戦後
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概要
編集「戦後」という用語は、異なる地域や国によって異なる意味を持ち、各地での戦争の影響や戦後処理によっても期間が異なってくる。ここでは、戦後の主要な出来事を簡単に示す。
日本における「戦後」
編集21世紀の2024年(令和6年)現在の日本において、戦後とは、直近の戦争で20世紀の1945年(昭和20年)の第二次世界大戦の終結(終戦)後を指す。日本人にとって精神的に大きな影響を与えた1945年(昭和20年)8月15日(終戦の日)以降を戦後の始まりとし、「戦前・戦中」「戦後」として区分し、認識されている場合が多い。この1945年(昭和20年)を「戦後0年」として、その後の年は「戦後n年」と表現される。2024年は「戦後79年」に当たる。「近代」の終わりと規定する考察もある。
日本においては戦後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)により様々な戦後改革が実施されたこと、連合国軍占領期以降イギリスやアメリカ合衆国、フランスなどからの文化が戦前より広範にもたらされたこと、新技術が開発されたこと、高度経済成長を遂げたことなどにより、戦前・戦中に比べて社会システムが急速に大きく変化したため、他の国よりも「戦後」という言葉のもつ意味合いは大きい。日本は第二次世界大戦以後、大規模な国際紛争・戦争に巻き込まれていないため、「戦後」=「第二次世界大戦後から現在」というイメージが固定されている。
ただし、その時期については明確な定義はなく、戦中の始まりを満州事変とするか、盧溝橋事件とするか、真珠湾攻撃とするかなど人によって差異がある。日本が再び国際社会の一員となり、「もはや戦後ではない」[注 1] といわれた1956年(昭和31年)までの激動の期間と定義する意見もある。 太平洋戦争(大東亜戦争)終結を具体的にいつとみなすかは種々の意見があるため、“戦後”の始まりについても同様に種々の意見がある。
- 玉音放送によってポツダム宣言を受諾し日本が降伏したことを多数の日本国民が知ることになった日(1945年(昭和20年)8月15日)を戦後の始まりとする意見
- 1945年(昭和20年)8月23日終結のソ連に対する樺太の戦いの終結をもって始まりとする意見
- 占領期間中に日本国憲法が施行された1947年(昭和22年)5月3日(憲法記念日)とする意見
“戦後”という用語・概念は、日本人・日本にとって大きな変革を及ぼした。第二次世界大戦の経験を踏まえ、国民主権と戦争放棄・恒久平和主義を謳う日本国憲法を新たに制定した日本はアメリカ合衆国と軍事同盟を締結し西側陣営の資本主義・民主主義国家の一員として国際社会に復帰し、高度経済成長で世界第2位の経済大国となったが、1990年代以降低成長期に転じ、さまざまな論争が行われている。
第二次世界大戦後の日本の主な年表
編集戦後混乱期
編集戦後復興期
編集高度経済成長期
編集- 1955年(昭和30年)戦後10年。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年) なべ底不況。
- 1958年(昭和33年) 岩戸景気。
- 1959年(昭和34年) 紀勢本線が全通。
- 1960年(昭和35年)6月19日 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(新安保)調印。
- 1962年(昭和37年)から、オリンピック景気が始まる。
- 1963年(昭和38年)
- 名神高速道路開通。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)戦後20年。
- 1966年(昭和41年) 日本の総人口が1億人を突破。
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 9月 - 明治維新100周年。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
安定成長期
編集- 1974年(昭和49年)
- 戦後初のマイナス成長。
- 1975年(昭和50年)戦後30年。
- 1976年(昭和51年)
- 7月 -ロッキード事件。
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)
- 3月24日 - 中国自動車道が全通。
- 4月15日 - 東京ディズニーランド開業。
- 1985年(昭和60年)戦後40年。
- 1986年(昭和61年)
バブル経済期
編集バブル経済と55年体制の崩壊期
編集- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
- 1995年(平成7年) 戦後50年。
- 1996年(平成8年)
- 民主党結成。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)
構造改革期
編集世界金融危機から政権交代期
編集アベノミクス期
編集- 2013年(平成25年)
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)戦後70年。
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 6月16日 - 天皇の退位等に関する皇室典範特例法公布。
- 9月25日 - 民進党左右分裂、希望の党結成。
- 10月3日 - 民進党左派が立憲民主党結成。
- 10月22日 - 第48回衆議院議員総選挙。
- 北朝鮮によるミサイル発射実験激化。
- 2018年(平成30年)
- 2019年(平成31年/令和元年)
コロナ禍
編集- 2020年(令和2年)
- 2月 - 新型コロナウイルス感染症の大流行が日本全国にも広がる。
- 6月1日 - 北神急行電鉄が神戸市営地下鉄北神線となる。
- 9月 - 安倍晋三が首相を退陣。
- 2021年(令和3年)
- 2022年(令和4年)
アフターコロナ
編集今後の予定
編集アメリカ合衆国における「戦後」
編集第二次世界大戦(1939年 - 1945年)以降も10年から20年単位で不正規戦争を繰り返しているアメリカ合衆国では、「戦後(post-war)」という概念は存在しない[要出典]。辛うじて同国史上唯一の内戦である南北戦争を境に「戦前(antebellum, pre-war)」「戦後(postbellum, post-war)」といわれることもある。
イギリスにおける「戦後」
編集イギリスでは、1945年のクレメント・アトリー政権から 1979年のマーガレット・サッチャー政権までの期間を、Post-war consensus(戦後コンセンサス期間)という。
スイスにおける「戦後」
編集スイスで「戦後」は一般的に1815年以降(ナポレオン戦争後)のことを指す。1815年のウィーン会議においてスイスは国家としての「永世中立国」が認められたからである。第一次世界大戦と第二次世界大戦でも武装中立を維持し積極的に戦争には加わらなかったため、他のヨーロッパ諸国とは違い1815年からの「戦後」は続いた。
その他の「戦後」
編集- 韓国・北朝鮮 - 朝鮮戦争後(1953年 - )。特に韓国では、日本の植民地支配から解放された1945年8月15日を境に「解放前」「解放後」という表現が用いられ、「戦前」「戦後」よりも「解放前」「解放後」の使用頻度が高い。朝鮮半島が南北に分断された1945年を「分断0年」として、現在の年を「分断n年」と表現することもある(日本の「戦後n年」に相当)。
- 旧ユーゴスラビア連邦諸国 - ユーゴスラビア紛争後(およそ1995年 - )
- 京都においては、『この前の「戦」』が第二次世界大戦ではなく応仁の乱を指し、戦後とはそれ以降であるといわれることがある。これは細川護貞が「前の戦争(応仁の乱)で細川家の宝物が焼けた」と言ったという話があり、また京都市内はそれほど第二次世界大戦中の空襲で被害を受けなかったことが元になっている。京都市民の間でもそのように捉えている人は少数にとどまり[4]、京都府の公文書などの公的な場でこのような表現が行われることはない。
- 福島県会津地方(旧会津藩、主に現在の会津若松市)においては、同様に『この前の「戦」』が戊辰戦争を指し、戦後とはそれ以降であるというジョークがある。第二次世界大戦での戦災が比較的少なく、それよりも戊辰戦争による旧長州藩(現在の山口県萩市にほぼ相当)に対する遺恨が深いためである[5]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集関連項目
編集外部リンク
編集- シリーズ・戦後60年[リンク切れ](2005年、西日本新聞社)
- 上記サイトのアーカイブ - ウェイバックマシン(2013年5月25日アーカイブ分)