双葉町

福島県双葉郡の町
双葉町役場から転送)

双葉町(ふたばまち)は、福島県浜通りにある双葉郡1896年以前は標葉郡)に属する。

ふたばまち ウィキデータを編集
双葉町
双葉町旗 双葉町章
双葉町旗
1985年9月1日制定
双葉町章
1972年10月1日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
双葉郡
市町村コード 07546-9
法人番号 8000020075469 ウィキデータを編集
面積 51.42km2
総人口 -[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 -人/km2
隣接自治体 双葉郡大熊町浪江町
町の木 栴檀
町の花
町の鳥
双葉町役場
町長 伊澤史朗
所在地 979-1495
福島県双葉郡双葉町大字長塚町西73番地4[1]
外部リンク 公式ウェブサイト

双葉町位置図

― 市 / ― 町・村

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2011年の東日本大震災に伴い発生した東京電力福島第一原子力発電所事故で全町避難を強いられ、2022年8月30日に一部地域で避難指示が解除され、住民の帰還が始まった[2]

概要 編集

浜通りのほぼ中央に位置し、東は太平洋に面する。町の南北に国道6号常磐自動車道JR常磐線が縦貫して福島県いわき市宮城県南部と、東西は国道288号により福島県内陸部(中通り)の郡山市と繋がれている。

古代から町域を勿来関多賀城を結ぶ東海道(あづま海道)が縦貫しており、海道沿いや沿岸部には古くから集落があった。古代の遺跡や文化遺産として清戸迫横穴をはじめ、山城国稲荷大明神から勧請された前田稲荷神社には御神木として樹齢約1,200年の前田の大スギ蝦夷討伐の際に坂上田村麻呂が安置したと伝わる十一面観世音菩薩像などが現在も残っている。

鎌倉時代末期に新山城築城されると城下町が形成された。江戸時代に新山城が廃城となった後も、長塚宿と新山宿は浜街道の宿場町として、また町域は相馬中村藩の米どころとして栄えた。

その後も第二次世界大戦後まで農業中心の産業形態であったが、1970年代から東京電力福島第一原子力発電所の立地により関連企業への就業が増加し、農業の兼業化が進み、就業構造が大きく変化した。その後も新たな雇用の場として企業などの誘致に工業団地を整備した。

2011年3月11日の東日本大震災およびそれに伴う福島第一原発事故により町域が一部を除いて帰還困難区域に設定されていたが、2022年8月30日に特定復興再生拠点区域での避難指示が解除された[3]

東日本大震災 編集

福島第一原子力発電所の5号機と6号機が立地しており、計画されていた7号機・8号機も立地の予定だったが、東日本大震災で被災し、これに誘発されて発生した福島第一原発事故の影響で、2022年8月末まで、北東部と双葉駅周辺のそれぞれ一部を除いたほぼ全域が「帰還困難区域」(除染・復旧工事関係者以外の一般住民の自由な行き来が終日制限される)に指定されていた[4][5]が、同年8月30日以降は「特定復興再生拠点区域」内での避難指示が解除され、終日人が居住することができるようになった。

東京電力の福島復興本社などが入る双葉町産業交流センター(エフ・ビック)、東日本大震災・原子力災害伝承館が整備され[6]、復興の拠点になっている。

しかしながら、震災から10年以上経った2022年1月現在でも、災害救助法に基づき東日本大震災および福島第一原子力発電所事故による仮設住宅みなし仮設住宅)の供与を大熊町と双葉町の2町のみが受けており[7][8]、うち、建設型の仮設住宅(プレハブ仮設住宅)の当初の供与期間は工事完了から2年3か月間であったところ、いまだ仮設住宅から住民の退去の見通しがたたない唯一の東日本大震災被災市町村である[8][9][10]。また、多くの町民は医療費の一部負担金(療養の給付)や介護給付費、介護保険料、後期高齢者医療保険料国民年金保険料の免除[11][12][13]住民税国民健康保険税の減免[14]、賃貸住宅の家賃のほぼ全額の補助[7][15]高速道路料金の一部区間の無料化[16]など様々な支援を国や福島県等から、いまだに受けなければいけない状態である。2020年(令和2年)の住民意向調査では、回答者の62.1%が双葉町に戻らないと決めていると回答した。理由の一番の多くは、避難先で自宅を購入・建築し将来も継続的に居住する予定のためである。一方で、戻りたいと考えていると回答したのは10.8%にすぎない[17]

地理 編集

阿武隈山系の東に開けた浜通り地方の中部に位置し、東は太平洋に開ける[18]。行政上では、北の浪江町と南の大熊町に挟まれた位置にある。面積は51.40 km2[18]。東北地方にありながら温暖な気候で、冬でも降雪日数は年間5日程度のため、福島第一原発事故の発生前はカーネーションスイートピーホウレンソウなどの栽培が盛んであった。また、下水道の普及率も9割近く全国的にも高い水準であった。

「双葉」という町名は、標葉郡(夜ノ森以北、相馬氏領)と楢葉郡(夜ノ森以南、岩城氏領)の合併にちなんだ名称である。位置としては旧標葉郡の区域にある。1950年から1955年までは「双葉郡双葉町」を名乗る町が別に存在したが、合併により廃止された。現在の富岡町北部に相当し、この双葉郡双葉町は旧楢葉郡に属していた。

  • 山 :十万山 - 標高448 m(山頂は浪江町)、登山道入り口から約1時間で登れる。うつくしま百名山に選ばれていたが、原発事故の影響で帰還困難区域となり、2021年時点でも立ち入りが禁止されているため、新うつくしま百名山では選ばれなかった。
  • 河川 :前田川 - 二級河川
  • 沿岸地形:郡山海岸(双葉海水浴場)

隣接する自治体 編集

歴史 編集

古代 編集

古墳時代には、沿岸部を中心に塚ノ腰古墳群や沼ノ沢古墳群などが建設され、この辺りを中心に集落が形成されていた。また、付近からは郡山貝塚なども発見されており縄文時代よりこの地には集落があった。

成務天皇の治世から国造が割拠した7世紀前半には、現在の双葉町は、染羽国造(しめはのくにのみやつこ)の領土の南限であった。

7世紀前半頃に清戸迫横穴が作られ、壁画が描かれたと推定される。律令制が浸透した7世紀後半には、現在の双葉町(長塚)と大熊町(苦麻)の境(概ね福島第一原子力発電所の付近)を境にして、長塚以北は陸奥国に編入された。

713年和銅6年)染羽が標葉と改められる。この時、染羽国造の領土は、陸奥国の標葉郡(しねはぐん)となった。718年養老2年)には陸奥国から分離されて石城国に編入されるも、720年代には石城国は陸奥国に編入された。

722年養老6年)前田稲荷神社に御神木前田の大スギ)が植えられる。

807年大同2年)頃坂上田村麻呂が夷討伐のため訪れたと伝わる。

869年貞観11年) 5月26日- 貞観地震によりの津波が襲来する。

標葉氏統治時代 編集

平安時代末期の保元年間(1156年 - 1159年)になると、請戸城を本拠地とする標葉隆義(海道小太郎成衡(清原成衡)の四男と伝わる[19]。)の統治下に入り、これ以後、現在の双葉町は標葉郡を領土とする標葉氏の統治下に置かれた。

1189年文治5年)源頼朝奥州征伐では標葉氏を始めとした岩城氏一族[20]奥州藤原氏と関係が深かったが、鎌倉方として参陣して本領を安堵された。鎌倉時代後期には岩城氏から完全に独立した地位を築いている。

1331年元弘元年)に、標葉隆連(標葉氏八代当主標葉持隆の三男)が父の命令により新山城築城し、内神とし新山大権現(現在の新山神社)が建立された。双葉町の合併前の新山町は、この城にちなんだ名称である。

鎌倉幕府滅亡後の後醍醐天皇建武の親政の際も標葉氏は本領を安堵され、北畠顕家に従い秋田津軽方面の北条方の残党との戦いなどに従軍し、以後も西上転戦した。

南北朝時代は、霊山にいた義良親王(後の後村上天皇)、北畠顕家に従い南朝方に参加した。霊山が落城した際に、追っ手の目を欺くため旅芸人の装束をして踊りながら逃げ落ちたとの伝承がある。この故事が元となり宝財踊りとして現在まで伝わっている。

だが、後に北朝方に服属し、その後も北朝を擁した室町幕府のもと周囲との同盟を巧みに結び独立を保ち、1410年応永17年)には、海道の岩城氏、相馬氏、楢葉氏、好嶋氏、白土氏、諸根氏、菊田氏らの岩崎郡岩城郡、楢葉郡、標葉郡、行方郡の五郡で五郡一揆を結び相互に協力をした。

1442年嘉吉2年)に二代新山城主の標葉隆重が当主の標葉清隆家臣を殺害し、それに怒った清隆に攻められ新山城が落城すると隆重は岩城氏領に逃れた。その後も家中の混乱が続くと、岩城氏が白河結城氏と結び1474年文明6年)に同族の楢葉氏を滅ぼし、標葉氏に対し攻勢を強め相馬氏に対抗した。この頃には北の相馬氏当主相馬高胤からは不倶戴天の敵とみられており、標葉氏は敵対関係になった海道筋の岩城氏と相馬氏と南北ともに領地を接することとなった。

その後、標葉氏は1492年明応元年)12月に本拠地である権現堂城(浪江町)が攻め落とされ相馬氏により滅ぼされた。双葉町域を治めていた三代新山城主標葉隆豊はこの戦いには相馬方として参陣した。

相馬氏統治時代 編集

標葉氏が相馬氏に滅ぼされて以後の室町時代後半[21]から戊辰戦争終結後の版籍奉還まで、現在の双葉町域は相馬氏の統治下に置かれた。江戸時代相馬中村藩政下では、浜街道の宿場町(長塚宿新山宿)であった。

戊辰戦争勃発から第二次世界大戦終結まで 編集

  • 1868年慶応4年/明治元年) - 戊辰戦争が勃発し、現在の双葉町域を統治していた相馬中村藩も隣接する磐城平藩仙台藩らと奥羽越列藩同盟に参加したため、磐城の戦いの戦禍に見まわれた。双葉町域は7月29日より福岡藩津藩長州藩広島藩岩国藩によって新山宿を制圧された。前日の7月28日に夜ノ森(富岡町)付近での戦闘で新政府軍に敗北した同盟軍は、相馬中村藩領の熊川宿(大熊町)に仙台藩兵などが火が放ち、仙台藩兵は自領の駒ヶ嶺城(相馬郡新地町)の手前である藩境の中村相馬市)まで、相馬中村藩兵は浪江まで後退したため、南標葉郷(双葉町、大熊町)に守備兵はほとんどなく商人や農民などの領民は見捨てられる形となった。新政府軍は熊川宿の火災により迂回し北上したが、さしたる足止めにもならず、翌日には新山までまたたく間に制圧された。当時を経験した領民の話を直接聞いた地元の明治生まれの高齢者などは「新政府軍による徴発や略奪があった」と語っている。その後、高瀬川(浪江町)を挟んで行なわれた浪江の戦いの時には、新山宿は新政府軍の拠点となった。この戦いでの新政府軍の戦死者は双葉町新山にある自性院により弔われた。戦死者の墓は現在も自性院墓地内にある。この戦いでは相馬中村藩は同盟軍より裏切りの疑いをかけられ、仙台藩などの同盟軍の援軍がなく単独で戦うこととなった。一時は新政府軍を退却させるなど奮闘したが、8月1日には援軍が到着した新政府軍の前に敗北した。この敗北により仙台藩兵など同盟軍は中村より自領などへ引き上げた。これにより相馬中村藩は新政府軍に降伏し、8月6日に受諾された。その後も相馬中村藩領では仙台藩が降伏するまでの約2か月におよんで新政府軍により徴発が行なわれた。
  • 明治4年7月14日(新暦1871年8月29日) - 廃藩置県により中村県が成立する。
  • 明治4年11月29日(新暦:1872年1月9日) - 中村県と平県が合併されて磐前県が成立し、現在の双葉町域は同県に属する。
  • 1872年(明治5年)- 新山郵便局が開設。
  • 1873年(明治6年) - 学制発布により前田小学校、日新小学校(長塚小学校)が開校。
  • 1876年(明治9年)8月21日 - 磐前県・福島県・若松県が合併して現在の福島県が成立し、現在の双葉町域は同県に属する。
  • 1886年(明治19年) - 前田小学校などが統合し新山高等小学校設立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、標葉郡新山村(しんざんむら)と長塚村が発足する。
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 標葉郡が楢葉郡と合併し、双葉郡[22]となる。
  • 1898年(明治31年)8月23日 - 常磐線長塚駅(現在の双葉駅)が開業。
  • 1913年大正2年)2月1日 - 新山村が町制施行して新山町となる。
  • 1913年(大正2年) - 天王山公園[23]で双葉忠魂碑除幕式が行われる。
  • 1918年(大正7年) - 福島私立修齋女学校長塚分校が開校[24]
  • 1921年(大正10年)- 町内に初めて電灯がつく。
  • 1923年(大正12年)4月16日 - 福島県立双葉中学校(現:福島県立双葉高等学校)が開校。
  • 1935年(昭和10年) - 新山小学校から御真影が盗まれ、校長に身代金を要求する事件が発生。後日、町内に住む男が逮捕され、御真影は取り戻された[25]
  • 1945年昭和20年) - 太平洋戦争下、米軍により新山、長塚、前田、鴻草、郡山、細谷、中浜が空襲を受ける(磐城陸軍飛行場への空襲)。

第二次世界大戦終結から東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故発生まで 編集

  • 1947年(昭和22年) - 学校教育法施行により、長塚村・新山町組合立標葉中学校が開校。「新山国民学校」が「新山町立新山小学校」に「長塚国民学校」が「長塚村立長塚小学校」に改称。
  • 1950年(昭和25年)
    • 5月27日-28日 - 大雨被害により、前田川が決壊し、新山で山崩れの被害を受ける。死亡者1名。
  • 1951年(昭和26年)
    • 4月1日 - 新山町と長塚村が合併して標葉町(しねはまち)が発足[26]。新山字北広町81番地の旧新山町役場が標葉町役場仮庁舎となる。
    • 同年 - 標葉町立標葉中学校・標葉町立新山小学校・標葉町立長塚小学校へ改称。
  • 1952年(昭和27年)
    • 5月 - 標葉町役場が新山字広町40番地に新設し移転。
    • 8月 - 長塚字鬼木で標葉町立標葉中学校の落成式。
    • 10月2日 - 高波により双葉海岸の堤防が決壊。
  • 1954年(昭和29年) - 町民体育大会が始まる。新山神社(秋葉神社)の社殿が焼失する。
  • 1955年(昭和30年) - 前田の大杉が県の天然記念物に指定される。
  • 1956年(昭和31年)
    • 4月1日 - 標葉町から双葉町に改名[27][28]
    • 同年 - 「標葉町立標葉中学校」が「双葉町立双葉中学校」に、「標葉町立新山小学校」が「双葉町立双葉南小学校」に、「標葉町立長塚小学校」が「双葉町立双葉北小学校」に改称。
    • 12月 - 町内全てに電灯がつき無電灯地区がなくなる。
  • 1957年(昭和32年)
  • 1958年(昭和33年)
    • 4月1日 - 浪江町の旧請戸村域から中野地区、両竹地区(一部)を編入[29]
    • 9月26日-27日 - 台風22号により大水害の被害を受ける。
  • 1959年(昭和34年) - 長塚駅を双葉駅に改称。
  • 1960年(昭和35年)4月1日 - 浪江町の旧請戸村域から中浜地区(一部)、両竹地区(一部)を編入[30]
  • 1961年(昭和36年)10月22日 - 双葉町議会が原子力発電所誘致を議決。
  • 1966年(昭和41年) - 新山字広町に双葉町児童館を新設。
  • 1967年(昭和42年) - 清戸迫横穴が発見される。双葉厚生病院が開院する。
  • 1969年(昭和44年) - 双葉南小学校新校舎落成式、新山字東舘から新山字清戸迫に新設し移転。双葉町体育館及び公民館を新設。
  • 1971年(昭和46年)3月26日 - 福島第一原子力発電所が営業運転開始。それまで農業のできない冬には出稼ぎに行っていた大熊町・浪江町など福島の海岸地帯の住民は原発関連の仕事をすることで一年中地元で働けるようになったため、双葉町でも安定的な働き口とかなりの補助金を与えてくれた“福の神”とされていた[31]
  • 1972年(昭和47年) - 双葉町町章を制定。
  • 1973年(昭和48年) - 双葉北小学校新校舎を新設。
  • 1974年(昭和49年) - 双葉幼稚園を新設。
  • 1975年(昭和50年) - 十万山で町民山登り大会が始まる。
  • 1976年(昭和51年) - 老人福祉会館(後に「ふれあい福祉会館」に改称)を新設。
  • 1977年(昭和52年) - 双葉町立双葉中学校が長塚字鬼木から新山字東舘(旧双葉南小学校跡地)に新設し移転、跡地が町民グラウンドになり夜間照明設備を新設。
  • 1978年(昭和53年)4月18日 - 福島第一原子力発電所5号機が双葉町内で営業運転開始。
  • 1979年(昭和54年)10月24日 - 福島第一原子力発電所6号機が双葉町内で営業運転開始。これにより、1号機から6号機までのすべての総出力量が当時の世界最大の原子力発電所となった。
  • 1980年(昭和55年) - 石熊砂防ダムが完成し止水式が行われる。
  • 1981年(昭和56年)3月11日 - 町民憲章制定。
  • 1982年(昭和57年) - 双葉地方広域市町村圏組合公立双葉准看護学院が開校。
  • 1983年(昭和58年)4月1日 - 双葉町役場が新山字前沖28番地に新設し移転。地上4階地下1階で総工費約15億円。当時は双葉郡内一の役場だった。
  • 1984年(昭和59年) - 双葉町図書館、北部コミュニティーセンターを新設。
  • 1985年(昭和60年)9月1日 - 町旗制定。
  • 1986年(昭和61年)10月1日 - 町の花、木、鳥を制定。双葉町農村広場を新設。浪江警察署双葉駐在所が落成。
  • 1987年(昭和62年)- 双葉北幼稚園、町営墓地「双葉町越田霊園」、青年婦人会館、海の家「マリーンハウス」を新設。双葉幼稚園が双葉南幼稚園に改称。また総事業費50億円超の大事業として、野球場テニスコートなどがある総合運動公園事業を開始。しかし完成した野球場の規格では公式戦が行えないなど不備が多々あり、約25年にわたってほとんど収益がなく維持費を支払い続けていた。福島第一原子力発電所事故後、中間貯蔵施設の用地となった。
  • 1988年(昭和63年)5月1日 - 双葉町民の歌および双葉『ふたば音頭』を制定。町内に地区公民館を新設。
  • 1989年平成元年)4月1日 - 双葉町浄化センターを新設。
  • 1990年(平成2年) - 双葉町海浜公園を新設。
  • 1991年(平成3年)9月25日- 双葉町議会「原発増設に関する決議」を全会一致で採決。
  • 1992年(平成4年) - 双葉町歴史民俗資料館を新設。
  • 1993年(平成5年) - 青少年が初めて町の海外派遣事業「21世紀青春の翼」でニュージーランドへ派遣される。
  • 1994年(平成6年) - 瑞穂町 (京都府)姉妹都市連携。双葉町児童館が新山字広町より長塚字鬼木へ新設し移転。
  • 1998年(平成10年) - ステーションプラザふたば新設。双葉町コミュニティーセンター設置。
  • 1999年(平成11年) - 総合保健福祉施設「ヘルスケアふたば」[32]を新設。
  • 2000年(平成12年) - NPO法人双葉ふれあいクラブ設立。
  • 2001年(平成13年) - 双葉町の公式ウェブサイトを開設。双葉北幼稚園・南幼稚園が合併し「ふたば幼稚園」が発足[33]。町消防団が第54回県下消防大会で民友旗を受賞。
  • 2002年(平成14年) 9月20日 - 同年8月29日に公表された、原子力安全・保安院および東京電力の原子力発電所に係る不正問題を受け、東京電力が9月4日に7号機・8号機の増設計画を延期したことから、双葉町議会「原発増設に関する決議」を凍結。
  • 2003年(平成15年) - 全国初のバスとタクシーの複合型生活路線である双葉町交通システム運行開始。
  • 2005年(平成17年) - マスコットキャラクターフタバくんが決定。
  • 2007年(平成19年)6月15日 - 双葉町議会「原発増設に関する決議」について凍結を解除する決議案を可決。
  • 2009年(平成21年) - 2008年度決算で、借金返済の重さを示す実質公債費比率が基準値の25%超の29.4%となり、早期健全化団体に指定(2010年度決算において脱却)。
  • 2010年(平成22年) - 町内での交通死亡事故ゼロの期間が2,000日を達成。
  • 2011年(平成23年) - 双葉町学校給食センター新設。

東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故による全町避難 編集

  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日 - 午後2時46分、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、町内で震度6強を観測し、午後3時30分頃には大津波を観測。消防団による必死の救助活動にもかかわらず、津波により死者・行方不明者あわせて21名の被害を受け、救助活動にあたっていた双葉町消防団第九分団もポンプ車ごと津波にのまれた。福島第一原子力発電所も津波の被害を受けたことから、同日夜に、発電所から半径3 km圏内に避難指示、3 - 10 km圏内に屋内退避指示が出される。これは双葉町の大部分を占める面積である。これにより、翌朝から再開が予定されていた、津波被災地域の行方不明者の捜索が困難となる。
    • 3月12日 - 午前5時44分、政府より福島第一原子力発電所半径20 km圏内(町内全域)に避難指示。しかし、町はその避難指示を政府や関係省庁からでなく、マスコミ報道などにより遅れて知ることとなる。町は伊達郡川俣町に避難者の受け入れを要望し承諾を受け、午前7時30分に災害対策会議を開き午前7時40分から福島市方面(川俣町)に避難するよう防災無線等で数回にわたり住民に広報。これにより、住民約2,200人が川俣町へ避難した。川俣町長古川道郎、川俣町役場職員、地元住民らも自らも地震による被害が甚大ななか、川俣町を挙げて、川俣小学校や川俣町体育館など複数の避難所を設置し、双葉町からの避難者に入浴や炊き出しなどの支援を実施した[34]。双葉町役場も閉鎖され川俣町合宿所に災害対策本部を設置した。最大で当時の町の人口の半分以上に当たる4,000人超の町民が川俣町へ避難した。午前9時過ぎに福島第一原子力発電所でベント開始。午後3時36分、大熊町に立地する1号機の原子炉建屋が水素爆発(福島第一原子力発電所事故)。
    • 3月19日 - 原発事故の影響を受けて住民の避難が必至となり、約1,200人の被災住民は役場の機能ともに埼玉県さいたま市中央区さいたまスーパーアリーナへ40台のバスで集団避難したほか、住民によっては他の場所にも避難した[35][36]。さいたまスーパーアリーナ内に「埼玉出張所」を設置。役場は避難者と一緒に生活し交代制で24時間体制で対応。(役場と住民の避難所が分かれる同年9月頃まで続いた。)
    • 3月30日 - 31日 - 役場の機能および避難住民が、埼玉県加須市にある廃校(旧埼玉県立騎西高等学校)へ再移転し、同校校舎を拠点とする[36][37][38]。また、避難した小中学生は4月から移動先の学区の学校に転入する[39]
    • 3月31日 - さいたまスーパーアリーナを避難所としての使用を終了し「埼玉出張所」を閉鎖。
    • 4月1日 - 埼玉県加須市の旧埼玉県立騎西高等学校内に「双葉町埼玉支所」を、耶麻郡猪苗代町のホテルリステル猪苗代内に「双葉町猪苗代出張所」を開設。
    • 4月4日 - ホテルリステル猪苗代に避難者の受入を開始。
    • 4月8日 - 川俣町合宿所の災害対策本部を退去。
    • 4月18日 - 福島県警が福島第一原子力発電所から10 km圏内で双葉町内の捜索を開始。
    • 4月21日 - 福島第一原子力発電所から半径20 km圏内の警戒区域設定が決まる。翌日22日区域設定。町内全域が警戒区域となる。
    • 4月25日 - 福島県警と警視庁機動隊および双葉地方広域市町村圏組合消防本部の隊員などが防護服をまとい福島第一原子力発電所から5 km圏内で重機を使い本格的に行方不明者捜索を開始。この捜索により発見された犠牲者には死因が餓死だった者もおり、原発事故がなく、震災翌日の明朝などの早期に捜索が開始されていれば助かった命もあったことを裏付けている。
    • 5月26日 - 警戒区域への町民の一時帰宅開始。
    • 6月11日 - 警戒区域内(浜野地区)で双葉町慰霊祭を開催。
    • 7月1日 - 福島県内の応急仮設住宅に住民の入居開始。
    • 8月26日 - 福島第一原子力発電所から3 km圏内の一時帰宅開始。
    • 9月30日 - リステル猪苗代避難所を閉鎖。ピーク時には800人超が避難していた。役場職員は事務処理のためその後もしばらく滞在。
    • 10月28日 - 郡山市に「双葉町福島支所」を開設。
    • 12月12日 - 茨城県つくば市に「つくば連絡所」を開設。茨城県が国からつくば市にある国家公務員宿舎を借り上げ、それを無償で福島県からの被災者に提供したことから、つくば市に避難する住民の数が増え、それらの住民からの強い要望があったため。
    • 12月28日 - 環境相原発事故担当相細野豪志が福島第一原発事故による汚染廃棄物を受け入れる中間貯蔵施設を双葉郡内に整備する意向を福島県知事佐藤雄平と地元首長に正式に伝達[40]
  • 2012年(平成24年)
  • 2013年(平成25年)
    • 1月5日 - 井戸川が避難先の埼玉県加須市で行われた仕事始めの訓示で「帰還目標を暫定的に30年後とする」との方針を示す[42]
    • 2月12日 - 井戸川が辞職、副町長井上一芳が町長職務代理者となる。
    • 3月10日 - 伊澤史朗が町長に就任。
    • 5月28日 - 警戒区域が解除され、町域が「帰還困難区域」と「避難指示解除準備区域」の2つに再編される[43]。日中の立ち入りが許される「避難指示解除準備区域」に指定されたのは、町北東の沿岸部にある3地区(大字両竹・大字中野・大字中浜)で町域の4%に過ぎず、残り96%の地域は「帰還困難区域」に指定されており、除染と瓦礫撤去作業に携わる作業員以外の一般住民は一時帰宅を含めた町内への立ち入りが厳しく制限されている。
    • 6月11日 - 町長の伊澤が旧騎西高避難所閉鎖に向け、いわき市内に町民向けの集合住宅を新たに確保する方針を示し、「旧騎西高避難所の町民の約半数が埼玉県に残りたいと考えている」とのアンケート結果を県に報告したことを明らかにする[44]
    • 6月17日 - いわき市内に町役場仮庁舎「いわき事務所」開所[45]。役場機能が2年3ヶ月ぶりに県内に戻る。「双葉町福島支所」を「双葉町郡山支所」へ改称し、引き続き、主に会津中通り方面の避難者支援のため設置。
    • 7月19日 - 町は埼玉県加須市の旧騎西高避難所を閉鎖する方針を固め、避難所の住民に移転先の希望を聞く調査を行った[46]
    • 10月1日 - 「双葉町埼玉支所」を旧騎西高校から埼玉県加須市騎西総合支所内へ移転。
    • 12月27日 - 旧騎西高校避難所の入所者全員が退所。
  • 2014年(平成26年)
    • 3月27日 - 町は旧騎西高校避難所を埼玉県に返還。2013年12月に最後の住民が退去し、片付けと清掃が完了したため。町長の伊澤が埼玉県知事上田清司に鍵を返還して謝意を伝えた[47]
    • 5月7日 - 小学館が発行する漫画誌『週刊ビッグコミックスピリッツ』に掲載された漫画「美味しんぼ」に、福島第一原発を訪れた主人公らが原因不明の鼻血を出す場面があった問題で、町は小学館に抗議文を発送した。抗議文の内容は「原因不明の鼻血などの症状を訴える町民が大勢いるという事実はない」「風評被害を生じさせ、双葉町民と福島県民への差別が助長されると危惧している」というもの[48]
    • 6月30日 - 福島県南相馬市に「南相馬連絡所」を開設。
    • 8月24日 - 町がいわき市錦町に建設を進めてきた、ふたば幼稚園、双葉南、双葉北両小、双葉中の仮設校舎が完成し、落成式が行われた[49]
    • 9月14日 - 国道6号の町内の帰還困難区域の自由通行が可能となる。
    • 11月7日 - 町民向けに福島県が整備した県営の災害公営住宅、鉄筋コンクリート造り3階建て1棟(20戸)が郡山市で完成[50]
  • 2015年(平成27年)
    • 1月13日 - 原発事故に伴う除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の受け入れを町長が提案し、町議会が了承[51]
    • 3月25日 - 双葉町の仮置き場から中間貯蔵施設内にある一時保管場へ除染廃棄物の搬入を開始[52]
    • 4月16日 - 町教育委員会筑波大学が、町が保有する東日本大震災の資料をウェブサイト「福島県双葉町の東日本大震災関係資料を将来へ残す」で公開[53]
    • 5月20日 - 環境省による本格除染が始まる[54]
  • 2016年(平成28年)
  • 2017年(平成29年)
    • 3月22日 - 双葉町復興整備協議会を設立。
    • 5月1日 - 4月29日に落雷により浪江町井出地区の国有林で発生した山林火災が町内石熊地区にも延焼。平成以降福島県内最大規模の山林火災となる。これにより浪江町の対策本部へ町も合流し合同対策本部を設置、情報収集や自衛隊および消防隊の後方支援のため町職員を交代で現地に派遣。放射線量が高く人の立ち入りが禁止されている帰還困難区域内での消火活動は、自衛隊や宮城県などの隣県の消防防災ヘリコプターによる消火活動に加えて、自衛隊員や消防隊員等が、連日、十万山の登山口などから高線量の山林の中の火元まで行き、早朝から日没まで消火活動を行った。5月6日鎮圧、5月10日鎮火。この火災の焼失面積約75 haのうち町の焼失面積は約53 ha。鎮火まで動員した人数は述べ6,385人。
  • 2018年(平成30年)
    • 2月13日 - 双葉町ふれあい広場が中野地区から国道6号沿いに移転。
    • 5月9日 - 双葉町農地保全組合を設立。
    • 12月25日 - 原発事故による帰還困難区域を抱える町村の協議会が設立され同協議会へ加わる[57]
  • 2019年(平成31年・令和元年)
  • 2020年(令和2年)
    • 3月4日 - 避難指示解除準備区域および、双葉駅周辺の帰還困難区域の避難指示を解除。帰還困難区域の解除はこれが初めて[58]。この区域の解除により、同日、町内に「双葉町役場コミュニティーセンター連絡所」を開所。町民が町内で住民票の写しなどの各種証明書の交付を受けるとることが9年ぶりに可能となる[59]
    • 3月7日 - 常磐自動車道常磐双葉ICが整備され同日15時から開通。
    • 3月14日 - 双葉駅が、富岡駅 - 浪江駅間の復旧(常磐線全線復旧)に伴い営業再開[60]
    • 9月20日 - 東日本大震災・原子力災害伝承館が開館。
    • 10月1日 - 双葉町産業交流センター (F-BICC) が開所。
    • 10月25日 - 町内で震災後初めて前田稲荷神社に女宝財踊りが奉納される。
    • 12月10日 - 国道288号の山田 - 前田間の通行止めが解除され一般車両の通行が可能となり全線再開。これにより町(国道6号) - 郡山市(国道4号)間が9年9か月ぶりに迂回せずに通行可能になる[61]
  • 2021年(令和3年)
  • 2022年(令和4年)
    • 1月8日 - 1月9日 - 前年中止となった双葉町ダルマ市がいわき市勿来町の復興公営住宅で開かれる。町は令和4年中の帰還開始を目標としているため、いわき市で双葉町ダルマ市が開かれるのはこれが最後になる見通し[72]
    • 1月20日 - 帰還に向けた準備宿泊が開始される[73]
    • 5月12日 - 6月4日 - 避難指示解除に向けた住民説明会を開催する。
    • 8月27日 - 町役場が移転し開庁式が開かれる[74]

避難指示の一部解除・復興 編集

  • 2022年(令和4年)
    • 8月30日 - 特定復興再生拠点区域内での避難指示を約11年半ぶりに解除[74]
    • 9月2日 - 双葉町役場新庁舎の業務再開のため、コミュニティーセンター連絡所を閉所[1]
    • 9月5日 - 役場が町内での業務を新庁舎で11年半ぶりに再開[74]
    • 9月13日 - 議会が町内で11年半ぶりに開会される[75]
    • 9月23日 - 町内で東日本大震災後初めてふたばワールドが開催される[76]
    • 11月5日 - 双葉町合併70周年記念式典が開催される[77]
  • 2023年(令和5年)
    • 2月1日 - 双葉駅前の町営住宅建設地の一角に「双葉町診療所」が開所(原発事故以来12年ぶりの医療機関)[78]
    • 8月3日 - 原発事故後、町内初めての土産物を除く食品や日用品が購入できる常設店舗である「ファミリーマート双葉町産業交流センター/S店」が双葉町産業交流センター内に開店[79][80][81]
    • 8月5日 - 東日本大震災後初めて町内に、双葉町消防団第1分団と第2分団の屯所が復活[82]
    • 9月29日 - 三字行政区と下長塚行政区の一部が特定帰還居住区域に設定される[83]

行政・議会 編集

町役場 編集

 
2008年当時の旧庁舎
  • 福島県双葉郡双葉町大字長塚字町西73番地4(2022年8月27日開庁、2022年9月5日業務再開)[1][74]
    • 軽量鉄骨造2階、建築面積1,928.47 2、延べ床面積3,145.97 m2である[1]

旧町役場は福島県双葉郡双葉町大字新山字前沖28番地に所在したが、福島第一原子力発電所事故により2011年3月19日に埼玉県内に移転し、2013年6月17日にいわき市勿来地区に移転した。その後、双葉町いわき事務所がいわき市東田町二丁目19番地の4に置かれ、現庁舎の開庁まで実質的な町役場として機能していた[84]。また、町外の避難者への補助的役割として、県内外に以下の支所及び連絡所が置かれた。

  • 郡山支所(福島県郡山市朝日一丁目20番2号)
  • 埼玉支所(埼玉県加須市騎西36番地1 加須市騎西総合支所内)
  • 南相馬連絡所(福島県南相馬市原町区青葉町2-62-2)
  • コミュニティーセンター連絡所(双葉町大字長塚字町西39-22)2022年9月2日閉所
  • つくば連絡所(茨城県つくば市並木3-1 551棟)

2022年の町役場移転後も町外の避難者が多く、いわき事務所は支所となり、郡山支所や埼玉支所、南相馬連絡所、つくば連絡所はそのまま維持、双葉町内のコミュニティーセンター連絡所のみ閉鎖されることになった[74][1][85]

町長 編集

  • 町長:伊澤史朗(2013年〈平成25年〉3月10日就任、3期目)
  • 歴代町長[86]
氏名 就任 退任 備考
1 天野楯夫 1951年(昭和26年)4月30日 1955年(昭和30年)4月29日
2 冨沢理七 1955年(昭和30年)4月30日 1963年(昭和38年)4月29日 在職中町名変更
3 田中清太郎 1963年(昭和38年)4月30日 1985年(昭和60年)10月15日
4 岩本忠夫 1985年(昭和60年)12月8日 2005年(平成17年)12月7日
5 井戸川克隆 2005年(平成17年)12月8日 2013年(平成25年)2月12日
6 伊澤史朗 2013年(平成25年)3月10日 現職
  • 副町長:徳永修宏(任期:2020年4月1日 - 2024年3月31日)
  • 副町長:平岩邦弘(任期:2022年4月1日 - 2026年3月31日)

議会 編集

  • 定数:8人
  • 任期:2021年2月3日 - 2025年2月2日
  • 議長:伊藤哲雄(無所属)
  • 副議長:高萩文孝(無所属)

姉妹都市・友好都市 編集

施設 編集

地域 編集

人口 編集

2015年は全住民避難に伴い計測不能(0人)のため、記載されていない。


双葉町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


行政区 編集

出典[88]

  • 南地区(旧新山町):新山・下条・郡山・細谷・三字(前田・水沢・目迫)・山田(山田・松迫)・石熊
  • 北地区(旧長塚村、旧請戸村):長塚一・長塚二・下長塚・羽鳥・寺松(寺沢・松倉)・渋川・鴻草・中田・両竹・浜野(中野・中浜)

管轄 編集

その他 編集

経済・産業 編集

福島第一原発事故による町民の避難で経済活動は一時ほぼ途絶えたが、浅野撚糸(岐阜県)が2023年に新工場を稼働させる予定であるなど、産業復興も始まっている[89]

産業人口 編集

出典[90]

  • 第一次産業:263人(平成22年国勢調査
  • 第二次産業:912人(平成22年国勢調査)
  • 第三次産業:2170人(平成22年国勢調査)

町内に事業所を置く主な企業 編集

商業施設 編集

  • 伊藤物産株式会社(金物店)
  • 株式会社澤上石材工業(墓石・石材店)
  • 出光 双葉SS / 田中合名会社(ガソリンスタンド)
  • コスモ石油 双葉伊達屋SS / ㈱伊達屋(ガソリンスタンド)
  • ペンギン(飲食店)
  • せんだん亭(飲食店)
  • レストランエフ(飲食店)
  • サンプラザふたば(土産物店)

宿泊施設 編集

  • ビジネスホテルARM双葉

教育 編集

原発事故により双葉高等学校はいわき明星大学(現在の医療創生大学)に校舎を設置していたが、2017年(平成29年)4月より休校となった。また、小中学校および幼稚園は全て休校していたが、2014年(平成26年)から、福島県いわき市錦町に仮設校舎を設置している。

交通 編集

鉄道 編集

 
双葉駅

バス 編集

  • 東北アクセスシャトルバス) - 常磐線双葉駅前と中野地区復興産業拠点(東日本大震災・原子力災害伝承館、双葉町産業交流センター前)間を運行。運賃は2021年4月1日より片道、大人200円、子供100円[92]
  • 東北アクセス東京線バス - 伝承館・中野地区産業交流センターより東京駅行き高速バス「南相馬・双葉ライナー」がある[93]、全便運休中だったが2023年4月から運行再開した。
  • 東北アクセス福島線バス - 2023年9月より、南相馬市(原ノ町駅)と福島市(福島駅西口)を結んでいた高速バスが、双葉駅前まで延長された。
  • 新常磐交通 - 双葉駅前停留所、富岡駅 - FH2R(福島水素エネルギー研究フィールド)線が運行。富岡町、大熊町、浪江町を結ぶ路線。
    • 以下は福島第一原発事故発生時点で運行していた路線、現在は運休中。

道路 編集

一般国道
主要地方道
一般県道
高速道路

空路 編集

名所旧跡 編集

観光スポット 編集

  • 双葉ばら園 - 700種類、7,000株ほどのバラが咲いていたが、原発事故の影響により閉園中[95]
  • 双葉海水浴場 - 快水浴場百選日本の水浴場55選日本の水浴場88選に選ばれている。原発事故の影響で海水浴場としては開設されていない。
  • 双葉海浜公園 - キャンプ場やログハウスがあり海水浴場も近く、夏には多くの観光客に利用されていたが、東日本大震災による津波により全て消失した。
  • 前田川沿いの桜並木
  • せんだん温泉 -青年婦人会館内にある小さな温泉。原発事故の影響により閉館中。
  • 東日本大震災慰霊碑 - 国道6号沿い新山字下条にある。
  • OVERALLs wall art - 常磐線双葉駅前の建物の壁に描かれたアート作品。
  • Futaba Art District. HERE WE ARE~ヨイショ!~

祭事・催事 編集

  • 双葉町ダルマ市:毎年1月に開催[96]。2011年秋に町民有志が結成した「夢ふたば人」が翌年1月、避難先である福島県いわき市の仮設住宅で開き、新型コロナ禍で中断した2021年を除いて同市で続け、2023年1月7日、12年ぶりに双葉町で復活させた[97]
  • 標葉せんだん太鼓
  • 双葉町ミニ野馬追神旗争奪戦:相馬野馬追への参加に加え期間中に双葉町内において双葉町騎馬隊により行われる。現在は、原発事故の影響により実施されていないが、双葉町騎馬隊は標葉郷として現在も相馬野馬追に参陣している。
  • 前沢の女宝財踊り
  • 山田のじゃんがら念仏踊り
  • ふたば音頭
  • 奉納神楽
  • スポーツフェスティバル - 原発事故の影響により行われていなかった町民体育大会に代わり開催されている。
  • 初日の出参拝:毎年1月1日、双葉海水浴場において標葉せんだん太鼓の演奏とともに行われていたが、現在は、原発事故の影響により行われていない。
  • 源弱山の火明かし:毎年8月13日の夜に鴻草地区で「山」の字を逆さまにした形で火をたく行事[98]。現在は、原発事故の影響により行われていない。
  • 町民盆踊り大会 - 現在は、原発事故の影響により行われていない。
  • 交通安全鼓笛隊パレード - 南北小学校の児童などにより行われていた。現在は、原発事故の影響により行われていない。
  • 太鼓フェスティバル - 現在は、原発事故の影響により行われていない。
  • サマーチャレンジinふたば - 現在は、原発事故の影響により行われていない。
  • 町民山登り大会 - 現在は、原発事故の影響により行われていない。
  • 産業まつり - 現在は、原発事故の影響により行われていない。
  • 新山秋市 - 毎年11月に新山商店街で双葉町産業まつりとともに行われていた。現在は、原発事故の影響により行われていない。
  • 夢王国ふたば - 双葉駅前などで冬のイルミネーションが点灯していた。現在は、原発事故の影響により行われていない。

名産 編集

  • 双葉ダルマ
  • 相馬漬け
  • 梅のワイン漬け

出身著名人 編集

その他 編集

町民憲章 編集

  • 自然を愛し,美しく清潔なまちをつくりましょう。
  • 先人を敬い,笑顔といたわりで心のふれあうまちをつくりましょう。
  • 古きをたずね,伝統と未来をみつめて躍進するまちをつくりましょう。
  • 創造性を豊かにして,個性ある薫り高い文化のまちをつくりましょう。
  • 元気で働き,若さのみなぎる楽しく明るいまちをつくりましょう。

キャラクター 編集

  • フタバくん
  • 双葉ダルマさん
  • キヨトくん
  • せんだんちゃん

ドキュメンタリー 編集

双葉町と関連のある作品 編集

脚注・出典 編集

  1. ^ a b c d e 『広報ふたば』2022年8月号 災害版No.135” (pdf). 双葉町. 2022年8月27日閲覧。
  2. ^ 双葉町役場が業務開始 住民帰還受け11年半ぶり日本経済新聞(2022年9月5日配信の共同通信ニュース)2022年12月10日閲覧
  3. ^ 双葉町における避難指示の解除について(別添1)指示 (PDF) 経済産業省
  4. ^ 福島県庁 (2020年3月10日). “避難指示区域の状況”. ふくしま復興ステーション 復興情報ポータルサイト. 2020年8月13日閲覧。
  5. ^ 全国の避難者数”. 復興庁. 2022年12月21日閲覧。
  6. ^ 「双葉町産業交流センター」10月1日開所!通称はエフ・ビック 福島民友ニュース(2020年09月30日配信)2020年10月21日閲覧
  7. ^ a b 東日本大震災に係る福島県借上げ住宅の供与期間の延長について - 福島県ホームページ”. www.pref.fukushima.lg.jp. 2021年8月1日閲覧。
  8. ^ a b 借り上げ住宅などの無償提供を1年延長 大熊町と双葉町の避難者対象 福島県」『福島民報』。2021年9月6日閲覧。
  9. ^ 応急仮設住宅に関するお知らせ - 福島県ホームページ”. www.pref.fukushima.lg.jp. 2021年8月1日閲覧。
  10. ^ 応急仮設住宅・借上げ住宅・公営住宅の進捗状況(入居状況)- 福島県ホームページ”. www.pref.fukushima.lg.jp. 2021年8月1日閲覧。
  11. ^ 医療費一部負担金等免除期間の延長について| 双葉町公式ホームページ”. www.town.fukushima-futaba.lg.jp. 2021年8月1日閲覧。
  12. ^ 介護保険をご利用の皆様へ(介護保険関係書類の送付)| 双葉町公式ホームページ”. www.town.fukushima-futaba.lg.jp. 2021年8月1日閲覧。
  13. ^ 原子力災害に伴う国民年金保険料特例免除の期限延長について| 双葉町公式ホームページ”. www.town.fukushima-futaba.lg.jp. 2021年8月1日閲覧。
  14. ^ 令和3年度町税の免除、減免等について(お知らせ)| 双葉町公式ホームページ”. www.town.fukushima-futaba.lg.jp. 2021年8月1日閲覧。
  15. ^ 福島県避難市町村家賃等支援事業について【大熊町、双葉町の皆さまへ】(令和3年3月31日公表)- 福島県ホームページ”. www.pref.fukushima.lg.jp. 2021年8月1日閲覧。
  16. ^ 高速道路の無料措置期間が延長されます| 双葉町公式ホームページ”. www.town.fukushima-futaba.lg.jp. 2021年8月1日閲覧。
  17. ^ 令和2年度「双葉町住民意向調査」調査結果(速報版)の公表について| 双葉町公式ホームページ”. www.town.fukushima-futaba.lg.jp. 2021年8月5日閲覧。
  18. ^ a b 双葉郡双葉町 - 市町村詳細データ”. ふくしま・ふるさとUIターン(公式ウェブサイト). 双葉町. 2011年4月3日閲覧。
  19. ^ 成衡は後三年の役の際に討ち死にしたとの記録もある。その場合、その子である隆義が約100年後の保元年間に標葉郡を統治していた可能性は低い。
  20. ^ 海道筋の岩城氏、岩崎氏、行方氏、楢葉氏、標葉氏は清原成衡の系譜で奥州藤原氏とは姻戚関係にあったと伝わる。
  21. ^ 戦国時代の始期については、応仁の乱明応の政変、東北地方では永享の乱を始まりとするなど説が多くそれぞれ年が異なる。近年有力説とされる明応の政変を始期とした場合、相馬氏による標葉郡統治が始まった翌年のためここでは戦国時代ではなく室町時代後期と表記する。
  22. ^ 合併当時の表記は雙葉郡となる。
  23. ^ 2021年時点、忠魂碑がある新山神社の裏ではなく、新山町の高万迫付近にあった公園。現在の忠魂碑はそこから移動されたものと伝わる。
  24. ^ 人物検索 | うつくしま電子事典”. www.gimu.fks.ed.jp. 2021年9月27日閲覧。
  25. ^ 御真影を盗み出し、小学校校長を脅迫『中外商業新報』昭和10年12月25日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編(昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)p.656
  26. ^ 総理府告示第150号「町村の廃置分合」(1951年5月19日)
  27. ^ 総理府告示第135号「町の名称変更」(1956年3月31日)
  28. ^ 上岡村から町制施行した双葉町が1950年4月1日から1955年3月31日まで存在していたため、「双葉町」という名称はこの自治体が2代目ということになる。
  29. ^ 総理府告示第94号「町の境界変更」(1958年4月1日)
  30. ^ 総理府告示第110号「町の境界変更」(1960年4月1日)
  31. ^ [ルポ]「原発事故から6年、まだ故郷に戻れません」 韓国『ハンギョレ新聞』2017年3月9日(2021年5月8日閲覧)
  32. ^ 主に介護保険制度開始に伴う高齢者支援のための施設. 
  33. ^ 南幼稚園を廃止し北幼稚園に統合. 
  34. ^ 【あの時の判断】元川俣町長・古川道郎氏 避難説明に心砕く 山木屋の未来、住民と懇談」『福島民報』。2021年8月6日閲覧。
  35. ^ 双葉町 役場ごとさいたま市へ - NHK(2011年3月19日付)
  36. ^ a b 東日本大震災:アリーナ避難者、全員移転終える/埼玉[リンク切れ]」『毎日新聞』2011年4月1日付
  37. ^ 双葉町 公式ウェブサイト〈災害版〉、2011年4月1日閲覧。
  38. ^ 「福島・双葉町の避難住民、加須市の廃校に避難場所移転」[リンク切れ]FNN(2011年3月30日配信)
  39. ^ “福島原発事故 集団避難・双葉町の小中高生 制服新調や転入説明会”. 東京新聞 (駐日新聞東京本社). (2011年4月3日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20110403/CK2011040302000063.html 2011年4月3日閲覧。 
  40. ^ “大熊、双葉町など候補地 中間貯蔵施設 環境相が正式要請”. 福島民報 (福島民報社). (2011年12月29日). http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/12/post_2883.html 2015年3月23日閲覧。 
  41. ^ “会長の井戸川双葉町長辞任 後任に山田広野町長 双葉地方町村会”. 福島民報 (福島民報社). (2012年12月11日). http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/12/post_5713.html 2015年3月26日閲覧。 
  42. ^ “双葉町長「帰還まで30年」 仕事始めで表明 セシウム半減期理由に”. 福島民報 (福島民報社). (2013年1月5日). http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/01/post_5888.html 2015年3月26日閲覧。 
  43. ^ 福島・双葉町、2区域に再編 住民帰還、見通し立たず 」MSN産経ニュース(2013年5月28日付)
  44. ^ “いわきに集合住宅確保へ 双葉町、避難所閉鎖見据え”. 福島民報 (福島民報社). (2013年6月12日). http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/06/post_7384.html 2015年3月26日閲覧。 
  45. ^ “古里絆より強く 顔合わせ活動充実へ 双葉町役場いわき開所 「つながりなくさない」”. 福島民報 (福島民報社). (2013年6月18日). http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/06/post_7444.html 2015年3月26日閲覧。 
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参考文献 編集

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  • 『双葉郡誌』(福島県教育委員会、1904年)
  • 『双葉町東日本大震災記録誌』(福島県双葉郡双葉町、2017年)
  • 『双葉町町勢要覧』(福島県双葉郡双葉町)

関連項目 編集

外部リンク 編集