いしだあゆみ

日本の女優、歌手 (1948-)

いしだ あゆみ1948年〈昭和23年〉3月26日[1][2][3][4] - )は、日本の女優歌手、元フィギュアスケート選手。イザワオフィス所属[1]。身長163cm[1]。本名・別名義:石田 良子(いしだ よしこ)。大阪府池田市出身[5]

いしだ あゆみ
いしだ あゆみ
『映画情報』1965年6月号(国際情報社)より
本名 いしだ よしこ
石田 良子
別名義 石田 良子
生年月日 (1948-03-26) 1948年3月26日(76歳)
出生地 日本の旗 長崎県佐世保市
出身地 大阪府池田市
身長 163cm
職業 女優歌手
ジャンル テレビドラマ映画歌謡曲アイドル
活動期間 1960年 -
配偶者 萩原健一 (1980年 - 1984年)
著名な家族 石田治子(実姉)
石田ゆり(実妹)
なかにし礼(義弟)
事務所 イザワオフィス
公式サイト プロフィール
主な作品
テレビドラマ
悪女の仮面
松本清張ドラマスペシャル・夜光の階段
窓の中の殺人
女ざかり
雨の日の訪問者
雪の朝に
松本清張スペシャル・疑惑
映画
時計 Adieu l'Hiver
マンハッタン・キス
 
受賞
日本アカデミー賞
最優秀主演女優賞
1987年『火宅の人』『時計 Adieu l'Hiver
優秀主演女優賞
1978年『青春の門 自立編
1983年『野獣刑事
男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋
1997年『学校II
優秀助演女優賞
1982年『駅 STATION
ブルーリボン賞
その他の賞
報知映画賞
主演女優賞
1986年『火宅の人』『時計 Adieu l'Hiver』
助演女優賞
1978年『青春の門 自立編』
キネマ旬報賞
助演女優賞
1986年『火宅の人』
毎日映画コンクール
女優主演賞
1986年『火宅の人』『時計 Adieu l'Hiver』
備考
音楽レーベル
ビクターレコード(1964年-1968年)
日本コロムビア(1968年-1980年、2015年)
アルファレコード(1981年-1984年)
CBS・ソニー(1985年)
トーラスレコード(1986年)
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来歴 編集

4人姉妹の次女として[5]長崎県佐世保市で生まれた[4]。実家は大阪府池田市で3代続いた喫茶店「フジヤ」とパン屋を営み、商店街”サカエマチ1番街”で育つ。5歳からフィギュアスケートを始め、選手として活躍したほか、児童劇団でも活動し、「ともだち劇場」で泉田行夫の指導を受けた。1961年には梅田コマ劇場で初舞台を踏む[4]

1962年、14歳[5]で上京していずみたくに師事[5]。4月20日にソノブックス社よりソノシート『夢みる恋(原題:Walkin' Back To Happiness)』が本名の石田 良子名義でリリースされ、その後も数枚のソノシートが発売された。1964年4月に現在のいしだ あゆみに改名し、日本ビクターから『ネェ、聞いてよママ』でアイドル歌手としてデビューした[4]。同年から翌1965年にかけては『七人の孫』に森繁久彌の孫役で出演するなど[3]、劇団出身の演技力を活かして歌手と女優の二足のわらじで芸能活動を開始した。芸名について、永六輔は自著『芸人その世界』で「名づけ親ということになっているのは『いしだあゆみ』……」と述べているが、永は自身が芸名の名付け親か否かについては明記せずぼかしている[6]。いしだ自身は「あゆみ」の芸名について、永がラジオパーソナリティを務める『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』のゲストコーナー「乙女探検隊が行く〜関東新地図」に出演した際に「お世話になった方の娘さんの名前からいただいた」と述べ、永が名付け親という説を否定している。

デビューから4年間は23枚のシングルを発表したものの、歌手としては2枚目のシングル『サチオ君』が5万枚程度の売上を記録したのが最高で[7]、大きなヒット曲に恵まれず[8](いしだはこの期間、テレビドラマや他の仕事が忙しく歌手としての宣伝に協力できなかったと述べている[7])、歌手活動に専念しイメージチェンジを図るため、1968年6月に日本コロムビアへ移籍。同年12月に発売したシングル『ブルー・ライト・ヨコハマ』が翌1969年初頭から大ヒットし[8][3][4]、同年2月10日にはオリコンチャート週間1位にランクイン[8]。累計150万枚を超える売上を記録するミリオンセラーとなった[9]。同年の年間チャート第3位にもランクインし、歌手としてのいしだのイメージを確立した[8]。いしだは同年末の『第20回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌唱。紅白歌合戦では他にも1973年の第24回、1993年の第44回と、合計3回歌唱している。

作曲を手がけた筒美京平にとっても、自身が手掛けた楽曲で初のオリコン週間1位を獲得し、筒美は本楽曲で第11回日本レコード大賞作曲賞を受賞した。「ブルー・ライト・ヨコハマ」はいしだの代表曲となっただけでなく、筒美京平の出世曲ともなった。また横浜のご当地ソングとして長く歌い継がれ、市民に愛される楽曲となり[10]、多くの歌手によってカバーされている。その後も、1970年の『あなたならどうする』がオリコン最高2位、1971年の『砂漠のような東京で』がオリコン最高3位にランクインするなどヒットを飛ばし、紅白歌合戦には通算10回出場している。

1973年公開の映画『日本沈没』(原作:小松左京)で演技力が高く評価され[4]、1977年には『青春の門 自立編』で報知映画賞助演女優賞を受賞。1981年の映画『駅 STATION』では高倉健の妻を演じた。1982年の『野獣刑事』ではヌードが話題となり、『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』との両作品で第6回日本アカデミー賞主演女優賞を受賞した。1986年の『火宅の人』では報知映画賞とブルーリボン賞第10回日本アカデミー賞主演女優賞などを受賞。同年の映画『時計 Adieu l'Hiver』では経験を活かしてフィギュアスケートのコーチを演じた。

テレビドラマでも、1977年『祭ばやしが聞こえる』(日本テレビ系)、1979年『阿修羅のごとく』(NHK総合)1981年『北の国から』(フジテレビ系)、1983年『金曜日の妻たちへ』などに出演。実力派女優としての地位を確立し、歌手より女優としての活動が主力となっていく[2]。また、たびたび倉本聰脚本作品に起用され、石井ふく子プロデュース作品の常連でもあった。

1979年、所属していた渡辺プロダクションから分社化したイザワオフィスへ、ザ・ドリフターズなどと共に移籍した。

歌手活動としては、荒井由実のデビューアルバム『ひこうき雲』などのプロデュースを手掛けていたティン・パン・アレーと共同制作したアルバム『アワー・コネクション (Our Connection) 』を「いしだあゆみ & ティン・パン・アレイ・ファミリー」名義でリリース[2]、当時全盛期だったニューミュージックのテイストを取り入れた都会的なサウンドで繊細な歌声を聴かせた。さらに1981年には、松任谷由実岩谷時子作詞を、フュージョンバンドPARACHUTEのメンバーが演奏を担当した、セルフタイトルのアルバム『いしだあゆみ』を発表[2]、歌手としても新境地を拓いた。これらのアルバムはシティ・ポップブームの中で再評価され、2013年に『Our Connection 』が紙ジャケットリマスター盤で再発売、2017年には『いしだあゆみ』が初CD化され、隠れた名盤としてファンに愛されている[2]

1986年には渡哲也とのデュエットシングル『わかれ道』を発表、同年12月11日放送の『ザ・ベストテン』の「今週のスポットライト」コーナーに出演した。

1989年上半期のNHK連続テレビ小説『青春家族』のヒロインを清水美砂とともに務め、放送時点41歳で当時としてはヒロイン史上最年長だった。2003年下半期の連続テレビ小説『てるてる家族』(原作:なかにし礼)で上原多香子が演じた岩田夏子はいしだがモデルで、自らもクラブ歌手役として出演した。

歌手としては長く新曲の発表がなかったが、2008年1月に『ラジオ深夜便』のコーナー「深夜便のうた」の1曲として久々の新曲「オアシス」を発表(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)。同番組で同年3月まで流された。「オアシス」はNHKサービスセンターが刊行している『ラジオ深夜便年鑑2008』の付属CDと「深夜便のうた」のオムニバスCDで聴くことができるのみである。

2019年度にテレビ朝日系列で放送されたテレビドラマ『やすらぎの刻〜道』に出演した。

2020年には文化庁長官表彰[11]、2021年には旭日小綬章受賞[12][13]。旭日小綬章受賞にあたっては「身に余る光栄でございます」とコメントしている[13]

人物 編集

難産の末に生まれ、生後2か月の時に肺炎にかかって生死の境を彷徨い、佐世保の米軍基地の病院でペニシリンを投与され助けられたという。大阪府池田市で育つ[注釈 1]。母親は福岡県大牟田市出身[14]。実姉は元フィギュアスケート選手で1968年グルノーブルオリンピック代表の石田治子。実妹は歌手の石田ゆり、石田ゆりの夫にあたる義弟は小説家作詞家なかにし礼

大阪学芸大学附属池田小学校卒業[15]上野学園高等学校卒業[14]。池田小学校の同級生に、NHK朝ドラ「まんぷく」のモデルにもなった日清食品ホールディングスCEO安藤宏基がいる[15]。いしだの実家は、阪急宝塚線池田駅前の池田栄町商店街喫茶店を営んでおり、安藤宏基は、父の安藤百福チキンラーメン発明者)と母の仁子(まさこ)、愛犬シェパード五月山散歩の帰りに、いしだの実家でクリームソーダを飲むことを楽しみにしていたという[15]。また、いしだと安藤は附属池田小の頃に2人で何度かアイススケートに行っており、宏基は「私はへたくそだったので、いろいろ手を取って教えてもらった」と回想している[15]

いしだは千葉真一の熱狂的ファンで、仕事の合間を縫いながら必ずテレビドラマ『キイハンター』を観ており、千葉と会ったときには「大ファンです」と伝えている[16]。1979年の映画『闇の狩人』や、主演したテレビドラマ『雪の朝に』(1987年5月1日)では、恋人役として念願の共演を果たした。

1969年2月24日、フジテレビ生放送歌番組夜のヒットスタジオ』の「コンピューター恋人選び」コーナーでは、当時いしだの恋人と噂された森進一が公表され、その後に森の眼前で大ヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌唱中、いしだは動揺した影響からか途中で突如泣き崩れ、歌えなくなってしまうという事件が発生した[17][18]

篠木雅博は、いしだに初めて会った時の印象を「実に存在感があり、きれいな人」と述べている。篠木が一気に企画内容を話したが、いしだは黙って聞いた後、いい悪いの答えではなく「あっ、これからサンマ買いに行かなきゃ」と述べただけで終わり、実にあっけらかんとした打ち合わせだったと回想している[19]

テレビドラマ『祭ばやしが聞こえる』で共演した萩原健一と1980年に結婚したが、1984年に離婚した。2019年3月26日の萩原健一の死去にあたっては「ご冥福をお祈りします」との追悼コメントを発表している[20]

受賞・栄典 編集

ディスコグラフィ 編集

シングル 編集

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 最高順位 レーベル 規格品番
1 1964年
4月
A面 ネエ、聞いてよママ 岡田教和 いずみたく - ビクター
レコード
SV-13
B面 初恋
2 1964年
6月
A面 サチオ君 SV-31
B面 17才になりたいの 山上路夫
3 1964年
8月
B面
[注釈 2]
だれだって一人じゃない やなせたかし SV-57
4 A面 素敵なパパ[注釈 3] 森繁久彌 SV-67
B面 小さな幸福 永六輔
5 A面 東京の夜は更けて 宮川哲夫 SV-75
B面 (軽音楽バージョン) - いずみたく 北村英治
6 1964年
9月
A面 先生を好きでした 桜井保 いずみたく SV-89
B面 あゆみの子守唄 青木一徳
7 A面
[注釈 4]
サミーのマーチ 漣健児 T.Cary いずみたく SPV-23
8 1964年
11月
A面
[注釈 5]
ブーベの恋人 C.Rustichelli SPV-25
9 1964年
12月
A面 赤い花びら
飛んでゆく
[注釈 6]
井田誠一 いずみたく SV-161
B面 みんなでサイクリング
10 1965年
2月
A面 みどりの乙女 岩谷時子 SV-166
B面 渚の想い出
11 1965年
3月
A面 アッちゃん 前田武彦 SV-180
B面 真珠の指輪 岩谷時子
12 1965年
8月
A面 愛さなければよかった SV-256
B面 歌え太陽 藤田敏雄
13 1965年
9月
A面
[注釈 7]
ガムとチョコ 山上路夫 SV-273
14 1965年
11月
A面 わたしのことだけ 淡の圭一 SV-308
B面 湖に雨が降るとき 北田守 大野正雄 竹村次郎
15 1965年
12月
A面 若い野ばら 岩谷時子 いずみたく SV-328
B面 さびしさに涙して
16 1966年
4月
A面 夢みる17才 睦正子 H.Korn 川口真 SPV-64
B面 ソー・ロング・ベイブ 室生恵 L.Hazlewood
17 1966年
5月
A面 愛のマーチ 山上路夫 いずみたく SV-391
B面 忘れたいのよ 片岡政子 淡の圭一
18 1966年
6月
A面
[注釈 8]
さいはての湖 鈴木道明 寺岡真三 SV-424
19 1966年
7月
A面 パイナップル・ラブ 井田誠一 寺岡真三 SV-441
B面 赤いバラ 宮川哲夫 いずみたく
20 1967年
3月
A面 黄色いハンカチ 八木輝寿郎 中村八大 SV-534
B面 緑のおめめ 佐伯孝夫 服部克久
21 1967年
4月
A面 恋のシャドー なかにし礼 鈴木邦彦 SV-552
B面 あふれる幸せ
22 1967年
8月
A面 こまらせたいの 有馬三恵子 鈴木淳 大西修 SV-606
B面 夜を忘れたい
23 1968年
1月
A面 小雨の思い出 志賀太郎 SV-658
B面 星のタンバリン
24 1968年
6月10日
A面 太陽は泣いている 橋本淳 筒美京平 18位 日本
コロムビア
LL-10058-J
B面 夢でいいから 林春生
25 1968年
9月25日
A面 ふたりだけの城 橋本淳 - LL-10070-J
B面 あふれる愛に
26 1968年
12月25日
A面 ブルー・ライト・ヨコハマ 1位 LL-10081-J
B面 明日より永遠に
27 1969年
4月15日
A面 涙の中を歩いてる 10位 LL-10092-J
B面 恋はそよ風
28 1969年
8月1日
A面 今日からあなたと 7位 LL-10102-J
B面 ある日街角で
29 1969年
11月20日
A面 喧嘩のあとでくちづけを なかにし礼 中村泰士 森岡賢一郎 7位 LL-10116-J
B面 天使の足音
30 1970年
3月25日
A面 あなたならどうする 筒美京平 2位 LL-10127-J
B面 今夜は帰って 三木たかし 高見弘
31 1970年
7月15日
A面 昨日のおんな 井上忠夫 森岡賢一郎 8位 LL-10146-J
B面 誘惑的な午後 橋本淳 筒美京平
32 1970年
10月1日
A面 何があなたをそうさせた なかにし礼 12位 LL-10151-J
B面 恋人と呼んで 川口真 森岡賢一郎
33 1971年
2月10日
A面 止めないで 井上忠夫 20位 LL-10155-J
B面 待っている女 田辺信一
34 1971年
5月10日
A面 砂漠のような東京で 橋本淳 中村泰士 森岡賢一郎 3位 LL-10164-J
B面 24時間の恋
35 1971年
8月25日
A面 おもいでの長崎 筒美京平 10位 LL-10172-J
B面 ひとり歩きもできないくせに
36 1972年
1月25日
A面 さすらいの天使 18位 LL-10186-J
B面 白いしあわせ
37 1972年
7月25日
A面 まるで飛べない小鳥のように 中村泰士 高田弘 45位 LL-10195-J
B面 いつもなら私は
38 1972年
11月10日
A面 生まれかわれるものならば 筒美京平 43位 LL-10204-J
B面 愛よ行かないで
39 1973年
2月25日
A面 愛愁 尾中美千絵 平尾昌晃 竜崎孝路 51位 LL-10212-J
B面 あなたからどうぞ 山上路夫
40 1973年
6月10日
A面 渚にて 阿久悠 中村泰士 森岡賢一郎 52位 LL-10217-J
B面 破局
41 1973年
9月10日
A面 愛の氷河 井上忠夫 高田弘 42位 P-301
B面 私のラストショー
42 1974年
1月25日
A面 幸せだったわありがとう なかにし礼 加瀬邦彦 42位 P-329
B面 何も言いっこなし
43 1974年
4月25日
A面 恋は初恋 森岡賢一郎 54位 P-342
B面 不思議なの
44 1974年
8月1日
A面 美しい別れ 74位 P-362
B面 ラスト・シーン 石原信一 中村泰士 あかのたちお
45 1974年
12月1日
A面 家路 橋本淳 筒美京平 - P-388
B面 幸せのあとで
46 1975年
4月1日
A面 待ちわびても なかにし礼 筒美京平 森岡賢一郎 P-401
B面 別れの鏡 安井かずみ 加瀬邦彦
47 1975年
11月10日
A面 時には一人で 喜多条忠 筒美京平 83位 P-441
B面 冬の微笑
48 1976年
5月1日
A面 とまどい 石原信一 あかのたちお - P-457
B面 どうすればいいの
49 1977年
4月1日
A面 ちょっと淋しい春ですね 橋本淳 筒美京平 森岡賢一郎 PK-50
B面 夢のかけら
50 1977年
11月1日
A面 港・坂道・異人館 喜多條忠 大野克夫 馬飼野康二 PK-84
B面 誘惑者
51 1978年
7月1日
A面 今夜は星空 吉田拓郎 PK-117
B面 カシミヤの手ざわり 山口洋子 大野克夫
52 1978年
10月1日
A面 大阪の女 橋本淳 中村泰士 小杉仁三 PK-123
B面 うわの空
53 1979年
6月10日
A面 MILD NIGHT 仲畑貴志 宇崎竜童 小野寺忠和 86位 PK-157
B面 漂流記 小林和子 大野克夫
54 1980年
6月25日
A面 マイルド・ロマン・ロック 仲畑貴志 船山基紀 - AK-675
B面 あのひとは風の中 糸井重里
55 1981年
11月21日
A面 赤いギヤマン 岩谷時子 滝沢洋一 井上鑑 アルファ
レコード
ALR-745
B面 波になって 呉田軽穂 戸塚省三
56 1985年
11月21日
A面 羽衣天女 阿木燿子 中崎英也 78位 CBS・
ソニー
07SH-1688
B面 囁きのリフレイン 玉置浩二
57 1986年
11月21日
A面
[注釈 9]
わかれ道[注釈 10] 水木かおる 杉本真人 竜崎孝路 - トーラス 07TR-1141
58 2015年
4月18日
A面 私自身[注釈 11] 橋本淳 細野晴臣 日本
コロムビア
HMJA-103
B面 ひとり旅[注釈 11] 細野晴臣 萩田光雄

アルバム 編集

スタジオ・アルバム 編集

# 発売日 タイトル 規格品番
コロムビアレコード
1st 1969年4月25日 ブルー・ライト・ヨコハマ YS-10060-J
2nd 1970年11月25日 Lonely Night With Ayumi Ishida YS-10087-J
3rd 1971年6月10日 砂漠のような東京で YS-10095-J
4th 1972年3月10日 スクリーン・ラヴ・テーマ YS-10117-J
5th 1972年12月10日 FANTASY YS-10133-J
6th 1974年8月25日 美しい別れ JDX-7033
7th 1977年4月25日 アワー・コネクション[注釈 11] PX-7023
アルファレコード
8th 1981年11月21日 いしだあゆみ ALR-28032

ライブ・アルバム 編集

# 発売日 タイトル 備考 規格品番
コロムビアレコード
1st 1970年1月10日 マイ・ファースト・リサイタル 1969年10月27日のサンケイホール YS-10075-J
2nd 1973年3月25日 あゆみ オン・ステージ 1972年12月20日の新宿ムーランドール
3rd 1973年7月25日 あゆみ オン・ステージ 1973年4月26日の帝国劇場
4th 1974年7月25日 リサイタル 1974

ベスト・アルバム 編集

# 発売日 タイトル 規格品番
コロムビアミュージックエンタテイメント
- 2004年4月21日 いしだあゆみ・しんぐるこれくしょん COCP-32665/6
- 2008年8月20日 GOLDEN☆BEST いしだあゆみ COCP-35125
Victor Entertainment
- 2008.12.17 いしだあゆみ ステレオハイライト+ボーナストラック VICL-63179

タイアップ曲 編集

楽曲 タイアップ
1965年 アッちゃん 日本テレビ系ドラマ「アッちゃん」主題歌
若い野ばら 映画「若い野ばら」主題歌
1985年 羽衣天女 カメリアダイヤモンド・イメージソング

NHK紅白歌合戦出場歴 編集

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1969年/第20回 ブルー・ライト・ヨコハマ 02/23 千昌夫 紅白歌合戦・初出場
1970年/第21回 2 あなたならどうする 19/24 舟木一夫
1971年/第22回 3 砂漠のような東京で 16/25 村田英雄
1972年/第23回 4 生まれかわるものならば 09/23 青い三角定規
1973年/第24回 5 ブルー・ライト・ヨコハマ(2回目) 02/22 西郷輝彦
1974年/第25回 6 美しい別れ 21/25 春日八郎
1975年/第26回 7 渚にて 21/24 春日八郎(2)
1976年/第27回 8 時には一人で 12/24 橋幸夫 歌詞の「男なんて女なんて」を「男なんて男なんて」「白なんて白なんて」と変えて歌唱
1977年/第28回 9 港・坂道・異人館 16/24 フランク永井 紅白歌合戦・9年連続出場で一旦ストップ
1993年/第44回 10 ブルー・ライト・ヨコハマ(3回目) 08/26 渡哲也 第1部トリ、紅白歌合戦・16年振りに復帰出場

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

出演 編集

テレビドラマ 編集

NHK
日本テレビ系
テレビ朝日系
TBS系
テレビ東京系
フジテレビ系

映画 編集

舞台 編集

バラエティ 編集

CM 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ イザワオフィスの本人プロフィールでは「出身地:大阪府」と記載されている[1]。資料によっても「池田市生まれ」と記述している[3]
  2. ^ A面は、田辺エイコの「三人三羽」。
  3. ^ デュエット:森繁久彌
  4. ^ B面は、伊藤アイコの「ハートでキッス」。
  5. ^ B面は、ロイヤルナイツの「夢見るバラの乙女」。
  6. ^ デュエット:松島アキラ
  7. ^ B面は、伊藤アイコの「メリー・ゴー・ランド」。
  8. ^ B面は、松尾和子の「くちづけ」。
  9. ^ B面は、渡哲也の「海鳴り」。
  10. ^ デュエット:渡哲也
  11. ^ a b c いしだあゆみ&ティン・パン・アレイ・ファミリー名義。
  12. ^ 福岡発地域ドラマで2011年5月5日に全国放送。

出典 編集

  1. ^ a b c d いしだあゆみ プロフィール イザワオフィス
  2. ^ a b c d e 本日3月26日はいしだあゆみの誕生日、古希を迎える 大人のMusicCalendar、2018年3月26日
  3. ^ a b c d e 東宝特撮映画全史 1983, p. 527, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  4. ^ a b c d e f 東宝特撮女優大全集 2014, p. 137, 文・馬飼野元宏「いしだあゆみ」
  5. ^ a b c d 内外人気スターからバレー選手まで 決定版STアイドル名鑑 いしだあゆみ」『週刊セブンティーン』1972年3月14日号、集英社、108頁。 
  6. ^ 永六輔『芸人その世界』279頁、文藝春秋、1972年、第九刷。
  7. ^ a b 「フレッシュ・タレント招待席 コロムビア専属第一弾《太陽は泣いている》で歌手専門にイメージ・チェンジを計った行動派のお嬢さんタレント」『映画情報』1968年9月号。NDLJP:10339811/59
  8. ^ a b c d 48年前の今日、いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」がオリコンチャート1位を獲得。この曲の魅力とは? 大人のMusicCalendar、2017年2月10日
  9. ^ AERA』1990年3月27日号。
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  11. ^ a b 令和二年度文化庁長官表彰名簿 文化庁
  12. ^ a b 官報』号外第99号、令和3年4月30日
  13. ^ a b c いしだあゆみ、旭日小綬章を受章「身に余る光栄でございます」”. 日刊スポーツ. 2021年4月30日閲覧。
  14. ^ a b 『読売年鑑 2016年版』p.531、読売新聞東京本社、2016年。
  15. ^ a b c d 安藤百福発明記念館編『チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子』中央公論新社、2018年。ISBN 978-4120051258
  16. ^ 「表紙のおしゃべり」『月刊平凡』12月号、平凡出版、1969年。 
  17. ^ 小林大輔が『夜のヒットスタジオ』最高視聴率を叩きだした夜 週刊女性PRIME、主婦と生活社、2015年3月27日掲載
  18. ^ 第9回「フジテレビ物語(前編)」チェリー、トレンダーズ株式会社、2016年9月3日掲載
  19. ^ 【発掘!流行り歌 徒然草】いしだあゆみ、初打ち合わせで「あっ、サンマ買いに行かなきゃ」 「アワー・コネクション」(1977年) zakzak産業経済新聞社、2017年3月7日
  20. ^ 萩原健一さん死去 元妻・いしだあゆみ「ご冥福をお祈り致します」”. デイリースポーツ (2019年3月29日). 2022年2月26日閲覧。

参考文献 編集

  • 『東宝特撮映画全史』監修 田中友幸東宝出版事業室、1983年12月10日。ISBN 4-924609-00-5 
  • 別冊映画秘宝編集部 編 編『<保存版>別冊映画秘宝 東宝特撮女優大全集』洋泉社、2014年9月24日。ISBN 978-4-8003-0495-7 

外部リンク 編集