長友佑都

日本のサッカー選手 (1986-)

長友 佑都(ながとも ゆうと、1986年9月12日 - )は、愛媛県東予市(現:西条市)出身のプロサッカー選手JリーグFC東京所属。ポジションはディフェンダー(センターバック、左サイドバック)、ミッドフィールダー(ウイングバック[7]、サイドハーフ[8])。日本代表

長友 佑都
2018年
名前
愛称 ナガ[注 1]、モトリーノ[注 2]、ナガティエロ[注 3]
カタカナ ナガトモ ユウト
ラテン文字 NAGATOMO Yuto
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-09-12) 1986年9月12日(37歳)
出身地 愛媛県東予市(現:西条市
身長 170cm[6]
体重 68kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 FC東京
ポジション DF(SB[7]
MF(WB[7]、SH[8]
背番号 5
利き足 右足[9]
ユース
1999-2002 西条市立西条北中学校
2002-2005 東福岡高等学校
2005-2007 明治大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2010 日本の旗 FC東京 72 (5)
2010 イタリアの旗 チェゼーナFC(loan) 16 (0)
2011 イタリアの旗 チェゼーナFC 0 (0)
2011 イタリアの旗 インテル・ミラノ(loan) 13 (2)
2011-2018 イタリアの旗 インテル・ミラノ 157 (7)
2018 トルコの旗 ガラタサライSK(loan) 15 (0)
2018-2020 トルコの旗 ガラタサライSK 32 (2)
2020-2021 フランスの旗 オリンピック・マルセイユ 25 (0)
2021- 日本の旗 FC東京 69 (2)
代表歴2
2007-2008  日本 U-23 2 (0)
2008- 日本の旗 日本 142 (4)
獲得メダル
男子サッカー
 日本
AFCアジアカップ
2011 カタール
2019 UAE
EAFF E-1サッカー選手権
2010 日本
1. 国内リーグ戦に限る。2024年3月16日現在。
2. 2022年12月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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チャンネル
活動期間 2020年4月13日 -
ジャンル サッカー
登録者数 25.1万人
総再生回数 24,364,069回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2020年12月7日時点。
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妻はタレントで女優平愛梨

来歴

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生い立ち

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愛媛県西条市(旧・東予市)生まれ[10]。父の実家は大きな新聞販売所を経営しており、父方の祖父母の家で三世代で暮らしていた[10]。小学1年生の時にサッカーを始めた[11]

小学3年生の頃に両親が離婚し、母の地元西条市の実家近くへ引っ越す[10]。母子家庭であることを周囲に隠したがっていた[10]

西条市立神拝小学6年生の時に愛媛FCジュニアユースのセレクション不合格[12][13]

西条市立北中学校在学時に恩師である井上博に出会い[14]、この時期の走り込みにより現在の豊富な運動量のベース、体幹が作られている[12][14][15][16]2001年のU-15全日本ユース選手権では県3位の成績を残した[17]

2002年、サッカーの強豪東福岡高校に進学。森重潤也の下で2年生時に1ボランチとしてレギュラー入りしたが[15][18]、地区選抜などには選ばれず全国的には無名だったためスポーツ推薦を得られず[19]、進学先の明治大学政治経済学部[20][21]には指定校推薦で入学した[22]。高校時代の同級生には近藤徹志ラグビー日本代表豊田将万などがいる。

明治大学時代

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2005年、明治大学サッカー部入部。神川明彦監督によって右サイドバックへコンバートされた[19]。神川は長友を右サイドバックにコンバートした理由について、フィジカルの強さ、走力、攻撃の完結力を生かすためであると語る[23][15][注 4]。このポジションでのプレーをものにしつつあった矢先、入部早々に発症した椎間板ヘルニアを再発[19]。試合に出場できずスタンドで応援する日々が続いた。

2006年8月にかけて復帰し、後期リーグの開幕戦で入部以来初の先発出場[25]。椎間板安定の為に腰周りの体幹筋を鍛えたことも奏功し[26]、復帰後3試合ほどで神川が「別格」と評するほどのプレーを見せるようになった[27]。身体能力の強さから3バックで臨む際にはセンターバックを務めたこともあった[28]。ここから急速に頭角を現し、全日本大学選抜やユニバーシアード代表にも選出された[29]。同学年には藤田優人林陵平橋本晃司らがいた。

2007年3月に行われたFC東京との練習試合におけるFWリチェーリとのマッチアップが当時の監督・原博実などFC東京関係者の関心を引き[30]、5月から特別指定選手としてFC東京の練習に参加[21]。7月8日のナビスコカップ準々決勝の対横浜FM戦で途中起用され公式戦デビュー。さらにU-22日本代表として北京オリンピックアジア二次予選のマレーシア戦に選出[31][注 5]。右ウイングバックで出場し、ダイビングヘッドでの先制点に加えて[25]PKを獲得するなどの活躍を見せた。

FC東京時代(第1次)

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大学卒業を待たずしてプロに進むことを決意し[7][13]、2008年に在学したままサッカー部を退部して[注 6]FC東京と正式契約を結んだ[33]。神川は長友を2008年度のサッカー部副将に据えるつもりでいたが、長友の強い決意に触れてこれを撤回[34]。サッカー部を1年残して退部しFC東京とのプロ契約を決断した理由の一つに、「女手一つで自分を含む3兄弟を育てる母に経済的に早く楽をさせたかった」ことを挙げている[35][9][7]。3月8日、リーグ開幕戦の神戸戦から、前年までレギュラーだった金沢浄らを押しのけて先発出場を果たす[13]。5月3日、第10節大宮戦でJリーグ初得点を決めた[13]。東京加入後の主ポジションは左サイドバックであったが[36]、同年後半、当時の監督城福浩は、東京のその時点でのチーム状況や対戦相手の選手の特長によって、右サイドバックを主としていた徳永悠平[注 7]と長友を左右入れ替えて起用した[39]

5月18日には岡田武史率いる日本代表に初招集され、5月24日のキリンカップコートジボワール戦にフル出場して代表初出場を記録。11月13日のキリンチャレンジカップシリア戦では先制のミドルシュートを決め代表初得点を記録した。また、同年の北京オリンピック日本代表に選出され[40]本大会にも出場したが、チームはグループリーグ3戦全敗に終わり、後に「余裕がなかった」「思い通りのプレーはできなかった」と語っている[41]

2009年からはフィジカルコーチの土斐﨑浩一とともにアップダウンの質の向上を目指し走法の改良に着手[42]。運動量と、強靭なフィジカルを活かしたスピード感のあるプレーに磨きをかけた。同年12月に日本代表の特別講師を務めた川本和久からは、代表選手の中で唯一長友だけが「文句なし」のランニングフォームであると評価された[43][14]。同年後半からは攻撃の駒としてサイドハーフに上がり、サイドバックには椋原健太らが投入されるという起用法も見られ[8]、東京のナビスコカップ優勝に貢献するなど、ユーティリティー性を発揮し、この年のJリーグベストイレブンにも選出された[44][13]

2010年の南アフリカワールドカップでは、全4試合に左サイドバックでフル出場を果たした[13]。グループリーグ第1戦のカメルーン戦では後にチームメイトとなるサミュエル・エトオを徹底マークし完封、第2戦のオランダ戦においては途中出場したエルイェロ・エリアのポジションに合わせて右サイドバックにポジションチェンジするなどエースキラーとして活躍し、日本代表の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。同大会から国際サッカー連盟(FIFA)が導入したレーザー計測によると、長友のトップスピードは第1戦のカメルーン戦では時速30.13 km[45]、第2戦(オランダ)では同26.70 km[46] と、両試合共に対戦相手を含めて最速を記録した[注 8]。また、この活躍により地元の愛媛県から愛媛県文化・スポーツ賞を授与された[49][13]

7月14日、ワールドカップでの活躍が評価され、セリエAに20シーズンぶりに昇格したACチェゼーナへ買い取りオプション付きでのレンタル移籍が決定[50]。退団セレモニーの際は「みなさんと別れるつもりはありません。世界一のサイドバックになって、また青赤のユニホームを着たいです」と涙ながらに語り、東京サポーターから拍手でイタリアに送り出された[51]

ACチェゼーナ時代

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チェゼーナ時代 (2010年)

チェゼーナでは自ら希望した背番号5番を譲り受け[37]、左サイドバックとして開幕戦のローマ戦からフル出場。当時のチェゼーナ監督のマッシモ・フィッカデンティからは「長友は左右どちらもいいが、ポゼッションとビジョンの点では左の方がいい」と評され[52]、試合に応じ両サイドで起用(試合展開によっては前線に入る)され、11月21日の第13節パレルモ戦ではチェゼーナ加入以来初となるアシストを決めた[53]。その後、12月18日の第17節カリアリ戦までフィールドプレーヤーではチーム唯一の全試合フル出場を続け、強化部長のロレンツォ・ミノッティからは「(長友は)とてもいいプレーをキープしており、人間的にも素晴らしくロッカールームを団結させる存在」と高く評価された[54]。また、本人もセリエAでの経験から、トップレベルの相手に対する間合いの取り方を体得し、走力、フィジカルの更なる向上の手応えを掴んだと語っている[55]

2011年に開催されたアジアカップでは全6試合にフル出場[13](日本代表では長友と今野泰幸のみ)し、決勝のオーストラリア戦では試合途中に左サイドバックから左サイドハーフにポジションを上げて、李忠成の決勝点をアシストするなど日本代表のアジア制覇に貢献した[56]

インテル・ミラノ時代

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インテル時代 (2011年)

2011年1月31日、移籍金約2億円で[57] チェゼーナへ完全移籍した[58]。しかし冬の移籍市場の最終日でもある同日、元鹿島アントラーズ、元サッカーブラジル代表で、前年12月にインテル監督に就任したばかりのレオナルドの熱望もあり、ダビデ・サントンとのトレードで、2010-2011シーズン終了まで電撃的にレンタル移籍が決定した[59][60][61]。背番号は55番[注 9]

同年2月6日、セリエA第24節ローマ戦でインテルでのデビューを飾り、3月6日の第28節ジェノア戦にてセリエA初得点を決めた。3月15日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦2ndレグのバイエルン・ミュンヘン戦では、途中出場で日本人4人目となるCL決勝トーナメント出場を果たし、アウェーでの勝利に貢献[63]。準々決勝では内田篤人が所属するシャルケ04との対戦となり、CL初の日本人対決を演じ、2ndレグでは両チーム最長の走行距離を記録し[64][65]、地元紙から高評価を得たものの[66][65]、チームはここで敗退。5月22日のリーグ最終節カターニア戦ではリーグ戦2得点目を挙げた。5月29日、シーズン最終戦となったコッパ・イタリア決勝のパレルモ戦では右SBとしてフル出場し、イタリアでの初タイトルを手にした。

2011-12シーズンの始動日となった7月1日、5年契約でインテルへの完全移籍が発表された[67][68]。12月10日の第15節フィオレンティーナ戦と、12月13日の第11節(悪天候による延期開催)ジェノア戦で自身初の2試合連続ゴールを挙げ、12月21日のレッチェ戦では2アシストの活躍を見せた。2011-12シーズンのインテルは不振により、2度の監督交代があり、交代当初は起用されないこともあったが、最終的にレギュラーの座を確保した。

2012年10月7日のセリエA第7節ACミランとのミラノダービーで2枚のイエローカードを受け、自身初の退場処分となった[69]。12月9日に行われたセリエA第16節ナポリ戦でイタリアでの公式戦100試合出場を果たした[70]。2013年1月にはレアル・マドリードへの移籍が噂されたがインテルでのパフォーマンスに集中したいとコメントし、クラブへの残留を強調した。2013年2月25日、第26節のミラノダービーで同点ゴールをアシストするも直後に左膝を負傷し途中退場。以後、出場から遠ざかり4月14日の第32節カリアリ戦で復帰するも左膝痛を再発しわずか8分で負傷退場となってしまった。後日、左膝半月板損傷と診断され手術が必要とされたが[71]、保存療法を選択することで手術を回避し、シーズン終盤に復帰を果たした。

2013年8月27日の2013-14シーズンのセリエA開幕戦ジェノア戦では1年8ヶ月ぶりの得点を挙げ、第2節のカターニャ戦でもヘディングシュートを決め、2試合連続ゴール。得点に絡むべく、ゴール前に走り込むプレーを繰り返した[72]。同年12月22日のミラン戦において、後半に交代でピッチを去るエステバン・カンビアッソからキャプテンマークを受け継ぎ、移籍4シーズン目にして初めてゲームキャプテンを任された。この年、アジアサッカー連盟から国際最優秀選手賞に選出された。2013-14シーズンはシーズン通して大きな怪我もなく、最終的に自己最多の5得点6アシストを記録するなど[73] 攻撃面でも大きな向上を見せたが[74][75]、チームは2年連続でCL出場権を逃した。

2014年のFIFAワールドカップではグループリーグ全試合にフル出場。第1戦コートジボワール戦では本田圭佑の先制ゴールをアシスト[76][77]したが、自身の背後のスペースを狙われて[78] 左サイドで数的不利の状況を作られ連続失点[79][77]。走行距離では3試合で、スプリント数及び最高時速では2試合で両チームトップの記録を残すなど[注 10]死力を尽くしたが[82]、2戦目・3戦目での攻撃参加は得点に結びつかず[82]グループリーグ敗退に終わった。

2014-15シーズン、インテルの副主将に就任[83]2015年1月開催のAFCアジアカップでは準々決勝UAE戦で右太もも肉離れを起こし、日本代表もここで敗退[84][85]。同大会後、初の先発出場となった同年2月のパレルモ戦でも右太ももを痛め、長期離脱。これが、長友にとってシーズン4度目の故障となった[84]。5月のラツィオ戦から戦列復帰[86]

2015-16シーズン当初は、サイドバックの補強が進められたために長友は余剰人員となり[87] サイドバックでのポジション争いにすら参加できず[88] 一時は売却対象となった[89]。イタリア国内外から複数のオファーが寄せられたが、インテル残留を希望し移籍を拒否[90]。残留は叶ったものの、途中出場した第2節カルピ戦で失点に絡むミスをしたことも重なり[91] 苦しい立場は続き[92] 第3節から第8節までは出場機会なし。しかし、放出確実と目される中でもコンディション作りを怠ることなく、約2ヶ月ぶりの出場、シーズン初先発となった第9節パレルモ戦では気持ちの入ったプレーで好アピール[93][94]。第11節ローマ戦でも守備に冴えを見せ[95]、復権に成功した[96]。クラブからは契約の更新を打診され[97]、2016年4月に2019年6月末までの契約延長を発表[98]。同年にはマンチェスター・ユナイテッドFCリヴァプールFCからのオファーが届いたが、インテルでのプレーを希望し拒否した事をクラブの公式サイトで明かした。

2017年4月15日、第32節のACミランではミラノダービーでフル出場を果たした。シーズン終了後には移籍の噂も報道されたが、残留した。

2017-18シーズン、9月17日に行われた第4節のFCクロトーネ戦で途中出場し、インテル通算200試合を達成した[99]。シーズン序盤はレギュラーの座を確保していたが、11月19日のアタランタBC戦以降はダビデ・サントンや新加入のダウベルトジョアン・カンセロなどとポジション争いを繰り広げている[100]

2017年11月10日の国際親善試合ブラジル戦で日本代表では7人目となる国際Aマッチ100試合出場を達成。

ガラタサライ時代

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インテル加入以降、数々の選手とのポジション争いを制してきたが2017年11月頃から出場機会が激減。2018年1月31日、出場機会を求め、トルコスュペル・リグガラタサライSK期限付き移籍[101]。4月29日、第31節のベシクタシュJK戦とのダービーではアシストを記録して勝利に貢献した[102]。2月5日の20節以降のリーグ戦には全てスタメン出場し、5月20日の最終戦にもフル出場してチームは勝利、ガラタサライの3年ぶり21度目のリーグ優勝に貢献した。シーズン終了後に、ガラタサライへの完全移籍が発表された。

 
ロシアワールドカップには髪を金に染めて臨んだ

6月、ロシアワールドカップのメンバーに選出され、W杯3大会連続出場を果たす。大会前に髪色を金にして話題を集めた[103]。グループリーグ3試合にフル出場し、第2戦のセネガル戦では乾貴士の得点をアシストし[104]、GL突破に貢献[105]。しかし、チームは決勝トーナメント1回戦で敗れてベスト16止まりとなった。3大会でW杯11試合出場は、川島、長谷部と並び日本人最多出場となった[106]

2019年1月、AFCアジアカップ2019のメンバーに選出され、アジアカップ3大会連続出場を果たした。大会では、レギュラーとして活躍するも、チームは準優勝となった。2月24日に行われた第23節のアクヒサル・ベレディイェスポル戦で十字靱帯損傷により戦列離脱となったが、4月20日に行われた第29節のカイセリスポル戦で復帰し、その復帰戦で移籍後初ゴールを挙げた[107]

2020年は、外国人選手の人数規定によりガラタサライ側から戦力外通告を受けた。同年6月30日に契約満了し退団した[108][109]

マルセイユ時代

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2020年8月31日、リーグ・アンに所属するオリンピック・マルセイユへ加入した。背番号は25番[110]。9月20日、リール戦でデビューした。リーグ・アン第26節のナント戦で移籍後初アシストをした。2021年7月、1年でマルセイユ退団が発表された。

FC東京復帰

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2021年9月12日、FC東京に完全移籍で加入することが発表された。11年ぶりの復帰となる[111]。背番号はこれまで付けたことがなかった50で、かつてFC東京、及び日本代表で付けていた背番号5と、原点に戻るという意味の0を合わせたものとなった。

2022年11月、2022カタールW杯に臨む日本代表に選出[112]。フィールドプレーヤーとしては史上初、ゴールキーパーを含めても同大会で選抜された川島永嗣を含め歴代4人目のタイ記録となる4度目のワールドカップ日本代表に選出となった[113]。大会前には金髪から赤髪に変えて話題を呼び[114]、大会中にはグループリーグでW杯優勝経験があるドイツとスペインを破り、試合後のインタビューで「ブラボー!」を連呼した事も話題を集めた[115]。チームは決勝トーナメント1回戦で敗れて目標のベスト8に届かなかったものの、長友は全4試合にスタメン出場し、歴代W杯日本代表最多の通算15試合出場を達成した[116]

W杯前は「年齢的にもそろそろ引退かな...」と答えていたが、W杯後は「これが面白いからサッカー選手はやめられねぇだよ(笑)」と答え、その後、FC東京に残留するとの発表があった。

2023年、加齢による肉体的な強度の低下をメディアやツイッター上で懸念されていたが、堂々たるパフォーマンスをみせて、ルヴァンカップ準々決勝のアビスパ福岡戦では大学時代以来のセンターバックで起用された[117]

2024年3月、実力と周囲に好影響を与える安定した人柄が評価されて日本代表に復帰した。3月16日にはJ1で14年振りの得点を決めた[118]

人物

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好きな芸能人は平愛梨。好きな女優も平愛梨[119]

仲の良い選手は香川真司[120]

対戦して衝撃を受けた選手はキリアン・エムバペで、理由はスピードが速すぎるから[121]

地元の好きなところは西条祭り[122]

ファン・サポーターへのひと言は「みんなブラボー」[123]

サッカーを始めたきっかけは、当時好きな女の子にモテたかったから[124]

7歳でサッカー選手を目指し始めた[125]

プロサッカー選手になるために意識していた事は、誰よりも努力することであり、体幹トレーニングを特に意識した[126]

2023年、新たな趣味でピアノを始めたが、3日で挫折した[127]

家族

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スポーツ一家の第二子長男(一つ上の姉と二つ下の弟がいる[128])。母方の祖父は第1回小倉競輪出走者である元競輪選手の吉田達雄[129]。達雄の弟で同じく元競輪選手の吉田実大叔父にあたる。父方の祖父は明治大学出身の元ラガーマン。2023年時点で妻との間に四子に恵まれており[注 11][130]、2022年6月にはベスト・ファーザー イエローリボン賞を受賞。

プレースタイル

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豊富な運動量と抜群のスピードが武器のサイドバック。また、俊敏性に優れて1対1に強く、上背はないが大型FWにも競り負けないフィジカルと身体能力の高さを併せ持つと評された[131][132][133]

イタリアのスポーツ紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』では長友について「インテルに欠けていた闘争心に飢えている象徴的存在」と評している[134]

評価

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選手として

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  • 概ねパフォーマンスが安定して高い事に加えて、メンタル面で安定して明朗な人柄であり、2024年3月にはそのトップクラスの実力と、おとなしい選手が多い日本代表の中で、コミュニケーションのすり合わせなどの面も期待されて招集された[135]
  • 明治大学在学中に教職課程にも通った。卒業論文のテーマは「イギリス文化研究」[136]
  • 幼少期に和太鼓を習っていた経験から[137]、明治大学で負傷欠場していた際は出場選手を太鼓で応援。そのリズムはスタンドの話題となり[138]鹿島アントラーズのサポーター集団IN.FIGHTから勧誘を受けるほどだった[11]
  • U-22代表に選考されたきっかけは、2007年1月初旬に明大監督の神川明彦が同大の1年後輩であり当時U-22代表のコーチを務めていた江尻篤彦に「どうしても見て欲しい選手がいるので、だまされたと思って一度(長友の)プレーを(試合会場まで)見に来て欲しい」と連絡し、総理大臣杯準々決勝を江尻が視察に訪れたことがきっかけとなった[139][25]。神川は「(後輩の)江尻が(U-22代表の)コーチでなければ電話はできなかった。直接話せる人がそういう立場(U-22代表のコーチ)にいることはなかなかないし、運命だった」と語っている。
  • 2010年2月、FC東京がキャンプ地としている宮崎県都城市の特派大使に任命された[140]。同市は、父方の祖父の出身地でもあり、名前の「佑」もここから付けられた。5月には、既にFC東京選手会および城福監督が口蹄疫被害への義援金を同市に提供していたが、個人としても義援金を提供[141]
  • 地元愛媛県の久万高原天体観測館職員中村彰正は、自ら発見した小惑星(登録番号158241)に『Yutonagatomo』と命名している[142]
  • インテル加入に際し、長友はイタリア語で書かれた契約書を読めず交渉が難航していた。困ったレオナルドは日本に国際電話をかけ、親交のあった鈴木国弘(ジーコJAPAN通訳)に通訳を依頼[143]。レオナルドがイタリア語からポルトガル語へ、鈴木がポルトガル語から日本語へ翻訳し、長友に伝えられ無事に契約書へサインした。
  • セリエA初得点を決めたときにハビエル・サネッティと披露したお辞儀のパフォーマンスは地元紙で大きく報じられた[144]。このお辞儀は元々、長友がインテルの練習で行っているもので、いまでは長友がお辞儀をすると観客もお辞儀を返すほど有名になった。当初はゴールパフォーマンスだったが、「お辞儀」が広く認知されたことでアシストなど長友が活躍した場合にも、選手たちが輪になってお辞儀をする光景が見られた。また若手選手の下部組織であるプリマヴェーラでも、ゴールの後にお辞儀を行う場合がある[145]
  • インテル移籍後の2011年4月30日、アウェーのチェゼーナ戦では、チェゼーナに在籍していたシーズン前半で16試合にフル出場しチームに多大な貢献を与えたという理由で、試合前にチェゼーナのマンチーニ副会長から特別表彰のトロフィーが贈られた[146]。また2011年12月18日のアウェー戦でも試合開始前にチェゼーナサポーターから「ユウト」コールが上がり長友もこれにお辞儀で応えるなど、わずか半年間の在籍にもかかわらずチェゼーナとはクラブ、サポーター共に非常に良好な関係を保っている[147]
  • インテル在籍時のチームメートだったヴェスレイ・スナイデルとは公私共に仲が良く、スナイデルが自宅に招いた長友とチャンピオンズリーグを一緒にテレビ観戦する様子をtwitterに投稿して話題となった[148]。またキャプテンのサネッティは長友について「ユウトはたまたまインテルでポジションを手に入れたわけではない」とサッカー選手として評価しながらも、「時々、動くクマのぬいぐるみじゃないかと思っちゃうんだよね。かわいすぎるよ!あんなにチームのフィーリングとマッチする選手って、滅多に居ないんじゃないかな。だからみんなから好かれてるんだよ」と語っている[149]
  • アントニオ・カッサーノはインテルに移籍した際の記者会見で、以前から顔見知りだった長友の名前を挙げ「私がインテルに来たのは、長友のためというのもあります」「ユウトはすでに私の愛弟子になっています」と発言し、会場の記者たちの笑いを誘った[150]。その後、練習やプライベートでの親密ぶりはもとより、試合でも攻撃で抜群のコンビネーションを見せた。両者の関係はカッサーノがインテルを去ってからも良好で、頻繁に電話やメールのやりとりを続けている[151]
  • インテルの会長マッシモ・モラッティはチームで最もフレンドリーな選手に長友を挙げ、「チームのマスコットとなり、震災の影響を感じさせず明るく振舞っている」と評価している[152]。チームの合宿でも他の選手から「同じ部屋にいると楽しめる」という理由で同室を希望する声が殺到したり[153]、新シーズンに向けたイベントでは5,000人のサポーターをチャントで煽り盛り上げるなど[154]、卓越したコミュニケーション能力を見せた。チェゼーナでチームメイトだったジュゼッペ・コルッチは「長友は日本人なんかじゃない。あれはラテンの血が混ざってる。むしろイタリア人だよ」と語っている。コルッチはレッジーナ中村俊輔と、カターニャ森本貴幸と共にプレーした経験があり、「最初は大人しくてまじめな選手なんだろうなって思ってた。いわゆる一般的な日本人像ってやつだ。礼儀正しくて物静か。あまり輪の中に入ってこない、いつもクールな日本人。中村は根っからに真面目だったな。初めて彼の声を聞いたのは半年くらい経ってからじゃないかな。森本もそこまで賑やかなタイプじゃない。中田(英寿)もそうなんだろう? でも長友は違う。ロッカールームでふざけあってたし、冗談も言いあってた。最初は言葉も話せなかったのにね。今考えると、それは新たな環境への適応力だったんだと思うよ」と語っている[155]
  • 2011年5月にはピッチ内外でエレガンスとフェアプレーを示した選手としてサネッティらと共に「サン・シーロ・ジェントルマン賞」を受賞した[156]
  • 自身初の著書『日本男児』が、2011年6月6日付のオリコン本ランキングで、スポーツ選手としては初となる売上1位を獲得した[157]。後にイタリア語に訳され『Un ragazzo giapponese』として出版されている。
  • 2011年12月、ESPNSTAR.comが発表した「2011年度世界のディフェンダートップ5」の一人に選ばれた[158]
  • 2013年6月14日からディズニーXDで、本人をモデルとし、監修したアニメ『ゆうとくんがいく』が放送された[159]
  • イタリアのスポーツサイト「sportcafe24.com」が発表した2013-14シーズンにおけるセリエAのベストプレーヤー左サイドバック部門で最優秀プレーヤーに選出された[160]
  • 2016年、リオデジャネイロオリンピック日本代表のオーバーエイジ(OA)候補に挙げられ、自身も出場に意欲的であったが[161]、クラブからの協力が得られなかったことや[162]ワールドカップアジア最終予選との兼ね合いにより[163] 選外。長友の次善案として[161] OAには藤春廣輝が選ばれた[164]。藤春選出について長友は「(藤春は)攻撃に特徴があるが、守備でも(チームを)引っ張ってほしい」とコメントしている[162]
  • 2020年4月、イギリスメディアの選ぶ21世紀の日本代表ベスト11に選ばれた[165]
  • 先輩の中村俊輔からもサッカー選手との考えの観点などから尊敬されている[166]

経営

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  • 2015年4月から自身がオーナーを務める「長友佑都フットボールアカデミー」を開校する。
  • 2016年4月1日、「運動・食事・精神」の事業を柱にした「株式会社Cuore」を設立し代表取締役社長に就任(cuoreはイタリア語で「心」の意[167]

プライベート

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  • 2016年12月1日、流行語大賞で交際中のタレントで女優平愛梨に向けた「(僕の)アモーレ」といった言葉がトップテンに受賞された。
  • 2016年12月24日、クリスマスイブに平との婚約会見を行い、翌2017年1月29日に婚姻届を提出した[168][169]
  • 2017年9月2日、自身のInstagramで平の妊娠を発表。2018年2月5日、第1子男児の誕生を報告[170]
  • 2019年3月15日、平の第2子妊娠を報告[171]。8月13日、第2子の誕生を報告[172]
  • 2021年4月22日、自身のTwitterで第3子男児誕生を報告[173]
  • 2022年2月6日、自身のTwitterで平の第4子妊娠を報告[174]。4月22日、自身のInstagramで第4子男児誕生を報告[175][176]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006 明治大 12 - - - 1 0 1 0
2007 2 - - 1 0 1 0
2007 FC東京 36 J1 0 0 1 0 - 1 0
2008 5 29 3 3 0 3 0 35 3
2009 31 1 4 1 1 0 36 2
2010 12 1 1 0 - 13 1
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2010-11 チェゼーナ 5 セリエA 16 0 0 0 - 16 0
インテル 55 13 2 3 0 - 16 2
2011-12 35 2 1 0 - 36 2
2012-13 25 0 2 0 - 27 0
2013-14 34 5 2 0 - 36 5
2014-15 14 0 1 0 - 15 0
2015-16 22 0 4 0 - 26 0
2016-17 16 0 0 0 - 16 0
2017-18 11 0 2 0 - 13 0
トルコ リーグ戦 トルコ杯オープン杯 期間通算
2017-18 ガラタサライ 55 スュペル・リグ 15 0 1 0 - 16 0
2018-19 17 1 0 0 - 17 1
2019-20 15 1 2 1 - 17 2
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
2020-21 マルセイユ 25 リーグ・アン 25 0 - 1 0 26 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2021 FC東京 50 J1 10 0 0 0 - 10 0
2022 5 30 0 0 0 1 0 31 0
2023 29 0 6 0 2 0 37 0
2024
通算 日本 J1 141 5 15 1 7 0 163 6
日本 - - 2 0 2 0
イタリア セリエA 186 9 15 0 - 201 9
トルコ スュペル・リグ 47 2 3 1 - 50 3
フランス リーグ・アン 25 0 - 1 0 26 0
総通算 399 16 33 2 10 0 442 18
その他の公式戦
  • 2018年
    • トルコ・スーパーカップ 1試合0得点
  • 2019年
    • トルコ・スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
UEFAUEFA ELUEFA CL
2010-11 インテル 55 - 3 0
2011-12 - 7 0
2012-13 8 2 -
2014-15 2 0 -
2016-17 4 0 -
2018-19 ガラタサライ 2 0 5 0
2019-20 - 6 0
2020-21 マルセイユ 25 - 2 0
通算 UEFA 16 2 23 0


年度 その他の国際公式戦 出場 得点
2012 4 1
2013 インターナショナル・チャンピオンズ・カップ 1 0
2014 1 0
インターナショナル・チャンピオンズ・カップ 3 1
2015 インターナショナル・チャンピオンズ・カップ 2 0
2016 インターナショナル・チャンピオンズ・カップ 3 0
総通算 14 2
出場歴

タイトル

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クラブ

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FC東京
インテルナツィオナーレ・ミラノ
ガラタサライSK

代表

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個人

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代表歴

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日本代表での長友

出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 142試合 4得点 (2008年 - )


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2008 7 1
2009 11 2
2010 16 0
2011 10 0
2012 10 0
2013 12 0
2014 10 0
2015 10 0
2016 5 0
2017 10 0
2018 9 0
2019 12 1
2020 1 0
2021 8 0
2022 11 0
2024 0 0
通算 142 4

出場

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No. 開催年月日 開催地 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2008年5月24日   豊田 豊田スタジアム   コートジボワール ○1-0 岡田武史 キリンカップサッカー2008
2. 2008年5月27日   さいたま 埼玉スタジアム2002   パラグアイ △0-0
3. 2008年6月2日   横浜 日産スタジアム   オマーン ○3-0 2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
4. 2008年8月20日   札幌 札幌ドーム   ウルグアイ ●1-3 キリンチャレンジカップ2008
5. 2008年10月9日   新潟 新潟スタジアム   アラブ首長国連邦 △1-1
6. 2008年11月13日   神戸 ホームズスタジアム神戸   シリア ○3-1
7. 2008年11月19日   ドーハ ジャシム・ビン・ハマド・スタジアム   カタール ○3-0 2010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
8. 2009年1月28日   リファー バーレーン・ナショナル・スタジアム   バーレーン ●0-1 AFCアジアカップ2011予選
9. 2009年2月4日   新宿 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   フィンランド ○5-1 キリンチャレンジカップ2009
10. 2009年2月11日   横浜 日産スタジアム   オーストラリア △0-0 2010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
11. 2009年3月28日   さいたま 埼玉スタジアム2002   バーレーン ○1-0
12. 2009年5月31日   新宿 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   ベルギー ○4-0 キリンカップサッカー2009
13. 2009年6月6日   タシュケント パフタコール・マルカジイ・スタジアム   ウズベキスタン ○1-0 2010 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
14. 2009年6月17日   メルボルン メルボルン・クリケット・グラウンド   オーストラリア ●1-2
15. 2009年9月5日   エンスヘデ デ・フロルーシュ・フェステ   オランダ ●0-3 国際親善試合
16. 2009年9月9日   ユトレヒト スタディオン・ハルヘンワールト   ガーナ ○4-3
17. 2009年10月8日   静岡 アウトソーシングスタジアム日本平   香港 ○6-0 AFCアジアカップ2011予選
18. 2009年10月14日   利府 宮城スタジアム   トーゴ ○5-0 キリンチャレンジカップ2009 ~ALL FOR 2010!~
19. 2010年2月2日   大分 九州石油ドーム   ベネズエラ △0-0 キリンチャレンジカップ2010
20. 2010年2月6日   調布 味の素スタジアム   中国 △0-0 東アジアサッカー選手権2010
21. 2010年2月14日   新宿 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   韓国 ●1-3
22. 2010年3月3日   豊田 豊田スタジアム   バーレーン ○2-0 AFCアジアカップ2011予選
23. 2010年4月7日   大阪 長居陸上競技場   セルビア ●0-3 キリンチャレンジカップ2010
24. 2010年5月24日   さいたま 埼玉スタジアム2002   韓国 ●0-2
25. 2010年5月30日   グラーツ UPCアレーナ   イングランド ●1-2 国際親善試合
26. 2010年6月4日   シオン スタッド・ドゥ・トゥールビヨン   コートジボワール ●0-2
27. 2010年6月14日   ブルームフォンテーン フリーステイト・スタジアム   カメルーン ○1-0 2010 FIFAワールドカップ
28. 2010年6月19日   ダーバン モーゼス・マヒダ・スタジアム   オランダ ●0-1
29. 2010年6月24日   ルステンブルク ロイヤル・バフォケン・スタジアム   デンマーク ○3-1
30. 2010年6月30日   プレトリア ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム   パラグアイ △0-0 (PK3-5)
31. 2010年9月4日   横浜 日産スタジアム ○1-0 原博実 キリンチャレンジカップ2010
32. 2010年9月7日   大阪 長居陸上競技場   グアテマラ ○2-1
33. 2010年10月8日   さいたま 埼玉スタジアム2002   アルゼンチン ○1-0 アルベルト・ザッケローニ
34. 2010年10月12日   ソウル ソウルワールドカップ競技場   韓国 △0-0 国際親善試合
35. 2011年1月9日   ドーハ カタールSCスタジアム   ヨルダン △1-1 AFCアジアカップ2011
36. 2011年1月13日   シリア ○2-1
37. 2011年1月17日   ライヤーン アフメド・ビン=アリー・スタジアム   サウジアラビア ○5-0
38. 2011年1月21日   ドーハ サーニー・ビン・ジャーシム・スタジアム   カタール ○3-2
39. 2011年1月25日   韓国 △2-2 (PK3-0)
40. 2011年1月29日 ハリーファ国際スタジアム   オーストラリア ○1-0
41. 2011年6月1日   新潟 東北電力ビッグスワンスタジアム   ペルー △0-0 キリンカップサッカー2011
42. 2011年6月7日   横浜 日産スタジアム   チェコ △0-0
43. 2011年10月7日   神戸 ホームズスタジアム神戸   ベトナム ○1-0 キリンチャレンジカップ2011
44. 2011年10月11日   大阪 長居陸上競技場   タジキスタン ○8-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
45. 2012年2月29日   豊田 豊田スタジアム   ウズベキスタン ●0-1
46. 2012年5月23日   袋井 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム   アゼルバイジャン ○2-0 キリンチャレンジカップ2012
47. 2012年6月3日   さいたま 埼玉スタジアム2002   オマーン ○3-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
48. 2012年6月8日   ヨルダン ○6-0
49. 2012年6月12日   ブリスベン ブリスベン・スタジアム   オーストラリア △1-1
50. 2012年8月15日   札幌 札幌ドーム   ベネズエラ △1-1 キリンチャレンジカップ2012
51. 2012年9月11日   さいたま 埼玉スタジアム2002   イラク ○1-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
52. 2012年10月12日   サン=ドニ スタッド・ド・フランス   フランス ○1-0 国際親善試合
53. 2012年10月16日   ヴロツワフ ヴロツワフ市立競技場   ブラジル ●0-4
54. 2012年11月14日   マスカット スルタン・カーブース・スポーツコンプレックス   オマーン ○2-1 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
55. 2013年2月6日   神戸 ホームズスタジアム神戸   ラトビア ○3-0 キリンチャレンジカップ2013
56. 2013年5月30日   豊田 豊田スタジアム   ブルガリア ●0-2
57. 2013年6月4日   さいたま 埼玉スタジアム2002   オーストラリア △1-1 2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選
58. 2013年6月11日   ドーハ ジャシム・ビン・ハマド・スタジアム   イラク ○1-0
59. 2013年6月15日   ブラジリア エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア   ブラジル ●0-3 FIFAコンフェデレーションズカップ2013
60. 2013年6月19日   レシフェ アレナ・ペルナンブーコ   イタリア ●3-4
61. 2013年6月22日   ベロオリゾンテ エスタジオ・ゴベルナドール・マガリャンイス・ピント   メキシコ ●1-2
62. 2013年9月6日   大阪 長居スタジアム   グアテマラ ○3-0 キリンチャレンジカップ2013
63. 2013年9月10日   横浜 日産スタジアム   ガーナ ○3-1
64. 2013年10月11日   ノヴィ・サド スタディオン・カラジョルジェ   セルビア ●0-2 国際親善試合
65. 2013年10月15日   ジョジナ トルペド・スタジアム   ベラルーシ ●0-1
66. 2013年11月16日   ヘンク クリスタル・アレナ   オランダ △2-2
67. 2014年3月5日   新宿 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   ニュージーランド ○4-2 キリンチャレンジカップ2014~ありがとう国立競技場~
68. 2014年5月27日   さいたま 埼玉スタジアム2002   キプロス ○1-0 キリンチャレンジカップ2014
69. 2014年6月2日   タンパ レイモンド・ジェームス・スタジアム   コスタリカ ○3-1 国際親善試合
70. 2014年6月6日   ザンビア ○4-3
71. 2014年6月14日   レシフェ アレナ・ペルナンブーコ   コートジボワール ●1-2 2014 FIFAワールドカップ
72. 2014年6月19日   ナタール アレーナ・ダス・ドゥーナス   ギリシャ △0-0
73. 2014年6月24日   クイアバ アレーナ・パンタナール   コロンビア ●1-4
74. 2014年9月5日   札幌 札幌ドーム   ウルグアイ ●0-2 ハビエル・アギーレ キリンチャレンジカップ2014
75. 2014年9月9日   横浜 日産スタジアム   ベネズエラ ○3-0
76. 2014年10月10日   新潟 デンカビッグスワンスタジアム   ジャマイカ ○1-0
77. 2015年1月12日   ニューカッスル ニューカッスル・スタジアム   パレスチナ ○4-0 AFCアジアカップ2015
78. 2015年1月16日   ブリスベン ブリスベン・スタジアム   イラク ○1-0
79. 2015年1月20日   メルボルン メルボルン・レクタンギュラー・スタジアム   ヨルダン ○2-0
80. 2015年1月23日   シドニー スタジアム・オーストラリア   アラブ首長国連邦 △1-1 (PK4-5)
81. 2015年6月11日   横浜 日産スタジアム   イラク ○4-0 ヴァイッド・ハリルホジッチ キリンチャレンジカップ2015
82. 2015年9月3日   さいたま 埼玉スタジアム2002   カンボジア ○3-0 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップ2019予選
83. 2015年9月8日   テヘラン アザディ・スタジアム   アフガニスタン ○6-0
84. 2015年10月8日   マスカット シーブ・スタジアム   シリア ○3-0
85. 2015年11月12日   カラン シンガポール・ナショナルスタジアム   シンガポール ○3-0
86. 2015年11月17日   プノンペン プノンペン・オリンピックスタジアム   カンボジア ○2-0
87. 2016年3月24日   さいたま 埼玉スタジアム2002   アフガニスタン ○5-0
88. 2016年3月29日   シリア ○5-0
89. 2016年6月3日   豊田 豊田スタジアム   ブルガリア ○7-2 キリンカップサッカー2016
90. 2016年6月7日   吹田 パナソニックスタジアム吹田   ボスニア・ヘルツェゴビナ ●1-2
91. 2016年11月15日   さいたま 埼玉スタジアム2002   サウジアラビア ○2-1 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
92. 2017年3月23日   アル・アイン ハッザーア・ビン・ザーイド・スタジアム   アラブ首長国連邦 ○2-0
93. 2017年3月28日   さいたま 埼玉スタジアム2002   タイ ○4-0
94. 2017年6月7日   調布 味の素スタジアム   シリア △1-1 キリンチャレンジカップ2017
95. 2017年6月13日   テヘラン シャヒード・ダストゲルディ・スタジアム   イラク △1-1 2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
96. 2017年8月31日   さいたま 埼玉スタジアム2002   オーストラリア ○2-0
97. 2017年9月6日   ジッダ キング・アブドゥッラー・スポーツシティ   サウジアラビア ●0-1
98. 2017年10月6日   豊田 豊田スタジアム   ニュージーランド ○2-1 キリンチャレンジカップ2018
99. 2017年10月10日   横浜 日産スタジアム   ハイチ △3-3
100. 2017年11月10日   リール スタッド・ピエール=モーロワ   ブラジル ●1-3 国際親善試合
101. 2017年11月15日   ブルッヘ ヤン・ブレイデルスタディオン   ベルギー ●0-1
102. 2018年3月23日   リエージュ スタッド・モーリス・デュフラン   マリ △1-1
103. 2018年3月27日   ウクライナ ●1-2 キリンチャレンジカップ2018 in EUROPE
104. 2018年5月30日   横浜 日産スタジアム   ガーナ ●0-2 西野朗 キリンチャレンジカップ2018
105. 2018年6月8日   ルガーノ スタディオ・コルナレード   スイス ●0-2 国際親善試合
106. 2018年6月19日   サランスク モルドヴィア・アリーナ   コロンビア ○2-1 2018 FIFAワールドカップ
107. 2018年6月24日   エカテリンブルク エカテリンブルク・アリーナ   セネガル △2-2
108. 2018年6月28日   ヴォルゴグラード ヴォルゴグラード・アリーナ   ポーランド ●0-1
109. 2018年7月2日   ロストフ・ナ・ドヌ ロストフ・アリーナ   ベルギー ●2-3
110. 2018年10月16日   さいたま 埼玉スタジアム2002   ウルグアイ ○4-3 森保一 キリンチャレンジカップ2018
111. 2019年1月9日   アブダビ アール・ナヒヤーン・スタジアム   トルクメニスタン ○3-2 AFCアジアカップ2019
112. 2019年1月13日 シェイク・ザイード・スタジアム   オマーン ○1-0
113. 2019年1月21日   シャールジャ シェイク・ハリーファ国際スタジアム   サウジアラビア ○1-0
114. 2019年1月24日   ドバイ アール・マクトゥーム・スタジアム   ベトナム ○1-0
115. 2019年1月28日   アル・アイン ハッザーア・ビン・ザーイド・スタジア   イラン ○3-0
116. 2019年2月1日   アブダビ シェイク・ザイード・スタジアム   カタール ●1-3
117. 2019年6月5日   豊田 豊田スタジアム   トリニダード・トバゴ △0-0 キリンチャレンジカップ2019
118. 2019年9月5日   鹿嶋 茨城県立カシマサッカースタジアム   パラグアイ ○2-0
119. 2019年9月10日   ヤンゴン トゥウンナ・スタジアム   ミャンマー ○2-0 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップ2023予選
120. 2019年10月10日   さいたま 埼玉スタジアム2002   モンゴル ○6-0
121. 2019年10月15日   ドゥシャンベ パミール・スタジアム   タジキスタン ○3-0
122. 2019年11月14日   ビシュケク ドレン・アムルザコフ・スタジアム   キルギス ○2-0
123. 2020年11月13日   グラーツ メルクーア・アレーナ   パナマ ○1-0 国際親善試合
124. 2021年5月28日   千葉 フクダ電子アリーナ   ミャンマー ○10-0 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップ2023予選
125. 2021年6月11日   神戸 ノエビアスタジアム神戸   セルビア ○1-0 キリンチャレンジカップ2021
126. 2021年9月2日   吹田 パナソニックスタジアム吹田   オマーン ●0-1 2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
127. 2021年9月8日   ドーハ ハリーファ国際スタジアム   中国 ○1-0
128. 2021年10月8日   ジッダ キング・アブドゥッラー・スポーツシティ   サウジアラビア ●0-1
129. 2021年10月12日   さいたま 埼玉スタジアム2002   オーストラリア ○2-1
130. 2021年11月11日   ハノイ ミーディン国立競技場   ベトナム ○1-0
131. 2021年11月16日   マスカット スルタン・カーブース・スポーツコンプレックス   オマーン ○1-0
132. 2022年1月27日   さいたま 埼玉スタジアム2002   中国 ○2-0
133. 2022年2月1日   サウジアラビア ○2-0
134. 2022年3月24日   シドニー スタジアム・オーストラリア   オーストラリア ○2-0
135. 2022年6月6日   東京 国立競技場   ブラジル ●0-1 キリンチャレンジカップ2022
136. 2022年6月14日   吹田 パナソニックスタジアム吹田   チュニジア ●0-3 キリンカップサッカー2022
137. 2022年9月27日   デュッセルドルフ デュッセルドルフ・アレーナ   エクアドル △0-0 キリンチャレンジカップ2022
138. 2022年11月17日   ドバイ アール・マクトゥーム・スタジアム   カナダ ●1-2 国際親善試合
139. 2022年11月23日   ドーハ ハリーファ国際スタジアム   ドイツ ○2-1 2022 FIFAワールドカップ
140. 2022年11月27日   ライヤーン アフメド・ビン=アリー・スタジアム   コスタリカ ●0-1
141. 2022年12月1日   ドーハ ハリーファ国際スタジアム   スペイン ○2-1
142. 2022年12月5日   アル=ワクラ アル・ジャヌーブ・スタジアム   クロアチア △1-1 (PK1-3)

ゴール

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# 開催年月日 開催地 スタジアム 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2008年11月13日   神戸 ホームズスタジアム神戸   シリア ○3-1 キリンチャレンジカップ2008
2. 2009年5月31日   東京 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   ベルギー ○4-0 キリンカップサッカー2009
3. 2009年10月8日   静岡 アウトソーシングスタジアム日本平   香港 ○6-0 AFCアジアカップ2011予選
4. 2019年10月10日   さいたま 埼玉スタジアム2002   モンゴル ○6-0 2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップ2023予選

脚注

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注釈

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  1. ^ チェゼーナの元同僚、エマヌエレ・シャケリーニ[1]インテルの元同僚、マルコ・マテラッツィ[2] など。
  2. ^ 「MOTORINO」。イタリア語で「原動機付自転車」を指す[3][4]
  3. ^ 「Nagatiello」。接尾辞「-ello」はイタリア・カンパニア州に多い姓で、長友は同州のナポリに見られるような気質を持つという意[5]。また「-ティエロ」はイタリアで子供への愛称や親しみを込める場合にも用いられる。
  4. ^ 一方で、クロスの精度や攻撃のオプションのパターンには課題が残るとしていた[24]
  5. ^ U-22日本代表は二次予選第5戦終了時点でアジア最終予選進出を決めていたため、第6戦のマレーシア戦は消化試合となっており[25]、この試合に限っては主力メンバーの大半が入れ替ったセカンドチームとなっていた[32]
  6. ^ サッカー部総監督の井澤千秋は「スポーツ推薦で入ってきた選手であれば、4年間(サッカー部に)在籍しないとまずい」と述懐しており、指定校推薦で入学し、一般生として入部したことが幸いした[27]
  7. ^ 長友はしばしば「ゴリラ」と自称するが[37]、二人は「ゴリラ兄弟」とのこと[38]
  8. ^ 第3戦(対デンマーク)ではクリスティアン・エリクセンが同28.72kmを[47]、決勝トーナメント1回戦(対パラグアイ)では本田圭佑が同29.43kmを記録しており及ばず[48]
  9. ^ 「いつも5番を着けていたが、デヤン・スタンコビッチが使っていたので、55番を希望した」とコメントしている[62][3]
  10. ^ 3試合とも11km超を走り、時速30km超を記録[80]コロンビア戦ではサンティアゴ・アリアスが時速31.39kmで長友を上回った[81]
  11. ^ いずれも男児である。

出典

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  175. ^ “平愛梨が第4子出産 夫・長友佑都が報告「妻に大きな感謝と尊敬の念を抱きます」”. ORICON NEWS. (2023年5月12日). https://www.oricon.co.jp/news/2278871/full/ 2023年5月12日閲覧。 
  176. ^ 長友佑都、愛梨夫妻に第4子となる男児誕生”. 2023年5月13日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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