法政大学

東京都千代田区に本部を置く私立大学

法政大学(ほうせいだいがく、英語: Hosei University)は、東京都千代田区富士見2-17-1に本部を置く日本私立大学である。1920年に設置された。大学の略称法大(ほうだい)。

法政大学
     
Boissonade Tower 20110410.JPG
ボアソナード・タワー

法政大学の位置(東京都内)
法政大学
法政大学 (東京都)
法政大学の位置(日本内)
法政大学
法政大学 (日本)
大学設置 1920年
創立 1880年
学校種別 私立
設置者 学校法人法政大学
本部所在地 東京都千代田区富士見2-17-1
北緯35度41分44.3秒 東経139度44分26.4秒 / 北緯35.695639度 東経139.740667度 / 35.695639; 139.740667座標: 北緯35度41分44.3秒 東経139度44分26.4秒 / 北緯35.695639度 東経139.740667度 / 35.695639; 139.740667
キャンパス 市ケ谷(東京都千代田区
多摩(東京都町田市
小金井(東京都小金井市
学部 法学部
文学部
経営学部
国際文化学部
人間環境学部
キャリアデザイン学部
デザイン工学部
グローバル教養学部 (GIS)
経済学部
社会学部
現代福祉学部
スポーツ健康学部
情報科学部
理工学部
生命科学部
研究科 人文科学研究科
国際文化研究科
経済学研究科
法学研究科
政治学研究科
社会学研究科
経営学研究科
キャリアデザイン学研究科
公共政策研究科
政策創造研究科
人間社会研究科
スポーツ健康学研究科
理工学研究科
情報科学研究科
デザイン工学研究科
法務研究科(法科大学院)
イノベーション・マネジメント研究科(経営大学院)
ウェブサイト https://www.hosei.ac.jp/
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概説編集

大学全体編集

法政大学は、1880年4月設立の東京法学社(のち東京法学校[1] および1886年設立の東京仏学校を前身とする、私立総合大学である。

明治初期の頃、近代国家にふさわしい制度づくりの必要性や、自由民権運動が高揚する時代背景などから、近代的な法治システムや権利義務等を教育する、フランス法系の私立法律学校として創設された。これは法学部へと発展した日本最古の私立法律学校である[2]

また、1920年大学令準拠の旧制私立大学に昇格した一校であり、東京六大学の一校でもある(東京六大学野球連盟も参照)。現在では、15学部・大学院17研究科を擁する総合大学となっており、スーパーグローバル大学に選定されている[3]

創立者のほかに、初代教頭のギュスターヴ・エミール・ボアソナード (Gustave Émile Boissonade) と初代総理(総長)の梅謙次郎を学祖としている。

 
ボアソナード博士像。1934年フェリックス・ベヌトー作。最高裁判所パリ大学にも同じ原型の胸像が置かれている。
 
梅謙次郎文化人切手。1952年郵政省発行。昭和以前に切手の題材となった唯一の日本人法学者

本部キャンパスは、東京都千代田区に所在する。旧江戸城外堀皇居北の丸公園靖国神社付近に立地しており、都心の緑地に囲まれている。昭和期には郊外へと校地を広げ、現在は東京都内の市ケ谷・小金井・多摩に3キャンパスを有する。

ランキング

一般入試の実志願者数(志願者の実数)では、2019年・2020年に日本一[4][5]となっている。また、一般入試の延べ志願者数では、2017年・2018年に2位(東日本1位)[6]、後期日程を除くと2017年〜2019年に2位(東日本1位)[7]となっている(法政大学は後期日程の入試を行っていない)。

Times Higher Educationによる世界的大企業のCEO(最高経営責任者)輩出ランキング2013において、世界の大学中第100位(日本国内の大学では第9位)と評価されている[8]

グローバルなキャリア形成に力を入れており、国際教育プログラムとして独自の制度が用意されている。留学制度・海外派遣制度が充実しており、海外への留学生数は国内全大学中4位となっている[9]

理念・目的編集

自由な学風と進取の気象

建学以来「自由な学風と進取の気象」を校風としている。「自由進歩」は1880年の「東京法学社開校ノ趣旨」に述べられており、「進取の気象」は法政大学校歌に謳われている。また、戦後これらの伝統ヒューマニズム精神を加味した3つの指針「独立自由な人格の形成」、「学問を通じたヒューマニティの昂揚」、「日本人の社会生活の向上に寄与する人材の育成」を定めている。その後、「開かれた大学、開かれた精神」や「自立型人材の育成」を基本理念としながら、大学運営を行ってきた。そして、2016年に大学憲章を定めたうえで、次のようなミッションを掲げている[10]

1. 本学の使命は、建学以来培われてきた「自由と進歩」の精神と公正な判断力をもって、主体的、自立的かつ創造的に、新しい時代を構築する市民を育てることである。
2. 本学の使命は、学問の自由に基づき、真理の探究と「進取の気象」によって、学術の発展に寄与することである。
3. 本学の使命は、激動する21世紀の多様な課題を解決し、「持続可能な地球社会の構築」に貢献することである。

教育・研究編集

前身の東京法学社は、私立法律学校特別監督条規のもと帝国大学総長の監督下となった五大法律学校の中でも最初に設立された。現在の法学部は、この日本最古の私立法律学校が発展したものである[2]。また、日本の私立大学の中では、最初に設立された社会学部を有するほか[11]経済学部慶應義塾大学に次いで2番目に設立、経営学部明治大学に次いで2番目に設立されており、多くの伝統学部が存在する。さらに1947年には日本最初の大学通信教育課程を開設[12]1995年には日本最初の夜間博士後期課程を開設している[13]

企業側へ学生を派遣し、短期就職させるインターンシップも他大学に先立ち早くから始動させている。また、生涯設計や就職活動などに対する意識をいち早く形成させる目的の「キャリアデザイン学」を開講しており、学部の枠を超えて1年次から教養科目として履修できる。2011年公務員および法曹を目指す学生を支援するための「公務人材育成センター」を設置して公務員講座・法職講座を開講[14]2014年には「高度会計人育成センター」を設置して会計専門職講座を開講している[15]

国際社会で活躍できる人材を育成するための「グローバル教育センター」を2014年に開設しており[16]、各学部のカリキュラムに連動した海外留学制度や国際ボランティア・国際インターンシップなどの様々な国際教育プログラムを整備している。学内においては、交換留学生と所定の条件を満たした日本人学生を対象に英語ゼミを行う「交換留学生受入れプログラム (ESOP)」を市ヶ谷キャンパスで開講しているほか、全学部の学生を対象に授業をすべて英語で行う「グローバル・オープン科目」や、ネイティブスピーカー講師による英語スキルの養成などを目的とした「英語強化プログラム (ERP)」、ネイティブスピーカーと英語で自由に会話できる「Gラウンジ (Global Lounge)」を、市ケ谷・多摩・小金井の全キャンパスに設けている[17]

2003年より教育の質を向上させることを目的としたファカルティ・ディベロップメント(Faculty Development、通称FD)プログラムを実施している。具体例としては、授業の満足度等を学生が評価する「学生による授業評価アンケート」を年2回行っている。2008年には総長室に「大学評価室」を付置し、自己点検・評価のための情報収集・調査・分析などを行っている。

沿革編集

(沿革節の主要な出典は公式サイト[18]

草創期の歴史編集

東京法学社から東京法学校へ編集

 
日本近代法の父で法政大学の学祖でもあるボアソナード。日本最初の近代法典の起草者として国内法整備に大きく貢献したほか、司法省を中心に、太政官元老院外務省国際法の顧問も務め、日本の勲章を受章した最初の外国人となった[19]。また、10年以上にわたり、無報酬で法政大学の基礎を築いた。

法政大学の前身である東京法学社は、1880年(明治13年)4月、当時の神田区駿河台北甲賀町に設立された[20]

フランス法の流れを汲む金丸鉄伊藤修薩埵正邦堀田正忠元田直ら7名[21]法律家司法省関係者によって創立されたもので、「教師を聘し、専ら我国の新法を講じ、又仏国法律を講義す」る講法局と、「上告、控訴、初審の詞訟代言を務め、又代言生を陶冶す」る代言局で構成されていた。つまり、学内に弁護士事務所を置いて、学生に弁護士業務を体験させるリーガル・クリニックを備えた現代の法科大学院の原型といえる。

しかし、同年5月に「代言人規則」(現在の弁護士法に相当)が改正され、代言人組合以外に「私に社を結び号を設け営業を為したる」代言人は懲戒の対象となったため[22]、代言局での実務教育は続行できなくなった[23]。そのため、東京法学社は講義中心の通常の法律学校としての性格を強め、薩埵が中心となって1880年(明治13年)9月12日に「開校」、翌1881年(明治14年)5月に講法局が独立して東京法学校と改称した。

1883年(明治16年)には、ボアソナードが初代教頭に就任。パリ大学から招聘された日本政府の法律顧問で、不平等条約の撤廃のため日本の近代法整備に大きく貢献した。その功績から「日本近代法の父」[24][25][26]と呼ばれている。その後、1886年(明治19年)に帝国大学特別監督学校となり、1888年(明治21年)には文部省令第3号「特別認可学校規則」[27]により特別認可学校となった[28]

仏学会・東京仏学校の設立編集

 
仏学会の創立会員であり、初代会長に就任した文部次官辻新次。近代的教育制度の策定に尽力し、「教育社会の第一の元老」「明治教育界の元勲」と評された。
 
仏学会創立会員で、帝国大学工科大学初代学長と東京仏学校初代校長を兼任した古市公威土木学会初代会長、日本工学会理事長、理化学研究所第2代所長。

1886年(明治19年)4月に、辻新次(初代文部次官)・古市公威帝国大学工科大学初代学長)・長田銈太郎宮内省式部官明治天皇の通訳)・山崎直胤内務省初代県治局長)・平山成信(後の枢密顧問官)・寺内正毅(後の第18代内閣総理大臣元帥陸軍大将)・栗塚省吾(後の大審院部長判事)の7名が、フランス学の普及を目的とした教育機関設立を計画。

同年5月に仏学会 (La Société de Langue Française) が組織され(初代会長は辻新次)、11月に同学会が神田区小川町の東京法学校の正面に東京仏学校を設立した(初代校長は古市公威)[29]

同校は1885年(明治18年)に旧東京大学に統合された官立の仏法系学校・司法省法学校の後身校的な性格をもち、フランス語で教授する法律科を有し、政府からは手厚い資金援助を受けていた。

また仏学会の会員には、名誉総裁に伏見宮貞愛親王閑院宮載仁親王小松宮依仁親王(後に東伏見宮)、名誉会員に徳川昭武(第15代将軍徳川慶喜の弟、水戸藩第11代藩主)、徳川篤敬(水戸徳川家第12代当主)、鍋島直大(佐賀藩第11代藩主)、蜂須賀茂韶(徳島藩第14代藩主)、太田資美(掛川藩第7代藩主)、大木喬任(元老院議長、枢密院議長)、山田顕義(司法大臣)、ボアソナードアッペール等が名を連ね[30]、彼ら会員からの支援も受けながら東京仏学校は設立・運営された[31]

なお、当時の文部官僚トップで東京仏学校設立の中心人物であった辻新次と、当時の司法省刑事局長で後に東京法学校の校長に就任した河津祐之は、1872年(明治5年)頃の文部省において箕作麟祥のもとで学制の起草にあたっていた元同僚であり[32]、両者とも仏学会の創立会員である。

当初はフランス学を教授することを目的としていたが、法律科の設置以降は法律学校としての性格を強め、1888年(明治21年)に文部省令第3号「特別認可学校規則」[27]により特別認可学校となった[33]

東京法学校と東京仏学校の合併編集

フランス法系の結集を図るため、1889年(明治22年)5月の仏学会臨時総集会において、東京法学校と東京仏学校の合併ならびに和仏法律学校への改称が決議され、9月9日に同校が正式に発足した[34]

初代校長には、当時の司法次官(司法官僚トップ)で日本における「法律の元祖」[35]といわれる箕作麟祥が就任。以後、日本の現行諸法典を創った法典調査会の中心人物が校長に就任している。その中でも、「日本民法典の父」[36]といわれる梅謙次郎は、20年間にわたり学監、校長、初代総理として、本学の発展に大きく貢献した。

梅が校長を務めていた1903年(明治36年)に法政大学と改称(専門学校令準拠)。その後、1920年(大正9年)に日本の私立大学では慶應義塾大学早稲田大学についで、最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。そして、1949年(昭和24年)より新制大学となって今に至っている。

年表編集

明治
 
「法政大学発祥の地」記念碑。前身の東京法学社は、1880年4月に当時の神田駿河台北甲賀町19番地池田坂上に設立された。
 
大学令後の初代学長松室致司法大臣等の国の要職を務めながらも、校地移転、新校舎建設、学部や教職員の拡充、六大学野球連盟加入など、「大学」法政の骨格を築き上げた。
 
第25・28代内閣総理大臣若槻禮次郎。学祖・梅謙次郎の書生に始まり、講師維持員理事、そして顧問を歴任。大学昇格の陰の功労者であり、一時は総長候補に推戴されるなど、長きにわたり本学の発展に尽力した。
大正
 
1926年(大正15年)頃の法政大学。旧江戸城外堀の水面に旧第一校舎が映っている。
昭和(終戦まで)
 
1929年(昭和4年)5月にアメリカハワイに遠征した野球部
 
1931年(昭和6年)に日本初の学生訪欧飛行に成功した青年日本号。目的地ローマのリットリオ飛行場では盛大な歓迎を受けた。写真中央は本学学生の栗村、教官の熊川両氏。左から三人目は、後に首相となる駐イタリア日本大使の吉田茂。この後、両氏はローマ教皇に謁見、イタリア首相と会見した。
  • 1927年 - 第三校舎竣工(最初の鉄筋コンクリート校舎、戦後第一校舎と改称)、新図書館開館
  • 1928年 - 創立50周年記念式典を挙行。来賓に田中義一(第26代内閣総理大臣)、水野錬太郎(第36代文部大臣)、原嘉道(第31代司法大臣)、中橋徳五郎(第5代商工大臣)、後藤新平(当時は第7代東京市長、子爵)、駐日フランス大使等。第四校舎(通称・六角校舎)竣工。高等師範科卒業生に中等教員無試験検定認可
  • 1929年 - 専門部に高等商業科を設置。野球部がアメリカのハワイに遠征。日本の大学で初となる航空研究会を結成[54]内田百閒が初代会長に就任)
  • 1930年 - 新校歌(佐藤春夫作詞・近衛秀麿作曲)が神宮球場で初めて歌われる(翌年1月に正式な校歌となる)[55]。東京六大学野球リーグで初優勝。校友会館(後に新館と改称)竣工
  • 1931年 - 3月に富井政章、若槻禮次郎(第25・28代内閣総理大臣)、古市公威が顧問に就任[56]。法文学部政治学科を政経学科と改称。学部主任制度を学部長制度に改める。航空研究会の学生が操縦する「青年日本号」による訪欧飛行を達成(日本の学生初)
  • 1932年 - 専門部の学則を変更し、高等師範部および高等商業部を設置。女子聴講生を受け入れる[57]
  • 1933年 - 法政騒動発生、教授多数が辞職する事態が起きる。同年10月、荒木貞夫(第37・38代陸軍大臣、第53代文部大臣、陸軍大将)が顧問に就任[58]
  • 1934年 - 総長に小山松吉(第35代司法大臣、検事総長、貴族院勅選議員)が就任。なお、前総長の水町袈裟六(大蔵次官、日本銀行副総裁、会計検査院長、枢密顧問官)の代からは、寄付行為規則改正に伴って、「学長」の名称を「総長」に改めている。文学科と哲学科に女子学生が入学[59]
  • 1935年 - 12月、高等文官試験対策に特化した高等研究科を設置
  • 1936年 - 3月に大蔵省より官有地(現在の外濠校舎付近の土地[60])1,108.99坪を払い受ける[61]。4月に大学予科川崎市木月(現在の法政大学第二中学校・高等学校所在地)に移転し、富士見の大学敷地(現在の市ケ谷キャンパス)内に法政中学校(現:法政大学中学校・高等学校)を設立[61]
  • 1937年 - 高等師範部に歴史地理科を新設
  • 1938年 - 人民戦線事件で法大関係者からも検挙者が出る(全員無罪[62]
  • 1939年 - 大陸部専門部)を新設。部長に大川周明(思想家)が就任。法文学部文学科・哲学科を英吉利文学科・独逸文学科・仏蘭西文学科・国文学科・哲学科・心理学科・社会学科に改組。初の女子留学生をフランスに派遣[57]野球部が中野から木月に移転
  • 1940年 - 法文学部英吉利文学科・独逸文学科・仏蘭西文学科・国文学科・哲学科・心理学科・社会学科を文芸学科・文政学科に改組
  • 1941年 - 学友会を報国会と改称。予科図書館落成
  • 1943年 - 法政大学学徒出陣壮行会。総長に竹内賀久治第二東京弁護士会創立者・会長、卒業生初の総長)就任
  • 1944年 - 法政大学航空工業専門学校設立(木月校舎)。『法学志林』休刊(1949年復刊)
  • 1945年 - 高等商業部廃止(3月)。東京への空襲により第一校舎ほか多数の施設が焼失(5月)。戸坂潤三木清(いずれも元法大教授)が獄中で死亡[63]。大陸部廃止(9月)。終戦3ヶ月後、焼失を免れた図書館他にて閲覧サービスを開始。法政大学航空工業専門学校が、法政工業専門学校と改称
昭和(終戦から)
 
夏目漱石門下の英文学者野上豊一郎。漱石ゆかりの教員の招聘に貢献し、文学部の基礎を築いた。法政騒動で一時失脚したがのちに復帰し、戦後第6-7代総長となった。
 
第8代総長大内兵衛。戦後間もない時期に、校地の拡張や新校舎の建設、工学部・社会学部・経営学部の創設、教養部の市ケ谷回帰、各種文化事業等を遂行した。
  • 1946年 - 総長に野上豊一郎夏目漱石門下、英文学者、能楽研究者)就任。法文学部文芸学科・文政学科を国文学科・英文学科・哲学科に改組。学生自治会を結成
  • 1947年 - 法文学部が法学部・文学部に改編、日本で最初の大学通信教育課程を設置、初代部長に美濃部達吉就任。4月に法政工業専門学校が千葉郡二宮町薬園台陸軍騎兵学校跡地に移転。体育会・文化連盟結成[64]
  • 1948年 - 筑波工業専門学校を併合して予科筑波分校(石岡分校)開設[65]市谷田町校地(侯爵山内豊景所有地[60]、現在の市ケ谷田町校舎敷地)923.98坪を購入[66]。学園祭「自主法政祭」の第1回目を開催(1947年説も)。法政大学出版局設立
  • 1949年 - 学制改革により新制大学となる。法学部・文学部・経済学部を設置。法学部に労働学科を開設(1951年廃止)。大原社会問題研究所(前身は倉敷紡績の創業家、大原財閥の財団法人)を合併
  • 1950年 - 総長に大内兵衛(東京帝国大学教授、日本銀行顧問、社会保障制度審議会初代会長、政府統計委員会委員長、経済学者)が就任。工学部設置、法政大学短期大学部設置
  • 1951年 - 私立学校法により学校法人法政大学となる。新制大学院を設置。文学部に教職課程を開設。旧制専門部・高等師範部・工業専門学校廃止。石岡教養部を木月教養部に移管して廃止[67]。大原社研が財団法人として再度独立する
  • 1952年 - 港区麻布中央労働学園大学(母体は内務省と財界により設立された財団法人協調会)を吸収解消して、私大初の社会学部を設置。さらに工学部移転。同年、野上記念法政大学能楽研究所設立
  • 1953年 - 53年館竣工、木月教養部から法・文学部2年生が市ケ谷に移転[68]、財団法人日本統計研究所(前身は日本銀行国家資力研究所)が本学へ移管される
  • 1954年 - 木月教養部から経済学部2年生が市ケ谷に移転(木月は1年生のみとなる)[69]
  • 1955年 - 55年館竣工、麻布にあった社会学部を市ケ谷に移転
  • 1957年 - 58年館敷地(靖国神社所有地)1070.36坪を購入[70]
  • 1958年 - 58年館竣工、55年館と58年館が第10回日本建築学会賞作品賞を受賞、木月教養部の市ケ谷移転完了[71]
  • 1959年 - 経営学部経営学科を設置。有沢広巳が総長に就任。田町校舎購入。工学部移転用地を購入(現在の小金井キャンパス)
  • 1960年 - 旧制法政大学廃止。55年館と58年館が第1回BCS賞を受賞。校友会館として日本私立大学連盟会館(旧泉鏡花邸跡)を購入[72]
  • 1961年 - 文学部第一部史学科・地理学科開設、文学部第二部史学科・地理学科学生募集停止
  • 1962年 - 奨学金給付制度開始、62年館竣工。市ケ谷の木造校舎を解体
  • 1963年 - 総長に谷川徹三西田幾多郎門下、哲学者、帝室博物館次長、文化功労者、長男は詩人の谷川俊太郎)が就任
  • 1964年 - 小金井キャンパス竣工、工学部を麻布から移転。法政大学計算センター(現・情報メディア教育研究センター)開設。町田校地(現在の多摩キャンパス)購入開始(〜1967年)
  • 1965年 - 大学院工学研究科を設置。白馬山荘および中禅寺湖畔荘竣工
  • 1966年 - 工学部建設工学科を土木工学科と建築学科に分離。学生相談室設置
  • 1968年 - 中村哲が総長に就任。工学部電気工学科に電気電子専攻、計測制御専攻を増設
  • 1969年 - 69年館(現在の法科大学院棟)竣工。大原社研創立50周年記念講演会を開催(朝日講堂)
  • 1970年 - 市ケ谷キャンパスに鉄柵設置(1992年撤去)。新館・六角校舎解体。町田プロジェクトチーム結成
  • 1971年 - 他学部聴講制度開始。経営学部で電算機実習開始
  • 1972年 - 法政大学沖縄文化研究所設置
  • 1973年 - 学生会館竣工。法政大学社会労働問題研究センター設置(1986年大原社研に吸収)
  • 1974年 - 町田開発本部設置
  • 1975年 - 法政大学ロンドン分室をロンドン大学に設置(現在のヨーロッパ研究センター)。市ケ谷総合体育館竣工
  • 1976年 - ソ連科学アカデミー東洋学研究所と研究者交換協定を締結。法政大学体育センター設置。アーネスト・サトウ旧宅(次男武田久吉[73])1,586m2を購入[74]
  • 1977年 - 国際交流センター設置。法政大学ボアソナード記念現代法研究所設置。東京都、町田校地開発を許可
  • 1978年 - 多摩キャンパス第一期工事地鎮祭を行う
  • 1979年 - 奨学金留学制度開始
  • 1980年 - 創立100周年。一般推薦入学制度開始。武田邸跡地に80年館(図書館・研究室棟)竣工[73]。イオンビーム研究所設置
  • 1981年 - 新図書館開館。法政大学日本統計研究所開設
  • 1982年 - 経済学部・社会学部教授会、多摩移転案を承認[75]北京大学ロンドン大学ロイヤルホロウェイ校シェフィールド大学、カール・マルクス経済科学大学(ハンガリー)と学術交流協定を締結
  • 1983年 - フンボルト大学(東独)と学術交流協定を締結
  • 1984年 - 多摩キャンパス竣工、経済学部と社会学部が市ケ谷より移転。法政大学比較経済研究所開設。
  • 1985年 - 短期大学部廃止。上海外国語学院と学術交流協定を締結
  • 1986年 - 法政大学産業情報センター開設。市ケ谷計算センター発足。大原社研が多摩に移転し、法政大学付置研究所となる[76]
  • 1988年 - パリ第一大学と学術協力協定を締結
  • 1988年 - 自主マスコミ講座創立
平成
  • 1990年 - 法政大学経営倫理綱領を制定。戦没者学生への卒業証書授与式を挙行
  • 1992年 - 92年館(大学院棟)竣工。市ケ谷図書館にビジュアルコーナーを設置
  • 1993年 - 工学部物質化学科・電子情報学科・システム制御工学科を新設、8学科編成となる。市ケ谷再開発プロジェクト・チームおよびカリキュラム改革プロジェクト・チーム(準備会)発足
  • 1994年 - 「21世紀の法政大学」審議会発足。小金井キャンパスに南館竣工
  • 1995年 - 53年館解体[77]
  • 1996年 - 市ケ谷再開発調整委員会発足。社会学部応用経済学科廃止、社会政策科学科新設。多摩図書館を地域住民に開放。スポーツハウス96(石岡)竣工。多摩地域社会研究センターを設立(2003年地域研究センターに改組)
  • 1997年 - 市ケ谷再開発第Ⅰ期工事着工。名誉博士規程を制定。高度情報ネットワーク開設。計算センターを計算科学研究センターに改組
  • 1998年 - 法政大学エクステンションカレッジ創設。スポーツハウス98(石岡)竣工。法政Vブリッジ(多摩)竣工
  • 1999年 - 国際文化学部・人間環境学部を設置、総合大学で初めてISO 14001取得、多摩キャンパスに16号館-EGG DOME-竣工
  • 2000年 - 創立120周年、現代福祉学部・情報科学部を設置、市ケ谷キャンパスにボアソナード・タワー竣工、小金井キャンパスに西館竣工。情報技術(IT)研究センター開設
  • 2001年 - 経済学部に国際経済学科を新設。法政大学アメリカ研究所開設
  • 2002年 - 社会学部にメディア社会学科を新設。法政大学国際日本学研究所開設
  • 2003年 - キャリアデザイン学部設置、経営学部に経営戦略学科と市場経営学科を新設、文学部に心理学科を新設。第一・第二教養部廃止
  • 2004年 - 大学院法務研究科(法科大学院)・イノベーションマネジメント研究科設置、工学部にシステムデザイン学科を新設、市ケ谷キャンパス学生会館を解体、小金井キャンパスにマイクロナノテクノロジー研究センター竣工
  • 2005年 - 会計大学院設置、法学部に国際政治学科を新設、経済学部に現代ビジネス学科を新設、スポーツ・サイエンス・インスティテュートを設置、イノベーションマネジメント研究科(経営大学院)設置、FDキャリアセンターおよびキャリアセンター発足
  • 2006年 - 市ケ谷キャンパスに隣接する嘉悦学園女子中学校・高等学校の敷地4,895m2[78]と校舎を購入しキャンパスを拡張、富士見坂校舎利用開始。工学部に生命機能学科を新設、グローバル学際研究インスティテュート (IGIS) 開講
  • 2007年 - 工学部の一部学科を改組しデザイン工学部を設置、市ケ谷キャンパスに外濠校舎竣工、小金井キャンパス再開発を開始
  • 2008年 - 大学院に政策創造研究科を新設、工学部を理工学部と生命科学部に改組、GIS(グローバル教養学部)を設置、理工学部に航空操縦学専修を開設、小金井キャンパスに東館竣工
  • 2009年 - スポーツ健康学部設置。静岡サテライトキャンパス開設
  • 2010年 - 創立130周年、現代福祉学部を改組し福祉コミュニティ学科と臨床心理学科を新設、ボアソナード梅謙次郎没後100周年
  • 2011年 - 東日本大震災の影響によりこの年の学位授与式・入学式を中止、小金井キャンパスの北館・管理棟が竣工
  • 2013年 - 東京六大学で初となる女性総長(田中優子)を選出
  • 2016年 - 市ケ谷キャンパスに富士見ゲート竣工
  • 2018年 - 授業時間を1コマ90分から1コマ100分に改定。静岡サテライトキャンパス閉鎖。九段北校舎取得
  • 2019年 - 市ケ谷キャンパスに大内山校舎竣工(3月)
令和

主要な歴代校舎編集

  • 小川町校舎

神田区小川町1番地に所在した建坪が316.5坪のレンガ造りの校舎[79]東京法学校時代の1884年(明治17年)から使用された[80]。レンガ造りの旧勧工場(内国勧業博覧会を日常化した百貨商品販売所)の建物を買い取って内部を改築したもので[80]、建物の前の半分が教務室、食堂、寄宿舎、奥の半分が約300人収容の講堂を中心とした教室であった[81]。その頃の学校としては、かなり人目を引く規模の校舎であったという[81][82]。この新校舎の購入に際しては、ボアソナードが私財を投じたといわれ[83][84]、校舎の前面には、当時の大審院院長であった玉乃世履の揮毫による「東京法学校」の大文字の額が掛かっていた[81]

なお、東京法学校はこの校舎の向かいにあったもう1棟のレンガ造り建坪144坪の建物[85]も所有していたが、こちらは仏学会 (La Société de Langue Française) に賃貸され[86]1886年(明治19年)の東京仏学校開校時の校舎となった。また、この東京仏学校の校舎は、仏学会からさらに夜間のみ東京物理学校(現・東京理科大学)に賃貸され[86](転貸借)、東京法学校と東京仏学校が合併に向けて動き出した1888年末に東京物理学校に売却された[87](同校が1906年に神楽坂に移転するまで使用)。

  • 九段上校舎

和仏法律学校時代の1890年(明治23年)に九段上[88]に竣工した建坪が255坪の木造2階建ての校舎[89]。設計は、エコール・サントラル・パリ (École Centrale Paris) を卒業し、同時期(1890年前後)に帝国大学一高から五高までの校舎も手掛けた山口半六[90]

6つの講堂、事務室、応接所、書籍閲覧室などが設けられ[89]、教員や学生たちからは「梧桐の校舎」と呼ばれて親しまれたが[90]、大正期には手狭になったため[91]1918年(大正7年)に富士見町4丁目12・13番地(現在の市ケ谷キャンパスの所在地)を買収し[92]、新校舎を建設することになった[93]。そして1921年に第一校舎が竣工し、移転した[92]。旧九段上校舎は1923年に大東文化学院(現・大東文化大学)に売却され[94]、同学院校舎として1941年まで使用された[95]

  • 旧第一校舎

1921年(大正10年)に旧江戸城外堀沿いの富士見町4丁目12・13番地(現在の市ケ谷キャンパス)に竣工した木造モルタル3階建ての校舎。

3階小教室4、中講堂(合併授業用)、大講堂
2階小教室(十数室)
1階学長室、教員室、事務室、学生控室など

3階の大講堂では、各種式典や講演会などが行われ、日本美術院の展覧会や学生たちによる外国語劇なども催された[96]。第一校舎の竣工記念に、ヴィルヘルム・ゾルフ駐日ドイツ大使を招待してゲーテ作のドイツ語劇『ファウスト』が上演されたほか[97]、1922年にはロマン・ロラン作のフランス語劇やオーガスタ・グレゴリー作の英語劇なども上演された[96]。また、国賓として来日[98]したフランスのジョッフル元帥が1922年2月に来校した際に、学生を励ます演説を行ったのも、この大講堂であった[96]

1923年に発生した関東大震災での損害は軽微で[99]、授業再開も早かったため、その翌年から法政大学への入学志願者が急増することになった[100]。 戦前の法大を代表する校舎であったが、1945年5月25日から26日にかけての米軍による空襲によって焼失した[101]

  • 旧第二校舎

1922年(大正11年)に竣工した建坪が207坪の木造3階建ての校舎[92]。第一校舎に接続して建てられ[92]、大小の教室のみが設けられていた[102]。主に学部の授業に使用されたが[102]、第一校舎とともに空襲により焼失した。

  • 旧第三校舎(戦後は第一校舎)

1927年(昭和2年)に竣工した鉄筋コンクリート地上4階・地下1階建ての校舎。山下啓次郎の設計によるもので、完成当時は小講堂や図書館機能を有し、名称は第三校舎であったが、戦後は第一校舎と称されるようになる。末期には国際交流センターやキャリアセンターなどが入っていた。2007年の外濠校舎完成後に取り壊され、これを最後に市ケ谷キャンパスからは戦前の校舎が全て姿を消すことになった。2007年4月21日には第一校舎の顕彰イベントが行われ、山下啓次郎の孫にあたるジャズピアニスト山下洋輔[103]の演奏会などが催された[104]

  • 旧第四校舎(戦後は第二校舎、通称「六角校舎」)

1928年(昭和3年)に竣工した鉄筋コンクリート校舎。蒲原重雄の設計によるもので、その名の通り六角形を2つ組み合わせた形をしていた。内部の螺旋階段が特徴的な校舎であったが、学生運動の激しかった1970年に刑事事件が発生し[105]、管理上の問題から同年10月に解体された[106]

  • 木月校舎(予科→第一教養部→第二中学・高校)

昭和初期には市ケ谷の校舎が手狭になったため、近隣地の取得を目指していたが[107]東京横浜電鉄(現・東急)から川崎市木月所在の日活撮影所予定地[108](1万坪)を無償提供されることになり[109]、この地に大学予科を移転することになった。その頃の木月は桃畑と麦畑が広がる田園地帯で、晴れた日には遥か遠くに富士山を眺めることもできた[110]

鉄筋コンクリート3階建て、中央に時計塔の聳えた白亜の校舎は、1936年(昭和11年)10月に落成式が行われ[110]、1939年までに野球場、陸上競技場、ラグビー場、プールなども順次建設された。

新制法政大学の第一教養部1958年(昭和33年)に市ケ谷への移転を完了した後、時計塔校舎は法政大学第二中・高校に引き継がれ、竣工から約80年を経た2014年に、2代目の時計塔校舎に建て替えられている。

  • 53年館

戦後間もない1953年(昭和28年)に竣工した地上6階・地下1階建ての校舎。55年館と連絡階段で結ばれ、大学院棟として使用された。設計は工学部の教授で、後に国立能楽堂なども手掛けた大江宏。当時の校舎としては斬新なガラス張りの建物であった[111]

53年館の中庭には、フランスの彫刻家フェリックス・ベヌトー作の原型から作られたボアソナード博士像が置かれた。これは、最高裁判所外務省フランス大使館東京大学法学部、法政大学、明治大学日仏会館などの後援により[112]パリ大学に置かれている胸像と同じ原型をもとに、東京藝術大学海野清教授らが製作した2基の胸像を、最高裁判所と法政大学に設置することになったものであり[112]、1953年12月21日午前に最高裁判所で行われた胸像除幕式には、吉田茂内閣総理大臣、田中耕太郎最高裁判所長官、レオン・ジュリオ・ド・ラ・モランディエールパリ法科大学長 (le doyen de la faculté de droit de Paris) 、ダニエル・レヴィー駐日フランス大使、大内兵衛法大総長、鵜沢総明明大学長らが出席し[113]、同日午後には、ほぼ同じメンバーで法政大学においても除幕式が挙行された[113]

53年館は1995年に解体されたが、跡地にはボアソナード・タワーが建設され、ボアソナード博士像も同タワー内に再設置されている[113]

  • 55年館

1955年(昭和30年)に竣工した地上7階・地下1階建ての校舎。当時の工学部教授であった大江宏の設計によるモダニズム建築の建物で、58年館と一体になっていた。正門側から見て右側にあたり、市ケ谷キャンパス最大の教室であった511教室や、各種大〜小教室、食堂などが入っていた。校舎としては日本最初の鉄骨高層の建築物といわれ[114][115]、また当時としては珍しかった[116]1階から7階まで続くスロープのほか、カラー・コンディショニングなどの多くの新しい試みも実用化され[116]、58年館とともに、1958年に第10回日本建築学会賞作品賞、1960年に第1回BCS賞を受賞している。55年館の落成記念式典には、安藤正純文部大臣、島田孝一日本私立大学連盟会長らが出席した。

建設されたのは戦後間もない資金的にも苦しい時期であったが、当時の大内兵衛総長の判断で着工され、511教室前の壁には大内の揮毫による「学而不思則罔 思而不学則殆」(学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し 『論語』為政篇)のレリーフが掲げられていた(2019年に大内山校舎に移設)。

  • 58年館
 
左から丹下健三、大江宏、1人おいて岡本太郎
 
左から内田祥三、大内兵衛、1人おいて堀口捨巳

1958年(昭和33年)に竣工した地上7階・地下1階建ての校舎。大江宏の設計によるモダニズム建築の建物で、55年館と一体になっていた。正門側から見てピロティを含む左側にあたり、各種大〜小教室、学生ホール、地下商店街、食堂、事務室などが入っていた。竣工した年に55年館とともに第10回日本建築学会賞作品賞、1960年に第1回BCS賞を受賞しており、戦後の法大を代表する校舎であった。58年館の竣工記念行事には、元東京帝国大学総長で安田講堂などの設計を手掛けた建築家の内田祥三や、後に日本人初のプリツカー賞受賞者となる建築家の丹下健三、戦前にフランスで過ごした芸術家の岡本太郎[117]らが参加している(右の画像はその時の写真)。

なお、53年館に隣接して第Ⅱ58年館も建設されたが、こちらは53年館とともにボアソナード・タワーの建設に伴い解体された。

55年館と58年館は、竣工から約60年を経た後に、エレメント(ディテール)、素材感、スケール等を継承した2016年竣工の富士見ゲートおよび2019年竣工の大内山校舎に建て替えられ[118]、跡地には中央広場が整備される予定である[119]。また、この中央広場には、55・58年館の床石のパターンを模したタイルを敷き詰めた「メモリアルコリドー」(仮称)という通路や、柱が立っていた位置に柱に見立てたベンチが設置される予定となっている[119]

基礎データ編集

所在地編集

  • 市ケ谷キャンパス(102-8160 東京都千代田区富士見2-17-1)
  • 多摩キャンパス(194-0298 東京都町田市相原町4342)
  • 小金井キャンパス(184-8584 東京都小金井市梶野町3-7-2)

象徴編集

校章編集

 

  • 校章は、長い伝統と永遠の真理をイメージして「大学」の二文字を亀の子型に図案化したもの。1930年に制定されたもので、当時予科に在籍していた山崎静太郎の考案である。画像は制帽のもの。

エンブレム編集

 

  • エンブレムは、校章と頭文字「H」、シンボルモチーフの組み合わせで構成されている。シンボルモチーフの羅針盤は、「その先の自分」の進む方向性を示す「進歩」の象徴、鳥の羽は、その進む方向に向かって「自由」に飛翔する強い意志の象徴であると説明されている。

校旗編集

 

  • 現在の校旗は、2008年1月に改めて作られたもので初代から数えて3代目に当たる。初代の校旗は戦災で焼失し、2代目は1947年に当時の学生課長が学生自治会と相談して、学生から5銭、10銭と醵金(きょきん)を集め、校章とスクールカラーを配することを条件として高島屋に一任したもので、制作費は15,000円であった。入学式・学位授与式(卒業式)の時に掲揚する以外には通常目にする機会はない。

略旗編集

  • 縦3列にスクールカラーで色分けされ、中央に「法政」を表すアルファベットの「H」を配したシンプルなもの。中央部分にはオレンジを、その他の部分で青(青紫)を使用。通常時は大学のシンボル旗として略旗が使用されているため、法政の旗というとこれを思い浮かべる者が多い[120]。略旗のデザインの起源については、応援団の「団旗」によるものと考えられている。1990年にはそれまで不明瞭だった寸法が正式に縦180cm、横270cmと制定され、中央の「H」の位置をはじめとする細かな寸法も定められた。

校歌編集

   
佐藤春夫(左・1892年-1964年)
近衛秀麿(右・1898年-1973年)

(一)

若きわれらが命のかぎり
ここに捧げて(ああ)愛する母校
見はるかす窓(の)富士が峰の雪
蛍集めむ門の外濠
よき師よき友つどひ結べり
法政 おお わが母校
法政 おお わが母校

(二)

若きわれらが命のかぎり
ここに捧げて(ああ)愛する母校
われひと共にみとめたらずや
進取の気象質実の風
青年日本の代表者
法政 おお わが母校
法政 おお わが母校
※( )内は作詞時には無く、作曲時に追加された歌詞

大学ホームページ上で試聴ができるほか[121]、多くのカラオケボックスで曲目一覧に掲載されている。また着うた着うたフル着信メロディでも配信されており、法政大学アリオンコール等の法政大学の合唱団や音楽サークルが楽曲を提供している。「若き我等が命の限り」「法政おお我が母校」の一節は有名である。応援団が使用するときなどは、歌の最後の「法政 おお わが母校 法政 おお わが母校」の部分を冒頭にも歌うことが多い。

応援歌ほか編集

これらの曲は法大応援団などの演奏や東京六大学野球等の応援時に聴くことができる。また、曲を収録したDVD・CD・カセットテープを大学が発行しており、法大生は機会があれば無料で入手できるほか、大学内の大学グッズショップでも購入できる。

  • 学生歌
    • 「青春の烽火」
    • 「オレンジの園に」
  • 行進曲
    • 「名大いなれ法政」(為光直経作詞、瀬戸口藤吉作曲)
      「法政大学校歌」制定以前はこの曲が校歌であった。
  • ラランカラン
    • 「歩みくれば御社」

スクールカラー編集

この項目ではを扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。(Template:色)
 
法大のスクールカラー(オレンジとブルー)。大学発売のクラッチバッグを撮影。「HOSEI University」の左側のマークが校章である。
  • スクールカラーは「オレンジ    」と「ブルー(紫より濃い青紫)     」であり、それぞれ「暁の太陽」と「青空」を表している。印刷番号は、オレンジがDIC161(4色分解/Y100%+M60%)、ブルーはPANTONE280(4色分解/C100%+M90%)である。

シンボルマーク編集

  • 現在のシンボルマークは1996年3月に制定されたもので、「100有余年の歴史が培ってきた様々な実績と、21世紀に向けたワールドワイドな視点を表すこと」をコンセプトとしている。
  • スクールカラーの「オレンジ」が持つ意味合いの一つ「太陽」というモチーフをHOSEIの「O」の文字にオーバーラップさせ、宇宙、国際性、スポーティーイメージ、躍動感、明るさ、エネルギーなどを象徴化している。

組織編集

学部編集

法学部編集

旧制法律学校時代からの伝統を有する学部で1880年創立。日本の大学では東京大学に次いで2番目に古い歴史(私学では最古の歴史)を持つ法学部である。1922年に文学科と哲学科を加えて法文学部となり[122]、1947年の学部改組により再び法学部(法律学科・政治学科)となる[123]。法律学はもちろん政治学も学び、国際的に活躍できる知的人格形成を目指す。法律学科ではコースモデル制、政治学科は科目群制、国際政治学科はコース制を設定しており、他学科の講義も受講できるよう配慮している。また国際政治学科では、1年次の夏期休暇を用いてオックスフォード大学への短期留学を行っている(全員必修。他2学科からも希望参加が可能)。

文学部編集

1922年に夏目漱石門下の野上豊一郎內田百閒安倍能成らによって法文学部内に創設された文学科と哲学科が前身。1947年の学部改組により文学部(国文学科・英文学科・哲学科)となる[126]。少人数教育に重きを置いており、2〜3年次からの学部生全員のゼミナールへの参加が必修である。法政大学では珍しい学科間の独立傾向が強い学部で、学部生全員へ課される共通必修科目が無い代わりに、より専門性の高い研究を行えるよう配慮されている。2003年には二部文学部教育学科を発展する形で心理学科が新設された。

経営学部編集

1959年設立。日本の大学では3番目、私立大学では2番目に設置された経営学部である。経済学部内に設置されていた商業学科が前身で、戦後の好景気による経済学部進学希望者の増大に対して、より実学重視の学部を設置するべく創設された経緯がある[128]。組織・人事・会計を専門に扱う伝統の経営学科の他に、より国際的な経営戦略、専門的なマーケティング創造を目指す2003年新設の2学科がある。

2009年に創設50周年を迎え、米国の経営学者マイケル・ポーターによる特別講演など記念事業が催された。この様子は日本経済新聞にも掲載された[129]

国際文化学部編集

1999年創立。「文化」を一国ずつに考えるのではなく、国境を越えて広がる文化のイメージを捉えると同時に異文化間のコミュニケーションを考える。コース制を敷いており、2年進級時には希望のコースを選択するが、3年進級時に変更も可能。少人数教育も盛んに行われている。長期と短期を選択できる海外留学システム(Study Abroad、通称SA)に力を入れており、学部生の海外留学は必修である。

人間環境学部編集

1999年創立。日本の大学での環境学の先駆的存在。自然保護・街づくり・国際協力などを学ぶため、キャンパスを飛び出して現地へ赴く「フィールドスタディー」が特徴。コース制を実施しており、2年進級時に選択する。文系ではあるものの理系の研究も可能である。

キャリアデザイン学部編集

2003年に二部文学部教育学科を発展させる形で設立。英語の「career」という言葉をいかに捉えるのかを研究する学部で、世界規模で注目されているテーマである「キャリアデザイン」を考える。教育学・経営学・文化/コミュニティ学を融合した新しい学問体系で、その核となるのは「生き方研究」である。自身のライフコースを見つめ、深く考慮できる人材育成を目指す。2年次に領域を選択する。

デザイン工学部編集

2007年に工学部の建築学科・都市環境デザイン工学科・システムデザイン学科を改組し、市ケ谷キャンパスへ移転して設立。「総合デザイン」を学部の核となるキーワードに設定し、学生の進路に合わせたデザイン学を構成する。美学、工学、技術から生まれる新しい「ものづくり」、「空間づくり」、「都市づくり」の教育研究を理念に置く。専門の授業は市ケ谷キャンパスから少し離れた市ヶ谷田町校舎で学ぶ。現在3学科を抱える。

GIS(グローバル教養学部)編集

2008年にIGISを発展させる形で設立。GISと称されることが多い[130]。学内最小の学部で、日本国内でも最小規模の学部である。その分だけきめ細やかな教育を売りにしており、ほとんどの講義は少人数、かつ基本的に全て英語で行われる。また海外からの留学生も多く所属している。1年次の必修科目である「Global Studies」は、専任教員が毎週交替でそれぞれの専門分野と関連づけて講義されている。「芸術・文学と文化 (Arts, Literature and Culture)」、「言語学と英語教育 (Linguistics and English Education)」、「社会とアイデンティティ (Society and Identity)」、「国際関係と経済 (International Relations and Economy)」という科目群がある。

経済学部編集

1920年設立。日本の大学では東京大学京都大学慶應義塾大学に次いで4番目、私立大学では2番目に設置された経済学部である。学部独自の海外留学システムを備えており、国際コミュニケーション科目、外国語科目も多数存在し、よりグローバルな経済界を見据えていく。経済学だけでなく、会計やファイナンスといった商学の分野も学習が可能であり、さらには経済学に隣接する経営学と法学にも触れる。1年次からの入門ゼミと4年間の一貫教育を実施しており、現在3学科を抱える。

社会学部編集

1919年(大正8年)に内務省や財界によって設立された財団法人協調会をルーツとし、1952年に日本の私立大学で最初の社会学部として設立された(日本の大学では一橋大学に次いで2番目)。ゼミナール活動を中心とした7コース・8プログラムで研究を進める。2年次に主専攻(コース)を1つ選び、副専攻(プログラム)を2-3個選ぶ。さらに大学から外へ出て実際に行動する「フィールド学習」を行い、フィールドトリップ、フィールドワーク、フィールドリサーチ、フィールドのメディア化のプロセスを通じて、社会の実像を見つめていく。その他マスコミ・メディア学も履修可能である。

現代福祉学部編集

2000年創立。福祉・臨床心理・地域づくりの3テーマを主軸に置く独自のカリキュラムで特色ある学習を目指す。東京六大学では初の本格的な臨床心理も学ぶことができる。学外での臨床現場を見学、体験を基にした研究をすることもできる。インテンシヴ・イングリッシュという2年間の英語教育も行われている。創立当初は現代福祉学科のみであったが、2010年に福祉コミュニティ学科・臨床心理学科の2学科体制へと改組され、現代福祉学科は現在募集停止中である。

スポーツ健康学部編集

2009年創立。現在法政大学内で最も新しい学部である。21世紀のスポーツと健康の問題を日々扱っていき、実習・実技講義も多数備える。また、海外の最先端スポーツ健康学を理解するための英語教育にも重きを置く。コース制を敷いており、2年進級時に選択するが、各コース間の連携を強くし、学部生全員が基本となる体育学、健康科学が身につくよう考慮されている。多摩キャンパスの広いスポーツ施設を利用する。

理工学部編集

2008年に工学部機械工学科・情報電気電子工学科・電子情報学科・システム制御工学科・経営工学科を改組、発展させて設立。機械工学科には国内大学では極めて珍しい航空操縦学専修も存在し、飛行実習を海外ではなくホンダエアポートで行い[131]、日本の国立・私立大学で初めて留学無しで操縦士免許を取得できる様になっている。各個人へのパソコン貸与ほか、少人数教育に率先的である。各学科や専修にとらわれない学科横断の学習も可能で、専門科目だけではなく文系教養科目での単位修得も行える。現在5学科を抱える。

生命科学部編集

2008年に工学部生命機能学科・物質化学科を改組、発展させて設立。生物学・生命学を軸とした専門分野を学ぶほか、先端科学を基礎とした技術研究も行う。生命機能学科には、国内大学では珍しい植物医科学専修が存在する。少人数教育を行っており、1年次から実験・実習を重視している。また、チューター制度も導入しているほか、キャリア学習にも力を入れており、外部研究機関等と連携して学習するインターンシップ科目も設定されている。2014年4月に生命機能学科植物医科学専修を改組して応用植物科学科を設置。

情報科学部編集

2000年創立。情報の名を冠する学部の中でも本学部の研究はかなり本格的で、他大学ではたいてい4年次から参加する情報活動を1年次から参加できる「情報科学プロジェクト」がある。4年間学科生全員へノートパソコンが貸与され、自由にソフトウェアを入れたりハードウェアを拡張することもできる。2年進級次にコースを選択し、2-3年次に各コースの科目を履修する。4年次から研究室に所属して卒業研究に取り組む。現在2学科を抱える。

募集停止学部編集

  • 1950年設立。2007年に一部の学科をデザイン工学部に、2008年に残りの学科も理工学部・生命科学部へそれぞれ改組されたため、現在は学生募集を停止している。全学科が小金井キャンパスに設置され、工学の基幹を踏まえつつ、柔軟な思考で新たなものづくりができるエンジニア育成に力を入れる。改組以前は10学科を抱える大規模な学部であった。
  • かつて法政大学にも二部(夜間課程)が存在した。募集停止時には法学部法律学科・政治学科、文学部日本文学科・英文学科・教育学科、経済学部経済学科・商業学科、社会学部社会政策科学科の計4学部8学科を有していた。現在でも名称に「一部」・「二部」と付くサークルや「第二体育会」が存在するのは、二部が設置されていた名残である。なお教育学科を元にキャリアデザイン学部・文学部心理学科が成立している。受験志願者数の減少(2000年代には受験倍率は2倍程度)や在学生の減少など、夜間課程の社会的使命の終焉を示す状況の表出により2011年度をもって完全閉鎖された[132]

通信教育部編集

1947年に日本初の通信教育部として設立された[12]。設立当初は法学部法律学科のみの設置であったが、徐々に学部学科数を増やしていき現在に至っている。特に地理学科に関しては、国内大学の通信教育課程において全国唯一の存在である。現在3学部6学科と教職課程を有する。また、創立当初の通信教育部長は美濃部達吉[133]である。全国各地でもスクーリング授業を行っており、近年は2004年よりメディアスクーリングを開講するなど、多くの人が学べるような工夫が行われている。2013年4月より、社会環境の変化にともないカリキュラムが大きく変更された。

大学院研究科編集

大学院は、1951年に人文科学研究科と社会科学研究科に修士課程を設置したことに始まる[13]。2017年4月現在、15研究科・31専攻・3インスティテュートおよび専門職大学院法科大学院(法務研究科)と経営大学院イノベーション・マネジメント研究科)を擁している。

社会人への門戸が広いことが特徴で、1995年に日本最初の夜間博士後期課程を開設[13]、2008年には社会人大学院の政策創造研究科を開設した。現在、9専攻で昼夜開講、8専攻で夜間開講している。

  • 法学研究科(修士課程、博士後期課程)
  • 政治学研究科
  • 人文科学研究科(修士課程、博士後期課程)
    • 哲学専攻
      修士課程は昼夜開講制
    • 日本文学専攻
      修士課程は昼夜開講制。「能楽研究者養成プログラム」、「文芸創作研究プログラム」を設置している
    • 英文学専攻
      修士課程は昼夜開講制
    • 史学専攻
      修士課程は昼夜開講制。「アーキビスト養成プログラム」を設置している
    • 地理学専攻
      修士課程は昼夜開講制
    • 心理学専攻
    • 国際日本学インスティテュート
      心理学専攻を除く、いずれかの専攻に所属することになる。修士課程は昼夜開講制
  • 国際文化研究科(修士課程、博士後期課程)
    • 国際文化専攻
      修士課程は昼夜開講制
  • 経済学研究科(修士課程、博士後期課程)
    • 経済学専攻
      • 修士 (M.A.) プログラム
        昼夜開講制
      • 博士5年 (Ph.D.) Ψプログラム
        昼夜開講制
  • 社会学研究科(修士課程、博士後期課程)
    • 社会学専攻
      • 社会学コース
        市ケ谷キャンパスと多摩キャンパスで昼間開講
      • メディアコース
        市ケ谷キャンパスで夜間開講
  • 経営学研究科(修士課程、博士後期課程)
    • 経営学専攻
      • 昼間コース
      • 夜間コース(法政ビジネススクール)
        • 企業家養成コース
        • 国際経営コース
        • 人材・組織マネジメントコース
        • マーケティングコース
        • アカウンティング・ファイナンスコース
  • キャリアデザイン学研究科(修士課程のみ)
    • キャリアデザイン学専攻
      夜間大学院
  • 公共政策研究科(修士課程、博士後期課程)
  • 政治学/公共政策研究科
    • 連帯社会インスティテュート(修士課程のみ)
      夜間大学院
  • 政策創造研究科(修士課程、博士後期課程)
    • 政策創造専攻
      独立大学院 社会人大学院 夜間大学院
      • 経済・社会・雇用創造群
        • 雇用・人材育成・キャリアプログラム
        • 地域社会・介護福祉プログラム
        • 経済・社会プログラム
      • 文化・都市・観光創造群
        • 都市空間・まちづくりプログラム
        • 都市文化プログラム
        • 観光メディアプログラム
      • 地域産業・企業創造群
        • CSV・サステナビリティ経営プログラム
        • 企業経営革新プログラム
        • 地域産業プログラム
  • 人間社会研究科
    • 福祉社会専攻(修士課程のみ)
    • 臨床心理学専攻(修士課程のみ)
    • 人間福祉専攻(博士課程のみ)
  • スポーツ健康学研究科(修士課程のみ)
    • スポーツ健康学専攻
  • 理工学研究科(修士課程、博士後期課程)
  • 情報科学研究科(修士課程、博士後期課程)
  • デザイン工学研究科(修士課程、博士後期課程)
    • 建築学専攻
      • 修士課程のコース
        • 選抜1年コース
          建築系学部・学科の在学者とその卒業生である社会人の中から特に優れた成績または業績を有する者が対象
        • 総合2年コース
        • キャリア3年コース
          非建築系学部または学科の卒業生が対象
    • 都市環境デザイン工学専攻
      • 修士課程のコース
        • 総合2年コース
        • キャリア3年コース
          都市環境デザイン工学系ではない学部・学科の卒業生が対象
    • システムデザイン専攻
      昼夜開講制
  • 情報科学/理工学研究科(修士課程、博士後期課程)
    • 総合理工学インスティテュート (Institute of Integrated Science and Technology)
      英語学位プログラム
  • 専門職大学院

学部・研究科・通信教育部以外の大学組織編集

  • 法政大学大原社会問題研究所(通称「大原社研」)
  • イオンビーム工学研究所
  • 情報メディア教育研究センター
  • 法政大学沖縄文化研究所
  • スポーツ研究センター
  • ボアソナード記念現代法研究所
  • 野上記念法政大学能楽研究所
  • 日本統計研究所(前身は日本銀行の国家資力研究所)
  • 比較経済研究所
  • イノベーション・マネジメント研究センター
  • 国際日本学研究所
  • サステイナビリティ実践知研究機構 地域研究センター
  • サステイナビリティ実践知研究機構 エコ地域デザイン研究センター
  • サステイナビリティ実践知研究機構 サステイナビリティ研究センター
  • サステイナビリティ実践知研究機構 マイクロ・ナノテクノロジー研究センター
  • サステイナビリティ実践知研究機構 江戸東京研究センター
  • 環境センター
  • FD推進センター
  • 言語文化センター
  • 市ヶ谷リベラルアーツセンター
  • 学習環境支援センター
  • 自然科学センター
  • 入学センター
  • 学生センター
  • ボランティアセンター
  • キャリアセンター
  • グローバル教育センター
  • 総合情報センター
  • 教職課程センター
  • 法政大学史センター
  • 多摩地域交流センター
  • 公務人材育成センター
  • 高度会計人育成センター

法人の事務機構編集

  • 総長室
  • 法人本部
    • 卒業生・後援会連携室
    • 人事部
    • 経理部
  • 環境保全本部
    • 施設部
    • 事業室
    • 環境センター
  • 教育支援本部
    • 学務部
    • 入学センター
    • 多摩事務部
    • 小金井事務部
    • 大学院事務部
    • 通信教育部事務部
    • 中学高等学校事務室
    • 第二中・高等学校事務室
    • 女子高等学校事務室
  • 学生支援本部
    • 学生センター
    • 保健体育部
    • キャリアセンター
  • 国際学術支援本部
    • 研究開発センター
    • 国際交流センター
    • 総合情報センター事務部
    • 図書館事務部
    • サステイナビリティ研究所事務室
    • 地域研究センター事務室
    • マイクロ・ナノテクノロジー研究センター事務室
  • グローバル人材開発センター事務室
  • ハラスメント相談室
  • 監査室

法政大学図書館編集

法政大学の図書館は1899年(明治32年)和仏法律学校時代に創設され、その歴史は100年を超える。創設以来、多くの法大生や教授の研究を支えてきた。1929年から1931年には第二代図書館長として野上豊一郎が就任している。

現在、図書館は市ケ谷・多摩・小金井の各キャンパスにそれぞれ存在しているが、全ての学生が3キャンパスの図書館を利用することができる。所蔵資料数は2009年4月現在165万冊[135] で日本の大学中6位。法政大学生であれば、自宅のパソコンからも図書の予約が可能。毎日数回3キャンパスの図書館を回る「図書配達車」を運行しているため、希望の資料が万が一所属キャンパスに無くても、スピーディに入手できる。

各館では、図書館や法大教授が所有する歴史的に貴重な史料も定期的に展示されている。また卒業生や山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム加盟大学生[136]・各キャンパス所在地周辺住民も登録を行えば利用可能である。

なお、1988年には小金井キャンパスの図書館長を工学部長が兼務することとなった。2004年4月1日には新たに図書館規程が制定され、規定により市ケ谷キャンパス図書館に3館を統括する館長が置かれるようになったほか、館長の所属しない他2キャンパスの図書館には副館長を置くこととなった。

各館概要編集
  • 市ケ谷館
  • 80年館2階〜地下4階と富士見坂校舎1階に位置する。2階には多くの閲覧スペースを設けているほか、個人自習用の机も多数設置している。地下は閉架書庫となっている。富士見坂校舎の閲覧室とは連絡通路で連絡している。
  • 市ケ谷キャンパスからやや離れた市ヶ谷田町校舎内には田町別館も設けている。
  • データベース利用コーナー、ガイダンスルーム、マイクロ資料室、共同読書室、閲覧室(自習室)、パソコン・電卓持ち込み閲覧室、学生ラウンジ、屋上庭園、リサイクル図書棚、ラーニングコモンズ(旧富士見坂閲覧室、討論等も可能なフリー学習スペース)などの施設がある。
  • 小金井館
  • 事務管理棟、南館、西館内にそれぞれ位置する。閲覧室の机には全てに情報コンセントが備えられているほか、学生証を提示することで入室できる洋書庫、さらには自由に入室できる地下書庫がある。ライブラリ施設にはグループ視聴可能なスペースも設けている。
  • メディアライブラリ、閲覧室(自習室)、洋書庫などの施設がある。
  • 多摩館
  • 3号館に位置する。法政大学図書館では最大の面積規模を誇り、吹き抜けを利用した開放的で明るい雰囲気である。
  • ガイダンスルーム、オープンパソコンエリア、共同読書室、視聴覚室、マイクロ室などがある。

法政大学出版局編集

大学総長を会長とした、法政大学の出版部に当たる一般財団法人。詳しくは法政大学出版局の項を参照。

セミナーハウス等編集

詳しくは付属施設の項を参照。

  • 富士セミナーハウス
  • 石岡総合体育施設
  • 白馬山荘
  • 大学関係者と組織編集

    大学関係者組織編集

    学友会編集

    全法大生が所属する組織で、法政大学総長を会のトップに置く。構成員は法政大学に在籍する全学生であるが、全ての大学公認団体・サークル・部活動も学友会に登録され、所属する。その他、幹部組織としての団体が少数所属する(以下の所属構成で挙げる団体以外にも数団体所属している)。学内で開催されるイベント等はもちろん、野球部東京六大学野球で優勝した際に行われる優勝パレードも学友会が主催している。

    所属構成
    • 法政大学総長
    • 法政大学体育会
    • 法政大学第二体育会
    • 法政大学応援団
    • 自主法政祭実行委員会
    • 市ケ谷、多摩、小金井の各キャンパスサークル管理団体
    • 全ての大学公認サークル
    • 全ての法政大学生

    法政大学校友会(旧:法政大学校友連合会)編集

    [137] 法政大学の同窓・親睦会組織は「法政大学校友連合会」と呼ばれていた。連合会は本部であり、その下にいくつかの組織が存在し、それらが集まって連合会全体を成している。連合会入会資格は「学校法人法政大学」が設置している学校を卒業していることである[138]

    2014年に一般社団法人化し法政大学校友会となった。

    主な構成組織
    • 法政大学法学部同窓会[139]
    • 法政大学文学部同窓会
    • 法政大学経済学部同窓会[140]
    • 法政大学工学部同窓会[141]
    • 法政大学経営学部同窓会
    • 法政大学社会学部同窓会[142]
    • 法政大学人間環境学部同窓会「いちえの会」
    • 法政大学高等学校同窓会[143]
    • 法政大学第二高等学校同窓会[144]
    • 法政大学女子高等学校同窓会[145]
    • その他就職支部、クラブ支部(約112支部)
    • 地域支部(約155支部)
    • 上記以外にも部・サークル活動のOB会やそれに付随する組織などが所属する。
    • さらに、ニューヨーク中国韓国ソウルシンガポール台湾にも同窓会の支部が存在する。
    • 第二次世界大戦大東亜戦争太平洋戦争)終戦までは台湾、韓国のほかに満州国にも同窓会支部が存在していた。

    大学関係者一覧編集

    研究編集

    文部科学省支援 研究プロジェクト編集

    • 21世紀COEプログラム
    • 日本発信の国際日本学の構築(2002年)
    • 私立大学戦略的研究基盤形成支援事業
    • マイクロ・ナノテクノロジーによる細胞内操作技術と生体機能模擬技術の開発(2008年)
    • 自治体とのネットワーク構築による政策形成の研究(2008年)
    • 国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討―<日本意識>の現在・過去・未来(2010年)
    • 地域活性化のメカニズムと政策の研究(2011年)
    • エネルギー戦略シフトによる地域再生ー原子力依存度の漸減と地域自然エネルギーの振興(2013年)
    • グリーンテクノロジーを支える次世代エネルギー変換システム(2013年)
    • 国際共同に基づく日本研究推進事業
    • 欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査とそれによる日本及び日本観の研究(2010年)
    • 教育研究高度化のための支援体制整備事業
    • サステイナブルな社会システムデザインに関する研究(2009年)
    • 私立大学研究ブランディング事業
    • 江戸東京研究の先端的・学際的拠点形成(2017年)

    文部科学省支援 教育プロジェクト編集

    • 大学教育・学生支援推進事業【テーマA】大学教育推進プログラム
    • 高度情報処理技術者を目指す学士力の育成(2009年)
    • 新たな社会的ニーズに対応した学生支援プログラム(学生支援GP)
    • 「学生の力」を活かした学生支援体制の構築―クラス・ゼミ(正課教育)、クラブ・サークル(正課外教育)に次ぐ、『第3のコミュニティ』づくり―(2007年)
    • 大学教育の国際化加速プログラム(長期海外留学支援)
    • 「長期海外留学・学位取得支援制度」の実施(2008年)
    • 現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)
    • 大規模私大での大卒無業者ゼロをめざす取組-学生が行う「キャリア相談実習」による職業意識の質的強化-(実践的総合キャリア教育の推進)(2006年)
    • 地域の中小企業活性化と実践的体験教育-コンサルティングと課題解決教育の構築-(地域支援分野)(2004年)
    • 新しい国際遠隔教育の構築に向けて-コンテンツ開発とオンデマンド教育-(IT教育分野)(2004年)
    • 大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラム
    • 全国の地域で活躍できるプロフェッショナル<まちづくリスト>育成プログラム(2009年)
    • 諏訪地域「地力・知力アップ」人材育成講座(2008年)
    • 社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム
    • 地域づくりを担う人材の育成に向けた学び直しの遠隔授業プログラム(2007年)
    • 転職・再就職希望者に対する「トータルキャリア教育」(2007年)
    • 大学生の就業力支援事業
    • 就業力を育てる3ステップシステム(2010年)

    教育編集

    学術機関リポジトリ編集

    正式名称は法政大学学術機関リポジトリ。学内の教育成果や研究結果、研究論文などを電子化し、まとめた上で学外へ広く発信することを目的としており、2007年度から本格的に機能している。国立情報学研究所委託事業・次世代学術コンテンツ基盤の共同構築にも採択されている。学術雑誌の購読数の減少、それによって研究者が各々必要とする学位論文を読むことが困難になった現状、文部科学省「科学技術・学術審議会学術分科会、研究環境基盤部会、学術情報基盤作業部会」の報告などを背景として設立された。登録された教育成果や研究結果、研究論文等(同機関内では「知的生産物」と総称)は、GoogleJAIRO・OAIster(ミシガン大学電子資料ポータルサイト)などから検索可能となっており、インターネット環境下の全ての人間を対象とした情報の無償公開を行っている。

    登録されたデータはより多くの研究者達の目に留まりやすくなり、自らの研究結果を広範囲に発信できるほか、知の発信による社会貢献責務のある大学にとっても有意義なシステムであるとしている。

    登録データは、それぞれ学術雑誌論文、学位論文、紀要、研究調査報告書、学会発表資料、レポート、プレプリント、図書、貴重書、教育資料、その他の合計11に分類される。

    IGIS(グローバル学際研究インスティテュート)編集

    2006年4月に開設。通称アイジス。学部横断型の特別プログラムで、特定の対象学部学科に所属しながら卒業所要単位の6割に当たる76単位を、IGISが独自に設置する科目から履修、単位認定を受けることができる。2008年GIS(グローバル教養学部)設置に伴い、現在募集を停止している。

    指定学部学科は以下の通り。

    • 文学部
      • 日本文学科
      • 英文学科
    • 経済学部
      • 国際経済学科
    • 国際文化学部
      • 国際文化学科

    スポーツ・サイエンス・インスティテュート編集

    略称SSI。「スポーツに優れた者の特別推薦入学試験」による入学者の学ぶ環境をより充実させるためのプログラム。将来のスポーツ文化の担い手となる人材を育成する。多くの学部学科でSSI履修が認められており、履修を希望する学生は、各学部・学科によって定められた科目と同時にSSI科目を44単位以上履修することができる。学部・学科の枠を超えた科目履修を可能にするため、e-ラーニング・システムを利用した3キャンパスを結んだ遠隔授業が行われている。

    国際遠隔講座「福祉工学」編集

    2003年度より開講。法政大学では初めての学部横断文理融合科目。法政大学の3キャンパスとアメリカ、韓国とを双方向リアルタイム遠隔講義システムで結び、講義を行う。また、外国人教員担当の授業は全て英語で行われる。

    国際日本学インスティテュート編集

    2003年度に国際日本学研究所が開設したことに伴い、国際日本学の普及・教育を目的に開設された。入学した生徒は、大学院の既存専攻を横断し、「国際日本学インスティテュートコース所属」となる。当初、人文科学研究科・政治学研究科・社会学研究科などの多研究科を横断する形であったが、2011年度より人文科学研究科内に置かれ、教育的充実を図る。「日本」像を国際的に、国内から発信するという目的のために、多数用意されている授業カリキュラムの中から専門に合わせて自由に履修し、自己の研究テーマを国際日本学的視点から深化させ、多角的・学際的な研究を行う。「日本」を客観的に見て、世界の諸文化と比較することによって、多角的視点に立ちながら研究したい、またはそのような研究テーマを持つ者、または日本の文化を世界に発信したいと考えている者、または日本の中でも独自の文化を育んできたアイヌ・琉球等を研究対象とする者などが入学する。国際日本学周辺を専門とする研究者を養成するほか、日本文化をより深く学ぼうとする留学生や、学び直しをする社会人のために、それぞれ一般入試とは別に試験を行うなどの機会を設け、様々なバックグラウンドを持つ人のために、広く門戸を開いている。

    自主マスコミ講座編集

    自主マスコミ講座(通称「自主マス」)は、1988年に当時社会学部の助教授だった稲増龍夫と大学の職員有志が中心となって始めた、マスコミ志願者向け講座である。マスコミ向け就職対策講座としては日本の大学で最も古い歴史を持つ。

    受講するには大学内の選考試験に合格しなければならない。法政大学の正課ではないにもかかわらず、その倍率は3倍近くになる。現在は、法政大学の3年生が受講できるアナウンサーコース、新聞・報道記者コース、出版コース、放送コース、広告コースに加え、2年生が受講できる2年アナウンサーコース、2年基礎コース、1年生が受講できる1年基礎コースの8コースがある。今年度から3年生は筆記試験がなくなり面接のみの試験となった。

    なお2009年秋季より、2年生は、アナウンサーコース、新聞・報道記者コース、出版コース、放送コース、広告コースとコースごとへの募集と変更された。なお、コースごとに分かれての募集は秋季のみであり、春季は基礎コース(2年生)のみの募集である。

    エクステンション・カレッジ編集

    法政大学の資格取得支援として、エクステンションカレッジが設置されている。各種資格取得講座のほか、企業からの寄付講座やTOEFL・TOEICスコアアップ講座、英会話講座、コミュニケーション力養成講座、文章作成能力養成講座など多種多様な講義が存在する。

    エクステンションカレッジは他大学の有料講座と同様に学外者も受講可能であり、法大生はもちろん、法大生の家族や他大学の学生、一般社会人などにも講座が公開されている。法大生に限らず、学生であれば特別優待料金で受講できるほか、一般人でも規定の条件を満たせば優待料金で受講が可能である。

    対外関係編集

    国内他大学との協定編集

    詳細な協定大学名などは各項目を参照。

    海外交流大学等編集

    2020年4月現在、全部で44ヶ国251大学・機関と交流協定を結んでいる。詳しくは、海外交流協定大学・機関一覧 を参照のこと。

    地方自治体との連携編集

    その他編集

    • 商工会議所との連携・協定を組み、キャリア支援や特殊講義の開講などを行っている。
    • 財団法人海外投融資情報財団(財務省所管)との提携

    キャンパス編集

    市ケ谷キャンパス編集

    所在地

    102-8160 東京都千代田区富士見2-17-1

    交通アクセス
    設置学部
    • 法学部
    • 文学部
    • 経営学部
    • 国際文化学部
    • 人間環境学部
    • キャリアデザイン学部
    • デザイン工学部
    • GIS(グローバル教養学部)

    の各学部1〜4年次

    環境
    • 東京の都心にあり、山手線の中心付近に位置する。
    • キャンパスの拡張や整備が行われてきた結果、現在の形となっている。千代田区富士見2丁目に所在する一続きの校地(本部キャンパス)を「富士見校地」と称し[148]、この富士見校地とその周辺の校舎で構成されている。
    • 大多数の学部生が利用する校舎や施設は全て「富士見校地」内に位置し、デザイン工学部以外の学部生が周辺の校舎を利用することはあまりない。
     
    外濠公園

    建築物編集

    富士見校地編集
     
    新見附橋付近から見た本部キャンパス。右のタワーがボアソナード・タワー、左が外濠校舎、奥に80年館上部が見える。
    • ボアソナード・タワー

    2000年に竣工した地上27階・地下4階建て、高さ122.43mの高層校舎。法政大学で最も高い建物であり、富士山皇居東京駅新宿駅周辺の高層ビル群を眺望できる位置にある。名称は学内公募により決定され、ボアソナードに因んで名付けられた。スカイホール(26階にある多目的ホール)、フォレストガーデン(学生食堂)、ヘリオス(学生ホール)、小教室、各種実験室、事務室、研究室、研究所などが入る。

    • 富士見ゲート

    2016年に竣工した市ケ谷キャンパス正門付近にある地上6階・地下2階建ての校舎。大きな開口部を持ち、大教室や中教室のほか、カフェテリアつどひ(学生食堂)、オレンジホール(多目的ホール)、学生ホール、売店などが入る[150]。また6階には、広さ660m2の富士見屋上庭園があり、芝生などのスペースが設けられている[150]。名称は学内公募により決定され、市ケ谷キャンパス富士見校地のメインゲートになることから名付けられた[151]

    • 大内山校舎

    2019年に竣工した地上8階・地下1階建ての校舎。2021年に完成予定の市ケ谷キャンパス中央広場に面し、中教室や小教室のほか、Gラウンジ (Global Lounge) 、各種事務室などが入る。55・58年館のデザインやスケール等を継承した校舎であり[118]、外観だけでなく校舎の内部にも、55・58年館のデザインが取り入れられている[152]。名称は学内公募により決定され、大内山庭園に隣接することなどから名付けられた[153]

    2020年には、空中渡り廊下で、富士見ゲートと大内山校舎が結ばれた。

    • 外濠校舎
     
    外壕校舎

    2007年に竣工した地上8階・地下2階建ての校舎。学生会館の跡地に建設された。名称は学内公募により決定され、当校舎が外濠に面していることから名付けられた。市ケ谷キャンパスで初めてエスカレーターが導入された校舎である。

    870人収容の薩埵ホール、200〜400人収容の中教室・大教室、演習室、多目的ホール、学生ラウンジ、スタディルームのほか、音楽練習室、アトリエコンビニエンスストアなどが入る複合施設である[154]

    ESCO事業に基づく建物で、北・西側壁面にはガラスのダブルスキン、南・東側壁面にはアルミルーバーを取り付け、熱負荷の軽減を図っている。またトイレには力を入れており、各階でデザインが異なっている。

    • 80年館

    1980年に竣工した地上9階・地下4階建ての校舎。大内山庭園の横に位置し、図書館(地下4階〜地上2階)、研究室、資料室などが入る。設計は鬼頭梓建築設計事務所。隣接する富士見坂に基準階を合わせているため、キャンパス中心部から見ると図書館のメインフロア(1階)が3階相当の高さにあるという特異な構造になっている。

    80年館の建設にあたり、イギリスの外交官であったアーネスト・サトウの旧宅(次男の植物学者武田久吉[73])を購入したことから、富士見坂に面した裏門には、竣工当時の総長中村哲の筆による銘板をはめ込んだ石碑が立っている[155][73]

    • 富士見坂校舎
     
    富士見坂校舎

    江東区東雲に移転した嘉悦学園女子中学校・高等学校の校地と校舎(1998年竣工)を買い取り、建物を改修し、2006年に利用を開始した地上7階・地下2階建ての校舎。従来のキャンパスと連結されたことで、市ケ谷キャンパス富士見校地の面積が拡大することになった。

    名称は学内公募により決定され、キャンパスの南側にある「富士見坂」より名付けられた。小教室のほか、ステラビアホール(多目的ホール)、情報カフェテリア(PC自習室)、食堂、体育館などが入る複合施設である。2007年には、嘉悦学園時代はバスケットコートであった校庭の緑化工事が完了し、フランス式噴水庭園となった。

    • 市ケ谷総合体育館

    1975年に竣工した地上5階・地下1階建ての体育館。富士見坂校舎南東端に隣接しており、各種体育関係室や、柔道場・剣道場・空手場・卓球場・ボクシング場・レスリング場・フェンシング場・アリーナ等の室内体育施設、トレーニングセンターが入っている[156]

    市ケ谷キャンパスの体育授業は、基本的にこの総合体育館と富士見坂校舎体育館で行われる。地下1階のトレーニングセンターは、大学の定期健康診断を受診し、トレーナーが実施するガイダンスを受ければ、一般の学生も利用できる[156]

    周辺校舎編集

    デザイン工学部や大学院の校舎、研究室や研究所などの一部の大学施設、また法人施設は、富士見校地(本部キャンパス)内ではなく、その周辺に所在している。以下にまとめて記載する。

    • 市ケ谷田町校舎
     
    市ケ谷田町校舎

    富士見校地より約300m離れた、外濠の向かい側(新宿区市谷田町2丁目)にある地上5階・地下1階建ての校舎。1962年竣工の大江宏設計による62年館と通教館の2棟を、デザイン工学部の専用校舎へとリノベーションした建物であり[157]2008年に竣工した[157]。このリノベーションにより、建築関係のスタジオや個人用ロッカー、バリアフリーに配慮したエレベーターなどが新たに整備された。地下1階には、大学生協が運営する学生食堂がある。

    なお、この市ケ谷田町校舎(旧62年館)の土地は、土佐藩最後の藩主山内豊範の長子である侯爵山内豊景の所有地であった[60][66]

    • 大学院棟
     
    大学院棟(旧92年館)

    1992年に竣工した地上13階・地下1階建ての大学院専用校舎。外濠の向かい側(新宿区内)にあり、外堀通りに面している。「92年館」が正式名称であったが、その後「大学院棟」に改称された。

    1階のエントランスロビーには、ギリシャ文字をアポロ神殿にあしらったレリーフが掲げられている[158]。このギリシャ文字「ΓΝΩΘΙ ΣΕΑΥΤΟΝ」(汝自身を知れ)は、旧大学院棟(53年館)1階ロビーの壁上にも記されていたものである[159][158]

    • 新見附校舎

    大学院棟の東側に隣接する地上10階・地下2階建ての校舎。2010年度に大学所有の土地建物となったもので、主に大学院デザイン工学研究科に加え、日本語教育プログラムの教室、文系大学院の院生研究室として利用されている[160]

    • 法科大学院棟

    2004年に竣工した地上6階・地下1階建ての法科大学院専用校舎。1969年竣工の69年館を、専門職大学院法務研究科(法科大学院)の開設に合わせて改修したもので、講義室のほか、演習室、法廷教室、図書室、院生研究室(自習室)、談話室などが入る[161]

    • 新一口坂校舎

    法科大学院棟の南側に隣接するビルを取得し、2006年に利用を開始した地上6階・地下1階建ての校舎。大学院政策創造研究科および専門職大学院イノベーション・マネジメント研究科(経営大学院)の校舎として利用されている[162]

    • 九段北校舎

    法科大学院棟の南側かつ新一口坂校舎の東側に隣接する地上8階・地下1階建ての校舎。2018年に取得した建物で[163]、1階には2020年に開館したHOSEIミュージアム (Hosei University Museum) がある[164]

    • 一口坂校舎

    2014年に竣工した地上9階建ての校舎。靖国通りと一口坂の両方に面した角地に建っており、研究室、事務部局などが入る。周辺の緑と調和するようにアースカラーを基調色としている[165]

    • 九段校舎・九段校舎別館

    靖国通りに面して建つ地上10階・地下2階建ての校舎とその裏手にある校舎。法人施設となっている九段校舎には、法政大学出版局などが入る。また別館には、国際日本学研究所などがある[166]

    学生食堂編集

    • カフェテリア つどひ

    富士見ゲート3階にある大食堂。座席数は502で、運営は株式会社レパスト。外濠側、中庭側、テラス席に区分されており、外濠や中庭の景色を眺めながら食事ができる。日替わりのランチプレートやオリジナルメニュー、各種麺類などを提供している[167]

    • フォレストガーデン

    ボアソナードタワー地下1階にあるカフェテリア方式の食堂。座席数は約350で、運営は大学生協。地下1階ではあるが半地下構造のため、外濠公園の景色を眺めながら食事ができる。毎日50品目以上を提供し、ビュッフェコーナーも併設しているため、多くのメニューから選ぶことが可能である[167]。定食やプレート、季節ごとのメニューもあり、毎月テーマフェアを実施している[167]

    • 富士見坂食堂

    富士見坂校舎地下1階にあるカフェテリア方式の食堂。座席数は262で、運営は大学生協。フォレストガーデンと同じく半地下構造のため、富士見坂校舎の中庭を眺めながら食事ができる。主菜、副菜、主食、汁もの、丼、カレー、麺類などから好きなものを組み合わせて利用できる[167]

    • スタッフクラブ

    ボアソナード・タワー25階にあるラウンジ。丸の内新橋方面を眺望しながら食事ができる。授業日の昼食営業に加え、卒業生・教職員向けのパーティーや懇親会などの営業を行っている[167]

    • 市ケ谷田町校舎食堂

    市ケ谷田町校舎地下1階にある食堂。座席数は268で、運営は大学生協。授業期間の昼食時間帯のみ弁当などを販売している[167]

    • オレンジカフェ (Orange Cafe)

    富士見ゲート1階にある軽食堂(カフェ)。ホットドッグ、パンケーキなどの軽食や、コーヒーなどのドリンクを提供している。

    • レインボーテラス

    ボアソナード・タワー2階の軽食堂。業者の撤退により、2018年に休止。カレー、サンドイッチ、フライドポテトなどの軽食やドリンクを提供していた。

    講堂編集

    • 薩埵ホール

    「さった」ホールと読む。外濠校舎6・7階にある870人収容の大ホール。可動式座席を収容し、アリーナとしての利用も可能である。講演会や演奏会などに利用されているが、授業が行われることもある。名称は創立者の一人である薩埵正邦に由来する。

    • スカイホール

    ボアソナード・タワー26階にある多目的ホール。同時通訳システムやAVシステムなどを備えており[168]、国際会議のほか、各種シンポジウムやパーティなどに利用されている。地上約120mに位置し、丸の内〜上野方面が展望できる。

    • オレンジホール

    富士見ゲート地下2階にある多目的ホール。名称は学内公募により決定され、スクールカラーのオレンジにちなんで名付けられた[151]。法政大学後援会の寄贈により、全体移動式の移動観覧席が導入されており、普段は倉庫に収納されているが、イベントの形式に合わせて自由にレイアウトできる[169]。また、音響設備やAV設備も有しているため、サークルや部活動の練習のほか、さまざまな発表の場として利用可能である[169]

    • ステラビアホール

    富士見坂校舎地下1・2階にある244人収容の中ホール。名称は学内公募により決定された。「ステラビア」には、ラテン語で「stella=星」「via=道」という意味が込められている。普段は音楽系サークルのコンサートや練習、演劇などに利用されている。

    多摩キャンパス編集

     
    多摩キャンパス
    左側が1号館(総合棟)・右側が3号館(図書館・大原社会問題研究所などが入居)
    所在地

    194-0298 東京都町田市相原町4342

    交通アクセス
    設置学部
    • 経済学部
    • 社会学部
    • 現代福祉学部
    • スポーツ健康学部

    の各学部1〜4年次。他に法政大学大原社会問題研究所を置く。

    環境
    • 面積は約80万m2。敷地内は、本部・図書館エリア、各学部棟エリア、体育施設エリア等に分けられて設計されている。町田市西端部の神奈川県相模原市八王子市との境に位置しており、付近には1980年代1990年代に同様に東京郊外に進出した他大のキャンパスが散在している。
    • 構内の端から端まで歩いて20分以上掛かるほど構内が広いため、授業時間内には2台のバスが巡回している。また、朝ラッシュ時に一部の路線バスが体育館前のロータリーまで乗り入れを行っている。
    • 元々手狭になった市ケ谷キャンパスより大学本部を移す予定で広大なキャンパスが作られたが、一部学部の反対にあったために、本部移転に賛成であった社会学部・経済学部のみが移転したという経緯がある。その後大学の都心回帰の風潮が強まったために本部移転構想は消滅したが、総合棟や図書館などの建物は大学本部移転を見越して大きく作られている[170]
    • 所在地の相原町以外にも、隣接する八王子市相模原市などとも様々なイベントや活動を頻繁に行っており、大学の授業内だけでなく体育会によるスポーツ指導イベントや幼稚園の遠足コースに多摩キャンパスを組み入れるなど、キャンパス周辺地域との幅広い交流も積極的に行っている。多摩キャンパスの学園祭では、市ケ谷キャンパスではあまり見られない地域住民との交流シーンが多く見られる。

    エリア編集

    • 本部・図書館エリア
    • 多摩キャンパスの中枢エリア。中層のキャリアセンター・生協購買・食堂等が入る1号館(総合棟)、1600人収容の多目的ホール・円形芝生広場を有する2号館(大教室A棟)、図書館・研究所が入る3号館(図書館・研究所棟)からなる。
    • 社会学部エリア
     
    社会学部棟・画像募集中
    • 高層の4号館(社会学部A棟)、5号館(社会学部B棟)、6号館(食堂A棟)から成るエリア。
    • 現代福祉学部エリア
    • 2000年に完成した多摩キャンパスで最も新しいエリア。17号館(現代福祉学部棟)のみで完全バリアフリー設計になっており、臨床心理に関する設備が多い。
    • 経済学部エリア
    • 法政通りを跨ぐ歩道橋の法政Vブリッジを超えた先にあるエリア。低層の8号館(経済学部A棟)、9号館(経済学部B棟)、10号館(経済学部C棟)、11号館(食堂B棟)からなり、各校舎がコの字型に配置されている。エリアの横を通る構内道路沿いに「法政大学経済学部前」バス停があり、朝には一部路線バスがこのバス停を経由し「法政大学体育館前」まで運行を行っている。
    • 体育施設エリア
    • 第3種公認の陸上競技場、各種アリーナ・室内温水50mプール(世界大会基準の公認プール)・食堂などが入る総合体育館(14号館)、体育棟(15号館)、人工芝ホッケー場、ラグビー場、野球場、テニスコートが広がり、合宿設備もある。総合体育館前のロータリーに「法政大学体育館前」バス停があり、朝には一部路線バスがこのバス停まで運行を行っている。
    • スポーツ健康学部エリア
     
    スポーツ健康学部棟・画像募集中
    • EGG DOME横の法政トンネルを抜けた先のエリア。本部・図書館エリアからは約1kmほど離れている。2008年度までは工学部棟として週3日ほど工学部の一部の授業が行われていたが、2010年のスポーツ健康学部設立を機に改築された。最新鋭のフィットネススタジオ・体組成実験室・スポーツ健康学部生のみが利用できる給食制の食堂等がある。
    • 城山エリア

    建築物編集

     
    EGG DOME(16号館)
     
    Vブリッジ画像募集中
    • EGG DOME(16号館)
    • 多摩キャンパス入口近くに位置する、1999年に竣工した地上5階地下2階の多目的共用施設。1階部分はバスターミナルとなっており、京王バス神奈川中央交通の「法政大学」バス停が設置されている。サークル用BOX(部室)・多摩学生センター・ラウンジ・EGG DOMEホール・食堂・ATM等があり、サークル活動の拠点となっている。
    • 百周年記念館(13号館)
    • 構内道路を挟んで経済学部エリアの向かい側に位置する建物。会議室・ラウンジ・宿泊施設等を有し、主にキャンパス内での宿泊研修・実習や来賓の接待等に利用されている。
    • 法政Vブリッジ
    • 本部エリアと社会学部エリアを結ぶペデストリアンデッキと経済学部エリアを結ぶ陸橋で、下には法政通りが走っている。1997年3月竣工。橋長109m、有効幅員5mのプレストコンクリート製斜張橋で、ハーブ型ケーブルとV形式主塔を有した構造である。名称は一般公募で決められ、橋を支える支柱の姿がアルファベットの「V」字型になっている点と、英語の「Victory」から名付けられた。学園祭の最後を飾る打ち上げ花火の一番の鑑賞スポットでもある。
    • 法政トンネル
    • EGG DOME 周辺とスポーツ健康学部エリアを結ぶ車道トンネル。
    • 法政大橋
    • 「ほうせいおおはし」と読む。経済学部エリア裏と本部エリア裏を結ぶ陸橋。ちょうど法政Vブリッジと並行して設置されている橋であり、こちらは多摩キャンパス開設当初より存在する。

    学生食堂編集

    多摩キャンパスには食堂が10ヶ所存在している[171]。1号館食堂・16号館食堂以外は大学生協の運営であるが、それぞれ取り扱うメニューが異なっている。

    • 1号館食堂(総合棟食堂)
    • 総合棟(1号館)地下1階に位置する食堂。座席数は200、運営は新東京食堂。カフェテリア形式をとっており、好きなおかずを数種類選択できるセレクトランチが人気である。
    • 9号館食堂
    • 経済学部エリア内9号館地下1階に位置する。座席数は150。多数のセットメニューを提供。
    • 11号館食堂
    • 経済学部エリア内11号館(食堂B棟)地下1階に位置する。座席数は664(うちテラス席は95)。
    • 11号館喫茶・フードショップ
    • 経済学部エリア内11号館(食堂B棟)地下1階に位置する。座席数は70。おにぎり・サンドウィッチといった軽食を提供している。
    • 6号館食堂(社会学部食堂)
    • 社会学部エリア内6号館(食堂A棟)2階に位置する食堂。座席数は709(うちテラス席は60)で 多摩キャンパスで最も大きい食堂でメニュー数も豊富である。
    • 14号館食堂(体育館食堂)
    • 総合体育館1階に位置する食堂。座席数は186。定食を中心としたメニュー構成で、体育会所属学生のために比較的安めで量が多い傾向にある。
    • 体育館喫茶
    • 総合体育館1階に位置する食堂。体育館エリアバスロータリーに隣接している。座席数は63(うちテラス席は15)。主に軽食を提供している。
    • 16号館食堂(エッグドーム・スローワールド店)
    • 16号館 (EGG DOME) 2階に位置する食堂。座席数は108。2010年度までは大学生協、2011年度からはNPO法人やまぼうしの就労継続B型支援事業所「里山耕房くらさわ」が運営している。丼ものや数種類のカレー等の軽食を提供しており、18時以降はアルコール類も提供されている。
    • 17号館ラウンジ(現代福祉学部棟ラウンジ)
    • 現代福祉学部棟1階に位置する食堂。座席数は200。パスタ等の軽食を提供しており、焼きたてのパンも取り扱っている。
    • 18号館食堂(スポーツ健康学部食堂)
    • 18号館エリアに位置する食堂。給食形式の食堂であり、スポーツ健康学部の学生は学生証を掲示すれば無料で定食が提供される。また他学部の学生も規定の料金を払えば同じメニューを食べることもできる。

    講堂編集

    • 2号館(大教室A棟)大ホール
    • 1600名収容の法政大学最大のホール。多摩キャンパスコンサートなどオーケストラによるコンサートや、周辺地域の各種講演会・コンテスト等のイベントでも使用されている。またこの校舎の屋上には円形芝生広場があるが、周囲に音が響かないようにするために、客席上部へ相当する部分に植えられているものである。
    • この他にも多摩キャンパスでは大教室が多数あるため、それぞれ講演会等で利用されている。

    小金井キャンパス編集

     
    小金井キャンパス正門
    所在地

    184-8584 東京都小金井市梶野町3-7-2

    交通アクセス
    設置学部
    • 情報科学部
    • 理工学部
    • 生命科学部
    • 工学部(募集停止中)

    の各学部1〜4年次

    環境
    • 小金井公園が比較的近く、北側約100m先には玉川上水が流れている。周辺には住宅街が広がっている。
    • ほぼ全ての校舎がある敷地を「梶野町校舎」と称しており、700mほど離れた小金井市緑町3-11には、マイクロ・ナノ・テクノロジー研究所・サッカー場・テニスコートが広がる「緑町校舎」がある。
    • 2007年2月より再開発工事が始まっており、2007年9月に部室棟、2008年9月に東館、2011年3月に北館・管理棟が竣工した。今後は研究実験棟等の既存校舎の撤去・中庭の整備が行われる予定である。

    主な施設編集

    • 北館
    • 西館
    • 南館(図書館)
    • 東館
    • 管理棟
    • 共通実験準備室棟
    • 情報メディア教育研究センター
    • 水工実験室
    • 熱工学・高圧実験棟
    • イオンビーム工学研究所
    • 部室棟
    • マイクロ・ナノ・テクノロジー研究センター
    • サッカー場
    • テニスコート

    学生食堂編集

    • 生協小金井食堂
    • 東館地下1階に位置する。座席数は521、運営は大学生協。カフェテリア方式とビュッフェ方式の併用でメニューを提供している。
    • 旧スエヒロ食堂
    • 管理棟3階に位置する、座席数235の食堂。

    付属施設編集

    キャンパスの他に以下の付属施設がある。セミナーハウスと体育施設などが占める。

    • 向坂逸郎記念国際交流会館
    • 東京都中野区にある地上2階建ての施設。故向坂逸郎氏の旧宅跡地。国外の研究者が滞在するゲストルームや、会議・交流などに活用できる集会室が設けられている。
    • 石岡総合体育施設
    • 茨城県石岡市にある、広大な敷地[172]を誇るスポーツ施設群。当施設はかつて法政大学第三中・高等学校(1955年閉校)があった場所に位置しており、テニスコート・野球場・サッカー場・ラグビー場・体育館・道場等を有する。また、常時200名が宿泊できる宿泊施設「スポーツハウス96、98」もある。各部活動の合宿にはもちろんのこと、サークルの合宿や学部学科の体育イベント等にも使用される。
    • 富士セミナーハウス
    • 山梨県鳴沢村にある標高1,100mの富士山麓に位置する施設。鉄筋3階建て、延べ床面積2,200m2で100人が宿泊可能。主にゼミ合宿等に使用される。
    • 白馬山荘
    • 長野県白馬村にある3階建ての厚生施設。ゼミやサークルの合宿にも使用されるが、こちらは教職員・卒業生・現役法大生の父母およびその同行者も利用できる。延べ床面積約905m2、一度に42名まで宿泊できる。外観は法政大学の校章をモチーフに設計されている。なお同施設は、白馬高校の学生寮としての利用が決定したことに伴い、2017年2月28日をもって運営を終了することとなった[173]
    • 川崎総合グラウンド

    学生生活編集

     
    入学を祝う垂れ幕。外濠校舎吹き抜けより
     
    六大学野球優勝パレードの様子(2009年6月4日、神楽坂付近にて撮影)
     
    六大学野球優勝パレード。後方に見えるのが外濠校舎とボアソナードタワー

    部活動・サークル活動編集

    体育会に所属する部活動は2009年現在、合計37部存在している。後述の「スポーツ」の項目でも触れるが、数多くの部が大会などで実績を上げている。その他、リーダー部・チアリーディング部・吹奏楽部から成る応援団と第二体育会に所属する部活動が14部存在する。

    サークル活動においては大学登録サークル(公認サークル)が174[174]、非公認を含めると無数のサークルが存在している。3キャンパスそれぞれ独自に活動する団体もあれば、キャンパスを超えて活動を行っているサークルもあり、大会で優勝するなど実績を上げているサークルも少なくない。

    学園祭編集

    自主法政祭編集

    戦後間もない頃から開催されており、半世紀以上の歴史を誇る。主催は全学生によって信任された自主法政祭実行委員会である。

    法政大学の学園祭が持つ最大の特徴は大学側の関与が少ない学生主催のものであるという点であり[175]、「自主」の二文字を冠しているのもこのためである。しかし、もともと「自主」と冠していたわけはなく、20〜30年ほど前から学生主体の意味合いをアピールする意図で付けられたものである[176][177]

    自主法政祭は3キャンパスのうち市ケ谷キャンパスと多摩キャンパスで行われており、市ケ谷と多摩の実行委員会は別組織だが基本理念など根幹部分では共通する点も多い。また、この自主法政祭では学生の飲酒も自主性に任されており、過去に発生した泥酔による死亡事故の反省を踏まえ、自主法政祭実行委員と参加者双方による事故防止の啓蒙や学内の見回りが徹底されている。また市ケ谷キャンパスの法政祭では当日の警備に応援団も参加し、厳正に監視が行われている。

    自主法政祭実行委員会による厳しい審査により各団体の企画場所等が決定されていく。そのためか市ケ谷キャンパスでは各学生の参加熱意が高く、ビラ貼り日にはより良い位置に貼ろうと学生が校内を走り回り、学内の壁がビラで埋め尽くされる。

    市ケ谷・多摩の2つの学園祭は持つ役割や雰囲気がそれぞれ異なっており、多摩祭では広大なキャンパスを利用した「自然を生かし地域と連携した」祭りが、市ケ谷祭では学生の熱気が溢れかえる「学生文化発信の場」の意味合いを持つ。多摩キャンパスの学園祭では地域住民や家族連れなどが学生らと交流する微笑ましい光景も多く見られる。

    なお、市ケ谷キャンパスの自主法政祭は東京六大学学園祭連盟に加盟している。

    • 近年の開催期間:市ケ谷キャンパスでは11月上旬の例年4日間、開催時間は連日午前8時〜午後11時までの15時間で国内最大規模の学園祭である。多摩キャンパスでは10月下旬に土曜日曜休日を用いて、例年2日間開催される。

    小金井祭編集

    小金井キャンパスでは技術連盟や有志からなる「法政大学企画実行委員会」によって毎年11月上旬に3日間「小金井祭」が開催されている。他の2キャンパスとは基本理念そのものが異なっており、一味違ったものとなっている。

    オープンキャンパス編集

    多くの有志の学生達により構成された「オープンキャンパススタッフ」が運営管理、来場者の誘導、企画進行を担っている。毎年春にスタッフ募集の告知がされ、書類選考と面接を通過した学生がスタッフとして信任され、大学側と協力しつつ当日まで準備を進める。活動は毎週のミーティングなど、クラブやサークルとほぼ同頻度で活動している。模擬授業以外のほぼ全ての企画立案・製作・実行といった一連の流れや各校舎・フロアの備品設置なども学生スタッフに任されており、これだけ学生主体で運営されているオープンキャンパスは珍しいであろう。

    新入生歓迎祭編集

     
    入学式が行われる日本武道館

    毎年春、入学式から授業開始までの間に開催される。主に新入生を対象としたサークルや部活動などの説明会や勧誘行事が行われ、各団体がビラなどを配り新人確保を目指す。主催は自主法政祭実行委員会が兼任しており、大学側と協力し、ガイダンス後のサークル合同説明会や入学式が行われる日本武道館から市ケ谷キャンパスまでの新入生の誘導なども学生が行っている。

    スポーツ編集

     
    1930年(昭和5年)、東京六大学野球で初優勝した当時の野球部
    • 野球部は、東京六大学野球連盟に加盟している。東京六大学野球リーグ戦では最多タイ46回優勝、全日本大学野球選手権大会では最多8回優勝、明治神宮野球大会では3回優勝しており、リーグ戦では4連覇を3度達成している[178]
    • 準硬式野球部は、東京六大学準硬式野球連盟に加盟している。東京六大学準硬式野球リーグ戦では47回優勝、全日本大学準硬式野球選手権大会では3回優勝、全日本大学選抜準硬式野球大会でも3回優勝している。また過去には、プロ野球選手を輩出した実績を持つ。
    • アメリカンフットボール部は、2019年現在、関東大学リーグ戦で18回優勝、甲子園ボウルへは15回出場して5回優勝している。ニックネームは「トマホークス」であったが、2017年より「オレンジ」へ変更になった。
    • ラグビー部は、第1回全国大学選手権で優勝している。2019年現在、全国大学選手権で優勝3回、準優勝5回の実績を持つ。関東ラグビーフットボール協会に所属し、関東大学ラグビーリーグ戦で戦っている。同リーグでは2019年現在、最多13回優勝の実績を持つ。
    • サッカー部は2018年現在、天皇杯全日本サッカー選手権大会で準優勝1回、全日本大学選手権で優勝3回、準優勝9回であり、また、総理大臣杯では優勝4回、準優勝5回、関東大学サッカーリーグ戦1部で優勝3回、準優勝5回の実績を残している。
    • 陸上競技部は、卒業生にオリンピック選手、世界陸上メダリストが存在している。また、箱根駅伝では、1931年に往路優勝、2006年に復路優勝をそれぞれ一回ずつ(総合最高位は3位)記録し、2019年現在出場回数は79回(出場回数では各大学中4位)を数える。
    • 自転車競技部は 多くのオリンピック選手、世界選手権出場選手を輩出しており[179]全日本大学選手権で10連覇した実績を持つ。
    • 弓道部は、全日本学生選手権で2008年現在8度優勝、全日本学生王座決定戦で2006年現在12度優勝している。2006年は全日本学生選手権を2年連続7度目の優勝、全日本学生王座決定戦も2年連続12度目の優勝をしており、両大会同年での連覇は学生弓道54年の歴史で初めてである。
    • バレーボール部は、1997年の東日本インカレ以来優勝から遠ざかっているが、関東大学リーグ戦では28回、全日本インカレでは10回の優勝記録を持っている。
    • バスケットボール部は、1977年に関東選手権・関東大学リーグ戦・全日本学生選手権優勝の三冠を達成しており、2007年・2009年にも全日本学生選手権で準優勝している。ニックネームは「オレンジウィザーズ」である。
    • ボート部は、インカレ上位入賞等の強豪校である。伝統の一戦4月29日(みどりの日)グリーンレガッタに参戦している。グリーンレガッタとは、法政大学・中央大学日本体育大学東京経済大学の4大学対抗戦で総合優勝を競い、戸田漕艇場で毎年行われている大会のことである。
    • ボクシング部は、1924年創立の強豪。全日本ボクシング選手権大会に延べ39人のチャンピオン、国民体育大会に35人のチャンピオンを輩出している[180]
    • レスリング部は、世界チャンピオンをはじめ、全日本学生チャンピオンを多数誕生させている。近年は女子部員も受け入れている。

    大学による学生生活支援編集

    • 学生チャレンジ・サポート制度
    • 個人・団体問わず、法大生が企画した課外活動を支援する制度。大学の選考委員会で認可されると、その活動に対する助成金が支給される。
    • デジタルコンテンツ・コンテスト
    • 通称デジコン。2004年にトライアルとして始められ継続しているコンテストであり、毎年秋に静止画・動画・インタラクティブ(各種プログラム)の3部門に分かれ募集が行われている。
    • 法政大学懸賞論文
    • 1978年創設された制度。学部生・通信教育部生が出願でき、テーマは所属学部に関係なく自由に設定してできる。優秀論文は「雑誌法政」または「優秀論文集」に掲載される。
    • 法政大学ピアサポートコミュニティ (Hosei PSC)
    • サークルやゼミナール活動以外にも学生同士の交流や教養の場を提供するべく設立されたシステム。年間を通じて学生に多数の課外活動を提案、実行を行っている。2007年度文部科学省「新たな社会的ニーズに対応した学生支援プログラム(学生支援GP)」に採択された。学生スタッフを中心に、エンパワーメント、課外教養プログラム、キャリア支援、同郷会、障がい学生支援、ピア・サポート、ボランティア支援7つのプロジェクトに分かれ活発に活動している。
    • 法政大学ボランティアセンター
    • 学生へのボランティア活動の紹介・活動のサポートや学内外ボランティア団体間の仲介等を行う。2006年の学生団体からの提言・2007年にピアサポートコミュニティ内でボランティア支援プロジェクトが発足したことをきっかけに2009年4月に設立された。学生スタッフを中心に活動しており、市ケ谷・小金井・多摩の各キャンパスに設置されている。

    その他編集

    • 多摩スポーツフェスティバル
    • 多摩キャンパスにおいて年に1度行われるスポーツ大会。体育祭に似た雰囲気のイベントで、各競技の勝利者には多摩キャンパス内で使用可能な買い物券が進呈される。
    • 小金井スポーツ大会
    • 小金井キャンパスにおいて年に1度行われるスポーツ大会。
    • その他、課外活動として新入生合宿子供理科教室多摩キャンパスダンススクールなどがある。
    • 入学式と卒業式(学位授与式)は日本武道館で行われる。毎年北の丸公園や外濠公園の桜並木が市ケ谷キャンパスを彩る。

    社会との関わり編集

     
    大学向かい・新見附橋付近の公園入口に残っている外濠公園石標。法大と関係性が深い。

    法政大学はこれまでに43万人以上[181] の人材を輩出しており、各界で多くの卒業生が活躍している。また、法政大学教授・准教授の中にはテレビの報道番組や情報番組等にコメンテーターとして出演している者や、各新聞社・出版社の記事に取材コメントを寄せている者も多い。東京六大学としての交流も深く、スポーツ界においては野球を筆頭に多くのアスリートを輩出しており、プロ野球選手をはじめ、オリンピック出場選手も多数輩出している。

    法政大学と外濠編集

    千代田区との提携による「千代田学」研究の一つとして、「350年の歴史遺産・外濠の再生デザインと整備戦略」がある。

    市ケ谷キャンパスに隣接する外濠公園の設置の経緯に法政大学は大きく関わっており、法政大学と外濠は切っても切れない深い関係があると千代田区資料にまとめられている[182][183]。校歌にも「蛍集めむ門の外濠」の一節がある。現在でも上記の研究や授業・課外活動等の各方面で外濠外濠公園との関係は続いている。

    • 経緯の詳細については外濠公園の項目を参照のこと。

    その他編集

    • 文部科学省・高等教育政策転換政策による、第三者評価機関による大学の周期的評価の義務づけに対し、法政大学は他私立大学に先行して2003年に「法政大学第三者評価委員会」を設置している。この評価委員会には東京大学名誉教授なども参加している[184]
    • 法政大学では国内の大学でも有数の環境センターを設置している。グリーンユニバーシティをキーワードに掲げ、1999年3月には環境憲章を制定。同9月には、総合大学としては日本で初めてISO14001を取得するなど高く評価されている[185]。学内ではエネルギー温暖化対策小委員会・資源リサイクル小委員会・グリーン購入小委員会・サステナビリティ教育研究小委員会を設置し、ゴミの分別回収や屋上緑化等の具体的活動を行っている。
    • 教育保証、教学改革、卒業生や在学生・それらの父母と大学とのネットワーク強化、それらによる協力・支援関係の構築を目指す法政オレンジネットワーク事業をスタートさせている。具体的には法政オレンジCAMPUSカード(大学公式クレジットカード)、法政オレンジコミュニティ(関係者専用SNS、2009年12月末日をもって終了)、法政フェア、卒業生データベース再構築によるものである。
    • 大学では新入生および卒業生に対し、大学生活や大学設備全般に対するアンケート調査を行っている。さらに保護者に対しては大学の社会的評価や大学への要求事項などをアンケート調査している。それら結果は大学ホームページにて公開している。
    • 大学の予算・決算および事業報告は毎年度必ずホームページにて公開している。その他、事業計画書・財産目録・監事監査報告書などの公開も行っている。
    • 各文芸作品にも登場している。テレビドラマではロケ地として選ばれることもある。代表例としてはNHK連続テレビ小説ちゅらさん』にて「古波蔵恵里と前原琉美子が受験した東都大学」として多摩キャンパスが、同『こころ』にて「朝倉倖が通う青葉山学園」として市ケ谷キャンパス富士見坂校舎が登場している[186]。このほか、市ケ谷キャンパスがライトノベル原作のテレビアニメゴールデンタイム』において、主人公たちが通う大学のモデルとなった[187]
    • 2006年3月に法政大学学生運動の一斉検挙が行われたが、以来、学生(他大生を多数含む)を含めた活動家と大学当局との衝突が繰り返され、のべ100名以上が逮捕(そのうち法大生は若干名)される事態が生じた。

    附属学校編集

    学校法人法政大学は以下の大学附属学校を設置している。

    関連会社編集

    • 株式会社エイチ・ユー[188]

    脚注編集

    [脚注の使い方]
    1. ^ 法政大学の歴史”. 法政大学. 2017年6月1日閲覧。
    2. ^ a b 「日本最古の私立法律学校として発足」法政大学法学部公式サイト
    3. ^ スーパーグローバル大学に37校 国際化へ文科省選定(日本経済新聞 2014年9月26日)、「スーパーグローバル大学」に37校(NHKニュース 2014年9月28日)
    4. ^ 2019年度の実志願者数ランキング(朝日新聞出版による調査データ)
    5. ^ 2020年度の実志願者数ランキング(朝日新聞出版による調査データ)
    6. ^ 志願者数の多い大学TOP20 2017年2018年(旺文社)
    7. ^ 主要私立大志願状況 2017年2018年2019年 (Kei-Net) や 2019年入学志願者速報(大学通信)等を参照。
    8. ^ Alma Mater Index: Global Executives 2013
    9. ^ 『大学ランキング 2020』(朝日新聞出版)
    10. ^ 法政大学のミッション
    11. ^ 法政大学社会学部公式サイト
    12. ^ a b 日本初の通信教育部設置大学
    13. ^ a b c 大学院について 歴史・沿革
    14. ^ 公務人材育成センター
    15. ^ 高度会計人育成センター
    16. ^ グローバル教育センター事務部の新設
    17. ^ 学内でできる国際交流”. 法政大学グローバル教育センター. 2019年10月22日閲覧。
    18. ^ 法政大学の歴史”. 法政大学. 2019年4月12日閲覧。
    19. ^ アメリカ人のル・ジャンドル(リセンドル)と同時受章。→日本の勲章の歴史
    20. ^ 法政大学史跡「法政大学発祥の地」記念碑
    21. ^ 法政大学創立三十周年記念式典では、堀田正忠(後の検察官)・橋本胖三郎(司法省法学校第1期生)・大原鎌三郎・元田直の4名も、東京法学社の創立者として顕彰されている。なお、堀田と橋本は、治罪法刑事訴訟法)の起草がボアソナードに委ねられた1877年(明治10年)以前に、司法省において治罪法の編纂にあたっていた同僚である(司法省刑事局編「旧刑法、治罪法及旧刑事訴訟法編纂沿革(一)」『法曹会雑誌』8巻8号、116頁)。
    22. ^ 「代言人規則」第22条、明治13年(1880年)5月13日
    23. ^ 法政大学イノベーション・マネジメント研究センター・洞口治夫編『大学教育のイノベーター 法政大学創立者・薩埵正邦と明治日本の産業社会』書籍工房早山、2008年
    24. ^ 日本近代法の父”. 神奈川弁護士会. 2015年10月2日閲覧。
    25. ^ 天皇陛下のおことば「国賓 フランス大統領閣下及びトリエルヴェレール女史のための宮中晩餐」フランス文英文宮内庁、平成25年(2013年)6月7日
    26. ^ 大久保泰甫『ボワソナアド-日本近代法の父』岩波書店、1977年
    27. ^ a b 『官報』第1452号「省令」、明治21年(1888年)5月5日
    28. ^ 『官報』第1563号「告示」、明治21年(1888年)9月12日
    29. ^ 「法政大学校友名鑑」(1941)
    30. ^ 「仏学会・東京仏学校関係文書をひも解く」『法政』2004年12月
    31. ^ 「仏学会総会報告綴」(日仏協会)、富田仁「佛學會のこと」(図書新聞1981年11月21日、11月28日両号)。さらに『法律学の夜明けと法政大学』(法政大学大学史資料委員会・編、法政大学発行1992年)より「仏学会と東京仏学校―もう一つの源流」(安岡昭男)
    32. ^ 「学制の制定」『学制百年史』文部科学省
    33. ^ 『官報』第1534号「告示」、明治21年(1888年)8月9日
    34. ^ 『官報』第1860号「告示」、明治22年(1889年)9月9日
    35. ^ 岸本辰雄名村泰蔵らの言(大槻文彦『箕作麟祥君伝』丸善、1907年、96-97頁)
    36. ^ 森田宏樹「梅謙次郎」『法学教室』185号(1996年)48頁
    37. ^ 法政大学図書館「個人文庫・コレクション解説/ルボン文庫
    38. ^ 現在の法政大学はこれをもって大学の創立としている。
    39. ^ a b 沿革|校友会とは|一般社団法人 法政大学校友会
    40. ^ 他の3名は、山崎直胤(内務省初代県治局長)、平山成信(後の宮中顧問官、枢密顧問官)、栗塚省吾(後の大審院判事)。
    41. ^ 初代会長は辻新次。名誉会員には伏見宮貞愛親王徳川昭武(第15代将軍徳川慶喜の弟、水戸藩第11代藩主)、徳川篤敬(水戸徳川家第12代当主)、鍋島直大(佐賀藩第11代藩主)、蜂須賀茂韶(徳島藩第14代藩主)、太田資美(掛川藩第7代藩主)、大木喬任(元老院議長、枢密院議長)、山田顕義(司法大臣)、ボアソナード等が名を連ねている(「仏学会・東京仏学校関係文書をひも解く」『法政』2004年12月)。
    42. ^ 「法政大学校友名鑑」(1941) p.6
    43. ^ 同討論会は1890年7月まで13回開催された(専修大学出版局 『専修大学百年史』 上巻、1981年、607-621頁)。
    44. ^ 麹町区富士見町6丁目16番地。現在の市ケ谷キャンパスにほど近い。
    45. ^ 拓殖大学創立百年史編纂専門委員会編 『拓殖大学百年史』 明治編、拓殖大学、2010年、64-70頁
    46. ^ 「法政」の名称について野上豊一郎はのちに「梅先生は政治科をつくったことをたいへん自慢していたから、法律のと政治のを一緒にしたのでは」と語っている(『法政大学の100年 <1880-1980>』 42頁)。
    47. ^ 入学者が激減したため(『法政大学百年史』 205頁)。
    48. ^ a b 「法政の球場──実は試合のための借球場は一時一ッ橋内にあつたが大正八九年頃となつて球場はまだ麦畑に包まれてゐた中野新井薬師裏に移つた、移つたといふより戻つて来たといふ方が適切であるかも知れない、なぜなら、このグラウンドは大正四年に野球部の創立と共に誕生してゐたからである」(『東京朝日新聞』 1936年9月9日)
    49. ^ 「法政は新しいグラウンドを中野の新井薬師近くに作ったものの、工事はかどらずとあって、神田橋にほど近い中央気象台の敷地予定地を一時借りて仮グラウンドとしたのであった。神田橋グラウンドは法政の中野球場が完成するまでのあくまで仮のグラウンドであった。」(大和球士 『真説 日本の野球史《大正篇》』 ベースボール・マガジン社、1977年、100頁)
    50. ^ 当初は現在よりも敷地は狭く、徐々に敷地を買収・拡張していくことになる(HOSEI MUSEUM Vol.24 法政大学 市ケ谷キャンパス内史跡 アーネスト・サトウゆかりの屋敷跡と市ケ谷キャンパス)。
    51. ^ 『法政大学八十年史』 523頁
    52. ^ 『法政大学百年史』 210頁
    53. ^ 『法政大学八十年史』 710頁
    54. ^ 羅馬(ローマ)に通ふ道一つ〜内田百閒と学生文化の開花〜”. HOSEI ONLINE (2019年10月1日). 2020年11月3日閲覧。
    55. ^ HOSEI MUSEUM Vol.35 法政大学校歌誕生エピソード 佐藤春夫・近衛秀麿の論争の末に生まれた名校歌|法政大学
    56. ^ 法政大学百年史年表 34頁(『法政大学百年史』所収)
    57. ^ a b 『法政大学八十年史』 437頁
    58. ^ 法政大学百年史年表 38頁(『法政大学百年史』所収)
    59. ^ 法政大学百年史年表 40頁(『法政大学百年史』所収)
    60. ^ a b c 法政大学 市ケ谷キャンパス内史跡”. HOSEI ONLINE (2016年5月2日). 2020年11月3日閲覧。
    61. ^ a b 法政大学百年史年表 43頁(『法政大学百年史』所収)
    62. ^ 美濃部亮吉など4名が検挙され、また戦後に法大総長となる大内兵衛(東大教授)と有沢広巳(東大助教授)もこのとき検挙されたが(『法政大学百年史』248-249頁)、法大関係者や大内・有沢らいわゆる学者グループは、全員無罪となった(『法政大学百年史』521頁)。
    63. ^ HOSEI ONLINE 「自由と進歩」の体現者〜三木清と戸坂潤〜
    64. ^ 『法政大学と戦後五〇年』 1336頁
    65. ^ 『法政大学八十年史』 538-539頁
    66. ^ a b 法政大学百年史年表 59頁(『法政大学百年史』所収)
    67. ^ 『法政大学八十年史』 540頁
    68. ^ 『法政大学百年史』 655頁
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    70. ^ 法政大学百年史年表 73頁(『法政大学百年史』所収)
    71. ^ 『法政大学百年史』 658頁
    72. ^ 法政大学百年史年表 77頁(『法政大学百年史』所収)
    73. ^ a b c d HOSEI MUSEUM Vol.24 法政大学 市ケ谷キャンパス内史跡 アーネスト・サトウゆかりの屋敷跡と市ケ谷キャンパス”. 法政大学 (2011年10月27日). 2020年11月3日閲覧。
    74. ^ 法政大学百年史年表 96頁(『法政大学百年史』所収)
    75. ^ 文学部は移転反対、法学部は日和見、経営学部は賛否両論拮抗して身動きがとれなかった(『法政大学と戦後五〇年』 253頁)。
    76. ^ 法政大学大原社会問題研究所略年譜
    77. ^ 解体工事は1992年と93年の2度にわたって反対派によって阻止された(『法政大学と戦後五〇年』 1399-1400頁)。
    78. ^ 『法政大学校友連合会報』2004年1月1日、10面
    79. ^ 『法政大学百年史』 58-59頁
    80. ^ a b 『法政大学百年史』 58頁
    81. ^ a b c 上林敬次郎「我等が母校在学時代を偲ぶ」『法政大学報』(1935年)、横山寛平「法政大学五十年観」『法政大学五十周年記念講演集』(1928年)等
    82. ^ この小川町校舎に移転した東京法学校について、『明治法律学校二十年史』(1901年)は、「自ら校舎を購入し、而も煉瓦造にして、地は学術上の形勝たる神田小川町に在り、気勢軒昂、将に明治法律学校を撲滅せすんは止まさらんとす」と評している(同書 29頁)。
    83. ^ 『法政大学百年史』 59頁
    84. ^ 『明治法律学校二十年史』 28頁
    85. ^ 「建物売渡之証」
    86. ^ a b 「仏学会経費収入支出表」(明治19年10月-同20年10月、明治20年11月-同21年10月)
    87. ^ 東京理科大学所蔵「小川町校舎買入証」
    88. ^ 「九段上」は行政地名ではなく通称であり、所在地は富士見町6丁目16番地であった。現在の衆議院九段議員宿舎跡地の東隣にあたる(間に小道を挟む)。
    89. ^ a b 『法政大学百年史』 123頁
    90. ^ a b HOSEI MUSEUM Vol.65 「梧桐の旧校舎」九段上校舎”. 法政大学 (2013年10月31日). 2020年11月3日閲覧。
    91. ^ 内田百閒によれば、その頃の九段上校舎は学生から「豚小屋」と呼ばれていたという(『深夜の初会 内田百閒集成21』 ちくま文庫、27頁)。
    92. ^ a b c d 『法政大学百年史』 208頁
    93. ^ 大学令第7条により、「大学に必要なる設備またはこれに要する資金」を有することが、大学昇格の条件のひとつとされていた(『法政大学八十年史』257頁)。
    94. ^ 『法政大学百年史』 210頁
    95. ^ 官報』 1941年3月18日
    96. ^ a b c 『法政大学八十年史』 523頁
    97. ^ 内田百閒と法政大学”. HOSEI ONLINE (2014年1月20日). 2020年11月3日閲覧。
    98. ^ 『東京朝日新聞』1922年1月20日、『大阪朝日新聞』1922年1月20日
    99. ^ 営繕管財局 『大正大震災震害及火害之研究』 洪洋社、1925年、83-84頁
    100. ^ 『法政大学八十年史』 259頁・520頁、『法政大学百年史』 635頁
    101. ^ 『法政大学百年史』 209頁
    102. ^ a b 『法政大学八十年史』 521頁
    103. ^ なお、山下洋輔の母方の祖父は、元法大総長の小山松吉
    104. ^ 法政フォトジャーナル 2007年4月26日 「デザイン工学部開設記念 第一校舎顕彰イベントを開催」
    105. ^ 朝日新聞 1970年8月12日 夕刊 9頁 「法・慶両大学を捜索 地下室に人血反応 法大構内事件との関連を追及」
    106. ^ 法政大学百年史年表 88頁(『法政大学百年史』所収)
    107. ^ 『法政大学百年史』 958-959頁
    108. ^ 東京急行電鉄社史編纂事務局編 『東京急行電鉄50年史』 1973年、128頁
    109. ^ 校友で教授の児玉正勝が奔走したほか、東横社長の五島慶太は若い頃、富井政章の書生をしていた縁もあった(『法政大学百年史』959頁)。
    110. ^ a b 『法政大学八十年史』 532頁
    111. ^ 大江宏は、「アカデミズムの府らしい重厚な建築」ではなく、ガラス張りで外光をふんだんに取り込める、当時の校舎としては画期的な建物を構想し(HOSEI MUSEUM Vol.92)、「ガラス張りの大学院」(『朝日新聞』1953年2月10日)、「ネオン輝く大学院」(『朝日新聞』同年7月22日)と報じられたが、「HOSEI UNIVERSITY GRADUATE SCHOOL」のネオン文字を見た評論家の大宅壮一からは、「HOTEL UNIVERSITY」と冷やかされたといわれる(『法政大学の100年<1880-1980>』133頁)。
    112. ^ a b 『法政大学八十年史』 18頁
    113. ^ a b c 大学史編纂室 (2012年6月21日). “ボアソナード博士 胸像物語”. 法政大学. 2020年11月3日閲覧。
    114. ^ 『法政大学の100年<1880-1980>』 136頁
    115. ^ 『法政大学百年史』 284頁
    116. ^ a b 「疲れずに七階へ ノートみながら登れる傾斜路」『朝日新聞』1954年12月31日
    117. ^ 岡本太郎は、完成直後の58年館を見て、「私が見た世界の大学建築の中で、光線の考察や設備の点で群を抜いている」と評している(『法政大学新聞』1958年10月25日)。
    118. ^ a b 市ケ谷キャンパス55・58年館建替工事について” (2013年12月20日). 2020年11月3日閲覧。
    119. ^ a b 新中央広場 竣工は来年度”. 法政大学新聞 (2019年7月1日). 2020年11月3日閲覧。
    120. ^ 大学スポーツの応援や、大学グッズなどにもたいていこの略旗が用いられるため、法大生や受験生の間でも「法政の旗=略旗」のイメージが強い。
    121. ^ “法政大学 法政大学について 概要 法政大学校歌” (プレスリリース), 法政大学, http://www.hosei.ac.jp/hosei/gaiyo/koka/index.html 2010年7月8日閲覧。 
    122. ^ 法政大学略年表:法政大学
    123. ^ 3月24日に法学部(法律科・政経科)に改組されたが、4月1日に再び法律科は法律学科に改称、政経科は政治学科に改組された(法政大学百年史年表 55頁 『法政大学百年史』所収)。
    124. ^ a b c 2年次に選択
    125. ^ 1年次から各科目群の科目を履修できる。このほか、法律学科、国際政治学科との共通科目などがある
    126. ^ 法政大学百年史年表 55頁(『法政大学百年史』所収)
    127. ^ 2年次に選択するが、他コースの科目も履修できる。
    128. ^ 法政大學新聞2009年後期号 経営学部50周年学部長インタビュー記事による。
    129. ^ ヤナセユニーカルビーの各社長(いずれも本学経営学部卒業)によるパネルディスカッションを行った「ホームカミングデー」と「マイケル・ポーター(ハーバード大学経営大学院教授)特別講演会」を市ケ谷キャンパスにて開催し、その様子は2009年12月26日の日本経済新聞朝刊にも掲載された。経営学部創設50周年記念事業 も参照。
    130. ^ 公式ホームページ・パンフレットでも初めにアルファベット表記であることが多く、今のところアルファベット表記・かな表記のどちらも正式名称として取り扱われている。
    131. ^ 2009年度までは福島空港で飛行実習を行っていたが、2010年度より変更される予定 [1]
    132. ^ 法政大学ホームページ 収容定員・現員・収容定員超過率(2005~2013年度)
    133. ^ 法政大学通信教育部ホームページ 総長メッセージ
    134. ^ 文部科学省の課程認定により、2016年度入学生からは高校地歴は取得不可。その後、2018年度入学生からは中学社会・高校公民も取得不可に変更。
    135. ^ 法政大学図書館 図書館概要 図書館紹介
    136. ^ 山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム加盟大学生は市ケ谷館のみ利用可能。小金井と多摩の両館は利用不可。
    137. ^ 一般社団法人 法政大学校友会(旧:法政大学校友連合会)
    138. ^ つまり大学以外でも、例えば法政大学高等学校卒業生でも所属可能である
    139. ^ 法政大学法学部同窓会
    140. ^ 法政大学経済学部同窓会
    141. ^ 法政大学工学部同窓会
    142. ^ 法政大学社会学部同窓会
    143. ^ 法政大学高等学校同窓会
    144. ^ 法政大学第二高等学校同窓会
    145. ^ 法政大学女子高等学校同窓会
    146. ^ 法政大学千代田学協定
    147. ^ 2014年7月まで副駅名が「法政大学前」だった。
    148. ^ 市ケ谷キャンパス アクセスマップ
    149. ^ 建て替え予定(衆院、新九段宿舎建設へ 毎日新聞 2019年12月26日)
    150. ^ a b 富士見ゲート”. 2020年11月3日閲覧。
    151. ^ a b 市ケ谷キャンパス新校舎名称が「富士見ゲート」に決定しました” (2015年11月20日). 2020年11月3日閲覧。
    152. ^ 大内山校舎”. 2020年11月3日閲覧。
    153. ^ 市ケ谷キャンパス新校舎名称が「大内山校舎」に決定しました” (2018年3月23日). 2020年11月3日閲覧。
    154. ^ 外濠校舎”. 2020年11月3日閲覧。
    155. ^ 80年館(図書館)”. 2020年11月3日閲覧。
    156. ^ a b 市ケ谷キャンパス スポーツ施設”. 2020年11月3日閲覧。
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    159. ^ 『法政大学の100年 <1880-1980>』 134頁
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    161. ^ 法科大学院棟”. 2020年11月3日閲覧。
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    163. ^ 「2018年度 事業報告書」学校法人法政大学、9頁、25頁
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    170. ^ 法政大学社会学部(編)法政大学社会学部50年誌 2002年10月11日 141〜149頁「社会学部と多摩キャンパス」
    171. ^ 法政大学ホームページ 学内店舗・食堂紹介ページより
    172. ^ 15万2,190m2(大学ホームページより)
    173. ^ 白馬山荘の運営を2017年2月28日に終了
    174. ^ 法政大学ホームページ 登録団体掲載ページより
    175. ^ ただし、学園祭運営費用など、大学からの助成や援助があるのも事実である。また、大学側の関与が少ないという点では早大の学園祭である「早稲田祭」も同様である。
    176. ^ 法政大學新聞記事、学園祭資料などから
    177. ^ そのため学園祭参加者および関係者が大学本部を拒んでいるわけでも対立しているわけでもなく、協力体制を敷いている。
    178. ^ 野球部 : 法政大学”. 2020年11月8日閲覧。
    179. ^ 自転車競技部 : 法政大学”. 2020年11月8日閲覧。
    180. ^ 法政大学ボクシング部
    181. ^ 法政大学 学生数・教職員数・卒業生累計データ
    182. ^ 学生ワークショップから考える外濠の再生について 4.外濠と法政の学生(千代田区ホームページ)
    183. ^ 法政大学 Campus photo あらかると「外濠公園と法政大学」
    184. ^ 法政大学第三者評価委員会
    185. ^ 法政大学グリーンユニバーシティを目指して
    186. ^ ロケ地ガイド-ちゅらさんロケ地ガイド-こころ より。
    187. ^ 舞台モデルは法政大学か アニメ「ゴールデンタイム」特報映像公開!(KAI-YOU.net)
    188. ^ 株式会社エイチ・ユー

    Wiki関係他プロジェクトリンク編集

    関連項目編集

    関連文献編集

    • 法政大学 『法政大学八十年史』 1961年
    • 法政大学百年史編纂委員会 『法政大学百年史』 法政大学、1980年
    • 法政大学百年史編纂委員会 『法政大学の100年 <1880-1980>』 法政大学、1980年
    • 法政大学戦後五〇年史編纂委員会 『法政大学と戦後五〇年』 法政大学、2004年

    公式サイト編集