ken

日本のミュージシャン、ギタリスト、シンガーソングライター、音楽プロデューサー

ken(ケン、本名:北村 健(きたむら けん)、1968年11月28日 - )は、日本ミュージシャンギタリストシンガーソングライター音楽プロデューサー

ken
出生名 北村 健
別名 Ken
KEN P'UNK
Kën D'Ark
KEN
生誕 (1968-11-28) 1968年11月28日(55歳)
出身地 日本の旗 日本滋賀県米原市
学歴 名古屋工業大学工学部社会工学科
ジャンル ロック
ポップ・ロック
ハードロック
プログレッシブ・ロック
ニュー・ウェイヴ
オルタナティヴ・ロック
職業 ギタリスト
シンガーソングライター
ボーカリスト
ドラマー
作詞家
作曲家
編曲家
音楽プロデューサー
担当楽器 ギター
ボーカル
ドラム
パーカッション
ベース
ピアノ
キーボード
活動期間 L'Arc〜en〜Ciel
1992年 -
SONS OF ALL PUSSYS
2002年 - 2006年
Ken
2006年 -
レーベル Danger Crue Records
事務所 MAVERICK
共同作業者 L'Arc〜en〜Ciel
SONS OF ALL PUSSYS
公式サイト Ken OFFICIAL WEB SITE

ロックバンドL'Arc〜en〜Cielのギタリスト。元SONS OF ALL PUSSYSのボーカリスト・ギタリスト、元D'ARK〜EN〜CIEL、元P'UNK〜EN〜CIELドラマー

学生時代から様々なバンド活動を行っているが、本格的な活動は1992年にL'Arc〜en〜Cielへ加入した頃から始まる。kenの演奏したギターが入ったスタジオ音源が販売されたのは、同バンドがオムニバスアルバム『Gimmick』に提供した楽曲「VOICE」が初となる。L'Arc〜en〜Cielではメインコンポーザーの一人として、現在までにミリオンセラーを記録した「花葬」や「NEO UNIVERSE」の他、「眠りによせて」「夏の憂鬱」「the Fourth Avenue Café」「[1]winter fall[1]浸食 〜lose control〜」「forbidden lover」「叙情詩」「MY HEART DRAWS A DREAM」「DAYBREAK'S BELL」「CHASE」「Wings Flap」などの楽曲を作曲している。なお、kenは、L'Arc〜en〜Cielにおいて一番多く作曲を担当しており、このバンドで手掛けた作曲数はアレンジ違いを除き、50曲を超えている。

2002年には、元L'Arc〜en〜Cielのドラマーであるsakuraからの誘いがあり、日本でファッションモデルとして活動していた友人のEinを加えた3人でスリーピースバンド、SONS OF ALL PUSSYSを結成している。このバンドでは当初、1980年代後半から1990年代にかけて隆盛だったオルタナティヴ・ロックに寄った楽曲を制作・発表していたが、徐々に様々なアプローチで楽曲制作を行うようになり、約5年間ほど不定期で活動が続けられた。ただ、2006年に出演したライヴイベントを最後に、現在まで活動が止まっている。

そして2006年からは、Ken名義でソロアーティストとしても活動を始めている。ソロ名義の活動においてKenは、基本的にボーカルを務めており、楽曲によってはギターピアノキーボード、プログラミングを担当している。さらにこのソロワークスでは、洋邦さまざまなアーティストの楽曲のカバーや、自身が好んで聴いてきた1970年代80年代の頃のハードロックを彷彿とさせるギタープレイが光る楽曲を制作・発表している。なお、Kenは現在までに、アルバム2作品[注釈 1]、シングル・単曲配信3作品、映像作品1作品を発表している。

他には、MUCCBAROQUEなどのバンドの楽曲制作にプロデューサーとして参加したり、清春のアルバム制作にギタリストとして招聘されている。

マネジメントは、L'Arc〜en〜Cielと同様に、MAVERICKが担当。所属レーベルは、MAVERICK内に設けられた、Danger Crue Records

概要 編集

プロフィール 編集

1968年11月28日滋賀県米原市内の病院にて生まれる。血液型はAB型で、姉が1人いる。既婚者で1児の父。ちなみに自身が在籍するL'Arc〜en〜Cielでリーダー兼ベーシストを務めるtetsuyaは、同郷で幼馴染の関係にあたる[2]

バンドメンバーやファンからの愛称は「kenちゃん」。

学生時代 - 大学進学のため名古屋へ移住 編集

幼い頃は姉と遊んだり[3]、友人と外で遊ぶことが多かったという[3]。また、この頃は家にあった映画音楽のレコードをよく聴いていたという。中学に入ったあたりからエイジアなどのバンドや、日本のニューミュージックを聴くようになっている[4]

そしてkenは中学生の頃から、姉が使わなくなったフォークギターを触るようになった。初めてギターを触った頃を振り返り、kenは「姉貴が買ってもらったものだったんだけど、全然弾けないから放ってあったギターが家にあった。で、なんとなく、別に何か弾きたいっていうわけじゃなかったんだけど、単純に触ってみたいっていう興味だけで、そのギターに触ってみたいと思って、触ってみたらなんか楽しくって…ずっとそのまま。もらっちゃった!みたいな感じ[5]」「ただ、人の曲を弾こう思ってコード譜を見ても、すごく難しくて上手く弾けなかったんですよ。それで、開放弦を利用してEmをEm7にしてみたり、FをFMaj7にしてみたり、自己流で崩して弾いたときの、響きの美しさに魅了されて好きになりました[6]」と述懐している。その後、kenはエレクトリック・ギターを手にし、音楽に傾倒していくこととなる。

さらにこの頃は、実家の向かいに住んでいる一つ上の先輩(愛称:コウちゃん[7])の家に、近所に住んでいた一つ下の幼馴染のtetsuyaと3人で放課後に集まり、ほぼ毎日レコードを聴いていたという[7]。kenは1996年に発売されたインタビュー本で、この頃のエピソード振り返り「俺が先にコウちゃんちに帰ったら、後からそこへtetsuが帰ってくる。その頃ってレコードを買ったらまずそこで聴く!みたいな感じだった。新しいのを見つけたらテープに録って、こんなんあるよ!とか。いろいろ聴きながらウダウダしてたよなぁ、ずーっと[7]」と述懐している。なお、この3人の集まりは、一つ上の先輩が高校を卒業するまで続けられたという[8]。なお、kenは中学校の文化祭で初めてステージに立っており、オジー・オズボーンのコピーをしている。ちなみに、kenはこのときヴォーカルを担当しており、「ミスター・クローリー」をア・カペラでコピーしたという[9]

高校に入学した後は卓球部に入るが、本格的な練習を強いられる部活だったようで、次第に行かなくなり帰宅部になったという[9][10]。そしていろいろなバンドにギターで参加するようになり、この頃から自分で曲を書くようになった[9]。kenはこの当時について「ギター弾きながらオリジナルを作ったりしてた[9]」「でも友達はコピーが中心だったな。俺ね、コピーは苦手だったんですよ。それに、なぜか曲を作りたい!っていう気持ちが強かった。だからと言って、その先それでどうすんだろう?っていうのはなかった[9]」と語っている。余談だが、kenは高校の頃にtetsuyaに誘われ、ギタリストの脱退したByston-Wellに参加したことがあった[11]。ただ、大学進学のため、わずか1年ほどでByston-Wellを抜けている[12]。なお、後年tetsuyaは、この当時のkenについて「kenちゃんは当時からいい曲を書いていた」と述懐している。

上記のように高校生の頃からバンド活動、作曲活動を行っていたが、プロミュージシャンになろうという強い思いもなく、高校3年生になったタイミングでは「とりあえず大学に進学しよう」を考えていたという。そしてkenは、名古屋工業大学工学部への進学を決めている。なお、kenの家系には"教師"の職に就いている者が多かったため、当初kenは「先生もいいかな」と思っていたという[10]。しかし、教師ではなかった父親からの反対もあったため[10]、工学部への進学を決めたという。後年kenは、教師を目指すことを父親に反対されたエピソードについて「先生家族だったせい、その裏返しだったのかもしんない[10]」と語っている。

大学時代 - tetsuyaからのバンド加入の誘い 編集

大学に進学したものの、ken曰く「明確に何になりたいっていうのはなかった」といい、大学へ行ったり行かなかったりを繰り返していたという[10]。この頃を振り返り、kenは「1年行って、1年全く行かなくなってとか。で、また1年行ってとか。そういう感じだったな[10]」「人生がどこ行くかっていうのが決まることなのに、それほど深く考えてなかった[10]」と述べている。こうした生活の中でkenは、再び何の気なしにバンドを始めるようになり[10]、音楽の道も漠然と考えるようになったという。kenは当時のバンド活動について「バンドをやりつつ、なんかちょっと違うなぁ…と思うと、学校に行ったりとか。そういういい加減な感じで毎日を過ごしてましたね[10][13]」と述懐している。

そして大学で専攻を選ぶ頃になると、kenは学業に興味が移り始めていったという。kenは、学業に興味が移り始めたころの心境について「学校に行きだすと、学校の面白さが今度は出てきてね。専門の授業が面白くなってきて。"ああ、これはこれで面白いな"と思いつつ、だからバンドと大学での勉強が、並行して進んでいった[13]」と述懐している。なお、kenが大学4年生のときに入った大学の研究室は、市之瀬敏勝が助教授を務めていた、コンクリートの耐震強度などを研究するゼミであった[14]。市之瀬は、学生時代のkenについて「ピアスして前の方に座ってね、結構質問してくるんだよね。だいたい僕は授業のときには出席って全然取らない。だから人の名前って全然覚えないんだけど、北村君(=ken)の名前だけは覚えてたね。それで4年のときに(ゼミに)来てくれたから嬉しかった[14]」と述懐している。一方、kenは市之瀬のゼミの印象について「なんか難しい話が、先生と話してると、なぞなぞみたいになってくる…なぞなぞって言うと変だけど、"勉強"じゃなくなってくるから。"勉強!勉強!"じゃなくして話せてたから、いいなぁって思ってた[14]」と述べている。

こうして建築学を専攻し始めたkenだったが、ゼミに入って約2ヶ月ほど経った1992年のある日、tetsuyaから「L'Arc〜en〜Cielに加入してくれないか」という電話が来ることになる[14]。当時のL'Arc〜en〜Cielは、初代ギタリストのhiroが脱退してしまった頃で、新たなギタリストを探していた最中であった。そして、L'Arc〜en〜Cielのボーカリストであるhydeがtetsuyaに「kenは、どう?[15]」という提案をしたこともあり、kenに加入打診をする流れとなった。hydeは、kenにバンド加入の打診をした背景について「以前から、kenの存在は知ってたんだ。tetsuyaの幼なじみで一緒にバンドをやってた人ってね。L'Arc〜en〜Cielのライヴにも何回か来てて、挨拶程度しかしてなかったけど、kenがやってるバンドのデモテープを聴かせてもらったりしてて、すごくいい曲を書くし、すごくカッコいいギターを弾くなって思ってたから、すぐに思い浮かんで[15]」と2012年に発表した自叙伝で述懐している。

L'Arc〜en〜Ciel加入、様々なバンド・プロジェクトでの活動 - 現在 編集

tetsuyaがバンド加入の打診をしたときにkenは、学業と並行して就職活動も行っており、とあるゼネコンの一次面接に通った段階にあったという[15]。そしてkenは、就職とバンド加入のどちらを選ぶか数日間考え、音楽の道に進むことを決断し、L'Arc〜en〜Cielへの加入を承諾する。こうしてkenは、L'Arc〜en〜Cielが当時活動場所としていた大阪に移ることになった。なお、kenはこのタイミングで大学に退学届を出しておらず、あえて休学としていた。そして1997年に当時のドラマー、sakuraが逮捕されたことによりバンドが活動休止した際に、再び大学に通い、翌年3月に卒業している。

kenはL'Arc〜en〜Cielに加入した後、ギタリスト、そしてメインコンポーザーの一人として楽曲制作およびライヴ活動に携わるようになった。特にL'Arc〜en〜Cielが活動初期の頃に発表したアルバム (『DUNE』-『True』) の収録曲は、ken作曲の楽曲が半数以上を占めており、それ以降のアルバム制作においてもkenが中心的なコンポーザーの役割を担っている。また、kenが加入した直後の1992年10月1日に発表されたオムニバスアルバム『Gimmick』には、kenが手掛けた楽曲「VOICE」が収録されているが、この曲がL'Arc〜en〜Cielとして初めてCDに収めたスタジオ音源となった。そしてL'Arc〜en〜Cielは、紆余曲折がありながら、ken加入から約1年後の1993年5月に1stアルバム『DUNE』を発表。1994年7月にはメジャーデビューシングル「眠りによせて」、2ndアルバム『Tierra』をリリースし、メジャーレーベルでの活動を開始した。メジャーデビューしてからもL'Arc〜en〜Cielは、メンバーチェンジを挟みながら活動を進め、30年以上のキャリアを積んでいくことになる。(その後の活動の詳細はL'Arc〜en〜Cielの頁』を参照)

L'Arc〜en〜Cielとしての活動が約10年ほど続いたころ、2001年半ばあたりから、一部のメンバーの希望もあり、それぞれソロワークスを始めるようになる。ただ、kenはL'Arc〜en〜Cielでの積層するスケジュールに疲れていたこともあり、メンバーの中で唯一この年にソロワークスや別バンドでの音楽活動を行わなかった。なお、ken曰く、2001年は「麻雀野球しかしてなかった[16]」という。休養から約1年ほど経った2002年から、再びギターを弾き始め、L'Arc〜en〜Cielの元ドラマーであるsakuraに声をかけられたこともあり、ファッションモデルのEinを誘い、スリーピースバンド、SONS OF ALL PUSSYS(略称:S.O.A.P.)を結成し、別バンドでの活動を開始した。ken曰く「(SONS OF ALL PUSSYSで)CDを出すつもりはなかった[17]」といい、バンド結成後半年間はライヴハウスでのライヴを中心に活動していたが、2003年2月6日に初の作品となる、1stミニアルバム『GRACE』を発表している。ちなみにken曰く、S.O.A.P活動当初はスマッシング・パンプキンズジェフ・バックリィといったアーティストを意識した楽曲を制作しようと考えていたというが[18]、バンドで音源を作っていくにつれ、様々なアプローチで楽曲制作が行われるようになった。また、2003年から2004年にかけてS.O.A.P.主催によるライヴイベント「BUBBLE FESTiVAL」を開催。このイベントには、HYDEやacid androidといったL'Arc〜en〜Cielのメンバーのソロプロジェクトに加え、清春La'cryma ChristiMONORALLUNKHEADといったバンドが参加している。さらにS.O.A.P.は、2003年に野外ロック・フェスティバルSUMMER SONIC 03」に出演している。余談だが、kenはS.O.A.P.として活動していた頃、自身の出演の有無と関係なく、多くのフェスを観に行っていたという。その理由について、kenは2003年のL'Arc〜en〜Ciel活動再開後のインタビューで「(L'Arc〜en〜Cielが走りだした時のために)いろんな五感を喜ばしとけばいいんじゃないかなって[16]」「パッと見には音楽じゃなくても、二次三次的に変えていったら音楽になるものに触れとくっていうことですよね。まあそれの一環としてフェス巡り(笑)。フジ・ロックも行きましたね[16]」と述べている。(活動の詳細は『SONS OF ALL PUSSYSの頁』を参照)。

そして、2006年には自身初のソロシングル「Speed」をリリースし、Ken名義でソロ活動を本格的に開始している。kenは、バンド活動と並行しながら現在までソロワークスを進めており、洋邦さまざまなアーティストの楽曲のカバーや、自身が好んで聴いてきた1970年代80年代の頃のハードロックを彷彿とさせるギタープレイが光る楽曲を数多く制作している。なお、kenはソロ名義の活動ではボーカルを担当している。ちなみにkenは、ソロ1stシングルを発売した際のインタビューで「ゲイリー・ムーアのカバーをライヴでやってみたら楽しいんじゃないかな、なんて考えてた[19]」「そもそも(ゲイリー・ムーアの)「エンプティ・ルーム」をライヴでやりたいから、レコーディングしたい。けどカバーだけだとおかしいかなと思って、タイトル曲を自分の曲にっていう順番[20]」と語っており、カバーをやってみたいという思いから、ソロ名義の作品リリースがスタートしたことを示唆している。

さらに2008年からは、MUCCBAROQUEといったバンドの音源制作の場でプロデューサーを担当するようになっている。また、2004年に旧友の清春が発表したソロアルバム『poetry』の収録曲「唯一遠くへ」、2021年Charがアーティスト全体総指揮、楽曲提供、プロデュースを担当したチャリティーソング「We Love Music」の制作にギタリストとして参加している[21]。そして2022年には、逹瑯(MUCC)に自身初の楽曲提供を行っている。なお、逹瑯に提供した楽曲「the love letter feat.DURAN」には、DURAN(ex.Made in Asia、ex.a flood of circle)が制作に参加している。

音楽活動以外では、かつて音楽雑誌『WHAT's IN?』で編集者やスタッフとの雑談を文字起こしした「放談我報」、音楽雑誌『音楽と人』で自身の日常を綴った「Ken牛乳」が連載されていた。なお、この2つの連載は、2010年に単行本『放談我報X』、2013年に単行本『Ken牛乳』としてそれぞれ刊行されている。また、雑誌『Weeklyぴあ』では2005年10月から約2年半にわたって「IRON MAIKEN」という対談企画が連載されていた。この企画は、L'Arc〜en〜Cielが在籍するレーベル、Ki/oon Recordsに当時所属していたアーティストを中心にゲストを招き、kenと"ヘヴィメタル"をテーマに対談するというもので、セイジ(ギターウルフ)や宇多丸RHYMESTER)、PUFFYチャットモンチーDOESDISCO TWINS、TAKE(FLOW)、GOT'S(FLOW)らとの対談が行われた。また、2007年1月には企画タイトルの元ネタとなったヘヴィメタル・バンド、アイアン・メイデンのギタリストであるエイドリアン・スミスとの特別対談が掲載されている。

バンド・ソロワークス遍歴 編集

(※) 太字はバンドもしくはユニット。正式メンバーとして参加していないバンドに関しては除外。

音楽性 編集

パート 編集

L'Arc〜en〜Cielでは、本職のギターだけでなく、楽曲によってはピアノ[注釈 2]キーボード[注釈 3]プログラミング[注釈 4]マニピュレート[注釈 5]パーカッション[注釈 6]オートハープ[注釈 7]ヴィブラフォン[注釈 8]タンバリン[注釈 9]をレコーディングで担当している。さらに、L'Arc〜en〜Cielのパートチェンジバンド、D'ARK〜EN〜CIELではKën D'Ark名義で、P'UNK〜EN〜CIELではKEN P'UNK名義でドラムを担当している。

L'Arc〜en〜Cielのライヴでは「静かの海で」や「LOVE FLIES」でコーラスを担当しているが、スタジオ音源でコーラスを担当している楽曲は少ない。ただ、2002年SONS OF ALL PUSSYSでボーカルを担当するようになって以降は、「Coming Closer」や「EXISTENCE」など、自作した楽曲のレコーディングでコーラスを時折担当するようになっている。また、「winter fall」「Butterfly's Sleep」「finale」「ALONE EN LA VIDA」の弦編曲、「LOST HEAVEN」のキーボード編曲、「Pretty girl」の管編曲を担当しており、外部のアレンジャーと共同で作業を行っている。

2006年から開始した、ソロ名義での活動では、メインボーカル・ギターを務めており、ほぼすべての楽曲の作詞・作曲・編曲・プロデュースを自らの手で行っている。また、曲によってはピアノ、キーボード、カリンバを担当している。

楽曲制作 編集

kenが在籍するL'Arc〜en〜Cielは、"メンバー全員がソングライター"というバンドスタイルを採っている。kenはL'Arc〜en〜Cielの楽曲の作曲を一番多く手掛けており、作曲数はリアレンジ音源などを除き50曲を超えている。そのためkenは、メンバー全員が作曲を担当するかたちを採っているL'Arc〜en〜Cielというバンドにおいて、中心的なコンポーザーに位置付けられる。ちなみに、L'Arc〜en〜Cielのメンバーであるhydeは、kenが作る楽曲について「L'Arc〜en〜Cielの核」と表現したことがある。なお、結成初期のL'Arc〜en〜Cielでは、コード進行やオケを作った者が作曲者としてクレジットされることが慣例になっていたが[22]1996年に発表したシングル「風にきえないで」(作曲:tetsuya)からは作曲者がオケに加え歌メロも制作するようになっている[22]

ちなみにken曰く、オリジナル曲を作り始めたのは高校生の頃だったという[9]。kenは、高校生の頃を振り返り「ギター弾きながらオリジナルを作ったりしてた[9]」「友達はコピーが中心だったな。俺ね、コピーは苦手だったんですよ。それに、なぜか曲を作りたい!っていう気持ちが強かった。だからと言って、その先それでどうすんだろう?っていうのはなかった[9]」と述懐している。また、kenは高校の頃にtetsuyaに誘われ、ギタリストの脱退したByston-Wellに参加したことがあったが、このバンドではkenが作ったオリジナル楽曲も演奏していたいう。そして、kenが学生時代に趣味の一環で制作していた楽曲は、L'Arc〜en〜Cielの1stアルバム『DUNE』に、「Taste of love[23]Be destined[24]としていくつか収録されている。さらに、6thアルバム『ark』に収められた「Butterfly's Sleep」の制作では、kenがByston-Wellに在籍していた頃に作った楽曲のメロディの一部が採用されているという[25]

L'Arc〜en〜Cielが活動初期の頃に発表した1stアルバム『DUNE』から3rdアルバム『heavenly』の収録曲は、ken作曲の楽曲が半数以上を占めており、「Voice」や「As if in a dream」「風の行方」「Vivid Colors」「ガラス玉」など、kenが作る曲を中心にアルバムが制作されている。ただ、前記のアルバム3作のセールスが振るわなかったことで、レコード会社のスタッフに「ラルクは売れない」と言われるようになったという。こういった声を耳にしたkenは、1996年に開始した『True』の制作で、マスへのアプローチを意識し、ポップなメロディをつけた楽曲の制作に取り組むことにしたという。後年kenは、2004年に受けた音楽雑誌のインタビューで、アルバム『True』を制作していた頃の心境について「(L'Arc〜en〜Cielが)売れねえって声が聞こえた時、自分が一番曲を書いていたんです。で、"曲が悪いんだろう"、"俺が悪いんだろう"、"そりゃ売れねえの作ってるよ、俺は"と思ってたわけです。そこから始まったのかもしれない[26]」と述懐している。そしてkenは、このアルバムから「Lies and Truth」や「the Fourth Avenue Café」「Fare Well」といったストリングスホーンを大々的に導入した音源を手掛けるようになった。また、kenはこの頃から、楽曲にキーボードの音色を多く採り入れるようになっている。ken曰く、かつてはギター、ベース、ドラムといったロックバンドの基本フォーマットでない、キーボードの音を大幅導入することに葛藤があったという。後年kenは、この時期から多様な楽器を取り入れていった背景について「キーボードを入れたら、煌びやかに、世に言う"まとまって聴こえる"みたいな、レンジもおさえられるしこういう作り方もあるなとは思っていたんですけど、これをやっていいのかどうか...結果やっちゃったんですけど(笑)。そこがL'Arc〜en〜Cielに関わる人間として脳みそを切り替えた一番のポイントかもしれないですね[17]」と述懐している。

その後sakuraがL'Arc〜en〜Cielから脱退することになり、活動休止期間を経て、新たなメンバーであるyukihiroと5thアルバム『HEART』を制作することになるが、その際kenは「こんな時期に(売上)枚数のこと言う人もいない[27]」ということで、前作『True』で確立したL'Arc〜en〜Cielなりのポップ・ミュージックを基本としながらも、それまでと違うアプローチで音源制作を行うようになった。また、このアルバムに収録された「Shout at the Devil」や「fate」に表れているように、徐々にオルタナティヴ・ロックグランジに寄ったギターアプローチで制作を行うようになっていった[28]

ちなみにkenは、L'Arc〜en〜Cielがヒットを飛ばしていた1999年頃に、アップテンポの明るい楽曲を制作できなくなっていたという。その理由について、kenは当時「周りから過剰に明るい曲を求められてるような空気を感じたとたんに、もう全然書けなくなって[29]」と述べていた。ただ、L'Arc〜en〜Cielの活動が2001年から約3年ほど止まった間に心境の変化が生まれ、2004年に発表した9thアルバム『SMILE』以降は、時折明るいポップ・ミュージックを手掛けるようになっている。ちなみにken曰く、L'Arc〜en〜Cielの活動休止期間に、SONS OF ALL PUSSYSとして野外ロックフェスへ参加したり、観客としてフェスを観に行ったことが、明るい曲を書くひとつのきっかけになったという。kenは、2004年に受けたインタビューにおいて「(これまでは)明るい曲って受けつけなかったんですね。終止するところがマイナーでないと嫌だ、みたいなところがあって。でも、(L'Arc〜en〜Cielの活動が止まった)3年の間に明るい曲が人を元気にしたり、カーステで鳴らしてイエーイっていうだけでも音楽の意味があるんじゃないかと思い始めて。そういう曲も書いてみたいなと思って書き始めた[17]」「前だったら打ち込みっぽい曲を作ってみようとか、変拍子でビックリさせようとか、アルペジオとか使ってザ・キュアーみたいな雰囲気でバッキングトラックを作ったらどうかとかがあったんですけど...今はまた立ち返って、こういうふうなとか、ああいうふうなとか、ラウドロックとか、ハードロックとか、"何とかロック"じゃなく、シンプルなロックを上手く自分達が楽しめてやれればいいなと思った[17]」と心境の変化を述べている。なお、9thアルバム『SMILE』の制作では、1960年代70年代の頃のフォークとロックを意識したポップスとして「Feeling Fine[17]を作曲している。

kenが作曲したL'Arc〜en〜Cielの代表的な楽曲として、バンド名の日本語訳でありバンドにとっての代表曲でもある「」や、ミリオンセラーを記録した「花葬」「NEO UNIVERSE」があげられる。さらにkenは、チャート首位を飾った「winter fall」や「MY HEART DRAWS A DREAM」「DAYBREAK'S BELL」も作曲している。

また、kenは他に、ボサノヴァを思わせるアレンジに歪んだギターサウンドをのせた「眠りによせて」や[30][31]ピアノの弾き語りのような「瞳に映るもの」、レゲエをブレンドした「Wind of Gold[32]変拍子を多用したオカルティックな印象のある「浸食 〜lose control〜[33]、マーチング・ビートのようなドラミングと壮大な上ものが印象的な「forbidden lover」、浮遊感の強いシンセサイザーのサウンドが印象的な映画音楽のような「the silver shining」、ギターリフが印象的なハードナンバー「THE NEPENTHES」、クラシカルなイントロからモダンな16ビートに展開する「叙情詩[34]ラテンのリズムを採り入れたシンセ・ポップテイストの「Wings Flap[35]など、様々なジャンルの境界線を越えたボーダレスな楽曲を制作している[36]。さらにkenは、トラディショナルな趣のあるサウンドが印象的な「Coming Closer」や、ゴシックインダストリアルから派生したダーク・エレクトロのムードを纏った「EVERLASTING[37]も作曲している。なお、ken曰く、この2曲は「架空の異国民謡」[38][39]を意識して作ったといい、2004年に発表した「Coming Closer」に関しては「一つの転機になった[40]」と述べていたことがある。

2002年から活動を開始したインディーズバンド、SONS OF ALL PUSSYS(略称:S.O.A.P.)では当初、1990年代オルタナティヴ・ロックを意識した楽曲制作が行われていた。kenは1stミニアルバム『GRACE』を発表した当時に受けたインタビューで「(結成)当時口にしてたのはスマッシング・パンプキンズとかジェフ・バックリィだったけど、そういう空気感っていう程度[18]」と語っており、同アルバムに収録された「A Song For You」や「PRIVATE RELIGION」は結成時のコンセプトで録音作業が行われていたという[18]。また、L'Arc〜en〜Cielでの楽曲制作・ライヴ制作と異なる点として、同期モノの少ないサウンド作りが為されている。kenは、S.O.A.P.でのギターアプローチについて「自然にローコードが増えてきたり、同期モノがないから、ベースとの間を埋めていくような雰囲気のギターが増えてきてはいるね[18]」と述べている。ちなみにS.O.A.P.では、L'Arc〜en〜Cielとして活動していた時期や活動休止期間にデモ制作が行われたものの、音源化されていなかった音源も発表されている。なお、2ndミニアルバム『gimme A guitar』に収録された楽曲「gimme A guitar」は結成前からデモがあり[41]、シングル「Paradise」のカップリングとして収録された楽曲「Moving on」は発表の約10年以上前からデモ音源が存在していた[42]

2006年から開始したソロ名義における楽曲制作では、自身が学生時代に好んでいたハードロックヘヴィメタルの要素が随所から嗅ぎ取ることができる[43]Deeper」「S」「Blow」の他、「Repose in Sound Sleep」のようなピアノインストゥルメンタルを手掛けている。kenはアルバム『IN PHYSICAL』を発表した際に受けたインタビューで、ソロ名義で制作した楽曲について「「In Physical」とか「My Angel」のソロとかは、曲調はこうだけどこういう要素がほしいよなってとこで(ひらめいた瞬間に)パッと弾いちゃってるから、やっぱハードロックが好きなんだなっていうところが出てるなって(笑)、後になって思います[43]」「ギターソロはアドリブで、これは弾きすぎてるとかそうじゃないとか、考えずに弾いたからかな?その分、不確定要素が強いというか。たとえば、「In Physical」は打ち込みでずーっと作ってきてて。そこにぐにゃぐにゃした有機的な要素を入れたいなと思ってギターをポンと入れて。だから、ハードロックな要素を入れようとしてるわけじゃなかったんですけど、慣れ親しんでるのがそこ(ハードロック)だから、ああいう感じになるっていうことですよね[43]」と述べている。また、2010年にソロ名義で発表したミニアルバム『The Party』では、ライヴのバックバンドメンバーを務める白田一秀(PRESENCEGRAND SLAM)と秦野猛行(L'Arc〜en〜Cielサポート)とのコライト体制で音源制作を行っている。コライトを取り入れた経緯・効果について、kenは「自分ひとりの瞬発力で作ってたとしても、その手前には自分の経験があって、そこから曲なりが出てくるじゃない?でも共作だと、ほかの人の経験なんて知らないし、人の感覚なんてわからないところから突然出てくる[44]」と述べている。他には、映画で使用された楽曲のカバーや、ライヴイベント「MUCC Presents Trigger In The Box」で披露した50分に及ぶアンビエントセッションの音源を「Ambient before the Trigger (Live at Trigger In The Box 2019)」というタイトルで発表している。

自身の曲作りのスタンスに関して、kenは「無理矢理、作ろうとするのではなくて、その時に自分が感じる空気をそのまま曲にするという作り方ですね。空気って、説明するのが難しいんですけど、それがあるかないかでまったく違うんですよ。そのなかに空気がなかったら、作る意味はないかなって、ちょっと思います[36]」と語っている。 また、kenは、自身の思うポップ・ミュージック像について「特殊なものが整合性を持った時にポップになると思ってる[45]」「凄く難しいことなんですけど、その時代を背負ってなきゃいけないくせに、その時代と一緒になったらダメなんですよね。と、思ってるんですよ。そこの隙間を見つけた時だと思う[46][47][48]」と述べている。

さらにken曰く、自身の楽曲制作には、飽き性な性格が影響しているという。kenは、2010年に受けた音楽雑誌のインタビューで「何回もその方法でやってくうちに、自分が飽きちゃうのも知ってるから。もう1回やろうよってなった時、自然にそうなればいいけど"あの方法があったじゃん"でやるのは、後なぞりな気がして嫌なんですよ[49]」「あの時自然にやってたことが、方法論のひとつになっちゃうのが嫌なのかな。だから逆に、飽きるほどやったことないもんね。飽きるほどやったことないくせに、その手前で、飽きたら嫌だなって、ずっと言ってる[49]」「"お、そういうことしたことないねえ"って思った時が、いちばんワクワクする[49]」と述べている。このようにkenは、その時々の気分で音源制作の方向性や手法をガラリと変えることが多い。例えば、L'Arc〜en〜Cielとして「fate」「花葬」「forbidden lover」を制作していた頃はテンポにこだわって作ってみたり[50]、「NEO UNIVERSE」の制作ではメジャーのコードから始まる曲を意識的に作ってみたり[51]、「Wings Flap」では普段使うソフトウェア・シンセサイザーを敢えて使わずデモを作っている[52]

L'Arc〜en〜Cielの共同プロデューサーを務める岡野ハジメ(ex.PINK)は、作曲家・ギタリストとしてのkenの印象について「kenは楽曲制作する上で<構築モード>と<一期一会モード>の2つの人格がある」と評している[53]。また、岡野は「曲の構造が彼の中に構築されてる場合は最初から凄く緻密[54]」と語っている。ちなみにkenは、2010年に受けた音楽雑誌のインタビューで、自身の作曲姿勢について「気分のタイミングで動いた方が、脳みそにあるイメージを出しやすい人間なのかなと思う。だからアレンジとか進んでても、"思いついたからこれ!"とか、"いろいろ言ってたけどやっぱそれなし!"とか、そうやって作ってる方が、自分としてはスムーズで[49]」「完璧という言葉に対して、もうどうでもよくなってる。俺の中の完璧と、人の言う完璧は違うのかもしれないなあ。繊細かつざっくりやりたいというか。行き当たりばったりみたいなやりかたは、そのざっくり感が欲しいんだと思う[49]」と語っている。このようにkenは、楽曲を緻密に構築していくアプローチと、自分の感覚で試行錯誤していくアプローチを、その時の気分で使い分けながら楽曲制作を行っていることがうかがえる。

なお、kenは、ほかのメンバーが作曲した音源のレコーディングにおいても、中心的なポジションで制作に携わることが多い。hydeは、コンポーザー・アレンジャーとしてのkenについて「自分達にはわからないレベルの音楽的な部分は、彼に一任しているので。(中略)彼が作ってくるデモの時点でかなり完成されてるんで。そういう意味で、彼の曲じゃない曲をやる時にも頼りになるっていう感じです。常に上にいる人って感じかな[55]」「(バンドメンバーの)みんな、kenには一目置いてると思う。アレンジ面だったり、エンジニア的な音質の部分だったり、ダビングの構築であったり。もちろん、作曲家としても他に類を見ない存在で。自分と比べても、音楽的に優れてる[56]」と述べている。また、tetsuyaは、kenについて「彼はギターに対してというよりも全体を見てるから。ギタリストだからそれをギターでやろうっていうタイプじゃなくて、全体を考えてる[57]」と述べている。

さらに岡野ハジメは、kenのアレンジワークについて「kenちゃんはアレンジができて、譜面の読み書きもできる人です。彼と仕事をしていて、凄く勉強になったのは…(中略)kenちゃんは内声に凄くこだわるんですよね。ギタリストだからでしょうけど、ミッドのところをどうするか、歌と他の楽器の音が当たっていないか、ストリングスの中でビオラの帯域をどうするか?といった、内声の動きにこだわるんです[58]」と評している。また、ロックバンド、THE NOVEMBERSの小林祐介は、kenが作る楽曲の印象について「kenさんは作曲の理論だったり、ギターでいうボイシングやグルーヴの作り方、アンサンブルの組み方にいつもハッとさせられます[59][60]」と述べている。

ちなみにkenは、L'Arc〜en〜Cielでの作品づくりについて「<音は音でしかない>って僕が思ってるのは事実なんですけど、hydeの歌詞が乗ったとき、そこには何かがあるんですよね[61]」「hydeがバンドの顔として言葉を綴ってまとめ上げていることによって、僕の音楽に対する節操のなさがバリエーションとして響いているんだろうし、さらにtetsuのプレイやyukihiroのプレイによっても、アルバムがちゃんと筋が通ったものになって行っているんだろうなと思う[62][63]」と語っている。また、kenは音楽を作るという行為や、リスナーと音楽を共有する感覚について「何かの本を読んで、科学者や音楽とか芸術をする人は、結局は神の存在を感じさせる作業をしていると。で、音楽は放っといたとしても、科学の人なんていうのは、こまいこまい事実を繋ぎ止めてって、結局はすごい細かい現実的なことを突き付けるんだけど、それの結果、感覚としては"神はいるかも"みたいな、逆の感覚に至るみたいなのが――神って、宗教的な話じゃなくね、"おお、素晴らしいな、世界って"みたいな気分でいいと思うんですけど――音楽にもそういうことがあるのだと。"この部分はこうだ"と脳みそではわかってしまった上でも。そこで"わかったわかったわかったよ"じゃなくて"わかったわかった。それをこうしてこうして、こうしてやり遂げることによって、素晴らしき気分を聴いてくれる人と共有できたらな"っていう、何て言うんでしょうね。バンドをやっていくひとりとして、なんかちょっと"目標ができてうれしいな"みたいな気分ですね[64]」と述べている。

音楽ルーツ・音楽的嗜好 編集

1970年代1980年代ハードロックヘヴィメタルニュー・ウェイヴを特に好きなジャンルとしてあげている。他には映画音楽プログレッシブ・ロックオルタナティヴ・ロックオルタナティヴ・メタル、そして日本のニューミュージックなどを好んで聴いている。

音楽に興味を持ち始めたのは、小学生の頃、家にあったニーノ・ロータ作曲の「ゴッドファーザー 愛のテーマ」などの映画音楽が収められたレコードを聴いたことがきっかけだったという[65]。後年kenは、映画音楽のレコードを聴いていた当時の心境を振り返り、「なんかすごい切ない気分になるんすよね、ああいうの聴いてると。なんで小学生があんな切ない気持ちになってたのかわかんないですけど、切なかったですね[65]」「悲しいのに気分がいいんですよね。あれは不思議な気分ですよね[65]」と述べている。他に映画音楽では、ジョン・ウィリアムズ[66]ジョン・バリー[66]などが手掛けた曲を当時よく聴いていたという。また、映画を通じて、そのアーティストの楽曲を聴き始めることも多かったようで、自身が2021年音楽ストリーミングサービスで公開したプレイリストには、ボブ・ディラン[66]マイルス・デイヴィス[66]ハリー・ニルソン[66]ビル・コンティ[66]B・J・トーマス[66]などが制作した映画音楽・主題歌を多く組み入れている。ちなみにkenはソロ名義で、映画『いそしぎ』に使われた楽曲「シャドウ・オブ・ユア・スマイル」、映画『奇跡の海』に使われた楽曲「イン・ア・ブロークン・ドリーム」のカバー音源を発表したことがある。また、kenはソロ名義で開催したライヴツアー「Ken TOUR 2010 “Hey! Join The Party!”」で、映画『バグダッド・カフェ』に使われた楽曲「コーリング・ユー」をカバーしたこともある。

ちなみに幼少期の頃は、自身の父からの影響で映画音楽やニニ・ロッソ[67]、姉からの影響で松山千春をよく聴いていたという[68]。なお、kenは2009年に、松山千春の楽曲「白い花」のカバー音源をソロ名義で発表している。

中学生になった頃には、日本のニューミュージックを聴くようになったが[4]、友人の影響から徐々にハードロックヘヴィメタルに傾倒していったという[4]。kenは1996年に受けたインタビューで、HR/HMを聴くようになった経緯について「昔からいたんだけど、そのコも徐々にそうなってきたのかな?そのコとよく遊んでたから、そのコの家に学校帰り寄ったりしてレコードを聴かせてもらった。"コレいいんだよ"とか、聴かされたのがハードロックで、ものすごい音で、"なんじゃぁぁぁっ!"みたいな衝撃で、すげぇと思った[4]」と述懐している。この当時のハードロックあるいはヘヴィメタルでは、ゲイリー・ムーア[69]ジョン・サイクス[70]マイケル・シェンカー[69]イングヴェイ・マルムスティーン[69]レッド・ツェッペリン[2]スコーピオンズ[68][71]アイアン・メイデン[71]アルカトラス[4]アクセプト[71]オーヴァーキル[71]クリーター[71]デフ・レパード[72]スレイヤー[71]パンテラ[71]などを聴いていたという。なお、kenは2008年に発行された単行本『IRON MAIKEN』の中で、「無人島に持っていくメタルのアルバム3枚」という質問に対し、ジューダス・プリースト[72]ヴァンデンバーグ[72]ブラック・サバス[72]の作品をあげている。余談だが、kenはこの当時、友人の家に集まって音楽を聴いていたというが、そこには後にL'Arc~en~Cielのベーシストとなるtetsuyaもいたという。こういった背景があり、kenはソロ名義で開催したライヴにtetsuyaをゲストとして招待した際、当時2人が聴いていたトゥイステッド・シスターの楽曲「ウィー・アー・ノット・ゴナ・テイク・イット」をtetsuyaとセッションしている[2]。また、中学生になってからは、ハードロックやヘヴィメタルの他に、エイジア[4]ピンク・フロイド[73]キング・クリムゾン[74]といったプログレッシブ・ロックもよく聴いていたという。

なお、上記のように中学生時代からHR/HMに夢中になったが、1980年代後半から流行したLAメタルにはあまり傾倒しなかったという[69]。kenは2006年に受けた音楽雑誌のインタビューで「LAメタルとかも聴くには聴いたけど、そこまでハマらなかった。まわりにはジョージ・リンチが好きな人とか、多かったけど[69]」と語っている。ちなみに、1990年代2000年代以降に隆盛を迎えたメタルバンドでは、アリス・イン・チェインズ[71]ネヴァーモア[71]メシュガー[71]コーン[75]ラムシュタイン[71]システム・オブ・ア・ダウン[71]テキサス・ヒッピー・コアリション[71]などを聴いているようで、これらアーティストの楽曲を自身のプレイリストに入れ、音楽ストリーミングサービス上にアップしている。

HR/HMをよく聴くようになったkenだったが、暗さを求めて徐々にニュー・ウェイヴポストパンクへ興味が移っていくことになる。この頃の心境の変化について、後年kenは「元々ハード・ロックの中でも、(ギター)ソロがキレイだとか、ガッツがあるっていう部分のほかに、暗いところが好きだったりして。けど、そういう部分がハード・ロックじゃ足りない面もあるんだよねって話をしたら、ザ・キュアーを勧められて[69]」と述べている。前記のジャンルとされるアーティストでは、ザ・キュアー[69]デペッシュ・モード[76]U2[77]ザ・スミスジョニー・マーが在籍していた頃のザ・ザ[78][79]などを好んで聴いていた。特にザ・キュアーのサウンドメイキングは、L'Arc〜en〜Cielの活動最初期の楽曲制作において、ひとつのイメージになっていたという。kenは、2004年に受けたインタビューで「アルペジオとか使ってザ・キュアーみたいな雰囲気でバッキングトラックを作ったらどうかとかがあった[17]」と述懐している。ちなみにkenは、数多くの好きなギタリストの中でもジョニー・マーの名前を頻繁にあげているが[79]、ザ・ザに在籍していた頃が特に好みだったと語っている[69]。後年kenは、ジョニー・マーのギタープレイについて「バッキングのパターンとか、シンプルだけど印象に残るし、アルペジオとかメロディーとか、すごくカッコ良かったんで、ザ・ザ時代のジョニー・マーが好きなんだよね[69]」と述べている。また、他のアーティストでは、ロイ・ブキャナン[80]ジミ・ヘンドリックス[81]イギー・ポップ[71]サンタナ[82]ママス&パパス[66]イーグルス[83]ラモーンズ[83]バッド・ブレインズ[71]デヴィッド・シルヴィアン[84]ジャパン[69]アンビシャス・ラバーズ[69]ジョン・ゾーン[85]が手掛ける楽曲も好きで聴いていたという。さらに、カーティス・メイフィールド[86]リー・リトナー[69]パット・メセニー・グループ[69]ビル・フリゼール[69]といったソウルジャズ・フュージョンも好んで聴いていたという。

ちなみにkenは、自身の音楽観が変わるきっかけになったアーティストとして、ボブ・マーリー[17]ポリス[17]といった、レゲエもしくはレゲエの要素を含んだ楽曲を手掛けるミュージシャンの名前をあげたことがある。kenは2004年に受けたインタビューで、前記のアーティストに惹かれた理由について「そのリズム感を感じさせるためのメロディとか、そのリズム感を感じさせるためのヨレ方を取り入れると、演奏するほうも聴いている方もハッピーになれると感じた[17]」と述べている。また、1997年に訪れたイギリスロンドンで観たライヴの中で[87]、印象に残ったアーティストとしてザ・フー[87]ニック・ケイヴ[87]の名前を出していたこともある。

他にもkenは様々なジャンルの音楽を聴いており、ジェフ・バックリィ[69][88]ストーン・テンプル・パイロッツ[88]レッド・ホット・チリ・ペッパーズ[89]スマッシング・パンプキンズ[90]プラシーボ[91]コールドプレイ[2]ヤー・ヤー・ヤーズ[83]といったオルタナティヴ・ロックや、アビー・リンカーン[92]カーペンターズ[93]ビースティ・ボーイズ[75]フィッシュボーン[92]スタイル・カウンシル[92]フェアーグラウンド・アトラクション[94]トレイシー・チャップマン[94]スウィング・アウト・シスター[92]ドクター・ドレー[75]ブレナン・ハート[83]エスタス・トンネ[95]スカーロード[71]などが手掛ける楽曲を好んで聴いているという。また、クラシック音楽ボサノヴァも好きで時折聴いているという。

余談だが、kenは2000年代後半以降、自身が主催もしくは出演したライヴイベントなどで、頻繁にカバーを披露している。kenはこれまでに、アントニオ・カルロス・ジョビン作曲の「デサフィナード[96]や、エヴァリー・ブラザースの楽曲「クライング・イン・ザ・レイン[97]、ジョン・サイクス&フィル・ライノットの楽曲「プリーズ・ドント・リーヴ・ミー」[98]ユーリズミックスの楽曲「ヒア・カムズ・ザ・レイン・アゲイン[77]ブラーの楽曲「ソング2[77]フォール・アウト・ボーイの楽曲「サンクス・フォー・ザ・メモリーズ」[97]、コールドプレイの楽曲「ヴィヴァ・ラ・ヴィダ[98]レディー・ガガの楽曲「バッド・ロマンス」[99]を披露したことがある。他には、44MAGNUMの楽曲「STREET ROCK'N ROLLER」や、GRANDSLAMの楽曲「INTO THE NIGHT」といった日本のハードロックバンドのカバーも行っている。

ちなみにkenは2007年に受けたインタビューで、自身が好む音楽について「上手く言えないんですけど、パッと浸れるもの ――自分がパッと聴いて浸れたり、見えてる景色が違って見えたり、目を瞑ったら違うところに行けたりっていう、音楽ってそういうものだと思ってて。だからアブストラクトな音楽でもポップとされている音楽でも、それさえあればいいなと思ってるんですよね[100]」と述べている。

なお、L'Arc〜en〜Cielは2020年以降に開催したライヴにおいて、開演前に様々なアーティストの楽曲で構成されたプレイリストを会場内で流している。このプレイリストはメンバー4人それぞれが選曲したもので、公演終了後に音楽ストリーミングサービス上で公開されている(詳細は下記リンクを参照)。なお、kenが作るプレイリストは一つのテーマに則ったようなものが多く、これまでにメタルの楽曲を中心に集めたプレイリストや、会場となった"東京"という地名が入ったタイトルを集めたプレイリストを公開している。

  • kenが選曲したL'Arc〜en〜CielのオープニングBGMのプレイリスト一覧
2020年 - 『ARENA TOUR MMXX OPENING BGM
2021年 - 『L'APPY BIRTHDAY! OPENING BGM
2021年 - 『30th L'Anniversary TOUR OPENING BGM
2022年 - 『30th L'Anniversary LIVE OPENING BGM

ソロアーティストとして 編集

kenは、2006年8月Ken名義でシングル「Speed」をリリースし、ソロアーティストとしての活動を開始した。Kenは当初、2002年に結成したSONS OF ALL PUSSYSを、2006年から再始動することも検討していたが、結果的にソロ名義で作品をリリースすることにしている。Kenは、2006年にSONS OF ALL PUSSYSの活動を再始動しなかった理由について、「2005年末のSONS OF ALL PUSSYSのリハのとき、なんかもっと歌詞を伝えるようになりたいなぁ、なんてことを思いつつ。で、それは"とにかくYeah!"って言ってるっていうものとはちょっと違うじゃないですか、歌詞を伝えることと。そんな気分になってるんだよねって話はメンバーに伝えて。その後、しばらくそのままの状態だったのかな。で、年が明けてからも、SONS OF ALL PUSSYSっぽい曲がなかなかできないねぇ…みたいな感じで。そうこうしてる間も、メンバーそれぞれがチョコチョコ忙しくしてたっていうのもあって、なんとなくSONS OF ALL PUSSYSは離陸せずに今に至るって感じかな[19]」「L'Arc〜en〜Cielのライヴで秦野(猛行)さんがずっとキーボードを弾いてくれてるでしょ。で、ライヴツアー「AWAKE TOUR 2005」のときの秦野さんのインプロビゼーションとかも、本当に素晴らしいなと思いながらライヴをやってたから、一緒になんかできたらいいなと思った[19]」と述べている。

また、Ken曰く、ソロ活動を始めるきっかけのひとつには、「ゲイリー・ムーアのカバーをやってみたい」という思いがあったという。Kenは2006年に受けた音楽雑誌のインタビューで「実はそれ(=ゲイリー・ムーアをカバーしてみたいこと)は前から思ってたんだよ。SONS OF ALL PUSSYSでも"ゲイリー・ムーアの「エンプティ・ルーム」を演りたい"って、何回か言ってたけど、たぶん冗談だと思われたんだろうと思う(笑)[19]」「そもそも「エンプティ・ルーム」をライヴでやりたいから、レコーディングしたい。けどカバーだけだとおかしいかなと思って、タイトル曲を自分の曲にっていう順番だから[20]」と語っている。このように、他アーティストのカバーをやってみたいという思いがソロ活動開始の背景にあったことから、これまでに4曲のカバーが音源として発表されている。さらにソロ名義で開催したライヴにおいても、頻繁に他アーティストの楽曲のカバーを披露している。

このソロプロジェクトでKenは、ボーカルを務めており、楽曲によってはギターピアノキーボード、プログラミングをレコーディングで担当することもある。また、2010年に発表したミニアルバム『The Party』では、ツアーサポートを務める秦野猛行と白田一秀(PRESENCEGRAND SLAM)とコライトで楽曲制作を行っている。Kenはミニアルバム発売時に受けたインタビューで、コライトに取り組んだ経緯・効果について「自分ひとりの瞬発力で作ってたとしても、その手前には自分の経験があって、そこから曲なりが出てくるじゃない?でも共作だと、ほかの人の経験なんて知らないし、人の感覚なんてわからないところから突然出てくる[44]」「お任せというか。音さえ良ければ何の抵抗もないんだよね。どんな曲調でも[49]」と語っている。

ちなみに、Kenのソロワークスのアルバムレコーディングでは、ベーシストのTAKASHI(BUG、ex.DIE IN CRIES)がほぼ固定で参加しているが、ドラマーに関しては様々なミュージシャンが招聘されている。なお、これまでに、宮脇“JOE”知史44MAGNUM, ex.ZIGGY, RIDER CHIPS, MADBEAVERS)や村石雅行(FAZJAZ.jp、ex.KENSO)、永井利光長谷川浩二Cube-ray)、湊雅史(ex.DEAD END)、真矢LUNA SEA[101]といったドラマーがレコーディングに参加している。そして現在に至るまでバンド活動と並行しながら、作品リリースとライヴ活動を続けている。なお、現在までにソロ名義で、アルバム2作品、シングル・単曲配信3作品を発表している。

また、Kenは2016年2017年に、自身が主宰するライヴイベント「PARTY ZOO」を開催している。このイベントには、自ら声をかけて集めた後輩バンドたちが多く参加している。また、近年はMUCCBAROQUEといったバンドのアレンジ作業や楽曲プロデュースも行っており、活動の場を広げている[102]

C.H.Lion Rag baby 編集

Kenがソロ名義で発表したライオンをモチーフにしたマスコットキャラクターで、通称はラグベベ。

ラグベベは、Ken名義で主催したライヴに登場したり、新譜リリースに関する告知をTwitter(現:X)やブログで行ったり、Kenの活動のサポート役として活動している。また、近年は様々なゆるキャライベントに参加しており、2013年に参加した「ゆるキャラグランプリ2013」(通称・ゆる-1)では、企業枠において335体のキャラクターがエントリーする中、10位に入賞されている[103]

サポートメンバー 編集

バックバンドメンバー 編集

名前 パート 期間
中間英明
(ex.Hurry Scuary, ex.ANTHEM, ex.HELL'N'BACK)
ギター 2008年〜
白田一秀
GRAND SLAM, PRESENCE)
ギター 2008年〜
TAKASHI
(ex.DIE IN CRIES, BUG
ベース 2006年〜
宮脇“JOE”知史
44MAGNUM, ex.ZIGGY, RIDER CHIPS, MADBEAVERS
ドラム 2008年〜
秦野猛行
(L'Arc〜en〜Cielサポート)
キーボード 2006年〜

上記以外のバックバンドメンバー 編集

名前 期間
Guitar
ミヤ
MUCC, Petit Brabancon)
ライヴイベント「天嘉 -伍-」にサポートギタリストとして参加
Jimmy
44MAGNUM)
ライヴイベント「JACK IN THE BOX 2007」にサポートギタリストとして参加[97]
SHARA
EARTHSHAKER)
ライヴイベント「JACK IN THE BOX 2007」にサポートギタリストとして参加[97]
Shinji
シド
ライヴイベント「JACK IN THE BOX 2010」にサポートギタリストとして参加
Bass
YUKKE
MUCC
ライヴイベント「JACK IN THE BOX 2010」にサポートベーシストとして参加
Drums
SATOち
MUCC
ライヴイベント「天嘉 -伍-」にサポートドラマーとして参加。
工藤義弘
EARTHSHAKER
ライヴイベント「JACK IN THE BOX 2007」にサポートドラマーとして参加[97]
Яyo
girugamesh
ライヴイベント「JACK IN THE BOX 2010」にサポートドラマーとして参加
Chorus
Tomo ライヴツアー「TOUR 2009 “LIVE IN PHYSICAL”」以降のライヴにコーラスとして参加。

ゲストミュージシャン 編集

(※)上記ライヴサポートミュージシャン以外を除く、レコーディングに参加したアーティストを記載
名前 期間
Drums
村石雅行
(FAZJAZ.jp、ex.KENSO
2006年に発表したシングルの表題曲「Speed」レコーディングにドラマーとして参加
長谷川浩二
Cube-ray
2009年に発表したシングルの表題曲「Deeper」や、
2009年発売のアルバム『IN PHYSICAL』収録の「In Physical」のレコーディングにドラマーとして参加
永井利光
氷室京介サポート)
2009年発売のアルバム『IN PHYSICAL』収録の「Spin Along」「ETERNAL REST」や、
2010年発売のアルバム『The Party』収録の「solitary stroll」「Blow」のレコーディングにドラマーとして参加
湊雅史
(ex. DEAD END
2009年発売のアルバム『IN PHYSICAL』収録の「Gimme Your Name」のレコーディングにドラマーとして参加
真矢
LUNA SEA
2009年発売のアルバム『IN PHYSICAL』収録の「My Angel」「Save me」のレコーディングにドラマーとして参加

来歴 編集

1992年

2002年

  • 8月9日、札幌KRAPS HALLで開催したライヴを皮切りに、SONS OF ALL PUSSYSとして表立った活動を開始(その後の活動の詳細は『SONS OF ALL PUSSYSの頁』を参照)。

2004年

  • 4月7日、清春が発表したアルバム『poetry』の収録曲「唯一遠くへ」にギタリストとして参加。

2006年

  • 8月23日、所属事務所が設立したインディレーベル、Danger Crue RecordsよりKen名義で1stシングル「Speed」を発売。
  • 12月26日、日本武道館で行われたライヴイベント「Danger Crue presents 天嘉 -伍-」に出演。

2007年

  • 12月26日、日本武道館で行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2007」に出演。セッションメンバーとして参加。

2008年

  • 8月27日、MUCCが発表したシングル「アゲハ」のプロデュースを担当。なお、この作品が、kenによるMUCCのシングルプロデュース第一弾となる。
  • 12月27日、日本武道館で行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2008」に出演。

2009年

  • 1月28日、MUCCが発表したシングル「空と糸」のプロデュースを担当。なお、この作品が、kenによるMUCCのシングルプロデュース第二弾となる。
  • 3月4日
    2ndシングル「Deeper」発売。
    MUCCが発表したアルバム『球体』の収録曲「アゲハ」「ハイドアンドシーク」「陽炎」「浮游」「空と糸」「hanabi」のプロデュースを担当。
  • 4月22日、1stアルバム『IN PHYSICAL』発売。
  • 6月18日 - 7月16日、自身初となるソロライヴツアー「Ken TOUR 2009 “LIVE IN PHYSICAL”」を開催。
  • 8月15日、幕張メッセ国際展示場 1-3ホールで行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2009 SUMMER」に出演。
  • 11月18日、ライヴビデオ『Ken TOUR 2009 “LIVE IN PHYSICAL”』発売。
  • 11月25日、MUCCが発表したシングル「フリージア」のプロデュースを担当。なお、この作品が、kenによるMUCCのシングルプロデュース第三弾となる。
  • 12月9日、JCBホールにてライヴ「Ken LIVE in TOKYO 〜11日遅れのBirthday〜」をで開催。オープニングゲストとしてTETSUYAL'Arc〜en〜Ciel)が出演[2]
  • 12月27日、日本武道館で行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2009」に出演。

2010年

  • 8月4日、1stミニアルバム『The Party』発売。
  • 8月21日、幕張メッセ国際展示場 4-6ホールで行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2010 SUMMER」に出演。
  • 10月5日 - 11月11日、ライヴツアー「Ken TOUR 2010 “Hey! Join The Party!”」を開催。
  • 11月6日、横浜国立大学 野外音楽堂にてライヴ「Ken TOUR 2010 “Hey! Join The 常盤祭!”」を開催。
  • 12月27日、日本武道館で行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2010」に出演。セッションメンバーとして参加。

2011年

  • 6月26日、有明TFTホールで行われたイベント「TOKYO GUITAR SHOW 2011」に出演。このイベントでkenは、来場者とのギター談義を行っている。
  • 12月27日、日本武道館で行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX 2011」に出演。セッションメンバーとして参加。

2012年

  • 8月19日、VAMPSが企画するライヴイベント「VAMPS LIVE 2012 BEAST ON THE BEACH」に出演。

2013年

  • 5月24日、act*squareにてディナーショー「Ken Special Live 〜Dinner Show set〜 & 〜After Party set〜」を開催。
  • 6月29日、ベルサール渋谷ガーデンで行われたイベント「TOKYO GUITAR SHOW 2013」に出演。このイベントでkenは、自身のシグネイチャーモデル「Fender CustomShop Stratocaster Galaxy Red」の購入者イベントへ登壇し、ステージ上に招かれた来場者とのギター談義を行っている[104]
  • 8月11日、VAMPSが企画するライヴイベント「VAMPS LIVE 2013 BEAST PARTY」に出演。
  • 12月20日、act*squareにてディナーショー「Ken Special Live 〜PREMIUM CHRISTMAS DINNER & SHOW〜」を開催。

2014年

  • 6月28日、ベルサール渋谷ガーデンで行われたイベント「TOKYO GUITAR SHOW 2014」に出演。このイベントでは、"Ken × Fender Amps Special Talk Show"と題し、フェンダーアンプなどについて語るトークセッションが行われた[105]
  • 8月24日、VAMPSが企画するライヴイベント「VAMPS LIVE 2014 BEAST PARTY」に出演。
  • 11月24日、東京ビッグサイト 会議棟 レセプションホールAで行われたイベント「プロフェッショナル・ワークショップ Powered by RittorMusic」に出演。

2015年

  • 8月23日、VAMPSが企画するライヴイベント「VAMPS LIVE 2015 BEAST PARTY」に出演。
  • 9月16日、アメリカの老舗弦メーカー、Dean Markley社とナショナルエンドーストメント契約を結んだことを公表[106]
  • 10月24日、VAMPSが企画するライヴイベント「HALLOWEEN PARTY 2015」に出演。セッションメンバーとして参加。
  • 12月16日、AKiが発表したアルバム『EPHEMERAL』の収録曲「The Inside War」にギタリストとして参加。

2016年

  • 1月23日 - 4月1日、MUCCとAKiが開催したライヴツアー「MAVERICK DC presents DOUBLE HEADLINE TOUR 2016 『M.A.D』」にゲスト出演。
  • 6月15日、MUCCが発表したシングル「ハイデ」のプロデュースを担当。なお、MUCCのシングルをプロデュースするのは、2009年以来約7年ぶりのこととなる。
  • 8月14日、VAMPSが企画するライヴイベント「VAMPS LIVE 2016 BEAST PARTY」に出演。
  • 9月11日 - 10月9日、自身が主催したライヴイベントツアー「PARTY ZOO 〜Ken Entwines Naughty stars〜」を開催。
  • 9月14日、MUCCが発表したシングル「CLASSIC」のプロデュースを担当。
  • 10月26日、BAROQUEが発表したシングル「GIRL」のプロデュースを担当。
  • 11月5日、品川ステラボールで行われたライヴイベント「JACK IN THE BOX mini」にスペシャルゲストとして出演。セッションメンバーとして参加。
  • 12月10日、銀座山野楽器本店7FイベントスペースJamSpotにてイベント「銀座山野楽器本店 Presents Ken(L'Arc〜en〜Ciel) Guitar Clinic」を開催[107]
  • 12月27日、日本武道館で行われたライヴイベント「MAVERICK DC GROUP 35th Anniversary『JACK IN THE BOX 2016』」に出演。セッションメンバーとして参加。

2017年

  • 1月25日、MUCCが発表したアルバム『脈拍』の収録曲すべてのプロデュースを担当。
  • 9月13日、MUCCが発表したセルフカバーアルバム『殺シノ調べⅡ This is NOT Greatest Hits』の収録曲「流星」「モノクロの景色」の編曲を担当。
  • 11月22日、MUCCのトリビュートアルバム『TRIBUTE OF MUCC -縁 [en]-』に「EMP」のカバーで参加。
  • 11月22日・23日Zepp Tokyoにて自身が主催したライヴイベント「PARTY ZOO 2017」を開催。
  • 12月23日・24日、幕張メッセ国際展示場 4-6ホールで行われたHYDEのソロコンサート「HYDE Christmas Concert 2017 -黒ミサ TOKYO-」にゲスト出演。
  • 12月27日、日本武道館で行われたMUCCのライヴ「20TH ANNIVERSARY MUCC祭「えん7 FINAL」in 武道館」にゲスト出演。

2018年

  • 1月17日、A9が発表したシングル「F+IX=YOU」のプロデュースを担当。
  • 1月24日、DaizyStripperが発表したシングル「4GET ME NOT」の収録曲「4GET ME NOT」「ラビットファンタジーパレード」のプロデュースを担当。
  • 4月25日、A9が発表したアルバム『PLANET NINE』の収録曲「F+IX=YOU」「UNREAL」のプロデュースを担当。
  • 6月16日、ベルサール渋谷ガーデンホールで行われたイベント「FENDER CUSTOM SHOP EXHIBITION」に出演。このイベントでは、Kenと、音楽雑誌『ギター・マガジン』編集長の尾堂雅哉、FENDER CUSTOM SHOPのプロダクトマネージャーである大畑篤史を交え、ギターサウンドに関するトークセッションが行われた[108]
  • 7月25日、DaizyStripperが発表したアルバム『シン世カイ』の収録曲「コスモス」のプロデュースを担当。
  • 12月27日、日本武道館で行われたライヴイベント「MAVERICK DC GROUP PRESENTS JACK IN THE BOX 2018~LAST BUDOKAN~」に出演。

2019年

  • 1月29日、HYDEのソロアコースティックコンサート「HYDE ACOUSTIC CONCERT 2019 黒ミサ BIRTHDAY WAKAYAMA」にサプライズ出演。
  • 3月30日、Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASUREで行われたのライヴ「圭 10th Anniversary live「beautiful emotional picture.」」に出演。
  • 6月15日、ラフォーレミュージアム原宿で行われたイベント「FENDER CUSTOM SHOP EXPERIENCE」に出演。このイベントでは、KenとINORANLUNA SEA)とのトークセッションが行われた[109]。また、同イベント内で行われたINORANのライヴにKenがゲスト参加し、セッションの他、レッド・ツェッペリンの楽曲「ロックン・ロール」のカバーが披露された[109]

2020年

2021年

  • 11月10日、Charが総指揮・楽曲提供・プロデュースを務めた、Char & Fender All Starsによるチャリティソング「We Love Music」にギターで参加[110]

2022年

  • 2月2日、逹瑯(MUCC)が発表したソロアルバム『非科学方程式』に収録された楽曲「the love letter feat.DURAN」の作詞・作曲・編曲を担当。

2023年

  • 6月15日、新たにオープンするFENDER FLAGSHIP TOKYOで行われたイベント「"FENDER FLAGSHIP TOKYO" Opening Party」に出演。このイベントでは、Kenを含め多くのアーティストによるスペシャルセッションを催されており、ken、MIYAVISuspended 4thのセッションコーナーでは、L'Arc〜en〜Cielの楽曲「」が演奏されている[111]
  • 8月12日 - 9月9日、YouTubeチャンネル『全国エフェクターボード盆栽協会』がアップロードする動画に出演[112]。このチャンネルは林幸宏(全国エフェクター盆栽協会)が企画したもので、ギターやベースのエフェクターボード、機材などにまつわる情報を発信する"全国エフェクターボード盆栽協会"の一環で制作されている[112]。なお、この動画にはKenと林の他に、TAIKINGSuchmos藤井風サポート)が参加しており、ギターやエフェクター・アンプに関する会話が配信されている[112]
  • 11月28日、BAN×KARA ZONE-Rにて自身初のファンミーティング「C.H.Lion Rag baby presents Ken Birthday meet up event 2023 〜はじめてのオフ会〜」を開催。
  • 12月28日、東京国際フォーラム ホールAで行われたMUCCのライヴ「25th Anniversary TOUR Grand Final Bring the End to『Timeless』&『WORLD』」にゲスト出演。
  • 12月30日 - 2024年1月26日、YouTubeチャンネル『全国エフェクターボード盆栽協会』がアップロードする動画に出演。このチャンネルは林幸宏(全国エフェクター盆栽協会)が企画したもので、ギターやベースのエフェクターボード、機材などにまつわる情報を発信する"全国エフェクターボード盆栽協会"の一環で制作されている。なお、この動画にはKenと林の他に、TAIKING(Suchmos、藤井風サポート)、菰口雄矢(ex.TRIXずっと真夜中でいいのに。サポート)が参加しており、ギターやエフェクター・アンプに関する会話が配信されている。

ディスコグラフィー 編集

(※) L'Arc〜en〜Cielの作品は、「L'Arc〜en〜Cielのディスコグラフィ」を参照。
(※) SONS OF ALL PUSSYSの作品は、「SONS OF ALL PUSSYSのディスコグラフィー」を参照。

スタジオ・アルバム 編集

  発売日 タイトル 規格 規格品番 最高順位
1st 2009年4月22日 IN PHYSICAL CD+DVD DCCL-6〜7
8位
12cmCD DCCL-8

ミニアルバム 編集

  発売日 タイトル 規格 規格品番 最高順位
1st 2010年8月4日 The Party CD+DVD DCCL-22〜23
18位
12cmCD DCCL-24

シングル 編集

フィジカルシングル 編集

  発売日 タイトル 規格 規格品番 最高順位 収録アルバム
1st 2006年8月23日 Speed CD+DVD XNDC-10214
4位
12cmCD XNDC-10215
2nd 2009年3月4日 Deeper CD+DVD DCCL-1〜2
7位
CD+DVD DCCL-3〜4
12cmCD DCCL-5

デジタルシングル 編集

発売日 タイトル 規格
2020年11月28日 Ambient before the Trigger (Live at Trigger In The Box 2019) デジタル・ダウンロード

映像作品 編集

  発売日 タイトル 規格 規格品番
1st 2009年11月18日 Ken TOUR 2009 “LIVE IN PHYSICAL” 2DVD DCBL-4〜5
2DVD DCBL-6〜7

参加・プロデュース作品 編集

  発売日 アーティスト タイトル 内容
アルバム 2004年4月7日 清春 poetry 収録曲「唯一遠くへ」にギターで参加
シングル 2008年8月27日 MUCC アゲハ 収録曲のプロデュースを担当。kenによるプロデュースシングル第一弾
2009年1月28日 空と糸 収録曲のプロデュースを担当。kenによるプロデュースシングル第二弾
アルバム 2009年3月4日 球体 収録曲「アゲハ」「ハイドアンドシーク」「陽炎」「浮游」「空と糸」「hanabi」のプロデュースを担当
シングル 2009年11月25日 フリージア 収録曲のプロデュースを担当。kenによるプロデュースシングル第三弾
アルバム 2015年12月16日 AKi EPHEMERAL 収録曲「The Inside War」にギターで参加
シングル 2016年6月15日 MUCC ハイデ 収録曲のプロデュースを担当
2016年9月14日 CLASSIC 収録曲のプロデュースを担当
2016年10月26日 BAROQUE GIRL 表題曲「GIRL」のプロデュースを担当
アルバム 2017年1月25日 MUCC 脈拍 アルバム収録曲すべてのプロデュースを担当
セルフカバー
アルバム
2017年9月13日 殺シノ調べⅡ This is NOT Greatest Hits 収録曲「流星」「モノクロの景色」 の編曲を担当
トリビュート
アルバム
2017年11月22日 Various Artists TRIBUTE OF MUCC -縁[en]- MUCCの楽曲「EMP」のカバーで参加
シングル 2018年1月17日 A9 F+IX=YOU 表題曲「F+IX=YOU」のプロデュースを担当
2018年1月24日 DaizyStripper 4GET ME NOT 収録曲「4GET ME NOT」「ラビットファンタジーパレード」のプロデュースを担当
アルバム 2018年4月25日 A9 PLANET NINE 収録曲「F+IX=YOU」「UNREAL」のプロデュースを担当
2018年7月25日 DaizyStripper シン世カイ 収録曲「コスモス」のプロデュースを担当
デジタル
シングル
2021年11月10日 Char & Fender All Stars We Love Music 収録曲「We Love Music」にギターで参加
アルバム 2022年2月2日 逹瑯 非科学方程式 収録曲「the love letter feat.DURAN」の作詞・作曲・編曲を担当

書籍 編集

種別 発売日 タイトル 発行
ムック 1999年1月8日 L'Arc〜en〜Ciel ken GUITAR WORKS 宝島社
単行本 2006年9月14日 Speed シンコーミュージック・エンタテイメント
2008年2月8日 IRON MAIKEN ぴあ
2010年3月1日 放談我報X ソニー・マガジンズ
2013年1月25日 Ken牛乳 音楽と人

ライヴ・コンサートツアー 編集

(※) L'Arc〜en〜Cielとして開催したライヴの詳細は「L'Arc〜en〜Ciel#ライヴ・コンサートツアー」を参照
(※) SONS OF ALL PUSSYSとして開催したライヴの詳細は「SONS OF ALL PUSSYS#ライヴ」を参照
公演日程 形態 タイトル 公演規模・会場
2009年6月18日 - 7月16日 コンサートツアー Ken TOUR 2009
“LIVE IN PHYSICAL”
2009年12月9日 単発ライヴ Ken LIVE in TOKYO
〜11日遅れのBirthday〜
2010年10月5日 - 11月11日 コンサートツアー Ken TOUR 2010
“Hey! Join The Party!”
2010年11月6日 単発ライヴ Ken TOUR 2010
“Hey! Join The 常盤祭!”

ディナーショー 編集

公演日程 タイトル 公演規模・会場
2013年5月24日 Ken Special Live
〜Dinner Show set〜 & 〜After Party set〜
2013年12月20日 Ken Special Live
〜PREMIUM CHRISTMAS DINNER & SHOW〜

イベント 編集

公演日程 タイトル 公演規模・会場
2023年11月28日 C.H.Lion Rag baby presents
Ken Birthday meet up event 2023
〜はじめてのオフ会〜

出演ライヴイベント 編集

主宰ライヴイベント 編集

(※) SONS OF ALL PUSSYSが主宰したライヴイベントの詳細は「SONS OF ALL PUSSYS#ライヴ」を参照
公演日程 タイトル 公演規模・会場
2016年9月11日 - 10月9日 PARTY ZOO
〜Ken Entwines Naughty stars〜
2017年11月22日23日 PARTY ZOO 2017

出演フェス・イベント 編集

(※) L'Arc〜en〜Cielとして出演したフェス・イベントの詳細は「L'Arc〜en〜Ciel#出演ライヴイベント」を参照
(※) SONS OF ALL PUSSYSとして出演したフェス・イベントの詳細は「SONS OF ALL PUSSYS#出演フェス・イベント」を参照
タイトル 会場
2006年
天嘉 -伍- 12月26日 日本武道館
2007年
JACK IN THE BOX 2007 12月26日 日本武道館(セッションのみ)
2008年
JACK IN THE BOX 2008 12月27日 日本武道館
2009年
JACK IN THE BOX 2009 SUMMER 8月15日 幕張メッセ国際展示場 1-3ホール
JACK IN THE BOX 2009 12月27日 日本武道館
2010年
JACK IN THE BOX 2010 SUMMER 8月21日 幕張メッセ国際展示場 4-6ホール
JACK IN THE BOX 2010 12月27日 日本武道館(セッションのみ)
2011年
TOKYO GUITAR SHOW 2011 6月26日 有明TFTホール
JACK IN THE BOX 2011 12月27日 日本武道館(セッションのみ)
2012年
VAMPS 『VAMPS LIVE 2012 BEAST ON THE BEACH』 8月19日 LAGUNA BEACH特設ステージ(ゲスト出演)
2013年
TOKYO GUITAR SHOW 2013 6月29日 ベルサール渋谷ガーデン
VAMPS 『VAMPS LIVE 2013 BEAST PARTY』 8月11日 山中湖交流プラザ きらら(ゲスト出演)
2014年
TOKYO GUITAR SHOW 2014 6月28日 ベルサール渋谷ガーデン
VAMPS 『VAMPS LIVE 2014 BEAST PARTY』 8月24日 国営越後丘陵公園野外特設ステージ(ゲスト出演)
2015年
VAMPS 『VAMPS LIVE 2015 BEAST PARTY』 8月23日 幕張海浜公園内特設ビーチステージ(ゲスト出演)
HALLOWEEN PARTY 2015 10月24日 幕張メッセ国際展示場 9-11ホール(セッションのみ)
2016年
MUCC & AKi 『MAVERICK DC presents DOUBLE HEADLINE TOUR 2016 『M.A.D』』 1月23日 三郷市文化会館(ゲスト出演)
2月26日 金沢市文化ホール(ゲスト出演)
2月28日 広島JMSアステールプラザ大ホール(ゲスト出演)
3月11日 福島市民会館(ゲスト出演)
3月26日 道新ホール(ゲスト出演)
3月27日 道新ホール(ゲスト出演)
3月31日 LIQUIDROOM(ゲスト出演)
4月1日 LIQUIDROOM(ゲスト出演)
VAMPS 『VAMPS LIVE 2016 BEAST PARTY』 8月14日 舞洲太陽の広場野外特設ステージ(ゲスト出演)
JACK IN THE BOX mini 11月5日 品川ステラボール(セッションのみ)
銀座山野楽器本店 Presents Ken(L'Arc〜en〜Ciel) Guitar Clinic 12月10日 銀座山野楽器本店7FイベントスペースJamSpot
MAVERICK DC GROUP 35th Anniversary JACK IN THE BOX 2016 12月27日 日本武道館[注釈 10]
2017年
HYDE 『HYDE Christmas Concert 2017 -黒ミサ TOKYO-』 12月23日 幕張メッセ国際展示場 4-6ホール(ゲスト出演)
12月24日 幕張メッセ国際展示場 4-6ホール(ゲスト出演)
MUCC 『20TH ANNIVERSARY MUCC祭「えん7 FINAL」in 武道館』 12月27日 日本武道館(ゲスト出演)
2018年
FENDER CUSTOM SHOP EXHIBITION 6月16日 ベルサール渋谷ガーデンホール
MAVERICK DC GROUP PRESENTS JACK IN THE BOX 2018~LAST BUDOKAN~ 12月27日 日本武道館(セッションのみ)
2019年
HYDE 『HYDE ACOUSTIC CONCERT 2019 黒ミサ BIRTHDAY WAKAYAMA』 1月29日 和歌山ビッグホエール(サプライズ出演)
『10th Anniversary live「beautiful emotional picture.」』 3月30日 Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE(ゲスト出演)
FENDER CUSTOM SHOP EXPERIENCE 6月15日 ラフォーレミュージアム原宿
MUCC Presents Trigger In The Box 12月27日 日本武道館[注釈 11]
2023年
"FENDER FLAGSHIP TOKYO" Opening Party 6月27日 FENDER FLAGSHIP TOKYO
MUCC 『25th Anniversary TOUR Grand Final Bring the End to『Timeless』&『WORLD』』 12月28日 東京国際フォーラム ホールA(ゲスト出演)

タイアップ 編集

曲名 タイアップ
2009年
Deeper 日本テレビ系ドラマ『GALACTICA/ギャラクティカ』エンディングテーマ
第一興商「DAM☆うた」CMソング
"S" テレビ朝日系番組『業界技術狩人 ギョーテック』エンディングテーマ

ミュージック・ビデオ 編集

監督 曲名
川村ケンスケ 「Deeper」
濱崎幸一郎 「T.P.I.T.P.」
マサオ 「In Physical」「"S"」
山口保幸 「solitary stroll」
湯本美谷子 「Speed」

ギタリストとして 編集

kenは、開放弦を交えたアルペジオが印象的なプレイを見せることが多いが、様々なギタリストから影響を受けていることから、多彩なアプローチでギターを弾いている。また、kenは特にギターソロパートにおいて、インプロビゼーション的なアプローチでギターを弾くことが多い。kenが在籍するL'Arc〜en〜Cielにおいて、長きにわたり共同プロデューサーを務めた岡野ハジメ(ex.PINK)は、ギタリストとしてのkenについて「一回弾いたら、二度と同じことは弾けませんみたいな、一期一会を大事にするロック・ギタリスト[53]」と表現している。一方で、作曲者としてのkenは、楽曲を緻密に構築していくことも多く、岡野は「kenちゃんはたまに、リズム・テイクだけだと、最終的にどういう音楽になるかわからないようなギターを弾くことがあるんです。1音だけピーン!という音を弾いて、この音は何で鳴ってるのかなと思っていたら、あとでストリングスやいろいろな音が出揃った時に、"このピーンはトップ・ノートだったんだ。やっと分かった"なんていうこともありました。最初から、重ねた末にそういうハーモニーになることをちゃんと検証できて弾いているんです[58]」と述べている。

kenは2006年に発行された音楽雑誌『GiGS』において、好きなギタリストとして16人のプレイヤーの名前をあげたことがある。なお、ken自身は、自身がフェイバリットとしてあげるギタリストについて「影響を受けれているかわからないけど好きなんだ」と述べている。ken曰く、最初に影響を受けたのはゲイリー・ムーア[69]マイケル・シェンカー[69]などの、いわゆるハードロック・ギタリストだったという。そしてハードロックを経て、kenはザ・キュアーザ・ザを聴くようになっていった。後年kenは、ザ・キュアーに惹かれていった経緯について「元々ハード・ロックの中でも、(ギター)ソロがキレイだとか、ガッツがあるっていう部分のほかに、暗いところが好きだったりして。けど、そういう部分がハード・ロックじゃ足りない面もあるんだよねって話をしたら、ザ・キュアーを勧められて[69]」「(ザ・キュアーは)キャンバスにいろんな色を塗るみたいに、ここはアルペジオの音、ここはアコギの音…とか、そうやってテクスチャーを付けていく感じの音楽で、空気感がすごくいいよね。それと、やっぱりアルペジオが素敵だった[69]」と述懐している。なお、ザ・キュアーのサウンドメイキングは、L'Arc〜en〜Cielの活動初期の頃の楽曲制作において、ひとつのイメージになっていたという。kenは2004年に受けたインタビューで、過去の楽曲制作について触れ「アルペジオとか使ってザ・キュアーみたいな雰囲気でバッキングトラックを作ったらどうかとかがあった[17]」と語っている。

また、kenは好きなギタリストとして、ジョニー・マーの名前を頻繁にあげている。kenは1993年に発売されたアルバム『DUNE』に関するインタビューで、「影響を受けたミュージシャンは?」や「注目しているミュージシャンは?」という質問に対しジョニー・マーやザ・ザの名前をあげており[79]、前述の好きなギタリスト16人の中にもジョニー・マーを入れている[81]。kenは2006年に受けたインタビューで、ジョニー・マーのギターについて「ザ・ザを聴いたら、バッキングのパターンとか、シンプルだけど印象に残るし、アルペジオとかメロディーとか、すごくカッコ良かったんで、ザ・ザ時代のジョニー・マーが好きなんだよね[69]」と述べている。他には、アラン・ホールズワース[69]デヴィッド・ギルモア[81]ロバート・フリップ[81]などのプログレッシブ・ロック・ギタリストも好んでおり、L'Arc〜en〜Cielの初期の頃の楽曲からその影響を垣間見ることができる[69]。なお、kenはアラン・ホールズワースのギターについて「影響を受けれているかどうかはわかんないけど、イングウェイのインタビューかなんかに、アラン・ホールズワースが好きだって書いてあったから聴いてみたんだけど、レガートな奏法だよね。で、ちょっと意味不明に聴こえる部分があったりして、それがすごくカッコいいなって。ビル・フリーゼルとかもそれに近いけど[69]」と述べている。

さらにkenは、前述のギタリスト以外では、パット・メセニー[81]リー・リトナー[69]といったジャズ・フュージョン系のギタリストや、ロイ・ブキャナン[80]ボブ・マーリー[81]ジミ・ヘンドリックス[81]ドミニク・ミラー[81]アート・リンゼイ[84]マーク・E・ネヴィン[94]トレイシー・チャップマン[94]エスタス・トンネ[95]を好きなギタリストとしてあげている。また、ken曰く、L'Arc〜en〜Cielに入ってからは、ジェフ・バックリィを好んでよく聴いていたという[69]。kenはジェフ・バックリィについて「プレイが速いとか遅いとかじゃなく、ギターで空気感を作るのがすごい上手だなと思った。歌を歌いながら弾くせいか、もしかしたらチューニングを変えてるのかもしれないけど、独特なアルペジオを弾いて、しかもそれがカッコいい。で、ギターの音の配置がすごくインテリっぽいというか。けどパッと聴きは、自然に聴こえるんだよね。(中略)全然違うんだろうけど、ジミ・ヘンドリックスに近い感覚というか、歌とギターだけで空気を作ってしまう人なんだよね[69]」と語っている。

このようにkenは、1980年代またはそれ以前のロックや、ニューウェイヴ・バンドのギタリストを特に好んでいた。ただ、1998年に発表したアルバム『HEART』あたりからオルタナティヴ・ロックに寄ったギターアプローチも徐々に増えてきている。また、2000年に発表された『REAL』を制作していた頃は、前述のジェフ・バックリィの他、ストーン・テンプル・パイロッツなどを聴いていたといい[88]、初期のグランジのようなザクザクとした質感のあるギターサウンドを多く鳴らしている。さらに、2005年に発表した『AWAKE』では、「New World」などの収録曲のレコーディングにおいて、ギターサウンドに厚みを出すアプローチとして同じフレーズをダブルで弾くようにもなっている[113]。kenは「New World」のギター録りについて「今までL'Arc〜en〜Cielでは、ダブル…左右同じことを弾いて、音の壁にするっていうやり方は、避けてきたんだよね。こっちでアルペジオを弾いてるんだったら、こっちは違うメロディーを置くとか、絶対同じものにはならないようにしたいなと思ってて。けど、『SMILE』のころからは曲のテイストとかで、そういうふうにしたほうが映える曲が出てきた感じもしたんで。『SMILE』のとき、ちゃんと同じダブルにしたものはほとんどなかったと思うけど、今回は同じものを2つ弾こうと思って、実際そうした[113]」と語っている。

他にkenは、ボサノヴァなども好んで聴いており、幼いころに好んだハードロック・ギタリストを下敷きに、様々なアプローチでギターを弾いている。岡野ハジメは、kenの「HONEY」でのギタープレイについて「ギターだけ取り出してみると、「HONEY」に聴こえないんですよ。kenちゃんは天才だなと思いましたね。(中略)このギター1本でアレンジの柱ができていて…でも、あれが普通のバー・コードだけで弾いている曲だったら、あんなカッコいい曲にはなっていなかったと思います。分析すると、かなり複雑で高度ですね。ある種のラテンとか、ボサノバみたいなものを感じます[114]」と、2019年に発表した自身の書籍において評価している。なお、作曲者であるhydeも、2012年に自身が発表した自叙伝において「重要なのは、裏で鳴ってるあのメロディで。あのkenの裏メロがハマったから、いい曲になったんだよね[115]」と「HONEY」におけるkenのギタープレイを称賛している。

kenはマイケル・ランドウとの対談において、バンドの中でのギターの役割について「音色面での多彩さもギターの特徴ですが、それに加えて奏法におけるバラエティの豊かさも、楽曲に彩りを与えてくれますよね。例えばコード弾きだったり、指弾きだったり、アルペジオだったり。ピッキングの強弱だけでも、様々なニュアンスを出せますしね[6]」と述べている。また、kenは「Wings Flap」を発売したときに受けたインタビューで、ギターという楽器について「ドレミファソラシドとかの音階に縛られないで、その間の半音や、それこそチョーキングなんかも入れたら無限に(音程が)存在する[116]」と語っている。なお、2017年に発行された音楽雑誌『ギター・マガジン』において、プロギタリストを含めた音楽関係者が選ぶ<日本の偉大なギタリストTOP100>という企画が行われた際、kenは36位に選ばれている[117]。ちなみに、kenは同誌において、日本の偉大なギタリストとしてCharの名前をあげている[118]

全国エフェクターボード盆栽協会/第9回
Ken×TAIKINGSuchmos)×林幸宏

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第3話 - YouTube 第4話 - YouTube
番外編前半 - YouTube 番外編後半 - YouTube

全国エフェクターボード盆栽協会/第10回
Ken×TAIKINGSuchmos)×菰口雄矢(ex.TRIX)×林幸宏

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余談だが、SHOW-HATE(SiM)は、kenのギタープレイについて「ギターのフレーズが自由で、枠にとらわれてないところが好き[117]」と語っている。また、Katzuya Shimizu(八十八ヶ所巡礼)は、音楽雑誌『ギター・マガジン』の<ニッポンの偉大なギター名盤100>という企画において、アルバム『HEART』をあげたうえで「フレーズの発想力と音作りによる表現力がとにかく素晴らしい。テクニック優先ではなく、表現する為に使うテクニックの数々。開放弦を巧みに用いたアルペジオや、その曲の世界観や景色が浮かんでくるようなギター・ソロ。それらが詰まったこのアルバムは僕にとって今も色褪せない名盤です[119]」と述べている。さらに春畑道哉TUBE)は、kenのギターの音へのこだわりようについて「ディレイの研究がハンパない[120]」「Kenのギターの浮遊感、それはディレイを含めてなんだけど、俺にはできないスタイルだなあ、カッコいいなあと思ってます[121]」と述べている。

なお、kenは2010年代後半以降、様々なメディアでギタリストと対談を行っており、これまでにDURAN(ex.Made in Asia、ex.a flood of circle)や山内総一郎フジファブリック)、TAIKINGSuchmos)、菰口雄矢(ex.TRIX)らと対談・鼎談している。

使用機材 編集

ギター 編集

kenが初めて手にしたギターは、姉が弾かずに家に置いていたアコースティック・ギターだったという。なお、kenが初めて手にしたエレクトリック・ギターは、ヤマハ・SGだった[122]。その後、ギブソン・エクスプローラーを経て[122]、高校卒業後にフェンダー・ストラトキャスターを友人から譲ってもらったという[122]

初めて手にしたストラトキャスターは、フェンダー・ジャパンの白だったといい[122]、ピックアップやフレットを換えたり、ハムバッカーを載せたり、試行錯誤を繰り返しながら使い続けていたという[122]。L'Arc〜en〜Cielの活動初期は、この白いストラトキャスターと、バンド加入後直ぐに購入したスタインバーガーをよく使用していた[122]。そしてメジャーデビュー後、1994年発表のアルバム『Tierra』を制作するにあたって、1965年製のストラトキャスターを購入し、レコーディングに導入している[122]。その後、kenはフェルナンデスとエンドースメント契約を結ぶこととなるが、契約前は前述のスタインバーガーの他、ギブソン・レスポール・カスタムなど、様々なメーカーのギターをライヴで使用していた。なお、kenは現在に至るまで、レコーディングでは基本的にストラトキャスターを使っているが、たびたび異なるメーカーやモデルのギターを使用している。

ちなみにkenはこれまでに、「winter fall」のギターソロパートで1967年製のギブソン・ES-345[123]、「Shout at the Devil」で1981年製のギブソン・レスポール・スタンダード[124]、「milky way」で1966年製のフェンダー・コロナド[125]を使用している。また、「HONEY」のレコーディングでは、フェンダー・カスタム・ショップ製のジャズマスターにシングルコイル・ピックアップを3つ取り付けたギターを使用している[114][126]。さらにkenは、「Spirit dreams inside -another dream-」のレコーディングでhydeから借りたドブロ・ギターを弾いている他[127]、「AS ONE」でギブソン・レスポール[113]、「CHASE」でDragonfly Custom Model[128]を弾いている。アコースティック・ギターでは、ギブソン・J-50をよく使っており、「」や「MY HEART DRAWS A DREAM」のレコーディングでこのモデルを弾いている。

kenはフェルナンデスとの契約が終わった後、2010年フェンダーとエンドースメント契約を結んでいる。また、2015年には弦メーカーのディーン・マークレイ社とインターナショナルエンドースメント契約を結んでいる[106]

なお、ken曰く、練習やライヴでは気に入ったギターを使い続けることが多いという。kenは2006年に受けたインタビューで、ギター選びについて「気分はそのときどきでいろいろだけど、あんまり何本かを使い分けたりしないから。基本はそのときのブームがあって、よっぽど合わないときにだけ変えるぐらい。できる限り1本で全部弾きたいからね[129]」と述べている。

Fernandes 編集

2009年まではフェルナンデス社とエンドースメント契約を結んでおり、SONS OF ALL PUSSYSと自身のソロ名義活動を除き、ライヴでは自身のシグネイチャーモデルを使用していた。

これまでにkenのシグネイチャーとして発表されたギターシリーズは、全部で3種あり、ストラトキャスタータイプでラージヘッド/21フレット仕様のLDシリーズ、リバースタイプのテレキャスターヘッドタイプで24フレット仕様(2003年まで)もしくは21フレット仕様(2007年以降)のLAシリーズフライングVタイプのLVシリーズが発表されている。なお、当初24フレット仕様であったLAシリーズは、2007年頃から新たに21フレット仕様のモデルが開発されており、トレモロユニットもロック式の物からシンクロ式のものへと変更されるようになった。ちなみに、これらはフェルナンデスのミュージシャン・モデルシリーズから各種発売されていた。また、それぞれのシリーズでカラーやスペックの異なる様々なバリエーションが製作されている。

なお、kenはL'Arc〜en〜Cielのライヴにおいて、メインギターとしてLDシリーズ、サブギターとしてLAシリーズを使用することが多かった。基本的にストラトキャスタータイプのLDシリーズを使っていたのは、ギター交換時の感覚的な違和感を回避するためだったという。

Fender 編集

フェルナンデスとの契約が終了した2009年以降は、それまでレコーディングにおいてメインで使っていたフェンダー・カスタム・ショップ製のフェンダー・ストラトキャスターを、ライヴやメディア出演でも弾くようになった。そして2010年12月には、フェンダー社と正式なエンドースメント契約を結び[130]、カスタム・ショップにてシグネイチャーモデルの制作が開始されることになった。

映像外部リンク
  Ken Stratocaster® Galaxy Red - YouTube

そして2010年に、kenのシグネイチャーモデル第一弾としてKen Stratocaster® Galaxy Redが製作されている[131]。このギターは、kenの要望で、フェンダーのマスタービルダーであるグレッグ・フェスラーにより製作されている[132]。kenは、グレッグにギター製作の依頼をした経緯について、「いつだったかグレッグ・フェスラー(マスタービルダー)さんの作ったモデルを弾く機会があって。ハカランダ(ブラジリアン ローズウッド)仕様のストラトキャスターだったのですが、"あ、なんかすごく自分に合っているな"と思ったんです。それからグレッグさんに興味を持つようになりました[132]」と述べている。なお、このギターは2011年に初めて限定発売されており[131]2017年には安価な日本製モデルがリリースされている[133]。余談だが、このカラーリングのモデルは、ジャズベースバージョンも製作されている[134]

2013年には、kenが自身の為にカスタマイズし使用していたフェンダー・ジャガーが、米国フェンダー社の製品開発担当者の目に留まり、FSR Jaguar Ken Customとして150本限定で商品化されている[135]。商品版は、ken本人がカスタマイズした仕様に基づきボディーカラーをアークティックホワイトに、同色をヘッドにも配したマッチングヘッドとなっている[135]。この他、弦のテンションを稼ぐためにトレモロ・プレートの位置が修正されており、9.5インチ・ラジアス指板にはミディアム・ジャンボ・フレットが採用されている[135]

2016年には、フェンダー社とken企画のライヴツアー「PARTY ZOO ~Ken Entwines Naughty stars~」のコラボイベント「FENDER×PARTY ZOO TALK EVENT」において、シグネイチャーモデル第二弾となるKen Stratocaster® Paisley Fantasyが初披露されている[136]。このギターは、第一弾と同様に、フェンダーのマスタービルダーであるグレッグ・フェスラーが手掛けており、名前が表すように、鮮やかなペイズリー柄がペイントされたモデルとなっている。kenはこのギターを持って、上記ツアー及び翌2018年に行われたL'Arc〜en〜Cielの結成25周年記念ライヴ「25th L'Anniversary LIVE」で演奏を行っている[137]。なお、このギターは2022年に初めて発売され、翌2023年には再び受注生産リリースが行われている[138]。余談だが、このシグネイチャーギターは、テレキャスターモデルも製作されている[139]

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  Ken Stratocaster® Experiment #1 - YouTube

2022年には、シグネイチャーモデル第三弾となるKen Stratocaster® Experiment #1が公開されている。このギターは、"Experiment"という名前に表れているように、kenの実験により生まれたモデルとなっており、Paisley Fantasyストラトキャスターの仕様を一部踏襲しながら試行錯誤を重ねたうえで製作されている[140]。また、このギターはkenの「金継ぎされた日本の陶器」というイメージをもとに、白と金色が印象的なカラーリングになっている[141]。なお、kenはこのギターを製作する過程で、自らの手でボディをカッターで削りながら、好みの音が鳴るかたちを探し続けたという[142]。kenは、このギターの製作経緯について「まずは、ボディで試したかったことがありました。経年劣化とともにボディの塗装が削れていくと、いい音になるんじゃないか?という予測が今までの経験上あって、初代のシグネイチャーモデル、Ken Stratocaster Galaxy Redの時に、ボディに耳を近付けて生音を聴くと振動が大きいところと小さいところがあって、気になるポイントがあるとハサミでボディを削っていたんです。 その次にKen Stratocaster Paisley Fantasy(以下:Paisley Fantasy)が完成して。Paisley Fantasyは模様があるから、ボディ裏の目立たないところを削って耳を当てて聴いた時、“ボディ裏のコンター加工がなかったら巻き弦だけでなくプレーン弦でも低めの音が出るんじゃないか”とふと思ったのが最初のアイディアです。フェンダー・テレキャスターを弾くと、もうちょっとゴツンと音がしてるイメージもあって。それも重なって、コンター加工がされていない、削られていないボディを実験として弾いてみたいと思った[140]」と述懐している。また、kenは、実験作の製作を本格的に始めようと思ったきっかけについて「昔だと電気的な部分で音を好みにしよう、しようって…まぁアンプとかエフェクターとかで…ある程度いこうってやってたんですけど。ギター本体でしか出ない反応?…バチン!って弾いたときにこれぐらい引っかかって、弱く弾いたらこういう音が出るっていうのが、電気的な部分だけでは追いつかない気がして。で、そうなってきたときにはじめて実験する気になった[142]」と述べている。なお、このギターは2022年に発売が開始されており、特別限定版"Limited Ken Stratocaster® Experiment #1"もリリースされている。

余談だが、kenは2010年にフェンダーと契約して以降、日本で開催されたフェンダーのトップラインブランド「FENDER CUSTOM SHOP」のイベントに何度か出演している。また、2023年6月27日には、東京原宿で開業した世界初のフェンダー旗艦店「FENDER FLAGSHIP TOKYO」のレセプションパーティーに招かれており、自作曲の楽曲を含めたセッションを披露している[143]

メーカー モデル
Fernandes
Fender
その他

アンプ・エフェクター等 編集

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  Ken SIGNATURE FUTURE FACTORY/FF-1Y-K Demo by Ken (L'Arc〜en〜Ciel) - YouTube

基本的なライヴでの音作りは、歪み用のアンプとクリーン用のアンプを2台用意して行っている。歪みサウンドは、プレキシ系のアンプをクランチ程度に歪ませ、さらに各種歪みエフェクターでブーストすることで作りあげることが多い。なお、近年のサウンドシステムは、Free The Tone社の製品を中心に設計されている。同社のカスタム・ルーティングユニットを導入したうえで、「Free The Tone OVERDRIVELAND」や「Free The Tone COSMIC WAVE DELAY」「Free The Tone COSMIC WAVE MULTIPLE FILTERING DELAY」「Free The Tone CRUNCHY CHIME BOOSTER」「Free The Tone SILKY GROOVE COMPRESSOR」「Free The Tone 10 BAND EQ (for BASS)/PA-1QB」「Free The Tone INTEGRATED GATE」などの機材・エフェクターを使用している。

キャビネットは、Celesion製のG12-65を搭載したKerry Wright製のものが現在採用されている。また、2021年のライヴでは、メインのアンプとして「Suhr ML-100」、クリーン用のアンプとして「Two-Rock Classic Reverb Signature」、サブアンプとして「FRIEDMAN JJ JUNIOR JERRY CANTRELL SIGNATURE」を導入している[158]。他に公演よっては、サブステージ用として「Fender The Edge Deluxe」と「Fender Deluxe Reverb」が導入されている。

ちなみにkenは、1994年にL'Arc〜en〜Cielとして開催したライヴツアー「Tour Sense of time '94」では、ADA製のMIDIプログラマブル・チューブ・プリアンプ「ADA MP-1」と、パワーアンプ「VHT 2150」を導入し、スピーカーキャビにはPacific製のものを採用していた[159]1995年96年の頃には、MarshallやDigitech、Matchlessのアンプを導入するようになっている[160]。そして、1997年に開催したライヴ「1997 REINCARNATION」からは、Marshall製のヘッドアンプも使うようになり[161]1999年頃にはカスタムされた「Marshall 1959」がステージに配置されるようになった[161]。なお、豹柄カスタムのMarshallは、2007年頃まで頻繁に導入されていた。2007年には豹柄カスタムのMarshallに加え、クリーン/クランチ用にセッティングされたコラボ・アンプ「65Amp London」と「Roccaforte Levant Series Hi-Gain 100」が使われていた[162]。その後、2012年頃から現在もメインで使っている「Suhr ML-100」と「Two-Rock Classic Reverb Signature」の他、「Divided by 13」やMarshall製、Diezel製、Bogner製のものを楽曲によって装備するようになった[128]。なお、2015年頃はメインで「MAGNATONESUPER FIFTY-NINE HEAD」、クリーン用のアンプで「Fender Deluxe Reverb」を採用していた。

エフェクターは、Free The Tone社のもの以外に、「Shin-ei UNI-VIBE」[158]や「Walrus Audio Julianna」[158]などが機材ラックにセットされている。なお、レア・モデルかつヴィンテージ品である「Shin-ei UNI-VIBE」は、コーラスやビブラート、フェイザーのミックス効果が得られるという理由で、長らく使用されている[163]。また、かつては自身がプロデュースしたオーバードライブ「DOD LOVE DRIVER FX-900」の他[164]、「Klon Centaur」[165]Electro-Harmonix BIG MUFF Π」[165]「Electro-Harmonix Deluxe Memory Man」[165]Roger Mayer Voodoo-Vibe」[165]「Katana Clean Boost」[166]「Z.VEX Fuzz Factory」[165]など、様々なメーカーのエフェクターを使用していた。ちなみにキャリア初期から2008年頃までは、ディレイやリバーブといった空間系エフェクトとして、Alesis社のQuadraverbシリーズを愛用していたが、2010年代には「T.C.ELECTRONIC 2290」などをセンドリターンに通して愛用していた。余談だが、kenが初めて購入したコンパクトエフェクターは、「BOSS DS-1」だったという。

なお、2018年12月にL'Arc〜en〜Cielとして開催したライヴ「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2018 L'ArChristmas」からは、主にバッキングとギターソロ用として、自身が開発協力したFree The Tone社のデジタルディレイ・エフェクター「FUTURE FACTORY/FF-1Y-K」を使うようになっている[167]。なお、このシグネイチャーモデル「Free The Tone Ken SIGNATURE FUTURE FACTORY/FF-1Y-K」は、2020年に一般リリースされている。ちなみに、このモデルを導入してからは、Free The Tone社の製品を基本としたセットに一新されている。

メーカー モデル
エフェクター等
ヘッドアンプ、キャビネット等

人物 編集

趣味・嗜好 編集

エピソード 編集

  • 幼少期の頃は、一つ上の姉[239]や団地の友達[239]とよく遊んでいたという。また、母親とはプロレスごっこなどをしていたという[239]。なお、kenは1996年に受けたインタビューで、母親との幼少期のエピソードについて「普通って幼稚園より上にあがってから、怪我とかするじゃないですか?学校でコケた!とかで怪我するのに、俺にはなぜか最初から傷がついていた。で、もの心ついた時に"お母さん、コレ何の傷?"って聞いたら"あんたとプロレスごっこして、投げたらステレオの角に当たって切れた"って(笑)[239]」と述懐している。
  • また、幼い頃は実家で飼っていた「チャッピー」という名前の白いポメラニアンともよく遊んでいたという[240][3]
    • なお、L'Arc〜en〜Cielに加入した後にkenは、1995年頃に「エリザベス」という名前の猫を飼っていたことがある。この猫は1996年に発表したL'Arc〜en〜Cielのライヴビデオ『heavenly 〜films〜』のオープニング映像に出演している他、フェルナンデスからリリースしたkenのシグネイチャーモデルギターの12フレット目にインレイとして描かれている。
    • 余談だが、kenがフェルナンデスから発表したシグネイチャーモデルギターには、他にトカゲやL'Arc〜en〜Cielのロゴのインレイが入ったものが存在する。さらに、L'Arc〜en〜Cielのシングル「叙情詩」のジャケットデザインをモチーフにした「FERNANDES LD-Custom kk 叙情詩」というギターも製造されている。
  • 高校時代にkenは卓球部へ入部したが、本格的な練習を強いられる部活だったため、自分に合わないと感じ、すぐに辞めている[9][10]。そして帰宅部になってからは、遊び惚けていたという[10]。また、高校ではバンド活動も行っていたが、kenは「バンドばっかりしてたってわけでもない[9]」と述べている。ちなみにkenは、高校生の友人がコピーバンドを組み始めるなか[9]、コピーよりもオリジナル曲を制作することに興味・関心を持っていたという[9]。kenは高校生の頃を振り返り「ギター弾きながらオリジナルを作ったりしてた[9]」「なぜか曲を作りたい!っていう気持ちが強かった。だからと言って、その先それでどうするんだろう?っていうのはなかった[9]」と述べている。余談だが、ken曰く、この頃に作った曲は、友人や幼馴染のtetsuyaによく聴いてもらっていたという。
    • ちなみにtetsuyaは、学生時代のkenについて「kenちゃんは当時からいい曲を書いていた」と語っている。なお、kenはtetsuyaにとって学年が一つ上の"幼なじみの先輩"にあたる。tetsuyaはkenとの関係性について「幼なじみであり、学校の先輩でもあるんで…部活みたいですね(笑)。やっぱり先輩…物心ついた時からずっと知ってるっていうのものあるから。kenちゃんも他のメンバーに対する接し方と俺に対する接し方は違うんですよ。本当に俺は後輩なんで…やっぱ俺には厳しいですよ。俺にだけ、というか俺にはね(笑)。無意識なんだろうけど、俺には厳しいですよ[241]」「やっぱり小学校中学校の頃の1学年上って、えっらい上じゃないですか。この歳になって1個違いってあんまり関係ないけど、小学校中学校の1個上って大先輩ですからね。"ああ、kenちゃん俺にだけキツいなぁ。厳しいなぁ"みたいな(笑)。まぁkenちゃんは無意識なんでしょうけどね[241]」と語っている。
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  特別ゲスト L'Arc〜en〜Ciel ken
日本建築学会東海大会
- YouTube
  • kenは高校卒業後、名古屋工業大学工学部に進学しており、趣味の一環でバンド活動も行っていたという。その後、専攻を決める学年になり、kenは市之瀬敏勝のいる研究室へ入り建築学を学ぶことを選択している。市之瀬曰く、kenは記憶に残る学生だったようで、「ピアスして前の方に座ってね、結構質問してくるんだよね。だいたい僕は授業のときには出席って全然取らない。だから人の名前って全然覚えないんだけど、北村君(=ken)の名前だけは覚えてたね。それで4年のときに(ゼミに)来てくれたから嬉しかった[14]」と後年述べている。また、kenは市之瀬のいる研究室を選んだ理由について「なんか難しい話が、先生と話してると、なぞなぞみたいになってくる…なぞなぞって言うと変だけど、"勉強"じゃなくなってくるから。"勉強!勉強!"じゃなくして話せてたから、いいなぁって思ってた[14]」と語っている。
    • 研究室に入ってしばらくして、kenはL'Arc〜en〜Cielへ加入することを決め、バンド活動が本格化することを受けて大学を休学している。その後、kenは休学したままL'Arc〜en〜Cielとしてメジャーデビューすることになる。そしてkenは1995年に中京テレビ系番組『キス・ミス・チック』へ出演し、恩師を訪ねる企画で久々に市之瀬と対面している。その際、市之瀬は「大学院に行って欲しかった[14]」と懐かしんでいた。また、この番組の最後で、市之瀬からkenへの手紙が読まれている[14]。市之瀬は手紙の中で、「君は時間とは何かについて、今でも色々と考えると言っていましたね。その手の話題が大好きな私としては、そういう哲学的なスタンスを学問の方面で活かして欲しいという希望を未だに捨てきれません[14]」と綴っている。なお、kenはL'Arc〜en〜Cielに加入することを決めた際、市之瀬へその旨を報告しに行っており[242]、L'Arc〜en〜Cielに加入してからは制作した音源や作品を市之瀬へ送っていたという[14]
    • 番組出演から約1年4ヶ月後の1997年2月に、L'Arc〜en〜Cielの当時のドラマー、sakuraが逮捕されたことに伴い、バンド活動の休止を余儀なくされた。kenは、このタイミングで大学に通いなおし、1998年に大学を卒業している。kenは卒業した後も市之瀬と交流があり、たびたびL'Arc〜en〜Cielのライヴに招いたりしている。
    • 余談だが、kenは建築学を専攻していた背景もあってか、2021年9月開催の日本建築学会大会(東海)の懇親会に特別ゲストとして招かれており、学会に向けた動画コメントを送っている[243][244]。ちなみにこの懇親会には、名古屋工業大学の名誉教授となった市之瀬も出席している[243]
  • 2001年頃からL'Arc〜en〜Cielが活動休止状態となり、各メンバーはソロ名義での活動を開始したが、kenは1998年以降に様々なスケジュールが積層していたため疲労感があったようで、音楽活動を約1年ほど行っていなかった。後年kenは、2001年後半の頃を振り返り「麻雀野球しかしてなかった[16]」と語っている。
    • ちなみにkenは、活動休止期間中にファンクラブ会報誌の企画で、草野球チームを結成している(チーム名は「LOVE FLIES」)。そして、会報の企画の一環で、お笑い芸人の上島竜兵ダチョウ倶楽部)が率いるチームと対戦している[245]。なお、結果はkenのチームの惨敗だったという。余談だが、kenの草野球チームは、俳優の藤木直人が在籍するチームとも対戦したことがある。

交流関係 編集

kenはL'Arc〜en〜Cielへ加入する前、名古屋工業大学に通っていたが、その頃に清春と出会っている。そのため、清春との付き合いはかなり古い。そして、L'Arc〜en〜Cielがアマチュアとして活動していた頃、清春の在籍するバンド、黒夢とよく対バンを行っていた。ちなみにL'Arc〜en〜Cielは、当時のアマチュアバンドとしては、対バンライヴをあまり行わない珍しいバンドであったため、黒夢が数少ない対バン相手だった。
L'Arc〜en〜Cielと黒夢がメジャーデビューして以降も2人は交流があり、kenは2003年SONS OF ALL PUSSYSとして開催したライヴイベントにSADSを誘い、対バンを行っている。そして2004年には、清春のファーストソロアルバム『poetry』のレコーディングに、kenがゲストギタリストとして招聘されている。
1996年から2002年までレーベルのA&R担当として、L'Arc〜en〜Cielのプロモーションなどを手掛けていた人物で、kenを含めたL'Arc〜en〜Cielのメンバーからは「みっちゃん」という愛称で呼ばれていた。中山は、のちにL'Arc〜en〜Cielが在籍するKi/oon Recordsの代表、そしてソニー・ミュージックアーティスツの代表取締役を歴任している。ちなみにkenは、2005年10月から約2年半の間、雑誌『Weeklyぴあ』で対談コラム『IRON MAIKEN』を連載していたが、これは中山からの提案がきっかけで始まっている。2008年に単行本化された『IRON MAIKEN』のあとがきにおいて、中山はこの企画をkenにすすめた理由について「一番の理由は当時、"L'Arc〜en〜Cielがレーベルの中で浮いていた"からなんですね。浮いていたというのがわかりにくければ、異次元にいたとでも申しましょうか[174]」「そこでkenちゃんに登場願ったわけなんですが、理由はただひとつ。話が面白いから、なんですね。この人のムダ話とか、くだらない会話は本当に面白いんですね。面白いって笑うとか笑わせるだけでなく、そこに隠れたインテリジェンスとか、なるほどーと思うこととか全部入って面白いんです[174]」と綴っている。
2000年1月28日に、タモリが司会を務めるフジテレビ系番組『笑っていいとも!』内のコーナー「テレフォンショッキング」に出演した際、お互いがダム愛好家であることが分かり、意気投合している。その後、kenは2003年2月7日に、タモリが司会を務めるテレビ朝日系番組『タモリ倶楽部』に出演している。この回では、kenの持ち込み企画として「男の建造物 ダム放水大賞」と題し[179]、ダムの豪快な放水をランキング形式で紹介していく内容が放送されている[179]
なお、kenはこの回以降も、たびたび同番組に招かれている。ほとんどバラエティ番組に出演しないkenがソロで番組に出演することは、非常に珍しいことであった。kenはこの番組が終了するまでに、紙ヒコーキの世界記録挑戦企画[246]や、左官の技術で壁を修繕する企画[247]、鉄道麻雀企画[248]、東京クレーン学校でのロケ企画[249]、ミキシング挑戦企画[250]、自作スピーカー選手権企画[251]ジミ・ヘンドリクス生誕70周年を記念したオリジナルファズ製作企画[252]に招かれている。
後年kenは、この番組への出演を振り返り「毎回毎回そうだが、この番組はいつ出演しても楽しい[228]」「最初の頃は、台本ちゃんと憶えていかないとマズいよな、と思ってたけど、出演者がみんないつもアドリブで、ほとんど台本通りになった試しがない[228]」「この番組では"はいOKでーす""カットォ!"って声をあまり聞かない。本当にただただ流れで撮って、タモリさんが"ではまた来週"と言ったら終了。凄い[228]」と述懐している。
kenと同じ事務所に所属するロックバンドで、いわゆる後輩にあたるバンドである。同じ事務所にいたことから、MUCCがメジャーデビューする前から付き合いがあった。そして2008年以降、kenはMUCCのレコーディングに参加し、楽曲の編曲・プロデュースを時折担当するようになっている。ちなみにkenは、2017年にMUCCのトリビュートアルバムに参加している。さらに2022年には、同バンドのボーカルの逹瑯がソロ名義で制作したアルバムに向けて、kenが初の楽曲提供を行っている。なお、2021年にMUCCを脱退した元ドラマーのSATOちは、2013年発行の単行本『ken牛乳』で、章と章の間に掲載された四コマ漫画の原案を担当していたことがある[253]
余談だが、kenは同じ事務所に所属するロックバンド、シドでギターを務めるShinjiとも交流がある。ちなみにshinjiは、kenの日常を綴ったコラム『ken牛乳』に、かなりの頻度で登場していた。
ken曰く、楽器機材の設計・製作やシステムデザインを行っている、Free The Tone社の代表である林幸宏からの紹介をきっかけに、春畑と知り合ったという[120]。なお、最初の出会いは、お互いの趣味であるゴルフだった[120]。春畑曰く、kenと出会う何年か前にL'Arc〜en〜Cielのライヴに訪れたことがあり[120]、ゴルフで一緒になった際に「Kenにはディレイの多彩さがすごいから、どうやって管理しているのか不思議で聞いた[120]」という。
その後、kenと春畑の交流が始まっており、ともにフェンダーギターをメインで使い、エフェクターも同じものを使っていたことがあったため、機材の話を頻繁にするようになったという[254]。そして2016年に、音楽雑誌『ギター・マガジン』の特集本『GUITAR MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES/春畑道哉』が制作された際には、同誌で春畑とkenの対談が掲載されることになった[120]
余談だが、kenは2010年代後半以降、林幸宏との交流をきっかけにギタリストと対談することが増えている。林が開設したYouTubeチャンネル『全国エフェクターボード盆栽協会』において、これまでにTAIKINGSuchmos)や菰口雄矢(ex.TRIX)と、ギターや機材についての話をする動画がアップロードされている。

参考文献 編集

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  • 『ロッキンf』、立東社、1993年5月号
  • FOOL'S MATE』、フールズメイト、1994年3月号
  • 『ロッキンf』、立東社、1994年8月号
  • 『L'Arc〜en〜Ciel is』、シンコー・ミュージック、1996年
  • GiGS』、シンコー・ミュージック、1997年1月号
  • 『ロッキンf』、立東社、1997年1月号
  • 『Gb』、ソニー・マガジンズ、1997年2月号
  • WHAT's IN?』、ソニー・マガジンズ、1997年10月号
  • 『uv vol.28』、ソニー・マガジンズ
  • 『GiGS』、シンコー・ミュージック、1998年4月号
  • 『Gb』、ソニー・マガジンズ、1998年8月号
  • 『GiGS』、シンコー・ミュージック、1999年6月号
  • 『uv vol.44』、ソニー・マガジンズ
  • CDでーた』、角川書店、2000年2月5日号 vol.12 No.2
  • 『GiGS』、シンコー・ミュージック、2000年10月号
  • 『BANDやろうぜ』、宝島社、2001年1月号
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  • 『GiGS』、シンコー・ミュージック、2003年1月号
  • 音楽と人』、USEN(発行)、シンコー・ミュージック(発売)、2003年5月号
  • ROCKIN'ON JAPAN』、ロッキング・オン、2004年3月号
  • 『GiGS』、シンコー・ミュージック、2004年8月号
  • 『WHAT's IN?』、ソニー・マガジンズ、2005年7月号
  • 『ROCKIN'ON JAPAN』、ロッキング・オン、2005年7月号
  • 『GiGS』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2005年11月号
  • 『WORDS L'Arc〜en〜Ciel』、角川書店、2005年、著者:鹿野淳
  • 『GiGS』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2006年7月号
  • 『L'Arc〜en〜Ciel Box Set of The 15th anniversary in formation CHRONICLE of TEXT 01』、ソニー・マガジンズ、2006年
  • 『L'Arc〜en〜Ciel Box Set of The 15th anniversary in formation CHRONICLE of TEXT 02』、ソニー・マガジンズ、2006年
  • 『L'Arc〜en〜Ciel Box Set of The 15th anniversary in formation CHRONICLE of TEXT 03』、ソニー・マガジンズ、2006年

  • MUSICA』、株式会社FACT、2007年11月号
  • 『GiGS』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2007年12月号
  • 『別冊宝島1399 音楽誌が書かないJポップ批評47 L'Arc-en-Cielの奇跡』、宝島社、2007年
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  • 『WHAT's IN?』、ソニー・マガジンズ、2010年8月号
  • 『WORDSⅡ L'Arc〜en〜Ciel』、角川マガジンズ、2010年、著者:鹿野淳
  • 『WHAT's IN?』、ソニー・マガジンズ、2012年2月号
  • 『GiGS』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2012年3月号
  • 『ギター・マガジン』、リットーミュージック、2012年3月号
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  • 『哲学2。』、エムオン・エンタテインメント、2012年
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  • リズム&ドラム・マガジン』、リットーミュージック、2016年1月号
  • 『GiGS』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2016年2月号
  • 『GUITAR MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIES/春畑道哉』、リットーミュージック、2016年
  • 『GiGS』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2017年6月号
  • 『ギター・マガジン』、リットーミュージック、2017年6月号
  • 『ギター・マガジン』、リットーミュージック、2017年8月号
  • 『音楽プロデューサー 岡野ハジメ エンサイクロペディア CATHARSIS OF MUSIC』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2019年
  • 『ギター・マガジン』、リットーミュージック、2020年7月号
  • 『GiGS』、シンコーミュージック・エンタテイメント、2021年8月号

関連項目 編集

外部リンク 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ アルバム2作品には、ミニアルバム1作を含む
  2. ^ 4thアルバム『True』収録の「Caress of Venus」で初めてkenにエレクトリックピアノのクレジットが付いている。
  3. ^ 8thシングル「winter fall」で初めてkenにキーボードのクレジットが付いている。なお、クレジットはされていないが、インディーズで発表した「Floods of tears」「夜想花」でもkenがキーボードを弾いている。また、ライヴツアー「TOUR 2008 L'7 〜Trans ASIA via PARIS〜」で「My Dear」を披露した際、kenがキーボードを担当している。
  4. ^ 8thシングル「winter fall」で初めてkenにプログラミングのクレジットが付いている。以降も様々な楽曲でプログラミングを担当。
  5. ^ 27thシングル「叙情詩」で初めてkenにマニピュレートのクレジットが付いている。
  6. ^ L'Arc〜en〜Cielの様々な楽曲で、kenは楽器またはそれ以外の音を取り入れている。
  7. ^ 5thアルバム『HEART』収録の「LORELEY」で初めてkenにオートハープのクレジットが付いている。
  8. ^ 36thシングル「BLESS」で初めてkenにヴィブラのクレジットが付いている。
  9. ^ 4thアルバム『True』収録の「"good-morning Hide"」で初めてkenにタンバリンのクレジットが付いている。
  10. ^ ライヴイベント「MAVERICK DC GROUP 35th Anniversary JACK IN THE BOX 2016」には、PARTY ZOO Ken with 20th&25th Celeblete Naughty Starsとして出演
  11. ^ ライヴイベント「MUCC Presents Trigger In The Box」には、Ken -Ambient before the Trigger-として出演

参考文献・出典 編集

  1. ^ a b "1位はウィンターソングの代表曲「winter fall」!AWAユーザーが選ぶ!L'Arc~en~Cielのマイベストソング発表!". PR TIMES. 27 December 2019. 2023年6月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月10日閲覧
  2. ^ a b c d e "Ken、"11日遅れの"バースデーライブでTETSUYAと共演". ナタリー. 10 December 2009. 2023年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月15日閲覧
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  4. ^ a b c d e f g h 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.131、シンコー・ミュージック、1996年
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  6. ^ a b "マイケル・ランドウ × Kenスペシャル対談インタビュー". Fender. 2023年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月15日閲覧
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  13. ^ a b 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.139、シンコー・ミュージック、1996年
  14. ^ a b c d e f g h i j 中京テレビ系番組『キス・ミス・チック』1995年10月7日放送分
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