ニック・ハイドフェルド

ドイツのレーシングドライバー (1977-)
Nick Heidfeldから転送)

ニック・ラース・ハイドフェルドNick Lars Heidfeld, 1977年5月10日 - )は、西ドイツメンヒェングラートバッハ出身のレーシングドライバー。日本では「ハイドフェルド」と表記されることが多いが、ドイツ語の発音では「(ラルス・)ハイトフェルト」に近い音となる。

ニック・ハイドフェルド
ニック・ハイドフェルド (2019年)
基本情報
フルネーム ニック・ラース・ハイドフェルド
Nick Lars Heidfeld
略称表記 HEI
国籍 ドイツの旗 ドイツ
出身地 同・メンヒェングラートバッハ
生年月日 (1977-05-10) 1977年5月10日(46歳)
F1での経歴
活動時期 2000-2009,2010-2011
所属チーム '00 プロスト
'01-'03,'10 ザウバー
'04 ジョーダン
'05 ウィリアムズ
'06-'09 BMWザウバー
'11 ロータス・ルノーGP
出走回数 185 (183スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 13
通算獲得ポイント 259
ポールポジション 1
ファステストラップ 2
初戦 2000年オーストラリアGP
最終戦 2011年ハンガリーGP
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F1ドライバーで、2000年から2011年までF1に参戦していた。元ドイツF3ドライバーのスヴェン・ハイドフェルドは実の弟。

プロフィール 編集

ドイツ国内のカート選手権でチャンピオンを獲得するなど活躍した後、1994年にドイツ・フォーミュラ・フォード1600にステップアップ、1996年にドイツF3選手権英語版に参戦を果たし、2年目となる1997年にタイトルを獲得した。1998年の国際F3000選手権に参戦。初年度ながらファン・パブロ・モントーヤとタイトル争いを演じる。が、最終戦で燃料規定違反が発覚し、ペナルティを受け最後尾スタートとなる。これでチャンピオンを逃しシリーズ2位で終わる。

1999年マクラーレンのテストドライバーを務める傍ら、引き続き1999年の国際F3000選手権に参戦。4勝を挙げチャンピオン獲得[1]、冷静なレース運びから「コンピューター・キッド」、「クイック・ニック」と称される。この年はメルセデスの育成プロジェクトであるメルセデス・ジュニア・チームより、ワークスドライバーとしてル・マン24時間レースにも参戦したが、メルセデス・ベンツ・CLRが宙を飛ぶ事故を三度も起こしたことによりチームの判断で全車リタイアとなった。

2000年から2011年までF1に参戦。183戦を戦い、最高位2位。

2012年以降はF1を離れ、世界耐久選手権(WEC)にレベリオン・レーシングから参戦。その他2013年にはアメリカン・ル・マン・シリーズに、2014年はフォーミュラEにも参戦している。

F1での経歴 編集

2000年(プロスト) 編集

2000年よりメルセデスの契約下、国際F3000選手権のタイトルを引っさげてプロスト・グランプリからF1デビュー。メルセデス・ジュニア・チーム出身として期待されたがチームは混迷期にあり、ハイドフェルドはチームメイトのジャン・アレジとの接触など精彩を欠き、全く目立つことなく無得点に終わった。イギリスF3選手権から飛び級でグランプリデビューした同期のジェンソン・バトンに完全に話題をさらわれた形となってしまった。

2001年 - 2003年(ザウバー) 編集

2001年ザウバーへ移籍。開幕戦オーストラリアGPで初入賞を果たし、第3戦ブラジルGPでは3位初表彰台を獲得するなど、チームメイトの新人キミ・ライコネンと共にザウバーのコンストラクターランキング4位獲得に貢献した。シーズン末、ミカ・ハッキネンの休養宣言(後に引退に変更)によりメルセデスがエンジンを単独供給するマクラーレンのシートに空席ができたが、それを手にしたのはメルセデス契約下にあったハイドフェルドではなく、新人ながら印象的な速さをみせたライコネンであり、ハイドフェルドは大きな失望を味わうことになった。

2002年には新人のフェリペ・マッサと組む。4回の入賞を果たしたが、得たポイントは7ポイントと前年より下回った。2003年もザウバーに残留した。ベテランのハインツ=ハラルド・フレンツェンと組んだ。レギュレーションでポイント制が8位までと広がった為、辛うじて3回の入賞を果たすも、フレンツェンには及ばなかった。

 
2004年カナダGPにて

2004年(ジョーダン) 編集

2004年ジャンカルロ・フィジケラとトレードされる形でジョーダンへ移籍。チームは末期的な状況で戦闘力の低いマシンであったが、モナコGPカナダGPで入賞を果たした。

2005年(ウィリアムズ) 編集

 
2005年アメリカGPにて

2005年アントニオ・ピッツォニアとのレギュラーシート争いを経てウィリアムズへ移籍した。チームメイトにはラルフ・シューマッハの後任として加入したマーク・ウェバーとコンビを組むこととなった。第2戦マレーシアGPで自身2度目の3位表彰台、第6戦モナコGPで自己最高位の2位、第7戦ヨーロッパGPでは搭載燃料を軽くした戦略によるものではあったが、初のポールポジション獲得。決勝は3位を走行中、ラスト1周、首位ライコネンが1コーナーでタイヤトラブルによりクラッシュ、リタイヤとなると、労せずして2戦連続2位フィニッシュした。開幕前はセカンドドライバー的な見方が多かったが、ウェバーに対してほぼ互角の成績を残したといえる。イタリアGP前のモンツァ・テストでのクラッシュの影響により、イタリアGP・ベルギーGPを欠場し、復帰を目指したトレーニング中に再度負傷してしまい、結局ブラジルGP以降の残り3戦全てを欠場することとなり、ウィリアムズの戦闘力低下と相俟って「尻すぼみ」の印象を与えることとなった。ハイドフェルド離脱によりラスト3戦はアントニオ・ピッツォニアがシートに収まった。

2006年 - 2009年(BMWザウバー時代) 編集

 
2007年カナダGPにて

2006年よりドイツの自動車メーカーでありF1にエンジン供給を行ってきたBMWが中堅コンストラクターであるザウバーの株式を取得し、BMWザウバーとして参戦する。これに伴い、BMWザウバーはウィリアムズからオプション権を買い取り、ハイドフェルドは古巣からレギュラー参戦することとなった。初めの12戦を元ワールドチャンピオンジャック・ヴィルヌーヴ、終盤の6戦をルーキーロバート・クビサとともに戦い、2人を上回るポイントを獲得した。

2007年もクビサと共にBMWザウバーから参戦。車の安定性やマクラーレンのスパイ事件にも助けられ、コンストラクターズランキングではフェラーリに次ぐ2位の獲得に貢献し、ドライバーズランキングでは61ポイントを獲得し自己最高位の5位につけた。

2008年も引き続きクビサとのコンビでBMWザウバーより参戦する。シーズンを通して予選、決勝ともにクビサの後塵を拝するレースが目立つ結果となった。主な原因として2008年仕様のブリヂストンタイヤの特性への対応しきれなかった、特に予選でタイヤを適正温度に加熱する事に非常に苦労していたことが挙げられる[2]。その一方で第15戦シンガポールGPでは6位完走で、前年の第8戦フランスGP以来25連続完走を果たし、ミハエル・シューマッハの24連続完走という歴代1位の記録を更新した。また、この年出走したドライバーの中で唯一全戦完走を達成した。年間決勝全戦完走はF1史上7人目の達成者となる。

 
2009年シンガポールGPにて

2009年もBMWザウバーから参戦。KERSを搭載したマシンで臨んだ開幕戦オーストラリアGPだったが、決勝レースのスタート直後に他車と接触、終始後方でのレースとなり完走こそ果たしたものの無得点に終わった。足掛け3年にわたり更新し続けた連続完走記録は第13戦イタリアGPまで続き、第14戦シンガポールGPでスピンしたエイドリアン・スーティルに接触されてリタイアを余儀なくされ、連続完走記録は41で止まった。BMW撤退のためレースシートを失う事が確定していたが、ハイドフェルドは2位表彰台1回を含む6回の入賞で19ポイントを獲得し、本人はシーズン終了後の去就を楽観視していた。

2010年 編集

BMWザウバーの撤退に伴い、ハイドフェルドはマクラーレンなどのいくつかのチームと交渉するも、どのチームも合意には至らなかった。このシーズンより参戦したメルセデスがドイツ人ドライバーを欲していたためにハイドフェルドが移籍する可能性もあったが、ミハエル・シューマッハのF1復帰ということもあってシーズン開幕直前の2010年2月4日にメルセデスのテスト・リザーブドライバーとしての契約を結び、レギュラードライバーから退く事になってしまった[3]。しかし、メルセデスはレギュラードライバーの経験向上を念頭とした為に、結局はメルセデスに在籍中に一度もハイドフェルドに対してテスト走行の機会を与えられる事はなかった。

 
2010年日本GPにて

8月、メルセデスとの契約を解除し、2011年よりタイヤサプライヤーとなるピレリのテストドライバーに就任することとなった[4]

ハイドフェルドはピレリにおいてのタイヤテストを8月から9月16日にかけて数回行ったが、2010年9月14日、古巣ザウバーのレギュラードライバーにペドロ・デ・ラ・ロサの後任として9月17日より就任し、第15戦シンガポールGPからレース復帰することが発表された[5]。チームメイトは小林可夢偉。それに伴いピレリのテストドライバーの座をロマン・グロージャンに譲り降板することとなった。日本GPでは、復帰後初の8位入賞を果たした。その後の韓国GPでも入賞したが、ザウバーは翌シーズンはハイドフェルドに代わり、メキシコ人のセルジオ・ペレスを起用したため、再びレースシートを失うこととなった。

 
ヘレスでテストを行うハイドフェルド(2011年2月12日)

2011年 編集

ハイドフェルドの去就に関して先行き不透明であったが、2011年2月6日にロータス・ルノーGPのクビサがラリー事故により骨折する重傷となった為、クビサの容態が開幕戦バーレーンGPまでに完治して復帰できなかった場合を踏まえ、ロータス・ルノーGPは2月9日に同チームのテスト兼リザーブドライバーを務めるブルーノ・セナらと共にハイドフェルドもスペインのヘレスで行われる合同テストに参加することを発表した[6]。2月12日、ルノー・R31を86周走行し、最速タイムを記録し[7]、テスト後の16日にはクビサの復帰までロータス・ルノーGPに加入することが発表された[8]

第2戦マレーシアGPでは3位表彰台を獲得するが、その後は予選でチームメイトのヴィタリー・ペトロフの後塵を拝す事が多く、また決勝においても上位に食い込めなくなるなど精彩を欠く。7月下旬には更迭は時間の問題であるとの憶測も流れていたが、8月24日第12戦ベルギーGPにはリザーブドライバーのセナがハイドフェルドに代わって出走することが発表された[9]。チーム代表のエリック・ブーリエや関係者によると、ハイドフェルドは期待したほどの速さやパフォーマンスがなく、クビサに代わってチームをリードする能力を持っていなかったと述べている[9]。なお、このドライバー交代に関して、資金面で苦しいチームが、それを打開するために新たなスポンサーが期待できるセナを起用したとの見方も一部あるが、ブーリエは否定している[10]

ハイドフェルドは契約の有効性を主張し、ロンドン高等法院にドライバー交代の差し止め命令を求める訴えを見せた[11]が、9月3日に訴訟を撤回し、チーム側との和解とチームからの離脱を発表した[12]

エピソード 編集

  • 2003年にザウバーでチームメイトとなったフレンツェンとは出身地(メンヒェングラートバッハ市)が同じである。
  • 2005年7月にはガールフレンドのパトリシア(2008年に正式に結婚)との間に長女を、2007年7月には長男、2010年8月には次男をもうけた。
  • 2007年4月28日にはイベントでニュルブルクリンクの北コースをBMWザウバー・F1.06で3周走った。F1の車が北コースを走るのは実に31年ぶりであった。
  • 2010年のオーストラリアグランプリからグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)の会長を務めていたが、ピレリタイヤの開発ドライバー就任(またそれに伴うメルセデスAMG F1からの離脱)の影響から、同年8月に会長を辞任。後任にはルーベンス・バリチェロが就いた。
  • 2011年4月10日のマレーシアGPにおいて自身最後となる13回目の表彰台を獲得し、ステファン・ヨハンソンの持つ未勝利最多表彰台記録を更新した。
  • 2007年フランスGPから2009年イタリアGPまで2年以上にわたり完走を続けていた。連続完走記録41レースは2020年にルイス・ハミルトンに更新されるまで史上最多であった。3位はセルジオ・ペレスの持つ37レース(2017年アゼルバイジャンGPでリタイアを喫し、記録が途切れることとなった)。

レース戦績 編集

略歴 編集

シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
1994 ドイツ・フォーミュラ・フォード1600 ? 9 8 ? ? ? ? 1位
ドイツ・フォーミュラ・フォード1800 アイフェラント・レーシング ? ? ? ? ? 48 10位
1995 ADAC・ノルトライン・ジュニア・チーム ? 4 ? ? ? 346 1位
フォーメル・フォード ゼテック・マイスターシャフト ? 2 ? ? ? 169 2位
1996 ドイツ・フォーミュラ3選手権 オペル・チーム・BSR 15 3 3 6 6 138 3位
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 1 0 0 0 1 N/A 3位
マカオグランプリ 1 0 1 0 0 N/A 6位
モナコグランプリ 1 0 0 0 0 N/A 21位
1997 ドイツ・フォーミュラ3選手権 18 5 5 7 11 224 1位
モナコグランプリ 1 1 1 1 1 N/A 1位
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 1 0 0 0 0 N/A 7位
1998 国際フォーミュラ3000 ウエスト・コンペティション・チーム 12 3 2 3 7 58 2位
フォーミュラ1 ウエスト・マクラーレン・メルセデス テストドライバー
1999 国際フォーミュラ3000 ウエスト・コンペティション・チーム 10 4 4 6 7 59 1位
ル・マン24時間レース - LMGTP AMG-メルセデス 1 0 0 0 0 N/A DNF
フォーミュラ1 ウエスト・マクラーレン・メルセデス テストドライバー
ゴロワーズ・プロスト・プジョー
2000 17 0 0 0 0 0 20位
2001 レッドブル・ザウバー・ペトロナス 17 0 0 0 1 12 8位
2002 17 0 0 0 0 7 10位
2003 16 0 0 0 0 6 14位
2004 ジョーダン・フォード 18 0 0 0 0 3 18位
2005 BMW・ウィリアムズF1チーム 14 0 1 0 3 28 11位
2006 BMWザウバーF1チーム 18 0 0 0 1 23 9位
2007 17 0 0 0 2 61 5位
2008 18 0 0 2 4 60 6位
2009 17 0 0 0 1 19 13位
2010 メルセデスGP・ペトロナス・F1チーム テストドライバー
BMWザウバー 5 0 0 0 0 6 18位
2011 ロータス・ルノーGP 11 0 0 0 1 34 11位
2012 FIA 世界耐久選手権 レベリオン・レーシング 3 0 0 0 1 42.5 14位
ル・マン24時間レース 1 0 0 0 0 N/A 4位
ニュルブルクリンク24時間レース ゲンバラ・レーシング 1 0 0 0 0 N/A NC
V8スーパーカー選手権 ロッド・ナッシュ・レーシング 2 0 0 0 0 0 NC
ポルシェ・スーパーカップ ポルシェ 1 0 ? ? 0 0 NC
2013 FIA 世界耐久選手権 レベリオン・レーシング 5 0 0 0 1 48 8位
ル・マン24時間レース 1 0 0 0 0 N/A 39位
アメリカン・ル・マン・シリーズ 4 1 0 0 4 82 2位
2014 FIA 世界耐久選手権 8 0 0 0 0 64.5 10位
ル・マン24時間レース 1 0 0 0 0 N/A 4位
ニュルブルクリンク24時間レース ニッサン・GTアカデミー・チーム・RJN 1 0 0 0 0 N/A 24位
2014-15 フォーミュラE ヴェンチュリー・グランプリ 11 0 0 0 1 31 12位
2015 FIA 世界耐久選手権 レベリオン・レーシング 3 0 0 0 0 2 29位
ル・マン24時間レース 1 0 0 0 0 N/A 23位
2015-16 フォーミュラE マヒンドラ・レーシング 9 0 0 1 1 53 10位
2016 FIA 世界耐久選手権 レベリオン・レーシング 4 0 0 0 0 25.5 14位
ル・マン24時間レース 1 0 0 0 0 N/A 29位
2016-17 フォーミュラE マヒンドラ・レーシング 12 0 0 0 5 88 7位
2017 ウェザーテック・スポーツカー選手権 レベリオン・レーシング 3 0 0 0 0 68 22位
2017-18 フォーミュラE マヒンドラ・レーシング 12 0 0 0 1 42 11位
2018-19 リザーブドライバー
2019-20
2020-21
2022 世界ラリークロス選手権 QEVモータースポーツ 1 0 0 0 0 6 16位

フォーミュラ・レーシング 編集

ドイツ・フォーミュラ3選手権 編集

チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 DC ポイント
1996年 オペル・チームBSR オペル A HOC
1

6
HOC
2

Ret
NÜR
1

2
NÜR
1

4
NÜR
2

4
NOR
1

Ret
NOR
2

3
DIE
1

Ret
DIE
2

11
NÜR
1

1
NÜR
2

1
MAG
1

1
MAG
2

2
HOC
1

17
HOC
2

4
3位 138
1997年 A HOC
1

1
HOC
2

1
NÜR
1

2
NÜR
2

3
SAC
1

2
SAC
2

6
NOR
1

Ret
NOR
2

8
WUN
1

12
WUN
2

4
ZWE
1

5
ZWE
2

4
SAL
1

1
SAL
2

1
LAH
1

2
LAH
2

2
NÜR
1

1
NÜR
2

2
1位 224

国際F3000選手権 編集

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1998年 ウェスト・コンペティション OSC
2
IMO
4
CAT
26
SIL
2
MON
1
PAU
3
A1R
7
HOC
1
HUN
1
SPA
4
PER
2
NÜR
9
2位 58
1999年 IMO
1
MON
7
CAT
1
MAG
1
SIL
3
A1R
1
HOC
Ret
HUN
2
SPA
4
NÜR
2
1位 59

F1 編集

エントラント  シャシー エンジン  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 WDC ポイント
2000年 プロスト AP03 プジョー A20 3.0 V10 AUS
9
BRA
Ret
SMR
Ret
GBR
Ret
ESP
16
EUR
EX
MON
8
CAN
Ret
FRA
12
AUT
Ret
GER
12
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
Ret
USA
9
JPN
Ret
MAL
Ret
20位 0
2001年 ザウバー C20 ペトロナス 01A 3.0 V10 AUS
4
MAL
Ret
BRA
3
SMR
7
ESP
6
AUT
9
MON
Ret
CAN
Ret
EUR
Ret
FRA
6
GBR
6
GER
Ret
HUN
6
BEL
Ret
ITA
11
USA
6
JPN
9
8位 12
2002年 C21 ペトロナス 02A 3.0 V10 AUS
Ret
MAL
5
BRA
Ret
SMR
10
ESP
4
AUT
Ret
MON
8
CAN
12
EUR
7
GBR
6
FRA
7
GER
6
HUN
9
BEL
10
ITA
10
USA
9
JPN
7
10位 7
2003年 C22 ペトロナス 03A 3.0 V10 AUS
Ret
MAL
8
BRA
Ret
SMR
10
ESP
10
AUT
Ret
MON
11
CAN
Ret
EUR
8
FRA
13
GBR
17
GER
10
HUN
9
ITA
9
USA
5
JPN
9
14位 6
2004年 ジョーダン EJ14 フォード RS2 3.0 V10 AUS
Ret
MAL
Ret
BHR
15
SMR
Ret
ESP
Ret
MON
7
EUR
10
CAN
8
USA
Ret
FRA
16
GBR
15
GER
Ret
HUN
12
BEL
11
ITA
14
CHN
13
JPN
13
BRA
Ret
18位 3
2005年 ウィリアムズ FW27 BMW P84/5 3.0 V10 AUS
Ret
MAL
3
BHR
Ret
SMR
6
ESP
10
MON
2
EUR
2
CAN
Ret
USA
DNS
FRA
14
GBR
12
GER
11
HUN
6
TUR
Ret
ITA
PO
BEL BRA JPN CHN 11位 28
2006年 BMWザウバー F1.06 BMW P86 2.4 V8 BHR
12
MAL
Ret
AUS
4
SMR
13
EUR
10
ESP
8
MON
7
GBR
7
CAN
7
USA
Ret
FRA
8
GER
Ret
HUN
3
TUR
14
ITA
8
CHN
7
JPN
8
BRA
17
9位 23
2007年 F1.07 BMW P86/7 2.4 V8 AUS
4
MAL
4
BHR
4
ESP
Ret
MON
6
CAN
2
USA
Ret
FRA
5
GBR
6
EUR
6
HUN
3
TUR
4
ITA
4
BEL
5
JPN
14
CHN
7
BRA
6
5位 61
2008年 F1.08 BMW P86/8 2.4 V8 AUS
2
MAL
6
BHR
4
ESP
9
TUR
5
MON
14
CAN
2
FRA
13
GBR
2
GER
4
HUN
10
EUR
9
BEL
2
ITA
5
SIN
6
JPN
9
CHN
5
BRA
10
6位 60
2009年 F1.09 BMW P86/9 2.4 V8 AUS
10
MAL
2
CHN
12
BHR
19
ESP
7
MON
11
TUR
11
GBR
15
GER
10
HUN
11
EUR
11
BEL
5
ITA
7
SIN
Ret
JPN
6
BRA
Ret
ABU
5
13位 19
2010年 ザウバー C29 フェラーリ 056 2.4 V8 BHR AUS MAL CHN ESP MON TUR CAN EUR GBR GER HUN BEL ITA SIN
Ret
JPN
8
KOR
9
BRA
17
ABU
11
18位 6
2011年 ロータス・ルノーGP R31 ルノー RS27 2.4 V8 AUS
12
MAL
3
CHN
12
TUR
7
ESP
8
MON
8
CAN
Ret
EUR
10
GBR
8
GER
Ret
HUN
Ret
BEL ITA SIN JPN KOR IND ABU BRA 11位 34
  • 太字ポールポジション斜字ファステストラップ。(key)
  •  : リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
  •  : ハーフポイント。レース周回数が75%未満で終了したため、得点が半分となる。

フォーミュラE 編集

エントラント 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2014-15年 ヴェンチュリー・グランプリ スパーク-ルノー・SRT 01E BEI
13
PUT
DSQ+
PDE
10+
BNA
8+
MIA
12
LBH
11
MON
10
BER
5
MOS
3
LON
13
LON
Ret
12位 31
2015-16年 マヒンドラ・レーシング スパーク-マヒンドラ・M2エレクトロ BEI
3
PUT
9+
PDE BNA
7
MEX
8
LBH
4+
PAR
12
BER
7+
LON
13+
LON
7
10位 53
2016-17年 スパーク-マヒンドラ・M3エレクトロ HKG
3
MAR
9
BNA
15
MEX
12
MON
3
PAR
3
BER
3
BER
10
NYC
Ret
NYC
3+
MTL
Ret
MTL
5
7位 88
2017-18年 スパーク-マヒンドラ・M4エレクトロ HKG
3
HKG
16
MAR
7
STI
Ret
MEX
Ret
PDE
Ret
ROM
16
PAR
11
BER
10
ZUR
6
NYC
6
NYC
8
11位 42

耐久レーシング 編集

ル・マン24時間レース 編集

エントラント コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 順位 クラス
順位
1999年   AMG-メルセデス   クリストフ・ブシュー
  ピーター・ダンブレック
メルセデス・ベンツ CLR LMGTP 75 DNF DNF
2012年   レベリオン・レーシング   ニコラ・プロスト
  ニール・ジャニ
ローラ・B12/60-トヨタ LMP1 367 4位 4位
2013年   ニコラ・プロスト
  ニール・ジャニ
275 39位 7位
2014年   ニコラ・プロスト
  マティアス・ベシェ
レベリオン・R-One-トヨタ LMP1-L 360 4位 1位
2015年   ニコラ・プロスト
  マティアス・ベシェ
レベリオン・R-One-AER LMP1 330 23位 10位
2016年   ネルソン・ピケJr.
  ニコラ・プロスト
330 29位 6位

FIA 世界耐久選手権 編集

エントラント クラス シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 ランク ポイント
2012年 レベリオン・レーシング LMP1 ローラ・B12/60 トヨタ RV8KLM 3.4 L V8 SEB
17
SPA
5
LMS
3
SIL SÃO BHR FUJ SHA 14位 42.5
2013年 SIL
5
SPA
5
LMS
20
SÃO
3
COA
4
FUJ SHA BHR 8位 48
2014年 SIL
4
SPA
7
LMS
4
COA
7
FUJ
12
SHA
7
BHR
7
SÃO
8
10位 64.5
2015年 レベリオン・R-One AER P60 2.4 L Turbo V6 SIL SPA LMS
19
NÜR
16
COA
15
FUJ SHA BHR 29位 2
2016年 SIL
4
SPA
4
LMS
13
NÜR
17
MEX COA FUJ SHA BHR 14位 25.5

(key)

アメリカン・ル・マン・シリーズ 編集

エントラント クラス シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ランク ポイント
2013年 レベリオン・レーシング P1 ローラ・B12/60 トヨタ RV8KLM 3.4 L V8 SEB
3
LBH
2
LAG
2
LRP MOS ROA BAL COA VIR ATL
1
2位 82

(key)

スポーツカー選手権 編集

エントラント クラス シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ランク ポイント
2017年 レベリオン・レーシング P オレカ・07 ギブソン GK428 4.2 L V8 DAY
8
SEB
9
LBH COA DET WGL MOS ELK LGA PET
8
22位 68

(key)

ツーリングカー・レーシング 編集

ポルシェ・スーパーカップ 編集

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ランク ポイント
2012年 ポルシェ・AG BHR BHR MON VAL GBR GER
10
HUN HUN BEL ITA NC 0

(key)

  •  : ゲストドライバーとしての出走であるため、ポイントは加算されない。

V8スーパーカー 編集

チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 DC ポイント
2012年 ロッド・ナッシュ・レーシング フォード・FG ファルコン ADE
R1
ADE
R2
SYM
R3
SYM
R4
HAM
R5
HAM
R6
BAR
R7
BAR
R8
BAR
R9
PHI
R10
PHI
R11
HID
R12
HID
R13
TOW
R14
TOW
R15
QLD
R16
QLD
R17
SMP
R18
SMP
R19
SAN
Q
SAN
R20
BAT
R21
SUR
R22

Ret
SUR
R23

13
YMC
R24
YMC
R25
YMC
R26
WIN
R27
WIN
R28
SYD
R29
SYD
R30
NC 0

(key)

  •  : ゲストドライバーとしての出走であるため、ポイントは加算されない。

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ ハイドフェルド「キミには負けない」 F1速報 2003年7月29日
  2. ^ “ニック・ハイドフェルド、「予選の改善には多くのプロセスがある」”. F1 Gate.com. (2008年6月20日). http://f1-gate.com/heidfeld/f1_1102.html 2010年9月15日閲覧。 
  3. ^ “メルセデスGP、ニック・ハイドフェルドをリザーブ兼テストに起用”. F1 Gate.com. (2010年2月4日). http://f1-gate.com/mercedes-benz/f1_6401.html 2010年2月4日閲覧。 
  4. ^ “ニック・ハイドフェルド、ピレリの公式テストドライバーに就任”. F1 Gate.com. (2010年8月17日). http://f1-gate.com/heidfeld/f1_8779.html 2010年8月17日閲覧。 
  5. ^ “ザウバー、ニック・ハイドフェルドの起用を正式発表”. F1 Gate.com. (2010年9月14日). http://f1-gate.com/sauber/f1_9161.html 2010年9月15日閲覧。 
  6. ^ “ロータス・ルノーGP、ニック・ハイドフェルドをテスト”. F1-Gate.com. (2011年2月10日). http://f1-gate.com/renault/f1_10710.html 2011年2月15日閲覧。 
  7. ^ “F1ヘレステスト3日目:ニック・ハイドフェルドがトップタイム!”. F1-Gate.com. (2011年2月13日). http://f1-gate.com/result/f1_10764.html 2011年2月15日閲覧。 
  8. ^ “ニック・ハイドフェルド、ロバート・クビサの代役に決定”. F1-Gate.com. (2011年2月17日). http://f1-gate.com/heidfeld/f1_10822.html 2011年2月17日閲覧。 
  9. ^ a b 『オートスポーツ』通巻1313号、p.58
  10. ^ 『オートスポーツ』通巻1313号、p.59
  11. ^ 『F1速報』2011年9月25日号 第12戦ベルギーGP、三栄書房、p.68
  12. ^ “ニック・ハイドフェルド、ロータス・ルノーGPの離脱に合意”. F1-Gate.com. (2011年9月3日). http://f1-gate.com/heidfeld/f1_12797.html 2011年9月7日閲覧。 

参考文献 編集

外部リンク 編集

タイトル
先代
ヤルノ・トゥルーリ
ドイツF3チャンピオン
1997年
次代
バス・ラインダース
先代
ファン・パブロ・モントーヤ
国際F3000チャンピオン
1999年
次代
ブルーノ・ジュンケイラ