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伊東四朗

画像提供依頼:顔写真の画像提供をお願いします。2018年7月

伊東 四朗(いとう しろう、1937年6月15日 - )は、日本コメディアン[1]俳優タレント司会者日本喜劇人協会相談役。本名は伊藤 輝男(いとう てるお)。 東京都台東区出身。 五人兄弟(兄2人、姉1人、妹1人)の三男[2]

いとう しろう
伊東 四朗
伊東 四朗
本名 伊藤 輝男
(いとう てるお)
別名義 ベンジャミン伊東
生年月日 (1937-06-15) 1937年6月15日(81歳)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市下谷区竹町(現:東京都台東区
血液型 O型
職業 俳優
タレント
司会者
活動期間 1958年 -
配偶者 既婚
著名な家族 伊東孝明(次男)
公式サイト 伊東四朗オフィシャルサイト
主な作品
バラエティ番組ーなど
笑って!笑って!!60分
みごろ!たべごろ!笑いごろ!
ザ・チャンス!』/『伊東家の食卓
コメディーお江戸でござる
脳内エステ IQサプリ
芸能人格付けチェック
テレビドラマ
遠山の金さん』/『ムー一族
同心暁蘭之介』/『おしん
銭形平次』 /『ダブル・キッチン
十津川警部シリーズ』/『北条時宗
おかしな刑事』シリーズ
忠臣蔵』/『笑ゥせぇるすまん
私の青空』/『平清盛
映画
マルサの女』/『天河伝説殺人事件
ミンボーの女』/『スーパーの女

CM
白子のり
ヤクルト
伊東 四朗
本名 伊藤 輝男
生年月日 (1937-06-15) 1937年6月15日(81歳)
出身地 東京府東京市下谷区
(現在の東京都台東区
血液型 O型
身長 166cm
言語 日本語
方言 標準語
最終学歴 東京都立市ヶ谷商業高等学校
師匠 石井均一座
出身 浅草軽演劇
トリオ名 てんぷくトリオ
相方 三波伸介
戸塚睦夫
芸風 漫談コント
立ち位置
事務所 オルテ企画
活動時期 1958年 -
過去の代表番組 『笑って!笑って!!60分』
『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』
『ザ・チャンス!』
『伊東家の食卓』
『脳内エステ IQサプリ』 他
他の活動 俳優
配偶者 あり
親族 次男(伊東孝明

オルテ企画所属(「オルテ」は、本名「てるお」の逆読み)。兄は教育評論家[3]の伊藤竹三。次男は俳優・タレントの伊東孝明

目次

来歴編集

生い立ち編集

東京府下谷区竹町(現在の台東区台東)にて[4]、服地商の子として生まれる。父親は静岡県榛原郡相良町(現在の牧之原市)、母親は同県掛川市の出身[5]。男、女、男、男、女の5人きょうだいの上から4番目の三男が伊東[4]。戦時中は母親の実家のある掛川市に疎開した。

子供の頃に工場跡地のトロッコで遊んでいたところ、トロッコが暴走し転倒。車輪の一部が伊東の左頬を貫通した。今でも伊東の左頬には傷跡が残っている[要出典]

石井均一座編集

東京都立市ヶ谷商業高等学校卒業後は就職を希望し数多くの面接を受けるも、目付きが悪い人相が悪いことを理由に不採用が続き、伝手を頼って紹介された企業も入社試験を受けたが採用には至らなかった。1958年伊東は早稲田大学生協職員に採用され、時間が出来ると観劇に様々な場所へ赴いた。その中で新宿フランス座の座付き俳優だった石井均は同じくこの年に劇団「笑う仲間」を旗揚げ、この舞台を見に足繁く通っていたため一座の役者が伊東の顔を憶えるほどになっていた。それらの経緯もあり、石井一座の役者から「君も(舞台で)やってみないか?」と誘われ、石井一座に参加。[6]「笑う仲間」はもう一人の共同主宰者と石井の仲違いから数ヶ月で瓦解「石井均一座」として再出発し新たに財津一郎(当時は財津肇メ)らが加わった[7]

最初の芸名は、師匠の石井均に「いとうにしよう」と言われたことから「伊藤証(いとうしょう)」であったが(「一等賞」をもじって名付けられたとの説もある[8])、ポスターなどに名前が連なる時に「名前が一文字なため、先輩より目立つ。お前も2文字にしろ(→四朗)」ということで「伊東四朗」と改名した[9]

てんぷくトリオ編集

石井一座は、浅草松竹演芸場新宿新宿松竹文化演芸場を拠点に人気となる。石井に追随した戸塚睦夫も新宿フランス座々付でその剣劇や軽演劇仲間[10]であった三波伸介とは夜間キャバレーの営業に出ていた(三波戸塚コンビ)。このステージ営業はある芸能事務所が石井をスカウトし、石井は戸塚を誘い二人で開始(石井戸塚コンビ)、その後石井は劇団旗揚から多忙を極め時間上の都合から三波にこのコンビ営業を移譲した経緯があった。引き継いだ三波はフランス劇場の座付で残り、石井の劇団に移った戸塚とはこの夜スケジュールに間に合わない事態が発生すると、戸塚はその都度に同じ座員だった伊東に声を掛けてこのキャバレー営業の相手代役に仕立て「(にせ)三波伸介[11]」として急場を凌いでいたが、三波は1960年初頭に失踪(その後大阪に行ったことが判明する。)、伊東は「三波」の名でそのまま夜の代役営業を余儀なくされ、約一年余に渡り三波の帰京まで続けた。伊東はその代役期間にキャバレー従業員達とは顔馴染みになりステージも好評で、三波はコンビの復帰に際して[12]伊東との交代を避け[13]事務所には三人になったことを報告した。営業先のキャバレーショー司会者にコンビからトリオ再編になったことを告げる挨拶では、芸名「三波伸介」の扱いから「本当は伊東四朗、本当の三波伸介、本当に戸塚睦夫[14]」と幾分非常識な伊東の改名紹介も兼ねた(三波戸塚伊東トリオ)。やがて石井一座は1961年に解散し、伊東と戸塚はこちらを主点に置くようになったが(途中「三波戸塚伊東トリオ」から「ぐうたらトリオ」に改名)、三波はこの夜の仕事とは別に個人単独の仕事を求め活動しテレビ出演の機会を掴み、その繋がりからトリオも1962年、正式にてんぷくトリオ(当初の「ぐうたらトリオ」から改名)としてテレビや一般の舞台へと進出した。トリオブームの中堅として素地の軽演劇経験を生かし、コントなどで舞台やテレビで徐々に人気となり、三波のギャグ「びっくりしたなぁ、もぅ」が大当たりして、茶の間の人気お笑いグループとしての地位を確立した。てんぷくトリオが世に出るきっかけの素は三波個人(ソロ)活動にあり、三波はトリオの活動に重点を置いてはいたが、平行する個人活動の都合上、トリオの知名度や人気を利用して戸塚と伊東に二人か個別の活動を促していた。これを受けて努力家の伊東はダンスや楽器の練習などで芸を磨き、映画監督の市川崑は伊東を「てんぷくトリオの中の一番若くて一番やせている人。演技開眼したらしく、からだとセリフのタイミングが見事。おもしろい。」と1968年に期待する新進として挙げていた[15]

1970年頃、『笑点』の札幌公演において、当時司会の前田武彦が天候不順で来られなくなり、急遽代理として三波伸介が司会をしたことがあった(三波は後に正式な司会に抜擢)。その際、座布団運びの代理は伊東が務めたので、伊東が正式な座布団運びになった可能性もあったというエピソードがある。

1972年から毎週日曜日に、三波らと共に出演していたNHKの『お笑いオンステージ』内「てんぷく笑劇場」での活躍が代表的である[16]1973年戸塚睦夫が42歳の若さで逝去し、てんぷくトリオの活動に困難が生じるも、三波と2人で「てんぷく集団」として活動を継続。“てんぷく”の名を守ったが、次第にそれぞれの個人活動へシフトしていき、実質的に休止状態となる[要出典]

電線マン編集

1975年以降、三波の意向で「てんぷく」名での活動を抑制した頃、小松政夫との共演が話題になり、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』での親子コントや「電線音頭」でのベンジャミン伊東、『笑って!笑って!!60分』での「小松の親分さん」などのネタで人気に火がついた。小松と2人で生み出したギャグがいくつもあるが、正月によく流れる琴による演奏の『春の海』を口で表現する「つん、つくつくつくつん。つん、つくつくつくつん。ひやーひんひらひらりー、べんべらべんべらべんべらべんべらべん」は伊東のオリジナル[要出典]

ずん」や「ニン」、「どーかひとつ」といったギャグも有名になった。特にベンジャミンとしてのスタイルは、藤田まことら古くからのコメディアン仲間から「あいつはバカになったのか!?」と驚嘆されるほどのインパクトがあり、小林信彦からは大いに絶賛された。それまで「てんぷくトリオ」のサブ的役割だった伊東が、にわかに芸能界で存在感を示し始め、1979年にはTBSザ・チャンス!』の二代目司会者に抜擢された。

「ベンジャミン伊東」のキャラクター案は、伊東が自身の威圧的な顔にコンプレックスを持っていたため、「怖い顔でも面白い人はいないのか?」と考えた時に「サーカスの団長」が思い浮かんだことが発端となっている。スタッフから「衣装はどうしましょう?」と問われ、伊東は「サーカスの団長っていったら、こんな感じじゃないの?」と、台本の隅にサラサラと落書きのようなイラストを書いた。すると電線マン収録の際にイラストそのままの衣装が用意されていたという[要出典]

喜劇役者として編集

1982年12月8日、三波が52歳の若さで急逝。訃報を聞いた際、伊東は三波が安置されている病院に向かい、報道陣の問いかけに「(三波の遺体を触った際に)まだ温かいんですよ。温かいものだから死んだ気がしなくて…」と語り、葬儀で号泣した。こうして「てんぷくトリオ」は伊東だけとなってしまう[17]

1977年TBS系ドラマ『ムー』で、渡辺美佐子の夫役を演じて人気を博し、1983年NHK連続テレビ小説おしん』の父親役に抜擢され、ドラマは大ヒット。以後、活動の中心は俳優業に据え、活躍の場を大きく広げた。1992年から2015年まではTBS系『十津川警部シリーズ』で亀井定雄役を一貫して演じたほか、2時間ドラマの主演も多い。俳優業以外にはバラエティ番組の司会も数多く担当し、日本テレビ系バラエティ番組『伊東家の食卓』には「お父さん」役で約10年出演した。

テレビドラマでの父親役のイメージが強く、他の芸能人からは「(伊東家の)お父さん」と呼ばれることも多い[要出典]

CMでは『白子のり』のイメージキャラクターを長年務めていることで有名。

『おしん』以降、コメディアンと並行してシリアスな俳優としての存在感も高めた伊東であったが、自らを「喜劇役者」と位置づけており、「いつまでもそうあり続けたい」と語っている。「三波も戸塚も死んだが、てんぷくトリオは解散したものではない、解散を口にしたことはない」[18]とも述べ、コメディへのこだわりも見せる。かつての喜劇役者仲間であり、親しい友人でもあった東八郎関敬六、また渥美清由利徹などといった浅草喜劇出身の役者たちが次々に冥界の人になって以後は、「浅草喜劇の伝統を後代へ引き継ぎたい」という想いと、「彼らの分まで、体が動く限り現役で頑張りたい」との想いが年々強くなっているという[要出典]

1997年三宅裕司小倉久寛らと共にオムニバスコントの舞台『いい加減にしてみました』を上演する(2002年・2010年にも上演)。この流れで、今ではあまり見られない典型的な喜劇軽演劇舞台を再現しようと、2004年、『伊東四朗一座 〜旗揚げ解散公演』を上演した(タイトルからも分かるように最初で最後の予定であった)。この公演は当日券を求める客があふれるほどで、多くのリクエストを受けて、翌2005年には『伊東四朗一座 〜急遽再結成公演〜』を上演する。その後、2006年・2007年には伊東が参加しなかったため、三宅らは「熱海五郎一座」[19]と銘打って活動する。2008年には再び伊東が加わり「伊東四朗一座」として公演を行う。2009年には「伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演」が上演された。現在は年1回のペースで活動。伊東四朗一座の舞台公演作品はDVD化もされている。

この他にも舞台公演は精力的に行っている。角野卓造松金よね子佐藤B作あめくみちこ夫妻らとともに「西荻窪エリアでお酒を飲みながら語らう会」(西荻の会)を結成し、実際に西荻窪エリアで酒を飲みながら語らっていたが、ある時会の外から「このメンバーで芝居を」との提案を受けたことから[要出典]2011年、本多劇場にて西荻の会による介護コメディー『ロング・ロスト・フレンド』を上演した。

人物・エピソード編集

  • 伊東がまだ学生だった頃、芝居の台本を持ち込んで教えを請おうと思い立って無謀にも二世尾上松緑と面会するべく歌舞伎座を訪れた際、追い返そうとする番頭を二世松緑がたしなめ、自ら伊東を楽屋に通し、伊東が書いた芝居の台本を読んでアドバイスをした上に、その当時、二世松緑の弟子であった四代目坂東鶴之助(後の五世中村富十郎)に松緑が「この若い者(伊東)に女形芸について教えてあげなさい」と指示し、鶴之助から女形についてのレクチャーを受けたという[20]
  • テレビではあまり見られないが、歌の素養もあり、ギターの弾き語りもするなど、幅広いエンターテイナーとしての素地を持った芸人である。優れたリズム感は70歳近くになっても衰えず、『伊東家の食卓』での体を使ったゲームなどは自分より若い年代の出演者に先駆けてクリアしていた。2005年舞台ではラップも披露した。次男・孝明と海外旅行する番組『ホンモノの伊東一家は海外嫌い!?』では、英会話もこなしている。百人一首を暗記したり、円周率を100桁以上暗記、さらに500桁を目指す、アメリカ合衆国の州を毎日暗唱するなど、脳の活性化のためにと自分なりの工夫を実行している。
  • テレビドラマ『笑ゥせぇるすまん』に主人公役で出演した際、目の瞬きをしないことを主人公の特徴と自ら解釈してわざと目の瞬きをしない演技を通した経緯からドライアイを患い、現在もドライアイの症状がある。
  • 好きな漬物山芋である。
  • 2011年、したまちコメディ映画祭in台東において「第4回コメディ栄誉賞」を受賞[21]
  • テレビドラマ『竜馬におまかせ!』や『明日があるさ』で共演したダウンタウンがホストを務める番組『ダウンタウンDX』や『HEY!HEY!HEY!』に度々ゲスト出演している。現在も親交が深いことから、親しみを込めて、ダウンタウンの2人は伊東のことを「お父さん」と呼んでいる。
  • 社団法人日本喜劇人協会(第10代会長:小松政夫)で相談役を務める(日本喜劇人協会公式サイトを参照)。
  • 2012年9月、野口五郎尾藤イサオ橋爪功山口もえらとともに「たいとう観光大使」に就任[22]。「たいとう観光大使」は台東区出身の芸能・文化・スポーツ関係者から選ばれ、台東区の魅力を内外に発信し、区のイメージアップ、観光の振興を図る活動を行う。
  • 2017年8月24日放送のTBSラジオたまむすび』でピエール瀧が、かつて過去に自分が出演したクイズ番組の収録中に急遽追加の収録を行うという、いわゆる「やらせ」が行われそうになったことについて語った。そのクイズ番組の収録現場にいた瀧は、追加の収録についての打ち合わせを行うスタッフらに疑問を呈したが、そのクイズ番組の司会を務めていた伊東もスタッフらに苦言を呈し、結果スタッフらは渋々ながら追加の収録を行わずに番組収録の終了を告げたという。『たまむすび』に出演していたTBSアナウンサーの外山惠理は、瀧からこのエピソードを聞き、驚きの声をあげた一方で、伊東の行動に対して瀧と共に称賛した[23]
  • ベンジャミン伊東として売れっ子になっていた頃、フジテレビ「望郷 日本最初の第九交響曲〜板東俘虜収容所物語(1977年)」にて交番に勤務する真面目な警官の役の依頼が来た。依頼者は電線音頭のことを知らないのだと思い、いいのですかと尋ねたところ『それがどうかしましたか』と言ってくれ、別人格として扱ってくれたことが非常に嬉しかったと語っている。[24]

出演編集

バラエティ編集

現在
過去

クイズ番組編集

音楽番組編集

情報番組編集

テレビドラマ編集

NHK編集

日本テレビ系編集

TBS系編集

フジテレビ系編集

土曜ワイド(15:35 - 17:30)で放送。

テレビ朝日系編集

テレビ東京系編集

WOWOW編集

映画編集

舞台編集

  • 土佐堀川 (1990年2月から1ヵ月間、東京宝塚劇場で上演) - 明治・大正期の実業家・広岡浅子の夫・広岡信五郎
  • 雪之丞変化(1991年)
  • その場しのぎの男たち(1992年・1994年・2003年)
  • 伊東四朗&小松政夫 エニシング ゴーズ(1995年、新宿シアターサンモール)
  • おしん(1995年)
  • アパッチ砦の攻防(1996年)
  • いい加減にしてみましたシリーズ
    • いい加減にしてみました(1997年)
    • いい加減にしてみました2(2002年)
    • いい加減にしてみました3(2010年)
  • アパッチ砦の攻防 決定版(1998年)
  • 追いつ! 追われつ!!(2001年)
  • バッドニュース☆グッドタイミング(2001年)
  • 伊東四朗一座
    • 伊東四朗一座 〜旗揚げ解散公演〜「熱海迷宮事件」(2004年)
    • 伊東四朗一座 〜急遽再結成公演〜「喜劇 芸人誕生物語」(2005年)
    • 伊東四朗一座 〜帰ってきた座長奮闘公演〜「喜劇 俺たちに品格はない」(2008年、本多劇場
    • 伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演「喜劇 日本映画頂上決戦〜銀幕の掟をぶっとばせ!〜」(2009年、青山劇場
    • 〜三宅裕司生誕60周年記念〜伊東四朗一座・熱海五郎一座合同公演「こんにちは 赤ちゃん」(2011年、赤坂ACTシアター
  • 疑惑のアパート(2006年) - 作・演出のみ
  • 社長放浪記(2007年、「伊東四朗生誕?!七十周年記念」公演 本多劇場
  • 学おじさん(2008年、本多劇場)
  • 介護コメディー ロング・ロスト・フレンド(2011年、「西荻の会」公演 本多劇場)
  • 吉良ですが、なにか?(2014年、「伊東四朗生誕?!七十七周年記念」公演 本多劇場)
  • 死ぬか生きるか!(2018年、「魔がさした記念」コントライブ 紀伊國屋サザンシアター

劇場アニメ編集

人形劇編集

ラジオ編集

ドキュメンタリー編集

CM編集

  • 白子のり - メインキャラクター
  • ヤクルト「タフマン」(1985年 - 2002年、2011年 - ) - 文化放送ラジオ番組「伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド」内コーナーにて「タフマン伊東」を名乗ったことも。
  • ヤクルト「蕃爽麗茶」 - ナレーション
  • KDD(現・KDDI
  • 養命酒
  • アース製薬「アースノーマット」 - 春・夏季のみオンエア
  • キリンビールラガー」(ハリソン・フォードらと共演。ただし撮影は別撮りのため厳密には共演ではない。)

脚注編集

  1. ^ 伊東本人は「喜劇役者」という肩書を自称している。
  2. ^ 2011年10月2日NHKラジオ第一ラジオ深夜便』インタビュースペシャルより
  3. ^ 伊藤竹三(いとうたけぞう)”. 株式会社パワービーンズ. 2011年8月13日閲覧。
  4. ^ a b スポーツニッポン『我が道』2011年8月1日
  5. ^ スポーツニッポン連載 『我が道』伊東四朗 2011年8月2日18面
  6. ^ 伊東四朗さん 「おしん」の大根飯、疎開中の味
  7. ^ 西条昇著「笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう」p.46
  8. ^ 【西条昇の軽演劇コレクション】伊東四朗が伊藤証時代に出演した、浅草松竹演芸場と新宿松竹文化演芸場での石井均一座のパンフレット:西条昇ブログ お笑いエンタメ人生!:So-netブログ
  9. ^ 履歴については裏付ける資料も多くほぼ一致し改名時期は1961年頃とされる。最初の芸名由来に改名の理由や状況については伊東本人の言及から左右され、本人の著作『この顔で悪いか』(集英社1997年11月刊)や西条昇著『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』(風塵社・2000年1月)などの資料にラジオ等対談番組発言で食い違いが見られる。前後の大学生協職員から劇団参加時代も同様で、生協職員の待遇なども小さな相違が認められる。
  10. ^ 二人の関係は浅香光代一座の在籍まで遡る。
  11. ^ 「にせ三波伸介」という表記は伊東四朗著『この顔で悪いか』や伊東本人とのインタヴューに拠る。
  12. ^ 石井均一座解散と三波の復帰時期については資料によって違いが見られ、西条昇『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』では、一座解散後にコンビから転じたトリオに復帰としている。
  13. ^ 西条昇『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』2000年、風塵社、58頁から引用「(三波は)『ここで伊東をクビにするのは何だから、三人でやろうか。』(伊東の述懐証言から。)」。営業先と馴染み人気になっていた伊東を外す訳にはいかなかった事情が背景にあった
  14. ^ 。コンビからトリオになったことをキャバレーの司会者に報告すると戸惑いからこの様な再度の自己紹介となった。
  15. ^ 市川崑 (1968年1月1日). “1968年に期待する私の好きな新進”. 朝日新聞 
  16. ^ 番組開始時、戸塚睦夫は既に病に冒されていたが、当初はレギュラーとして出演していた。
  17. ^ 芸能界の重鎮・伊東四朗が語る、「逆境を越えた生き方」
  18. ^ 長年解散を否定してた一方2001年2月17日放送の読売テレビ『相方〜芸人その世界〜』で、伊東が司会の笑福亭鶴瓶から解散について聞かれ、「正式に解散してないんですよ。いきなり戸塚睦夫が死んじゃったから。それでも“てんぷく”でやってたんですけど、今度は三波が死んじゃった。で、1人で“てんぷく”ってワケにもいかないからねえ。今言っても良いんです、解散って。うん、今言います。解散です」と語った。また1994年8月〜1999年3月までNHKのバラエティ番組コメディーお江戸でござる』に出演と制作助言を行い(『お笑いオンステージ』スタッフだった滝大作も参加していた)、この番組を降板したのちに番組の感想で伊東は「てんぷくトリオ(ひいては三波)が果たせなった将来の一部を試みることが出来た」と述懐している。
  19. ^ 「伊東」の手前なので「熱海」。「四朗」には及ばないので「五郎」という、伊東四朗への敬意が込められている[要出典]
  20. ^ 『我が道』 伊東四朗 スポーツニッポン 2011年8月9日付参照
  21. ^ コメディ栄誉賞 伊東四朗特集
  22. ^ 伊東四朗「案の定来た」たいとう観光大使2012年9月5日 日刊スポーツ
  23. ^ ピエール瀧 クイズ番組でヤラせ現場に遭遇した過去 「追加であと3問」”. livedoor NEWS・TOPIC NEWS (2017年8月26日). 2017年8月26日閲覧。
  24. ^ 80歳を迎えた伊東四朗 「まだ喜劇役者になりきれていない」”. 2018年2月28日閲覧。
  25. ^ “いきものがかり、水族館の飼育員が主人公のドラマに挿入歌提供 主演は松岡茉優”. ORICON STYLE. (2016年4月4日). http://www.oricon.co.jp/news/2069489/full/ 2016年4月19日閲覧。 
  26. ^ “菅野美穂、福士蒼汰主演ドラマで妊婦役に挑戦「すごくうれしかった」”. ORICON SYTLE. (2016年4月6日). http://www.oricon.co.jp/news/2069623/full/ 2016年4月6日閲覧。 
  27. ^ 上記の『植木等とのぼせもん』で演じた植木徹誠役と同一モデルの役だが、このときは正式な役名がなくキャラクターの解釈も異なっていた。
  28. ^ 向井理、“ムコ入り”榮倉奈々と夫婦役 遺産相続題材にテレ朝連ドラ初主演”. ORICON (2015年8月21日). 2015年8月21日閲覧。
  29. ^ 平均年齢65歳 高橋克実主演ドラマに伊東四朗、角野卓造らが出演”. ORICON (2015年6月2日). 2015年6月2日閲覧。
  30. ^ こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE”. メディア芸術データベース. 2016年8月6日閲覧。
  31. ^ ブレイブ ストーリー”. GONZO公式サイト. 2016年6月28日閲覧。

参考文献編集

伊東四朗著『この顔で悪いか』集英社 (1997年11月刊)
西条昇著『笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう』風塵社刊(2000年1月) ISBN 4938733765
井上ひさし著『笑劇全集 完全版』河出書房新社2014年刊) - 巻末にあるようにダイジェストはそれまで出ていたが、これは完全
田村隆著『ゲバゲバ・みごろ!たべごろ!・全員集合―ぼくの書いた笑テレビ』 双葉社 (2002年10月刊) ISBN 4575294659

関連項目編集

外部リンク編集