ヨーロッパグランプリヨーロッパGP, European Grand Prix)は、自動車レースグランプリの一つ。現代においてはヨーロッパにおいて同じ国が年2回F1レースを行うとき、1国1開催の原則[注 2]を回避するために「ヨーロッパ」の名を冠して開催される。そのため開催国は年代によって異なる。

ヨーロッパグランプリ
バクー市街地コース (Azadliq Square)[1][2][注 1]
レース情報
周回 51
コース長 6.006 km (3.753 mi)
レース長 306.306 km (191.403 mi)
開催回数 Total - 23
ドイツの旗 ニュルブルクリンク - 12
スペインの旗 バレンシア市街地コース - 5
イギリスの旗 ブランズ・ハッチ - 2
スペインの旗 ヘレス・サーキット - 2
イギリスの旗 ドニントン・パーク - 1
アゼルバイジャンの旗 バクー市街地コース - 1
初回 1983年
最終開催 2016年
最多勝利
(ドライバー)
ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ (6)
最多勝利
(コンストラクター)
イタリアの旗 フェラーリ (7)
最新開催(2016年):
ポールポジション ドイツの旗 ニコ・ロズベルグ
メルセデス
1:42.758
決勝順位 1. ドイツの旗 ニコ・ロズベルグ
メルセデス
1:32:52.366
2. ドイツの旗 セバスチャン・ベッテル
フェラーリ
+16.696s
3. メキシコの旗 セルジオ・ペレス
フォース・インディア-メルセデス
+25.241s
ファステストラップ ドイツの旗 ニコ・ロズベルグ
メルセデス
1:46.485

当初は他地域で開催するはずのレースがキャンセルされた時、緊急の代価開催としてヨーロッパ内のサーキットを利用して行われるグランプリであり、その開催は不定期であった。しかし、1995年以降はミハエル・シューマッハの活躍と人気を受けて、ドイツのニュルブルクリンクでの開催が定番となっていた。

2008年から2012年まではスペインのバレンシア市街地コースで開催された。これはスペイン人F1ドライバーのフェルナンド・アロンソの活躍によってスペインでのF1人気が高まった為である。

その後は1国1開催の原則を徹底する方針から開催されなかったが、2016年よりアゼルバイジャンバクー市街地コースにて開催されることになった[3]。アゼルバイジャンでは重複するF1のレースが無く、「アゼルバイジャングランプリ」の名称でも開催が可能であるが、この年のみ「ヨーロッパグランプリ」の名称を使用し、2017年からは「アゼルバイジャングランプリ」へ変更することになった[4]

経緯と主なレース 編集

モータースポーツ、およびF1の黎明期においては、毎年各国の持ち回りにより、その年の最も権威のあるレースに対して「ヨーロッパGP」の冠をかけ、レースが行なわれていた。その名が最初に冠されたのは1923年のイタリアGP (1923 Italian Grand Prixだった。F1世界選手権の開幕戦である1950年イギリスGPにも「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。

現代F1においての第1回ヨーロッパGPは1983年に行われたが、元々はニューヨークで実施されるはずであったレースが急遽キャンセルとなったことを受け、当時シルバーストーンと交互にイギリスGPを開催していたブランズ・ハッチが代替地として選ばれたものであった。

1984年はブランズ・ハッチにてイギリスGPが開催されることとなっていた為、従来F1を開催していたロングコースの南側に新コース(GPコース)を建設したニュルブルクリンクにて開催した。

ヨーロッパGPは翌1985年のブランズ・ハッチでの開催の後、暫くは開催されていなかったが、8年後の1993年に、日本のオートポリスで前年までのメキシコGPに代わって開催が予定されていたアジアGPが、バブル崩壊によりサーキット運営会社が倒産するという事態に陥ったことからキャンセルとなり、急遽ドニントンパークでのヨーロッパGPに振り替えられることとなった。このレースは雨の中の開催となり、5位スタートのアイルトン・セナがオープニングラップで順々に4台をオーバーテイクし、1周目に終了したときには首位に立っていた。

1994年はスペインのヘレスで開催されたが、1995年からはドイツ国内でのF1人気の高まりを受けて、ドイツでの第2のGPとしてニュルブルクリンクでヨーロッパGPが開催されることとなった。その後1997年1998年にはルクセンブルクGPと名称を一旦変更するが、2007年まではニュルブルクリンクでのレースが毎年開催された。

1997年には、前年まで開催されていたエストリルでのポルトガルGPが、サーキット設備等の問題でカレンダーから外れた為、この代替として再度ヘレスでヨーロッパGPが開催されることとなった。これはこの年の最終戦としての開催であり、ミハエル・シューマッハジャック・ヴィルヌーヴによるタイトル争いの決定戦となったが、シューマッハがヴィルヌーヴへ追突した行為が、ドライバーズチャンピオンシップのランキング剥奪の裁定を受けた(獲得ポイントなどの剥奪はなし)。なお、この件に関する制裁の一環として、シューマッハはFIAからシーズンオフの交通安全キャンペーンでの奉仕活動も命じられている。

1999年は、ニュルブルクリンクへ再移動。ミカ・ハッキネンエディ・アーバインハインツ=ハラルド・フレンツェンデビッド・クルサードによる四つ巴のタイトル争いの渦中に開催された。GP期間中、時折り雨が降ってはやむ奇妙な天候が続き、波乱の展開となった。決勝は、ポールポジションからスタートしレースをリードしていたフレンツェンが電気系統のトラブルでストップしたのを皮切りに、デビッド・クルサード、ジャンカルロ・フィジケラが共に雨でスピンオフによるリタイア、ラルフ・シューマッハも雨でスピンし順位を落とし、トップに立ったドライバーが続々とアクシデントに見舞われ、最終的にその年まったく目立った活躍をしていなかった伏兵ジョニー・ハーバートスチュワートにチーム初にして唯一となる優勝をもたらしている。後方でもミナルディルカ・バドエルが一時4位を走行するなどの波乱がみられ、レース後の悲喜こもごもが印象的だったレースでもある。

2007年は、予選でルイス・ハミルトンがクラッシュを起こして出場が危ぶまれたが、翌日の検査の結果出場許可が出された。決勝は、スタート直後に大雨が降り、路面は雨水であふれて滑りやすい状態になり、第1コーナーで6台がコースアウトするなど大波乱の展開となった。この時、このレースがF1デビュー戦だったスパイカーマルクス・ヴィンケルホックは一時トップに立つという大活躍を見せた。その後20分間中断された後に再開。レース終了間際に再度降雨に見舞われ、その間にフェルナンド・アロンソフェリペ・マッサを抜いて優勝したが、邪魔をされたとして終了後にマッサと口喧嘩する場面があった。なお、この年よりFIAがグランプリの一国一開催の原則を厳格に運用する方針を打ち出した(ただし、これは後にうやむやとなり、上記の通り2008年以降はスペイン・バレンシアでの開催となった。)ため、ドイツ国内でのF1グランプリはニュルブルクリンクとホッケンハイムで1年おきに交互開催することとなった。ドイツ国内のF1レースが単独開催となったため、本来であればドイツグランプリを名乗るはずではあるが、四輪レースにおけるドイツグランプリの名称を使用する権利をホッケンハイム側が独占的に保持しており、ニュルブルクリンクはホッケンハイム側との交渉が妥結せず「ヨーロッパグランプリ」の名称を使用することとなった。なお、のちにこの問題は解決し、2009年はニュルブルクリンクで「ドイツグランプリ」の名称での開催となった。

2008年は、スペイン・バレンシアでのヨーロッパGPが初開催された。市街地サーキットとされるが道幅は広く、ランオフエリアも十分に確保されている一方、抜きにくいレイアウトでありコース上でのオーバーテイク数は少なかった。開催初年度はフェリペ・マッサが、ポールポジション、優勝、ファステストラップのハットトリックを達成する完璧な週末を見せ、バレンシア市街地コースの初代ウィナーの栄冠を獲得した。

2012年は、地元スペインの英雄フェルナンド・アロンソがバレンシアを初めて制した。抜きにくいバレンシア市街地コースで11番手からのスタートとなったアロンソは、スタートで8番手まで浮上すると、セーフティーカー導入のタイミングで2回目のピットストップを終えた段階で3位まで順位を上げた。レースが再開されると、最初のブレーキングポイントである2コーナーでロマン・グロージャンをオーバーテイクする。その直後に先頭を走るセバスチャン・ベッテルがマシントラブルでリタイアすると、先頭に立ったアロンソは最後まで逃げ切りを見せた。経済状況が思わしくないスペインで、ラファエル・ナダルのテニス全仏オープン優勝、土曜日のUEFA欧州選手権でのサッカースペイン代表チームの準々決勝勝利などスポーツ界では明るい話題が続き、アロンソも、「皆、スペイン人であることにある種の誇りを感じている。僕も何かしなければならないと思っていた。だから今日は胸がいっぱいだ」とレース後に語った。

2016年は、アゼルバイジャンのバクー[注 3]で初開催されたが、ニコ・ロズベルグが一度も首位を譲らずポール・トゥ・ウィン、ファステストラップも記録してグランドスラムを達成した。フリー走行と予選ではコースアウトやクラッシュが多発し赤旗中断もあったが、決勝ではセーフティカーが一度も出動しなかった。また、バルテリ・ボッタスが予選におけるF1最高速度の378km/hをマークしている[5]。前述の通り、2017年からはアゼルバイジャンGPとして開催される。

過去のレース結果 編集

冠大会時代 (1923年-1977年) 編集

決勝日 イベント サーキット 勝者 コンストラクター 結果
1923
英語版
9月09日   イタリアGP モンツァ   カルロ・サラマーノ英語版 フィアット 詳細英語版
1924
英語版
7月02日   フランスGP リヨン   ジュゼッペ・カンパーリ英語版 アルファロメオ 詳細英語版
1925
英語版
6月28日   ベルギーGP スパ・フランコルシャン   アントニオ・アスカリ英語版 アルファロメオ 詳細英語版
1926
英語版
7月18日   サン・セバスティアンGP
英語版
ラサルテ英語版   ジュール・グー英語版 ブガッティ 詳細英語版
1927
英語版
9月04日   イタリアGP モンツァ   ロベール・ブノワ英語版 ドラージュ英語版 詳細英語版
1928
英語版
9月09日   イタリアGP モンツァ   ルイ・シロン ブガッティ 詳細英語版
1929 開催されず
1930
英語版
7月20日   ベルギーGP スパ・フランコルシャン   ルイ・シロン ブガッティ 詳細英語版
1931
-
1946
開催されず
1947 6月29日   ベルギーGP スパ・フランコルシャン   ジャン=ピエール・ウィミーユ英語版 アルファロメオ 詳細英語版
1948 7月04日   スイスGP ブレムガルテン   カルロ・フェリーチェ・トロッシ英語版 アルファロメオ 詳細英語版
1949 9月11日   イタリアGP モンツァ   アルベルト・アスカリ フェラーリ 詳細英語版
1950 5月13日   イギリスGP シルバーストン   ジュゼッペ・ファリーナ アルファロメオ 詳細
1951 7月01日   フランスGP ランス・グー   ルイジ・ファジオーリ
  ファン・マヌエル・ファンジオ
アルファロメオ 詳細
1952 6月22日   ベルギーGP スパ・フランコルシャン   アルベルト・アスカリ フェラーリ 詳細
1953 開催されず
1954 8月01日   ドイツGP ニュルブルクリンク   ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス 詳細
1955 5月22日   モナコGP モンテカルロ   モーリス・トランティニアン フェラーリ 詳細
1956 9月02日   イタリアGP モンツァ   スターリング・モス マセラティ 詳細
1957 7月20日   イギリスGP エイントリー   トニー・ブルックス
  スターリング・モス
ヴァンウォール 詳細
1958 6月15日   ベルギーGP スパ・フランコルシャン   トニー・ブルックス ヴァンウォール 詳細
1959 7月05日   フランスGP ランス   トニー・ブルックス フェラーリ 詳細
1960 9月04日   イタリアGP モンツァ   フィル・ヒル フェラーリ 詳細
1961 8月06日   ドイツGP ニュルブルクリンク   スターリング・モス ロータス-クライマックス
ロブ・ウォーカー
詳細
1962 5月20日   オランダGP ザントフォールト   グラハム・ヒル BRM 詳細
1963 5月26日   モナコGP モンテカルロ   グラハム・ヒル BRM 詳細
1964 7月11日   イギリスGP ブランズ・ハッチ   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 詳細
1965 6月13日   ベルギーGP スパ・フランコルシャン   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 詳細
1966 7月03日   フランスGP ランス   ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 詳細
1967 9月10日   イタリアGP モンツァ   ジョン・サーティース ホンダ 詳細
1968 8月04日   ドイツGP ニュルブルクリンク   ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード
マトラ・インターナショナル
詳細
1969
-
1971
開催されず
1972 7月15日   イギリスGP ブランズ・ハッチ   エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 詳細
1973 5月20日   ベルギーGP ゾルダー   ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 詳細
1974 8月04日   ドイツGP ニュルブルクリンク   クレイ・レガツォーニ フェラーリ 詳細
1975 8月17日   オーストリアGP エステルライヒリンク   ヴィットリオ・ブランビラ マーチ-フォード 詳細
1976 8月29日   オランダGP ザントフォールト   ジェームス・ハント マクラーレン-フォード 詳細
1977 7月17日   イギリスGP シルバーストン   ジェームス・ハント マクラーレン-フォード 詳細

単独イベント時代 (1983年以降) 編集

決勝日 ラウンド サーキット 勝者 コンストラクター 結果
1983 09月25日 14   ブランズ・ハッチ   ネルソン・ピケ ブラバム-BMW 詳細
1984 10月07日 15   ニュルブルクリンク   アラン・プロスト マクラーレン-TAG 詳細
1985 10月06日 14   ブランズ・ハッチ   ナイジェル・マンセル ウィリアムズ-ホンダ 詳細
1986
-
1992
開催されず
1993 04月11日 3   ドニントン・パーク   アイルトン・セナ マクラーレン-フォード 詳細
1994 10月16日 14   ヘレス   ミハエル・シューマッハ ベネトン-フォード 詳細
1995 10月01日 14   ニュルブルクリンク   ミハエル・シューマッハ ベネトン-ルノー 詳細
1996 04月28日 4   ニュルブルクリンク   ジャック・ヴィルヌーヴ ウィリアムズ-ルノー 詳細
1997 10月26日 17   ヘレス   ミカ・ハッキネン マクラーレン-メルセデス 詳細
1998 開催されず
1999 09月26日 14   ニュルブルクリンク   ジョニー・ハーバート スチュワート-フォード 詳細
2000 05月21日 6   ニュルブルクリンク   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2001 06月24日 9   ニュルブルクリンク   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2002 06月23日 9   ニュルブルクリンク   ルーベンス・バリチェロ フェラーリ 詳細
2003 06月29日 9   ニュルブルクリンク   ラルフ・シューマッハ ウィリアムズ-BMW 詳細
2004 05月30日 7   ニュルブルクリンク   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2005 05月29日 7   ニュルブルクリンク   フェルナンド・アロンソ ルノー 詳細
2006 05月07日 5   ニュルブルクリンク   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2007 07月22日 10   ニュルブルクリンク   フェルナンド・アロンソ マクラーレン-メルセデス 詳細
2008 08月24日 12   バレンシア   フェリペ・マッサ フェラーリ 詳細
2009 08月23日 11   バレンシア   ルーベンス・バリチェロ ブラウン-メルセデス 詳細
2010 06月27日 9   バレンシア   セバスチャン・ベッテル レッドブル-ルノー 詳細
2011 06月26日 8   バレンシア   セバスチャン・ベッテル レッドブル-ルノー 詳細
2012 06月24日 8   バレンシア   フェルナンド・アロンソ フェラーリ 詳細
2013
-
2015
開催されず
2016 06月19日 8   バクー   ニコ・ロズベルグ メルセデス 詳細

過去の開催サーキット 編集

 
ヨーロッパGPの開催地。青字が冠大会時代、緑字が単独イベント時代。
単独イベント時代(1983年以降)

優勝回数 編集

単独イベント時代(1983年以降)を対象とする。

ドライバー 編集

(2勝以上)

回数 ドライバー 優勝年
6   ミハエル・シューマッハ 1994, 1995, 2000, 2001, 2004, 2006
3   フェルナンド・アロンソ 2005, 2007, 2012
2   ルーベンス・バリチェロ 2002, 2009
  セバスチャン・ベッテル 2010, 2011
出典: [6]

コンストラクター 編集

(2勝以上)

回数 コンストラクター 優勝年
7   フェラーリ 2000, 2001, 2002, 2004, 2006, 2008, 2012
4   マクラーレン 1984, 1993, 1997, 2007
3   ウィリアムズ 1985, 1996, 2003
2   ベネトン 1994, 1995
  レッドブル 2010, 2011
出典: [6]

エンジン 編集

(2勝以上)

回数 メーカー 優勝年
7   フェラーリ 2000, 2001, 2002, 2004, 2006, 2008, 2012
5   ルノー 1995, 1996, 2005, 2010, 2011
4   メルセデス * 1997, 2007, 2009, 2016
3   フォード ** 1993, 1994, 1999
2   BMW 1983, 2003
出典: [6]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ The name "Baku Street Circuit" has been used to refer to two circuits within the city for Formula One and FIA GT races. The European Grand Prix will be held on a circuit based around Azadliq Square.
  2. ^ ただし過去にサンマリノスイスルクセンブルクのように、ヨーロッパの小国の名前を冠に被せつつも、実際は当該国にF1開催基準のサーキットがない理由、スイスの場合は1955年のル・マン24時間レースでの大事故以後、国として自動車・オートバイを含むすべてのモータースポーツ大会の開催を制限している理由などから、その近隣国で開催した例外があったが、現在はこの例外は廃止されている(フォーミュラ1#1国1開催厳守時代(2007-2019)参照)
  3. ^ アゼルバイジャンは旧ソ連邦当時「東ヨーロッパ」に分類されることも可能であったため、ヨーロッパグランプリを名乗ることが可能になった。アゼルバイジャンが南コーカサスとして認知されたのは独立後である。また、日本国もアゼルバイジャンを始めとする旧ソ連地域を、ヨーロッパとして扱っている。
  4. ^ 1925-1930年に行われた四輪モータースポーツにおける製造者に対する選手権。現在のF1コンストラクターズ選手権の前身にあたる。ただし、1928-1930年は対象となるレースの減少によりキャンセルされた。

出典 編集

  1. ^ Азад Рагимов рассказал о примерной трассе бакинского этапа Формулы-1” (Russian). www.azerisport.com. 2014年7月25日閲覧。
  2. ^ Formula 1 - Azerbaijan Grand Prix debut delayed until 2016”. uk.eurosport.yahoo.com. Reuters. 2014年7月25日閲覧。
  3. ^ Azerbaijan layout unveiled for Baku European Grand Prix in 2016 - F1公式サイト・2014年10月7日
  4. ^ バクー、F1アゼルバイジャンGPへの名称変更の理由を説明”. F1-Gate.com (2016年12月2日). 2016年12月3日閲覧。
  5. ^ 初開催バクーでF1最高速記録を更新、コース設計者も驚き”. TOPNEWS (2016年6月21日). 2016年12月3日閲覧。
  6. ^ a b c European GP”. ChicaneF1. 2024年2月4日閲覧。

参考文献 編集

関連項目 編集