者・団体を通して、鈴木の母が鈴木を名古屋で里帰り出産したかにつき公表した媒体は未確認。
  11. ^ 「私が生まれ育った目黒の家」という書き方をしている。
  12. ^ 同記事にWinkの仙台での活動の日付は記されていないが、Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第2号(1989年1月20日)p.3や、『ORICON WEEKLY』1989年3月6日号p.17の「STAR SCHEDULE」により知ることが出来る。
  13. ^ 鈴木が東京に転居した月は3月から4月の間。1989年3月3日におけるWinkの仙台での活動を取材した『明星』1989年5月号の記事に、彼女たち「2人は今度、引っ越しすることが決定。仕事がつまってきたので、東京近郊のサテライト・シティーから都心に越してくるのだ。」と記される[20]。また、『週刊明星』1989年6月29日号の記事に、下記の引用では相田翔子の発言から始まって、以下のようにある。「「早智子はしっかりしてるから。私って、ほらトロいでしょ。それで社長さんに怒られたんです。『同じ日に部屋を用意してあげたのに、どうして翔子はまだ家から通ってるんだ』って。/それで悔しくて、その日、絶対マンション泊ってやろうと思って、何も持ってないのに意地で友達を誘って一晩泊ったんです」/4月の寒い夜だった。家具ひとつない板の間は冷えこんだ。たまらなくなって翔子は早智子の部屋に布団を借りに行った。」(「/」は原文での改行箇所)[21]
  14. ^ 鈴木が東京に初めて単身で居住した際のマンションは渋谷区恵比寿に所在[19]。なお、鈴木が公表している限りにおいては、その後、1994年以前に世田谷[22]、1997年に港区芝浦へと[23]、都内で居住マンションを移転している。
  15. ^ 鈴木 2010, p.46には、このオーディションが「中学1年生のとき」と記されているが、吉田豪による2006年のインタビューでは、鈴木は「中学3年生のとき」と発言している[27]
  16. ^ 鈴木 2010, p.48では、事務所名を明示せずに「東京の青山にある事務所」と述べられているが、『FLASH』1989年7月18日号の「人気爆走の2人組Wink! モデル時代の貴重写真」p.23では、中学生の時にスカウトされ、オスカープロモーションに1年半所属したのち、高校卒業直後に『UP TO BOY』のグラビアを飾ったという経歴が記されている。この記述のうち、オスカープロモーション在籍については、同事務所が青山に所在しているので、この点に限れば鈴木が著書で記したことと矛盾していないが、全体的な経歴は両者の記述の差異が大きい。前記『FLASH』記載のものが1989年における名目上の公式な経歴であったかは未確認。
  17. ^ 「17歳のとき、喫茶店でアルバイトしていた」との記述がある。
  18. ^ 『明星』1989年4月号の記事に、草加市内の、鈴木が「バイトしてた喫茶店ウェンディの店長さん」と共に写る、鈴木の写真が掲載されている[30]
  19. ^ 2010年の吉田豪のインタビューでは、建設会社のアルバイトの件が、1987年の芸能事務所所属後における下積み時代の話の最中に現れるものの、インタビュー中の鈴木はその時期にこのアルバイトをしていたとは言っておらず、どの時期に行なっていたかも言及が無い[32]
  20. ^ 鈴木 2010に、高校中退がいつだったかは記されていないが、1987年2月28日収録である「鈴木早智子インタビュー」 1987, pp.30-31では、インタビューの時点においても笠井のボーカル・スクールに通っている旨と、その「一年半位前から、ちょうど高校やめたときから習っているんですよね。」と、高校在学2年目の1985年後半頃に退学したように語っている。『FLASH』2008年11月4日号のインタビューでは、「高校1年生のとき「歌手になるので」と退学届を出したんです。」と述べているが[31]、高校入学から間もなく休学している鈴木は、在学が2年目になれば留年することになるため、「高校1年生のとき」という発言は、1987年のインタビューの発言と矛盾はしていない。
  21. ^ 『UP TO BOY』1987年5月号のグラビアでは「5千人」[10]、『ライオンのごきげんよう』における鈴木の発言では「3,000以上」[35]
  22. ^ a b 「フォーエバー」と「おじちゃんヨイショ」の表記は、「デビュー20周年 Wink 鈴木早智子 史上初のベストアルバム完成!」(『FLASH』2008年11月4日号、袋とじ)p.36による。
  23. ^ 鈴木 2010, p.52に「最終の12人」とあるが、「20人」の誤り。
  24. ^ 受賞を1987年1月と誤認している言説がWinkの活動期間中には見られ[42]、後に、鈴木自身が自著で、受賞を「'87年の1月」と[43]、誤記してしまっている。
  25. ^ a b c d e f g 出演」の節参照。
  26. ^ a b Winkのアルバム内におけるソロ曲」の小節参照。
  27. ^ a b 鈴木と相田翔子。
  28. ^ a b c ディスコグラフィ」の節参照。
  29. ^ Winkの音楽プロデューサー・水橋春夫は、アルバム『Sapphire』作成にあたって、「今回は二人[注 27]にもちょっと作詞家、作曲家としてのチャレンジをさせようかなって思っているんです。」と述べたが[51]、Wink時代においては、このアルバムにおいても、それ以後も、鈴木が作曲することは無かった[注 28]
  30. ^ a b ソロ・アルバム」の小節参照。
  31. ^ a b 「TV番組解説」(『ザテレビジョン 首都圏版』1993年第41号)p.86には、1993年10月20日放送開始の『志村けんはいかがでしょう』について、「志村けんを中心に、モト冬樹石野陽子、鈴木早智子ら “志村ファミリー” によるスタジオ公開コント。第1回は田原俊彦、相田翔子がゲスト。」とある。
  32. ^ テレビ番組(レギュラー・準レギュラー出演)」の小節参照。
  33. ^ 鈴木 2010, p.173に、この時のニューヨーク滞在が「’95年」と記されているが、誤り。
  34. ^ a b c d 舞台」の小節参照。
  35. ^ a b CM」の小節参照。
  36. ^ a b ソロ・シングル」の小節参照。
  37. ^ a b テレビドラマ」の小節参照。
  38. ^ この記事がWinkの活動停止発表の場であったことについては、鈴木 2010, p.155。
  39. ^ 鈴木は、Wink活動停止に関する『負けじ魂』の記述と同趣旨のことを、2006年には語るようになっているが[58]、その活動停止の直後には、以下のように述べていた。「Winkの中でもソロ活動をさせて頂いたんですけれども、ちょうどここ1年ぐらいそれが多くなってきたので、8年間を良い機会に“ケジメ”プラス“新たな出発”という事で思いきったんです。」[59]。なお、「来歴」の節の本文で記している通り、ソロ活動が多くなったのは、客観的には1992年以降であり、1995年に特に多くなったわけではない。
  40. ^ 相田翔子は、Winkの活動停止について、2017年においては、ムック本のインタビューにおいて以下のように述べている。「8年間、ずっとベスト10に入っていたんで、花のあるうちに解散しようということになったんです。ただ早智子とは本当に仲が良かったから「解散」という言葉は使いたくないね、と相談して「活動停止」ということにしました。」[60]。テレビ番組でも同様のことを述べているが[61]、活動停止の理由を不明とする鈴木の述懐と齟齬がある。
  41. ^ 2010年における自身の自粛に関する記述中に、「これまでずっと歌手としてやってきた私」とある。
  42. ^ この出典資料で鈴木は、Winkの活動停止直後の動向に関して、事務所名を明示せずに、「私は社名変更したそれまでの事務所。そして翔子は新会社に行くことになりました。」と記している。
  43. ^ ここでの出典資料によれば住所は千代田区三番町7-13(三番町パークマンション)201。
  44. ^ ここでの出典資料によれば電話番号は03-5210-4530。
  45. ^ この一文は、本『Wikipedia』の「ネバーランド (芸能プロダクション)」の項が、確たる出典に基づいた信頼性のある記述になるまでの、当座の参考として記すものである。
  46. ^ ポリスターとの契約終了は、正確にはいつだったのか判然としない。鈴木 2010, p.158に、Winkの活動停止後、「私は社名変更したそれまでの事務所、そして翔子は新会社に行くことになりました。/同時に、私の事務所はポリスターレコードとの契約がなくなってしまったのです。/レコード会社と契約していない、ということはCDが出せないということ。」(「/」は原文の改行箇所)とあるが、Winkの活動停止後に発行されたWinkファンクラブ会報『Winkers Party』第38号(1996年)p.7におけるインタビューで、鈴木は「来年からはレコード会社も変わるので」と述べており、少なくともWinkの活動停止によってポリスターとの契約が即座には終了していない。
  47. ^ a b c 写真集」の節参照。
  48. ^ a b 読売新聞縮刷版』のテレビ番組表から鈴木の出演コーナー関係記載箇所とその放送日とを摘記すると以下の通り。
    05/24 「再起の芸能人驚きの名前」
    05/31 「再起の芸能人遂に登場・新人賞アイドル&ラブジェネ女優&紅白・レコ大受賞WのS」
    06/07 「再起へ怒トウの新展開始動・ウィンク鈴木早智子らが挑む恐怖の生き残り試練とは?」
    06/14 「再起NY生活始動‥‥しかしサッチン超問題発言・女4人の共同生活」
    06/22 「サッチンNYで号泣‥‥〝私はもう踊れない〟」
    06/28 「怒りが遂に爆発・波乱のNY先輩芸能人説教サク烈」
    07/05 「入院・NYに衝撃&小室哲哉のさらなる試練」
    07/12 「仰天・小室の衝撃計画にNY大混乱‥‥外国人合流?」
    07/19 「新展開 台湾人合格でNYに何かが起こる」
    07/26 「台湾人にキレる・号泣激怒‥‥NY一触即発」
    08/02 「激震・サッチン超緊急事態&NY路上で口ゲンカ」
    08/09 「大激白サッチン帰国リタイア全真相・マジ衝突‥‥物が飛ぶ」
    08/16 「運命の合格発表・歓びの涙‥‥しかし小室哲哉まさかの衝撃発言」
    08/23 「決着?小室哲哉と最終面談・しかし重大事実発覚&緊急発言‥‥」
    08/30 「緊急報告・小室哲哉に何が?衝撃全真相」
    09/06 「苦渋の大結論&小室哲哉緊急会見」
    09/20 「驚ガクの新展開へ・サッチン始動」
    09/27 「大試練サッチンに超難関」
    10/18 「大胆発言‥‥小室哲哉」
    10/25 「復活サッチン大熱唱」
  49. ^ 1998年6月7日放送分。
  50. ^ 1998年6月14日放送分。
  51. ^ 1998年6月22日放送分。
  52. ^ 1998年8月2日・9日放送分。
  53. ^ 1998年8月30日放送分。
  54. ^ 1998年10月20日放送分。
  55. ^ 鈴木 2010, p.175における文言。
  56. ^ 鈴木は、2006年1月18日発売の『サイゾー』同年2月号におけるインタビューでは、『ASAYAN』について尋ねられた際に「あまりしゃべりたくないです。」と述べ、多くを語らなかったが[58]、同じ年の3月に収録された吉田豪によるインタビューでは、「まだ消化しきれてなくて、『ASAYAN』という言葉を言えるようになったのも2年前のことなんです。」として、この件について話している[71]。DVD『プロインタビュアー吉田豪の元○○な人々vol.2』(ポニーキャニオン、2010年10月20日)も参照。
  57. ^ a b ここでの出典資料では、2019年10月31日時点において、「INNOCENT SKY」のタイアップ欄に「TX系「64マリオ・スタジアム」エンディング・テーマ 他」と記されるが、同日時点における「"鈴木早智子" "INNOCENT SKY" "ワイン娘恋物語"」のGoogle検索結果では、同ページの前記記載部分が、「TX系「64マリオ・スタジアム」エンディング・テーマ ・TX系「ワイン娘恋物語」エンディング・テーマ」と表示される[73]
  58. ^ a b 『読売新聞』1998年12月29日(火)朝刊第24面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1998年12月号p.1380)に番組放送・出演予定記載あり。
  59. ^ a b 『読売新聞』1999年12月30日(木)朝刊第24面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1999年12月号p.1544)に番組放送・出演予定記載あり。
  60. ^ 『orega.net』のアーカイブのうち、鈴木が現れる最初のもの。
  61. ^ 『TVスター名鑑』の「鈴木早智子」の項における所属事務所記載箇所では、2004年版(2003年12月1日出版)までネバーランド、2005年版(2004年12月15日出版)からオレガとなっており、情報更新が遅れている。
  62. ^ 記事の題名に「オールヌード」とあるが、記事本文に「バストトップや秘部のみを隠した」とある通り、実際にはセミヌード。
  63. ^ a b c d DVD」の節参照。
  64. ^ 映画」の小節参照。
  65. ^ 具体的には、2006年4月17日における三洋物産「CRスーパー海物語」発表会のゲスト[84][85]や、2007年4月28日における香川県高松市のパチンコ・スロット店PACHINKO SLOT nikkoの「芸能人特別店長」[86]など。
  66. ^ 鈴木 2010, pp.187-188に、母の腎臓癌が手術で完治した「’93年」の「6年後」(1999年頃)に癌が再発、甲状腺に移転し、その手術が成功した「3年後」(2002年頃)に癌がまたもや再発、骨に転移して、闘病生活が始まった旨を記しているが、その後、母が本格的に入院したのがいつだったのかは述べられていない。ただし、同書のp.194には、その死去の1年ほど前(2006年頃)には入院している記述がある。
  67. ^ この出典資料は、その記述の情報ソースが不明であるため、記事内容の正誤にかかわらず、留保したかたちでしか依拠することができない。
  68. ^ 例えば2009年3月31日放送の『総力報道!THE NEWS』(TBS系)では、「Wink 鈴木早智子さん 睡眠薬服用し搬送」というテロップとともに、29日に救急搬送された旨が報じられた。
  69. ^ MUTEKIは、自社のこの公式サイトの記載では、「芸能人限定メーカー」を以って自己規定しているものの、「芸能人限定」の何の「メーカー」かは明言していない。
  70. ^ MUTEKIは、『September Shock』について、「Wink・鈴木早智子が遂に衝撃のデビュー!!」とはしているが、何の「デビュー」か明記していない。当該DVDのパッケージに「MUTEKI Debut!」という記載はあるが、「AV」の「デビュー(Debut)」と書かれていない。
  71. ^ 『宿命のジオード』。
  72. ^ 鈴木はここで、『September Shock』は、「翌年公開される映画[注 71]のプロジェクトの1つ」としてオファーされたもので、「きちんとしたストーリー仕立てになっており、「添い遂げられなかった男女の1夜」の話」であって、「「Winkの鈴木早智子がAV女優転向」と、言われてしまったこと」については、「普通に考えて私がAV転向と言うのは、/「『ありえない』」と思ってくれなかったのかな」/とも思うのです。」(「/」は原文の改行箇所)と述べている。
  73. ^ DVD『September Shock』と、DVD・写真集『one track memories』の撮影は、2009年4月に、海外において同時に行なわれた[102]
  74. ^ 鈴木が2000年以降に出演した在京キー局のテレビ番組の大部分については、この資料で番組名・放送局・放送日・放送時間が確認できる。ただし、2008年12月30日の『第50回日本レコード大賞』(TBS系)への出演[92][93]記載がない点から見て、完全なリストではない。
  75. ^ a b c d テレビ番組(ゲスト出演)」の小節参照。
  76. ^ serial TV dramaアルバム『パワースポット』(ソニー・ミュージックエンタテインメント、2011年8月17日)初回生産限定盤に収録。
  77. ^ 2011年半ばから翌年半ばの約1年間の動向についての資料としては、2013年2月5日放送の『スター☆ドラフト会議』(日本テレビ系)における鈴木の発言がある。この番組において鈴木は、同番組放送直前のテレビ不出演期間中、「1年は、えーと、生きながらに死んでた感じですね」、「ストレスがすごい溜まっちゃって、ま、家に入院してる感じ」、「無理だと思ったんですね、あの、復帰が。復帰というか、自分のこの精神状態では、もう芸能界で仕事できないかなあとか」(そうなった理由について鈴木自身は発言していない)、「一時期声が全く出なくなっちゃったんですね」、「まあ、ちょっと、リハビリというか、頑張ってボックスに行って、こう、声をなるべく出すようにしたりしてたんですよ」などと自ら語っている。その一方で、同番組内の再現VTRなどにおける服部伴蔵門のナレーションでは、「2010年には共演した俳優との不倫疑惑が発覚、自ら芸能活動を自粛、表舞台から姿を消した」、「実家に戻り、芸能界とは無縁の生活」、「人との関わり合いを避け、家に閉じこもり」、「2年半ぶりのテレビ出演」とされたが、実際には、2011年5月15日放送の『クイズ☆タレント名鑑』(TBS系)以来およそ1年半ぶりのテレビ出演であり、かつテレビへの不出演は、当節の本文に記されている通り「自粛」を契機としたものではない。すなわち同番組では、鈴木自身の発言部分以外は、当該番組出演直前の時期における、そのテレビ不出演について事実が語られていない。なお、この番組における鈴木の出演コーナーの内容は、鈴木が「CD再デビューをかけて熱唱した」というもの[109]
  78. ^ 鈴木のこの時期の具体的な活動は、2012年5月22日(火)新潟県新潟市江南区のパチンコ・パチスロ店ニューラッキー亀田店での営業[110]や、これを紹介した5月27日放送のラジオミニ番組『NEW LUCKY INFORMATION』(エフエムラジオ新潟)の出演[111]のほか、ややのディナーショーのうち、11月11日(日)愛媛県松山市道後温泉、12日(月)同県新居浜市[112]、25日(日)中華料理店東天紅上野本店[113]、および12月某日神戸メリケンパークオリエンタルホテルにおけるもののゲスト[114]など。
  79. ^ 例えば、2011年10月にはエグゼに鈴木や津田英佑を始め5組のタレントが在籍しているが[115]、その3ヶ月後である2012年1月には鈴木や津田など3組にまで減少しており[116]、2013年には公式サイトが消滅している[117]
  80. ^ 「鈴木 早智子 プロフィール」(『エグゼ株式会社』)2013年1月2日時点のアーカイブにある如く、同時点ではエグゼの公式サイトに同社の所属タレントとして掲載されている。
  81. ^ このブログにおいて永福真子が、2016年5月15日の「CLEAR'S大集合ライブ」にゲスト出演した「鈴木早智子ですが、しばらく休養をいただいていたので 昨日(原文ママ)は数年ぶりに、人前に出るという事で大変緊張をしていましたが」と記しているが、前記文中の「昨日」は、「一昨日」の誤り[120][121]
  82. ^ 具体的には、2016年5月15日(日)「お掃除ユニットCLEAR’SスペシャルLIVE~全国CLEAR’S集合!みんなで一緒に回れ~」ゲスト[120][121]、6月5日(日)シアタープロレス花鳥風月40回記念東京タワー大会ゲスト[123]、8月28日(日)「センス・プロ ランチパーティー企画・第一弾 ~鈴木早智子とゆかいな仲間たち~」[124]、12月30日(金)「Mix Sense SPECIAL PartyNight ~センスプロ、年に1度の大忘年会スペシャル~」[125]、2017年4月30日(日)「センス・プロ ランチパーティー企画・第二弾 ~鈴木早智子とゆかいな仲間たち~」[126]、5月4日(木)第3回 「Tokyo Candoll」決勝戦審査員[127]など。
  83. ^ 「鈴木早智子、9年ぶりドラマで教師役「意外とすんなり」」(『ORICON NEWS』2017年7月6日15:43)2017年7月6日時点のアーカイブに、「9年ぶり」のドラマ出演とあるが、「8年ぶり」の誤り。
  84. ^ a b 収録日は2018年8月4日[128][129]
  85. ^ 鈴木は2017年12月30日販売開始のセンス・プロダクションのオリジナルカレンダーに写真が掲載されているが[147]、その前後から芸能事務所の在籍動向が不分明である。
  86. ^ 出典資料における表記は、必ずしも平仮名の「さっちゃん」ではない。
  87. ^ 1989年の『ORICON WEEKLY』各号に掲載される「STAR SCHEDULE」では、1月31日と2月1日の2日間においてレコーディングが認められる。
  88. ^ 1990年7月14日から9月13日まで開催された「Especially For You II」[163]。ただし鈴木は、急性肝炎により、7月26日の川崎公演から出演している[164]
  89. ^ 転校少女Y』(TBS系、1984年10月9日 - 12月25日放送)[180]
  90. ^ 鈴木早智子『負けじ魂』。
  91. ^ 「たいへん」と話の口火を切るのは、本来は鈴木の口癖であるが、1989年には相田翔子に伝播している[190]
  92. ^ 鈴木は、1986年、17歳の時の、ミス・アップ・グランプリ受賞時には、自身の「チャームポイント」を「目」としている[41]
  93. ^ 『読売新聞』1989年6月1日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年6月号p.32)および夕刊第16面(同前p.52)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  94. ^ 1988年の『ORICON WEEKLY』各号に掲載される「WEEKLY SCHEDULE」では、「愛が止まらない」のレコーディングが終了した10月3日の翌々日である5日のほか、同月11日と18日の3ヶ日において振付のレッスンが認められる。
  95. ^ 香瑠鼓は、自伝エッセイ『ふぅ~はっ!』(NHK出版、2001年8月25日)p.115でも、同趣旨のことを述べている。
  96. ^ のちに『Twinkle Angels』でも、Winkの振付について、森裕平の発言と同趣旨の記述が以下のようになされた。「サッチンは覚えるのユックリだけど、一度覚えるとゼッタイに忘れないし、練習のときにもまちがえない。/翔子は、すぐ覚えるし返事はいいけど、すぐ忘れてしまう。だけど、振りのポイントはしっかり押さえている。」(「/」は原文の改行箇所)[211]
  97. ^ 『BUBKA』2011年1月号、2010年11月30日発売。
  98. ^ 鈴木は、鈴木 2010, p.33では、8トラックのカラオケセットを「親に買ってもらいました。」とするが、2003年9月26日放送の『celeb-life』(BSフジ)では、「やっとお年玉をかき集めて買っ」たと語る[223]
  99. ^ 鈴木 2010, p.34には、少女時代の鈴木がカラオケで歌っていた曲として、本文に記している、彼女が8トラックのカラオケセットを購入した頃の1980年の楽曲4曲が列挙されているが、これらを歌っていたのが少女時代の特にいつ頃だったかは記述が無い。
  100. ^ 鈴木は、『明星』1989年3月号付録『ヤンソン』では、カラオケ・カセット所有数を、1,500曲分ではなく「1500本」と述べている[158]
  101. ^ 英語に関しては、「自身の発言における鈴木の人物像」の小節内の、「若年時の飽き性とその後」参照。
  102. ^ 番組放送予定と調理方法が『ESSE』1992年9月号p.239に掲載されている。
  103. ^ 『読売新聞』1989年6月5日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年6月号p.226)および夕刊第20面(同前p.258)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  104. ^ 『読売新聞』1989年11月9日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1989年11月号p.452)および夕刊第20面(同前p.480)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  105. ^ 鈴木 2010, p.93には、この月に「腹痛で倒れました。」と記される。
  106. ^ 『読売新聞』1990年1月8日(月)朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年1月号p.332)および夕刊第20面(同前p.362)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  107. ^ 『読売新聞』1990年1月22日朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年1月号p.1016)および夕刊第20面(同前p.1048)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  108. ^ 『読売新聞』1990年7月4日(水)朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年7月号p.190)および夕刊第20面(同前p.210)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  109. ^ 『読売新聞』1990年7月15日(日)朝刊第32面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1990年7月号p.764)に番組放送・出演予定記載あり。
  110. ^ 『読売新聞』1990年7月25日(水)朝刊第32面(『読売新聞縮刷版』1990年7月号p.1260)および夕刊第16面(同前p.1276)のテレビ番組表に番組放送・出演予定記載あり。この文献に「ウィンク夢の競演、東京―大阪2元中継」とあるが、コンサート公演中の相田翔子が大阪から中継で出演した。この時の大阪公演は7月17日(火)・18日(水)の2日間[163]
  111. ^ ただし鈴木は、1990年においては、「趣味・愛好 - その他」の小節における「料理」で先述した通り、その前年に胃を悪くしたのは外食が原因だと述べている。
  112. ^ 下記の、1989年3月のWinkのスケジュール一覧表参照。
  113. ^ 同番組は1989年3月25日放送。同日の『中日新聞』朝刊第32面(『中日新聞縮刷版』1989年3月号p.1104)のテレビ番組表に、番組放送予定と「ウィンク」の記載あり。
  114. ^ 鈴木 2010, p.92での文言。
  115. ^ 1989年4月1日におけるWinkの名古屋での活動を取材したこの記事に、「ひとり暮らしが、もーすぐ実現」という相田翔子の発言が記載される。同記事にWinkの名古屋での活動の日付は記されていないが、Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第2号(1989年1月20日)p.3や、『ORICON WEEKLY』1989年4月3日号p.17の「STAR SCHEDULE」により知ることが出来る。
  116. ^ 鈴木 2010, p.95での文言。鈴木は後にこの「隣の部屋」を「マンションの隣の部屋」と述べたが[220]、相田翔子が自室マンションに初めて入ったのが、鈴木の失踪事件後の4月である[261][21]ことと矛盾している。
  117. ^ 鈴木 2010, p.95での文言。『Smart Flash』のインタビューでは「ゴメンね」[220]
  118. ^ Winkの仙台キャンペーンの動向が、「今日もドタバタ息つぎな~し!」(『明星』1989年5月号pp.58-59)でレポートされている。
  119. ^ Winkのこの日一日の動向が、「WINKの3月で一番ハードだった一日」(『BOMB!』1989年5月号pp.119-121)でレポートされている。
  120. ^ a b Winkの大阪キャンペーンの動向が、「The WINK・TIMES」(『DUNK』1989年5月号)pp.36-37でレポートされている。
  121. ^ 『ザ・ベストテン』の欄に「沖縄&鶴太郎&?熱帯夜生中継」とある。
  122. ^ DVDボックス『Wink Visual Collection~1988-1996 ヴィジュアル全集~』(ポリスター、2008年4月27日)付属のボーナスDVD「WINK MINI CONCERT'89-近鉄百貨店・阿倍野店-」は、このミニ・コンサートを収録したもの。
  123. ^ 『Twinkle Angels』 1990, p.32に、「3月下旬、大阪での仕事を終えてその足でグアムへ直行」とあり、グアムへの実際の移動は26日。
  124. ^ イタリア語で「モナ・リザ」の意味。Winkファンクラブ会報『Winkers Party』第37号(1996年)p.6に「フランス語」とあるが、それは誤りで、同言語では「La Joconde(ラ・ジョコンド)」という。
  125. ^ a b c 『ザテレビジョン 宮城・福島版』1994年第47号p.96には、1994年11月19日に東北地方で放送の『東北スペシャル』(NHK総合)について、鈴木の顔写真を掲載しつつ、「「君の名は」や「長崎の鐘」などの名曲で知られる作曲家・古関裕而福島県出身である彼にちなんで、福島市では毎年、古関裕而音楽祭が行なわれている。11/6福島市公会堂での音楽祭のもようを紹介する。ことしは3年に一度行なわれるコンテストの年。「古関裕而音楽賞」を競い、湯川れい子小椋佳羽田健太郎など有名作詞・作曲家が新曲を製作、Winkの鈴木早智子(写真)らが披露する。なお、このもようは、11/26[土]に「地域イベントアワー」(昼4・30 NHK衛星第2)で、90分の拡大版としても紹介される。」とある。「過去の福島市古関裕而記念音楽祭一覧」(『福島市公式ホームページ』)2018年9月13日時点のアーカイブでは「第2回福島市古関裕而音楽祭」開催を「平成4年11月8日(日曜日)」としているが、この年の11月8日は火曜日であり[285]、『ザテレビジョン』の記述が正しい。
  126. ^ 『Twinkle Angels』 1990, p.169に紹介記事あり。
  127. ^ 『ザテレビジョン』1992年第1号の「年末年始ビッグスター50」および第2号より第8号の各「NEWすたーれぽーと」(いずれも各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。同誌首都圏版1992年第2号と第3号の「TV番組解説」および第9号「男を狂わすヒロイン乃絵の寝技の数々… 真夜中は別のテク!?」(各地方版共通)p.33に鈴木の役柄「玲子」を記述に含む記事あり。
  128. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第42号)p.49(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。同誌首都圏版「TV番組解説」p.86に鈴木の役柄「晶」を記述に含む解説あり。
  129. ^ 「TV番組解説」(『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第10号)p.84に鈴木の役柄「お由紀」を記述に含む解説あり。
  130. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1997年第1号の番組表に番組放送・出演予定記事あり。同誌1997年第2号p.13と第3号p.10(いずれも各地方版共通記事)に鈴木の役柄「吉川雅美」の紹介記事あり。
  131. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第7号)p.44(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。なお同資料には、1992年2月21日(金)に相田と二人でWinkとしての出演予定記載あり。
  132. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第32号)p.42(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  133. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1995年第40号・第41号の番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  134. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第18号)p.43(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  135. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第23号)p.41(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  136. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第24号)p.48(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  137. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第25号)p.43(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  138. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第26号)p.60(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  139. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第27号)p.41(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  140. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第33号)p.45(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。なお、鈴木の出演内容について、同誌首都圏版の番組表には「鈴木早智子のベーコンのサラダ」と記されているが、実際には豆腐の「ボロボロ」が調理されている。「趣味・愛好 - その他」の小節の「料理」参照。
  141. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1992年第47号)p.139(各地方版共通)に放番組送・出演予定記載あり。
  142. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1993年第11号)p.39(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  143. ^ 「NEWすたーれぽーと」(『ザテレビジョン』1993年第26号)p.53(各地方版共通)に番組放送・出演予定記載あり。
  144. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第32号の番組表p.66に番組放送・出演予定記載あり。
  145. ^ 『読売新聞』1996年8月25日(日)朝刊第32面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1996年8月号p.1120)番組表に番組放送・出演予定記載あり。
  146. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第51号の深夜番組表p.89に番組放送・出演予定記載あり。
  147. ^ 「TV番組解説」(『ザテレビジョン 首都圏版』1996年第42号)p.75に番組放送・出演予定記載あり。
  148. ^ 1997年2月15日放送分については『読売新聞』1997年2月15日(土)朝刊第36面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1997年2月号p.726)に「元ウィンクも感動審査」というかたちで番組放送・出演予定記載あり。
  149. ^ 「歌のスペシャル豊漁セレクション」(『ザテレビジョン』1998年第39号)p.13(各地方版共通)に番組出演中の鈴木の写真とともに番組放送・出演予定記載あり。
  150. ^ 『ザテレビジョン 首都圏版』1999年第12号の番組表p.99に番組放送・出演予定記載あり。
  151. ^ 『読売新聞』1998年10月27日(火)朝刊第36面テレビ番組表(『読売新聞縮刷版』1998年10月号p.1454)に番組放送・出演予定記載あり。
  152. ^ 「音楽」(『ザテレビジョン』1998年第50号)p.53(各地方版共通)に番組放送・出演・曲目予定記載あり。
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出典編集

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関連項目編集

外部リンク編集